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 (1)身分や地位に無縁に生きる

 入居者の前歴はさまざまである。興味のそそられるところだが、詮索するのはタブーなのではっきりとはわからない。

 私の知る限り、この三十年間の入居者の前歴はさまざまで、会社社長、小中高の校長、教師、大学教授、大企業の重役、管理職者、サラリーマン、裁判官、検事、弁護士、公認会計士、税理士、商店主、芸術家、ジャーナリスト、著述業者……、および、その配偶者や未亡人である。もちろん、それ以外の経歴を持った人もいる。老人ホームには、あちら社会ではいっぱしの肩書きを持った人たちが多数入居している。

 昔、私が仕事で取材した老人ホームには、有名作家や元映画スターもいて一目置かれていたが、私の入居したホームには、今のところ、有名作家も銀幕のスターもいない。あるいはいるのかもしれないが、私を含めてだれも気がつかないということもあろう。あるいは、気がついていたとしても、有名作家も銀幕のスターも、羨望の対象ではなく、ことさら話題にすべきことでもないので私に告げる人もいないということかもしれない。

 私の入居している老人ホームではないが、最近の情報で、流行作家の父上が入居している老人ホームの存在を知った。その流行作家の父上は、作家と同姓だが、職員以外だれも気がついていないという。私は前歴が物書きであり、野次馬的な性向を有しているので、その事実に大いに興味を持ったが、そのホームの入居者は流行作家に無関心なのかもしれない。あるいは流行作家とて特別な人種ではなく、したがって流行作家の名前を知ろうとも記憶をしようともしないのかもしれない。

 さまざまな過去や生い立ちの老人たちで一つのコミュニティを形成しているのが「老人ホーム」である。共通項は身分や肩書きではなく「老人」であることだ。年寄りということが老人ホームの住人の資格でありほかの要素は全く関係がない。

 ビジネス社会は生存競走の社会であり、家柄、学歴、地位、階級、財力がモノを言うことがしぼしばある。しかし老人ホームは権力も財力も無縁である。老人ホームはよりよい終末を迎えるためのコミュニティであり、生臭い人間関係とは無縁である。

 やがて死に行く身であることを悟って老人だけのコミュニティに参加したはずなのに、おれは昔、かくしかじかの地位にいたことがあると主張しても空しいだけである。

 先生と呼ばれたり、社長や会長と呼ばれたりしたのはビジネス社会でのことである。老人ホームに入ってしまえば、社長も平社員もなく、ただの年寄り仲間なのである。入居者の関係は平等であり、上下関係は存在しない。

 そういう意味ではさっぱりしたものである。競争相手もいないし、頭の上がらない人もいない。当然ながらおだててくれる取り巻きもいないし、命令を聴いてくれる部下もいない。ふんぞり返っても、卑屈になっても滑稽なだけである。

 幼稚園や小学校では喧嘩の強い奴がリーダーであったり、中学、高校となると頭のいい奴、悪い奴で差別ができるが、老人ホームには能力の差別も腕力の差別もない。年寄社会はただひたすら平等な関係しか存在しない。

 もし過去の栄光や名声にひたっていたいなら、老人ホームに入居はしないことである。老人ホームに入ることを決意をしたら、過去の栄光も、失意さえも、すべて捨てて年寄り社会に生きる覚悟を定めることである。

 (2)笑顔と挨拶の人間関係

 老人ホームに入ることになったとき、私はこの性格を改めなければと考えた。だれに対しても挨拶を欠かさないようにしようと心に決めた。最初は少し抵抗があったが、ハードルを越えてしまえば挨拶も自然に身につく。

 (3)他人の生活に入り込まない

 村社会での生活を、個人の生活に持ち込まないことである。気の合った同士のゴルフや旅行は大いに楽しんでもいい。ときには街に食事に出かけるのも、呑みに出かけるのも悪くはない。しかし、そのときだけで終わらなければならない。ホームに帰っても個人的関係に拘泥してはいけない。せいぜい昼食のときだけ同じテーブルに座るとか、入浴を同じ時間帯にして浴場で話し込むという関係が望ましい。

 (4)他人の顔色に一喜一憂しない暮らし

 このように思い定めてみると、挨拶をして仮に挨拶が返ってこなくても、気にすることはない。耳が聞こえなかったのかもしれないと考えればいい。あるいは気がつかなかったのかもしれないのである。実際にそのような例はありえる。

 (5)利己的生き方のいましめ

 (6)小さいことは不満に思わない

 入居者の誰もが、小さな不満はおそらく常時抱えているに違いない。しかしあちら社会に居てもいろいろな不満は付きまとうに違いない。どこに居ても生きている限り、不満は無くならないと思う。しかし、老人ホームで不満にまみれていたのでは何のための入居かということになる。

 (7)目標を持って生きる

 (8)サークル活動に積極的に参加する

 (9)健康に配慮して生きる

 風邪気味だったり、体調が悪いということがない限り、朝夕、六千歩の散歩を欠かさないという九十歳半ばの人もいる。大雨、大雪以外は欠かさずの散歩だという。食事に対しても関心があり、好き嫌いなく三食をきれいに完食している。
 少し気取った言い方をすれば、この人の場合、死は素直に受け入れるが、死の直前まで健康への配慮は怠らないという生き方を貫いているわけだ。

 (10)季節の変化を楽しむ

 老人ホームに入所したら、巡り来る季節にいつも目を凝らして肌で実感することで、ホームの生活に、心のゆとりが生まれるのである。