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「経済停滞の原因が金融にある」との考えは、現在に至るまで連綿と続いています。そして「金融緩和を行なえば経済が活性化する」という考えも、いまに至るまで、多くの論者によつて主張されています。
この考えは、実体面で対応しなくとも、金融緩和をするだけで問題を解決できるという期待を生みます。しかし、問題の根幹が実体面にあるなら、その解決は手つかずに残されることになります。
1990年代の経済停滞の原因も、経済の実体面にあったのです。設備投資に対する需要そのものが、それまでに比べて減退したのです。
銀行が貸してくれないから設備投資ができなかったのではなく、企業が設備投資意欲を失ったのです。その結果、金利が低下したのです。つまり、原因は資金の貸し手側ではなく、借り手側にありました。
設備投資需要の減少を引き起こした原因として重要なのは、新興国の工業化によって、日本が国際市場でのシェアを失ったことです。
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水平分業方式は、最初、PC(パソコン)の生産で行なわれました。OS(基本ソフト)の開発をマイクロソフトが担当し、CPU(中央演算装置)の生産はインテルが担当。そして、デルコンピュータやコンパックなどのメーカーが組み立てを行なう、という方式です。
1980年代において、日本のPCメーカーの生産は垂直統合方式で行なわれていました。ところが水平分業方式が広がると、日本メーカーは対応することができず、短期間のうちにシェアを落としたのです。次項で述べる「コンパックショック」の背景には、こうした変化があります。
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しかし、不良債権問題は、基本的には金融機関に限定された問題だったと考えることができます。日本経済を全体として見た場合に重要だったのは、以上で述べた世界経済の構造変化だったのです。これは、ITの進展と新興国の工業化によってもたらされたものであり、供給面で起きた変化です。したがって、金融政策では対処できない問題です。
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右に述べたことを繰り返せば、日本の輸出主導型景気回復は、円キャリー取引によって支えられたものであり、その背後にはアメリカの住宅価格バブルがありました。したがって、日本の景気回復は、アメリカの住宅価格バブルによって支えられたものであったことになります。
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しかし、このショックがなぜ起き、それがその後の経済にどのような影響を与えたのかについて、一般に言われていることは表面上のことが多く、不十分だと感じます。
日本では、リーマン・ショックは、アメリカ金融業の暴走によってもたらされたものであり、それによってアメリカ経済が大きな痛手を負ったと解説されるのが普通です。
アメリカの金融業界が暴走したのは、間違いなく事実です。しかし、アメリカ金融業は、この痛手からきわめて急速に回復しました。この過程で長期にわたる痛手を負ったのは、むしろ、日本の製造業だったのです。
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この時期に、世界では、新しい時代をリードする企業が成長しています。アメリカのGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)、中国のBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)と呼ばれる企業群がその代表です。アメリカは、工業化社会から脱却しつつあったのです。
日本では、残念ながら、そうした動きが生じませんでした。新時代をリードする企業が日本では登場しなかったのです。
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そして、円キャリー取引でアメリカに向かっていた資金が日本に還流し、円高になりました。これは「円キャリー取引の巻き戻し」と呼ばれる現象です。
ドル円レートの推移を見ると、07年6月には1ドル=123.1円だったものが、08年3月には、すでに99.9円にまで円高になり、09年9月には89.8円になりました。
つまり、自動車需要が全体として急減し、しかも円高によって日本車の有利性が消滅したのです。こうして、二重の意味で、日本の自動車産業が逆風を受けました。アメリカ住宅価格バブルの崩壊によって、日本の製造業が壊滅的な影響を受けたのです。
在庫の急増に直面した企業は、生産活動に急ブレーキをかけました。日本経済は、「自由落下」としか形容しようのない急激な落ち込みに直面しました。
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こうしたことが、リーマン・ショック後には変わってしまったのです。支援策を通じて、政府は、従来型企業の生き残りを助けました。これらは、日本経済の構造を改革するようなものではありませんでした。むしろ、新しい産業や企業が生まれてくるのを阻害したのです。
政府の介入を受け入れる経済界の姿勢は、いまに至るまで残っています。エコカー特別減税は、当初は3年間の時限措置として導入されたのですが、現在まで残っています。
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そして、古いタイプの産業を支えるために、金融緩和と円安政策が取られました。つまり、本当に必要な構造改革は産業構造の変革だったにもかかわらず、近視眼的なバイアスのために、まったく逆の経済政策が取られたのです。
2004年頃以降の円安の中で、日本で工場国内回帰が起こったことを、第4章の2で述べました。そこで建設されたのは、部品から最終製品までを生産する「垂直統合型」の工場です。
ところが、第2章の4で述べたように、この頃の世界では「水平分業型」への移行が進みつつありました。それを実行した典型的な企業が、アップルです。アップル以外にも、アメリカの製造業は、製造工程以外に集中するビジネスモデルに、明確に方針を定めました。
製造業において、製造段階の利益率は高くありません。標準的な工程なので、他企業での代替が可能だからです。ここでは、安い労働力を使う大量生産が有利になります。
他方で、新しい製品のアイディアや研究開発、ブランドカを利用した販売は、他に真似ができず、差別化が可能です。したがって、利益率が高くなります。
それにもかかわらず、リーマン・ショック前の日本では、垂直統合型が優位との意見が優勢でした。しかし、これまで述べてきたように、垂直統合型が強いように見えたのは、円安が進行したからなのです。リーマン・ショックでそのビジネスモデルが崩壊した後、考え方を変えるべきでした。
日本では、リーマン・ショック後においても、垂直統合型の巨大工場が必要だとの意見が強く残っていました。パナソニックの大坪文雄社長(当時)の、「わが『打倒サムスン』の秘策」(『文藝春秋』、2010年7月号)は、その典型です。これは、韓国サムスンの成長に危機感を抱き、サムスンに負けない大工場を造るという発想です。
垂直統合型モデルの敗北が誰の目にも明らかになったのは、11年秋の中間決算です。ここで、日本のエレクトロニクス企業は大幅な赤字に陥りました。
パナソニック大赤字の原因として、姫路市で稼働した新工場があると言われます。シャープは、液晶テレビの代名詞だった亀山工場の大半を、中小型パネルの生産に転換するなど、大幅な戦略転換を図り、最終的にはホンハイ(鴻海)に買収されることとなりました。
結局のところ、日本の製造業は、古いタイプの製造業の復活にこだわり続け、世界経済の構造変化に対応できなかったのです。
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「自然資源に乏しい日本は、輸出で外貨を稼がないと生きてゆけない」という考えは、誤りです。日本は、額に汗してモノづくりに励み、貿易黒字を稼ぐ必要は、必ずしもないのです。すでに蓄積した資産の運用によって、輸入を賄うことができるからです。
日本が巨額の対外資産を保有し、そこから巨額の所得収支の黒字が実現していることを考えれば、貿易収支の黒字に固執する必然性は薄れています。この点において、日本人は考えを大きく転換する必要があります。
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日本経済は、円安になると企業利益が増えて株価が上昇し、円高になると企業利益が減って株価が下落するという傾向があります。このときにも、円高によって株価が下落しました。
この問題に対する民主党の立場は、私にとっては理解しがたいものでした。本来であれば、労働者の立場から、円高が望ましいと主張すべきだったのです。そして、円高に対応できるように日本の産業構造を改革するような条件を整えるべきだったのです。
しかし、民主党政権は、安易な解決を求めて、円安を志向しました。そして、為替市場への直接介入すらしたのです。しかし、介入したところで為替レートの趨勢が変わるはずはなく、民主党政権は追いつめられていきました。
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金融政策で「引く」ことはできますが、「押す」ことはできません。したがって、マネタリーベースを増やしても、借り入れ需要がない経済では、マネーストックは増えないのです。
マネタリーベースが顕著に増加したのに、マネーストックがほとんど増加しなかったのは、このためです。
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組織のリーダーに求められる資質とは何でしょう?
判断が正しいことや、先を見通す力があることは、もちろん必要です。しかし、スタッフとしての参謀ならそれでよいでしょうが、ラインのトップは、それだけでは不十分です。それに加えて何かが必要です。
それは部下の信頼を獲得することです。「この人についていけば間違いない」という信頼。「その人に評価してもらいたい」という願望。「そのためには何を犠牲にしてもよい」というほどの信頼です。