P178
この年の12月8日、キャラバンが納車されて届いた。翌9日、僕はこの車に乗って、高野山を飛び出した。とにかく、元妻や離婚のことを忘れたかったのだ。車内には、生活の身の回りのわずかな品物を積んだ。
P180
僕は、他人と協調していくことができない。今まで、「自由」とか「生きている実感」とか、格好良いことも散々言ってきたが、それが都合の艮い言い訳にすぎないことは、僕自身がいちばんよくわかっている。
生きづらいとずっと感じてきた。いや、今でも感じている。
年を取ったら、それなりに世の中と折り合いつけながらやっていけるのだと思っていた。その目論見は、どうやら外れたようだ。
他人に気を遣いすぎてしまう。
厳しかった親の顔色ばかり見て育ってきたせいだろうか。感情の受け皿が得られず、小鉢の中に閉じ込められて、のびのびと成長できなかったのか。そんなこと、今更考えたところでどうなるものでもない。
自分の言動が、場にふさわしいものであるか、空気を乱していないか、適所で相槌を打てているか、相手の望む返答ができているか。常にそんなことを気にしている。
だから、歓談をまったく楽しめない。人と会った後はぐったりと疲れてしまう。
「楽しかった。また会おうね!」と言われるのが、刑期延長のように残酷に聞こえる。
それでも、なんとかしようとしてきた。リア充を志して、努力してみたこともある。
でも、彼らとは、何かが根本的に違った。僕の不自然さが際立っている。明らかに浮いている。それは敏感に伝わり、居心地の悪い空気が流れた。
デートなんて最悪だ。僕を見る彼女の瞳がどんどん冷めてくる。彼女の気持ちは、よくわかる。こんな人間とは、誰も一緒に居たくないだろう。わざわざ嫌われるために、人と会っているのもつらいものだ。
評判が良くないのは、知っている。まったく気にしないと言えば、嘘になる。
こんな僕でも、他人から受け入れられなかったら、人並みに落ち込む。
P182
車は、そんな僕が逃げ込むシェルターだ。自分を偽らないための、他人を傷つけないための、他人に干渉されない僕だけの避難所。
だから、どんな時も車に帰る。車の中に独りでいる時が、一番落ち着く。
「寂しくない?」と聞かれる。僕だって、あなたと同じ弱い人間だ。寂しくないわけがない。それでも、人といる窮屈さよりは、独りでいる気楽さのほうがいい。
「寒いでしょ」「しんどくない?」と聞かれる。冬は当然寒いです。風邪ひいた時はもちろんしんどいです。
「大変ね」「疲れるでしょ?」と言われる。そんなに大変でもないし、疲れもしない。
他人といるより、よっぽど楽。
P187
ある人から、悩みを打ち明けられた。子どもが、他の子が普通にできるようなことが、同じようにできないのだと言う。親として、子どもの将来を心配しているのだろう。
それに対して、僕はこう答えた。
「普通にできなくても、それはそれでええやん」
みんなと同じだったら、就職も結婚も競争率が高くて、それこそ大変だと思う。
P188
でも僕には、誰もできないことができる。1年を通して車中泊生活ができる。車を改造して家レベルの快適さにできる。自分で工夫し、多少のへこみや故障なら、自分で修理することができる。おいしいコーヒーを滝れることができる。前衛的な護摩法要ができる。高野山でフェスを主催し、寺を改修工事し、そして、この本を出版することもできた。
皆ができることができなくても、何か1つでも特技があれば尊重してもらえる。誰でも得意不得意があり、それが個性だ。横並びにならなくていい。それぞれの特技を活かし合えばいいのだ。
P191
社会の中でやっていく努力を放棄した僕だが、1つだけ努力し続けてきたことがある。それは、自分を肯定し続けること。どんなに自分がイタくても、家族や仲間や恋人から心ない言葉をかけられても、自分だけは自分の味方でいてあげること。
時間をかけて、僕の中に僕を肯定する僕を作り上げた。そうでないと生きていけなかった。調子が悪いと起動しないが、基本的には常駐させている。僕の一番の相談相手だ。
P198
秋が来て、彼は諦めていなかった。凄腕のライターを連れてきた。草稿を見て、違う意味で鳥肌が立った。凄腕にかかると、僕の珍文漢文が見違えるように読みやすくなっていた。
特に後半の半生を描いた章は、たしかに僕の物語だったが、なんだか他人事のようで、ページをめくる手が止まらなかった。自分のことを他人のように俯瞰することができ、僕は、実はコバヤシ君の言うようにカッコ悪かったんだ、と知った。