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 四季が世界のどこにでもあるありふれた現象であるのと同じく、じつは「紅葉」も世界中にあります。

 たとえば、有名なのは国旗にもカエデがデザインされているカナダのローレンシャン高原。ここにあるモン・トランブラン市には秋になると多くの観光客が訪れており、「世界一美しい紅葉が見られるスポット」(トリバゴジャパン、2013年11月6日)といわれています。

 カナダだけではありません。ドイツのデュッセルドルフ、オーストリアのアーホルンボーデン、フランスとスペインにまたがるピレネー山脈、さらには映画『ハリー・ポッター』にも登場したイギリスのディーンの森、中国の九塞溝など、世界的知名度のある紅葉スポットは山ほどあります。アメリカのバーモント州には、「紅葉街道」といわれる「バーモントルート100」が走っており、多くの観光客が押し寄せています。

 日本人として、日本の紅葉が美しいことにまったく異論はありませんが、「美しい」という感覚はそれを見る人の文化的社会的な背景によって変わってきます。だれが、何をもってして日本の紅葉を「世界一」と評価しているのか、首を傾げざるをえません。

 このように自己中心的に物事を見ることに慣れきってしまっている私たち日本人が、「日本の自然は世界一美しい」という論調を自分たちでふれまわっているうちに、「日本の四季は世界一」にまで飛躍させてしまったというのは、それほどおかしな話ではありません。

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 GDPというのは「人口×生産性」です。「生産性」についてはいま、日本の低さが問題になっていますが、先進国同士はどこも同程度の技術力や教育レベルなので、「技術力」ではGDPに影響を及ぼすほど生産性の「差」は生まれません。

 また、「世界一の勤勉さ」と叫ばれているわれわれ日本人の生産性が他の先進国よりも低い事実からも、「勤勉さ」という抽象的な概念と、生産性の因果関係は認められません。

 つまり、先進国同士のGDPは、じつは「人口」に大きく影響を受けるのです。先進国のGDPの順位は生産性ではなく、各国の人口の大きさに対応していることが明らかになっています。最終的にはその国の「国民の数」がものを言うのです。

 そして、中国経済が台頭してくる以前、ヨーロッパやアメリカという先進国のなかで、ア
メリカの次に人口の多い国は日本です。

 先進国のなかでアメリカに次いで世界第2位の「人ロ大国」となっていた日本が、世界第2位のGDPになるのは当たり前といえば当たり前の話であって、「技術力」の差や「勤勉さ」はそれほど大きな要因ではないのです。

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 アメリカのような移民の国以外の「戦勝国」の多くでは、人口の増えるスピードに勢いがなくなってきていました。そのなかで、日本の「人ロ爆発」、いわゆる「人ロボーナス」(子供と老人が少なく生産年齢人口が多い状態)がGDP成長の大きな追い風になったのはいうまでもありません。

 事実、日本の人口が増加していく経緯をふりかえると、終戦直後と高度経済成長期の終わりの「ベビーブーム」と呼ばれる爆発的増加、さらには1990年代からはじまった生産年齢人口減少傾向にいたるまで、GDPの成長経緯とみごとに重なっています。

 つまり、日本が世界第2位の経済大国になったのは「技術力」や「勤勉さ」があったからだけではなく、ましてや「奇跡」などという精神世界の話でもなく、明治時代からの積み重ねと人口ボーナスがもたらした「必然」なのです。

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 そのような普遍的な職人気質にはまったくふれることもなく、さながら「職人」という人々が日本だけにしか存在しない、きわめて価値の高いもののように自画自賛しているというのは、冷静に見ると「異常」としかいえません。

 私は「日本の職人」がたいしてすごくないだとか、他国の職人と比べて技術が劣るなどと主張しているわけではありません。そもそも「職人」という「個人」についての話を、「日本の職人」として「全体」にあてはめるという考え方が、前章まで指摘してきたような「結論ありきのご都合主義的な解釈」だといっているのです。

 日本には世界に通用する高い技術力をもっている企業があるのは事実です。世界一の技術を誇る職人や技術者がいるのも事実です。

 しかし、そうではない企業もたくさんありますし、技術のない人々もたくさんいます。そのような人たちのことは無視して、優れたケースのみにフォーカスをあてて「日本は世界一の技術大国」と胸を張っています。

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 つまり、いまの日本で極端な「愛国報道」がなされているのは、戦後70年間に極端な「反日報道」と「愛国報道」が交互にくり返された結果であり、それはさらにさかのぼっていけば、戦前に極端な「愛国報道」がなされたことの反動、といえるのです。