P56
「あるとき、学食の同じテーブルで同じ格安380円の日替わり定食を食べそいたクラスメートたちと家の話になったんだ。そしたら、A君はNECの役員の息子、B君も帝人の役員の息子、Cさんは国立大学の教授夫婦の娘だということが分かった。うちの両親は中卒だし、おやじはずっとまともに働いてなくて家に貯金なんて1円もないから、がくぜんとしたよ。場違いなところにきてしまった。失敗した。そう痛感したね」
P67
インドにはカースト制度という身分制度があるが、先に挙げたようなことは、いわば学歴におけるカーストである。僕が現役の受験生だったころから大学の偏差値ランキングも多少は変動しているが、いずれにしても、この学歴力ーストを脳に刷り込まれた後、晴れて受験戦争を勝ち抜いた東大生のなかには、「当たり前」以外の大学を見下すものが出てくる。
P71
『30歳までに年収1000万円欲しい』だとか『将来は経営者になりたい』」といった願望だけは強いのですが、それをかなえるためにはどんな仕事に就いて、どういうふうに成功するかという具体的なビジョンがまったくもって貧困なんです。
P75
いつまでたっても「東大卒であること」が自分の最大の功績と見なされるのなら、18歳かそこらのときに倍率3倍程度の東大入試をパスしたその瞬聞が人生のピークで、それ以降に目立った活躍をしていないみたいではないか(実際、そうなのかもしれないけれど)。
いずれもネガティブな感情であり、たかだか出身大学を問われているだけのことなのに返答の際はいつだって緊張してしまう。東大卒の人ならばそのわずらわしさを身をもって知っていることだろう。
P90
法学部の学生できちんと先のことを考えている人は、大学とは別にLEC(LEC東京リーガルマインド)やTAC(TACWセミナー)といった公務員予備校に通って、国家公務員一種試験(現・国家公務員採用総合職試験)や司法試験に向けた勉強をするんだよ」
それらの試験の難易度は、東大入試よりもはるかに高い。人事院の発表によれば、2019年度の国家公務員採用総合職試験の倍率は、大卒程度試験で13.5倍という超難関だ(合格者数のトップは東京大学)。司法試験については言うまでもないだろう。
大学の講義ではその手の試験について一切フォローがされていないので、自分で計画的に受験勉強をしないといけない。そのため、官僚や法律家を目指す学生の多くは、大学とは別に受験対策を専門とする予備校にも積極的に通うのだった。
P93
「他学部のことは寡聞にして知らないけど、俺たちの文化では東大法学部を出ていて民間に行くようなやつは『落ちこぼれ』なのよ。
それで、自分が落ちこぼれる先としてまだ許せる、世間一般に対して体裁がとれる、そういう就職先が銀行なんだよね。
P103
僕たち東大卒は小中高と一人で机に向かっている時間が長かったから、コミュニケーション能力は決して高くはない。どちらかというと、世間の平均よりも貧弱な方だろう。対人ストレス耐性も同様だ。
「リテール営業では、会社の社長や資産家の家を一軒一軒訪問して、保険や投信の購入をお願いするんだけど、これはもう、飛び込みでマンションを売っているのと変わらないよね。無駄足になることが多いハードな仕事だよ」
飛び込み営業は、コマンダーではなくソルジャーの仕事だ。そういう仕事は東大を出ているような人が圧倒的に苦手とするものである。
後日、人材コンサルタントの小林さんに聞いたのだが、実際、その類いの営業職に東大卒は非常に少ない。基本的に生き残れないのだそうだ。
P109
業務で話しかけても一度目は必ず無視される。目が合うたびに舌打ちをされる。うっかり脚をぶつけたという体で机を蹴られる。ほかの同僚たちの前で仕事のミスを何時間も責められる。名前ではなく「東大生」と呼ばれる……一つひとつはささいな嫌がらせでも、コツコツと続けられたことで加瀬くんの心には着実にダメージが蓄積した。
これらの行為は金品の脅し取りや直接的な暴力とはちがって、告発されても「故意ではない」「誤解だ」「彼のためを思って指導していた」などという言い逃れが可能だ。社内のハラスメント相談窓口に通報されても、一度のことなら口頭注意で済んでしまうらしい。つまり、一発で「レッドカード」をもらってしまうようないじめよりも、狡猜でタチが悪い。
加瀬くんは、自分をいじめた2人がともに慶應義塾大学の卒業生だったことを偶然ではなく必然だと考えていた。
「偏見と言われるだろうけど、慶應卒には東大卒を目の敵にしている人が多いように俺は思う。慶應って『私学の雄』とされているけど、東大卒の前ではそのプライドが傷つくのか、彼らからは常に敵意のようなものを感じるんだよね」
P113
加瀬くんは銀行に対して「準役所」という漠然としたイメージを持っていた。東大の学歴をもって銀行に入れば淡々としたデスクワークだけが与えられると思っていた。しかし、そんなことはなかった。
「考えが足りなかったなあ……」
そうしみじみと言って、加瀬くんは大きく息を吐いた。
「銀行への就職を考えている東大生が多いという話だけど、その人たちには、入った後に自分が泥臭い営業をやらされることも想定しておいてほしいね。
東大を出ているような人にとって、その手の仕事はむちゃくちゃキツいはずだよ。下手をすれば俺みたいに病む。
『コミュ障なので営業はやりたくありません』なんて勝手は通らないよ。サラリーマンにとって会社の命令は絶対だから。
そこまで考えて、それでも銀行に入りたいっていうなら好きにすればいいけど、そうでないなら『やめとけ』と言っておきたいね」