池谷裕二、中村うさぎ 新潮社 2012/12/25 1つの気付きでブログが書ける。 2つの気付きで理屈が言える。 3つの気付きでコラムが書ける。 さて、幾つかのコラムを書く必要があり、朝の犬の散歩は欠かせなかった。 散歩の途中に3つの気付きが重なり合い、コラムのストーリーが作り出せる。 しかし、コラムを書くノルマを達成した後は、 犬の散歩をしても、気付きは1つも湧いてこない。 犬の散歩は、ただ、犬の散歩でしかない。 気付きには、脳へのノルマが必要なのだ。 そのように思っていたら、池谷教授の著作に、ちょうど、そのような理解が紹介されていた(P40)。 だから、池谷教授の新作が待ち遠しい。 P40 池谷 それは、すごいですね。そういえば、ある心理学者が、ひらめきを得るために必要なステップを分析し、四段階に分類しています。 (1)まずは、問題意識を持つこと (2)次に、その問題について考えるのをやめようと意図すること (3)三つ目に、実際に考えるのをやめること 中村 やめちゃうんだ(笑) 池谷 はい。 (4)すると、そのうち思いつく(笑) この中で(2)のステップ、やめようと思い切るのはとても勇気がいりますよね。でもすごく大切なんです。「怠惰思考」というプロセスです。うさぎさんの場合も、考えなきゃと言いつつも、実際は考えるのをやめていますよ。 P58 池谷 直感に導かれて、「心地いい」と感じる方向で作っていくと、自ずと「べき分布」に従ってしまう。ちょうど龍安寺の庭師のようにね。当の芸術家本人は、自分の「感性」に基いて作品を生み出していると信じているかもしれませんが、なにせ、その脳自体が自然の一部ですからね。脳の産物である芸術作品が自然のルールに従うのは当然といえば当然なのかも。 池谷 犬のマーキングも「べき則」に従っていたりして(笑)。ヒトの行動だって、たとえば、電子メールを送る間隔などは「べき則」なんですよ。 中村 ええっ、どういうことですか? 池谷 一つメールを送ってから、次にメールを送るまでの時間です。次から次へと集中して一気に送信するときもあるし、出張や旅行で留守にして、何日も送らないときもありますよね。そんな間隔をすべてまとめて分布を取ると、なんと「べき則」。地震や樹枝の分布と同じ(笑) P117 池谷 遺伝子レベルでも似たことがわかっています。ある特定の遺伝子群に着目すると、ヒトはチンパンジーに比べて500個以上もの遺伝子を失っています。ついでにいえば、ヒトはチンパンジーよりも運動能力や記憶力が劣っています。特に記憶力の損失は重要かと。ヒトは記憶力を下げることで、逆に創造性を高めているように見えます。失うことの欠点を利点に変換する器用さを、ヒトは持ちあわせていたようです。 P123 中村 「天才」と呼ばれる人って、子どものときにものすごいデクノボーだったりするじゃない。一人だけ周囲から浮きまくっている変人だったり。逆に小さいときに「神童」と称えられていた子どもが、大人になってから意外にたいしたことがなくて、平凡に終わってたりして。 池谷 脳構造学的な観点からおもしろいデータがあるんですよ(123頁)。まず申し上げるべきは、IQと大脳皮質の厚さは比例するという事実。厚ければ厚いほど、IQも高い。そこで、IQが高い人と普通の人が、成長過程でどういう経緯をたどってきたかが調べられました。IQが120を超えるような人は、驚いたことに、幼い頃は、平均よりも大脳皮質が薄かったのです。10歳あたりを境に一気に逆転してゆく。逆に幼いうちに厚かった人は、成長後のIQが低い。 中村 「20歳過ぎればただの人」だ(笑) |
上田二郎(元税務職員) ダイヤモンド社 2012/12/20 特別調査部門に勤めた税務職員が、 幾つかの摘発事例を臨床感をもって語ります。 不様な脱税弁護士が登場します。 調査妨害や言い逃れは、まさに弁護士の対応です。 経験が深いOBは、 在野では気がつかない現場の実感を語ります。 P71 4月21日のT弁護士の対応は、概ね想定どおりだった。T弁護士と話ができたのは30分程度だった。T弁護士の主張は電話と同様、「仕事が忙しくて時間がとれない。平日は夜9時以降、もしくは、土曜日か日曜日なら時間がとれる。しかし、5月末までは重要案件を抱えて多忙でまったく時間がとれないため、調査は6月以降にしてほしい。確定申告額のもとになった帳簿類の借用はさせない。帳簿のコピーも許可しない」だった。 この時点ではT弁護士の帳簿の存在は確認できていないが、T弁護士事務所はパートナー弁護士を5人も抱えており、事務員も多数いるため経理関係の帳簿が存在しないはずはないと思われた。結局、T弁護士との初対面は終始、先方のペースで終了し、次回調査の約束すらできていなかった。 T弁護士の対応は、計算され尽くした事実上の調査拒否だった。税務署の対応として、T弁護士の主張に沿った夜9時以降の調査も可能で、実際、税務署内部で夜9時以降の調査について検討もおこなったが、T弁護士事務所を張り込んだ結果、T弁護士の帰宅が先方の主張ほどに遅くはない事実をつかんでいた。 しかし、この事実を突きつけても「帰宅後も自宅で仕事をしている」と主張してくる可能性が否定できず、来るべきとき(税務署の独自調査に対する反論が出てきた場合)に備えて、T弁護士の帰宅時間の記録を残した。T弁護士は、ほぼ毎日夕方6時には帰宅していた。この後、T弁護士の調査は7月の人事異動時期まで膠着状態が続いた。 4月21日以降、T弁護士は事務所に電話をしても、出張や来客中を理由に電話に出なくなった。そして、こちらからのアクションに対しては、その都度、文書を返してきた。文書の内容を要約すると「忙しい」のひと言が書いてあるだけのものだった。文書での回答も調査拒否にならないための計算し尽くされた対応だった。 この状態が人事異動直前の6月30日まで続いた。この間、T弁護士に何度も調査の協力要請をおこなったが、その都度「忙しい」旨の回答が文書で返ってきただけだった。このままT弁護士の思いどおりに、調査を先延ばしされることを防ぐため、6月30日を期限として「この日までに調査に協力しない場合に、クライアントに対する反面調査を開始する」旨の最後通牒を送った。 T弁護士は6月30日に回答書を送付してきた。調査に対する協力についてはまったく触れず、反面調査に強く抗議をする内容だけが書かれていた。しかし、この回答が税務署の反転攻勢の号砲となった。 P109 しかし、T弁護士側は上田の経歴を確認してマルサの影に勝手に怯えている様子だった。上田の背後に映った、「張子の虎のマルサのにおい」に敏感に反応していたようだ。背水の陣で臨場している上田の顔に、鬼気迫るものがあったのかもしれない。 再び、沈黙の時間がしばらく続いた。 N税理士「T先生、13~16年分の元帳を提示してよろしいでしょうか」 T弁護士「もともと隠すつもりはないのですから提示してください。私はどうしても、税務署の調査の進め方が気に入らなかっただけですから」 突然、N税理士から13~16年分の総勘定元帳の提示があった。総勘定元帳には想定していたとおり、7年間で2億円を超える申告漏れが記載されていた。帳簿の借用も許可された。すべてを観念したらしい。 |
天野隆(税理士) ソフトバンク新書 2012/12/20 2700件の相続税の申告を行い、 専門家147名を擁する税理士法人の代表者の著書です。 相続は、 どのような相続でも、一つ一つがドラマです。 そして、アドバイザーの人生観とのハーモニーを必要とするのが相続事案。 さて、そのような経験と人生観を語ってくれるのだろうか。 P34 「相」という字には、「すがた」という意味があります。単に見た目ということだけではなく、考え方や生き様といった内面をも含めた人の「すがた」が、「相」の字には込められているのです。相続というと目に見える財産のことばかり考えてしまいがちですが、目には見えない遺志を含めた親(被相続人)の「すがた」を家族(相続人)が引き継ぐことこそ、本来の相続という行為なのです。 |
藤本篤志 新潮新書 2012/12/17 「個性を大切にしろ」 「自分らしく生きろ」 「自分で考えろ」 「会社の歯車になるな」 新入社員に期待されるこれらの個性が、全て、間違いだと論じます。 この4つの言葉は、サラリーマンの「4大タブー」だと指摘します。 優秀なサラリーマンになる為には模倣から始める。 能楽の世阿弥が残した「守破離」の教えに学ぶ必要がある。 実務から学んだ人達の書籍には収穫が多い。 サラリーマンの新人生活の必読の一冊です。 まずは、会社と社会の部品として、 基本ができて、 ミスを出さないサラリーマンになろう。 壊れた部品は、 仕事をする上では無限大のリスクです。 P59 大昔にも、こうした「服従の誇り」に通じる教えを説いた人がいました。能楽の大成者といわれる世阿弥です。世阿弥は「守破離」という教えを残したといわれています(実は他の人の教えという説もありますが、それはここではあまり関係ないので、とりあえず世阿弥ということで話を進めさせてください)。 「守破離」とは、人が成長していくプロセスの重要性を説いたものです。 「守」の段階では、師に決められた通りの動き、形を忠実に守る。「破」の段階では、「守」で身につけた基本に自分なりの応用を加える。そして「離」の段階では、これまでの形に囚われず、自由な境地に至る。簡単にいえばこのようなプロセスです。「守」が入社から若手時代、「破」が中間管理職、「離」が経営側もしくは独立、というのがアバウトなイメージだとお考えください。 P60 ちなみに、私が営業部のマネジャーだった時、この段階の部下にはよく「新聞社説の書き写し」と「落語のマスター」を命じました。前者は単に写すのではなく、一文ごとに音読して覚えてから書き写すという作業を繰り返し、全文を書き取るというものです。これは「相手の言うことを正確に聴き取る能力」を身につけるためのものです。 一見簡単そうですが、少し長い文章になると一度音読しただけでは覚えきれず、当然書き間違えます。この作業の目的は、相手が話したことをきちんと聴き取り、記憶して、さらに記録する能力を身につけることです。これができるようになると、営業先の相手が何を話したかメモをもとに会社で正確に再現できるようになりますから、次の手も正確に打てるようになります。単純な作業に思えるでしょうが、実はこれができるとできないとでは結果が大きく異なります。 |
辨野義己(腸内環境学) 幻冬舎新書 2012/12/13 大便を語ります。 大便は、 食べ物のカスではなく、 命の循環です。 私は果物と乳製品は好きで、 野菜も食べますが、本書を読んで、 知識としても、それが必要な食べ物だと理解できました。 ただ、漫然と、習慣で食するのと、 知識で食するのとでは、充実度が異なります。 P16 さて、固形成分の3分の1は食べカス、3分の1は腸粘膜だとすると、残る3分の1は何でしょうか。実はこれが、私の研究対象にほかなりません。 それは、腸内細菌です。 P28 また、小腸の役割は消化と吸収だけではありません。外部から侵入した異物に真っ先に反応するため、免疫を活性化させる臓器としても機能しています。そのため小腸の働きが弱まると、風邪をひきやすくなったり、疲労が溜まりやすくなったりする。どんな動物も、小腸に病気を抱えると長生きできません。 P30 というのも、大腸を通る内容物には、「発酵」か「腐敗」のどちらかが起きます。どちらも微生物による分解作用ですが、味噌やチーズや納豆などの発酵食品は人間が食べられるのに対して、腐敗した物は食べられません。 それと同様に大腸の内部で起きる現象も、人体に有益なものが発酵、有害なものが腐敗だと思ってもらえばいいでしょう。同じ内容物であっても、大腸の働きぶりが良いと発酵し、働きぶりが悪いと腐敗が起きてしまう。後者の場合、腐敗物質が腸壁を通して体の中に再び吸収され、さまざまな病気を引き起こす原因になるのです。 P39 非病原性の大腸菌は、腸の内容物1グラムあたり1000万個から1億個ぐらいいると考えられます。ただし、腸内細菌の代表選手のような名前はついているものの、大腸菌がいちばん多いわけではありません。数字を聞くと多いと感じるでしょうが、たとえばビフィズス菌は1グラムあたり100億個から1000億個もいます。人口が1億人いれば「大国」といえますが、細菌の数は人間とはケタ違いですから、1億個いてもメジャーな存在ではないのです。 P41 では、どうすれば悪玉菌が減り、善玉菌が増えるのか。 それは、腸内細菌が何をエサにして増えるのかを考えれば明らかでしょう。腸内細菌は、はがれた腸の粘膜や大腸に送り込まれた食べカスを栄養源にしています。そして、善玉菌と悪玉菌では、食べる物が違います。乳酸菌やビフィズス菌は乳糖やブドウ糖を栄養とするのに対して、ウェルシュ菌をはじめとする悪玉菌は主にタンパク質を原料にして有害な物質を作り出します。 もちろん、タンパク質は私たちが体を作るのに欠かせない材料ですから、いくら悪玉菌を増やしたくないからといって、それを摂取しないわけにはいきません。食事はあくまでも自分の栄養にするのが目的であって、「腸内細菌の栄養」としか考えないのでは本末転倒です。 しかし健康のためには、できるだけ悪玉菌を増やさない食事を心がけることが必要でしょう。そして悪玉菌は、肉をたくさん食べる人の腸内に多いことがわかっています。 P49 たとえば野菜や果物中心の食生活を送っている人の大便は、あまり臭いません。腸内に善玉菌が多いので、腐敗臭がしないのです。 P166 では、本当に牛乳や乳製品は人間にとって有害なのでしょうか。 この本はベストセラーになったため、その説を信じて牛乳や乳製品をきっぱりやめてしまった人も少なくありません。「いまだにヨーグルトを食べてるなんて、時代遅れだよ」と訳知り顔で話している人を見かけたこともあります。もし「牛乳有害説」が間違っているとしたら、実に罪作りな話です。 人間は大昔から、牛、羊、ヤギといった家畜の乳に、命を支えられてきました。その長い歴史を考えれば、牛乳が体に悪いとはとても思えません。 その医師は「ほかの動物の乳を飲むのは人間だけ」と書き、それを「有害説」のひとつの根拠としていましたが、家畜を飼う文化を持つのは人間だけですから、そうなるのは当然でしょう。 P167 そんな牛乳が人体に良くないというデータは、世界的にもまったく認められていません。そのため「有害説」を主張した医師に対しては、国内の科学者や乳業団体から科学的根拠を求める公開質問状が出されました。 しかし、それに対する回答はありません。要するに、信用できるような話ではないのです。このような根拠のない健康情報本がベストセラーになり、貴重な栄養源を放棄する人々が続出するのは、実に嘆かわしいことといわざるを得ません。 この「牛乳有害説」にかぎらず、怪しげな健康情報の多くには、「個人の体験に基づいている」という共通点があります。 |
門田隆将 PHP 2012/12/11 技術者としての使命感と、 日本の沈没を防いだ人達。 原発に賛成するにしても、 反対するにしても、 読んでおくべき一冊です。 あの日、何があったのか、 この一冊で分かります。 P124 一同に緊張が走った。 「申し訳ないけれども、若い人は行かせられない。そのうえで自分は行けるという者は、まず手を挙げてくれ」 線量の高いところに、若い人間を行かせるわけにはいかない。そのことだけは、伊沢は決めていた。 静寂が中操内を支配した。全員が伊沢の顔を見て、視線をそらさない。この時、伊沢の顔は、こわばっていたかもしれない。 「この頃は、原子炉の状態が、普通じゃないというのがやっぱりわかっていますからね。そこに人を行かせるわけです。しかも、ベントというのは、われわれ運転員にしてみれば、最後の手段に近い。そこに私の命令で人を行かせるということですから、唇を噛みしめるような感じで、ゆっくり、一語、一語、話したように思います」 伊沢はそう述懐する。大きな声ではなく、語り聞かせるような口調で、伊沢はそう一同に告げたのである。 五秒、十秒…誰も言葉を発しない。そこにいる誰もが自分が言うべき「言葉」を探していたのである。一瞬の間があいた。沈黙を破ったのは、伊沢自身だった。 「俺がまず現場に行く。一緒に行ってくれる人間はいるか」 そう伊沢が言った時、伊沢の左斜め後方にいた大友が口を開いた。 「現場には私が行く。伊沢君、君はここにいなきゃ駄目だよ」 すかさず右後方にいた平野が言葉を重ねた。 「そうだ、おまえは残って指揮を執ってくれ。私が行く」 二人の先輩当直長がそう言った瞬間、若手が声を上げた。 「僕が行きます」 「私も行けます」 若い連中が沈黙をやぶって次々と手を挙げた。それは、あたかも重苦しい空気を破るための“堰”が切れたかのようだった。 中操内は、薄ぼんやりしている。灯かりは、サービス建屋入口に持ち込まれた小型発電機につながれた二、三本の蛍光灯だけだ。伊沢には、手を挙げてくれた運転員たちの表情がよく見えない。それでも、伊沢には、それは驚き以外のなにものでもなかった。 「私からすれば、手を挙げてくれたのが、若いクラスですからね。そんな人数は必要ないのに、人数以上に手が挙がりました。まだ三十そこそこの中堅クラスです。ビックリしました」 伊沢は言葉が出なかった。申し訳ないけれども、若い人には行かせられない、とあらかじめ言ったにもかかわらす、中堅どころが次々と志願してくれたのである。 P273 「私、ここに残るということは、本当に死ぬことだと思ってたので、ただ若い人は死なせたくないって思ったんですよね。管理職の方は責任があるから仕方がありませんが、その若い人たちは、ここでむざむざ死ぬのがわかっていて、どうしても置いていけないと思いました。他の人たちはバラバラと免震棟を出ているんだけど、"ね、下で待っているからね、早く行きましょう"って言ったけど、動かないんですよ」 三人は残る覚悟を決めていたのだろう。佐藤は、その意志が固いことを知った。 「もうここはダメだと思ってましたから、次に来る時は、本当の復興の時かなという感じでした。私は、『きけ わだつみのこえ』とかを読んだ世代ですから、戦争の時に若い人が特攻で命を落としていったことを知っています。だから、この若い人たちを絶対に死なせられない、と思ったんですよ」 その時、佐藤は自分でも驚くぐらいの大きな声で叫んでいた。 「あなたたちには、第二、第三の復興があるのよ!」 それは、緊対室中に響く声だった。佐藤は必死だった。そうでも言わなければ、彼らは退避することを拒みつづけるだろう。時間はなかった。 あなたたちは、「復興」に命を尽くしなさい──それは、彼らより年長の佐藤の心からの叫びだった。 あたかもあの太平洋戦争下で若き兵士たちに戦後の復興を託すようなものだった。 しかし、佐藤の声は、円卓に座る幹部たちにも同時に聞こえている。復興というのは、彼らの「死」を前提にしたものにほかならない。 「円卓にいる幹部たちは、もう死ぬ覚悟をしていたと思うし、実際に、私は、彼らは最後まで残るべきだと思っていました。申し訳ないとは思いましたが、私は心の中で本当に若い人には、復興でやるべきことをやって欲しいと思ったんです。幹部の方たちは、もう死ぬのは仕方ないと思いました。そういう気持ちで皆さんを見たので、吉田所長たちが死に装束をまとっているように見えました」 やっと、三人は立ち上がった。佐藤の気合いが、彼らを動かしたのだ。彼らを連れて出る時、佐藤は、自分の上司である防災安全の部長に声をかけた。そのことを佐藤は、今でも後悔している。 「私、"部長も一緒に行きませんか"と思わず、言ってしまったんです。覚悟をして残ろうとしている部長にどうしてあんな声をかけてしまったんだろう、と今も思います。部長は、うーん、と返事に困りました。幹部たちが全員残るのに、うちの部長だけが出るわけにはいかないことを知っているのに、私は余計なことを言ってしまったと思ったんです」 そのすべてを吉田所長は、見ていた。それは実に穏やかな表情だったという。 「吉田所長は、私たちの方を穏やかな顔で見ていました。あの方は、とっくに覚悟を決めておられたと思います。吉田さんはいつも端然として座ってるんですよ。 そわそわなんかしないです。 黙ってこうやって座ってるんです。 私は、皆さんと会うのはこれで最後だと思っていましたから、吉田所長だけでなく、全員に向かって礼をして緊対室を出たんです」 深く礼をした佐藤は、もう振り返らなかった。 「私は、振り返りませんでした。神聖な雰囲気ですから、その円卓に座っている五十人ほどは、もう死に装束で腹を切ろうとしてる人たちですから、振り返るなんて、そんな失礼なことはできませんでした。私らみたいな雑兵はやっぱり、そそくさと出るだけです。本当に緊対室はシーンとしていましたから……」 会うのは、これが最後──復旧にかかわる技術系の人間を除いたほかの人間が退避する中で最後に部屋を出て行った佐藤眞理は、そう語った。 |
石 弘光(財政学) ちくま書房 2012/12/11 自民党政権時代、 政府税調の知恵袋だった財政学者が語ります。 消費税の増税以外に、 日本の財政再建はないと。 税法は、法律であり、経済学であり、財政学です。 当然のことながら、政府税調の議論は財政学です。 財政学は、国家の財政の健全化。 自民党の時代、この方の論調には、 正論であるが故にウンザリしていた。 また、あの論調が始まるのかと思うと気分が暗くなる。 しかし、著者が指摘するように、 民主党政権時代の政府税調に比較すれば、 自民党政権時代の方が100倍は大人の議論だったと思う。 民主党政権の議論は、まさに、素人の議論だった。 税法的にも、財政学的にも、失われた3年だ。 可能ならば、 民主党政権時代に採用された諸制度を廃止し、 正常な国税通則法に戻して貰いたいと思う。 そして、正面から財政学的な議論に取り組まなければならない。 それが日本の現状なのだから。 P193 とかく野党の一部には、所得税の累進税率を強化し高所得層に負担させればよい、あるいは法人税を増税し利益を挙げている大法人に負担させばよい、とする主張も目立っている。しかし国民の一部の層の狙い撃ちによるこの程度の増収策では、高齢社会のコストやあるいは膨大な財政再建に必要な経費は賄えるはずもない。と同時に、国民が皆で来たるべき社会の費用を負担するべきだという基本的な理念もない。 P236 いわゆる官僚支配と党の判断から独立させるべく、政治主導による政策の一元化をめざし、財務大臣を会長とする政治家だけの政府税調を作ったわけである。一応は、税制を審議する場として新政府税調なるものが出来上がった。しかしながらこれまでの経過を見ると、この新組織は全く機能していないように見える。同じ政府税調という言葉を用いても、その内容は自民党時代とはまったく異なる。いまとなっては、いくつもの欠点を指摘されていたが、自民党税調と並存した旧政府税調の方がまだましであったと思う。 |
山中伸弥(ノーベル賞学者) 講談社 2012/12/07 疑問が見つかれば、答は見つかったのと同じ。 これが文系の理屈です。 しかし、理系では、疑問が見つかれば、 その後に大量の実証実験が必要になる。 文系は、黙って思考するのが仕事。 理系は、朝早くから、夜遅くまで同じ実験の繰り返しをするのが仕事。 1つの仮説には「24×23×22÷6で2024通り」の実証実験が必要になるのですね。 P53 なるほどと思ったのは、スライドの一枚ずつにわかりやすいつながりがなければならないという教えです。「実験でこういうことがわかった。だから次にこういう実験をした」というような説明の仕方をしろということです。 逆に、こういう説明をするためには、ふだんから、いまとり組んでいる実験と次にやろうとしている実験の関係を明確に意識しておかなければなりません。そういう意味で、プレゼンテーションのゼミは、プレゼン技術を身につけるだけでなく、研究手法や思考方法を見直すうえでも非常に役に立ちました。 そのおかげで、プレゼンの仕方はもちろん、論文の書き方も変わりましたし、大袈裟にいえば、人生も変わりました。アメリカで身につけたプレゼン力が、その後、ぼくを何度も窮地から救ってくれることになります。 P101 こうしてぼくは次のような仮説を立てました。 「皮膚の細胞もES細胞も設計図は同じで、両者のちがいは設計図に挟まれたしおりにある。そうであるならば、ES細胞のしおりを見つけ出し、それを皮膚の細胞に送りこめば、皮膚の細胞を初期化してES細胞に似た万能細胞に変えることができるのではないか」 こうしてぼくらはES細胞のしおり探しに乗り出したのです。 皮膚の細胞など体細胞を初期化するES細胞のしおりを探す。別の言葉でいえば、分化した体細胞を巻き戻す初期化因子(あるいは初期化因子をコードしている遺伝子)を探す。これがぼくのビジョンでした。 P114 実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました。 24個の中に初期化因子があることは間違いありませんでした。しかし、その中の1個だけではないことも明らかでした。それでは2個か。しかし24個から2個を選ぶ組み合わせの数は24×23÷2で276通りもある。もし3個なら、24×23×22÷6で2024通り。こんなにたくさん実験できません。そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。 「そんなに考えないで、一個ずつ除いていったらええんやないですか」 これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。24個から1番目の遺伝子を抜いて23個を入れる、次に2番目の遺伝子を抜いた23個を入れるという具合に、一個ずつ抜いていきます。もし本当に重要な遺伝子なら1個欠けても初期化できなくなってしまう。まさにコロンブスの卵のような発想でした。まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが。 |
河合 敦(歴史研究家) 光文社 2012/11/28 中学では時間切れになってしまった明治以降の歴史を紹介します。 著者の評価を前面に出さず、客観的に論を進めているところが信頼できます。 朝鮮の併合が明治42年に始まった。 罪深い歴史です。 いまは想像もできませんが、 昔の公務員はひどかった。 その理由は武士の就職だった。 「威張る公務員」の空気が戦後にまで承継されていたのだろう。 P99 もちろん、こうした日本のやり方に韓国国民が黙っていたわけではない。武力によるゲリラ活動で日本支配に抵抗する「義兵」が急増するなど反日闘争が活発化し、1909(明治42)年10月26日には伊藤がハルビン駅で暗殺された。これに対し、日本は軍隊を投入して反日闘争を徹底的に弾圧。1910(明治43)年には「日韓併合条約」を強要し、朝鮮半島を日本の植民地にした。 P101 時の外務大臣.小村寿太郎は、1909年頃から、関税自主権の回復を盛り込んだ新条約の締結に動き始めた。英仏両国は日本の要求を拒否したが、小村はアメリカとの交渉を進めた。 すると日露戦争で日本の国際的地位が高まっていたこともあり、「日米新通商航海条約」によって関税自主権を回復。その後、欧米各国とも新条約が結ばれ、日本はついに幕末以来の不平等条約を解消したのだ。 57年もの年月を経て、ようやく手に入れた列強との対等な立場。不平等条約の解消は、有色人種の非キリスト教国としては初の快挙だった。 P143 「士族」という肩書き以外、平民とまったく同じ立場になった「元武士」たちは、その生活を大きく変えなくてはいけなくなった。とくに多かったのは、今でいう官公庁に“公務員”として勤めるケースだ。一説によると、士族の四割が公務員になったと言われている。役職は文官、軍人、警察官、監獄官、技術官、公立学校の教員などさまざまだが、官吏や教員は人々の上に立つ存在として無条件に敬われ、その地位の高さは現在の公務員の比ではなかった。また、「安月給」と揶揄されはしても、一般庶民よりはずっと上の生活レベルを保つことができた。 |
森 炎(元裁判官) 講談社現代新書 2012/11/19 死刑事件の量刑基準を語ります。 どのような事件が死刑で、どれが無期懲役なのかと。 裁判員制度が導入された後は、 職業裁判官の場合とは異なる判断基準になるべきと。 しかし、殺人事件の紹介は読むに堪えない。 一般国民には、 裁判記録に収録された痛ましい記録や写真を見る義務はないと思う。 被害者の心情を考えたら、 この種の裁判記録は、仮に、裁判員であっても、 一般人の目には触れさせたくないだろうと思う。 さらに、本書の内容として紹介されて、 永久に消えない記録にされてしまうことを被害者の家族は何と感じるだろうか。 痛ましくて、読むに耐えない。 裁判員は、重大事件ではなく、 軽微な事件でこそ、必要な制度だったのだと思う。 殺人という非日常について判断する能力は一般人は持たない。 軽微な事件での実刑と執行猶予には大きな差異があるが、 著者が説明する仮釈放のない無期懲役があるのなら、 死刑と無期懲役の間には大きな差異はないように思う。 被告人本人の立場で考えれば、 命が助かったところで、その後の人生が楽しいはずはない。 天国に送り込むか、 地獄に送り込むかの違いでしかない。 死刑にすべきか否か。 宗教学の問題であり、 法律の問題ではないと思う。 実刑か、執行猶予か。 それは法律の問題だろう。 P32 わが国の裁判実務では、事実上の終身刑とも言われる特殊な判決の仕方が存在する。それは、仮釈放を許すべきではないという条件をつけて無期懲役の判決を下すという手法である。仮釈放がない無期懲役というのは、結局、終身刑と同じことになる。もう少し厳密に言うと、つぎのようなことである。 日本の裁判所は、無期懲役の判決を言い渡す際に、判決文のなかで、仮釈放を許すべきではないという条件(加重条件)をつけることがある。この「仮釈放なし」の条件付き判決も、厳密に法的には、通常の無期懲役の判決と同じで、「仮釈放なし」の部分には法的拘束力はないとされているが、実際上は、その趣旨は仮釈放の決定をおこなう行刑当局(法務矯正関連当局)によって例外なく尊重されている。つまり、結局のところ、事実として仮釈放はなくなり、この「仮釈放なし」の条件付き判決は、その法的性質にもかかわらず、実質的には終身刑の判決と同じである。 これは、ここ十数年来の確立した裁判実務になっている。 このような無期懲役判決の代表的な例としては、オウム真理教事件の元教団幹部の一人に対する判決がある(東京高裁平成15年9月25日判決)。オウム真理教をめぐっては、地下鉄サリン事件などで元教団幹部14名に死刑が求刑されたが、これは、そのうち唯一死刑にならなかったもので、その判決では「仮釈放を認めない終身に近い無期懲役、事実上の終身刑が相当」と述べられている。 P61 アメリカでは、終身刑受刑者の数が全米で二万を超えている。各州の終身刑受刑者の数は、3000人規模の州として、ペンシルベニア、ルイジアナ、2000人規模は、カリフォルニア、フロリダ、ミシガン、1000人規模は、アラバマ、アーカンソー、イリノイとなっている(The Corrections Yearbook 1997, Criminal Justice Institute、法務総合研究所研究部資料46『アメリカ合衆国における終身刑受刑者処遇上の諸問題』より)。 そこまでいくと、もはや刑務所は一種のゲットーであり、そこでは、終身刑受刑者だけのコミュニティーも生まれる。施設内集会があり、スポーツもできれば、映画鑑賞や読書会などのレクリエーションもある。終身刑受刑者のうちの一部の者は、通信教育で教員資格を取り、施設内で他の受刑者に講義するという活動すらおこなっている。ペンシルベニア州のグレイトーフォード刑務所では、終身刑受刑者たち自身が「ライファーズ」という団体を組織運営していて、それが州政府からも正式な非営利団体として認められ、地域のコミュニティーと連携して防犯活動にさえ取り組んでいる(ハワード・ゼア『終身刑を生きる』)。 |
日本弁護士連合会若手法曹サポートセンター 安雲出版 2012/11/13 この種の本には目を通さざるを得ない。 しかし、ほとんど無内容。 この業界、 本当にダメになってしまったのだと思う。 |
浅田 實(英国近代史) 講談社現代新書 2012/11/12 東インド会社、株式会社、それに株式市場の歴史を語ります。 P3 それまでヨーロッパには、ジャガイモもトウモロコシもトマトもなかった。コーヒーも紅茶も知らなかった。甘いものも蜂蜜しかなかった。砂糖はまだなかった。食生活にうるおいをもたせるものとしては胡椒や香料が知られていたが、すごく値段が高くて一般庶民にはまったく手が出なかった。このような時代に、東方の「楽園」に赴いて豊かな物資を手にしたいという願望から大航海がはじまり、そこから商業革命が生まれた。 P16 それより1年少し前に発足したイギリス東インド会社と比べると、10倍以上にあたる約650万ギルダーの資本金を集めた世界最初の株式会社であった。しかもそれは、これから1799年まで約200年間存続した永続的な海商企業となった。出資は10年間固定され、この間株主の退社は許されなかった。10年後に「一般的清算」が行なわれ、このとき希望者の入、退社は許されるが、会社は引続いて存続し営業を続けることができた。会社は東インド現地に支店、商館をおいて何人かの人を常駐させ、値の安いときに胡椒を買い入れて倉庫に貯え、船が着いたときヨーロッパに送り出すことができた。 株主の責任が有限責任制であったことも、オランダ東インド会社の近代的性格として評価できる。つまり人びとは、個人の全人格をあげて会社に没入するのではなくて、出資した株券分だけ会社に貢献する、私生活まで犠牲にしないという形になった。 というわけで、1602年発足の「オランダ東インド会社」はこれ以後ヨーロッパ諸国の株式会社のモデルになった。それはいわば、当時の時代の最先端を行く近代的な会社組織であった。ヨーロッパにもアジアにもまだこれに匹敵する、すぐれた組織をもった企業はなかった。 P20 この頃のイギリス東インド会社は、個別航海の時代といわれ、一航海ごとに資金を集め、アジアに出かけて行った船が積荷を積んで帰国したのち、その輸入品またはその輸入品販売代金を、投資額に比例して株主に分割する、という方法がとられていた。つまり一航海ごとに元本も収益も含めたものがすべて株主に分配されたわけである。こういう個別航海が1613年はじめまで、前後12回にわたって行なわれたけれども、当然船が無事帰航できず、分割・配当ゼロという悲惨な結末のこともあった。 P164 ギャラウェイ・コーヒー店やジョナサン・コーヒー店に集まって東インド会社株を取引した株式仲買人や仲介業者は、富裕で重要な階級の人びとであった。 盛んな株式売買が行なわれた結果、かれらの取引を統制する組織をつくる試みが、早くも1761年ごろからなされ、結局1772年に、ロンドン株式取引所がつくられた。いずれにしてもこの頃には、東インド会社株といえば、政府発行の戦時公債やその他の政府年金を買うのと同じほど安全なものとなった。投機筋による取引もないではなかったけれども、東インド会社株は、かつての南海会社株のように投機的なものではなく、「一流の担保」に等しかった。 |
蓮池 薫 新潮社 2012/11/08 著者が北朝鮮での生活を語ります。 深い話です。 P2 家族の命運をかけ、夫婦間で激しく言い争ったことをはじめ、北朝鮮での24年に体験した出来事とその時々の思いを、このように書き記そうと決意するまでには、かなりの歳月がかかった。長すぎると思う人もいるかもしれない。だが、あまりに重苦しかった半生を、自分のなかで整理するのはそう簡単ではなかった。 何よりも日本に残るという決断が正しかったという確信が必要だった。それには子どもたちが意欲を持って自立の道を歩み出すことが最低条件だった。 ほかの拉致被害者たちの帰国を実現するうえで、いったい私がどうすることが適切なのか、つまり私がこのようなものを書くことが問題解決に有益なのかどうかを判断する必要もあった。 さらには、私自身が北朝鮮での生活を、むき出しの感情や感傷からだけでなく、一定の距離を置いて冷静に振り返ることのできる、心の余裕も不可欠だった。 P101 思想抜きに北朝鮮を語ることはできない。 そこでは、行動とその結果を左右する最大の要素が、人間の精神、思想だと信じられているからだ。 たとえば技術的、物量的に優位にあるアメリカ軍に対しても、指導者への忠誠心と愛国精神が高ければ必ず勝利できると主張する。労働者の生産性を高めるにも、給料を上げたり賞罰を行ったりする物質的なインセンティブより、国や社会への献身性を発揮させる思想的刺激のほうが有効と考えている。学生の学業成績やアスリートの競技結果、農業の生産高なども、すべて当事者の精神状態で決まるというのだ。もちろんこの精神論の背後には、国民を思想的に統制して国家体制の維持安定を図ろうという本音が隠されているのは言うまでもない。 そのために北朝鮮の国民は老若男女を問わず、不断に政治思想学習をし、思想的鍛錬を受けている。 P114 だが、招待所という閉ざされた狭い空間で、毎日決められたことだけをして暮らしている私たちにとって、毎週違う自己批判のネタを見つけるのはなかなか厄介なことだった。せいぜい思いつくところは、「政治学習をしっかりしなかった」、「招待所生活を文化的にしなかった(つまり掃除をしっかりしなかった)」、「規則正しい生活をしなかった(朝の起床時間を守れなかった)」、「革命的同志愛が足りなかった(革命同志である妻の家事を手伝わなかった)」など、片手で数えられる程度だった。同じ内容で自己批判を繰り返すことは、反省は口だけで実際には何ら改善努力をしていないということになる。それはそれで次の自己批判のネタにもなるのだが、それを臆面もなく反復していると、今度は指導員をなめているのかという問題になる。 |
ビートたけし 新潮新書 2012/11/01 ビートたけしが間を語ります。 モノとモノとの間、事と事との間。 間とは、リズムなのかもしれない。 だから、文字がキチッと詰め込まれた文章にも間が存在する。 リズムのある文章が軽快に続きます。 最初の1行から魅力があり、3行に1つはうなずきたくなる上手な運び。 P54 よく「漫才というのはどうやれば上手くなるのですか?」と聞かれることがある。れを聞いてきたやつが芸人だとしたら、その時点でダメだな。 P81 舞台を踏む人はみんなそうなんだけど、例えば400人入るホールで漫才をやるとする。そこで1人でも笑っていないやつがいるとしたら、それは舞台の上でもすぐにわかるものなんだよ。客席の方を見ていると、変な波動みたいなものが必ずあるから。「だからこれこれこうでこうなんだよ。ばかやろう!」なんてドカンドカン受けていても、「あれっ?」と思うと、そこにむっつりした顔の客が必ずいる。 それは漫才に限らない。歌い手にしても舞台で歌っていて、「あれ?」と思うと、そこには歌に感動していない人がいるはずなんだ。落語家に「そういう感覚わかるでしょう?」と聞くと、みんな「あるある」って言うからね。「いくら受けていても、つまんない顔している人がいると気になるね」って。そこには必ず変な空気が漂っている。 |
浅田次郎(作家) 新潮社 2012/10/23 江戸時代は、 良い時代だったのだと思う。 265年も戦争がなかった時代は、 歴史上も、世界には存在しなかったと思う。 明治維新から軍国主義の時代を経て、 米国流の民主主義の時代が到来した。 しかし、いま人々の心の中に存在するのは、 江戸時代に作られた日本人としての美意識なのだと思う。 P30 いったいに昔は、御法のもとに力でねじ伏せるというような仕置きを、あまりしなかったように思います。お定めにこうあるゆえ、何が何でもこうだ、ということはしなかった。悪人どもがそれなりに得心して、みずから仕置きを待つというふうがござりました。それもこれも、二百幾十年もの泰平が自然と醸し出しました空気、とでも申しましょうか。しきたりや伝統というものは、まことありがたい。 私は江戸の昔と明治のこっちとで、幾度も死罪に立ち会いましたが、罪人の往生際のよしあしは雲泥のちがいでございますよ。得心して死するかどうか、極楽か地獄かはその一事にかかっているのではありますまいか。 |
和田秀樹(精神医) 毎日新聞社 2012/10/19 「文系の方が収入が多い」 そのような定説に反し、 実際には理系の方が収入が多い。 そのような解説から、 数学の重要性を説き起こします。 司法試験にも言及してます。 「数学的思考能力を必要とする出題が少ない司法試験」という定義です。 しかし、本来、法律は理系の学問だと思います。 法律を文系の学問、つまり、記憶力だと勘違いした人達が司法試験(旧司法試験)を受験しました。 そして、合格まで10年を要し、合格後も不毛な議論を繰り返します。 しかし、理系頭で受験すれば、司法試験(旧司法試験)は1年で合格できます。 なぜ、理系頭が優位なのか。 アスリートが筋トレをするように、 勉強は、脳味噌の筋肉の鍛錬です。 英語を使いこなすことと、 数学の問題を解くことと、どちらが脳味噌の筋肉の訓練に役立つか。 そのような訓練の違いが、 10年後、20年後の能力の違いを生み出すのでしょう。 P20 たとえば、キャリア形成のために資格試験を受けることはよくあります。例外的に数学的思考能力を必要とする出題が少ない司法試験を除いて、国家公務員や公認会計士、税理士、医師、看護師、理学療法士などハイレベルの国家資格試験は、理数系科目がまったくできない人、理数的リテラシー(応用力)がない人では、まず受かりません。国家資格の多くは、何らかの形で理数的問題が絡んでくるからです。 |
NHK取材班 宝島社新書 2012/10/17 医者が倫理観を失えば何でもできる。 社会常識から隔離されている医業は悪い人達の食い物になってしまう。 食えない弁護士と同様に、 食えない医者が増える。 ますます医療の荒廃は進むと思う。 ただ、本書は、誰か1人が書いた本と異なり、 事実は書いてありますが、思想が書いてない。 この種の書籍は購入すべきではないという一冊。 書籍は、著者の人生観によって書かれるから意味があります。 P106 ところが、実際の「コトリバス」は、まったく逆のものだった。 「ベッドに空きが出た病院が入院患者を集めるために、バスをドヤ街や公園に向かわせ、野宿者やホームレスを集めてくるんや。言葉は悪いが、乞食を取ってくる車や」 聞くと、そういう説明が返ってくる。 乞食を取ってくるバス。略して「乞取りバス」。 |
中里妃沙子(弁護士) 宝島社新書 2012/10/16 離婚を専門にしている弁護士なら、 もう少し掘り下げた分析ができると思う。 単なる相談事例の紹介ですが、 その紹介も、守秘義務があるためか、 フィクションであるためか、実感が伝わってこない。 タイトルに引かれて購入したのですが、 タイトルの事案の分析も充分ではない。 |
スコット・トゥロー 文春春秋 2012/09/30 推定無罪から20年目の続編です。 ジョン・グリシャムの法廷サスペンスと比較すると、大人と子供の違い。 この著者の文章は読ませます。 ただ、前作は夢中になって読んだのですが、 それから20年、読者(私)の方の気力の維持が難しい。 最後まで読み通せるのか否かが疑問です。 |
榎本まみ(信販の督促担当社員) 文春春秋 2012/09/28 「世の中にあるありとあらゆる『後払い』には、必ずその後ろに督促をしている人がいる」 なるほど。 指摘されなければ見えない現実です。 綺麗事だけで語られる信用経済の汚物処理。 この人達がいなければ成立しないのが信用経済。 債権回収のノウハウは習得できませんでしたが、 回収業務での罵詈雑言の社会を覗き見しました。 使い捨ての同僚の中で最後まで頑張り続ける著者。 凄いと思います。 弁護士という綺麗事で、 役にも立たない専門家とは別の実生活があります。 余った弁護士を有効活用して貰えないだろうか。 P236 世界中のお客さまに嫌われるお仕事でも、私はこの仕事が好きです。このお仕事を与えてもらって良かったなあと、今では心から思います。督促だけじゃないですが「仕事」は生きていくために必要なお金を与えてくれるし、一緒に過ごす仲間も与えてくれる。そして自分を強くする力を与えてくれるかけがえのないものなのです。 |
ファブリツィオ・グラッセッリ 文春新書 2012/09/25 日本に永住するイタリア人が、 母国イタリアを語ります。 世界に不思議な国は幾つもありますが、 筆頭はイタリアと日本に思えます。 たぶん、世界の国々は、 理解できない国の筆頭に日本、2番手にイタリアをあげるだろう。 南北のイタリアが統一されたのは明治維新の少し前の1861年。 北イタリヤによる南イタリアの侵略と支配という形で統一国家が成立した。 イタリアにはローマにあるイタリア政府と、 南イタリアにあるシチリアマフィア、カモラッタ、ンドランゲタなどの2つ目の政府があるといわれる。 マフィアは、公共事業に注ぎ込まれた政府のカネを抜き取り、 商店主や企業からピッツォというカネを巻き上げる。 しかし、そのシステムを、誰も廃止することはできない。 既に、政治や経済の隅々にまで組み込まれたシステムだからだ。 北イタリアの1人当たりのGDPは3万ユーロでドイツやフランスを上回るが、 南イタリアは1万7000ユーロでしかない。 今まで私が知らなかったイタリアを語ります。 いや、今まで知らなかったことを恥じなければならない。 イタリアから説き起こしますが、最後には日本を語ります。 イタリアと同様の病気になっている日本、イタリアよりも重病な日本。 日本の空気の中に住む日本人には見えない日本の弱さを語ります。 P17 古代ローマ帝国の崩壊から後、1500年以上もの間ずっと、イタリア半島は、様々な外敵の侵略を受けて来ました。それでも、しばしば他民族の支配を受ける中にあって、この長靴型の半島に住む人々は、したたかに生き抜いてきました。どうすれば困難な状況を、なんとかうまく乗り切って行く事ができるか、厳しい現実とうまく折り合いをつける事ができるかを、学び続けてきたのです。そして少し大げさに言えば、イタリア人の「何とかうまく立ち回る」才能は、ほとんど芸術の域に達しました。 P23 しかし、歴史を振り返ってみると、私たちイタリア人は、はるか昔からいつも、ヒーローを求めてきたような気がします。中世の聖人、サン・フランチェスコ。フィレンツェでルネサンス文化の黄金時代を築いた「豪華王」ロレンツォ・メディチ。同じフィレンツェの町で、短い期間ながら人々の熱狂的な支持を得た修道僧、サヴォナローラ。そしてイタリア統一の英雄、ガリバルディ。ファシズムの創始者である、あのムッソリー二も多分、そんなイタリアのヒーローの一人だったのでしょう。ベルルスコー二の代わりにイタリアの首相になった、マリオ・モンティが、「ヒーロー」になれるかどうかは、ちょっと疑問ですが……。 P28 ナポリやシチリア島のパレルモといった南イタリアは、ミラノやヴェネツィアなどの北イタリアと、歩んできた歴史からして全く違います。中世から近世初期にかけての北イタリアが、大国の侵略や干渉を受けながらも、小さな独立した共和国=都市国家の集合体だったのに対して、南イタリアは、北欧から来たノルマン人や、アラブ人、フランスやスペインの王家など、様々な外敵の直接的な支配下にあって、属領として長い年月を過ごしてきました。 その間、南イタリアの庶民は、外国人の支配者の圧政に、ひたすら耐えるばかりの時を、何世代も何世代もにわたって続けてきたのです。1861年のイタリア統一にしても、事実上、北イタリアのサヴォイア王家による軍事的征服だったことを考えれば「南イタリア人にとって一番新しい征服者は北イタリア人だった」と言えるかもしれません。 その長い“被支配”の歴史の中で、南イタリアの人々の心理に染み付いてしまった、弱点というか、傾向があります。それは「ヴィッティミズモ」=犠牲者意識と、「アッテンディズモ」=自ら動かず、嵐が過ぎ去るのをひたすら待つ、というものです。これは、南イタリアが経験してきた歴史に根ざしているのです。 南イタリアの生産性は、北部に比べてはるかに低く、経済的にも停滞しています。その背景には、大昔から、人々がいくら一生懸命働いても、その富がみんな外国人の「支配者」に搾取されてしまった、という悲劇的な経緯が影響しているといえます。いくら頑張っても、自分や家族のためには何の役にも立たず、支配者の外国人にみんな吸い上げられてしまうとすれば、誰が「努力」などする気になるでしょうか。 |
白鳥春彦 ディスカバー携書 2012/09/23 大学で教えていて違和感だったのですが、 講師が多様な理屈を説明する。 それを学生が聞いて理解する。 これって勉強ではないのですね。 これが勉強なら、阿蘇山に登り、噴火口を覗くのも勉強になってしまう。 勉強とは、考えること。 つまり、脳味噌の筋肉を鍛えることです。 そしたら、阿蘇山を覗いても、 知識は増えても、脳味噌の筋肉の訓練にはならない。 本を読み、論理を理解し、 疑問点にぶつかるが、熟考し、自分で答と理屈を見付ける。 これが勉強なのだ。 だから、大学で、ペラペラと理屈や知識を語っていることに、私は違和感を感じるのだ。 君達、これって「勉強ではない」と。 私は、税理士試験、会計士試験、司法試験とも独学だった。 大学の講義で学習したことはないし、受験塾にも通ったことはない。 講義を聴かず、随分と不利な受験勉強だと思っていたのだが、 しかし、これが一番に効率的な受験勉強だったのだと、今は思っている。 1年間の「独学」で司法試験に合格している。 著者も、脳味噌の筋肉の訓練こそが「勉強」だと語ります。 知識を得ることではなく、能力を育てることが勉強なのだと。 P18 読者はすでにおわかりだろうが、勉強によって得られる知識の効力よりも、勉強をすることで身につく能力のほうがあとあとになって広く応用がきくということだ。 P31 大人とは人生の経験を積み、物事を深く知った者だと子供は思っている。しかし、やがてわかってくる。ふつうの大人とは、ただ年をとった人間にすぎない。それはカッコ悪いと思うから、わたしはいまだに自分の疑問を追究しているわけだ。 P47 なぜならば、先にも述べたように本を読むということは異質のものをとりあえず今は理解するという行為だからだ。これには忍耐を要する。異質なものを受容しなければならない。それが感情抑制を育て、心を変えるのである。 P48 少しずつでもいいから難しそうな本をいくつも読んでいるうちに、半年前の自分とはちがっているのに気づくだろう。それは他人の眼にもはっきりわかる変化である。そうなったとき、すでに独学が習慣になっているのである。 P80 多くの本を読んで博学になるだけが独学ではない。本を読むだけなら、読書家にすぎない。インターネットの膨大なプログからもわかるように、そういう人はすでにたくさんいる。本を読んで考えるからこそ、独学となるのだ。 P86 いわゆる知識人は博覧強記の人が多いものだが、それは彼らが特別に記憶にすぐれている人たちだからではない。傍線を引きつつ本を読んでいるからだ。傍線を引くことによって自然と記憶できるようになるのである。 P114 教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。 |
芳賀繁(立教大心理学部教授) PHP新書 2012/09/21 運動して体温が上がれば、 汗をかくことで体温を下げる。 身体に備わった自動安定化装置だが、 これがリスク感覚にも影響を与えてしまう。 なるほどと思います。 だから、仕事に慣れて、ベテランになると、大きなミスをすることになる。 つまり、仕事の熟練度や、知識度は、ミスの発生を減少させない。 リスク・ホメオシスタス理論というそうです(58頁)。 P58 つまり、リスクをとることは利益につながるので、人々は事故や病気のリスクをある程度受け入れている。その「程度」がリスク目標水準である。安全対策で事故が減った場合、人々はリスクが低下したと感じ、リスクを目標水準まで引き上げようとする。なぜならベネフィットが大きくなるからである。したがって、リスク目標水準を変えるような対策でない限り、いかなる安全対策も、短期的には成功するかもしれないが、長期的には事故率は元の水準に戻ってしまうと予測する。 |
山本 昇(衛星通信) 集英社新書 2012/09/14 コロンブスの時代から、 緯度は測定できたが、 経度は測定できなかった。 大航海時代には、 国家的プロジェクトとして経度の測定手法に取り組んだ。 宇宙開発の時代には、 ジャイロと加速度計の技術が発展した。 軍隊はGPSを求め、 大韓航空機事件がGPSの民間開放を促進したという歴史を語ります。 P106 そのために、INSの初期には高速回転するコマが一定の方向を保つ性質を使い安定させるのでプラットフォーム方式と呼ばれた。通常は、コマを内蔵するジャイロを互いに直交する三つのリングの真ん中に据えつけるので、ジンバル・プラットフォーム方式ともいう(4-4)。ジンバルとは、一つの軸を中心として、物体を回転させる回転台のことである。 P107 一方、電子技術の発達とともに、INSもリング状に配したガラス管の中で相反する方向に発振する二本のレーザー光を使う方式が現れた。 この方式は、光路中を進む光子の速度は、その光路の運動に関係なく一定であるという相対性理論にもとづく。まず、ヘリウムとネオンの薄い混合ガスを満たしたリング状ガラス管内に、相反する方向に同じ波長の光子を飛ばす(典型的波長は633ナノメートル)。もし、そのガラス管に回転が加わった場合には、光路の長さが変わり、その結果周波数も変わるので、その周波数のずれを計測して回転割合を得る仕組みである。小型で精度も非常に高いので、航空機には今ではほとんどこの方式が使われている。 P112 計算の仕方は、まず、衛星が電波を放送してからユーザー端末に届くまでの秒数を求める。電波の速度は、秒速約30万キロメートルなので、その秒数を掛ければ衛星からの距離がわかる。衛星が電波を放送したときの位置は既に得ているので、求めた距離と組み合わせると弧が描ける。これを基本的には三個の衛星で繰り返せば、それらの弧の交点が、ユーザー端末受信機を持った自分の三次元の位置となる(4-7)。 但し、衛星とユーザー端末が、ぴったり同じ時刻を保つことが前提である。しかし、これは、実際上は、とても難しい。衛星には、非常に高価で高精度のルビジウムやセシウムの原子時計を搭載するので、それぞれの衛星は同じ時刻を保てる。しかし、ユーザー端末は、一般には、安価にするためクォーツ時計を使う。従って、衛星と較べたユーザー端末との時刻の誤差が生じ、その数値もわからない。そこで、ユーザー端末の緯度、経度、高度を知るためには、時刻の誤差も未知数として加え、4つの衛星それぞれが電波を発射した位置と時刻をもとにした4本の連立方程式を解いて、これらの未知数を求める。GPSにより位置を得るためには、最低4つの衛星からの電波を同時に受信する必要があるとよくいわれるのはこのためである。 P125 また、この間の1983年に、大韓航空のKAL007がカムチャツカ半島沖でソ連の空軍機に撃墜され、乗客を含めて269人全員が死亡した。この事件を契機に、当時の大統領レーガンは、GPSが将来完成したら民間に開放する旨の宣言をした。ちなみに、大韓航空機が空路を逸脱しソ連の軍事基地周辺に迷い込んだのはINSの誤差の累積が原因とされる。 |
シャロン・モアレム(進化医学研究者) NHK出版 2012/09/10 40年後に必ず死ぬと決まっている薬を貴方が飲むとしたら。 答は1つ。 それは、貴方が明日死ぬのを止めてくれる薬だからだ。 このような著者のセンスに触れるのが嬉しい。 しかし、自身の生存を脅かす不都合な特性が、 自身の生存を助けてきた歴史があると、全ての事象についていえるのだろうか。 適者を未来に残すために、 適者を一つに絞らず、特性の幅を広げたのだろうか。 「テラヘ」というアニメを思い出す。 この頃、不適切な反応を起こす特性が急激に増加していると思う。 引き籠もり、新型ウツ、家庭内暴力など、 これも自身の生存を脅かす特性のように思えてならない。 社会的に、何か、意味のある進歩(の幅)なのだろうか。 P15 遺伝性の病気が進化の法則に一致しないのは一目瞭然だ。人間を弱らせるような遺伝子が、なぜ何千年も人類の遺伝子プールにとどまっているのだろうか?その答えはこの本の中にある。 P25 世界の海の中で、海洋生物がほとんど棲んでいない透明な青色の海があるかと思えば海洋生物で満ちあふれている緑色の海があるのも、じつは鉄が関係している。陸地から舞い上がった埃が飛ばされて海にたどり着くとき、鉄もいっしよに運ばれているのだ。 太平洋にはこの鉄分を含む風の通り道となっていない場所があり、そこでは植物プランクトンの集団が発生しない。植物プランクトンは海洋生物の食物連鎖の最下位に属する単細胞生物だ。 植物プランクトンがなければ動物プランクトンは発生しない。動物プランクトンがなければイワシは棲まない。イワシがいなければマグロも来ない。しかし北大西洋の海域は、サハラ砂漠の鉄分に富んだ砂塵がまっすぐに飛んでくるため、緑色に濁った「水生動植物メトロポリス」になっている。 ところで、この発見は地球温暖化対策のアイディアをも生んだ。発案者が「ジェリトール解決策」と呼んでいるこの理論は、鉄を含む溶液を大量に海にばらまけばそこに大量の植物プランクトンが生まれ、人間が大気中に放出した二酸化炭素を吸収してくれるはずだ、というものである。 この理論は一九九五年にガラパゴス諸島の近海で試された。そのあたりの海は、鉄のおかげで育った植物プランクトンのために、一夜にして輝く青色から濁った緑色に変わったという。 |
塩野七生 文春文庫 2012/09/10 塩野七生さんの本を真面目に紹介しようとは思わない。 ただ、「原則に忠実な男は不幸である」 そのよう著者の言葉を思い出し、その意味内容を知りたいと思った。 「不幸な男」として3章を置いている。 1 原則に忠実な男 2 完全主義者 3 40才で生きる道が作り出せなかった男 「原則に忠実な男」について、 塩野七生さんは、相手にも原則を強いるからダメと定義していた。 私が思ったのは、 原則に忠実であることは自分に厳しい。 その厳しさに耐え得る実力がなければ、 自分の言葉に、自分自身が潰されてしまうという解釈。 P236 では、不幸な男は、なにが原因で不幸なのであろうか。 まず、不運であったということを、あげる人は多いであろう。 たしかに、運に恵まれたか恵まれないかは、男の一生にとって大変な影響がある。 しかし、運のせいにばかりはできないような気もする。 とくに、40を越した男の場合の不運は、なにかその人の性格に起因しているように思う。 幸運が、その人の性格に原因があるように。 P237 それで、運も能力も話さないということにして、それ以外のなにが原因で不幸になるのか、に話をしぼるが、イタリア語には、「ウォーモ・ディ・プリンチーピオ」という表現がある。 直訳的に訳すと、原理、原則、法則、主義などに忠実な男という意味になる。 意訳するとかえって意味がぼけてしまうので、この感じでわかってほしいのだが、まあ、原則に忠実な男、とでも思ってもらってよいだろう。 「原則に忠実な男」がどうして、不幸な男の、つまり男を不幸にする、原因になるのかと不思議に思われた人がいるにちがいない。 なぜなら、原則に忠実な人、という表現なり評価なりは、普通、賞讃をふくんだ積極的な意味で使われることが多いからである。 ところが、それを私は、消極的な意味で使おうとしている。原則に忠実であることこそ、男の不幸の原因なのだ、と。 いや、もっとはっきり言うと、これこそ、男の不幸の最大の原因であると断言してもよい。 |
山本美香(ジャーナリスト) マガジンハウス 2012/09/06 「僕の村は戦場だった」という映画がある。 たぶん、著者も、この映画を見ていたのだろう。 紛争に弁護士が介入すると「僕の村は戦場だった」になってしまう。 そのように、日々、トラブルが無駄であることを論じているのですが。 この書籍には本当の戦争がある。 なぜ、このような戦場に女性のジャーナリストが出かけて行くのだろう。 私には理解できない勇気のある人達の人生がある。 P124 「友人と一緒の時に襲われました。 『ゲリラは右か左かどっちの手か選べ』と脅した。 僕にはそんなこと選べない。 ゲリラは武器を持てないようにと右手を切り落とした」 38歳のコンスタンチーノさんの右手は手首から先がなかった。 一緒にいた3人の友人は失血死したという。 一命を取り留めた彼の傷口は盛り上がり、不自然な形で肉がついていた。 「私は耳よ」 「私も耳」 二人の女性は耳をそがれていた。うつむいていたもう一人の女性が顔を上げた。部屋に入った時には暗くて気づかなかった傷跡。あまりのむごさに、かける言葉が見つからない。45歳のメーレさんの唇はなく、閉じた口の端から歯がむき出しになっていた。拷問の意味は『何もしゃべるな』。密告をしないように唇を奪ったのだ。 P255 ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏の鋭い直感と嗅覚、長年の戦場取材の経験が、私の窮地を何度も救ってくれました。気をつけてのひと言で送り出してくれる父・孝治と国際情勢の新聞記事をスクラップして届けてくれる母・和子にも感謝の言葉を捧げます。 |
田中 修(農学博士) 中公新書 2012/09/05 世界には多数の動物が存在します。 そして人間が存在し、人間が認識する世界が存在します。 しかし、その反対側には植物の世界があるのですね。 植物の世界が存在しなければ、動物は、一つとして存在し得なかった。 植物も、多様な方法で自分の身を守り、子孫を残している。 その活動自身が、動物とのハーモニーであるのは、主の心だろうか。 動物の進化に、私達は合目的な意思を感じる。 植物の進化にも、植物自身、あるいは他者の意思が関与しているのだろうか。 渋味で未成熟の種を守る柿。 レモンを甘く感じさせるミラクル・フルーツの不思議。 ねばねばやかさぶたで傷を塞ぐ樹木。 カビを防ぐための杉の木の香り。 毒で自分を守る多数の植物。 有毒の植物に擬態して自分を守る草木。 凄いのは、活性酸素から自分と種子を守る為にビタミンCを作り出す果実だろう。 動物は、果実を食することによってビタミンCを取り込んでいる。 植物は、夜、水を蓄え、暑さに耐える。 冬の寒さの凍結を防ぐ為に葉っぱに糖分を貯める常緑の草木。 自然淘汰というには完成度が高すぎる。 主の意思が存在するのではないだろうか。 あるいは植物の存在にも人間定理が存在するのだろうか。 確かに、植物が存在しなければ、酸素も、食べ物も存在しない。 主は与え、主は奪う、主の御名は誉められるべきかな。 P4 じつは、植物たちは、根から吸った水と空気中の二酸化炭素を材料にして、太陽の光を利用して、葉っぱでブドウ糖やデンプンをつくっているのです。この作用を「光合成」といいます。光合成でつくられるブドウ糖やデンプンこそが、生命を維持し成長していくためのエネルギーの源となる物質なのです。 P8 ところが、植物たちは、自分でアミノ酸をつくることができます。だから、植物たちは肉を食べる必要はないのです。 言い換えると、植物たちは、肉を食べなくても、肉の成分であるアミノ酸をつくり出すことができるのです。 ただ、植物たちがアミノ酸をつくるためには、窒素という養分が特別に必要です。 窒素は、アミノ酸をつくるための原料として必要なのです。 そのために、自然の中で自力で生きる植物たちは根によって、養分として窒素を地中から取り込みます。 P9 このように、植物たちは自分に必要な物質を自分でつくり出すことができるのです。 だから、植物たちは動物がいなくても、生きていけます。 このことだけで、植物と動物のどちらのほうが“すごい”と決める必要はありません。 でも、植物たちの“すごさ”は十分に納得できるでしょう。 植物たちは、自分たちの食糧だけでなく、地球上のすべての動物の食糧を賄っています。 私たち人間も、食糧を植物たちに依存しています。 「私たちを含めて、動物が食べているものは何か」と考えてください。 それは、植物たちのからだである葉や茎、根や実などです。 |
半藤一利(作家) ちくまプリマ-新書 2012/08/24 15才の少年の時代の東京大空襲を語ります。 作者は「日本よ、いつまでも平和で穏やかな国であれ」と本書を締めくくります。 P168 そしてその焼け跡にポツンと立ちながら、俺はこれからは「絶対」という言葉を使うまい、とただひとつ、そのことを思いました。 絶対に正義は勝つ。絶対に神風が吹く。絶対に日本は負けない。絶対にわが家は焼けない。絶対に焼夷弾は消せる。絶対に俺は人を殺さない。絶対に……と、どのくらいまわりに絶対があり、その絶対を信じていたことか。それが虚しい、自分勝手な信念であることかを、このあっけらかんとした焼け跡が思いしらせてくれたのです。俺が死なないですんだのも偶然なら、生きていることだって偶然にすぎないではないか。 中学生の浅知恵であるかもしれません。 でも、いらい、わたくしは「絶対」という言葉を口にも筆にもしたことはありません。 この夜の空襲で、記録によれば、B29は全機で1670トンの焼夷弾を投下しました。 死んだ人は10万人を超えます。 P174 余計なことといえば、わたくしはその後まことに長いこと、ほぼ50年近く、3月10日の空襲の夜の、やっと生命をひろった話をだれにもしませんでした。言葉にだしていうと、やや自慢話というか、勇敢なる少年のように自分を美化して語っているような気になってくるからです。 ものすごい危険ななかにあって、それに負けずに一瞬一瞬に賭けた懸命な生き方、それは紙一重で、勇気や立派さともなりそのまま陶酔しやすい危険につながっています。危険をものともせずに生きぬき、そしてそのとき腹の底から感じた生甲斐のようなものは、戦争そのもののあやしげな魔力と結びつきやすいようです。戦争体験を語りつぐ、と簡単にいいますが、そのことのむつかしさはここにあると思っています。 戦争がいかに悲惨で残酷なものであるかという事実は、くり返しくり返し語らねばなりません。が、じつはそうしながらも正確であり冷静である必要がもっとも大きいのは、あるいは語るほう、つまりわたくしのほうにある。よっぽど冷静に語ろうと思っても、いつか情感をこめて、さながらそこに人間の美徳があるかのように熱っぽくなるのが人間というものなのです。自戒せねばならないことと思っております。 P190 ですが、とにかく一所懸命に書いてみました。ひとりでも多くの若い人たちに読んでもらえれば、この上なく嬉しいこと、と思いつつです。かつての中学生も、年が明ければやがて満80歳になります。そんな爺さんの願いは、つまりはただの一つなのです。 日本よ、いつまでも平和で穏やかな国であれ。 |
池谷裕二(脳研究者) 幻冬舎 2012/08/17 記憶力は年齢と共に衰える。 脳細胞は年齢と共に減り続ける。 この2つはウソ。 年齢による記憶力の減退はない。 海馬から発生するのがシータ波で、 シータ波が出ているときは記憶の定着がよい。 歩いている時、空腹時、睡眠時、 強い関心を抱いているときに出てくるのがシータ波 悲しい、嬉しい、悔しい。 そのような感情を司るのが扁桃体。 扁桃体が活動しているときには記憶が定着しやすい。 シータ波が最も強く出るのは睡眠中。 睡眠は、蓄えた知識を使えるように整理整頓する作業。 ひらめきにも睡眠が効果があり、 良い睡眠の翌朝には解決策が見つかることが多い。 P78 この事実は重要なことを意味しています。少なくともポイントは2つ。1つはやはり「脳という機械は、年をとっても衰えていない」という点です。実際に、若者と比べても遜色のないパフォーマンスを発揮できるのです。 もう1つは、「そのためにはシータ波が必要である」という点です。同じことを知ったとしても、「ふーん、だから、それが何さ」というように、冷めた目で見ているとシータ波は出ません。そうではなく、「なぜこうなの?それで、次はどうなるの?」というように、ワクワク感を持っていれば強いシータ波が出て、記憶力も高まるわけです。 P90 悲しい嬉しい悔しいと強く思った出来事はよく覚えてるんだ それに関わっているのが脳の扁桃体 感情が動くと扁桃体が活動する するとLTPがよく起こる P118 蓄えた知識を整理整頓して使える状態にすること。どうやらそれが睡眠の役割の1つであるようです。寝ることによって「知識の量」が増えるわけではありませんが、「知識の質」が変わるのです。睡眠によって蓄えられた情報が有効に使える形に変換されるために、翌朝のテストのほうが点数が高くなるという不思議な現象が生じるようなのです。 記憶だけではありません。ひらめきも睡眠が助けてくれることがわかっています。問題に目を通してから睡眠を取ると、翌朝に答えがひらめく確率が高いというのです。ですから、夜寝る前に問題を見ておくことも重要ということになります。 P124 ポイントは「方法記憶」 長男が本気を出してルールやコツを覚えると その応用とむすびつけによって2が4、8、16、32、64、128…とべき乗的にたくさんの量の情報を覚えることができるんです |
中野雅至(兵庫県立大学准教授) 光文社新書 2012/08/17 厚生労働省の官僚が大学に職を得る為の求職活動を語ります。 本書を読んで、何の収穫があるか。 何も無いですね。 ただ、1人の官僚が大学に勤めたくなった場合の求職活動の経歴。 「内定とれない東大生」は2勝58敗で、 本書の著者は1勝100敗。 二つの本を読んで、ダメな人間は、 だからダメなのだというストーリは読み取れたような気がする。 一つの失敗から、 如何に多くのモノを学ぶかが必要なのだと思う。 その学んだモノが、語られていないのが、この2冊。 P176 その一方で、採用する大学側が教職歴にこだわる理由はわからないでもない。僕自身、大学教授に転身してから思うことだが、授業というのは説明の上手い下手だけで判断できるものではない。また、どれだけ貴重な経験をした実務家でも、経験だけで一学期の授業15コマをもたせることは非常に難しい。1コマ=90分の間、サラリーマン時代の自慢話を聞かされる学生も辛い。 |
木山泰嗣(弁護士) ディスカバー 2012/08/16 絶対に友達にしたくない「嫌な奴」。 それを探すのなら弁護士名簿。 そのように確信させるのが本書です。 相手を見くびった、揚げ足取りのテクニック、 普通の交渉相手なら怒り出してしまうと思う。 なぜ、揚げ足取りのテクニックが有効だと勘違いするのか。 弁護士の交渉は、法廷でのやり取りだからです。 法廷では、相手方を、とことんやり込めても問題にはならない。 なぜなら、判断するのは裁判官だからです。 しかし、一般の交渉で、相手をとことんやり込めたら、 まとまる話も、壊れてしまう。 本書の内容は次の通り。 1 意見ではなく質問で返せ 2 不利になったら話を変えろ 3 まともに答えず様子を見る 4 おかしな点を指摘してプレッシャーを与える 5 自分の考えの良さを伝えろ 6 証拠を示して納得させろ 仮に、4なら次の具合。 P141 議論をしたり、相手の説明をきいたり、相手のプレゼンをきいたり……という場合、弁論大会でもしているようなときでないかぎり、資料があることが多いと思います。 資料というのは紙媒体のものだけでなく、パワーポイントなど映像上の情報も含みます。 資料に基づき相手が話をしている場合、相手の意見を信用できないぞ、おかしいぞと思わせるためには、テクニックとして、細かい誤りを指摘し続ける方法があります。 その資料のなかにある誤字脱字などを逐一、指摘するのです。 「ちょっと待ってください。3頁の上から4行目、これは法事ではなくて、法人ですよね」 「いま読まれたところですが、300万というのは3000万の誤りではないでしょうか」 「資料3とありますが、これは資料5の間違いということで、よろしいでしょうか」 |
池谷裕二(東京大学大学院薬学系研究科) 扶桑社 2012/08/13 池谷教授の最新作です。 また、大量の知識と気づきを与えてくれるのだと思う。 弁護士が自慢する勝訴判決をカウントすると、 裁判では90%の人達が勝訴することになってしまう。 あのどうしようもない税法学者も、 自分は、他の同僚より優れていると思っているのだ(35頁)。 裁判は人を狂わす。 疑心暗鬼や、相手が対する過度の敵意(72頁)。 そして、年齢は財産だ(184頁)。 しかし、池谷教授の真髄は260頁以下だ。 ヒトは自分自身に対して他人なのだ。 良いことをして、自分の脳を良い子に育てる。 そして、無意識領域が自分に対して送り込むメッセージに耳を傾ける。 理屈で構築した自分の意識を過信してはならない。 知恵ある友と話しをしていると、 教えてもらったことに限らず、自分でも答えにたどり着く。 なぜか。 これって自分の無意識領域が友と会話をするのですね。 無意識領域が友に向けて発した自分の言葉。 そこでは、自分自身の無意識領域と意識領域の会話も成立している。 P35 高校生の100万人にアンケートを採ったデータによると、70%が「自分の指導力は同級生たちに比べて平均以上だ」と考えているようです。一方、平均以下と自己評価した人は、わずか2%でした。これらの数値は「平均値」の概念を考えれば矛盾します。 大学教授に至っては、なんと94%が、「自分は同僚の教授たちよりも優れている」と信じているといいます。教授というポストには、本人たちも「選ばれたエリート」というイメージがあるでしょうから、とくに極端な数値が出るのかもしれません。 P72 このように自制心を失った被験者に、白黒のランダム画像を見せ、それが何に見えるかを問います。すると面白いことがわかります。 本来は何も描かれていないイラストなのに、動揺していると、さまざまなモノを見いだしてしまうのです。ランダムの絵の中に、椅子や犬や顔などが描かれていると判断してしまいます。 博士らは、さらに、株価変動のグラフを見せ、状況を判断させる実験も行っています。自制心を失った状況では、やはり、ありもしない経済動向を見いだしてしまう傾向が強まりました。 自己制御が困難になると、ヒトは意味や因果関係を倒錯的に知覚してしまいます。友人の背信、恋人の浮気、取引先の陰謀。そんなものを感じるときは、もしかしたら、それは自分自身が精神的に追いつめられている証拠かもしれません。動揺すると足元をすくわれる──なぜか私たちの脳はそうプログラムされています。 P184 解析結果によれば、人生に幸せを感じる度合いはU字曲線を描くことがわかりました。つまり、20歳以前まで高かった幸福感は、20代で一気に落ちこみ、40代から50代前半頃までが最低迷期となります。そして、これを過ぎると回復を始め、調査された範囲では最高齢である85歳に向けて徐々に上昇します。人生のピークは老年期でした。この傾向は、子どもや配偶者の存在などの生活環境因子によってほぼ影響は受けないため、ほぼ普遍的な経年変化であるといえます。 P260 私たちは自分の心がどう作動しているかを直接的に知ることはできません。ヒトは自分自身に対して他人なのです。 こうした研究成果が明らかになればなるほど、意識上の自分をあまり過信せずに、謙虚にならねばと襟を正す思いがします。 と同時に、自分が今真剣に悩んでいることも、「どうせ無意識の自分では考えが決まっているんでしょ」と考えれば気が楽になります。そう、そもそも私たちは、立派な自由など備わってはいません。脳という自動判定装置に任せておけばよいのですから気楽なものです。 もちろん、自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存しています。 だから私は、「よく生きる」ことは「よい経験をする」ことだと考えています。すると「よい癖」がでます。 「頭がよい」という表現には多義性がありますから、その定義を一概に論じるのはむずかしいのですが、私は、頭のよさを「反射が的確であること」と解釈しています。その場その場に応じて適切な行動ができることです。苦境に立たされても、適切な決断で、上手に切り抜けることができる。コミュニケーションの場では、瞬時の判断で、適切な発言や気遣いができる。そんな人に頭のよさを感じます。 このような適切な行動は、その場の環境と、過去の経験とが融合されて形成される「反射」です。 だからこそ、人の成長は「反射力を鍛える」という一点に集約されるのです。そして、反射を的確なものにするためには、よい経験をすることしかありません。 P271 だからこそ私は、よい経験を積んで、よい「反射」をすることに専念する生き方を提案しているのです。これが脳を最大限に活用するための一番の近道なのだと確信しているからです。よい経験をしたら、あとは脳の自動的な反射に任せておくだけ── これほど前向きで、健全な生き方がほかにあるでしょうか。 P277 つづいて、睡眠と記憶の関係について、最近の知見を紹介しましよう。 眠っているあいだは、身体こそ休息していますが、脳活動を記録してみると、ニューロンはほぼフルに稼働していることがわかります。つまり、脳は私たちが眠っているあいだも休んでいるわけではないのです。 睡眠中に脳が何をしているのかについては、いまだ疑問な点も多く、決定的な答えは得られていません。しかし、睡眠の役割の少なくとも一つは「記憶の整序と固定化」にあると言ってよいでしょう。 |
井波律子(中国文学) 岩波新書 2012/08/06 仁義礼知が衝突した時には、 どれが優先するのだろう。 そのような関心から手にしてみたのですが、私には無理。 同じ古典なら、私には旧約聖書の教えの方がフィットします。 氏曰く 我十有五にして、学に心ざし 三十にして立つ。 四十にして惑(まど)はず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。 七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。 自分の思うままに振る舞っても道理の規範から外れることはない。 これが池谷教授の「脳には妙なクセがある」に紹介されるところなのだろう。 良いことを語り、良いことを実行し、良い経験を積めば、 自分の脳は良い子に育ち、良い決定をしてくれる。 |
鬼頭 宏(日本経済史) 講談社学術文庫 2012/08/04 敗戦で、欧米の民主主義が導入された。 日本の現状は、そのように評価されてますが、これは違うのではないか。 江戸時代に続く軍国主義の時代、 それが敗戦によって消滅し、 江戸時代の文化が復活したのが現代でないか。 今、クールジャパンといわれている美意識は、 江戸時代を通じて作り上げられた日本の美意識と思える。 五公五民と飢饉の時代といわれた江戸は、 明治政府が作り上げた虚構の歴史観ではないか。 そのような疑問に答えてくるのが本書です。 飢餓の原因は、圧政ではなく、 小氷河期といわれた江戸時代の気候が原因。 成長と競争に明け暮れた20世紀に、 江戸時代に達成された生活文化は、いったんは否定され、破壊された。 それが今、新しい道具立てを背景に、 再び求められているといったら、言い過ぎだろうか。 本書も、そのように結んでいる。 P105 武士人口は、もう一方の重要な都市住民である。明治初期の統計から、江戸時代後期の武士人口は200万人、総人口の6~7パーセントであったと推計されている。 P138 江戸時代は小氷期と呼ばれる地球的規模の気候寒冷化の時代であったが、その被害が顕著になったのは、寒冷化の第2のピークとなった宝暦・天明・天保期を中心とする18世紀中期から19世紀中期のほぼ1世紀であった。稲作を基調とする農業社会にとって問題となったのは、冬の寒さと降雪よりも、冷夏の霖雨や長雨による日照不足と低温であった。 斎藤洋一氏が作成した災害年表によると、1603~1867年の265年間に、241年度・675項目の気象災害を数えることができる(「江戸時代の災害年表」)。とくに多かった時期は、1720年代(享保期)、1600年代(慶長期)、1780年代(天明期)、1700年代(元禄・宝永期)、1820年代から40年代(文政・天保期)の順である。慶長期には旱魃と洪水が多発し、元禄・宝永期には奥羽・松前・琉球で大規模な飢饅が発生した。享保期・天明期・天保期はいわゆる三大飢謹の時代である。 P155 日本の都市が、同時代の農村と比較して死亡率が高かったのは事実であるが、ロンドンやパリなどと比べれば、快適な環境を保っていたといえるだろう。その理由のひとつに、塵芥の投棄が厳しく取締られたことと、古着を再利用する古手屋、再生紙を作るために故紙を拾う紙屑拾い、蝋燭の融けて流れたものを買い集めて再生する蝋燭の流れ買いという商売が成り立つほど、資源のリサイクルが徹底していたことがあげられる。 同時代のテムズ川やセーヌ川が汚物に充ちていたのとは対照的に、江戸の隅田川河口では白魚がとれ、品川・大森の海岸では浅草海苔が作られていたのである。 P318 しかし今や、完全に消え去ったと思われた江戸の生活システムが注目されている。それは歌舞伎・三味線などの伝統文化や芸能に対する関心にとどまらない。生活時間、人間関係、労働観と遊び、自然との関わりなど、多面にわたっている。江戸への関心は、たんなる懐旧趣味から出たものではない。江戸後期に達成された成熟社会の姿を、無意識のうちに、21世紀の成熟社会に重ねてみようとしているのではないだろうか。 日本列島の一部に限定された生活空間のなかで、量的な成長が困難になった時代、人々はどのような日々を過ごし、どのような一生を送ったのか。現代とは比べることができないほどの短命な人生しか享受できない時代ではあったが、また量も内容も貧弱な物質文化であったというほかなかったにもかかわらず、その生活文化は21世紀の世界が求める「持続可能な開発」を支えるに相応しいものであったようにみえる。 成長と競争に明け暮れた20世紀に、江戸後期に達成された生活文化は、いったんは否定され、破壊された。それが今、新しい道具立てを背景に、再び求められているといったら、言い過ぎだろうか。 |
東大就職研究所 扶桑社新書 2012/08/03 最終的には内定を得たが、 それまでの成績は2勝58敗。 なぜ、東大を卒業したのに内定が取れないのか。 そのような苦労をした女性編集者の就職戦線の分析です。 しかし、本書は、何も語ってくれない。 「誰もがこうすればうまくいく」という“魔法の方程式”など就活には存在しない」 という当たり前の結論だった(219頁)。 編集者の華麗(?)な就職活動から絞り出した結論としては、あまりにも寂しい。 P33 ターゲットとなる大学数は業種、地域によって異なりますが、ターゲット大学を設定している企業の約8割が20校以内に絞っています。中堅企業でも日東駒専(偏差値による大学群の通称。日本大学、東洋大学、駒澤大学、専修大学の4大学のこと)がボトム(底)だと、よく聞きます。 P37 新卒採用においてまず最初に企業が見るのは、学生個々人の「レベル」ではなく「ラベル」。ネット就活により応募者が増えた分、一人ひとりの学生を見る余裕なんてなくなったというわけだ。 P130 ただ、ここまで指摘したことは、すでに聞いたことのあるような話でもある。企業社会が求める「○○力」を追求するなかで、東大就職研究所が最後にたどり着いたキーワードは「謙虚さ」だ。「内定とれない東大生」になるか否か、自らのプライドやミーハーさに気づいたうえで、謙虚さを持てるかが重要な分かれ目になっているように思う。 この「謙虚さ」というのは、「自分に自信がない」という意味ではなく、「大人」になれているかという意味だ。大人とは社会や仲間とのかかわり合いのなかで、自分のことをきちんと理解し、背伸びをせず、興味関心と適性のバランスを考えられる人のことだ。謙虚さを持ち合わせた人間は、企業側から見ても成長の可能性を感じるし、不快になることもない。 P197 就活で圧倒的有利な立場にいる東大生に対し、内定辞退のリスクを考え、企業は高いハードルを用意している。東大入学から志望動機まで、その理由が一直線につながっていなければ、企業は不安に思うのだろう。 P218 「東大卒なのに就活2勝58敗って、いったいどんな人なんだ?って。でも、見た感じ普通だし、特にトークが苦手っていうわけでもなさそうだし……」 P219 こうした試行錯誤による約半年の取材期間を経て、「東大就職研究所」がたどり着いた、ひとつの答え。就活は、これまで生きてきた自分自身だ。言い換えれば、「誰もがこうすればうまくいく」という“魔法の方程式”など、就活には存在しない。 |
渡邉恒雄(読売新聞会長) 新潮新書 2012/07/29 大嫌いな人間を3人だけ拾い出せ。 そのように言われたら、この筆者と小泉純一郎だろう。 恫喝する人間は好きになれない。 しかし、本書で語っている事は極めてまともです。 小泉政治を正確に批判し、 橋下現象も正確に分析している。 まだ、読み始めですが、 どこかで筆者の人格か、 論理が破綻するであろうことを予想しながら読み進めてます。 Twitterなどの無知なる者の発言と否定し、活字文化こそが必要と唱える(145頁)。 しかし、活字文化である朝日新聞の原発論を「超絶対主義」と否定する(155頁)。 読売新聞は、自分を筆頭として徹底して議論をして社説の内容を決めているので正しい論じる(146頁)。 要するに、自分が信じる事が正しく、 他人が主張するところは間違いと論じているに等しい。 そして、無税国債を提言するところなどは、 まさに、経済も、税法も知らない、 素人の思い付きと位置付ける以外にない。 1 タンスに現金を問題にするが、 現金をタンスにしまって貰っていても害はない。 2 節約になるのは利息だけであり、 元本債務が増えてしまっては意味がない。 3 税収に占める相続税の割合は小さいと論じるが、 だからといって合法的な租税回避を認めて良いとは思えない。 税制は公平だからこそ、皆が、従うのだ。 無税国債などは、資金不足で、インフレの時代のアイデアだろう。 いま、資金は余り、インフレによる借金の目減り効果もない。 他人の意見を聞かず、否定し、自分が正しいと論じ、恫喝する。 まさに、著者の個性を表した作品として、一読の価値がある一冊。 P17 どうしてこんなぶざまな政治になってしまったのか。その一つの大きな転機が、小泉純一郎首相の登場だったように思う。 小泉さんの政治スタイルは、いわゆるワンフレーズ・ポリティクス、「改革なくして成長なし」や「自民党をぶっ壊す」が典型的な例だが、国民大衆にわかりやすい印象的なフレーズを言うだけである。 P19 「テレビは普通、編集して短い言葉にして伝えるのに、発信者である小泉さん自身が、それが得意なわけです。しかも、テレビの前に毎日出てくる総理大臣というのはかつていないですよ。だからテレビの側もやめられないです」と語り、テレビだけが政治発信の舞台となることを「大いなる危険」と表現していた。私もまったくその通りだと思う。 P25 そのような竹中流の市場原理主義の同調者が、どれだけ日本経済の「救世主」として当時もてはやされたことか。IT業界の寵児“ホリエモン”こと堀江貴文氏、「村上ファンド」の村上世彰氏、竹中さんの腹心で「大手問題企業三十社の不良債権を早期処理することが日本経済の再生につながる」と唱えた金融コンサルタントの木村剛氏……。いずれも、のちに刑事被告人となって失脚している。 しかし、彼らのような市場原理主義者の跋扈を許した後遺症は、今も日本の経済社会に重くのしかかっている。格差社会を招いたことだ。 P54 『わが闘争』は、当時約1千万部売れた超ベストセラーであるが、大衆について「理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」などと侮蔑する表現が多々含まれているにもかかわらず、ヒトラーはその大衆から熱狂的支持を得たのであるから、現代民主政治が、衆愚政治、専制政治と紙一重的な脆弱さを持つことは記憶しておかねばなるまい。 P123 この学者たちの“ご託宣”を鵜呑みにした一部の政治家たちが、自らを「改革派」と呼び、小選挙区制導入に慎重な政治家たちには「守旧派」のレッテルを貼って、冷静な議論など出来ない空気を作り出して中選挙区制を廃止し、小選挙区制を導入した。 この「改革派」という言葉が飛び出したときは特に気をつけたほうがよい。90年代の政治改革論議のときは「守旧派」、小泉時代は「抵抗勢力」というように、相手にレッテルを貼って真に必要な議論を封じるのは、大衆を煽動するデマゴーグの常套手段である。 P145 まったく同感である。古典や新しい学問への関心や勉学を怠り、新聞も本も読まなくなった若者が、携帯端末を片手に無意味なゲームやメール交換で貴重な時間を潰している。国民の文化や民度の劣化を招く事態であり、「衆愚」の量産になりはしないかと憂うばかりだ。 P146 例えば、新聞の社説を読んでもらえばわかるが、その主張は必ず体系的かつ論理的である。ツイッター情報の対極にあるものと思ってもらってよい。 特に読売新聞の場合は毎週3時間、「社論会議」を開いて、主筆の私以下、社長、論説委員長、編集局長ら編集関係の役員約10人が集まり、徹底的に議論している。論説委員会では、委員長の下、20人前後の論説委員が毎日1時間以上議論して、その日の社説の内容を決めている。 P155 朝日をはじめ脱原発論を唱える人々は、子どもの鼻血に不安を抱く主婦の気持ちを“脱原発を支える一本の柱”として利用し、放射能への不安が日本国内にさらに広がれば“脱原発の支柱が太くなる”とさえ思っているのではなかろうか。 原発がなくなれば放射能の不安はなくなる、という発想は、福田氏が指摘するとおり、戦前の国粋主義にも似た「超絶対主義」である。 P174 したがって無税国債は、相続税の非課税に加えて、購入時に限って旧札交換を無記名でよいことにすれば、飛ぶように売れるのではなかろうか。麻生太郎内閣当時の2009年に設置された「安心社会実現会議」の委員だった私は、会議の席でこの案を提案した。私的な席で麻生さんも「10%の負の利子でも、百兆円ぐらい売れるよ」と太鼓判を押してくれた。 |
北原照久(おもちゃ博物館) たちばな出版 2012/07/26 急ぐ仕事は忙しい人に頼め 暇な人は仕事も遅い 手を抜いたら手がかかる おごるなよ 月の丸さもただ一夜 つきたかったら、 ついている人と付き合いなさい 住まいにこだわるべし なぜなら あなた自身を作っていくのだから おもちゃ博物館の北原照久さんがFacebookに紹介し続ける先人の言葉です。 それを一冊の本にして、玩具と共に紹介してます。 何かがある人は、 さらに、何かを作り上げる。 これは、この本を読んで思った私の言葉。 いや、違う。 何かを作り上げた人は、 さらに、肯定的な評価が受けられる。 だから、何かを作り上げなければならない。 |
マーティン・ファクラー(ニューヨークタイムズ東京支局長) 双葉新書 2012/07/23 震災報道や原発報道を中心にして、 日本のジャーナリズムの特異性を語ります。 記者クラブの批判は言い尽くされてますが、 記者には「官尊民卑」の思想があるという指摘や、 当局の側に立って読者を「見くびる」という納得できる指摘もあった。 「国民以上のマスコミは生まれない」のだから仕方がない。 しかし、日本のマスコミは、従順な国民に甘えているのではないだろうか。 P52 日本の記者クラブは、実に100年以上にわたる長い歴史をもつ。初めて記者クラブが作られたのは、1890年(明治23年)のことだ。取材拒否の姿勢を示す帝国議会に対抗するため、初めて日本で記者クラブが結成された。今日のように堅牢な組織体だったわけではなく、当初は記者の寄り合い所帯という程度の位置づけだったようだ。 P53 お隣の韓国にも、最近まで日本とよく似た記者クラブ制度が存在した。だがインターネットメディアと既存メディアの間で軋礫が表面化した結果、2003年、盧武鉉大統領が記者クラブ制度を廃止している。世界でも稀に見るこの組織は、英語圏では「Kisha club」「Kisha Kurabu」と呼ばれる。あまりにも特異すぎて、翻訳語が存在しないのだ。 P62 電力会社が活断層の存在を認めた瞬間、新聞に記事が出る。裁判で原発の危険性が言及された段階で、ようやく記事を書く。自らが疑問を抱き、問題を掘り起こすことはなく、何かしらの「お墨付き」が出たところで報じる。これでは「発表ジャーナリズム」と言われても仕方がないと思う。 P151 読者(庶民)の側に立たず、当局(エスタブリッシュメント)の側に立って読者を見くびる。記者クラブという連合体を結成し、官僚機構の一部に組みこまれる形でプレスリリースやリーク情報を報じる姿勢がそれを裏付けている気がしてならない。 |
宮城音弥(心理学者) 岩波新書 2012/07/22 脳科学も、認知科学も、行動科学も存在しない時代、 まさに、古典的な学問に属する精神分析入門です。 初版は1959年で、 1995年に52版が発行されてます。 フロイドが無意識領域の存在を認め、 それが発展したのが精神分析という学問。 数十年ぶりに読み直し、 ほとんどの内容が私の無意識領域に保存されているのを発見。 永遠の古典です。 細分化されていった無意識領域の研究を、 精神分析という学問が扱っていた総論的な知識と照合してみようと思う。 |
柳田由紀子 新潮新書 2012/07/21 真珠湾攻撃から終戦、東京裁判、朝鮮戦争までの在米日本人と、 開戦前に帰国していた二世の人生を語ります。 ハワイの二世で編成されていた第100歩兵大隊や、 米国本土の強制収容所から志願兵を集めた第442連隊戦闘部隊の活躍。 「食料なし、水なし、弾薬なし、絶望的」 そのような状況に追い込まれたテキサス師団の第141歩兵連隊を救出した442連隊。 テキサス兵211名を救助したが、 およそ800名の死傷者を出した。 東京ローズの象徴として禁固10年の実刑判決を受け、 アンダーソン女囚刑務所に6年2ヶ月の服役生活を送ったアイバ。 米国に忠誠を誓い、米国籍を手放さなかった為の反逆罪であり、 当時、米国民は、戦争の落とし前を付ける生け贄を探していた。 米軍が徹底的に採用していた日本語の分析や暗号解析と、 日本語分析や沖縄戦において投降の呼びかけに活躍した二世兵士。 アメリカの二世がヨーロッパや太平洋で戦っていた頃、 日本でも約2万人の二世が戦争に巻き込まれていた。 本書は、戦争経験者が亡くなっていく中での最後の記録のような気がする。 大きな流れと、個々人の人生を上手に調和させた良書です。 P46 第100歩兵大隊を、二世兵自身は「ワンプカプカ」と呼んだ。プカとはハワイ語で穴やゼロを意味する。ワンプカプカの名は陸軍全体に知れ渡るほどの軍功を残すが、それはもう少し後の話。また、マッコイ基地には、日系部隊に続いてテキサスから大部隊が到着したが、ふたつの部隊が、米陸軍史に残る救出劇を演じるのも数年後のことである。 P64 「一世はみんな、日本の勝利を信じていましたよ。禁制品の短波ラジオで大本営発表を秘かに聴いては、勝ち戦に歓喜していました。だから終戦の日には、玉音放送を聴いた一世たちが、男泣きに泣く声が収容所にこだましたんです」 P103 「私はこの時、自分が沖縄に来た意義を悟ったんです。沖縄方言で、『出てきなさい』は『ンジティメンソーレ』。後日、多くの人々から『ンジティメンソーレと言われたから、信用して洞窟を出た。自決しないですんだ』と感謝されました。沖縄で、私は一度も銃を撃たなかった。沖縄戦は惨いことだらけでしたが、これが私の人生の救いです」 P136 ビフォンテーヌの森の広場には、小さな石碑が立っている。 「1944年10月。第36師団第442連隊戦闘部隊、第100歩兵大隊、同師団第141連隊第一大隊の勇敢な米国兵士たち、当地を解放するために英雄的に死す」 68年前の10月、二世部隊は、敵に包囲された同胞のテキサス部隊を救出すべく、広場の奥に広がる深い森に入って行った。死闘の末、テキサス兵211名を見事救ったが、二世部隊自らは、およそ800名の死傷者を出すという大きな犠牲を払った。 P194 G2の中でも、とりわけ二世、それも戦中の情報語学兵が集中したのが翻訳通訳部(ATIS)で、占領期を通じ合計約4000名の二世が同部に所属した(「MIS北カリフォルニア倶楽部」)。ATISは一大集団を丸の内郵船ビルに築き、GHQ全体の翻訳、通訳の業務にあたった。部員は、他のセクションに派遣されることも度々で、たとえば憲法改正時の日米間折衝、東京裁判、連合諸国で行われたBC級戦犯裁判、東條英機元首相の逮捕、巣鴨プリズン、淵田美津雄・真珠湾攻撃総隊長の尋問など、占領史のありとあらゆる場面に立ち会った, P233 同じ年、ビル・クリントン大統領は人種差別があったとして、20名の元二世兵の勲章を「名誉勲章」に格上げしホワイトハウスで表彰した。さらに、2011年には、第100歩兵大隊を含む第442連隊戦闘部隊と情報語学兵―あの戦争を戦ったほぼすべての元二世兵に、アメリカで最高位の勲章「議会金賞」が授与された。過去に議会金賞を受勲したのは、ジョージ・ワシントン、トーマス・エジソン、マザー・テレサなど偉人伝中の人々である。 |
内藤誼人(心理学者) 廣済堂出版 2012/07/19 著者が後書きで述べるように、やや強引な論理を述べているのですが、 しかし、私は、著者が述べる論理は正しいと思う。 「不安」を持たない人間には、 人間としての深みが育たない。 不安を探知する繊細な心こそが、 自分を成長させ、安全な生活を送るためのリスク回避センサーです。 P18 人間は、どうしても自分に甘い判断をしがちだが、それを戒めてくれるのがマイナス思考の働きである。 その働きがあるからこそ、きちんと現実を見つめることができるのではないだろうか。 P67 その点、不安な人は、“最悪の事態が次から次に起きた場合のケース”を想定して行動する。 そう考えないと不安だからだ。 そのため、きちんとした見通しを立てることができ、仕事もうまくいくのである。 P97 災難に遭うときには、災難から逃げるのではなくて、災難に遭うのがよろしいという教えは、とても参考になる。 「いい経験をさせてもらったなあ」と思えば、災難も災難ではなくなるからである。 P187 どんな仕事もそうだが、完ぺき主義でなければ成果は残せない。 その完ぺき主義を下支えしているのが不安という感情なのである。 P196 何でもひとり占めしようとするのではなく、自分の分すら相手に差し出せる人間になろう。 そうすれば、読者のみなさんはだれからも人気が得られる。 |
三浦 展 集英社新書 2012/07/19 「国立大卒、美人、フランス語堪能」と、 「某短大卒、それなりに、日本語堪能」の女性では、どちらが幸せな生活をするか。 この頃、ピラミッドを登り、頂上にたどり着いた人達の不幸を見ることが多い。 可能性を広げるために努力し、ピラミッドを登り、結局は選択の幅を狭めてしまう。 「某短大卒、それなりに、日本語堪能」の女性が選択できるすそ野の幅は広いのですが、 「国立大卒、美人、フランス語堪能」が選択できる頂上の幅は極めて狭い。 しかし、本書を読むと、 やはり、ピラミッドに登れなかった人達の方が不幸だとわかる。 P86 まとめ 離婚したいと言われやすい夫はこんな人 ・自分の年収が300万円未満 ・自分の学歴が高卒以下 ・妻の年収が200万円以上 ・妻が自由業、自営業 離婚する男性はこんな人 ・年収が300万円未満 ・学歴が高卒以下 ・職業が自由業、自営業 ・勢いで結婚した ・ひとりでいるのが好き ・家事をよくする ・妻が正社員 ・妻が夜遅くまで帰らない、夜遊びしがち P22 かつ、何とも悲しいのは、男性は有配偶者ではない方が寿命が短いという点である。 男性の40歳時点での平均余命は、有配偶者では39.06年だが、 未婚者では30.42年、死別者では34.95年、離別者では28.72年である。 有配偶者と未婚者、離別者で10年近い開きがあるのだ。 |
草野 厚(慶應義塾大学) 角川Q&Aテーマ21 2012/07/12 良い本です。 戦後の初代総理である東久邇稔彦から、 野田佳彦総理までの経済政策を語ります。 これからの時代の流れが見えない今だからこそ、 戦後、日本が、どのように立ち直ったのか、それを再確認する意味があります。 戦後、わずか4年間に、卸売物価が60倍、小売物価は79倍に跳ね上がった。 政府による強制割当で購入した国債は、事実上、無価値になり、預貯金も価値を失った。 戦後、今に至るまで日本は成長し続け、 好況、不況の波を通り抜けながらも日本は常に富になり続けた。 多様な難関を通り抜け、 一流の経済と、三流の政治の国として、 世界に恥をかきながらも、経済成長を続けた。 昔の政治家に比較し、 今の政治家は粒が小さい。 そのように思っていたのですが、 それって違うようです。 今も昔も政治家の粒の大きさは同じ。 極一部の政治家を除き、 たぶん、皆さん、正直者なのだろう。 |
黒木 亮(ノンフィクション作家) 毎日新聞社 2012/07/11 小説でも、ドラマでもない、ノンフィクションです。 川崎製鉄の創立者が高炉を造った歴史を語ります。 朝鮮特需の解説があったのでメモしておきます。 P207 こうした状況を一挙に変えたのが、翌昭和25年6月に勃発した朝鮮戦争だった。 6月25日、金日成率いる北朝鮮軍が北緯38度線を数ヶ所で越えて進撃を開始。兵力で勝る敵の奇襲に韓国軍は潰走を続け、朝鮮半島南部の釜山にまで追い込まれ、国家消滅の危機に瀕した。しかしマッカーサーを最高司令官とする国連軍(米軍主体)が仁川上陸作戦を敢行し、11日後にはソウルを奪還。北緯38度線を越えて、追撃を開始した。ここに前年独立した中華人民共和国が北朝鮮を支援して参戦した。 マッカーサーは、在日米軍の朝鮮出兵で日本の治安維持が手薄になるとして、吉田茂首相に警察予備隊(7万5千人)の創設を指示。同予備隊は、やがて昭和27年に保安隊、同29年に自衛隊へと改組されていく。また、GHQの指示で徳田球一ら共産党幹部25人が6月に公職追放されたのに続き、官公庁や民間企業でも共産党員や同調者と見なされた人々1万人以上が職を追われる「レッド・パージ」が行われた。 米軍の兵站基地となった日本では、軍需物資の需要が増大し、経済が一気に活況を呈した。「朝鮮特需」は最初の一年間で3億1510万ドル(約1130億円)に達し、ドッジ・ラインによる恐慌状態を吹き飛ばした。スクラップや鋼材価格も跳ね上がり、川崎重工製鉄所の業績もうなぎ上りとなった。特に、酸素製鋼でつくった川崎の薄板は、非常に「絞り」(柔軟性)がよく、焼夷弾の材料として米軍から重宝された。 |
板倉 京(ママさん税理士) 文春新書 2012/07/08 相続で揉めてしまった6つの「残念な相続パターン」から説き起こし、 財産をリストアップし、 誰にあげるかを決めて、 遺言書を書く。 相続税を知り、 生前贈与を活用する。 そのように論を進めています。 相続についての上手な論の進め方です。 本書のキーワードは「妻は6度の相続を経験する」でしょうか。 自分の両親、夫の両親、夫の相続、そして自分の相続。 |
豊田有恒(小説家) 祥伝社新社 2012/07/07 多数回の異民族の侵入を経験した韓国と、 最後の侵略者である日本によって導入された漢字文化。 韓国で使われている漢字語の8割は日本製だそうです。 戦後、日本統治の否定から強化された漢字の禁止とハングル化。 言語を否定された国民による文化の再建は非常に困難なのだ。 いや、私には、本書を誤解なく紹介する知識がない。 漢字を利用した方が便利だろうと無責任なことは言えない。 大型、出口、魔法瓶、売り物、代金、親父、小切手、小荷物、踏切、、割り箸、乗換、改札口など、 しかし、本書を読めば、 漢字とハングルの関係だけではなく、 日本が韓国に嫌われる理由も分かると思う。 |
向井 蘭(弁護士) ダイヤモンド社 2012/06/29 プロが書いた読み応えのある一冊です。 正社員を解雇するには2000万円がかかる。 使用者側の立場で労働事件を扱っている弁護士は少ない。 地方では、会社側に役立つ知識を持った弁護士を見付けることすら困難。 労働事件を扱う弁護士が少ないのは、 弁護士のメリットが少ないから。 不動産事件などに比較し、労働事件で動く金銭は大きくなく、 しかも、会社側は裁判で負けるケースがほとんど。 さらに、労働事件には2年、3年を要することが多い。 このように弁護士業界を語り、 さらに労働事件の勘どころを語る。 解雇や減俸は難しいが配置転換は容易など、 日本の労働慣行の問題点を語ります。 P47 しかし地方の場合、労働事件は滅多に起きません。そのため、地方の裁判所には労働事件の専門部署はなく、裁判官も労働事件をほとんど担当したことのない人が多いのです。 そうした背景を考えれば、裁判官の多くが労働法に関する知識をあまり持っていないのもいたしかたないことでしょう。 P61 どうしても辞めてもらいたい場合には、さらに退職金を上積みしなくてはなりません。結局、Aを解雇するために1500~2000万円くらいかかる計算になります。もしもこれが整理解雇で、Aのように仮処分を申し立てる労働者が4、5人いたとしたら、倒産してしまう会社もあるでしょう。 P62 裁判になるとどれほどの費用や時間、労力が奪われていくか認識していないから、その提案を受け入れられないのです。弁護士としてはそんな経営者を何とか説得するのが仕事なわけですが、労働事件に不慣れな弁護士はそうした現実を知りません。 P72 しかし労働法の世界では、労働者に対する価値観が180度異なります。労働者の能力不足にはものすごく寛大なのに、遅刻や欠勤などの勤怠不良には非常に厳しいのです。 P73 しかし労働法の世界では、その考えは通用しません。裁判官も労働法の価値観が今の時代と相当ずれていることは認識していますが、判例の集積からは逃れることができません。法律の主旨を根底から覆すような画期的な判決は下せないのです。 P74 結果的にうまくいったわけですが、会社側と裁判官で論点がこれほどずれているのはおかしいと思います。しかし裁判官は多くの場合、労働者の能力にはほとんど興味を示しません。労働者の能力は客観的に測ることが難しいため、それを判断基準にすることはあきらめているように見えます。 P76 私も会社側の弁護士として、このような人事異動を行なうアドバイスをすることがあります。しかし、解雇規制の厳しさとは打って変わって、あまりにも広い人事異動の裁量に違和感を感じることもあります。 P95 ストライキは労働組合の大きな武器ですが、今の時代、恐れる必要はないでしょう。 ストライキで正規の労働時間に仕事をしていない分の賃金はカットされるため、労働者のなかにはやりたくないという人も少なくありません。無理にストライキを強行すれば、最悪の場合、組合は分裂してしまいます。 P96 要するに、組合は他に手段がないため、苦し紛れに元請け会社等で騒ぐのです。血気盛んに運動をしているように見えますが、会社に要求を受け入れてもらえずに追いつめられているというのが組合の本音です。 |
金田康正(計算科学) ウェッジ選書 2012/06/25 思い返せばIBMスパイ事件や、 クレイというスーパーコンピュータがありました。 なぜ、中国が1位になってしまうの。 スーパーコンピュータは何に使うの。 そのような疑問に答えてくれます。 米国に負けることが予定されていた世界一ですが、 ただ、台湾などへの輸出が決まり、開発費は回収できるそうです。 スーパーコンピュータを利用したπの計算は、 ハードとソフトのミスチェックの意味もあるそうです。 P52 そして1980年代の中盤から始まったのが、「日米スパコン貿易摩擦」である。1982年、(IBM互換機を作っていた)日立社員と三菱電機社員計6名が「コンピューターシステムに関する情報を盗んだ」とアメリカIBMから訴えられた“IBM産業スパイ事件”が発生。 P53 まず1985年。NCAR(アメリカ国立大気研究センター)のスーパーコンピューター導入案件に日立、富士通、NECが応札し、日本メーカーが落札に成功した。ところがこれにアメリカ議会が圧力をかけた結果、決定がひっくり返って価格性能比が劣るクレイ社の新型機に変更された。 そして、日本で“バブル崩壊”が起きた後の1996年に、決定的な事件「スーパー301条発動」問題が発生する。その背景となったのが、価格性能比の高さから世界的に人気のあったNECのスーパーコンピューターSX-4と、その半分の性能も出ない新型スーパーコンピューターを持つクレイ社との、本来なら勝負にならない市場争いだった。 P55 ところが、この話には後日談がある。アメリカ市場でSX-5並みのスーパーコンピューター性能を求められたクレイ社は、これに応えることができなくなって2001年にはSX-5を通常関税率で輸入、結果的にクレイ社でOEM(Original Equipment Manufacture:相手先ブランド製造)化されることで日米スパコン摩擦は終結したのであった。 P171 ところが、実はこの天河1号はアメリカ・インテル社製のプロセッサーXEON(E5540/E5450)の合計で71680コアと、AMD社製のGPGPU(HD4870。台数不明。)を採用してシステムが構成されている。つまり中国の独自技術による半導体設計の成果によって優秀な成績を得た上でのランクイン、というわけではないのだ。ちなみに、第14位に入った韓国の最速機「スーパーコンピューター4号機」にいたっては、サンマイクロシステムズ製を海外から買ってきたシステムだ。これらをわかりやすくいうなら、「金にものをいわせて作った(買った)システム」なのである。 P173 つまり「1番になる」ことだけを目指すのならば、その程度の価値しかない。問題とすべきなのは、やるべきことをやった結果として「1番になる」ことなのである。「京」プロジェクトでは当然、その“やるべきこと”を目標として掲げた上でスタートしたはず。 |
久保憂希也 あさ出版 2012/06/22 著者のことは知らなかった。 批判の声が多いので、 ほんとかなと著書を手にとって見た。 業界のレベルを知る為には、 この種の書籍も手に取らざるを得ない。 うーん、知識も、ノウハウも何も無い。 全国の税理士に「正しい税務調査の対応方法」を伝えるためと経歴欄には書いてありますが、 本書には、何も書いてなかった。 7年間の税務署勤務の経験が有るようですが、 その経験から、税務調査の何を語るのだろうか。 例えば、次だが、税務調査の状況を録音しておいて、 何の意味があると思っているのだろう。 P82 ただし、ここで注意が必要ですが、ICレコーダーを調査官の見えるところに置いておくと、間違いなく「録音はやめてください」と言われます。税務調査を録音するのが違法行為だからではなく、調査官にとって不利になるからなのです。 ICレコーダーは調査官に見えないところ、例えば、スーツの胸ポケットに入れておくとか、ペンケースに入れておくなど、工夫して録音してください。後で録音しておけばよかった、ということにならないようにしておくことです。 |
牧野義博(OB税理士) 大蔵財務協会 2012/06/21 「税務署の裏側」という汚れた本を読んでしまったので、 正統派OBの著書を手にとって見ることにしました。 多様な業種、多様な場面での調査について、 質問の進め方を、納税とのやり取りとして説明してます。 税務調査の進め方 そのような趣旨の若手税務職員への参考書です。 1 事実認定 2 税法判断 3 手続規定 これの1の書です。 しかし、同じことを見ても、 見る側の心によって、違う景色が見えるところが面白い。 日商簿記2級の受験について、「税務署の裏側」の著者は「非常に甘い研修」と定義し、 本書の著者は「たった6カ月で」合格しなければならない凄い研修と定義します。 私は、本書の著者に同意です。 何も知らない人が簿記に挑戦し、 日商簿記2級に合格するのは、それなりに難しい。 P49 彼らが無事に合格し税務大学校に入校してきたら、待っているのが簿記2級の試験に合格することです。 商学部の研修生は既に習得していますが、それ以外の学部の研修生は大変です。 各クラスで簿記2級の習得者を簿記委員に任命し、研修生総出で未習得者を応援するのです。 地方出身の研修生は原則として全寮制のため、勉強をする環境は通学生よりも恵まれているので、彼らが簿記の未習得者を全面バックアップしなければなりません。 商工会議所の簿記検定2級を卒業までに習得しなければなりません。たった6カ月で! 地元の商工会議所から税務大学校の研修生の合格率が80%以上のため、感謝状をいただいたくらいすごいのです。 従って、研修生の結束力もこの研修で磨かれることになります。 自分のためだけではなく、みんなのために自分は何をすべきか。 研修生が自分達で目標を立て、1人の落ちこぼれもないように頑張ってそれを達成していくのです。 研修が終了した時の達成感は研修生ばかりでなく、教授陣も同じ思いを味わうという訓練センターが税務大学校であるといっても良いと思います。 |
松嶋 洋(東大卒のOB税理士) 東洋経済新報社 2012/06/21 本屋で立ち読みし、 購入に値しない書籍と評価したのですが。 しかし、文字が書いてあるのだから、 何か、収穫があるのではないかと思い直し、購入してみた。 著者は、「東大卒の元国税調査官」と宣伝している税理士です。 しかし、その経歴が本人の視点を狂わせてしまった例と読めました。 現行の税務行政の全てが間違いで、自分だけが正しいと主張する。 税法的な知識もノウハウも存在せず、著者の個性のみが目立つ書です。 著者が述べるところの要旨は次の内容です。 税務調査は法律が守られているとはいいがたく、 一番大切なことは「税務署の主張を正直に受け入れない」。 簡単にいえば、税務調査はゴネ得なのです。 税務調査官はあまり法律に詳しくなく、 法律的に納得させる根拠を提示することも苦手。 法律の条文の説明を求めれば、 かなり、税務調査官はあたふたすると思います。 ほとんどの会社の関与税理士は非常に協力的に対応する。 表立って税務署と対決しない方が良いというのが常識なのかもしれない。 調査する側から見ると、これはあまり得策ではない。 税務大学校の教授と呼ばれる職員は、正直に申し上げて大変レベルが低い。 国税専門官の採用試験には税法は出題されないので、 彼らに基礎知識を教えるため自ずと簡単な内容の講義にせざるを得ない。 これは仕方がないとして、 それ以上に、基礎知識を教える側のレベルがきわめて低いのです。 P75 簿記2級を受験された方もいらっしゃるかと思いますが、日商簿記検定を主催する日本商工会議所によると、簿記2級のレベルは、「高校程度の商業簿記および工業簿記(初歩的な原価計算を含む)を修得しており、財務諸表を読む力があり、企業の経営状況を把握できるレベル」とされています。少しうがった見方をしますが、専門官基礎研修は、大学を卒業している人間に、高校程度の簿記をその5分の1もの時間をかけて講義している、という非常に甘い研修ともいえます。 P116 このような事情がありますから、税務署で勤務したOB税理士は、税理士とはいっても、実に限られた知識しかもっていない方がほとんどです。一般の税理士試験であれば、税法科目は3科目以上合格する必要がありますので、かなり幅の広い知識を学習します。このため、試験組の税理士とOB税理士とは、その知識量にはかなり差がある、という印象があります。 |
池上英洋(國學院大學教授) 光文社新書 2012/06/19 ラファエロの子椅子の聖母。 それが描かれたのがルネッサンスです。 私の大好きな絵画と時代。 しかし、不思議な時代でもあります。 その不思議を、ルネッサンスの始まりから解説してくれます。 P37 都市が国家の基本単位であり、都市だけが富む構造なのにはさらなる理由があります。というのも、コムーネの収入のかなりの部分を「城門での関税」が占めていたからです。 例えば14世紀のフィレンツェでは、年度収入の約3分の1が城門での関税によるものです(ちなみに次に多いのが、約6分の1を占めていた酒税です)。 14世紀のフィレンツェは繊維業や金融業でヨーロッパを代表する“富めるコムーネ”になっていたことを考えると、歳費の3分の1を占めていた城門関税の重要さがわかります。 コムーネの盛衰はまさに、どれだけの物資が都市の城門を通過するかにかかっていたのです。 |
加藤 廣(歴史小説家) 新潮新書 2012/06/15 黄金のジパングは本当に存在したのか。 存在したとしたら、なぜ、金を失ってしまったのか。 しかし、市中にも流通していただろう金貨が、 博物館ものになるほどに消滅してしまったのも不思議です。 P114 その5代・綱吉の元禄8年(1695)までの95年間に徳川幕府が発行した慶長大判、小判は1472万両というおびただしいものであった。 P115 この「1000万枚を越える慶長金貨」は、江戸期を通じてどこへ行ってしまうのか。そして、「黄金のジパング」はどうなっていったのだろうか。 P120 家康は、豊臣家との最終戦である「大坂夏の陣」(1615)の翌年、73歳で、突然この世を去る。 その残した遺産は300万両だったという。 現在のキンの時価から計算すれば2~3兆円。この中には、慶長8年に中国のキン価格が急に値下がりしたとき(銀の需要が激増した反動のようだ)にキンを4トンほど中国から買い付けて小判とした27万両も含まれていよう。 P137 老生がかねがね不思議に思っていること───それは、 一体、こんなに大量に造られたキン貨はどこに行ったかである。その何枚かを我々は全国各所の博物館や記念館で見る(拝む?)ことはできる。また、テレビの人気番組「お宝鑑定団」などでも、時々、家宝としてお目にかかることがある。 しかし、慶長金貨だけでも1400万枚以上造られたのだ。その後、これを溶かして再生したとしても、キンの含有量を減らした政策の方が断然多いのだから、枚数は増えることはあっても減ることはなかったはず。となるとどこへ消えたのか貴方は気になりませんか? |
和田昭充(東京大学名誉教授) 三笠書房 2012/06/12 なぜ、君はバカで、僕は利口なのか。 なぜ、僕はバカで、君は利口なのか。 それを論じているのですが、 シンプルな答は存在しないようです。 ただ、この著者が日経新聞に書いたコラムは読ませました。 いつの時代でも「本物の専門家」に求められるのは「謙虚さ」、 そして「自分の能力の限界」に対する不断の反省だ。 日経新聞 2012年6月1日 “専門家”を待つ落とし穴 東京大学名誉教授 和田昭允 専門家には“自信の強さに比例する深さ”の落とし穴が待っている。思いつく事例は、今日の政治、経済、科学技術に山ほど見られるが、差し障りのない昔話を紹介する。 日露戦争から第1次大戦にかけて次世代兵器のハシリが続々と現れた。しかしフランスのフォッシュ元帥(聡明で鳴らした連合国軍総司令官)は、1910年に飛行機を見て「飛んで遊ぶのは体にはいいかもしらんが、軍事的価値はゼロだ」と一笑に付す。 キッチナー元帥(英国陸相)は15年、塹壕突破マシンの戦車が提案されたとき「空想の世界から厳然たる現実に降り立たねばならない」と酷評。最初の戦車が彼の面前で威力を示しても「手際のいい玩具だ。戦争はこんな機械で勝てるものではない」と切り捨てた。 言うまでもなく飛行機も戦車も第2次大戦勝敗の帰趨を決した立役者である。 バーナード・ショーらしい痛烈な皮肉だが「由来、専門家というものは、自己の職務を知らないものだ。将校は他に多くの美点があるが、軍事に関してはいつも無能だった」。 ロイド・ジョージ(英国首相)は言う。「英国は次の戦争のために準備せず、ただ過去の戦争のために準備したのである。ボーア戦争のときわれわれは、クリミア戦争のつもりでこれを迎えた。その後もわが軍事専門家たちは、過去の戦争をそのまま参考にして、次の戦争計画にふけっていた。そこに世界大戦が勃発してしまったのである」。 まさに日本も日露戦争時代の、銃剣突撃の精神主義と日本海海戦の大艦巨砲主義で太平洋戦争に突入してしまった。 いつの時代でも「本物の専門家」に求められるのは「謙虚さ」、そして「自分の能力の限界」に対する不断の反省だ。 |
おちまさと(プロデューサ) 芙桑社新書 2012/06/05 もっともなタイトルなので手に取ったのですが。 紹介するほどの深い内容はありませんでした。 |
田中重代(日本医療法人協会参与・国税OB) ECブックス 2012/06/05 医療法人の税務を論じるについて必読の書です。 医療法人の歴史と、そのときどきに導入された税制の関係を語ります。 全ての制度は、歴史と理屈の上に構築されるのですが、 その歴史と理屈を語ります。 P101 第一次八王子事件は、退社した社員が持分払戻しを請求したもので、その金額が話題になった。平成6年3月24日、東京地裁八王子支部はこの事件の判決において、「医療法人側は原告の出資割合(10%)に相当する5億円余を支払え」と命じたのである。 翌平成7年6月14日、東京高裁の判決が出た。結果は、「医療法人側は588万円余を支払え」という大逆転判決であった。 払戻額の計算にあたり、一審判決は医療法人の資産の時価総額を基準に、退社社員の出資割合をそのまま当てはめて払戻額を算定したのに対し、二審では退社社員が医療法人の増資により途中入社したことに着目。入社時点では資産総額が膨らんでいたから、退社社員の出資割合は出資総額ではなく、剰余金等で膨らんだ増資時の資産総額に対して求めるべきとの判断を示したことが、この大逆転を生んだ。後者の方式で計算した出資割合は10%ではなく、0.1%だったのである。 P102 第1次八王子事件の最高裁判決が出る前年の平成9年、第2次八王子事件が発生する。 そもそも出資額限度方式とした定款変更の手続きに瑕疵があったとして、退社社員側は定款変更の無効を理由に、剰余金を含む持分相当額全額の払戻しを請求した。払戻額は出資額限度方式なら1087万円、そうでなければ37億円余―。天と地の差だ。 この事件も東京地裁八王子支部の管轄であり、平成12年10月5日、判決が下された。内容は出資額限度方式による1087万円の払戻しを、医療法人に命ずるものであった。医療法人側の実質全面勝訴である。 P129 実はこの時には、出資額限度法人の論点として事業承継問題のほかに、医療への株式会社参入論議があったことを忘れてはならない。小泉純一郎首相の「聖域なき構造改革」方針の下、政府・総合規制改革会議は平成14年12月の第二次答申において、「現行の持分を有する医療法人でも内部留保を蓄積し、解散時にはそれを出資者配分することは可能であることなどを考え合わせると、医療の公共性と利益配当が相容れないという議論は意味をなさない」と断じ、医療分野への株式会社参入を求めていた。 P130 しかし、移行後に社員の退社や死亡に伴う相続があった場合、退社社員は出資額相当額しか払戻請求できず、剰余金相当額は残存社員に贈与したとみなされるから、残存社員に贈与税を課す。ただし、その例外として、次の4要件を満たした出資額限度法人であれば、このみなし贈与課税はしない。 ①同族出資比率50%以下 ②同族社員比率50%以下 ③同族役員比率3分の1以下 ④役員等への特別の利益供与禁止 ここで問題なのは同族出資比率50%である。仮に増資でクリアしようとした場合、どうなるか。 出資金1000万円の全額が同族出資であるとして、新規に1000万円を出資してもらい、同族出資比率50%以下にしようとする。ここで、医療法人には5億円の純資産があるとする。 この場合、新規出資者は持分比率50%を手にするものの、医療法人の純資産に占める自己の持分比率は1.96%に過ぎないから、これを超過する持分比率相当分48.04%相当分の剰余金部分(2億4500万円)の贈与を受けたとみなされ、贈与税課税されてしまう。課税を回避するには、純資産と同額の出資をしてもらわなければならない。それは巨額であり、仮に出せたとしても、利子も配当もつかない。 P131 出席していた厚生省審議官がすかさず立ち上がり、厚生省は省のスタート以来、生活官庁として一貫して非営利の理念で貫かれてきた。厚生省の仕組み、運営、業務はそれで組み立てられてきた。非営利の理念を修正することは、厚生省の存在そのものの否定につながり容認できないと発言。それを座長格で出席していた橋本龍太郎議員が、「そのとおりである」と引き取った一幕があった。 |
藤原敬之(ファンドマネージャー) 文春新書 2012/06/02 ファンドマネージャーとして巨額の資産を管理してきた著者が、その分析の「目」を語ります。 原則、原点に遡っての記述が続きますので、読み進めるのが苦労ですが。 たぶん、著者の生き方として、先人の著書から学び、現実を直視し、理屈の無い投資理論に振り回されることなく、また、感覚的な判断に流されることなく、分析し、原因を突き止め、自分のポリシーを育てること。 そのようなことを言いたいのだと思う。 世の中には、明日の株価が予想できると思う人達がいて、 その人達を必要とする投資家が存在する。 しかし、明日の株価が予測できるとしたら、 その株価は今日には成立してしまう。 だから、市場で勝ち残る為には 明後日の株価を予想しなければならない。 しかし、誰にも予測できない明後日の株価を予想し、 世界の投資家を出し抜くことが可能なのだろうか。 さて、この著者は、本当に明日の株価を当てていたのだろうか。 ただ、著者の真面目なアプローチと、それが真面目なるが故に投資家に信頼される。 それは事実だったと思う。 14P 経験的に言いますと、上手いファンド・マネージャーで6割、下手なファンド・マネージャーで4割というのが現実だと思います。その程度なのかと思われるかもしれませんが、常時6割以上というのはプロの世界でも至難の業なのです。 |
POKKA吉田・大崎一万発 主婦の友新書 2012/06/01 パチンコ業界を深く語ります。 収益構造や、競争構造、メーカーと店舗の関係。 3店方式が導入された経過や、 それが合法化されている危うさ。 その危うさがパチンコ店の上場の妨げであること。 一般に理解されているパチンコ業界の紹介ではなく、 業界について多様な知識を持つ著者が述べる解説が深い。 そして、組織再編成を利用した節税策について次のように紹介します。 P122 これは、各紙各局が同時に12年2月12日に報じたもの。ニックス租税研究所の朴茂生元税理士が発案したとされるスキームで、会社を新設したりして取引計上をして含み損をコピーして納税額を極端に減らす、という方法だ。なお、Sスキームという言葉は、通称。各紙各局はこの言葉を使っていない。 報道によると「ぱちんこ屋チェーン約40社が合計1千億円規模の申告漏れを指摘され修正申告」「ぱちんこ屋チェーン約30社が合計3千億円規模の損失計上を準備し是正を求められ応じた」というもの。合計4千億円規模の「申告が消えるとこだった」ということで、ぱちんこ業界内でも大騒ぎになったんだ。 朴茂生氏が民団などの在日社会でも人脈が広い人物であったこと、ぱちんこ業界がSスキームに適していたこと(含み損が大きい資産を持ちつつ、本業の売り上げ規模も大きい)、なども相まって、約40社がこのスキームに参加したということなんだ。なお、本書執筆時点で、起訴された法人はない。 ま、国税庁的には「修正申告で実を取る(結果、納税された)」ということで、起訴に踏み切らなかったのかもしれない。ゆえに各紙各局は「租税回避」という言葉は使っても「脱税」とは一言も言ってない。「脱税のようなもの」ということを人のコメントで紹介するのが精一杯だったようだ。 |
渡邊 剛(心臓血管外科) PHP新書 2012/06/01 医者って、どんなことが楽しいの。 それを語ってくれるのが本書です。 書くことが分かっている著者の本は読みやすい。 2時間程度で読めてしまう中身の濃い書です。 本書から引用部分を抜き出せば、全文になってしまう。 そこで、あえて逆説的な箇所を引用してみます。 P29 学生たち10人に「お金持ちになりたい人はいますか?」と聞くと、1人くらいは手を挙げます。「どのくらい欲しいの?」と聞くと、「年収1億円くらい」と答える人もいます。「それでは、他の人は、お金はいらないのですか?」と言った後に、もう一度、「お金持ちになりたい人はいますか?」と聞くと、今度は半分くらいの人が手を挙げます。 実際のところ、多くの学生は、「お金持ちになりたいというわけではないけれども、せめて自分が働いた分に見合った対価として、ある一定以上の収入は欲しい」と考えているようです。これは、医者に限らず、どの職業に就きたい学生でも、同じではないかと思います。 |
河内 孝(全国老人福祉施設協議会理事) 新潮新書 2012/05/29 良い本です。 現場を実感で語る書です。 竹内イズムの三大目標は、オムツ外し、自力歩行、胃瘻装置の取り外し。 そのことについて介護職員に次のように語る。 P17 「プロって何だ?専門家と専従者との違いだ。医者が尊敬されるのは、専門の技術がなければできない仕事をするからだ。人は、大変だが誰にでもできることをやったからといって、感心はしても尊敬はしてくれない。人にできない技術を持って初めてプロの介護職になる。プロを目指してくれ!」 P26 「おむつ交換は介護ではない。誰にでもできる作業で、そのための基礎知識も理論も学ぶ必要がない。食事、入浴も基本的に同じに扱われてきた。こうしたことが『学ばず、チームワークで作業しない、一人で勝手に働く』という(日本的)介護体質を作ってきた。おむつゼロは、この体質をぶち壊さないと実現しない。ぶち壊さないかぎり、プロにしかできない、科学的で質の高い介護は実現しない」 P27 「おむつゼロ運動」は、当初から「水分を取るとかえって尿失禁が増えるのではないか」という誤った常識と闘ってきた。竹内教授のデータでは、年齢にかかわらず自力歩行して、水分を十分に取っている人の方が、車いす生活で水分摂取が少ない人より夜間の失禁例が少ない。夜間のコールも、異常行動も少ない。おむつゼロを達成した施設の代表が、講習会で「当直の夜は職員もぐっすり寝ています」と発表して、夜間コールに追い回される他施設の職員たちがのけぞるという場面もあった。 |
西城活裕(東京大学先端科学研究センター教授) PHPビジネス新書 2012/05/29 理系を除き、学者の本はダメ。 そのように戒めていたのですが、タイトルに引かれて購入してしまいました。 そして、戒めを再確認してます。 なぜ、このレベルで本を出そうと思うのだろうか。 |
加藤 忠史(理化学研究所脳科学総合研究センター) PHP新書 2012/05/28 精神科の難しさと、治療の限界を語ります。 P38 ほかの診療科であれば、もうすでにいろいろな検査があり、そうした検査にもとづいて診断がなされています。あるいは毎年、職場の健康診断で血液検査をして、何かの病気が疑われるとなったらくわしい検査をする、ということが行われています。 そうしたなかで、精神医学だけが検査が一つもなく、診断は話をするだけという、まったく後れをとっているのが現状です。なぜなら、精神疾患の原因がまだ解明されていないからです。そのうえ、死にたくなるほど苦しんでいる人に「治るには三ヵ月かかります」などといって、なかなか効果が現れず、副作用もきつい薬を飲んでもらわなければなりません。 P88 前に述べたように、精神疾患は山ほどあります。「正常です」というには、「これらすべての精神疾患のどれでもありません」といわなければなりませんが、そう診断するには、すべての病気について尋ねなければならず、何時間もかかります。とうていできません。 意外かもしれませんが、「正常です」ということは、「病気です」というより何倍も難しいのです。そうしたなかで、最近、精神疾患に対する考え方が大きく変わったと感じるのは、自分の悩みを病気として訴える人が出てきていることです。 P96 では、そういう精神状態になっている人すべてに薬を飲んでもらえばいいのかというと、難しい問題があるのです。 統合失調症の発症率はおよそ人口の1パーセントです。ですから、こういう症状があって統合失調症のリスクがあるからといって、そのすべての人に薬を飲んでもらうとなると、ほとんどの人が必要もないのに飲むことになってしまうわけです。 |
フレディリック・フォーサイス 角川文庫 2012/05/23 良い本が見付けられないときは、 古い本を引っ張り出して読んでみる。 2度、3度と読み返してみたい本がある。 捨てられない本がある。 フォーサイスの長編を読み返す気力はありませんが、 フォーサイスは短編も良い。 別の短編集の「シェパード」も良く、 「免責特権」も良かった。 本書に収録されている「帝王」は圧巻です。 相続人と内閣歳入委員会を出し抜く「完全なる死」も良い。 |
南 直哉(恐山菩提寺住職代理) 新潮社 2012/05/17 20年の修行を積んだ住職が恐山を語ります。 語られるのは理屈ではなく、思いです。 さて、その思いが正しく、深いものなのか。 私の評価は否でした。 |
かのよしのり(元自衛官) サイエンス・アイ新書 2012/05/17 銃というのは1種類ではないのですね。 構造も違い、弾丸も違い、用途も、射程も、威力も異なる。 現場で銃器を研究した著者が、銃の全てを語ります。 |
橘 玲 幻冬舎 2012/05/15 アドバイザーは最後には宗教家になってしまう。 本書は、その一例と思える。 |
安野光雄(絵本作家) 朝日新聞社 2012/04/29 斜めから見た常識や、反転したロジックを語ります。 私が書いているブログの視点と同じ。 なるほどと納得する一文もあり、 つまらない一文もあり。 しかし、著者の凄さは、その量だろう。 1頁に3つの奇妙な物語が書かれる。 95頁 飛行機が赤道を通過する際に、機内アナウンスで「ただいま赤道の上を飛んでいます」というそうな。すると乗客のほとんどが窓から下を見下ろしてみる。赤い線が引いてあるような気がするらしい。 |
酒井 邦嘉(言語脳科学) 実業之日本社 2012/04/26 読書人口が減っている と、言われてますが、書店には人が溢れてます。 電子書籍 と言われてますが、読書家が電子書籍に移行するとは思えません。 ただ、ネットの時代の情報は、短文細切れが多く、 それに慣らされてしまうと、長文の書籍を読むのが苦痛になる。 電車の向かいの席の7人の内の4人が漫画雑誌を読んでいた時代から、 4人がスマートフォンを見ている時代に変わったのは事実。 P61 その原因の一つは、想像力の個人差なのではないだろうか。数学は極端な抽象化を推し進めるから、かなりの部分を想像力で補わない限り、わかった気になれないのだろう。数学では、目で直接見えず、音も聞こえず、もちろん触ることもできず、感覚から遠く離れた対象について考えなくてはならない。そして無限であることを有限の時間で把握しなくてはいけない。数学こそは、再帰的能力と想像力の両方がフルに活かされる分野と言える。だから数学は難しいのだろう。 |
村山 斉(素粒子物理学) 幻冬舎新書 2012/04/23 抜群に読みやすい宇宙論です。 ほとんど、引っ掛かることなく、すらすらと読めます。 時空は10次元、ダークマターとダークエネルギー、ヒグス粒子など、最先端の宇宙論が解説されます。 P114 ミューオンは寿命がとても短い粒子です。光速で飛んでも、誕生した地点から660メートルほど飛んだところで壊れてしまうほどの短さです。ところが現実にミューオンは地上で観測され、ピラミッドの調査にも使われました。これは、光速に近い速度で運動することで時間が遅れ、寿命が延びたからなのです。 P116 では、質量がエネルギーに変わるとはいったいどういうことでしょうか。 たとえば、原子核をバラバラにして、陽子と中性子の質量を別々に量ります。自動車を解体して部品ごとに重さを量るのと同じですから、両者の質量の合計は原子核全体の質量と変わらないはずです。 ところが実際は、別々に量った質量の合計のほうが、原子核よりも重くなります。質量を「結合エネルギー」に変えて吐き出すために、くっついたほうが軽くなるのです。陽子や中性子にとっては、軽くて安定した状態なので、こちらのほうがお得です。このように、エネルギーを放出して質量が軽くなる現象のことを「質量欠損」と言います。 |
榎本博明(心理学博士) 日経プレミアムシリーズ 2012/04/20 上から目線で語る人達には腹が立つ。 何の実績があり、上から目線で語るのかと。 私も上から目線で語っていると思う。 上から目線で語らなければ通じない仕事上の会話があるからですが。 しかし、それが反発を受けているとしたら怖い。 著者が語るのは病的現象だ。 この著者の「すみませんの国」ほどには読ませない。 |
鈴木秀幸(弁護士) 花伝社 2012/04/19 自分達を秀才集団だと思っている弁護士が、 自ら墓穴を掘った歴史を語ります。 460頁の大作ですから、とても全体は読み切れません。 弁護士流の読み手の苦労を意識しない粘着質の文字列が読み難い。 そもそも、読み手を意識せず、自分の正義を主張するところに、 弁護士の根本的な勘違いがあるのだと思います。 P14 しかし、今回の弁護士大量増員策は、まともな調査や確かな資料が一切なく、外国の司法との比較及び中坊委員の弁護士需要に関するデマとも言うべき情報が根拠とされた。 むしろ反対の証拠が多く、それを無視した。法科大学院構想も、大多数の弁護士と法学者の支持を得ることなく拙速に決定された。司法の分野に経済界のルールを導入し、行政の都合を優先させようとする司法改革であった。 日本社会において弁護士の仕事は増えず、司法改革が破綻することは「想定外」のことではなく、100%予想されたことであった。 そのため、今や、立場の違いは、「失敗」の現実と「破綻」の実態を素直に認めるか、単なる大増員の「結果」に過ぎないことを成果と言い張り、新法曹養成制度の「成熟を待つべきである」と言い逃れをするかどうかである。 P16 現に、法学部教育が空洞化して志願者が大幅に減少し、法科大学院の志願者は爆発的に多かった初年度は別として、その後の7年間に志願者は3分の1以下に激減し、司法界に有為な人材が十分に集まらなくなった。 |
福岡伸一(生物学者) 朝日新聞出版 2012/04/17 福岡教授が50個のコラムを語ります。 福岡教授は、ダメな私を含め、生物の全てが好きなんだ。 P233 昆虫学者たちが、働き者のはずの働き蟻を詳しく観察してみると非常に面自いことが判明しました。7割程度の蟻はぼーっとしており、1割は一生サボっているということがわかったのです。しかも、これは先天的な、つまり遺伝子的に決定された傾向ではなく、よく働く蟻だけ選抜してコロニーをつくっても、またその1部はサボる。サボる蟻だけを選抜してコロニーをつくるとアリは働きはじめますがやはりその中でも何割かがサボる。そういうことがわかったというのです。 P235 産めよ増やせよ。勤勉は美徳で、怠情は悪である。これは遺伝子の命令というよりは、支配者が作り出した物語、為政者が編み出した労働と徴税のロジックではないでしょうか。 あるいは私たち自身が、自分の運命が何者かにあらかじめ決定されているという物語が好きなのかもしれません。それがいまや、遠い天空の星の運行ではなく、私たちのミクロな内側に潜むリトルピープル=遺伝子の戦略に操られている、と信じたいのかもしれません。 しかし、決定論ではなく、もっと個体の自由度を尊重すべきではないでしょうか。生物の世界には、あぶれオス、あぶれメスがたくさんいます。働き蟻は実は、サボリ蟻なのです。しかしそれは生物学的にダメなことではありません。子孫を残そうが残すまいが、閉経しようがしまいが、みんな自由にふるまっています。あるいはできるだけサボろうとしています。子孫を残さなかったからといって、サボっているからといって、生物学的な罪や罰があるわけでもありません。遺伝子がそれを許容しているのです。 遺伝子は産めよ増やせよといっているのではなく、むしろ自由であれ、といっているのだと私は思うのです。 |
榎本博明(心理学博士) 日経プレミアムシリーズ 2012/04/17 なぜ、言葉は、相手に伝わるのだろう。 言葉は、単なるデジタルの記号であり、温度も、厚みもない。 アタマの中にあるのは感情です。 感情を、言葉に乗せて送り出すと、相手のアタマに感情が湧き出る。 自分の言葉が正確に伝わって、相手が理解したと考える。 相手の言葉が正確に伝わって、自分が理解したと考える。 それが可能ならモールス信号でも会話が可能なはずだ。 言葉は、それほど完璧なツールではない。 そのように考えていたところ、 まさに、その視点で書かれたのが本書だった。 「話さなくても分かる文化」の日本と「話せば分かる文化」の米国だが、 しかし、本当に話せば分かるのか。 米国では、日本の「話さなくても分かる」ほどの深い相互理解は成立していない。 要するに、言葉は、それほど優れたツールではないのだ。 さらに、日本はホンネとタテマエの国で、欧米人はホンネの国と言われている。 しかし、これは違うのではないか。 欧米人のホンネには利己的な匂いがする。 ホンネとして言っていることと、「本当のホンネ」は違うのではないか。 ホンネらしきものに本人自身も気がついていないのではないか。 欧米人こそが、実はタテマエ主義ではないか。 日本流のタテマエには、他人の気持ちや立場を配慮することで、 利己的なホンネをコントロールする役割があるのではないか。 しかし、「察する」姿勢が、 正論が封じるツルの一声が通用する土壌になっている。 タテマエが潤滑油になり、 「状況依存」のコミュニューケーションが無駄な軋轢を防ぐ文化。 「ノーと言えない日本」は優れた文化なのかもしれない。 著者の鋭い洞察力が語られます。 P37 ホンネと裏腹にタテマエで謝罪する心理には、保身のために謝罪をするという欺瞞的な面とともに、相手の気持ちを傷つけまいとして謝罪する思いやりに溢れる面がある。 日本人がすぐに謝るのは、このうち後者の面が強いのではないか。 自分の立場からしかものごとを見ることができなければ、このような意味での謝罪は行われない。自分の視点を絶対化しがちな欧米人などは、それぞれに自分だけが正しいと信じ、自分の視点から自分には非がないという自己主張をどこまでもし続けるばかりであるため、激しく対立せざるを得ない。 一方、自分の視点を相対化し、相手の視点に立って見ることができれば、一方的な自己主張はしにくくなる。自分の視点からすれば何の落ち度もないのだが、相手にしてみれば、それは腹が立つし、非常に困るだろうということがわかる。相手の立場に自分を置き換えて、相手の気持ちに共感できてしまう。そうすると、自分の視点からの自己主張を続けるのは利己的でみっともないという感じがする。いかにも大人げなく、恥ずかしい。 「共感性が高い」のが、日本文化の大きな特徴のひとつといってよい。「みっともないことを嫌う」のも日本文化の特徴のひとつだ。このような事情によって、日本人はすぐに謝ることになる。 P89 言葉にしてみると「ちよっと違う感じがする」、そんなもどかしさを感じることはないだろうか。自分の中で感じていることを言葉にすると、どこか違うといった違和感。そのために、言葉というものを素朴に信用することができない感受性が、私たちの中に根づいているように思われる。 P97 自分の思いを素直に話しても、わかってもらえるとは限らない。むしろ、自分勝手な思いがぶつかり合って、激しい争いになる場合もある。自己主張する人間を理想とするアメリカが訴訟社会になっていることが、そのことを例証している。そうした自己主張のぶつかり合いを醜く感じたり、むなしく感じたりする感性が、自己主張を抑えさせるのである。 はたして、人と人は、はっきり言葉にして話せばわかり合えるものだろうか。国際社会における国と国の争いの歴史と現状を見れば、その答えは明白だ。 P115 うっかり自分の意見や感じることを言って、それが相手の意見や感受性と違った場合、気まずくなる。日本社会では、意見が一緒、感じ方が同じということが大切にされるため、双方の違いが鮮明になることを避けようとする。ゆえに、何ごとも曖昧にしておく。意見をはっきり言わないのも、リスクマネジメントのひとつなのだ。 コミュニケーションには、論理的コミュニケーションと情緒的コミュニケーションがある。理屈で相手を説得しようとして行うのが論理的コミニケーションである。論理的コミュニケーションとは、理屈のやりとりをするコミュニケーションである。ビジネス・コミュニケーションで重要だとして、日本の教育でも力を入れるようになったプレゼンテーションやディベートなどは、まさに論理的コミュニケーションの能力が問われる場といえる。 欧米社会は論理的コミュニケーションの世界だから、ビジネスも人間関係もこれさえマスターしておけばうまくいくのかもしれない。だが、日本社会ではそうはいかないのだ。もうひとつ、重要なコミュニケーションがある。それが、情緒的コミュニケーションである。 情緒的コミュニケーションとは、気持ちのやりとりをするコミュニヶーションである。論理的に突き詰めることで正しい結論にたどり着こうとする欧米流のコミュニケーションに対して、白黒はっきりつけず曖昧なままにしておくことで「場」の雰囲気を良好に保とうとする日本流のコミュニケーションは、情緒的コミュニケーションの色彩が強いといえる。 P132 外国人だったら、自分のことをいろいろ話すが、日本人は自分のつまらない話をしては相手に悪いと思い、どんなに悲しいときでもそれには一切触れず、一般的な世間話しかしないと言って、ひとつのエピソードを挙げている。 「以前、ある日本人の紳士が私に『どんな宝物をお持ちですか。ご主人様は日本に長く住んでいらっしゃるから、美しい屏風を始め色々な美術品を収集なされたんでしょう』と尋ねたことがありました。私は主人が収集したもののほとんどが、1923年の大震災で焼けてしまったとこぼしました。私があれも、これも、それも……と嘆くのを、紳士は同情しながら聞いてくれました。 続いて私が『その時は東京にいらっしゃいましたか、失われたものはありませんか』と尋ねました。紳士は微笑を浮かべながら『妻子をなくしました』と答えました。私は愕然とし、懸命に紳士を慰めようとしましたが、彼の方は、私たちが楽しい話をしているかのように微笑み続けていました。実際、紳士は悲しみに浸っているわけにはいかず、思いもかけぬ不幸を知って動揺した外国人女性の気持をなんとか鎮めなくてはならなかったのです。それで彼は日本人の例の微笑を続けていたのでした」 相手に気を遣わせたくないというのは、日本人の多くが共有する思いであるから、この紳士の振る舞い方はよくわかる。イギリス人であれば、自分がいかに悲惨な目に遭ったかを感情を込めてアピールする場面でも、日本人は相手に気を遣わせまいと、自分の悲惨な体験も微笑を浮かべながら淡々と語る。 このような態度は、ときに海外の人々からは不可解なものとされ、悲しいはずなのになぜその感情を出さないのか、さらにはなぜ微笑むことさえできるのかと不気味がられることもある。しかし、キャサリンも見抜いたように、そこには自分のことで相手を煩わせたくないという思いやりがあるのだ。その思いやりは、克己心にもつながるものとして、日本文化の根底に流れている。 |
五味廣文 日経新聞社 2012/04/12 自分の思いを語ります。 あの時の情勢ではやむを得なかったと。 しかし、何も論証していない。 読むに値しない一冊です。 私は、次の一冊の方が正しい事実認識をしていると思う。 同一の場面の記述を引用してみた。 市場検察 村山治著 文藝春秋 本書 …… P128 UFJ銀行(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)の検査忌避の問題が浮上してきたのは、足利銀行の破綻処理が大詰めを迎えていた2003年秋のことだった。 その時の心境は、なぜ検査官と銀行がもっと冷静になって、きちんと議論しないのかというものだった。その思いは特に銀行側に対して強かった。検査官が得心できないと言っているのなら、検査官の問題意識を幅広く受け止めて、納得感のある説明をすればいいのにと。そこでUFJに対して、「検査官が見たい、聞きたいと言っている事柄については、迅速、的確に対応するのが基本だ。その点を忘れないように」とアドバイスした。 P129 そう考えているうちに、検査を実際に担当している検査局の内部では、検査妨害自体の解明が業務の中心になっていった。言うまでもなく、監督局が検査局の検査内容に指図するような関係にはなく、監督局長の私が検査局の仕事に口を挟む権限はない。だから、UFJ側はとにかく正直に説明をして、話を前向きに進めてもらいたい、日本の金融界全体の信認に関わるという自覚を持ってほしいと心の中で思っていた。検査忌避の疑いがあると知った時、怒りの感情はなかったかと後に聞かれたが、当時の私はきわめて冷静だった。 P132 その間、金融庁はUFJ側に対し、検査結果をきちんと2004年3月期決算に織り込む必要があると言い続けた。他の大手銀行と同じように、5月下旬の正式な決算発表前の草案の段階から、チェックさせてもらうと伝えた。 しかし、当時のUFJに金融庁と十分に意見交換している余裕はなかった。UFJが発表した2004年3月期決算見通しの下方修正は、金融庁と決算の草案についてやり取りする前に唐突に発表された。 無論、金融庁は決算短信の中身をチェックしたり、下方修正の発表を差し止めたりする立場にはない。ただ、検査では相当明確な指摘を受けていたわけだし、金融庁としてもUFJの実態を踏まえたうえで迅速に対応しなければという意識と準備をしていただけに、突然発表された数字を見て唖然とした。不良債権処理損失を当初の見込みより約3000億円上積みしていたが、グループの最終利益は黒字を確保する内容だった。「これはないよな」というのが率直な感想だった。 なぜなら、金融庁の検査結果がほとんど反映されておらず、非常に甘い認識に基づく数字の集積だったからだ。UFJはこの数字を市場や金融当局に対して、どうやって説明するつもりなのかという非常な危惧を持った。結局、私の懸念は的中する。その後の金融庁とUFJとの意見交換の中で、当初の下方修正でUFJが取った考え方は大きな問題があったという結論になった。5月24日、UFJグループの最終損益が4028億円の赤字となるとする2004年3月期決算が発表された。 P135 刑事告発の是非については、金融庁でも人によってそれぞれ迷いがあったと思う。ただ、私は検討材料となる情報がすべてそろった段階で、これは刑事告発以外にはないと考えた。慎重な判断を要したのはそのことではなく、UFJ幹部のどの範囲までを告発対象とするかという点だった。確実にこの人は対象にならざるを得ないという中心人物について迷いはなかった。ただ、それ以外の何人かの幹部については様々な人の意見を聞いて、慎重に対象とするべきか見極める必要があった。 刑事告発が、結果として銀行としてのUFJを追い込んでしまうのでは、という思いはなかった。この件に関しては、刑事告発が信用不安に直ちに結びつくことはないだろうし、仮に結びついたとしても信用不安に対応する金融行政の道具はそろっている。そうなれば、その道具を使うまでだと割り切っていた。 市場警察 …… P317 検査妨害が、それらの経理処理の不正を隠すための行動だったとすれば、有価証券報告書に虚偽を記載した証券取引法違反(粉飾決算)の疑いが出てくる。決算にかかわる事柄は、頭取の職務権限に属する。当然、頭取の刑事責任も問われることになる。 ただ、事実は、それほど単純ではなかった。04年3月期は株式市況が改善し、UFJは4000億円の益出しができた。それぐらい余裕があり、決算の実態を隠す動機がなかった。 特捜部の調べに対し、UFJ側は、厳しい方の決算案にもとづき1兆数千億円の積み増しをすることになったのも、主任検査官の目黒が強く指導し、その剣幕に監査法人が同調したためUFJとしてはやむなく応じたものだと説明した。 捜査を通じて、特捜部は、目黒が指導の根拠にした金融庁の基準や目黒の適用の仕方が正しいのか、という問題もあると考えていた。金融庁の不良債権区分マニュアルは、検査官によって判断が違っていた。債権評価は判断する人によって異なる。融資先の成長性や経営者の能力評価によって60%の危険とみるか、40%とみるかの差が出てくる。それに引き当て金を積む基準もあいまいだった。 P319 結局、いくら行員を追及しても、頭取が検査妨害に関与した証拠は出てこなかった。 特捜部の聴取を受けたUFJの監査人「中央青山監査法人」の公認会計士は「引き当て率について、急に金融庁の方針が変わったため、積み増しを求めた。自分たちはUFJの黒字決算を承認するつもりだった」と供述した。 会計士の供述通りなら、UFJの検査忌避に関わる事業年度は黒字だったことになる。だとしたら、むしろ、UFJは「被害者」だった可能性もある。 |
ジュディ・ダットン 文藝春秋 2012/04/05 次に生まれて来たときには理系に進もう。 そのように思ってますが、まさに、ぴったりの書です。 彼ら、彼女らの生活に、ちょっと、涙が出ます。 ただ、著者の持って回った書き方には疲れますが。 |
角田康夫(三菱UFJ信託銀行年金運用部) 文藝春秋 2012/04/03 なぜ、宝籤を購入するのか。 50%は胴元に取られてしまうのに。 なぜ、生命保険に加入するのか。 50%は胴元に取られてしまうのに。 その理由の解明が行動ファイナンスなのですね。 儲けと損失の非対称性です。 1万円をなくしたときの悔しさは、1万円を儲けたときに感じる喜びよりも格段に大きい。 だから、人間は、損失回避の為により大きなコストを負担する。 つまり、生命保険に加入するのは行動ファイナンス的には正しい。 人間は、幾つものバイアスに影響されている。 その影響から自由になれば、正しい判断ができる。 バイアスは思い込みでもある。 思い込みから自由になることが必要なのだ。 本書は、大量のバイアスを紹介します。 参照点、儲けと損失の非対称性、損失先送り効果、所有効果、現状維持バイアスと既定値選好、近視眼的損失回避、確実性効果、保険加入、フレーム、つぎ込んだ費用の効果、機会費用の過小評価、あぶく銭効果、アンカリング、自信過剰、過度の楽観性、自己正当化、追認バイアス、後知恵、合理化、自己責任バイアス、知識の錯覚。 これらのバイアスから自由になることが必要なのだ。 その前に、これらのバイアスに影響されていることを知る必要がある。 その為には、常に広いフレームワークを持つように努力し、ときには、わざと反対の立場で考えてみよう。 P151 あなたの答えはたぶん平均以上だったのではないだろうか。しかし、人々には実際にそうである以上に自分の能力を過大評価している傾向があるという。スウェーデンの自動車ドライバーの90%が自分の運転能力は平均より上と考えている。米国の大学生を対象にした調査では82%が平均以上と答えた。もちろんスウェーデンでも米国でも平均が意味するのは50%である。 米国の研究ではたくさんの自信過剰事例が報告されている。自分の指導力は平均以上(高校生の70%、平均以下と考えているのはたったの2%!)、他人とうまくやっていく能力は平均以上(すべての高校生!)、同僚よりも有能(大学教授の94%)等々。 |
柴野たいぞう(元衆議院議員) 三五館 2012/04/02 198日の勾留生活をおくり、判決期日の朝に自殺した元衆議院議員の告発書です。 真偽は不明ですが、しかし、198日の勾留は明らかに間違ってます。 このことについて違和感を感じない裁判所がおかしい。 江戸時代の笞打、石抱き、海老責、釣責の拷問で自白させたのと違いはないと思う。 裁判官や、検察官は、その事実を知っている。 その事実を知りながら、そのシステムを機能させている。 恥ずかしくはないのだろうか。 たぶん、この制度が、3当事者にとって都合が良い制度なのですね。 検察官 自白を得られるので、起訴するについて迷うことはない。 裁判官 自白しているので、被告人の意思に反した判決を書く不安がない。 弁護士 不当な制度の存在が、自分の存在価値。 それらの発想に、被告人本人は登場しない。 |
マシュー・バーデン(ブログ管理者) メディア総合研究所 2012/03/27 イラクやアフガニスタンに出兵した米軍兵士の発言集です。 なぜ、命をかけて戦地に行くのか。 そして家族を残して戦死する。 その間にも米国本土では日常がすぎていく。 ネクタイを締めたバンカーがデリバティブ取引をする。 日本の戦争とは全く異なります。 日本人には理解できない兵士の心を語ります。 多数のブログの発言集ですから、 任意の頁を開いて読むことができます。 |
市川 寛(ヤメ検) 毎日新聞社 2012/03/20 良い本です。 検察官の生活を追体験できます。 私自身、検事に任官することを考えていたのですが、 任官せず、弁護士になったことは正しい判断だったと思う。 ただ、本書の後半部分はおかしい。 自分だけが正しいという発想には違和感を感じる。 妄想のようにさえ思える。 P61 この殺人事件で僕が得た一番大きなものは、「人殺しまでやるからにはよほどの深いわけがある」という当たり前のことだった。 その深いわけを知ると、死刑や無期懲役を安易には求刑する気にはなれない。 もっと言えば、たとえ殺人犯人であっても憎みきれなくなるのだ。 「殺人犯人も自分と同じ人間なのだ」 当たり前のことだが、それを自分の捜査で体験できたのは、その後の検事生活にも生きたと思っている。 P79 「もちろん被疑者は署名しないだろう。そのときはこう言うんだ。『これはお前(被疑者)の調書じゃない。俺(検事)の調書だ!』とな」 次席にしてみれば検事の決め台詞のつもりだったのだろうが、これを聞いた僕は絶句するしかなかった。 「お前の調書じゃない、俺の調書だ。だからお前には文句を言う資格はない。さっさと署名しろ」 これが「自自調書のとり方」の一つの切り札のようなテクニックだったのだ。 P98 そもそも控訴審議での質問は純粋な質問ではない。 「なぜ」の裏には「この点をちゃんとやらなかったお前が悪い」という責任追及の刃が潜んでいるのだ。だから主任は次第に半べそになってしまう。 それに、さんざん質問を浴びせて主任をつるし上げておきながら、その後に誰かが何かしら知恵を授けてくれたような場面は多くなかった。 追いつめられた主任が「すみませんでした。そこまで思い至りませんでした」と苦しまぎれに言うと、上司から「謝ってもしょうがない」と追い討ちがくるし、「○○という理由で尋問しました」と答えると「それはまずかったな」と傷口に塩をすり込んでおしまいになる。 主任が今後同じミスをしないように、あるいはほかの出席者にも参考になるようにとの配慮を感じる教育がなされたことは少なかった。 こんな様子だったから、僕が臨んだ控訴審議の大半は、僕から見れば「主任リンチ」でしかなかった。 だから僕は極力発言しないようにしていた。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れなかった。 P116 自分の理想を追い求めるより、決裁という地獄をどう乗り切るか、どうかわすかが仕事の目的にすり替わっていった。 「とりあえず目の前の苦痛から逃げられれば事件や被疑者がどうなろうとかまわない」 僕は公判部での控訴審議で感じたのと同じような後ろ向きの腐った根性を持つ検事になり下がっていった。 毎日のように僕の判断が根底から否定され、さらに「なぜこんな調書をとった?」「なぜこんな判断をした?」と問いつめられるうちに、僕は自分のやっていることが何もかも間違っていると思い込み始めた。 「検事はひたすら自自をもぎとるのが仕事なのか?検事はひたすら起訴して人を前科者に仕立て上げるのが仕事なのか?おかしいじゃないか」 だが、僕は副部長にこうした自分の思いをぶつけることが一度もできなかった。 P127 僕はなんのためらいもなく狂犬のような取調べを始めた。 朝の10時ごろから昼食、夕食をはさんで夕方6時ごろまで、被疑者を徹底的に怒鳴りつけてやった。 怒鳴りつけると書いたが、おそらく読者が想像するどんなレベルをも超えた、人間とはとても思えない大きさの怒号を浴びせ続けた。 僕は高校時代に応援団に入っていて野球場でエール交換をやっていたくらいだから、その気になればとてつもない大声が出る。 50センチほどしか離れていない被疑者に向かって、その場が野球場であるかのような猛烈な怒号をひたすらぶつけた。 それでも脅迫にあたる言葉は口にしなかった。ただ「ばか野郎、この野郎」という罵声を全身の力を振りしぼって浴びせ続けた。 この日は休日だったが、後日、僕の執務室の二階ほど上にいた特捜部の先輩検事が「頭のおかしな被疑者がわめき散らしているのかと思ったよ」と笑いながら言ったくらい、僕は大阪地検の建物全体に聞こえるほどの怒号をまくしたてていた。 |
角田康夫(三菱UFJ信託銀行年金運用部) PHPビジネス新書 2012/03/20 投資を中心とした意思決定について「勘違い」を語ります。 フレームに拘束され、アンカーに拘束され、サンクコストに縛られる。 自分でも気がつかない幾つものバイアスが書き込まれています。 大昔の心理学に登場した適応機制に似ています。 合理化、幼児化など、人間は、自分自身に嘘をつくのが上手だ。 さらに、最近の認知学に似ています。 人間は、見えないものを見て、見えるものが見えない。 投資を題材に、人間の認知の不確実性を再認識する書です。 結局は、投資をしてはならないという結論になりそうですが。 P24 このように、意思決定問題を提示する際の形式(つまりフレーム)が、論理的に同一である問題の選択に大きく影響することを、フレーミング効果という。 フレーミングには問題が単純化され選択が容易になるというメリットがあるが、同じ問題に別のフレームを適用すれば、また別のやり方で問題が単純化されてしまうから、フレームごとに別々の意思決定をしてしまうおそれが出てくる。 P26 昔は株式分割のことを無償交付と呼んでいた。たとえば、持ち株1000株に対して100株が無料で交付される。なんだか非常に得した気になる制度のようだが、よく考えてみれば会社の資産が増えたわけではなく、分け方の呼称が変わった(従来の1株を1.1株と呼ぶようになったと考えればいい)だけだから、得でもなんでもない。 P59 当然、アンカリングを積極的に利用することも考えられる。自動車のセールスマンは高い値段から交渉を始める。その高い値段が顧客にとってアンカーとなれば、たとえ普通の値段で約定したとしても、顧客は十分に値引きされたと感じ、大きな満足を覚えるからである。 P60 不動産業者は、意中の物件を顧客に見せる前に荒れた物件や高額の物件を紹介する。そ、うすると、顧客には意中の物件が実態以上にすばらしく見える、というのがわかりやすい例だろう。 P77 たとえば、一般の人々は破局の潜在力と将来世代への脅威という要因に基づいて原子力を非常に恐ろしいリスクとみなしている一方で、専門家は主として年間の死亡者数に基づいて原子力を比較的小さなリスクとみなしている。異なる30の行為と技術をリスクの観点で順位付けするように求めるという実験で、学生たちは原子力を単独で最大のリスク要因とした。しかし、専門家として広く認められているリスク査定グループが同じリストを順位付けしたら、原子力はなんと自転車運転の次である20位にランク付けされたのである。 |
森永卓郎(獨協大学経済学部教授) 光文社 2012/03/16 死亡するまでに受取る年金支給額を最大にする為には60歳から受領すべきだ。 そのようなトーンですが、私は、これには反対です。 生活が破綻した場合の予備プランが年金です。 受領を先送りし、1年当たりの支給額を増やしておくのがリスク回避です。 年金の受領を70歳、75歳、80歳、85歳と先送りする制度を作り、 その場合の受給額を1.5倍、2倍、3倍、4倍にする制度にしたら面白い。 最後まで年金を必要としない人生が送れたらハッピーであり、 途中で資金が尽きて、年金を受取ることになったら、その時点での支給額は大きい方が良い。 P16 結論から先に言わせてもらえば、大部分の人は、年金は繰り上げて60歳から受給するべきだ、というのが私の考えだ。 現在、基礎年金の支給開始年齢は65歳であるが、本人の希望で繰り上げて受給できる。その場合、支給開始時期を一ヶ月繰り上げるごとに0.5%減額され、一年で6%、5年で30%減額されることになる。それでも60歳からもらい始めた人と65歳からもらい始めた人の累計額がほぼ同じになるのは、単純計算で、76歳のときだ。 |
坂野潤治(東京大学名誉教授) 筑摩新書 2012/03/14 その道を研究し尽くした日本近代政治史の学者がアヘン戦争以降の日本の歴史を語ります。 非常な短期間で日本は近代国家に成り上がった。 しかし、その時代は、高校の授業では時間切れで教えられない。 その空白を埋めてみようと思います。 |
カレル・ウァン・ウオルフレン 角川Oneテーマ21 2012/03/14 「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」は良い論文でした。 一部の政治家、一部の財界人、一部の官僚が権力を持つのが日本のシステム。 政治が強くなる時期、財界が強くなる時期、官僚が強くなる時期。 そのような権力構造の均衡の揺れで動いているのが日本のシステムだと。 さて、本書は5つの罠と称して、日本の現状を語ります。 ただ、平和ボケした日本人としては、教授の指摘が難解でならない。 本文から主張を抜き出し、紹介するのは難しすぎる。 教授の主張は、次の目次構成の方が分かりやすいと思う。 第1の罠 TPPの背後に潜む「権力」の素顔 「TPP=開国」論という誤解 中露の「封じ込め」に利用される日本 第2の罠 EUを殺した「財政緊縮」という伝染病 財政緊縮が国家を滅ぼす 日本をたぶらかすアメリカの「声」 第3の罠 脱原子力に抵抗する「非公式権力」 原発推進の継続という過ち 脱原発と日本の既得権益者たち 第4の罠 「国家」なき対米隷属に苦しむ沖縄 でっち上げられた「防衛」という口実 暴走するアメリカに隷属し続けるという選択 第5の罠 権力への「無関心」という怠慢 無気力な日本人の「無関心」という罠 P233 小泉氏が首相になると、新首相は国民の望みを理解しているから、これからの世のなかはよくなるだろうという話題で、メディアは連日のように持ちきりとなった。それはいく週にもわたって、果ては小泉政権発足後、数ヶ月を経てなおも続いた。小泉氏は日本初のセレブリティ首相となり、なにかにつけテレビに登場した。 当時・私はメディアが大きな変化への期待にこれほど熱狂するのを興味深く感じる一方で、彼らが説く変化が、なんら中身のともなわない、いかに空虚なものであるかについて記した。要するに中身がなんであるかを確かめなくても、変化について語るだけで十分だ、ということであるらしかった。 だがやたらと決まり文句を繰り返し、大騒ぎをするこうした表面的な姿勢こそが、本来なすべきことをしない怠慢に他ならないのである。 ほどなくして小泉氏はエセ改革者であることが明らかになった。官僚に対する政治主導を確立しようと思えば、あれほどの人気を誇った彼ならば考えを同じくする人々の助けを得て、なし遂げることができただろうに、小泉氏はそれをしなかった。彼は逆に、さまざまな機関の民営化をともなう、新自由主義的手法を日本に導入しようと意欲を燃やす、竹中平蔵氏を重要ポストに就け、なにを決定するにも財務省内派閥の命令にしたがうようになった。 そのため、日本の企業文化はアメリカに似て荒っぽさを増しはしても、効率面では従来、この国が強みとしてきたものが逆に失われることになった。要するに経済イデオロギーが政治改革に勝ったということだ。 |
佐藤あつ子 講談社 2012/03/12 田中角栄が出現したから政治が悪くなったのか、 田中角栄を失脚させたから政治が悪くなったのか。 私は後者だと思います。 本書は、田中角栄のエネルギーと、 越山会の女王といわれた佐藤昭、 それに田中角栄と秘書との間に生まれた著者の人生を語ります。 著者の学生時代、リストカット、飛び降り自殺など、 やっと自分を肯定することができた、その後の人生を語ります。 P96 あのダミ声で汗だくになりながら演説するオヤジに、聴衆から「いいぞ!」という合いの手が入ったり、「こら! 新潟に帰れ!」という野次や罵声が飛んできたりすると、オヤジはいちいち「お、そこのあなた」と反応して、その声に応えようとするのだ。無視したり、切り捨てたりすることができない。すべてを受け止めようとする。それがオヤジだった。 当然、奥様とお嬢さんに愛情を注ぎ、その上で神楽坂でも赤坂でも子供に切手シートをあげては、すき焼きを食べ、二人の女性と代わる代わる映画を観て、時には情に厚い手紙を書き連ねる。政治家として多忙な中、時間の許す限り相手に対して誠意を示そうと努力していたかと思うと、ちょっと「どうなの?」と思わないでもないが、そのバイタリティに私はもう感心するしかない。 人を愛することにこれだけの情熱をかけ続けるオヤジのことが、世間や人様からどれだけのことを言われようと、やっぱり私は好きなのだ。 P250 立花 ところで、あなたにとって角栄とはどんな存在? 佐藤 うーん、まあ困ったおじさんっていうところでしょうか。私なりにものすごく大切な人であることに間違いはないのですが。 先生にぜひ一度オヤジのことをお聞きしたかったんです。田中角栄という、大正7年に新潟県で生まれた、ああいうキャラクターの青年がいて、志があって政治家になり、ああいう運命をたどった。先生がずっとご覧になっていて、田中角栄はどうしたらよかったんでしょう。あるいは何をしなければよかったんでしょう。 立花 いや、あれはあれでよかったんですよ。やっぱり田中角栄個人の資質だけではなく、時代の流れや、いろんなことが関係していますからね。あの人には、あの人生しかなかったんだろうし、それはそれで歴史に立派に名を残したと思います。僕は34歳の時に「田中角栄研究」を書き、その後、裁判も含めてずっと取材を続けてきたわけですが、だんだん年を取り、日本の戦後の歴史が一目で見渡せるような年齢になってきて改めて考えると、あの人はやっぱりなかなかの人だったなあ、という気がしますね。 佐藤 もう、その一言がお聞きできただけで十分です。お目にかかれて嬉しかったです。今日は本当にありがとうございました。 |
安達誠司(ドイツ証券経済調査部) 光文社新書 2012/03/07 「円高は日本にとって明確に悪」 このような主張で塗り尽くされています。 著者が述べる論理は「原因」と「結果」を入れ違えているように思えます。 為替は、実経済の結果であって、その逆ではないはず。 輸出競争力(貿易黒字)が大きいから、その調整作用として円高に振れる。 円高に振れれば、調整作用の結果として輸出競争力が減じられ、円高が終わる。 相互に因果関係がありますが、実経済を無視し、為替を操作することはできません。 日経平均を引き上げれば、実経済が良くなる。 体温計の温度を下げれば、患者の熱が下がる。 そのような逆転した発想と似ているような気がしました。 P52 結論から言いましょう。現在の日本にとって、円高は明確に「悪」です。その意味では、「良い円高」も「悪い円高」もありません。 P59 ここまでの話をまとめると、円高は、日本の基幹産業である輸出産業に打撃を与え、輸入品と競合している国内の産業や観光産業などにも打撃を与えるばかりか、日本の雇用にも問題を生じさせるということです。現在の日本で、「良い円高もある」と主張する人がいれば、その人は、本章に書かれている視点のいずれかを見落としていると考えられます。 P107 円高は、日本の貿易収支の赤字化を促進します。事実、日本の貿易黒字は、円高の進展とともに減少の一途をたどっているのです。次ページの図表4を見ると、いかに為替レートと貿易収支(貿易黒字の増減)が連動しているかがわかります。つまり、日本の貿易黒字は、円安が起こると増え、円高が起こると減るのです。 |
別冊宝島編集部 宝島社新書 2012/02/29 アメリカ、中国、台湾、韓国、イギリス、EU諸国が報じた東北大震災を紹介します。 涙無くして読めない一冊です。 震災という1つの客観的な事象について、 諸外国が日本人をどのように評価したのか。 そのことによって諸外国と比較した日本の特殊性と、 そのような評価がでてくる諸外国の日本に対する思いが理解できます。 さらに、諸外国の評価によって、 読者自身が日本を再発見することもできます。 世界に発信されていたクールジャパンという文化。 その元にある「日本人の心」に世界が興味を示した。 それが地震報道です。 P11(アメリカ) 東日本大震災は地震のみならず、それにより発生した津波、さらにこれらの天災が元となって、人災とも言われる前代未聞の福島第一原発の事故を引き起こした。日本政府がこういう大災害への対応に優れているとは決して言えないが、日本人の行動は世界じゅうから称賛された。stoicism(冷静)、discipline(自制心)、selflessness(無私無欲)、dignity(尊厳)、grace(礼儀正しさ)など、さまざまな言葉によって褒め称えられた。 そのなかでも「ツナミ」と同じように、英語になったと言っても過言ではない言葉がある。それが「ガマン」だ。 P36 ほとんどのアメリカの報道に共通しているのは、日本政府の無能さ、リーダーシップの欠如だ。そしてそれらとは対照的に、日本人の「ガマン」強さ、「シカタガナイ」という表現に代表される、運命を受け入れる精神、自分を差し置いて他人のことを思いやる無私無欲、みんなで助け合う集団としての協力精神、秩序を乱さない精神、平等の精神、感情を抑制する精神のすばらしさが伝えられていた。 これらはまさに日本人を定義づける言葉と言っても過言ではない。不幸な震災ではあったが、これらの精神のよいところが顕著に表われたのもまた、事実である。 P62(中国) 救援されたときに、「ありがとう」の代わりに「すみません」と言う人も多かったが、彼らからすれば、感謝の気持ち以上に他人に迷惑をかけてしまった気持ちが強いのである。 P67 我々はいかに自信を持つべきか? 経済上は我々のGDPは日本を追い越した。ひとりあたりのGDPではまだ大きな差があるが、国家の経済力という観点では全体量として中国が優位に立った。資源のうえでは島国の日本は完全に下である。頭脳明晰という点では元々中国人は他国に劣らない……ならば、巨人は彼の小粒なライバルを確実に打ち負かせるのだろうか? 明らかにノーである。今回の地震によって思いがけずも、彼らと我々との素質や素養が天と地ほどの差にあることを思い知らされた。あちらでは地震の最中でも冷静で乱れず、一方で千里も離れているこちらでは塩価格の高騰やパニックが起きた……。 P72(台湾) 台湾ほど、日ごろから日本の一挙一動を見守り、熱い想いを寄せている国はないだろう。 3月11日のその日、台湾の人々は深夜まで、NHKに映し出された地震と津波の惨劇に釘付けになっていた。台湾の各家庭には100局以上の放送局から番組が配信され、NHKを含む日本語のみのチャンネルも3つある。NHKは台湾人が日本からの速報を知るのに最適なツールなのだ。 P77 言うまでもなく、台湾は1895年から1945年までの50年間、日本が統治していた。その間、高官、警察官、教師、医師、工場やインフラ整備に携わる技師や労働者など、多くの日本人が移り住み、日本政府は多額の予算を投じて台湾の近代化に取り組んだ。台湾に渡った日本人たちは、「台湾を、内地に負けない優れた場所にしよう」という使命感を持っていたのだろう。 あるときは厳しく、あるときは優しく台湾人に接したが、「台湾のため」という気持ちはしっかりと台湾の人々に伝わり、心をとらえていた。日本教育を受けた老人からは、その後の国民党支配への反発もあり、「日本人は厳しかったが、正しかった」という声が聞かれる。 P94(韓国) 震災報道に限らず、韓国人が日本人の行動に感嘆するとき、「やはり日本は先進国だなあ」というような表現がよく使われる。たとえば、『東亜日報』3月14日付に掲載された、『成熟した市民意識』と題したユン・ジョング東京特派員のレポート。世田谷区内のディスカウントショップで買い物中に地震に遭い、誰ひとり取り乱すことのない日本人の様子を見た韓国人の、「なるほど、さすが日本は先進国だけのことはある」とのコメントが紹介されている。 P108 それからさらに歳月が流れ、日本が未曾有の災害に見舞われた。 「ニュースを見た息子が、いきなり尋ねた。学校で寄付金を集めることになったら、割当の2倍の金額を出してもよいかと。もちろんだ、息子よ。 私は子供たちの変化を見ながら、日本への支援に乗り出した周囲の数多くの人々の、温かい心に感動を覚えた。それとともに、いよいよあのうんざりする日本コンプレックスから抜け出して、これからは両国が名実ともに真の友人として発展できるだろうという考えがふと浮かんだ。日本に希望を!」 |
渡辺京二(日本近代史家) 平凡社ライブラリー 2012/02/29 明治に壊されてしまった江戸文化を紹介します。 今、あちらこちらにある文化が、江戸時代には、もっと純粋な形で存在した。 皆が笑いこけていた豊かな日本。 その雰囲気が伝わってくる楽しい記述です。 P74 19世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第2回遠征のさい下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの4年後に下田を訪れたオズボーンには、町を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」。 P76 ボーヴォワルはいう。「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」。「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである」 P78 日本人の「顔つきはいきいきとして愛想よく、才走った風があり、これは最初のひと目でぴんと来た」。女たちは「にこやかで小意気、陽気で桜色」。「弾薬入れの格好で背中にのっている」帯は、「彼女たちをちょっときびきびした様子に見せて、なかなか好ましい」。 P83 バードは言う。「ヨーロッパの国の多くや、ところによってはたしかにわが国でも、女性が外国の衣裳でひとり旅をすれば現実の危険はないとしても、無礼や侮辱にあったり、金をぼられたりするものだが、私は一度たりと無礼な目に逢わなかったし、法外な料金をふっかけられたこともない」。 P101 「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当りもよくて気持がよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」。これは1856年11月の記述であるが、翌57年6月、下田の南西方面に足を踏みこんだときにも、彼はこう書いている。「私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない」。 P158 通商条約締結の任を帯びて1866(慶応2)年来日したイタリア海軍中佐ヴィットリオ・アルミニヨン(Vittorio F.Arminjon 1830~97)も、「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国はほかにはない」と感じた一人だが、彼が「日本人の暮らしでは、貧困が暗く悲惨な形であらわになることはあまりない。人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階層にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」と記しているのは留意に値する。つまり彼は、江戸時代の庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助であると言っているのだ。その相互扶助は慣行化され制度化されている面もあったが、より実質的には、開放的な生活形態がもたらす近隣との強い親和にこそその基礎があったのではなかろうか。 |
岡田尊司(精神医) 幻冬舎新書 2012/02/22 赤の反対には緑があり、 青の反対には橙があり、 紫の反対には黄がある。 良い人柄の反対には、陰険さがあり、 真面目さの反対には、仕事を放り出してしまう無責任さがある。 個性には、常に反対側の個性が存在する。 そうでなければ、一方の個性が暴走してしまう。 自分の財産を、全て寄附してしまう人はいないだろう。 頼まれた仕事を全て引き受け、それを全て完璧に処理する人もいないだろう。 カリスマといわれる経営者は、 暴走する個性を引き留める反対側の個性が欠如している人達だろう。 では、正常な心理の裏側には、異常な心理が潜むのだろうか。 もし、正常心だけなら、誰でも道徳家に成れてしまう。 「人間は、二面性を抱えた生き物である。誰でも影の部分を持っている。正しいことをしたい気持があればそれとは裏腹に、悪いことをしたい衝動も潜んでいる」という本書き出しには期待させるところがある。 しかし、本書中に登場するのは、殺した人、殺された人、狂ってしまった人、DVや自傷性を持つ人達。 三島由紀夫、マルチド・サド、ドストエフスキー、夏目漱石など、その異常性で教科書に登場する人達。 弁護士のところに登場するのが社会の異常現象であるように、 精神科のところに登場するのは異常な精神病理なのだろうか。 私の中に、このような異常心理があるとは思えない。 30年前に読んだ異常心理学の教科書のような内容だ。 脳科学は断トツの進歩をしたが、 心理学はフロイドの時代に留まっているのだろうか。 |
松原隆彦(名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構准教授) 光文社新書 2012/02/21 先日までは脳科学がブームでしたが、この頃は宇宙がブームです。 あるいは、私の目に止まる書籍が、それだけなのかも知れませんが。 ビッグバンの1兆分の1秒までの現象が解明されていることには驚きました。 「電気力+磁気力」が電磁気学で統一され 「電磁力+弱い力」がで電弱統一理論で統一され 「電弱力+強い力」の大統一理論による統合が予想されている。 「電磁力+弱い力+強い力+重力」の4つの力の全てを統一する超大統一理論も期待されている。 最後には人間定理が登場する。 人間が存在し得るから宇宙が観測できる。 人間が存在し得ない宇宙は観測ができない。 全ての物質、時間、物理法則の全てが、人間の存在を許す方向で整合性が取られている。 宇宙の歴史の流れの中で、いま人間が存在し、存在し得ることの不思議さは、何時、解明されるのだろう。 P57 素粒子の標準モデルは、現在までに行われてきた素粒子実験をとても正確に再現します。あまりにこの理論が正確すぎるので、理論家にとってはかえって困ったことになってしまいました。理論的に説明できない実験結果というものがほとんどなくなり、実験をもとにして未知の理論を探ることが難しくなってしまったからです。 素粒子の標準モデルはこの世界をすべて説明するものではありません。あくまで、これまでに行われた素粒子実験の範囲でのみ確かめられている理論です。標準モデルは最終的な基本理論ではなく、それを超えるもっと基本的な理論があるはずだと信じる根拠がいくつもあります。 それが端的に現れているのが、クォークや電子などいくつもある素粒子の起源です。その起源は、宇宙の誕生から1兆分の1秒以内に求めるべきものです。標準モデルは、なぜそのような素粒子が存在できるようになったのかを教えてくれません。なぜ素粒子はこの世界に存在する種類しかないのか、なぜ素粒子はその種類ごとに質量などの性質がばらばらな値を持っているのか、などといった基本的な疑問が答えられないまま残されています。 これは、宇宙初期にどうしてクォークや電子などの素粒子が存在できるようになったのか、という基本的な問題に答えられないことを意味します。これに答えるには、標準モデルの先にある未知の理論を探る必要があります。 P105 時間というものを直接見ることはできません。2つ以上の物体の動きを照らし合わせるとき、その順序関係を表すために考えられたものが時間です。2つ以上の物体の動きを観察することで、初めて時間の存在をうかがい知ることができます。物体などの何もない中で、時間だけを観測することはできません。このように、時間の存在は、粒子や物質などの存在とは異質のものです。 ここで述べたような時間の異質な性質は、空間についても当てはまります。空間も、それ自体を直接見ることはできません。2つ以上の物体がなければ、その間にある空間の存在をうかがい知ることはできません。 P242 私たち人間の子孫があとどれくらい存続するかという問題について、プリンストン大学のリチャード・ゴットが面白い考察をしています。私たち人類はこれまで20万年も栄えてきました。しかし、人類が今後何億年も栄え続けることは極めてありそうにない、とゴットは言います。なぜなら、何億年も栄え続ける人類の歴史の中で、私たちがその最初のわずか20万年に生きている確率は極めて小さいから、という論理です。 ゴットは一般的に考えて、今あるものが今後も存続し続ける時間は、95パーセントの確率でこれまでに存続した時間の39分の1と39倍の間にある、と計算しました。 これを人類の存続期間に当てはめてみると、95パーセントの確率で、あと5100年以上780万年以下である、ということになります。 この確率の計算には、人口の変化が考慮されていません。現在の人類の人口は20万年前とは比較にならないくらい多くなっています。すると、過去から現在までに現れる人間の多くは、ほとんどが現在近くに生きている人です。過去だけを見る限り、私たちが現在という時代に生きていることは不思議ではありません。 |
加藤和裕(三洋書店経営) 中経出版 2012/02/18 私の地元にある書店は、万引きが理由で閉店したと聞いてます。 本書は、書店を中心とした小売店の万引き事情と、その防止策を解説します。 万引きは、大昔からの問題でした。 しかし、それが書店の経営問題にまでなってしまったのは、 万引き自体をビジネスモデルとする古本屋が登場してからだろう。 以前の万引きは個人的な犯罪だったが、 今の万引きはビジネスになってしまった。 著者の書店での万引き防止策で不明ロスを大きく減らすことができた。 2009年 2010年 A店 354万円 91万円 B店 155万円 51万円 C店 269万円 74万円 対策として説明する中で特徴的なのは次の3点です。 1 店内であっても鞄に商品を入れた場合は、その場で逮捕。 2 全件を警察に通報する。 3 処理に要した店員の時間給を含めた損害賠償請求の徹底 その他に衝撃的だったのが内部不正です。 米国の調査では次の割合だったそうです。 内引き 43% 万引き 35% これを米国特有の社会的な風土と位置付けるのを、著者は嫌っているように思います。 その思い込みが、何時になっても不正を防止できない体制を作り上げている。 内引きを防ぐ11の方法を提言しています。 小売店、特に、書店経営者の必読の書です。 さらに、もしかしたら気の迷いで万引きをしてしまうかも知れない顧客層に位置する人達にも必読の書かも知れません。 ちょっとした、気の迷いが、身の破滅 800円、ケチったツケは、1億円 |
磯淵 猛(紅茶研究家) 朝日新聞出版 2012/02/15 「チョコレートの世界史」は良い本でした。 毎朝、ココアを飲みますが、その度に思い出す歴史の深さです。 さて、今回は紅茶の歴史です。 お茶とは異なる歴史を教えてくれるのだと思う。 うーん、紅茶は、ココアやチョコレートに比較すると味が薄い。 |
田中慎弥(芥川賞受賞作) 文芸春秋 2012/02/14 「都知事閣下のためにもらっといてやる」という発言が話題になったので、受賞作を手にとって見た。 読めたのは3頁までだった。 私には、ただの変態小説のように読める(失礼)。 世の中には100万冊の本があり、それぞれには100万人の読者がいる。 万人に読まれる書物は聖書だけだろうか。 主は与え、主は奪う 主の御名はほむべきかな すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。 |
野島智司(自然研究科) 青春新書 2012/02/14 やはり、その道のプロは違う。 なぜ、光の波長の違いが、これほどに色彩豊かな世界を創り出したのか。 それは偶然なのか、進化の結果なのか。 「人間定理」が、生物学の世界にも存在するような気がしてきました。 当たり前と思っている事象は、全て、「偶然」が「調和」した結果なのだろうか。 P22 ちなみに、テレビなどのモニターはRGB、つまり光の三原色だけで、あらゆる色を表現しています。光の三原色だけであらゆる色を再現できるというのは、実はヒトの色覚兄弟が三人しかいないからに過ぎません。 先ほど、長男と次男が両方とも感じることのできた光を黄色として感じると書きました。しかし、長男と次男が両方とも光を感じるケースには、実は二種類あります。一つは、赤色と緑色の中間の波長、つまり黄色の波長の光が眼に届く場合。もう一つは、赤色の波長の光と緑色の波長の光が、二つ同時に眼に届く場合です。 P25 口絵写真1は単に、色覚三兄弟のうちの一人が、紫外線を感じることができるように変化した場合の見え方に相当します。一方、アゲハやモンシロチョウの見ているような四原色以上の世界というのはそうではなく、すでに三兄弟がそのままいるところに新たに四男が生まれて、紫外色というまったく新しい原色が加わるのです。 赤色と青色が同時に発せられると紫色に見えますが、紫外色という色と青色が混ざった色は、私たちのまったく知らない新しい色なのです。私たちは紫外線をカットするメガネをかけても物の見え方は変わりません。でも、紫外線を見ることができる生き物には、UVカットした太陽の光はもはや白色ではなくなるのかもしれません。 P49 人間の視覚にとって、脳は非常に重要な役割を果たしています。実に脳の3分の1から2分の1の部位が、視覚情報の処理に費やされているのです。人間がこれだけ大きな大脳を持っているのも、実は物を見るためだったと言っても過言ではないでしょう。 P67 世界を見ているのは私たちの心です。光そのものには色などなく、物理的に存在するのは波長の違いだけなのに、私たちの心には色として映っているのです。色だけでなく、立体にしたり、見えないところを推測して補ったり、不必要な情報を無視したりしながら、全体として世界を構成しています。 P87 したがって、昆虫は脳もあまり大きくすることができません。大きな脳を入れるスペースがそもそも確保できないからです。にもかかわらず、小さな脳でこれまで紹介してきたような能力を有しているというのは驚くべきことです。 P96 なかでも、私たちに身近なカラスは、いつも私たち人間をあざ笑うかのような賢さを見せつけてくれます。彼らを味方につけることができたらきっと人間も相当心強いと思うのですが、残念ながら、そういう社会を作るのはなかなか簡単ではなさそうです。カラスは危害を加える人の顔を覚えて、その顔を他の個体と共有して広めていく能力もあるようですから、本当に侮れません。 |
鎌田浩毅(京都大学大学院教授) 講談社 2012/02/14 東京に住んでいての想定外の災害は地震ではないだろう。 隣国の原発事故も想定外ではない。 富士山の噴火も、想定すべき災害だと思う。 さて、富士山の噴火は、どの程度の被害を東京に与えるのか。 本書を読んで、ちょっと安心しました。 火山灰が20センチも積もることはない。 桜島の噴火と比較しても耐えられそうです。 ちょっとした雪で交通が麻痺してしまう東京では、しばらく混乱が続くことは避けられませんが。 P33 火山の噴出物は、厚さにして20センチメートルほどになり、かつ表層がカバーされたものなら、地層として半永久的に残る。たとえば太郎坊のような火山の麓では、もともと噴出物が厚く、さらにその上を次々と噴出物が覆っているために残りやすい。 しかし江戸に降った火山灰は、厚さが5センチメートル程度のものだったので風に吹かれ、地層としては残ることができなかった。人為的に採取されたものだけを、われわれは調査できるのである。 |
加賀田晃(営業セミナー講師) サンマーク出版 2012/02/13 100戦100勝を誇る営業マンが極意を語ります。 是非を問う質問をすれば、断るのも1つの選択肢になってしまう。 自分の利益の為の営業ではなく、顧客に利益を届ける営業をする。 仮に、私達の仕事なら「100万円でよろしいですか」とは問わず、 「100万円で結構です」と、報酬を請求する。 話し合いの結果を「これでよろしいですか」とは問わず、 「良い結論が出せました」と報告する。 P129 商品説明が終わると、普通の営業マンはすぐさまクロージングに向かいます。 「いかがでしょう?」 そう言って相手の意思を確認します。 これだけは絶対にやめてください! これをやってしまったら、すべてが台無しです。 アプローチ、人間関係、必要性、商品説明 …… とここまできたのにいままでの苦労が水の泡です。 |
牧野 洋(元日経記者) 講談社 2012/02/10 この著者の「不思議の国のM&A」は良い本でした。 今回の著作も、良い本であることを想像させる書き出しです。 日本の新聞はガラパゴス型の発展をしてしまった。 記者クラブというシステムに囲われた権力のスポークスマンだと。 私も、そのように思います。 本書は、各論で、権力者側の情報と、その真実を指摘してくれているのだと思う。 なるほどね。 しかし、著者が論じるところは誰でも知っている日本の新聞の問題点だろう。 P63 「内部告発冬の時代」が続いてきた日本でウィキリークスが活動を本格化したら、新聞は難しい選択を強いられる。連携して内部告発情報を紙面に載せれば、権力側の怒りを買って出入り禁止にされかねない。そうなったら、日本的な特ダネに欠かせないリーク依存型報道で他紙に勝てなくなる。 内部告発は、権力側が国民に隠しておきたい秘密を暴く「反権力型」である。権力側が発信したい情報を漏れなく報じる「親権力型」の記者クラブとは、本質的に相容れない。権力のチェック役として情報源(内部告発者)を守り、「政府の悪事」究明に全力を上げる―こんな姿勢を見せない限り、ウィキリークスは日本の大新聞にはあまり期待しないだろう。 P65 「検察の捜査はおかしい」などと記事に書いたら、その時点で出入り禁止になり、他社に抜かれてしまいかねない。検察が気に入る記事を書いてこそ、リークしてもらえる可能性も高まる。現場の司法記者にしてみれば「他社に抜かれる」のが最悪の事態であり、そのためには検察のシナリオに沿って事件の構図を報じることにためらいはない。 P237 「コンサルタントの役割を求められたら拒否する」「取材先と一緒に酔っぱらわない」―いずれも日本の新聞界の基準では、非現実的な話に聞こえるだろう。 日本では、取材先の求めに応じてコンサルタント的に振る舞う新聞記者は珍しくない。政治家からアドバイスを求められる政治部記者は「優秀な記者」と見なされる。取材先との宴席で酔っぱらう記者もいくらでもいる。ハイヤーを使った夜回り取材で、夜中に取材先の自宅に上がり込み、お酒をごちそうになることもある。 P347 大統領や大企業トップら権力者に限らず、一介の会社員、専業主婦、納税者、有権者、消費者、学生、軍人であっても必ず実名で報道する―これがアメリカの報道機関の基本だ。匿名や仮名に頼ると、記事の信憑性が疑われるからにほかならない。 匿名・仮名であれば、後で検証されることもないから、記者に規律が働きにくい。コメントを正確に引用しなくても、誰にもとがめられることはない。こんな状況下では記事の捏造も起きやすい。そのためアメリカの新聞社では、どうしても匿名・仮名が避けられない場合には、記事中でその理由を明記するよう求められる。 日本のメディアでは匿名や仮名報道が蔓延している。ここでの匿名・仮名とは、国家の不正などを暴く調査報道でよく使われる匿名の情報源とは次元が違う。犯罪報道で容疑者を匿名にすべきかどうかなどという議論とも次元が違う。一般的な読み物などで多用される匿名・仮名のことだ。「ニュースの正確性」を担保するための基本が守られていないのだ。 |
南雲吉則(形成外科医) 講談社α新書 2012/02/10 50才を超えても30才に見えるアンチエイジング その手法が語られていると思ったのですが。 そこはは語られず、 語るのは生活習慣、食べ物、運動についての健康法です。 P218 この本で私がおすすめしてきた生活習慣を思い出してみてください。 早寝早起き(睡眠ゴールデンタイムの活用) 完全栄養の摂取と一汁一菜で腹六分目の食事 薄着をして身体を内面から温める 朝一杯の濃いめのゴボウ茶 たくさん歩いて電車では座らない スキンシップや感謝の気持ちを大事にする どれもアンチエイジングに役立つことばかりですが、じつは「生命力遺伝子」を活性化させるための不可欠な要素でもあります。 |
中野信子(脳科学者) 渦潮出版 2012/02/10 ミラーニューロンや、成人でも海馬は増え続けること。 ただし、海馬の増加には良いストレスが必要なこと。 人間は社会につくし、社会に必要とされるから生きていける。 |
ケビン・ポールセン(セキュリティジャーナリスト) 祥伝社 2012/02/08 ネットの黎明期から活動を開始したハッカーの活躍を語ります。 歯止め無く、知識を実行してハッキングを続ける。 彼は、最後に、刑務所に入ってしまうのだろうか。 1行を飛ばし読みすると、意味が追えなくなってしまう。 ネットの社会では知識さえあれば、どのような情報でも窃取可能であり、巨額な損失が、日々、発生している。 主人公は、そのような社会に生きて、巨額な損失を社会に与え、最後には刑務所に入った。 P296 何年にもわたって、マックスは暗号化したハードディスクドライブを第二の脳として利用し、自分が発見したもの、したことをすべて保存してきた。それを捜査当局に握られたことは法律上、彼の将来に致命的影響を及ぼすに違いなかったが、それより何より、聖域を侵されたように感じた。当局が頭の中に侵入してきて、彼の思考や記憶を読んでいるも同然だった。法廷から独房に戻ると、マックスは枕に顔をうずめて泣いた。 磁気ストライプデータは総延長13キロメートル弱に達し、当局はそれについて1センチも余すことなくマックスに罪を償わせるつもりでいた。ひそかにクリスをピッツバーグに呼んで何週間にもわたって情報提供を行なわせ、その間にクレジットカード会社がマックスが盗んだカードデータによる不正請求の合計を算出した。それは8640万ドル(当時のレートで約100億円)という驚異的な額にのぼった。 P299 判事はすでに量刑命令書を書いていて、それを読みあげた。13年の実刑だった。同時にマックスは彼がPOSシステムからデータを盗んだ110万件のカードの再発行費用として2750万ドルの賠償を命じられた。釈放後は5年の保護観察処分が科せられ、その間は就業や就学目的以外のインターネット利用を禁じられる。 「がんばりなさい」と判事はマックスに言った。 マックスは表情を変えずに立ちあがり、後ろ手に手錠をかけられると法廷から待機房へと連れていかれた。未決拘留期間と模範囚に対する減刑を計算すると、彼は2018年のクリスマス前に出所となる。 それでも9年近い刑務所での暮らしが彼を待っていた。当時、ハッカーに言い渡された量刑としては連邦裁判史上最長だった。 P310 そのためにも、彼は収監中に米国のネットワークを守ったり、国外の敵にオンラインで反撃を仕掛けたりといった形での政府への協力を申し出ている。“米国にはなぜマックスが必要か”というタイトルで、自分が提供できるサービスの内容をまとめた。「私は中国の軍事ネットワークおよび軍事業者のコンピュータに侵入できる」とマックスは提案している。「アルカイダもハッキングできる」判事に刑期短縮を願い出られるくらい政府に貢献できるのではないかと、彼は期待している。 望みは薄い。これまでのところ、当局は彼の申し出をとりあげていない。しかし、量刑言い渡しから1ヶ月後、マックスは目指す方向に小さな一歩を踏み出した。キース・ムラースキーが法執行機関の役人や学生、金融および企業セキュリティの専門家、そしてカーネギーメロン大学の学者から成る熱心な聞き手を前にマックスがNCFTAで話をするという機会を設けたのだ。 これに出席するために、マックスはムラースキーに伴われて刑務所の外に出た。1時間か2時間ではあったが、マックス・ヴィジョンはふたたびホワイトハットになった。 |
藤巻健史(伝説のディラー) 幻冬舎 2012/02/07 現在の為替相場 76円 1年前の為替相場 82円 2年前の為替相場 89円 3年前の為替相場 91円 1年前でも、2年前でも、3年前でも、 ドル預金をした人達は損をしていることになる。 しかし、著者は、当時も、今も、ドル預金を奨める。 本当に伝説のディラーなのだろうか。 しかし、バブルの頃は、誰でも土地を買い求めた。 そして、暴落した。 円が暴落するという著者の予言は、 耳を傾けるべき予言なのだろうか。 読んでみましたが「うーん」ですね。 「逆張りのフジマキ」の時代の成功体験に自縛されているように思う。 なぜ、円が暴落するのか。 国債の未達が生じ、日銀が輪転機をフル稼働させて紙幣を印刷する。 その紙幣で国債を買うことになる。 それが著者の未来予測です。 P3 私は今、円と国債がバブルの極限で、はじける寸前だと思っています。 この状態が長く続くはずはないのです。 1980年代後半、日本がバブル真っただ中にある時、大部分の人は「地価や株価は永遠に上がり続ける」と思っていたはずです。疑問を感じていた人たちがいたとしても、「いずれは破裂するかもしれないが、まだしばらくは大丈夫だ」と思っていたはずです。しかし、バブルは突然はじけ、多くの人が甚大な被害を受けたのです。 今回も、同じことが繰り返されると思います。 当時は土地、株のバブルで、今回は、円と国債のバブルだ、という違いだけです。 円は「避難通貨」だと言われていますが、完壁な誤解です。 今、円を保有している人は「豪雨の時に、がけ崩れを起こしそうな崖下の廃屋で雨宿りをしている」ようなものなのです。 今は、円という風船が極限まで膨らんだバブル状態です。表面が非常に薄くなっている時は、ほんの些細なきっかけでも、風船は破裂します。別に、太い針でなくてもいいのです。 一方で、日本国債の入札時に、国債が完売できないという未達が起きれば、それが太い針となって日本財政が破綻し、円も間違いなく大暴落します。 |
由良秀之(元特捜検事) 講談社 2012/02/01 この頃、小説は読まないのですが。 著者が、元検事ということで手にとって見ました。 元検事の副業とは思えない完成度です。 作者の本名は郷原信郎氏だそうです。 特捜部の知的レベルと実態が語られているところが面白い。 税務署OBも、検察OBも、常に、古巣の悪口を書く。 P69 「俺が初めて特捜部で仕事をしたのは、任官7年目に公安部から応援に入った時だった。その時驚いたのは、特捜部の検事って、簿記会計がわかっているのが、そもそもほとんどいないんだ。つまり帳簿捜査ができない。だからとにかく、叩き割って、しゃべらせるんだ」 P78 「それにしても、検事によって調べのやり方って違いますね。織田検事は、いつも紳士的だけど、去年私がついていた石持検事なんか、すごかったですよ。声もでかいし、机をバンバン叩くし、机の上に飛び乗って仁王立ちしちゃうこともありました。割れない被疑者は、よく壁に向かって立たされてました。そういうのやられると立会もつらいんですよ。知らん顔しておくしかないですけど」 P113 これらの取り調べは日中から行われていたが、ことさら熱を帯びてくるのは、夕食後から深夜に及ぶ時間帯であった。壁が厚く気密性が高いはずなのに、あちこちの取調室で大きな怒号や罵声が上がっていた。さらに机を叩いたり蹴ったりするような大きな物音も、時折聞こえてきた。 P117 「それじゃ、どうするんだ。また、刑事部に戻って、強盗や覚醒剤の調べばかりやってるのか。公判部で毎日退屈な公判にばかり立ち会ってるのか。それとも、検事辞めるか。しかし、その年で辞めても、なかなか弁護士で良い仕事なんかないそ。それに、ヤメ検というのは、検察に顔が利いてなんぼだからな。中途半端に辞めたんじゃ、食っていくのも大変だ」 織田が黙って聞いていると、道上が話を続けた。 「誰だってこんなことを好きでやってるんじゃない。しかし結局、検察が世の中で大きな顔をしていられるのは、どんなことをやってでも、政治家、それも、なんとかしてバッジを捕まえて、世の中に『汚い政治家を退治する正義の味方』だって思われているからだ。ロッキード事件、リクルート事件、そういう華々しい事件をやって、マスコミがそれをはやしたてる。そういうことができているからこそ、検察の世の中でのステータスが保たれているんだ。それがあってこそ、特捜OBがマスコミでコメンテーターとしてもてはやされる。検事総長や検事長経験者は、企業の社外役員の仕事にもありつける。ヤメ検弁護士は、特捜が事件をやるから、その弁護の仕事で多額の報酬がもらえる。それを支えるためには、無理をしてでも事件を立てる必要があるし、そのために、どんなことをしてでも被疑者を割る、調書をとる、ということになるわけだ」 P128 「真実を調べるとかいうようなものではなく、先に勝手にストーリーができあがっていて、何が何でもそのストーリー通りの供述調書をとってこないといけない。もちろんそんなものに普通の人が署名なんかするわけないから、相手を心理的に追い込むために、どんなことでもやるという話ね。人格破壊に近い、と言っていた人もいた」 P179 法曹の資格を持っている以上、検察を辞めても、弁護士になることはできる。しかし、ヤメ検といわれる検察官出身の弁護士は、民事事件の実務経験が少ないので、刑事事件で検察にコネクションがあるということが最大のセールスポイントになる。だから、検察の組織からはじき出された形で、弁護士として一から仕事を始めても、満足に家族を養えるような収入が得られる見込みは薄く、悪くすれば、家族を路頭に迷わせることになるかもしれない。 |
村山 斉(理論物理学者) 集英社 2012/02/01 「なぜ、夏は熱く、冬は寒いと思いますか」 「天動説から地動説へ」と当たり前の説明が続く。 途中で放り出してしまおうと思ったのですが、それは間違いでした。 ダークマター、ダークエネルギー、人間原理と進め、超ひも理論から9次元宇宙論まで話を進めます。 誰でも理解できる平易な説明です。 これができるのが著者の知識の深さです。 なぜ、自分が、ここに存在するのか。 物理法則は人間に都合良く出来すぎている。 そのような疑問を持ったとしたら、必読の書です。 そのような疑問を持ったことがないとしたら、その意味でも必読の書です。 P175 そんなふうに思わせるのが暗黒エネルギーだけなら、真空のエネルギーを前提に計算すること自体が間違っていると考えることもできるでしょう。しかし実のところ、そんな奇跡を感じさせるものはほかにもたくさんあります。 さまざまな物理法則をあらためて見直すと、宇宙に人間が生まれるための条件が揃いすぎているように感じるのです。 単純な話、たとえば重力の強さがちょっと違うだけで、太陽と地球の距離はいまとは異なるでしょう。太陽にちょっと近ければ水は水蒸気になり、ちょっと遠ければ凍ってしまいますから、そこに生命体は生まれません。 P176 しかし現実には、どの法則も星や人間が生まれるのに「ちょうどよく」できています。 知能を持った生命体がいなければ物理法則も考えられないので、当たり前といえば当たり前なのですが、これはやはり不思議なことでしょう。どう考えても人間が誕生しない可能性のほうが高いのに、私たちはこうして存在している。偶然にしてはできすぎです。 そのため物理学者の中には、自分たちの研究している基本法則や物理定数などが、すべて「人間が存在できるようにつくられている」と考える人も出てきました。これを「人間原理」といいます。とても物理学の専門用語とは思えない雰囲気の言葉ですよね。むしろ、哲学書や宗教書に出てきそうな言葉です。 P181 この理論で特徴的なのは、何といっても、空間が「九次元」でできていると考えることでしょう。私たちは空間が「タテ・ヨコ・高さ」の三つの次元でできていると認識していますが、実はそれ以外に6つの次元があると考える。そういわれても、どの方向に別次元があるのかさっぱりわかりませんが、超ひも理論では、それが小さく複雑に折りたたまれているので私たちには見えていないといいます。しかし高度な数学を駆使すると9つの次元の仕組みがわかり、空間をそういうものだと仮定すると、素粒子の成り立ちや力の働き方がうまく説明できるのです。 しかし、なにしろ余剰次元が6つもあるので、その空間の性質を調べるのは容易ではありません。その六次元空間の性質を知るために方程式を解くと、正解の候補として10の500乗個もの解が出てきてしまいます。 これでは宇宙の姿を描くことができないので困ってしまうのですが、もし、その方程式から出てくる解がすべて「正解」だとしたらどうでしょう。その中のどれが私たちの宇宙かはわからないので、理論自体は未完成といわざるを得ませんが、宇宙の数はそれだけあるといえるかもしれません。10の500乗個も宇宙があるのなら、暗黒エネルギーも重力もクォークの質量も何もかもが、人間を生み出すのにちょうどよくできている宇宙がひとつだけあっても不思議ではないでしょう。 もちろん、これは仮説の域を出ない話です。マルチバースの存在は、観測によって検証することもできません。もし観測できたら、その宇宙は私たちの宇宙の中にあることになるので矛盾してしまいます。 しかしいまのところ、まるで宇宙が人間のためにつくられているように思えることを、「神様抜き」に説明する方法は、マルチバース以外にありません。無数に生まれた宇宙の中で、この宇宙だけが人間をつくり出す条件を揃えていた。人間の生まれなかった宇宙は誰にも観測されないので、存在そのものが認識されない。したがって、そこでどんな物理法則が働いているのかも調べられません。人間を生んだこの宇宙だけが存在を認識されているのだとすれば、そこで働く法則が人間のためにできているのは当然でしょう。 そう考えると、この宇宙のことが何ともいとおしくなってきます。無数の宇宙が生まれたことには何の目的もないと思いますが、この宇宙はまさに人間のために用意されたといえるのかもしれません。あるいは、宇宙のために人間が用意されたということもできるでしょう。人間のいる宇宙がなければ、どんなにたくさんの宇宙が生まれたとしても、それは存在しないのと同じこと。しかし「この宇宙」に人間がいるからこそ、こうして「それ以外の宇宙」の存在も予想してもらうことができるのです。 |
二間瀬敏史(東北大学大学院教授) PHP新書 2012/01/25 時間が流れるのは当然なのですが。 理論物理学では、これが当然ではないようです。 確かに、相対性理論では、時間の流れは場によって異なります。 本書で、まず、知ったのが「エントロピー増大の法則」。 「増大」だから、エネルギーが大きくなる方向という思いが消えなかった。 しかし、これはエネルギーが減少する方向。 なぜ、減少する方向を「増大」というのか。 これは「実現される確率の大きな状態への変化」のことなんですね。 つまりは、異質のモノが、異質である状態から 均質に混ざり合う状態への変化が「エントロピー増大の法則」なのだ。 さて、時間ですが。 場が異なれば、異なる時間が流れている。 しかし、宇宙船に乗った兄の時間も、 地球に留まった弟の時間も、先にしか進まない。 時間が止まり、あるいは逆転するのなら、 他の物理法則のように扱うことができますが、しかし、時間は異なるだろう。 うーん、次に生まれてくるときは理系に進もうと思うのですが。 ただ、理論物理学の参考書を読み進めるについて文系で良かったと思う。 これだけの抽象概念を、数学で理解することは、私には不可能だ。 |
田坂広志(工学博士) 光文社新書 2012/01/23 原発事故が発生した直後に官邸に入り、原子力事故の緊急対策に取り組んだ原子力を専門とする学者。 その学者が、当時の生々しい危機を語る。 そのようなイメージで本書を手に取ったのですが。 語ることが総論ですね。 どのような危機なのか、各論の事実が伝わってこない。 原子力の利用には危うい落とし穴があるという設問についても、 「どれほど安全な対策を施していても、人間、組織的、制度的、文化的な要因から、技術者が想定していなかったことが起きるという落とし穴です」と答えてますが、 なぜ、今回の事故を語るのに、そのような総論、抽象論になってしまうのか。 どこのタンクの圧力が何気圧になったが、そのタンクは何気圧までしか耐えられない。 温度は何度に上昇したが、そこまで温度が上昇すると配線の皮膜が溶けてしまう。 どのような要件が整えば再臨界になるが、その条件が、どの段階まで進行した。 なぜ、そのような具体的な事実が語れないのだろうか。 |
島田裕巳(宗教学者) 幻冬舎新社 2012/01/22 良い本です。 知識が深く、緻密であるだけではなく、その知識を展開していく筆の進め方が見事です。 日本の葬式費用は、諸外国に比較し、極端に高額だ。 なぜ、葬式にカネをかけるようになったのか。 日本の仏教は、葬式仏教だが、飛鳥時代の仏教は、教えを学ぶための仏教であり、葬式は営まなかった。 今、京都や奈良の寺院に魅力を感じるのは、そこに葬式の匂いを感じないからではないか。 では、なぜ、仏教が、葬式仏教になったのか。 と、論を進めます。 戒名も面白かった。 葬式の様式は、悟りを開いた僧侶と、修行の途中でなくなった僧侶の為のものに分かれた。 修行の途中にある者は、完全な僧侶とは言えず、その立場は在家に近い。 そこで、在家の者も修行の途中にある者と同列に扱うため、 出家したことにして、出家者の証である戒名を授けることにした。 しかし、膨大な数が存在する仏典のどこにも戒名についての説明はない。 戒名という制度が存在するのは、仏教が広まった地域のなかでも日本だけだ。 なるほど。 戒名は、カソリックの免罪符に近いものなのかもしれない。 しかし、今どき、免罪符を売って成り立つ宗教があることが驚きだ。 既得権益側(免罪符についてのカトリック側)からは反発を受けると思う。 P66 修行の途中にあるということは、完全な僧侶であるとは言えず、その立場は在家に近い。そこで、亡僧葬儀法を在家の信者にも適用した。これによって、亡くなった在家の信者をいったん出家したことにし、出家者の証である戒名を授けるという葬式の方法が確立される。 P93 最大の問題は、それが仏教の教えにもとづいていない点にある。膨大な数存在する仏典では、戒名について説明されていない。それも、戒名という制度が存在するのは、仏教が広まった地域のなかでも、この日本だけだからである。 P96 日本でも、出家した僧侶はその証に戒名を授かる。その点は、他の仏教国と同様である。ただ、一般の在家の信者の場合にも、死後には戒名を授かる。それが、日本にしかない制度なのである。 出家者は世俗の生活を捨てたわけで、出家の際にまったく新しい人間に生まれ変わったと言える。新しい名前はその象徴である。 一方死者は、生の世界から死の世界へと移るものの出家したわけではない。俗人は、俗人のまま亡くなったはずである。にもかかわらず俗の生活を捨てたかのように戒名を授かる。本来、出家という行為と密接不可分な関係にあるはずの戒名が、それと遊離してしまったのである。 他の仏教国の人が、こうした日本の戒名のあり方を知れば不思議に思うだろう。しかも、日本では、出家であるはずの僧侶が妻帯し、普通に家庭をもっている。それは破戒ではないのか。日本の仏教は戒律を蔑ろにしていると考えられても仕方がない面がある。 それは日本人自身も感じている。日本の仏教は葬式仏教に成り果てたことで堕落してしまった。 そう考える人は少なくない。 その堕落の象徴が、戒名と戒名料なのである。 P101 戒名の慣習が庶民にまで浸透するのは、江戸時代に「寺請制度」が導入され、檀家である証として戒名を授かることが義務となってからである。 最初、寺請制度の対象は、禁教とされたキリシタンから仏教に転宗した者に対してだけだった。彼らはキリシタンでない証に寺の檀家になった。 禁教となったのはキリスト教だけではなく、日蓮宗の不受不施派など特異な教義を掲げ一般の仏教宗派とは異なる活動を実践した集団がそこに含まれた。やがて転宗した者だけではなく、すべての人間が寺請制度の対象となり、それぞれの家は地域の寺の檀家になることを義務づけられた。 寺の側は、「宗門人別帳」を用意し、檀家の家族構成、それぞれの生没、結婚、旅行、移住、奉公人の出入りなどを記入した。これによって一般の庶民と仏教寺院との関係が密接になり、檀家は葬式や法事、墓地の管理などを寺に任せるようになる。 江戸時代の中期以降、一般に出回っていた文書のなかに「神君様御掟目十六箇条宗門檀那請合掟」というものがあった。このなかでは、檀那寺との関係を密接にする必要性が説かれ、葬式の際には、戒名を授かることが掟として定められていた。 神君とは徳川家康のことで、この掟の写しは、寺々に貼り出され、寺子屋では習字の本として使われた。ところが、この文書は、17世紀末から18世紀はじめの元禄時代以降に作られた偽書で、仏教界の側が、檀家や戒名の制度を浸透させるために利用した可能性があった。 こうしたこともあって、寺請制度の導入以降、死者が戒名を授かる慣習が日本の社会に広まり、それが近代にまで受け継がれ、今日に及んでいる。こうした制度が受容されたのも、日本に独特な名前の文化があり、その人間の身分や境遇が変われば名前も改めるべきだという文化が存在したからである。 こうして本来、仏教には存在しなかった戒名という慣習が確立され、社会に浸透した。しかも戒名は、ランクをともなうことで、村の身分秩序を安定させる役割をも担うようになった。 その点でも、戒名は仏教の教えとは関係がないものなのである。 |
山口俊一(人事・賃金コンサルタント) ぱる出版 2012/01/20 大企業・小企業間の格差 理不尽度30% 年齢・役職間の格差 理不尽度40% 職種間の格差 理不尽度50% 男女間の格差 理不尽度60% 正社員・非正社員間の格差 理不尽度70% 公務員・民間企業間の格差 理不尽度90% なんか、納得させられる書き出しです。 しかし、どのような格差があるのだろう。 期待して読み始めたのですが、 なんか、当たり前のことしか書いてない。 「最難関(公認会計士)が失業者養成資格へ」というタイトルは笑いましたが。 |
阿川佐和子 文春新書 2012/01/20 才能のある著者がインタビューの経験を語ります。 自分が準備した質問事項にこだわり、 相手の話を膨らませることが出来なかった経験。 「質問は1つだけ用意しなさい」と教えてくれた先輩アナウンサー。 質問が1つしか準備してなければ、次の質問をする為に、相手の言葉を真剣に聞かなければならない。 そして、本気で相手の話しを聞けば、必ず、その答の中に次の質問が見つかるはずだ。 なるほど。 ただ、そんなことで感心してはいられません。 この作者、読めば読むほど、深さが増していきます。 どこまで深まっていくのだろう。 怖くなるような才能です。 元々感性の優れた女性が、 多くの人達に会い、 オリジナリティのある対談を作り出す。 その経験が、語るべき深い思想を創り出したのだと思います。 141頁 そのときの経験によって、私はこんな喩えを思いつきました。すなわち、人は皆、360度の球体で、それぞれの角度に異なる性格を持っていて、相手によってその都度、向ける角度を調節しているのではないか。学生時代の友達には北北西の方角を向けるかもしれないけれど、恋人の前では南南西の方角に自分をさらけ出している。 どちらも本人なのだが、相手の目には片方が「その人らしくない」と見えてしまいます。でも、もし人が、誰を相手にしても360度の自分をすべて見せてしまったら、早晩、飽きられてしまうのでしょう。いつまで経っても未知の部分があるからこそ、その人に対する興味が尽きることがないのだと思います。 251頁 「もうこれくらいで対談を終わってもいいんじゃないのかな。今日は1人でいろいろしゃべり散らしたけれども、一見、躁鬱的軽率にみえるこの話のなかに、実は奥深い意味と象徴を見付けることのできる読者と、それができない読者がいるでしょう」 私は遠藤さんのこのシメの言葉を、人生の指針として今でも大切に心にしまっています。 |
おおたわ史絵(内科医) 文芸社 2012/01/19 ウンチの色は気になりますが。 しかし、その色で病気が分かるほど簡単ではないようです。 宿便って、なにで、どこにあるの。 これって不思議に思っていました。 断食道場に行って宿便を取ると健康に良いという話しもありました。 でも、違うんですね。 宿便は大腸の粘膜に付いた水のような付着物。 大腸カメラの前に宿便を排出しても、その後、食事をすれば、また、宿便がたまり出す。 宿便を排出しても意味はないし、 それは不可能な話し。 |
藤川 太(ファンナンスプランナー) 朝日新聞出版 2012/01/15 持ち家派と借家派は答がでない議論だ。 そこで本書を手に取ったのですが。 著者にも答は出ていないように思う。 そこで私が検討すれば次の具合だ。 1 持ち家 2 貸家業 3 借家 1と3の比較なのだが、比較計算の為に2を中間項として加えてみる。 持ち家は、自分を借家人とする賃貸業経営と同じ収支になるからだ。 持ち家派=(貸家業+借家人) 仮に、貸家業が儲かる商売なら、 そして空き室リスクのない貸家業なら、儲けは保証されたようなものだ。 それなら持ち家派が有利になる。 自分の持ち家は大切に使用する。 家賃の不払いもない。 持ち家派は、良い借家人に入居して貰った幸せな家主になれる。 ただ、転勤族のように自分の持ち家に住む保証がない場合は、 空き室リスクを抱えた貸家業になってしまう。 その場合は、持ち家派は、大きなリスクを抱える込むことになってしまう。 持ち家の帰属家賃には所得税が課税されないが、 借家人が支払う家賃は、税引き後の支出になる。 しかし、将来の地価は予想できない。 仮に、毎年5%の地価下落があれば、 支払った住宅ローンは、全く無駄な支払いになってしまう。 自分の立ち位置を確認し、 最後には決断せざるを得ないのが住宅問題。 人生における3つの決断を拾い上げれば、住宅問題はその中に入ると思う。 P43 |
永野良佑(金融アナリスト) ちくま新書 2012/01/12 弁護士の数を増やすと、弁護士へのアクセスが増え、弁護士に対する需要が増える。 その結果、弁護士は、より多くの収入を得ることがができる。 というアホな議論を、弁護士の口から聞いたことがあります。 そのような人達に推薦する経済学の教科書として手にとってみたのですが。 うーん、やはり必要なのは、経済学に限らず、受験での学習。 会計士受験の経済学の知識は、その後30年を経過しても陳腐化してません。 |
田原総一郎 PHP 2012/01/11 原発は是か否か。 これについて議論をしても、両者の意見の一致は見付けられないだろう。 私は原発是認派だ。 本書も、原発是認派の立場で書かれている。 飛行機が墜落しても、自動車事故で何千人の人達が死亡しても、廃止とは聞かない。 原発も、事故を教訓として、技術を進歩させていくべきものだと思う。 仮に、津波を想定しなかった東京電力に落ち度があったとすれば、 今回の津波で1万人を超える死者を出してしまった国や地方自治体にも落ち度があったことになるだろう。 そもそも原発を推進したのは国であって、電力会社だけで出来ることではない。 電力会社を仮想敵国にして、政府を無罪にしてしまう民主党型のプロパガンダには賛成できない。 さて、著者は、どのような情報を与えてくれるのだろうか。 P37 政府は損害賠償問題では、東電救済色が出るのを極端に嫌がっている。日本国はいま、1000兆円もの借金を抱えている世界一の借金大国である。東電の損害賠償額の少なからぬ部分を政府が担うことになれば、当然、数兆円を上回る規模の出費となり、なおも借金が増える。 P147 これに対してこの経産省幹部は、「そもそも国民に選択を求めるアジェンダの置き方がヘンだと思う」と述べた。「脱原発か、原発推進か」という迫り方をされれば、ほとんどの国民は「原発はないほうがいい」と答えるに決まっているからだ。そこでこの経産省幹部が言うのは、「アジェンダの設定の仕方を変えてみたらどうなるか」ということだった。 たとえば、「電気代は高いほうがいいですか、安いほうがいいですか」と訊かれれば、多くの人は「電気代が安いほうがいい」と答えるだろう。あるいは、「二酸化炭素がいっぱい出る電源がいいですか、二酸化炭素が出ない電源がいいですか」と訊けば、多くの人が「二酸化炭素は少ないほうがいい」と言うはずである。 P158 原発のシンポジウムなどでは、反対派は大動員をかけるから、賛成派を動員しないと、会場はほとんど反対派で埋まる。ところが、事業者側が「みんなで参加して」と言ったら大問題だとされる。 この経済省幹部は、「やらせ」についてはまったく理解できないとしたうえで、「そこは、やや片務的でフェアではないように思えてなりません」と語った。 P163 さらにこの経産省幹部は、「ほんとうのところを言えば、いま日本に、原発推進そのものを目的にしている人など、ほとんどいないはずだ」と言う。「原発がなくて済むなら、それにこしたことはないが、化石燃料ばかりに頼る問題性や、新エネルギーの能力やコストの問題などを勘案し、全体のベストミックスのバランスも検討して、原子力を進めようと国は考えてきた」と強調するのだ。 P233 「チェルノブイリ事故の調査結果は、一番最近では、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告書があります(2008年)。それによると、チェルノブイリ事故の際、子供として被曝した人たちのあいだに甲状腺がんが6000人以上認められた。そのなかで15人が亡くなっている。それ以外については、がんが増えたという明らかな影響は認められないと結論づけています」 P238 「逆にがん死亡は減るかもしれません。まだ被曝線量がはっきりしないので、予測は控えるべきなのかもしれませんが、これから仮に200万人の人たちを調べたとして、50年後に放射線に起因するがん患者が増えるか。おそらく増えないでしょう。しかし、がん患者は多く見つかるかもしれません」 私は思わず笑った。 「それはそうだ。もともと死亡原因の3分の1ががんなのだから」 さらに佐々木氏が続ける。 「早期に健康診断をすれば、それだけがんも早く発見でき、治療も可能です。あくまで個人的見解ですが、他県の人よりも福島県民のほうが、がんで亡くなるリスクが将来的に高まることはないと私は思っています」 |
志村史夫(静岡理工科大学教授) PHPサイエンスワールド新書 2012/01/11 物理現象は、なぜ、数学と一致するのか。 これを不思議に思っていたところ、この書籍に出会いました。 重力の加速度は9.8mですが、なぜ、そのような整合性があるのだろう。 物理現象が先なのか、数学が先なのか、神の摂理なのか、人間原理なのか、偶然の一致なのか。 本書は、私と同一の疑問から説き起こし、重力の加速度から始まってE=mc^2まで論を進めます。 ただ、私に、これを理解する能力があるのか。 アインシュタインでさえ、宇宙の創造時には神の存在を想定していた(?)。 私のような凡人に、神を想定しない宇宙の整合性が理解できるはずはない。 しかし、なぜ、πのような割り切れない数字、気分によって変化してしまう数字、場によって異なってしまう数字が、宇宙には存在しないのだろうか。人間が認識できる3次元を超えた宇宙が存在するとしたら、そこでも同様の物理法則が成立しているか、あるいは別の物理法則なのか、さらには物理法則が存在し得ないのか。 数式を追求していくと現実には認識できない多次元の宇宙の存在までが解明される。 不思議で仕方がない。 P48 古代ギリシャ以来、最も完全な形とされて来たのは円なのですが、直径が1の円の円周πは無理数なのです。自然界の中で最も美しく、完全な形と思われる円の中に厄介な無理数が潜んでいることが、私には不思議で仕方ありません。「宇宙には美しい数の調和がある」というピタゴラス派にとっては、いささか厄介で、不都合なπなのです。 P181 理論物理学者の中には「神(“Something Great”)の助けを借りずに、純粋に人間の物理学だけで宇宙の創生を説明したい」と願う方々がいるのですが、私にはとても無理です。 アインシュタインが述べる“宗教心”、そして、私が述べる“Something Great”は、西行(1118-1190)が伊勢神宮を訪れた時に詠んだ「なにごとのおはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」の中の「かたじけなさ」に共通するものでしょう。 私は、「なにごとのおはしますかは 知らねども かたじけなさに」涙をこぼしつつ、自然、宇宙の驚異に感嘆し続けるほかはなさそうです。 |
山口由美(富士屋ホテル創業者の孫) 新潮文庫 2012/01/11 日米開戦の直前に大統領の使者と日本の総理近衛文麿が箱根の富士やホテルで和平に向けた密談をしていた。 そのような歴史秘話から始まり、戦争中に外国人が疎開をしていた軽井沢と箱根のホテル、戦後、マッカーサーが宿泊した帝国ホテル。 そのような歴史の各々の時期に登場し、淡々と役割を演じた老舗ホテルと経営者(支配人)の歴史を語ります。 P74 昭和16年の夏の出来事は、そうした茶目っ気のある悪戯とは違い、国家の秘密を抱えた重大事であった。でも、たぶん正造は、かつてプリンス・オブ・ウェールズに抜け道を教えた時と同じように、飄々として、秘密の客人に便宜を図っていたに違いない。山荘の周囲に張り込んでいた憲兵の目をかすめて、そっとプレイ中のウォルシュを木陰から手招きし、木々の中を午六山荘に導いた、などという仮説は空想が過ぎるだろうか。 だが、ついに憲兵たちは、近衛らだけではなく、そこにアメリカとつながりのある人物がいることを嗅ぎつけてきたのである。 |
田中周紀(元テレビ朝日記者) 講談社 2012/01/02 国税を担当した記者が具体的な査察案件を語ります。 査察事案をめぐる国税の組織や守秘義務の堅さと その壁を乗り越えて査察事案を発見する記者の地道な努力。 記者が、第三者的な視点で6万人の組織を語る。 在野の税法専門家にとっても、税務署OBにとっても有益な一冊です。 マルサ、ロッカイ、ナサケ、ミノリ、イチバン、ニバン、サンバン、ヨコメ、ヨメイリ、ドボン、ナガシ、ホンテン、シテン、オヤジ、サブという隠語を語れるようにならないと国税担当の記者は勤まらないのだろう。 ジャーナリストが「他人のこと」を書く書籍には良い本はないのですが。 本書は、ジャーナリストが、他人のことを書いたのではなく、「自分の経験」を書いている。 それが本書を地に足が付いた深みのある書籍にしているのだと思います。 著者にしか語れない査察取材ノートです。 P39 人数は省キャリが約50人、庁キャリが約230人、国税専門官試験合格者が約1万5000人、3種試験合格者が約4万人とノンキャリが圧倒的に多い。その中で、長官以下の主要ポストを省キャリが握って巨大組織を動かしている。 P41 昇進・昇給の判断材料とされる勤務評定が行われるのは毎年春。国税庁幹部は「調査によってどれだけ増差所得を見つけたか、その中でも懲罰的な重加算税を課すことができる悪質な仮装・隠蔽をどれだけ見つけられたかが評価のポイント」と話す。 新手の脱税の手口を発見した職員は、各国税局ごとに不定期に開かれる調査手法などの情報交換会で発表する機会を与えられる。国税庁長官や国税局長から表彰されるなどの“ご褒美”がもらえることもある。 P51 料調出身の国税・OB税理士の証言だ。厳しい環境下での調査の結果、料調の職員1人が見つけ出す所得の申告漏れ額は査察部の職員の5倍から10倍に達するという。明確な「たまり」が見つかった場合には、査察部に連絡して告発につなげるケースも多い。 P53 全国の国税局で査察部が単独で存在しているのは東京、大阪、名古屋の3つだけ。残る8つの局と沖縄国税事務所では、大企業を調査する調査部と組み合わされた「調査査察部」という名称になっている。職員の呼称は課税部や調査部が「国税調査官」なのに対し、査察部は「国税査察官」。全国の国税局に約1300人の査察官がいて、そのうちの4割に当たる約530人が東京国税局に配属されている。 P55 ところで、告発の対象となる脱税の期間はほとんどのケースで3年分だ。税法上の納付期限の時効は通常は5年だが、不正行為があった場合は2年間は時効が進行しないので、実質7年とされている。だが、犯罪としての脱税の時効は5年。しかも査察部は長期間の内偵調査を経て告発に至るので、過去に遡る起点の年は告発時点の2年前が多い。このため、遡れる期間は最大で3年分というケースが大半を占めるわけだ。 P56 「査察第1~17部門」 通称ナサケ。第1部門は全体のまとめ役で格が高い。第2、第3部門は重要事案を担当する。各部門は課長クラスの統括国税査察官を筆頭に10~12人で編成されており、統括官が1人、総括主査が1~2人、その下の主査が2~3人、さらに査察官が5~8人という人員構成。総括主査以下が2つの班に分かれ、それぞれが5人前後で内偵に当たる。常に銀行調査や脱税者の張り込みなどに出かけており、基本的に庁舎にいることはないので、同じ部門にいても班が違えば顔を合わせる機会は年に2~3回しかないという。抱えている事案は班ごとに20~30件で、そのうち告発できそうな4~5件を優先的に調べる。ナサケからミノリに事案を送ることを「嫁入り」と呼んでおり、自己開発した事案を年間1件嫁入りさせることができれば、その班はノルマを達成したことになる。逆に2年続けて1件も嫁入りさせられなければ無能の烙印を押されてしまう。 「査察第21~36部門」 通称ミノリ。ナサケから「嫁入り」した事案を実際に強制調査して、検察庁に告発するセクション。たまりの隠し場所を探す技術や、嫌疑者らの供述調書を作成して公判に向けた証拠書類を作る技術が求められる。各部門の人員構成はナサケとほぼ同じ。全国では毎年約200件の強制調査が行われ、告発されるのは約150件。東京国税局では年間約70件の強制調査が行われ、約50件が告発される。強制調査に着手しても、告発までには半年から長いもので2年以上かかるため、着手した年度のうちに告発にこぎ着ける事案は少なく、前の年度に着手したものを告発するケースが大半だ。 P60 東京国税局査察部が強制調査に着手する脱税事案は年間で約70件。実はこのうちの40%前後はナサケの自己開発ではなく、税務署や課税部から情報提供を受けたものだ。他の部からのこうした情報提供は「査察連絡」、調査内容を説明するため資料情報課に持ち込まれる資料は「査察連絡せん」と呼ばれている。 「この場合、調査対象者は税務署や料調からすでに調査を受けているので、調査が終わってから長い間何も結果が伝えられないと不審に思う。査察部に回ったことを税理士に勘づかれると、証拠を隠滅される恐れもある。だから資料情報課から連絡せんが来てから強制調査に着手するまでの期間は2~3週間しかありません。連絡せんを受け取るとナサケはすぐに内偵調査を始め、1~2週間後には結果をまとめた内偵調査報告書を書き上げる。自己開発した事案の報告書は1ヵ月ほどで書き上げるのが普通なので、連絡事案は文字通りの突貫工事です」(査察部OBの税理士) P62 「内偵調査で重要なのは『手口』と『たまり』。たまりは公判を維持するための証拠としては大事だが、せっかく見つかってもはるか以前に蓄財されていて時効にかかってしまう場合がある。大量の1万円札が出てきたが、聖徳太子が印刷されている旧札だったなんてことも実際にあった。たまりを重視し過ぎるのはかえって危ない。やはり手口の解明がしっかりできていなければ、嫁入りのゴーサインは出せませんね」 P92 社会部の記者にとって、国税当局は最も担当したくない不人気ナンバーワンの職場。その理由はひとえに、国税幹部の口が極めて堅いことにある。 警視庁や東京地検特捜部の場合、地道に回って親しい幹部ができれば、それなりに情報が取れるようになる。だが、国税当局はそうはいかない。夜討ち朝駆けを繰り返しても、なかなか成果が表れない。何度か通って付き合ってもらえるようになっても、国税側から個別の調査事案(いわゆる“ネタ”)を話してくれる可能性は限りなくゼロに近い。こちらから具体的な企業や個人の名前を出して、それが間違っていなかった場合でも、細かい調査の中身まではなかなか教えてもらえない。 「国税職員には国家公務員としてだけでなく、各税法上の規定で守秘義務が二重に課せられている。具体的な中身をこちらから教えるわけにはいかないんですよ」(東京国税局幹部) P155 一般的に全く知られていないことだが、新聞やテレビで報道される「東京の化粧品販売会社トリプルサンが脱税の疑いで刑事告発されました」といった個別の調査事案はすべて、記者が独自に取材して発掘したものだ。国税当局から発表されるのは、相続税や贈与税の算出の基準となる路線価などの「発表モノ」と、職員が起こした不祥事ぐらい。警視庁や東京地検特捜部が容疑者を逮捕すると、記者を集めて「レクチャー」と呼ぼれる情報提供の場を設けるのに対して、国税庁記者クラブでは個別の事案についてのレクチャーは全くない。このことはクラブに加盟する各社の社内でも意外と知られていない。 P157 国税庁記者クラブには「国税局の調査が完全に終わっていない事案を報道してはならない」という不文律が存在している。調査が終わっていない事案の報道は“前打ち”と呼ばれ、これをやるとその事案の調査をしていた国税局の部署から長期間の出入り禁止、通称「出禁」を食らうことになるのだ。 P160 「口が堅いとされる特捜部の取材に女性記者を配属したところ、民放各社はそれまでより格段にネタが取れるようになった。民放はこれに味をしめて、取材のイロハさえ知らない若い女の子を、特捜部よりさらに口が堅いとされる国税当局の取材に投入し、二匹目のドジョウを狙ったというわけだ」 この“お色気作戦”は効果を上げているのだろうか。別のOB記者の見方はこうだ。 「若くてかわいい女性記者がいくら夜討ち朝駆けしても、国税当局は税金のゼの字も知らない相手にネタをくれるような甘いところではない。自分の娘と同世代の女性記者が苦労している姿に同情するペテランの幹部はいるようだが、全くゼロからネタを教えてやるような不届き者はいないんじゃないの?」 |