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 僕はだいたい直感的に判断しながらやってますから、いいのではないかというケースですね。人間の直感いうのは理屈よりも正しい場合が多いから。僕は直感的に判断したモノを、もう一度、自分なりに理論的にどう解釈できるかということを暗中模索しながら進んでるんです。だからいつも迷いに迷ってます。これは、クライアントの選択の時でも、デザインする時も、それから実際に設計をして工事が進む時も、迷いに迷ってますよね。最後、建築が終わってもまだ迷ってますね。

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 アルバイトは設計事務所へ通う。二級、一級建築士の受験資格を得るためには建築関係の実務経験が必要なので、そういう意味もあった。ところが、個性の強い彼は一、二ヵ月も経つと集団に違和感を覚えるようになる。仕事ができないわけではないのだが、自己主張が強すぎて、うまくいかず、半年ほどで辞める。また別の事務所に通う。しばらくしてまた辞める。あちこちの設計事務所を半年とか一年くらいの周期で転々とする。そんなことを繰り返していた。

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 安藤忠雄は結果について、こう言っている。

 『光の教会』のスリットにガラスがないと、雨が入ってくる。雨が入ってくるし、光も入って、風も入ってくる。機能的にいうと、そのことによってもちろん冬は寒い。夏はまあ問題ないと思うけど、冬は寒い。そういうなかで、教会というものに行く時に、精神的に、こう、なんというのかなあ……ある種の畏れみたいなものと、期待みたいなものがあって、やっぱり、ある種の緊張を持って行くべきなのではないかと。喫茶店ではないと。だから、あそこにガラスがなかったら、もっと精神的緊張感がある教会になってくるだろうと思ったので。だから、今もって、あそこにガラスがないほうがいいと思ってるし……。確かに快適性はなくなるわねえ。だけど、快適性を求めてつくられたモノが教会ではないから。教会というのは、やっぱり、精神の拠り所としてつくられたものだから、それでいいのではないかと思ってますよね。光はガラスを透して入ってくるよりは、ダイレクトのほうが力強いからね。命があるから。ガラスはないほうがいいと思うけど……。問題は、機能的な面だけですね。これは難しいなあ。

 とはいえ、彼が十字架からガラスをなくすことをあきらめたかというと、そんなことはない。
彼は今でもときどき軽込牧師をつかまえ、ガラスがない場合に天気の悪い日、十字架から雨や雪が降り込んでくるであろう範囲を示し、その部分の床を木でなく石の板に変えれば濡れても大丈夫、と説得しては牧師を困らせている。

 安藤忠雄は決してあきらめない。
 建築はまだ終わっていない。