ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門
山中 俊之


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 これがキリスト教の死生観の基本なのですが、プロテスタントのカルヴァン派には「予定説」というものがあります。簡単に言えば「あなたが天国に行くかどうかは神によって定められている」というものです。
 最初から「最後の審判」の結果は決まっていて、天国に行くか地獄に行くかは、生まれつき決まっているけれど、あなたには知らされていない。しかし、「自分は天国に行くんだ」という前提で、それに値するような禁欲的できちんとした人生を送りなさい……。
 最初から決まっているなら「大丈夫、天国へ行けるし」とだらだら暮らしても、「どうせ地獄だ」とヤケになって好き放題やっても良さそうなものですが、「天国行きという前提で頑張りなさい」というのが予定説なのです。

 P124

 カトリック教徒の死生観には、プロテスタントの一派のカルヴァン派が考える予定説はありません。彼らは善行をとても大切にしている一方、労働はどちらかというとつらい義務だと捉えています。蛇にそそのかされて知恵の実をかじったアダムとエヴァが楽園を追われ、アダムは労働という苦しみ、エヴァは出産という苦しみを与えられた――カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くあるのです。
 「仕事は義務だからやらなきゃいけないけど、なるべく早く終えて遊びたい、休みたい」
 イタリアやスペインに赴任した日本人ビジネスパーソンは、現地の人との働き方の温度差に驚きます。

 P150

 アラブ人とは「アラビア語を母国語として話す人」の意味。したがって、中東のなかでもアラビア語を話さないイラン、トルコ、アフガニスタンはアラブではありませんし、無論イスラエルも違います。特にイランは混同されやすいのですが、もともとアラブ人とは違うインド・ヨーロッパ系の民族です。
 「我々は古代ギリシャの時代から大帝国であったペルシャの末喬。イスラムが生まれるはるか昔からある、歴史ある民族だ」というプライドが、イラン人にはあります。

 P151

 イランの宗教は先ほど述べた通りシーア派が多数なので、この点もアラブ諸国と大きく異なります。私たちが「中東は紛争が多い」と感じる理由は1980年に始まったイラン・イラク戦争の影響もあると思いますが、これはペルシャ(イラン)VS.アラブ諸国のシーア派政権VS.スンナ派政権(イラクは現在はシーア派が多いが、当時はスンナ派政権だった)の戦いでもありました。

 P188

 ところが、紀元前5世紀にバラモンの権威を否定したのがガウタマ・シッダールタ、すなわち釈尊。そこから生まれたのが仏教です。

 そんな彼らは当然のごとく「仏教ってヒンドゥー教だよね」と今も考えています。ヒンドゥー教徒のインド人と仏教徒の日本人が結婚するとしても、インド人は「私たちは同じ宗教だ」という感覚で受け入れます。実際に私のまわりにいるヒンドゥー教徒と結婚した日本人に聞いても、宗教上のやりづらさは食事など一部を除きほとんどないようです。

 P193

 ユダヤ教の戒律は613もあり、イスラム教にはコーランに定められている六信五行の他に、細かな行動規範が何百もあります。キリスト教は愛の宗教なので、「とにかく神を愛し、信じなさい。隣人を愛しなさい」という点が重要です。そのためか、ルールはかなり少ないと言っていいでしょう。

 一方、ヒンドゥー教は自分の教徒に対しても異教徒に対しても裁量の余地が大きく、「何が正しく、何が間違っている」という線引きが難しいのです。ルールは少なく、白黒をつけないグレーどころか、極彩色なのかもしれません。そういえば、ヒンドゥー教の寺院は様々な神が驚くほど色鮮やかに祀られています。

 P194

 本書の執筆にあたって、インド駐在が長い知人にヒンドゥー教について改めて尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきました。
 「30年、ヒンドゥー教についていろいろ学んだ結論としてわかったことは、『やっぱりヒンドゥー教というのは、よくわからない』ということだ」
 さらにきちんとお参りに行っているヒンドゥー教徒のインド人にも、疑問が生じるたびにあれこれ聞いてみましたが、同じく答えは「うーん、よくわからない」でした。

 P207

 釈尊が説いた初期仏教が目指すところは、生死を超えた悟りの境地である涅槃にいたることです。
 涅槃というのは、他の宗教にはない独特の概念です。イスラム教の天国は、ご馳走とお酒があふれています。ところが涅槃は、迷いも執着も何もない状態を指します。釈尊の教えには、「涅槃は最高の幸福である」との言葉があります。
 輪廻転生や解脱は、仏教とヒンドゥー教に共通する考えですが、似ているようで少し異なります。ヒンドゥー教では輪廻転生を離れて宇宙の本質と人の本質が一体化し、仏教では悟りを開き涅槃にいたるということになります。

 P209

 1 諸行無常

 『平家物語』にも出てくるので、ご存知かもしれませんが、もともとは仏教がルーツです。物事はすべて常に変わっていて、たとえば今、あなたの目の前にあるこの本も永遠に存在するわけではありません。今あなたがいる部屋も、1000年も同じ状態であるはずがなく、あなた自身もそれは同じです。さらに昨日のあなたと今日のあなたはすでに変わっています。今なら「細胞は日々変化し、生まれ変わっている」と科学的に証明されていますが、それを紀元前に釈尊は悟ったということです。

 2 諸法無我

 簡単に言うと、「物事すべては関係性のなかで成り立っている」。逆に言うと、「関係性なしでは何も存在しない」ということ。
 たとえばあなたが今生きているのは、親との親子関係があるためで、親はその親との親子関係があるから存在しています。会社で仕事をしているのも、いろいろな人々との関係性があるゆえです。
 哲学的で難しい概念ですが、「他の人間も動物も星もなかったら、自分は存在していると言えるのでしょうか」といった問いと関連すると私は考えています。まわりの人がいて、物があり、その関係性があるから自分が存在すると言えるのではないでしょうか。

 3 一切皆苦

 世の中のことはすべて苦しいということ。生きるとは苦しみであるという考え方です。今は幸せであったとしても、人はみな病気になるし、いずれは死にます。どれだけお金があっても、やさしい家族に恵まれていても、それが永遠に続かないのならば実は楽しいことではなく、苦しみだということです。

 4 涅槃寂静

 煩悩や迷い、悩みがなくなった悟りの境地である涅槃とは、静かな安らぎの境地であるということ。

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 中国人でも韓国人でも、訪日すると「日本はお寺が多いな」という印象を持つようです。確かに、日本では、明治維新の廃仏毀釈など仏教が弾圧された時期もありましたが、6世紀の伝来後、長期的に弾圧されたことはありません。街のいたるところに寺院があり、東アジアでは一番仏教のお寺が街になじんでいるということは間違いなさそうです。

 初期仏教にもともと仏像というものは存在していませんでした。釈尊が亡くなった後、その遺骨は神聖化されて各国の取り合い状態になり、世界の多くの寺に分け与えられました。日本にも遺骨が収められたといわれるお寺があり、代表的なものは名古屋にある日泰寺です。

 1世紀頃は、その釈尊(仏陀)の骨、つまり「仏舎利」を、「ストゥーパ」という仏塔に収めて祀っていました。ストゥーパは卒塔婆となって日本に伝わり、今でもお墓に立てられています。

 しかし、人間だった釈尊の骨は、いかに細かく砕いても分けるには限界があります。やがて仏像がつくられるようになり、崇拝の対象となっていきました。

 仏像がつくられるようになった背景には、1世紀から5世紀頃に、クシャーナ朝のもとでギリシャ、シリア、ペルシャ、インドなどの文化が融合したガンダーラ美術が起こった点も挙げられます。

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 日本に仏教が伝来したのは6世紀。伝えられているところによれば、当時、国の中枢では仏教推進派の蘇我氏とアンチ仏教の物部氏が対立していましたが、蘇我氏が勝利して仏教の受容が決まりました。

 当時の日本周辺の国際情勢は、緊張をはらんだものでした。「国内で争っている場合ではない。階や新羅など台頭してきた周辺国と伍していくためには、力強い国家体制を整え、国民の心を一つにしなければ……」そう考えて、仏教を中央集権のツールとしたのが聖徳太子です。優れた政治家である彼は、日本仏教の祖としても大きな功績を残しました。

 その後、ヤマト王権は国家として仏教を積極的に取り入れ、国家を守るために仏教を用いる「鎮護国家」の考えが強まりました。このような国家ありきの考えはインドでは希薄であり、中国の影響を受けたものと考えられます。
 奈良時代には、南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)という学問のグループとも言える宗派が発展しました。当時は宗教というよりも学問といった捉え方が強くありました。

 学問的な奈良仏教に代わり、実践的な仏教が生まれたのは平安時代。日本の仏教の二大キーパーソン、最澄と空海が登場するのは9世紀です。
 奈良時代の終わりから平安時代にかけて生きたこの二人は、歴史の授業で出てきた通り「遣唐使」として中国に派遣されます。

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 最澄が開いた天台宗は比叡山延暦寺が総本山で、「法華経」を主要な経典とし、天台密教とも言われます。空海が開いた真言宗は高野山金剛峯寺が総本山。「大日経」「金剛頂経」を主要な経典とし、真言密教とも呼ばれています。

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 江戸時代になる頃には、他力本願や専修念仏が定着していましたから、仏教は「自分の頭で考えること」を伴わなくなります。本来の宗教は「自分とは、神とは、生と死とは何か」という人間の根本的な疑問への答えを求めるもので、抽象的な思考を伴っていました。

 しかし、ひたすら念仏を唱えればいいとなると、「考えること」は棚上げとなります。私見ですが、後述する葬式仏教の影響も含め、江戸時代以降、神とは、人間とは、死とは何かといった思考をあまりしなくなったことが日本人の宗教偏差値を下げただけでなく、哲学的思考が苦手といった現在につながる弱みになっているように思えてなりません。

 こうして日本では、「よくわからない悟りや解脱は横に置いておいて、とりあえずお金がほしい。病気も治してもらいたいし、いい結婚相手にも恵まれて、できれば頭のいい子がほしい」という、目の前の現実的な悩みの解決を宗教に求めるようになっていきました。

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 神道の大きな特徴としては、万の神を信仰し、どんなものにも神が宿ると考えること。神社にある聖なる石や聖なる木は、信仰の対象とされています。
 ちなみに「神道」という言葉が登場するのは、720年に完成した『日本書紀』で、このなかの用明即位前紀に「天皇仏法を信じ、神道を尊ぶ」とあります。しかし、「神道」という言葉は、長い間、使われることはありませんでした。

 P266

 明治維新後は、キリスト教を信仰することが許されたので、キリスト教国が多くの宣教師を送ってきました。同志社大学、関西学院大学、立教大学など多数のキリスト教系の大学も設立されました。しかし、日本人のキリスト教への改宗は進みませんでした。

 現在でも人口の約1%に留まっています。この少ないキリスト教徒の割合は、イスラム教が国教や国是の国を除くと、世界で最も少ない部類に入ります。言い方を変えれば、日本は世界で最もキリスト教が浸透していない国の一つです。

 この点は、欧米や日本のキリスト教徒とも議論になります。私は、森羅万象に神様が宿ると感じる民族である日本人には、すべてが神様の恵みであり思し召しであると考える一神教の考えが理解できないからだと思います。日本人のグローバルリテラシーを高めるためにも自分なりの答えを持っていたほうが良いでしょう。

 P290

 仏教のお坊さんには、「死を含め、人の悩みに寄り添うことがあまりできていない」と言う人が少なくありません。亡くなってからお葬式をあげるだけではなく、どのように生を終えるかに寄り添う役割も、今後は宗教に求められるでしょう。

 P293

 しかし、ユダヤ・キリスト教やイスラム教の文化では、「自己責任」という価値観はあまりありません。なぜなら、いかなる状況に置かれることも神の思し召しであるから。
 神の思し召しのなかで困っている人を、同じく神の思し召しのなかで生きる自分が助けるのは当たり前だと考えるのです。たとえば欧米に行くと、30代ぐらいの若く健康なホームレスもいますから、日本人からすると違和感があるかもしれません。しかし神の思し召しである以上、社会から責められることはないのです(個人的にまわりの人から責められることはあるでしょう)。
 キリスト教には隣人愛と博愛主義という考え方があり、特にカトリックでは前述した通り、善行が大切だとされます。プロテスタントの国アメリカにも、市役所では低所得者向けの食品クーポン「フードスタンプ」が、教会では無料の食事が配られるといったことが根づいています。
 格差問題にどう向き合うかは、弱者に向ける眼差しによっても違ってきます。
 「お金を儲けたら、税金とは別に寄付をする」という考えが、ほとんどの国でしっかりとあり、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、ウォーレン・パフェットといった大富豪は収入に見合う寄付をしています。ヒンドゥー教のインドでも、優秀な子どもに成功した実業家がお金を出すことは珍しくありません。世界5大宗教は共通して「施しが大事である」というメッセージを人類に植えつけたと言えます。

 P294

 仏教が葬式仏教化した時、もともと仏教にあった施しの精神が薄らいだ――これが弱者に手を差し伸べず、自己責任論ばかり叫ばれる日本社会の一因になっているとも言えるのです。現在の日本では、ひきこもりが問題になっていますが、仏教などの宗教が手を差し伸べていないことも根っこでは同じだと私は考えています。

 P305

 カイロ駐在の後、私はイギリスに移りました。イギリス時代の経験として思い出されるのは、キリスト教の教会でのホームレス支援ボランティアです。冬場は極寒のあまり路上死するホームレスのために、教会は内部を宿泊場所として提供していました。そこで温かいコーヒーなどをサービスするボランティアをしたことは、私にとってキリスト教の隣人愛を体験的に学ぶ場でした。
 一方で、日本で信者が最も多い宗教である仏教のお寺ではあまりホームレス支援をしているとの話を聞きません。イギリスのキリスト教の視点から、日本の宗教について考察する機会を得ることができました。