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 1年で2倍ということは、10年で1000倍、30年後は10億倍という成長速度なのです。カーツワイルは、この情報科学の分野における「進化」を、そのまま人間や生物の「進化」と同じものと解釈しました。そして、近い将来、コンピュータ(機械)の「知性」もまた急速に進化し、やがては、人間の「知性」を上回る「特異点」に達すると予測したのです。

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 カーツワイルは、単に盲目的に、情報科学の分野における「進化」という言葉を、人間や生物の「進化」に当てはめているのではありません。情報科学における「進化」が、人間や生物の「進化」に通じる理由を、彼は、「収穫加速の法則」が成り立っているからだと考えています。

 「収穫加速の法則」とは、進化のスピードは、進化が起こるに従って、加速していくという考え方です。「収穫」とは、元々は経済学用語なのですが、人間や生物の「知能」を、農地から取れる収穫量になぞらえ、農業技術が進歩すればするほど、収穫量が加速度的に増大していくように、「知能」もまた、進化すればするほど、その能力が加速度的に大きくなる、といったものだとイメージすれば、わかりやすいかもしれません。

 実際、生物の進化は、生命の誕生から多細胞生物が誕生するまでには長い時間を必要としましたが、それから陸に上がるまでの時問、霊長類が誕生するまでの時間、人問が直立歩行を始めるまでの時間、知能を進化させることによって「言葉」を発明するまでの時間、文字、活版印刷を発明するまでの時間、そして、コンピュータを進化させるまでの時間、というものを見ていくと、急ピッチでその間隔が短くなっているということがわかります。これこそが、「収穫加速の法則」の根拠であり、コンピュータの進化が間もなく人間を超えるという「シンギュラリティ」の根拠でもあります。

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 このように、身体を持ち、精神を宿す人間の「知」に関する理解を更に深めるために、第四章では、「意識」を中心とする脳と心のはたらきについての考察を行いました。私たちは、世界を認識している自分自身(すなわち自己)をも、認識することができます。こうした自己の認識というものが、意識とも密接に関わっているのではないかと言われています。自分自身の身体の内部状態を安定的に維持する生理的反応を「ホメオスタシス」と言います。ホメオスタシスは、まさに、身体そのものを世界の認識の基準とする「原自己」と対応して考えられます。そして、自己の構造は、原自己の上に中核自己が、その上に自伝的自己が重なる階層構造になっており、それによって初めて、一年前の自分と今の自分が同じ自分であるという自伝的意識が現れると考えられているのです。

 身体を持ち、それ自体を無限定環境の中で安定的に維持していくためには、「自分が自分であること」を常に維持し続ける必要があります。これ自体が、自らを認識する「意識」であり、無限定環境の中で、自らを認識する中で、世界の認識というものが行われる、これがまさに、「生命」の働きと言えるのではないでしょうか。

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 第三章で説明した通り、身体なしには、世界を知覚することができません。私たち人間が持つ「脳」は、身体を持って運動を行う「動物」にのみ与えられたものです。そして、動物の脳は、その運動を複雑化、高度化させるに従って、肥大化していったとされます。そのように考えていくと、生物の脳のもつ高度な「知能」の謎を解き明かす鍵は、「運動」にあると言えるのです。

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 特徴を表現するという方法には、重要な視点が欠けています。それは、椅子は、座れなければ椅子ではない、ということです。人間は、身体を持っているからこそ「疲れたときに座る」「作業をするときに座る」「リラックスして人と話をするために座る」などという「目的」を、自分自身で作り出すことができます。それに比べ、機械は、(少なくともプログラムだけで動く場合は)身体を持たず、目的は、与えられるまで自分で作り出すことはできません。

 身体を持ち、目的を作り出すことができる人間は、川辺の岩であっても、それを「椅子」と「認識」して、用いることができます。身体を持たない機械が岩を見て「椅子」と断定することは、人間が機械にそれを前もって教えない限りは、不可能ではないでしょうか。