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 そもそも、言葉は脳の表現形であり、「考えたことや頭に浮かんだことを言葉に出して誰かに伝える」という行為は、それだけでけっこうな脳の刺激になっているもの。この「発語」の機会がガクンと減れば、当然、脳への刺激もガクンと減ってしまうことになります。そして、刺激が減れば、脳が老化したり衰えたりするリスクがぐんと高まってしまうことになるわけです。

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 脳は、便利なネットやITに頼るよりも、手間のかかるアナログな手法をとるほうが多様な刺激を広範囲に受けられるもの。ですから、脳のためを考えるなら、いつもいつも便利な方法に頼ってばかりいるのではなく、たまには「あえて不便で手間のかかる方法をとる」のがおすすめなのです。

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 ナン・スタディーは、1986年にアメリカ・ケンタッキー大学のスノウドン教授によって行なわれた認知機能研究です。この研究は678人の修道女(ナン)を対象に、日常の認知機能や生活状況をくわしく調査し、彼女たちが亡くなった後に脳を解剖して状態を確認するというかたちで行なわれました。

 なかでも注目されたのは、80代半ばで亡くなったシスター・バーナデットという修道女の例。シスター・バーナデットは、亡くなる直前までまったく何の支障もなく修道院の毎日の務めをこなしていました。認知機能検査をしても高得点を取り続け、脳機能にも何の問題もないだろうと思われていました。ところが、彼女の死後、脳を解剖してみると、大量のアミロイドーβが沈着していて、「まるで重度のアルツハイマー型認知症のような脳の状態」だったのです。しかも、修道女の中には、シスター・バーナデットと同様の例が少なからず見られました。

 では、どうして彼女たちは認知症を発症しなかったのでしょう。彼女たちの脳を認知症から守っていた要因はいったい何だったのでしょうか。

 そこでスポットライトが当てられたのが、「修道女たちの日々の暮らしぶり」だったのです。シスター・バーナデットをはじめ、認知症を発症しなかった修道女の多くは、日々多くの人とコミュニケーションをとり、毎日の出来事を日記に記したり多くの書物を読んだりしていました。また、日々自然の恵みに感謝しつつ、土を耕したり作物の世話をしたりすることを日課にしていました。さらに、日々人や社会に役立つための奉仕活動を行ない、ひとりひとりが役割を持って積極的に人や社会につながっていこうとしていました。

 つまり、こういった毎日の暮らしが彼女たちの脳を認知症発症から守っていたのではないかというわけです。

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 ここで少し、私の恩師・長谷川和夫先生の話をさせてください。

 長谷川先生は、日本の認知症研究の第一人者。世界的にも認められている認知症診断基準「長谷川式認知症スケール(HDS−R)」を開発したことでも有名です。先生は大学教授退任後も認知症の医療と介護の啓蒙に精力的な活動を続けてこられ、お弟子さんの医師たちも日本の認知症学会をリードしています。

 そんな長谷川先生が2018年、自ら認知症であることを公表しました。「嗜銀穎粒性認知症」というタイプの認知症で、このタイプではアルツハイマー型に似た症状が現われることが知られています。

 先生ご自身の発言によれば、午前中は調子がいいのですが、午後になって疲れてくると、「今日は何月何日だったかな。今日は何を食べたかな」といったことがあやふやになって、自分の行動や記憶の「確かさ」が薄らいでくるのだそうです。しかし、先生はいたってお元気で前向き、「認知症になったからこそ分かること」「認知症になったからこそ気づいたこと」も多いと話しています。

 たとえば、先生はある雑誌の自筆エッセイにおいて、近所の床屋さんのご主人が昔馴染みだったことが分かって意気投合したという話や、行きつけの喫茶店でコーヒーを楽しむことが増えたという話を紹介しています。そして、そういう何でもない日常の中で身近な人たちと絆を結んでいくことの大切さに改めて気づいたとおっしゃっているのです。

 長谷川先生は自分の身に降りかかった認知症を怖れることもなく、これからの人生を認知症と共に歩んで楽しんでいこうとされているのでしょう。その姿勢には悲愴さは微塵もなく、むしろ、木漏れ日の中にいるようなほっこりとした幸せの気配さえ感じられます。

 きっと、認知症を自分の中で受け入れてしまうと、「なったらなったでしょうがない」という、いい意味で開き直ったような気持ちになり、怖さも不安もどこかへ消え去って、人や自然との小さな出会いを大切にしつつ、日々をいつくしみながら生きていけるようになるのかもしれませんね。