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 これを一定ていど実現し、全員を「社員」としたことは、他国にない特色となった。これが製造現場の社内訓練による技能蓄積を高め、日本製造業の躍進を支えたことは、経済学者からも評価されている。そしてこれが、「ものづくりの国」を支えたばかりでなく、格差が比較的少ない社会、現場労働者までもが勤労意欲の高い社会を築くのに貢献したといえる。

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 とはいえ、こうした社会契約が有効に機能したのは、1980年代までだった。
 社内訓練で培った熟練が日本製造業を世界の頂点に導いた時代は、情報化やグローバル化とともに終わりを告げた。より賃金の安い国で、データで送った設計図通りのものが作れるようになれば、現場労働者の熟練は意味を失うからである。こうして製造業の中心が他のアジア地域に移り、先進国の成長産業が高度専門知識を必要とする金融やITなどに移行すると、日本の「しくみ」は不利に働くようになった。

 さらに日本経済全体が余裕を失うにつれ、長時間労働が固定化する一方、年功賃金を享受する層は限定されている。またそれより重要な変化は、「地元型」から「残余型」への移行も進んでいることだ。
 第1章で述べたように、「大企業型」はその内実がかつてより劣化しているにせよ、数量的にはさほど減っていない。1980年代以降のトレンドは、自営業セクターから非正規労働への移行である。

 大胆な仮説を述べるならば、そもそも日本では、一人の男性の賃金収入だけで十分な生活を営める世帯の人々が、全人口の約三分の一を超えたことはなかったと思われる。残りの人々は、親族からうけついだ持ち家や地域的なネットワークなど、貨幣に換算されない社会関係資本の助けを得て、一家総出の労働で生きていた。彼らが個々人の所得の少なさを家族関係と社会関係資本で補っていたことが、「一億総中流」の前提だったのだ。
 この30年あまりの日本の変化は、「大企業型」の増加が頭打ちになるなか、自営業セクターの衰退と社会関係資本の減少が進んできたというものだったと考えられる。

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 こうしたルールは、合理的だから導入されたのではない。そもそも何が合理的で、何が効率的かは、ルールができたあとに決まる。ルールが変われば、何が合理的かも変わるのだ。
 それは、できあがった完成形としての「文化」ではない。しかしサッカーで手を使えないのは不合理だといっても、歴史的過程を経て定着したルールは、参加者の合意なしに変更することはできない。

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 透明性を高めずに、年功賃金や長期雇用を廃止することはできない。なぜならこれらの慣行は、経営の裁量を抑えるルールとして、労働者側が達成したものだったからである。日本の労働者たちは、職務の明確化や人事の透明化による「職務の平等」を求めなかった代わりに、長期雇用や年功賃金による「社員の平等」を求めた。そこでは昇進・採用などにおける不透明さは、長期雇用や年功賃金のルールが守られている代償として、いわぼ取引として容認されていたのだ。

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 20世紀の諸運動で達成された成果がしだいに失われ、19世紀の「野蛮な自由労働市場」に近づいている傾向は、世界的にみられる。第3章で述べたように、労働運動が実現してきた協約賃金や、同一労働同一賃金による「職務の平等」なども、適用範囲が狭められてきているのが現実だ。どこの国でも近年は雇用が不安定化し、その社会ごとの「正規」とは異なる働き方が増えている。

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 筆者自身は、この問題は、「残余型」が増大している状況とあわせて、社会保障の拡充によって解決するしかないと考える。すなわち、低学歴の中高年労働者の賃金低下は、児童手当や公営住宅などの社会保障で補うのである。そうした政策パッケージを考えるにあたり、第6章で論じた1963年の経済審議会の答申は、いまでも参考になる側面がある。