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 闇の中で出口を見つけられない滞納者。一日でも早く人生の仕切り直しができるように、現地に何度も通い、訴訟と並行して退去に導く交渉を重ねてきたのです。気がつけばこの16年間、延べ2200件以上、家主側の訴訟代理人として、滞納者と、日本の抱える闇と貧困に向き合ってきました。

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 家賃は月収の3分の1が相応と言われていたのは、もう過去の話です。今の世の中、理想は4分の1以下にまで抑えなければ、大きなリスクを背負いかねません。

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 その要因としては、建物の建替えでしょう。昭和40年代に建った木造アパートが老朽化のため建替えられ、高収益を生む建物に移行しています。空室となるのが怖い家主が、人気物件となることを目指して高スペックの建物を建築しているのです。その結果、安い部屋を探すのが難しくなってしまいました。6畳一間で共同便所の物件も、最近ではほとんど見かけません。

 新築される物件は、オートロック、宅配ボックス、温水洗浄便座、インターネット環境等が完備されているような物件ばかり。そうでないとネット検索にもかからないからです。その結果家賃は高騰し、やむなく身の丈以上の部屋を借りるしかない、という状況になっている可能性もあるのです。

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 家賃滞納の現場で出会うひとり親は、懸命に生きているのに収入が追い付かず、力尽きて滞納に陥るというケースがほとんどです。家賃が高い部屋に住んでいるわけでもなく、借りている部屋といえば、築年数を重ねた質素な物件です。それでもその家賃を支払ってしまうと、生きるのもままならなくなるほど追い詰められているのです。

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 ところが、悪質な賃借人の情報はクレジットカードの信用情報のように共有されないので、別の不動産屋に行き、違う家賃保証会社の保証を受ければ、また新たな部屋が借りられてしまいます。

 そのせいか悪質な滞納者は、確実に増えています。しかも謝罪の言葉を口にするどころか、「払えません、それが何か?」と、完全に開き直っている滞納者もとても多いのです。退去日時の約束をしていても、平気で「引越し代金がないから」と言い訳をして、そのまま住み続ける人もいます。

 そもそも、家賃を払わない人を即追い出す、ということは日本の法律では許されていません。「家主=金持ち、賃借人=貧乏」といった大昔の認識のもと、賃借人の権利が保護され、家主側の権利は、いつも後回しにされてしまうのです。

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 そういう家主は物件を建てる際に、多額の借り入れをしているケースがほとんどですが、建築側の営業トークによれば、その返済は「家賃収入で賄える」(しかもそれでもお釣りが出る)はずでした。ただし、それはあくまでも、常に空室がなく、さらに入居者から毎月きちんと家賃が支払われることが前提なのですが、そのリスクを想像しなかったという家主は驚くほど多いのです。

 同じ1億円でも、株に投資することにはかなり慎重になるはずなのに、賃貸物件への投資となると、なぜか急に甘く考えてしまう人が多い。そう感じているのは、私だけではないはずです。

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 そのせいで家主側の破産も増えています。物件を手放したいけど、売却代金でローン残額の完済ができないため追い金が必要で、その費用を捻出できないために売却もできない、そんな苦悩を抱える家主はたくさんいます。

 賃貸経営だって、立派な投資です。株への投資と同様に、十分な知識や経験を積んだ上で慎重に行わなければ、高いリスクを背負うということを忘れてはいけないのです。

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 そうなると、本来では賃貸物件を借りるだけの経済的基盤がない相手に、滞納のリスクを覚悟してでも貸さざるを得ない家主側の事情も出てくるはずです。そんな家主にとってありがたい存在こそが、まさに家賃保証会社なのです。

 借りる側には「連帯保証人を確保せずに済む」というメリットを、そして家主側には「万一のときに家賃を代位弁済してくれる」という安心感を与える家賃保証会社は、これからの賃貸業界でなくてはならない存在であることは間違いありません。
 ただし、一方でそれは家賃滞納を生む元凶にもなる、諸刃の剣なのです。

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 ところが高齢者ともなると、放り出された後、自力で生きていけるのか疑問です。そこで執行官は、病気の人や高齢者に対しては「執行不能」と判断することがあります。これは強制執行の申し立てを受けたが、断行はできない=追い出すことはできない、という意味です。こうなると家主側は裁判で明け渡しの判決をもらったが、それでも出て行ってもらえないので強制執行を申し立てた。でも執行不能で終わったので明け渡しができなかったために、次の人に部屋を貸すことはできない、という最悪の事態になるということです。

 では執行できない高齢者とは何歳以上を指すのでしょう。これははっきり決まっているわけではなく、各執行官の裁量です。執行官が催告で賃借人に会い、病気の有無や状態をみて「この人は外に放り出せない」そう判断したときは、執行不能となります。

 93歳の賃借人には、明け渡しの判決が言い渡されました。しかし強制執行を申し立てたところで、執行不能になる可能性は高いと思われます。それでも家主の次の人に部屋を貸したいという思いは、なんとか実現しなければなりません。本来の司法書士業務とはかけ離れますが、私は役所の福祉課と連携して、この夫婦の受け入れ先を探していくことにしました。

 この先、民間の賃貸物件で、身内の援助もなくこの高齢者夫婦が生活していくのはまず不可能でしょう。そのため狙うのは、夫婦で入れる高齢者施設です。エリアに条件は付けられません。とにかく全国の、介護保険料と僅かな年金で支払える施設に片っ端からアタックするしかありませんでした。

 そうして200件以上当たってみたでしょうか。引き受けてくれる老人ホームが奇跡的に、そう本当に奇跡的に見つかったため、そこに転居してもらいホッと胸をなでおろしました。

 しかしながらその反面、滞納額の回収は叶いませんでした。しかも、老人ホームへは身の回りの物しか持って入れないので、荷物も部屋にごっそり残されたまま。家主は25万円という高額の費用をかけて、撤去せざるを得ませんでした。

 それでも、転居先が見つからなかった場合は、退去させることもできず、ただ滞納額が毎月加算されていくことになるところでしたので、最悪の状況は免れたと言えるでしょうが、それでも家主が被った損害は相当なものです。回収できない滞納分、訴訟手続き費用、荷物の撤去費用を合計すれば、600万円以上かかっています。この家主が「もう高齢者には部屋は貸したくない」と言っても、誰も責めることはできないと思います。

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 転居先が「奇跡的に見つかった」と前述しましたが、高齢者の転居先探しというのはそれほど困難を極めます。これは高齢者が滞納していようがしていまいが、世帯主が70歳以上ともなると、賃貸物件を借りようと50件問い合わせても、了解してくれる家主は1件あるかないかのレベルです。ましてやその高齢者が現在の部屋を家賃滞納で追い出されたともなれば、さらに貸してもらえる物件は宝くじレベルになってしまいます。

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 今後、日本は超高齢化社会に突入します。その中で確実な身元引受人がいない限り、高齢者の部屋探しは困難を極めるでしょう。つまりこれは、家賃滞納のリスクがあろうがなかろうが、持ち家を持たない誰もがいつか直面する問題です。

 古い法律に縛られたままのリスクを、できれば背負いたくない民間の家主。しかし貸さなければ賃料を得られずに、経営は悪化するでしょう。この先の賃 貸経営は、借りてくれる若い健全な人の取り合いになるのでしょうか。同時に部屋を借りられない高齢者は、どこをさまようのでしょうか。高齢になる前に部屋を借りて安心していても、建物の老朽化で取り壊すときには退去を迫られます。そのときに貸してくれる部屋はあるのでしょうか。

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 多くのひとり親が苦しんでいる理由の一つに、養育費が支払われないということがあるでしょう。最近ようやく共同親権が議論されだしましたが、養育費を支払わない親が実に多いのです。

 確かに再婚して新しい家庭を持てば、そこでの生活費がかかるので、養育費の支払いまで手が回らないという見方もあるでしょう。しかし、別れた配偶者に託した子どもも、間違いなく自分の血を受け継いだ大切な子であることに変わりはありません。養育費を支払わないのは、虐待していることと同じです。生活苦に追われ、気持ちに余裕がなくなって我が子に手を上げてしまう親は責められるのに、なぜ養育費を払わないという虐待は責められないのでしょうか。

 目の前に我が子がいれぱ、「お金がない」なんて言っていられず、なんとかして子どもにご飯を食べさせていくでしょう。離れて暮らしていたとしても、同じです。「お金がない」は理由になりません。お金がないなら、ダブルワークでもトリプルワークでもして、なんとか支払っていくべきなのです。シングルマザーがそうやって、髪の毛を振り乱して育児をしているように……。大切な我が子のために……。

 私自身、養育費が支払われない中で本当に苦しい思いをしました。毎月通帳記帳するのが怖くて、これ以上傷つきたくなくて、記帳すらできなかったこともあります。生活が安定してきて初めて記帳して、やはり数年間一度も払われてなかったということも知りました。経済的に追い詰められてカツカツの生活をしていると、ああ、ここで養育費があれば……なんどそう思ったでしょう。別れるときに裁判所で養育費の支払いが決められても、払わないのです。これが現実です。

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 貧困は、心を蝕んでいきます。人から笑顔も奪います。追い詰められた生活は、心から余裕を奪っていきます。どうかすべての子どもたちが笑っていられるよう、決して貧困の犠牲とならないよう、養育費が確実に支払われる制度制定を心から願います。