P238

 6月27日(月)
 原稿を見た文芸の担当編集者から「これは梗概です。小説になっていない」と言われた。梗概とはつまり筋書き。どうしたら2万字の梗概が2万字の小説になるのかがわからない、と頭を抱えながら夜中の3時まで書き直した。一度書き出したら限界まで疲れないと、筆を止めてはいけないと思う。

 P239

 6月30日(木)
 8時半の電車に乗って、ベロニカさんと寂庵に向かった。
 瀬戸内先生が「あなたに観音様をあげたいの。私が最初に買った観音様で、その観音様に祈っている時に、出家を決意したの。編集者と一緒にいらっしゃい。よくあなたの本を出してくれた、とお礼が言いたいの」とおっしゃり招待してくださったのだ。

 寂庵では、先生と秘書のモナさんが迎えてくださり、お正月より豪華な食事と「水無月」とうお菓子をいただいた。京都では夏越しの祓が行われる6月30日に1年の残り半分の無病息災を祈念して食べるそうだ。5時半まで3人でおしゃべりをしてお世話になった。

 「作家は人間研究家。人間がわからないから、小説は書かれ続ける」という先生の言葉が胸に響いた。

 最後に本当に観音様をくださった。最初に出された観音様を見た私に、先生が「気に入らないのね」と言った。「やっぱりあっちを持ってきて」と秘書のモナさんに言い、次に出された観音様と目が合った。「本当はこっちをあげようと思っていたのだけど、モナがそんないわく付きの観音様はあげるべきじゃないというもんだから」と笑った。「どっちがいい」と聞かれ、後から出された観音様に呼ばれているような気がして正直に答えてしまつた。

 帰りの新幹線でベロニカさんが「人生が変わる旅だった気がします」と言った。
 観音様は「ジュニア」と呼ぶことにした。
 久しぶりに夜12時、まともな時間に寝た。

 P248

 7月20日(水)

 どう直したら、編集者の求める方向に近づくのかが掴めない。小説には正解がない、と言っていたけれど、不正解はあるのだ。成長するための訓練だと前向きに捉えられず、つらいと感じるのは、私の心が少し弱っているせいだ。

 P256

 8月5日(金)
 お昼頃にベッドから起き上がってジュニアに挨拶。写経をして、小説の構想を考えた。出版に向けた作品は悲しいストーリーを考えていたけど、やっぱりハッピーエンドにしたい。絶望する話はもう十分だ。