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 忙しい救急病院で初期研修を行い、徹底的にしごかれた自分は、できる医師になったという驕りがあった。これは医師に限ったことではないが、仕事ができる人間は、いや正確には自分は仕事ができると思っている人間は、他者に優しくないように思う。特に、辛酸の経験があまり多くない時代に、より直裁に現れる気がする。

 人間として成熟しないうちに知識や技術だけを急速に習得すると、相手の心情に鈍感になってしまうのだ。と、書いて気付いた。鈍感なめではない。どこかでわかってはいる。ただ、おのれが直面している目の前の問題の大きさに比べたら、とりあうほどのものと思えなくなってしまうのだ。

 ひとのこころは難しい。自分のことは自分が1番よくわかっているとよく言われるが、自分の気持ちもよくわからないことさえある。まして他人の胸の内など知ることがでようか。

 開き直れば楽になる。自分は仕事ができるのだという自負が加勢をする。こちらはよい医療を提供しようと頑張っているのに、協力的でない相手ばかりに非があるように思えて、恨めしい気持ちさえ湧いてくる。そうして僕は優しくない医師になっていた。気付くのには時間がかかった。いくつもの、とてもつらいことと、反対にとてもうれしいことやありがたいことに遭遇して、自分のなかで消化するだけの時間がかかった。

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 学生には、致命的な急病を見つける指標として「突発・初発・最悪」をキーワードに教えることにしている。これは一般の方々が救急車を呼ぶべきかどうかの判断にも使えると思う。

 まず、「突発」とは、症状がきわめて突然に出現したということ。多くの場合なんらかの動作をしているときにその症状が起こり、動作を続けることができなくなる。だから、そのときに何をしていましたか?という質問で聞き出すことができる。「突発」なら、具体的な答えが返って来るだろう。例えば「皿を洗っていて、三枚目の皿を取ろうとしたとき」「トラックに乗るためにステップに足をかけたとき」「カラオケの一番を歌い終えて、二番までのイントロの間に」「宴会場から駐車場に歩いているとき」など。

 二つ目の、「初発」は、「初」めて「発」生した症状かどうか。「これまでに同様のことがありましたか?」と訊くとよい。

 最後の「最悪」は、これまでに似た症状があったかもしれないが、今回の苦痛が最もひどいものかどうか。「人生最悪の○○(「痛み」など)ですか?」という問いかけで識別できるだろう。
 クモ膜下出血では、まさにこの三条件が揃うことが多いため、講義では必ずこの話をすることにしている。「突発・初発・最悪」が揃った頭痛の患者さんは、クモ膜下出血を強く疑って頭部のCTスキャンを一刻も早く行うべきというわけだ。

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 人生は美しいし、未来には希望がある、と信じることができるのはこんなときだ。僕はコピーをたたんで、そっと内ポケットにしまった。

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 患者さんやご家族もまず褒める。糖尿病の患者さんは体重が増えたときに注意するより、体重が減ったときに褒める。不規則な受診の患者さんは、予約日に来なかったことを責めるより、今日は天気が悪いのに、よく来たねと褒める。装いのコーディネートやバッグ、帽子などのセンスの良さを褒める。仕事を休んで親の受診日に付き添ってきた子どもたちや、御嫁さんを褒める。褒めることから始まる会話は場が和み、なんでも話せる医師、なんでも訊ける医師だと受け入れていただける。気持ちがほぐれたときにふともらしたひと言が、診療上大切なヒントになることもある。そのことで間違いも少なくなる。いいことずくめではないか。

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 このような教育姿勢は一般的に短気で怒りっぽい体育会系、肉食系、武闘派と呼ばれる医師たちに共通している。彼らにかかると草食系の研修医は木っ端みじんとなるのだ。

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 役者やお笑い芸人がそうであるように、僕にも下積み時代があった。聴衆ひとケタという、試練のステージだ。吹雪の夜の公民館に五人、とか、よく晴れた昼下がりの保健センターにやって来たお年寄りと一対一で向かい合うとか。

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 ただ、その思いが強すぎると、会場は昏睡者続出という仕儀に相なる。伝えたいことをめいっぱいのテンションで放出し続けると、聞き手は受け止めきれないのだ。息継ぎをする間を与えなくてはならない。この息継ぎにあたるのが「笑い」だ。
 僕は十分に一回以上は笑っていただけるよう、笑いどころを用意している。笑いで眠気は去り、集中も増す。特に講演の始めと終わりには大きな笑いを設定して、メリハリを付ける。

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 何かを持ち帰り根付かせようとする人は皆苦しむのだ。出向したサラリーマンしかり、先進自治体に派遣された行政マンしかり。何も医師に限ったことではない。職人ならば、自分一人が技術を身に付けて帰ればいいだろう。だが、体制やシステムを構築するのは、そういうわけにはいかない。合意を形成することや人を育てることには手間と時間がかかるのだ。