消費税の届出関係のミス

 消費税法は複雑で、届出関係のミスが発生しやすい税法です。今回は消費税法のミスを理由にして税理士が訴えられた事例を紹介します。まず、前提事実は次の通りです。

 有限会社である納税者(原告)は2億円を超える建築費をもって賃貸ビルを建築した。しかし、原告は課税売上が3000万円以下の免税業者だったため、建築費に課税された消費税について、仕入税額の還付を受けるためには、事業年度の開始に先立って課税事業者選択届の提出が必要だった。

 しかるに、納税申告を依頼していた税理士から、課税事業者選択届の提出についてアドバイスがなかったため、課税事業者であれば受けられるべき419万円について還付が受けられなかった。これは税理士の任務懈怠による損失であり、損害賠償を求める。

 このような訴訟ですが、東京地裁民事44部(平成15年5月21日判決 判例タイムズ1156号162頁)は、原告の請求を棄却し、税理士には、そのようなアドバイスをする義務はないと判断しました。

 税理士の関与先、特に、それが賃貸ビルを経営する会社である場合は、新規のビル投資については注意し、課税事業者選択届の提出をアドバイスすべきは当然の税理士の義務と思っていたのですが、判決は、税理士にはそのような義務はないと判断してくれました。

 実務家にとっては嬉しい判決なのですが、その判断過程には論理の矛盾があるように思えます。そこで、この判例が、今後の実務において利用可能な判決なのか否か、その射程距離などを検討してみようと思います。

 判決の判断1 = 小規模事業者に該当する原告が、消費税の課税を免れる免税事業者のままでいるか、課税事業者となるかの選択は …… 当該事業者である原告自身の判断に委ねられているところであって、被告(税理士)が決定し得るところではない。

 判決の判断2 = 原告から関係する資料の提供を受けてその選択の適否についてまで相談を受けたという場合であれば格別、各事業年度の決算処理及び確定申告に係る事務処理をもっぱら目的とした本件顧問契約が締結されていたにとどまる本件事案においては、被告が、原告に対し、進んで課税事業者となるよう指示し、必要な資料の提供を求め、選択届出書を原告を代理して自ら提出し、あるいは、原告にその提出を促すまでの義務があったということはできない。

 判決の判断1の部分は、まさに、常識的な判断です。消費税について課税事業者選択届を提出するか否かは納税者が自由に決定することであって、税理士が勝手に決められることではありません。ただ、判決の判断2の部分は、やや強引な論理の運びのように思えます。

 原告は、消費税の課税関係についてアドバイスがなかったとの事実を論じているだけなのですが、判決は、課税事業者選択届の提出を決定するのは納税者なので、税理士には「指示し」「促す」までの義務がないと、論理を入れ換えてしまっているように思えます。

 判決の判断3 = 本件で問題となっている消費税の取扱いは …… その程度の税務知識であれば、自らが免税事業者であることの認識があれば、専門家の指導・助言を求めるまでもなく、これを持ち合わせているのが一般的であって、被告から敢えて指導・助言を求めなければ分からないというような次元の問題ではなく、…… 医師を本業としている会社代表者であっても …… この点に違いはない。

 まさに、税理士が期待したい納税者の姿です。しかし、新たにビルを建築する場合に、消費税について課税事業者選択届の提出が可能だと理解している事業者が、どの程度、存在するでしょうか。大概の事業者は「課税事業者選択届出書」という書類の存在自体を知らないはずです。

 判決の判断4 = 原告が選択届出書を提出しなかったのは、新ビルを建築するに際して、事業者であれば、当然に考慮に入れていたはずである税金対策に関する自らの判断を誤ったというにとどまり、この点に関する知識は、前説示したとおり、敢えて専門家の指示・助言がなければ持ち合わせることができないというものではなく、事業者であれば知っていて当然の知識にすぎない。被告が新ビルの建築に伴う消費税に係る取扱いを進んで説明をしなかったとして、被告の債務不履行をいうのは、当時、専門家である被告との間に本件顧問契約が締結されていたことを奇貨として、事業者として当然の検討を自ら怠った結果を被告に転嫁しようとするものというほかなく、本件事案においては、原告の主張を採用する余地はない。

 このように判断し、判決は、税理士には責任がないと結論づけました。消費税については、課税事業者選択届の提出の失念を理由として税理士を訴える事例が多く、その請求を棄却した本件判決は、まさに、実務家としては喝采を送りたい判決です。しかし、その論理には強引さと矛盾点が目立ち、前例とすることには躊躇するところがあります。

 判例が示した論理は、要するに、「法律に書かれていることは一般人は承知しているはずであり、税理士は、依頼者から特定明示して質問された事柄以外についてはアドバイスする義務はない」と断言していると思えるからです。

 しかし、消費税の各種の届出について、アドバイスがなかったとの苦情を受けた際には、本件判決を利用することができそうです。内容に疑問のある判決であっても、相手の出鼻をくじくには充分な御利益があるからです。


 消費税法が改正され、簡易課税が選択できる事業者の課税売上が2億円から5000万円に引き下げられ、消費税の納税義務が免除される事業者の課税売上が3000万円から1000万円に引き下げになりました。

 この改正によって、課税売上3000万円超の事業者は裁量の余地なく実額課税が強制されることになったとの意味では、課税事業者選択届の提出の失念を理由とする税理士過誤事件は減少するかもしれません。

 しかし、課税売上5000万円を超える事業者に義務付けられる「帳簿及び請求書等の保存」や、課税売上1000万円を超える事業者について新たに納税義務を課した消費税法の改正は、さらに新たなトラブルのタネをまき散らすことになったと考えて間違いはなさそうです。