P109

 返済不可能な借金に永遠に囚われていたら、企業も個人も国家も復活できない。聖書の中で、借金を定期的に棒引きにすべきだと書いてあるのも、同じ理由からだ。それは、森に落ちている枝を燃やすことで、大規模な山火事を防ぐようなものだ。

 P115

 金持ちたちは政府が借り入れなしでやっていけるほど十分な税金を払いたがらないので、国は債券を発行して銀行や金持ちに「販売」し、国家運営に必要な費用を賄うことになる。そして政府は道路、病院、学校、警察といったさまざまなものにそのおカネを使う。政府が備品を買ったり、給料を支払ったりすることで、直接に経済を循環させ、銀行も含めてすべての人がその恩恵にあずかることができる。

 P117

 また国債は、何かが起きたときに大惨事を避けるための緩衝材にもなる。公的債務とは、すべてのものをひとつに束ねるゴムのようなもので、危機のときには金融システムの崩壊を防ぐ網になってくれる。

 P205

 多くの植物と動物を絶滅に導き、地球の森林の3分の2を破壊し、酸性雨を降らせて湖を汚染し、土壌を腐らせ、河川を干上がらせ、大気に二酸化炭素を充満させ、海を酸性化してサンゴを殺し、氷河を溶かし、海面を上昇させ、環境を不安定にし、人類全体を危険にさらしている。

 P207

 一方で、家の上空を飛んでいく飛行機は灯油を大量に使用する。それが石油会社の売上になる。山火事に向かう消防車は軽油を消費する。それもまた石油会社の売上になる。山火事で燃えた家や電線を復旧するには、建築業者に賃金を支払い、材料を使う。その交換価値もまた経済の原動力になる。

 P215

 川に棲むマスも同じだ。釣るまでは誰のものでもない。だから漁師は好きなだけ釣ろうとするし、そのためにマスは消え失せて漁師はばかを見ることになる。大気も同じだ。誰のものでもないから、誰もが汚してしまう。組合は資源をうまく管理できないし、政府は非効率で偏りがあり、権威をかさに着る。

 P229

 欲望を満足させることと、本物の幸せはどこが違うのだろう?

 誰でも自分の欲が満たされればもちろん、幸せになる。少なくとも、しばらくのあいだはそうだ。それはいいことだ。だが、イギリス人哲学者で政治経済学者でもあるジョン・ステュワート・ミルが1863年に言ったように、「満足したブタより不満な人間のほうがいい。満足なばかより不満なソクラテスのほうがいい。もしブタなりばかなりがそう思わないとしたら、それは彼らには自分のことしか見えていないからだ」。

 言い換えると、無知は幸せということだ。そしてHALPEVAMの与えてくれる幸せは、無知でなければ味わえない。しかし本物の幸せには、無知と反対の何かが必要になる。

 P231

 人の人格や欲しいものはどうして変わるのだろう?簡単に言うと衝突があるからだ。自分の望みを一度に全部は叶えてくれない世界と衝突することで人格ができ、自分の中で葛藤を重ねることで「あれが欲しい。でもあれを欲しがるのは正しいことなのか?」と考える力が生まれる。われわれは制約を嫌うけれど、制約は自分の動機を自問させてくれ、それによってわれわれを解放してくれる。

 つまるところ、満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。

 P235

 支配者には、自分たちの正当性を裏付けてくれる新しい筋書きが必要になった。そこで彼らは、物理学者やエンジニアを真似て数学的な方法を使い、理論や公式を駆使して、市場社会が究極の自然秩序だという筋書きをつくりだした。世界一有名な経済学者のアダム・スミスはそれを「神の見えざる手」と呼んだ。このイデオロギー、つまり新しい現代の宗教こそ経済学だ。

 19世紀以来、経済学者は本を書き、新聞に論説を投稿し、いまではテレビやラジオやネットに出演し、市場社会のしもべのようにその福音を説いている。一般の人が経済学者の話を聞くと、こう思うに違いない。

 「経済学は複雑で退屈すぎる。専門家にまかせておいたほうがいい」

 だがじつのところ、本物の専門家など存在しないし、経済のような大切なことを経済学者にまかせておいてはいけないのだ。

 この本で見てきたように、経済についての決定は、世の中の些細なことから重大なことまで、すべてに影響する。経済を学者にまかせるのは、中世の人が自分の命運を神学者や教会や異端審問官にまかせていたのと同じだ。つまり、最悪のやり方なのだ。

 P237

 いまの経済評論家も同じようなものだ。経済予測が間違うといつも、そもそも最初から間違っているその迷信のような考え方によって間違いを説明する。そして、たまに新しい考え方が出てきて、最初の間違いが説明される。

 もっと一般的に言うと、失業と不況は競争不足が原因だとされてきた。そこで「規制緩和」によって競争を促進することが解決策だとされている。銀行家や支配層を政府のしがらみから解放するのが規制緩和だ。この規制緩和がうまくいかない場合には、民営化によって競争が促進されるという。民営化でもうまくいかない場合には、労働市場が問題だとされる。組合の干渉や福祉という足かせを取り除けばいいとされる。そんな説明が終わりなく続いていく。

 P239

 経済学者が数学を使うから科学者だと言い張るのは、星占い師がコンピュータや複雑な表を使うから天文学者と同じくらい科学的だと言うのと変わらない。

 私が次のようなことを言うと、仲間の経済学者はもちろん腹を立てる。

 「経済学者も星占い師みたいに科学者のふりをし続けてもいいのかもしれない。だが、経済学者はどちらかというと科学者ではなく、どれほど賢く理性的であっても人生の意味を確実に知ることはできない哲学者のようなものだと認めたほうがいいのでは?」

 しかし、経済学者がせいぜい世慣れた哲学者のようなものだと白状してしまったら、もはや市場社会を支配する人たちは経済学者を歓迎してはくれなくなるだろう。彼らの正当性は、経済学者が科学者のふりをすることで担保されているのだから。

 P240

 人を支配するには、物語や迷信に人間を閉じ込めて、その外を見させないようにすればいい。だが一歩か二歩下がって、外側からその世界を見てみると、どれほどそこが不完全でばかばかしいかがわかる。