立石泰則(ノンフィクション作家) 文春新書 2011/12/28 私の時代は、ソニーは、他社製品より1万円高くても売れた。 ソニーを持つことは楽しみであり、ステイタスだった。 なぜ、ソニーは特別だったのか。 それは井深大がいたからだろう。 では、なぜ、ソニーは終わってしまったのか。 それは井深大が退場したからだろう。 井深大に限らず、本田宗一郎も、スティーブ・ジョブズも同様。 全ては人の問題です。 クレージーな人達がいる。 http://simojo.com/interactive/2011/05/applecm.html P72 「あえて言うなら、私は「ソニースピリットは、井深さんの無理難題の産物だ』と言いたい。だって、井深さんに無理難題を強いられながら、必死になってやっと完成させて発売したら、お客さんは『まさに、ソニースピリットを体現したような商品だ』なんて言うでしょう。でも我々にすれば、みなさんはソニースピリットと言われますが、本当に井深さんの無理難題の産物以外の何物でもないです」 P74 大曽根氏にしろ木原氏にしろ、井深氏から突きつけられる無理難題に困ったと言いながらも、実に楽しそうに回想した。いや、井深氏から無理難題を押しつけられること自体が嬉しそうに見えた。それもこれも井深氏がエンジニアの心をしっかりつかまえ、彼らもまた井深氏が持つ技術に対する深い洞察力を尊敬し、懐の深い人間性に惹かれていくなかで揺るぎのない「絆」が生まれていたのであろう。 その結果、井深氏の周囲には彼を慕う有能な技術者集団が、あたかも衛星群のように集まってきたのである。そして彼らは「ソニーの技術」の源泉になっていく。 P81 つまり、井深氏は「モルモット=先駆者」と見なせば、それがソニーの新しいメルクマール(特徴)になると指摘するのである。 のちに井深氏が唱える「人真似はするな。他人のやらないことをやれ」というソニーのエンジニアに対する指針は、ソニー・モルモット論を呑み込んで「日本一」や「世界一」を目指すパイオニア精神、ソニースピリットと呼ばれるようになるのである。 P92 過剰投資の最大の原因は、巨額の出費を強いられた世界的な映画会社と音楽会社の買収である。この二社の買収には、一兆円近い巨額な投資が注ぎ込まれていた。他にも、設備投資バブルと呼ばれるほど海外の工場建設などに投資していた。いずれも大賀典雄氏の社長時代の投資である。 P157 ソニーは、1989年にハリウッドのコロンビア映画(現・SPE)を34億ドルで買収した。当時、日本企業による米国企業の買収額としては最高額であった。しかもコロンビア映画が抱えていた12億ドルの負債も肩代わりしたため、実際の買収費用は46億ドル(約6500億円、当時の円換算)にも達した。しかもコロンビア映画は赤字会社で、当時、16億ドルの損失を出していた。そのため、コロンビア映画の資産価値は30億ドル程度と見られ、米国の映画業界からも「ソニーは高い買い物をした」と批判された。いわば、経営難に陥っていた会社を救ったのである。 P193 それは同時に、出井氏が「ソニーは、どんな会社なのか」を忘れたことでもある。 創業時の会社設立趣意書には「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」や「不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず」といった文言が続く。出井氏がソニーをコンテンツとネットワークの企業にしたいと考えたとしても、03年の時点では市場は拒否したのである。ソニーはエレクトロニクス・メーカーであるという原点に立ち返り、もっとエレクトロニクス事業に真剣に取り組めというメッセージだったと私は考えている。 P291 ソニーは日本企業であり、エレクトロニクス・メーカーであり続けると信じて疑わない日本人とソニーファンにとって認めがたいことであろうが、グローバル企業になるということは、そういうことなのである。 たしかなことは、かつてソニーのFMラジオから流れる高音質な音色に感激し、トリニトロン・カラーテレビの映像の美しさに驚嘆し、ウォークマンにときめいたようなことは、もう二度とは起こらないということである。 そして私たちは、けっしてストリンガー体制のソニーに以前のような輝きを期待してはいけない。いまのソニーは、私たちに「夢」を与えてくれた、ソニースピリットあふれる私たちの知るソニーではないからだ。 いまの私たちに出来ることは、未来への「希望」を与えてくれた「SONY」に感謝の言葉を捧げるとともに、こう言うだけである。 「さよなら! 僕らのソニー」 |
福岡伸一 木楽舎 2011/12/21 生命とは何か。 それはタンパク質の流れそのものである。 では、生命を管理するものは何か。 それは遺伝子そのものであり、生命体は、遺伝子の乗り物に過ぎない。 それが利己的遺伝子を唱えたドーキンスの主張だが、著者は、それに異を唱える。 遺伝子は楽譜に過ぎず、それを奏でるのは遺伝子と環境とのアンサンブルではないかと。 だからこそ、遺伝子はランダムな変化ではなく、方向が造られていく。 P40 たとえば視覚というきわめて高度な複合システムを例に考えてみよう。目は水晶体というレンズで光を集め、それを網膜に映す。そこには光を感知するための網膜細胞がないといけない。さらに網膜に入った信号が視神経によって集められ、脳の中の視細胞に送られなければならない。そこで初めて画像が解釈される、つまりモノが見える。視覚は、水晶体や網膜、視神経といった各サブシステムから成り立っているのである。 ダーウィニズム的に言うと、そういう高度で複雑な仕組みは、膨大な時間をかけて、少しずつサブシステムが改良されて出来上がったと説明される。たしかに個々のサブシステムは、他の仕組みとうまく適合するように進化しているように見える。 けれど、いくらレンズが完成しても、網膜や視神経と繋がらないと見えない。レンズだけが出来ても、網膜だけが出来ても、意味がないのである。つまり各サブシステムは途中段階では機能を持たない。…機能を持たない限りは自然選択によって、それが有利な形質だというふうに選ばれようがない。 視覚が有利な形質で、それを持った生物が選ばれるのはわかる。しかし、水晶体だけが出来た生物はまだ視覚を得てはいない。機能しないサブシステムは繁殖戦略にとって有利に働きようがない。それゆえサブシステムは全体が完成する前には自然選択の対象にはなりえない。 P52 だから、ドーキンスあるいはダーウィニストたちは「進化には目的や方向性はない、ランダムに変わる。けれど、環境がそれを選択するから目的があるように見える」と言ってきた。 P55 生命体は、置かれた環境によって遺伝子のスイッチやボリュームを制御している。寒ければ寒さに対処する遺伝子のボリュームを上げ、暑ければ別の遺伝子を発現させて身体を冷やそうとする。それぞれの生命体は遺伝子を使って独自の適応をしているのだ。 それは、同じ楽譜であっても、演奏者によって音楽が千変万化するのに似ている。遺伝子に「自由であれ」という命令が含まれているというのはそういう意味である。 古典的なダーウィニズム説に立つと、そうした環境への適応は、個体が勝手にやっていることで、次の世代には伝わらないと解釈される。遺伝子A、B、Cはタンパク質製造のカタログだから、ボリュームの上げ下げまでは遺伝しないと考えた。私たちが高校生時代に学んだ「獲得形質は遺伝しない」という話である。 しかし、エピジェネティックスの考え方は違う。遺伝子スイッチのオンオフ、それぞれのボリュームの程度も、ある環境にさらされた個体が次の世代に伝達しているのではないかと考える。 P57 たぶん、遺伝子は音楽における楽譜と同じ役割を果たしているにすぎない。記された音符の一つ一つは同じでも、誰がどのように演奏するかで違う音楽になる。遺伝子はある情報で私たちを規定するのと同時に「自由であれ」とも言っている。そう考えたほうが、私たちは豊かに生きられるのではないだろうか。 P209 つまり、私の言いたいことはこうである。仮に遺伝子操作によって、チンパンジーのA’遺伝子をヒトのA遺伝子にすげかえても(そして、この操作をくまなく繰り返し、DNA文字列上のニパーセントの差をすべて書き換えたとしても)、チンパンジーはヒトにはならない。 では、いったい何がヒトをヒトたらしめるのだろうか。それはおそらく遺伝子のスイッチがオン・オフされるタイミングの差ではないか。 P210 脳でスイッチがオンになる一群の遺伝子は、チンパンジーよりヒトで、作用のタイミングが遅れる傾向が強い。つまり、脳のある部位に関していえば、ヒトはチンパンジーよりもゆっくり大人になる。ヒトはチンパンジーよりも長い期間、子どものままでいる。そういうことになる。 P211 つまり、チンパンジーが何らかの理由で、成熟のタイミングが遅れ、子ども時代が長く延長され、そして子どもの身体的な特徴を残したまま、性的にも成熟する。そのような変化があるとき、生じた。そして、それがヒトを作り出した。そのような仮説である。 子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したままゆっくりと性成熟することを生物学用語で「ネオテニー」と呼ぶ。そして、ネオテニーには外見が子どもっぽいということ以上に、進化上、意外な有利さがあった。子どもの期間が延びるというのは、それだけ、怖れを知らず、警戒心を解き、柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きするということである。また試行錯誤や手先の器用さ、運動や行動のスキルを向上させる期間が長くなるということでもある。 P212 ここで重要なのは、このような変化は、遺伝子自体に突然変異が起きて、遺伝子Cが、遺伝子Xに変わらなくても、ただ、遺伝子Cの活性化のタイミングが遅れさえすれば、実現できる変化だということである。 P247 では、いったい、私たち人間は何を判断基準にして生きていけばいいのだろうか。これはもう一義的に言えるようなテーマではないと思う。ただ、個人的な感想として言えば「真偽」「善悪」の次のフェーズとして「美しいか、美しくないか」という「美醜」のレベルがあるように感じている。 例えば、臓器移植が是か非かというときに「真偽」や「善悪」のレベルの判断以外に「臓器移植は美しくない」と思う人がいる。遺伝子組み換え食品がいくら安全だと説得されても、それが美しいとは思えない人もいる。そういう異なったフェーズの判断が混在していることに、現代の問題の根深さがある。これを解きほぐしていく糸口はどこかにないものだろうか―。 P249 けれども、どの細胞も、もとから自分の役割を知って分化したわけではない。細胞ごとに、分化の命令がDNAに書き込まれていたわけでもない。たった一つの受精卵として出発した細胞は、二分裂、四分裂、八分裂と倍々に増えていくが、最初のうち細胞はどれもまったく無個性で平等だ。この間、コピーされて手渡されるDNAもまったく同じものである。 しかし、細胞数がある程度増えてくると、細胞は中空のボール状の塊となる。胚である。胚の中で、いったいどんな会話が交わされているのだろう。それは喩えて言うなら、こんな感じである。君が脳の細胞になるなら、僕は肝臓の細胞になろう。そっちが皮膚を作るなら、こっちはその下にある筋肉を作ろう。細胞たちはお互いのコミュニケーションを通して、相互補完的に自分の役割を決めていくのである。 |
坂井三郎 講談社α文庫 2011/12/19 200回以上の空戦で敵機64機を撃墜した零戦パイロットの空中戦の記録です。 このような本もあるのだなと、感心しながら読みました。 どの時代でも、どの世界でも、その社会が正しい。 江戸時代も、明治時代も、戦争前も、戦争後も、昭和の時代も、平成の時代も、今の時代が正しい。 本当に正しい時代は、何時の時代なのだろう。 私は、この頃、江戸時代ではないかと思っている。 P195 そのときの飛行長の言葉が、搭乗員たちの志気をいやが上にも昂揚させた。 「日本はいま、建国以来の困難に遭遇している。米英を先頭とするABCD包囲陣によって、わが国は、四方八方から圧迫を受け、このままでは経済封鎖による物資の欠乏でジリ貧になってゆくことは目に見えており、とくに石油の不足は死活の問題である。石油は世界にありあまるほどあるのだが、日本には一滴も売ってくれなくなった。売ってくれなければ、力ずくでいただきにいくよりほかに、生きていく道はないのだ。それもアラビアやアメリカのような遠いところにいくのではない。ここ台湾から一飛びのところに湧き出ているのだ。俺たち搭乗員が一番槍となって、この油田地帯に乗り込むのだ」 私が、間近に迫った大きな戦いの目的が南方の石油であることをあらためて再認識させられたのもこのときである。 12月6日、指揮所前に集合した小隊長以上に、分厚いガリ版刷りの印刷物が配られた。 いつも渡される刷り物はザラ紙にきまっていたのだが、いったい何の通達だろうと、ヒョイと見ると、上の方に綴じてある綴じ紙だけがいやに白い和紙である。ところが、きょうのはどうもようすが変だ。 文字に目を移した瞬間、私は思わずはっとして、そこに書かれている文字に吸いつけられた。「大日本帝国は、○月○日○○○○を期して米英蘭と開戦に決す」と冒頭にあり、○内の数字は追って通知すと書かれている。そして、敵状その他の事項がぎっしりと事こまかに記されている。 日華事変以来、戦さには慣れたつもりのわれわれではあったが、この一瞬、身心のひきしまるのを覚え、「よし、やるぞ!」と、私は改めて覚悟のほぞを固めた。 |
大坪弘道(元特捜本部長) 文藝春秋 2011/12/16 検察の取り調べと、刑事裁判について、これほど的確な教材は存在しないだろう。 検察制度は間違っているのか、正しいのか。 国家権力が制度を守ろうとしたときの怖さ。 それらを検察官自身に語って貰おうではないか。 いや、ドキドキします。 国家権力のターゲットにされてしまったら、まさにダンプカーの前の子ネズミに同じ。 ただの子ネズミなら良いのですが、プライドを持つ子ネズミであり、自意識との狭間に居場所を見付けなければならない。 なぜ、自分が拘置所で取り調べを受けなければならないのか。 なぜ、昔の同僚に「お前」などと呼びつけられなければならないのか。 そのような不遇を上手に位置付けなければ身が持たない。 いや、それは検察官が被疑者になった場合に限らず、誰の場合であっても、その不条理を受け入れなければならない。 82頁以降の次のような独白は、まさに、ミルトンの失楽園に登場する「サタン」の独白のように思える。 自分が罪人として拘置所に送り込んだ人達の慟哭の深さを知った。 私は知らず知らずの間に多くの罪を重ねてきたという罪悪感を心の中で感じるようになった。 司法というものは怖い。 私は長く司法権を行使してきたが、今回自らの身でもって体験することによって司法というものの怖さを知った。 私は、正義の実現という名の下に、余りにも乱暴に司法権という恐ろしい権力を扱いすぎてはいなかったかを自らに問うている。 著者も、この場に至って、ようやく権力の怖さを知ったということだろうか。 この程度の浅い思考で、他人を糾弾し、死刑だ、懲役だとやってきたことが恐ろしいと思う。 権力で守られていたからこそ、この幼さでもやってこられたのだと思うが、 しかし、その幼さが、結局は自分の身を滅ぼすことに繋がったのではないか。 「aBcDgef」という事実も、法律が登場すれば「ABCDEFG」という事実に整理されてしまう。 自分が経験したことと、法律的に整理されてしまう事実は異なるのだということぐらいは、検察官をやっていたら当然に理解していることだと思う。 しかし、読み進めるについて権力の嫌らしさが鼻につく。 被疑者との信頼関係も、著者が主張する人間性も、 ただ、自白を得るという目的の為の手段でしかない。 全て、自分の手の上で踊る被疑者であって、人間ではない。 取調が進行中のため義母の葬儀に出席することができない。 それを思いやり、被疑者が署名してくれた自白調書。 そのように造られた「自白調書」の意味内容を顧みない検察官(いや、著者)の発想。 本書は、権力を背に座る人達の人間性(非人間性)が書き込まれている。 権力を楽しみ、それを正義だと信じ込む。 著者は自分の経験について、「その間、幾度か検察組織の存亡を賭けた取り調べを担当した。結果的には自供を得て組織を救ったものの……」と述べている。 著者は、まだ、この矛盾に気がついていないのだろうか。 P15 布団を敷き横になったが、枕が高い上、蛍光灯の光が目に入りなかなか寝つかれない。今日のあの独房での気が狂いそうな拘禁の後遺症が私の心を弱くしてしまい、このような拘束生活に自分は長く耐えられそうにない。事実を曲げてでもこの事件に結着をつけたいと、最高検と正面から戦ったことを悔いた。 このままではとうていこの拘禁生活に私の精神がもたないであろう、否認を続けたままでは保釈も許されずこれから続く長期間の勾留に耐えられないだろうと、大きな不安が重く私の心を支配していた。最高検に屈し全てを失ってもここから一日も早く出て、妻と二人でどこかの地でささやかでよいから静かな生活を送りたいと切実に願った。 田宮先生に一日も早く接見してもらい、私が被疑事実を認めることと引き換えに罰金の略式請求にできないか、あるいは公判請求されることはやむをえないにしても起訴と同時の保釈を最高検と取引してもらいたいとの思いが募る。 布団を敷き横になったが、枕が高い上、蛍光灯の光が目に入りなかなか寝つかれない。今日のあの独房での気が狂いそうな拘禁の後遺症が私の心を弱くしてしまい、このような拘束生活に自分は長く耐えられそうにない。事実を曲げてでもこの事件に結着をつけたいと、最高検と正面から戦ったことを悔いた。 このままではとうていこの拘禁生活に私の精神がもたないであろう、否認を続けたままでは保釈も許されずこれから続く長期間の勾留に耐えられないだろうと、大きな不安が重く私の心を支配していた。最高検に屈し全てを失ってもここから一日も早く出て、妻と二人でどこかの地でささやかでよいから静かな生活を送りたいと切実に願った。 P82 私は逮捕権を含む検察権の行使が国民の負託に応えるものと信じていたが、いつしかその原点の気持ちから徐々に離れ、検察権の行使という恐ろしい魔物にとりつかれていたのかも知れない。 今回私は、人を逮捕・拘禁する立場から一転して逮捕され拘禁される対極の立場に突き落とされた。対極から対極に落ちるのであるから、その落差は一般人が突き落とされるそれよりも更に大きかったと思う。私は拘束される立場に置かれることによってはじめて拘束されるということの厳しさと辛さをこの身をもって思い知った。そして私がかつてここに送りこんだ多くの人達も私と同様の苦しみの中にあったことを思った。 人間としての尊厳である自由を奪われることの苦しみ。あくまで平等に規律に従って機械的に職務を執行する刑務官の絶対的指示によって日々の行動が律せられ、わずか三畳の独房から自らの意思によっては一センチも外に出ることができないというこの動かし難い絶望的な事実の前に、私はただただ無力である。誰の力にすがってもこの現実から逃れようがなく、それを受け入れるしか救われる方途のない重苦しい世界であった。私は独房にあって自らの意思で扉から寸分先へも進めない所へ閉じこめられている現実を思った時、その場にじっとしていられない凄まじい恐怖がこみ上げてきて気が狂いそうになり、それを必死で抑えた。その時の恐怖感は、今でも心の中に引きずっている。 好きな時に散歩し、テレビを見てひまつぶしをし、人と会い、伸びたツメを切り、ヒゲを剃り、家族と団らんする……これまでのごくあたり前の日常生活の一つ一つが、それを一切奪われた今、たまらなくいとおしく思えた。私が権力を行使してここに送りこんだ多くの人々が、この現実の前に立ちつくし、苦しみ、そしてそれを受け入れることによってしか自らの心を救うことができなかったという現実に今はじめて気づき、彼らの慟哭の深さを知った。 私は知らず知らずの間に多くの罪を重ねてきたという罪悪感を心の中で感じるようになった。それが正しい法の執行であり司法の実現であるとしても、それを行使された人々は、私がいま直面しているこの苦しみの中に追い込まれたのである。司法というものは恐い。それが私の偽らざる気持ちであった。 検察官であれ、裁判官であれ、あるいは弁護人であれ、生身の人間か絶対的に拘束され、寸分といえども自らの意思で動けないという自由の絶対的剥奪の世界にかかわっているのである。司法に携わる職業人である彼らがどれだけの洞察力をもって拘束される者の苦しみの現実を踏まえ、司法という世界にかかわっているかを問うた時、はたして何人の者が正面からそれに答えうるであろうか。私は長く司法権を行使してきたが、今回自らの身でもって体験することによって司法というものの恐さを知り、この世界からしばらくの間離れたいと痛切に願うようになった。 私は正義の実現という名のもとに、余りに乱暴に司法権という恐ろしい権力を扱いすぎてはいなかったかを自らに問うている。 P262 ためらいながら義母が亡くなったことと仕事があるので葬儀には出ないことを告げると彼は、「検事さん。それは絶対にいけません。一生後悔しますからお義母さん奥さんのためにも、絶対に帰りなさい」「調書を作っていただければ署名しますから。そうなさい」と、言ってくれた。 迷いながらも私は彼の言葉を受けることにした。急いでS氏の自供調書を作成した。数時間後、調書を完成させ、彼の前でその内容を読み聞かせて確認した。「この内容で間違いありませんか」彼はその調書を目で読み返し「これで結構です」と一言言って署名した。彼は残り二割の言い分は主張しなかった。これで私の職責の重要部分は果たし終えた。 私は翌25日、鳥取に帰り、義母の通夜と葬儀に参列し、最後の見送りをすることができた。全てS氏の恩情によるものであった。 P278 平成9年4月、大阪地検特捜部に戻ってからも同様の日々が続いた。その間、幾度か検察組織の存亡を賭けた取調べを担当した。結果的には自供を得て組織を救ったものの、よくぞあの重圧の中で戦えりと思うような厳しい局面もあった。検事としての修羅場を経験した数ではおそらく人後に落ちないであろうと、人生の一端を知ったような浅はかな自信をもった。 P282 私は27年間、仕事のことは一切家庭に持ちこまず、法律的なことも一切話さなかったので、妻は逮捕勾留がどういうことで、刑事司法手続きがどのように進んでいくかということにつき、一般人かそれ以下の知識しかなかった。私は妻に対し「何を弱気なことを言ってるんだ。君は長い間ボクの仕事を見て来ただろう。相手は最高検だぞ。ボクがこれまで被疑者に対してやっていたと同じことを彼らがやっているんだ。最高検は絶対にボクをここから出すまいとするはずだ。ボクが逆の立場に立たされて、同じことを彼らにやられているだけだ。今さら泣き言を言うな」と叱った。あえて妻に厳しく言ったが、その言葉は自分の心を納得させるためでもあった。 否認する被疑者の保釈を阻み、長く拘置所に閉じこめておくのは、検察の常套手段である。これを人質司法という。否認を続けると保釈が容易に認められず長く勾留されてしまうのでは……という被疑者の不安・恐怖心理を利用し、自供を迫る。それをほのめかすか、暗黙のうちにやるかは人それぞれだが、これは検察官の大きな武器である。弁護士接見の拡大、被疑者国選弁護人制度の導入など、検察に対して種々の掣肘が加えられる中にあって、ある意味で検察に残された唯一のカードがこの人質司法である。現役時代、そのカードを使ってきた私が逆の立場になって最高検にそのカードを使われたからといって泣き言は言うまい。それが私の決意であった。 |
野口悠紀夫 講談社 2011/12/15 野口教授のネット利用法が、さらに進化しているのなら、その情報が欲しいと思って手にしてみた。 でも、ダメでした。 従前の利用法の繰り返しです。 既に、googleやクラウド、iphoneなどを使った仕事の「やり方」を論じる時代ではない。 必要なのは、その一歩先です。 そして、野口教授は、その一歩先も論じ(実践)ている。 それが次です。 一歩先はgoogleやクラウドが主人公なのではなく、やはり、人間が主人公なのです。 必要なのは「一つには物くるる友、 二つにはくすし、三つには知恵ある友」。 「知恵ある友」との会話が、自分を成長させます。 そして見習うべきは野口教授の生き方です。 知性と好奇心があれば、人間は、年齢を経るごとに若くなる。 野口教授の年齢でネットを語り、 それよりも若い人達が、その本を購入してネットを学ぶ。 そのことを考えて頂ければ「年齢は財産」であることが分かって貰えるだろう。 P192 枕元にメモノートと筆記用具を置いておくことだ(最近では、暗いところでも書けるように、懐中電灯を置いてある。LEDランプの懐中電灯は、電池が長持ちするので便利)。 起きたときがゴールデンタイムなので、忘れないうちにメモする。寝ている間に生まれたアイディアの生存時間は非常に短く、あっという間に、「何かとても重要なことを思いついたのだが、それが何であったか思い出せない」という状態になる。 P193 アイディアは新しいものとの接触で生まれることが多い。だから、知的な人々との会話は、大変重要だ。相手から教えられるというよりは、相手と話している間に、自分の中に何かが生まれるのである。つまり、彼らが与えてくれるものは、多くの場合、「答え」ではなく、「問い」である。「問い」こそが重要なのだ。 P196 データの処理にアシスタントを使えるか? 使えない。なぜなら、「どのデータのどこを見て、どう加工するか」が重要だからだ。これは、試行錯誤によってしか見出せない。本章の【2】で述べたような試行錯誤(エクセルでデータを加工して見る)は、自分でしかできない。データを毎回同じように処理していることなど、ほとんどない。 P196 私は雑誌に連載したり本を書いたり、講演をすることで発信している。 発信するのは、もちろん私の考えを多くの人に知ってもらいたいからだが、それだけが目的ではない。「発信することによって考えが進む」とつねづね思っているからだ。本や連載を書いていれば、どうしてもアイディアを生みださなければならない。だから、プレッシャーがかかる。出版すると思うから、考える。そうしたプレッシャーがなければ、考えることをやめてしまうかもしれない。 |
須田忠雄 大空出版 2011/12/15 地べたが足に付いている著者がアパート経営の経験と思想を語ります。 では、著者のアドバイスに従い、いま賃貸物件を全て売却するか。 否ですね。 それが私の地べたに足を付けた生活実感です。 では、それを言葉で語れば、どのようになるか。 爺っちゃん、婆っちゃんの経営センスで成り立っているのがアパート市場。 だからこそ、頭とカネを使う余地がある。 ただ、今の時点で、借金をして物件を購入するのが間違いであることは著者に同意です。 それは平成20年で終わってしまったビジネスモデルです。 さらには、借金をして物件を新築するのも間違いだというのも著者に同意です。 それは平成元年に終わってしまったビジネスモデルです。 P36 今だからこそ「あのときはバブルだった」などと誰もが言いますが、当時それに気づいている人は決して多くはありませんでした。渦中にいると人は気づかないものです。それが証拠に、総量規制後も「土地はすぐに反転上昇する」と固く信じ、バブルで儲けた金で不動産を買い進む人もいました。 P61 「年金が少なく老後が不安な気持ちはわかる。でも、賃貸経営だけはやめなさい。アパート・マンション経営をこれから始めても、儲かるどころかバブル崩壊後の企業のように不良資産を生み出すだけ。悪いことは言わない、今すぐ売り払って現金に換えなさい。それがあなたにとって最善の土地有効活用になるのだから」と、独り声に出してもむなしいものです。また、誰の耳にも届きません。だから今、私は、この本を書いたのです。 P156 賃貸経営についても全く同じことが言えます。どんな理由があるにせよ、土地を所有している人が一斉にアパート経営・マンション経営を始めたなら、賃貸市場のバランスが大きく崩れます。過当競争から家賃も下げざるをえません。 P158 そういう意味でいえば、実はこの本も、無数の失敗の産物ということができます。すでに告自したように、私自身30年前に足利市でマンション経営を始め今も続けています。 30年間の収支決算はどうかというと、これが完全なる大赤字。年間500万円の赤字を30年間ずっと垂れ流してきたのです。延べ1億5000万円。本線の中古再生事業で大きな利益を出していなければ、とても持ちこたえられない金額です。 P189 猫田さんが私の友人で、契約する前に相談してくれたなら私は即刻こう答えるでしょう。 「アパート経営はやめなさい。あなたは節税マジックを餌に、しなくてもいい大きな借金と将来不安を生み出そうとしている.そんなに相続税が気になるなら、即刻土地を売りなさい。8000万円でもいいから売って現金にしなさい。そのお金で奥さんと世界一周旅行でもして、派手に散財しなさい。天国から迎えが来るまでに現金を使い切れば、相続税をとられることもないのだから」と。 P193 確かに、アパート経営が有効な相続税対策であることに間違いありません。そのこと自体を否定するつもりは全くありません。賃貸経営会社の営業マンの説明にも誤りはありません。私が再三言っているのは、リスクの問題なのです。すなわち、アパート経営するリスクと、アパート経営しないリスクとを比べて、どちらのリスクが低いですかと問うているのです。 |
手島龍一(元NHKワシントン特派員) 新潮社 2011/12/14 米国のテロと日本の被災を語るノンフィクションです。 まだ、読み始めですが、面白そうな予感です。 「ブラック・スワン」とは、それが出現するまではあり得ないこととして意識もされなかったこと。 そして、それが出現した後には当然になってしまう事柄です。 で、読み終えた感想はダメ。 自分の経験でもなく、自分の人生でもない事柄を著者が語る。 ただの世界政治の解説書であり、歴史や評論書の中の一冊。 ブラック・スワンの降臨という歴史の変革点を語るのかと思っていたのですが、全く。 自分の中に経験や人生を持っていない人達の著書には得るところがない。 P165 そして鳩山首相も、オバマ大統領に「トラスト・ミー」と約束しながら、普天間基地の移設問題を真摯に解決しようという動きを全く見せなくなった。超大国の大統領に、これほど重要な二国間の懸案について明確な約束を口にしながら、解決に向けての素振りすら見せなかった一国のリーダーを私は他に知らない。東京・ワシントンを結ぶ安全保障同盟の基盤が緩みかけていたそのとき、日本の首相が吐いた「トラスト・ミー」の破壊力は凄まじかった。 オバマ大統領の訪日に先駆けて東京を訪れた先遣隊のひとりは、首脳会談の先行きを危ぶんでいたのだろう。同盟国で誕生したばかりの政権に棘を含んだ物言いをした。 「鳩山内閣は発足して早々に国際社会の信頼を喪ないつつある」 「このくだりはオフレコに」と言いかけて、情報源を伏せるならいいと、発言の引用に同意してくれた。鳩山政権側の対応がよほど腹に据えかねていたのだろう。 P167 鳩山政権は、日米同盟を迷走させ、結果的に中国の影響力を増大させたことにあまりに無自覚だった。新たに政権を担うことがどれほど苛烈な責任を伴うのか、現代史に少しも学んでいないのである。ソ連邦を崩壊させたエリツィンのロシア連邦は、旧政権が締結した国際条約をそのまま継承すると宣言した。それによって正統な後継国家として冷戦後の世界に迎え入れられた。北方領土問題を抱える日本はその事実を忘れるわけにはいかないはずだ。一種の革命によって誕生したエリツィン政権ですら、前政権の国際約束を尊重した。ましてや、民主的な選挙で政権の座に就いた者が、すでに取り交わされた外交上の約束を軽んじていいわけがない。 P173 沈黙の臓器という言葉がある。肝臓はがん細胞に冒されても痛みを感じない。このため患者は自覚症状に乏しく、手遅れになるケースが多い。がんの専門医にとっては厄介な存在なのだ。 同盟関係は沈黙の臓器に似ている。両国の信頼の絆が損なわれる事態が静かに進行していても、兆候は容易に現れない。そのため同盟の奥底に広がる病弊を見過ごしてしまいがちだ。国家の安全保障を担う者は、よほど想像力を研ぎ澄ましていなければ、忍び寄る危機を察知することは難しい。 日米同盟はいま、そうした危機のなかにある。 P178 「大国が互いにしのぎを削る冷徹な世界にあっては、力を持つ者こそが正義なのである。力を持たない者は自分の存在そのものが悪だと決めつけられないよう振る舞うのが精々のところなのだ」 外交に携わる者たちに長く語り継がれてきた箴言である。身も蓋もないほど率直な物言いなのだが、苛烈な国際政治の核心を見事に衝いている。大国同士が、食うか食われるかの抗争に明け暮れるなか、『三銃士』にも登場するかのリシュリュー枢機卿がふと漏らした言葉だった。 |
読売新聞社 中央公論新社 2011/12/14 78人の新聞記者が見た3・11東日本大震災を語ります。 P53 泥だらけになった幼い子供の遺体が、目の前にあった。今回の震災まで、生きていれば良いことも悪いこともバランス良く起きるのだと、心のどこかで信じていたと思う。でも、現実はもっとむごいのだと思い知らされ、その場に立ちつくした。 |
佐々木融(JPモルガン・チェース銀行) 日経プレミアムシリーズ 2011/11/21 如何に為替を知らず、為替を論じていたかを知らされます。 国力と為替は関連しない。 10年、20年の長期的には、その国の生産性の上昇とインフレが為替に影響を与えるが、短期の為替の動きは、それとは別の要因で動く。 円とドルを比較して論じても意味はない。 ドルに対しての円高は、他の通過に比較しての円安、ドル安かもしれない。 世界的株価下落時 世界的株価上昇時 ┌────────┐ ┌──────┐ │ JPY 円 │ 強い │ AUD │ 強い ├────────┤ ├──────┤ │ USD 米ドル│ ↑ │ NZD │ ↑ ├────────┤ ├──────┤ │ EUR ユーロ│ │ CAD │ ├────────┤ ├──────┤ │ CHF スイス│ │ GBP │ ├────────┤ ├──────┤ │ GBP ポンド│ │ CHF │ ├────────┤ ├──────┤ │ CAD 加ドル│ │ EUR │ ├────────┤ ├──────┤ │NZD ニュージ│ ↓ │ USD │ ↓ ├────────┤ ├──────┤ │ AUD 豪ドル│ 弱い │ JPY │ 弱い └────────┘ └──────┘ 円は、世界の景気の良い時には最も売られ、 世界の景気が下向きの時は最も買われる。 低金利であること、金融市場が大きいこと、世界第2位の経常黒字国で、 その規模は第3位であるスイスの2.5倍の規模にある。 円は、世界の投資資金の財布を演じているということだろう。 日本の経常収支は常に黒字だ。 だから、経常収支で得たドルを円に買い換える必要がある。 そして、米国の貿易収支は常に赤字だ。 だから、世界の貿易業者が米国への輸出で手に入れたドルを売り続けることになる。 好況で、世界が資金を必要とする場合は円安になる。 円を売り、ドルに替えて、世界に資金が流れるからだ。 不況で、世界が資金を必要としない場合は円高になる。 世界からドルが回収され、それが円に変換されるからだ。 P54 評論家や知識人とされる人のなかには、「このままでは日本人は日本の将来に悲観して、資金を海外に移すだけではなく、日本からどんどん出ていってしまう」などと極端なことを言う人もいる。英語が話せて、海外旅行の経験も多い人にとってはそういう選択肢もあるかもしれない。しかし現実には、英語も話せず、海外旅行の経験すら少ない日本人のほうが圧倒的に多いはずである。こういう人たちが日本の将来に悲観したとしても、どうやって日本を出て暮らしていくのか。現実的にはほとんど考えられないことだと思う。 P54 ここまで読み進んできて、為替相場は「国力の違い」や、「経済力の違い」「人口の増減」によって動くものではなさそうだということを少しはご理解頂けただろうか。中期的な為替相場の動きを分析する時は、資本フローがどのような経済環境でどちらに向かっていくかを分析・理解する必要がある。もちろん、成長率の高い国に資本フローが流れることはあるので、厳密に言えば国力や人口の増減は全く関係ないとは言い切れないが、すべての投資資金フローがそうした原理で動いているわけではないし、投資を行うため以外の貿易取引等に絡んだ資金の動きも考えなければならない。世界のお金の流れは単純ではないのである。 P56 実は、15〜20年先といった超長期的な分析をする際には、また別の要素を勘案しなければならない。後ほど詳しく解説するが、それはインフレ率である。インフレ率とは物の値段。物の値段とは通貨の価値である。つまり、物の値段が下がるということは、通貨の価値が上がるということになる。超長期的な視野に立って見れば、為替相場の方向性を決めているのは国力や人口増減などではなく、各国のインフレ率の差。つまり、ある一定の期間(ただし15年以上の長期間)で見て、インフレ率の最も低かった国の通貨が最も強かったことになるのである。 円は1990年以降の過去21年間で見ると、最強通貨である。なぜかと言えば、それは単純に主要国中でインフレ率が最も低かったからである。つまり「円高」とは、円という通貨が様々なものに対して強かったことを意味している。円という通貨を過去21年間銀行預金やタンス預金で抱えていた人は、ある意味でかなりうまい投資をしてきたことになる。何しろ諸外国と比べると様々な物品に対する円の価値は上昇(つまりデフレ)し、加えて他国の通貨に対する円の価値も上昇しているのであるから。 P124 因みに、2011年3月の大震災の影響で、4月と5月の貿易収支は1.2兆円もの赤字を記録したが、それでも経常収支は4、5月合計で1兆円の黒字となっている。理由は所得収支が2.8兆円の黒字だったからである。あれだけの大災害を受けても経常収支は黒字を維持するのだから、それほど簡単に近い将来経常収支が赤字になるとは思えない。 P126 円にはそもそも買われる理由など必要ない。日本は世界第2位の経常黒字国であり、貿易黒字も大きい。円高が進行している時に、日本の輸出企業を前にして「円を買う理由はないでしよう。なぜ円を買うのですか?」とは聞けないであろう。日本の輸出企業は円相場がどのような動きをしていても、輸出で稼いだ外貨を売却して円を買わなければならないのだ。 P127 したがって、円を売って外貨を買う「理由」がある時に、円は下落するのである。円にとって必要なのは「買われる理由」ではなく、「売られる理由」なのだ。 逆に、米ドルには売られる理由など必要なく、必要なのは買われる理由である。言うまでもなく米国は世界最大の貿易赤字国である。したがって、米ドルが売られるのに理由など必要はないのだ。世界中の輸出業者が米国への輸出で得た米ドルを毎日淡々と売っているのである。こうした米ドル売りは毎日変わることなく行われており、すべての市場参加者が知るところであるが、これも当然相場に「織り込まれる」ことはない。世界中の輸出業者が米ドルを売った時、それを相殺する米ドル買い需要が弱ければ米ドルは下落する。だから米ドルにとって重要なのは買われる理由なのである。 時折、米ドルが下落している時に、「米国の巨額な経常赤字に注目が集まり米ドルが売られている」などといった解説を聞く。しかし、こうした解説は正しくない。注目が集まるとか集まらないということではなく、単純に巨額な経常赤字から発生する売りを相殺するほどの買いがないから、米ドルは下落しているのである。世界の輸出企業は市場が注目しようがしまいが、毎日米ドルを売る必要があるのだ。 P134 投機筋と呼ばれる人々はプロ中のプロである。したがって、為替市場がどのくらい大きな市場で、操作をするのがどれだけ困難かは、自分たちがよくわかっている。自分たちが円買いを行うことで円相場が動かせると考えているプロはほとんどいないだろう。20年前なら「海外投機筋による仕掛け的な円買い」で相場が動いたこともあったが、今は市場の規模が巨大になってしまっているうえ、海外のヘッジファンドも以前ほど多額の取引を行わなくなってきているのだ(ヘッジファンド自体が細分化されていることもその背景になっている)。 P135 因みに、時折、長期的な市場の動きを投機筋の動きで説明するような解説を目にすることもある。しかし、前述したように、投機筋はそれほど長くポジションを持つことはない。したがって、中期的に見ればヘッジファンドのような投機筋の相場に対する影響はニュートラルなのである。 |
小林和彦 新潮新書 2011/11/19 統合失調症を患った著者が、時系列に沿って、自己認識をリアルに語ります。 自分の記憶を、これほどしっかりと時系列に沿って語れることが驚きです。 正常だった現状認識が、徐々に崩れていく過程が、リアルに連続的に語れていきます。 パラノイア型の現実認識ですから、正常な意味では論理は成立していません。 なぜ、論理が成立してない現状認識が、これほどリアルに語れるのか。 著者の優れた感性の成せるわざなのか。 この本を読んでいると、異常性に引き込まれそうになります。 誰でも、あるいは私には、この種の判断傾向に引かれる個性があるのかもしれません。 現実に、自分自身が統合失調症を患う前に一読しておくべき書籍かもしれません。 この本を読んでおけば、自分自身の異常性を、症状が軽い段階で客観視できるかもしれません。 P113 どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにある」というシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。「世界は僕のためにある」とは、二〜三日前から考えていたことだが、それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった。 僕の直面した世界は、いつも見知っている世界とはちょっと違うのだ。特にこの早稲田大学は。会う女の子すべてが僕好みの可愛い女の子なのも、イスラエル人に会うのも、外でばったり寿里先生に会うのも、ゴミ箱の中身が僕と関係のある品々ばかりなのも、すべて偶然なのだろうか。何者の仕業かはわからなかったが、僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じているのではないか、そんな気がし始めた。 この時僕は、自分がおかしくなったとは思わなかった。普段経験したことのない多幸感に包まれてはいたが、幻視も幻聴もなかった。もっとも幻覚があっても、肉体的な苦痛を伴わなければ、病気だという自覚はなかっただろう。芝居を続けるなら続けるがいい。僕は決して狂気には陥らないそ、と思った。だが、その決意は、数分後、もろくも崩れ去るのである。 P115 僕がこの世界を作っている。もう少し穏当な表現をすれば、僕が見知っているこの世界は、僕のイメージの産物だ、ということに気がついてしまった。空想的な遊びではなく、実感してしまったのだ。普段使わない思考回路が次々とつながり始め、それまでの幸せな気分は吹き飛び、急転直下、地獄へ落とされた。 僕は気づいてはいけないことに気づいてしまったんだ。世界が僕のイメージでできているなら、ちょっとでも不吉なことを考えれば、世界は、あるいは僕は消え去ってしまうではないか。 誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声がした。ミックの声に聞こえた。誰かが僕の様子を遠くからカメラで撮影しているような気もした。僕が真実を知ることを、他のみんなは待ち望んでいたのではないか、と思った。そして僕も真実を知りたいと思っていた。しかし、僕が直面した真実は、とてつもなく恐ろしく、僕は正気を保ち続ける自信を失った。 胸がどきどきして、とてもカバンを持って歩く体力はないことを悟り、カバンの中身を時刻表の上にぶちまけた。現金や通帳や、大事なものはたくさんあったが、僕はそういったものには目もくれず、プラパズルと“美夜ちゃんファンクラブ”の会員証の入った名刺入れの二つをデニーズの巾着袋に入れ、立ち上がった。 立ち上がると、世界が変わってしまった。空はオレンジ色になり、建物や地面はあやふやで、手や足がそれらを通り抜けてしまうのではないかと感じ、すべてのものが自分への脅威となった。 P183 薬物(化学)療法は確かに有効で、僕は発狂という恐怖のどん底からは救われたが、同時につかみかけていた真実からも遠ざかってしまった。だから入院が正解だったかどうかは今もってよくわからない。七月の末に僕が挑んだ真実探究の冒険は、ウヤムヤのままで中断してしまい、再開できる日が来るとは思われなかった。平穏を得た代わりにパワーを失くしてしまったのだ。 もっとも医者をはじめ、世の常識人は、それでいいのだ、真実を知ることなど人間が生きていく上でプラスにはならない、と思っているだろうが。というより、僕が覗こうとしていたのは真実でも現実の究極の姿でもなく、ただの幻だと言うだろうが。薬物療法は僕をおとなしくさせたが、同時に創作者として最も大事な想像力まで奪われたような気がしてならなかった。 これが病院の目指している患者の社会復帰というものなのか。僕は大いに疑問を感じてしまう。社会や体制(病院はその象徴)に対して反抗していた者を、薬の力で無理やり、おとなしく無気力な人間に変えるための洗脳ではないかという思いはいまだに払拭されない。 P207 とにかく発狂という恐怖のどん底に突き落とされる寸前まで、僕の人生はバラ色だったのだ。それがなぜ、「発狂」あるいは「幻覚妄想」あるいは、スウェーデンボルグが「壊廃」と名付けた精神不穏状態に陥ってしまったのか。それまでの僕の苦しみに対する免疫がなく、「甘ちゃん」だったからか。 そんな人は他にも幾らでもいるだろう。ただし、今の日本の精神障害者総数は160万人ということだから、彼らは皆そうであり、残りの1億2140万人の人々は強靱な精神の持ち主であるのなら納得するしかない。僕は特別弱い人間なのだ。人を殺す度胸も自殺する勇気もない卑小な精神障害者だ(だからマスコミに登場しないで済んだのだが)。 P209 僕は薬で脳を徹底的にいじくられたが、それでも「洗脳」はされなかった。頭がボーッとしたものの、物の考え方、感じ方は前と少しも変わらなかったのだ。二年経った今では、あの七月下旬の高揚感には程遠いものの、かつてと同じような想像力を取り戻すこともできた。つまり化学療法をもってしても「心」は治せないということだ。心が病んでいたら、どんな薬でも治せまい(だから僕は「精神病」を「心の病」と言い換える昨今の風潮には反対なのだ)。 もし僕の心が病んでいたとしたら、これは生まれたときからそうだったんであって、今更健康な心になりたいとは思っていない。そして、心がいじくられることはないと思えば、安心して精神科に入院することもできる。 P307 事件をあれだけ大きく報じたのだから、公判も大きく報じるべきなのに。公判が行われなかったのなら、そのことも同様に大きく報じるべきだろう。裁判が行われなかったのだとしたら、その理由は精神鑑定で“責任能力なし”と判断されたことにほかなるまい。 だとしたらそれを大きく報じて、“心神喪失者の行為は、罰しない”という刑法39条を見直そうという世論が高まってほしかった。僕はありていに言えば「キチガイは人殺ししても罪にならない」というこの法律を一刻でも早く改正してほしいと思っている。何度も言うようだが、こんな法律があるからいつまで経っても精神障害者が白い目で見られるのだ。これは言うなれば、精神障害者は法律に基づいた社会生活を営む権利はないという差別である。 どんな残虐な犯罪者だって正当な裁判を受けられるのに、精神障害者には裁判を受ける権利さえないとは一体どういうことなのだ。僕はあの容疑者を擁護するつもりはないし、本当にあんなことをしでかしたのなら死刑になって当然と思っているが、社会に対してもマスコミに対しても本当に腹が立つ事件であった。 P352 一番わからないのは、みんな“この一線を越えてしまったら帰って来られなくなる”という、正気と狂気の境で踏みとどまった経験があるのかないのか、ということだ。そこから一歩踏み込んだらどうなるか、ということをみんなは知っているのだろうか。知っていても、常識がないと思われたくないから、或いは単に恥ずかしいから、表現しようとしないだけなのか。 僕は厚顔無恥な男なのだろうか……。 でも、本当に越えてはいけない一線を越えて、何とか人格までは破壊されずに生還できた人間として、その先に見えた世界を刻明に書き記すことは、僕の責務であるような気がする。精神科医や専門家でも、病気のリアルな体験はしていないだろうし、一般の人達にとっても参考になるはずだ。 統合失調症という病気の症状は、人によって千差万別である。一人の患者でも、粗暴になったりおとなしくなったりする。その人が「幻覚妄想」に襲われている場合、一般の人がそれを理解するのは難しい。家族でもなかなか解ってもらえない。患者が家族も医師も何もかも信じられなくなったら、自分だけの孤独な世界に閉じ籠るしかないだろう。 |
本川達雄(生物学者) 新潮新書 2011/11/10 「ゾウの時間 ネズミの時間」の著者です。 なぜ、犬は13歳で白内障になり、癌を発症してしまうのか。 時間のスピードが違うのですね。 体積に比較し4分の1乗のスピードで時間は早くなる。 脈拍、呼吸、消化、寿命など、全ては4分の1乗の関係になる。 人間の体重が60キロで、犬の体重が12キロだとすれば5倍。 つまりは、犬の時間は人間の時間の1.495倍も早くなる。 うーん、それにしては犬の寿命は短すぎる。 私が4分1乗の計算を間違えているのかもしれない。 同じ時間を別のスピードで生きている。 人間と犬との関係ですが、仕事の遅い人と、早い人の違いでもあるように思えてくる。 そちらは4分1乗ではなく、2分の1乗ほどの違いがありますが。 P154 ゾウとネズミの関係にもどりましょう。体重あたりのエネルギー消費量は、体重の4分の1乗に反比例します。これは細胞一個あたりのエネルギー消費量が体重の4分の1乗に反比例すると言い直せます。この関係からすると、ゾウの細胞は、ネズミの細胞のたった5.6パーセントしかエネルギーを使っていない、つまり働いていないことになります。それほどまでにゾウの細胞はサボっているのです。これはあまりにもひどいとお感じになるかもしれませんが、だてにサボっているわけではなさそうなんですね。 そこでこんな計算をした人がいます。ゾウの細胞がネズミの細胞ぐらいせっせと働いてエネルギーを使うとどうなるかという計算です。働けばたくさん熱が出ますから、それが体内にたまり、ゾウの体温がどんどん上昇します。そして、ついには100度を超えてしまう計算になります。つまり自分の出す熱でステーキになっちゃうわけです。これはたまりません。だからゾウの細胞はサボっているのではなく、節度をもって働かないのだというのです。 P157 食べる量と体重との関係はどうでしょう? これも体重の4分の3乗にほぼ比例します。そして、同じサイズの動物で比べれば、恒温動物の方が変温動物より15倍たくさん食べます。15倍。これは、とてつもなく大きな違いです。 私たちの祖先の変温動物が、ある日、目覚めたら恒温動物に変わってしまったと仮定してみましょう。すると、昨日まで虫1匹捕まえて、あとは寝ていればよかったものが、今日からは、虫を15匹捕まえなければ生きていけない。生活がすごく忙しくなってしまったのですね。もし私たちが今、3度の食事を45回に増やせ、そして給料も15倍かせげ!などと言われたら、たまったものではないでしょう。もちろん進化の歴史では、こんな突然の変わり方をしたわけではないでしょうが、変温動物から恒温動物へ進化した時に、きわめて大きな生活の変化を伴ったのは、間違いないでしょう。 P160 この草を体重2キロのウサギ500羽(総体重は同じく1トン)に食べさせても、できる肉の量は恒温動物ならみな同じで、200キロです。ただし時間が違います。第8章で扱いますが、小さいものでは時間が早いのです。同じ量の肉ができてくるのに、ウシが一四ヶ月なのに対し、ウサギでは3ヶ月しかかかりません。 また同じ恒温動物を食べるにしても、サイズの小さいものを食べた方が効率的です。 P166 心臓の時間は体重の4分の1乗に比例します。 4分の1乗ですから、体重が増えると時間が余計にかかるようになりますが、体重に正比例して長くなるわけではありません。 体重が10倍になると、時間は1.8倍ゆっくりになる。体重がさらに10倍になると、時間は、また1.8倍長くなるというのが、4分の1乗の関係です。 こんな関係になるのは心臓に限ったことではありません。息を1回吸って吐くのにどれくらい時間がかかるかを、いろいろなサイズの動物で計り、アロメトリー式を求めてみます。肺の動きは心臓の動きよりゆっくりしていますね。だから式は心臓のものと同じにならないのは当然ですが、肺の動く時間もやはり、体重の4分の1乗に比例するのです。 腸が食物をじわっじわっと送る、その1回の「じわっ」の時間も体重の4分の1乗にほぼ比例します。それと関係するでしょうが、食べてから排泄される時間も、やはり4分の1乗に比例します。飲んだものが出てくるまでの時間もそうです。 P168 体重の4分の1乗ですから、体重が10万倍違えば、時間は18倍違うという計算になります。ちなみにこれは30グラムのハツカネズミと3トンのゾウの違いに相当します。ゾウでは、時間がネズミよりも18倍ゆっくりと進んでいるのかもしれません。 P170 ハツカネズミの寿命は2〜3年、インドゾウは70年ちかく生きるものです。時計の時間で比べれば、ゾウは桁違いに長生きですが、一生に心臓が打つ数は、どちらも同じ15億回なのです。 ではエネルギー消費量に寿命という時間を掛けてみましょう。すると一生の間に使うエネルギーは30億ジュールと計算できます。ゾウの寿命は約70年。70年間に30億ジュール使います。ネズミの寿命はせいぜい3年。3年の間に、やはり30億ジュール使うのです。 結局、一生の間にゾウもネズミも心臓は15億回打ち、どちらも同じく30億ジュール分の仕事をして死ぬ、というわけです。 時間と体重当たりのエネルギー消費量とは反比例しています。だから、「時間分の1」、つまり「時間の進む速さ」がエネルギー消費量と比例するのです。結局、動物の体の中では、エネルギーを使えば使うほど時間は早く進んでいきます。そして一生の間に使えるエネルギーはみな決まった同じ量なので、早い時間の動物は短命ということになるのです。 P205 室町時代でも、寿命は30歳代前半。江戸時代で40歳代、昭和22年に至っても、まだ50歳。みんながみんな、70だ、80だという状況になったのは、ごく最近です。 もちろん昔だって長生きした例がなかったわけではありません。でもそれはごく一部の人でした。縄文時代に60歳より長生きした人は、100人に1人、室町時代でも10人に1人程度だったのです。 |
上岡榮信 河井書房新社 2011/11/08 有料老人ホームをマスターしてしまおうと何冊かの本を積み上げて読んでみました。 しかし、実感が伝わってくる解説書が見付けられません。 その中から得た私の選択基準は次の具合でしょうか。 1 どのランクのホームに入るか。 2 何時の時点でホームに入るか。 3 自宅の近くに、そのようなホームが存在するか。 最終的に必要な要素は、幾らの保証金が準備できるか、幾らの月額使用料が支払えるかの2点だ。 そして、この2点が人生の予備プランでもある。 話が具体化する事情が発生したときは、本書にある次のトラブル事例をチェックリストに使おう。 P85 この章の最後に、残念ながら、終の棲家として納得できなかったという入居者や家族からの怒りの声をまとめてみましたので参考にしてください。 ▼母がホームに入居、処方された薬で具合が悪くなった。退去させるが返金額が納得いかない。 ▼母が半年前に入居。入居前の説明と違い、外出のサービスは不可。リハビリも不十分で、サービスが悪く退去。一切返金はないと説明された。 ▼半月前に契約したホームに1週間入所したが、サービスが悪く解約を申し出た。ところが、解約日は1ヶ月後で、解約金80万円を入居一時金から差し引いて返金すると言われた。 ▼入居一時金の返還が契約書通りに実施されない。運転資金の関係で6ヶ月待つように言われた。 ▼入居して2ヶ月以内に退去したが、入居一時金の返還が遅れている。 ▼当初説明された以上に介護の費用がかかる。 ▼ホーム入居後、通常の月額利用料のほかに、月6万円の生活支援料が必要と言われた。自立して何でもできるので、生活支援料を請求されるのは不可解。 ▼両親が入居を検討していたが、最終的に断ったホームから、仕様変更代として高額な請求があった。 ▼母がホームに10ヶ月前に入居。ホームの懇親会で、経営者から「経営が成り立たない」と、月額介護料金の値上げを提案された。 ▼全介護になっても無料で介護が受けられると言われたが、経営者が替わり、料金改定などの同意書を求められ、高額な請求をされた。 ▼営業段階では「終身介護」と言いながら、病院から退院してくると「介護ができない」と言って退去を求められた。 ▼「施設側の手に余る問題行動が多い」と言われ、退去を求められた。 ▼「医療24時間体制」にもかかわらず、退院後、夜間看護師不在とのことで退去を要請された。 ▼父が入居、亡くなったが、居室の高額な清掃代を請求された。 ▼両親が終身介護付ホームに入居、疾の吸引が常時必要なため、別の施設への住み替えを打診された。契約書に住み替えに同意する旨のサインがあると言われたが、契約時に説明を受けていない。 ▼一般居室から介護居室へ住み替える際の費用調整について、再度初期償却が行われたのは納得できない。 ▼ベッドに縛り付けるなどの身体拘束をしている。 ▼施設長が1年ごとに替わるので不満や要望を伝えてもなしのつぶて。対応に誠意がない。 ▼ホームの職員が心ない言葉を使ったりきつい口調で受け答えしたりするなど、高いお金で入居したことを悔やむ毎日。退去したいがお金のこともあり、悲しい思いで過ごしている。 |
某税理士 三和書籍 2011/11/04 このようなタイトルの本は読みたくはないのですが。 しかし、業界情報として読まざるを得ない。 で、読んで見ました。 ただ、とても読めない。 ここまで価値観が異なると、読んでいて気持が悪くなる。 税理士事務所に、提案できることなんて存在するのか。 それが基本的な私の疑問です。 この本がtaxMLで話題になりましたが、そこで優秀なる我が友が的確に定義してくれたのが次の言葉。 「しかし、仮に不況業種でありながら、無借金で高利益を稼ぐ優秀な社長が、他の赤字会社に経営アドバイスをしても、経営は改善しないでしょう」 仮に、私が税理士事務所をやっていても、 法律事務所をやっていても、客に提案できることなんて存在しません。 岡目八目の勘違いなら、あり得ますが。 そんな世間話でカネを取るのは不可能です。 「俺はアドバイスが売りだ」という極一部の専門家が存在し、 「アドバイスができない私は俺は劣っているのだろうか」と、不安を持つ多数の専門家が存在する。 それは自分に不安を持つ多数の専門家が正常なのです。 ダメになりそうな会社が、優秀な再建屋を連れてきて、再建に手を付ける。 そして、本当にダメになる。 そのような事例を幾つも見てきました。 優秀な再建屋が、自分の会社を持っていないはずがない。 自分の会社を持っていれば、他人の会社の再建を手伝うはずがない。 ただ、もしかして、そのようなボランティアが社会に存在するのかもしれない。 だから、一概に否定はできない。 しかし、上記の定義で、こんなのは簡単に否定できてしまう。 資格という鎧をまとわなければ社会に参加することも出来なかったのが専門職の人達。 その人達が、徒手空拳で戦う経営者にアドバイスできることは存在しません。 仮に存在したとしても、一度限りの岡目八目のアドバイスです。 岡目八目で、一度限りのアドバイスなら、誰にでもできます。 ただ、2度目、3度目と、それを続ける事はできない。 2度目、3度目、4度目と、自分自身にアドバイスを続けないと成り立たないのが商売です。 さらに、正規分布からいえば顧問先の40%は零細中小企業だろう。 町の理髪店に、どのようなアドバイスが可能だというのだろうか。 P12 中小企業経営者が欲しがっているもうひとつのもの、つまり経営改善の提案に関してですが、当事務所では、全職員がお客さまを訪問する際に、何かひとつは必ず提案をおこなう決まりになっています。顧問先1社につき、最低でも年1回は提案しています。現在の顧問先数は約1000社ですから、年間の提案数は1000件を優に超えているわけです。 提案の内容は、相続対策や事業承継支援、M&A、事業再編などのほか、業務改善の提案や金融機関対策など多岐にわたります。数多く提案すれば、それだけお客さまには喜んでいただけます。 |
モナ・シンプソン 早川書房 2011/10/31 スティーブ・ジョブスの実の妹の作品です。 綺麗な文章が続きますが、私のテリトリーではなく、読破できそうにありません。 生まれたときから別々の生活をしていた2人が、 共に、クリエィティブな活動を成し遂げていることに凄さを感じます。 |
ウオルター・アイザックソン(伝記作家) 講談社 2011/10/27 雨後の竹の子のように出てくるブーム本とは異なり、 ジェブス氏本人からの依頼で書き上げられた伝記です。 そして、文章が極めて読みやすい。 著者の力量が、訳者によって生かされているのだと思う。 上下2巻ですから、とても読み通す時間は取れないのですが、書き出しを読むだけでもわくわくします。 ゼロックスが、なぜ、GUIをアップルに提供してしまったのか。 GUIとの出会いがappleを造り、それに随分と遅れてWindowsが登場した。 ジョブズという経営者の美意識と個性が語られています。 その幾つかの美意識のうちの1つが「洗練を突きつめると簡潔になる」という表現。 しかし、ジョブスについて「自己愛型人格障害」だという記述もあります。「あの人にもう少し親切になって欲しいとかもう少し自分中心的なところを減らして欲しいとか思うのは、目の不自由な人にいろいろちゃんと見て欲しいと願うようなものだったのだと良く分かりました」。 共感する能力があの人に欠けていたのだと。 精神病質も、天才を生むのなら、社会的なコストとしては高くはない。 ジョブスは、その一例だろう。 P157 アップル2のおかげでアップルは、ジョブズのガレージから一気に新興産業のトップ企業にまで登りつめた。 販売台数は1977年の2500台が1981年には21万台とうなぎ登り。 しかしジョブズはいらいらしていた。アップル2がいつまでも売れ続けることなどありえないし、また、電源コードからケースまでパッケージしたのは自分でも、アップル2はウォズの傑作として記憶されるとわかってもいた。 自分のマシンが必要だ。さらには、「宇宙に衝撃を与える」ほどの製品が欲しかった。 P161 そのビジョナリーとして有名な人物にアラン・ケイという研究員がいた。 「未来を予測する最良の方法は、自分で作り上げることだ」 「ソフトウェアを真剣に追求するのなら、ハードウェアまで作るべきだ」 という、ジョブズお気に入りの言葉を述べた人物だ。 ケイは、子どもから老人まで、あらゆる年齢の人々が簡単に使える、「ダイナブック」という小型パーソナルコンピユータを作りたいと考えていた。 そのために考案されたのが、グラフィックスでコンピュータを操作するという方法だ。 P164 隠されていたものをテスラーに見せてもらったアップル陣は、皆、目をみはった。 アトキンソンなど、ピクセルの一つひとつまでよく見ようとスクリーンに顔を近づけ、テスラーはその息を首筋に感じたほどだ。 ジョブズは興奮して歩きまわり、手を振りまわしていた。 「あまりに動きまわるので、デモが見えているのだろうかと心配になるほどでしたが、でも、きちんと見ていたのは確かです。 次々と質問をしてきましたからね。私が新しいなにかを見せるたび、彼から感嘆符が飛び出してきました」 ジョブズは、この技術をゼロックスが商業化していないことが信じられなかった。 「これは宝の山だよ?それを活用しないなんて、ゼロックスはどういうところなんだ?」 スモールトークのデモには3つのポイントがあった。 ひとつはコンピュータのネットワーク化、もうひとつはオブジェクト指向プログラミングだった。 しかし、ジョブズらはこの2点にほとんど注意を払わなかった。 3番目のポイント、GUIとビットマップスクリーンに心を奪われていたからだ。 「あのときは、目からうろこがぼろぼろ落ちたよ。そして、未来のコンピュータのあるべき姿が見えたんだ」 2時間以上かかったPARC見学が終わったあと、ジョブズはビル・アトキンソンを乗せ、クパチーノのオフィスに戻った。 車も心も口もスピード違反状態だった。 「これだ!」 「やったろうぜ!」 これこそ、ジョブズが求めていたブレークスルーだった。 この技術があればふつうの人にもコンピュータを届けられる。 アイクラー・ホームズのようにうきうきするデザインと、キッチン家電の使いやすさを併せ持つ、安価なコンピュータを。 「開発にはどのくらいかかるかな?」 というジョブズの問いに対するアトキンソンの回答はあまりに楽観的だった。 「よくわかりませんが、6ヵ月くらいではないかと思います」 P202 それにしても、あれほど激しく、あれほど口汚くする必要はあったのだろうか。その必要はなかっただろうし、あのやり方が正しかったとも言えない。やる気を起こさせる方法ならほかにいくらでもある。 また、たしかにマッキントッシュはすごいマシンに仕上がったが、ジョブズがだしぬけに首を突っ込むため、スケジュールは大きく遅れ、予算は大きくオーバーした。心が傷つくというコストもあり、チームの大半が疲弊した。ウォズニアックも、ほかにやり方があったはずだと考えている。 「あんなに脅し付けなくても、ステイーブは十分に貢献できたはずだと思う。ぼくはもっと自分を抑え、人と衝突しないほうが好きだ。会社って家族のようなものだと思うからね。ぼくのやり方でマッキントッシュを進めていたらぐちゃぐちゃになっちゃっただろう。でも、ふたりのスタイルをまぜれば、スティーブのあのやり方よりよくなったんじゃないかと思うよ」 ジョブズのやり方には、もうひとつ、良い点があった。画期的な製品を作ろうという情熱と、不可能に見えることでもやり遂げられるという信念をアップル社員に植え付けたのだ。マッキントッシュチームは「週90時間、喜んで働こう!」というTシャツを着て働いた。ジョブズに対するおそれと彼に認められたいという強い想いを原動力に、自分が思いもしなかったほどの働きをした。ジョブズは、マックのコストダウンや早期にリリースすることを目的としたトレードオフも却下したが、同時に、一見賢明なトレードオフと勘違いされるような妥協も許さなかった。 のちにジョブズはこう語っている。 「優れた人材を集めれば甘い話をする必要はない。そういうものだと僕は学んできた。そういう人は、すごいことをしてくれると期待をかければすごいことをしてくれるんだ。特A+のプレイヤーはそういう人同士で仕事をしたがるし、Bクラスの仕事でもいいと言われるのを嫌がる。そう、最初のマックチームは教えてくれた。そのチームのメンバーなら誰でも、苦労しただけのことはあったと答えるはずだ」 事実、ほとんどのメンバーからそういう答えが返ってきた。デビ・コールマンの言葉を紹介しよう。 「会議のときスティーブは『この大ばか野郎が。なにひとつまともにできんのか』などと怒鳴っていました。しょっちゅうという感じでしたね。でも、彼のところで働けた私は、間違いなく世界一幸運な人間だ、そう思っています」 |
瞠目卓生(大阪大学教授) 中公新書 2011/10/26 アダム・スミスといえば「国富論」で、「国富論」といえば「見えざる手」になる。 個人の利益追求行動が社会全体の利益をもたらすと。 しかし、その前提にはアダム・スミスのもう一冊の「道徳的感情論」が存在する。 それを理解してみようと読み出したですが、はたして、最後まで読み通せるだろうか。 「道徳的感情論」の真髄を語る一文が探し出せたら嬉しいと思う。 それは「国富論」と共に「見えざる手」だろうか。 P47「道徳的感情論」 このように、世間は、意図したにもかかわらず意図したとおりの結果を生まなかった行為に対して、基本原則が示すよりも弱い称賛または非難しか与えない傾向をもち、意図しないにもかかわらず偶発的に有益な、または有害な結果をもたらした行為に対して、基本原則が示すよりも強い称賛または非難を与える傾向をもつ。 スミスは、世間が、このような不規則性をもって個人の行為を評価することには社会的な意味があると考える。いくら善意があっても、実際に有益な結果をもたらさなければ、世間から称賛されないという事実によって、私たちは、有益な結果を生み出すように最善の努力をする。 また、意図しないにもかかわらず有害な結果をもたらした場合、世間は、その行為をまったくの無罪とは見なさないという事実によって、私たちは過失を犯さないよう十分注意するようになる。 実際に有害な結果を生んだか否かにかかわらず、あるいは実際に行為に移したか否かにかかわらず、有害な行為を意図しただけで、有害な結果をもたらした場合と同じ非難や処罰が与えられる社会は、過酷な社会になるであろう。 そのような社会では、諸個人が互いに心の中を探り合い、警察に密告し合うことになるだろう。個人は、自分の心の中を他人に知られないよう、細心の注意を払って生活しなければならないであろう。実際、人類は、異端審問や思想検閲、あるいは言論弾圧の歴史を通じて、そのような社会が、幸福な社会からはほど遠い社会であることを学んだはずである。 このように、世間が結果に影響されて称賛や非難の程度を変えることは、社会の利益を促進し、過失による損害を減少させるとともに、個人の心の自由を保障するのである。こうして、私たちは、称賛・非難の不規則性という、いわば「見えざる手」に導かれて、知らず知らずのうちに住みやすい社会を形成するのである。 P170「国富論」 どの個人も、できるだけ自分の資本を国内の労働を支えることに用いるよう努め、その生産物が最大の価値をもつように労働を方向づけることにも努めるのであるから、必然的に社会の年間の収入をできるだけ大きくしようと努めることになる。たしかに個人は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。 個人はこの場合にも、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。それが個人の意図にまったくなかったということは、必ずしも社会にとって悪いわけではない。自分自身の利益を追求することによって、個人はしばしば、社会の利益を、実際にそれを促進しようと意図する場合よりも効果的に推進するのである。 P171 この箇所は、『国富論』の中で「見えざる手」という言葉が出てくる唯一の箇所である。ここでいう「見えざる手」は、市場の価格調整メカニズムを意味する。スミスは、個人の利己心は、市場の価格調整メカニズムを通じて、公共の利益を促進する―互恵の質を高め量を拡大する―と考えた。 |
渡辺房男 NHK出版 2011/10/25 地租という付加課税と酒税で成り立っていた時代に、所得税という申告税制が定着するのか。 その生い立ちを語ります。 所得税を基本とするいまの税法が生まれ育った歴史です。 事業所得者に対する課税の苦労と、戦費調達のために増え続ける税負担。 優秀な公務員として使命に燃え、税法を育て続けた主人公。 ストーリー造りなので、気楽に読めます。 P8 田尻が言ったのは、間もなく勅令として布告される所得税法案のことである。三年前から松方と田尻が画策してきた所得税が、直接国税として国民から徴収されることになったのだ。 「フランスやアメリカの公使も驚いていました。後進国の日本で所得税など時期尚早だと言い募っていましてね。あいつらの鼻を明かすのも愉快なことですな」 たしかに、国民の所得に応じて税金を取る所得税は、欧米諸国でもイギリス、イタリア、スイスなどで施行しているだけだ。それが、維新からまだ20年しか経っていない日本で始まることへの危惧を率直に言い出す公使たちもいるだろう。しかし、松方は断固として、所得税という租税がこれからの国家財政を築くものになると主張してきた。 「今はまだ、それほどの税収は期待できませんがね。将来、必ず、国家財政の根幹となるでしょう。取りあえず金額を弾いてみました。眼を通していただけませんか」 松方は、田尻の彫りの深い顔だちと爛々と輝く両眼から視線をずらし、手渡された税収概略書に眼を落とした。所得税の税収見込み額の細目が羅列されており、最後に大きな数字が読めた。 ─── 見込み税収総額145万円。 妥当な金額だと、松方は思った。 たしかに、それは今年度見込まれる租税総額の1.6パーセントに過ぎない。だが、土地所有者から徴収する地租は、土地が増えない限り増収を期待できない。酒税やその他の間接税の増税にも限界がある。松方は、官吏や会社員の俸給や商工業者の営業から生じる所得、さらに貸し金の利子や株の配当金などの所得に応じて徴収する所得税こそ、これからの国家財政を磐石にするものと思い続けていたのだ。 P11 松方は、これから数年の間に予定されている憲法発布と議会開設の前に、何としてでも所得税を国家財源として導入したかった。何故なら、憲法の条文に兵役の義務と並んで納税の義務が盛り込まれると同時に、新税に関しては議会で審議されねばならないという租税法定主義が自明の理として取り入れられるからだ。 その場合、もし政府に批判的な自由民権派の議員が議会で多数を占めた時、憲法発布後の議会で政府提出の所得税法案が否決されることもあり得る。それを防止するために、憲法発布の前に、所得税を勅令として国民に課したのだ。そして、現在、検討段階にある憲法草案の中に、既定の税金は他の法律によって変更しない限り、毎年一定の税率で徴収できるという永久税主義の考えを取り入れるよう総理大臣の伊藤博文に要請していた。 この策により所得税は新税でなく既定の税金となって、税率を変更しない限り議会の干渉が及ぶことのない国家財源として永久に維持できることになるだろう。 P67 このまま結城の提言が無視されるなら、あと1回の審議日で、すでに提出されている申告額はすべて了承されることになる。そして、最終的に、会長である田宮郡長が、「300円以上」から「3万円以上」まで、五段階に分かれた所得額に応じて1パーセントから3パーセントの累進税率をかけて、正式の課税額を決定するはずだ。 P110 明治23年度の所得税歳入は、108万9000円であると前置きして、綿引は、明治21年の歳入額である106万7000円から、以後、漸増の経過を辿っているという。 無論、所得税が全租税収入額の中に占める割合は、いまだ1.8パーセント、納税者総数は11万5000人に過ぎない。しかし、いずれ、地租や酒税と肩を並べるほど、高い割合になるのは必至であると語気を強めた。 P155 さらに営業税を国税としたことを契機に、松方は徴収機関の整備を実施した。それは、国税徴収を大蔵省主税局直属の機関に委ねることだ。これまで、府県に国税と地方税を徴収する権限を与えてきたが、それではあまりに手ぬるい。所得税に加えて営業税が国税となったからには、脱税を徹底的に取り締まる政府管轄の徴収機関を全国に張りめぐらせる必要があった。 その徴収機関の名称を何とするか、大蔵省内部では様々な議論がなされた。 結局、主税局の下に、東京や大阪などの大都市には20の税務管理局、さらに、その傘下に税務署という名称の役所を整備することにした。税務署の開設は、今年の11月1日としている。松方は大蔵省から、全国の隅々に置かれる税務署の数は500を超えること、管理局と税務署で働く収税吏たちの数は6700人あまりになることなどの報告を受けていた。 P174 信義は、宮本を凝視した。宮本の眼に困惑の影が走り、卓に置いた挙が震えている。 「営業税法について細かくお話ししたはずです。営業者は営業に関する金銭の出納を明らかにするための帳簿を備え営業上の一切の事実を記載すること、収税官吏、わたしらのことですが、収税官吏は営業に関する帳簿物件を検査し尋問することができること、いいですか、第32条、33条に書いてありましてね。営業者の義務なんですよ。今年からいい加減な帳簿でいい加減な申告をすることができなくなりました。大蔵屋さん、わかっていらっしゃると思ってましたが」 信義は丁寧な物言いをするよう努めた。君田のように反発を起こさせてはすべてが瓦解する。政府、大蔵省が心配しているのは、新税である営業税の徴収が少しでも早く定着していくかどうかではないか。自分のような末端の収税吏がその税の執行に最善の配慮をすべきだと、信義は考えていた。 P216 所得税法の改正は、信義がかねてから訴えていたものだ。この改正で、個人の所得に課税するだけでなく、商工業の発展で数を増した会社法人の所得にも課税することになった。改正の理由は、法人組織には課税されないという旧所得税法の盲点を突いて、個人営業を会社に鞍替えして所得税を免れようとする人々が跡を絶たなかったためだ。また、ある意味では、地主や農民層の負担増になる地租増徴と抱き合わせで、所得税改正によって商工業者への税負担を若干でも重くしようとする政府の戦略があったのかもしれない。 P291 さらに、明治20年に新設された所得税も、やはり清国との戦争を睨んだ海軍拡張策のための財源措置だった。地租を主体にした租税体系を変換し、商工業者や俸給生活者にも税を課すという所得税は、毎年120万円の財源確保を目指した。さらに、軍事公債の発行も増え続け、国家予算の内に占める軍事費は、明治20年に2200万円を超え、割合としては28パーセント強に及んだ。 P292 さらに、明治32年、軍備拡張のために地租、所得税、登録税、酒税などの増徴案が議会を通過し、29年度と合わせて7580万円の増税が行われた。次に、明治33年の清国での義和団事件の勃発により、酒税や砂糖消費税などの間接税を増やして、1600万円の増税を図った。こうして、清国との戦争の後、三回にわたって実施された増税の総額は9180万円となった。 P311 しかし、思いの外、軍事費を費やした。臨時軍事費と臨時事件費を合わせて20億円を超え、清国との戦争における軍事費の10倍にも上った。そして、異常なまでに膨張した軍事費をそのまま継続するために、「戦争の鎮静後には廃止する」とした戦時特別税を恒久的な財源にせねばならなかった。この特別税の継続によって、戦争前より二倍の増税を国民に課すことになる。 |
中村寿美子(介護コンサルタント) 講談社α新書 2011/10/22 誰にも60歳までの働く30年と、その後の働かない30年がある。 働く30年の生き方は簡単だ。 ただ働けばよい。 しかし、働かない30年の生き方は難しい。 そして、働かない30年における予備プランが「有料老人ホーム」への備えだろう。 予備プランがあれば安心した人生が過ごせる。 しかし、これが難しい知識なのだ。 1 多様な制度を理解しなければ老人ホームは四角い箱にしか見えない。、 2 老人ホームを理解しようとすれば10と1000の違いほどの施設と金額の差が見えてくる。 3 そして、何より難しいのは、それらを利用するユーザーの年齢、財産、生き様だ。 そのような三段重ねの重箱を理解する第一歩は制度だろう。 それを語るのが本書であり、語らせたら第一人者と思えるのが本書の著者だ。 まず、先に、著者の講演で手に入れた知識をメモしておこう。 ◆ 自立型老人ホームは別荘感覚だ。 可能な限り、若いうちに入居するのが上手な利用法だ。 外出も、外食も、外泊も自由な都心型の別荘感覚のホームだ。 コンシェルジュのいるマンション生活とでも定義できると思う。 著者も「要はサービスという付加価値のついたマンションなのです」と説明する。 その趣旨の居宅なので、入居時には元気であることが要件とされる。 60歳で定年退職をしたら、自立型のホームに入ってしまえば、その後は安泰だ。 最後の時までの入居保証金が支払われているので、財産保全にも気を遣わなくて済む。 自立型の老人ホームには元気なうちに入居し、その後、介護が必要になれば、同じホーム内で介護型に移行する。 ◆ 介護型は次の2つに分かれる。 自立型から移行し、あるいは介護が必要になった段階で入居する施設だ。 介護は、1から2に移行し、最後まで入居することを前提にしている。 1 住宅型はアラカルト型の介護と定義ができる。 受けるサービスは訪問介護事業所と契約する。 ホーム内の自室に居住し、そこでケアプランに従った介護を受ける。 介護保険のサービスは35万円まで1割負担だが、それを超えると10割負担になってしまう。 2 介護付はコース料理型の介護と定義できる。 ホーム内の介護専用の部屋に移転し、そこで介護を受ける。 流れ作業型の介護になり、介護保険は全額が使われてしまう。 特注の車椅子などの追加のサービスは有料になる。 この他に健康型があるが全国でも20件しかない。 健康な人達に限って利用できる施設なので、介護が必要になれば退去を求められる。 ◆ サービス付き高齢者向け住宅は、国土交通省が監督する別系統の施設だ。 借家権型の住宅で、安否確認サービスするが、多様なサービスは外部委託になる。 入居者が高齢化したら住環境は悪くなるだろう。 自立できる人達の介護は可能でも、それを超えたら居住は困難になってしまう。 介護の為の制度ではなく、高齢者に対する賃貸物件の斡旋と位置付けた方が良い。 介護施設が併設されている建物もあるが、そちらへの移転に危ういところがある。 では、どれを選ぶか。 一番に後悔しないのは、子供に入れられるのではなく自分で選ぶこと。 A 早々と自立型に入居するのか。 B それを遅らせて介護型に入るのか。 自立型に入居し、そこから勤め先に通勤するのが理想の形に思える。 しかし、老人ホームのイメージが邪魔をする。 アシスタント付きマンションと名付ければ良かったと思う。 さらに、自立型の有料老人ホームの入居保証金ですが。 仮に、1億2000万円の契約なら。 1人の場合 2人の場合 1 生活サービス 800万円 800万円 2 介護サービス 800万円 800万円 3 部屋代 1億0400万円 0万円 合計1億2000万円 1億3600万円 このような按分になるようです。 コスト対応ではなく、家賃比例の計算になる。 そして、生活サービスのコストは家賃から補てんされ、 介護サービスのコストは、介護を利用していない入居者の負担と、家賃からの補てで成り立つ。 つまり、1、2のコストは3の家賃分にしわ寄せされている。 だから、部屋の広さに比例して入居保証金が大きくなる。 これは合理的なシステムと思う。 サービスは目には見えないが、部屋の広さは豊かさを実感させる。 有料老人ホームへの入居の準備があれば、人生の予備プランになると思う。 そして、現実に、その予備プランを実行することになった場合には、本書の著者への相談が不可欠だと思う。 P78 いろいろな相談を受けていて、感じることは、「人聞はそう簡単には変わらない」ということです。 それゆえ、生きてきたように死んでいくのです。 P93 ここで「介護付」と「住宅型」の介護の違いについてお話ししましょう。 有料老人ホームのうち最も多いのが「介護付」になります。 「介護付有料老人ホーム」は介護保険法の「特定施設入居者生活介護」という在宅サービスの事業所指定を受けているホームです。 介護保険のサービスには大別すると「施設サービス」と「在宅サービス」があります。 「有料老人ホーム」は「施設」ではなく、ホームの中に「自宅」があるようなものですから「在宅」のサービスを受けることになります。 その「在宅サービス」の中に「特定施設入居者生活介護」という項目があり、サービス内容と量が介護保険法で決まっています。その「特定施設」とはたとえば、「介護付有料老人ホーム」のこと。法律で決められたサービス内容と量を、「ホームの職員から直接サービスを受ける」のが「介護付有料老人ホーム」の「介護付」の所以なのです。 介護費用は「月ぎめ」でホームに支払います。ですから、たとえば介護認定が「要介護2」であれば、「要介護2」と認定を受けている人は、どの人も同じ金額を介護費用としてホームに支払います。「月ぎめ」ということは、決められているサービスを利用しても、利用しなくても、介護費用を支払うということです。その決められているサービス内容は、パンフレットに挿入されている「サービスの一覧表」に書かれています。 P96 これに対し、「住宅型有料老人ホーム」は、自宅で介護サービスを利用するときと同じように、自分が受けたいサービスを選び介護計画(ケアプラン)を立てます。 通常の場合、ホームを経営する企業が契約をした「訪問介護事業所」が同じ建物内に事務所を構えています。その事務所と入居者の一人ひとりが利用契約を結び、一人ずつ、ケアマネジャーと相談しながら、介護計画を立てます。そのプランに沿って、ヘルパーさんが居室内で、あるいは共用の施設でマンツーマンのお世話をするのが「住宅型有料老人ホーム」です。 食事の場合も、居室での介助も可能です。もちろん食堂で他の入居者と一緒のテーブルでいただくことも可能です。そのときの食事介助は、ヘルパーさんは自分の介助だけをします。一対一ということになります。 P102 最近の介護型有料老人ホームの償却年数の平均が5年なのですが、多くのホームで償却が終了した後もホームで暮らしている高齢者が増え始めています。ホームでの暮らしは、生活環境が整い、健康管理も行われ、食事も栄養士が献立を作り、職員による水分補給や服薬管理がしっかりしているため、想像以上に長生きできているのが現実です。 そこで、長寿時代に合わせて、年齢によって償却年数を変えているホームが増えてきました。60代で入居するのと、80代で入居するのとでは、入居一時金が1000万円も違ったりします。償却年数を半分にしているところもあります。 同じ金額を払うなら、少しでも若いときに入居してホームの快適な暮らしを享受したほうが、トクということになります。がんばって自宅で大変な思いをして暮らし、ようやくホームに入ったときは重度の介護状態というのはもったいない気がします。 P118 建物の延長として散歩できる庭があるホームと、建物だけで庭がまったくないホームがあります。介護付有料老人ホームで介護型である場合、要介護認定を受けている入居者は「籠の鳥」になる可能性を持っています。ホーム側がリスクを回避するために、自由に出入りができません。必ず職員が同行しての散歩になります。 中庭があると、リスクを考慮せずに、庭の中だけでも散歩を楽しむことが可能になります。立地条件が○○駅徒歩1分というホームの多くは、庭がありません。逆に駅から徒歩15分ですと、広い中庭があったり、緑が多くなります。 建物だけを見るのではなくて、周囲の環境も大切な要素になります。 P124 半年ほど前、テレビで「有料老人ホームで暮らしていた親が退院後、ホームで受け入れを断られ、やむなく退去となったが、これは契約違反だ!」という報道がありました。 このケースでは、入院前は少し介護が必要なものの、かなり自分のことは自分でできていた入居者が、脳梗塞で入院し、気管切開という事態になり、疾の吸引が頻繁に必要になったのです。さらに、食事が取れなくなり、「胃痩」という手術をして退院しました。「疾の吸引」も「胃痩」のケアも、医療行為です。「胃痩」のケアは看護師ができますので、ホームでも問題ありませんが、「疾の吸引」が四六時中必要となると、日中しか看護師はいないので、お世話できないのです。これは契約違反ではなくて、現在の法律で医療と介護で線引きされているためで、退院後、ホーム側が引き取りたくても、引き取れない事情があったのです。 P129 有料老人ホームと高齢者専用賃貸住宅との共存ホームは、厚生労働省が介護施設である特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、介護付有料老人ホームに総量規制をかけた結果、出来上がった商品なのです。有料老人ホームを開設するにはその土地のある都道府県と市区町村に届けを出し、認可が得られなければ建設できません。その時に介護保険の事業所指定である特定施設入居者生活介護のベッド数を決めるのです。100室のホームで特定施設の指定が30床だけ認可されると、残りの70床は高齢者専用賃貸住宅になるのです。なぜなら、高齢者専用賃貸住宅は建設してから登録するだけでよいのですから。 P159 90日のクーリング・オフ制度があります。入居してから90日以内であれば、契約を解除することができ、払い込んだ入居一時金が全額戻ります。ただし、実際にホームに滞在した日数分の実費は、差し引かれます。クーリング・オフ制度は、解約する理由を文書で内容証明郵便にて提出することが必要です。返還金は退去後、3ヵ月後になるホームが多いです。 P165 有料老人ホームというと、「入居一時金が高いのよ。一億円もするそうよ!」という噂も流れています。確かに、入居一時金が1億円以上するホームが都内には5ヵ所ありますが、一時金ゼロというホームもあるのです。 それより、長い月日をホームで暮らすためには、寿命のある限り、毎月の諸費用を払い続けなくてはならず、その金額がいろいろなのです。その差は、50万円以上になります。ここにこそ、格差が生まれているのです。1ヵ月50万円ということは、1年で600万円の差です。10年で6000万円、20年では1億2000万円、30年では1億8000万円という途方もない数字になるのです。 P167 上を見ればきりがない、下を見てもきりがないのが、人間の暮らしです。 その暮らし方に格差が大きいのが、有料老人ホームや高齢者住宅なのです。経費の中で1番大きな割合を占めているのが、家賃です。これは土地の価格に準じるので、東京都内の一等地が最高額になります。現在、中央区にある高齢者住宅の入居一時金が、最高額で5億2900万円という価格です。この入居一時金の三倍以上の資産をお持ちの方が入居されているのです。 P168 逆に、介護付有料老人ホームは、居室が狭いこともあって、入居一時金はそれほど高額ではありませんが、毎月の諸費用は、介護サービス費に上乗せがあって、かなりの額になります。首都圏での平均額は20万円くらいですが、東京都内のホームで24時間看護師常駐という条件では、毎月の費用は30万円以上になります。その最高額は70万円くらいです。 一方、在宅で、24時間、ヘルパーさんをお願いすると、毎月の諸費用はやはり70万円くらいになります。同じ金額なので、在宅を選ぶ方もいますが、自宅に他人であるヘルパーさんが出たり入ったりすることで、家族の神経が疲れきっているのが現状です。同じ金額が必要になるなら、有料老人ホームでプロの介護サービスを受けるというライフスタイルが、受け入れられていくことは間違いありません。 P186 「死の作法」の2つ目が成年後見人のことになります。 明治時代の女性は、自分の死に装束を密かに用意して、タンスの底にしまっておいたものです。最近は将来、認知症になったときに備えて、子どもがいない高齢者が成年後見人を決め、家庭裁判所で手続きをすることが始まっています。これは介護保険制度と時を同じくして始まった制度で、介護保険を利用するには契約が必要になるからです。認知症になったら自分では契約もできなくなり、自分の年金の管理もできなくなるのです。幸いにして、私自身は一男一女がいるので、成年後見人の必要性は少ないでしょう。また、考えられないような長生きをしても、孫がいるので、その心配もないのがありがたいところです。 |
桑原晃弥 PHP文庫 2011/10/21 スティーブ・ジョブズという人物が、具体的に、どんな人物なんかがわからない。 会ったこともなく、仕事を一緒にしたこともないのだから当然ですが。 わがままな坊やなのか。 計算されたデザイナーなのか。 仕事の完成度のみを求めたのなら、それほどの資産家になることはないだろう。 ビジネスを目的にしたのなら、製品の完成度に妥協が生じるだろう。 P130 ジョブズがアップルに復帰するに当たって提示された条件は、すばらしかった。現金で3億7750ドル、株式150万株。しかし、ジョブはこれを断る。なぜなら金儲けのためにアップルに帰ってきたわけではなかったからだ。愛する会社を倒産の危機から救いたかっただけだ。だから無報酬でよかった。実際には、社会保障のために無報酬とはいかず、年俸は1ドルに設定された。 もちろん、給料がなくてもやっていける資産があるからだが、ネクストでも給与ゼロ、ピクサーでは年間50ドルだったし、ディズニーの取締役報酬の6万5000ドルも辞退しているから、やはりジョブズの目的は金ではないのだ。 「23歳で100万ドル以上を稼ぎ、24歳の時に1千万ドルを超えた。1億ドルを突破したのは25歳のときだった。だが、そんなことは大した問題ではない。金のためにやってきたわけではないからね」 そういうジョブズは、わがままな金持ちではあったが、全体的には禁欲的生活を貫いている。マイク・マークラのように自家用ジェットを買うことも、スティーブ・ウォズニアックのように映画館を買うこともなく、こう言っている。 「お金で買いたいものなんて、すぐに尽きてしまう」 P134 ある人が自分のiPodに、傷防止のカバーをつけていた。それを見て、ジョブズは名画「モナリザ」に牛の糞をなすりつけた犯罪者に向けるような視線をその人に向けたという。そして、こう言った。 「僕は、擦り傷のついたステンレスを美しいと思うけどね。僕たちだって似たようなもんだろう?僕は来年には50歳だ。傷だらけのiPodと同じだよ」 iPodは単に音楽を聴く道具というだけでなく、使いやすさや美しさを含めて愛されている。イギリスの社会学者、マイケル・ブルはこう評している。 「レコード・ジャケットに宿っていた美学は消え失せ、代わりに芸術的工芸品がその依り代となる。美は音楽ではなく、iPodに宿るのだ」 これほどの美しさを実現したipodにわざわざ美を損うカバーをかけるなど、ジョブズには信じられないことだったのだ。 と同時に、この発言の数日後に膵臓がんの診断を受けたこと、またかつてアップルを追放された屈辱を思えば、「僕たちだって似たようなもんだろう?」にはジョブズの人間に対する深い愛情のようなものが読み取れる。「傷ついたステンレスを美しいと思う」は、ジョブズの製品、そして生き方に対する美学なのだろう。 |
シャンカール・ヴェダンタム(サイエンス・ライター) インターシフト 2011/10/20 「無意識のバイアスが巧妙に人間を操る」と説明し、8個の事例を紹介する。 しかし、最近の脳科学の研究では、このような発想は既に時代に遅れている。 思考し、意思決定し、行動を起こすのは、全て無意識領域。 意識領域は、無意識領域が起こした行動、発言、思考を漏れ聞いて、それが自分が決定したことだと勘違いしているにすぎない。 だからといって、人間は、無意識領域が操る自動人形ではない。 無意識領域にこそ、自分自身が育て上げた本物の自分が宿るのだ。 だから、無意識領域を、良い子に育てなければならない。 3度の万引きをすれば、その後は、強い意思をもって引き留めない限り、無意識領域は万引きを繰り返すようになってしまう。 P10 隣人が強制収容所に引っ張られるのを止められなかったりしても、そのような行動はあくまで例外であり、一般的ではないと思い込もうとする。しかし新しい研究では、そうした錯誤や事故や悲劇の多くは、私たちが気づかないところで働いている無意識の力によって起こることが示されている。無責任なドライバー、無関心な傍観者、パニックを起こす投資家、彼らは例外ではない。彼らは私たちそのものなのだ。 |
西川善文(元住友銀行頭取)) 講談社 2011/10/20 安宅産業の倒産から平和相互銀行、イトマン事件などの当時の大事件が時系列に添って説明されています。 いまとは異なり、日本国内のローカルの時代で、銀行が、良い面でも、悪い面でも主人公の時代でした。 銀行融資に「力」があった時代であり、融資先にスキャンダルがあった時代です。 いまは、融資の力を感じませんし、さらには融資先のスキャンダルも聞きません。 P120 私はこのとき常務企画部長の任に就いていたが、だんだんわかってきた事態の中でも特に困ったことだと思ったのは、こうした絵画取引に磯田さんの長女である磯田園子さんが勤務していたセゾングループの宝飾販売会社でピサという会社が間に入っていたことだ。 今まで私を含めて誰も住友銀行関係者は語ってこなかったことがある。この機会にあえて申し上げよう。イトマン事件は磯田さんが長女の園子さんをことのほか可愛がったために泥沼化したのだと私は思う。私は磯田園子さんと直接話した機会はなかったのだが、磯田さんの溺愛ぶりを示す、こんなことを耳にしたことがあった。後に結婚することになるアパレル会社社長の黒川洋氏と磯田園子さんがロサンゼルスに駆け落ちした。それを認めるわけにいかず困っていた磯田さんは、秘書を派遣して二人を連れ戻させたのだ。磯田さんの秘書は園子さんに振り回されて、本当に苦労したようだ。 そういう磯田さんに、父親として娘の事業を後押ししたい気持ちがなかったわけがない。磯田さんが溺愛していることを知って、イトマンの河村社長も伊藤常務も彼女の面倒をよく見ていたようだ。 人間として、あるいはバンカーとしての磯田さんは素晴らしいと思う。しかし、長女の存在が磯田さんの判断を決定的に狂わせた。平和相銀を手に入れるときに大活躍した河村社長に引導を渡し自分の手でクビを切ることができなかった。河村社長が伊藤寿永光氏を追放するどころか、常務にすることを阻止しなかった。住友銀行の誰もが河村社長を辞任させないとイトマン問題は解決しないと思っていたし、伊藤氏や許氏が闇世界とつながりがあることはこの時点ではわかっていたはずにもかかわらず。 P132 「住友銀行の天皇」の死は、その存在の大きさに比してじつに寂しいものだった。その二年半前に行われた堀田庄三名誉会長のように、普段なら銀行葬を行っても不思議ではない人物だろう。しかしイトマン事件で住友銀行が被ったダーティーなマイナスイメージは強く、とても銀行葬ができるような状況ではなかった。 葬儀は西宮の斎場での密葬となった。これは本当にお気の毒だったと思う。密葬に参列した私は思わず涙が出た。 磯田さんはイトマン事件を起こした責任を取ったのだが、人間として悪人などではけっしてなかった。むしろ真っ当過ぎるくらい真っ当な人だったと思う。純真だったと言ってもいいかもしれない。ただし自分に近付いて来る人に乗せられやすく、利用されてしまうところがあった。もし本当に悪人だったとしたら、そんな連中は最初から排除していたはずだ。 |
渡辺房男(NHK勤務)) 祥伝社新書 2011/10/19 「われ沽券にかかわらず」が良かったので、著者の本を入手してみた。 こちらは真面目な解説であり、小説としてのストーリー仕立てではありません。 維新が、軍事力であったと同時に、経済力であり、 外交が政治であったのと同時に、貨幣の問題であったことが語られます。 P172 使用の用紙については、長い間の研究の末、ミツマタを使った強靭な和紙が明治12年に完成していた。紙質の弱い西洋紙の欠陥を研究した結果であり、現在に至るまで、ミツマタが使われている。 この神功皇后紙幣は、明治10年発行の第二次国立銀行券と同様に、金種によって紙幣のサイズを変えた。既述のように、明治五年発行の華麗な紋様をちりばめた明治通宝札は金種が異なっても同サイズのものがあった。また、全国153の第一次国立銀行券もまた、金種にかかわらず同サイズで、低額券を高額券へと偽造されやすいという欠陥があった。この神功皇后札、つまり改造紙幣の発行によって、政府の贋札防止策は一段と効果を挙げることになった。 P185 開業後の日本銀行がまず目指したことは、全国にある153の国立銀行が発行した紙幣の整理、つまり消却である。形式的には、明治16年5月5日、松方大蔵卿は153の国立銀行に対して紙幣発行の権限を停止させた。ついで、5月11日に日本銀行に対して国立銀行紙幣の消却業務を命じた。 P190 そこで、松方が選んだ政策は、極端なまでの政府紙幣の整理であった。国民が手にするのは、いずれ日本銀行が発行する日本銀行券のみになり、さらにその紙幣も、政府保有の銀に見合う発行額に抑えねばならなかった。 P198 しかし、日本の金本位制は、第一次大戦時に停止されたが、大戦終結後に復活した。そして、その後のアメリカに端を発した大恐慌によって諸外国が再び金本位制を停止すると、日本もこれに追随し、昭和七年(1932年)、日本銀行券の金免換を停止した。以後、この措置が変更されることはなかったため、事実上の金免換制の廃止は、この時、つまり昭和7年とされている。 |
渡辺房男(NHK勤務)) 講談社 2011/10/16 沽券と地券は全く異なる制度なのだ。 私は、同じだと思ってました。 沽券の歴史があるからこそ、地券を思い付いたのだろう。 地券が導入された理由が税金にあること。 それまでは宅地は非課税だったのだ。 宅建業者が、ここで登場したこと(これはフィクションかもしれない)。 3分の1以上の宅地が大名屋敷だった江戸(江戸の大名屋敷を歩く)の宅地が、何故、細分化し、民営化したのか。 何よりも、明治維新という激動の時代の土地と制度と税法が語られています。 P22 政府は、市街地の六割を占める大名屋敷を官庁や練兵場にと次々接収しましたが、江戸を去った旗本や駿府へ無禄移住した御家人の空屋敷には手を焼いていました。無人の荒れ果てた屋敷地は、盗人盗賊、乞食の住処となり、治安の上からもその始末を考えねばなりませんでした。 P78 ―地券とは、今までの沽券とは訳が違う、沽券は江戸の町奉行や町名主たちがその町に住むことを認めた証であり、江戸だけに通用する書付でしかない。地券が発行されれば、箪笥の奥に仕舞われる反古同然の代物だ。だが、今度の地券は、政府が日本国中の土地持ちに対して正式に交付する土地所有の権利書となる。高い地価が書かれている地券を多く持っていれば、東京を離れた大阪でも京でも資産家として信用されるはずだ。資産価値を高く吊り上げれば、それを担保として大金が借りられるんだよ。折角のこの時、その金で、いずれ値が上がると見込んだ土地をどんどん手に入れ資産を増やすことを考えなきゃだめだ。 P79 何しろ、米ではなく金で年貢を取るということを、日本で初めてこの東京でやるわけですから、町民の意向を大事にするのは当然でしょう。 P82 その百分の一といえば、地租は、八円九十銭じゃありませんか。今、町会所に納めている町入用と較べてみたらどうです」 たしかに、馬喰町にこの店を構えているだけで、町会所に納める町入用は四十五両もかかっていました。町入用とは、自身番の維持や道普請、町火消人足の雇いやらで納めてきた多額の金です。 P83 「井上の家が最後に守らねばならないのは、この店の信用ではありませんか。価値が高ければ、それだけ守りがいがあります。納める地租が高くなるから安く見積もるなど、みみっちいお考えは止めにしたらどうです。地価を吊り上げて申し出るっていうのは、なかなか思いつかないことです。その菊二郎さんという方、大したもんですよ」と言い切ったのです。 P87 明治元年の夏、徳川宗家の駿府移封に伴い、御家人たちに残されたのは三つの道だと話し始めました。いち早く政府の官員に身を投じる道、菊二郎のように当主徳川家達に伴い駿府移住を決意する道、そしてまた、さまざまな事情から江戸で自活を選ぶ道です。 同じ組のよしみで、菊二郎は駿府行きを勧めましたが、木下とかいうお人は「江戸を離れるのがいやだ」と断ったそうです。そして、「今さら薩摩っぽの犬に成り下がるものか」と官職にすがりつくこともせずにいました。「官職につかないならば組屋敷を取り上げる」という政府の通達を聞いて、木下様はさっさと家を明け渡し、深川あたりの裏長屋に引っ越しましたが、自活の道を探すといっても並大抵なものではありません。結局、開墾会社の開拓事業に応募したらしいのです。 P88 沈痛な顔つきでしたが、語り口は冷静そのものでした。 「あなたがたのような町衆にはわからないでしょうが、侍にとって御家が潰れるというのは惨めなものでしてな」 |
日経コンピュータ編 日経BP 2011/10/08 みずほ銀行の2度のシステムダウンを分析します。 システム障害が生じたことを責めますが、私は、障害が起きたシステムを復旧できることが素晴らしいと思う。 何万件、何百万件のデータの処理が停止し、その一部は実行されてしまっている。 処理済みのデータと、それ以外のデータを、どのように区分して処理するのだろうか。 それらを手動システムで処理することが可能だとは思えない。 システムに手動の変更を加えて、テストせず、それがミスなく動作することはあり得ない。 それを実行し、システムを回復してしまうのだから、素晴らしいと思う。 私がソフトを作成したときは、変更したコードが予定通りに動くなんてことは一度も経験していない。 繰り返しのテストと試行錯誤で完成させていくのがソフトなのですが、 それを日常の業務を走らせながら処理してしまう人達は、凄いと思う。 福島原発事故と同様に、経営判断に問題があるトップは多いのですが、 現場で作業をする人達の責任感と能力は、世界に誇れる日本の財産だと思う。 P97 今さらの結論を言えば、経営統合を発表した段階で、第一勧銀の勘定系システムに一本化することを三頭取が即決し、発表してしまえばよかった。システム統合はスピードが勝負であり、無理を承知で臨む場面が必ず出てくる。そのときは、経営トップが決めることを決め、現場を説得すべきところは説得しなければならなかった。 三頭取が堂々と、「重要な取引先である富士通の勘定系システムを残し、富士銀のほうを捨てる。富士銀側にとっては、店舗の事務が大きく変わることになるが我慢してほしい。(仕事がなくなる)富士銀のシステム部門は、新銀行の今後を担う新しい戦略的なシステムを積極的に企画してもらいたい」と言えばよかったのである。 ところが、三頭取は、小委員会で情報システムの統合方針を検討させた。こうなると現場部門は自分たちが長年開発してきたシステムへの愛着があり、自分の居場所を確保したいから、なんとか自行のシステムを残そうと必死になる。後は不毛な機能比較に陥るだけだ。 案の定、情報システムを巡る委員会は泥仕合となった。富士通を推す第一勧銀と、IBMを推す富士銀が真っ向から対立した。お互いのシステムの機能比較をして、「ここはうちがいい」、「だが、この機能は当行が上だ」と延々と議論を続けた。しかも、ある機能について一方が論破すると次回の会議で、負けた銀行が、「前回の件ですが、よくよく調べるとその機能は当行のシステムでも実現可能でありまして・・・」と蒸し返す。こうしたことが繰り返された。 しかもやっかいなことに議論を詰めていくと、富士銀の勘定系システムのほうが、第一勧銀より優れていることが分かってきた。一番大きいのは、店舗の業務の合理化について富士銀のほうが進んでいたことである。 |
内田 貴(民法学者) ちくま書房 2011/10/07 たぶん、他の方が読んでも面白い本とは思えない。 しかし、私にしてみたら、凄く、良くできた本だった。 民法が造られた歴史と、その歴史から生じる改正の必要性を論じます。 さらに、ガラパゴス型の法律ではなく、世界標準にしなければ国際取引に遅れると。 現行の民法で不自由をしていない法律家にしてみれば、民法改正は、まさに大きなお世話です。 しかし、素人にも読みやすい言葉で法律を表現するという改正の思想は、十分に説得力があります。 ただ、業界の共通言語と阿吽の呼吸で成り立っている法律制度を、 誰にでも読める文章にしてしまうことは、法律家として一抹の不安を感じるところです。 聖職者にしか読めなかった聖書が、印刷技術によって誰にでも読めるようになった。 それじゃ、説教と免罪符は売れなくなってしまう。 個々の条文だけではなく、条文の配列まで変わってしまいそうだ。 総則にある条文は、次のように移動される。 人の規定は親族編に移動 物の規定は物権編に移動 取得時効は物権編に移動 消滅時効は債権編に移動 結局、総則は5条だけになる。 著者の提言であって、これが改正予定ではないのですが。 しかし、これが実行されたら、いまの弁護士は条文も探せなくなってしまう。 会社法で、新株の発行、役員の第三者責任、特別決議の条文を直感的に探せる弁護士が1割でもいるだろうか。 P81 この種の不平等な条約は、当時、西洋列強が中国(清)と結んでいましたが、次第に不平等の度合いを大きくしていって、とうとう領土の分割までさせ、事実上、清を植民地化していくことが起きていたわけです。次のターゲットが日本ではないかと、明治政府はたいへんな危機感を持ちました。日本が植民地にならないようにするためには、まずこの不平等な条約を対等の独立国同士の内容に改める必要がある。 そこで明治維新のあと、すぐに西洋列強と条約改正交渉を始めるのです。しかし、西洋列強の答えは、近代的な法典や司法制度もない国と対等な条約など結べないということでした。当初は、外国人判事の任用に加え(裁判所の公用語を日本語と英語にするという想定です)、日本が編纂した法典を列強が審査することまで求めていました。 P83 さて、フランス民法典の翻訳は、箕作麟祥という語学の天才に命じられました。よく引用される有名な話は、江藤が、「誤訳もまた妨げず、唯、速訳せよ」と命じたことや、さらには、日本の民法典を作るには、「仏蘭西民法と書いてあるのを日本民法と書き直せばよい」と言ったとか、言い伝えられています。 P89 こうしてできあがった日本民法典は、フランス式の旧民法に、当時起草が進められていたドイツ民法の優れている(と考えられた)点をできるだけ盛り込み、法典の構造もドイツ式に改められたものとなりました。内容的には、フランスとドイツの影響を半々程度に受けた法典です(それ以外にイギリスやベルギーなどの影響を受けた規定もあります)。その意味では、フランスとドイツをともに母法とする法典といえます。 P92 こうして、条文の数が少なく、かつ一ヶ条の文字数も少ないシンプルな民法典ができましたが、その結果何が起きたかというと、西洋式の民法はできてもその条文だけでは裁判ができない、あるいは行動の具体的な指針を民法から導くことができないわけです。 P93 そういう民法ですから、裁判で使うにはもう少し具体的なルールが作られる必要があるわけですが、これを導き出す役割が、すべて解釈論に委ねられるということになりました。 P95 鳩山が同僚から批判を受けて、おまえの法学はドイツの焼き直しだと言われて悩んだときに、自分の家に住み込んでいる書生の手を取って、涙を流したというのですが、そのときの書生が我妻栄で、我妻はその後東京大学で鳩山の跡を継いで、我妻理論と今では呼ばれる非常に精緻な解釈論を完成させます。 これがその後の日本の解釈論の基礎になっています。この我妻が完成させたドイツ式の解釈論の上に、110年間にわたって膨大な判例が積み重なったというのが現在の状況です。その結果、実は民法典の外に、判例や学説によって形成されたもう一つの民法があるという状態になっているのです。 |
リチャード・マグレガー(ファイナンシャルタイムズ記者) 思想社 2011/10/06 評価の高い中国分析の書だそうです。 ねっちりと、最後まで読めば奥行きが深いのでしょうが、しかし、読み途中の感想では当たり前のことしか書いてない。 中国共産党が支配する社会ですから、米国型の民主主義が存在しないのは当然。 政府の上に、共産党支配が存在するのですから、共産党が国の機関に優先することも当然。 その当然が、解説されているだけのように思える。 日本でも、外国でも、実務を経験しない人達が書く書籍には深みがない。 P32 中国に50余りある国有大企業を経営するトップのデスクの上には、パソコンや家族写真など、一般企業のCEOと変わらない備品に加えて、ひときわ目立つ真っ赤な電話機がある。 これが鳴ると、重役もその部下も受話器に飛びつく。それは「赤い機械」と呼ばれている。 「赤い機械」は、政府機関の部長や副部長、党機関誌の編集長、国有大企業の会長、あまたある党の下部組織のトップなど、北京の一定レベル以上の幹部のオフィスに点在している。この電話やファックスに暗号システムが用いられているのは、海外の諜報機関による傍受を防ぐためだけではない。国内でも党の支配下にない者に情報を盗まれるのを恐れての対策でもある。「赤い機械」を持つということは、国を統治する結束した集団の一員として認められたことを意味する。世界人口の約5分の1を占める中国人を支配する、わずか300人(ほとんどが男性)からなる少数集団だ。 P39 毛沢東はソ連の制度を中国に導入したものの、党の仕組みについては、官僚的で革命的とは言えないと考えていたようだ。50年代になると、役人たちを「纏足の女性のようにヨロヨロと歩き、他の者が早く歩き過ぎなのだと文句ばかり言っている」と批判するようになった。 やがて、党が人民を統制するのではなく、人民が党を監視すべきだと考えるようになる。この理念をもとに1966年から10年にわたって続いたのが、文化大革命という常軌を逸した運動だったのだ。紅衛兵と呼ばれる大衆の組織が結成され、正しい革命の道からそれていると彼らが判断した者はことごとく粛清された。 この時期について描かれたドキュメンタリーにあるように、毛沢東は「十分に革命的でない革命に対する新たな革命」を起こしたのである。 毛沢東が死去すると、党は基本に立ち戻った。ケ小平は毛沢東の破壊的な思想を否定し、権力を持った一部のエリートが大衆を正しく指導するという、レーニン主義の基本に党組織を引き戻した。 |
井出多加子(成蹊大学経済学部教授) 日本評論社 2011/10/03 時代を遡れば、幾つものバブルがありました。 しかし、日本の土地バブルは特殊でした。 国内にのみ原因があるバブルではなく、 世界経済の影響を受け、 世界経済に影響を与えたバブルであること。 その後の米国の住宅バブルの先例になり、 たぶん、これから生じる中国の不動産バブルの先例でもあること。 なぜ、日本で土地バブルが生じたのかを知ることは、 世界の投資心理の不確かさを知る為にも必要だと思う。 そのことを学者の先生方が分析してくれている。 ただ、当時、実際に、バブルの渦中で土地とカネの相談を受けていた者の温度感覚は、学者の分析では表現できていないような気がする。 真夏に、セーターを重ね着し、オーバーを着て、かんかん照りの太陽の下に立った。 そのような温度が、日本の土地バブルでした。 路線価が100%の上昇になり、それが2年について続いた。 都心の交差点から交差点の間には常にビル建築現場があった。 たぶん、3年ほどしか続かなかったバブルですが、 今思い出しても、10年も続いたように感じる熱気です。 さらに、土地バブルは、税法に原因があり、税法に原因を与えた。 節税の為のワンルームマンション業者の出現と、それを防止する為の土地重課税の改正などですが、そこらの現実感覚のある分析を、学者に期待することは難しいのだろう。 なぜ、バブルが発生したのか。 当時の仲曽根総理とレーガン大統領がダンスを踊ったことが原因なのだと思う。 その後の失われた10年、あるいは20年を作り出し、 バブル崩壊による大量の破綻者を作り出したことは、為政者として罪が重いと思う。 バブルの時代を思い出してみよう P2 この地価上昇の原因として当時挙げられたのは、@東京金融市場の国際化に伴う外国企業の東京進出によるオフィスビル需要、Aフェイス・トゥ・フェイスで得られる情報の価値が重視されたこと、BOA機器の導入また会議スペースの増設が必要となり従業員一人当たり床面積を増やす必要が生じたことであった。実需はあったと見られ、…… P5 公有地、国鉄用地の売却が一般競争入札により行われ、高値で落札されたことにより、周辺での値上がり期待を引き起こした面がある(国鉄品川駅東口貨物跡地(84年3月入札)、旧司法研修所跡地(85年8月入札))。 公示地価の対前年上昇率は、東京圏商業地で1986年12.5%、87年48.2%、88年61.1%、東京圏住宅地で86年3.0%、87年21.5%、88年68.6%と73年・74年のデータにあらわれる「狂乱地価」をも凌ぐ上昇となった。 |
武田雄治/平林亮子(公認会計士) 日本実業出版社 2011/09/30 私も公認会計士ですが、公認会計士という仕事には魅力を感じない。 なにか、会計士の仕事の魅力を語っているのかと期待して手にとったのですが。 うーん、浅いですね。 残念ながら。 法律にも、税務にも、社会と人とを結びつける奥行きと知識の深さがあります。 会計監査について、その奥行きを語ってくれる書籍があったら読んでみたい。 P66 「誰のための仕事」か? 「誰のために仕事をしているのだろう?」と疑問を感じることもありました。報酬をいただいているクライアントから「ありがとう」といわれることは、新人会計士はあまり経験できませんからね。 それどころか、クライアントから煙たがられたり、露骨に嫌な顔されたり、質問しに行ったらたらい回しにされたり…。武田さんは、夜、クライアント先の会議室を出たら、社内の電気がすべて消えていて、社員が全員帰宅していたという経験をしたそうです…。 公認会計士側も、クライアントに満足してもらうために仕事をしているというよりも、自分の上司や監査法人、日本公認会計士協会、金融庁のことを意識して仕事をせざるをえない面があります。「誰のための仕事なんだろう?」と思うことはあるかもしれません。 ただ、クライアントに役立つ情報を提供できるようになったり、実のあるディスカッションやコミュニケーションができるようになれば、「ありがとう」という言葉をかけていただくことがあります。それに、もっと視野を広げれば、監査は経済社会のインフラであり、欠かすことのできないしくみの一つです。間違いなく、社会意義のある業務なのです。会計監査は公認会計士にとって、基本中の基本です。まずは、監査業務の経験をしっかり積むことが大切です。 |
黒木 亮 毎日新聞社 2011/09/29 ネットの時代で、短い文書を読むのに慣れてしまった為か、 短いセンテンスで内容を語るビジネス書になれてしまった為か、 永遠と続くストーリーを追うのが不得手になってしまった。 読み進めても、事実が語られるだけで、ドラマが始まらない。 P45 アメリカの弁護士はそういうもんだ。 全力で自分のクライアントの敵の喉笛に噛み付くのが、彼らの正義だから。 P55 受託銀行は、サムライ債の元利金の受け払いや債権管理をする銀行だが、発行体がデフォルト(債務不履行)でもしない限り、やる仕事は多くない。その一方で、サムライ債の発行額にもよるが、主受託銀行は数千万円、数行いる副受託銀行は、各二百万円程度の手数料を受け取る。こうした美味しい商売なので、邦銀は各行とも受託獲得活動を熱心に行っている。 |
ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳) みすず書房 2011/09/27 高校の頃に読んでいるのですが、新訳版が登場したので再読してみました。 前回は「生きることについての執念」を不思議とも思わずに読んだのですが。 今、読み返してみると、なぜ、救済のない苦痛の中で、人間は「生」を選ぶのかが不思議に思えてしまう。 終わりが見えず、苦痛が永遠に続き、希望のない環境では、人間には「死」のみが救済ではないのかと。 この30年間で、命の価値が安くなってしまったのだろうか。 アウシュビッツという1つの歴史について、必読の書です。 ただ、著者は、アウシュビッツでも、ユダヤ人でもない普遍的な生きる意味を論じている。 収容所での苦しみや死にも、また、それ以外の場所での苦しみにも生きる上での意味があるはずだと。 確かに。 紀元70年に消滅した祖国が建国され、世界政治の流れに一番の影響を与える国になった。 そして、著者は、生きていたからこそ、その歴史を自身の目で見ることが出来た。 P47 とにかく、あれは忘れられない。ある夜、隣りで眠っていた仲間がなにか恐ろしい悪夢にうなされて、声をあげてうめき、身をよじっているので目を覚ました。以前からわたしは、恐ろしい妄想や夢に苦しめられている人を見るに見かねるたちだった。 そこで近づいて、悪夢に苦しんでいる哀れな仲間を起こそうとした。 その瞬間、自分がしようとしたことに愕然として、揺り起こそうとさしのべた手を即座に引っこめた。そのとき思い知ったのだ、どんな夢も、最悪の夢でさえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引きもどそうとした、収容所でわたしたちを取り巻いているこの現実に較べたらまだましだ、と…。 P113 苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。 おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。 しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。 |
住本 靖(国土交通省住宅局住宅瑕疵担保対策室長) ぎょうせい 2011/09/26 いま、リフォームが注目ですし、これからも増えると思う。 中古住宅が大量に余っていることと、建て替えは採算性が取れないからです。 そのような時代を語り、リフォームのノウハウを教えてくれる書と期待したのですが、まったくダメ。 著者が役人だと分かっていたら、購入しなかった本です。 ダメ本を紹介しても意味はないのですが。 しかし、ここまでダメ本なら、それも情報になると思う。 学者や公務員が書いた本に「実務」を期待することが間違いでした。 P71 Q49 リフォームと建築基準法との関係を教えてください。 A 建築基準法とは、住宅を含む建築物について最低限の基準を定めた法律です。 リフォームをしようとする場合には、建築確認という手続きをとる必要があるか否かが重要となります。床面積の増加が伴わない多くのリフォーム工事は、建築確認の申請は不要です。 建築士が設計するものは、建築確認が必要な工事であっても、図書提出が省略できるなどの特例(4号特例といいます)を受けることができます。木造戸建て住宅の多くは、建築士の設計を受けていれば、ほとんどのリフォームは建築確認に必要となる図書の提出が省略できます。 |
土屋 守(東京大学教授) 光文社新書 2011/09/20 ダークエネルギーを語ります。 宇宙での目に見える物質は4%にすぎず、ダークマターが23%、ダークエネルギーが73%を占める。 万有引力の法則によって、宇宙の膨張は遅くなるはずだった。 しかし、逆に、膨張が加速している。 その理由としてダークエネルギーを想定せざるを得ない。 P18 ダークエネルギーを現代の物理学によって理解するには、それはあまりにも奇妙すぎる性質を持っています。例えば、これがもし変わった物質の一種であるとして計算してみると、その圧力がマイナスになってしまうのです。私たちの知っている通常の物質の圧力は必ずゼロかプラスの数であり、通常の物質状態で圧力がマイナスになることはありません。 P19 このように、現在、ダークエネルギーは私たちの自然の理解に挑戦状を叩きつけていると言っても過言ではなく、もはや既存の物理学で理解できる範囲を逸脱している存在です。このため、ダークエネルギーの問題は理論物理学の研究全般に大きな衝撃をもたらしています。この問題が解決するときというのは、私たちの宇宙観が根本から覆る日ということを意味するのかもしれません。 P38 ところがこれは、アインシュタインがはじめに導き出した理論から自然に導かれる現象でもありました。物理学の理論研究では「方程式は、それを作り出した人よりも賢い」と言われることがよくあります。 相対性理論と双璧をなす量子力学においても、その基本方程式を導き出したオーストリアの理論物理学者、シュレーディンガーはその解釈を誤っていました。現代では、量子力学が本質的に確率的な本性を持っていることが明らかになっています。しかし、シュレーディンガーはそれを認めませんでした。すなわち、導き出した方程式自体は正しかったのですが、その方程式の生みの親である本人が、式の意味を取り違えていたというわけです。 アインシュタインはいうまでもなく天才ですが、いまから思えばアインシュタイン方程式は、それを生み出したアインシュタイン自身よりもある意味で賢かったと言えます。宇宙項を導入しなければアインシュタインは膨張宇宙の予言者にもなり得たでしょうが、膨張して変化する宇宙というのは彼の信じる宇宙の姿に反していました。 P60 先に、正の宇宙項は宇宙の斥力となることを説明しました。ちょうど万有引力と釣り合えば宇宙を静止させますが、釣り合わずに宇宙項の方が勝れば、やはり宇宙が膨張できるのです。しかも、万有引力だけの場合は膨張の速さがどんどん遅くなっていきますが、正の宇宙項による場合は膨張がどんどん速くなるのです。 この宇宙は、膨張がどんどん遅くなっている減速宇宙なのか、それともどんどん速くなっている加速宇宙なのか、長らく結論は出ていませんでした。宇宙の膨張の速さですら測定するのは難しく、ましてやその速さの変化まで測定することは、それに輪をかけて難しかったからです。 P62 宇宙項というのは、簡単に言うと空間に薄く広がったエネルギーです。物質がまったく存在しない真空中にも、宇宙項のエネルギーは存在します。そして、その体積あたりのエネルギーは一定です。そのエネルギーは宇宙が膨張しても薄まりません。空間が大きくなればそれに比例して全体のエネルギーも大きくなるのです。これは通常の物質とはまったく異なる性質です。 P101 ですが、もし、宇宙が無数にあるとするとどうでしょうか。これら無数の宇宙はそれぞれに違った物理法則や物理定数を持ち、含まれる素粒子も異なれば、時空間の次元も異なっているかもしれません。この場合には、人間原理にも具体的な意味を持たせることができます。無数に存在する宇宙のほとんどは、人間はおろかどのような生命体もいないつまらない宇宙になっているでしょう。 しかし、きわめて小さな確率をくぐり抜けて人間が生まれる条件を満たした宇宙が一つでもあれば、その宇宙では人間が生まれて物理法則を見出すことになります。その人間がその宇宙の特殊な物理法則や物理定数を不思議がる、ということになります。 |
溝口 敦(ノンフィクションライター) 新潮新書 2011/09/15 なぜ、日本は、暴力団という組織の存在を是認しているのか。 警察と暴力団の関係など、ねっちりと掘り下げています。 P134 ですから、捜査員の中にも暴力団対策法は失敗だったという声があります。 たとえば山口組のお膝元、兵庫県警の捜査関係者が言います。 「捜査のカナメは情報取りに掛かっている。一にも二にも暴力団情報をどう取るかということです。暴力団対策法以降、暴力団情報が取れなくなった。だいたい組の事務所に刑事を入れない。一緒に茶も酒も飲みたがらない。下っ端ならバクったとき因果を含めて情報提供を約束させられる。しかし上層部はバクれないから、コネのつけようがない。特に六代目山口組は徹底的に警察への情報を遮断しています。 だいたい日本では蛇の道はヘビってわけで、悪いことをしている人間が悪い人間を知っている。それを生かすためにヤクザの親分に十手、取り縄を許したわけだ。そういう日本の伝統を暴力団対策法が壊したんです」 最近、警察の捜査能力は衰えたといいますが、実は、もともと捜査能力などなかったのかもしれません。単に暴力団が捜査に協力していた時代は検挙率が高く、協力しなくなったら検挙率が下がっただけの話かもしれないのです。警察は暴力団に暴力団情報ばかりか、裏社会情報全般を仰いでいたのではないでしょうか。 ほんの少し前まで、警察は暴力団と取引をしていました。たとえば拳銃摘発月間に入ると、かねて目をつけていた暴力団幹部にこう持ち掛けます。 「シャブ(覚醒剤の意味)商売でだいぶ儲けたいう話やないか」 と、まず牽制球を投げます。お前が覚醒剤に触っていることは掴んでいるぞ、という脅しです。その上で、「覚醒剤はこの際、目ェつぶったったる。そのかわり挙銃出せや。首なしでええから」などとやります。 P178 組員が債権取り立てをする場合、組員への謝礼は「折れ」といって、借り手が貸し手に返したお金の半分か、半分以上であることが、取り立てを依頼する者の常識になっています。つまり謝礼額は50%以上です。弁護士に取り立てを頼んだ方が安くつくのか、高くつくのか、そのケースにもよるでしょうが、少なくとも安くはない額のこうした裏のカネが、暴力団を養うことにつながっていきます。 |
林良 祐(TOTO生産本部長) 朝日新聞出版 2011/09/15 トイレという文化を創り出したTOTOの生産本部長のトイレ開発の記録です。 ご不浄だったトイレを、くつろぎの間にしてしまったのが、この開発の歴史です。 ユーザのニーズがあったのではなく、文化を創り出し、ユーザに文化を発見させた。 さらに、日本独自の文化です。 その道で何かを成し遂げた人達の著書は語るべき内容が濃い。 著者の人生を追体験できるところに読書の意味がある。 P114 最近、マーケティングの世界では「消費者のニーズだけを信じるな」という見方もあると聞く。開発者の意地でつくった製品が、結果的には消費者のニーズを顕在化させたのだ。「そうそう、これが欲しかった」と。革新的かつ、ロングセラー商品は、こうしたことからも生まれるのだ。 P144 日本の家庭で、水の使用量が多い場所はどこだろう。一番は風呂と答える人が多いのではないだろうか。東京都水道局の2006年の調査によれば、使用量第1位はトイレで、全体の28%を占める。2位は風呂で24%、3位はキッチンでの炊事で23%、4位が洗濯16%で、洗顔・その他9%となっている。 |
成毛 眞(マイクロソフト元社長) 祥伝社 2011/09/07 頭の悪い人ほど英語を勉強する。 楽天とユニクロに惑わされるな インターナショナルスクールを出て成功した人はいない 英語ができてもバカはバカなのだ! これが本書の広告だ。 逆説的な提言なのか。 真に受けるべき提言なのか。 これから読んでみようと思う。 真に受けるべき提言でした。 もっともな主張です。 日本が、英語を使わずに生活できる国であることを喜ぼうと思う。 さらに、著者の批判を怖れないストレートな言い方にも共感できる。 P4 インドの事情に詳しい北海道大学の中島岳志准教授によると、インド人は日本の大学では日本語で授業が行なわれていると知ると、驚くのだという。日本人の英語力の低さに驚いているのではない。日本人が母国語で自然科学や社会科学といった高度な学問を学べることに驚くのである。 つまり、日本人はさまざまな外国語を日本語に置き換えて、日本語で理解するよう努めてきたのである。だから、日本人は日本中どこでも日本語で会話をし、高校でも大学でも日本語で授業を受けられ、書店で日本語の書籍を手に取るという至福のひと時を享受できる。そして日本版アントニ・ガウディともいえる人材を輩出してきたのである。 P6 わざわざ、このような英語圏の人と同類になり下がる必要はない。英語を勉強しなければいけないという強迫観念にとらわれている人は、無批判に欧米人の考えを受け入れ、英語業界のカモ予備軍になりかけているのである。 P18 国語や数学など自分の頭で考えて結論を出す教科は得意であっても、暗記は苦手で英語の成績が悪い人もいる。逆に、英語は飛びぬけてできるのに、ほかの科目は今ひとつの人もいる。いわば、英語は普通の科目ではいい成績を取れない人のための救済科目になっている可能性がある。得意科目を聞かれて「英語」と答える人は、自分は物覚えがいいだけのバカだと公言しているのだと自覚したほうがいいかもしれない。 こう書くと、「社会だって年号や何とかの乱を暗記するだけではないか」と反論する人もいるだろう。だから日本の社会の授業はつまらないのである。本来、歴史とは現在に至るまでのストーリーであり、起きたことの因果関係や関連性を学ぶものである。年号や事象を暗記するのは二の次である。それでも、歴史のストーリーの面白さに気づいたら、大人になってからでものめり込むし、研究するだろう。 対して、英語はどこまでいっても暗記するしかない科目である。大人になって英会話スクールに通うとしても、やはり会話の内容は暗記するしかない。英語を学んだからといって、欧米の文化や歴史に詳しくなるわけではないのである。だから英語は本当の意味での学問ではないといえる。 P41 海外支店の勤務が決まったなら、海外に行ってから慌てればいいし、もし外国人の上司が配属されることになったのだとしても、上司が来てから慌てればいい。何も起きていない段階で、「グローバル化の流れに置いていかれる!」と焦る必要はないのである。 P42 語学だけを継続して5年も10年も学び続ける人などいないだろう。もしいたとしたら、よほど暇でお金が余っている人である。普通のビジネスマンは忙しいから1年間通い続けるのが精一杯だと思う。1年間でペラペラになったつもりであっても、半年も使わなければ完全に忘れてしまう。 もし覚えた英語を忘れたくないなら、ホームステイの学生を受け入れるなど、日々英語に触れる環境を作り出さなければならない。そこまで投資するほど、英語を必要とする人が果たして日本にいるのだろうか。多くの人は、英語が必要だと思い込まされているだけである。 P44 「国民全員が英語を話せるからレベルが高い」などと表面的なとらえ方をしては本質的な部分を見落としてしまう。母国語より外国語を優先しないと生き残れない国が、果たして幸福なのだろうか。 P45 そもそも中国や韓国のエリートが英語を必死に習得するのは、自国より欧米の生活のほうが明らかに水準は上だからだろう。国を抜け出したいから英語を勉強するのである。 自国の産業を持ち、国民がみな一定の生活レベルを保っている日本では、海外に飛び出さなくても自国で幸せに生きていける。英語ができないのは、幸福な国の証でもあるのではないだろうか。 P92 人間力は英語とは関係はない。何語を話せても嫌な性格の人は嫌な性格だし、仕事ができない人は仕事ができないダメな人間である。英語を採用条件にする企業は、人間力を見抜く力がないのかもしれない。もしくは、奴隷度の高い人を探すために採用条件にしているのである。 P100 サダム・フセインはアメリカに捕らえられて処刑されるまでの間、獄中で赤十字から送られてきた145冊の本を読み、自分でも詩を書いていたという。意外にも知的な独裁者だったのである。ジョークをよく飛ばし、小鳥にえさをあげ、神への祈りも欠かさず、暴れたり不平不満を漏らしたりしない模範囚だったらしい。自分の人生の結末を知りながらもなお本を読み続けたのは、最期まで人間らしく生きたかったのかもしれない。 人は学び問うことで人であり続けられる。 P128 まれに誤訳をしている翻訳本に出会うこともあるが、日本の翻訳家のレベルはおしなべて高い。 これだけの翻訳文化があるのだから、日本語を読み慣れた日本人がわざわざ洋書を読む必要はないだろう。海外の本で文法の勉強をしようなどと思わないほうがいい。本はあくまでも娯楽のための本であり、参考書ではないのである。語学の勉強のための読書など、本を読む楽しさが半減してしまうではないか。 少数とはいえ日本人は、世界の中でも特に本好きな国民といえるだろう。アメリカ最大の書店チェーンであるバーンズ・アンド・ノーブルでも、ジュンク堂にはかなわない。「アメリカは出版文化が盛んだ、かっこいい古本屋がたくさんある」などと威張っていても、8階建てのフロアがすべて本で埋め尽くされているジュンク堂池袋本店に連れて行くと、たいていのアメリカ人は仰天する。古本屋がひしめく神田に連れて行ったら、「ここはすべて古本しか売ってない街なのか?」と立ち尽くすだろう。神田のように、街が丸ごと本屋になっているような場所は世界中どこを探してもないからである。 これだけ本を愛している国民が作る本なのだから、優れていないわけがない。 |
浜 矩子(マクロ経済分析) PHPビジネス新書 2011/09/06 円高は嬉しい話だ。 しかし、円高を批判する論調が強い。 国債を消化するために金利の上昇が生じると予想する人達がいる。 しかし、国内の需要は少なく、インフレが生じるとは思えない。 良い解説です。 通貨についての歴史と、ベーシックな理屈を語ってくれています。 ただし、ベーシックでも、簡単ではない。 この著者が、小泉元総理のブレーンだったら、いまと違う日本が存在したはずです。 たぶん、いまより、よほど、良い日本です。 P47 これは経済に限らず、予測というものすべてに言えることだが、どんなことに関しても、「こういう条件の下で、その条件が変わらなければ、こうなる」ということは、かなりの精度をもって予測することができると思う。ただ、そうやって出てきた答えが当たるかというと、これはまったくの別問題。なぜなら、最初に仮定した条件が変わらないなどという保証はどこにもないからである。 ただしこれは逆から言うと、過去を振り返って「なぜこうなったのか」は、ほぼ正確に説明することができる、ということでもある。そして、そうした観点から見てみれば、通貨というものはほぼ、理屈どおりに動くと言うことができるだろう。 P78 クレジット・アンシュタルトへのシティの債権は、ほとんど回収不能になってしまった。これを受けて、多くの短期資金がシティから逃げ出そうとした。ポンドを金に変えようとイングランド銀行に殺到したのだ。金本位制の危機である。 P79 金本位制があってこそ、イングランド銀行は「ポンドの番人」の役割を果たすことができ、政府も簡単に手出しができなかった。しかし、金本位制を放棄したこの日を境に、シティおよびイングランド銀行は単なる御用銀行として、ノーマン卿の言葉を借りれば、「大蔵省の道具と化した」のだった。 ノーマン卿はこの時期を限りに、シティの銀行家の象徴であったシルクハットをかぶらなくなった。それほどまでに、シティは敗北感に打ちのめされたのだ。 その後のシティおよびイングランド銀行は、否応なく政府の経済ナショナリズムに加担せざるをえなくなっていく。それはつまり、対外的な通貨価値の維持よりも、国内の経済成長を優先するというスタンスである。 P81 この「吸血鬼作戦」に最初に音を上げたのがアメリカで、1933年3月に金本位制を放棄した。そうして主要国で唯一の金本位国となったフランスだったが、ポンドとドルがどんどん切り下げられていくにしたがってフラン相場は上がっていき、それがフランス経済を痛めつける。金の流出もさらに進み、フランス経済は惨憺たる状況に陥る。 ついには1936年9月、フランスも金本位制を放棄するに到った。同時に、実質上の為替戦争停戦協定である「三国通貨協定」が結ばれることになった。 P114 仮に東西ドイツの統一があの時点で実現していなければ、今なお、マーストリヒト条約は存在せず、ユーロも日の目を見てはいなかったろう。筆者はそう思う。 欧州における単一通貨ユーロの導入は、経済合理性の追求がもたらした成り行きではない。もっぱら「ドイツ脅威論」という政治事情のなせる業だった。そう位置づけて間違いないと筆者は思う。 P122 第1章で筆者は、「『まさか』は必ず起こる」と申し上げた。 2000年代も後半になり、通貨を取り巻く状況を大きく変えた二つの「まさか」が起こった。2008年のリーマン・ショック、および2009年のギリシャ金融危機である。 前者は、すでに実質的には基軸通貨国の座を降りたにもかかわらず、それをなかなか認めようとしないアメリカへの、市場からの退場勧告とでも言うべきものであった。 後者は、ドルに変わる基軸通貨として期待されていたユーロが、その役割を果たせないこと、さらに、その存在すら危ぶまれるものだということを示す警戒シグナルであった。 P143 ドルはその基軸通貨としての役割を自ら放棄した。ユーロは、ドルが放り出した「黄金の指輪」を取り上げることをあきらめ、静かにその舞台から去ろうとしている気配濃厚だ。 では、新たに基軸通貨となる存在はあるのだろうか? そもそも、ドルが基軸通貨であることを自ら放棄して以来、「基軸通貨」の席はずっと空席のままだったのだろうか? ここで、ポンド、ドル、ユーロに続く第四のプレイヤーに登場してもらうことになる。ひょっとすると、みなさんはこの通貨のことをすっかり忘れていたかもしれない。それは、我らが「円」である。 だが、バブル崩壊以降約二十年にわたる低迷期を経て、日本および円はその存在感をすっかり失いつつあるかのようだ。確かに、2010年には経済規模で中国に抜かれた。 しかし、それは当たり前の成り行きだ。若き成長経済の中国が日本を規模で追い抜くのは当然の展開だ。驚くに値することではない。 一方で、日本は世界最大の債権大国だ。成長はできなくなったが、蓄積はある。これも成熟経済として当たり前の姿だ。 この関係はごく自然なものだ。 若者には成長力がある。大人には成長の果実がある。そういうことである。 成長の果実を豊富に持つ日本のイメージが、円という通貨の動き方にも表れている。 大震災後の為替相場の動きがその一例だ。 何がどうなるかわからない中、日本の原発神話がここまで崩れる中で、円相場はさして大きな円安シフトを示してはいない。 債権大国の通貨とはそういうものだ。 現状の中で、特に日本経済に対する評価が高いというわけでもないだろう。 状況のいかんを問わず、それなりの資産価値がある通貨だということである。 |
宮本弘之(野村総研上席コンサルタント) メディアファクトリー新書 2011/09/06 もしかして、面白い本かもしれない。 最初からお金持ち コツコツお金持ち 突然のお金持ち この3つに分類しているのが面白い。 その中のコツコツ型として弁護士を紹介しています。 預貯金などの金融資産が7億円。 事務所の近くにある自宅と、都内に小さな賃貸マンション。 賃貸マンションのローンが1億2000万円で1年に1000万円ずつの返済。 自分の本業で稼ぐことを重視する姿勢があり、リスクを取ってまで資産を増やす発想はない。 投資も賃貸ビルに留まる。 生涯現職なので、財産の運用について考え始める時期は遅い。 P24 データから見ても、お金持ちの大半はリスクを取って事業を行うオーナー経営者です。 NRIが実施した調査では金融資産を1億円以上5億円未満もつ層では58%が、同じく5億円以上をもつ層では78%が法人や事業のオーナーでした。 日本のお金持ちの代表例といえば、医師や弁護士を思い浮かべる人が多いかもしれません。確かに年収に関しては、医師や弁護士は世間一般の人よりはるかに多いでしょう。しかし、その年収には限りがあります。 P37 1億円以上5億円未満の層では、リスクマネーの割合が61%、預貯金が39%。これが5億円以上の層になると、リスクマネーの割合は77%、預貯金は23%です。 |
河野真樹(元法律新聞編集長) 共栄書房 2011/09/05 これを読んでみて感じるのは、 つくづく、弁護士は、社会音痴だと思う。 弁護士は正義で、弁護士は社会に好かれている。 そのような自意識と、社会の認識は全く異なる。 依頼者だけを基準にして、自分は正義を主張し、 相手方を悪人と定義してしまうから、社会認識を間違える。 社会の認識をちゃんと捉えて、それをアピールすれば、 誰も弁護士増員などとは言わなかったと思う。 弁護士は劇薬なのだ。 数を増やせば被害者が増える。 原告の数に合わせて、被告にされてしまう人達も増える。 弁護士は嫌われ者なのだ。 社会の敵方の見方になるのが弁護士。 殺人犯、強盗犯、連続レイプ犯、詐欺師、ドロボー、借金の踏み倒し。 弁護士は反権力なのだ。 制度の上に利益を得ていた人達には脅威だろう。 弁護士各人に、上場会社宛の訴状1枚の作成を義務付けたら面白いと思う。 P25 もっとも、激増時代の弁護士について、おそらく多くの国民は既に、増員推進派の方々が考えているのとは違うイメージを抱いているように思います。 弁護士が増え、競争が起き、社会の隅々に弁護士があふれることで、この社会がよくなる、と考えている国民は、もはやどれほどいるのでしょう。弁護士が増えることで質の悪い弁護士が社会にあふれ、国民が騙されるケースが増えるかもしれない、気をつけろ、という不安感・警戒感が、ネットなどを見ても勝っているように見えるのですが。 P28 さて、弁護士の「営業」で最も問題とされかねないこと、あるいは注意すべきことは何でしょうか。おそらく、社会が最も悪い意味で反応することになるのは、「紛争の焚きつけ」ということだろうと思います。 P29 他の士業や仕事が当然やっている努力を弁護士もやるだけだ、という声も聞こえてそうですが、どんな士業よりも、弁護士の仕事は、より紛争を作ってしまえる仕事、その危険性が高い仕事ということができます。そのことを考えれぼ、彼らより、そうした方向への歯止めとなる高い職業倫理が求められます。この現実を前提にする以上、彼らの「営業」努力の先行きを、社会が注視せざるを得ないことも当然のように思います。 P34 いまや何百人も弁護士が所属する大手法律事務所が存在し、まさに会社に就職するような形で入所している弁護士もいますが、それ以外の多くの事務所でも、独立することの困難さから、「イソ弁」を継続せざるを得ない、というか、独立を念頭においていない弁護士が沢山います。 P35 最近も、経営弁護士と話をして、「おたくのイソ弁はどうですか」と尋ねましたか、独立という話は全くなく、「何を考えているかも皆目分からない」という回答が返ってきました。 やはり企画「私のイソ弁時代」はお蔵入りです。 P44 弁護士側からすれば、弁護士に限っては、たとえ経済的に追い詰められようともそうはならない、そうはならないはず、そうなってはならない、といったことを言う人はいるでしょう。ただ、言ってはなんですか、そういう意味で弁護士という存在を特別扱いして見てくれる大衆のイメージがもはや存在するのかといわれれば、それは甚だ疑問です。 P56 しかし、そう単純に考えられない面もあります。その最大の理由は、弁護士という仕事は、社会にとっても個人にとっても「危険」な存在になり得るものだからです。彼らに特別な資格を与えているのは、法律という危険物を取り扱うことになるものでもあるからで、なぜ危険かといえば、法治社会においては、法律が絶対的な力を持つからです。 P76 それによると古坂弁護士は、これまでの経験から、弁護士が弁護士過疎地に定着するのは、経営的に困難を通り越して無謀、今回の過払いブーム終焉後、10年20年の長期スパンで考えた場合、経営を維持するに足りるだけの売上を継続的に維持できるかについては大いに疑問と指摘。「人がいないところ、企業がないところには、事件はない。人が減れば、企業が減れば事件も減る」と断言しています。 |
岩下哲典(明海大学教授) メディアファクトリー新書 2011/08/31 和風総本家の「日本っていいな」の世界は江戸時代の文化に遡るように思う。 クールジャパンも、江戸時代から続く日本の文化だろう。 江戸時代を悪政と飢饉の時代にしてしまったのは、明治政府の宣伝活動であり、 実際には、豊で、素晴らしい文化だったのだと思う。 なぜ、他の諸国のように、日本は一度として植民地化しなかったのか。 徳川幕府によって、非常に聡明な政治が行われていたように思う。 P25 イギリス人のアダムズはオランダの商船会社に就職してリーフデ号に乗り、日本に流れ着いた。当時のイギリスは強大な王権の統治下で貧欲に海外進出中だったが、オランダと同様、旧教を信仰しない国であったため、幸いポルトガルやスペインのように日本にキリスト教を広めたいという野心はない。 航海長として自然科学や数学の知識に長けていたアダムズに家康は当初から積極的に教えを請い、幾何学や数学の講義を受けた。その寵愛ぶりたるやたいへんなもので、大名たちですら望めない近しさだったという。 他の重臣が家康に近づけないような雰囲気のときでさえ、彼は直接言葉を交わすことを許された。 アダムズ自身も「私が進言することは、どんなことでも決して反対されなかった」と母国への手紙で記したほどだ。 それだけに母国への帰国が許されなかったのはアダムズにとって無念だったが、やがて彼は日本人の妻を迎え、二人の子どもをもうける。事情は船乗りを続けたヨーステンも同様だった。 P26 アダムズの積極的な活用が始まるのは、実はこの頃からなのである。江戸幕府を安泰なものにするため、自分の目が黒いうちに西欧諸国との関係性を確かなものにし、諸大名に先んじて貿易の利益を独占する体制をつくっておく必要があったからだ。実際、それだけ近侍させたアダムズに対し三浦半島の土地250石を与えたのは、大御所制となった1607年のことである。 |
長田庄一(東京相和銀行会長) 幻冬舎 2011/08/30 今日、日本債券信用銀行の粉飾決算事件について、東京高裁差戻審で、役員に対する無罪判決が出ました。 長田氏の場合も、いま裁判なら、同様の結論になったのだろう。 裁判で、どのような結論がでるかは、事案そのものではなく、その時点での社会の風の影響が大きいと思う。 裁判所に人生を任せるような危険な生活は行わないのが上手な生き方だ。 フロッピーの書き換え以降、検察の取り調べは変わったと思う。 しかし、密室の取り調べである限りは、本質は変わらないと思う。 つくづく検察官や裁判官に任官しなくて良かったと思う。 他人の人生に干渉し、有罪だ、無罪だと、勝手に決める。 そうしなければ制度が持たない。 どのような種類の人達が、検察官、裁判官、あるいは神になりたがるのだろうかと不思議に思う。 P79 きょうを入れてあと3日。取り調べもいよいよ大詰になってきた。 検事さん、相も変わらず「思わしくない増資をしたと認めてよ」と主張する。 山場に差しかかったようである。 私「思わしくない増資ではない。正しい増資だ」。 検事「そんなことを言うと損をする」。 私「損をしても嘘は言えない」。 検事は最後だから態度を硬化させて、後は目を剥き、腕を組み、女性としては最も醜い、夫婦の口喧嘩のような態度と言葉で迫ってくる。見られも聞かれもしたものじゃない。 馬鹿だ、ぼけている、これでよくも50年間も銀行の会長が務まった、と。 いくら検事の職業的な手法だとはいえ、罵詈雑言の言いたい放題。礼儀も恥じらいも何もなく、ただ、口から出まかせの悪口だけ。 検事は、当初の計算が外れたものだから憎しみ百倍、この80ジジイにテーブルを叩いて夜店のバナナの叩き売りよろしく、使いなれた啖呵と戯言、泥棒を罵るいつもの怒声か、これを躍起になって浴びせかける。 だが、当の私は何の反応も一言もない。そんなことには一人で黙ってどこ吹く風。 以上のようなことは、言うだけなら問題はない(拷問にもならない)。仕事とはいえ、40代の女性が、戦場を4年、戦後を50年も生きてきた立場の弱い老人に向かって言う言葉としては場所を心得ていない。 よくこんな言葉をこんなところで平気で使えるものだと、逆に感心する。いやしかし、だからこそ彼女には、ここの仕事が務まるのか。 本当の教育を受けた人かどうか、それは知らぬが、それらの言葉は、いくら職業でも常軌を逸していて聞き苦しい。 冷静に考えたら、今目の前にいる人間が本当に悪いことをした人間かどうか、それくらいのこと、それこそ検事の職業として分かるだろう。それが分からないでは、入口でその人物は検事失格だ。もっともそれが分かっていたら、こんな仕事はしないだろう。 私は黙って、その品の悪い検事の悪態を聞き流して放っておく。腹も立てず、反論もせず、ただ黙って。あと2日だと思って捨ておく。 こんなところで、子供のような歳の娘に腹を立てて、ひっかかったが百年目。それこそ、こちらの方が笑われる。したがってサインなんか、子供の喧嘩、鼻の先でせせら笑い、受け付けさえもしていない。田島先生にも「サインがなくて困るのは向こうだ」と言われている。 彼女はどうやら、名にし負う東京の特捜部に転勤してきて、その仕事始めに今度の事件の6人のうちの一番の厄介者、この難物の老人落としを自信をもって請け負った。だが、その老人が扱いにくくて、そこでヒステリーを爆発させた。そんなところではないかと思う。 「女だと思って、馬鹿にしている」とまで宣う。私は「めっそうもない。女性の検事さんは珍しい。偉い人である」などとおだてると、なおも怒って荒れまくる。 自分一人で相撲をとって転げ回り、自分一人で怒っているのだから手に負えない。私にはどうしようもない。 こんなくだらん連中の下手な芝居を目の前にして、権力とか国家とか法とか言っても、所詮いい加減なものだと思い、まあ、人生でこんなことに付き合うのも、あと2日だけのこと。それですべてが終わるのだ、辛抱しなければと、私は無言で外を眺め、白い雲を目で追っている。 |
山村竜也(歴史作家) PHP文庫 2011/08/25 江戸から明治への歴史の転換は入り繰っていて良く分からない。 今日の敵は明日の味方で、今日の味方は明日の敵だったりする。 これが最近の興味の対象で、あちらこちらの書籍を読んでいたのですが。 本書は、そこらの知識の相関関係が結びつけてくれるような気がします。 もっとも、本書に解説されるレベルの知識がなく、歴史を語り、政治を語ってきたことが間違いなのですが。 P155 建白書は後藤らから老中板倉勝静に手渡され、即日、将軍慶喜のもとに届けられた。これに目を通した慶喜は、しかし、迷うことはなかった。徳川幕府をめぐる政治情勢の厳しさから、これ以上、幕藩体制を維持することは難しいとみて、ほとんど即座に政権の返上を決めたのである。 側近の板倉や若年寄永井尚志にそのことを告げると、二人も、やむをえないことといって納得した。政権返上という大問題は、わずかにこの三人の間だけで話し合われたに過ぎなかったのだ。 P157 では、なぜこんなにも簡単に、慶喜は政権を手放したのだろうか。 それは、一言でいえば、慶喜の先をみる目に誤算があったからだった。 実は慶喜は、大政を奉還したとはいえ、徳川家の立場は以後も尊重されるものと思っていた。つまり新しく樹立されるであろう公議政体に、徳川も参加するつもりでいたのだ。 そして、それに参加する以上、諸侯を圧倒する所領を誇る徳川家が、衆のなかで重きをなすのは自然なことと思っていた。むろん約束されたものではなかったが、大政奉還によって公議政体に移行するというのは、そういう意味だと思っていたのである。 しかし、建白書を提出した土佐藩のことはいざ知らず、一見、土佐に同調しているかにみえた薩摩藩の意志を慶喜は読み違えた。薩摩は、あくまでも武力倒幕にこだわっており、幕府の政権返上だけで事をおさめようとは思っていなかった。「幕府」を倒すだけではなく、「徳川家」を打倒しないかぎり、新しい時代の到来はないというのが薩摩の考えだったのである。 そのことを見通せなかった慶喜は、結果的に無意味な政権返上を行ってしまったことになった。いわば徳川幕府の終焉は、こうした読み違いが招いたものにほかならなかったのだ。 P224 この危機を乗りきるためには、政府の権力強化をはかるよりほかに方法はない。そこで、一か八かの打開策として考えられたのが、「廃藩置県」だった。 これは、従来の「藩」そのものを廃止し、かわって「県」という行政単位を置くものだ。版籍奉還とくらべて大きく違うのは、旧藩王を長とすることを認めず、政府から送り込まれた他人が「県知事(府知事)」をつとめるという点だった。 旧藩主は、国許との交流を断ち切るため、みな東京に住むことを義務づけられた。これならば、諸藩(県)は完全に政府の掌握するところとなり、念願の中央集権国家が実現できる。主唱者の山県有朋(長州)、井上馨(同)が、木戸や西郷隆盛(薩摩)の賛成を得て、廃藩置県案は実行に移されることになった。 しかし、この急進的な改革を断行するには、当然のことながら反発が予想された。へたをすれば、せっかくつくった新政府が崩壊しかねないほどの大問題だった。 明治四年(1871)7月9日、木戸の屋敷に西郷と弟の従道、大久保、大山巌、山県、井上が集まり、廃藩置県の実行と、その背景として武力の用意をすることが決められた。当時、政府は、御親兵として薩摩、長州、土佐の三藩に兵を供出させており、その合計は一万人におよんでいた。今回、この兵力を背後にちらつかせながら、強引に廃藩置県を断行しようというのだった。 むろん、強兵で知られた薩長土兵に攻められれば、かなう藩などなく、いずれも滅亡の道をたどるだろう。そのため、7月14日に明治天皇からの詔として廃藩置県が宣言されると、すべての藩がこれを受け入れることになった。木戸、西郷、大久保らの武力行使も辞さずという不退転の決意が、成功を呼んだのである。 |
ケビン・メア(在日期間19年の米国政府高官) 文春新書 2011/08/18 「沖縄はゆすりの名人」と報道され更迭された米国務省高官です。 実に、的確に日本を分析している。 米国が見る日本を、わかりやすく表現している。 外から見る日本と、米国が見る日本を理解するのに最適の書です。 日本のシステムの、どうしようもない思考方法が語られています。 そこで指摘されるところは、日本政府に限らず、弁護士会にも、税理士会にも言えることです。 どうしようもない非論理性です。 特に、沖縄の人達に読んでいただきたい。 勿論、この著者が主張することが完全に正しいわけではないだろう。 しかし、端的な論理で会話すべきは、著者が指摘するように当然のことだと思う。 特に、本書の後半の記述に読み応えがあります。 日本は江戸時代に鎖国をした。 そして、日本は明治に開国し、また、敗戦で鎖国をしてしまったのだと思う。 P27 しかし、私は当初から日本政府が情報を隠しているのではなく、確かな情報を持っていないのではないかと思っていました。米政府に伝えようにも、伝えるべき質の高い情報を持っていなかったのです。 日本の原子力分野にも関わった経験から知ったのは、経済産業省原子力安全・保安院と東電など電力事業者は一種独特の「微妙な関係」を築いているということでした。その関係からすれば、東電から情報が適切に、日本政府に上がって来るとは考えられませんでした。 P36 大津波襲来による電源喪失から一週間が経過したその日、日本という大きな国家がなし得ることがヘリ一機による放水に過ぎなかったことに米政府は絶望的な気分さえ味わったのです。しかも、自衛隊の必死の作戦にもかかわらず、投下した水は原子炉冷却に効果があったようには見えませんでした。 その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思っています。 P43 ホワイトハウスの当局者は、日本の原発警備の手薄さに驚き、銃で武装した警備要員の配置が必要であると力説しました。これに対する日本政府当局者の答えがふるっていた。 「日本の原発に、銃で武装した警備要員は必要ではありません。なぜなら、銃の所持は法律違反になるからです」 ホワイトハウス当局者は小声で傍らの私にたずねた。 「これって、ジョークだよね?だったら笑った方がいいかな」 私は彼の耳元にささやいた。「たぶん、ジョークじゃない。笑わない方がいい」 ホワイトハウス当局者は神妙な表情でうなずき、日本政府当局者の発言をメモに取るふりをしていました。 P49 時々、日本人から「日本が第三国の攻撃を受けた場合、安全保障条約を結ぶ米国は本当に日本を助けてくれるのか」という質問を受けることがありますが、そんな質問を耳にすると本当に驚いてしまいます。「米国が日本を助けるのは当たり前」というのが私の変わらぬ答えです。いや、私ばかりではなく、それはアメリカ合衆国の答えです。東北の被災地を救援する「トモダチ作戦」は、掛け値なしで、日本という苦境に陥った友人を助けるという純粋な思いで開始されました。 沖縄の一部の反米・反基地の新聞が「米軍の被災地救援活動は在沖縄米軍基地の存在意義を誇示する下心がある」といった論調の社説を載せていたが、こうした悪意ある報道には本当に腹が立ちます。在日米軍基地の存在を正当化するために、被災地支援作戦に乗り出したとは、何と物事を媛小化する見方でしょうか。 P110 2009年に政権を掌握し、総理大臣に就任した民主党の鳩山由紀夫氏からして、日米の戦略関係をまったく理解できない人でした。なにしろ、鳩山内閣は日米中の関係を「正三角形」といい、米国と中国を同じ距離に置いて付き合おうと言った政権ですから。その上で、内容のよく分からない「東アジア共同体構想」とやらを持ち出した。 そんなことを言い出したら、中国の思う壺だし、中国の都合のいいようにされてしまう。中国に騙されてしまう。国同士の関わりについて知識もなくセンスもない。中国は共産主義国家と言うよりも独裁主義の国家ですから、実に危険であることがわかっていないのです。 P119 テロ事件までは米国防総省内でも、冷戦時代と同様の思考法が依然根強く、中国やロシアの脅威に対する重厚な抑止力の整備を重視する傾向も色濃く残っていた。しかし、9・11事件後、そうした冷戦タイプの発想では新たな危機に対応できないという反省が生まれました。米軍は1990年代半ばから、トランスフォーメーションと呼ばれる再編作業を進めていましたが、9・11事件を契機にそのプロセスは加速しました。米軍はテロという新たな脅威に対する機動性のある柔軟な戦力への脱皮を急速に進めたのでした。 そのトランスフォーメーションの影響は、日米防衛関係にも及んだことは言うまでもありません。 P121 ではなぜ、摩擦が高まっているのか。次の章でも触れますが、米軍基地が建設された当時は周囲にはほとんど民家がなく、農家が点在する程度だったのが、今では人口密集地に変わってしまったことが大きな理由の一つです。それが基地の危険性に対する懸念と騒音への苦情が高まる背景になっています。沖縄の海兵隊普天間基地ばかりではなく、神奈川の厚木基地も同様の問題を抱えていて、在日米軍再編計画の下、厚木基地の空母艦載機部隊は山口・岩国に移駐することになりました。 普天間基地問題では、基地外の滑走路近くに宜野湾市が建物の建築許可を出した問題もあります。滑走路近くに小学校もあって、さすがに危険なので、日本政府も資金援助して学校の移転を実施しようとしているのですが、伊波洋一前市長ら反基地派が学校の移転に反対している。反基地団体はこの小学校を反基地運動のシンボルに仕立てようとしているようで、こうした地元政治家の思惑が問題を複雑にしている側面もあるのです。 基地建設のために立ち退きを求められた住民がいるのも事実ですが、その借地料は日本政府が払っていて、基地が移設されれば、借地料収入が途絶える微妙な立場の人々もいます。 前に触れたように、日本政府は名護市を含めた「北部振興策」の補助金として、平成12年(2000年)から21年(2009年)までで、約1千億円を支出しています。毎年100億円です。名護市には10年間で275億円。ですから名護市だけをとっても、毎年、25、6億円、何にでもつかえる、いわば掴み金が出ているのです。 P133 ところが、06年11月に初当選した仲井眞知事が「普天間基地の閉鎖状態」を公約したかと思うと、07年1月には名護市がV字型滑走路の沖合移動を要求するなど、せっかくの合意の前途にまたもや暗雲が垂れ込め始めました。 08年7月、沖縄県議会はシュワブ移設反対決議を可決しました。そして、09年9月、普天間基地の県外移設を唱える民主党の鳩山由紀夫連立政権が誕生し、普天間基地問題は一気に「パンドラの函」を開けてしまった状況になりました。 鳩山政権が県外移設を煽った結果、シュワブ移設実現に向けた機運は急速にしぼんでいき、普天間問題は収拾不能な様相を呈しました。10年6月の鳩山内閣総辞職は、普天間基地をめぐる迷走により、日米関係を混乱させた責任を取ったものでした。11年6月、菅直人政権の下で開催された「2プラス2」は、14年の期限を断念しながらも、06年の合意であるV字型滑走路建設による辺野古移設をあらためて確認しました。 なんのことはない、普天間問題はただひたすら、迷走し続けただけなのです。 P134 日米にとって重要なのは、東アジア・西太平洋地域に「力の空白」をつくらないことです。もし、米軍が沖縄から、日本から撤退したら、次に何が起きますか。中国が地域の主導権を握ろうとするでしょう。しかし、日本が中国による東アジア・西太平洋地域支配を容認するわけはありません。中国もまた、日本がこの地域で主導権を握ることを許すわけにはいかないでしょう。韓国やロシアも、この地域に日本か中国がヘゲモニー(覇権)を確立する事態を認めないでしょう。 米国がこの地域から兵を引けば、大変な軍拡競争が起きるのは明らかです。そんな悪夢のシナリオを回避するためには、アメリカが地域安定のための重石となっていなければならないのです。 2008年3月、米太平洋軍のキーティング司令官(当時)は上院公聴会で、中国海軍幹部が太平洋を東西に分け、米中で分割するという案を冗談まじりに語ったというエピソードを紹介しました。仮に冗談だとしても、今の中国が抱く野望の一端をうかがわせるものだと思います。 米軍の前方展開によって、中国の海洋膨張を抑えようとしなければ、中国は台湾にせよ、ベトナムにせよ、そして尖閣諸島・沖縄にせよ、侵略的行動をためらわなくなるでしょう。海洋権益に対する中国の欲望は、南シナ海でのベトナムとの摩擦という形になって露骨に表われています。尖閣での中国の動きを思い起こしていただければ、理解していただけると思います。 在日米軍のプレゼンスはいわば紛争予防のためにも不可欠になっているのです。 148頁 沖縄の新聞の社説で「米政府はメア総領事(著者)を含め、悪い情報もいい情報もはっきり、正直に説明してくれる。この点は日本政府とは大違いだ」といった趣旨のことを書いてくれたことがあります。私はこの社説を読み、大変、光栄だと思ったものです。 …… これ以降を紹介しようと思うと、全文になってしまう。 |
橘 玲 講談社 2011/08/09 国債は、政府が発行する紙幣です。 円札は、日銀が発行する紙幣です。 さて、国債に未達(売り残り)が生じたら、国債と円札は、どのような動きになるのか。 国債300億円を売り出したが、100億円が売れ残った。 政府は、売出金利1%を、4%に引き上げた。 金利3%の上昇は、既発の国債の3%の値下がりでもある。 つまり、券面額100万円の国債の時価が97万円になる。 金利3%の上昇は、今日の現金と、来年の現金との間に3%の価額差を生む。 つまり、今日の100万円は、来年の103万円に等しい。 そしたら、今日の100万円の土地は、来年の103万円の土地に等しくなる。 という具合に、円札も、3%の値下がりになるのだろうか。 つまり、3%のインフレですが、国債以外に資金不足のない日本の経済で、本当に、インフレが発生するのだろうか。 もし、それでインフレが発生するのなら、借金てんこ盛りの日本政府としては、望むところだろう。 そのような問について、答を探したのですが。 見付けられませんでした。 インフレ = 利率の上昇 = 円相場の下落 これって等号式ですね。 国債で未達が生じたら次のようになると作者は語ってます。 1 高金利 2 円安 3 インフレ しかし、土地は値下がりするとも語ってます。 だから、マイホーム投資は危険だと。 土地デフレ= 国債価格の下落= 円相場の下落 そのような計算式ってあり得るのでしょうか。 P123 国債価格が下落する=金利が上昇すると、利払いの圧力によって財政はさらに逼迫します。 このときに大規模な増税や社会保障費の大幅な削減ができないと、財政赤字はメルトダウンし制御不能に陥ってしまうのです。 P127 このように考えると、国家破産は原理的に三つの経済事象しか引き起こさないことがわかります。 1 高金利 国債の信用に投資家が不安を抱けば、債券価格は下落して金利が上昇します。 2 円安 外国為替市場ではさまざまな国の通貨が売買されており、日本円の価値が下がれば、当然、外貨の価値が上がって円安になります。 3 インフレ 通貨というのはモノやサービスを売買するときの指標ですから、通貨の価値が下がれば物価は上昇してインフレになります。 P129 国家破産の経済への影響は、金融危機として現われます。 国債と不動産価格の下落、企業倒産の増大によって銀行は巨額の損失を計上し、株式市場は大混乱に見舞われるでしょう。政府は金融システムを保護するために、大手金融機関の実質国有化や時価会計の停止に追い込まれるかもしれません。 P175 インフレ対策としては、これまで株式や不動産への投資が有効だと考えられてきました。しかし資産価格が上昇するのは景気過熱をともなうインフレの場合だけで、財政破綻でスタグフレーション(インフレ下の不況)に陥ってしまうと、株価や不動産価格は逆に下落してしまいます。 |
村山 斉(素粒子物理学) 講談社 2011/08/02 難しい理屈なのに、ビックリするほど読みやすい。 宇宙は、暗黒物質で満ちているのだ。 そして、さらに大きな暗黒エネルギーで満ちているのだ。 暗黒物質は、宇宙の膨張によって薄まるが、 暗黒エネルギーは、宇宙の膨張によって増えていくのだ。 アインシュタインは、重力と電磁力を統一する理論を目指したが、実現できなかった。 電磁力に比較し、重力は、圧倒的に小さい(10の36乗の違い)。 なぜ、重力が小さいかと言えば、それは異次元に重力がしみ出してしまっているからだ。 そして、そのしみ出した重力こそが、暗黒エネルギーではないか。 そして、最後に、人間原理が出現し、本書の村山ワールドの起承転結は納まるのです。 P43 これらの観測の結果からいえることは、私たちがきれいだと思って見てきた銀河は、銀河のほんの一部分だったということです。銀河はほとんどが正体不明で目に見えない暗黒物質の塊で、その中に目に見えて光る星がちょろちょろと入っていることになります。私たちは、今まで銀河を目で見てきた気になっていましたが、実はほとんど見ていなかったことになるのです。 P66 つまり、暗黒物質がないと、星や銀河ができず、私たちも生まれないということになります。ですから、宇宙にどうして私たちがいるのだろうかという疑問の答えは、実は暗黒物質が握っているのです。 P67 現在の研究結果を総動員した結果、暗黒物質がなければ、銀河や星や地球、そして私たち人間も生まれることがなかったということがわかってきたといえるのです。宇宙には約1000億個の銀河がありますが、そのどれもが暗黒物質のおかげで誕生したということになります。 P72 このように、宇宙背景放射の様子を詳細に調べていったのがアメリカが打ち上げた人工衛星WMAPです。現在は、ヨーロッパのプランクという衛星が、より詳細に調べようとしています。宇宙背景放射という、いわばビッグバンの残り火をきちんと分析すると、宇宙を構成するものの内訳がわかるしくみになっています。それが、最初にお話しした、原子4.4パーセント、暗黒物質約23パーセント、暗黒エネルギー約73パーセントというものです。 P82 暗黒物質の性質でよくいわれることは、お化けのような粒子だということです。私たちが知っている粒子は他の粒子とぶつかって反応しますが、暗黒物質はほとんど反応しません。ぶつかっても反応しないのですり抜けていってしまいます。 この特徴はニュートリノによく似ています。ですので、暗黒物質の正体はニュートリノではないかと考えられていた時期もありました。宇宙の中には、ニュートリノという素粒子がたくさんあります。ニュートリノは、実は宇宙の中で一番たくさんある物質素粒子です。この宇宙には1立方メートルの空間に約三億個のニュートリノがあります。何もないような空っぽの宇宙空間へ行っても、1立方センチメートル、だいたい角砂糖の大きさの中に、300個のニュートリノがあるのです。 P90 暗黒物質が異次元から来たという説は、この疑問を解決することができます。実は、この重い素粒子は、私たちからは見えない次元を走っているのだと考えるのです。私たちからはその次元は見えないので動いているとは思えず、止まっているように見えます。しかし、三次元より高い次元から見ると、その素粒子は走っているのです。走っているということは、運動エネルギーをもっているのでエネルギーが高いということになります。こう考えることで、止まっているのにエネルギーが高いという不思議さを解明することができます。ですので、異次元にあるものや異次元から来た生物(もしいるとすれば)などは暗黒物質になります。 P113 暗黒エネルギーは暗黒物質と並んで、宇宙をつくるものの中で正体がわかっていないものです。未知の、正体不明のエネルギーなので、暗黒エネルギーといっています。暗黒物質の方は、10年以内にはその正体が明らかになるのではないかと期待がもてるようになってきましたが、宇宙の全エネルギーの73パーセントを占めると考えられている暗黒エネルギーは、まだ糸口がつかめていません。 P118 なぜ、このようなことが起きているのでしょうか。それは宇宙が大きくなっても薄まらない何かがあるからです。その何かが暗黒エネルギーなのです。しかも、この暗黒エネルギーは、なぜかわからないけれど、エネルギー量が増えるものらしいのです。カップの中に熱いコーヒーを入れても、時間が経てば冷めてしまうように、エネルギーは何もしないと減る方向に向かいます。 ですが、暗黒エネルギーの場合は、エネルギーが増える方向にあるのです。 P130 多元宇宙という言葉はあまりなじみがないと思いますが、この言葉には大きく分けて二つの意味が込められています。一つ目は多次元の宇宙。次元というのは時間や空間の広がりを表すもので、私たちの目には字宙空間は三次元に見えています。私たちは上下、左右、前後と三つの方向に動くことができるので、三次元空間といっていますが、実は、宇宙には私たちが気づいていない方向があるかもしれません。つまり、三次元以上の次元があるという考えを多次元字宙といいます。 そして二つ目が多元宇宙。多次元と多元。文字が一つ違うだけで言葉の意味が大きく違ってきます。多次元宇宙は、宇宙空間に今まで知られていなかった次元があるということで、次元が増えても、宇宙の数は一つのままです。ところが、多元宇宙というと、宇宙がたくさんあるかもしれないという考え方なのです。私たちは、宇宙は一つしかないと思って生きてきたわけですが、もしかしたら、私たちが住んでいるこの宇宙は、たくさんある宇宙の中の一つで、この宇宙のほかにたくさんの宇宙があるかもしれないということをいっています。 P144 実際、重力は電磁気力と比べると弱い力なのです。私たちの体は原子でできています。原子の中には陽子と中性子があります。陽子は物体ですので、当然、重さをもっています。重さをもっているものは重力がありますので、引きあいます。でも、陽子はプラスの電荷をもっていますので、陽子同士はプラスとプラスで反発力が起きます。重力による引力と、電磁気力による反発力を比べると重力の方がはるかに小さいことがわかります。なんと、重力と電磁気力では大きさが36桁も違います。重力の大きさを1だとすれば、電磁気力は1の後にゼロが36個もついてしまうのです。10の36乗ですから、一兆の一兆倍の一兆倍も大きさが違います。 P148 それでは、本題に入り、なぜ重力が弱いのかという問題を考えていきましょう。実は多次元宇宙を考えていけば、重力が弱いことをうまく説明できるのです。このアイデアを提唱したのは、ニマ・アルカニ・ハメドという人で、私がバークレー校で学生を教えるようになったときに、初めて一緒に仕事をした大学院生が彼でした。私たちが暮らしている三次元空間を膜のようなものだと考えると、その周りにあるのが異次元ということになります。電磁気力はこの三次元空間の中にへばりついているので、二つのものを離していっても、三次元空間の中だけでしか強弱がついていきません。ですが、重力は異次元の方向にも出られるとすればどうでしょう。二つのものを引き離していくと、重力は三次元方向だけでなく、異次元の方向にもにじみ出ていくので弱くなっていくということが起きると考えられます。これが彼の考えた理論です。 P150 次に、一番簡単な異次元世界で、重力をはじめとする力を統一することを考えてみます。この段階で問題になってくるのが、どのくらいの距離で力の統一ができるのかということです。重力が他の力と同じくらいの強さになると力の統一ができるので、それが起こる距離を探していきます。顕微鏡や加速器を使って今まで調べていた距離は10のマイナス17乗メートルくらいの距離までなので、このあたりで統一が起こると仮定すると、重力だけがにじみ出ることのできる異次元の大きさを計算することができます。 もし、異次元が一つだけという場合は、一つの次元の大きさが10の13乗メートル(100億キロメートル)になります。地球から太陽までの距離が1億5000万キロメートルですから、その100倍程度の大きさです。このくらい大きいものだと、私たちの目に見えないとおかしいことになります。 それでは異次元が二つある場合を考えてみるとどうでしょう。このとき、重力と他の力が統一できると仮定すると、一つの次元の大きさが0.1ミリメートルになります。このくらいの大きさになると肉眼では見えなくなりますので、目に見えないという条件に近くなってきます。このように考えていくと、異次元は次元の数が多くなればなるほど、小さくても存在できることになります。0.1ミリメートルは身近な物体よりも小さいので、このくらいの大きさであれば、その次元があっても肉眼では気づくことができません。したがって、三次元の空間と一次元の時間以外の異次元は、二つ以上の次元があれば、存在してもいいということになります。 P169 ここで宇宙の話に戻りますが、今、注目されている考え方は、異次元を運動している粒子が宇宙の暗黒物質、ダークマターではないかというものです。異次元を運動している粒子は、私たちの目からは止まっているのに大きなエネルギーをもっている、つまり、重い粒子に見えます。暗黒物質は、私たちの目に見えない重い粒子なので、異次元を運動している粒子だと考えると、つじつまが合う部分があります。今、暗黒物質を捕まえようといくつかの観測計画が動いています。まだ暗黒物質はどんなものなのかわかりませんが、もしかしたら異次元の世界を運動している粒子かもしれないのです。 P191 そのようなことを一つ一つ考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから考えられたのが、人間原理です。人間原理によると、人間が存在できるように宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。 宇宙のことを観測するのは人間です。人間が存在できる条件を満たしていないと、人間が生まれません。人間が生まれないということは、観測されないわけなので存在しない、もしくは存在しないのと同じなのです。たくさん生まれた宇宙の中で、ごく稀に条件がそろった宇宙に人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。 ここで特に重要なのが暗黒エネルギーです。既にお話ししましたように、真空のエネルギーが暗黒エネルギーの候補ですが、普通に計算すると120桁も大きな答えが出てしまいます。仮にその計算が正しいとすると、宇宙が生まれてすぐに暗黒エネルギーのために宇宙の膨張が加速し始め、どんどん引き裂かれてしまうので、星や銀河が生まれることができません。そもそも人類が生まれるなんてありえないことになるのです。 しかし、宇宙がものすごくたくさんあると、その中のごくごく一部は真空のエネルギーが小さいかもしれません。確かに宇宙が10の500乗個も生まれたのであれば、たまたま真空のエネルギーが期待される量の10の120乗分の1以下になっている宇宙もありそうです。 そしてこのごくわずかの宇宙だけが暗黒エネルギーで引き裂かれることを免れて十分大きく成長し、暗黒物質が集まって元素を重力で引きずり込み、星、銀河、そして人類が生まれたというわけです。このように真空のエネルギーが小さい宇宙でしか人類が生まれないのですから、私たちの宇宙では真空のエネルギーが計算よりもずっと小さいのは当たり前だということになります。 |
畑村洋太郎(東京大学名誉教授) 講談社現代新書 2011/07/28 失敗学の専門家が、津波と原発事故を語ります。 未曾有の災害に対して、防波堤で対抗することは不可能だと論じます。 なぜなら、それは今までに存在しなかった規模なのですから。 むしろ、常に危険を意識しながら生活をしているほうが良いと。 これに対して、想定外(原発事故)は厳しく批判します。 想定外を想定するのが専門家の役割だと。 反対勢力に対して「原発は安全」と言い続け、原子力村というギルドができ上がってしまった。 その村では、原発について不安を唱えることはタブーである。 P50 じつは釜石市全体で見ても、小中学生で亡くなったのは5人しかいなかったそうです。小学生1927人、中学生999人は無事だったというので、生存率は99.8パーセントです。亡くなった5人は病気などで学校を休んでいたケースで、学校にいた子どもは下級生の面倒を見ながらともに避難したので全員無事だったのです。 P54 じつは片田さんには今回の三陸調査のときに偶然両石で会うことができました。そのときの話でもやはり最大のポイントは「自分で判断して行動する」ということでした。「状況を観察しながら自分で判断して行動する」ことは、いまの時代を生きる私たち一人ひとりが、身につけておくべき基本的な考え方だと私は思っています。震災のときの行動のポイントもやはり同じだったのです。 P58 過去に小さな津波がやってきたときに防潮堤で被災を防ぐことができたり、避難警報が出ても実際には津波がこなかったということを繰り返し経験したことが仇になったのでしょう。つまりは津波対策への過信と、“騙され”続けた「オオカミ少年」効果によって判断が鈍り、本当に危険が迫ったときに正しい行動ができなかったということではないかと思えたのです。 P59 そうしたことを考えると、今後津波に備えるために「高い防潮堤をつくる」というのが本当に津波対策として正しいのかどうかわからなくなります。立派な防潮堤が結局避難の妨げになっているという言い方もできるからです。確実に命を守るためには、中途半端な対策にせず、むしろ常に危険を意識しながら生活をしているほうがいいのかもしれません。 P88 想定外という言葉が安易に使われる背景には、原発の関係者が置かれている特殊な環境も関係していると思われます。原子力という技術を扱っている人たちが構成している世界はたいへん閉鎖的で、よく「原子力村」などと揶揄されています。 原子力村の住人たちには、原発を運営する電力会社や推進派の政治家、経済産業省を中心とする行政の担当者、それに大学で原子力を研究する学者たち、さらには原発をつくった電機会社やゼネコンなども含まれています。 彼らは閉鎖的な社会をつくっているといっても、別に何か陰謀をたくらんでいたわけではありません。彼らは彼らなりに社会の要求に応えるために、まじめに仕事に取り組んできたように見えます。 P91 しかし、だからこそ、原子力技術を扱う仕事は、想定外という言葉ですべて免罪になるような軽いものではないのです。社会から彼らに預託されていたのは、たいへん便利だけれど、たいへん危険でもある原子力技術をできるだけ安全に使うことです。そのために、あり得ること、起こり得ることをすべて想定するといった程度のことは、ふつうにやっているのが当たり前というものです。 それは「原子力の専門家」といわれている人たちにもいえます。もともと社会が彼らに期待していたのは、今回のような事故を想定することです。想定するのが専門家の責務だったのです。 P100 昨今「コンプライアンス」という言葉がよく聞かれますが、じつは「社会の要求に柔軟に対応する」というのが本来の意味です。ところが日本ではなぜか「コンプライアンス」が「法令遵守」と訳されています。私はこれを“意図的誤訳”だと思っています。 企業コンプライアンス研究の第一人者の郷原信郎さんも、同じことを指摘していますが、本来、社会が企業に要求していることは、「法令さえ守っていればいい」ということではないのです。 コンプライアンスの意図的誤訳は、事の本質を媛小化し、むしろ日本の組織から危機管理能力を削ぐものだと、私は考えています。なぜなら「法令遵守」に組織が注力するあまり、本当に組織がやるべき「社会の要求に柔軟に対応する」という面がおろそかになるという恐れ、さらに法令さえ守っていれぼ大丈夫と、組織の対応が形式化、形骸化する恐れがあるからです。 P117 先ほども述べたように、原子力村のメンバーは、電力会社、政治家(いまは民主党政権が対応の拙さで叩かれていますが、もともとは自民党の政治家たちです)、行政、学者、電…機会社、ゼネコンなどです。これらが集まって一つの共同体をつくり、その中で利益誘導を行っていました。 しかも周りには「なにがなんでも反対」と主張する原発反対派がいたので、「共通の敵」と「共通の利益」によって共同体の結びつきはどんどん強固になっていきました。共同体の利益にならないことをすると、たとえメンバーであっても、たちまち「村八分」になるような、そんな雰囲気さえあったようです。 そして「絶対安全」というおかしな考え方は、この中でつくられていきました。その中では想定していることと現実にギャップがあることがわかったとしても、簡単に想定を変えることが許されない雰囲気があったと推察されます。 私は、原子力村の中の人間でも、「このままでは本当は危ないんじゃないか」と思った人もいただろうと思います。しかし結局そういった人が声をあげることはなかったのではないでしょうか。もしくは黙殺されたのかもしれません。彼らから見ると、危ないという声をあげること自体、原発反対派を利することになり、村の利益に反することになるからです。こうなってくると、危ないことを想定して、いろいろ準備することさえできなくなります。 P136 黒四の建設には、7年の歳月と、関西電力の資本金(当時)の三倍に当たる513億円ものお金がかかりました。資金の大半は世界銀行からの融資でまかないましたが、それだけでもたいへんな負担です。そのうえ171人もの犠牲者を出した難工事の連続でした。これだけの対価を払ってようやく得られたのが約34万キロワットの発電能力だったのです。これに対し初期の原発である福島第一原発一号機の発電能力は46万キロワット、現在では一基で100万キロワットを超えているので、そのエネルギーは桁違いということになります。 |
藤巻健史 幻冬舎 2011/07/20 国債の未達で日本はハイパーインフレになると論じています。 日銀が国債を引き受ければ、円は、世界の信用を失うと。 さて、膨大に膨らんだ国債は、どのように返済されるのか。 国債は、政府が発行する紙幣です。 円札は、日銀が発行する紙幣です。 仮に、日銀が国債を引き受けなくても、国債の値下がり(金利の上昇)は、円札の価値の下落(ハイパーインフレ)に繋がるのだろうか。 資金需要のない日本において、金利の上昇、あるいはインフレはあり得るのだろうか。 本書を読んだら、国債と円札の関連が分かるかと思ったのですが、答は見つかりませんでした。 P70 2010年、2011年と44兆円規模の国債を発行するわけですが、これは新しく必要とするお金です。このお金を国債入札で集められない、すなわち国債が完売できないことを未達というのですが、未達を契機に瞬間的に株と円と国債が大暴落するだろうという予想は基本的には変わりません。 もっとも、「国債未達を契機にトリプル安」というシナリオが、「底なし沼のようなトリプル安」になるかもしれないと震災後に思い始めました。じわじわとトリプル安が進むシナリオです。 しかし、「国債未達による瞬間的なトリプル安」のシナリオも有力です。 P134 私がソロスファンドを離れることになった時、ジョージ・ソロス氏の片腕としてかつて英ポンド売りを主導したファンドマネジャー、ドラッケンミラー氏がある中東の国の資産運用の話を持って来てくれました。1兆円の資産運用です。 毎年1%の報酬をもらったとして、私にとっては、年間100億円の手数料収入の仕事です。それもごくごく少人数でできる超おいしい仕事です。 ただし条件は、すべての私の個人資産をそのファンドに入れて、一緒に運用しろというのです。若い頃の私なら、その話に飛びついていたでしょう。 しかし、それなりに成功した身としては、失敗して自己破産し、家族を路頭に迷わせるわけにはいかない、と結論づけました。後ろ髪をひかれる思いで断ったのです。最悪のシナリオを考慮した結果です。 ちなみに、その話を断った後の私の業績は、正直あまり褒められたものではありません。あの時、あの話を受けていたら、私は今ごろスッテンテンです。あ〜よかった、なのです。 P135 財政破綻危機の今、この大災害の復興における国の資金繰りを考えると、「禁じ手であろうと、日銀の国債引き受けがいずれ不可避となるだろう」と書きました。 日銀の国債引き受けが行われれば「日銀が世間に紙幣をばら撒く」ことになりますから、いずれハイパーインフレになるのは間違いないでしょう。 実際に、過去にハイパーインフレを引き起こしたからこそ、財政法第5条で現在は禁止されているのです。 また、来るべき円安が、輸入インフレという形でインフレを加速させるだろうと予想しているのは先述したとおりです。 しかし、「いずれハイパーインフレが来るだろう」との予想は、震災前から同じです。震災前から「財政破綻」は不可避だと思っていたからです。 ただ、「ハイパーインフレが来るなら借金しても大丈夫ですか?不動産や日本株を今買うべきですか?」と聞かれると、震災前は「はい」と回答していたのに、震災後は「はい」と答えるのを躊躇するようになってしまいました。 原発問題で、他のリスクも出てきてしまったからです。 |
フレデリック・フォーサイス 新書館 2011/06/24 重い本を読むと疲れます。 そういうときは昔に読んだ小説を引っ張り出します。 フォーサイスの昔の小説は、どれもが良かった。 短編の「シェパード」も、「帝王」も、そして長編の「ジャッカルの日」も、「オデッサファイル」も。 フォーサイスが書き出すプロは、本物のプロだ。 P116 ベルギー人はちょっと考え込んだ。 「いろんな手間、機械の使用料、それにあたしの専門知識、いっさいがっさいひっくるめて、1000ポンドの手数料をもらわんとね。たかがライフル一挺に高すぎると思うかもしれんが、これはただのライフルじゃない。芸術品だからね。こういうものを創れるのは、創る値打ちのある人間は、ヨーロッパ広しといえどもこのあたししかいないんだから。最高のものには最高の報酬を与えるべきだよ。それから手数料のほかに、素材となる銃、実包、照準器、その他を買い入れる費用として、200ポンドは必要だ」 「いいだろう」 |
岩井克人(東京大学経済学部教授) 新書館 2011/06/23 資本主義を根底の思想から語ります。 P19 だけど、批判されるべきは、まさにこのような本物/代理、あるいは本源性/派生性という二分法です。じつは、金や銀もそれが貨幣として使われるようになったその瞬間から、モノとしての価値を上回る価値をもってしまったのです。貨幣とは、金や銀のかたちをもとうと、紙切れでつくられていようと、それをすべての人が貨幣として使うから貨幣として使われるという自己循環論法によってその価値が支えられているのです。 事実、金銀の貨幣としての価値がモノとしての価値を下回ってしまえば、だれもそれを貨幣として使おうとは思いません。つまり、貨幣とは最初から本物の代理でしかなく、すべての貨幣の価値がそこから出発すべき本源的な貨幣なぞそもそもなかったということです。金銀も紙切れも、貨幣として使われているかぎり、同じ自己循環論法にしたがい、同じ不安定性にさらされているのです。 P31 そして、じつは、このような効率性と不安定性の二律背反とは、資本主義の宿命であるのです。なぜならば、それはまさに貨幣においてもっとも先鋭的なかたちであらわれるからです。先に述べたように、貨幣の成立は、欲求の二重の一致を必要とする物々交換の困難を解消することによって、商品交換の可能性を飛躍的に拡大したわけです。 いや、貨幣がなければ資本主義そのものもありえません。だが、貨幣の成立は、交換の困難そのものを解消したわけではない。そのあらわれ方を変えただけなのです。実際、貨幣とは一般的交換手段であって、貨幣をもつということは将来どのようなモノでも買える可能性をもつということであるわけですが、同時にそれは、いますぐ使わなくてもよいという自由をもつことでもあるのです。自分の生産物を売っても、それによって手に入れた貨幣をすぐ買い物に使わずに、しばらくもちつづけておくこともできる。逆に、貨幣が手元にあれば、自分の生産物を売る前に、いま欲しいものを買うこともできる。 すなわち、貨幣の存在は売りと買いとを分離してしまうのです。そして、じつは、このような売りと買いとの分離こそ、売り手がたくさんいるのに買い手がいない恐慌や、買い手がたくさんいるのに売り手がいないハイパーインフレーションといった、資本主義にとってのもっとも根源的な不安定性を惹き起こしてしまうことにもなるのです。 P42 おそらく国家でしょう。だけど、中央銀行は国家によって管理されるとはかぎらない。いちばんいい例はドイツで、ドイツの中央銀行は通貨の番人として、国から独立している。不況なのでもっと紙幣を刷って欲しいと国が要請しても、インフレの懸念があれば絶対に刷らない。 ぼくの『不均衡動学の理論』の基本テーゼとは、資本主義経済とは本来的に不安定的なシステムであり、それがまがりなりにもなんらかの安定性をもっているのは、そのなかに市場原理にしたがわない制度や機関が存在しているからだということです。アダム・スミスは夜警国家を理想としたけれど、それとは逆に、不均衡動学はそうした固い石のような異物が資本主義には必要だということを主張する。 |
半藤一利(作家) 新潮社 2011/06/16 日本の体制には何度かの転換点があります。 江戸時代から明治時代に、さらに太平洋戦争の敗戦です。 そして、私達は、太平洋戦争の後の「民主主義」を基本だと考えている。 しかし、実際の生活に染みついた日本の文化は、江戸時代から続く文化です。 もし、明治維新が存在せず、江戸時代がいまに続いていたら、さらに素晴らしいクールジャパンだったと思う。 本書は、薩長史観を否定した歴史を語ってくれるようです。 P69 ハリスが演説の通りにイギリス、フランス、ロシア、オランダなどに話を持ち込んだかどうかわかりませんが、ほぼ同じ条件のもとに、幕府はこれらの国々と通商条約を結ぶことになります。となると、これまで日本が保ってきた国策といいますか、この国のかたちといいますか、それがすっかり変わってしまうわけです。しかも幕府が自分勝手の判断でやったことになる。そこですったもんだの騒ぎがはじまるのです。 それは、当然のことながら、京都の朝廷に事情をきちんと説明するべきではないかと多くの人から声が上がりはじめます。特に斉昭の甥である尾張藩主や仙台藩主の伊達さんなど、大きな藩からそういう意見が聞こえてきます。どうしようかと朝廷と相談している暇もなく幕府は開国してしまいましたが、このまま放置しておいては大変なことになる、ここは日本国が一つになるべきであって、やはり朝廷の許しを得なければなるまい──という流れになってきたのです。 当時、京都の公家さんたちは70〜80人くらいいましたが、皆貧乏でヒーヒーいって金がほしくてたまりません。それというのも、これまで幕府が朝廷へ奉仕し奉るのは十万石であったからです。これで宮家から堂上諸卿、諸大夫から三石侍までの扶持をまかなったんですから、位はやたら高くても年中ピーピー・カラカラ。のちに出てきますが三条実美とともに長州へ逃げたいわゆる「七卿落ち」のひとり、東久世通禧なんか三十石三人扶持しかもらっていなかった。 そのうえ発言権もなくふてていたところ、各藩が勝手に重大事を決めた幕府をけしからんと追い詰める動きが伝わってきます。「これは俺たちの出番が来たぞ、チャンスだ」と貧乏公家たちは俄然強気になってきます。こうして江戸での話が済んでしまった時点から、騒動の舞台は京都へと移っていくのです。 P138 ところで、「攘夷」「攘夷」と言ってますが、では下級武士や浪人たちはいったいどのような理論構成のもとに攘夷を唱えたのか、当然問題になるわけです。が、正直申しまして、攘夷がきちんとした理論でもって唱えられたことはほとんどなく、ただ熱狂的な空気、情熱が先走っていた、とそう申しあげるほかはない。時の勢いというやつです。そこがおっかないところで、理路整然たる一つの思想があって皆がそれを学び、信奉し、行動に出るなら話はわかるのですが、それがほとんどなく、どんどん動いていく時代の空気が先導し、熱狂が人を人殺しへと走らせ、結果的にテロによって次の時代を強引につくっていく。テロの恐怖をテコに策士が画策し、良識や理性が沈黙させられてしまうのです。むしろ思想など後からついてくればいいという状態だったのではないでしょうか。いつの時代でもそうですが、これが一番危機的な状況であると思います。 日本人が戦争から学ぶ一番大切な点は、「熱狂的になってはいけない」ことであると私がよく言うのはこの意味です。昭和の時代、戦争への道を走り出した時も熱狂が先に進み、戦争に対して日本人が抱いた「使命」があとから追いかけて「大東亜共栄圏」などという空中楼閣のような話が出てきます。とりあえずは「米英討つべし」が先走ったのです。 P206 「何をされようがよろしかろう。ただしわたくし慶喜は、条約勅許をいただくまでは、朝内を下りませぬ」 とうそぶき、他の人たちが去るなか、慶喜1人はその夜、京都御所に泊まったそうです。それほど頑強に朝廷を揺さぶったのです。 翌5日、今度は大人数での大会議が開かれます。天皇は相変わらず御簾の向こうです。いろんな議論を経て最後に慶喜が立ち上がり、公家たちを恫喝せんばかりに声を荒げて言い放ちました。自身の手紙に書かれてあります。 「やむをえませぬ。それがしはこの場で腹を切り、(徳川)将軍にたいする責を果たすのみ。 一命もとより惜しむところにあらず。されど、それがし切腹いたしましたる折は、(徳川の)家来ども諸卿(あなたたちお公家さん)に対していかようなことに及ぶや、もはやそれがしの存ぜぬこと(知ったことではありませんが、いいですね)。そのお覚悟あってなお勅許の要なしとせらるるならば、それもまたよし。ご存分にされよ」 そう脅しをかけて立ち上がり、席を蹴って去ろうとします。ところがこれは立ち去るふりをしただけの大芝居でした。しかし公家さんたちは「これはたいへんだ」と慶喜を止め、瞬間的に事態は急転するのです。その夜、孝明天皇は言います。 「一橋中納言の願いどおり、御許しの方然るべし」 やむを得ない、と条約勅許は正式におりました。幕府が勝手に結んで朝廷が反対してきた通商条約をすべて認めることになったのです。つまり開国の国策の決定です。 P261 くり返しますが、歴史というのは皮肉といいますか、どうして時を同じくしてこうなっちゃうのか不思議なのですが、片方では裏工作がうまく運び、このままいけば慶喜は朝敵となるところで、ちょうどその人が大政奉還し、これからの政治は天皇陛下にお任せしますとうやうやしく奏上してきたのです。受け取ったのは何も知らない摂政関白二条斉敬でしょうから、うーんよくぞやったと喜び、ではさっそく天皇に差し出しましょうということになるわけです。 慶喜をあまり買わない人といいますか、あの男は野心があってそんな単純じゃないよという人は、この時の慶喜にはみえみえの魂胆があったと評します。一つは、どうせ建白書を出したって受け取らないだろう、朝廷には政治をうまく運営できる人材もいないし、金もない、さらに武力もないのだからうまくいくわけがない。急には受け取れないから待ってくれと慰留するに違いないという思惑があったと。あるいは、たとえ朝廷に政治を任せても、誰かを集めて相談しなければならない時には、結局自分がその中心人物になるに決まっている、全責任は朝廷に預けるとしても、うまく運営するには自分が必要なんだからと、慶喜が自分の立場を強化するために大政奉還したと見る人もいます。 さらに、こうしてカムフラージュすることで、薩摩や長州の野心に満ちた連中の工作をつぶす狙いがあったとも言われます。いずれも確たる証拠はなく、その後の慶喜の動きを見ていると、本気で朝廷への忠義のために決断したと見る事ができないわけではありません。とにかくもともとが忠誠なる水戸の出身なんですから。慶喜をどう見るかでずいぶん違ってきますので、どうぞ皆さんはご自由にお考えいただければと思います。ただ少なくとも、すぐに朝廷からの返事は来ないだろうと思っていたのは事実のようです。 P266 ところが薩摩でも長州でも、徳川が大政奉還して一大名になったのなら、なにもわざわざ戦争までして倒す必要はないのでは、という意見が出ないでもないんです。両藩とも、すぐに「よしきた」と立ち上がったわけではなく、藩内で議論に議論を重ねたようです。それに錦の御旗をつくるのに、どうしても30日かかるんだそうです。ですから武力革命の旗揚げは、計算すればいやでも11月末以降になります。事実、そのつもりで順序だてしていたと思いますが、穏健論が出たこともあってもう少し時間がかかったのです。 また、朝廷の革命派の中心である中山忠能、正親町三条実愛、中御門経之にしても、慶喜がおりてきたならば、なにもあえて武力倒幕を実行する必要はないのでは、と考えます。そこは公家さんですから、ケンカには向いていません。そして10月21日に、武力討幕を中止するようにとの天皇の御沙汰書を、おそらく自分たちで勝手に作って下したのです。 P267 いや、その前の微妙な動きをつづけてお話しておきますと、論議が沸騰したものの、薩摩がやはり戦争覚悟の討幕だと決意したのが10月29日です。つまりは決意してもはや動かざる西郷、大久保の弁論が勝ったのだと思います。そして翌10月30日、長州でも兵を率いて上京することを決めます。いざとなれば戦争を覚悟し、徳山藩や長府藩など枝藩もすべて参加を決めます。そこでいよいよ京都へ向かうとなったものの、薩摩から軍勢が来ないのでいらいらしていると、11月18日、島津忠義侯が西郷隆盛を参謀に約三千名の兵を連れて三田尻に上陸してきました。また裏切られるんじゃないかと心配していた長州は、「お、薩摩は本気だ」と大喜びしたということです。 |
野口武彦(著述業) 新潮新書 2011/06/13 黒船4杯から大政奉還、そして徳川幕府の崩壊に至る短期日の歴史には理解を超えたところがあります。 それがいまテレビ放映されているJIN(江戸時代にタイムスリップした医者)の時代背景です。 その時代背景を語るのが本書です。 時代が動き、歴史が作られるリアルタイムの時代が語られています。 なるほど。 時代は、長州藩の内乱から始まったのだ。 P10 長州藩の志士の問に「開国勤王」という言葉がはやり始めた。言い出したのは高杉晋作である。先頃までは熱心に鎖国擁夷を唱えていたが、下関戦争でそんな幻想は吹き飛んだ。決断の速い高杉はためらいなく発想を切り換える。 下関の地政学的な重要性をクローズアップしたのは下関戦争だった。作戦上の必要から関門海峡を封鎖した英仏蘭米四国がこの港に注目し、その結果、長州藩自身も下関の価値に気が付いたのである。藩単位で独立国家化してしまえばよいではないか。万一幕府と決裂しても自前の経済力と軍事力で堂々と対抗できる自信があった。 P11 九州に亡命中の高杉晋作が門閥派打倒の先頭に立った。12月16日、遊撃隊を率いて下関の新地会所を襲撃して金穀を奪い、三田尻で軍艦を乗っ取って海上砲台に変え、門閥政府に抗戦する態度を示した。 P13 秋吉台の東に絵堂という村がある(現美祢市)。長州藩の内乱はこのカルスト地形の中で展開されたのである。 P15 高杉晋作のクーデターで樹立した長州藩新政権は、元治2年(1865)3月13日、当時まだ村田蔵六と名乗っていた大村益次郎(同年12月12日改名)を防禦掛兼兵学校用掛に抜擢し、思い切った兵制改革に着手する。大村が最初に実施したのは、これまで有志の集団にすぎなかった諸隊を正規の兵制に編入したことである。諸隊は御楯・鴻城・遊撃・南園・膺懲・奇兵・八幡・第二奇兵・集義・荻野の十隊とし、総員を1500名と定めて各隊に員数を割り当てる。武士身分ではない兵士が藩の正規軍になったことは、軍事史上たいへん重要な意味を持っている。 P17 封建社会は、武士身分による武器の独占で維持されてきたといってよい。農工商には鉄砲を持たせないのである。その大原則が破れたのは画期的だった。軍備は政治の比重を動かす。軍隊をいじるには社会全体の変革を覚悟して掛からなければならない。諸隊1500名が常備軍の一角に食い込んだことは、「世禄隊」と呼ばれる既成武士団にとって、従来の支配構造を揺るがしかねない大きな脅威だったのである。 P35 一国が破滅的な戦争に引きずり込まれるムードには特色がある。楽勝気分である。 第一次征長で一兵も損ずることなく敵を降伏させた幕閣は自信満々で、今度も長州藩は簡単に潰せると信じ込んでいた。将軍がわざわざ出馬するまでもないという空気を変えたのは、京都情勢に敏感な一会桑からの突き上げだった。 元治2年(1865)2月、阿部豊後守正外・本荘伯耆守宗秀の二老中が3000の幕兵を引率して入京し、幕府には将軍を進発させるつもりはないと意思表示した。これがとんだヤブヘビになった。2月22日、両人は参内を命じられ、関白二条斉敬に語気荒く詰問されて、逆に将軍上洛督促の朝命を下されてしまう。 P65 何ともいえずけだるい、饒えたような空気が江戸中に禰漫していた。生活は慢性的に下り坂で、よくなる方向が見えないのである。 誰もが徳川様の天下は長く保つまいと感じていた。いっそ破局が眼の前に迫っていたら、人々の眼の色も変わっただろう。しかし、実際には終末のヴィジョンさえはっきりしない蛇の生殺しのような日常がだらだらと続くだけだった。誰もが投げやりにその日その日を送る。情痴のドラマがあちこちに幕を開ける。 P106 水面下では、幕府の想像を絶する歴史的な提携の動きが進んでいた。薩長密約である。 禁門の変このかた、不倶戴天の仇敵のように憎み合っている薩長両藩を結びつけたのは、坂本龍馬の働きだった。さらにその背後には幕臣でいながら幕府の前途を見限り、雄藩大名による《共和政治》を構想した勝海舟の青写真があった。海舟は元治元年(1864)11月に軍艦奉行を罷免され、神戸海軍操練所も閉鎖されて江戸に蟄居していた。海舟に育てられた龍馬が第一線で活躍し始めたのである。 慶応2年1月8日、龍馬に説得された桂小五郎が京都の薩摩屋敷に潜入した。西郷吉之助らが連日歓待したが、いつまで経っても同盟の話を持ち出してこない。双方が意地を張って、相手が先に折れてくるのを待っていたのである。1月20日に龍馬が到着したら、痺れを切らせた桂は帰国しようとしているところだった。龍馬が「下らないメンツにこだわるな」と一喝し、西郷の方から同盟の件を切り出させた幕末史の一齣は有名だ。 P118 幕府瓦解の主題旋律は、まず社会の低音部の暗いざわめきから始まった。第二次征長に備えて、幕府・諸藩では兵糧米や軍需物資の大量買付を行ったため、典型的な戦時インフレーションが発生した。米・油・炭・薪など生活必需品の値段が騰貴する。とりわけ米価は記録破りに高騰し、5月には100文で1合5勺弱しか買えなくなった。前年の慶応元年にはまだ2合5勺は買えたのだ。 米の消費量は壮丁で1日5合というのが標準だった時代である。庶民の稼ぎは1日に4、500文がいいところだ。全部が1人分の米代に消えてしまう。 P122 江戸の町はこれまでに2度、享保18年(1733)と天明7年(1787)に打毀しの波に洗われている。その頃の幕府には、これを犯罪的な暴力行為ではなく、飢謹に伴う《自力救済》の一方法として容認し、毀された米屋とは《喧嘩両成敗》の関係にして収10を付けるだけの余裕があった(岩田浩太郎『近世都市騒擾の研究』)。 ところが今回は違っていた。町奉行所はこの騒擾に対して過敏な反応を示した。早くも6月1日に出た町々の名主への通達で、もし打毀しの徒党が乱暴に及んだ場合には「速やかに召し捕り申すべく候。もし手に余り候わぱ、疵付け、打ち殺し候とも苦しからず候」(『反正紀略』18)と命じている。 6月6日、「その日稼ぎ独身者へは銭一貫九百文、2人暮し以上の者どもへは同一貫百文」と御救金の触が出た。支給金額の合計は、御救人数37万1381人に対して、42万2貫500文であった。1人あたま米1升7合にしかならない額だ。 幕府は、もはや江戸の治安を維持する能力を失っていた。将軍家お膝元がこんな騒乱状態で、西国雄藩を相手にちゃんと戦争ができるであろうか。 P139 ミニエー銃の威力はすぐさま全軍に知れ渡った。射たれる身になって初めてわかったが、とにかく銃の性能が違うのである。幕府側が持っている銃は「ゲベール筒ゆえ、発弾敵に届きかね、ついに惣敗北」(『連城漫筆』)といい、「賊は打ち候も山上より打ち卸し、此方よりはゲベル筒にて届き申さず」(『芸州表出陣中日記』)という有様でどうにも勝負にならない。長州兵は、4、5町(436〜545メートル)先から川を隔てて射ってくるのだが、残らずミニエー銃なので、尖り弾がヒューンと音を立てて飛来し、耳もとを掠める。情けないことに、わが軍のゲベール銃は敵に届かない。自軍だけが敵の着弾距離に入って次々と命中弾を浴びるのである。 P140 ミニエー銃は戦闘の様相を一変させ、それまでの戦争の常識をくつがえした。鎧・具足が役に立たないのである。銃弾が軽く貫通するばかりか、鉄片や鎖をめり込ませてかえって傷を重くするのだ。昔ながらの甲冑はたちまち不要品になった。呑み込みの早い若い武士は、せっかく大金を投じて作った鎧を籠手・脛当もろとも惜しげもなく川へ投げ捨てる。理屈ではなく前線で死生を分ける経験から生れた知恵だった。 P177 処置に困った幕府は、神田佐久間町一丁目の原へ御救小屋を設置した。貧窮人を収容して米を施し、寝所・医療などを保障する施設である。御救小屋入りをした人数は9月20日から24日までの5日間だけで13万人を突破した。入れなかった者の間に餓死者や凍死者が出たので、11月7日には御救小屋を増設すると町触が出ている。 それと並行して、幕府は外米十数万石を緊急輸入して当座の米不足をしのいだ。10月12日の町触は、外国商人からの米の自由輸入を認めるかたちで奨励を図っている。江戸っ子は南京米を初めて食べ、ガイマイの味覚に「世も末になった」と実感した。 P179 先決問題は敗戦処理だ。「止戦」の形に持ち込むつもりだった慶喜は、「苦しいときの神頼み」ならぬ《苦しいときの勝頼み》で講和の使者に勝海舟を引っ張り出した。後に『海舟座談』で、当人はこう回想している。 P181 慶喜が、長州からの全面的な撤兵を開始したのは9月4日である。平和で無防備な周防大島を数日間占領しただけで、幕府軍は長防本土に一歩も足を踏み入れられずに撃退されたのであった。徳川幕府の権威は失墜した。 P210 大政奉還は、もともと坂本龍馬の「船中八策」に発するアイデアだった。慶応3年6月9日に長崎を出航した土佐藩の蒸気船「夕顔」の船室で、龍馬からこの構想を聞かされた後藤象二郎は、これを長岡謙吉に成文化させ、自分が考え付いたような顔をして容堂に進言した。「徳川幕府が政権を返上して万機を公議で決する」という発想に容堂は膝を叩いて喜んだ。公武合体をめざした松平春嶽・島津久光・伊達宗城との四侯会議が空中分解した後、手詰まりになっていた容堂にとって、これは土佐藩がイニシアティブを取れる千載一遇の妙案だった。 P212 慶喜は、みずから手放した幕府に替えて樹立すべき新しい政体を構想していた。10月13日、明治になってから啓蒙思想家として有名になる西周がひそかに2条城に召され、「英国の議院」のことなどの諮問に与っている。「議事院」を設置して「上院・下院の制」を敷き、上院に公卿・諸大名、下院に諸藩士を選任するというプランである。徳川家は将軍を辞職し、委任されていた政権を返上しても、依然として全国3000万石のうち400万石の大大名なのだ。その四百万石をバックにして、慶喜自身は上院議長に選出され、天皇を上に戴いて国家首班をめざすというかなりムシのよい胸算用だ。 |
橘 玲 文藝新書 2011/06/03 国債、東京電力、JALは、安心銘柄3兄弟だった。 しかし、東京電力も、JALもダメになった。 まさか、国債がダメになるとは思えない。 しかし、それを言えば、誰も、東京電力やJALに不安を言う人はいなかった と思う。 ところが、2兄弟は、いま、刑務所に入ってしまっている。 さて、長兄は、このまま娑婆の生活が可能なのか。 そのような今だからこそ、このような事態が生じる前の株式投資の本を読んで みたい。 このような危機について、ノー天気なのか否か。 いや、読みやすい本です。 全体として、投資を否定している論調でした。 金融リテラシーのない人達は投資をしてはならないと。 1 議論の前提となる知識が欠けている。 2 知識が欠けていることに無自覚である。 つまりは「元本保証で儲かる商品ってないんですか」と言い出す種類の人達です。 P36 ジェイコム株の誤発注で20億円の利益を得た男性が現われたとき、彼の年齢と肩書きが世間の注目を集めた。でもそれは、ほんとうは驚くようなことじゃなくて、逆に「27歳無職」でなければこの話は辻褄が合わないのだ。 失うものがないからこそ、大きなリスクがとれる。言い方は悪いけど、成功するトレーダーは、いつの時代も、パチンコ屋の前で行列しているような若者たちのなかから現われるのだ。何千万円ものボーナスを受け取っている「金融のプロ」が、失敗すれば首が飛ぶようなリスクを冒すはずがないではないか。 金融市場は巨大なので、個人でも大きなリスクを負って巨額の利益を追い求めることができる。理屈のうえではリスクとリターンは均衡していることになっているのだが、現実には市場参加者のなかに、莫大な賭け金を積み上げながらも、リスクのきわめて限定されたひとたちがいる。 家庭とか、仕事とか、財産や名声とか、失うものの多い競争相手に比べて、彼らは圧倒的に有利な立場にいる。「成功した」と称するトレーダーがどういうひとたちかを見れば、そのことは一目瞭然だろう。もしもあなたに失うものがあるのなら、あなたが勝つ可能性はきわめて低い。 P73 だれかが100万円を5年間で100億円に増やしたということは、だれかが5年間で100億円(正確には99億9900万円)を失った、ということである。 P74 日本にはデイトレードに関する統計調査はないが、ひと足早くデイトレーディングのブームを迎えたアメリカでは、新たにゲームに参加したトレーダーの7割以上が1年後にはすべての資金を失って去っていく、といわれている。デイトレーダーのうち、生き残るのは全体の5%という報告もある。これらの統計がどの程度正確か判断する根拠を私は持ちあわせていないが、かなり実態にちかいのではないかと思う。一方に莫大な利益を手にするトレーダーがいる以上、その反対側に、膨大な数の敗者がいなければ辻褄が合わないからである。 論理的にも、事実としても、「デイトレードがかならず儲かる」というのは明らかな誤解である。それなのになぜ新規参入者があとを絶たないかというと、その理由は簡単で、テレビや雑誌、インターネットには「成功したトレーダー」しか登場しないからである。損をして退場していったひとたちは、大きな声で自らを語らない。その結果、「すべてのトレーダーが成功している」という錯覚が生じる。 P76 アメリカにはもの好きな学者がいて、数値化可能なテクニカル投資の手法を過去の株価データに当てはめ、そのパフォーマンスを計測する試みが頻繁に行なわれている。それによれば、統計的な有意性を持って継続して利益をあげられる技法は存在せず、ほとんどの場合、テクニカル投資の結果はでたらめに株を売買したときと変わらない。 P145 ここがファイナンス理論のいちばんのポイントなので、もういちど確認しておこう。「私は投資でリスクをとりたくない」ということは、「私はべつに儲からなくていい」というのと同じ意味だ。「俺はドカンと一発当てたい!」ということは、「俺は大きなリスクをとるぞ!」というのと一言一句同じだ。 これさえ理解していれば、「元本保証で儲かる商品ってなんですか?」と質問して、「こいつ、頭蓋骨のなかに脳味噌入ってるのか?」という疑惑の目で見られることもなくなる。 P170 養老孟司のベストセラー『バカの壁』ではないが、同じ日本語で会話しているはずなのに「ぜんぜん話がかみ合わないな」と不安になることがときどきある。その相手を「バカ」と名指しする度胸は私にはないので、政治的に公正に「リテラシーがない」と表現したい。リテラシーとは読み書き能力のことで、具体的には、 (1)議論の前提となる知識が欠けている。 (2)知識が欠けていることに無自覚である。 ことをいう。 こうした特徴を持つ人種が頻繁に観察されるのが投資の世界で、彼らは一般に「金融リテラシーのないひとたち」と呼ばれる。これをわかりやすく翻訳すると、「ネギを背負ったカモ」になる。下品な表現で申し訳ないが、金融商品の多くは彼ら「カモ」からぼったくることを目的につくられている。 P227 私が投機を勧める気にならないのは、必ず損をするからだ。株式投資が確率のゲームである以上、それは避けることのできない運命みたいなものだ。プロのギャンブラー(投機家)はそのリスクに耐えつつ、確率的に優位なポジションをとるためにありとあらゆる可能性を探る。それでもしばしば失敗して、なにもかも失う。 |
黒田 涼(ライター) 祥伝社新書 2011/06/02 クールジャパンの原点は江戸の文化にある。 もし、いまも江戸の町並みが残っていたら、日本は、さらにクールジャパンだっただろう。 本書は武家屋敷の散歩道を語ります。 大きな東京の街は、既に、江戸時代に作られていた。 P15 面積としては、江戸の街の7割を占めた武家地のうち、およそ半分が大名屋敷でした。 したがって、江戸の3分の1以上が大名屋敷だったことになります。武家地にはおよそ50万人が住んでいたそうですが、そのうち大名屋敷にどれくらい住んでいたかは、よくわかりません。町人人口は幕府が把握していましたが、藩邸内の居住者は幕府に届け出る必要はなく、不明だったからです。それに参勤交代にともなって大きく変動していました。大きな藩では、一つの屋敷に数千人はいたようです。 P46 江戸城を作る際、外堀の掘削や神田川の開削などで大量の土砂が出ました。この多くは海岸の埋め立てに使われましたが、それ以外にも、江戸城周辺の台地の谷を埋めたり、土地のでこぼこを整地するためにも使われたことが最近の発掘などでわかってきています。つまり大名屋敷などでは、ただ単に広い敷地を使っていただけではなく、整地して、広い平面を造って利用していたケースがいくつもあるわけです。これは現代の東京にとって大変ありがたい話です。都市の中心部の広大な敷地が平らにされて江戸時代から用意されていたわけで、現代の経済活動にとっても大きなメリットがあります。 歴史の古い世界の都市では、ほとんどの場合旧市街を避けて新市街ができ、そちらが現代の中心地になっています。それは小さな土地の単位が密集していた古い街を、現代の利用法に合わせてまとめるのに大変な労力と時間がかかるからです。 その点東京は、都市の中心に大名屋敷というまとまった土地が存在し、なおかつ整地までされていたわけで、ヨーロッパの古い都市などと比べ、近代の経済活動を進める上でのコストが少なくて済んだのではないでしょうか?大名屋敷に感謝すべきだと思います。 |
高橋篤史(ジャーナリスト) 東洋経済 2011/05/25 SFCGと日本振興銀行の創立者の人生と会社の歴史を語ります。 しかし、事実関係が入り繰り、真面目に読むのが苦痛になります。 だから、後半は、5行おきに読みましたが。 得るところはなかった。 あの当時、大変な力を持っていた2人です。 それが時の流れで破綻した。 当時は、破綻を予想することは困難でしたが。 しかし、結果として、破綻すべくして破綻した人達です。 ただ、登場する人物の実名をリストしたくなりました。 臭い話しでも拒まず、アドバイスする弁護士や会計士のリストです。 P77 最初の相談から二年後、松濤ゲストハウスの建設に着手する半年前の1997年末、課税回避スキームは具体化に向け一気に動き出した。当時、ケン・エンタープライズの懐にあった商工ファンド株の含み益は2000億円を超えていた。××は公認会計士の××とともに林を訪ね、課税回避の具体案を求めた。××は大島商事の資本工作で出てきた税務会計事務所レコルテのボスである。 しばらくして××から提示されたのは三つの案だった。他社株転換社債(EB債)、普通社債、デュアルカレンシー債(二重通貨建債)の発行をそれぞれ利用する三種類のスキームであった。社債を発行するのはいずれの案でもケン・エンタープライズである。××らが考えたのはこういうことだ。 社債はどの案でも極めて高い金利で発行するものとされた。そうすれば、ケン・エンタープライズの利益は利払いでそれだけ減ることになる。その分、商工ファンド株を売った利益を相当額に上り圧縮することができるというわけだ。 P186 ローン債権の譲渡が「バルク」と称して大量にまとめて行われていたこともSFCGには好都合だった。債権譲渡では第三者への対抗要件を満たすため、東京・中野にある法務局出張所で債権譲渡登記を行う必要があり、債権の帰属をめぐってはこれが最も重要な手続きともなる。ただ、実務的には、光ディスクに書き込まれた大量の債権データを、譲り受けた側がそのまま持ち込むだけである。そこに搭載された債権一本一本について法務局が過去の登記との重複を調べたりはしない。二重譲渡はここでも気付かれるおそれがなかったのである。 |
新海裕美子(サイエンスライター) ソフトバンククリエイティブ 2011/05/23 1次元から始め、2次元、3次元と説明し、アインシュタインが時間を加えた4次元を説明する。 ここまでは理解できますが、それを超えて5次元、26次元と説明が進むと理解できなくなります。 非常に分かりやすい説明ですから、言っていることは分かるのですが。 その概念が分からない。 しかし、分からないということが分かっただけでも、十分な収穫です。 自明のように論じられている数学と物理現象の一致や、真実はシンプルであるという理屈。 だからこそ、理論物理学は美しい。 P127 カルツァは1919年に書いた短い論文のなかで、マクスウェルとアインシュタインによる2つの偉大な場の理論を5次元の中で混ぜ合わせて結合することを提案した。また彼の理論はそこで、重力と電磁気力のいずれもが空間構造内における“さざ波”と関係していることを示唆していた。すなわち重力は通常の3次元空間のさざ波によって、そして電磁気力は新しい5次元の“さざ波”によって運ばれるというのである。 P136 カルツァは1つの余剰次元の拡張、すなわち5次元の世界で満足していたが、現在の理論物理学は「ひも」や「超ひも」あるいは「超対称性」という概念に取り組んでおり、手際よく6次元や10次元、11次元を操っている。そしてさらなる次元も間近で待ちかまえている。ある理論家たちは16次元の中でひもを振動させ、なかには26次元を必要としている人々もいる。 P140 しかしながら、オスカル・クラインが提唱したコンパクト化された次元は、人間が見たり感じたりできる尺度よりはるかに、実際何十桁も小さい。それはプランク長さほどであり、物理学で扱う量(物理量)から導かれる最小の長さである。 このような長さは、われわれが知っているどのような方法を用いても検出することができない。そのためわれわれ人間には、この世界は空間の3次元と時間の次元という4次元時空のように見える(または4次元時空のようにしか見えない)。 P167 これは世界を驚愕させる大発見であると彼ら3人は信じた。だがそれはまったくの誤解であった。世界の物理学者は南部らの原子核における強い力の解釈にほとんど興味を示さなかったのだ。 またこの新しい見方にはいくつかの問題があった。それは、時間次元をも含めて実に26もの次元を必要としていたことだ。それは、この見方ないし概念がきわめて変則的であることに由来した。だが確かに時空を4次元から26次元に増やすと、奇妙なことに変則的問題が解消されるのである。 P170 さらに、のちに明らかになったことだが、ラモンのこの新理論によってボソンひも理論が要求した“26次元”というとんでもない数の空間次元は不要となり、10次元もあれば十分ということになったのだ。ラモンは2010年現在、フロリダ大学特別教授となっている。 P182 では時空の10次元はたんに数学的な芸当によって想定されているだけだということなのだろうか? 答えはイエスかもしれない。しかしひも理論の研究者たちは、この種の数学的マジックが可能になるのは、現実世界の奥深くに10次元が潜んでいるからにほかならないと考えている。実際、矛盾のないひもの方程式が初めて計算されたとき、そこ、すなわちひもからアインシュタインの方程式が姿を現したことに物理学者たちは衝撃を受けたのであった。これは、より深くかつ本質的な現実を示唆しているのではないのか? |
prayforjapan.jp編 講談社 2011/05/18 汗と涙が目に入り、目がしょっぱくなりました。 P19 停電すると、それを直す人がいて、 断水すると、それを直す人がいて、 原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。 勝手に復旧してるわけじゃない。 俺らが室内でマダカナーとか言っている間 寒い中、死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。 P27 物が散乱しているスーパーで、 落ちているものを律儀に拾い、 そして列に黙って並んで お金を払って買い物をする。 運転再開した電車で混んでるのに 妊婦に席を譲るお年寄り。 この光景を見て外国人は絶句したようだ。 本当だろう、この話。 すごいよ日本。 P52 亡くなった母が言っていた言葉を思い出す。 「人は奪い合えば足りないが、分け合うと余る」 震災者で実践されていた。 この国の東北関東地震被災者の方々を、日本を、誇りに思います。 頑張って下さい。 P89 誰かに頑張って欲しいと願うなら、 100回『頑張れ』と言うよりも、 自分が1回頑張った方が伝わる。 私たちが、頑張ろう。 P98 石巻氏で、被害の状況を報道するために訪れていた スタッフたちを大声で呼ぶ女の子がいたそうです。 救助を求めているのかと思いながら近づくと、 避難されている方々が「皆さんも大変だからコーヒーをどうぞ」と、 コーヒーをご馳走してくれたそうです。 自分たちのことで精一杯のはずなのに。 日本人って素晴らしい。 |
内藤誼人(心理学者) 廣済堂出版 2011/05/16 引用される島田紳助氏の発想は納得できます。 あまりにも普通なのが驚きです。 そして、普通なのに、普通ではない芸能人であることも不思議です。 P83 たまたまウケることはあるでしょう。でも、それは所詮たまたま。しばらくしたら絶対潰れてしまいます。なぜかといったら、公式がないから。学校のテストと一緒で、たまたま書いた数字が当たる時もあります。でも、公式を知らずに続けても、当て続けることはできません。(『自己プロデュース力』島田紳助著ヨシモトブックス P32) P121 気の大きさを5段階で評価したら、『2』くらいだろう、僕の場合。自分が気が小さいのはよくわかっているから、かえって男らしく振る舞うっていうところはある。 (中略)気が小さいおかげか、物事にあたるときに、いつも最悪のことを考えて行動しているから、困るということはない。まず最悪を考える。絶対に、どう転んでも、それ以下はあり得ないというところから考えるから。(『哲学』島田紳助・松本人志共著 幻冬舎文庫 P209) P143 番組については、正直な話、あんまり気にしてない。番組が成功するかしないかとか、視聴率がどうだとか、そういうことで考えたり悩んだりすることはない。それは僕だけの問題じゃないと思うから。タレントは雇われライダーみたいなもんだから、与えられたマシーンに乗って、その中でベストタイムを出すのが自分の仕事だと思ってる。(『哲学』島田紳助・松本人志共著 幻冬舎文庫 P212−213) |
堀 紘一(経営コンサルタント 株式会社ドリームインキュベータを設立し東証1部上場 ) PHPビジネス新書 2011/05/16 コンサルタントとは何か。 胡散臭い商売だ。 と、思っていたのですが。 次の本は読ませそうです。 答えを見付けるのは受験勉強レベル。 現実社会で重要なのは、問題を解くことではなくて、何が問題なのかを探り当てること。 りんごは、上から下に落ちます。 何故だろうと思った人間がいて、世界が変わった。 光は、どちらから飛んでくるものも秒速30万キロ。 何故だろうと思った人間がいて、世界が変わった。 彼が答を見付けたからではなく、何故だろうと思ったから、彼の名は残った。 カリスマ経営者について「相手が何かに囚われてしまっている」と位置付けているところは面白い。 私は、カリスマ経営者は、「右に5度曲がった人間」と定義しているのですが、これと通じる。 知っていることを教えるのでは報酬は貰えない。 考えることで、報酬を貰う。 この位置付けも良いと思う。 P6 『何が問題か』がわからないのが極めて深刻な問題です」 それを聞いた教授は、満面の笑みを浮かべて私の肩を抱いた。 「紘一、君は今世界で最高の教育を受けている。ハーバードに来て良かったな。ここに来るのもそれなりに大変なことだが、それでも、君のように短時間でそこまで深く学べる学生は滅多にいないんだ。君は今、最高の学問をしているんだ」 このとき私は、ビショップ教授にからかわれているとしか思えなかった。 P7 日本では、勉強や学問というと、答えを導くことが重要と考えられているが、それがまかりとおるのは受験勉強のようなレベルの話でしかない。現実社会で真に重要なのは、問題を解くことではなくて、何が問題なのかを探り当てることである。 たとえば企業活動においては、真の問題を突き止めていないがゆえに売上が伸び悩み、利益が低迷する。政治の世界においても、社会の閉塞感を打ち破れないのは、民主党も自民党も、何が問題かを定義できていないからだ。 幸運にも、私はハーバードで学ぶ機会を得た。その機会を得なければ、「何が問題か」が最大の問題であるということに気づかずに一生を終えていたかもしれない。そう思うと、この2年間の苦労が報われる思いだった。 P96 これは、コンサルティングという仕事そのものにも当てはまる。コンサルティングの仕事の本質とは、「何が問題かを突き止め、その答えを考える」ということ。つまり、「知っていることを教える」のではなく、「考える」ことこそがこの仕事の価値なのである。 そもそも私は、知っていることを教えることでお金をいただくのは、コンサルタントとして邪道だと考えている。企業がコンサルティング・ファームに払う金額は少なくはない。それなりの金額をいただいておきながら、提供するのが「知識」だけというのでは、いくらなんでも見合わないと、私は考えるのだ。 だから私は知っていることはタダ、ないしはタダ同様、たとえばこの本のように一冊1000円以下で教える。この本が安いのは、私の知っていることを書いているからだ。 我々がお金をもらうのは、むしろ「考える」ことに対する対価である。 P104 では、限られた時間内で最大限の情報を引き出すために必要なことは何か。それは、何よりも事前準備である。具体的には、「何が問題か」という「仮説」を立てておくことだ。 「おたくの会社が今厳しい状態である理由は何だと思いますか?」 などという漠然とした質問で、本質的な答えを引き出すことなど不可能だ。別に正しかろうと正しくなかろうと構わないので、まずは仮説を立てておく。 するとまず、「この仮説を検証するには、誰と誰に話を聞けばいいか」が見えてくる。つまり、がむしゃらに話を聞くのではなく、誰に話を聞くべきかという絞り込みができる。これだけでずいぶん、時間の短縮になる。 また、インタビューの場面でも、 「私はこう考えているのですが、いかがですか?」 といったように仮説をぶつけることで、それに反対であっても賛成であっても、相手の意見をより多く引き出すことができるのだ。 そうして得られた情報を元に、また仮説を立て、インタビューをする。この繰り返しである。そうして、徐々に真の問題が明らかになってくる。 P120 こうなったら仕方がない。だが、自信を持って「相手が何かに囚われてしまっている」と言い切れるくらいまで、こちらは事実を積み上げる。それがコンサルティングの仕事というものだ。 私がそのことでいつも思い出すのが、ダイエー創業者の中内功氏のことである。ダイエーの中内氏との案件は、私のコンサルタント人生の中で、苦い思い出として残ってしまっている。 中内氏は、異常なまでに土地を信奉していた。新規出店の際、必要な敷地面積の倍の広さの土地を買っては、半分に店を作り、半分に担保を設定して次に出店する用地を購入していた。そういう不思議なやり方が常態化していた。 このやり方は、二つの意味で危険だ。一つは、金利の問題。当時すでに、ダイエーの負債は2兆円になっていた。金利が1%上がるだけで200億円の追加利払いが発生する。仮に金利が5%上がったら1000億円だ。金利は、一民間企業がコントロールできる代物ではない。日銀ですらコントロールするのは難しい。そういうことを考えると、ただでさえ2兆円を越えている負債をさらに上積みすることはあまりにも危険だ。 二つ目は、土地の値段の問題だ。土地の値段が下がったとたん、担保が価値を失い、このモデルは即座に破綻する。そのことを、私は中内氏に何度も問い質した。 「土地の値段が下がったらどうするんですか?」 中内氏の答えは驚くべきものだった。 「堀さん、あなたは世の中を知らない。土地が値下がりすることは絶対にあり得ない。あなたは東大やハーバードでいったい何を学んできたんだ」 この言葉を聞いて、この人にコンサルティングをするのは無理だと悟った。もし中内氏にコンサルティングをしようとしたら、彼の言うことにいちいち「そのとおりでございます」と卑屈になるしかなかった。私にそれはできないし、やりたくもなかった。私は、昔とは変わってしまった中内氏と訣別した。 P141 感覚的には、3年で半分、7年で7人のうち6人がこの世界から去っていく。それほど厳しい世界である。だからこそドリームインキュベータには「3年表彰」「7年表彰」という制度があり、特別休暇およびそれを家族で楽しむための金一封が出るのだ。 3年目のふるいは、野球の世界で言うならば、二軍から一軍に上がれるかどうか、7年目のふるいは、一軍でレギュラーに定着するかどうか、とイメージするとわかりやすい。プロ野球選手と同様、コンサルタントの世界もあくまでプロフェッショナルの世界なのだ。 だからコンサルティング会社に3年在籍し、次に華麗なる転職を遂げたというと格好良く聞こえるが、私たちの世界では「通用しなかった人なんだな」と受け止められる。もっとも、念のために申し上げておくと、コンサルタントとしては通用しなかったとしても、社会人としては一流である可能性は高い。実際、他の業界にいくと大成功することも多いのだから、やはり特殊な世界と言えるのだろう。 |
大重 寛(元佐川急便教育担当) 東邦出版 2011/05/12 佐川急便の現場の内情を語ります。 物を運ぶのが仕事と思ってましたが、違うのですね。 営業活動、人事管理、クレーム処理、ヤクザに脅かされて土下座をして詫びること。 そして、運転手さん達のメンタルな管理まで。 事故と隣り合わせの仕事で、私達、顧客には、時間指定で物が配達される。 その舞台裏を見せて頂きました。 P105 彼にはそのときの生々しい記憶が残っているそうなのですが、遺体安置所に行って、たいへんなショックを受けたと聞いています。まさか自分が生きているうちに、こんな地獄絵図を見ることになるとは思ってもみなかったと。 そんななか、過疎化した芦屋の高級住宅街があったらしく、すごく大きな豪邸で、そこにお年寄りが何人も住んでいたという情報が彼のところに入りました。 そのときはすでに食料もなく、水もなく、地震から10日ぐらい経っていました。そこにいる人たちがもう生きるか死ぬかの瀬戸際というくらいのときに、彼が救援物資を持っていったのです。 彼はそこでひとりのおばあちゃんを発見し、おにぎりを渡しました。 すると、そのおばあちゃんが真っ黒に汚れてしまった手でおにぎりをふたつに割ってくれて「おにいちゃん、これ、食べな」と言って、彼に渡そうとしました。 自分が食べるより早く届けたいと思って、公園の水道をちょっとひねって飲むぐらいで、たしかに彼もぜんぜん食べていませんでした。ペットボトルの水はあるところにはあったそうですが、ないところにはまったくなかったそうです。 彼はおばあちゃんの行為に、涙が出ました。 「ここまで来る途中で食べているので大丈夫ですよ」 と答えると、 「そうなん?大丈夫なん?あんたら、若いんやから食べてもらわなあかん。私らなんて、あと短いんだから、半分でいいのよ。食べて、生きて」 食べたから大丈夫だということを繰り返すと、おばあちゃんは、ぐわぁっと子どもみたいに食べるのでした。 「おばあちゃん、おいしい?」 彼はそう言って、泣きながら見ていました。 人間はこんなに追い詰められた状況でも、人に優しくなれるものなのかと感じたそうです。おばあちゃんは10日ぐらいなにも食べていなかったはず。それでもおにぎりを半分渡そうという強さ、優しさを見て、本当に彼は変わったといいます。 彼はそれまでは人を蹴落としてでも、という考え方をしていましたが、そのときから、人に優しく接しないといけないという思いが強くなったのだそうです。 |
中川恵一(東京大学医学部付属病院放射線科准教授) 新潮新書 2011/05/07 健康な人でも1日に5000個のがん細胞が発生し、消えていく。 免疫細胞ががん細胞と戦うのですが、加齢によって勝率が下がっていく。 PETをがん検診に使っているのは日本、韓国、台湾ぐらいで、欧米では使われていない。 生活習慣に注意し、がん検診を受けることが、最先端治療よりも有効。 がんを防ぐための生活習慣は、ズバリ、禁煙。 タバコがなくなれば、日本人のがん死亡原因の25%(男性で40%、女性で5%)が消滅する。 咽頭がんの96%、肺がんの72%、食道がんの48%が、タバコが原因。 喫煙は、爆心地から1キロ以内で被曝するのと同じくらいの影響がある。 等々、シャープな説明がてんこ盛りです。 2人に1人ががんになる時代ですから、がんを学んでおくのも無駄ではありません。 内科医と外科医が、がん治療の窓口はなる場合が多いはずです。 放射線治療についての知識を患者側が持たない場合は、放射線治療のチャンスを失ってしまうかも知れません。 P30 さらに、「早期がん」に限れば、9割以上が完治します。たとえば、早期胃がんの時点で手術をすれば、ほぼ100%治るのです。 たとえば、乳がんのがん細胞のうち、免疫の監視をかいくぐって生き残ったたった1つのがん細胞が1センチになるのにおよそ15年もかかります。しかし、1センチのがんが2センチになるには2年もかかりません。1センチ以下のがんは診断がむずかしいですし、早期の乳がんは2センチ以下をさします。ですから、乳がんを早期に発見するには、2年に1度は検診を受ける必要があるということになります。 P43 がんの治療法のなかで、科学的に効果が確認されているのは、手術、放射線治療、化学療法の3つだけです。さらに、自血病など一部のがんを除き、化学療法では完治できないため、完治させられるのは、手術か放射線治療しかありません。この2つの選択肢が、がん治療のメインプレーヤーでライバルなのです。 P84 たしかに、がんと聞くと“死の病”と思われがちですが、今ではその半分以上が完治します。また、がんの部位によって、「5年生存率」は大きく異なります。甲状腺がんのように9割以上のがんもあれば、膵臓がんでは1割以下です。ほとんど治る病気も、ほとんど治らない病気も、同じ病名で呼ぶのはヘンです。がんは100以上の種類がありますから、“百把一絡げ”にしてしまっていることになります。 P115 粒子線治療のメリットは、なんといっても、放射線の「集中性」が高いことです。青山さんが受けている一般的な放射線治療では、X線を使いますが、X線は「光」の一種で、質量を持ちませんから、カラダのなかを突き抜けます。つまり、がん病巣の奥側にも放射線がかかってしまうのです。 この点、粒子線なら、陽子にせよ、重粒子にせよ、質量のある「粒子」ですから、体内の物質と衝突するたびスピードを落としていき、あるところで止まります。この止まる地点を、がん病巣の位置に合わせてやれば、がん病巣の奥側には、放射線がかかりません。しかも、粒子は、止まる直前に、最大のエネルギーを放出するのです。 このように粒子線は、X線に比べてずっとピンポイントに照射できます。強度変調放射線治療でも、放射線の集中性は高いのですが、粒子線にはかないません。 さらに、重粒子線なら、X線や陽子線では効果が乏しい「難治性」のがんにも、有効なのです。重粒子線の炭素原子核は、水素原子核の12倍の大きさですから、まさに“大砲”。ピストルでは歯が立たない“ゴジラ”のような手強いがんにも、大砲なら効果があります。 しかし、青山さんのような早期の前立腺がんでは、強度変調放射線治療でも、まずは十分、粒子線治療と比べても、効果は遜色ないと言えます。ピストルで十分の敵に、わざわざ大砲を使う必要はないのです。また、重粒子線治療は、「副作用」に関するデータが不十分という側面もあるので、注意が必要です。 こんな説明を受けて青山さんは帰宅しました。 P129 このように、がんの傾向も変化していますし、検査や治療も日進月歩で進化しつづけています。ところが、日本の国としてのがん対策は、それにまったく追いついていません。「国」のレベルでも、“がんを知らない”“がんを知ろうとしない”。これこそ、日本のがん対策の「最大のウィークポイント」と言えるでしょう。数十年前、敵の力を知ろうとせず、闇雲に戦争を挑んだ日本人は、今また同じ愚をくり返していることになります。なにしろ、日本には、がんに関する「科学的なデータ」が足りません。 P133 確かに、日本の手術の「技量」は世界一です。手先の器用な“お箸の国”である影響が大きいと思います。 しかし、この「がん=胃がん」だった過去が、「がん治療=手術」という偏った考え方を生んでしまったのです。がん病巣と周囲のリンパ腺を大きく取り除いて再発を防ぐ“胃がんモデル”の手術が、他の全てのがんにとっても最適の治療法だと信じられてきました。ちなみに、アメリカには、胃がんの専門医がほとんどいません。1930年代は、胃がんがダントツで一番多いがんでしたが、日本より20年以上先立って冷蔵庫が普及したため、ピロリ菌の感染が減り、胃がんは自血病より珍しい病気になりました。 日本も現在は、冷蔵庫が普及し、胃がんは減少しています。しかし、人々はこの事実を直視せず、がんの現実を知らないままなので、一度できた「がん治療=手術」の図式は、今も一人歩きしたままなのです。 P134 白血病などの例外を除くと、がんを完治させられるのは、「手術」か「放射線治療」です。 実際、アメリカのがん患者の3人に2人が放射線治療を受けますが、日本では4人に1人にとどまります。“乳がんの佐藤花子さん”の項で紹介した「乳房温存療法」の並及も、先進国の中で一番遅れてしまいました。 実際、韓国でも中国でも、抗がん剤は、「腫瘍内科医」という化学療法のスペシャリストが担当します。腫瘍内科医は、アメリカでは1万人以上いますが、日本では、大学病院でもほとんど不在という状況です。このため、残念ながら、わが国の化学療法のレベルは、先進国のなかで、最低水準と言えるでしょう。 P136 がんによる激痛を緩和する切り札は、モルヒネなどの「医療用麻薬」です。1日に1、2回、飲み薬や貼り薬として使うことがほとんどです。しかし、日本の医療用麻薬の使用量は、先進7ヵ国のなかで、ダントツの最下位で、国民1人あたりの使用量は、アメリカ人の20分の1にとどまります。 P158 たとえば、最初にAという抗がん剤を使うと、Aに弱いがん細胞は死にますが、Aに負けないしぶといがん細胞は生き残ります。この細胞にもうAは効かないので、別の抗がん剤Bを投与すると、同じようにBに強い細胞がまた生き残ります。2つの抗がん剤治療のあとには、AにもBにも耐性を持っている遺伝子が生き残るというわけです。 このように異なる抗がん剤で治療を重ねるほど、弱い細胞は死に、強い細胞ばかりが生き残って、がん細胞はどんどん鍛えられていきます。同じようなことは、放射線治療でも起こります。がん細胞は、厳しい環境でも“一族の中の誰か”が生き残るよう、突然変異によって多様性を身につけたり、治療によって自然淘汰を繰り返したりしながら、「進化」していくとも言えるのです。 P202 きれいごとを言っているわけでも、言葉遊びをしているわけでもありません。がんと心筋梗塞が2大死因であるアメリカでは、多くの人が「がんで死にたい」と言うそうです。そこには宗教的な背景もあるのでしょうが、彼らは「ピンピンコロリ」ではできないことがあると考えているのです。すなわち、家族や親族、親しい人にお別れを告げる時間、一度はやってみたかったことをやる時間、自分の死後の手配をしていく時間が、心臓病で急死してしまうと、ほとんどないということです。逆に、がんであれば、自分の残された時間がある程度わかるだけに、「総仕上げ」が自らの意思で行なえるのです。 アメリカ映画『最高の人生の見つけ方』は、「余命6か月」を宣告された主人公が、人生でやり残したことを実現するために旅に出るというお話でした。「練習V」の佐藤花子さんも、それに近いことを実践していると言えるでしょう。 |
武田邦彦(中央大学総合工学研究所所長) 幻冬舎新書 2011/05/07 屋根の上に載せる太陽光発電は、本当にエコなのか。 私は、大いに疑問を持っています。 まず、経済面です。 資源は、価格で、最適分配されます。 太陽電池パネルが100万円なら、自家消費と売電を含めて100万円の電気を作り出さければ、資源の無駄使いです。 売電し、エコになっている気分の裏側では、太陽電池パネルを作るために100万円の石油商品が消費されている。それなのに、仮に、40万円の価値しか生み出せないとしたら、60万円相当の石油は無駄に消費されたことになってしまうわけです。 次が、科学的な疑問です。 将来、太陽エネルギーを、仮に、50%も拾い出せる完全効率の太陽電池パネルが完成したら、人類の役に立つか。 そもそも、太陽光は、それほど密度が濃く降り注いでいるとは思えません。 しかし、化石燃料は、間違いなく300年後には無くなるだろう。 人口の増減よりも、戦争や災害よりも、人類の未来には深刻な問題です。 ただ、私は、300年後には生きていないので、無責任ですが。 しかし、人類の全てが、この無責任で生きているのが、現在です。 そんなところで、エコなんて善意は、まさに、偽善でしかない(のか否か)。 本書は、私と同様の主張をしているように読めました。 内容は、次の引用文をご覧頂くとして。 P65 この世界地図から、各国の「エネルギー自給率」も透けて見えます。エネルギー自給率は、それぞれ日本が4%、ドイツが27%、イギリスが78%、アメリカは61%です。カナダなどのように、人口が少なく資源の多い国は、逆に自給率が140%と、100%を大きく上回ります。 P73 日本人が使うエネルギーは、kWに換算すると一人当たり約6kWで、これは24時間、365日消費するとしたときの数字です。太陽は一日8時間くらいは使えますが、晴れの日ばかりではないので、平均すると3分の1ほどになります。 計算は数字ばかりが並んでややこしいので適当に省略しますが、1人当たりで300u、4人家族で1200uの太陽電池パネルがあれば大丈夫でしょう。 P75 太陽の光を電気に換えるためには、シリコンの変換素子、そこからのリード線、蓄電池、直流を交流に換える装置など、様々な装備が必要です。そんなこともあって、現在のところは、「太陽電池で作る電気で、次の太陽電池の装置を作ることができない」という性能にとどまっています。どういうことかというと、ある太陽電池が、寿命がくるまでに作ることができる電気の量は決まっています。そして今は、石油があるので、石油を使ってシリコンや変圧器などを作れば問題ありませんが、石油がなくなれば、太陽電池で生み出した電気ですべてを作らなければなりません。現段階ではそれが無理だということです。 つまり、総合収支がマイナスなのですから、太陽電池は「エネルギー発生装置」ではなく、今は「エネルギー消耗装置」と言えるのです。 P220 2020年頃には、多くの日本人が、原子力が危険なのは「技術」ではなく「人災」であることに気がつきます。それが、かつての道路建設のように大きな政治問題になって、責任者が国会で締め上げられ、マスメディアが特集を組み、原子力の「人災」は解決して、原発は一気に社会に認められるようになるでしょう。 原発の人災が取り除かれれば、もう「電気」は心配ありません。何しろ、エネルギー危機のなかで、最も解決が容易なのは「電気」であって、最も足りなくなる危険は「液体燃料」「医薬品」「工業薬品」だからです。 P221 一方、電気の方は、大規模発電では太陽光発電が失敗し、原子力発電の「人災退治」が政治問題になって、一気に解決します。そうすると、誰の目にも、電気は3000年間は大丈夫ということになり、「エネルギー枯渇騒ぎ」は終わります。 |
山田克哉(理論物理学) 講談社現代新書 2011/05/06 今回の原発事故の前に書かれました。 その意味で、落ち着いた解説が期待できます。 核兵器から始まり、ウランと放射能、アルファー線、ベーター線、ガンマ線、中性子線等の放射線の問題。 原子力発電の理論と燃料、安全装置や事故原因、そして、太陽は、なぜ、46億年も輝いていられるのか。 ウランに関するスタートからゴールまでの基本を教えてくれる良書です。 「人間原理」の説明も新鮮でした。 宇宙の原理が、今の状況でなければ、人間が存在しなかった。 整合性をもった宇宙の論理の1つが欠けたら、人間は存在しない。 では、1つが欠けた宇宙、あるいは全部が異なる宇宙が存在するのだろうか。 「なぜ」と問う設問の答は、そうでなければ人間が存在せず、設問も存在しないのだ。 P43 しかしどうして電気力や核力の強さが、測定されたような強さになっていなければならないのか?どうして電子や核子の重さは測定されたような値になっていなければならないのか?一体誰がそのように決めたのか?何をくだらん疑問を抱いているのだ。元々そのようになっているのだからそのようになっているのだ。質問自体がナンセンスである……と一笑に付してよいものだろうか。 いまのところ、どうして測定されたような値になっていなければならないのかを説明する理論は何一つない。ついでだが光は一秒間に地球の赤道の周りを7回り半する。数値で言うと秒速30万キロメートルの速さである。光の速さはこの値一つしかない。どうして光の速さはこの値しかないのか?どうしてこの値でなければいけないのか?どうして光というものはかくも速く走らねばならないのか?誰も分からない。 そこで次のような質問をしてみる。もし電気力や核力の強さが、測定された強さよりももっと強かったりあるいはもっと弱かったりしたらどうなるのか?また電子の重さや核子の重さが測定された値と異なっていたらどうなるのか?もし光の速さが秒速30万キロメートル以外の値であったならどうなるのか?すると次のような結論が出る。 そのような場合には、原子や核の大きさが今日実際に観測される大きさとは大きく異なることになる。例えば原子1個の大きさが1センチぐらいになって、原子を直接見ることができるかもしれない。しかし、もしそうなら宇宙の状態は今の宇宙とはまるで違っているはずだ。さらにもしそうなら、はたして今のような人間が発生しただろうか?否、人間は発生しなかったかもしれない。人間がこの世に発生していなかったら「なぜ自然はこのようになっていなければならないのか」などという質問自体も出てこなかっただろう。 結局、電気力の強さも、核力の強さも、電子の重さも、核子の重さも、すべて測定されているような値になっているからこそ、この世に人間が発生したのだということになるのか? このように「どうして自然はこのようになっていなければならないのか」という質問に対して、「もしそのようになっていなければ現在存在しているような人間がこの世に発生しなかったからだ」と答えるのが「人間原理」と呼ばれる考え方だ。 P54 図5に見られるように、ピーナッツ形になった二つの膨らみはどちらも電気的にプラスであるため、その間に大きな電気反発力が作用し、二つの破片(分裂片)になり、お互いに反対方向に猛烈なスピードで吹っ飛んで行く。運動している物体はそのスピードの二乗に比例した運動エネルギーを持つ。スピードが大きいほど運動エネルギーも大きい。したがって分裂した後の分裂片は、大きな運動エネルギーを持つ。 例えば10(24乗)個の核が核分裂を起こすと2×10(24乗)個の分裂片が勝手気ままな方向に猛烈な勢いで吹っ飛んでいく。これら全部の分裂片の持つ運動エネルギーの総和はとてつもなく大きな値となる。この分裂片の運動エネルギーこそ原子爆弾のエネルギーのほとんどを担うことになる。この運動エネルギーの出所は分裂以前にすでに核内に貯えられていたエネルギーである。貯えられていたエネルギーが分裂によって外に吐き出されたのである。 P97 一般人に対して「絶対に大丈夫」と太鼓判を押された被曝量は、年間1ミリシーベルトとされている。しかし今までの経験から、年間100ミリシーベルトを被曝しても人体に影響は出ていないという結果が出ているため、原子力発電所や放射線を取り扱う業務に従事している人達に対しては、年間被曝量50ミリシーベルトを許容量としている。そのような人達は、必ず被曝量を測定するバッジを業務中に身につけることが義務づけられている。 |
石原慎太郎 幻冬舎新書 2011/05/02 社会には指導者が必要だ。 そして、俺は指導者だと言いたいのだろう。 しかし、中曽根元総理の「保守の遺言」に比較し、なんと薄い人生観なのかと。 「指導者」とくくれば、ヒトラーも、北朝鮮の将軍様も、中内ダイエー社長も、柳井ユニクロ社長も、指導者だ。 では、「指導者」は不要なのか。 必要ですね。 指導者の資質は、後継者を育て上げることができるか否かではないか。 つまりは、自分の「指導者」としての権限ではなく、組織としての指導者の必要性を認識している者が、本当の指導者ではないか。 「自分が指導者」と定義する人達は、結局は、中心は自分でしかない。 「組織としての指導者の必要性」を認識する人達は、組織、つまり、国民を主人公にする思想なのだろう。 自分の不安感、満足感、ワガママを実現する指導者と、 構成員の不安感、満足感、ワガママを基準にする指導者は、全く、異なる。 石原都知事や、小泉総理は、ヒトラー型の指導者だ。 つまり、自分中心指導者論です。 仲曽根総理等、歴代の総理は、組織としての指導者だった。 つまり、国民中心指導者論です。 自分は指導者であり、決断こそが指導者の素質と論じるのが本書ですが、 そのように勘違いして生きている本人は幸せだと思う。 国政に比較すれば、政治的なジレンマが起きることが少ない都知事という職業。 ジレンマが起きたときには、相手を恫喝することで切り抜ける指導者としての個性。 これが石原都政が生きながらえた理由だと思う。 P6 「いずこにぞ、真の指導者」、これはひとり経済界のみならず、政界、官界、教育界、芸術の世界まで広い分野にわたって提言したい、私の願いです。 この現代、総じていえることは傑出したとまではいわない、せめて一癖二癖あるような人間が極めて少ないということです。人間の価値とは、その人間の個性、つまり他とは違うということなのに。 |
和田秀樹(精神科医) ディスカバー・トエンテイティワン 2011/05/02 大学のゼミが心理学でした。 フロイドが説いたイドが、いま脳科学の無意識領域として位置付けられている。 さて、脳の解明は、脳科学というハードで対応するか、心理学というソフトからのアプローチか。 両者共、重要なのですね。 ただ、池谷氏以外の方々が論じている脳科学は、たぶん、どちらかというと心理学の分野の認知科学に近い。 P81 いずれにしても、精神科医というのは、実は病気の治し方を知っているだけで、人間のことがよくわかっているのかというと、疑問です。 むしろ、精神科医というのは、たとえば、落ち込んでるんです、などと言って患者が来ると、原因を探ることより、あ、うつ病ですね、と薬を出すことを考えます。病気の人ばかり診て、正常の人をあまり見ていないので、やって来た人がふつうの人と比べてどの程度悪いのか、実はよくわからないとも言えます。 P83 精神医学と臨床心理学、どうも、精神医学のほうが分が悪いようですが、ひょっとしたら精神医学のほうが臨床心理学よりいい、と思われることがひとつだけあります。 それは、副作用の少なさです。 世間では、精神科医の出す薬のほうが副作用があると思われがちですが、実は、逆です。 薬よりカウンセリングのほうがずっと副作用の確率も高いし、被害も大きいのです。 なぜなら、薬というのは、たとえばの話、この薬を飲んで100人に1人が死にました、などというものは決して認可されませんが、カウンセリングの場合、カウンセラーがヘボだったりすると、よけい落ち込んでしまったり、よけいイライラするようになったり、あるいはカウンセラーに言われて会社に辞表を叩きつける、奥さんと離婚をしてしまうなど、患者さんが間違った決定をしてしまう危険はつねにあります。 つまり、カウンセリングがうまくいかなかった場合、その人の人生の後々にまで悪影響を与えてしまうことは珍しくないのです。 いまどき死にいたるほどの副作用のある薬など、抗がん剤でもないかぎり認可されませんが、もともと心の病のある人がカウンセラーにかかっている場合、そのカウンセラーがヘボであったがために患者さんが自殺してしまう可能性だって、実はかなりの確率で存在すると言わざるを得ません。 P96 なぜかというと、WAISは、おもに理解力を検査するテストだからです。初期の認知症では、記億障害と記憶に基づく高次の判断力の障害はあるものの、理解力は落ちていないからです。 たとえば、初期の認知症にある人が、だれかから「振り込め詐欺に気をつけなさい」と言われたのに、どうして引っかかってしまうのかというと、肝心の詐欺師から、こうこうこういう理由で早く振り込まないとこんなことになるみたいなことを言われたときには、すでに前の人から聞いた「振り込め詐欺に気をつけてね」という注意を忘れてしまっているからです。つまり、記憶障害が起こっているわけです。 ところが、理解力そのものは落ちていないから、人の話は理解できる。そこで、もっともらしいことを話す人の話を理解し、信じてしまうわけです。 初期認知症の時点では、人の話の理解力は100%だし、計算式で書かれた儲け話も理解できます。ただし、記憶障害はあるから、いろいろな過去データをリファレンスして、その話が信頼するに値するかどうかを判断することは難しい。 だから、詐欺に引っかかってしまったり、ちょっと優しくしてくれた子どもに全部財産を譲ると遺言状を書き換えちゃったり、といったことが起こる、というわけです。 P216 何であれ、名人とか名選手、名経営者と呼ばれる人たちは、おそらくふつうの心理学者と称する人たちとは比べものにならないぐらい、相手の心理を的確に予測しているはずです。 そう考えると、実は知らないうちに、心理学的な手法をとっている人は少なくありません。彼らは、ある種の自己流の心理学を持ち、自分なりの方法で検証しているわけです。セブン・イレブンの鈴木敏文氏のように、ビジネスそのものを巨大な検証装置として機能させている人もいます。 心理学的なものの見方をすれば、だれでも心理学者になれるのです。 では、心理学的なものの見方とは何か? 復習すると基本的にはすべて仮説だととらえ、それを検証しようという態度、あるいは、仮説立案のために相手(場合によっては自分)を観察するという姿勢です。 そういう見方が自然にできていれば、だれでも心理学者になれます。 |
篠田節子 講談社文庫 2011/04/27 恥ずかしながら、チベット問題を知らなかった。 ゲンドゥン・チューキ・ニマの問題を知らなかった。 ゴルゴ13(353話)の「白龍昇り立つ」も読んでみた。 P155 「あなた達もすぐに帰りなさい。無駄に命を捨ててはならない。ここチベットの地では自分たちの要求を通したければ、狡猾にならねばならない。思慮深いということは狡猾と同義である場合もある。焦ってはならない。私は十年、牢獄で耐え、チャンスを待った」 P165 チベット一の大都市で聖都とはいえ、漢人入植者が圧倒的に多い町だ。共産党本部に公安、人民政府、といった建物がメインストリートに建ち並び、市内の各所にあるのは、政治犯を収容した刑務所と労働キャンプだ。そして町の周りを人民解放軍のキャンプが取り囲む。 多くの僧侶と尼僧が、その罪状も定かでないままにぶち込まれている悪名高きダプチ刑務所もここにある。 |
ジャレド・ダイアモンド(地理学教授) 草思社 2011/04/25 ねっちりとした論理と文章で、簡潔本になれた私には、とても読みこなせません。 一般に話題として引用される部分だけを読み取りました。 幸せになるためには十分条件が必要だ。 その1つが欠ければ、不幸せだ。 だから、幸せは1つであり、不幸せは要件の数だけ存在する。 これをアンナ・カレーニナの原則というそうです。 P233 家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。 この文章をどこかで目にしたような気がしても、それは錯覚ではない。文豪トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書きだしの部分、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(中村融訳、岩波文庫)をちょっと変えたものだからだ。トルストイがいおうとしたのは、男と女の結婚生活が幸福であるためには、互いに異性として相手に惹かれていなければならない、金銭感覚が一致していなければならない、そして、子供のしつけについての考え方、宗教観、親類への対応などといった、男と女が実際に生活をともにするうえでいろいろ重要な事柄について、二人の意見がうまく一致していなければならない、ということである。これらの要素は、幸福な結婚生活の実現になくてはならぬものであり、ひとつとして欠けてしまえば、その他もろもろの条件がすべてそろっていたとしても結婚生活は幸福なものにならない。 トルストイの指摘はひとつの原則であり、男と女の結婚生活以外にも、いろいろな事柄にあてはまる。われわれは、成功や失敗の原因をひとつにしぼる単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗の原因となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する。トルストイの「アンナ・カレーニナの原則」は、まさにこの点をいいあてている。そして人類史を大きく変えた動物の家畜化の問題も、この原則によって説明できる。 P244 ところが実際には、シマウマやバッファローを家畜化しだ部族・民族は一つとしてない。こうした事実は、ユーラシア大陸以外の場所で、土着の哺乳類が家畜化されなかった原因が、それらの地域に居住していた人びとの特性にあるのでなく、それらの地域に生息していた哺乳類の側にあることを示唆している。 P260 これが、この章の最初の部分で提起した問題である。しかし、家畜化の候補となりうる動物に「アンナ・カレーニナの原則」を適用すると、少数を除いて、ほとんどがふるいにかけられてしまう。多くの動物は「アンナ・カレーニナの原則」によって、家畜化がうまくいくのに必要とされるすべての条件を満たしていないと判断されるからである。それらの動物は、餌の問題、成長速度の問題、繁殖の問題、気性の問題、パニックになりやすい性格の問題、序列性のある集団を形成しない問題などがあって人間が家畜化できないのである。野生哺乳類のうち、ほんのわずかの動物だけがこうした問題点をすべてクリアでき、家畜となって人間といい関係を持つにいたったのである。 |
カイザー・ファング(統計学) 阪急コミュニケーションズ 2011/04/21 書き出しの3行が書ければ、良い文章が作れる。 本書は、書き出しに読者を引きつけるところがある。 P9 「世の中には3つの嘘がある。嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ」 と言ったのはベンジャミン・ディズレーリ元英首相だ。 P11 アリストテレスの言葉は今の時代にこそ当てはまる。 「知れば知るほど、自分が知らないということを知る」 P229 ニューヨーク・タイムズ紙の1面の統計を見れば、報道の量がわかる。研究によれば、飛行機事故は死者1000人につき138本の記事が1面に掲載されるのに対し、殺人事件は死者1000人につき2本、癌による死者はわずか0.02本だ。 |
NHK「COOL JAPAN」取材班 ランダムハウス講談社 2011/04/21 ![]() 日本人が当たり前だと思っている日本の文化。 その当たり前の中からCOOL JAPANを探します。 福袋、宅配便、ちり紙交換、美容室、中吊広告、漫画喫茶、100円ショップ、自動販売機、ハイテクトイレ……。 各々について外国人のコメントが付きます。 P53 世界一の普及率は日本の治安の良さの証拠 日本を訪れた外国人たちが皆、驚くというのが『自動販売機』だ。外国にも『自動販売機』はあるが、日本のように100m歩くごとに街中いたるところにいくつもの『自動販売機』が設置されているという国は他にない。 現在日本の『自動販売機』の数は全国に約560万台設置されているという。人口一人当たりの数はもちろん世界一。2006年度でいうと、『自動販売機』の全国総売り上げは、およそ7兆円で、これはコンビニ業界の売り上げに匹敵するというからすごい! 最初の発明から約100年、その間『自動販売機』は急速な進化を遂げてきた。中でも外国人たちが驚くのが、「一つの自動販売機に冷蔵庫と電子レンジが一緒に入っているところだよ!」。つまり、一つの『自動販売機』で“冷たい飲み物”と“温かい飲み物”を一緒に売っているということ。我々日本人にとっては今では当たり前のように思える、冷温同時販売の『自動販売機』も、海外ではほとんど見かけないそうだ。これぞまさに、日本のお家芸・ハイテク技術の見せどころといえるだろう。 【外国人からのひと言!】 フランスで自動販売機を路上に設置するのは治安が悪いので難しい(フランス女性) ノルウェーにはあまり自動販売機はないね(ノルウェー男性) インドには必要ないと思います。小さな店がたくさんあるのでそこで買う方がサービスもいいよ(インド男性) フランスと同じで壊されたりお金をとられたりすると思うよ(ドイツ男性) フランス人にはコーヒーを機械で買うなんて考えられないわ。エスプレッソは座ってゆっくり飲むものなの(フランス女性) 素晴らしいよ!自動販売機は日本の奇跡の1つだよ!(ガーナ男性) |
吉村 昭 文春文庫 2011/04/21 東北地方は、幾回もの津波の被害を受けていた。 なぜ、その教訓が生かされないのか。 津波被害は、必然なのか、人災なのか。 人災であり、必然であり、人間の傲慢さであり、命の値段なんですね。 その命の値段が、自分の命の値段になることを忘れた頃に、津波が押し寄せてくる。 今、自分の命の値段、子供達、その子孫の命の値段を再確認し、安全地帯(高台)に移住しなければならない。 ここで進歩しなかったら、近代国家、日本が泣きます。 命を軽んじれば、必ず、何十年か後に、そのツケを支払わされる。 P59 海岸には山肌がせまり、鋭く入りこんだ湾の奥まった個所に村落がいとなまれている。そのわずかな浜に軒をつらねる家々は、辛うじて海岸にしがみついているようにみえる。 三陸沿岸を襲う津波は、例外なく地震と密接な関係をもつ。沖合は世界有数の海底地震多発地帯で、しかも深海であるため、地震によって発生したエネルギーは衰えずそのまま海水に伝達する。そして、大陸棚の上をなんの抵抗もなく伝って海岸線へとむかう。 三陸沿岸の鋸の歯状に入りこんだ湾は、V字形をなして太平洋にむいている。このような湾の常として、海底は湾口から奥に入るにしたがって急に浅くなっている。 巨大なエネルギーを秘めた海水が、湾口から入りこむと、奥に進むにつれて急速に海水はふくれ上り、すさまじい大津波となる。つまり三陸沿岸は、津波におそわれる条件が地形的に十分そなわっているのだ。 P150 しかし、この高所移転も年月がたち津波の記憶がうすれるにつれて、逆もどりする傾向があった。漁業者にとって、家が高所にあることは日常生活の上で不便が大きい。そうした理由で初めから高所移転に応じない者も多かった。 一例をあげると、明治29年の大津波で大災害を受けた岩手県気仙郡唐丹村では、山沢鶴松という人が海岸から300メートルほどはなれた高台にある自分の土地を提供して、熱心に被災者の住居移動を説いて歩いた。が、それに応じたのはわずかに4戸で、これもいつの間にか海岸近くにもどってしまっている。 つまり稀にしかやってこない津波のために日常生活を犠牲にはできないと考える者が多かったのだ。しかし、明治29年につぐ昭和8年の大津波によって、徐々にではあるが、住宅の高所建築がすすめられていった。 P172 しかし、明治29年、昭和8年、昭和35年と津波の被害度をたどってみると、そこにはあきらかな減少傾向がみられる。 死者数を比較してみても、 明治29年の大津波 ………………26,360名 昭和8年の大津波 ………………… 2,995名 昭和35年のチリ地震津波 …………… 105名 と、激減している。 流失家屋にしても、 明治29年の大津波 …… ……… 9,879戸 昭和8年の大津波 …… ………… 4,88五戸 昭和35年のチリ地震津波 …… 1,474戸 と、死者の減少率ほどではないが被害は軽くなっている。その理由は、波高その他複雑な要素がからみ合って、断定することはむろんできない。しかし、住民の津波に対する認識が深まり、昭和8年の大津波以後の津波防止の施設がようやく海岸に備えはじめられてきたことも、その一因であることはたしかだろう。 |
NHK「東海村臨界事故」取材班 新潮文庫 2011/04/20 書店には放射線本が山盛りです。 その中で、ゲテモノではない本を探したのが本誌。 中性子が体を突き抜けるということは、どういうことなのだろう。 身体中の全てのDNAが一瞬にしてちょん切られてしまうのですね。 P11 バケツで7杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき、大内はパシッという音とともに青い光を見た。臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」だった。その瞬間、放射線のなかでももっともエネルギーの大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。 被曝したのだった。 午前10時35分、放射線が出たことを知らせるエリアモニターのサイレンが事業所内に鳴り響いた。 「逃げろ!」 別室に移っていた上司が叫んだ。大内は急いでその場を離れ、放射線管理区域の外にある更衣室に逃げ込んだ。と、その直後、突然嘔吐し、意識を失った…。 P56 染色体はすべての遺伝情報が集められた、いわば生命の設計図である。通常は23組の染色体がある。1番から22番と女性のX、男性のYとそれぞれ番号が決まっており、順番に並べることができる。しかし、大内の染色体は、どれが何番の染色体なのか、まったくわからず、並べることもできなかった。断ち切られ、別の染色体とくっついているものもあった。 染色体がばらばらに破壊されたということは、今後新しい細胞が作られないことを意味していた。 被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまったのだった。 血液を専門とする医師になって20年、平井はいろいろな病気の治療に当たり、さまざまな染色体を見てきた。これまでは「異常がある」といっても、何番の染色体がどういう異常を起こしているのか想像がついた。しかし、大内の場合は、どの染色体がどこにあるのかもわからなかった。それは平井の知識と経験をはるかに超えるものだった。 |
マックス桐島(ハリウッドの映画プロデューサー) 日文新書 2011/04/19 ハリウッドで40年の生活をした後に、宮崎に居を構えた映画プロデューサーがクールジャパンを語ります。 日本人には、当たり前すぎて見えない常識。 それがクールジャパンです。 P69 戦後奇跡の復興を遂げた経済大国日本に居住していると、外国人目線で日本の「当たり前」を感じる機会も少ないが、海外に居住した者の視野にはとてつもなく「贅沢で恵まれた国ジャパン」が鮮明に映る。 P90 「うん、まるで自分の仕事場や会社が自分の家や所有物であるかのように話してたのが印象的だった。そうか、それが、日本ビジネスの根幹である『我が社』というロイヤルティー(忠誠意識)で、その延長線上にあるのが『我が国」というパトリアズム(愛国意識)なのかもね」 P99 公共の場で自己主張を自重するという行為こそが、日本人らしさの最たるものであり、外国人が最も苦手とする修練。 周囲を思いやるという所作を当然のごとく振舞える民族。これは世界広しといえども、日本人だけなのだということを肝に銘じておいて欲しい。 P101 コロンビア人がいみじくも言った。「母国では、従業員はどうやってサボろうかと画策するけど、日本人は、自分から仕事を探して率先して動く」 P110 アメリカ人には、「自分たちを卑下した表現で相手を持ち上げる」という感覚がまったくないばかりか、姓を呼び捨てにするのは、教師が生徒を、または仲のよい友人間でしか存在しないコミュニケーション法でもあるから、たまげて当然なのだが。 |
高安秀樹(東北大学大学院情報科学研究科教授) 光文社新書 2011/04/13 需要と供給は一致する。 それは均衡する安定点だ。 しかし、実際の経済は異なる。 需要と供給の一致点は、常に揺れ動く不安定な点だ。 経済は、理論を優先し、現実が間違っていると論じる。 観測事実を、そのまま認める視点が欠けていたのが経済学だ。 市場は、和解の席と同じなのだ。 常に破局の可能性があり、努力し、調和点を求めなければ取引は成立しない。 P5 エコノフィジックスは物理学の手法と概念を活用して、データに基づいて実証的に現実の経済現象に立ち向かう新しい科学の分野です。まだ誕生して10年にも満たないほどの新しい研究分野ですが、物理学者・経済学者、そして、金融の実務家が集まってきて、常識を覆す発見や斬新なアイディアが次から次へと報告されています。本書は、そのような最先端のエコノフィジックスの研究成果をわかりやすく紹介することを目的として書かれています。 いくつか代表的なエコノフィジックスの成果を先取りして紹介しておきましょう。 1 売買取引には微小な誤差を拡大するカオスのしくみが内在しており、需要と供給が釣り合って市場の価格が安定することはありえない。 2 市場の価格変動を大きくするのは、ディーラーの過去の価格変化に追随して先読みをする効果であり、暴落やバブルは、この効果が強く働いた結果生じる。 3 2の効果のために、市場価格の変位の統計性はブラック・ショールズの理論が仮定するような正規分布よりもはるかに大きな裾野を持つベキ分布にしたがう。 P22 そこで、経済学では、裁定機会は存在しない、ということを理論構築の基盤として仮定します。裁定機会が存在しないことは、しばしば次のようなたとえ話で紹介されています。「道にお金は落ちていない、なぜなら、お金が落ちていれば速やかに誰かに拾われているはずだから」、あるいは、「ただ飯なし」。 この問題に対して、物理学者は、次のように考えます。「道にお金を落とす人はいる。そして、その落ちたお金が拾われるまでに有限の時間がかかる。きちんと観測すれば、どのような頻度でお金が落ち、それが拾われるまでにどの程度の時間がかかるのかをデータから実証できるはずだ」。そして、実際に、為替の市場でこのような観測が行なわれました。その結果、最も動きの速い為替の市場でも、1日のうちのおよそ5%程度の時間、経済学としてはあるはずのない状態が実現していることが確認されたのです。 P29 「理論は正しくて、間違っているのは現実だ」という論理を固持することは科学者であることを辞めることです。経済学が、科学になりきれないのは、観測事実を最優先して素直にあるがままを認めるような体質が欠けているからだと思います。 P39 私達は売買の基本的な性質ゆえにカオスが発生し市場価格は安定しないこと、その結果として市場価格の変動はフラクタル的な性質を持つことを主張する論文として成果をまとめ、前述のフィジカルレヴューレターズ誌に投稿しました。 P41 なぜ、市場価格の変位の分布が正規分布ではなく、ベキ分布になるのか、という問題です。 P53 実際の市場の振る舞いを素直に受け入れて、常に価格が変動し、不安定だということをそのまま受け入れる考え方をしたほうが合理的ではないでしょうか? 実は、相転移の概念を使うと、市場価格に関することが全てすんなりと理解できます。需要が多い状態と供給が多い状態を、2つの基本的な状態とみなし、市場をこれらの2つの状態の境目の相転移点であるとみなすのです。 90℃ならほぼ全部が液体、110℃なら全部が蒸気の状態ですが、ちょうど100℃だと液体の状態と気体の状態とがお互いに入り混じり、絶えずブクブクしていて安定していない非常に不安定でゆらぎが大きい状態になります。それと同じように不安定な状態が、超過需要状態と超過供給状態の境目である自由市場の本来の姿であると考えるのです。 P61 カオスとは、周期性のない不規則な変動をする力学的な運動ですが、そもそもカオスはなぜ起きるのかというと、ほんの少しの違いを増幅して固定するしくみがあるからです。一番身近なカオスの例は、パチンコの玉の動きです。 |
マーク・ブキャナン(サイエンスライター) ハヤカワ文庫 2011/04/08 地震や株価の暴落などベキ乗で発生する事象が自然界に存在する。 しかし、それを予測することは不可能だ。 なぜなら、フラクタルな事象だからだ。 縮小しても、拡大しても、常に、同一の形相を示し、何時、暴落が生じるかは1秒後かも知れない、10年後かも知れない。 100年を期間として測定した地震の発生頻度と強さのグラフと、1ヶ月を期間として測定した発生頻度と地震の強さのグラフは相似形になる。 10年間を期間として測定した株価の変動のグラフと、10日間の株価の変動のグラフは同一になる。 なぜ、物理の世界に、フラクタルが登場するのか。 その理由は物理的な変化を作り出す過程、つまり、歴史にある。 昨日の株価に影響され、今日の株価が作られ、今日の株価に影響され、明日の株価が作られる。 午後1時の株価に影響され、午後2時の株価が作られ、午後2時の株価に影響され、午後3時の株価が作られる。 その形は完全にフラクタルである。 だから、5年毎に起きる暴落は、5分ごとに起きる可能性もある。 これは地震についても同様だ。 P81 しかしマンデルブローはさらに、たとえばグラフの一日分の範囲を切り取って、それをグラフ全体と同じ大きさに拡大すると、両者はほとんど同じに見えるということを発見した。つまり速い変動は、短い期間に圧縮されているだけで、より長い期間での変動とほとんど同じに見えるのだ。 P85 ゴールドバーガーたちは、ここにもある程度の自己相似性があることを見出したのだ。データの一部を切り取って拡大すれば、数秒間の変化が、もっとゆっくりの数分間や数時間で起こる変化とそっくりだということが分かった。この不規則さの裏には、奇妙な秩序が隠れていた。ただそれは、秩序立った科学が伝統的に取り扱ってきたたぐいのものとはまったく違っていた。 ほとんどの人は、幾何学図形を思い浮かべなさいと言われれば、直線や三角形といった、学校で教わったユークリッド幾何学の基本図形を思い浮かべることだろう。それに対してフラクタルは、完全な自己相似性をもった数学的形態という、まったく別の種類の幾何学図形である。自然の物にフラクタルを見出したのはおそらくマンデルブローが初めてであろうが、それよりずっと前から数学者はこの概念について考えてきた。 P95 このゲームでは、粒子は塊に衝突するとそこに留まる。これは歴史のうえで決定的な役割を果たす出来事であり、その結果は不可逆で、その後に起こるすべての出来事に影響を及ぼすのである。粒子が付着することによって塊の形が変わり、他の粒子がその近い場所につく確率が上がる。さらに粒子がつくと、ますますその場所に粒子がつきやすくなる。この成長の仕方は非常に不安定で、あらゆるささいな出来事に左右される。この非平衡状態では、歴史に相当するものが存在し、それは非常に重要な役割を果たすのである。 P97 あらゆるささいな偶然は、成長しつつある構造に、それ以降永遠に消し去ることのできない影響を残す。したがってこのゲームを2回行なっても、あるいは100回行なっても、まったく同じ結果は決して得られない。それでも、生じてくる複雑な構造は必ず同じある性質をもっている。中心から距離R以内には何個の粒子があるか、この答えはすべての塊でおおよそ同じになり、すでにお馴染みのべき乗則に従うのだ。Rが2倍になるたびに、粒子の数は約3.25倍になるのである。 例のごとく、見た目は単純なこのべき乗則には、深い意味が隠されている。この規則性は、この塊がフラクタルであり、個々の部分に関して典型的な大きさはないということを示している。実際、この図の一部分を切り出して拡大すると、もとの絵とそっくりになる。意外なことに、粒子の塊は必ずこの性質をもつ。 P103 数学的には、この性質は完壁なべき乗則として現われる。様々な大きさの雪崩の回数を数えていくと、数粒から数百万粒にまで至る雪崩がみな、規則的なパターンを示すことが分かる。雪崩の砂粒の数が2倍になると、雪崩の回数は2分の1弱(正確には約2.14分の1)になる。 |
神永正博(東北学院大学工学部電気情報工学科准教授) ディスカバー21 2011/04/07 日経新聞の経済教室でベキ分布が語られています。 これが私が探していた概念。 2割8割の原則(パレートの法則)がありますが。 2割の筆頭者が1000万円の所得なのか、100億円の所得なのかで、2割8割の位置は、全く、違ったものになってしまう。 所得が正規分布なら2割8割に納まりますが。 所得がベキ分布なら1人とその他の全員になってしまう。 正規分布 べき分布 ★ ★ ★★★ ★ ★★★★★ ★ ★★★★★★★ ★★ ★★★★★★★★★ ★★★ ★★★★★★★★★★★ ★★★★★★ ★★★★★★★★★★★★★★★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★ 全国民を対象とすれば2割8割が成立しても。 弁護士という一部分野ではベキ分布が成立してしまう。 ベキ分布の式で、2割8割の原則を表現したらどのようになるのだろう。 東京電力への投資もベキ分布が現実に登場してしまった事例だろう。 P122 高額所得者の上位1%(超高額所得者)は、その他の99%(庶民)とはまったく違う「べき分布」になっているのです。 べき分布についてはのちほど詳しく説明しますが、一言でいえば、「極端な差が出やすい性質を持つ分布」のことです。 庶民の所得は、差があるといっても数百万円程度ですが、べき分布の場合には、1億円の人がいるかと思えば10億円の人もいるという具合です。 なぜこのような違いが生じるのでしょうか。 P123 べき分布は、経済学者ヴィルフレド・パレートが発見したもので、パレー卜分布と呼ばれることもあります。 P124 この論文によると、「パレート指数」という量が、バブル経済時に小さくなり、バブル崩壊後の92年に急に大きくなっています(図34)。そして、99年から再び小さくなっているのです。 パレート指数は、べき分布の「極端なことの起こりにくさ」を表す量で、パレート指数が大きければ大きいほど極端なことが起きにくく、小さければ小さいほど極端なことが起きやすいことになります。 つまり、バブル経済時には、投機による収入が大きく、これが高額所得者の間で極端な所得差を生む原因となり、バブルが崩壊すると、投機で多額の収入が得られる機会が減ったと考えられるのです。99年から指数が下がった原因は、おそらく、景気が回復したため、再び投機によって多額の収入が得られる状況に戻ったということでしょう。 P169 裾野が広い、というのは日本的な言い方で、英語では、ファットテイル(fat tail)といいます。平均からはずれたところでは、正規分布と比べてずっと大きな値になっていて、まさしく「太いしっぽ」というわけです。 分布の裾野が広いということは、「株価は大きく変動することが多い」ことを意味します。正規分布では、この確率がものすごく小さく出てしまうのです。 これは、大きく儲かる確率を低く見積もっているだけでなく、大損する確率も低く見積もっているのです。 わたしは、株価の分布が中央に集まりやすいので、無理に標準偏差を小さくとって合わせようとしていましたが、これは、今から思えばとんでもない間違いです。 正規分布では、標準偏差を小さくとるということは、裾野を薄くすることと同じなので、ただでさえ過小評価している大損確率(大儲けする確率もですが)を、さらに過小評価してしまうことを意味します。たいへん危険です。 P178 経済現象では、正規分布で考えるととんでもない事態になることが、頻繁に(!)起こります。 ちょうど本書を執筆している間に、アメリカのリーマンブラザーズという大手の投資銀行が事実上破綻し、世界経済は大混乱に陥っています。 投資のプロでも、予想外の出来事でそれまでの資産をすべて失うような事態が発生する背景には、べき分布の存在があります。べき分布はワイルドな分布なので、現在の金融技術ではうまくコントロールできないのです。 P212 完壁な事業展開をしていて、しかも着実に利益を増やしてきているような企業が、予想外の出来事で倒産してしまう、というようなことはよくあります。それは予測できたのではないかという人がいますが、多くの場合、後知恵にすぎません。それまで一度も起きたことがないことは、どんな分析手法を使っても予測できないのです。 |
藤田信勝(新聞記者) リーダースノート編集部 2011/04/05 敗戦前夜と、その後を語ります。 個人(新聞記者)の私的な日記ですから、当時の知識人が考えていた本音を語ってくれます。 日本人は戦争に賛成していたのか、勝利を本当に信じていたのか。 この日記を読むと、知識人といわれる人達は、結構、覚めていたようにも見えます。 平和な時代が続き、そして震災と原発事故に遭ったいまだからこそ、読み応えがあるように思う。 敗戦で、先が見えない時代に、先を語る。 まさに、いまの状況と同じではないか。 P19 われわれが、この点を衝けぼ、「必ず勝てるという戦争などあり得ない。もうだめだと思いつつも頑張って頑張って、頑張り抜いた時に勝利の道がひらけるのだ。」という精神論で応酬される。 P24 われわれは真実を書かせよ、と幾度となく軍なり情報局の当局者に迫ったが、今や真実を書くことのおそるべき結果について、新聞人自体が自信をもち得ない。 P25 社内でも同じ空気が支配的である。ただ、軍だけは違う。軍だけは戦う意志をもっている。それを社内の人々は軍の無責任だという。軍人は死にさえすればそれですむと思っている。日本がどうなろうと、そんなことは考えない。死ぬことはむしろ易い。と非難に近い語調で同僚が僕を詰る。あるいはそうかもしれない。 P32 われわれはドイツの降伏のような降伏の形を考えていた。しかし、今われわれの眼前の事態はまるで違う。抗戦を主張した政府によって!宣戦を布告ばされた天皇陛下によって!そして必勝を叫びつづけた同じ新聞によって!いま静かに、何の混乱もなく降伏が発表される。想像しなかった不思議な事態が、いまおこりつつある。 深夜近くなって、ポツダム宣言の全文が送られてきた。降伏の条件なのだ。 北海道、本州、四国、九州と諸小島、これが今後の日本の領土だ。台湾は中国に返し、朝鮮は独立する。軍は武装解除されて、連合軍の軍隊が要地に駐屯する。連絡部長のO氏が速記者から渡される原稿を一枚一枚受けとって「バカたれ!」とひとりごとしながらしきりに興奮していた。 彼の息子は海軍特攻隊にいるはずだ。武装なき日本に、米、英、中国の武装軍隊が駐兵した時、果たしてどんな状態になるか。想像するだにそらおそろしい。 新聞社も今日までの形では存在することができないであろう。新聞記者を一生の仕事として選び、新聞記者として働き、新聞記者として死ぬことをただ一つの人生の目的とした僕にとっても、すべてが終わりとなるかもしれぬ。 P85 東條大将がなぜ今まで死ななかったかということは一つの謎だった。阿南陸相の自刃をはじめ、多くの軍の首脳部が敗戦の責任を感じて死んでいる。よいわるいは別論として、このような場合に自決することは武士道の常道だとわれわれは教えられてきた。 P91 しかし、このことは、守山君の場合だけの問題ではない。国内のわれわれも全く同様の矛盾に直面している。昨日まで「必勝の信念」をあれほどまでに鼓吹した新聞が、今日は敗けるべくして敗けたという事実を大声疾呼している。敗戦によって、客観的状勢が百八十度転換したといえばそれまでだが、われわれが無反省に自己の言動をジャスティファイすることは許されないと思う。守山君は、その名文ゆえに、新聞の直面する矛盾を象徴した。 P121 退陣の大きなものでは最近東久邇宮、賀陽宮の臣籍降下が伝えられ、皇室の根本的改革に一石を投げた。結局問題は天皇制にまで行くと思われるが、今日の国民感情としては、天皇制は圧倒的に支持されるだろう。 P130 4年前のこの日、「戦端開かれたり」の報についで、真珠湾の奇襲が発表された時、何人が今日の悲運を予想したであろう?たとい心の中ででも断乎として侵略戦争に反対した人が何人あったであろうか。熱病にうかされたように感激したというのが、多くの日本人のほんとの気持ちだったろう。 今日となってみれば、多くの人は初めからこの戦争に反対だったという。アメリカとの戦争に勝ち味がないと考えた人は相当あったろう。少なくともあらゆる分野の専門家は、程度の差はあっても不安をもっていた。が、真珠湾の奇襲成功は、物的戦力かけるXの力を感ぜしめた。そして専門家の冷静な考えが、訂正を要求された。 これがそもそも悲劇の始まりであるとは、4年前の今日、気がついていた人は少なかったことだと思う。 |
J・アーチャー 新潮社 2011/04/04 「ケインとアベル」の続編で、これも読ませます。 フロンティナがラドクリフの特待生に合格した場面は泣かせます。 気になって読み直したのは引用の一節。 やや、意味は異なりますが、弁護士業をしていると、子の教育の間違いではなく、親の教育を間違えた事例に、度々、出会うことです。 親が子を教育するように、 子は親を教育しなければならない。 子が成長するように、 親も成長しなければならない。 P191 老人はともすれば、今どきの若い者は昔の人間の足もとにも及ばないなどといいがちなものです。わたしはエジプトのあるファラオの墓に刻まれたつぎの言葉を思いだします。それは、翻訳すれば、『若者たちは怠惰で、おのれのことにしか関心がなく、かならずやこの世界の没落を招くだろう』という意味の言葉です」 卒業生たちは喝采を送り、父兄は苦笑した。「ウィンストン・チャーチルはかつてこのようにいっております。『わたしは16歳のときに、自分の両親はなにも知らないと思っていた。ところが21歳になったとき、彼らが過去5年間にいかに多くを学んだかを知ってショックを受けた』と」今度は父兄が拍手を送り、卒業生たちが苦笑する番だった。 |
山本七平 日経ビジネス人文庫 2011/04/04 32を読んで、これは孫子ではないかと気になった。 で、古い本を引っ張り出して読み直してみました。 山本七平氏の解説は重い。 孫子を訴訟に例えれば、疲弊すべきは裁判中のストレスと、そのストレスを原因とする他の仕事での判断ミスだろうか。 正しい判断をしようとしたら、自分自身が正常でなければならない。 訴訟の当事者になり、頭の片隅に「勝ち負け」を背負ってしまったら、正常な判断をするのが困難になってしまう。 P63 「原孫子」の前提は「戦えば必ず自国も自軍も損害をうける」ということである。自国・自軍への損傷を考えずに「百戦百勝」勝った勝ったなどと言っているのは「善の善なる者に非ざるなり」どころか、最大の愚行となる場合がある。 伊藤正徳氏によると、日中戦争の戦闘は56戦で、日本側は1敗、1引き分けだそうだから、「百戦百勝」といかなくとも「五十戦五十勝」まではいっているであろう。 新聞は「勝った、勝った」の戦意高揚記事であふれていたが、自国・自軍の損害には触れておらず、つけたしのように「わが方の損害きわめて軽微なり」と記されているだけである。 どれだけの戦死傷者が出、どれだけ国力を消耗しているか、それを一切伏せての「百戦百勝」勝った勝ったは、フィクションにすぎない。戦えば、自己も損害をうける。 |
鬼頭和孝(投資家 所得税法違反の被告) リーダースノート 2011/04/03 狂った経済感覚と、狂った倫理観の人達が大量に登場します。 カネに狂った人達と、何人もの会計士が登場するようです。 博打は儲かる商売なのか。 その答も出ているように思います。 |
現代ビジネス兵法研究会 すばる舎 2011/04/02 100点を取ってはいけません。 税理士試験だって60点で合格。 60点で良いのです。 当方が100点を取れば相手はゼロ点。 だから60点で良いのです。 そのように説明することが多いのですが。 さらに税務調査の場面であれば次のように説明します。 税理士の仕事は、主張することではない。 なるべく被害の少ないところに落としどころを見付けるのが税理士の仕事。 本書では、次の言葉が拾えたことで良しとしよう。 武田信玄の言葉です。 ゲームの理論は、数学として説明するか、思想として説明するか、それなりに難しいのです。 P170 およそ軍勝5分をもって上となし、7分をもって中となし、十分をもって下と為す。 その故は5分は励ましを生じ、7分は怠けを生じ、十分は驕りを生じるが故。 たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕りを生じれば次には必ず破るものなり。 すべて戦に限らず、世の中のこ事、この心がけ肝要なり |
横田増生(フリーランス) 文藝春秋 2011/03/30 カリスマと言われる人達をご存知だろうか。 特別の才能に恵まれ、成功した人。 一般には、そのように理解されていると思うが、身近に接すると、それは違う。 カリスマとは、人格が左に5度曲がった人達をいう。 人格が左に5度曲がっているが、彼には成功体験があるため、誰も、それに気がつかない。 そして、取り巻きは、彼が正しいという前提になるので、自分たちが右に5度曲がらされてしまう。 自分自身が右に5度曲がって正常な判断ができる者はいないので、判断力を奪われる。 それがカリスマの取り巻きになる人達で、曲げられてしまうことに耐えられない人達が、カリスマから切られる人達ということになる。 さて、ユニクロの社長は、私のカリスマの定義に当てはまる人物なのだろうか。 なるほど。 柳井社長の5度に曲がった人格の根源はユニクロの衰退に対する病的な不安感なのだ。 ファッションという飽きられる商売の前では、その不安感は増強される。 部下との信頼関係などは、その不安感の前には何の存在価値もない。 カリスマ経営者に抜擢された人達は、それを名誉と考え、期待に応えようとする。 しかし、結局は、彼の不安感と疑心暗鬼に振り回され、基準点を奪われて追い出される。 気になるのはユニクロという会社の今後なのですが。 ユニクロも、右に5度曲がった他のカリスマ経営者と同じ道を歩くのだろうか。 P112 「あのころ柳井さんは澤田さんに向かって、業績が悪くなったのはお前のせいだ、お前がバカだからだ、ってさんざん責めたんです。ああいう人って、仕事をする距離が近くなればなるほど、熱くって、おっかないですからね。さすがの澤田さんも精神的に参っていたんだと思いますよ。結果としては、柳井さんが信頼していた澤田さんを追いこんで辞めさせたようなものです。あのころの柳井さんは、業績が悪くって血迷っていましたから。柳井さんにとって、業績が悪いっていうことはそれほど許せないことなんです」 P113 「柳井さんは一緒に働きやすいという経営者ではありません。柳井さんのやり方は、一緒に働く人を壊しますよね」 P118 ユニクロ社内には、玉塚更迭の理由として、柳井が日増しに募る玉塚への人望に嫉妬したからだという声もある。 玉塚が社長に就任する前からユニクロで働いていた女性従業員はこう語る。 「玉塚さんが信頼できると思ったのは、テレビや雑誌で見せる笑顔と、私たち社員に見せる笑顔が同じだったからです。玉塚さんは、社内でもテレビに映るときと同じように優しい人でした。けれど、柳井さんの場合、テレビで見せる顔と社内で見せる顔は全然違っていました。柳井さんはテレビに映るときはいつもニコニコしていますが、社員に接するときは、怒ってばかりいました。“叱咤激励”という言葉がありますが、柳井さんの場合、叱咤ばかりで、激励の部分がありませんでした。いつも社員に脅しをかけて人を動かしているような感じがしました」 P125 玉塚への社長交代から柳井の社長復帰までを振り返って、もう一つ見えてくることがある。それは、柳井自身は何の責任もとっていないという点である。 P126 柳井が事業で失敗した責任をとらないということは、野菜事業<SKIP>の失敗を例にとるとはっきり見えてくる。先に書いたように2002年9月に開始した<SKIP>は、2004年4月までの一年半の間に20億円を超える赤字を出して、全面撤退している。 P127 では柳井は、どのように、野菜事業の「大失敗」の責任をとったのであろうか。少なくとも玉塚が更迭されたり、澤田が会社を去ったような形では責任をとっていない。柳井は84年にユニクロ経営のトップに立って以来、一度もその権限を他人に渡していない。 ユニクロで責任をとるのは柳井の周囲であり、柳井が経営の失敗の責任をとって、経営の権限を手放したということは、これまでに一度もない。フリース・ブームのあとの業績の急落については、「仕方ない」と言い切り、初期の英国出店や中国出店での失敗の責任もとっていない。 P269 問 玉塚さん以降でも、中途で採用した執行役員の多くが会社を去っています。『成功は一日で捨て去れ』によると、「中途採用した執行役員は、この当時(2005年11月を指す)から三年半で10人を超えた。残念なことだが、今はほとんどの人たちが退社している」とあります。これは柳井さんの“厳しさ”と関係があるのでしょうか。 答 「それも少しは関係はあるんでしょうが、それよりも仕事をやるスタイルが合わなかったんじゃないか、と思っています。というのも、執行役員として採用した方は、元いた会社で、副社長とか常務ですとか、ある程度の形ができあがっていた。ある意味では、すでにある組織という仕組みに乗っかって、部下の力に頼るだけでも仕事ができる立場にあった人たちだったんです。でも、われわれの場合だと、今から成長していかないといけない。自分たちで、ハンズオン(直接参加)という方法で仕組みを作って行かないといけないんです。そこのスタイルが違っていたんじゃないかと思うんですね」 問 2009年秋にはブラトップを開発した執行役員の白井恵美氏が辞めています。彼女が辞めた理由はなんだったのでしょうか。 答 「彼女が思っていることと、われわれ会社の評価がだいぶ食い違っていたのかなと思います。彼女は自分としてはすごく才能があると思っていたんです。でも、周りの人に協力しないんで、周りの人と一緒にやっていけないんです。彼女は、『自分が、自分が』という性格なんです。だから、他の人は自分に協力して当然、と思っているんで、他の人が、彼女と一緒に仕事をするのを嫌がるんです。 P290 元社員の一人は冗談交じりにこう話した。 「私が5年目でユニクロを辞める時、すでにユニクロを辞めた友人たちからは、こう言ってからかわれました。『“卒業”に5年もかかったんですか。それじゃあ一年留年じゃないですか』って。 P291 カリスマ経営者が率いる流通企業の没落は、ダイエーやヤオハン、そごうなど枚挙にいとまがない。いずれの企業も業績が拡大した時期には、時代の寵児ともてはやされたが、時代の潮流が変わると、坂を転がり落ちるように没落の一途をたどって行った。 戦中派で飢餓体験のあるダイエーの中内は、消費者に安いものを大量に提供することで、戦後の一時代を築いていったが、90年代に入ってバブルが弾けるのと並行して、顧客の嗜好が細分化していくことを読み切れず、依然として品揃えより低価格を優先させたことが業績悪化の一因にあったといわれる。最後は、中内が79歳のとき、自ら作ったダイエーを追われている。 ヤオハンを率いた和田一夫は、68歳の時に、同社を経営破綻させている。柳井が、日本の飲食チェーンの発展に寄与したとする日本マクドナルドの藤田も、赤字に転落した翌年に社長を辞任している。76歳のときである。 |
東海林さだお(漫画家) 朝日新聞社 2011/03/17 週刊朝日に連載中の「あれも食いたい 、これも食いたい」は1162回です。 まさに、東海林さだお氏の才能。 私も連載を執筆中ですが、まだ21回。 この割り算の答えが、東海林氏と私の才能の違い。 いや、違いました。 1行毎に笑わせる才能の違い。 真面目に笑いを考えるのだろうか。 笑いながら文章を作るのだろうか。 |
中山二基子(弁護士) 文藝春秋 2011/03/16 高齢者の財産管理や成年後見を専門とする弁護士が実務を語ります。 やはり、実務から語る知識には、驚かせる視点や、聞かせる知識があります。 元気なときには「ホームローヤ契約」で、東京弁護士会のオアシスでは月額1万円の顧問料。 財産管理が難しくなったときに発動するのが「財産管理契約」と、 判断力が劣ってきたときに発動するのが「任意後見契約」で、オアシスでは月額3万円から5万円程度の顧問料。 そして、最後に遺言書が登場する。 老後は、子供に任せず、自分で管理する。 そのような時代が到来しています。 しかし、どのような制度を備えても、それは空の箱なのですね。 その箱に何を詰めるかについて必要なのは、1に受任者の人柄で、2に受任者の能力、3に委任者の資力。 受任者に良い人材を得られなければ、やはり、身内に頼らざるを得ない。 P17 子どもがいる方の「老いじたく」は、子どもがいない方の場合より難しいと感じることがあります。 P19 ただ残念なことに、子ども世代はこのことがよく分かっていないようです。これが本当に分かってきているのは、真剣に自分の老後を考えている熟年・老年の親世代です。 親が一生懸命将来を考え、自立した老後の生活設計を立てて子どもに伝えると、ほとんどの子どもが「どうしてそんなことをするの。僕たちがいるのに」と無邪気に答えます。 P20 かつては、親は年をとってくると「子どもが面倒みてくれるだろうか」と心配したものです。ところが、最近は、「子どもをあてにできるだろうか」ではなく、「子どもをあてにしない老後を準備しているが、子どもは分かってくれるだろうか」という心配に変わってきました。子どもに老後は頼らないが、子どもとは最後までいい親子関係でいたい、ということです。 P22 「お嫁さんは悪い人ではないが、私たちの介護まではとてもやってくれないだろう。そんなことで息子夫婦がもめるようなことはしたくない」と言います。仕事で活躍している息子や娘の足を引っ張るようなことはしたくない、という親も増えてきました。 P23 このように今の熟年世代は、子どもに対する期待が大きく変わってきています。一昔前には、“子どもがいるのに老後を頼れないのは惨め”、というイメージが拭えなかったように思いますが、今は、親の方で現実に即した新しい老後の生き方を模索し、自分たち家族にふさわしい答えを手に入れようとしているのです。むしろ、それについていかれないのは子どもの方かもしれません。 P33 私は長年、社会福祉協議会や福祉公社で、高齢者や障害者の方の専門相談をやってきましたが、最近は、大半が「成年後見制度」にかかわる相談になってきました。それも、成年後見制度がスタートした当初は、すでに“認知症”が出た高齢者をいかに援助するかという「法定後見制度」の相談がほとんどでした。しかし、最近は、まだシッカリしている方が「任意後見制度を使って老後に備えたい」と言ってこられることが多くなってきました。自分の手で老後に備えておくという意識が広まってきたことの現れだと思います。 |
鈴木浩三(東京都水道局勤務) 日経プレミアムシリーズ 2011/03/10 男女平等や、基本的人権など、戦後、米国から持ち込まれた民主主義の思想があります。 だから、今の制度は、戦後に構築され、米国の民主主義を基本としていると考えられている。 しかし、日本の制度の80%は江戸時代からの承継だと思う。 「いただきます」「ごちそうさま」という文化から、会社と社員の関係、上司と部下の関係、公務員制度、学校教育、日々の生活や礼儀作法。 日常生活の全ては江戸時代からの承継です。 裁判所などは、まさに、お白州。 その日本独自の文化がクール・ジャパンです。 そして、フランスよりも、イタリヤよりも、古い時代に完成し、承継されてきた美意識であり、文化です。 本書は、その完成した江戸の経済を語ってくれるのだと思います。 なるほど、現代の経営と全く同じです。 市場があり、先物取引があり、小切手があり、為替手形があり、倉荷証券があり。 口頭だけで契約が成立する信用経済があり、完成した物流システムがあり、M&Aまで存在する。 そして、市場経済の発達と反比例して資力を失っていく武士社会があります。 西鶴が「知恵と才覚」の重要性を説き、成功した起業家が出現した時代です。 P101 そして驚くことに、このような巨額な取引であっても、売り手と買い手の口頭の約束で済まされました。売り買いが成立すると、売り手は上から買い手は下から手を打ちましたが、現代でも、何かの話がまとまると「手打ち」がされることがあります。手打ち後、決して違約や解約がなかったのは、当事者の信用にかかわったからです。多額の売買を口頭で処理するには、何よりも市場に参加する者同士の信用が基本になったので、それを破れば、誰からも相手にされなくなる=経済人としての自殺行為に等しかったからでした。 P109 それが、当時の読者から広く受け入れられて『日本永代蔵』をはじめとする西鶴の作品が古典として日本人に受け継がれるようになったわけです。「コツコツと日々の努力を重ねる」「器用に工夫をこらす」ことは、つい最近まで日本人の美徳とされていましたが、それは西鶴の「知恵と才覚」に通じているといえるでしょう。 P110 一攫千金があった代わりに、浮き沈みも激しかった―ハイリスク・ハイリターンの世の中でもありました。商売に手を抜いたり信用を失うと、一時の成功は露と消えてしまうのでした。とりわけ成長のスピードが速く、取引ルールの確立途上にあった元禄時代頃まではその傾向が強かったといえます。 P115 一方、明株をストックしている問屋株仲間が得意先などに斡旋したり、暖簾分けのために株を予め購入しておくこともありました。 このように、株の譲渡は単なる営業権の移転にとどまらず、事業のノウハウや得意先、場合によっては従業員も含む一つのまとまった経営単位を対象とした取引でした。そうした株の取引による営業譲渡は、現代のM&Aに相通じています。つまり、そうしたことが日常的に行われていた江戸時代は、現代流にいえば「M&Aの時代」だったわけです。 こうした“M&A”の目的は、暖簾分けだけではなく、新規分野への参入、多角化、新たな市場の開拓、新たな技術・産地形成による優位性の確保、コストやリスクの低減、事業の拡大、同業者の救済など、さまざまでした。現代のM&Aの投資的な目的を除いたほとんどすべての領域にわたっていたのです。 では、盛んな“M&A”の背景にあった当時の商家=企業の究極の目標は何だったのでしょうか。それは、自らの商家組織の永続を図ることでした。実業としての家業をいかに永続・拡大させるか、つまり長期的な経営を重視していたのが特徴です。そこが、株主価値がとりわけ重視されたり、投資ファンドなどが短期的な利益を追求する現代の姿とは異なる部分です。 |
逢沢 明(京都大学準教授) かんき出版 2011/03/08 好ましい結果が生じることではなく、好ましくない結果が生じる場合を想定する。 つまり、是認された場合の利益ではなく、否認された場合の損失を計算するのが専門家の仕事。 これがミニマックス理論で、ゲームの理論として確立している。 ゼロサムゲームでは、ミニマックス理論が最終的な取り分を最大にする。 つまりは、「勝つと打つべからず、負けじと打つべきなり」の博打の理論です。 P115 実はラポポートのプログラムは「しっぺ返し(ティット・フォー・タット)」という戦略を使っていました。 最初、プログラムは「協調」から試合を開始します。 相手が「協調」なら、次の回は「協調」を行います。 相手が「裏切り」なら、次の回は「裏切り」を行います。 これを繰り返すだけです。 P118 さらに、最も特徴的だったことを述べておきましょう。 「しっぺ返し」は、どのプログラムにも勝ちませんでした! どの対戦相手にも、負けるか、あいこにすぎなかったのです! 勝たなかったが、負けたときの失点が少なかったということです。 要するに「ミニマックス型」の戦略だったというわけですね。 P119 なお、「たった4行のプログラムが優勝した」という結果があまりにも信じがたかったので、第2回のコンテストも開かれました。 第2回に参加したのは、62チーム+「でたらめ」でした。 計63者の戦いという盛大なものになりました。 しかし、またも「しっぺ返し」が優勝したのです。 ラポポートの「しっぺ返し」は、またどのプログラムにも勝ちませんでした! 「しっぺ返し」は、計39のプログラムと引き分けました。残りの24のプログラムには負けました。 最下位を相手にしたとき、100点台しか取れませんでした。 それでも、総合点では「しっぺ返し」が最高だったのです。 僅差で2位と3位が続きました。 |
大武健一郎(元国税庁長官) かんき出版 2011/03/04 米国では個人の株式投資率が高い。 だから、自分の持っている株式を担保にローンを組むなどの消費の増加が期待できる。 しかし、日本の個人金融資産に占める株式保有割合は7%と極めて低い。 だからアメリカのような内需の拡大が期待できない。 個人金融資産は、預貯金を介して国債に向かっている。 その結果、内需では立ち上がることができない。 と論じてますが、これって違うのではないかと。 仲曽根バブルの時代には、NTTの株式を餌にして国民も株式投資に参加することになりましたが。 それ以前の昭和の高度経済成長の時代には、国民の多くは、株式投資には手を出していなかった。 しかし、経済は成長し続けました。 個人金融資産が株式に投資されないのが内需の問題に繋がるとする筆者の論には賛成できません。 ただ、税法を作る側が、経済について、どのような視点を持っているのか興味があります。 挫折することなく、読み進めようと思います。 正論のプロパガンダの書です。 小タイトルを拾い上げれば次の具合。 日本は税金の安い国 日本はギリシャ並みの格差社会 法人税は企業のお客様が負担している。 ヨーロッパは消費税中心の税体系 相続税を廃止して遺産税にだけする 人生90年に時代に通用する税、年金とは 寄附金によって格差社会に対応する。 そんなことは誰でも知っている。 それが実現できないのが日本の問題。 本書のレベルの紹介として、一部、抜粋すれば次の通りです。 P127 しかし、本当は自らの所得を知るためには複式簿記が重要なので、やはり中小企業者が申告納税を行っているように、サラリーマンも自ら申告して、どの経費を削減すべきか、どうすれば生活を切りつめられるかということなどを、自分たちで判断すべきではないかと思います。 特に高齢社会においては、単に大福帳ではなく、自分たちで損益計算書と貸借対照表を使った合理的な家計簿というものを基に、生活をしていかなければならない時代になっていると思います。 その際、特に貸借対照表が重要になります。ストックをどう生かすかということがこれからの時代には大事だからです。欧米諸国の人たちはストックの活用がうまいですが、日本人はいまだに上手とは言えません。 |
安藤忠雄(建築家) PHP研究所 2011/03/01 私の履歴書は、今日から、建築家の安藤忠雄です。 安藤氏の語る経歴は、日商簿記1級を受験資格として、独学で税理士試験を受験した人達の経験とダブります。 つらかったのは、共に学び、意見を交わす友人がいなかったことだ。 自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえ分からない。 不安と孤独と戦う日々が続いた。 そうした暗中模索が、責任のある個人として社会を生き抜くためのトレーニングとなったのだろう。 書き出しもよかった。 建築家の仕事は、一に調整、二にも三にも調整という地味な仕事だそうです。 施主の要求と予算を調整し、 施工会社と工事費の調整をして、 完成後は施主の不平を聞く。 しかし、家庭の経済的理由と何より学力の問題で大学進学を諦めざるを得なかった私は、独学で建築を学んだ。 このように言えるのは成功したからですね。 そんな私が今日まで生きてこられたのは、学歴もなく社会的な実績もない若者に、ただ「人間として面白いから」という理由で仕事を任せてくれた古き良き「勇気ある大阪人」がいたからだ。あの人達のおかげで、私は仕事をしながら建築を学ぶことができた。 成功した人々に共通しているのが出会った人達に対する感謝。 これはプロゴルファーの青木功氏の私の履歴書でも強く感じたところです。 「私の今があるのは、良き友人に囲まれているからだ」と語れる生活をしよう。 P115 もし、私に才能があるとすれば、「みなぎる緊張感を、いつまでも持ち続けていられること」かもしれません。 緊張感がないといけないという理由のひとつは、人のお金や、社会のお金を形にするわけだから、まあまあのものでは申し訳ないから、ということです。 いつだって真剣勝負です。私は大阪に事務所を構えていますから、訪れる先々で「大阪からゲリラ集団がやってきた!」くらいに思われるのがいいですね。 東京に行って嫌がられ、ニューヨークに行って嫌がられ、パリに行って嫌がられ、こうやって嫌がられることで、自分にも相手にも緊張感が出るじゃないですか。それもいいことだと思っています。 P119 職業柄、建築家は自分で設計した家に住んでいると思われているようですが、私の住まいはマンションです。自分の設計する家は使いにくいので、普通のマンションのほうが暮らしやすいと思いまして(笑)。 事務所は自分で設計をしました。これが使いにくくてですね、1階から5階まで吹き抜けで、エレベーターはつけていません。だから上り下りで体力がつきます。私は1階に机を置き、左は玄関、右は勝手口です。いつもドアが開いているので、1月、2月の間は外気にさらされた状態で、ずっと風邪をひいています。 そんなことを考えると〈住吉の長屋〉のクライアントはよく頑張っておられます。ご主人が「寒いなー」と言うでしょ。奥さんも「寒いわねー、どうしましょうか」と。ここから会話がうまれるじゃないですか。そしてどうすればいいかと考える。 「我慢」を知り、「不便」にも耐え、それが総合的な幸せにもつながっていって、いるということです。 ……建築家という職業は、このように何事にももっともらしい理屈をいっぱいつけておかないと、仕事ができないんです(笑)。 |
櫻井 武(金沢大学医薬保険研究域医学系教授) 講談社 2011/02/24 脳は眠らない。 睡眠は、脳が覚醒中に入手した情報をデフラグをする時間だ。 私は、そのように考えているのですが、それが正しいだろうか。 本書を読み終え、正しかったと確信した。 P187 「夢は大脳皮質の活動にともなう不随現象である」という考え方もある。つまり、睡眠の中でときどきなんらかの目的のために脳が覚醒時と同じくらい強く活動する必要があり、そのときの情報ノイズをとらえたのが夢であるというものだ。ようするに、夢にはなんの役割もないという考え方だ。 しかし、それではあまりにも“夢”がない。それに、睡眠中に脳をわざわざ活動させるのはなぜなのか?という疑問も残る。 P188 しかし、考えてみれば、これらは夢の役割というより、レム睡眠の役割ということにならないだろうか。レム睡眠の直後にたまたま目覚めたときに、夢は記憶として残る。ほとんどの夢は見ていることすら気がつかないのだ。場合によってはまったく夢を見ない人もいるが、そうした人もまったく健康な日常を送っているのである。 もし夢を「レム睡眠時の脳の活動が意識にのぼったもの」にすぎないとすれば、夢そのものに役割はなく、役割をもっているのはレム睡眠である、ということになる。レム睡眠の記憶が残らないのは前頭前野の機能が落ちているからだが、わざわざそういう機構があるということは、ノイズを意識に上らせないためである、とすら考えられる。 P190 前頭葉機能の一部の低下が、夢の中で奇妙なストーリーをつくりだすことは述べたが、これがひらめきや発見につながることが少なからずあるのだ。前頭前野は理論性を管理しているため、ときには柔軟で飛躍した思考を妨げてしまうことがある。 19世紀ドイツの化学者ケクレは夢の中でベンゼン環の構造をひらめいたというし、18世紀に活躍したイタリアの作曲家ジュゼッペ・タルティーニは自分のベッドの足元で悪魔がヴァイオリンを弾いていた夢にインスピレーションを得て「悪魔のトリル」という名曲を書いたといわれている。 つまり、夢の中でタルティーニが作曲したわけである。しかも彼は、この名曲も夢の中で悪魔が奏でた曲には遠くおよばない、といって悔やんだという。また、かの有名なダ・ヴィンチは、「夢の中では現実より物事がはるかに鮮明に見える」といったという。 夢は大脳が前頭前野の管理体制から放たれて、自由を満喫するときなのかもしれない。これを夢の本来の機能とはいえないかもしれないが、副産物的に人類の想像力や創造力を高めているともいえるのではないだろうか。 P222 「なぜ眠る必要があるのか」という問いを先に考えてみよう。これは、「眠っている間に脳は何をしているのか、そしてそれをするためになぜ眠る必要があるのか」という問いであろうから、これについて考えてみよう。 まず、ノンレム睡眠はどうだろうか。ノンレム睡眠を必要としているのは大脳皮質である可能性が高い。なにしろスローウェーブ(ノンレム睡眠第3、第4段階で見られる徐波)をつくりだしているのは大脳皮質なのだから。そこで、「大脳皮質が必要としている、ノンレム睡眠中にしかできない作業」は何であるか考えてみよう。 ここで、第7章で述べたトノーニらの説は魅力的だ。つまり、覚醒時に大脳皮質が活発に活動することにより、大脳皮質のニューロン間のシナプス強度が全体的に上がることが睡眠負債であり、睡眠時には、不必要な(重複した)シナプスが削除され、必要なシナプスが残されることによって、脳内のシナプスが「最適化」され、脳全体のシナプス強度は元に戻るというのだ。 たしかに私たちは日常、おびただしい量の情報を受け取り、脳に蓄えている。それはシナプス伝達効率の変化や、シナプスの構築の変化、シナプスの新生に結びつく。シナプスの変化は分単位で、われわれの想像よりはるかに速く起こっている。毎日、途方もない情報が脳に蓄積していったら、それらは脳の記憶容量を考えても情報公害になるのではないだろうか? P224 もしかしたら、トノーニのいうノンレム睡眠中のシナプスの強度の低下は、こうした連想を弱めることによって健全な精神を保つ役割をはたしているのかもしれない。つまり、脳はノンレム睡眠のときに情報の収集を停止することによって、シナプスの新生を避け、その状態でシナプスの最適化を行っているのだろう。 では、一方のレム睡眠の役割はなんだろう。 おそらくそれは、ファイルシステムの整理ではないだろうか。レム睡眠時に大脳辺縁系が活性化されるのは、記憶の重要性に重みづけをしているのではないだろうか。 もともと大脳辺縁系の情動システムは、情報にどれだけの重要性があるかを判断するシステムであると言ってよい。レム睡眠中、海馬と扁桃体を駆動させて何かをやるとしたら、それは記憶の重要性に応じた重みづけと整理にほかならないのではないだろうか。たとえてみれば、ファイルを階層化し、サムネールをつける作業ともいえる。それが意識に上った場合に、夢という主観的な体験になるのだろう。 |
クリストファー・チャブリス(心理学者) 文藝春秋 2011/02/23 見えていても見えない。 そのような錯覚の実験から始まります。 目の前を横切る歩行者や、前方から向かってくる二輪車は、 四輪車に注意を集中している運転者には、視野に入っていても、見えない。 常に歩行者の存在を意識する都心の方が、歩行者を巻き込んだ事故は格段に少ない。 歩行者数が2倍の町に引っ越すと、歩行中に車にはねられる割合は3分の1になる。 P17 実験者は参加者にビデオを見せ、白シャツの選手がパスをする回数を数えてもらい、黒シャツの選手のパスは無視するよう頼んだ。自分で試してみたい読者は、http://www.theinvisiblegorilla.com/videos.htmlを、のぞいてみよう。画面をしっかり見て、空中で受けるパスもバウンドパスも両方数えること。 ビデオが終った直後に、参加者は自分が数えたパスの回数を答えた。正解は34か、35だったと思う。だがじつは、その回数は問題ではなかったのだ。パスを数えてもらったのは、参加者の注意を画面上のなにかの動きに集中させるためで、パスを正確に数える能力を測るためではなかった。実験の目的はほかにあった。ビデオの途中で、ゴリラの着ぐるみを着た女子学生が登場し、選手のあいだに入り込み、カメラのほうに向かって胸を叩き、そのまま立ち去ったのだ。その間およそ9秒。 P18 驚いたことに、およそ半数の参加者がゴリラに気づいていなかった!その後実験は条件も参加者の顔ぶれも、実験をおこなう場所も変えて、何度もくり返された。だが、結果はいつも同じだった。約半数の人がゴリラを見落とすのだ。なぜ、目の前にやってきて、こちらを向き、胸を叩いて立ち去るゴリラが見えないのだろう。なにが、ゴリラの姿を消してしまうのか。 この見落としは、予期しないものに対する注意力の欠如から起きる。そこで科学的には、“非注意による盲目状態”と呼ばれている。視覚系の損傷で起きる盲目状態と区別して、こう呼ばれているのだ。ゴリラが見えないのは、視力に問題があるからではない。 目に見える世界のある一部や要素に注意を集中させているとき、人は予期しないものに気づきにくい―たとえそれが目立つ物体で、自分のすぐ目の前に現れたとしても。つまり被験者は、パスを数えるのに夢中で、目の前のゴリラに対して「盲目状態」になっていたのだ。 P51 専門家は少なくとも自分の専門分野では、非注意による見落としをしないのだろうか。放射線科医は、レントゲン、CTスキャン、MRIなどで撮影した画像を見て、腫瘍その他の異常を診断する医療スペシャリストである。放射線科医は、この仕事を一定条件のもとで毎日おこなう。 放射線科医になるには、アメリカではまず医学校で4年間学んだあと、専門病院で5年間研修を受ける。体の特定部位を専門とするには、さらに1年から2年特別研修を受けることになる。つまり大学卒業後合計10年以上の修業期間を経たのちに、毎日何十枚もの画像を見て、現場での経験を積むのだ。だが、その長い修業にもかかわらず、放射線科医も画像の“読みとり”でミスをおかす場合がある。 P52 放射線科医は、猛烈に大変な仕事である。一度に大量の画像を眺め、折れた骨や腫瘍などの異常を見つけなくてはならない。画像の隅々までは調べられないので、だいじな部分に注意の焦点をしぼる。ゴリラの実験で、バスケットのパスを数えることに焦点をしぼるのと同じだ。注意力には限界があるため、放射線科医は画像の中の想定外のものを見すごしがちになる。だがたいていの人が、想定内であろうとなかろうと、放射線科医は異常に気づくべきだと考える。 そこで、いかなる見落としも医師の怠慢の結果ということになる。放射線科医はたえず小さな腫瘍やその他の異常を見逃したとして訴えられる。こうした訴訟の裏にあるのは、放射線科医ならあらゆる異常に気づくはずだという、注意力に関する錯覚だ。放射線科医が画像を見るとき、実際には自分の探しているものを見つけようとしているだけなのだ。彼らに胸部レントゲン写真で導子を見つけてほしいと頼めば、彼らはそれを探し、見つけだすだろう。だが、肺塞栓症を見つけてほしいと頼まれた場合は、導子に気づかない可能性がある(そして導子を探している場合は、肺塞栓症を見逃す可能性もある)。最初に見たとき気づかなかった腫瘍は、あとから見ればありありと目に入るかもしれない。 P56 人間の脳にとって、注意力は本質的にゼロサムゲームである。一つの場所、目標物、あるいはできごとに注意を向ければ、必然的にほかへの注意がおろそかになる。つまり非注意による見落としは、注意や知覚の働きに(残念ながら)かならずついてまわる副産物なのだ。そのように、非注意による見落としの原因が視覚的な注意力の限界にあるとすれば、見落としを減らしたり取り除いたりすることは不可能だろう。つまり、非注意による見落としをなくそうとするのは、人間に両腕をパタパタ動かして飛べと言うようなものなのだ。人間の体の構造は、飛ぶようにできていない。同様に脳の構造も、つねにまわりの世界をすみずみまで知覚するようにはできていないのだ。 |
高橋昌一郎(國學院大學教授) 講談社現代新書 2011/02/17 訴訟のようなゼロサムゲームでは「自分の損失を最小にしようとする戦略」が有利と論じています。 それは、日々、私が仕事で感じることと一致しています。 上手く行ったときのことは考える必要がない。 まずく行ったときのリスクを計れば良いと。 それが「ミニマックス戦略」です。 弁護士が扱うのは、常に、ゼロサムゲームですから。 決断すべき場面における決断の理論を紹介するのが本書です。 P84 情報科学者 結果を見て、関係者は非常に驚きました。というのは、優勝したのが応募された中でも最も単純なプログラムだったからです。 それは、トロント大学の心理学者アナトール・ラパポートの作成したプログラミング言語FORTRAN三行で書かれたもので、初回は「協調」を出す、次回は前回の相手と同じカードを出す、以下これを繰り返すというだけのものです。そこでこのプログラムは、「TFT」ヘティット・フォー・タット)つまり「しっペ返し」戦略と名づけられました。 会社員 本当に簡単なプログラムですが、なぜTFT戦略はそんなに強いのでしょうか? アクセルロッドは一般論として、TFT戦略の四つの特徴を挙げています。 第一に、TFTは自分からは決して裏切りません。まず協調から始めて、相手が裏切らないかぎり、ずっと協調し続けます。人間社会で言えば、相手から高い信頼感を得ることのできる「上品」な戦略といえます。 第二に、TFTは相手が裏切れば、即座に裏切り返します。協調してばかりでは多大な損失をこうむることもありますが、機敏に「挑発」に反応することによって、相手を罰することもできるわけです。 第三に、TFTは「寛容」です。しっぺ返しされた相手は、やはり協調したほうが得であることを改めて学習するでしょう。そして、相手が再び協調してくれば、TFTは過去を水に流して即座に協調に戻ることによって、さらに深い協調関係が生まれます。 第四に、TFTは非常に「単純」です。こちらが「しっぺ返し」戦略を取っていると相手が気づけば、相手も相応の戦略を取るはずです。そこでさらに強い協調関係が生まれ、結果的に両者とも安定した利益を得ることができます。 P90 ノイマンとモルゲンシュテルンが主として扱ったのは、プレーヤーの利得の合計が相殺してゼロになる「ゼロサムゲーム」でした。このゲームの特徴は、常に一方のプレーヤーの利益が他方のプレーヤーの損失になることで、一方の勝ちが相手の負けを意味する通常の対戦型ゲームすべてが含まれます。誰かが儲ければその分だけ誰かが損する株式市場などもゼロサムゲームと考えられます。 ノイマンとモルゲンシュテルンは、このようなゼロサムゲームにかぎって言えば、「ミニマックス戦略」を採ることが最も合理的であることを証明しました。 司会者 それはどのような戦略なのですか? 数理経済学者 プレーヤーは、自分が取りうる戦略のそれぞれについて、相手が利得を「マックス(最大)」にしようとすることを想定しますね。その中で、自分の損失を「ミニ(最小)」にしようとする戦略です。もっと簡単に言うと、「勝とうとするよりも、まず負けないようにする」という考え方です。 P94 数理経済学者 そうです。その後、ノイマンとモルゲンシュテルンのゲーム理論を発展させたのが、プリンストン大学の数学者ジョン・ナッシュでした。 ナッシュは、1950年、21歳の時に書いた博士論文で、二人以上のプレーヤーが互いに競争関係にある非ゼロサムゲームという難解な理論を公理化し、各プレーヤーの利得を最大化する均衡解が一意的に存在することを証明しました。これが有名な「ナッシュ均衡」です。 司会者 非ゼロサムゲームということは、プレーヤーの損得の合計がゼロではないということですね。 数理経済学者 そうです。その状況で、プレーヤーも任意の有限数に拡張されていますから、ナッシェの均衡解は、一般社会のあらゆる「交渉問題」に関係してきます。彼は、1950年から53年の三年間に五編の論文を発表しましたが、現在のゲーム理論の実質的な戦略論は、すべて彼の業績を基礎としています。 |
勅使河原茜(草月流家元) 角川oneテーマ21 2011/02/14 自宅には常に花があります。 庭の草木の手入れも怠りません。 だから、この本も読めると思ったのですが。 しかし、読み取ることができませんでした。 不出来な書という意味ではなく、別の世界の書です。 世の中にはいろいろな世界があり、いろいろな文化があるのだと再認識しました。 P27 べつに大きなものをいける必要はありません。ふだん使っている小さなグラスでいいので、水を入れて、好きな花を一本か二本いけてみる。それだけでいつもの空間が生まれ変わります。花一輪で、家の表情が変わる。 P35 私は、いけばなは「引き算の美学」、フラワーアレンジメントは「足し算の美学」、そこがいちばんの違いだとお話ししています。 草月では、「線」と「塊」と「色」の三つを、いけばなを構成する三要素と呼んでいます。 線の美しさ、塊としての美しさ、色の美しさ、この三つを意識しながらボリューム感を持たせたりバランスを考えたりしていくのですが、考え方の基本は、余計なものは除き、あるいは切って落としていくということ。そこにあえて隙間をつくることでメリハリをつけていくのです。 P36 線と塊の調和を考え、余計なものを切って落としていくと余白が生まれます。隙間が生まれる。しかしそれは間の抜けた隙間ではなくて、線と塊の美をかたちつくっていくうえで必要な「充実した隙間」でなくてはならないのです。その隙間があるから、花のいちばんいいところを引き出すことができるというのが、いけばなの考え方です。 |
羽生善治(将棋棋士) 角川oneテーマ21 2011/02/14 将士は、盤面を言葉で思考するそうです。 どのような思考なのだろう。 著者は、大局観を語っています。 これは無意識領域が行う判断なのだろう。 経験が浅い時代は意識と理屈で将棋を指し、 経験を積んだら、無意識領域が行う大局観で将棋を指す。 2つの刃が向き合う将棋という分野で認識される「大局観」のイメージを掴んでみたい。 うーん、日々の研鑽で成長した無意識領域の判断であり、それが意識には認識されないが故に「大局観」という言葉が登場するのだろうか。 大脳基底核が命じる「閃き」が「大局観」の一部を構成するようですから。 P23 体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になる。将棋ではこの「大局観」が年齢を重ねるごとに強くなり進歩する。同時に熟練になり精神面でも強くなると六十歳、七十歳になって、この「大局観」は闘うための柱となる。 若い人は「大局観」がないが、経験を重ねて「大局観」を身につけていくと大筋で間違っていない選択ができることになる。 自分の若い時代、「二十歳の自分」と闘っても負けない ……。 この「大局観」を身につけ全体を検証するのである。 P29 指す手は一つだけの決断だが、水面下には膨大な思考がある。それらを立体的にして厚みを増すことが、長期的には結果にもつながるのではないかと考えた。 P130 直感とは、数多くの選択肢から適当に選んでいるのではなく、自分自身が今までに積み上げてきた蓄積のなかから経験則によって選択しているのではないかと、私は考えている。 だから、研鑽を積んだ者でなければ直感は働かないはずだ。 P133 以前、脳科学者の池谷裕二さんにお会いした時に、直感と閃きの違いについて教えていただいた。 言葉としては同意語だと私は思っていたのだが、実際には違うらしい。 きちんと論理立てをして説明できるのが直感で、なんだかわからないがこの方が良いと考えるのが閃きなのだそうだ。 私にも、理屈ではなく「こうした方が良い」と感じる時はあるが、それは直感ではないらしい。 同じ瞬間的な出来事においても、その内容については大きな違いがあるようだ。 そういえば将棋では、直感ではなく閃きの方で手を選ぶ時もある。 なんとなくその時の気分や雰囲気で選ぶので、論理的な説明ができない、とても感覚的な手だ。 |
幸田昌則(不動産業のアドバイザー) 日経プレミアムシリーズ 2011/02/08 昭和の時代は、全てのモノが大きくなった。 経済は成長し、地価は上昇し、消費者物価指数も上昇し続けた。 不況もあったが、6年後、7年後には、必ず、好況が登場した。 消費者物価指数を上回るところに金利水準があり、株価も上昇した。 商売をしていれば、客は増え、売上は増え、所有する資産の含み益は増え、社員は増えて、会社内での地位は上昇した。 まさに、生きている限り、成長し続ける恐竜(爬虫類)の時代だった。 そして、平成元年にユカタン半島に隕石が衝突した。 その後、暗黒の時代が20年について続いた。 その間、倒れた恐竜の死肉を食って、哺乳類は生き残った。 平成元年、あるいは平成7年に賃貸物件を建築し、倒産した人達から賃貸物件を買い取った人達が、腹をでっぷりと太らせた哺乳類として生き残った。 しかし、ユカタン半島から20年が経過し、爬虫類の死肉は食い尽くされた。 中古の賃貸物件が仕入れられる時代は終わったのだ。 それと同時に、経済の体質が変わった。 いまは哺乳類の時代だ。 哺乳類は、一定の大きさに迄成長すると、成長を止める。 これからの時代は、経済成長は存在しないし、景気変動も存在しない。 そのように変質した社会を、どのように予測すべきか。 時代を見る目を育てておくべきが哺乳類の知恵だ。 私は、このように考えているのですが、本書のテーマも同じです。 本書も、いま日本経済は新しい局面を迎えつつあると論じています。 現在の不況が将来回復したときでも、市場は「昔の姿」に戻るのではなく、全く別のものになると論じています。 さて、その「別の姿」を予測しているだろうか。 うーん、残念ですが、その予測は語っていません。 高齢化と人口の減少で、日本、特に、東京は、ローマ帝国のように衰退の道を歩くのか。 あるいは哺乳類の知恵は、新しいルネッサンスの時代を作り出すのか。 私の予想は、後者ですが、だからこそ時代の先を読む必要があると考えています。 どのような時代が到来するのか、そして、その時代に適応するためには、いま何を準備すべきか。 それがいまの関心事です。 たぶん、リスクと変化に備えて準備すべきは手元の現金だろう。 1 利益を生まない資産は換金する。 過大な借金を抱えている場合は、物件を売却してでも返済する。 2 利回りの高い物件を狙う投資は間違い。 資産価値が長持ちせず、換金が難しい物件が多い。 3 自宅も、賃貸物件も、こまめなメンテで長持ちさせる。 建物の建て替えは、最大の無駄だと認識すべき。 60歳までの働く30年と、60歳以降の働かない30年があるのが長寿化の社会。 働かない30年を豊に過ごすには資産リッチになる必要がありますが、どのような方法で資産リッチになるか、そして、資産リッチを維持するのには、どのような管理の方法が必要か。 まさに、知恵が問われる時代です。 不動産が自動的に含み益を生み出す爬虫類の時代は、既に、20年前に終わっているのです。 P18 では日本の地価動向の鍵を握っているのはなんなのか。それは賃貸市場の動きなのである。 P89 住宅の取得についても、最近では「親からの援助」による購入も数多くなっている。親からの援助を頼りにできる人とそうでない人では、その後の人生設計は大きく異なっていく。 相続についても同様で、親からの相続によって多額の資産を得る人とそうでない人では、老後の人生設計がまったく違ってきている。 P208 現在、日本は超低金利で、預金しても「利息」はほとんどつかない。だから、利回りの高い不動産に投資をする人が少なくない。しかし、手元にはある程度の「現金」をいつも用意しておくことを忘れてはならない。 P209 個人も企業も、これまでと比べて「リスク」が高まる環境にあり、自己防衛に意を用いたい。これまで日本人は「不動産偏重」の資産形成をしてきたが、時代は今後も大きく変わっていくだろう。 P210 生活防衛については、それぞれに知恵を使い、工夫を重ねることは大切である。しかし、それだけではなく、これからの人生を充実させるために、「どんな資産が自分にとって必要だろうか?」と時には自問したい。 自分の「人生」において、必要な資産とは何か。友人や家族と議論をし、自分でじっくり考えて必要な資産をつくり、年をとるのに合わせて「組み替え」ていくのも悪くはない。 P219 ここで、不動産を取得する時に、ぜひとも考えていただきたいのは、「売りやすさ」「換金のしやすさ」である。自宅でも自社ビルでも、「買ったら、ずっと手放さない、売ったりはしない」と公言する人は少なくない。 本書でもたびたび強調しているように、今世紀になってからは、社会・経済の変化は目まぐるしい。昔の十年は現在の一年ぐらいといっても過言ではない。 P223 個人の戸建て住宅でも同様である。従来は二十年、三十年経過したものは、建物の価格評価は限りなくゼロに近いものであったが、今後は、その街並みや住宅の管理の良否も評価した「新しい価格」がつくられる時代に向かう可能性も出てきている。自宅の価値を高めるために、日頃の手入れ、住む街に愛着を持ち、環境を良くする努力が求められる。 もう新築住宅をひたすら供給し続ける時代は終わった。「すでにある住宅」を十分に「手入れ」し、住み続けることで価値を維持し、さらに価値を高めることは、エコ意識が高まった私たちの感覚にもマッチしている。 |
毛利孝一(医師) 菁柿堂 2011/02/07 医者と雑談をしたのですが。 高齢で、元気になる見込みのない人達の延命は患者本人の幸せなのか。 死ねない、死なせない拷問ではないかと。 そこまで踏み込んで考えるのは無理。 目の前の治療に完璧を目指す。 それが医者の存在であり、医者のリスク回避であり。 それ以上の思考は、医者の立場では不可能。 しかし、高齢者が、本当に死を怖れているのだろうか。 高齢者が、自分の経験と高齢であることに誇りを持っているように、更なる高齢者は自分の生について執着してはいないのではないか。 生についての執着と、死を怖れる発想は、若年者の発想ではないか。 少なくとも、誇り高く生きたいと思っているのではないか。 そこで思ったのですが、これは弁護士に事件を依頼する場合と同じですね。 事件を丸投げすれば、弁護士は、依頼者の完全なる利益の実現を目指す。 命を丸投げすれば、医者は患者の完璧な治療を目指す。 そして死なせない治療のみを考える。 遺産分割協議に弁護士を入れてはならないのと同じように、命を、医者に丸投げするのも避けなければならない。 自分で、自分の命を管理し、医者には丸投げしない知識が必要なのだと。 P9 「あのまま死んでいたら死ぬというのは楽なことではないか」 7年半前、脳卒中にかかって眠りから覚めたときの実感です。今もありありと心に刻まれています。 そしてこれとそっくりな心境を、三十年あまり昔、心筋梗塞にやられたときにも経験しました。 「この、時折りすうっと消えていくようなときに戻らなければ、そのまま死ぬのだろう。それなら死ぬということは、じつに楽なものではないか」と発作の翌朝味わった気持ちをあるところへ書いたことがあります。 この本は、以上2つの意識体験をよりどころに、またそれを出発点として、人間の生と死、ことにその境目あたりのことをあれこれ綴った一老医の気ままな随想です。 P152 「ソルコーテフ!カルニゲン!」 と、点滴の中へ加える注射薬の名を叫んだのです、 とたんに私は、なにか自分がSさんになったような気がしました。そして「ああ、Sさんはこれを怒っているんだ!」という気がしました。私の頭のなかで想念が渦を巻きました。 なぜおれを眠るように静かに終わらせてくれないのだ。いつもおれが払いのけようとしているこの点滴の針も、巻きつけてあるバンドも鼻のチューブもみんな外してくれ。こんなことをして、おれの命がどれだけ長びくのだ。あえぐように窮屈な、みじめな呼吸をする時間がいったいどれだけ延びるというのだ。また延びたらどうだというのだ。何でもかでもとにかく命を延ばそうという、それが医学の至上命令なのか!? Sさんはそんなことを怒っているのではなかろうか。 まったく、この延命の処置とはいったい何だろう。病人の幸せとどう結びついているのだ。むしろ、生きている者が自分たちに対しての慰めや弁解の意味のほうが大きいのではないか。 いま生命がその行程をおえて宇宙に帰ろうとするとき、静かに看とりながら送ってあげる思いやりと分別と勇気とを、医者も患者の家族も持つべきではないだろうか。自分は俗人中の俗人で、どんな死にざまをとることかわからないが、己れに加えられる空しい延命処置をいきどおる憤怒仏としては終わりたくないものだ……。 私がこんなことを思っているうちに、闘争も憤怒も終わりました。 「ご臨終です」 P169 これに対して○○君は即座にきっぱり答えた。 『最後まで生命を永らえさせるよう努力するのが医師の職務ですから−』 |
牧野知弘(元三井不動産ビルディング開発部) 祥伝社 2011/02/03 タイトルとは異なり、著者の経験した不動産市場の分析を語る書です。 やはり、実務を、実際にやってきた方の分析は読ませます。 不動産の歴史を起とし、不動産取引はギャンブルなのか承とし、サラリーマンなどの個人大家の奨めを転として、最後に不動産の魅力を結として語る。 根底に流れるのは不動産には魅力があり、不動産は裏切らないという考え方です。 私の不動産の選択基準は、「僕、この物件を持っているの」と自慢できる物件。 これは著者にも賛成して貰える選択基準だと思います。 P81 最近よく聞かれるのが、日本では東京以外ではもう経済が立ちゆかないので、不動産も東京以外はだめだろうという説です。この説はおおむね正しいといえましょう。たとえば、オフィス需要で考えますと、東京と大阪ではオフィスに対するニーズはおよそ10対1といわれるほどの違いがあります。 人口だけで比較すると4対1であるのに、産業基盤であるオフィスビルへのニーズは、これほどの違いがあるのです。東京はやはり日本の中心として、日本の多くの産業の本社、本店機能が集まるばかりでなく、外資系企業も日本にオフィスを構える場合、多くは大阪ではなく東京に構えます。その結果、オフィスに対する二ーズは、人口比以上の差がついてしまうのです。 また、日本全国の人口が減少を続ける中でも、首都圏には継続的に人口が流入しており、世帯数についても一貫して増加してきたことから、住宅の需要も東京が一番であることは間違いありません。したがって、東京を中心に不動産投資をすることは基本的に正しいと言えます。 P93 「売り建て業者」の厳しさを示す証拠として、マンション分譲業者で30年以上事業を続けている業者がほとんど存在しないということがあります。ここ10年ほどの間にも不動産関連、とりわけマンション分譲業者は続々倒産しています。 大手の大京、藤和不動産なども会社としては存続していますが、新たなスポンサーなどを募ってなんとか生き延びている会社です。 彼らが生き延びることができない最大の理由が、先ほど申し上げた原材料(土地)の仕入れから製品化(マンション)までのタイムラグです。地価の変動のサイクルを読み切り、その上で最終製品の販売時期の景気を読み切ることは至難の業。大京や藤和といった大手分譲業者でさえもこのサイクルを読み切れずに厳しい経営を余儀なくされる、これが「売り建て業者」の宿命です。 P99 このビジネスは中古マンションを1戸1戸買って、それぞれの住戸に対し、空いている住戸はリニューアルを施し、借家人がいる住戸は借家人を退去させた後にリニューアルして、マーケットで再販するビジネスです。 最近、大流行りのビジネスではありますが、このビジネス自体に人気が出て、始める業者が増え、中古マンション住戸の取得競争が激しくなると、結局取得価格が高くなり、思い描いたような利益を取れなくなる事態となりました。 もともと在庫がたくさん存在するマーケットではない、いわば隙間(ニッチ)ビジネスですが、これも参入障壁が低いので、参入者が多くなり、そうなると仕入れコストは膨らんでいきます。また、いくら仕入れから販売までの期間が短いといっても、マンションマーケットの下落局面では、再販の際のリスクは大きくなってしまいます。 P135 一生懸命働いて、出世競争に勝ち抜いて地位と名誉、そして高額の報酬を得よう、と頑張るサラリーマンは多いのですが、最後まで出世を貫ける幸せな人はごくわずかで、その他の多くのサラリーマンが、結局は出世競争という舞台での敗者となってしまいます。 多少人よりも早く部長に昇進したとしても、同期であまり出世しない人との年収の差なんて、日本の多くの会社ではほとんどないのが実情です。 自分の実力に対する「思い込み」と仕事の上での「運の良さ」に人生を賭けて出世を目指してぼろぼろになるよりも、「実質的」に生きよう、というのがサラリーマン大家さんの考え方です。 P146 「すみませんね。犬の散歩に出てますのよ。今日5回目ですよ。いくら暇だからって、これでは犬も迷惑よね」 とおっしゃって笑いました。 これが成功している大家さんの姿です。 大家業をされている方の事業が順調であることの一つの証が、この「暇」であることです。 |
池谷裕二(生物学者)×鈴木仁志(弁護士) 講談社 2011/02/02 池谷博士の本ですから、当然に買いですし、当然に読ませます。 さらに、今回は、訴訟よりも和解と主張する弁護士との対談。 税理士賠償請求として8000万円の請求を受けている。 これを2000万円を支払って和解をするか否か。 それが論理的に解明されていたら嬉しい。 うーん、ダメですね。 池谷博士の思考がカミソリだとすれば、弁護士業界の思考は3年間は土の中に埋めておいたナタの切れ味。 池谷博士の解説を読むと、私が、日々、考えていることが理論的に立証されていることが分かり、嬉しい。 P64 池谷 お話ししながらひとつ思い浮かんだのは、権威への服従という人の性向です。というのは、ミルグラムという心理学者が行った有名な実験があるんです。実験参加者の人に、他人に電気刺激を与えるボタンを押してもらうように頼む実験なのですが、電流の強さを選択できるようになっています。最強の電流だと強烈な苦痛が生じるので、とてもでないけれど気の毒でボタンは押せない。ところが大学教授のようなエラい人に押すように依頼されると、いともたやすく服従してしまうんですね。最強の電気でも流してしまう。面白いのが、後ろめたい気持ちを隠蔽するためなのでしょうか、その後、被害者を見下して、その無能さに責任転嫁することで自己正当化する人までいる始末。 この実験は、もとはと言えば、差別やいじめの原型となる精神構造が私たちの心に潜んでいることを指摘したものなのですが、私は、この実験は、裁判か和解かを分ける分水嶺を指摘しているような気もするのです。つまり、法律はいわば一般人にとって見れば「権威」ですよね。裁判官や弁護士はその権威の代弁人。となれば、彼らの発言や書いたものを盾に、自己正当化しながら暴力的な心理に至ってしまうなんてこともありえると思うのです。しかも、無自覚なままに。 P119 池谷 面白い話があって、よく眠れないという人にニセの睡眠薬を渡すんです。本来は効くはずのないニセ物ですよ。でも渡すと眠れるようになるんです。 ところが、渡すときに副作用についても説明するんですよ。その際、被験者を2つのグループに分けます。Aのグループの人たちには、「この睡眠薬は眠る作用が主作用ですけど、心がリラックスして落ちついた感じになるという副作用もあります」という説明をするんですね。もうひとつのBグループのほうには、「これを飲むと心臓がドキドキしてしまって、目が覚めたり頭が冴えたりする副作用があります」と言って出すんですね。そうすると、服用した人にどんな違いが生じるかという実験なんですけれども、どう思われます? 鈴木 副作用として説明したとおりのことが両方に起こるとか? 池谷 僕もそう思ったんです。でも実際にやってみると面白くて、偽薬とはいえ、どっちも薬をもらってるから早く眠れるようにはなるんですよ。ところがその効力が異なったのです。 なんと、「ドキドキして目が覚める副作用がありますよ」と言って渡したグループのほうが早く眠れたのです。 なぜかと言うと、ドキドキして頭が冴えてしまうのは、まさに不眠症の典型的な症状なんですよ。これによって眠れないという状態が起こるのが不眠症。偽薬を飲んだ人は、効かない薬を飲んだだけですから、当然いつもの症状が出ますよね。つまり、ドキドキする症状が出る。ところが「これは薬の副作用のせいだ」と思うと眠れるんです。 鈴木 なるほど。 池谷 つまり、悪いのは自分のせいじゃないと思った瞬間に、ものすごく落ちつくんです。逆にリラックスしますという副作用を説明されたほうは、いっこうにそういう兆候が現れないから、かえって不安になることもある。 プチうつも似ています。「うつ病」と言ってもらうと、社会にうまく適応できないのは私のせいじゃない、病気のせいだからしょうがないと、すごく落ちついて満足して帰っていく人が少なくないです。 これは紛争解決ではないですけれども、仕方がなかったんだと思わせるようにしてあげるというのは、ひとつの方法なのかなと。今、鈴木さんが言われたのはそういうことかなと僕は思ったんですけど。 P142 池谷 「いい」「悪い」ってありますよね。「いいヤツ」「悪いヤツ」とか、「いいもの」「悪いもの」とか。でも、「いい」「悪い」という分け方は、じつは脳の中に一切ないんです。 そうすると、「合理的なことがいいことだ」という場合の「いい」っていったい何だ、という話になっちゃう。じつは脳の中の本当の価値基準は、すべて「好き」か「嫌い」かだけなんですよ。快、不快って言い換えてもいいかもしれませんが。 鈴木 われわれは、なにかとすぐに「いい」とか「悪い」とか言いがちですよね。 池谷 そうなんです。たとえば、学校を勝手に休んだ学生に対して、「休むのは悪いことだ」と言ってしまいがちですよね。でも、本当は「悪い」も「いい」もないはずなんです。そうじゃなくて、「私は勝手に学校を休む学生は嫌いだ」としか言えないんですよ。でもそんな表現をすると、それこそ「感情的で頭の悪いヤツだ」と非合理な入間としてレッテルを貼られてしまう。そういう価値と生理の乖離は、脳を研究していてものすごく感じますね。 これは、人の好みでも同じです。「あいつはいいヤツだ」と言うときの「いいヤツ」というのは、本当は「好きなヤツ」なんです。 P164 池谷 自由意思のことをフリー・ウィル(free will)と言いますが、今われわれ研究者の間では、フリー・ウィルは存在しないが、フリー・ウォント(free won't)、つまり自由否定というものは存在すると考えられています。 自由意思がないと言い出したのは、ベンジャミン・リベットという科学者です。リベットは、被験者に好きなときにスイッチを押してもらう実験をしました。するとスイッチを押したくなる前に、すでに脳はスイッチを押す準備を始めている、それも1秒くらい前に始めているということを発見したんです。 その実験にはもうひとつ重要な意味があります。たしかに、被験者は本人の自由意思でスイッチを押すように言われたけれど、押したくなる1秒も前に、とっくに脳は準備を始めていた。でも、じつは押したくなってからスイッチを押すまで、0.5秒くらいのインターバルがあるんですよね。 じつはこの「意図よりも行動が後」というところがポイントで、その時間帯に私たちの自由がある。つまり、行動をしなくてもいいという権利がある。これが意識の構造だというわけです。 自由意思というものはなくて、押したくなるという情動はいつ起こるかわからない。これはしょうがないんですよ。でも押さなくてもいい、押さない自由はある、という構造になっているんです。それを、フリー・ウォント(自由否定)と言います。 僕は、この図式は意外な印象を与えますが、じっくり考えてみると、やはり正しいと思うんですよね。 |
大谷由里子 中経出版 2011/01/27 講師を頼まれることがありますが、まさに一期一会です。 受講者を引きつけられることもあり、それが難しいこともあります。 なぜ違いが生じるのか。 受講者と会話が成立するか否かです。 受講者が50人でも、100人でも、500人でも、良く出来た講演会では受講者との間に会話が成立します。 ダメなときは、会話に疲れてしまい、ただ、ラジオ放送のように言葉を流し続けてしまう。 ラジオを聞くときと、目を見つめ合いながら話をするときでは、集中度が異なることは明らかです。 そして、目を見つめ合いながら話す事に疲れてしまい、あるいは受講者の集中を途切れさせてしまうと、その後はラジオ放送になってしまう。 では、プロを名乗る講師は、どのようなスタイルを採用しているのだろう。 うーん、話のみを売る講師と、具体的な知識を前提にして、それを伝える講師は、やはりスタイルが違います。 専門家の講演は、笑わせるだけでは勤まらない。 専門家の講演は、中味が勝負。 その為には準備(レジュメとストーリー)の作成に勝る対策はない。 |
一橋達也 幻冬舎 2011/01/27 普通の青年でした。 2年7ヶ月を語りますが、犯罪については一言も語ってません。 それは、彼なりの礼儀なのでしょう。 あの一瞬が取り戻せたら、彼は、どこにでもいる普通の青年だったと思います。 なぜ、彼が犯罪に至ったのか。 それは語られてません。 P90 昔、つき合っていた子に言われたことを思い出した。「みんなから好かれるにはどうしたらいいんだろう」って聞いたら、彼女はあきれ顔で、「そんなことできないよ」って答えた。 それは事実なんだろうけど、それを聞いた時ひどく寂しい気がした。 そのことを思い出したら、ああそうだ、僕は誰からも好かれることはできなかったけれど、誰からも憎まれることはできたんだと思った。そう思ったらなぜかほっとして涙が出てきて止まらなかった。 |
北原茂実(医療法人理事長医師) 講談社α新書 2011/01/27 良い本です。 提案された医療制度改革の処方箋が有効なのか否かは、医師業界に住んでいないので分からないのですが。 しかし、一つ一つの説明には納得させられるものが多い。 医師としてだけではなく、社会洞察において優れた医師です。 P73 とはいえ、国民皆保険を支持する声は、まだまだ圧倒的だと思います。「国民皆保険があり、医療費が安く抑えられているおかげで、いつでも安心して病院にかかれる。もしも医療費が高くなったらたいへんなことだ」と考える人が多いからです。 ただし、その「安さ」が患者を不幸に陥れている現実も無視できません。 P74 こうしたジレンマの中、日本では薬代を低く抑えること、具体的には新薬を認可しないことによって総医療費の抑制に努めてきました。 P75 アメリカで十分なインフォームドコンセントが定着している理由は簡単です。アメリカでは、一人の医師が一曰に診る外来患者の数は多くて10人程度。これに対し、日本の医師が外来で診るのは60人から100人程度です。 P78 現在、医学部の総定員はおよそ9000人です。一方、毎年の出生数は減少傾向にあって、100万人程度です。仮に今後、医学部の定員を倍の2万人にまで増やしたとしたら、100人に2人が医者になる計算です。 P80 しかし、実際にできるかというと、ほぼ100パーセント無理でしょう。 最大の理由は、選挙制度です。 現在、衆議院は小選挙区制を軸とした選挙制度をとっています。ご存じのとおり小選挙区制は、選挙区の上位一名のみが当選できる制度です。 上位数名が当選する中選挙区制であれば、「有権者の3分の1が賛同する意見」を訴えることも可能でした。ところが、小選挙区制のもとでは有権者の過半数、実質的にはすべての有権者に“いい顔”をしないと当選できません。 P82 ひとつ、具体的な事例を紹介します。外来で検査を拒む患者が急増し、不思議に思った東大阪の病院が調査したところ、驚くべきことに地域住民の26パーセントが健康保険でカバーされていなかったそうです。 いったい、4分の1もの国民をカバーしきれていない保険の、どこが「国民皆保険」なのでしょうか? P190 実際、お年寄りにアンケートでもとってみればいいと思うのですが、多くのお年寄りは自分の加齢を肯定的に捉えているものです。若いころを懐かしく思うことはあっても、当時に戻りたいかと聞かれれば、ほとんどの人は「もうあんな苦労はしたくない」「もう一度やり直して、いまの場所にたどり着く自信がない」と答えます。 私だって、いまさら20代や30代の自分に戻りたいとは思いませんし、若い人を羨ましいとも思いません。 さらに、これは実際に自分で経験してみないとわからないことですが、年齢を重ねていくとものごとの見方が変わってきたり、経験を踏まえた賢明な判断ができるようになったりするなど、プラスの側面がたくさんあります。もう他界した私の父は、認知症になったあとも音楽を愛し、いつもドボルザークを聴いていました。 体力や記憶力は衰えても、代わりに研ぎ澄まされていく能力は多々あるのです。 それでは、いったい誰が、「年をとること=悪」であるかのように騒ぎ立てているのでしょう? 答えはひとつしかありません。年をとった経験のない人、つまり現役層です。 経験したことがないから、恐ろしく感じる。経験したことがないから、勝手な憶測でものをいう。経験したことがないから、噂や憶測を信じ込む。それだけの話にすぎません。コロンブス以前のヨーロッパ人が、「海の向こうは滝になっていて、怪獣が口を開けて待っている」と考えていたのと同じです。 |
眉村 卓 新潮社 2011/01/23 妻が癌で余命宣告された。 その妻と、たぶん自分の為に毎日一作を書き続けた作家の実話です。 草薙剛と竹内結子が主人公になって映画化されます。 ただ、この物語りは、作者が64歳から68歳まで。 つまり、非常に若くして妻を亡くした夫婦の話ではない。 夫婦であれば、誰にでも訪れる配偶者の死です。 しかし、読ませます。 そして、配偶者の死を、どのように受け入れるのか。 そのことを考えさせる1つの夫婦の物語です。 |
THE21編集部 PHP研究所 2011/01/21 新聞の広告で目を引いたので読んでみました。 30人ほどの方々の仕事のノウハウが語られています。 しかし、最初に登場するのが「結局、女はブスは損」の勝間さん。 語ることが総論であり、地に足が付いていない。 「余計な仕事はしない」が、まず、一番目の原則だそうだ。 サラリーマンなら、そのような仕事があるのかもしれませんが。 商売人の世界では、「余計な仕事」なんて、誰もやらない。 言葉だけで世界を作り上げ、それが実務と論じる軽薄さがにじみ出ている。 2が、「得意技をやる」。 得意な分野の仕事に集中し、得意じゃない分野の仕事は他人に任せる。 なるほどね。 それが会計士としての研修義務不履行の理由なのかと。 3が、「道具にカネを惜しむな」。 しかし、その説明がパソコンは毎年買い換えろと。 この軽率さで、ものを語るところが気持が悪い。 しかし、良いことを語る人もいる。 P71 【キャノン電子株式会社 代表取締役社長 酒巻 久】 【酒巻】 たしかに、自分で経験できることには限界があります。そこで私が社会人になったばかりのころからずっと続けているのが、読書で得た学びをメモ帳に書き留めることです。たとえば、デール・カーネギーの『人を動かす』読んだら、とくに重要だと思ったポイントを自分なりの言葉で四つか五つの法則にまとめて、メモ帳に書き込みます。読みっ放しにしておかないで、そこで得たものを自分なりの言葉で整理・体系化しておくわけです。いわば、疑似体験のようなものです。 すると、メモ帳に書き込んだことが、自分の判断基準として蓄積されます。私は40年以上もこの習慣を続けているので、新たな問題に直面したときでも、自分がどう判断して行動すればいいか、たいていメモ帳に答えが書いてある(笑)。もしその判断が間違っていたとしても、失敗から学んだことをまたメモ帳に書き込めばいい。こうしたことを繰り返すことで、問題に対する素早い決断と行動が可能になるのです。 【酒巻】 「なんでこんなつまらない仕事を、俺がやらなきゃいけないんだ」と上司の指示を無視して、ズルズルと先延ばしする……これは部下がいちばん避けなくてはいけないことですね。どんな上司も、部下の後回しにはすぐ気づく。しかも、とても不愉快(笑)。指示を与えた上司は、むしろできるだけ早いタイミングでの報告を期待しています。今日指示を出したら、ほんとうは翌日にでも報告がほしいぐらいです。 といっても、いますぐ成果を求めているわけではありません。上司は途中経過が知りたいんです。「どんな手順で進めているのか」「トラブルは起きていないか」といったことを、逐一報告されると、上司は安心します。仮に、上司に途中経過をまったく報告しないまま3ヶ月後に結果を出した部下と、随時報告をしながら六ヵ月後に結果を出した部下がいた場合、後者のほうが「仕事が速い」と、上司は感じるものです。 |
山鳥 重(医学博士) 講談社現代新書 2011/01/19 読みやすいのですが、難しい。 人間は言葉で思考するのだろう。 言葉を失ったら、どのように思考するのか。 この赤と、あの赤が、赤という同じグループに属すると分からなくなったら、どのように思考するのだろう。 |
中田亨(産業技術総合研究所研究員) 光文社新書 2011/01/18 みれだや あまやりを じうどてきに とのりぞける なるほどね、読めてしまう。 プライミング記憶の一例なのだ。 脳が進化しすぎたためのミスであり、過剰適応によるミスがあるのだ。 |
塩野谷晶(国会議員の政策秘書) 文藝春秋 2011/01/17 検察の取り調べの実態が紹介されています。 そして、供述調書の矛盾を指摘しても、裁判所は聞く耳を持たない。 検察の取調べは、今後、変わらざるを得ないでしょう。 やりたい放題、やり過ぎたツケです。 そして、刑事裁判も変わると思います。 強迫による調書であることを知りながら、その調書に頼って判決を書くという手抜き裁判のツケです。 P54 「アウンの呼吸で献金なんて、そんなんじゃ調書になんないんだよ!」 私は罵倒され続けたが、決して嘘など言っていない。検事は、支援者が政治家に献金するとなると、事務所側が物欲しげな口調で面会の要請をし、密室で額をつき合わせて献金を依頼、金額等細かく決めて…、もしくは下心のある業者側が政治家の事務所を訪ね、揉み手に薄笑いを浮かべて献金の申し出を…といった「経緯」があると先入観で思っているようだが、まったく違う。 第一、沢山献金をしてくれるような政治通の実業家は政治家とのやりとりなんて日常茶飯事で意識もしないし、何より彼らはとても忙しい。カラッとしたものである。そして政治家側も皆超多忙で分刻みの毎日だ。生真面目な役人の手続きレクチャーじゃあるまいし、そんなちまちました打ち合わせなどするわけがない。ドラマの一場面にあるような、黒革の重厚なソファーに身を沈めた悪徳政治家と黒幕や悪代官みたいな人が、じっくりといかにも怪しげに良からぬ打ち合わせを…などという場面はむしろ稀なのである。 P252 三度目の落選はできない。今度こそ、小選挙区の候補者となって当選しなければ後はない。背水の陣の思いで踏ん張り続け、やっと掴んだ千葉の小選挙区からの出馬直前に、私は逮捕されたのだった。 |
河岡義裕(東京大学医学研究所ウイルス感染分野教授) 朝日新書 2011/01/14 面白いですね。 スパイ大作戦の世界です。 インフルエンザウイルスを人工的に作り出した。 ラングレーから担当者が訪ねてきたが、その名刺には名前と電話番号しか書いてない。 米国の研究室では、ウイルスを保管したチューブの目録の作成が義務付けられている。 テロと生物兵器対策だが、ウイルスは、幾らでも、内緒で培養できる。 まだ、読み始めですが、世界の構造を裏側から見るようで楽しい。 それに、凄く、読みやすい。 P45 インドネシア政府は、自分たちが無償で提供したウイルスが知らないうちに製薬企業に渡り、製薬企業は大もうけをしているのに、自分たちにはウイルス提供の恩恵がないどころか、そのウイルスを基に作られたワクチンが高額すぎて買えないという構図はおかしい、とWHOの総会などの場で再三再四、抗議してきた。そして、製薬企業はワクチンを無料で提供するか、ワクチン製造技術を移転すべきだ、と求めてきた。 |
竹田恒泰(明治天皇の玄孫) PHP新書 2011/01/14 私も、日本は、世界で一番に素晴らしい国だと思います。 日本人が当たり前だと思っているところが、世界では当たり前ではない。 日本人が、世界に比較して欠点だと思うところが、本当は長所。 日本の長所は、科学技術ではなく、文化であり、美意識であり、生活そもものです。 「もったいない」「いただきます」という言葉と文化。 多種多様な日本食の存在と、その完成度。 匠の物造りの世界観や、主張しない文化。 どこで、そのような文化が創られたのか。 著者は、その理由の1つが、日本の言語だと語っています。 確かに、国家としての存在と、国民としての存在が継続し、1つの言語が永遠と使われ続けた国民は少ないだろう。 そして、言葉こそが、その国の思想と価値観を伝達する唯一の手段です。 日本文化を否定する日本人の割合の高さと、日本文化を肯定する外国人の割合の高さは、共に、トップ。 そのことも珍しいが、そのような自意識自体も、日本の良い文化なのだろう。 P9 平成18年(2006)、英国のBBC放送が33力国で約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」として、最も高く評価されたのが日本だった。 平成21年(2009)の調査では、ドイツ、カナダ、英国に続き、日本は4位に順位を落としたが、同年はむしろ5年間の調査のなかで最も日本を肯定する比率は高かった。そして、平成22年(2010)の調査ではドイツに続き、日本は2位に評価された。 P13 調査の対象となったのは約1000人の男女で、「あなたの最も好きな国(地域)はどこですか?」という質問に対して、中国の2パーセント、米国の5パーセント、台湾の31パーセントなどを差し置いて、38パーセントが「日本」と答えている。 P15 この調査は中国の全国紙『環球時報』が調査会社に委託して行ったもので、北京、上海、広州、武漢、重慶の五都市在住の15歳から64歳の男女、計1350人に電話で聞いたところ、日本が「最も好きな国」の第5位に入ったという。しかも、15歳から20歳に限定すれば、日本は上位に入ったフランス、米国、韓国、英国、カナダを押さえて第1位になっている。中国では反日教育を今でも継続しているため、もしこの調査結果が正しいなら、中国の教育は失敗だったことになろう。 P133 世界が日本人を歓迎するのは、ペリー来航により開国して以来、日本が世界の国々と最も多くの和を育んできた結果ではないだろうか。よく「日本の外交は三流以下」といわれる。確かに、戦後の日本の弱腰外交を見ているとそう思いたくなる気持ちも分かるが、かといって私には米国の外交が一流とは到底思えない。同時多発テロ事件が起きたことが、米国外交の一つの結果であって、かかる事件は日本では到底起こりえないのである。世界中の国々と和を育むことは、一つの大きな外交成果にほかならない。 P135 衝撃を受けて立ち尽くしている私に対し、その青年は次のように語りつづけた。これまでの歴史において、イラクを含め、米国に攻め込まれた国はたくさんある。しかし、あの米国に攻め込んだのは、後にも先にも日本だけだった。結果は残念だったが、その後わずか数年で国際社会に復帰し、東京オリンピック、高度経済成長を経て、屈指の経済大国にのし上がった。日本の国の歴史は驚嘆に値する、と語ってくれたのである。 |
樋口範雄(学習院大学法学部教授) 弘文堂 2011/01/14 良い本は、何度読んでも、良い本です。 信託の歴史、エクィティ裁判所のこと、信託は物権か債権か、信託を利用する10個のメリット。 それにもまして、「信じて託された者」の義務。 法律上の責任がないから、自分の責任ではないと考えている職業専門家の人達に読ませたい。 守るべきは、依頼者の法律上の権利ではなく、信じて託された期待に応えることなのです。 P19 これがアメリカ人には理解できないところでした。なぜなら、診断、治療、説明、これらはいずれも医師であれば当然なすべきことです。契約で定めるというよりも、医師であることに当然に伴う義務であり、それに反するのは不法行為であって、契約の問題ではないというのです。 実際、わが国の医療現場でも、「私は診断します、治療します、そして説明もします」というような文書が医師と患者の間で取り交わされるのは見たことがありません。それは、日本でも、あまりにも当然のことだからです。 アメリカでは、当たり前のことは契約の問題ではありません。その当事者だけが独自に自由に定めること、それこそが契約の自由の行使です。通常なら説明すべきところを、「私たちの間だけは説明を一切しません」という合意があるなら、それは契約の問題です(それが有効な契約か否かはまた別に判断されます)。あるいは、「診断だけで治療はしません」という合意も契約の問題です。 実際、わが国では、患者が医師や病院を訴える場合、診療契約違反という意味での債務不履行と並んで、不法行為も主張するのが普通です。それでもやはり契約も主張するのです。要するに、日本では、当事者間に何らかの関係があれば、まず契約を考え、その内容について当事者が明示的な交渉や合意をしていない場合でも、(法律家の目では)契約上の債務があるとして論ずるのが普通だということです。しかし、わが国で普通のことが、他国でも普通だということにはならないのです。 しかも、医師患者関係の場合、医師も患者も自分たちの関係を契約だと考えているかというとそれは疑問です。それでも法律家は契約ありきで議論を始めるのです。 まったく同じことは、弁護士と依頼人の関係についてもあてはまります。これも、日本では委任契約であることが当然視されているのですが、アメリカではそうはなりません。関係への入り口は契約でも(なぜなら契約を結ばない自由が認められているからです)、いったん関係が成立すると、医師患者関係も、弁護士依頼人関係も、契約ではなく、信認関係(fiduciary relation)だとみなされます。信認関係とは、要するに信託のような関係、「信じて託する」という関係だということです。そして、信託は契約ではないのです。 かつて、英米法上の信託は契約とは違うものだとされていることを、次に掲げる表のように5点に整理して説明したことがあります。ここでも簡単にそれらを説明しましょう。これらの相違点の示すところは、英米においてこの2つが歴史的にも、基本的な考え方でも、そして重要な効果の点でも異なるということです。 ┌──┬───────┬──────────┐ │表 │ 契約 │ 信託 │ ├──┼───────┼──────────┤ │1 │自己責任 │依存関係 │ ├──┼───────┼──────────┤ │2 │義務は限定 │義務は広範 │ ├──┼───────┼──────────┤ │3 │救済=損害賠償│利得吐き出しなど多様│ ├──┼───────┼──────────┤ │4 │私的自治 │公的介入ありうる │ ├──┼───────┼──────────┤ │5 │財産は無色 │財産に色づけ │ └──┴───────┴──────────┘ |
大竹文雄(大阪大学社会経済研究所教授) 中公新書 2011/01/07 米国人は競争を肯定するが、日本人は否定的だ。 公平感は社会生活で造られる。 など、論じます。 P148 こうしたお金への選好の特殊性が、消費せずお金を貯めすぎるという人々の行動を起こしてしまう。株や不動産についても同じようにもてばもつほどうれしいという特性があれば、人々は株や不動産を保有したがるし、そのため価格が上がっていく。バブルの発生だ。 しかし、株や不動産をもっていることのうれしさがなくなってしまうと、バブルが崩壊してしまう。 そうすると、人々は株や不動産ではなく、お金だけをもちたがる。お金をもちたがるとお金の値段は上がっていく。 お金の値段が上がるということは、お金の価値が上がることだからモノの値段が下がるということだ。つまり、デフレの発生だ。デフレが発生すると人々は、買い物をするのを将来に先延ばしにしようとする。なぜなら、そのほうが安くモノが買えるからだ。そうなると、ますますモノが売れなくなってしまう。モノが売れなくなるから、失業が発生する。こうした循環が続いてしまって、長期の不況が発生するというのが小野理論の仕組みだ。 |
天皇陛下喜寿記念写真集 扶桑社 2011/01/06 御所の庭の草木に咲いた花の写真集です。 見ていて楽しい植物図鑑です。 いま庭造りに凝っているのですが、本書の季節の写真を見て、植木を選ぶことが出来そうです。 秋の木の実だけでも、ヤマボウシ、クサイチゴ、アンズ、イヌホウズキ、カリン、クチナシ、ブルーベリー、ギンナン、ヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、イチイ、フユイチゴ、ナツメ、サネカズラ、ミヤマガマズミ、ヒヨドリジュウゴ、イイギリ、カラスウリと盛りだくさんです。 |
加藤恭子(フランス文学) 文藝春秋 2011/01/05 敗戦直後、夫と共に米国に留学した女性が、米国文化とのパーセプション・ギャップ(perception gap)を語ります。 あちらがAで、こちらがBであれば良いのだが、あちらもAで、こちらもAと見るが、そのAは異なる。 外国人と交渉し、生活をする場合なら、このギャップを一つ一つ、解消していく必要があるのだろう。 P162 日の丸を国旗とする日本人にとっては、太陽が赤は大前提になっている。だが、ユニヴァシティ・アパートメントに住んでいた頃、近所の子どもたちが描いている黄色の丸い物体を、「これ、月?」と聞いたら、「太陽よ」と答えられて、びっくりしたことがある。 その子どもたちの母親の一人に、 「どうして太陽を黄色に塗るのかしら?」 と訊ねたら、次のような会話になった。 「どうしてって、太陽は黄色だからよ」 「えっ?太陽は黄色なの?」 「当り前じゃないの、太陽は黄色よ」 「日本では、赤よ」 「赤?どうして?太陽をよく見てごらんなさい。赤なんかじゃないわ。黄色よ」 驚いた私は、近くに住む英国人にも聞きに行った。 「英国では、太陽は何色に描くの?」 「もちろん黄色よ。なぜ?」 |
小笠原淳(フリーライター) リーダースノート新書 2011/01/05 売るための本を書く人達の著書は期待できません。 しかし、このタイトルでは読まないわけにはいかない。 予想どおりでした。 1つの事件、例えば、痴漢をした裁判官や、無罪を主張する被告人、担当した女性弁護士が感情的だったと訴える依頼者などを題材に、その事案を掘り下げることもせず、その一事案から制度の全体を論じている。 米国の司法取引について解説している一文がありましたのでコピーしておきますが、この文章の正確性にも不安が残る。 P108 スミス教授は、システムとして認められた制度を利用すべきだったと主張する。 「公判に入る前、弁護士は検察官と協議して、ケリーに司法取引を勧めています。しかし、罪を認めるわけにはいかないとケリーは突っぱねます。最終的にその弁護士はケリーの意思を尊重しました。しかし私は反対です。その弁護士は刑事訴訟法専門ではなかったのです。公判で負けることは分かっていた。それであるなら、弁護士はクライアントに司法取引を飲ませなくてはいけない。その行為が倫理的に疑問符のつくことであっても、個人的に気の進まないことであってもケリーに司法取引を飲ませるべきだった。クライアントを30年近くも刑務所に閉じ込めさせないために説得すべきだったのです」 司法取引を成立させるため、無実の被告に「やりました」と言わせることもアメリカの刑事訴訟法弁護士の役割のひとつであることはよく知られる。そのため、ロースクールの学生の多くは刑事訴訟法の路線を敬遠する。 それでも、とスミス教授は力を込める。 「私がケリーの弁護士であったら、いかなることをしてでも司法取引を認めさせたでしょう。何十時間を使ってでも連日彼女の元に通って全力で説得したでしょう。ケリーの兄を連れていって涙を流させ、『イエス』と言わせたでしょう。また父親を連れていき『おまえが刑務所にいる間に死にたくない』と言わせたでしょう。30年前に『ケリー、刑務所で無駄な時間を費やしてはいけない』と言いたかった」 |