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 この見解は、ヨーロッパの集団自殺とも言うべき第1次世界大戦の後には、容易に理解された。ゆえにムスリムには、人生の神的側面を証明するという重大な使命があり、そのためには俗世から隠遁して瞑想にふけるのではなく、シャリーアの掲げる社会的理想を実現させるため積極的に行動しなくてはならないと、イクバールは説いた。

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 これはイスラーム的な解決策を必要とする宗教的な問題だと考えた。近代からの挑戦に、キリスト教徒はしばしば教義を重ねて説くことで対応したが、ムスリムは社会的・政治的努力(ジハード)を行うことで対応した。バンナーは、イスラームは生き方そのものであり、そもそも宗教とは、西洋で説かれるような私的領域にとどまるものではないと主張した。

 同胞団は、クルアーンを新時代の精神と合致するよう解釈しようとする一方で、イスラーム諸国を統合し、生活水準を引き上げ、さらに高いレペルの社会正義を実現させ、非識字や貧困と戦い、ムスリムの土地を外国の支配から解放することも目指した。植民地主義者の支配下でムスリムは自分たちのルーツから切り離されていた。他の民族を模倣し続ける限り、ムスリムは文化的雑種のままだ。

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 植民地体験とヨーロッパとの衝突により、イスラーム社会は混乱した。世界は、後戻りができないほどすっかり変わってしまった。ムスリムたちにとって、西洋への対処法を理解するのは、過去に経験したことのない問題だっただけに難しかった。近代世界に対等なパートナーと
して参加したいのなら、ムスリムはこうした変化を受け入れなくてはならなかった。

 特に西洋では、政治と科学と技術を保守的な宗教の束縛から解放するため政教分離は絶対必要だと考えられていた。ヨーロッパでは、社会を結束させるものが、それまでの厚い信仰心からナショナリズムに代わっていた。しかし、この19世紀の実験はやがて数々の問題を引き起こした。

 ヨーロッパの国民国家は1870年から軍拡競争を始め、それが最終的には二度の世界大戦につながった。かつては宗教的偏見が原因で多くの人が殺されたが、世俗的なイデオロギーも大量殺織を招くことが、ナチのホロコーストやソ連の強制労働収容所の例から明らかになった。啓蒙思想家たちは、人々が教養を身につければ、それだけ理性的で寛容になると思っていた。しかし、こうした期待は、救世主を待ち望む旧来のどの幻想にも劣らぬくらい非現実的なものだった。

 それでも最後に近代社会は民主主義を採用し、それによってヨーロッパとアメリカでは、全体として、より多くの人がもっと公正・公平な人生を送れるようになった。しかし、西洋の人々は、この民主主義の実験を行うため何百年もかけて準備を進めてきた。もしも近代的な議会制度を、農耕文化をいまだに色濃く残していたり、近代化が不十分だったりして、住民の大多数が近代的な政治論を理解できない社会へ押しつけようとすれぽ、事情は当然まったく違ってくるだろう。

 政治が、キリスト教の宗教体験で中心となることは一度もなかった。そもそもイエス本人が、私の言う天の国はこの世のものではないと語っている。またヨーロッパのユダヤ教徒は、何百年もの間、政治に関与するのを原則として避けていた。

 しかし、ムスリムにとって政治は決して副次的な問題ではなかった。これまで見てきたように、政治は彼らが宗教的な探究を行う場であった。救済とは罪の贋いではなく、個々の人間がもっと容易に全身全霊で神に服従して充足感を得られるようになる公正な社会を築くことを意味していた。つまり、どのような政治体制を取るかは最も重要な問題だったのであり、20世紀を通じて真のイスラーム国家を作る試みが次々と実施された。これは決して平坦な道のりではなかった。この大望を実現するには、すぐに結果が出ることのない地道な奮闘を続けなくてはならなかった。

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 欧米メディアは、戦闘的でとぎには暴力も辞さない熱狂的な信仰形態である「原理主義」について、これは純粋にイスラーム的な現象だという印象をしばしば与えている。しかし、これは事実ではない。原理主義は世界的な動きであり、近代がもたらす諸問題への反応として、どの主要な信仰にも見られるものだ。ユダヤ教原理主義もあれば、キリスト教原理主義もあるし、ヒンドゥー教原理主義や仏教原理主義、スィク教原理主義、さらには儒教原理主義というものさえ存在する。

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 彼女たちは近代世界に入るためにやってくるが、あくまでも自分の望む形で、近代に宗教的な音心味を与えるイスラーム的な枠組みの中で入ってくるのである。またヴェール着用は、近代のあまり賛同できない側面を無言のうちに批判する行為と見なすこともできる。ヴェールを着けることで、性的なことについて「すべてをさらす」西洋の奇妙な衝動を拒絶しているのだ。

 西洋では、こんがりと日焼けして鍛え上げられた肉体を特権の証しとして見せびらかすことが多く、老化の兆しに抵抗して今の人生に執着しようとする。それに対して、衣類で覆われたイスラーム的な肉体は神の超越性を目指していることを示し、誰もが同じ服を着ることで、階級による差別を取り除き、西洋式の個人主義よりも共同体の方が重要であることを強調している。

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 人々は、世俗主義的なイデオロギーがそのホーム。グラウンドである西洋諸国で実にうまく機能するのを見て、同じイデオロギーをいろいろと試してきた。そして今ではムスリムたちは、自国の政府にもっとイスラームの規範に従ってほしいと、ますます願うようになってきている。

 それが具体的にどのような形を取るかは、まだはっきりしていない。エジプトでは、ムスリムの大多数がシャリーアを国の法律にしたいと思っているようだが、トルコでそう思っている人は3パーセントしかいない。しかし、そのエジプトでも一部のウラマーたちは、農耕社会の法典であるシャリーアを近代というまったく異なる状況に適応させるのは、きわめて難しい問題だと認めている。ラシード・リダーも、そのことにはすでに1930年代に気づいていた。しかし、だから.と言って.不可能だということにはならない。

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 彼は、現在イラン人には3つのアイデンティティーがあると主張する。それは、イスラーム以前、イスラーム時代、および西洋の3つで、イラン人はこの三者を融和させるよう努力しなくてはならない。ソルーシュは、西洋の世俗主義を認めず、人間にはいつの時代にも霊的なものが必要だと信じ、イラン人はシーア派の伝統を守ると同時に近代科学も学ぶべきだと提言している。また、イスラームは近代的な工業社会に対応できるようフィクフを発展させると同時に、21世紀に通用する人権思想と経済理論を展開しなくてはならないとも語っている。

 ムスリムが抱くタウヒードの理念は、肉体と精神、知性と霊性、男性と女性、道徳と経済、東洋と西洋といった二元論を認めない。

 ムスリムたちは近代を求めているが、それはこれまでアメリカやイギリスやフランスから強制されてきた近代とは違うものだ。ムスリムは、西洋の能率的なところや見事なテクノロジーを称賛し、西洋では流血の惨事なしに政権交代が可能なことに感心している。しかし、西洋社会に目を向けても、そこには光も心も霊性もない。ムスリムたちの願いは、自分たちの宗教的・道徳的伝統を守りながら、それと同時に、西洋文明の特に優れた側面を取り入れるよう努力することだ。

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 カラダーウィーは、西洋はムスリムが自分の宗教に従って暮らし、自ら望む場合にはイスラームの理念を政治制度に組み込む権利を認めるようにならなくてはならないと主張する。西洋は、生き方はひとつだけではないことを理解しなくてはならない。多様性は、世界全体のためになる。神は人間に自分で選択する権利と能力を与えてくださったのだから、ある者は宗教的な生き方を――イスラーム国家も含めて――選ぶかもしれないし、ある者は世俗的な理想の方を選ぶかもしれない。

 イスラームは何世紀も前から、社会正義、平等、寛容、行動を伴う思いやりの精神といった概念を、ムスリムが良心に従って実践すべき最も重要な事柄としていた。ムスリムたちは、こうした理想を常に実現させてきたわけではないし、理想を社会制度や政治制度に組み入れるのに苦労することもたびたびあった。しかし、これを実現させようとする努力は、何世紀ものあいだ、イスラーム的な霊的生活の原動力になっていた。西洋人は、イスラームが健全かつ強力であり続けることは自分たちのためにもなるのだということに気づかなくてはならない。

 イスラームから過激な思想が生まれ、宗教の最も神聖な規範の数々を踏みにじる暴力をあおってきたことが、すべて西洋のせいだというわけではない。だが、こうした状況を西洋が少なからず後押ししたのは確かなことで、だからこそ西洋は、あらゆる原理主義的見解の根底にある恐怖と絶望を和らげるため、21世紀にはイスラームをもっと正確に理解する力を養わなければならないのである。