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1時間の作業のうち、コーヒー豆を焙煎機にかけているのは、およそ30分か35分くらいです。焙煎の時問は長いほうで、ぼくなりのこだわりもあって、通常の倍ぐらいかけています。
最初の15分は、余熱で豆をあたためます。勝負は、残り15分をきったあたりの後半、ここからすごく味が変化します。
特に最後の28分、29分あたりは、ほんの10秒、20秒で味が変わってしまうので、そばにいて細かく火加減を調整していくのですが、その作業がとても楽しくて飽きません。
コーヒーの味は、飲んでみないとわからないところがあります。焙煎したあとに、その豆でコーヒーを滝れてみて、「あ、違った」と思うこともあり、そういう予想どおりにいかないところもすごく楽しいです。
「ちょっと火が強かった」とか、「3秒長すぎた」とか、ほんの少しの微妙な調整で、そのつど味が変わってしまうのもコーヒーのおもしろさであり、奥深さを感じます。豆が持っている水分量でも味が変わってしまいます。
やればやるほど新しいことが見つかるので、そこが、やりがいがあって楽しいですね。
ぼくは、コーヒーのシンプルさに惹かれました。原料は豆だけなのに、やり方しだいで、いくらでも味が変化するのがおもしろいんです。火加減をどうするのか、シンプルな素材だからこそ、焙煎の仕方で変化する要素がたくさんあります。
豆の挽き方からお湯の温度や注ぎ方まで、滝れるときにいくらでも工夫ができるのも、はまってしまう理由でした。
コーヒーの器具もかっこよくて好きですね。焙煎機はもちろんかっこいいのですが、豆を入れる瓶や、コーヒーを飲むカップ、お鍋ややかんなどの調理器具も、好みのものを揃えていく過程が楽しいです。
ぼくのコーヒーは、月替わりで味のテーマを決めています。たとえば、10月なら「香ばしさと甘みのうねり」、11月なら「彫刻をイメージした静かな甘み」。
テーマは生活の中で目にするさまざまな風景やぼくの興味、出会いの中で決まっていきます。
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「影」のことが頭から離れなくて、懐中電灯を持って森に出かけ、影を作っては遊んでいたこともあります。そのようすを見ていた母からは、「ニヤニヤして怪しいよ。怖いからやめて〜」なんて、止められたこともあります。
コーヒーにつながるイメージは、探しに出かけることもあるし、暮らしの中のふとした瞬間に見たもの、感じたものの中にヒントがあることもあります。イメージがわいたときは、帰ってくるのが夜になっても、そこから1回焙煎してみて、味を調整します。
いまのぼくは、自然や造形物などに触れている時間と、コーヒー豆を焙煎している時間しかなくて、そのバランスがとても心地よいです。
最近のコーヒーは、深煎りや浅煎りといった焙煎方法や、豆の産地によってタイプ分けされることが一般的ですが、ぼくは自然や芸術など、そういう環境に身を委ねることで、そこにある風景や匂いや、空気感みたいなものを、コーヒーの味に表現していきたいと思っています。
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一般的に、発達障害がある人は特定の感覚が過敏になることが多いそうです。母が言うには、ぼくにとってはそれが味覚と嗅覚です。
といってもぼくは生まれたときからこの感覚ですし、人より優れているかどうかも比較できないので、正直よくわかりません。
ただ、同じく母から聞いた話だと、グラタンを作るのにいつものバターがなくて、違う銘柄のものを使ったら、「今日はバターが違う」と指摘したこともあったそうです。また、出汁を替えたり調味料を替えたりすると、すぐに気づいていたみたいです。
味覚や嗅覚が鋭すぎると、偏食になりやすいという話も聞きますが、ぼくの場合は食べられないものは、そんなにありません。
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料理に使われている油の味は気になります。だから、ハンバーグやオムライスといった、子どもが好みそうな食べ物より、玄米菜食、煮物といった渋い和食が好きなのかもしれません。
一般的に、焙煎の仕事は味覚と嗅覚が研ぎ澄まされていないと務まらない仕事だそうです。これまで特に自覚はしてきませんでしたが、ぼくの生まれながらに持つ特性が、この仕事に生かされているのかもしれません。