限定承認って危険な手続

 

● 不況の時代の相続

 不況の時代では相続が危険な処理になってしまうことがあります。被相続人が思わぬ債務を残していく可能性があるからです。これが銀行借入のように見える債務なら、相続放棄を思い付くかもしれません。でも、社長が死亡した場合の会社の借入金についての保証債務、あるいは友人の借金についての保証債務などについては、相続放棄の手続を思い付かないかもしれません。

 それに、保証債務の場合には、負担が現実化するか否かは相続段階では分かりません。資産を遺し、しかし、その資産価値を超える保証債務も存在するという場合は、相続人は、どのような手続を取れば良いのでしょうか。保証債務でなくても、不確定の債務、たとえば、株主代表訴訟の被告になっているという場合の相続人が取るべき手段はどのようなものでしょうか。

 これを弁護士に相談すれば答は簡単です。限定承認の手続をアドバイスしてくれるはずです。相続を放棄してしまったら、債務を免れることが出来ても、遺産を取得することができなくなってしまう。相続を承認すれば、遺産を取得することは出来ますが、債務も引き継がなければならない。これが限定承認の手続なら、相続によって得た財産の限度においてのみ被相続人の債務を承継すれば良いわけです(民法922条)。

 でも、税法的に考えると、限定承認は最悪の手続です。これを説明する事案がありますので紹介します。

● 事案の概要

 平成7年1月6日に父親が死亡して相続が開始しました。法定相続人は妻と4名の子です。父親は、遺産を遺しましたが、それと同時に借金も残しましたので、相続人は限定承認の手続きをとることにしました。

 家庭裁判所は相続人Dを財産管理人に選任しましたので、Dは、官報に限定承認をした旨の公告をするとともに、宅地と家屋について相続を原因とする所有権移転登記手続を行いました。

 そして、共同相続人の協議により、平成8年2月23日、本件土地と家屋をK株式会社に2億2000万円で譲渡しました。

 Dは、譲渡代金2億2000万円と、保険の解約返戻金2600万円、さらには預金600万円の合計2億5200万円をもって被相続人の債務2億1000万円を弁済しました。そして、残った資金は相続人が配分を受けました。

 ところが、税務署から、限定承認をしたことについて、土地建物についての譲渡所得と無申告加算税を課税するとの通知。「相続人の保護という限定承認の趣旨に立ち返って本件法規定を解釈し、被相続人に係るみなし譲渡所得課税は行われるべきでない」と相続人は主張したのですが。

● 国税不服審判所が示した判断

 平成11年11月26日裁決(裁決事例集第58集97頁)

 ◎ 限定承認の場合に譲渡所得課税を行う趣旨は、値上がり益課税を被相続人段階で行ってしまい、相続人に対する値上がり益課税を行わないとの趣旨にある。

 限定承認に係る相続について、当該相続により譲渡所得の基因となる資産の移転があった場合には、相続開始時点における価額に相当する金額により譲渡があったものとみなして、みなし譲渡所得課税を行うこととしているが、これは、被相続人の所有期間中における資産の値上がり益を被相続人の所得として課税し、これに係る所得税額を債務として清算することにより、限定承認をした相続人が相続財産の限度を超えて負担することのないようにとの趣旨で規定されているものである。

 ◎ 譲渡益課税によって被相続人の債務は増額してしまうが、その増額した債務は限定承認の手続きにより弁済(相続財産額を超える部分は切り捨て)されるのであり、相続人の保護に欠けるところはない。

 請求人らは、本件法規定が適用される結果、適用されない場合よりも納付すべき税額の点で不利益となり、限定承認により保護される相続人の利益が保護されないこととなるとも主張するのであるが、限定承認の制度は、被相続人の債務等の額自体を縮減することによってではなく、相続によって得た財産の限度において当該債務等の弁済の責任を負わせることにより、相続人の保護を図ろうとするものであって、納付すべき税額の多寡は限定承認の機能とは別個のものであるから、やはり請求人らの主張には理由がない。

 ◎ 限定承認の手続に違反があっとしても、限定承認の手続が無効になり、単純承認になるものではない。

 仮に限定承認者が、民法927条に規定する公告及び催告の義務を怠り、あるいは、同法第932条に規定する競売に付さずに任意売却したとしても、これらは単なる手続違反にとどまり、既に行われた限定承認自体の効力には影響を及ぼさないものと解されるのであり、この点に係る請求人らの主張には理由がない。

● 譲渡所得課税の本質

 限定承認をした場合に、なぜ、譲渡所得課税が行われてしまうのか。これを理解するためには、譲渡所得課税の本質と、その課税の歴史を理解しなければ本当のところは分かりません。そこで、まず、どこまで平易に説明できるか自信はないのですが、譲渡所得課税の本質を説明してみます。

 仮に、1000万円で購入した資産が翌年には1100万円に値上がりしている。これは100万円の値上がり益の発生として評価される事実です。しかし、会計上、この値上がり益を収益と認識するようなことは行っていない。なぜなら、発生はしたが、売却されるとの意味では実現していない利益ですし、また、値上がり益100万円を正確に測定することが困難だからです。

 この土地を所有し続けたところ、時価1500万円に値上がりし、これを1500万円で売却することが出来た。この場合は500万円について譲渡所得課税を行います。しかし、この譲渡所得500万円は、1000万円で取得した資産を1500万円で売却できたことにより発生した所得ではありません。1000万円で購入した資産が1500万円に値上がりしたことにより発生した所得です。売却は、発生していた所得を実現し、収益額を測定可能にしたにすぎません。

 では、この資産が売却されず、所有者について相続が発生した場合の課税関係はどのようになるのか。これについては譲渡所得課税の歴史を理解していただく必要があります。シャープ勧告で有名なシャープ税制。あの税制では、相続は資産の譲渡として、譲渡所得課税を行うとの考え方を採用していました。つまり、相続が発生すると、相続人には時価で資産を相続したものとしての相続税課税を行い、被相続人には時価で資産を譲渡したものとみなしての譲渡所得課税を行っていたわけです。

 その理由は、被相続人の下で発生した値上がり益課税を、相続を機会に課税してしまう必要があったからです。仮に、相続の機会に値上がり益課税を行わなければ、被相続人の下で発生した値上がり益について、課税のチャンスを永久に失うことになってしまいます。

 しかし、この税制には批判がありました。一つの相続について、相続税が課税され、譲渡所得課税が行われるのは二重課税ではないかとの批判です。そこで何度かの税法改正の歴史を経て、いまは相続による資産の移転には譲渡所得課税は行わないとの税法が完成しています。

 しかし、これは被相続人の下で発生した値上がり益に対し譲渡所得課税を行うのを断念したとの趣旨ではありません。被相続人に課税していた値上がり益課税を、相続人に対して課税することにした。つまり、前述した1000万円で取得し、1500万円に値上がりしていた土地を相続した場合なら、相続人は1000万円の取得価格を引き継ぐとの理屈が採用されたわけです。


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 1000        1500    1000    1500
  1年目   2年目   x年目  贈与     売却



 したがって、相続人が、相続直後に、この土地を1500万円で売却すれば、500万円に付いての値上がり益課税は相続人に対して行われてしまいます。相続人が所有していた期間は、ほとんどゼロ。つまり、相続人の下で発生した値上がり益課税は存在しないのですが、被相続人の下で発生していた値上がり益を相続人が引き継ぐことにより、その部分についての値上がり益課税が相続人に対して行われてしまうことになるわけです。

● 限定承認の場合の特例

 被相続人が時価1500万円の土地を遺産として遺していった。しかし、1500万円の債務も存在する。このような場合に相続人が相続を単純承認したとします。1500万円の遺産と借金ですから、この土地を売却し、借金を返済すればプラスマイナスゼロ。しかし、実際にはマイナスになります。

 1500万円の土地を売却した段階で、前述した理屈により500万円の譲渡所得が実現します。この税額を100万円とすれば、相続人は、1500万円の譲渡代金で借金を返済した上に100万円の所得税を納めることになってしまう。

 そこで登場するのが限定承認の課税の理屈です。この相続人が限定承認の手続を取っていた。すると、被相続人に譲渡所得課税が行われ、相続債務は税金分も含め1600万円。相続人は、限定承認の後に土地を1500万円で売却し、相続した遺産、つまり、1500万円の範囲で債務を弁済すれば、残債務100万円についての弁済義務を承継する必要はなくなるわけです。

● 限定承認のデメリット

 民法上は非常に便利な制度であり、また、税法上の対策もとられた限定承認の手続きですが、事案によっては、これが裏目に出てしまう可能性があります。次のようなマイナス面です。

 1)相続債務が遺産の額を下回る場合です。相続を単純承認すれば、債務弁済に必要な限度での資産の売却と、それについての譲渡所得課税で済ませることが出来るのですが、限定承認をした場合は、遺産の全てを売却したものとみなしての譲渡所得課税が行われてしまいます。

 2)居住用資産の売却などの特例との関係。相続を単純承認し、これを第三者に売却した場合なら、居住用資産を譲渡した場合の特別控除などの特例が受けられることになります。したがって、譲渡所得についての税額はゼロかもしれません。しかし、限定承認の場合は、居住用資産を譲渡した場合の特別控除は受けられそうもありません。何しろ、売却したのは被相続人であり、買い受けたのは特別関係者である相続人との理屈になってしまいますから。

● 限定承認に代わる対策は

 不況の時代ですから借金の相続は避けられません。債務超過が明らかな事例なら相続を放棄してしまえば良いわけです。しかし、未だ実現していない保証債務を承継する場合、あるいは株主代表訴訟の被告になっているが、訴訟は継続し、判決期日は数年後になる予定。そのような場合は相続を単純承認してしまうことも、相続を放棄してしまうことも出来ません。限定承認をすることも前述した理由により危険です。

 では、どのような対策があるのか。もし、相続が発生する前の事前の準備なら、死因贈与契約、あるいは遺贈の趣旨の遺言書の作成が効果的かもしれません。死因贈与契約を締結し、特定の遺産を孫などに贈与してしまう。この場合なら、死因贈与を受けた財産について相続税が課税されますが、譲渡所得課税は行われません。

 では、相続後の事案だったら。この場合は、収入のある者は相続を放棄し、無資産、無資力の者が相続を単純承認して、債務を承継するのが良いかもしれません。仮に、債務が実現したときには破産宣告をしてしまえば済む話しです。

 ただし、「不動産の死因贈与の受贈者が贈与者の相続人である場合において、限定承認がされたときは、死因贈与に基づく限定承認者への所有権移転登記が相続債権者による差押登記よりも先にされたとしても、信義則に照らし、限定承認者は相続債権者に対して不動産の所有権取得を対抗することができないというべきである」との最高裁判決(最高裁第二小法廷平成10年2月13日判決)もありますので、債権者との関係では、さらに検討の必要があるのが債務の相続です。


★ 補足 …… 相続の放棄承認期間の延長と準確定申告等

 相続の放棄、あるいは限定承認は、相続の開始があったことを知ってから3ヶ月以内に行う必要があります。ただし、家庭裁判所への申請により、この期間を延長することができます。

 延長は3ヶ月に限られるのが原則ですが、再度の延長申請も可能ですので、相続財産の調査などの必要があれば、延長申請を繰り返すことにより、6ヶ月、あるいは9ヶ月と、熟慮期間を延長することもできます。

 この場合の準確定申告(相続後4ヶ月以内)と相続税の申告期限の関係ですが、放棄申述期限の延長は、準確定申告についても、相続税についても、申告期限には影響を与えないと考えるべきと思います。

 もし、放棄申述期限の延長が、これら申告期限を延長する効果があるとすれば、相続人は申述期限を延長することにより、納税時期を後ろに遅らせることができてしまいます。

 では、放棄申述期限を延長し、相続の承認、あるいは放棄についての判断を留保中の者はどうすれば良いのでしょうか。これは無申告のまま放置です。

 仮に、被相続人の租税債務について準確定申告をした場合は、それが財産の処分として、相続を単純承認したとみなされてしまう可能性があります。何しろ、国との関係で債権債務の確定行為を行うわけですから。

 では、無申告の者が、その後、相続を放棄したらどうなるか。これは、そのままでokですね。相続人ではないので、準確定申告の義務も、相続税の申告義務も負いません。

 では、無申告の者が、その後、相続を単純承認したらどうなるか。これは期限後申告とになってしまいます。では、その場合の無申告加算税と延滞税はどうなるでしょうか。

 無申告加算税については、正当理由があるものとして加算税を課税しない場合に該当するのだと思います。ただ、正当理由を原則として認めない現状の課税実務において、この場合に正当理由を認めるか否かについては、残念ながら疑問が残ります。

 延滞税は課税されます。被相続人がカネ貸しからカネを借りている場合には、申述期限を延長しても、延滞利息が請求されるのですから、所得税や、相続税の場合も同じ理屈になるはずです。もし、延滞税が請求されないとすれば、相続人は、利息相当の不当利得をしてしまうことになります。

 上記と同様の理屈の判例として東京高裁平成15年3月10日判決 判例時報1861号

★ 補足 …… 限定承認と保証債務の履行のための資産の譲渡の特例(所得税法64条2項)

 父親の債務について息子が保証人になっていたような場合ですが、息子が単純承認して、父親の債務を承継してしまえば所得税法64条2項の適用がないことは判例で確定していますし、相続を放棄してしまえば所得税法64条2項の適用があることは当然。

 では、息子が限定承認をしたらどうか。この場合は、息子の父親に対する求償権は消滅しないので、所得税法64条2項の適用があるとの理屈が成立するように思います。しかし、経験も、解説もなく、確信は持てません。

  民法925条(相続人、被相続人間の権利義務の不消滅)

 相続人が限定承認をしたときは、その被相続人に対して有した権利義務は、消滅しなかつたものとみなす。

★ 補足 …… 相続後に収受する果実の帰属と、果実についての課税関係

 相続開始後に相続財産から生じる果実も相続財産に含まれるとの解説があります(注釈民法27巻503頁)。それに次のような判決もあります。

 限定承認の場合において相続財産たる土地についての不法占拠による損害賠償請求権は、相続開始の前後を問わず相続財産に含まれる(東京地裁昭和47年7月22日判決)。

 しかし、税務の取り扱いでは、相続人に申告義務と納税義務を課しています。次のような質疑応答です(所得税質疑応答集279項目)。

 21 1400 限定承認をした相続財産から生じる家賃

〔照会要旨〕 相続人であるA及びBは、民法第922条《限定承認の効果》に規定する限定承認をすることとした。ところで、相続財産の中には貸家が含まれており、毎月家賃収入が生じているが、この収入は相続人であるA及びBに対する所得として課税されるか。

〔回答要旨〕 相続人であるA及びBに対する所得として課税される。

 限定承認とは、被相続人の残した債務等を相続財産の限度で支払うことを条件として相続を承認する相続人の意思表示による相続形態をいい、いわば条件付の相続にすぎず、その相続財産から生じる果実に対する課税関係については、単純承認の場合と特に異なる取扱いをする必要はない。

 なお、相続財産から生じる所得は、それぞれの相続人の相続持分に応じて課税することとなる。

【関係法令通達】 所法26、民法922

 結果として、果実に対する所得税は相続人が負担するが、しかし、果実は相続財産として債権者に対する配分に充てる必要があるとの理屈になりそうです。これは矛盾します。この理由は、所得税法59条のような特別な規定が存在しないためだと理解されます。

 所得税法59条は、被相続人のもとで生じた値上がり益は精算し、納付すべき所得税を相続財務とする方法で処理しています。しかし、相続後に生じた果実について、そのような特別の定めは存在しません。

★ 補足 …… 限定承認者が生命保険金又は退職金を受け取った場合

37 限定承認をした後に退職手当金が支給された場合の債務控除

 【照会要旨】
 被相続人の消極財産(債務)の価額が積極財産の価額を上回るため、相続人は限定承認を行ったが、その後被相続人の関係会社から退職手当金が支給された。この場合、相続税の課税価格の計算上退職手当金の額から債務を控除することができるか。

 【回答要旨】
 限定承認を行った場合には、積極財産の価額を超えて債務を弁済する義務を負わないのであるから、本来の相続財産の価額を超える部分の金額については、債務控除をすることはできない。

 【関係法令通達】
 相法1
 民法922

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