P36

 母の場合は70代から、いつお迎えが来てもおかしくない「おまけの歳」なのだと考えていたが、「晩年」意識、「余生」意識を持って20年も生きるのは少し長すぎる。私は母を見ているので、自分もがんになったり事故にあわなければ90近くまで生きるのかな、と年齢観を修正している。

 P41

 私がなかなかモノを捨てられないのは、モノの命を使い切らないうちに捨てるのに罪悪感があるからである。それがつらいなら、そもそもあまり買わない方が良いのだ。捨てられない立派なモノは故事来歴を聞いてくれる人にあげる。

 P46

 ほとんどの人は恵まれてうまくいっている光の部分だけでなく、うまくいかないこと、足りない影の部分が必ずある。一人の人の光の部分、別の人の光の部分、また別の人の光の部分と比べて劣等感を持つのでなく、それぞれの人の持つ影の部分も見たうえで、それでもあの人も頑張っていると受け止めると「みんな違ってみんないい」の心境に近づける。

 P66

 3000万円たくわえがあれば中流老人、1000万円では下流老人という線引きはできない。私の定義では、中流かどうかはその人のメンタルセット、どういう価値観を持ち、どういう生活態度を持っているかで決まるのだと思っている。
 人間としてのたしなみのなさが、下流老人をつくる。

 P94

 イスラム教ではまずしい同胞に寄付するのを喜捨といい、受けた方は相手に善行の機会を与えたのだからとお礼を言わなくてもいいと聞く。イスラム教徒でない私たちも相手に与えることができること自体を喜び、感謝しなければならないのだ。お礼の言葉や感謝を期待するなんて以てのほか。

 P99

 歳を重ねたら、何を言っても許される、というのは甘えである。何を言おうと、もう年寄りなんだからと許してくれるだろうと思って「ずけずけ」モノを言うのは子どもと同じである。歳をとったからこそ、相手の気持ちを想像して、どう表現すれば相手の気持ちを傷つけないで言うべきことを伝えるか工夫するのがたしなみというものである。
 そういう工夫ができなくなったら、たちまち老化が加速する。