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私の新人時代も2024年現在も変わらないが、管理職未満の社員の残業代は、時給換算でおよそ3000円。東京の最低賃金のじつに3倍。夜10時以降の残業代は、その1.5倍の4500円ほどになる。当時の多くの平社員が、多いときで月100時聞くらい残業するのだから、毎月の手取り金額は相当な額になる(2024年現在、変わったのは残業時間で、今日の電通の新入社員はほとんど残業しない)。
私の当時の実感では、テレビの東京キー局の制作や編成、全国紙の記者職の給与と肩を並べていた。
この給与水準は、バブル崩壊後も大きく下がることはなかった。年間の残業時問が800時間を超え、かつ査定が高いと、部長昇格直前くらいの年齢でも確定申告をする水準となっていた。
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契約は、ユニフォームの胸と背中へのロゴプリント、および公式戦全試合での着用。チームの公式ドリンクとして、C社のブランドであるスポーツドリンクの提供。読売ヴェルディは同商品にとどまらず、コーラ類をはじめとする、C社の全ブランドのマスメディア露出への協力。
さらに選手の広告使用のための肖像権の使用許諾を含む、1年4億5000万円の3年契約だった。
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この商品における電通の年間売上げは30億円。もし負ければ年間売上げを30億円失うことになる。相手側は勝てば売上げ増、負けても失うものがないという状況で、電通にとってプレッシャーの度合いが高い。営業局内はおろか営業本部長会議でも「絶対に負けてはならない」と警戒感が強まった。
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このころ電通ではリストラが強行されていた。非ラインの部長職以上の社員には「退職金の上乗せ」を行ない、早期退職を促した。
早期退職すれば、退職金が最高で額面3000万円増額されるのにくわえ、日本一手厚いとされる「電通健康保険」が任意加入で2年聞継続される。
また、早期退職社員の受け皿として合同会社を設立し、早期退職した社員たちは個人事業主としてこの合同会社と契約することを仕向けられる。合同会社と契約した個人事業主は、最初の年だけ辞めた年次の給与水準の8割を保証される。その次の年からは、仕事の成果に応じて給料は減らされていく。58歳で役職定年になると基本給が2割下がるから、金額的には明らかに早期退職したほうが有利になるのである。
給料が減っていくこと以上に、彼らの精神を蝕んでいくものがある。「誰からも必要とされていない」という自覚である。
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電通を退社して数日が経ったころ、家にいた私のもとに妻が歩み寄ってきた。
彼女の手には数枚の書類が握られていた。
「私ね、離婚に関わる公正証書を書いたの。よく読んで検討して」
私は絶句した。妻から三行半を突きつけられるとは思ってもみなかったからだ。
数年前から、妻との夫婦喧嘩のたび、私が投げかけた暴言が思い起こされた。
「誰に食わせてもらってんだ!」「おまえのほうがこの家から出ていけよ!」
後悔とやるせなさがとめどなくあふれ出た。私が彼女に対して行なったのはパワハラ・モラハラだっただろう。私は気づかぬうちに、彼女の心をぼろぼろにしていたのだ。
私は妻と何度となく話し合いの機会を持った。時間はいくらでもあった。家のリビングに向かい合って座り、彼女の気持ちを聞いた。私はなんとか2人のあいだにある溝を埋めたいと思った。
だが、そのたびにむなしくなった、彼女はいつも生返事だった。その表情からは、「あなたと関係を修復するつもりはありません」というゆるぎのない拒絶が伝わってきた。彼女は私が投げかけた言葉を許すことができなかったのだ。
結局、妻は離婚の意思を翻すことはなかった。