P79

 6月3日(水)
 昨夜は不思議だった。今、とてもつらくて、これから先もずっとつらい。私が行き着く先はいつも悲惨な場所。結局どこにも、逃げる場所はなく、どこにも、休める場所もなく、私は丸裸で。死ぬこともできず、狂うこともできないのに、普通に生きることはできず。ああ、あれだ、世界一怖いトンネル型のウォータースライダー。一度落ちたらほかにルートはなく、戻ることもできず、強制的に流されているのに、たとえ入り口で誰かに突き落とされて滑ってきたとしても、出口に落ちてきたところを見た人には、どんなに悲鳴をあげていようとも自分の意志で滑ってきたと思われる。本物のウォータースライダーと違うところは、出口で落とされる場所が安全な場所ではないところ。そこで恐怖が終わるわけではないところ。どこまでもいつまでも、さらに悲惨な場所に無理やり突き落とされていくところ。

 P103

 7月5日(日)
 腐乱した死体より悲惨な状態があるとすれば、それは今の私だ。こんな日を迎えるくらいなら、もっと早くに死んだほうがマシだった。本当の自分は悔しさで身を引きちぎられている。その苦しみと痛みでもがいている。でも入れ物の私からはもう涙も出ない。こんな恥ずかしい判断をしてしまって死にたい。ただただ悔しく、情けなく、もう生きていても仕方がない、と思った。

 P128

 9月7日(月)
 自分の名前を名乗ることに恐怖を感じる。自分が自分であると知られることに怯え続けているのだ。引っ越し先だってどこから漏れるかわからない。それが理由で、住んでいないのに神戸の部屋の家賃を払い続けていた。今日ついに勇気を振り絞って不動産屋さんに電話。今月中に神戸の部屋を引き払うことが決まった。

 P150

 11月3日(火)
 今日は、先日間違って送られてきたメールの話になった。そのやり取りを読んだ三木弁護士や、学位の件で相談に乗ってくれた先輩たちによると、今回の大学の決定には文科省の意向も反映されたのではないかという。博士論文の問題が報道されるようになった時も、「小保方さんが博士論文について何かコメントすると、すぐに文科省から連絡が来てしまうような状態だから、何もコメントしないでくれ」と早稲田の先生から指示されたことを思い出した。文科省の関与に驚く声もあったし、そんな力が働いていたのなら仕方がなかったのではないか、と私を励まそうとする意見も出た。私自身は、論文発表の記者会見から検証実験まで、文科省の存在をさまざまなかたちで感じ続けていたので驚きはなかった。その間でさえ詳細な情報や交渉の余地は与えられず、当事者でも若手の私はただ決定事項に従うのみ。だから今回のメールを今更見たいとも思えない。その内容を知ったところで何かできるわけではないと冷めた気持ちになってしまう。実際に体験してみると、そうした大きな権力に振り回されることより、身近な人の裏切り行為のほうがつらい。逆に、抗う余地のないくらい大きな苦難の中にあっても、たった一人の真心が救いになることがあるとも知った。忘れたいことばかりだけど、それだけは覚えておこう。

 P157

 11月19日(木)
 覚える訓練は繰り返ししてきたけれど、忘れる練習をしたことはない。これまでだって忘れたいことはたくさんあったけど、忘れる方法はいまだに知らない。何もかも忘れたいと毎日願っては、忘れるなんてできるわけがないと絶望している。高校2年生の時の担任の先生が、「つらいこともいつか忘れる。記憶は美化されて、いい思い出しか残らない」と言ったことを思い出す。私はもうすぐあの時の先生と同い年だ。

 P173

 1月1日(金)
 睡眠薬をたっぷり飲んで寝たのに、恐怖感を伴った冷や汗とともに夜中の3時に起きた。頭も歯も喉も胃も肩も痛くて、痛み止めを飲んだ。なんて幸先の悪い年明け。生きた心地がしないのにまだこの世にいるのはなぜ?もしもう一度人生があるなら、思いっきり自由に生きてみたい。鳥が渓谷を飛ぶみたいに。自分の飛ぶ力で生じた風を顔に心地よく感じた気がして、再び眠った。

 P194

 2月25日(木)
 今、目を瞑ったら、このまま二度と起きることはないだろう。実際にナイフで胸を刺される痛みと、どっちが痛いだろうか、と考えるくらい鋭い痛みが続いている。少しでも気を紛らわそうと一日中テレビで映画を流す。しかし何も覚えていない。こうして生きながらえて夜になったことが、罰を与えられているようだ。

 2月26日(金)
 生きていることが拷問としか思えない。

 2月27日(土)
 また私に関するニュースが出た。世界中で連日日常的に起こっているようなことでも、私のことだけいちいち大問題のように取り上げられて報道されるのはなぜなのだ。

 2月28日(日)
 なぜまだ生きているのだろう。死ぬ意欲さえないからだ。