中堅企業を経営するx氏は、退職社員から自社の株式を1株500円で買い取った。退職社員が持っていた株式は、社員持株会を作るためにx氏が1株500円で放出していた株式なので、今回の買い戻しについては、退職社員も、もちろん、x氏にも不満はない。さて、この取り引きは税務上も是認されるだろうか。
これが土地の売買であれば、当事者が合意した価額は、それが客観的な時価と異なる場合であっても、課税庁から苦情を受けることはありません。たとえば、土地の交換については次のように取り扱われています。
この通達については、課税庁の職員が編集した次のような質疑応答も公表されています(回答事例による資産税質疑応答集 平成13年版165頁)。
では、取引相場のない株式の場合はどうでしょうか。x氏と退職社員との間には親族関係などの特別な関係はありませんし、また、当事者間で合意された取引価額は合理的な経済行為として決定された価額です。
土地について示された税務理論に従えば、x氏による取引相場のない株式の買取りは、税務上も、適正なものとして是認されそうです。しかし、実務は、このようなx氏の取り引きを否認します(仙台地裁平成3年11月12日判決 判例時報1443号46頁 同種の事案として最高裁第一小法廷昭和63年7月7日判決)。
裁判所は、「相続税法7条にいう時価とは、当該財産が不特定多数人間で自由な取引がなされた場合に通常成立すると認められる価額、すなわち当該財産の客観的な交換価値を示す価額をいうと解される」と述べた上で、いかにしてその客観的交換価値を適正に認識すべきかと論を進め、「類似業種比準方式、純資産価額方式ともに合理的な評価方法ということができ、これに基づいて被告(課税庁)がした本件課税処分の評価も合理性がある」と判断しています。
《1》特殊な関係のない当事者間において、《2》合理的に算定された価額で行われた土地の交換は等価により行われた交換とみなすとの前述した実務の取り扱いと、社員株主から株式を買い取った場合の時価の算定についての仙台地裁の判例は、やや、議論の争点がすれ違っているようにも思えます。
仙台地裁の事案は《1》と《2》の要件は満たしています。しかし、裁判所は、この2つの要件を満たすことで良しとはせず、さらに、適正な時価を追究しています。それが実務の取り扱いでもあります。
なぜ、土地について成立した理屈が、取引相場のない株式については成立しないのでしょうか。その理由は、取引相場のない株式については一物二価が成立するところにあります。
土地の取引の場合も、当事者の駆け引きなどによって幾つかの価額が成立しますが、理論的には、土地には客観的な唯一の価額が存在するとの前提があります。
しかし、取引相場のない株式については、当初から2つの価額が存在します。つまり、少数株主にとっての価額と、支配株主にとっての価額です。少数株主の株価は配当期待権から計算され、支配株主にとっての株価は純資産と企業の収益性から計算されるとの理屈です。
このように、そもそも2つの価額が存在する商品については、それが一方の株主にとっては適正価額だったとしても、他方の株主にとっては時価を著しく下回った価額ということになってしまいます。つまり、適正な価額で購入しても利益を得る買主の存在です。それがx氏なのです。
単純に説明すれば次の通りです。x氏が、配当還元価額の1株50円で社員に対して株式を売却し、退職社員は、同額でx氏の息子に対して株式を売却する。このような方法を採れば、x氏と息子にとっては1株300円の価値がある株式が、1株50円の配当還元価額をもってx氏から息子に譲渡されてしまう。このような不合理を防ぐのが、上記の取引相場のない株式についての課税の実務なのです。
では、取引相場のない株式の価額が裁判所によって決定された場合まで、税務は、それが適正な株価ではないと認定するのでしょうか。たとえば、譲渡制限のある株式について、商法204条の4(裁判所による売買価額の決定)によって株価が決定された場合です。
さらに、会社自身が金庫株として社員から自己株式を買い受ける場合の適正な株価は、社員にとっての適正な株価である配当還元価額なのか、支配株主にとって適正な株価である類似業種比準価額と純資産価額を折衷した価額なのか、さらには純資産価額なのか、という新しい問題点が生じてきます。
1つの商品に2つの価額を認める時価理論を採用し、独自の道を歩いてきたのが税法なのですが、商法が金庫株の取得を認めたことで、取引相場のない株式の評価は、さらに混迷を極めてしまったということが出来ます。