2億8000万円が請求された事例

● 2億8000万円が請求された事例

 Y税理士はX家の税務会計業務を30年近く行ってきた。ここで相続税の申告と物納手続の依頼を受け、遺産分割協議書と相続税の申告書を作成した。X等は、相続税の申告書と共に相続税延納申請書を見せられ際に、物納について質問したところ、『時間がなかったのでとりあえず延納の手続きをとっておきました。物納にしたければ、そのときまた私が手続をとります。1日でも遅れると加算税がかかるからすぐに税務署に提出するように』との説明を受けている。Y税理士は、相続税の申告に先立って、遺産分割協議書を作成した時点で3000万円の報酬を受け取っている。その後、Y税理士から、延納を物納に変更することは不可能なので土地を担保として提供する旨の返答を受けた。そこでXがその趣旨を尋ねたところ、Y税理士は、担保流れによって物納と同じことになると説明した。その後の調査で、土地面積について実際の面積でなく登記簿上の地積を採用していること、貸宅地、貸家建付地の利用区分を8ヵ所も誤り、本来、40億円の相続税を、33億円と過少に申告していたことが明らかになった。相続人はX税理士に対し4億2493万円を任務懈怠の損害賠償金として請求した。

● ミスが発生する瞬間

 弁護士業はミス修復作業の連続である。トラブルになった事案はミスの固まりだし、それを解きほぐす過程もミスとの戦いである。その過程で思うのは、一つのミスで致命的な事態に陥ることは稀だということ。大きな事故は、避けることができた幾つかのミスの積み重ねによって起きている。カナダのジャンボ旅客機が高度41,000フィートで燃料がゼロになったという嘘のような実話があるが、ミスを考えるについて参考になると思うので引用してみる。

 『後からふり返ってみれば、いくつもの「もし」が考えられるだろう。……もしプロセッサーの、あのたった一つの、小さな継ぎ目のハンダ付けさえ完全だったら……もし予備のプロセッサーがあったら……もし前夜エドモントンでメカニックのコンラッド・ヤレンコが飛行日誌にもっとわかりいい文句を書いていたら……もしモントリオールでメカニックのジャン・ケレットがプロセッサーの第二チャンネルの回路遮断器をオンにもどさなかったら……もしパイロットの一人か、メカニックの一人が燃料積載量計算の責任を負い、その訓練を受けていたら……もし給油作業に関係した大勢の人の中で、誰かが自分たちの計算ではリットルをキログラムでなくポンドに換算することになると気づいていたら……もしオタワでメカニックのシンプソンが第二チャンネルの回路遮断器をオフの状態にしておいたら……そうすればアームストロング上空を通過中のピアソンは燃料の数字から違う意味をくみとったことだろう(高度41,000フィート燃料ゼロ ウィリアム・ホッファー マリリン・モナ・ホッファー 1990年 新潮社)』。

 ミスを防ぐノウハウはあるのか。今回の事案はミスを防ぐ知恵を持たなかった税理士の不幸である。

● 判決はこてんぱんに税理士をやっつけたが

 判決は次のように判断して税理士に2億8000万円の損害賠償を命じた。

 『被告本人は、原告らから物納の申請の依頼を受けていなかったため延納の申請手続をした旨供述しているが、一方、延納の申請手続をする際、原告らに対して、延納の方法についてはもとより、延納と物納の違いについて説明をしなかったこと、延納によった場合の納付資金の準備等についても何ら助言しなかったこと等を供述し、また、陳述書において、納税資金については殆ど考慮する余裕がなく、物納・延納の問題は全く検討していなかったと述べるが、それ自体不自然であり、相続税総額10億円以上につき延納に係る各年度ごとに約1億円の分納分を負担することになる原告らが、延納手続がされたことを知りながら、その納税方法、資金の捻出方法等について何ら質問しなかったとは考えがたい。また、被告の主張するとおり、原告らが平成3年9月になって初めて物納に変更するよう要請したとすれば、延納から物納に変更することは法律上不可能である旨説明すれば足りたにもかかわらず、被告は何ら説明せずに放置しているのであり、税理士の顧客に対する対応としては納得しがたい。』

 『原告らと被告との間で締結された本件相続税の申告の手続等の委任契約の趣旨に照らすと、被告は、税務の専門家として、租税に関する法令、通達等に従い、適切に相続税の申告手続をすべき義務を負うことはもちろん、納税義務者たる原告らの信頼にこたえるべく、相続財産について調査を尽くした上、相続財産を適切に各相続人に帰属させる内容の遺産分割案を作成、提示するなどして、原告らにとってできる限り節税となりうるような措置を講ずべき義務をも負うものということができる。しかしながら、被告は、前認定のとおり、相続財産である土地の評価に当たり、財産評価通達に反し、地積を実測した上でこれに路線価を乗じて土地の評価額を算出することを怠ったほか、土地の利用区分、路線価、奥行逓減率、二方路線又は三方路線に面する宅地の影響加算等において過誤を犯し、もって相続財産の評価を誤り、過少に申告したのであるから、このような被告の事務処理は、到底本件相続税の申告手続に係る委任の本旨に則ったものということはできず、債務不履行に該当することは明らかである。』

 『原告らが被告に対して預けた3000万円は、前記のとおり、本件委任契約における事務処理の費用として交付されたものである。委任事務処理の費用は、受任者が委任事務を委任の本旨に従い善良な管理者の注意をもって処理する上において要する限度で取得しうるものというべきであるが、前認定のとおり、受任者である被告は、原告らの依頼の趣旨に反し、その信頼を悉く踏みにじったというべきであって、その不履行の内容、程度に照らせば、委任事務を全く履行していないに等しく、右交付金は、本件委任事務処理の費用として評価するに値せず、したがって、被告は、原告らに対し、未だ返還していない相続税申告費用2198万3150円を返還すべきである。これを報酬として取得しうるとする被告の主張も、右同様の理由により、失当である。』

● 積み重なったミスを数えてみよう

 この事案についても、後知恵で考えれば、いくつもの「もし」が考えられるだろう。

 Y税理士は30年近くX家の税務顧問を行ってきたのだから、X家の収入が年3000万円程度であることを理解していたはずなのに、なぜ、10億円を超える納付税額を申告するについて、納税資金の確保が問題になることに思いが至らなかったのか。

 遺産総額31億円の相続税申告について、友人の税理士に相談し、参考書を調べるような問題点はなかったのだろうか。金額が大きくなれば問題点も多くなり、それに費やす時間も多くなる。何ヶ所かは、友人の税理士に相談し、参考書にあたらなければ不安になる事項があったはずだ。そして、友人の税理士に相談すれば、納付税額の話題から、延納、物納へと話題が広がっていったはずである。

 3000万円もの報酬をもらう処理の重大さに思いが至らなかったのだろうか。弁護士でも、3000万円以上の報酬をもらった経験を持つのは全弁護士の20%を下回るだろう。6ヶ月(平成3年の申告)の手間に対する報酬として3000万円を請求するところに自惚れはなかっただろうか。

 遺産分割協議書を作成する段階で、各人の取得財産と納税方法について考えが及ばなかったのか。納税資金については相続人と協議する気にもならなかったということか。

 年額9000万円の延納額を、どこで準備すると考えたのか。30年来の関与先なのに、今後の資金繰りについて考えが及ばなかったのか。延納税額に対する利子税の重さを考えなかったのか。

 遺産を売却して相続税を納めることを予定していたのなら、相続税額の取得費加算の特例との関係で各人の納税額と取得財産の関係を考えたはずだが、遺産の売却に考えは及ばなかったのか。遺産の売却を考えれば、物納についても考えが及んだはずである。

 物納や延納についての経験がなかったのか。もし、経験がなかったとすれば、友人の税理士に相談し、参考書にあたってみることに思いは至らなかったのか。物納や延納について、それまで、解説書を読んだこともないというのか。

 税理士会支部の集まりなどに参加したことはないのか。参加すれば、雑談の中ででも、物納や延納の話題、あるいは相続税の納税資金の悩みについての話題に加わっていたはずである。

 延納の申請書を入手するについて、物納の申請書を入手してみることに思いは至らなかったのか。物納の申請書を入手すれば物納申請についての大概のことは分かったはずである。

 相続税の申告と同時に延納申請をしているが、物納についても、法定申告期限までに行う必要があると思い至らなかったのか。そのような話題に接したことはないのか。

 この一つでも実行していれば、X税理士も、2億8000万円の損害賠償金を支払うとの立場にはならなかったはずである。


<