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太平洋戦争が終わるまでは、大人も子どもも「神風」を信じていた。嵐による蒙占襲来(元冠)での勝利である。無謀な戦争を、無批判に国民が支持しつづけた背景の一つに、この不敗神話があった。戦争最優先の全体主義国家はあらゆる批判を許さなかったとはいえ、国民も戦争を終わらせようとは考えず、努力も行動もしなかった。
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神風史観によれば、必ず嵐(神風)がやってくる。そして決着がつく。ところが事実はさまざまに違う。文永の役についていえば、一日で敵が帰国した原因とされる嵐はその日、つまり赤坂鳥飼合戦があった文永十一年(一二七四)十月二十日夜には吹いてはいない。一夜で逃げ帰った、九州本土では二十日の戦闘のみだった、と記す史料は『八幡愚童訓』なのだ
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そして、太平洋戦争に突入する頃、いや、終戦まぎわになっても、日本人の多くが、必ず神風が吹いて日本は勝つと信じていた。少なくとも子どもは、そう教え込まれ、信じていた。
福岡空襲を扱った「火の雨がふる」というアニメがある。東京空襲で身寄りをなくし親戚を頼ってきた少女と博多の少年、初めはぎこちなかったが次第にうちとける。福岡空襲のなかを二人は逃げおおせたのだが、火の中から聞こえる子どもの泣き声に少女は走り出す、そして戻ってこなかった。少年は教師に叫ぶ。
「なして、なして神風は吹かんと。先生、神風が吹くってウソやったとか」
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冒頭で、非科学的な神風思想が日本不敗神話を形成し、敗戦が決定的になってもなお戦争をやめることができず、犠牲者・損失が飛躍的に増え続ける大きな要因になったことを述べた。
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わたしたちは戦争犠牲者を追悼する。それは特攻死者に対しても、南方の島々で、あるいはシベリアで餓死した兵に対しても同じだし、空襲・原爆で亡くなった非戦闘員に対しても同じ気持ちである。戦死者・戦争犠牲者への慰霊は、美化することではない、特攻の美化は、実態とは異なる「志願」を無批判に賞賛するものだ。戦争は非人道的なものだが、とりわけ巧妙な仕組みに、理不尽な死を強いられていった若者たちの御魂に対し、歴史学の立場からほんとうのことを明らかにし、そして永遠の不戦を約束することが自身に課せられた慰霊と考える。