税法実務における通達の位置


 通達は、単なる上級庁の下級庁に対する指揮命令であり、国民に対する拘束力はない。憲法で定めるのは租税法律主義であり、課税権の行使について、国民は、法律のみに拘束される。税理士は、通達ではなく、法律の解釈をもって課税庁に対峙する法律家であるべきだ。このように主張する人達が税法の分野には数多く存在します。


 今回は、これが誤った主張であることを実務家の視点で検証してみようと思います。

 まず、仮に、法律家である弁護士であっても、判断の基準とするのは法律だけではありません。判例や学説は尊重しますし、判例は法律ではないのだから無視しろと主張する弁護士はいません。

 しかし、課税庁側が勝手に制定した通達を、判例、あるいは学説と比較するのは乱暴な議論かもしれません。では、通達を無視した申告を行った場合に、それが認められる可能性があるのでしょうか。

 まず、課税処分の段階ですが、ここで通達に反する申告が是認されるとは思えません。なぜなら、課税庁の職員には通達に従って課税処分を行う職務上の義務があるからです。

 では、異議申立、あるいは審査請求に移行した場合はどうでしょうか。このことについて国税通則法は次のように定めています。つまり、通達に反する判断は、国税庁長官に申し出なければ行えないほど重大(つまり、稀)なことであるわけです。

 国税通則法99条(国税庁長官の指示等)

 国税不服審判所長は、国税庁長官が発した通達に示されている法令の解釈と異なる解釈により裁決をするとき、又は他の国税に係る処分を行なう際における法令の解釈の重要な先例となると認められる裁決をするときは、あらかじめその意見を国税庁長官に申し出なければならない。 

2 国税庁長官は、前項の申出があつた場合において、国税不服審判所長に対し指示をするときは、国税不服審判所長の意見が審査請求人の主張を認容するものであり、かつ、国税庁長官が当該意見を相当と認める場合を除き、国税審議会の議決に基づいてこれをしなければならない。

 では、訴訟になった場合なら、法に基づく判断が期待できるのかというと、これも期待できそうもありません。日本興行銀行が行った解除条件付債権放棄の可否が問われた訴訟の控訴審判決(東京高裁平成14年3月14日判決)は、「通達も法律だ」と次のように判断しています。

 国税庁は、適正な企業会計慣行を尊重しつつ個別的事情に即した弾力的な課税処分を行うための基準として、基本通達(昭和44年5月1日直審(法)25(例規))を定めており、企業会計上も同通達の内容を念頭に置きつつ会計処理がされていることも否定できないところであるから、同通達の内容も、その意味で法人税法22条4項にいう会計処理の基準を補完し、その内容の一部を構成するものと解することができる。

 それに、多数の税務判例を検討しても、1)通達を否定し、課税庁の主張を認めた判決を探し出すのは簡単ですが、逆に、2)通達を否定し、納税者の主張を認めた判決を探し出すのは至難の業です。その理由は次のようなところにあると思われます。

 1) 通達に従った課税処分が行われ、課税庁は通達通りの主張をしている。これに対し納税者は通達の適用(たとえば、借地権割合による借地権価額の評価)は間違いだと主張している。このような事件について、裁判所が納税者の主張を認めることは、日本中で行われている課税処分(その通達に従った)が間違っていると判断することになってしまう。これは裁判官1人(実際には3名ですが)では不可能な判断。

 2) 通達に反した課税処分が行われ、課税庁は本件について通達を適用するのは間違いだと主張している。これに対し納税者は通達の適用(たとえば、純資産方式による相続税額相当の控除)を主張している。この場合に通達を適用することは、通達を課税の根拠として法律並みに認めることになる。これは法律家(裁判官)としては不可能な判断。


 通達を無視し、法律にのみ従った申告を行うべきとの主張が、現実を無視した空虚な議論であることがお分かり頂けたでしょうか。通達を無視することではなく、法の解釈について予見可能性を与える通達を有効に活用し、さらには、通達の論理をもって通達を否定するところまで研鑽する。

 学者の空論(失礼)に惑わされることなく、通達(さらには国税庁の職員が著した質疑応答集までもが)一つの法解釈だと素直に認めるのが、実務家としての知恵なのではないでしょうか。