二宮敦人 新潮社 2016/12/29 私と真反対の生き方をする人達、 特別の才能を持ち、それを信じる人達 将来の保証がなくても、不安を感じない人達 社会に存在しない価値を、新たに造り出す人達 客観的な評価基準のない成果を、信じ続ける人達 社会に役立つという価値基準から無縁でいられる人達 多くの人達が、その後の人生の構築に失敗(?)する人達 P231 半分くらい行方不明 ここまで藝大を調べてきて、どうしても気になることが出てきた。 確かに藝大生は凄い。音へのこだわりには舌を巻くし、日々身に着けている技術も到底真似ができない。 だけど、それって社会で役立つのだろうか? 卒業してから、食べていくことができるのだろうか……。 「アーティストとしてやっていけるのは、ほんの一握り、いや一つまみだよね」 楽理科卒業生の柳澤佐和子さんが、あっさりと言った。 「他の人は卒業後、何をしているの?」 「半分くらいは行方不明よ」 「……え?」 「行方不明」 まさかと思って調べたが、これがほぼ事実なのだ。 平成27年度の進路状況には、卒業生486名のうち「進路未定・他」が225名とある。 彼らは今、どうしているのだろう。フリーターになったり、旅人になったり、バイトをしながら作品制作を続けたり……と、いろいろなパターンがあるようだが、文字通り詳細は不明だった。 「そもそも私のように就職活動をして、会社に入る人が少数派なのよ」 P233 「何年かに1人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」 入学時、柳澤さんは学長にそう言われたという。 「ある意味、就職してる時点で落伍者、といった見方もあるのよ。就職するしかなかった、ということだからね。あいつは芸術を諦めた、みたいな……」 活躍している藝大出身者はたくさんいる。例えばレディー・ガガの靴を手がけたシューズデザイナー。大河ドラマのテーマ曲の作曲家。ディズニーシーの火山を作った彫刻家もいれば、ディズニーランドのショー音楽制作者もいる。 多くの藝大生が目指すのは、やはり作家だ。作品を売って食べていける画家、工芸家、彫刻家、作曲家。あるいは、演奏で食べていける演奏者、指揮者……。 しかし、そんな存在はほんの一握り。 何人もの人間がそこを目指し、何年かに1人の作家を生み出して、残りはフリーターになってしまう。それが当たり前の世界だという。 P240 みな、将来についてあまり真剣に悩んでいないようなのだ。卒業後、具体的にどう生きていくのか、10年後、20年後はどうするのか、といった話を聞くことはほとんどない。 もちろん、不安ばかりを募らせても意味がないのだろうけれど..。 しかし中には、決意を持って将来を考えていない人もいる。 山口泰平さんは、理知的な瞳をきらりと輝かせて言うのだ。 「将来のことは何にも考えてないですね。その時その時で、面白いと思ったことをやっていこうかと。レールに沿って何かをやって行けば成功するとか、そういう世界ではないと思うんです。やりたいことをやるのが大事なんじゃないかと」 山口さんは東大の工学部で建築を学んだ後、社会人経験を経て藝大の作曲科に入った異色の経歴の持ち主だ。もともと音楽に興味はあったが、中高一貫校にいたこともあり、流されるまま勉強しているうちに東大に入っていたという。 「最初は、社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東大で、建築の先生が言っていたんですね。『全ての建築は個入的な欲求からスタートする』と。依頼主のためとか、社会のためじゃなくて、個人的にやりたいことがあってこそ、だそうです。他者のニーズとは後からすり合わせていけばいいと。なるほど、と思いまして。やりたいことをやっていたほうが、周りの人も見ていて楽しいじゃないですか。それこそが結局は、社会のためになるのかなと」 山口さんは、いつか人生を振り返った時に「何かをやりたかったのにやらなかった」と後悔するのが嫌で、一念発起して藝大に入り直したという。 「だから、僕は楽しいことをやっていこうと思いますし、今楽しいです」 |
篠田節子 新潮文庫 2016/12/27 「男の本文は仕事」 それを額に入れたような勤め人が、 倒産した会社の残務整理を最後まで勤め、 転職先では鬱になってリストラされるまで働き、 次に勤めた大学では義務である以上に学生に入れ込んで働く。 自分が鬱であることを自分で判断し、 組織からは無残に切り捨てられるが、 彼を見ていた人達からは評価される。 そのような自己満足的な生き方なのか、 作家のマンガチックな人生感なのか。 その間に、自分のバックヤードである家庭は壊され、 それでも自分の子への養育費と、息子の受験勉強を援助し、 結婚を約束した女性に去られ、彼女は自分の同僚と結婚し。 自分を非難し、妻と離婚させた義父母を看取る。 いや、そんな人間が存在するだろうか。 本業の仕事についても、 妻側に引き取られた子についても、 妻側の家族についても、 「男の本文は仕事」という真面目さを発揮する。 人生の目標である家庭を築くことができなかった男が、 その為の手段である「男の本文は仕事」という生き方をする。 オイオイ、 手段と目的を入れ違えていないかい。 そのように問いたい主人公の人生です。 主人公は、一生、 生きてきて何を築いたのだろうか。 3億円の定期預金だろうか、 自慢できる贅沢な自宅だろうか。 自慢できる子ども達だろうか。 サラリーマン論として読み進めたのですが、 これってサラリーマンの真面目さなのだろうか。 しかし、それを、違和感なく 一冊分の長編小説として仕上げてしまうところは、 さすが、篠田節子。 P27 離婚後に、「男の本分は仕事だ」と励ましてくれたときと同じ口調だった。 P36 他人の家庭の内実を知ってしまえば、疲れて帰宅したときに笑顔で迎えてくれるエプロン姿の妻や、尊敬と愛情の籠ったまなざしで父を見上げてうなずく息子、などというものが、テレビCMの中にしか存在しない幻だというのが実感として理解できる。 隣の芝生は決して青くはない。スポーツジムで汗を流し、風呂に入ってから帰宅するたった一人の家も、そう捨てたものではないと、高澤には思えてくる。 |
デニス・プレガー ミルトス 2016/12/20 ミルトンの「失楽園」と、 本書は、私の永久保存本です。 「宗教のない理性は共産主義を、理性のない宗教は十字軍とカダフィをもたらした」 これは私達の仕事にも通じます。 立法趣旨、保護法益(常識)を理解しない条文解釈を戒め、 税法理論(理屈)を理解しない実務を戒める。 P29 アドルフ・アイヒマンをはじめとするナチの殺人者たちは、出世をするために殺戮命令に従い、”理性的”に行動したのだ。ユダヤ系市民が強制収容所へ駆り立てられていた間、平均的ドイツ市民は沈黙を守り、その行動は完全に理性的であった。理性は、自分の生命を守るようそれとなく教え、ユダヤ人を助けて自分の生命を危険に陥れないよう、暗にそそのかした。 要するに、理性はモラルとは関係ないのだ。それは善にも悪にも容易に利用できる、人間の道具なのだ。 P30 原注前記のどれもが、モラルや宗教の領域のいずれにおいても、理性は不要であると言っているのではない。より高いモラルの源泉や倫理的な唯一神教なしに、単なる理性だけでは悪を許し、悪に導く結果となる。同様に、単なる神の信仰も悪を許し、導く。宗教のない理性は共産主義を、理性のない宗教は十字軍とカダフィをもたらした。 P256 『父祖たちの倫理(ピルケイ・アボット)』の第2章5節によれば、「無知なる人は有徳たり得ない」。その理由は、無知な人は善いことを行なう意欲を欠いているというわけではないが、善いことを行なうには善とは何かを知らなければならないからである。 ユダヤ人として振る舞うには、ユダヤ教とは何であり、何を求めているかを知らなければならない。 |
三浦哲郎 新潮文庫 2016/12/16 2人のアルビノの姉妹 そのことが原因なのか、 あるいは違うことなのか、 小さな事件が因果関係を与えて、 家族が崩壊していく長編小説です。 本当の原因は、 姉妹の存在なのか、 それとは関係の無い因果関係なのか。 原因と結果が無限ループになってしまう。 一気に家庭を崩壊させる筆力は見事です。 この頃、長編小説などを読んだこともなく、 また、読む気力も続かないのですが、 本書は読み通すことができました。 これが作家の文章力です。 しかし、各々の書籍には読む時期がある。 長編小説は、高校生、大学生の時代に読む。 その時期に読まなければ、 読まずに終わってしまう。 P559 西洋の北の極のあたりに 白夜とよばれる夜があるといふ 暮れるでもなく 暮れぬでもなく 眠れるでもなく 眠れぬでもなく ただ深い井戸の静寂に包まれて 寝返りを打つばかりの白々とした夜 ここは日本の北の田舎町だが 独り白夜を過ごしてゐる女がゐる 人間だが 生きてゐるやうな ゐないやうな 女だが さうであるやうな ないやうな ただ無用の熟れた乳房を持て余して 寝返りを打つばかりの白々とした女 |
安藤俊介(日本アンガーマネジメント協会代表理事) 朝日文庫 2016/12/15 怒り その感情を上手に分析し、 コントロールの方法を解説します。 怒りが、 著者の研究テーマだけあって、 怒りの発生原因に対する分析には深いモノがあります。 なぜ、怒りが発生し(コアビリーフ) それが爆発してしまう(トリガー思考)のか。 なるほど、 納得の分析です。 仮に、組織に属する場合なら、 怒りは、まさに、欠点でしかない。 これをコントロールすることは不可欠です。 しかし、怒りが、 生活にとって不要なのなら、 人間の尻尾と同じ運命をたどるはず。 つまり、 生物の何百億年の歴史で、 衰退してしまっているはず。 怒りは、 個性と同じかもしれない。 怒りを解消するテクニックは、 好々爺を育てるテクニックかもしれない。 著者が提言するテクニックで、 100回の怒りを30回に抑える。 P149 頭の中に「怒りにくい仕組み」をつくるときのキーとなるのが、「コアビリーフ」と、最終的に怒りを大きくするきっかけとなる「トリガー思考」の二つです。 このコアビリーフとトリガー思考の二つがセットになって怒りが生まれ、大きくなります。そして、この二つが変わらないかぎり、いつまでも同じように考え続けます。 ですので、この二つと向き合い、変えていく必要があります。 P152 私たちは何かを認識するとき、自分のコアビリーフに従って認識します。コアビリーフは自分が一番正しいと信じていることや、「〜すべき」と思っている事柄で、それが客観的に正しいかどうかということは関係ありません。 P153 世の中の多くは、どちらが明らかに間違っているとも正しいとも言えないものです。なのに、なぜか人は、「こうあるべき」「こうしなきゃ」と思い込みがちです。 ふだん、私たちはこうした自分のコアビリーフの歪みや認識のエラーにはなかなか気づきません。 P167 トリガー思考は、怒りが表に出るきっかけになる考え方です。 つまり、私たちがふだん「地雷をふんだ」のような言い方をしているようなものです。 P168 自分の危険なトリガー思考をあらかじめ知っておくことで、もし誰かが自分のトリガー思考にふれるようなことを言ったとしても、「まずい、これは自分のトリガー思考だ」と先回りして対処することができるようになるからです。 P177 トリガー思考の代表的な例 □ バカにされた □ 利用された □ 無視された □ 認めてもらえない □ 誰も話を聞いてくれない □ なめられた □ 感謝されていない □ 喜ばれていない □ 見下された □ 顔に泥をぬられた □ 恥をかかされた □ 誰も気にかけてくれない □ だまされた □ 裏切られた □ ないがしろにされた □ 傷つけられた □ 思いどおりにいかない □ 容姿のこと □ 人種差別、男女差別 |
野澤千絵(都市工学専攻) 講談社現代新書 2016/12/13 読んでいて楽しい本がある。 書くべき著者が、 書くべきテーマを書いている。 住宅・建築業界を「マグロ」と定義するなど、 この業界の実体を理解している。 不動産投資は、時期を見て、景気を見て行うべきなのですが、 住宅・建築業界は、常に、扇を広げ続けなければならない業界。 住宅・建築業界の倒産率の高さは、 「マグロ」業界の宿命なのです。 P6 住宅・建設業界というのは、「常に泳いでないと死んでしまうマグロと同じ」と言われるように、基本的には、常に建物をつくり続けないと、収益が確保しにくいビジネススタイルであることも理由の一つです。 P37 これらの将来リスクを認識しているからだと思いますが、私の周りにいる建設や都市計画の仕事をしていて、購入可能な年収層と思われる知人で、実際に超高層マソションを購入した人はほとんどいません。 火災・災害時のリスクについては、火災時の消火活動の困難さや中高層階の高齢者等が避難階段で避難できない、長周期の地震動で建物が大きく揺れることで家具が凶器と化すなど、さまざまな点が指摘されています。 また、災害時だけでなく、平常時でも、設備の配管が破損して水漏れが発生すると、一般のマンションに比べて、修繕工事が大がかりにならぎるを得ません。 P67 川越市郊外の農地エリアでは、数年前に開発許可を受けた土地の2割程度がいまだに売れ残っていると言われており、車でしかアクセスできないような立地の住宅需要の低下がすでに始まっている可能性もあるのです。 今後、大都市郊外や地方都市は、空き家化・空き地化・放置化された土地がまだら状に点在しながら、「スカスカ」していく、つまり人口密度が低下していくこととなります。 P68 みずほ銀行によると、1997年時点のスーパーの地方店舗の2013年時点の存続率は、イトーヨーカドーは57%(26店舗が閉鎖)、イオンは73%(35店舗が閉鎖、他に27店舗が移転増床・業態転換)とされており、特に地方都市で店舗の閉鎖が相次いでいます。大都市部でも、イトーヨーカドーの新浦安店、東習志野店、千住店、戸越店など、閉店が相次いで発表されています。 P91 では、なぜ、羽生市で、賃貸空き家が増えてしまったのでしょうか? その理由は、もしかしたら、サブリース会社に有能な(?)営業マンがいたせいなのかもしれませんが、これまで見てきた湾岸エリアの超高層マンション林立や市街化調整区域での新築住宅の開発の急増の場合と同じように、またしても、都市計画を過度に規制緩和してしまったことが影響しているのです。 |
中島 拓(家賃債務保証会社社長) 日本経済新聞出版部 2016/12/12 もう少し、実務的な内容が語られると期待したのですが。 仮に、家賃不払いになった場合の家主の対応と、それに遅れた場合の影響。 家賃不払いの人達についてのブラックリストの存在と、保証業者間の連携。 借家契約の個人保証についての判例の変遷など、 難しいことを取り上げようとせず、 自分の仕事を語ってもらった方が役立ちます。 これからの賃貸業は、 家賃保証会社の利用は不可欠だからですが。 日本経済新聞の出版なら、 単なる文章の推敲を超えて、 テーマなど深くアドバイスしたら良いと思う。 優秀な人達は親方会社に配属されてしまうのか。 P40 とはいってもその家主が何戸の物件を持っているかというと、図表8で見られるように、「1〜5戸」が10.5%、「6〜10戸」が17.8%、「11〜20戸」が26.8%となっており、20戸までの合計で55.1%となっています。 P50 こういったことがあるので、携帯電話の使い捨てのように家賃の不払いをする不健全な賃借人を減らす必要があるのです。そこで一部の家賃債務保証会社が協力して、2009年に一般社団法人全国賃貸保証業協会(LICC)を設立し、代位弁済の情報登録及び会員会社への提供を開始しました。現在(2015年4月末)この協会の参加会社は14社です。 仕組み的には、貸金業界やクレジット業界の個人信用情報機関と同じです。利用者からの同意を得たうえで家賃支払いの客観的な事実を登録し、会員会社からの照会に応じ、登録されている人から要望があれば登録情報を開示するというものです。貸金業界やクレジット業界の個人信用情報機関と違うところは、扱う個人情報が家賃の支払いに関する情報だけというところです。 |
楠木 新(元サラリーマン) 日経プレミアムシリーズ 2016/11/31 元サラリーマンの作家が、 サラリーマンの生き方を語りますが、 さて、何を言いたいのだろう。 転職の話しなのだろうか、 ぼやきなのだろうか。 最後まで読んだのですが、 引用する箇所も見付けられない。 働く人達の80%がサラリーマン。 それを定義することもできないのだろうか。 恐らく、著者が語りたいのは、 生きていくことの個人的な価値。 サラリーマンという題材では、それが語れない。 だから、何も語っていない。 |
永野健二(日経新聞元証券部記者) 新潮社 2016/11/31 バブル前から、 バブル崩壊までの9年間を語ります。 あの時代、 多様な紳士が登場し、 あれやこれやと実行して退場していった。 その「あれやこれや」を 因果関係を解明しながら紹介していきます。 日経新聞の記者の経験のある著者ですから、 背景事情の説明や因果関係の解明は的確です。 ただ、 新聞記者が書いた書籍なので、 ドラマや深みは期待できず、 ただ「あれやこれや」の解説で終わってます。 要するに、 バブル時代の歴史の教科書。 では、あの時代の経験(失敗)が、 これからの時代の知恵に活かせるか。 あの時代は土地本位制度の日本独自の経済バブルです。 土地が価値を失った現在には再現しない種類のバブルです。 常に、バブルは発生するという意味の教訓なら、 オランダのチューリップバブルを語るのと同じ。 しかし、あの時代、 多額の利益を計上する事業経営者も、 NTTの抽選に当たったとか、外れたとか騒いでいた。 私は、 その渦中で仕事をしてましたが、 株式投資には全く手を出さなかった。 「宗教ですか」と不思議がられたこともありましたが。 私の廻りで騒いでいた人達も、 本書に登場する人達も、 皆さん、消息不明。 P122 10月の証券会社による入札によって、個人投資家への一般売り出し価格は119万7000円と正式に決まる。86年11月の申し込み時には、申込者数が1060万人に達し、抽選倍率は6.4倍だった。87年2月、株主数165万人の壮大な公開企業が誕生する。 この数字をあらためて見てみると、NTT株の公開がいかに大きな実験だったかが分かる。申込数の1060万人は日本の人口の約1割である。また株主数の165万人というのは、当時の日本の株主数(延べ2000万人)に対しても8%となる。その相当部分は、これまで証券会社との取引関係がなく、株主になったことのない人たちだった。 3ヵ月後の4月22日には、NTT株は高値318万円をつけるが、その価格で換算したPER(株価収益率)は300倍以上であり、合理的な指標で見る限り、もはや説明可能な範囲を超えていた。そして87年7月には安値225万円まで下げる。その後、ブラックマンデー前の戻り高値300万円から下げ局面を経て、89年過月には135万円になる。 P220 「東京23区の地価が、アメリカ全体の土地の時価総額を上回る」「冷静なアナリストが1株50万円弱と評価したNTT株が119万7000円で売り出され、上場後には318万円を付ける」「大手都市銀行の1行あたりの時価総額が、世界最強と言われた米国のシティバンクの時価総額の5倍となる」「小金井カントリー倶楽部の1口あたりの会員権が3億円を超え、外国の投資銀行のトップにゴルフ場の値段ですかと聞かれる」 オランダ国民が、1株のチューリップの球根に年収の何倍ものお金を投入した、17世紀のチューリップバブル。それを笑えないような現象が、あちこちで起こっていた。 |
山崎ナオコーラ 夏葉社 2016/11/28 どこかの書評を見てAmazon。 900文字程度の93編のコラム。 コラムは900文字、1000文字、 1200文字で書き方が違ってくる。 書き方の学習のために、 他人のコラムを読んでみました。 実務家と作家のコラムは異なりますね。 作家のコラムは、結婚式の挨拶と同様に、中味がなくても読ませる文章。 実務家のコラムは、研ぎ澄ましたナイフと同様に、読者を刺し殺す文章。 小説家の文章は、自転車より速く、自動車より遅い文章。 実務家の文章は、自動車より速く、飛行機より遅い文章。 ただ、作者が、 筆者紹介に書く次の主張は私も同感です。 P247 目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも負けない文章を書きたい」。 |
牧野知弘 角川新書 2016/11/27 開発業者か、 不動産業者の 生活実感のない総論の話し。 そのように思って手に取ったが、 それなりに読み応えが有りました。 最終章まで、これでもか、これでもかと、 郊外型の戸建て住宅の価値の消失を説きます。 駅バス物件は全くダメ。 昭和に開発されたニュータウンもダメ。 専業主婦が庭のある戸建てで子育てをする。 そのような文化が消滅して女性も働く時代。 いや、それよりも、一度、 都内の便利な所に住んでしまったら、 電車通勤1時間、バスに乗って20分。 そんなところに住む気にはなれません。 埼玉に住んでいたときは、東京は隣でしたが、 東京に住んでしまったら、埼玉は遙か遠方です。 長寿化の時代なので、 相続の段階では、子は、 自分の居住地を確保している。 古くなった親の住まいに転居する理由がない。 ニュータウンが、オールタウンになり、、 都心の通勤に便利な土地以外は価値を失い、 相続人にとってもマイナスの相続財産になる。 分譲時に1億円だった戸建てが、 いま4000万円でも売れない。 いや、買値が付かない物件が増えている。 要するに、昭和に売られた 郊外型マイホーム否定がテーマです。 では、どのような「家」を選択すべきか。 それは199頁の一節でしか紹介されません。 P199 住宅といえば、「買えば得する」あるいは「買わなければ損をする」といった損得の概念だけで語られていた時代が日本では長く続いてきました。しかし、損得だけが人間にとっての効用ではないはずです。住宅の最大の効用とは「住んで楽しいか」「利用価値がどれだけあるか」といったことではないでしょうか。こうした当たり前の概念が、これからの「後悔しない住宅選び」の基準になるような気がしています。 |
デイヴィット・イーグルマン(神経科学者) 早川書房 2016/11/26 翻訳本の例で、冗長な説明が続きましたが、 第5章の「脳はライバルがあるチーム」は参考になりました。 社会のチームも、脳も、1つの存在ではなく分業体制で成り立っている。 自動車工場のラインであり、自動的に自転車を漕ぐ足の筋肉であり。 さらには、分業ではなく、ライバルを抱えたチームで成り立っている。議会制民主主義の与党と野党であり、単純には「理性脳」と「感情脳」であり。自分の頭の中では多様な脳が議論し、争い、答を出している。ダイエットをしなければという理性脳と、目の前にあるケーキを食べたがる感情脳の争いだ。 それら議論は意識されない。意識されないところでの議論の結果が行動に表れ、人は、それを自分の意思決定の結果だとして、上手に、理由を説明する。今日はケーキを食べるけれど、明日はダイエットしよう。そのような合理化だ。 これは組織を観察する視点で役立つ理解だ。 理性脳が機能するメンバーと感情脳が機能するメンバー。 各々の組織によって強弱が異なるが、大組織の場合は、組織という宿命から理性脳が強くなる。 なぜ、組織は強いのか。「それは君の問題であって、僕の問題ではない」。そのような理性脳が集団で行動したときは強みを発揮する。日本サラリーマン組織であり、日本軍隊組織であり。そこには個人は登場せず、不条理を嫌い、善悪を感じて、喜びを感じるという「感情脳」が表に出てくる余地はない。 しかし、「組織脳」で働く人達は、「感情脳」の訓練が疎かになる。 私達、個人の自由業の喜びがあるとすれば、それは「感情脳」で判断する日々の仕事だろ。 P164 ブラックボックスにも神経解剖学にも縛られないラベルを使うために、私は誰にとってもなじみのある二つを選んだ。それは「理性」と「感情」のシステムだ。この言葉はあいまいで不完全だが、それでも、脳内の競争状態について大事なポイントを伝えてくれる。理性のシステムは外界の物事を分析することに関心をもち、感情のシステムは内部状態を監視し、物事が良くなるか悪くなるかを心配する。 つまりおおざっぱな指針として、理性的認知は外界の出来事に関与し、感情は内部の状態に関与する。内部の状態に相談しなくても数学の問題は解けるが、メニューにないデザートを注文したり、次にしたいことの優先順位を決めたりすることはできない。感情ネットワークは、あなたが次に起こす可能性のある行動をランクづけするのに絶対必要だ。 もしあなたが感情のないロボットだとしたら、部屋に入ったとき、周囲にある物について分析することはできるかもしれないが、次に何をすべきか決められずに立ちすくむだろう。行動の優先順位の選択は、内部状態によって決まる。帰宅して直行する先が冷蔵庫か、トイレか、それとも寝室かを決めるのは、家のなかの(変化していない)外部刺激ではなく、あなたの体の内部状態である。 P174 両方の神経系が行動という一つの出力チャネルを支配しようと争うがために、感情が意思決定の情勢を変えることもある。この長年の争いはいまや、多くの人々にとって判断のよりどころともなっている。「嫌な感じがするのなら、たぶんまちがっているのだ」。 これには反例もたくさんある(たとえば、人の性的嗜好にげんなりしても、その好みが道徳的にまちがっているとは思わない場合もある)が、それでも感情は意思決定におおむね役立つ舵取り装置の機能を果たす。 感情システムは進化史上古くからあり、したがってほかの多くの種と共通であるのに対し、理性システムの発達はもっと最近のことである。しかしこれまで見てきたように、理性システムが新しいからといって、必ずしもそれ自体が優れているというわけではない。誰もがミスター・スポックのように理性ばかりで感情がなかったら、社会は良い状態にならない。 むしろバランスの取れた状態――内部のライバルがチームを組むこと――が脳にとっては最適である。なぜなら、歩道橋から人を突き落とすことに感じる嫌悪は、社会的相互作用にとってきわめて重要だからだ。トマホーク・ミサイルを放つボタンを押すことに対する無感覚は、文明にとって有害である。 感情システムと理性システムのバランスが必要であり、人間の脳内ではそのバランスが自然淘汰によってすでに最適化されているのかもしれない。別の言い方をすると、党派が分かれている民主制こそが、あなたに必要なものかもしれない――どちらかが支配権を奪取すれば、最適でなくなることはほぼ確実だ。 古代ギリシャ人はこの知恵をとらえて、こんなふうに人生にたとえている。あなたは馬車の御者であり、あなたの馬車は二頭の大きな馬に引かれている。理性という白い馬と、感情という黒い馬だ。白い馬はつねにあなたを道の片側に強く引っ張ろうとしていて、黒い馬は反対側に引っ張ろうとしている。あなたの仕事は二頭の手綱をしっかりつかみ、道の真ん中を進み続けられるように馬を御することである。 P201 P223 |
ヴィクター・J・ストレッチャー(公衆衛生) バーコリンズ・ジャパン 2016/11/22 テーマに興味があったのでAmazonしたのですが、 生きることの目的について結論を出したのかと。 娘の死亡と、 多様な情緒的な文章と。 翻訳物は、 著者に問題があるのか、 翻訳者に問題があるのか読み難い。 得るところは、 次の引用分だけだった、 これも根拠のあることなのか否か。 冗長な文章と共に登場するので客観的な安心感が存在しない。 P21 こうした測定基準を使った調査研究からわかったのは、生きる目的を強く持っている人は、そうした目的が薄弱な人よりも平均して長生きするということだ。最近行われたアメリカ人の中年男性7000人の追跡調査では、生きる目的が1〜7点のスケールで1点上がっただけでも、死亡リスクが12パーセント減るという結果が出た。この結果は当人の年齢や、引退しているかどうかには左右されない。重要なのは、幸福感や悲しさといった基準は、死亡リスクには影響を及ぼさず、また生きる目的のもたらす効果とはほとんど無関係であるということだ。 P23 もうひとつ、大勢の人たちが恐れているものを見てみよう。アルツハイマー病だ。シカゴのラッシュ・アルツハイマー病センターのバトリシア・ボイルらは、100人強の高齢者を7年間追いかけてアルツハイマー病の発症率を探った。結果は驚くべきものだった。その7年という期間に、生きる目的が薄弱な高齢者は、生きる目的が強固な高齢者にくらべて2.4倍もアルツハイマー病を発症しやすかったのだ。またそれとは別に、同じチームが行った研究では、たとえアルツハイマー病を発症していても、生きる目的が強固な人たちは、その病状の進行が遅いということがわかった。 |
佐藤 優(元外務省主任分析官) 新潮社 2016/11/19 日経新聞の「半歩遅れの読書術」で 生物学者の福岡伸一教授が推薦していた。 「専門家が、優秀な学生、生徒を前にして行った講義録を読むこと」 いや、あの著者、 イメージも悪く、顔も悪く、書籍の表紙も悪い。 とても読む気になれなかったのですが、しかし、福岡教授の推薦。 食わず嫌いではなく、読んでみよう。 で、Amazon。 私にはダメです。 歴史に学べということだと思いますが、 論理は、もう少し端的に論じて貰わないと読む気力を失わせる。 もっともらしく語っていることも知識不足と思う。 著作の内容は著者の顔が語る。 著者の美意識は顔に表れる。 この著者は、 私にはダメ。 それが今回の収穫。 大学受験について 次のように語ってますが、 これは、弁護士が、「司法試験は努力すれば誰でも合格できる」と論じていたのと同じで、単に受験時代の苦労を忘れた健忘症の人達の発想。いや、こんな話題が、仮に、1頁分でも登場するところが本書の無価値さを示している。 私は、5年間を貰っても、税理士試験、会計士試験、司法試験の、どの1つにも合格できる自信は無い。いや、そんなことついて、合格できるか否かを論じる必要も無いし、興味も無い。私にとって試験の合格なんて40年も前の歴史的な事実であって、今の私には、全く、関係のない話し。その後に積み上げた人生が、私の財産。 30P 佐藤 私は今年で53才になります。その私が、これは決してハッタリではなく、自由な時間を2年与えられれば、東京大学の理3と慶應大学の医学部、東京芸術大学、それから日本体育大学の4つを除いては、入試で合格点を取る自信がある。 |
内舘牧子 講談社 2016/11/17 定年退職で終わった人でもなく 定年後の主人公夫婦の人生でもなく 要するにサラリーマンの人生を語ります。 私にはサラリーマンの人生はわからない。 いや、 昔から分からなかったが、 この頃さらに分からなくなくなってしまった。 私が若かった頃、 サラリーマンも1つの職業だった。 私のように自由業を選ぶか、 サラリーマンとして会社に勤めるか、 それは単なる選択の問題だった。 司法研修所を修了して弁護士になるか、 裁判官になるか、検察官になるかの選択だ。 そこには各々の仕事と人生がある。 しかし、私自身が、サラリーマンの定年退職年齢を超えた今、 サラリーマンという人たちとは全く会話が成立しなくなってしまった。 私は何十年かにわたって自分自身の判断で自分自身の人生を築き上げてきた。 それが今の存在そのものであり、会話の基本だ。 しかし、それを築き上げた人生を持たない人たちに対して何を語れると言うのか。 私が仕事で付き合い、交渉する相手は会社の山田さんであり、会社の佐藤さんだった。 しかし、その会社をとってしまった山田さん、佐藤さんは何を築き上げてきたのか。 彼らは、会社に勤めていた頃から終わった人たちだったのだと思う。 それが分かってしまった今、彼らと、私の発想の根源である人生は語れない。 仮に、彼らが現職だったとしても、彼らとどのような共通言語が成立するというのか。 多様な判断の前提には、その判断の前提になる人生がある。 自分の判断に基づいて、自分の人生を築き上げる。 それを持たない人達。 持つモノは会社の名刺と肩書き。 人事から命じられて転勤していく前橋支店。 まだ、 定年退職をしてしまった後の サラリーマンの方が救いがある。 定年退職した後に、 自分の判断で積み上げる人生が始まる。 P12 激しく熱く面白く仕事をしてきた者ほど、この脱力感と虚無感は深い。もはやサラリーマンとしては先に何もない。せいぜい、子会社の社長になるか専務になるかというところだ。これが65歳ならいいが、51歳で「終わった人」なのだ。 P226 「あなたほど優秀で、力も人望もある人が、何かの巡り合わせでレールを外れる。いや、外されるのね。冗談じゃないわ、他人に自分の人生を左右されるなんて。私は技術を身につけて、他人には使われるもんかって」 サラリーマンという存在 私には理解できなかったが、 少し分かったような気がします。 私は、常に、個人の生き方を論じる。 だからサラリーマンの生き方を探していた。 違うんですね。 自分が上司になったサラリーマンの立場で考える。 そしたら、お気に入りの部下は次になるだろう。 常に、上司を尊敬する忠実な部下で、 ミスをせず、営業成績を確保し続け、 成果を上司に得させる可愛い部下である。 肯定的な人柄で、表に個性を出さず どのような場面でも、上手に気配りし、 仕事を最優先し、私生活を優先しない。 上司が楽しむことを、共に楽しみ 上司に不満やイライラを抱かせることなく、 上司に恥をかかせず、常に上司を奉る。 素直に、何も考えず、 そのように成れる人達。 そのように成れることを、 能力、才能と考え誇りを感じる人達。 「僕は、上司に一番に愛されているのだ」 素直に、そのことに満足を覚える人達で、 上司の愛情を得る為に常に気配りする人達。 努力して、 そのようになるのではなく、 上司に愛されることが嬉しい人達。 あー、恥ずかしい。 |
川名紀美(元朝日新聞社論説委員) 河出書房新社 2016/11/04 まだ、365頁中の68頁までしか読んでませんが、 素直に推薦できる良書です。 アルビノに産まれた3人の人達(いや、まだ一人目しか読んでませんが)を紹介します。 他人とは目に見える形で違いがある障害(?)を背負った人生。 それに対する差別。 いや、差別した人達を批判することなどできない。 間違いなく、私は、差別する側の行動を取る。 P17 それを伝え聞いた別の中学校からも講演の話が舞い込んだ。いじめや親との関係、自らの進路など、悩みを持つ中学生は少なくない。苦しみ悩みながら生きている大人から何かを学んでほしい。そう願う教師たちが、次々に講演を依頼してきた。 依頼があればありがたく応じることにしているが、講演をした日は、ふだんおしゃべりな更幸の口数がめっきり少なくなる。 自宅に帰り着いたあとも、ぐったりと座り込んだまま動こうとしない。 「自分のことを話すのは、ほんとうに勇気がいります。これまでの経験を話していると、いじめられていたころのことを思い出すんですよ。あのころのつらさがこの年になってもはっきりとよみがえってきて苦しくなるんです」 P36 更幸は、教室でますますにぎやかに振る舞い、冗談や、だじゃれを飛ばしては笑いをとった。そうしていれば、いじめられずに済むことを体験的に身に付けた。 「ひょうきん者を演じ、おちゃらけることでいじめをかわしていました。きょう一日、何やってしのごうか。毎日、毎日、そればかり考えて。いま思うとしんどい学校生活でした」 うっとりする美しさ ロシア人写真家が撮影した「アルビノ」の人々が幻想的 |
林 公一(精神科医) インプレスR&D 2016/11/03 統合失調症、鬱、アスペルガー、失恋、相貌失認、甘え、境界性パーソナリティ障害、覚醒剤中毒、幼児期の性的虐待などの多様な質問から、その原因を厳しく(素直に)指摘します。 おそらく、 この種の患者を目の前にしたら、 これほど素直な診断は出せないだろう。 ネットへの質問だからこそシャープな見解が示せる。 それが本書の魅力です。 多様な疾患を抱えている人達が、自分は正常だと語り。 正常な人達が、自分は異常だと語る。 統合失調症の人達の見る世界(家の中にストーカーがいる)。 統合失調症を回復したと思い込んでいる人達の語る世界。 それら質問に対して鋭く原因を指摘する。 ブログへの質問と回答を書籍化した良書です。 自分自身が狂いだしたときに、 本書の知識があれば自分を客観視できると思う。 P14 まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います。 P36 「新型うつ病」と呼ばれているものは、うつ病ではありません。「case11うつ病だという彼の態度が皆のストレス」をご参照ください。そこに解説したように、「新型うつ病」とは、適応障害か、または、甘えの擬態うつ病です。この【2189】のケースは甘えの擬態うつ病に間違いないでしょう。 P129 この文章は、いわば「整った支離滅裂」です。つまり、精神病ではない人が、「支離滅裂とはこういうものであろう」と推定して作った文章の典型例です。お疲れ様でした。 P200 あなたは単にふられつつあるのではないでしょうか。 |
清田幸弘(ランドマーク税理士法人代表) あさ出版 2016/11/01 タイトルから、 資産家の紹介を期待してました。 なぜ、資産家に成れたのか、 生まれながらなのか、自分で稼いだのか。 そして、資産家としての生き方。 しかし、 そんなものは全く登場しない 著者の資産家の定義は、 私がイメージする資産家に比較して10分の1の規模でしかない。 いや、本書の大部分は、 相続税の計算入門編と節税入門編に尽きる。 資産家と言われる人たちとの付き合いの歴史を持たず、 恐らく、税理士と付き合いのないボーダーラインの顧客層を ネットで募集して申告業務を行っている税理士事務所なのだろう。 著者自身も、 通常の相続税の調査率は30パーセントなのに、 著者の事務所の調査率は1パーセントしかないと語る。 税務調査の対象にならないような大量の少額事案を処理する。 いや、著者は税務調査が少ない理由を次のように述べるが、まさに素人以下の定義。 そんなことが税務調査の要否に影響を与えないことは税理士1年生でも知っていることだ。 P199 税務署から見ると、相続税を専門にする私たちは「手強い」相手です。かつて私は、税務署の担当者の理不尽な要求に対して、怒鳴り返したこともあります(笑)。 税務署も「清田さんのところが申告書をつくっているのなら、質が高いので(税金を)取ることができない」とみなしてくれているのかもしれません。 |
渡辺照宏(インド哲学) 新潮新書 2016/10/28 ユダヤ教とはなにか、キリスト教とはなにか、イスラム教とは何か。 これは理解できますが、仏教徒は何か。 それは誰にも分からないのですね。 仏陀になった者のみが理解できる。 修業によって「根本的無知」を知ること。 「根本的無知」が滅すれば、あらゆる苦悩が滅する。 いや、しかし、「根本的無知」とは何なのか。 それを知らないことが「根本的無知」なのだろう。 この本の著者を面談して教えを請えば雲が晴れるのだろうか。 ご住職に問うても、とても、答がでるとは思えない。 P87 ボサツはそこにあるアシュヴァッタ、またはピッパラという樹の下で坐禅して仏陀となった。この樹はそれ以来”菩提樹”とよばれるようになった。 ボサツが仏陀になった、とはどういう意味か。 菩提樹下の体験の内容を憶測することは不可能であるといわなければならない。ただ、われわれが歴史的事実と認め得ることは次のとおりである。ボサツは、生まれつき聡明で王子としての教育を受けたが、瞑想的な性格で、人間の苦悩の問題を痛烈に感じとり、出家修行した。何人かのシュラマナやバラモンについて講義も聴き、ヨーガの実習もしたが問題の解決にはならなかった。決死の苦行も役に立たなかった。そこでただひとり瞑想をした結果、仏陀たる自覚に到達した。 P204 ボサツの道の極致は仏陀である。その仏陀の仏陀たるゆえん〔一切智〕は何か。「それは菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究章とする。菩提とは何か。如実に自心を知ることである。」菩提を求める心をおこし、これによってボサツの修行をするが、その根本にあるものはあらゆる衆生への慈愛である。 “究寛”は“極致、完成”という意味である。“方便”は目的を実現するための方法、手段、実行である。実践を離れてはボサツの修行の完成はない。絶えざる実践が手段であると同時に目的でもある。シャーキャムニが仏教を説いて以来、その弟子や後継者たちが歩み続けてきたさまざまな道も結局はこの一句に収められると言うことができるであろう。 |
飯田 進(旧日本兵) 新潮新書 2016/10/24 南京大虐殺 従軍慰安婦の問題 戦地での状況など、 何万人も証人がいるのでしょうから、 その人達から証言を聞けば事実は明らかになる。 なぜ、彼らは、事実を語らないのか。 語れないのですね。 あの戦争で、 日本兵を殺したのは、 官僚機構型の日本軍隊組織。 今でも、 官僚機構の構造は 変わっていないと思う。 だから政府は信用されない。 P175 これまで、私の体験と元兵士たちの記録をたどって、ニューギニア戦線の実相を描いてきました。それは、勇戦敢闘したある兵士の物語ではなく、飢えて野垂れ死にしなければならなかった大勢の兵士たちの実態です。 この酷いとも凄惨とも、喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論をしても虚しいばかりだと私は思います。この思いが、人生の終末を生きている私に、この原稿を執筆させる動機を与えたのです。 P177 なぜあれだけ夥しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を断たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばならなかったのです。兵士たちはアメリカを始めとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。 その大本営の参謀たちは、戦後どのような責任をとったのでしょうか。 P179 戦争末期。日本の都市は、アメリカの絨毯爆撃によって壊滅的な打撃を受けました。何十万人もの老人や女、子供が焼き殺されました。さらに広島、長崎には、事前の警告なしに原爆が投下されました。これが戦争犯罪でなくてなんでしょう。一方で、落下傘降下して捕虜になった敵の飛行兵たちを処刑した日本軍の将兵は、戦後、戦争犯罪者としてスガモ・プリズンで処刑されています。 その爆撃作戦を立案し、指揮したのは、アメリカ軍のカーチス・ルメイという空軍少将でした。戦後彼は、空軍元帥にまでなっています。その彼に、日本政府は昭和39年、勲一等旭日大綬章を授与しているのです。もちろん天皇の名によってです。授章の理由は、日本の航空自衛隊の育成に協力したことでした。 ヘドが出そうです。ねじれにねじれた戦後日本の在り様こそが、ニューギニア島はじめ太平洋の島々で、飢えて野垂れ死にした兵士たちの実相を、直視することから目をそらしてきた結果としてあるのです。 P181 「(戦死した仲間と)一緒になってね、教育して立派な兵隊になって、それで戦死したっていうんならまだね、私は喜べるけど、食い物がなくなってね、野垂れ死にしたんだって言ったんじゃね、そこの(戦死した仲間の)家へ行って言えないもん」 生きのびた兵士の心情は、この宮崎さんの言葉にあると私は思います。 「体験を語りつぐことは、戦争世代の責任ではないですか」 とよく言われますが、口で言うほど簡単ではありません。軍の仲間も、出身地の仲間も、同じ共同体に属していたからです。例えば、歩兵第221連隊は千葉県佐倉市で編成されており、千葉県、埼玉県など関東地域の出身者が多い部隊でした。自分は復員して家に戻っても、近所には同年代の息子が戻らない家が数えきれないほどあります。そんなところでは、どんな戦場の話も、することができないのです。 さらに、ここまでお話ししてきた戦場での体験は、それが異常であればあるほど、親にも妻にも、子供にも、友人にも打ち明けられないものでした。それを語るには本当に、多大な精神力と決心が要ります。戦地での話は、唯一、生き残りの兵が集まる会や慰霊祭などで語り合うだけだったのです。 |
別冊宝島 宝島社 2016/10/13 別冊宝島 一冊丸ごと弁護士。 この種の特集は、 勘違いが多いのですが、 この一冊には勘違いがないように思います。 イソ弁、ノキ弁、タク弁、ケー弁。 まるで馬鹿にされている業界。 面白いですね。 P37 密着!これがド底辺弁護士だ 今は弁護士業は実質、開店休業状態。自宅アパート近くにあるガソリンスタンドのアルバイトで生計を立てている。 「1日8時間から12時間、給油係として働いています。弁護士としての仕事は4カ月前、同期の弁護士から紹介された離婚調停の1件だけですね」 まさか弁護士となってまで、アルバイトで生計を立てることになろうとは司法試験を猛勉強していた学生時代、想像もつかなかった。 P67 「社会派弁護士」絶滅の危機 社会派弁護士とそうでない弁護士がいるというより、もともとは「弁護士であること」自体すでに社会派であるということなのかもしれない。 「ビジネスモデルとか考えなくていいんです。弁護士であるということ自体がビジネスモデル。そういう中でやってこれたおかげで今の自分があるし、昔はほかの社会派弁護士たちもおおむね同様だったと思います」(B氏) P86 「過払い金バブル」の実態と終焉 過払い金の40%以上という尋常ではない報酬を求める弁護士もいた。一度、払ったつもりの利息が戻ってくるだけでも幸運と考える借り主は多いだろうし、そうした借り主の心理をついたモラルのかけらもない行動である。 当時、悪質さの面で際立っていたのが、過払い金のつまみ食いという手口。例えば、借り主がA、B、Cの3社から借り入れ、このうちA社だけは引き直しの結果、債務がなくなり、過払い金の回収ができるが、B社、C社からは回収ができないとする。このとき、A社の案件のみを扱う弁護士がおり、この行為をつまみ食いという。本来であれば、A社から回収した過払い金をB社、C社の返済に充当し、債務を減額するのが債務整理だが、弁護士はつまみ食いによって自らの報酬を最大化するのだ。 P103 知られざる企業法務の世界 例えばM&Aブームの際には、弁護士事務所は顧客企業とのミーティングに、用もないのに若手を10人ほど連れて行き、全員分のタイムチャージ(人件費)を請求するなんていうことは常套手段だった。また、デューデリジェンス(企業の資産価値を適正に評価すること)のような調査活動の場合は、報酬はこちらの言い値だった。 しかし、最近では企業側も我々の相場がわかり報酬に関する規定を整備しているので、そんなぼったくりまがいの請求は不可能になった。また、法務部門の人材確保もすすみ、こまごました案件なら、弁護士事務所に依頼することなく、自社で完結させるようになっている。特に大手企業では、司法試験合格者や弁護士資格を持つ者を企業内弁護士や法務担当として正社員採用し、法務部門で働かせるケースが増えており、訴訟まで自社で賄える体制になりつつある」 |
渡辺照宏(インド哲学、仏教) 岩波新書 2016/10/05 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を論じる人達は、 歴史を論じるのではなく、宗教自体を論じている。 それが十戒であり、 預言者の言葉であり、ヨブの嘆きであり。 しかし、仏教って何なの。 仏像なの、坊主なの、葬式なの。 それが分からない。 で、本書ですが、 インドの仏教経典は 誰も翻訳していないこと。 日本語に翻訳するのは困難なこと。 日本の住職は、 仏教経典の意味も分からず、 ただ、念仏を唱えていること。 そして、日本の仏教が、 葬式仏教に堕落した経過は理解できました。 しかし、「仏教」とは何なのか。 それが分かるのには、 本書の後編部分まで読み進める必要がある。 いま、読み途中。 P12 漢訳者は一定の約束に従ってインドの言葉を漢字に写す。インドの言葉では一つの単語で多くの意味を持つものも多いし、ニュアンスの異なる同意語や類語も多い。それを一定の漢字に写すことじたいがすでに無理なのである。たとえばルーパrupaは「外観・色彩・形・幻影・美・性格・特質・種類・様式」というのが基本的な意味であるが、用例によっては、その他の意味も出てくる。 仏教で現象界の構成要素を五種類(五蘊)に分類した揚合にその第一のルーパはほぼ「物質・肉体」相当する。こうした複雑な内包を持つインド語のルーパを漢字ではいつも「色」であらわすことになっているが、この漢字一つから原語の意味内容を理解することはまず無理であろう。 仏教の重要な用語の一つであるダルマdharmaにしてもざっと十ほどの意味を区別しなければならないのに、漢字ではいつも原則として「法」の一字をそれにあてている。漢字自体の側にも、特別なニュアンスと数多くの使用例からくる含蓄があるので、問題は一層複雑になる。日本の場合には、その上に日本的な漢字の用法の味わいが加わって来るのであるから、いよいよ厄介なことになる。 日本人が(儒教についてもそうであるが)仏教の漢語を日常用語に言いかえようとしなかった、またはできなかった、という事実は、日本語の側にこれを受けいれるだけの概念や表現方法が乏しかったことを示すものであろう(明治以来、西欧思想を翻訳する場合にもこの扱いにくい漢字にたよる他はなかった)。 P15 われわれはしばしば「毎日お経を読んでいる僧侶がいったいどの程度に内容を理解しているのか」という質聞を受ける。これは一概には答えられないが、だいたいわが国の仏教教団としては経典は理解するだめのものではなくて、儀礼に用いるのが第一義である。 まして一般信者の信仰の裏附けとして、たとえばキリスト教信者におけるバイブルのように、仏教経典が与えられたことはまず無かったと言ってよい。ヨーロッパでも中世には一般の信者がバイブルを読むことが禁止されていた。ただ日本ではそうした要求さえもなかったから禁止する必要さえもなかったというだけのことである。 P16 日本の仏教者が漢訳仏教聖典を自分たちの言葉に移しかえようと努めなかったというのも、それが彼らの力にあまる事業であったという理由のほかに、実際にその必要を感じなかったということも考えられる。漢文を読んで自分なりに理解すれば、それで充分であったし、その内容を一般の僧侶や信者たちに判らせる必要はなかったのである。 P53 救済の宗教という形をとれば、当然、そこには他力の思想が出てくる。すなわち、人間自身が自己の努力によって自己の理想を追究するというよりも、人間以上の存在――それは仏陀でありボサツ(菩薩)である――の慈悲によって人間が救済されるという思想である。 しかし確実なインドの文献によるかぎり、他力による救済は決して窮極的なものではない。たとえば信仰によって浄土に生まれるとすれば、それで最後の理想に達したとは言えない。この今の世界におけるよりも、浄土にいた方がわれわれの菩提の実現がより容易になるといわれるだけである。浄土の信仰においても菩提の完成を最後の目標とする点には変わりないのである。 ところが中国に来ると別の来世観と結びついて、浄土に生まれること自体が人間の窮極的な理想であるという考えも出てきた。その思想が日本に来るとさらに簡易化されて、生理的な死と、極楽往生と、成仏という三つのことが混同され、しかも僧侶の営む宗教儀礼によってこれが実現されるということにもなった。 死人をホトケ(仏)といい、読経や念仏をもって菩提をとむらうというような言い方が何の疑念もなく受けとられるという点まで堕落したのである。このようにして、人間の理想の実現の追究という仏教の根本理念が、死霊の儀礼という行事とすりかえられることにさえなったのである。 |
深代淳郎 朝日文庫 2016/10/04 友人に紹介されて手に取ってみた。 確かに見事なコラムが完成してます。 800文字か、 1000文字か、 1200文字かでコラムは質が変わってきます。 切れが良く書けるのは800文字ですが、 まさに、切れの良いコラムが完成してます。 新聞紙面には、天声人語に限らず、多様なコラムが掲載されてますが、読ませるコラムと、単なる文章との違いは何なのか。いまは天声人語より、中日新聞の「筆洗」の方が優れてますが。 さて、何が違うのか。 政治や文化に関する深い歴史的な知識。 それを現実の事象に結びつける安定感。 押しつけの主義や主張に導くではなく、 新たな「気づき」に結びつける文章力。 全く無駄の無い計算された文書の流れ。 ときに鳥肌が立つような大人の分析力。 私には、これだけの教養はない。 しかし、私には実務と生活実感がある。 それが「税理士のための百箇条」です。 百箇条的な生き方を書いたコラムです。 さて、本書に収録された 昭和48年のコラムですが、 平成28年のコラムとして読んでも違和感がない。 いや、当時とは比較にならない マスコミやネットの情報拡散力。 1つの事故が100回も報道されたら、 100個の事故としてイメージさせられてしまう。 終末観 最近は「異変ブーム」で、人の気ばかり立っているようで感心しない。東京でヘビ1匹が現れても、天地異変だ。赤トンボの群れが乱舞すると、不安そうに空を見上げる。 この春は、農薬がなくなったせいか、カエルがよくないた。ところがカエルの合唱がはげしすぎる、というのがまた不安の種になる。カエルがないても、なかなくても、世の中が変だと思う。フグに似たウマヅラハギという魚が、日本近海で大発生したというニュースもあった。 ある専門家は「汚染でエサがふえたからだ」といい、他の専門家は「海がきれいになったからだ」という。間にはさまった大衆は「海の異変だ」と気をもむ。地震が起これば「大地震の前ぶれだ」。地震がなければ、「大地震のエネルギーは刻々と蓄積されている」とおびえる。あげくの果ては、結論の出せない専門家に向かって、「なぜ分からないのだ」とヒステリーを起こす。 地球上の気温が異常だ、という説もある。どう異常なのかと聞くと、年々冷たくなっている。大気中の微粒子がふえ、太陽の熱をさえぎっているためだ、という人。いや、年々高温になっている。地表の炭酸ガスがふえ、太陽熱が逃げないからだという説。結局、地球は暖かくなっているのか、冷たくなっているのかさえ分からない。 昔、中国の杞の国に、いつ天が落ちてくるかと心配して、夜も寝られず、食事もノドに通らぬ人がいた。「杞憂」の起こりである。別の話に、旧四月に霜がおりて人々をこわがらせ、頭が天につかえるのが心配で背を曲げて歩き、地面がへこむのを恐れて、そっと歩く人も出た。それが「跼蹐」という熟語になった。 なんでも「異変」にする妙な終末観にふり回されると、本当に異常なことが見分けられなくなってしまう。(48・6・23) |
村田 沙耶香 朝日文庫 2016/09/26 「コンビニ人間」が 良かったので手にしてみました。 女性作家が書いた中学時代の乙女の階級構造。 可愛いか否か、 スタイルが良いか否か。 そのよう価値基準で位置付けられ、 第3階層に位置付けられた主人公の心の動き。 もし、 女性が美貌、 男が能力、経済力。 そのように単純化してみると、 男の能力は外からは見えないが、 女性は、常に自分の顔を社会に晒している。 もし、男の能力、男の年収が、 そのように社会に晒されたら、 いま以上に、引き籠もりの男の子達が増えてしまうと思う。 <P236 私はごみ袋を持って2階に上がり、部屋にあるアルバムや手鏡を、全てその中に放り込んだ。大きな姿見は捨てられなかったので、向こうに向けた。 自分の姿がいなくなった部屋の中で、私はしゃがみこんだ。吐き気はおさまらなかった。いくら捨てても、この生身の自分の姿だけは捨てられない。一生、赤点の顔を抱えたまま生きて行かなくてはいけないのだ。 P308 勉強机の横にある部屋の鏡の中には、相変わらず、○円の値札がついた私が横たわっていた。目が小さくて、離れていて、鼻が潰れている。けれど、その中の熱が、灯籠みたいに私の身体の中でゆらめいていた。 「私には値札がついてて、その数字がすごく低いんだ。でも、私、それとは関係なしに、すごく綺麗みたい」 |
青木真也(総合格闘技世界チャンピオン) 幻冬舎 2016/09/16 格闘技の世界 男は強くなければ生きていけない。 そのような世界なのだと思うが、 しかし、本書を書く。 いや、おそらく、 細い神経の上に成り立つ格闘家なのだろう。 ここに書いてあることぐらいは、 私は、常に、実行している。 せっかくの自由業。 他人の顔色など、赤でも、青でも気にならない。 P7 最初に、簡単に言ってしまえば、「徹底的に空気を読まない」ということになる。周りから見たら、イタいこと、異常なこと、理解できないようなことでも、自分がやりたいようにやる。凡人が空気を読んでしまったら、本当に「空気」になってしまう。「空気」は果たして幸せだろうか?何かを達成できるだろうか? P87 ネガティブなことを考えても意味がないと、口にする人もいるが、僕はそんなキレイごとを言う気にはなれない。コンプレックスと怒りは、自分を突き動かす原動力だと断言できる。僕の様々なコンプレックスは、これからも解消されることはないだろう。どれほど勝ち続けても、青木真也を嫌うアンチは消えないはずだ。 「なんでお前らは、俺を評価しないんだ」という怒りがなくなることはない。 だからこそ、僕はプロのリングに立ち続けていられる。 P91 今では、極限まで追い詰められたとしても、「結果が出たらみんな俺になびく」と思えるから、あまり悲観的にならずに平静を保てる。だから、僕は苦境にあえいでいるファイターを見かければ、「今がどれだけ苦しくても大丈夫だ。お前が勝てば絶対に評価は一変する」とアドバイスをすることも多い。「世の中はそんなものだから、あんまり人を信用するな」と。一発逆転があるスポーツでは、自分の評価を一変させることができるとともに、時に人々がいかに薄情かを思い知らされることがある。 |
石原 理(埼玉医科大学産科・婦人科教授) 講談社現代新書 2016/09/15 非常に読みやすい文章で 生殖医療の歴史と現状、技術を語ります。 神の分野に立ち入った医療、 生殖医療が存在しない時代はどうだったのだろう。 24人の子の内の1人が、 神の手では無く、人間の手で作られる時代。 P11 最近では日本で生まれるこどもの約24人に1人は、体外受精など生殖医療(Assisted Reproductive Technologies:ARTとしばしば略される)により妊娠したこどもたちなのだ。わが国で生殖医療により生まれたこどもたちの数の合計は、2015年までにすでに40万人を突破した。 P42 わが国で近年、生殖医療により生まれるこどもたちの約4分の3は、凍結保存されていた胚を融解して子宮内に移植し、生まれている(図1―3)。2013年に生殖医療によって生まれたこどもたちの数は4万2554人だが、そのうち3万2148人(76%)は、凍結融解胚移植により生まれたこどもたちである。 P45 そして、理論的には、液体窒素中に凍結された状態では、どんな細胞であっても適切に保管されれば、何万年でも保存できる。現在、このガラス化法という方法は、胚や配偶子ばかりでなく、さまざまな細胞バンクや骨髄バンクなどで、その他の細胞にも広く使用されているのである。 |
西垣 通 青土社 2016/09/07 ディープラーニングは ビックデータの統計処理であって、 「知」ではないと、 ディープラーニングの本質を語ります。 P84 従来のパターン認識技術では、出力に対し正解を提示し、出力が正解に近づくように学習していくのだが、深層学習においては、正解ではなく入力画像そのものを提示し、出力画像と入力画像とのズレを減らすようにパラメータ調整していくのである。技術的核心は、学習を進めるとともに、画素データからノイズが除去され、識別したいパターン特有の内部パラメータ値が統計的に算出されてくるという点なのだ。こうして算出された内部パラメータ値こそ、当該パターンの「特徴量」に他ならない。 とはいえ、冷静に考えると、このメカニズムは、画素データ相互の統計的相関に着目して対象の構造的な特徴をとりだすという、ビッグデータ分析で通常行われている操作と本質的に変わりはない。別に神秘的でも何でもないのである。 P85 英日機械翻訳プログラムが「John saw a cat.」という文を「ジョンは猫を見た」と翻訳したところで、コンピュータはジョンも猫も知らないし、ジョンが猫を見たという状況の理解とは無関係なのだ。単に形態素解析と構文解析をおこない、辞書を引き、コーパス(用例)をもとに100パーセント機械的な処理をしたにすぎない。記号の意味内容を理解していない以上、「コンピュータが思考している」とは言えない、というのが批判の主旨である。AI研究者たちは、記号を、その表す意味内容に関連づける(接地させる)ために長いあいだ悩んできた。 |
フジコ・ヘミング 幻冬舎 2016/09/07 世界的なピアニストが、 自分の半生を語ります。 30分で読める本ですが 作り事では無い人生が語られます。 P67 まったく音の聴こえない生活は、約2年間続きました。 いつもピアノを聴いてくれるのは、拾ってきた数匹の猫たち。 当時はお金がありませんから、その日の食べ物と猫のえさの心配ばかりしていました。 友だちにお金を借りるのも恥ずかしいし、途方に暮れる毎日です。 ある時、アパートの隣の部屋に住んでいたカップルが、「パスタがあるから食べにこないか」と誘ってくれました。 私は空腹で死にそうだったため、喜んで飛んでいきました。すると、テープルにはゆでたパスタだけ。 ソースも野菜もお肉も何もなく、パスタだけがお皿にのっていました。 彼らもお金がないため、他の物は買えなかったのです。それなのに、私の窮状を見かねて呼んでくれた。 どんなに困難な時でも、自分よりもっと大変な人がいる。その人に手を差し伸べるという精神を、この時に学んだのです。 いまでも私はその精神を大切にし、恵まれない人や捨てられた動物たちに援助の手を差し伸べるようにしています。 P134 よく、人は歳を重ねると都会を離れて郊外に住む方がいいといいますが、私は逆です。 すぐ近くに八百屋さんやパン屋さんなどのお店があったり、ひと休みするカフェがあったり、タバコやコーヒーがすぐに買えたり、いいレストランがあって友人に会いやすい場所の方が、孤立しなくてすみます。 年齢を重ねたら、ひとりで家に閉じこもらず外に出ていろんな人に会う方がいいと思います。 外で人と会うと、自然におしゃれをしたり、髪形を気にしたり、身ぎれいにする気持ちが生まれるでしょ。それが大事なのです。 ラヴェルがそうであったように、私も友人を大切にしています。 P169 口が悪く、私は悪口ばかりいわれていたため、子どものころは母に対していい印象は持てなかったのですが、いまはその苦労がよくわかります。 お母さん、本当はいま一番演奏を聴いてほしいのは、あなたです。 きっといっさいほめることなく、ボロクソにいわれるでしょうが、それでもいいのです。 |
佐藤雅彦 大月書店 2016/09/07 認知症を発症して10年を経過する著者が、 認知症としての生き方を語る書です。 15分で読めますが、 書籍1冊分の内容があります。 P29 認知症になったばかりのころ、「認知症になると何もわからなくなる」と本当に信じていたので、自分で自分をコントロールできなくなったらどうしようという不安でいっぱいでした。でも、診断から10年が経ち、いまの私はそれが真実ではないことを知っています。認知症が進んでも、自己が崩壊することはないのです。たとえ自分の名前を忘れても、まわりの人があなたを覚えていて、あなた自身が消滅することはけっしてありません、言葉を失っても、まわりの人が、言葉に代わる新たなコミュニケーションの方法を見つけてくれて、あなた自身の存在が無視されることはないと私は信じています。 |
鬼頭政人 幻冬舎 2016/09/01 どこかの広告で見かけ Amazonしてみたのですが、 ハウツー本に収穫は無い。 それが収穫でした。 そもそも 実務の道に入ってから、 受験術とか、 勉強法の本を書いているようじゃ進歩が無い。 そんなことは理解していたのですが、 この頃、良い本に巡り会わず、 期待してしまった。 P22 塾に行くには、行き帰りの時問も必要です。そのうえで3時問の講義を受けて、身に付くのが3割だとすれば、時聞効率が非常に悪いのです。ですから、私自身は、塾というものにほとんど通ったことがありません。模擬テストや実力テストなどは受け…… |
大島眞一(大阪家裁判事) 判例タイムズ社 2016/08/26 医療過誤、 専門的で難しい訴訟といわれてますが、 本書の広告を見る限り平易な説明が期待できる。 手に取ってみましたが、 非常に分かりやすい説明でした。 主張と立証で成り立つ普通の訴訟と同じ。 いや、検討すべき証拠や審理方法が定型化され、 主要な証拠はカルテで所在がはっきりしているだけ、 他の民事訴訟に比較して審理方法は簡明だと。 税法のように、 事案により、場面により、 逆転、反転、流転、変転する法律とは違うシンプル訴訟。 P46 Q22 集団検診での検査における医療水準は、どのように考えるべきか。 具体的には、病院を受診したときには肺がんが末期で手遅れであったが、それ以前に実施していた健康診断ではレントゲン写真に異常はないとされたが、実はよく読影すると、既に肺がんがあることが発見できていたという場合に問題となる。 2時間弱で700枚余りの写真を読影しており、通常1時間で200枚が限界とされているので、相当多い枚数であったという事案であり、集団検診の特殊性を考慮して医師の過失を否定している。 医師の話を聞くと、もともと集団検診は一定のスクーリング機能しかなく、安い費用で実施しているのであるから、ある程度見落としがあってもやむを得ないものであり、低コストのまま高い医療水準を求めることが無理な注文であるということを述べる人が多い。 しかし、患者の立場からすると、異常がないかを知るために健康診断を受診しているのに、個別の検査であれば慎重に読影するので異常を発見できたが、集団検診であるので異常が発見できなくとも仕方がないということでは、なんのために健康診断を受けているのかということになる。 |
村田沙耶香 文藝春秋 2016/08/19 芥川賞の受賞作品です。 この作家は優れてます。 |
三宮貞雄(コンビニ店長) 小学館新書 2016/08/18 コンビニ会計の理屈が分かりました。 売上−仕入原価=売上総利益 100−60 = 40 常識的には、 売上総利益を 加盟店(29%)と 本部(71%)が取得します。 ところが、 コンビニ会計では、 仕入原価に破棄分を含まない。 仮に、 原価10の商品を破棄したら次の計算になる。 売上−仕入原価=売上総利益 100−50 = 50 仕入は、業者から店舗が直接に購入する建前だが、 その事務処理や支払いは本部が行う。 そして、仕入れ値が異常に高い。 多くのビジネスモデルには搾取するシステムが存在する。 そして、搾取するシステムは裏側に隠されている。 P79 コンビニでは、1店あたり大体10〜20人のアルバイトを雇って、各人の都合に合わせてシフトを組んで店舗を運営している。日本全国のコンビニ従業員数は全国で70万人に及んでいるそうだ。出店攻勢が続く中、さらに必要になっている。だが日本経済は、少子高齢化もあって人手不足局面に入った。 P133 先の税理士によれば一般の会計では「粗利=売上高−売上原価」である。売上から原価を引いたものが粗利となる。日本中の会計学の授業では、こう教える。 ところがコンビニ会計(コンビニが採用する特殊な会計)では、売上高から「売上原価」ではなく「純売上原価」を差し引いたものを粗利とするのだ(ここでは、特殊に計算されたコンビニ会計の粗利を「見かけ上の粗利」と呼ぶことにする)。式にすると、 「見かけ上の粗利=売上高−純売上原価」である。「純」が付くのと付かないので、何が違うのか。それは売上原価に含まれている廃棄ロス(不良品原価ともいう)が、純売上原価には含まれないという点だ。 P134 ところがコンビニの場合には、「粗利」がロイヤリティ計算の「ベース」となるため、売上原価として(先に)引くよりも営業費として(後から)引くほうが、ベースが膨らんでロイヤリティが増える。 |
大谷義武 幻冬舎MC 2016/08/15 筆者は賃貸業のプロで、 語る事は確実な知識です。 賃貸業の良さを煽るでもなく、 賃貸業の不安感を煽るでもない。 ただ、管理会社に丸投げせず、 自分で賃貸物件を管理していたら、 本書で語られる事柄は全て当たり前のこと。 つまり、逆に言えば、 自分で賃貸物件を所有し、管理していれば、 賃貸業のプロと同等の知識を得て、 同等の事柄が語れる。 資産家の多くは、 賃貸物件を所有してますが、 彼らと会話し、アドバイスをするのには、 税理士自身が、 賃貸物件の所有と管理の日々の経験が必要。 それを認識させる一冊です。 賃貸物件の経験なく、 本書で語られることを 実感として理解することは困難だろう。 P379 また時間の経過とともに残債も減っていきます。ある時点では完済します。そして不動産からのキャッシュフローで生活できるレベルまで行けば人生が安定していくはずです。 賃料収入ほど安定した収入はありません。変動が少ないからです。 長期保有による安定賃料収入を一定レベルまで目指すというのは「人生の安定」を得る上で非常に理にかなった活用方法です。 |
ビックシュー日本 2016/08/04 ホームレスという人達。 日々、目にしますが、 かけ離れた世界なので、 コメントも思い浮かばない。 にわか雨 財産抱え 逃げ回る 盆が来る 俺は実家で 仏様 寝不足と 栄養不足 長い風邪 軒下で 寝てる自分も 雪化粧 路上で寝 路上で起きて 年が逝く ほしいのは 割引券より 無料券 職探し 自分の場合 食探し |
本郷 尚(税理士) 日本経済新聞社 2016/08/02 相続を 法律や税法の知識と テクニックで語る専門家は多いが、 正しくは、 人生に対する洞察力と、 価値観で語るべきが相続なのだと思う。 定年退職し、 預金を取り崩す生活に不満を持つ無気力、 不機嫌な夫と、それを持て余す妻の顛末。 義母と生活してきた 古い居宅の建て替えを希望する妻と、 建替えなら二世帯住宅と主張する夫の顛末。 先祖から続く居宅を売却し、 有料老人ホームに転居することを決めた86才の母親と、 土地を収益物件として有効活用しようとする長男の顛末。 6つの相続を語ります。 子ども達への相続でも、 相続税の節税でもなく、 経済的にも、心理的にも豊かな老後。 親の下で育つ30年、 子育てをする30年、 夫婦で生きる30年。 各々の30年には、各々の楽しみがあり、 60歳からの30年は、決して老後ではない。 60歳からの30年の人生の構築法を語ります。 |
フリードリヒ・W・ニーチェ 河合文庫 2016/07/22 善意の人、 悪口を言わない人、 そのような人達との会話は楽しい、 しかし、深みが無く、得るところがない。 なぜなのか。 そのような設問に答を与えてくれる一節です。 否定の無い、肯定 悪意の無い、善意 これは片眼で見た人生論でしかない。 しかし、勝手に解釈できてしまうのが哲学書や、宗教書の一節。 だから、私は、この種の本は苦手です。 P132 そうだ。諸君に勧めたい。わたしを離れて去り、ツァラトゥストラを拒め。もっとよいことがある。ツァラトゥストラを、恥じることだ。彼は君たちをあざむいたかもしれない。 認識する人は、自分の敵を愛するだけでなく、自分の友を憎むことができなくてはならぬ。 いつまでもただ弟子のままでいるのは、師に報いることにはならない。なぜ君たちは、わたしの花冠をむしり取ろうとしないのか。 諸君はわたしを崇拝する。だが、その崇拝が崩れ落ちる日がきたら。その彫像に圧し殺されないように用心せよ。 君たちは言うのか、ツァラトゥストラを信じると。だが、ツァラトゥストラが何だというのか。君たちはわたしの信者だ。だが、およそ信者などというものが、何だというのか。 諸君はまだみずから自身をさがし求めなかった。そこでわたしを見つけた。いつも信者とはそういうものだ。だから信じるということはたいしたことではない。 いま諸君に命ずる。わたしを捨て、みずからを見出せ。そして君たちがみな、わたしのことなど知らぬと言うようになったときに、わたしは諸君のところに帰ってくる。 そうだ、わが兄弟よ。そのときにはわたしは今とは違った目で、失った者たちを探すだろう。今とは違った愛で、諸君を愛するだろう。 そしていつの日か、また君たちがわたしの友となり、同じ一つの希望の子となるだろう。そのとき、わたしは三たび諸君を訪ねよう。大いなる正午を、君たちと祝うために。 人間が動物から超人へ向かう道のなかばにあって、暮れ方にむかう自らの道を、おのれの最高の希望として祝うとき。それが大いなる正午だ。それは新たな朝にむかう道でもあるのだから。 そのときは、没落してゆく者も、彼方へと向かう者として、みずからを祝福するだろう。そのとき彼の認識の太陽は、その天頂にある。 「すべての神々は死んだ。いまわれらは、超人が生まれることを願う」。――これが、いつか大いなる正午が来たときの、われわれの最後の意志であれ――。 ツァラトゥストラはこう語った。 |
藤岡克義 新潮新書 2016/07/21 小さな塾「フジゼミ」塾長と生徒たちの昨日、今日、明日 そのようなサブタイトルで中学、高校で挫折した人達の挑戦を語ります。 寄り道、回り道、挫折経験は財産ですが、 しかし、それを財産にできないのが日本のエスカレータシステム。 そのエスカレーターに乗り込む為の敗者復活戦の若者を語ります。 P133 当然、「頑張る」という決意が弱い子は、いくらフジゼミに通い始めてもだんだん足が遠のいてしまって、辞めてしまうことだってあります。一度は勉強から逃げたけど、数年経ってやっぱり学歴が必要だ、と思い直す生徒もいて、1回目とは決意や真剣さがまったく違いますから、必死に勉強して結果を出してくれます。 ぼくが呉服屋のおじさんのところで頑張れたのも、親や先生に強制されたからではなく、自分が「選んだ」ことだからでした。子どもはそんな単純なものです。 |
村尾泰弘 新潮新書 2016/07/21 家裁調査官の経験を語ります。 いや、しかし、いまでも心理学的、 カウンセリング的な手法が幅を利かせているのか。 あるいは著者の18年前の経験だからだろうか。 親子、家庭のトラウマに原因を求める著者の説明だが、 そのような家庭を見たことがないので実感が湧かない。 中表紙の説明 妄想に囚われ、妻の浮気を責める夫マサヨシ。単純な嫉妬と見える振る舞いには、本人も気づかぬ深層心理が絡んでいた……。地道な調査とカウンセリングを武器に、家庭裁判所調査官は家族問題の現場へ踏み込む。誰にも起こる感情転移、知的エリート女性の挫折と暴力、「家族」代わりの薬物使用、「家族神話」のダークサイド……。十八の家庭に巣食った「しがらみ」の正体を明かし、個人の回復法を示す実例集。 |
窪山哲雄 SB新書 2016/07/21 私は、 1年間に20日ぐらい、 ホテルに泊まるだろうか。 ホテル選択の基準にしているのが、 ホテルのグレードではなく、 その地域の一番に新しいホテルに泊まること。 隣室や 廊下の音が伝わらないのは勿論として、 バスに水を注ぐ音、 バスの水を抜く音、 トイレの音など、全て、消音設計。 バスやトイレなど、全てが新しく、 バリヤフリー、内装など、全てが気分が良い。 ただ、 泊まれれば良いのではなく、 気持ちの良い生活空間に住まう。 移動による疲れが積み重なるホテル暮らしだからこそ、 大切にしたい生活空間です。 いや、新しいホテルが存在しない町に泊まるのは楽しくない。 さて、本書には、 私の選択基準を超える ホテルの使い方が紹介されているだろうか。 いや、全くダメ。 本当に、この方はホテルの経営者なのだろうか。 P47 「We are Ladies and Gentlemen Serving Ladies and Gentlemen.(紳士淑女をおもてなしする私たちもまた、紳士淑女です)」とというフレーズを聞いたことがあるでしょうか。これは世界でも屈指のサービスを誇る高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン」が掲げているモットーです。 |
日本経済新聞社編 日本経済新聞社 2016/07/21 何か、凄いことが書いてある。 そのように期待したのですが、 何時もの税制に対する不満が書いてあるだけ。 しかし、新聞社の取材力と、 資料には確かなものがあります。 P100 2013年度の国税庁事務年報によれば、所得税で実地調査に入ったのは13年度で6万635件あり、このうち5万744件(82.3%)で申告漏れなどの「非違」事案が見つかった。額にして4137億円で、696億円が追徴課税されている。 相続税では実地調査1万1909件、申告漏れが9809件とこちらも82.4%に上る。法人税はやや下がって72.5%になるものの、指摘された申告漏れの金額は7515億円、追徴課税は1591億円に膨らんでいる。過去10年さかのぼっても、いずれも「非違」事案が7割に満たなかったことは一度もない。 P105 「黒塗り」にされ、非開示だった。このため、複数の関係者に取材した結果、国税当局による大口資産家の「10の選定基準」が判明した。 P106 大口資産家はそう呼ばれている,ある国税OBは「各税務署は継2の『個人調査ファイル』を作り、資産状況や資金の流れを厳密に管理している。東京都心なら1税務署当たり500件以上はあるはずだ」と明かす。 P107 大口資産家の主な選定基準 @ 有価証券の年間配当4000万円以上 A 所有株式800万株(口)以上 B 貸金の貸付元本1億円以上 C 貸家などの不動産所得1億円以上 D 所得合計額が1億円以上 E 譲渡所得及び山林所得の収入金額10億円以上 F 所得資産4億円以上 G 相続などの所得財産5億円以上 H 非上場株式の譲渡収入10億円以上、または上場株式の譲渡所得1億円以上かつ45歳以上の者 I 継続的または大口の海外取引かある者、または@〜Hの該当者で海外取引がある者 (注) 取材に基づいて作成 では、大口資産家は国内に何人いるのか、直確な統計はないが、13年の国税庁の申告所得税標本調査によると、申告納税者のうち所得1億円超は約1万6000人。高額の財産を相続した人などを合わせれば、国内の大口資産家は「少なくとも2万人は超えている」というのが国税OBらの共通した見解だ。 所得1億円超の納税者は、約623万人の納税者全体のわずか0.3%にすぎないが、納めた所得税額は全体の18.3%に当たる9820億円に上った。富裕層は国内外に資産を持ち、高度な節税対策を講じているケースが多いため、国税当局は税務調査の体制も強化している。 |
鈴木大介 新潮新書 2016/06/29 41歳で脳血栓になったルポライターが、 不自由になった自分自身の脳をルポします。 そもそもの本業が 貧困層の若者達で、 その理由に発達障害があることを発見し、 その症状が脳血栓後の自分と同じだと発見する。 文章で事象を表現する著者の筆力で、 伝えられない自分の脳を伝えられるか。 本を作ることを職業とする人達が、 自分の頭の中で創り上げた事実を、 上から目線でもっともらしく語る。 それとはひと味も、 ふた味も違う事実の書です。 P9 というのも、僕は脳梗塞の結果として高次脳となりましたが、その当事者認識は、先天的・後天的問わず様々な原因で脳に機能障害を持つ人々と、大きく符合する部分があるようなのです。自身の中で障害が見えてくるにしたがって、僕は多くの既視感を感じることになりました。 あれ?この不自由になってしまった僕と同じような人を、僕は前に何度も見たことがあるぞ? それはうつ病や発達障害をはじめとして、パニック障害や適応障害などの精神疾患・情緒障害方面、薬物依存や認知症等々を抱えた人たち。僕がこれまでの取材で会ってきた多くの「困窮者たち」の顔が、脳裏に浮かびました。 なるほど、原因が脳梗塞だろうと何だろうと、結果として「脳が壊れた」(機能を阻害された)状態になっているならば、出てくる障害や当事者感覚には多くの共通性や類似性があるようなのです。 そんなかつての取材対象者たちを思い浮かべると同時に、僕は猛烈な後悔に襲われることになりました。というのも、「その辛さ」は健常だった僕が想像していたものよりも遥かに大きく、長引くもので、取材記者としての僕は本当にそれを「分かった振りをしてきただけ」だったということに気づかされたのです。 さらに当事者自身がどう辛く感じているのかは、言語化が極めて難しく、他者にその辛さを説明することが困難なのだということも痛感しました。 これでは、仕事を失うこともあるでしょうし、家族の理解がなければ家庭崩壊も容易に招いてしまうかもしれません。なにより苦しいのに分かってもらえないというのは、本当に辛い経験です。 P47 僕は記者業というのは、同じ文筆業でも小説家のような文才や芸術的な感性で文字を書く人々とは別物の、「具体化と抽象化のプロ」だと考えている。分かりづらい事象について、それを分かり易い具体的な例えに置き換えたり、逆に想像力を働かせ易い方向に抽象化し、読者に理解を深めてもらうのが記者の仕事。言うなればそれは「同一口語上の翻訳作業」だ。 P72 だが僕は、彼らのすべてが先天的な発達障害者ではないことを知っている。長期間にわたる取材や個人的な付き合いの中で、彼らもまた様々な人と出会い、恋をし、(裏とはいえ)社会の中に入って学んでいく中で、そのパーソナリティや能力が急速に「発達し」「一般化」していくのを見てきた。 当たり前の話だが、コミュニケーションカや他者への共感力なども、個人差はあれど多くは教育と訓練と経験の中で発達していくものであり、機能不全家庭の中で適切なコミュニケーションを経験せずに育ってきた彼らが対人関係において「発達不全」なのは障害ではなく自然な成り行きなのだ。 脳梗塞で幾分かの脳細胞を失った僕は、この発達途上の段階にいきなり逆戻りさせられ、リハビリによってその発達の追体験をしている。これまた、なんという稀有な体験だろう。 P81 拙著『最貧困シングルマザー』執筆のために行ったメンタルに問題を抱えた貧困女性たちへの取材の中で、「お釣りが数えられなくなった白分に絶望した」というエピソードは何人にも共通したものだった。 |
リチャード・テンプラー DISCOVER 2016/06/28 どこかの書評に登場したハウツー本。 全く無駄だと思ったのですが、 しかし、どの程度、無駄なのか、購入してみました。 そして、全く無駄であることを確認しました。 いや、どこの書評だったのだろう。 なぜ、書評本は、ことごとくダメなのだろう。 いや、1点だけ。 米国では、株式投資もあり得るのだ。 日本では、 株式投資で財産を残した人は皆無だと思う。 英国のEU離脱ショックで 破綻者が多数出現したと思う。 失敗は、 経験にはなるが、 教訓にはならない。 P118 長期的に不動産が株を上回ることはない 元手が貯まったとする。あなたは何に投資するだろう。もっとも一般的な投資先は、不動産と株ではないだろうか。では、不動産と株のどちらがいいのだろうか。 2000年のITバブル崩壊で株価が急落したとき、多くの人が、株式から不動産へと投資先を切り替えた。株に投資していた人は、バブル崩壊で大きな損失を出したからだ。 そして大量の資金が不動産に流れた。賃貸物件への投資も過熱し、物件価格はどんどん上がった。建設ラッシュで物件が増えすぎて、借り手がつかず、投資家が期待したほどの利益が出ない地域もあったほどだ。 とはいえ、早くからこの不動産ブームに乗っかり、正しい地域に投資した人はかなり儲けることができた。一方でITバブル崩壊以降、株価も回復し、値下がりしても売らずに持っていた人たちはかなりの利益を上げることができた。 株と不動産をどうすれば正解だったのだろうか。短期的には変動があるが、長期的に見れば、たいていは不動産よりも株に投資したほうが利益は大きくなる。 勘違いしないでもらいたいのだが「株のほうが儲かる」とか「不動産投資はするな」などと言いたいわけではない。ここで大切なのは分散投資だ。理想的なポートフォリオ(複数の金融商品の組み合わせ)には、必ずある程度の不動産が含まれている。 |
渡邉哲也 徳間書店 2016/06/22 売るための速成本と思って手にしたのですが、 中味が濃く、信頼できる分析で、著者の知識の幅の広さに驚かされました。 これは、 パナマ文書が騒がれているという理由だけではなく、 タックスヘイブンの意味、その摘発例、マネーロンダリング、個人番号など、私達の業界で生活していたら、面白い読書になること請け合いです。 個人番号も、国税のための手段では無く、世界が要求する情報管理の為の手段なのかもしれません。 P53 じつは、タックスヘイブンに存在する企業の多くが、このような目的のためにつくられた特別目的会社なのである。これをタックスヘイブンの国以外の国でつくった場合、ファンド会社が生み出した利益が課税対象になり、ファンド側で一度課税され、ファンドの分配金でさらに課税されることになり、二重課税になってしまうと同時に、税と手数料が倍増し、ほとんどのファンドが成立しなくなると思われる。 P66 また、2009年1月に完全実施された株券の電子化も、マネーロンダリング対策と犯罪対策の一環であった。かつて株式は証券として現物を直接売買することが可能であり、資産隠しと暴力団関係の総会屋などの道具としても利用されていた。しかし、これを電子化することで証券現物を無効化し、そのような不正な取引を排除したわけである。 P76 また、対処が遅れた日本独自の理由として、住民の二重管理の問題もある。日本においては、戸籍と住民票という2つの住民管理形態があり、戸籍は国の管轄、住民票は自治体管轄となっており、完全な一本化ができていなかったのである。 そこで改めて、マイナンバー制度を導入し、すべての日本国民にナンバーを割り当て、銀行口座や証券口座、さらには雇用される企業とひも付け、すべての資金の流れを透明化しようとしているのが現状なのだ。 |
橋本卓典(共同通信社経済部記者) 講談社現代新書 2016/06/21 地方銀行と交際する税理士事務所には不可欠の書です。 いま、金融庁と銀行は、 不良債権の処理ではなく、 中小企業の経営そのものに踏み込もうとしている。 融資先企業の会計システムに 銀行が、直接にログインするシステム。 それが検討されているという噂も聞きます。 そして、 銀行のメンバーには、 弁護士や、 大手税理士事務所が組み込まれていく。 金融庁 地方銀行 裾野を必要とする大企業 裾野の中小企業。 それらにとって必要な改革で、 金融庁の破壊力は、 国税の常識など吹き飛ばす威力がある。 P47 事業性評価の理解を深めるため、やや脱線する。一部の地銀では森が事業性評価を研究するもっと以前から、事業性を見なければいけないという問題意識を強めていた。その先駆けが広島銀行だ。 広島では自動車メーカーのマツダが工場を構え、部品を供給するサプライヤーが地元に多数存在する。1台の自動車をつくるには2万〜3万点の部品が欠かせないといわれる。こうした部品を供給するサプライヤーなくして、マツダは決して成立しえない。 不良債権処理に追い立てられていた当時の広島銀行は、財務面でこれらのサプライヤーを評価し、融資の審査を実行していた。しかし、それでは取引を打ち切らなければならないサプライヤーが生じてしまう事態が発生したのだ。 P48 広島銀行としては財務内容を見極めて「正しい」判断をしているつもりが、広島の基幹産業であるマツダを苦しめることになるという本末転倒の自己矛盾に陥ってしまっていた。 そうした現実を踏まえ、1999年、広島銀行は融資部の中に自動車の専門家を集めた。マツダからの転籍者が、サブライヤーの工揚を視察し、技術面を評価していくことになった。これに銀行の財務分析を併せて対象企業を「技術」と「財務」の両面の優劣で評価することで、どこに改善すべき点があるのかが的確に浮かび上がってくる。 問題は、財務にあるのか、技術にあるのか。広島銀行はマツダと連携し、的確な「処方箋」を与えることができるようになった。サプライヤーの技術面、財務面は足腰から鍛えられた。その後のリーマン・ショックなどの急激な外部環境の変化でも、サプライヤーは目先の生産減少を受け入れつつも、将来的な技術革新に向け、立ち止まることなく研究開発を継続することができたのだ。 P49 今までの定性的な情報とは一線を画するものであった。これまでは、「企業経営者の目が輝いている」など、人の見方や裁量によって変わってくる人格や資質に注目するものが多かったが、広島銀行の分析手法は、@製品サービス、A顧客基盤力、B営業販売力、C生産力、D技術開発力、E組織管理力の計25項目を科学的かつ客観的に判定して、財務情報では読み取れない企業の力を見極めることができるという斬新なものだ。25項目を各1〜4点の100点満点で評価し、レーダーチャートで強み、弱みを「見える化」できる。 |
山田 ルイ53世 マガジンハウス 2016/06/13 山田ルイ53世として活躍する お笑い芸人の登校拒否、引き籠もり、 その後の敗者復活戦の歴史を語ります。 敗者復活戦の「ノウハウ」があれば、 一般論に出来ると思ったのですが、 そのような一般論は存在しないのですね。 引き籠もりの時代は辛かっただろう。 それが現在の成果に繋がるとしても、 辛い時代、無意味な時代、避けたい時代。 もしかして、本人には取り返せる経験かもしれませんが、 親にしてみたら、とても、取り返せる時間ではない。 P132 人は自分が頑張って絶対的に幸せになるより、他人の不幸で相対的に幸せ感を得る方がお手軽だし好きなのである。 変化について行けてないのは何も周りだけではなかった。自分もである。 「本当の自分はこんなんじゃない!これは仮の姿だ!」とベタな逃避思考に陥っていた。 というのも、学校に行かず、家に引きこもり、そんな生活の中ぶくぶく太って、日に当たらないから真っ白で、「白豚」みたいになってはいたが、例の神童感というか、それまでのプライドを捨てきれないでいたので、自分が頭の中で思っている自分と、鏡に写る姿形や世間からの評価と、凄まじい乖離が生じていた。 言うなれば、着ぐるみを着ているような感覚。 これを脱いだら、あの「優秀な山田君」にすぐなれるけど、別に今は、あえてこれを脱がないだけなのだ。みんなアホやな〜背中にチャックがあるでしょう……中の人は俺やのに……山田君は柑変わらずここにいますよと。 |
日本経済新聞社 日本経済新聞出版局 2016/06/09 迷走劇を第1部として、 鈴木氏の足跡をふり返る第2部、 鈴木氏退任後のセブン&アイと業界の予想。 第1部は読む気にもなりませんが、 第2部は、改めて偉大な経営者であることを再認識させられます。 第3部は、誰も語れない。 P219 表立っては言葉を選ぶものの、2社の関係者からは「セブンイレブンの新しいサービスはすべて鈴木会長がつくり出してきた。中長期的にみれば追いつくチャンス」との本音も漏れる。ポスト「鈴木」時代のセブン&アイ、セブンイレブンを見据え、各社は動き始めている。 |
島田裕巳(宗教学者) 幻冬舎 2016/06/07 母親殺しの 介護殺人事件から説き起こし、 子を人殺しにしたくなかったら、 子に殺されたくなかったら、 温情判決に涙するのではなく、 その前に親を捨てる必要があると説きます。 いや、確かに。 猫を殺すのだって、現実的には不可能なのに、 人を殺す、それも、すぐ隣にいる生身の親を殺す。 それは大変なことですが、 しかし、そこまで追い詰められてしまうのが老後の問題。 既に、 家を承継し、 親孝行をする時代は終わっているのだ。 では、どうやって親を捨てるか。 実際に、追い込まれてから親を捨てるのではなく、 そうした事態を生まないことであり、 それ以前にしっかりと親離れ、 子離れをしておくことなのだ。 それが難しくなっている。 その時点では親はボケ、 自立できない子が増えている。 「子に迷惑を掛けない」とは、誰でも唱えるお題目ですが、 それを実現する為には、唱えるだけではなく、親の努力が必要なのだと。 P38 しかし、親を捨てていれば、介護殺入に至ることはない。親も人生の最後に殺されることはないし、それまで前科のいっさいない子どもが殺人者になることもないのだ。 たとえ、温情判決が出て、刑務所行きは免れたとしても、自分の親を手にかけたという事実は消えない。人生の最後まで、それを背負っていかなければならない。 ならば、親を捨てた方がいい。親もまた、捨てられることを覚悟すべきではないだろうか。 P50 明治時代にあたる1891(明治24)年から98(同別)年までの平均寿命は、男性で42.80歳、女性でも44.30歳だった。男性なら、42歳の厄年が半均の死亡年齢にあたっていたことになる。 しかも、大正時代後半の1921(大正10)年から25(同14)年になると、男性は42.06歳で、女性は43.20歳と、明治時代よりも短くなっている。 P111 そこで問題になるのは、高齢者のキーワードである「子どもには迷惑をかけたくない」ということばである。 それは、子どもの負担を少しでも減らそうとする親の気遣いであるように聞こえる。 ところが、こうしたことばをくり返し発する高齢者は、子ども以外の他人に対して迷惑をかけることを嫌う人たちでもある。それを、自立願望として受けとることもできるが、子どもにも当然、他人の迷惑にならないようにと、彼らが小さいときから言い聞かせてきたはずだ。 P138 だが、子どもは、同居させてもらった親に先立たれ、最後はひとりになる。そうした人生を送ってくれば、自分の子どもはいない。それでは、親と同じような老後を送ることはできない。ある意味、親は子どもを甘やかすことで、自分のために利用したとも言える。 子どもの方も、最後はひとりになることが分かっていても、現状が心地よいために、その状況から脱しようとはしない。 P139 実際に親殺しをしないためにも、精神的な親殺しをしておく必要がある。それは、親からの自立である。社会は大きく変わったにしても、精神的な親殺しの必要性は変わらない。私の場合には、17歳のときに、そうした事態に直面した。 P189 だが、サラリーマン家庭の場合には、その恩なるものは、かなり軽い。そもそも、教育に多くの金を費やすのは、比較的豊かな家庭であり、そうでない家庭の場合には、義務教育と公立の高校程度で、とくに教育に金を使ったということにはならない。それで巣立ったら、ほとんど親に恩を感じる必要などないはずだ。 P194 追い込まれてから親を捨てるということは、実際には大変なことだし、心理的にも負担になる。必要なのは、そうした事態を生まないことであり、それ以前にしっかりと親離れ、子離れをしておくことなのである。 |
石塚由紀夫 日本経済新聞出版社 2016/06/03 なぜ、女性は働くのか。 女性をやったことがないので実感が分からない。 男は、 「なぜ」を考えずに働きます。 いや、 2割の女性は、 「なぜ」を考えずに働く。 2割、6割、2割の原則を語ります。 資生堂という 女性が退職しない会社。 これを読めば「なぜ」が分かるかもしれない。 なるほど。 女性が働ける会社ではなく、 女性が活躍できる会社なのだ。 それが資生堂という会社の目的に適い、 BC(ビューティフルコンサルタント)の目的に適う。 現場のお客さまのニーズこそがマーケティングなのだから、 BCが活躍できる会社であることが、資生堂の存在なのだ。 形だけの女性の地位ではなく、 女性が活躍できること自体がビジネスモデル。 それを完成させたのが資生堂モデルなのだ。 いや、認識を改めた良い本でした。 筆者の思いと、分析力が良い本を作り上げている。 P4 英国の社会学者キャサリン・ハキム氏は現代女性のキャリア意識を3つに分類する。仕事を最優先する「Work-centred」、家庭を大切にする「Home-centred」、外部環境などにより優先度を柔軟に変える「Adaptive」だ。日本流の言葉で置き換えれば「Work-centred」は「バリキャリ」で、「Home-centred」は「ゆるキャリ」といった感じであろう。ハキム氏の分析によれば「Work-centred」と「Home-centred」がそれぞれ女性の2割を占め、6割が「Adaptive」に当たるという。 ハキム氏の理論でおもしろいのは、どのタイプに属するかは養育環境や教育、性格などで就職する前に固まっており、その後は変わらないという点だ。 つまり「バリキャリ」と呼ばれる女性は2割存在し、彼女らは会社や管理職が何もしなくても、どんな職場環境であろうとも黙々と仕事に励み、管理職などキャリアアップを目指す。他方「ゆるキャリ」も2割おり、彼女らはどんなに周囲が働きかけようとも家庭・子育てを第一に考え続ける。女性活躍推進の成否のカギを握るのは、むしろ残る6割の女性たちの動向だ。彼女たちは仕事への意欲が高まる働きかけがあれば仕事の優先順位があがるが、仕事が単調でつまらないなど就労環境次第で家庭・子育てを最優先にしてしまう。 P19 関根自身もBC出身だ。1972年に山形県でBCとして採用された。売り場に10年立った後、若手の指導役を務めた。1991年に資生堂子会社「ディシラ」へ出向して営業職に転換、資生堂大阪支店長、国際事業部美容企画推進室長などを経て執行役員に就いた異色のキャリアの持ち主だ。 24歳で結婚して翌年長男を産んだ。当時女性は子どもが生まれたら、仕事を辞めて家庭に入り、家事・育児に専念するのが当たり前の風潮だった。関根もそのつもりで就職した。だが一度働いてみたら仕事は予想以上におもしろく、子どもが生まれたからといって退職したくなかった。とはいえ、当時は会社の子育て支援策はないに等しい。 自営業の夫に「働き続けたい。手伝って」と協力を依頼し、子どもが熱を出しても預かってくれる保育園を探して、仕事と子育てを両立できる体制を自ら整え、働き続けた。育児時間制度はまだできていない。働くならフルタイム勤務。家族や周囲に助けられながら、早番、遅番、休日勤務と、同僚BCと同等に勤務シフトをこなしてキャリアを積んだ。 資生堂は1990年以降に子育て支援制度を整える。育児休業や育児時間の制度を法整備に先駆けて導入するなど手厚い子育て支援策を次々に打ち出した。今や出産・子育てを理由に退職する女性社員はほぼいない。現在の職場環境を関根は心から歓迎している。自身は夫など家族の協力でなんとか乗り切ってきたが、それは並大抵のことではなかった。あまりに多忙すぎて、夫が「仕事を変わってもらえないのか」と言い出し、それをきっかけに1年間夫婦間の会話がほとんどなくなったこともある。同じような両立の苦労をいつまでも後輩たちに背負わせたくはなかった。 P75 P83 P123 P162 P197 |
酒井邦嘉(脳科学) 中公新書 2016/05/26 読み始めで、 とても、最後まで読み通せるとは思えませんが。 脳科学者が書いた科学についての考え方の基本書です。 文章が推敲され、1行として、無駄な記述がない。 著者の思考のシャープさがうかがわれます。 いや、これって税法の本といっても通じると思います。 つまり、次の1〜3です。 世の中、税法の規定を場合分けして、納得している人達が多い。 それは違うのです。 求めるモノは、その前提にある立法趣旨であり、保護法益。 そこまで抽象化することで、税法は理屈の学問になります。 この教授の講義が理解できる能力を持ち、 この教授の講義を受ける学生だったら楽しかったと思う。 P22 言語学のモデルとしての物理学 科学という考え方にも「定石」がある。言語学者チョムスキー(Noam Chomsky,1928−)は物理学をお手本として、新しい「科学としての言語学」を作り上げた。そのときの指導原理(第2講)は次のようなものだった。 1 研究対象の「記述」や「分類」に没頭するのではなく、「説明」を心がけよ。 2 確固たる理論を築くことができるよう、たとえ広範多様な探求ができないとしても、研究対象の範囲を絞り込んだ方がいい。 3 抽象度の高い理論を練り上げ、理想的状態を想定することで、五感を通じて得られるデータよりもいっそう現実を理解できるような仮説模型を築くことができる。 ここまで端的にまとめたものは、物理の本でもなかなか目にすることがない。まず、「説明」こそがサイエンスの命である。研究対象の記述や分類だけで終わってしまってはいけない。 次に、研究対象を絞り込むことが重要だ。生物一般への広い適用を目指そうとする生物学も、まずはある特定の生物種に絞って実験を行うことが一般的である。広さよりも深さ、説明の質の高さを重視するということが大切なのだ。 |
日本経済新聞社 日本経済新聞社出版局 2016/05/24 シャープの経営を巡る男の嫉妬。 それがシャープをダメにしてしまった。 そのような視点で、 シャープの倒産を語ります。 可哀相なのはサラリーマン。 何千人のサラリーマンの人生に影響を与えてしまうのだろうか。 P63 「町田、片山、浜野それぞれが口出ししてきたことを、社内では『キングギドラ経営』と言つていました」 キングギドラとは映画に出てくる首が3本ある怪獣だ。それぞれの口から光線を吐く。 |
橘木俊詔(京都大学名誉教授) 中公新書 2016/05/23 親の財産と、 子の成功に相関関係がある。 相関関係が強いのが日本の特徴。 そうですよね。 多様な利権が失われたとしても、 カネを持つ親という利権は失われない。 いや、利権は、役所の利権では無く、 司法試験合格、税理士試験合格、会計士試験合格という利権です。 試験に合格したというだけで、 その後、悠悠自適の生活が送れる。 その利権が無くなりつつある社会ですが、 そこで残る唯一の利権が「カネを持つ親」 で、本書は、 世襲という形の利権を取り上げます。 医者、弁護士、税理士、 政治家などの世襲を論じますが、 学者の著作の限界。 多数の統計数値を紹介しますが、 当たり前の事柄が数字で説明されるだけであって、 実感も、深みも感じない一冊でした。 なぜ、世襲なのか。 家庭の価値観でしょう。 政治家の家庭、医者の家庭、公務員の家庭、サラリーマンの家庭。 その道で成功した人達は、子を、同じ道に進めたがり、 成功しなかった人達は、息子を、他の道に進めたがる。 P104 この点を間接的に支持することを書いておこう。橘木(2010)は、男子進学校として有名な灘高校の生徒にアンケート調査して、次の結果を得た。70人の灘高生のうち18人の父親が医師だったので、26%の多くに達しているし、なんと母親が医師という家庭も22%の高さであった。そして実に70人のうち、7人の親が両親ともに医師であった。灘高生の医学部進学率は40%前後に達する異常な高さであるが、もし女生徒が灘で学んでいれぽ、母親が医師であれば確実に娘が医学部への進学を望む確率は高いものと予想できる。 |
アラン・ワイズマン ハヤカワ・ノンフィクション文庫 2016/05/20 外国の著作の翻訳本は、 どうして、持って回った言い方をするのだろう。 端的に表現したいことを表現すれば良いと思う。 とても、全文を読む気力が維持できない。 読めない本では中味が立派でも意味はない。 人類が滅んだ後も、 人類が作り出したプルトニウムが悪さをする。 P348 連鎖反応と呼ぶにふさわしい、あっというまの出来事だった。1938年、物理学者のエンリコ・フェルミは、ファシスト政権下のイタリアからストックホルムへと向かった。中性子と原子核に関する研究でノ〜ベル賞を受け、授賞式に出席するためである。そして、そのまま戻らなかった。ユダヤ人の妻とともにアメリカへ亡命したのだ。 同じ年、2人のドイツ人化学者が、ウラン原子に中性子を衝突させて分裂させたという噂が漏れてきた。2人が上げた成果は.フェルミ自身による実験を裏づけるものだった。中性子によって原子核を砕くと、さらに多くの中性子が放出されるという彼の推測は正しかったのだ。一つ一つの中性子がショットガンの散弾のように原子のなかから飛び出し、十分な量のウランが近くにあれぽ、さらに多くの原子核にぶつかってそれを破壊する。このプロセスが次から次へと連鎖し、大量のエネルギーが放出される。フェルミは、ナチスドイツがこの現象に興味を抱いているのではないかと疑っていた。 それから3年足らずのち、フェルミのチームはニューメキシコ州の砂漠で正反対の実験をした。今回は核反応を最大限に暴走させるのが目的である。膨大な量のエネルギーが放出されるとそれから1ヶ月と経たないうちに、日本の2つの都市の上空で同じ事が2度繰り返された。10万人以上の人びとが瞬時に死亡し、最初の爆発からかなりの時間が経っても亡くなる人が跡を絶たなかった。それ以来こんにちまで、核分裂の二重の致命的威力、すなわち桁外れの破壊力とそれにつづく緩慢な苦痛に人類はおののき、同時に魅入られてきた。 体を粉々に吹き飛ばすこの爆弾以外の手段で、私たちが明日この世界からいなくなれば、あとにはおよそ3万発の未使用の核弾頭が残される。私たちが消えたあとでそれらが爆発する可能性は、実質的にはゼロだ。基本的な構造のウラン爆弾は核分裂を起こす物質を2つの塊に分けて内蔵しており、爆発に必要な臨界量に達するには、自然界ではありえない速度と精度でその2つをぶつけなけれぽならない。落としたり、たたいたり、水に沈めたり、岩を転がしてぶつけたりしても、なにも起こらない。万が一、劣化した爆弾のなかで濃縮ウランのつやつやした表面が触れ合っても、弾丸ほどの速さでぶつからないかぎり不発に終わる。ただし、かなりの汚染は引き起こされるが。 一方、プルトニウム爆弾では、核分裂を起こす物質は1個の球である。爆発させるには最低でも2倍の密度になるまで力を加え、均等に圧縮しなくてはならない。さもなければ、単なる毒の塊にすぎない。だが、いずれ爆弾の外殻は腐蝕し、放射能を帯びた内容物が風雨にさらされることになる。 兵器級プルトニウム239の半減期は2万4110年なので、大陸間弾道ミサイルの円錐形の弾頭が5000年後に分解したとしても、なかにある4・5〜9キロのプルトニウムの大半はまだ等級が下がっていない。プルトニウムは、陽子と中性子の塊であるアルファ粒子を放出する。この粒子は重いため毛皮はもちろん厚い皮膚さえ通過できないが、不運にも吸い込んでしまった生物には致命的な影響を及ぼす(人間の場合、100万分の1グラムで肺がんを引き起こす恐れがある)。12万5000年後には、プルトニウムは450グラムも残っていないだろうが、それでも十分な致死力を持っている。地球上の自然バックグラウンド放射線と区別がつかない程度までレベルが落ちるのは、25万年後だ。 だがそのときになっても、地球上の生物は、依然として猛毒を放つ441ヵ所の原子力発電所の残骸と戦わなければならないだろう。 |
大石 静 小学館文庫 2016/05/18 NHKの連続ドラマ。 いや、最後まで見続けるのは辛い。 で、小説を読んでしまいました。 凄いと思うのは、このストーリーを作り出す作家 ストーリーのイメージを画像化する演出家 小説以上に切なさを表現する俳優 |
小熊英二 岩波新書 2016/05/17 シベリヤ抑留は、 ソビエトによる戦時奴隷。 そのような蛮行と思っていたのですが、 日本政府に売られてしまった人達なのだ。 満州からの引き上げなども、 軍人優先で、 民間人は切り捨てられる。 その体質は、 その後の日本でも 変わってはいないのだろう。 国と、 自分達の官僚構造を優先し、 その他の国民は、その次に位置する。 それが露見しないように、 裁判制度や、保育園など、 多様な制度が上手に提供されている。 全ては、官僚構造など、自分達の利権を守るため。 P84 関東軍総司令部が、1945年.8月29日にソ連側に提出した陳情書では、捕虜となった日本軍人の処遇について、こう記されている(白井久也『検証 シベリア抑留』平凡社、2010年)。「(内地への)帰還迄の間に於きましては、極力貴軍の経営に協力するごとく御使い願い度いと思います」。 もともと、天皇の命令をうけて近衛文麿らが7月に作成した『和平交渉の要綱』では、満州在留の軍人・軍属を、「賠償」の一部としてソ連に労務提供するとされていた。敗戦直前の日本政府は、ソ連に連合諸国との和平交渉仲介を期待しており、ソ連への譲歩条件を摸索していたのである。 P102 ソ連は日本軍やドイツ軍の捕虜だけでなく、ソ連内の政治犯や一般囚人をも、労働力として使っていた。囚人を労働力として利用することは、明治以後の日本も行なったことで、北海道の道路建設や三池炭鉱の開発などは、囚人労働なくしてありえなかったといわれる(ダニエル・ボツマン『血塗られた慈悲、答打つ帝国。』.インターシフト2009年)。とはいえ、ソ連の囚人労働の活用は、他国にみないほど大規模であり、1949年当時の「奴隷労働者」は1000万人以上ともいわれた。謙二たちは、そのシステムに組み込まれたのである。 P111 1945年から46年の冬が最悪だったというのは、謙二たちのいた収容所に限らず、ほぼすべてのシベリア抑留の回想記に共通している。それには、いくつかの事情があった。 まず何といっても、敗戦直後には、ソ連経済そのものが窮迫していた。独ソ戦争でのソ連側戦死者は、1500万とも2000万ともいわれる。ソ連の人口は、1940年の、1億9597万人が、1946年には、1億7390万人となり、約11パーセントも滅少していた。日本の戦没者は約310万、1940年の内地人口約7306万人の約4パーセントである。 |
浅川伸一 新躍社 2016/05/17 100回聞いても理解できないのがディープラーニング。 101回目の挑戦も挫折です。 車を運転するのなら、 エンジンを造れないとしても、 エンジンの理屈は知っておきたい。 しかし、これからの時代、 私達は、 理屈が理解できない乗り物で未来に運ばれてしまう。 P23 最近のディープラーニングの流行には目を見張るものがある。しかし,冷静になって考えてみれば,たかがネコを認識できるようになっただけである。ネコ1匹認識するだけなら,人間の幼児にだってできる。視覚情報処理の専門家でもなければ,何がスゴイのか理解できないだろう。ネコが認識されたくらいで驚くことなのか,と言いたくなる。 しかし,ネコを認識するためには,膨大な計算と知識が必要であることが分かっていた。視覚情報処理に高度な知的情報処理が必要なことを知らしめたのは,ディビッド・マー(Marr,1982)の功績である。カメラに写った画像の中から特定の物体を認識するためには多くの計算が必要である。 たとえば図2・13左のような画像を見れば,ネコであることぱ容易に判断できる。ところがこの画像を機械学習のためにコンピュータに入力すると、図2・13右のような行列として与えられる。この行列は左の画像のごく一部だけを表したものである。画像の解像度が上がれば,行列の次数(行と列の数)は大きくなる。 |
岩本友則 主婦の友社 2016/05/11 最近、話題の発達障害。 それを克服した筆者が語ります。 非常に読みやすい著書で、 読者側の視点で書かれているなど、 とても発達障害の方とは思えません。 それが、 発達障害の克服の結果なのだと思います。 しかし、 発達障害とは何なのか。 学校では成績の良い子が、就職して気が付く。 知的レベルの高い人達の共通した症状なのか。 誰にでも、少なからず、存在する傾向なのか。 変わり者といわれる個性と発達障害の関係は。 他人との関係がダメなのか、自分との関係か。 遺伝なのか、環境か、幼児期の対策は可能か。 さて、私自身、 発達障害なのだろうか。 少し、自分を疑いながら読んでみたのですが、 症状について、 共感、実感するところが無く全く当てはまらない。 個性、即、発達障害とはならないのだ。 これが、私の、本書からの収穫でした。 しかし、発達障害の方は読んでみるべき一冊と思います。 著者に共感し、自分の筋道も見付けられるかもしれない。 P51 前にふれた「自立」までの間、つまり娘が1歳を過ぎる頃までの間は、妻も私もガマンの時期でした。育児に関する妻とのすべてのコミュニケーションについて、私はいっさいの共感を持たずに、無意識に支配された不合理な優先順位と、優先順位のないところは細かすぎる論理を振りかざして接していました。逆に妻はどちらかというと感覚的で感情豊かな性格なので、この私のコミュニケーションパターンには不満がたまる一方だったはずです。子どもがいなくて妻に余裕があったときにはおそらく一方的に合わせてくれていたんだと思います。ですが子どもができてからはお互い口を開けば相手をイライラさせる毎日がつづき、私の状態も万全ではなかったこともあり、何度も離婚の危機を迎えていました。 |
おざわゆき 講談社 2016/05/11 祖父から聞いたシベリヤ抑留の記録です。 嫌なことを語らない。 それが日本の文化なので、 戦争中の事柄が後の世代に承継されない。 そして、また、同じ過ちをしてしまうかもしれない。 ほとんど、著作のないシベリヤ抑留についての貴重な書籍(漫画)です。 なぜ、シベリヤ抑留という 戦時奴隷のようなことが行われたのか。 なぜ、戦後、それに対する非難の声が上がらないのか。 なぜ、誰も、その経験を語らないのか。 なぜ、後の世代は、その内容を知ろうとしないのか。 |
山田太一 光文社文庫 2016/05/10 あちらこちらで引用されることが多い本書。 あの時代には、 私も関心をもって読んだのだと思いますが、 小説も、ドラマも、全く記憶にありません。 で、手に入れてみましたが、古いですね。 猛烈サラリーマンと専業主婦、受験生の息子。 そのような家族単位で、妻の不倫(?)。 いや、不倫に至る前に放り出してしまった。 あの時代に比較し、 何と変わってしまった現代なのか。 |
磯田道史(武士の家計簿の著者) 中公新書 2016/04/22 朝日新聞の連載の書籍化ですから、 各項目で完結していて読みやすい。 日本は、常に、地震、津波、高潮、崖崩れが起きる国で、 災害を避けることが不可能な国であることが語られます。 数百年の災害の歴史を一冊の本で語りますから、 実感よりも、頻度多く災害の歴史が登場します。 歴史的な単位で考えたら、 それこそ3日に1度は、日本のどこかで 数百人の死者を出す災害が発生していることになる。 これは歴史の単位を、 現実の生活に引き直しても同じ。 3日に一度が、3年に一度、30年に一度になるだけであって、 大小、様々な災害が、日常生活を襲う事実が消えるわけではない。 さて、 災害という自然現象に どのように対処すべきか。 その到来は避けられない現実です。 暫く、平穏な日常が続くのは、 次のピリオドまでの一時の平穏。 技術が進んだので、 災害が避けられると考えること自体が不遜です。 しかし、 それでも災害被害を防ごうと思ったら、 災害を、現実的なリスクと認識すること。 やはり安全な地域の、安全な家に住むこと。 その実感の修得に役立つのが本書です。 災害は、他人の事柄では無い。 P79 400年前の僧侶が残した防災情報 東海地震など南海トラフでおきる巨大地震は、大体100年周期でおきていて現在約70年が経過した状態にある。 この南海トラフの巨大地震が引き起こす津波には2種類あるのをご存知だろうか。1つは100年ごとにやってくる「通常の大津波」。静岡県平野部などでは7メートル以下で、大阪湾では4メートル台以下の高さの津波となる。江戸時代の宝永津波(1707年)、安政津波(1854年)などがこれにあたる。江戸期は一般に現在より海岸砂丘が高く、10〜12メートルあったからこの高さまでの津波ならかなりブロックしてくれた。砂丘のない河口部や水辺では甚大な被害がでたが、内陸奥深くまで津波が全面的に押し寄せるにはいたらなかった。 しかし問題はもう1つの津波だ。1000年に1度か500年に1度くる「異例な巨大津波」というのがある。この津波は宝永・安政津波の2〜3倍の高さとされ、最後にきたのは1498(明応7)年。波高が静岡県平野部で10〜15メートルとなる。大阪湾でも1361(正平16)年に5メートルを超える巨大津波がきた可能性がある。この場合は砂丘を軽々と乗り越え、津波が東海地方や大阪平野部の都市住民を直撃することになる。 P82 歴史的に、こう考えていくと、南海トラフの地震にも、津波の大・中・小があることがわかる。我々はこの歴史経験から、これから襲ってくる津波の高さの確率分布も考えておくべきだろう。我々は約500年間に5回の南海トラフの津波を経験した。 このうち、@平野部で十数メートルの高さの津波が1回(明応津波)、A同じく5メートル以上の津波が3回(慶長・宝永・安政津波)、B同じく5メートル未満の津波が1回(昭和南海津波)である。このことからすれば、十数メートルの津波が20%、十数メートルには達しないが5メートル以上の津波が60%、5メートル未満の津波が20%という確率分布でやってくる、といったふうな覚悟は必要なようだ。十数メートルに達する津波は防潮堤などの土木構造物をもってしても対策が難しい。海に近い低地では、揺れたら逃げる。すぐ高いところに登るのが、大切である。 |
主婦の友社 2016/04/22 いつまで仕事を続けるか。 自ずから答が出るだろう。 しかし、 老醜を晒してまで、 仕事を続けたいとは思わない。 どのような見映えの老人になるのか。 努力なのか、生き方なのか、運命なのか。 町で見かけた 60才を超えたオシャレな女性達。 その写真集ですが、 彼女らの美しさ、いや、上品さは、 努力か、生き方か、経済力か、素材なのか。 オフイス街を歩く30才の女性より美しい。 |
上念 司 NHKベストセラーズ 2016/04/21 タイトルに反して、 維新ではなく、江戸の政治と経済を語ります。 圧政の時代では無く、 豊かな庶民と、貧しい武士の時代だった。 なぜ、武士は貧しかったのか。 金本位制、デフレ政策、 自由な経済による庶民生活の発展。 庶民にむしり取られてしまう武家社会。 全国を支配したが 国税を採用しなかった徳川幕府。 その代わりに全国の金山(日銀)を押さえたが、 金の枯渇による貨幣発行権限(数量)の弱体化。 P60 徳川家の領地(天領)は諸侯では最大でしたが、それでも全国3000万石のうちの400万石でしかありません。年貢だけに頼っていたら、中央政府としての支出が嵩み、いずれ財政難に陥ることは明白でした。 そこで家康が最初に行ったことは、全国のめぼしい金山、銀山をすべて手中に収めることです。当時の日本には、現在の南アフリカのような莫大な金と銀の埋蔵量がありました。これだけたくさんの金銀が湯水のように湧いてくるなら、しばらく財政のことなど心配する必要はありません。 P141 これは単に、三井高利に商才があったというだけの話ではありません。1673(寛文12)年頃から、徐々に百姓(農民とは限らない)が購買力を付け、特に江戸の町人たちの消費は大名を凌ぐほど旺盛だったということです。 考えてみれば当たり前のことですが、江戸時代初期に幕府や大名たちが大盤振る舞いしたお金の多くは、絹織物の仕入れ代金に消えました。絹織物代の構成要素を細かく見ていくと、仕入れ代金の他に、輸送する人や販売する人の中間マージンなどが含まれています。 確かに、仕入れ代金として多くの金銀がポルトガル人に渡ったかもしれませんが、その途中で多くの日本人中間業者によって「ピンハネ」されていたことは間違いありません。 また、参勤交代の費用や大規模な土木工事の人件費などは当然、実際に作業した百姓(農民とは限らない)に支払われました。しかも、4代将軍・家綱以降になると、徐々に田畑の生産性が向上し、年貢を払って自家消費しても一部の作物が余るようになりました。これらを市場で売却することで農民も現金収入を得るようになりました。 マクロ経済には外部性がありません。時代が下るにつれて、幕府や諸藩が常に財政難に苦しんでいたということは、それだけ激しく使った金銭が誰かほかの人に渡ってしまったということです。 この点を考えていくと、「江戸時代の蓄積」のもう一つの側面が明らかになります。高利のような実業家が江戸の町人相手に商売を始めて大成功したということからしても、民間消費が経済を主導する「初期資本主義」が、江戸時代にほぼ確立していたと言えるでしょう。 P151 天明の大飢饉は、火山の噴火などにより日照不足になって凶作となったことが直接の引き金です。しかし、天明の大飢饉の場合、自然環境だけが原因で被害が拡大したわけではありません。むしろ、被害の拡大に大きく寄与したのは”人災”の部分です。何を隠そう、その人災の部分には「流通網の整備」と「米の取引の活発化」という要素が大きくかかわっていました。 全国的な流通網が整備されたことによって、天明の大飢饉の100年前から各藩は余剰米を江戸や大坂などの大都市に運ぶことができるようになりました。大消費地である東京や大阪のほうが米を高く売れたため、諸藩の大名はこぞって米を都会に運びました。 P152 確かに、これは財政面から見ればとてもありがたいことです。しかし、米は税収であると同時に領民の食料であるという点を忘れてはいけません。 米の値段が高いからといって、備蓄を一切考えずにその年の余剰米をすべて売却してしまったとしましょう。翌年の気候も安定して平年並みの作柄なら問題ありません。しかし、冷夏や水害などに見舞われて凶作となると、余剰米どころか領民が食料として食べる分までなくなってしまいます。 P153 本来ならば、すでに整備されている全国的な流通網を使って幕府が救援米を届ければ被害はここまで拡大しなかったはずです。しかし実際には、救援米はまったく届きませんでした。 江戸に流入した米は米問屋が売り惜しみをして、米相場が高止まりします。こうなると米価は自己実現的に高騰します。そして、米価高騰のニュースは諸国の大名たちフィードバックされ、タダでさえ少ない備蓄米はさらなる売り惜しみによって倉庫にしまい込まれました。 |
湯山重行 毎日新聞出版 2016/04/20 私も、 60代で家を建て替えました。 だから、著者の主張が良く分かります。 男は一生に1度は家を建てる。 そのように言われてましたが、 長寿化の時代、 さらに建物が進化した時代。 30代で手に入れた家に、 80才、90才まで住むのは無理です。 男は一生に2度は家を建てる。 2度目の家は、 家族の為ではなく、自分の為に。 さらに、 最近の地震、水害、ときには竜巻。 今のハウスメーカーの家は 地震でも倒壊せず大水でも流れ出しません。 防火構造でオール電化の家は火事にも安心。 夏は涼しく、 冬は暖かい。 「持つことに喜びと誇りを感じる」 それが60代で建築する家です。 ときどき見かける大きな敷地の古い家。 外より寒い環境で老後を過ごす哀れな人達。 マンションか、戸建てか。 これも面白かった。 P32 今どきは建て売り住宅のような普通の家でも、家本体の断熱性能はすこぶるいい。一度暖めてしまえばヒートショックが少ないので、冬の寒い時期に起こりがちな心筋梗塞、脳梗塞の心配も減る。ワンフロアの平屋なら家全体をより効率的に暖められるので、なおさらだ。 また、オール電化住宅にしてしまえば、火の消し忘れによる火災も防げるし、設計と設備を工夫すれば防犯も万全になり、外からのいらぬトラブルも防げる。 東日本大震災では、津波による被害が多かったのだが、地震が直接の原因で倒壊したのは30年以上前に建てられた家がほとんどだった。現在の住宅は、建築基準法どおりに造るだけでも、数百年に一度程度発生する地震で倒壊・崩壊しないレベル(耐震等級1)になっている。 P162 ソファに座ると、正面のバルコニーからは遠くに江の島が見えた。 「江の島の花火を見ながら一杯やるんだよ」とギターを持ちながら自慢げに話す彼。学生時代からギター好きで、アマチュアバンドのコンテストに何度も参加していた。今度、従兄弟の披露宴で歌うからボーカルレッスンに通っているのだという。相変わらずの凝り性である。 ギターの音を聞きつけたのか、子ども部屋からはバタバタと小さい男の子がやってきた。「ほらっ、走るな」と制す彼。「下の人から苦情が出るから、こうやって叱らないといけないんだ」と話した。そういえば先ほどから爪弾くギターの音も小さかったな。部屋の隅では鳥かごの中の鳥が小さく鳴いていた。この鳥も本当は犬や猫の代わりなのだろうか。 彼は内装業なので、食器棚やテーブルは自作の一点ものだ。空間にピタリと納まり抜かりはない。 P163 人生の上で一番大きな買い物を、価値観の違う多くの人と足並みを揃えなければいけないというのはなんともリスキーに思えたものだ。違う価値観、さまざまな家族構成の人々がひとつの屋根の下で一緒に生活してゆくには、何事も我慢が必要なのだとも思った。ましてや購入してしまった後では気軽に引っ越すこともできない。 帰り道、川辺を歩いていると魚が跳ねるのが見えた。ぼんやりと眺めながら、魚は他の魚が自分のテリトリーに侵入すると激しく攻撃して追い返すことを、ふと思い出した。これ以上近づかれては、生活できないという意味なのだろう。 人も同じだ。特別な事情がない以上、生活するうえで近づかれてはいけない距離があり、それは壁一枚ではなく、家一軒分という距離なのであろう。そんなわけでイソップ童話に出てくる田舎のネズミのごとく、自分には一戸建てがあっていると改めて認識したのだった。 |
八木 剛 幻冬舎MC 2016/04/18 得るところはなかった。 そもそも、私には 不動産賃貸業について30年の経験があり、 賃貸業を経営する顧客に取り囲まれている。 それを超える特別の知識を期待したのですが。 しかし、 無知な人達は、 ことごとく税理士を否定する。 P164 もともと不動産の実務に詳しい税理士は少数派です。専門的に扱っている一部の税理士以外では、学ぶ機会がほとんどないためです。 また不動産は個別の差が大きく、評価すべき要素がたくさんあります。実務の中で数多くの不動産と接した経験がなければ、不動産の税務に精通することはかなり難しいと言えます。 前述のとおり、税理士は知らないこと、やったことがないことにはあまり手を出したがりません。そのため攻める税務をせず、形式だけ整えて「やることはやりました」とすることが大半です。 不慣れな税理士でも「不動産のことは正直あまり知らないので」と、管理会社やオーナーと一緒に学ぶ姿勢を見せてくれる人が適していると思われます。 |
松尾 豊(人工知能) KADOKAWA 2016/04/12 世界を変える人工知能 今回のブームは本物なのかもしれない。 しかし、 高速電卓であるコンピューターが、 なぜ、思考できるのか、いや、思考しているのか。 ノイマン型コンピュータとは異なる理屈なのだろうか。 分かり易い解説です。 コンピューターに、 猫を、猫と認識させる。 その為には、 猫の特徴表現を教え込む必要がある。 耳が二つ、目が二つ、鼻と口が一つ。 いや、それでは人間と区別がつかないので、 毛むくじゃらで、耳はアタマの上に付いている。 いや、それじゃ、ライオンとの区別が付かない。 それら特徴表現を、 機械自身に自己学習をさせることに成功した。 それが「ディープラーニング」という考え方。 その思想は難解ですが、 要するに、次のような内容ではないか。 「ノイマン型コンピュータとは異なる理屈なのだろうか」を翻訳ソフトで英文に訳す。 「I wonder if a different theory from that of the von Neumann computer」という訳文を、さらに日本語に訳す。 「私は疑問に思う場合ノイマン型コンピュータとは異なる理論」 そのような繰り返しで 「猫」の特徴表現を掴んでいく。 いや、 私の自己流の理解なので、 間違いかもしれませんが。 では、コンピューターは人間に代わり得るのか。 知識体系を作り出すことは可能でも、生命は作り出せない。 そして、 生命は、好き嫌い、 怖い安全などの感情を持って学習していく。 いや、それさえも特徴表現を学習してしまうのかもしれない。 P173 デイープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データをもとに何を特徴表現すべきか」をコンピュータが自動的に獲得することができるという可能性を示している。簡単な特徴量をコンピュータが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。その特徴量を使って表される概念を獲得し、その概念を使って知識を記述するという、人工知能の最大の難関に、ひとつの道が示されたのだ。 P174 いったん人工知能のアルゴリズムが実現すれば、人間の知能を大きく凌駕する人工知能が登場するのは想像に難くない。少なくとも、私の定義では、特徴量を学習する能力と、特徴量を使ったモデル獲得の能力が、人間よりもきわめて高いコンピュータは実現可能であり、与えられた予測問題を人間よりもより正確に解くことができるはずである。それは人間から見ても、きわめて知的に映るはずだ。 P192 まず、人間が「知識」として教えるのではなく、コンピュータが自ら特徴量や概念を獲得するディープラーニングでは、コンピュータがつくり出した「概念」が、実は、人間が持っていた「概念」とは違うというケースが起こりうる。 人間がネコを認識するときに「目や耳の形」「ひげ」「全体の形状」「鳴き声」「毛の模様」「肉球のやわらかさ」などを「特徴量」として使っていたとしても、コンピュータはまったく別の「特徴量」からネコという概念をつかまえるかもしれない。人間がまだ言語化していない、あるいは認識していない「特徴量」をもってネコを見分ける人工知能があったとしても、それはそれでかまわない、というのが私の立場だ。 P203 私の意見では、人工知能が人類を征服したり、人工知能をつくり出したりという可能性は、現時点ではない。夢物語である。いまディープラーニングで起こりつつあることは、「世界の特徴量を見つけ特徴表現を学習する」ことであり、これ自体は予測能力を上げる上できわめて重要である。ところが、このことと、人工知能が自らの意思を持ったり、人工知能を設計し直したりすることとは、天と地ほど距離が離れている。 |
阿部伸一(不登校サポートセンター) 宝島社 2016/04/07 優れた著作です。 自分の仕事について、 これほどに分析しているのが凄い。 引き籠もりの子を持ったら必読の書ですが、 子供が元気に学校に通っている人達にも必読の書。 いや、子育てが終わった後に読んでも良い書だと思います。 これほどに自分の仕事を分析している専門家が存在する凄さです。 P62 「そんなことをしていたらすっとひきこもりになってしまうのでは?」 という心配は不要です。小・中学生の頃にひきこもりになった子が、大人になってもひきこもりを続けているケースは、僕の知る限りありません(何らかの心の病気を患っている場合はその限りではありません)。 P63 むしろ、大人になってからの「ひきこもり」で苦しんでいる人は子ども時代に無理を重ねてきた人です。厚生労働省の調査によると、全国にはおよそ150万人の「ひきこもり」や「ニート」がいますが、そのきっかけとなった理由のトップは職場での挫折です。 |
平岡禎之 光文社 2016/04/07 妻と4人の子供達、 発達障害を語ります。 多様な不適応、いや、多様な才能。 変わった人達、いや、才能を発揮する人達。 自分自身について悩む人達、 自分が見えないが故に成功する人達。 自分が見えないのが、 この人達の特徴なので、 自分自身は悩まないのかもしれませんが、 しかし、周りが迷惑し、掻き回されてしまう。 それを理解する為の具体的な症例の書です。 妻 ――――――――――― P19 妻ワッシーナは、一度やる気スイッチが入ると、なかなかブレーキがききません。あるときは、手作り餃子作りにはまってしまい、毎日100個も作っては、食べきれず腐らせてしまいました。その後は、エクササイズに熱中し、いきなりブリッジなんかしてしまうので、腰を痛めて寝込んでしまいました。 私の家族は特性を自覚するためにも、火星人を自称していますが、同じ火星人とはいえ、感覚の過敏度や行動の速さなどは千差万別です。そんななか、唯一共通していると感じるのが「ゼロ百」傾向です。ほどほどといった中問がまったくなくて、100パーセント全力を注ぐか、まったく見向きもしないゼロ状態の両極端なのです。 長女 ――――――――――― P59 火星人の特性を学んだ今だから分かるのですが、ニャーイ本人は、心の底から「そんなことしていない」と思っているのです。すなわち、自分がしていることを相手の目線から想像することができないのですね。 P76 「嫁入り道具としてニャーイに火星人解説書を持たせるよ」 こう、ニャーイと婚約者に伝えた時、二人はその場では何も言葉にしませんでしたが、後から聞いた話では、あまり本気にしていなかったとのことでした。 「ニャーイさんは、僕から見てなんの問題もない人ですよ」 婚約者は「なぜ解説書が必要なのか」と、不思議そうに言いました。うちの家族は、いわゆる発達障がいのグレーゾーンと呼ばれるところに当てはまるので、見た目はまったく地球人と一緒ですから、彼の見解も無理はありません。過去5年間交際して結婚するので、お互いの理解への自信もあるのでしょう。 長男 ――――――――――― P97 また、このような過敏な感覚の特性を音楽や芸術などの分野で発揮できれば素晴らしいのですが、そんな恵まれた人はほんのひと握りでしょう。むしろ過敏すぎるがゆえに、多くの人が感じなくてすむような騒音や悪臭に強いストレスを覚えてしまい、それが原因で人間関係を損ねてしまうことが多々あります。 P85 夢中になれる楽器で自信をつけたウルフーは、中学入学以降はすっかり落ち着いて、トラブルもめっきりなくなりました。その後、アメリカの大学で歴史と映像を学び、帰国後は地元の広告代理店に勤務しています。 次女 ――――――――――― P103 次女リスミーは、とても言葉が遅いうえに「かきくけこ」の「か行」がまったく発音できない子でした。か行が話せないと、話す言葉は半分以上聞き取れないという状態になります。本人も周りから何度も聞き返されたりして、なかなか言いたいことが伝わらないと、泣きながら怒ることがひんぱんにありました。 P105 その後、リスミーは、さまざまな出会いと自分なりの工夫で、思春期以降はしだいに落ち着いていきました。成長して社会人となった今は、この動き回るという特性をうまい具合に生かして、世界の空を飛び回るキャビン・アテンダントになっています。 |
DJあおい 幻冬舎 2016/03/31 恋愛中と、 恋愛願望の女性の必読書です。 強さを装ってしまうのが男、 弱さを装ってしまうのが女 誰かを嫌ったときに過ちを犯すのが男 誰かを好きになったときに過ちを犯すのが女 やらなかったことを後悔するのが男 やってしまったことを後悔するのが女 「好き」を身体で表現して欲しいのが男 「好き」を」言葉で表現して欲しいのが女 |
星野仁彦(児童精神科医) PHP 2016/03/24 空気が読めないからリストカットまで、 多様な発達障害の人達が紹介されます。 ただ、 著者が精神科医のためか、 病的な症例の紹介が多く、 身近に見かけないので、 実感としての理解が難しい。 発達障害の人達が身近に存在すれば、 本書は、その本人と、家族にとって、 生きていくための 重要な気付きを与えてくれるのだと思う。 いや、身近に存在するのかもしれない。 仮に、サラリーマンが勤まりそうもない私自身も、発達障害の1つ。 ただ、その発達障害を有効に生かして生きてしまっただけなのかも。 さらに身近に存在する同種の人達。 カリスマ経営者と言われる人達、 大きな法律事務所や税理士事務所を創り上げた人達。 あの人達は発達障害が良い方向に出現した一事例なのだと思う。 空気が読めないので、他者に気を遣うことなく活動してしまう人達。 P119 しかし、発達障害があっても、あるがままに受容され、愛情深く育てられている人は、とても情緒が安定しています。いろいろな苦手があっても、よいところを「いいね、いいね」と認められながら育っているので、どこかで「私は私。大丈夫」と腹が据わっているのでしょう。 ADHDがある女性でも、親から愛情深く育てられた人は、いわゆる「癒し系」になることが多いようです。いつもニコニコとして、「いいのよ。私もそうだから。大丈夫よー」と、人を癒してくれます。自分にもいろんな苦手がありつつ、親からあるがままを受容され、あるがままをほめられたという安心感があるので、人にもやさしくできるのでしょう。 P164 また、大勢の人が集まる場では、自分の意見は言わず聞き役に徹すると決めるのもひとつの方法です。[そうなんですね」「わかります」「なるほど!」と、肯定的な相づちを打つのがポイントです。「そうじゃない。私はこう思う」と主張したくなるかもしれませんが、それがトラブルのもと。できるだけ聞き役に徹しましょう。だんまりを決め込んで、ただニコニコとそこにいて「壁の花」になるのもいいでしよう。 P166 1 発想が面白いので、退屈しない 2 頭の回転が速く、ひらめきがあるので、会話が面白い 3 気持ちが純真で、表と裏がない 4 愛情ゆたかでやさしい 5 とことん尽くす 6 好きなことにとことんハマる様が見ていて壮快 7 掃除が好き!とか料理が大好きとか、特定の家事にハマるなどです。 こうやっていいところを挙げると、こんな母親がいる家は素敵だと思いませんか? |
本郷孔洋(辻・本郷税理士法人代表) 東峰書房 2016/03/22 大きな事務所を創り上げる同業者と、 そうでない同業者では、何が違うのか。 著者は、 前者の代表ですが、 本書を読んで、 違いが分かったような気がします。 生まれながらの個性 そして、 その個性を語るモノは、 事業規模や資産という目に見える借方ではなく、 見えない「貸方」こそが、その人物の個性を語る。 多様な失敗、債務、多様なストレスなど。 どれほど大きな貸方を受け入れることが出来るか。 その分量に応じた借方を創り上げる。 何しろ、貸方の存在しない借方も、 借方の存在しない貸方もあり得ない。 だから、 著者が語るように 物事は個性の必然の結果なのだ。 自分自身を分析し、 あるいは他人と比較する場合に必要なのは、 「借方」の比較ではなく「貸方」の比較だ。 本書は、 多様な教訓を語りますが、 それ以上に有意義な教訓は、 著者自身の人生の必然性を語る貸方だろう。 P44 創業の10年はあっという間に過ぎました。年商が1億円ぐらい、従業員が15名ぐらいになりました。 他業種から見ますと少ない年商ですが、税理士の業界ではソコソコの規模なんですね。 それこそ、24時間営業で、休みなく働きましたが、ふと、これでいいんだろうか?やり方、あるいは、生き方に疑問が生じました。 この先(当時)を考えても、死ぬほど働いて、生涯年商3億円がせいぜいで、その前に死んでしまう(笑)と考えて、悩んでしまいました。 今思うと、変革の時期だったんですかね。 ということで、飛躍と混迷の次の10年にステージが移ります。 P57 まず、第一の矢は、カラオケボックスの失敗でした。 当時、私が書いた本の題名は、ほとんど、節税がついていました。「空飛ぶ節税」という海外税務の本も書きましたし、カラオケボックスを「謳う節税」なんて記事も書いていました。減価償却が多額にとれ、節税メリットがあったからです。 これは、見事失敗しましたね。50店舗にしようと思ってやっていましたが、3店舗でアウトでした。もし50店舗やっていたら、間違いなく終わった人になっていました(笑)。 P58 カラオケと同時に立ち上げたのは、財務ソフトの開発でした。これは、第二の矢ですかね。LAN上で使用できるソフトのはしりの商品で、当時の財務ソフトとしては、ちょっとした優れたできばえでした。 「これで、上場できる」などと不遜なことを考えていましたから、正直バカだよね。これも計画がアバウトすぎましたね。ソフトの開発って、とても金がかかります。当時でも、毎月何百万とかかりまして、まず金が持ちませんでした。 P59 相続税をやっていますと、不動産業界と大変近くなります。 当時のその業界の羽振りは、それこそ半端ではなかった。私も若かったから、正直、うらやましかったんでしょうね。 銀行も掛け目も関係せず、ガンガン貸しましたから、自分でも、不動産を買いました。極めつけは、友人と共同でマンションのデベロップまでしました。 バブルが消えた後、買った不動産は二束三文、そして借金だけが残る。これが、本業に影響しないはずはないんですね。 「得意の時、失敗の原因をつくる」「その原因は自分」 人間って賢くないんだよね(笑)。 P62 時あたかも、失われた10年の幕開けでしたから、日本経済とともに、我が事務所も失速を開始しました。案の定、年があけますと、あれだけ来て、さばき切れなかった仕事がピタリととまりました。従業員も100人以上に増えていましたが、仕事がありません。 P79 統合から2年経過し、一段落した頃でした。地方展開もしなければ、せめて大阪、名古屋ぐらいは?と思っていて、まず、名古屋、大阪と地元の先生の後を引き継ぐ形で、支部を出しました。小田原でも、ある地元の先生との縁で、支部を出すことができました。その時、ふと思ったんですね。 P80 今、本部を含め30の拠点(2012年1月現在)が、全国にあり、増やしたことだけは事実です。 よく、支部の展開でなにがメリットか?と聞かれます。支部のヘッドに若手を登用せざるを得ませんでした。ですから、一番のメリットは、「若手が育った」ことだと答えています。そのため、東京がスカスカになったというデメリットももちろんあります。ビジネスはトレードオフですものね。 |
磯田道史(静岡文化芸術大学教授) 文春文庫 2016/03/11 道徳観、官僚構造、 権力構造、土地に対する思いなど、 日本の文化の全ては江戸時代に作られた。 戦後民主主義という学者の理解は間違いで、 戦後江戸時代回帰というのが日本の実態だと思う。 徳川様に政治をお任せする文化。 それが軍部に従い、戦後は米国に従う文化の基礎になっている。 政(まつりごと)は権力(他人)に任せてしまうという文化。 民主主義の権威では無く、 お白州の尊厳で語られる裁判所。 しかし、 江戸時代を語る文献は少ない。 五公五民、百姓一揆など 悪政を語るのは明治政府が創り上げた嘘だろう。 「武士の家計簿」の著者が、 江戸時代の原典を調査し、 江戸時代の庶民の経済文化を語ります。 そこに語られることは、まさに、庶民の生活、日本の官僚構造。 映画化される「穀田屋十三郎」など短編3話です。 P33 徒党というものが、蛇のごとく嫌われた。お上の許しなく、三人以上がひそかにあつまり、ご政道について語れば、それは徒党であり、謀反同然の行為とみなされる。 三百年、党を組まぬように、しつけられてきたこの国民が、明治になって、政党の政治というものを、うまくのみこめなかったのは、至極、当然のことで、それはのちのちまでこの国の政党政治をみすぼらしいものにした。 P83 「役所では、脇々にその例があるかが、肝心である」 藩の役所は事なかれ主義で動いている。その行政は受け身なもので、村々から願い出がないかぎり、たいてい新規のことはしない。もし、下々の者が、何か新しいことを願い出てきたら、先例を調べ、脇に似たような事例がないかを、とにかく吟味するのだという。仙台には、勘定方という役所があって「勘定吟味役」がおり、吟味にあたる。重要な案件になると、吟味役が諸郡の大肝煎(大庄屋)に問い合わせ、事例を引き合わせ、不平等にならぬようにしているという。 役所が先例にこだわり、過去の指示や答弁の検索に終始するのは、いまにはじまったことではない。律令の官吏がはじめたものを鎌倉・室町幕府の法曹官僚が発展させ、江戸時代にいたり、藩の行政が決定的に、この事例行政をやった。藩庫に行政記録をつみあげ、それに驚くほどたくさんの付箋をつけ、目次をつくって事例を参照できるようにし、現場の実情よりも、事例をふりまわす行政は、近世の幕藩にいたって本格的に生まれたといってよい。 P88 江戸時代は「地所を持つ」というただ一つのことが発言力をきめている社会であり、地所のない者は「一軒前」にあつかわれず、寄合にもよばれなかったから、この平八などは村政に、何らの責任も負わされていないはずであった。ところが、この男までもが、奔走をはじめた。いや、奔走というより暴走といったほうがよかった。 P150 「お上というのはの。一度下した裁きをくつがえすには、何か新しいわけをこしらえねば、ならぬのじゃ」 |
横田増生 小学館 2016/03/09 仮に、820円の本が、 翌日には送料無料で手元に届く。 便利ですが、異常な社会です。 どこにしわ寄せが押し付けられているのか。 「ユニクロ帝国の光と影」を書いた著者が掘り下げます。 ちなみに、この出版については ユニクロから名誉毀損の訴訟が起こされてますが、 当然のことながら、ユニクロ側の全面敗訴です。l 「ユニクロ帝国の光と影」を発行した文藝春秋に2億2000万円の損害賠償を求めて起こした名誉毀損訴訟で、最高裁判所は2014年12月9日にユニクロ側の上告を退けた。高裁の二審判決は請求をすべて棄却しており、ユニクロ側の全面敗訴が確定したことになる。 本書で著者が結論とするのは「宅配に送料無料はあり得ない」という一点。 低価格競争と、コスト切り下げ、従業員の過重労働で成り立つデフレ経済。 P22 その営業所には、日が昇りはじめる午前6時過ぎから、下請けの軽トラの運転手20人ほどがやってきて、荷物を積み込んでは出発していった。そのうちの何人かは、時計が午前零時を回って日付が変わった後に、前日の配達しきれなかった荷物を営業所に戻しにきていた。その同じドライバーが朝7時前にはその日の荷物を積み込みにやってくるのを目にするたび、私は菊池の横顔を思い出していた。 P26 過去10年、ネット通販市場は9000億円台から11兆円台へと10倍以上に急拡大している。それが、リーマンショック後の宅配業界に大きな追い風となった。さらに2020年にはネット通販市場が20兆円となり、その先には60兆円となるとの予測もある。60兆円というのは小売市場全体の20%に相当する。 P62 ヤマトホールディングスの売上高に占める人件費比率は、50%を超えるという典型的な労働集約型産業なのだ。 一方、売上高のランキングでは、107位のファーストリテイリングに次いで、108位となる。売上高がほぼ同じであるファーストリテイリングの従業員数が3万人強であるのと比べると、20万人というヤマトの従業員数の多さが明確になる。つまり、ヤマトのような労働集約型企業の場合、賃金体系や労働形態を少し変更するだけで、利益のすべてが吹き飛ぶこともあるほどの従業員数を抱えているのだ。 P156 実質的な初年度に当たる1977年3月期の取扱個数は170万個、2年目は500万個超、3年目は1000万個超、4年目は2000万個超、5年目は3000万個超――と誰も予想し得なかったほどのスピードで伸びていった。 P162 第一章で述べたが、現在、ヤマト運輸が取り扱う16億個強の宅急便のうち、個人発の荷物は1割前後にすぎない。残りの約9割は企業発の荷物である。いまや企業発の荷物が主力であるのだが、その境目はどこにあったのだろうか。 P203 金井は朝6時半前後に出勤して、自らも積み込み作業をはじめるが、〈PP(ポータブル・ボス)端末〉の立ち上げは8時以降と決められている。ヤマト運輸では、携帯電話を一回り大きくしたような宅急便の業務に使う専用端末である、PP端末の立ち上げから終了までをドライバーの勤務時間としている。 P204 午前中に70個ほどを配り終えて、午後1時にはセンターに戻って午後の荷物を、40個ほど積み込み再び出発する。 勤務交番表では、昼食の時間を1時間とれることになっているが、1時間とれることはほとんどない。月20日の出勤とすると、その20日間全部で、車を停めてお昼ご飯を食べる時間がないのが現状。しかたなく、運転したままで食べることができる、煎餅やバナナ、チョコレートなどで昼食の代わりとする。しかし、ヤマト運輸が給与の支払うベースとする同社〈勤怠確認リスト〉をみると、金井は毎日、1時間の休憩をとっていることになっている。 P205 時間指定サービスと再配達の作業は、ヤマト運輸のみならず、宅配ドライバーに大きな負担をかけている。 これは郵便配達と比べると一目瞭然である。 郵便の場合、1日のどの時間でも、郵便物を郵便受けに投函すれば作業が完了する。しかし、宅急便に代表される宅配便でば、時間指定がある上に、受取人からの判取りが必要となる。時間指定を守らなければならない上に、不在の多い都心や宅配ボックスのない一戸建ての場合、受取人が在宅するときまで何度も配達することになる。ヤマト運輸も佐川急便も正式には宅配便の不在率を発表していないが、業界平均の不在率は15〜20%といわれている。 P206 金井が3回目の配達を終えセンターに戻るのは、午後9時20分前後。再配達する荷物を降ろすとすぐに、PP端末を締め、業務が終了となる。しかしその後も、代引きの料金の精算や伝票の整理、宅急便センターの幟や看板の片づけなどの雑用が待っている。 金井がもろもろの業務を終えて宅急便センターを出るのは10時ごろとなる。 P207 金井はうつ病にかかった理由をこう分析する。 「法律違反であるサービス残業がヤマトではまかり通っていることに僕は腹を立てていました。おかしい、許せない、という気持ちが募って、不眠に陥り、それがうつ病につながったんだと思っています。今は体調がずいぶんとましになりましたが、あのころは、毎朝、出勤するのがつらくてたまりませんでした」 |
楠木 新 中公新書 2016/03/09 左遷を筋に人事を語ります。 菅原道真から始まり、半沢直樹を経由し、多様な人事を語ります。 左遷だ、栄転だと噂し、自己評価し、過剰反応していても、 人事担当者にしてみたら、そんなのは単なる割り振りの問題。 しかし、どこまで読み進めても、意味のない文章が続くだけ。 サラリーマンや公務員の人事は、そもそも私には別世界なのだ。 「人事部こそが面白い」と語っていた銀行員がいたが、 その人事でさえ、この程度だとしたら、サラリーマン生活は恐ろしい。 暗い話しばっかりで、 引用する箇所も見付けられない。 |
樋野興夫(順天堂大学医学部 腫瘍学教授) 新潮新書 2016/03/09 自分自身の誕生 その次に大きなイベントが癌宣告。 現実に癌宣告されたら、 落ち着いているのか、 慌てふためいて恥をさらすのか。 癌で死ぬことを怖れるのか。 いや、違いますね。 癌になった自分の位置付けで混乱し、 そのような自分を見る家族の視点に過剰反応し、 自分と社会の関わり合いについて混乱する。 他人(家族)にとっては迷惑でしかない他人(身内)の病気。 それに過剰な愛情を求める自分が見えるようで恥ずかしい。 P41 治療法を選択するとき、何が本当に良くて、何が本当に悪いのかは、誰にもなかなか言えません。手術したほうが良かったのか、しないほうが良かったのかといった問題の因果関係は、完全に明確にはならないからです。 P51 がん患者の悩みといえば病気や死についてのものだと思われがちですが、実際は、がん患者も健康な人と同じように、いやそれ以上に、人間関係で深く思い悩んでいるのです。 順天堂医院でがん哲学外来が発足した8年前は、がんの悩み、職場での人問関係、家族内での人間関係がちょうど3分の1ずつだったと記憶しています。ただ幸いなことに、職場における悩みは、着実に減少傾向にあるのです。 P52 がん患者を受け入れる環境が社会の中ではある程度整ってきても、家庭では「がんになった夫」「がんになった妻」「がんになった親」がなかなか受け入れられない。そのことが原因で悩む人がとてもたくさんいます。 P70 大変な状態にあるときに、自ら笑顔を見せる。ときには歯をくいしばらなければならないでしょう。すると、伴侶から、家族から、笑顔が返ってくるものです。 P73 他人との比較を離れ、自分の品性と役割に目覚めると、「明日死ぬとしても、今日花に水をやる」という希望の心が生まれてきます。 「がん哲学外来」での対話は、悩みのさきにある希望に気づいてもらうためのものなのです。 P87 がんが治るということは、それまであったがんが消えるということでもありますから、その意味では、がんが消える人はたくさんいます。しかしそれは治療を通して消えるのであり、放っておいたら消えた、あるいは治療以外のなにかをしたら消え失せたという意味ではありません。 もし本当に治療以外でがんが自然に消えたと言うのであれば、いちばん考えられるのは、当初の診断が誤診だったということでしょう。まずは、本当にがんだったのかを疑う必要があります。 医師にとっては非常識な内容に走る本や雑誌がこれだけ出ているということは、「黄金のワラ」にすがりつきたくなる気持ちが、それだけ患者のほうにある、ということでもあります。 がんの自然消滅はほとんどないという事実は、常識として知っておいたほうがいいでしょう。 P100 ここに、心が冷たくても確かな技術を持っている医師と、一見人当りが良くても医療技術のレベルが低い医師がいるとしましょう。 極論すれば私は、後者より前者がいい医師だと思うのです。 「気持ちのよい対応」や「話しやすい雰囲気」というのは、正直なところ、そばにいる看護師ほか受付担当者まで含めたスタッフでも提供できるものだからです。しかし、確かな技術は医療者にしか提供できず、それが疎かであれば取り返しがつかないことになってしまいます。 いわば「確かな技術を持っている」ことがいい医師の第一条件なのです。 確かな技術を持つということが、どういうことかと言えば、日々進歩するがん医療の知識をきちんと身につけ、純度の高い専門性を保っているということです。それをもし2年怠れば、専門医を名乗る資格はないと私は思います。 |
中山智幸(作家) NHK出版 2016/03/08 難読症の少年を語ります。 私は、他人の顔が認識できない。 すれ違った犯人のモンタージュ写真なんてとても無理。 いや10年付き合っている人のモンタージュ写真で無理。 だから、世の中に、 文字が認識できない人がいても驚かない。 知能の遅れではなく、 文字の形が認識できないのだと思う。 しかし、この小説の意図が分からないし、 この本を読んでも難読症の意味が分からない。 いや、小説は、解説書ではないのだから、 スローな文章が続くのは、小説だからだろう。 159P |
森 健(ジャーナリスト) 小学館 2016/03/08 小倉氏は、現職中、福祉には興味を示さなかった。 なぜ、私財の全てを福祉に注ぎ込んだのか。 なぜ、死を目前にしてアメリカに渡ったのか。 そのミステリーを追う。 いや、ミステリーですから結論は示せません。 P238 だが、小倉の心のもっとも底に流れていたのは、真理や玲子が患った心の苦難に対する思いではなかっただろうか。そして、長く苦しんできた二人の家族に対して、力になれなかったという思いがあり、ある意味では贖罪のようなその思いが数十億円もの私財を投じる最初の原石だったのではなかっただろうか。 P246 後半の人生をかけて、小倉は精神の病に向き合わざるをえなかった。その根っこにあったのは、何万人もの障害者に対してというより、妻と娘に対する一人の父、どこの家族にも共通する父親としての思いだったように映る。 |
清水 健(読売テレビアナウンサー) 小学館 2016/03/04 新婚で、最初の子を妊娠した段階でガンが発見される。 そして、たった112日間しかママをせずに亡くなる。 涙を誘う物語ですが、 しかし、著者がアナウンサーでなければ出版できないし、 まさに、自費出版の妻の追悼の本に留まる内容。 アナウンサーなのなら、 この事実を、もう少し、 昇華した事実として表現できないのだろうか。 同じような悲劇を、 仮に、テレビで扱うときに、 共に泣くでは、特集にもならない。 P118 夜、熱を出している妻を見て、看病と心配でたまらなくて、でも奈緒をお義母さんに託して仕事に行って、本番をやって、家に帰ってきてすぐ息子の世話をして。その間、ずっと他に手立てはないのかを考え情報収集して、それでも解決法は見つからなくて……。 奈緒はもっとしんどいので、僕が限界って言ったら駄目やけど、かっこつけられないっていうか、かっこつけなかったらとっくに限界だったというか。 |
高野 譲(証券会社自己売買部所属) 彩図社 2016/03/03 中小の証券会社は、会社内で、自己リスクで株式投資をしている。 ネット証券の出現後、手数料では稼げなくなった証券会社の生き残り策でもある。 さて、株式投資で利益を計上し続けることが可能なのか。 利益を計上する人達は、どのような投資手法を採用しているのか。 多額の損失を被ってしまった場合のメンタル面での敗者復活があり得るのか。 コンスタントに利益を計上し続けるメンタル的な個性が存在するのか。 知識でも、度胸でも、経験でも、無知でもない。 人間が壊れていることでも、完成していることでもない。 P43 ギャンブルには地獄への快楽がある。それは、負け続けて追い込まれるほどに、一発逆転の機運が高まると錯覚することである。 P59 手法の要諦は「順張り」と「逆張り」である。長くディーラーを続けている者は、前者の順張り意識を強く持っているのだ。おそらく、部長が念仏のように唱える「高く買って高く売る」とは、順張りのことに違いない。 順張りとは上昇している株を買って、さらなる上昇に期待する手法。逆張りとは、下落している株式の反発を期待して買う手法である。どちらも1ヶ月以内の短期間の値動きを予測する手法で、成長株や割安株投資とは意味が異なる。ディーラーの1日における取引の7割が高値追いの順張り、残り3割が安値拾いの逆張りだ、 逆張り好きのディーラーもいるが、ほとんどが急落だけを待ち、落ちた所をすばやく拾って、反発したらすぐに利食う。逆張りには、技巧と速度の早い発注システムが必須である。 安値拾いの逆張りばかりやっていると、上昇の波には乗れないだろう。上値が怖くて買えなくなり、下値で手を出すことが癖になってしまう。 P65 いくつか紹介したが、安定しているディーラーの手法は定番のものだ。移動平均線と高値・安値、チャートが安値を切り上げていれば、上昇トレンドで買いである。それだけで説明できてしまう。 しかし、彼らの取引履歴を精査しても、なぜそこで買ったのかなど、まつたく見当がつかない時もある。相場において、その瞬間の「何となく」という感覚的な判断が手法の大方を占めていることも事実である。 P88 個人のデイトレーダー経験者ならわかるだろう。ディーラーも一度大きく沈むと、再起が難しい。スーパーモデルと同じように、一度でも挫折して輝きを失うと、二度と以前のようには輝かない性質がある。若さとは無知への憧れで、世の中には知らないままでいた方がいいこともあるのだ。 P95 しかし、IT情報社会の台頭で、企業や株式情報はネットで簡単に調べられるようになってしまった。さらに、金融ビッグバンの柱として、1999年に実施された株式手数料の自由化で、店舗を持たないネット証券に顧客の7割が移動してしまったのだ。 P95 毎月のように開催されるFXトレードコンテストで、主催側の専属アナリストやセミナー屋が参加しているものがあった。彼らの順位は、コンテストの最後日まで下位を傍徨していた。毎日、専門的なレポートや記事を書いている知識ある者が負けてしまうのだ。 たまたまかもしれない。片手間でトレードをしていたのかもしれない。しかし、賢さで相場を語る者はそもそも相場を知らない。実戦になった途端に、自己の心理に縛られ、紙上の知識は、他人のモノだと気づくのだ。 そして、誇り高き知識人は、負けを受け入れられない傾向にある。損を最大限に引きずって、想像できる限りの最悪なトレードをするのも彼らなのだ。 P96 トレードで勝てる人間性というものは一概には言えない。わかっていることは、ディーラー試験合格者10%に共通する性格的コンセンサスは、もっと人間社会の外側で結ばれていることだ。 P104 これらの事実は、未来の株価がわかることを意味していた。正確には東証端末の更新間隔は2秒だったので、2秒から4秒ほど先の値動きが読めたということだ。ディーラーだけの特権である。 P105 発注から約定までの僅かなタイムラグは、マイクロ秒からナノ秒という単位だ。その隙に入り込めるのは、数百億の資金を回線インフラとソフトウェア開発につぎ込んだ機関投資家だけである。このことによって、東証端末の攻略だけで営んでいたディーラーの大半が職を失うことになった。 P113 しかし、アローヘッド導入を封切に利用が急拡大しているのだ。現状では、東証一部銘柄における出来高、つまり価格形成の6割強をアルゴリズムの自動取引が支配するまでに至っている。もはや機械VS人間ではなく、機械と機械の戦いになりつつある。これが、東証一部銘柄の値動きに劇的変化をもたらした根源に違いないのだ。 人間の手作業より、機械に自動取引をさせた方が有利な場面はいくつもあるが、アービトラージがわかりやすい。アービトラージとは裁定取引とも呼ばれて、2つの商品の価格差を利用した取引である。 P159 「ディーラーが決断した価格で、株式を買うのに.要する時間は1秒、しかし超高速取引は100万倍速のマイクロ秒で決断し、さらにその1000倍のナノ秒単位で競い合って発注をしています」 P168 掲示板は大騒ぎとなり、B・N・Fは「ジェイコム男」と呼ばれた。 僕の勤める証券会社のディーラーが、この事件に便乗して得た利益は1000万円程度であった。20億円という利益が、個人としていかに大きな金額なのかがわかる。 B・N・Fの素性は明らかになった。アルバイトで貯めた170万円を手元に株式投資を始め、事件当時で資産は100億円を超えていた。この時、彼は20代である。ここから、さらに資産は拡大を続け、現在は300億円以上とされる、これは、アメリカでロイヤルファミリーと称されるケネディー家の資産を上回っている。 「僕は、ネオニートだから……」 P181 一般的にディーラーは、会社側の取り分と高額な所得税があるので、稼いだ利益に対して3割以下しか手元に残らない。一方、個人投資家は、税率20%を支払うだけでよいことから8割が手元に残る。雲泥の差だ。職場の環境と同じものを自宅に構築して、同じ仕事ができるのなら、個人投資家の方がいいに決まっている。 P188 なぜ、そんな状況なのかというと、今年の忘年会は壮行会を兼ねていたからだ。来年から、東海林と新人を含めた数名はシンガポールに場所を移してディーリング業務を行うのだ。 周りの証券会社においても、まるでヘッジファンドのように相次いで税金の安い香港やシンガポールにディーリング部を併設するようになった。 |
伊藤周平(鹿児島大学法科大学院教授) 平凡社新書 2016/03/02 社会保険は不得手ですが、 1 介護保険と、 2 後期高齢者医療保険ですが、 これは年金の切り下げの為の制度ですね。 この制度が導入される前は、 国民健康保険で、家族単位課税だった。 つまり、 働き手がいる場合は、 実質、高齢者の保険料はゼロだった。 ところが、 1 介護保険と、 2 後期高齢者医療保険は、 高齢者について、個人別の負担になってしまった。 つまりは、高齢者から所得に応じて保険料を取る。 そして、年金から強制的に源泉徴収してしまう。 年金を切り下げるのは無理なので、 保険という名目で、 年金を減額してしまう制度なのだ。 そして、 所得が無い人達にも最低額の保険料が請求される。 彼らも、資産を持っているし、 仮に、資産を持っていないのなら生活保護に移行すれば良い。 制度の本音が見えれば、 制度の理解が容易になる。 それは税法も、社会保険制度も同様。 そして、税法と同じく、社会保険制度について、怒りを覚えながら研究している人達がいる。 ただ、難しい知識なるが故に、国民も、裁判所も理解できず、動かず、制度に流されてしまう。 収入がなく、 財産が無い高齢者には、 過酷な老後が待っている。 自尊心を捨てて生きる以外にない。 P48 前述のように、後期高齢者医療制度の保険料は、個人単位で課されるため、これまで、子どもの健康保険などの被扶養者となり、保険料を負担してこなかった高齢者(約200万人と推計)についても、75歳以上になると、新たに均等割の保険料負担が生じる。 なお、保険料には、被保険者個人単位で賦課限度額が設定され、2008年度で年間50万円とされている。 以上のように、後期高齢者医療制度の保険料は、国民健康保険料と同様、低所得者への軽減措置があるものの、全額免除はなく、生活保護基準以下の所得であっても、全く収入がなくても、無年金であっても均等割の保険料が課される。 P50 後期高齢者の保険料については、市町村が微収する。介護保険料と同様に、年額18万円(月額1万5000円)以上の年金受給者は、年金から天引きとなる。これを特別徴収という。現在、被保険者の約82%が特別徴収となっている。 当然ながら、年金から天引きされる特別徴収の高齢者の場合には滞納はありえないが、普通徴収の高齢者の場合には、保険料滞納の可能性がある。そして、後期高齢者医療制度では、被保険者が保険料を滞納した場合には、国民健康保険料の滞納の場合と同様に、滞納発生後1年を経過した滞納者に対し、特別な事情のないかぎり、保険証の返還を求め、資格証明書を交付する制裁措置が行われる。 資格証明書の場合、正規の保険証と異なり、医療費が窓口で全額自己負担となる(正規の保険証であれば原則1割負担)。その後、保険者に請求すれば、給付分が償還される仕組みだが、現在の国民健康保険にみられるように、給付額から保険料滞納分が控除されるので、ほとんど償還されることはない。つまり、事実上、無保険と同じ扱いになる。 P82 前述したように、介護保険制度は、65歳以上の高齢者を第一号被保険者とし、無収入・無年金の高齢者でも保険料を減免せず、すべての高齢者から死亡するまで保険料を徴収する仕組みである。しかも、月額1万5000円以上の年金給付額の高齢者については、保険料は年金から天引きされる(特別徴収。ただし、2006年の改正までは、障害年金・遺族年金の受給者は天引きされていなかった)。保険料微収の仕組みや財政構造の点で、後期高齢者医療制度のモデルになった制度だ。 P119 そもそも、通常の生活感覚からして、全く収入がない高齢者や無年金の高齢者から保険料を徴収することが、なぜ憲法二五条違反にならないのか素朴な疑問がわく。 裁判所の判決、すなわち厚生労働省の解釈(行政解釈)を要約すれば、つまりは高齢者は、年金収入がなくても、資産や預貯金があるから、それを保険料の支払いに充てればよい、資産や預貯金がない高齢者は、保険料負担が生じない生活保護を受ければよい、ということだ。行政解釈では、後期高齢者医療保険料についても、同様の論拠で、憲法違反ではないとされている。しかし、これは、あまりに現在の高齢者の生活実態と生活保護の現状を無視し、高齢者の自尊心を踏みにじる考え方といわねばならない。 P133 何よりも、介護保険料は「日常生活の基礎的な経費」という詭弁的主張にも何ら検証を加えることなく、厚生労働省の行政解釈をほぼそのまま丸写ししたような判決を出す裁判官の生活感覚の欠如は大きな問題だ。もっとも、裁判官も、社会保障法には不慣れで、行政機関に比べ専門的知識も十分もち合わせていないため(社会保障関係の訴訟が増えているにもかかわらず、「社会保障法」は新司法試験の受験選択科目ですらない)、判断に自信がもてないのだろう。だから、国会や行政機関の判断に任せ(法律用語として、しばしば「立法裁量」や「行政裁量」という言葉が使われる)、自らは判断はせず、責任のがれをしているのかもしれない。 |
押川 剛(トキワ精神保険事務所) 新潮文庫 2016/02/24 ここに登場するほどには酷くなくても、 引き籠もりになってしまった子達は増えていると思う。 30世帯に1人、 いや、10世帯に1人は問題のある子が存在する。 「語れない子」であり、 語れない子なるが故に他人からは見えない子達。 著者は、親子関係等に、その原因を求めますが、 本当に原因がある事象なのか、その原因が親子関係なのか。 仮に、結果としては 親子関係に原因を求めることが可能だとしても、 同じ環境でも全く違う結果が生じるのが子育て。 親は、自分に原因を求めて自分を責め続けることになるが、 悪い結果が出た場合に親に原因を求めても解決にはならない。 そもそも子育てについては、 常に親は加害者にならざるを得ない。 しかし、なぜ、 引き籠もりの子が増えてしまったのか。 敗者復活戦を許さない硬直化した社会構造。 ますます、この傾向は強くなっていくように思う。 「子供を殺して下さい」 これは偽らざる親の本音だろう。 しかし、殺してしまえば、 他の子供達は、加害者と被害者の身内になってしまう。 出口のない無間地獄を生きる。 自分が、この子達のようにならなかったことを喜び、 自分の子が、この子達のようにならなかった幸運を喜ぶ。 それが幸運なのか、偶然なのか、必然なのか。 いや、次には自分自身の呆け。 P27 これまでにエリートと呼ばれる家庭はたくさん見てきたが、荒井家はその中でも群を抜いている。 両親はともに弁護士で、父親は業界屈指の法律事務所を営んでいる。複数の大手企業の顧問弁護士になるだけでなく、国の諮問機関である委員会や研究会の委員、大学の講師も務めている。なおかつ父親の父親――つまり慎介の祖父にあたる人物は、業界では名の知られた存在だった。 母親は、もとは大手の事務所に勤めていたのだが、出産を機に退職し、復帰後は個人で法律事務所をひらいていた。今では数名の弁護士を抱えるほどになり、連日、飛び回っている。母親の実家は、都内に複数の不動産を持つ資産家であり、こちらも、親戚の大半が法曹関係の職に就いている。 慎介の人生は、その誕生前からすでに、弁護士になると決められていたのだ。 P35 慎介には生まれたときから、両親をはじめとする周囲からの、強烈なまでのプレッシャーがあった。彼は感情を抑え込み、機械的に日常をこなすことで、それに耐えてきたのだろう。すべては家族の望みどおり、弁護士になるためだ。それが、大学進学時の失敗を機に行き場をなくし、暴発したのだと思うと、憐れでもあった。人として慎介とつながり、少しでも人間らしい暮らしをさせてやりたい。私はそう思った。 P57 両親への殺意は日に日に増していき、ある晩には、父親の眠る枕元に重さ5キロのダンベルを落とした。両親は暴力を恐れ、言いなりになるしかなかった。則夫が酒を飲んでいる間は熟睡できず、いつでも逃げ出せるようにと、貴重品を人れたリュックを枕元に置いて休んだ。家から追い出され、車内で一晩を明かすことも一度や二度ではなかった。 P68 息子は大学を卒業後、公務員として地元の役所に就職した。勤務態度は真面目だったが、5年目にキャリアアップを望んで仕事を辞めた。しかし転職はうまくいかず、それからは無職のまま家に閉じこもっている。一家は、関東近郊の分譲マンションで暮らしていた。 また、潔癖症ともいえる状態に陥り、神経過敏な日々を過ごすようになった。両親にも執拗なまでの手洗いを強要し、食事の支度や、掃除洗濯にも難癖をつけた。少しでも両親がミスを犯そうものなら、大声で怒鳴り散らす。本人は一日に何度も風呂に入り、水道代やガス代も馬鹿にならないという。 |
ジェレミー・リフキン(文明評論家) NHK出版 2016/02/19 パソコンの演算速度から始まった指数関数的な成長。 HDDの容量、通信速度、ネットの情報量の次には、 モノの製造や物流を含めた指数関数的な増加が期待できる。 その際には、 追加の製造コストは無視できるほど小さくなる。 と、著者は述べます。 確かに、情報については、 限界コストゼロ社会が成立しましたが、 モノや、エネルギー、物流についての限界コストがゼロになるのか。 しかし、翻訳物は、文章が冗長で読み難い。 P112 このような生産性の桁違いの飛躍が可能になるのは、現在姿を現しつつあるIoT(モノのインターネット)が、史上初のスマートインフラ革命だからだ。この革命によって、あらゆる機械、企業、住宅、乗り物がつながれ、単一の稼働システムに組み込まれたコミュニケーション・インターネット、エネルギー・インターネット、輸送インターネットから成るインテリジェント・ネットワークを形成する。アメリカだけでも、今や3700万台のデジタル・スマートメーターが、電力使用に関するリアルタイムの情報を提供している[9]。 P123 演算処理コストの50年以上にも及ぶ急落を可能にしたのも、指数関数的な要因だ。最初の大型メインフレームコンピューターが開発されていたころは、演算にかかるコストが莫大で、とても採算がとれなかった。常識的に考えれば、それだけの費用を払えるのは、せいぜい軍や少数の研究機関ぐらいのものだった。専門家でさえ、容量の指数関数的増加や生産コストの下落にまでは考えが及ぼなかった。だが、集積回路(マイク・チップ)が発明されると、状況は変わった。50年前、コンピューターは1台何百万ドルもしたが、今では何億もの人が比較的安価なスマートフォンを持っており、しかもその演算能力は、1960年代の最も性能の高いメインフレームコンピューターの何千倍も大きい。 |
桜井英治(日本中世史) 中公新書 2016/02/17 民法における贈与は不可思議な存在だ。 本来、契約はギブ&テイクで成り立つ。 しかし、贈与はギブのみで存在する。 テイクの無いギブでありながら、 契約を締結してしまうと履行が強制され、 その不履行は損害賠償請求の対象になる。 本書は、 日本の贈与はギブ&テイクだと語ります。 だから贈与した資産を取り戻すことは出来ない。 ドイツ民法は、 これがギブなので、 贈与した資産を取り戻すことが出来る。 P2 日本の民法が、西欧諸国のそれと異なり、贈与の撤回を認めていないのもそのためといわれる。 P207 そのようななか、中世の贈与に関する数少ない法理として知られているものに他人和与法とか和与物不悔還の法理とよばれているものがある。「他人和与の物、悔い返(還)すべからず」というのがその主旨だが、「和与」とは(他人に)贈与することをいい、「悔い返す」とはいったん譲渡した物をとりもどすことをいう。たとえば親は子に譲った財産をいつでも悔い返せるのが中世法の原則であったが、それとは対照的に、他人に贈与したものは悔い返すことができないとするのが他人和与法である。 P208 近代に目を移すと、ドイツ民法は『御成敗式目』と同様、忘恩による贈与の撤回や贈与物の返還を認めているのにたいし、日本民法はいかなる理由によっても贈与の撤回を認めておらず、また、贈与契約に定まった方式を要求していないなど、西欧諸国にくらべて贈与の保護が厚いことが知られている。 |
磯淵 猛 ポプラ新書 2016/02/15 私には紅茶の味が分からない。 しかし、紅茶に一生をかける人がいる。 紅茶には長い歴史があり、 長い文化がある いや、一度、著者の紅茶専門店「ディンブラ」で本物の紅茶の味を味わってみたい。 160P 1773年12月16日の夜、アメリカ、マサチューセッツ州のボストン港で、イギリス議会の植民地政策に反対する一団が、紅茶を積んだ東インド会社の船に乗り込み、紅茶箱を海に投げ込んだ。ボストン茶会事件(ボストンティーパーティー)と言う。 この事件の首謀者サミュエル・アダムズ(1722〜1803)は、地元ボストンに生まれ、イギリスの植民地として支配下にあったアメリカを独立させた人物である。イギリスに対する反抗運動の主導者だった。 イギリス議会の政策で、1765年に制定された印紙税法のような植民地に対する一方的な課税に抗議し、廃止させ、植民地はイギリスの支配から脱して独立すべきであると論じた。 植民地ではこれ以外にも、茶、ガラス、紙、鉛、塗料などに関税がかけられ、イギリスは膨大な税を巻き上げていた。サミュエルの活動によって、世論の反発は日増しに高まり、イギリス本国は植民地側に対し譲歩を余儀なくされ、紅茶税だけを残し、他の関税を撤廃する。 しかし、紅茶に関してだけはイギリス本国の執着心は強く、1773年、新たな茶法「ティーアクト」を制定して、植民地に押し付けてきた。茶税を逃れようとした植民地側がオランダ商人から安価な紅茶を輸入していたので、これを禁じ、東インド会社が大量の在庫となっていた紅茶を植民地に引き収らせようとした策だった。当然のことながら反対運動が起こり、サミュエル・アダムズを代表とする「自由の息子達」の一団が、東インド会社の販売人を襲撃するなど、過激な抗争を展開した。 11月28日、東インド会社の紅茶114箱を積んだダートマス号がボストン港に停泊していた。本国の法では20日以内に荷揚げし、代金を支払うように定められていた。サミュエルはすぐに集会を開き、満場一致で関税は払わず、積荷ごとイギリスに帰すことが決まった。しかしその数日後、さらに2隻の貨物船、エレノア号とビーバー号がボストン港に紅茶を積んで到着する。 サミュエルの一団はイギリス総督に退去するように求めたが、総督はこれを拒否し、貨物船は荷揚げの機会を待つためにボストン港に停泊したままとなった。 緊迫した事態の中、12月16日の夜に事件は起こった。サミュエル率いる50人ほどの一団は、アメリカ先住民のモホーク族に扮して顔や体にペイントを塗り、頭には鳥の羽根を付け、毛布をかぶり、手に斧やナイフを持って船に乗り込んだ。 「ボストン港をティーポットにする」と叫びながら数隻の船に積んであった342箱の紅茶箱を壊し、海に投げ込んだ。 イギリス議会はこの暴動に対し、すぐにボストン港を閉鎖した。さらにマサチューセッツ州の自治権を解消、イギリス軍兵士の駐留、暴動や抗議の抑圧など強硬な姿勢を打ち出した。 紅茶がアメリカ独立の契機になったのだ。ボストン茶会事件を支持する植民地の人たちによって、イギリス商品の不買運動が根付き、紅茶を飲むのをやめる動きが盛んになり、代わりにコーヒーが普及した。 |
東小雪、増原裕子 ポプラ新書 2016/02/11 世の中には多様な不孝が存在しますが、 その中でも大きな不孝の1つが、自分の子に レズ、ホモ、性同一障害と告白されることだろう。 隣近所にみっともなく、 親戚にも、ご先祖様にも申し訳ない。 本書は、 それを宣言した同性婚カップルの女性が、 それが如何に自然なことなのかを語ります。 いや、そのような嗜好を持ち、 宣言してしまった立場なら、そのように語るだろう。 しかし、私達は、 それを受け入れ、 納得していかなければならない(のか)。 これらを宣言する自由を与える社会が良い社会なのか、 違和感を感じながらも制度に則った生活が幸せなのか。 13人に1人の割合でLGBTが存在すると言われても、 それは人間に限ることなのか、他の生物にも存在するのか。 多様なリスクを抱えた子育てだったことを、 子育てを終わったいま、ほっとするところがある。 いや、自らがLGBTであることなど想定されない。 P3 最新の調査ではLGBTは人口の7.6%(電通ダイバーシティ・ラボ「LGBT調査2015」)いると言われています。これは13人に1人の割合で、日本の4大名字である「佐藤・鈴木・高橋・田中」さんを合わせた数よりも多い数字だそうです。 P17 私は多くのLGBTの人たちと接する中で、男性と結婚して子どもも産んだ後40代や50代になって、女性が好きだと気がついたという方のお話もよく聞きます。私たちよりも上の世代の方は、自分のセクシュアリティに気づくことができなかった場合も多いようです。言葉がないと定義できないし、今よりもっとずっと同性愛がイロモノ扱いされていた時代で、インターネットもなく、背定的な情報に触れる機会が圧倒的に少なかったと思います。 絶対に同性が好きだと確信があった人もいる一方で、「何か違利感を抱えているけれど、それが何かわからない」という方もいます。違和感を持っていても、それについて表現する言葉がない。しかも結婚するのが当たり前の社会。そんな状況で、自分のセクシュアリティに向き合う機会もなく異性と結婚した人も多かったのではないかと思います。 P118 養子や精子提供などで子どもを迎えたとしても、小さい頃から包み隠さず話してそこに秘密がなければ、子どもの知りたいという気持ちの種類も違ったものになるのではないかと思います。もちろん、自分の血のつながった親はどんな人だろう?という気持ちは自然に湧いてくるものだと思うし、私たちの場合も他の家と違ってママがふたりってどういうことなの?という疑問に直面することもあるかもしれません。でも、正直にオープンに話していくことで子どもの混乱を少なくすることはできるし、仮にそこで迷っても、家族で解決していけると考えています。 |
平山 亮(社会心理学) 朝日新書 2016/02/10 引きこもりの息子や、 結婚しない娘の増加と、 これらの老後が迫り来るリスク。 兄弟なるが故の葛藤とリスクを語ります。 親の立場で見れば、 要するに子育ての失敗事例ですが、 それが親子の関係から兄弟の関係に拡散されていく。 いや、親としても、 子育ては割合では論じられない。 3人の内の2人が人生を創り上げても、 残りの1人が人生の構築に失敗したときに、 そのツケは、 親が抱えると共に、 親が高齢化し、あるいは亡くなった後には、 他の兄弟姉妹に拡散されていくことになる。 非定期社員が増えた現状では、 兄弟の生活格差の問題も鬱陶しい存在。 自分の人生は、 自分で作るべきと思うが、 それが作れなかった兄弟が身近にいる鬱陶しさ。 しかし、自分の人生を作り出せなかったのが、 能力、怠惰、努力不足に帰せない不条理の必然性を持つ複雑化した社会。 兄弟リスクと共に、 親子リスクと、自分リスクを考えると悲惨になる。 P3 非婚の姉に将来介護が必要になったら、私が面倒を見なければならないのだろうか。引き籠もりの状態の弟の世話は、親が亡くなった後、自分に降りかかってくるがどうしたらいいのか……。いずれも漠然とした不安を抱えていた。 P57 例えば、職種による平均収入の違いは、個人の能力やパフォーマンスとは必ずしも関係ありません。高収入の職業に就いている人が、そうで無い職業の人に比べて「頑張っている」かと言ったら、そんなことはないはずです。したがって、「きょうだい格差」とは、所得に限らず、生活レベルやスタイルなどが兄弟で異なっていることを指すと同時に、その違いが兄弟それぞれの能力や努力の差によるものとは単純にいえない、ということを示唆しています。 |
アンディ・ウィアー 早川書房 2016/02/08 映画を見に行く それも面倒なので、 本を読んでしまおう。 いや、読みやすく、面白いですね。 これを映画で見たら、さらに面白いと思う。 火星に取り残され、 数ヶ月分の食料と酸素、水しか残されなかった。 地球側では、彼は、既に、死亡していると認識している。 そこで植物学者が生き残りの為に、 土を育て、水を作ることから始める。 4年後の次の連絡船まで生き残らなければならない。 とことんポジティブにストーリーが進む。 随分と昔に、 ヨットを運ぶ途中で、 太平洋の真ん中で鯨に衝突し、 救命ボートに一人になってしまった男の 180日(?)の実話を読んだことがありますが、 あれの火星バージョンです。 多様な才能で、 次から次に登場する危機を乗り越えていく。 小説の為に造り出された危機ではなく、 ちょっとしたミスや、 避けられない事故から生じる必然的な危機。 救出まで生き残れるのかと読者はハラハラ。 食料を作り、酸素を作り出し、二酸化炭素を調整し、熱源を確保し、移動手段を確保し、地球とのコンタクトを取る手段を考える。 P83 ジャガイモは、きょうハブにもどした。これがまた絶好のタイミングだった。芽が出はじめていたのだ。健康そうだし、しあわせそうだ。これは化学でも医学でもバクテリア学でも栄養分析学でも爆発力学でもない。このところかかわってきたろくでもない事どもとはなんの関係もない。これは植物学だ。少なくとも植物を育てることなら、ちゃんとできる自信がある。 |
池谷裕二(東京大学薬学部教授) 講談社 2016/02/01 80個の認知バイアスを語ります。 次に引用するのが後知恵バイアス。 常に、 失敗は 後知恵で後悔し、 後知恵で批判され、 後知恵で裁かれる。 なぜ、 弁護士の言い分は正しく、 裁判所の判断は正しいのか。 それは後知恵による批判だからです。 だから、私達は、 後知恵で批判されることを前提に、 多様な可能性を予測しなければならない。 P172 答え いつもの道で行けばよかった 誰にも身に憶えのある「後悔」ではないでしょうか。 「いつもの道で行けばよかった」という考えは、事前に「橋が渡れない可能性があることを知っていた」、あるいは、少なくとも「そう考える余地があった」ことを前提としています。しかし、その可能性を重視しなかったからこそ近道を選んでしまったわけです。 事が起こってから振り返ると「前もって予測できた」「本当なら実行できたのに」と思いがちです。これを「後知恵バイアス」と言います。「あのとき株を売っておくのだった」「諦めるんじゃなかった」「告白しておくべきだった」などさまざまな場面で現れます。 どんな出来事でもそれが生じる前には、たくさんの可能性があったはずですが、後から振り返れば現実が100%必然に見えるものです。「やっぱりね」「そうなると思ったよ」「だから言ったじゃない」という発言は、典型的な後知恵バイアスによる錯覚です。 後知恵バイアスは当初、医者たちが自分の診断力を過信し、まるで病気を予見していたかのような発言をする傾向があることから発見されました。「そんな生活をしていたら、病気になるのも当然だ」と。 このバイアスの悪しき点は「あれが予兆だった」と、ありもしない因果を創作して、妙な迷信を導いてしまうことです。 |
濱口桂一郎(労働政策研究、研修機構研究員) 文春新書 2016/02/01 著者の分析は、 労働関係について目から鱗です。 仕事の種類について労働者が雇用される欧米の「ジョブ型社会」と、 特定の職務を想定せず会社にメンバーとして受け入れる「メンバーシップ型社会」 ジョブ型社会=中途就職と転職の自由市場があり、解雇の自由がある。 メンバーシップ型社会=新卒採用型であり、解雇の自由が制限される。 ジョブ型社会=給料は自動的には増額せず、労働者のスキルアップが要求される。 メンバーシップ型社会=給料は年功で増額され、労働者は企業が育てる。 ジョブ型社会では、 仕事量の増減は新規採用と解雇で調整されるが、 メンバーシップ型社会では残業で調整することになる。 ジョブ型社会では、有給休暇は労働者の権利だが、 メンバーシップ社会では、有給休暇は法律が定めた義務。 日本の労働法制は、 条文上は「ジョブ型社会」を想定し、 裁判所の運用で「メンバーシップ型社会」を造り出している。、 労働者の自由は「ジョブ型社会」で実現され、 労働者の保護は「メンバーシップ型社会」で成立する。 そこで抜け落ちてしまったのが女性の労働者。 「新卒採用+男と同じ土俵で戦う+終身雇用+年功序列」のシステムにしがみつかない限り、 「メンバーシップ型社会」から落ちこぼれて、非正規社員にならざるを得ない。 働く女性を想定するのなら、 新卒採用型の「メンバーシップ型社会」を「ジョブ型」社会に変革しなければならない。 しかし、新卒採用型の既得権益の上に存在する労使には、その英断はできない。 そして、女性は、出産、子育てなど「メンバーシップ型社会」から脱落させられてしまう。 P16 欧米社会では、企業の中の労働をその種類ごとに職務(ジョブ)として切り出し、その各職務を遂行する技能(スキル)のある労働者をはめ込みます。旋盤操作のできる人、経理事務のできる人、法務のできる人、といった具合です。つまり、採用とは基本的にすべて(新たに職務を設ける場合も含めて)欠員補充です。労働者の側から見れば、「職」に「就」くのですから、言葉の正確な意味での「就職」が行われることになります。スキルがあるのが採用の前提ですから、そのジョブのそのスキルに対応する賃金がはじめから払われます。そして、職業資格が上がった等の事情がない限り、時間の経過だけで自動的に賃金が上がるということは原則としてありません。 P16 これに対して日本社会では、企業とはそこに人をはめ込むべき職務の束ではなく、社員(会社のメンバー)と呼ばれる人の束だと考えられています。この「社員」は、欧米社会と違って特定の職務を遂行するために採用されるのではありません。さまざまな職務を企業の命令に従って遂行することを前提に、(今は特定の職務はできなくても)将来さまざまな職務をこなしていけそうな人を、新卒一括採用で「入社」させます。 労働者の側から見れば、これはいかなる意味でも「就職」とは言えません。だって、どんな職務をやらされるのかは、入社後配属命令を受けるまで分からないのですし、配属されてもしばらくは上司や先輩の指示に従って、仕事を覚えていかなければならないからです。そうやって仕事を覚えて一人前に仕事をこなせるようになると、また別の部署に配置転換で、新たに仕事を覚えていく必要があります。仕事をしながらスキルを身につける、これが日本流のオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)です。こうして勤続とともにいろんな仕事をこなせるようになるので、それに応じて年功的に賃金も上がっていくことになります。こういう労働社会のあり方を、私は「メンバーシップ型社会」と呼んでいます。 P23 辛うじて総合職という男性コースに入れてもらった少数派の女性たちは、専業主婦やせいぜい、パパート主婦が銃後で家庭を守ってくれている男性たちと同じ土俵で、仕事も時間も空間も無制限というルールの下で競争しなければなりません、結婚でもしようものなら、自分が前線も銃後も両方やらなければならないので、大変な負坦です。 一方、一般職という女性コースはこの時期、企業からもはや存続の必要性が失われ、契約社員や派遣社員という形で非正規化が進行していきます。もともと高度成長期から結婚退職した中高年女性の家計補助的就労として拡大してきていたパートタイマーという「身分」の非正規労働者と混じり合って、2003年にはついに女性労働者に占める非正規労働者の割合が半分を超えました。 |
下條 竜夫(理学博士) ビジネス社 2016/01/27 原発停止 → 原油輸入による貿易収支の赤字 → 貿易収支の赤字が造り出す円安 しかし、円安は、結局は、日本の労働力を安くしてしまうことだろう。 中国人民の人件費と同額になれば、製造業は国内回帰が可能になる。 原発停止から始まった円安経済。 観光客の増加、 日経平均の上昇、 就職環境の改善と、 見た目では良い経済政策ですが、 これは日本の商品と労働力の叩き売りでしかない。 安倍政権は、わざと、 原発再稼働を先送りしているのだと思う。 そのような疑問から手に取った一冊ですが、 最初の頁に登場する福島隆彦氏の推薦文を読んで、 内容が信用できず、読む気が無くなってしまった。 P7 ここでアインシュタインという神格化された、相対性理論という、何を言っているのか今も誰にも本当はわからない数式の山の理科系という宗教の大神官の教徒になった。この二人の本当の先生は仁科芳雄だ。 P8 理研は、アメリカからの監視がきついので、今はアメリカ様に屈服しているように見える。だが本当は、今でも、第三帝国(ダス・ドゥリテ・ライヒ! 鳴呼、偉大なるドイツ民族!)に、密かに忠誠を誓っているだろう。それは日本で最も優れた頭脳をもって生まれた理科系の人間たちの自然な運命である。 |
島崎 敢(心理学者) 光文社新書 2016/01/22 タイトルは良く、 立ち読みした印象は良いのですが、 しかし、手にとって読んでみると中味が無い。 仮に、ギャンブルや、 株式投資をやる人達を論じるのなら、 それをやる人達と、 やらない人達の違いや、 客観的な結果(損をする)の位置付けの仕方の違い。 心理学的な視点なら、 そこまで論じて、起承転結の「結」を出すべきだろう。 誰でもが競馬場に通い、 株式投資をしているわけではない。 だから、誰でもが、「ギャンブルは、主観的に感じるリスクが客観的リスクよりずっと低い代表例だ」と考えているわけではない。 P105 それでも、宝くじを買う人はなんとなく当たる気がしているし、競馬やパチンコをやる人も勝てる気でいます。いや、勝った気でいるといったほうがいいのかもしれません。少なくとも私が知っているギャンブラーは口を揃えて「自分は勝っている」あるいは「トントン」といいます。ギャンブルは、主観的に感じるリスクが客観的リスクよりずっと低い代表例だといえるでしょう。 私は別にギャンブルなんかバカバカしいからやるな、というつもりは毛頭ありません。同じ遊戯場である、ゲームセンターの還元率はゼロです。それでも私たちは、ゲームがやりたいからゲーム機にお金を入れるわけです。先ほどのジュージャンも同じです。結果的には自分でジュースを買うのと同じ金額を払うとしても、自分でジュースを買う時には得られなかった緊張感や高揚感、コミュニケーションや思い出が生まれるのです。金銭的な計算だけで、良し悪しを評価するべきではないと思っています。 |
江上 剛(元銀行員の作家) 講談社+α新書 2016/01/18 元の勤め先(みずほ銀行)を中心に 銀行員としてのサラリーマン生活を語ります。 しかし、 読んでいて、 少しも面白くない。 書いてあるのは、 サラリーマンの愚痴なのか、 サラリーマンの自慢なのか。 しかし、著者が、 サラリーマン生活を、 ここまで否定(?)しながら、 息子をサラリーマンにしている。 国民の80%はサラリーマンなのだから、 凄く良い商売だと想像したいのですが、 なんと、つまらない人生だと。 読む気が失せて、 途中からは5行飛ばしで読んだ。 P21 かくして、東大出身者は順調にリスクもないまま出世の階段を上っていく。他大出身者は落とし穴だらけの階段と必死で格闘するものの、途中で落下したり、階段が途中で途切れていることに気づき呆然としたりする。これが大企業の人事の実態だ。「お前、話を盛りすぎだろう」と怒られるかもしれないが、事実なのだから仕方がない。 P107 いつまでも会社が決まらないので「何やってんだ」と怒ったら「親父が無理やり9月に卒業させるからだ!」と居直った。「何言ってんだ。いつまでも卒業しないからだ」と怒鳴り返した。 P108 「とにかく家には居るな。どこでもいいから働け」とそれだけ言った。自宅にでも引きこもられては大いに困る。私もほとんど家にいる仕事だから毎日ケンカになるだろう。結局というか、息子はなんとか就職し、家を出ていった。その後、もう少しマシな会社に転職し、今では孫を見せに来てくれる。まあ、なんとかなったわけだが、親子ともども就職で苦労するとは思わなかった。 P117 彼も仕事人間で、定年になれば色々やりたいことがあったようだが、実際に定年になってみると、それらは会社人であったから、その不満のはけ口としてやりたかっただけだと気づいたのだ。 |
篠田節子 文藝春秋 2016/01/14 小説を読む時間が無いと言いながら、 篠田節子さんの小説では手に取らないわけにはいかない。 篠田さんの小説は、 女性に対する見方が辛辣で良い。 本件の主人公は、 大学に勤めるトラブルメーカーの女性と、 その女性と別れた後も縁を持ち続けた平凡な男と、その家族。 読んでいて、 感情移入し、私自身が、 どこかでトラブルを起こしそうな気になる。 平凡な男の老境の心理状態も理解できる。 いや、それほどに良く出来ているのが、 篠田節子氏の女性に対する辛辣な視点。 しかし、カノン、イビスを超える著作に出会わない。 P186 「俺には一生をかけるだけのテーマなんかない。物作りだ、未来だ、といくらでも口当たりのいい言葉を吐いてきた。だが切実な本音を言ってしまえば、組織の中でどこまで上り詰めるかということが最大の関心事だった。それだけの人生だ。本当にそれだけの人生でしかない。俺は、今のまま、部長相当職などで終わりたくはない。自分をそれだけのものだとも思っていない。60を前にして地方に飛ばされたり、子会社に出向させられるのはごめんだ。再雇用など嫌だ。最低でも平取で残りたい。受験競争を勝ち抜き、同僚を蹴落とし、どいつが勝ち馬か見定めて乗っかる。それだけでここまでやってきた。勝ち残れなければ何のための人生だ。サラリーマンっていうのは、そういうものなんだよ。出世のためのご機嫌うかがいと足の引っ張り合いに費やすエネルギーを本来の仕事に振り向ければ、すばらしいことができる。そんなのはわかっている。だがそれをしたやつは、使い潰されて40代でスクラップになった。生き残ったところで給料は頭打ちでローンの返済にも苦労する。いいか、俺はそういう世界で生きているんだ。そういう人生を送っている。だが君は違う。俺とは別の道を選んだ。その気になれば、自分の一生のテーマを追えるはずじゃないのか。君の本来やるべきことがあるはずだろう」 P214 絵に描いたようなハッピーリタイアだった。にもかかわらず、異様なまでに空疎な気分に押し込められている。赤茶けた終末の風景の中に一人、立っているようだ。 |
坂本敏夫(元刑務官) 講談社 2016/01/13 小説を読むのには 時期と年齢があるように思う。 罪と罰、戦争と平和、三国志など、 高校生の時代なら集中して読めるが、 仕事をしながらでは、 小説を読む時間と気力が確保できない。 しかし、いま小説を読む時間があるのなら、 本書は、読み応えのある小説として推薦できる。 いや、実話だそうだ。 関東大震災の際に、崩壊した横浜刑務所から釈放された934人と、 釈放の決定をした典獄(刑務所長)と、それを取り巻く看守と囚人の物語。 P76 「監獄法第22条の規定により、本日午後6時30分諸君を解放する。解放とは24時間に限り無条件で釈放するということだ。明日の午後6時30分までに、ここに必ず戻ってきてもらう。期限に戻らなかったときは逃走罪として罰せられることになるので、時間は厳守すること。よいな」 |
渡辺尚志(一橋大学教授) 角川ソフィア文庫 2016/01/11 人口の8割を占めた 江戸時代の百姓の生活を語ります。 1603年3月24日から 1863年5月3日迄の265年と続いた江戸時代。 戦争が無いだけではなく、 対外戦力も持たない265年。 非常に豊かな時代だったのだと思う。 江戸末期の1830年頃には 総生産高の52%は農業生産物だが、 48%は年貢が課されない非農業生産物になり、 武士生活の経済的な貧困化の原因になっていた。 しかし、逆に、 それが豊かな農民を産出し、 そのゆとりが江戸の文化を作り上げた。 その時代に完成した日本の価値観、 家を守り、家産を子孫に伝えるという価値観。 これが日本人の土地に対する思いを創り上げ、 土地本位主義といわれる日本の経済と、 昭和末期のバブルを造り出した。 P53 家は、家名・家業・・家産がワンセットになって構成されていました。家を守り、家産をきちんと子孫に伝えることは、多くの百姓の生き甲斐にもなっていたのです。 家はそのときどきの家長によって統括されましたが、家長は所持地を自由に分割したり、売却・譲渡したりすることはできませんでした。家長は先祖から伝わった家の土地を、少しも減らすことなく子孫に伝える責任がある、とされていたからです。百姓の所持地は先祖からの預かりものたる家産であって、家長個人や家族が勝手に処分してはなりませんでした。江戸時代の百姓の土地所持は、基本的に個人ではなく家を単位としていたのです。 P212 周防・長門国(現、山口県)の場合を見ると、天保年間(1830〜44)において、総生産高の52パーセントが農業生産高、48パーセントが非農業生産高(林産・海産を含む)となっています。19世紀には、非農業生産が農業生産に迫る勢いで発展していたのです。ところが生産に対する年貢率を見ると、農業には47パーセントの年貢が課されたのに対し、非農業については2パーセント以下となっています。百姓にとっては、生産物の半分近くを年貢に取られてしまう農業に比べ、農業以外の生業に従事するほうが、税制上圧倒的に有利だったというわけです。 江戸時代の税制の特徴は、土地に賦課する年貢の比重が圧倒的だったということです。土地こそがすべての富の源泉である、という思想に立脚していたのです。市場経済が相対的に未発達だった江戸時代初期には、これも根拠のあったシステムだったといえるでしょう。しかし非農業生産の発展を把握できないまま、19世紀には領主の財政悪化の根本原因と化していったのです。 幕府や大名もこれに気づかなかったわけではなく、運上・冥加など、非農業部門への課税を進めました。それでも農業部門と比べれば、負担の圧倒的な軽さは変わりません。富裕者へ個別・臨時に御用金を賦課することもありましたが、それもまた抜本的な解決策とはなりませんでした。庶民の所得を全体として正確に把握し、それに課税するということは、近代国家の重要な宿題として残されたというわけです。 江戸時代の百姓たちが、非農業部門に進出していった背景には、こうした事情があったのです。 P226 村人の家で跡継ぎを決めるときなども、村中の承認が必要でした。村全体のためにプラスになるような相続者が求められたのです。親子喧嘩や夫婦喧嘩も、家の内部で解決できない場合は、村役人などが調停に乗り出しました。こうしたあり方は、現代の私たちからすると、プライバシーのかけらもない煩わしい生活に見えます。しかし江戸時代において家と村を平和かつ安定的に永続していくためには、必要だったのです。今日の価値観にもとづいて単純に善悪を論じることはできません。 |
飯田真弓(26年の国税調査官経験) 日経新聞社 2016/01/09 「税務署は見ている」の著者で、 いや、少しは進歩しているかと思ったのですが、全く。 所得税の調査官の経験では、この程度なのか。 法人税に比較すれば地味だとしても、 調査対象には、 医者や弁護士などの自由業者や、 個人の高額所得者が存在するのだから、 それなりのドラマはあっても良いと思う。 豆腐屋の「おからクッキー」の脱税を取り上げても。 おからクッキーで脱税するほど儲かるとは思えない。 このレベルの税務調査だと誤解されたら、 現場で頑張っている税務職員に失礼だと思う。 ただ、税務署の内部事情を語れば、 それが本になるとでも考えているか。 「財務2科目、税法5科目の合格を経ての試験税理士」という言葉が6頁に登場するが、著者は26年も税務署に勤め、いま税理士登録をしているのに、税理士試験の内容も知らないのだろうか。 P6 税理士になるには、大きく分けて2つのルートがある。財務2科目、税法5科目の合格を経ての試験組税理士と、国税勤務の実務経験により税法科目を免除され、簿記会計学と財務諸表論の試験に合格し資格を取得したOB税理士だ。 P22 国税の世界は外から見ると、税務調査で増差税額を多く稼いでいる職員が出世しやすいように思われがちだ。が、調査担当者はあくまで現場の人間。調査官を「兵隊」と呼ぶこともある。 見込みのある部下は早い段階で上司から、「線を引ける人間にならんとあかんぞ!」と言われる。この「線を引ける人間」というのは、マネジメントする側の人間を意味する。国税の世界は現場で働く兵隊よりも、線を引ける者のほうが出世しやすい構造になっているのだ。「糸へん」は、まさにマネジメント側の人間ということになる。 P104 申是は調査件数としてカウントされない。調査に金額ノルマはないものの、調査件数の年間計画はある。シマごとに何件という割り当てがあり、それを各シマのトーカンは、1人あたり何件と件数を割り振る。このまま米倉が自分に与えられた件数をこなせない場合は、同じシマの誰かがカバーしなければならない。 |
柳川範之(東京大学経済学部教授) 草思社 2016/01/08 私は、商業簿記以外は、 税理士試験、 会計士試験、 司法試験と、全て独学です。 いや、多くの受験生は独学ですが、 ただ、私は、大学での法律の講義を合計しても10時間も聞いてない。 遙か昔の記憶なので、 独学を語る記憶は残ってませんが、 ただ、筆者の独学とは、随分と違う。 私は、良い本を選択したら、 その著者の思考過程を追いかける。 つまり、著者を信じるのですが、 本書は、著者を疑うという読み方を語る。 本は、筆者で選ぶ。 これは私も同様です。 受験であれば読者と著者の考え方が一致する必要がある。 その意味で団藤刑法では1ヶ月を無駄にしてしまった。 団藤刑法は交差点に行かないと、どちらに曲がるのかが分からない。 著者は2度読みを提案しますが、 私は、同じ本を2度とは読まない。 それは受験中も、現在でも同じです。 2度読むと思えば、読みが浅くなる。 受験勉強では2度読む時間は許されない。 著者と同様にノートは作成しません。 汚い文字を読み返す気にもなれないし、 ノートを作成するのは時間の無駄。 ただ、 クエスチョンノートは作成しました。 疑問に思ったところを1行のメモにして、 その答を得たら抹消していきます。 高校、大学に通わず、 最終的に東京大学教授になった 異色の経歴を持つ著者ですが、 私のような挑戦者を問わずの国家試験と異なり、 独学で、体制側の頂点に立った経歴は素晴らしい。 P77 私の場合を言えば、少なくとも自分の研究している分野のものだと、論文を読んでも、本を読んでも、そのまま素直に頭に入れるということはありません。1行読むごとにおかしいんじゃないか、間違っているんじゃないかと思って読んでいます。 P109 本を選ぶときに私が重視するのは、当たり前のことですが誰が書いているかです。どんな学問でも同じでしょうが、経済学でもやはり、著者が誰かというのは非常に重要です。 P117 実は本を2回読むというのは、私が独学をしていたときに考えた方法です。独学の場合、初めて学ぶ学問で、すぐ聞ける先生はまわりにいません。先生に教わる場合のメリットは、先生が強調してくれたり、繰り返し説明してくれたりするところが、大事な点だと自然とわかり、ポイントが把握しやすい点です。でも独学の場合、本やテキストを読んで自分なりに要点をつかんでいかなければなりませんでした。そのため、いろいろと試行錯誤をした結果、2回読むという方法にたどり着いたわけです。 1回目の読書は、割り切ってどこが大事かわからなくてもしょうがないと思って読むようにしました。そこでは通して読むことに重点を置いたのです。そのあと、もう1回読み直してみると、大事なところがそれなりに見えてきます。とりわけ通信教育で大学の勉強をしたり、自分で公認会計士の試験勉強をしなくてはいけないときには、2回読むという勉強法はずいぶん役に立ちました。 P127 でも、私はそうは思いません。私自身ノートにまとめたり、メモをつくるということは、ほとんどしていません。ノートに書く時間と労力があれば、もう一度本を読み返して、自分の頭に入れることが大切だと思うのです。もし、書かないと大事なポイントが頭に入らないのなら、そもそもそれは自分にとって必要ではないことだと思うのです。 P129 もちろん、私も、これまでにまったくメモをとらなかったわけではありません。私は、数字を暗記するようなことが苦手なので、本当に覚えておかなくてはいけないデータはノートにメモをしていました。 |
ビアス 岩波文庫 2016/01/07 どこかの紹介記事の「風刺」という言葉に釣られ、 実物を見ずにAmazonで購入してみた。 イギリスのユーモア、 フランスのエスプリ、米国のジョーク。 そして日本の風刺は、社会と政治を斜めに見るための視点です。 その風刺文化が廃れ、大阪のダジャレになってしまった。 日本の笑いの「文化」が消滅してしまったのですが、 本書には「風刺」が登場するのだろうか。 いや、レベルが低くて話にならない。 P123 宗教(religion n.) 「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明してやる娘。 P139 信仰(faith n.) 類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず正しいと信ずること。 P234 法律家(lawyer n.) 法律の裏をかく技術に熟練している者。 |
前田裕之(日本経済新聞編集委員) ディスカバー・トゥエイティワン 2016/01/06 資本不足の時代、 多数の国民から零細な預金を集め、 それを大企業に融資して利息を稼いだ。 しかし、 いま、大企業は資本市場でカネを手に入れる時代。 さらに、カネ余りの大企業が銀行に預金をする時代。 銀行は、 どのような運用で利益を確保しているのか。 低金利で預金を集め、国債を購入する。 それが現時のビジネスモデルだとしたら将来は暗い。 手数料ビジネスや、 デリバティブ(博打)ビジネスで存続できずはずがない。 なにが、銀行を存続させているのか。 将来も、銀行は存続し続けるのか。 それを知りたかったのですが答はありませんでした。 いや、公表された銀行の決算書を見れば良いのかもしれない。 P400 「護送船団方式」と呼ばれる行政手法からの大転換の端緒が、政府が1996年秋に打ち出した、金融ビッグバンと呼ばれる規制改革である。1996年は、バブル崩壊後の不況がやや一段落したかにみえる時期だった。同時期の米国では、銀行業の業務規制の緩和が進み、新たな金融技術を手に入れた銀行が収益を拡大していた。日本政府は米国をモデルとし、金融規制を緩和する方向にかじを切ったのである。 P412 確かに中世以来の銀行の歴史をみると、銀行の経営破綻が増える時期は長い歴史のごく一部の期間にすぎない。預金者から預かったお金を、貸し出しを中心にうまく運用し、預金者に安定した利息を支払うと同時に、急な引き出しにも応じる……。極めて難しい仕事にもかかわらず、銀行が長年の伝統の中でノウハウを培ってきたのは確かだ。 P424 ゼロ金利に巨額の預貯金が張り付いている日本では、貯蓄と投資は明らかに断絶しており、むしろ投機と投資が主観的に連続している。大多数の日本人にとって資産形成とはリスクを取るものではなかった。制度を変えれば国民の意識や行動も変わると期待するのがナイーブなら、一朝一夕にはいかずとも、意識や行動に直接、働きかけていくべきであろう。今のところ、普通の家庭の団樂で、どの企業が伸びるかなどという会話が交わされる国ではないが、政府が明確な教育方針を持てば、長い間に国民性を形成した例は枚挙にいとまがない。 P445 有利子負債を返済、期間利益の蓄積、その範囲内での設備投資という行動パターンが定着したのである。リーマン・ショックの直後には銀行からの借り入れを増やす動きもみられたが、長期的には、有利子負債を減らして手元資金を積み上げる動きが続いている。 それでは個人の家計はどうだろうか。家計の金融資産残高は増加傾向が続いている。日銀の資金循環統計によると、2015年3月末の金融資産残高は約1700兆円。このうち現・預金が約51.7%と最も多くのウエートを占め、保険・年金準備金(26%)、株式・出資金(10.8%)、投資信託(5.6%)などの順となっている。ビッグバンを打ち出した直後の1997年3月末の数字をみよう。金融資産残高は約1260兆円で、現・預金(52.2%)、保険・年金準備金(26.6%)、株式・出資金(8.2%)、投資信託(2.2%)となっている。 手元資金の半分以上を現・預金に回す傾向は20年間全く変わっていないのだ。 P451 これまで繰り返し説明してきたように、銀行は預金で集めたお金を貸し出しでは運用しきれず、国債を購入したり、日銀に余裕資金を預けたりしながら帳尻を合わせている。それでも、貸出業務が運用の中核をなす点は変わらない。日銀の異次元緩和政策の影響もあって、貸出業務で利ざやを稼ぐのは難しい情勢とはいえ、銀行にとって貸出業務による利益は引き続き収益の柱である。 P457 本書では、金融危機に直面し、銀行の再生を目指して奮闘した経営者らを取り上げた。先見性、リーダーシップ、戦略作りなど経営者としての能力が高い人物ばかりだが、「新たなビジネスモデル」作りに成功した経営者はいない。銀行界では今、社外取締役による経営のチェック機能を強化する動きが広がっているが、コンプライアンス(企業統治)の強化にはなっても、そこからビジネスモデルが生まれてくるわけではない。 P469 藤沢の提言はその後、欧米ではかなり現実になりつつあるが、日本に関しては、3メガバンクグループ中心の金融秩序は今のところ揺らいでいない。 今後、3メガバンクが欧米のユニバーサルバンクの轍を踏む可能性も低いだろう。それでは、3メガバンクはどんな金融グループを目指すのか。欧米型モデルが潰えた今、日本独自のモデルを提示できるのか、改めて問い直す時期であろう。日本型モデルの構築を目指しつつ、日本にとって最適な金融規制、監督・検査体制の組み合わせを、利用者の視点に立って模索し続けるしかない。 |
ティム・スペクター(遺伝疫学教授) ダイヤモンド社 2016/01/02 遺伝か環境か。 結局、遺伝でも、環境でも無い。 同一のDNAを持っていても、 それが出現する為の環境の影響がある。 そして、環境に適応した成果は、 同一のDNAを持ったまま子に承継される。 エビジェネティクスと名付けられた研究の成果を紹介します。 仮に、ヒトラーのDNAを複製しても、ヒトラーは造り出せない。それは単なる環境の違いではなく、環境の違いが影響を与えるDNAの出現の違いだ。そして、環境の違いは、DNAを通じて、その子供達に承継されていく。 自分の運命は、自分の努力で変えられる。 そして、その努力は、子供達にも承継される。 いや、確かに、社会は、そのように出来ていると思う。 それがDNAにまで遡る生物学的な定理だったら素晴らしい。 P31 第二次世界大戦を目前にした時代に、「エピジェネティクス」という言葉を編み出したのは、このウォデイントンだった。「後成説」と「遺伝学」を組み合わせたのだ。彼は、受精卵の発生に興味を持った。とりわけ、同じ遺伝物質を持つ細胞が、分裂を繰り返しながら異なる細胞に成長していく理由が知りたくてたまらなかった。 P354 記憶がエピジェネテイックな信号によって形成されていることを思い出そう。エピジェネティックな変化がひと組のニューロンに影響し、それがドミノ式に他のニューロンに影響して、認知を変えたり記憶を刻んだりしていくのだ。この自伝形式の記憶(誰のものにも、偽り記憶が含まれる)は、アイデンティティの核となるものだが、それは脳のただひとつの要素によってではなく、神経ネットワークの一連のプロセスによって作られている。一卵性双生児が異なる記憶を持つように、結合双生児でも別々のアイデンティティを持つのは、このためである。 P356 エピジェネテイクスについては、まだ解明されていないことも多いが、すでにわかっていることから、本書の冒頭で概要を述べた、遺伝に関する4つの重要な仮説を書きなおすことができる。 仮説1は、「遺伝子は人間の核心、青写真、生命の書である」というものだ。 P357 仮説2は、「遺伝子と遺伝による運命は変えられない」というものだ。 P358 仮説3は、「環境(外的要因)は遺伝子に永続的な影響を与えない」というものだ。ごく最近まで、細胞に起きた変化はすべて、細胞が分裂するたびにきれいさっぱり一掃されると信じられていた。しかし、現在わたしたちは、遺伝子をエピジェネティックに変化させることにより、記憶が娘細胞に受けつがれていくことを学んでいる。こうしたエピジェネテイックな信号の影響を最も受けやすいのは、誕生前と誕生直後だが、影響を受けるのはその時期に限ったことではない。ルーマニアの孤児や虐待された子どもで見てきたように、エピジェネテイックな信号は、ずっと後まで細胞の中に残るのだ。 仮説4は、「両親や祖父母が環境から受けた影響をあなたは受けつがない」というものだ。 わたしたちが学んできた最も重要な教訓は、「あなたは自分の遺伝子も、自分や子どもや孫の運命も変えることができる」ということだ。あなたが自分の身体をどう扱うか、そしてあなたの祖父母がその身体をどう扱っていたかが重要なのだ。祖父母は、避けがたい飢餓や病気といったストレスに直面していたかもしれず、また、あなたは、禁煙したり、ベジタリアンになったり、腸内細菌叢を変えたりするかもしれない。そうした選択が、あなたの人生のみならず、数世代先の子孫の人生にも影響する可能性があるのだ。 こうした変化がどのようにして起きるのかは、まだよくわかっていないが、近年のエピジェネティクス革命が驚くべき発見をもたらしたように、今後もさらに胸躍る事実が明かされていくことだろう。この知識があれば、わたしたちは前もって装備を整え、自分の運命をコントロールしていくことができる。それでもやはり、ほかの人とは異なる人であろうとするだろう。 ひとりひとりの違いに乾杯! |
魔夜峰央 宝島社 2016/01/01 埼玉出身者としては、面白い。 埼玉って、この漫画に書かれたような田舎です。 それなのに東京人の意識を持っている田舎者。 P7 東京都の隣に埼玉県というところがあります。 聞いたことがない? 無理もありません。 なにしろ埼玉というのは大変な田舎なのです。 どれくらい田舎かというと、 つい10年ほど前までランプと囲炉裏で生活していたほどです。 最近、やっと電気が通うようになりましたが、まだ、テレビというものが珍しく、夕食時になると村人が庄屋様の家に集まって見物しています。 県知事閣下は、いまでも県民から年貢を取り立てています。 埼玉から東京に行くには通行手形が必要なのです。 死ぬ前に一度、山の手線に乗ってみたかった。 三越は東京都民の行くところだ。埼玉県民は星友(せいゆう)に行け。 |
ヘンリー・S・ストーク(ニューヨーク・タイムズ東京支局長) 祥伝社 2016/01/01 日本人だから見えない日本の良さを語ります。 日本の歴史や文化の素晴らしさを賞賛します。 一神教の世界が戦争や殺戮を繰り返してきたのに対して 八百万神を敬う和の日本には長い平和の歴史が存在した。 罪を犯し、エデンの園を追い出され、労働を苦役とする文化と、 穀物の作り方を教える神、酒造りを教える神など、働くことが賞賛される日本。 ユダヤ教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でもない日本の神。 和を重んじて、歴史ドラマで論じられる極一部の年代を除き、常に、平和だった国。 その思想が世界に発信できたら面白い。 しかし、出しゃばらないのが和の思想。 自惚れることを諫めるのが和の思想。 世界に発言する必要は無いのですが、 しかし、日本が世界基準に追従する必要もない。 P22 この人々のあいだの「和」は、このひろい世界のなかで、日本にしか存在していない。 ところが、この「和」という言葉は、英語をはじめとする外国諸語に、ひと言でそのまま訳すことができない。中国にも、インドにも、該当する単語がない。 P24 このような「和」による社会は、中国にも、東南アジア、インド、中東、アフリカから、ヨーロッパにいたるまで、どこにも存在してこなかった。 P35 それでも、日本で女性が虐げられているというのなら、日本の女性は世界のどの国よりも、平均寿命が長いという事実を、どう説明するのだろう。人の幸せの尺度は、何よりも寿命の長さによって計られるものだといっても、異論はないはずだ。 P38 『源氏物語』は、女性が人類ではじめて書いた小説だ。その高度に洗練された点からいっても、文学史上の金字塔といえる。平安時代の貴族生活における、男女の細やかな心の働きを描いているが、男たちが女性の心をとらえようと、努めている。女性が男性の上に、立っているのだ。 P46 江戸時代は260年以上も途切れることなく平和が続いた。このように平和な時代が長く続いた例は、世界のどこにも、まったく見られない。 P51 もっとも、西洋人はキリスト教の聖書を読まなければ、西洋人にならないが、日本人は「古事記』「日本書紀』を知らなくても、日本人でいられる。こうあらねばならない、という教典が存在していないのも、日本的なことだ。 P62 人格神を、戴く一神教が、世界に間断のない戦争や殺戮を繰り広げて、血みどろの世界史をもたらしてきた。 ユダヤ・キリスト・イスラム教の一神教では、神が人間を自然の支配者として、創造された。人間は自然の所有者であって、自分たちのために自然を、恣に使用する権利を与えられてきた。 ところが、日本では万物が対等なのだ。「お猫さん」「お犬様」「お猿さん」「ママ!トンボさんをつかまえたよ!」と言うように、動物や昆虫にも、人と同じように「さん」や「様」をつけて呼ぶ。世界のなかで、日本一国だけに見られることだ。 P63 数多の神々のなかには、人々に技術をもたらしてくれた神々もいる。神道では、穀物をつくる技を教えてくれた神、学ぶ道を示してくれる神、酒造りを教える神、木工術、金工、石工、機織、商い、漁労、薬の調合を教える、さまざまな神々が、称えられた。 日本は歴史を通して、話し合いで物ごとを決めてきたが、その原点は日本神話にある。 アメリカが日本占領によって、日本に民主主義をもたらしたなど、「たわけごと」そのもので、無知をさらけだしたものでしかない。 P65 日本では支配階級であった武士も、畑を耕すなど、肉体労働に従事した。このような労働観は、日本の独特なものだ。だが、その原点も神話にある。 それに対して、中国と朝鮮では、肉体労働は下層民が行なうこととされて、蔑まれた。支配階級の者は体を動かして、汗を流すことを恥じた。ところが神話のなかで日本の神々は、それぞれの仕事にいそしんでいる。 ここが、労働を罪の償いととらえる聖書と、まったく違う。聖書では、アダムとイブが犯した罪のため、男は日々の糧を得るために額に汗して働き、女性はその罪の償いとして、出産の時に、陣痛を科せられた。その原点も聖書に書かれた「神話」にある。英語でも労働と陣痛は、同じ「レイバー」laborである。 ユダヤ・キリスト・イスラム教徒は罪が許され、つらい労働をしないですむ天国へゆくために、神を奉っているのだ。 ところが、日本人にとって、労働は喜びである。神々が率先して、労働に従事している。このような高天原の姿は、ユダヤ・キリスト・イスラム教徒には、とうてい大国とは思えないだろう。 |
岸見一郎(アドラー心理学) ダイヤモンド社 2016/01/01 私の、 大学のゼミは 心理学だった。 そこで学んだのがアドラー心理学、 アドラーは、他者との関係の劣等感が 人間意識の根源と解いていたように記憶している。 多感な大学時代だから、まさに、これと納得した。 フロイトの無意識や、 ユングの集合的無意識とは異なり、 現実の生活における自分の根源的な動機を説明していた。 ただ、本書を読んで、 その思想を再確認できたかというと、ちょっと、違うように思う。 大学時代の私の理解が間違っていたのか、 その後の記憶が書き換えられてしまっているのか。 本書が説くところが、私に対して説得力が無いのか。 「こだわり」こそが、 その人の根源的な思考であって、 その「こだわり」から自由になるという本書の教えは、 まさに、神経衰弱や、引き籠もりの子に対する教えにはなるが、 社会で、普通に生きている者にとっては、 こだわりを捨て、仏門に入れと言っているとしか思えない。 他者の自分に対する評価は「他者の問題」と位置付けたら、 自分の成長はないし、社会における自分の位置付けにも成長がない。 いや、著書のレベルの思想書(?)が売れていること自体が、 皆さん、突き詰めたところで社会を見て、自分を見る生活をしていないのだと、 逆に、読者、いや、一般社会の人達の思考の深み(浅さ)が理解できたように思う。 このレベルの思考で生きていては成長が無い。 いや、成長しなかった人達に対する人生の入門書。 P27 哲人 ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。 P45 哲人 たとえばいま、あなたは幸せを実感でぎずにいるのでしょう。生きづらいと感じることもあるし、いっそ別人に生まれ変わりたいとさえ願っている。しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。不幸の星の下に生まれたからではありません。 P47 哲人 あなたは人生のどこかの段階で、「不幸であること」を選ばれた。それは、あなたが不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもありません。「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、ということなのです。 P51 哲人 いえ、あなたは変われないのではありません。人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。 P80 哲人 アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と語っています。劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となるのです。 P162 哲人 何度もくり返してきたように、アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。 哲人 あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。 P163 哲人 きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかげず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。 P164 哲人 独善的にかまえるのでもなければ、開き直るのでもありません。ただ課題を分離するのです。あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない。そしてまた、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想です。 嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。 もし、わたしの前に「あらゆる人から好かれる入生」と「自分のことを嫌っている人がいる人生」があったとして、どちらか一方を選べといわれたとしましょう。わたしなら、迷わず後者を選びます。他者にどう思われるかよりも先に、自分がどうあるかを貫きたい。つまり、自由に生きたいのです。 哲人 そうですね。「嫌われたくない」と願うのはわたしの課題かもしれませんが、「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題です。わたしをよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできません。無論、先に紹介したことわざでいうなら「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はするでしょう。しかし、そこで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。 P288 しかし、そこである事実に気がつきます。わたしが求めていたのは、単なる「アドラー心理学」ではなく、岸見一郎というひとりの哲学者のフィルターを通して浮かび上がってくる、いわば「岸見アドラー学」だったのだ、と。 |
NATROM(内科医) メタモレ出版 2016/01/01 匿名で書いたことに批判があるようですが、 医療という狭い分野ですから匿名もやむを得ない。 当たり前のことが再確認できる健康の書です。 食べ物はアミノ酸に分解されてしまうのだから、 食べ物自身が健康に良いも、悪いもあり得ない。 21頁からの記述は、 ニセ医学のアンケートで堂々の2位に入った「がんもどき理論」。 ちなみに、アンケートの紹介記事は次です。 なぜ、理系である医学分野で「ニセ医学」が幅をきかせているのだろう。 今回、日経メディカル Onlineで「ニセ医学」に関するアンケートを行った。 医師が「ニセ医学」と聞いて思い浮かべるもので一番多く挙がったのが「広告過剰なサプリメントや健康食品」だった。2位はメディア露出や出版活動が盛んな某医師の「がんもどき理論」、3位は1型糖尿病の男児がインスリンの投与を中止したために死亡した報道で世間を騒がせた「霊的療法」となった。 P21 論文を書くということは、専門家の目に触れることである。インチキ医療者は、素人を騙すことはできても、専門家による検証には耐えられない。だから論文は書かないけれども、一般書は書く。論文は専門家によるチェックが入るために質の低いものは掲載を断られるのに対し、一般書であればチェックが入らないからだ。世界中のすべての医学雑誌に影響力を与えることのできる製薬会社が、なぜか一般書の出版社にはまったくの無力なのが不思議である。 P146 水で体が変わる? 病気を治すと称して販売されている水には、この超ミネラル水と同レベルのものが散見される。単独で病気を治すという水は、すべてインチキだ。また、病気を治すほどの効果があるなら、副作用があってもおかしくない。「水だから安全」なのに「病気を治す」というのは二枚舌である。 美味しい水を飲みたいからという理由で、浄水器や水を購入するのはかまわない。しかし、水に病気を治す効果を期待することはやめておいたほうがいい。 P153 健康によい特別な食品がある? 悪影響のほうの典型例は、「牛乳は体に悪い」という説である。牛乳には脂肪が含まれているので、肥満の人が飲みすぎると体に悪い。あるいは乳糖を分解する酵素が弱い乳糖不耐症の人も下痢を起こすのでよろしくないだろう。しかし、それ以外の普通の人にとって、牛乳が特に体に悪いという科学的根拠はない。 P159 がんに食事療法は有効? 現時点において、「がんを治す」と称する食事療法に科学的根拠はない。特に標準医療を忌避させて食事療法単独でがんを治すと謳うものは、例外なくすべてインチキである。ある食事療法で推奨されている食品が、別の食事療法では避けたほうがいいとされている場合もあるが、それぞれに科学的根拠なく提唱しているので、食い違いが生じるのも不思議ではない。 |