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そこで考えられたのが、遺伝子上にはそれほどの変化は起こってはおらず、遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームの調節に変化がもたらされたのではないかという仮説である。ある生命体の遺伝子は、その生命体が生きているあいだ、ずっと同じように活動し続けるわけではない。というより、必要となったある一時期、あるタイミングにタンパク質合成の設計図を提供するにすぎない。つまり、私たちの身体のどこかに、その設計図を開くときに遺伝子をオンにするスイッチがあるのだ。
たとえば、少女が一二歳前後で初潮を迎えるのは、繁殖への態勢がほぼ整い、そのスイッチが入ったことを意味する。そして五〇歳くらいで更年期を迎え、閉経するが、これはスイッチがオフになったことを意味している。生命体を動かしている遺伝子にはそれぞれにこうしたスイッチがあり、それが成育や環境の条件によって、オンになったり、オフになったりするのである。
ここにA、B、Cという三つの遺伝子があったとしよう。Aがいつ働くか、Bがいつ働くか、Cがいつ働くか。その順番が変わると、生命は変われるのではないか。エピジェネティックスはそういう考え方をする。
だから、いくら遺伝子を見ても、A、B、Cの三つがあることしかわからない、つまり遺伝子としては同じなのだけれど、それがどういうタイミング、どういう順番で働くかを考えないと、進化を含む生命体の変化は理解できない。逆に言えば、同じA、B、Cの三つの遺伝子を持っていても、その動かし方によって生命は変わりうるのである。
さらに言えば、遺伝子のスイッチにはボリュームのツマミも付いている。遺伝子は何かの働きをするタンパク質の設計図だけれど、それをオンにする際、どれくらいのボリュームにするかを決めなければならない。
これは音響機器の音量ツマミのようなもので、Aという遺伝子が指示するタンパク質をどれくらいの量で作るかということ。それが遺伝子B、Cにもある。各遺伝子のオンとオフ、そしてそれぞれが指示するタンパク質の量。これにその順番とタイミングという要素が加わって生命現象が営まれている。この組み合わせのバリエーションはほとんど無限と言っていい。
生命体は、置かれた環境によって遺伝子のスイッチやボリュームを制御している。寒ければ寒さに対処する遺伝子のボリュームを上げ、暑ければ別の遺伝子を発現させて身体を冷やそうとする。それぞれの生命体は遺伝子を使って独自の適応をしているのだ。
それは、同じ楽譜であっても、演奏者によって音楽が千変万化するのに似ている。遺伝子に「自由であれ」という命令が含まれているというのはそういう意味である。
古典的なダーウィニズム説に立つと、そうした環境への適応は、個体が勝手にやっていることで、次の世代には伝わらないと解釈される。遺伝子A、B、Cはタンパク質製造のカタログだから、ボリュームの上げ下げまでは遺伝しないと考えた。私たちが高校生時代に学んだ「獲得形質は遺伝しない」という話である。
しかし、エピジェネティックスの考え方は違う。遺伝子スイッチのオンオフ、それぞれのボリュームの程度も、ある環境にさらされた個体が次の世代に伝達しているのではないかと考える。
P80
わざと仕組みをやわらかく、ゆるく作る。そして、エントロピー増大の法則が、その仕組みを破壊することに先回りして、自らをあえて壊す。壊しながら作り直す。この永遠の自転車操業によって、生命は、揺らぎながらも、なんとかその恒常性を保ちうる。壊すこ
とによって、蓄積するエントロピーを捨てることができるからである。
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それは、この地球上に少なくとも数百万種あるいは1000万種近く存在すると考えられる生物たちである。彼らがあらゆる場所で、極めて多様な方法で、絶え間なく元素を受け渡してくれているから地球環境は持続可能=サスティナブルなのだ。
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それゆえに、もし多様性が局所的に急に失われると、それは動的平衡に決定的な綻びをもたらす。受粉の道具として品種が均一化されすぎたミツバチに次々と異変が生じている現象は、その典型的な例に見える。国家間のエゴや効率思考が先行すれば、生物多様性の理念はあっという間に損なわれてしまうだろう。地球環境はしなやかであると同時に、薄氷の上に成り立っている。
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体脂肪のようなエネルギーの貯蔵形態と異なり、基本的に私たちはタンパク質を「貯める」ことができない。身体を構成しているすべてのタンパク質は、高速度の分解にさらされている。だから、私たちは毎日、およそ60グラムのタンパク質を分解して体外に捨てている。それゆえ、毎日60グラムのタンパク質を食品として摂取し続けなければならない(60グラムは乾燥重量として)。
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肉・魚・穀物などの食物に含まれるタンパク質は、ヒトの消化管で20種のアミノ酸に分解される。20種はそれぞれ多様な働きを持っているが、そのうち11種はヒトの体内で作れる非必須アミノ酸である。
ところが、残りの九種は必須アミノ酸、つまりヒトの体内では合成不可能で、外部から取り入れなければならない。ちなみに、多くの動物には必須アミノ酸があり、その種類は動物によって異なる。ネコはヒトの必須アミノ酸九種にタウリンを加えた10種、魚はアルギニンとタウリンを加えた11種である。
では、いったいなぜヒトを含む多くの動物たちは、必須アミノ酸の合成能力を捨ててしまったのだろう。植物や微生物はほとんどすべてのアミノ酸を自前で合成できるのだから動物は進化の過程でその能力をあえて捨てたことになる。
P90
私は次のように考えている。あるアミノ酸が生命に必須となった瞬間生物は「動物」になりえたのだと。食べ物を探査し、追い求め、獲得すること――これがすべての動物行動の原型である。必須アミノ酸が生まれたことによって、生物は自ら動くことを求められ、自ら行動しうることが生命にさらなる発展をもたらしたのだ。これが「動く生物」つまり動物の誕生である。
P91
ところが、何かの拍子にある種のアミノ酸を作れない者たちが発生した。彼らはどこかからそのアミノ酸を手に入れたいのだが、波に漂っているだけではなかなか難しい。必要とするアミノ酸を求めて自ら移動しなければならない。というわけで、移動の手段を身に付けた。鞭毛と呼ばれる、舟で言えば婚のような機能だ。
鞭毛の発生が先か、必須アミノ酸合成能力の喪失が先かは、卵と鶏と同じで、どちらが先かはわからない。けれど、ともかく、必須アミノ酸が植物から動物への進化に大きく関わっていることは間違いない。
P97
こうして、現代人は、米、小麦、トウモロコシという炭水化物を主食とするようになった。現在、地球上で最も多く存在している生物はトウモロコシである。人間は約70億人いて、1人の体重を50キロとすると3.5億トンくらいになるが、トウモロコシは毎年8億トン近く収穫されている。2番目が小麦で約6億トン、3番目が米で約5億トンである。
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となると、私たちが単一の穀物だけに頼ることは、カロリー面では充足されても、アミノ酸のバランス上、好ましくない。その典型がトウモロコシである。ヒトの必須アミノ酸の一つにリジンがあるが、トウモロコシにはリジンが十分には含まれていない。小麦にも少ししか含まれていない。簡単に言えば、トウモロコシや小麦ばかり食べていると、ヒトはリジン不足になる。
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しかし、9種の必須アミノ酸はそうはいかない。体外からの摂取量が不足したら、タンバク質の合成を諦めねばならなくなる。