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 しかし今でも、風邪の患者さんに抗生物質を出す医者は少なくありません。なぜ医者は抗生物質を出し続けるのでしょうか。

 第一に、「その患者さんが、細菌に感染している可能性を否定できないから」が挙げられます。風邪と似た症状では、溶連菌感染症という病気があります。これらの細菌による感染の可能性がわずかながらある、という主張です。しかし、溶連菌には検査がありますから、それをやらずに処方するのはあまり意味がありません。

 第二に、「ウイルス感染の二次感染に対する、あるいは予防するために処方する」という理由があります。二次感染とは、ウイルス感染で弱った体に対して、今度は細菌が攻撃し、感染を起こすというもの。これは高齢者や免疫が弱い患者さんであれば有効な可能性はありますが、それ以外の人には意味はありません。

 最後に、「患者さんの満足度」が挙げられます。もしかしたらこれが一番大きな理由かもしれないと私は推測しています。開業医にとって、「治ること」と同じくらい「患者さんの満足度」は大切です。なぜなら、患者さんが来なければ、クリニックの経営が悪化しつぶれてしまうからです。

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 かつて研修医の頃、私は「前医は絶対に批判するな」と習いました。後医である自分からみたら、前医は診断を間違え、予想も狂っていてトンチンカンな検査や治療をしていることは往々にしてある。しかしそれを責めるな、バカにするなということです。病気の診断をつけるには、それほど「時間」という要素が非常に重要なのです。

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 風邪を引いたとき病院に行くと、かなり高い確率で処方される薬。ロキソニンについてです。
 今ではいろんな名前で売られていて、たとえばロキソプロフェンなど後発薬も多くありますが、もともとはロキソニンという名前の薬です。今は薬局でも買えるので、あなたも聞いたことがあるのではないでしょうか。20年ほど前は医者やナースしか知りませんでしたが、市販され始めたこともあり、一気に有名になりました。

 1986年に販売が開始されてから約30年もの間、ロキソニンはよく効く鎮痛剤(痛み止め)として医師に処方されてきました。基本的に多くの痛みに効果があるため、ほとんどの科の医師が使っています。年間の推定使用患者数(延べ数)は4500万人〜4900万人と厚生労働省の報告書にあるほどです。

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 この「代替医療」について、先日米国の研究者からこんな研究報告がありました。それは、「代替医療のがん治療は、病院の標準治療より生存を延長させない」というもの。簡単に紹介します。

 対象になったのは乳がん、大腸がん、前立腺がん、肺がんの患者さん。このなかで、「代替医療を受けた280人」と「病院の従来の標準治療を受けた560人」の5年後の生存率を比べると、従来の標準治療を受けた人たちのほうが生存率が高かったという結果が出ました。代替医療を受けた人は、従来の標準治療を受けた人よりも2.5倍もの高い死亡のリスクがあったのです。

 そして驚くべきことには、代替医療を選ぶ人は高学歴や経済的に恵まれた人々であったのです。

 言われてみれば、最近の報道を思い返すと、がんで亡くなった有名人の多くが代替医療を一度は選んでいました。川島なお美さんが「金の棒でこする」などという信じがたいものでがん治療をしたという報道を覚えている方もいるでしょう。

 なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
 理由の一つには、「病院で受けられる治療は誰でも同じ額である」という点があげられます。いいサービスを受けるためには高いお金を払う――これは当然のことのようですが、日本国内の病院で受ける治療に限っていえば、当てはまりません。日本では「標準治療」という名前で、日本中ほとんどどこの病院でも、ほぼ同じ治療が受けられるのです。大金持ちの人も、生活保護を受給していて医療費を支払わない人も同じです。負担額は収入に応じて少しずつ変わりますが、治療内容は変わりません。

 そのことが、判断を誤らせている可能性があります。
 「治療の効果は、お金を出せばもっといいものになるに違いない」

 そう思った人が、高額ながんの代替医療を選んでいるのかもしれません。しかし、前述したように医療は基本的に規制産業です。すべての診断や検査、手術は一回いくらと決められていて、それはどんな熟練医が行っても一年目の研修医でも、また地方でも都会でも変わりません。参入障壁が高く、価格を自由に設定することは不可能で、おまけに医療機関の広告も法律で厳しく規制されているのですね。

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 夜間と土日に病院を受診すると「救急外来」というところを受診することになります。この救急外来では、普通の治療を提供しているわけではありません。正しくいえば、「緊急で治療が必要な重症の患者さんかどうかを見分ける」ということが救急外来で行われていることなのです。もちろん簡単な検査や薬の処方はしますが、基本的には翌朝まで待つことができそうな病状であれば、いいかえれば重症ではなければ、治療は行わないのです。

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 もちろん、外科医は必ず本人と家族に手術の必要性やリスクを説明しますし、意向を伺います。ですが、患者の決定は、外科医の考え方や姿勢でどちらにでも誘導できてしまう側面があることを指摘せねばなりません。
 「あなたは手術をすると危ないからやめたほうがいい」と言われれば手術はしないことになるでしょうし、「危険だけど、やりましょう!」と医者から鼻息荒く言われれば、「お願いします!」となることが多いのです。このことに、我々医者は強く自覚的になるべきです。

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 結果がうまくいかなかったとき、もっとも外科医を苦しめるのは、スタッフの「だからやめとけばよかったんだ」という冷たい目でも、家族からの厳しい罵りでもありません。過去の自分が選んだあの選択は誤りだった、そして誤りのせいでこの人は死んだかもしれないという深い悔恨なのです。さらにいえば、それを背負っていない外科医はおそらくいないでしょう。

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 私の患者さんの中には、若い方もいらっしゃいます。「若い人のがんは進行が速い」とよく言われますが、ちょっと正確ではありません。がんの種類にもよりますが、正しくは「若い人は進行した状態でがんが見つかることが多いため、進みが速く見える」ことが多いのです。

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 病院の現場にいると、時々とてもやるせなくなります。自分の患者さんに圧倒的に押し寄せる死の波を、どうにかこうにかちょっとだけ押し戻した、と思ったら、あっという間に次の波が足元まで来ていた。そんなことばかりです。
 医者は、なかでも外科医は、酒を痛飲する人が多いように思います。私もまた、ときおり自傷行為のようだと自覚しながら酒を浴びています。飲まずにおれない、ことだらけだからです。
 医者は無力です。
 神様が決めたその人の運命に、その人とともにあらがいますが、まだまだ負け越しです。死をコントロールすることは、医者にもできません。
 そんな時代に、こういう「人間」という生き物に生まれてきた私たち。どう生きるか、一度考えてみませんか。