P60

 それからも大変ではあったが、とても無理と思われるようなミッションを彼から与えられ、それを何とかこなしてみせることに、いつしか僕は無上の喜びを感じるようになった。
 僕はそれまでの人生では、誰かに完全に君臨されその相手に100%従うということを経験したことがなかったのだが、それはそれである種の快感であり面白いものだと知った。
 とにかく、Aさんを喜ばせたかったし、Aさんに「やるじゃないか」と言われたかった。ただ、その一言がほしいために、気が狂ったように仕事をした。
 そして、鬼上司のAさんのような仕事師になりたい、オレはAさんみたいに生きるのだと、切に思ったものだ。

 P80

 昇進の第一線から遅れ始めた時、僕は何でもないふりをしていたが、正直なところ大きなショックを受けていた。しかも、人事から漏れ聞く話によれば僕の評価は中の上程度ということらしく、ショックを受けること自体が大きな勘違いであったようなのだった。
 この時期の人事評価というのは本当に悲喜こもごもで、評価を巡って文字通り悔し涙を流した人だっていた。40歳を越えたおじさんが、自分の人事評価、つまり昇進できないことを突きつけられて涙を流すのである。
 若い社員諸君は、そんな悲喜劇が起きていることをよもや知るまい。驚くかもしれないけれど、会社の評価と自己評価の落差に涙を流すことなど、ほぼすべての会社で普通に起きていることなのである。

 P89

 僕は正しいことをやっている。正しいことは組織でも結局は認められるはずだ。
 僕はそれを「信念」というものだと思っていた。しかし、「信念」というと聞こえはいいが、たいていの場合それは物事に対する方向とか姿勢に過ぎない。したがって、それが正しく作用する時もあるし、反対方向に作用してしまう時もある。究極的には、組織というものは何らかの理由で正しくないことを止むを得ずしなくてはならない時だってあるかもしれないのだ。
 いったん変えられない(変えたくない)「信念」を持ってしまうと、組織が変わらなければならない時に、それが邪魔なものになることもあるのである。
 僕はいつも自分が「信念」を持って行動していて、それは時々に変わる上司によって左右されるようなものではなく、かつ組織にとってプラスになりこそすれマイナスの影響など及ぼすはずがないと思っていた。

 P99

 結局のところ昔から変わらぬ真実、どんな上司であれ上司に好かれることが、『会社人生』というゲームを勝ち抜くための必須条件だ。
 僕の周囲から取締役になった人たちの中には、部下から熱烈に慕われる人もいたが、さほど人気のない人もいた。ただし、皆一様に上層部からは可愛がられていた。
 今から考えると、どんな上司であれ、どれほど利己的な、人間的には好きになれない上司であれ、自分が仕える時々の上司すべてにできることなら好意を、少なくとも嫌われないようにすることは、ゲームにおける必勝法のひとつであった。

 P178

先日、たまたま知り合いになったある会社の若い人が、僕が社内での出世ゲームに負けたことを話すと「なぜそこまで気にするのかわからない」と言っていた。
 「なぜそんなに、同期に負けたことが気になるんですか?」と彼が尋ねる。
 「なぜって……。死にもの狂いで戦ったからだよ。僕の全存在を賭けて。多くのものを犠牲にして、何年も何年も仕事一途でやってきた。誰かに負けたくなくて。皆から一目置かれたくて。それが、僕の人生だったんだよ。あれほど狂ったように働かなかったら、僕ももっとすんなり受け入れることができたかもしれない。でも、どうしても受け入れることができなかったんだ」
 この話題は、実のところあまりに滑稽だ。なぜなら、冒頭いったようにゲームには勝敗があるのは当たり前のことだから。しかし、滑稽ではあるのだけれど、差をつけられた当事者、それも自分なりに頑張って働いてきたという自負がある者にとって、実際には血と涙を流すような苦痛を覚えるものなのだ。

 P181

 「仕事でも人間性でも、俺はお前より上だ」
 この言葉は、僕より先を行ったある同期が僕に向かって吐いた言葉だ。
 あまりに印象的だったので、今でも忘れることができない。
 ただし、彼がこの言葉を僕に向かうて言う前に、僕がやっかみで彼に何かひどいことを言ったのかもしれないし、それ以前に僕がその原因となるわだかまりをつくりそれが積み上がっていて、そういう言葉になったのかもしれない。
 しょせん、記憶のはっきりしない深夜のスナックでの一幕だから、それを言った彼のことを一方的に非難するのはフェアじゃないとわかっている。わかっているが、その言葉はあまりに鮮烈で、僕の脳裏に焼きついた。
 いったい、いつから会社での評価と人間性がイコールで結ばれるようになってしまったのか。仕事上の会社の評価が妥当なものとしても、それとは別に独立した人間としての自分の価値があるはずなのに、それを自分でも感じられないのはなぜか。
 何年もの間、会社にすべてを捧げて死にもの狂いで働いていた間に、自分は何か大切なものを失ってしまったのではないか。
 確かに組織人として欠陥だらけだったとはいえ、これほど努力しても自分の価値が見つけられないということは、そもそも自分の居場所を間違えていたのではないか。
 結局、僕はそのことを引きずったまま会社を辞めた。

 P185

 ところで、先に述べた僕の同期の4人のその後の運命はこうだった。
 ひとりは、まだ若い頃に会社を辞めて父親の経営する会社に入り、やがて起業した。彼はワインの話題のところで紹介した男だが、現在はカルチャー事業を手がけ、ヨーロッパを飛び歩いている。
 ひとりは、42歳まで会社にいて、辞めて自分で商売を始めた。僕のことだ。
 ひとりは、50歳半ばまで会社にいて早期退職で最近会社を去った。彼こそが、部長と課長の光景をみながら、課長のようにはなりたくないと僕に話した友人だ。
 そして、残るひとりは今も会社にいて、役員になっている。
 既に辞めてしまった僕ら3人は、組織人としてはどこかバランスを欠いていた人間だったように思える。そして3人とも、たったひとりが先に行くことを、簡単に呑み込んで忘れてしまえるような人間でもなかったのである。

 P190

 もし、僕が会社で昇格に遅れ始めた時、それを一時的なものとして笑い流して同じような生き方を続けていたらどうなっていただろうか。
 もし、引き算ばかり考え実行するような仕事に生き甲斐を見出すことができると思えていたら、どうなっていただろうか。
 会社人として、僕がそういうことをできなかったことを後悔はしているけれど、結局僕という人間にそれはできなかった。

 P193

 もし、僕がいまからもう一度、会社人生を送ることになったら、うまくやれるところもあるだろうけど、わかっていてもまた同じ失敗を繰り返すこともあるだろう。
 しょせん、それが僕という人間であり、何度歩いても同じ道を歩くことこそが、僕が僕である証でもあるのだ。

 P195

 しかし、である。
 たとえば、僕はいま自分がいるところに満足して、牙を収めてしまったわけじゃない。
 会社人として失敗して、小さなビジネスオーナーとして、プロガーとして自分の居場所を見つけたけれど、そのことに満足して歩き続けるのをやめたわけではないのである。
 既に55歳だけれど、いまだ自分の与えられた資質や能力を最大限に使って、もっと多くの人々のためになるものをこの世に残していきたいという強い思いを持って、毎日、会社時代とは別のゲームを戦っているのである。
 会社でのゲームに負けたところで、人生そのものを諦める必要はさらさらないのだ。
 僕は、あなたと同じ道の上にいる。
 何年分か、若いあなたより少しばかり先を歩いているだけで、天空の高みからあなたにご託宣を垂れているわけではない。
 あなたと同じ道の途上にいて、あなたと同じように、いまだ歩き続けているのである。
 そして、「後悔した」と書いてはいるけれど、確かに会社人として後悔することはたくさんあるけれど、僕の人生、僕が歩いてきた道を本当に「後悔」しているわけではないのである。
 誰かに、ひょっとしたらこれを読んでいるあなたにすら、つまらない人生だなと言われるかもしれないが、これこそが僕が紡いできた僕だけの人生、僕のアイデンティティであり、誰にも打ち倒すことのできない誇りなのである。