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あてもなく迷い込むようにして出版業界に身を置くことになって、早いもので40余年になります。26年を単行本編集者として、17年を経営者として過ごしてきました。
前半の20年は、斜陽産業といわれつつも業界全体の売上は伸びて1996年にピークを打ち、後半の20年余は、一本調子で下り坂となり最盛期より5割近くも売上が落ちる、そんな時代を生きてきました。
ペーペーの編集者として、ひたすら目の前の原稿や著者と格闘した時期。優れた著者との仕事で刺激を受け、「この世学問」の大事さに気づいた時期。そして思いがけず社長となり、社員にとっての「最高の仕事と、いい人生」を考え続けてきた時期。
どの時期にも、「二度とあの瞬間には戻りたくない」と思える、辛く苦しいことは無数にありました。今はもう時効なので正直にいうと、資金繰りに四苦八苦して銀行を駆けずり回っていたこともありました(経営者は血の小便を出して一人前といいますが、残念ながらいまだその境地には至っていません)。
古株の役員たちと、よく話すことがあります。
これまで、いつも売上や資金繰りの問題、会社の抱えている目の前の課題に、一心不乱に対処しながら、けわしい山道を登ってきた。
そして今振り返ってながめてみると、登ってきた道というのが、その両側とも深く切り立った崖の連続で、ほんの少し足を滑らせるだけで奈落の底に真っ逆さま。これまで無事にたどりつけたのは、ほとんど奇跡のようなもの。
あの断崖絶壁の道を、もう一度歩けるかといわれたら、絶対不可能だと答えるしかないよね、ということです。
それくらい、まるで何か見えないものに守られて前に進むことができたという思いです。
これまで本当に幸運に恵まれてきたというのは、それくらいのリアリティを持って感じています。
先ほど挙げたどの時期にも、幸いなことに私自身、多くのヒット作に関わることができました。そして、業界全体がダウントレンドだった直近の25年間に、サンマーク出版は8冊の単行本ミリオンセラーに恵まれてきたのです。
社員が50名に満たない小さな会社が、こうした成果を上げるというのは、世界中の出版界でもあまり例がないようです。しかも、特定のヒットメーカーが次々とヒットを飛ばしたわけではありません。
私は1995年に刊行された『脳内革命」(春山茂雄著)の企画編集を務めました。それが410万部という戦後日本の出版界で2番目(当時)となる大ヒットとなり、続編にあたる『脳内革命A』も134万部のミリオンセラーとなりました。残る6冊のミリオンセラーの担当編集者は5名いて、役員や編集長クラスから入社3年目の女性編集者まで、キャリアもさまざまです。文庫や新書ではなくすべて単行本で、本のジャンルも多岐にわたっています。
幸運なことに、ミリオンセラーだけでなく、数十万部クラスの書籍も次々に出すことができました。現在、編集者は15名いて、在職年数がそれなりに長いおかげもありますが、年次の浅い数名を除けば、全員が20万部以上のベストセラーの経験者です。
また、自社のヒット作の版権を売り、海外でもベストセラーにしていく取り組みにも早くから挑んできました。
実際に、世界の35か国・地域で翻訳出版されて300万部を刊行した『水は答えを知っている』(江本勝著)や、中国で400万部を突破した『生き方』(稲盛和夫著)、さらにはアメリカで400万部を記録し、世界で1200万部に達した大ベストセラー『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵著)など、これまで海外発行総部数は2500万部を超えています。
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そして、こういうヘンタイ編集者と、ヘンタイ著者との組み合わせが、最強のコンテンツを生むのです。比類なきコンテンツを持っている著者も、大変恐縮ながら、やはりヘンタイなのです。どうしてこんなところにこだわるのか、と驚くことのない著者のほうが珍しいほどです。
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ここではその経緯について詳しく書くことは控えますが、久徳先生にはご自身で400字詰にして300枚の原稿を3度、書き直していただきました。なんと合計900枚です。編集者としての私のハンドリングが未熟だったせいもありますが、医師だけに、何度書き直してもらっても、症状の記述がカルテの羅列のようになってしまうのです。
個々の家庭における親子関係や夫婦関係、あるいはきょうだい同士の関係など、状況がストーリーとして浮かび上がってきて、問題点が読者にきちんと伝わらなければならない。そこで、私とライターで名古屋にある先生のクリニックに出向いて取材し、その内容を取り込んで本の原稿を新たに作ったのです。
これで着地できると思ったのですが、今度は先生から猛烈な赤字が入りました。せっかく事例としてまとめたストーリーも、途中で分断されるありさま。さすがに険悪な雰囲気になり、最悪の事態も覚悟したほどです。
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実際、本当に力のある本というのは、小さな広告ひとつでも読者からの反響があります。新聞記事の下に設けられた全5段の広告スペースの中で、幅数センチ程度の極めて小さな広告でも、その本のエネルギーが大きいもの、タイトルがピンとくるものであれば、読者に響きます。
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だからこそ、著者も編集者を選ばないといけないと考えています。よく「医者と弁護士は人を選べ」といわれますが、そこに編集者も加えてほしいと私はいっています。実際、先にも書いたように、100人の編集者がいれば、100通りの本ができるのです。
したがって同じ企画でも、Aという編集者が出したら編集部をあげてOKが出るのに、Bという編集者が出したらOKが出ない、といったことが起こりうるのです。
AにもBにも、それぞれ積み重ねてきた経験や実績があります。そこには「らしさ」が必ずある。実績や強みに裏打ちされた「らしさ」に一致していない企画を出してしまうと、「それは、らしくないな」ということになってしまうのです。
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端的に、本づくりをするときには、ロングセラーを意識する、ということです。ロングセラーが、経営にとっても、極めて大事だからです。長く売れ続けるロングセラーの本が積み重なっていくことで、経営は大いに安定するのです。
実際、社長に就任したときには、ロングセラー書をどれくらい持てるかが、その企業の死命を制する、くらいに考えていました。世間には、われわれがロングセラーを出す出版社だという認識を持ってもらいたかったし、自分たちもそれを大事にしていこうと考えていました。
ベストセラーというと、部数ばかりが注目されがちですが、やはり長く売れないと仕上がり率(刷り部数に対する実売率)がよくない。100万部刷っても、30万部が残ってしまった、などということも起こりえます。