P113
「テレビでしかできない番組」という課題とともに、頭にあったのはテレビに対する反省だった。テレビにリアリティーがないのは、そこにウソが多いからだ。
たとえばワイドショーの司会者が、悲惨なニュースを眉間にしわを寄せながら深刻に伝える。ところが、CMを挟んで次のコーナーでは、ニコニコ笑いながら「今日はにぎやかなお祭がありました」と伝えている。ここには明らかにウソがある。見ず知らずの他人の不幸に寄せる同情には限界がある。人は他人の不幸をどこかで面白がったりする傾向さえあるのだから。
P127
放送はモノを生み出すことはできない。できるのは考え方や感じ方、生き方の小さなヒントを伝えること、そして視聴者に少しでも得をしたと感じてもらうことくらいだ。放送という世界に携わった以上、世の中の役に立つ番組にするという青臭い目標を失ってはいけないと思う。
P128
難しい話ではない。身近な例でいえば、上司に「飲みに行こう」と誘われたとき、「会社以外での付き合いはしません」と自然に断ることができる。周りもそれを普通に受け止める。むしろ「あいつ、変わってるね」という人物評が褒め言葉になる。そこから、僕の目指す「誰もが自由にものを言える社会」が始まる。
P131
やすしさんはどれくらいの人から好かれ、どれくらいの人から嫌われていたのだろう。勘としかいえないが、人気を保つためには、6割の人に嫌われ、4割の人から好感をもたれるのがバランス的にはいちばんだと僕は考えている。
すべての人から好かれたいとは思わない。みんなに好かれていることは、実は誰にも好かれていないということだ。嫌いになる人がいるから、好きになってくれる人がいる。言い換えれば、嫌われる要素がなければ本当には好かれない。
僕がアナウソサー教育に違和感を覚えたのは、いわばそれが誰からも好感をもたれるような人間になるための練習だったからだ。その人が持っていた話し方の欠点を指摘し、正しい標準語を話せるよう矯正する。特徴をなくすことは個性を消すことに等しい。それは自分が自分でなくなることのように思えた。
日本人は周りに嫌われることを極度に恐れる。みんなに好かれるのは不可能なことを理解し、みんなに好かれなければという強迫観念を捨て去ることができれば、日本はもっと生きやすい社会になると思う。
そんなことを考えたのは、自分の番組をすべての人に見てもらうことは不可能だということに気づいたからだ。100人のうち15人が見れば視聴率は15%になる。85人には嫌われてもいい。しかし15人に好きになってもらうには、みんなに好かれようとしてはいけない。
しかし実際は、85人にそっぽを向かれるのは恐ろしい。思わずたじろいでしまう。だからこそ嫌われることに耐える勇気と覚悟が必要だった。
P134
「軽薄」と呼ばれることについて、僕は前向きにとらえていた。なまじ賢そうな顔をしてしゃべるのは社会に実害を及ぼすけれど、軽薄ならば何を話そうが社会への影響力を持たないだろう。
P177
余裕が出てくると、物事を捉える視点が変わる。深刻な目つきで見つめれば真実が見いだせるわけではない、ということがわかってきた。
たとえば、自殺願望のある人が二人いたとする。一人は涙をボロボロ流しながら「死にたい。電車に飛び込み自殺したい」と訴えている。もう一人は「病気が治らないから死んじゃおうと思うんだよ」とカメラのほうを向いてニヤッと笑う。どちらが置かれた状況をよく表しているか。もしかしたら後者かもしれない。そんなふうに、ものの見方を転換する構えが出てきた。
P204
語順は理解しやすい論理の組み立て方に並べ変えた。形容詞は形容する名詞の一番近くに持ってくる。「白い洗い立てのシャツ」ではなく「洗い立ての白いシャツ」。主語はなるべく前のほうに置いたほうがわかりやすい。「九州地方に台風が接近しています」ではなく、「台風が九州地方に接近しています」。主語と動詞の関係をはっきりさせる。「赤い車に乗った年配の男女」ではなく、「年配の男女が赤い車に乗っている」。
「さて」「ところで」「一方で」といった転換の接続詞はなるべく使わない。場面が変われば、あるいは読み手の気持ちが変われば、視聴者にとってはすでに「さて」となっているからだ。
P215
僕がコメントを口にするときに何よりも優先したのは、「まだ誰も言っていないことを言うこと」「誰も考えていない視点を打ち出すこと」だ。失敗に終わってもいい。他人が言いそうなことをすべて排除して、誰も言いそうにない言葉を選ぶことをまず考えた。
P216
オリジナルな意見にこだわったのは、自分のタレント生命をできるだけ延ばしたいという思いもあった。この業界に身を置いた以上、真にクリエイティブな仕事をするためには、自分独自のスタイルを持つことだ。だから人まねは絶対にしたくなかった。
P216
オリジナルな意見にこだわったのは、自分のタレント生命をできるだけ延ばしたいという思いもあった。この業界に身を置いた以上、真にクリエイティブな仕事をするためには、自分独自のスタイルを持つことだ。だから人まねは絶対にしたくなかった。
P223
そして、そのためには異常に細かなことを積み重ねていった。僕のラジオ番組、テレビ番組がある程度成功したのは、誰も気のつかないようなことが気になった、誰も考えないようなことを考えてきた、そうして得た信念を頑固に貫いてきたからだと思う。
その意味では、結局、僕はラジオとテレビのオタクだったということだ。
P235
枠にとらわれないといっても、ニュース番組である限りキャスターのコメントには一つの方向性が必要だ。どこに軸を置くか。ひと言でいえば、それは「反権力」だ。
メディア、特にテレビや新聞報道の便命とは、時の権力を批判すること以外にはないと僕は信じている。マスメディアが体制と同じ位置に立てぱ、その国が亡びの道を歩むことは、第2次世界大戦時の大本営発表を例に出すまでもなく歴史が証明している。現政権がどんな政権であろうが、それにおもねるメディアは消えていくべきだ。
マスメディアは行政・立法・司法機関を監視し批判することが最大の仕事となる。もちろん、マスメディアも「第四の権力」として権力の一翼を担っていると言われれば否定はできない。だから批判は時に自身にも向げられなければならない。
P236
当時の政権は自民党だったため、番組のスタンスは結果的にアソチ自民党になった。なぜ反自民かと問われれば、それは政権の座にあるからであり、それ以外に理由はない。共産党政権ならばアンチ共産党になる。
P237
民主主義を真に理解している政治家ならば、メディアの役割を知っていなければならない。政治家になった以上は、メディアの矢面に立つことは宿命であり、重要な仕事でもある。しかし、僕のひと言コメントやパフォーマンスは自民党の反感、反発を買い、「捨てぜりふ」「悪ふざけ」「ニュースのショーアップ」などと批判された。
P240
消費税導入を進める竹下政権を『ニェースステーション』は一貫して批判した。自民党は僕を「消費税反対派」として目の敵にしたが、僕は消費税について反対したのではなく、自民党の公約違反を批判したのだ。
86年の選挙で中曽根首相は「直間比率の見直しをしなければいけないが、大型間接税は実施しない」と約束して自民党を大勝に導いた。しかし竹下政権になった途端、いきなり大型間接税を導入すると言い出した。
欧米の例を見ても直間比率の見直しは必要であり、撲は消費税導入には反対ではなかった。しかし公約を守るのは政治家の使命であり、国民に嘘をついてはならない。番組では「自民党が間接税を導入したいなら、それを公約にもう「度選挙をすべぎだ」と訴えた。
変化球ではなく、直球で批判したことも少なからずある。
P302
気がつくと、当初のメンバーが姿を消し、自分がいちばんの古株になっていた。しかも、いつの間にか最年長だ。すると番組が10年過ぎたあたりから、僕にシビアな批判や注文をするスタッフがいなくなってきた。遠慮して何も言わないから余計に居心地が悪い。反論の出ない現場に「自分の意見はないのか」と繰り返し発破をかけなけれぽいけなかった。
P304
「元気に仕事を続ける秘訣」を黒柳徹子さんから聞いたことがある。それは「いやな仕事はしない」。したくない仕事をするのは健康に悪い。そもそも視聴者に失礼だ。これは自分なりに肝に銘じていた。
P314
最後に番組に寄せられた数々の批判、抗議についてもひと言言い添えたいと思った。
「想像できないほどの厳しい批判、激しい抗議も受けました。もちろん、こちらに非があるものもたくさんあったのですが、ゆえなき批判としか思えないものもたくさんありました。が、今にして思えば、そういう厳しい批判をしてくださる方が大勢いらっしゃったからこそ、こんなに長くできたことがよくわかります。これは皮肉でも嫌みでもありません。厳しい批判をしてくださった方、本当にありがとうございました」