税務訴訟の納税者側勝訴率は、全面勝訴が4%、一部勝訴を入れても8%を下回っている(注1)のが実状である。なぜ、税務訴訟の納税者側の勝訴率は低いのだろうか。
訴訟である以上は、原告と被告の言い分は拮抗しているはずであり、統計学的な結果として原告と被告の勝訴率は五分五分になるのが正しいのではないだろうか。
さらには、自分の主張が正しいと思うからこそ、弁護士に手数料まで支払って訴訟を起こすのであり、社会常識的な予想では、原告(納税者)の勝訴率が高い方が自然ではないだろうか。
なお、さらには、訴訟を、裁判沙汰と言って嫌う国民が、あえて国を被告に訴訟を起こすのには、勝てる訴訟との確信がある場合だと思うのだが、そうであるならば、一般の訴訟に比較しても、税務訴訟の原告の勝訴率は高くなければおかしいのではないだろうか。
さらに指摘すれば、税務訴訟の納税者勝訴率が低いことは、弁護士、あるいは税理士業界では周知の事実であり、だから、訴訟を躊躇し、よほどのことがないと訴訟の提起をアドバイスしないとの常識が完成してしまっているのであるが、そのような常識の下で、あえて訴訟を起こす。これは五分五分の訴訟は排除され、より勝訴率の高い事案だけが選択されているとの意味で、さらに勝訴率は高くなければならないと思うのだが、現実は、そのようにはなっていない。
そこで、納税者側の勝訴率の低さが正当な現象なのか否かを検討し、次に、納税者敗訴の判決が登場する理由(判決書きのテクニック)を追及してみようと思う。
税務訴訟と比較できるのは、まず、日本の刑事裁判だろう。刑事裁判の無罪率は0.2%(注2 司法統計)であるが、これと比較すれば、税務訴訟の納税者勝訴率が低すぎるなどと批判することは恥ずかしくなってしまう。
しかし、税務訴訟の納税者勝訴率と刑事事件の無罪率を比較するのは間違いだろう。日本の刑事裁判では、ほとんどの被告人は有罪を認めている。起訴された被告人の92%(司法統計)は有罪を認めており、彼らが有罪判決を受けるのは起訴される前から答えの出ている問題だからである。
もし、刑事事件の無罪率と比較するのであれば、税務訴訟の納税者勝訴率ではなく、所得税や法人税等の確定申告書の全件数(平成11年の所得税の確定申告件数は年間7,397,699件)と、税務訴訟の納税者勝訴件数(16件)を比較することになる。あるいは、行政処分(起訴と課税処分との違いはあるが)の正しさを比較するとの意味であれば、税務調査の全件数(注6)と、税務訴訟の勝訴件数を比較することになるのではないだろうか。
では、刑事事件の内の否認事件と比較すれば税務訴訟の納税者の勝訴率の低さを説明することが出来るのだろうか。否認事件の無罪率(無罪率0.2%を否認事件割合8%で除せば2.5%になる)の資料は入手することが出来なかったが、先日、沖縄で発生した強制猥褻事件について、「日本の刑事裁判における有罪率は90%を超えている」と、米国のマスコミが報道していた数字を大胆に利用してしまえば、日本の税務訴訟の納税者勝訴率は、ちょうど、刑事事件において無罪を主張した被告人の勝訴率と同程度になる。
ただ、税務訴訟の納税者勝訴率を、刑事事件の無罪率と比較しても、実際のところ、意味があるとは思えない。日本の刑事事件で無罪判決を取ることの難しさは、税務訴訟を担当する弁護士の場合と同様に、多くの刑事事件を担当する弁護士の嘆きでもある。しかし、日本では、国の行政処分(起訴と課税との違いはあるが)を覆すことが、共に難しいと言うことは出来るかもしれない。
税務訴訟は、行政訴訟に分類されるが、実際の訴訟における手続は通常の民事訴訟と異なるところはない。そこで、次に、通常の民事訴訟と税務訴訟の勝訴率を比較してみよう。日本の民事訴訟では、訴訟手続においては、主張と立証を負担する原告(請求者側)の方が不利益との事実が存在するかもしれないからである。
ただ、そこで、まず、主張と立証の意味内容について、それを本業としている弁護士以外の方々にも、実感とするところを理解していただく必要があり、そのために次のような説例を準備してみた。
訴訟では、原告は貸し付けの経過についてリアルに証言し、被告は、旅先で教え子に会ったことは認めるが、しかし、旅行費用を借り入れたことはないと、こちらもリアルに証言する。さて、陪審員に選任された皆さんは、原告勝訴の判決を書くのか、あるいは被告勝訴の判決を書くことになるのだろうか。陪審員には、どちらが嘘を付き、あるいは勘違いしているかを見抜く神の目が要求されそうである。
しかし、実際の訴訟では、このような事件の判決は簡単に書くことが出来る。原告の敗訴である。なぜなら、原告は貸付の事実を何も立証していない。
税務訴訟においては、課税要件の存在は、課税庁が立証することになっているが、残念ながら、実際の訴訟では、納税者が課税要件の不存在を、事実上、立証しなければならない事案が多い。この立証責任が原告(納税者)の勝訴率を低くしているのかもしれない。
しかし、そのような現象は存在しないようである。地方裁判所の終結(判決の結果、あるいは和解により終結した事件の割合)などを集計した最高裁判所事務総局が作成する「司法統計」は、判決により終結した事件について次のような数値(平成11年分)を発表している。
他にも、全国8カ所の地方裁判所及び簡易裁判所について、平成7年に行われた裁判手続と、裁判の結果について集計した次のような数値が発表されている(民事訴訟の計量分析 民事訴訟実態調査研究会編 商事法務研究会発行)。
税務訴訟は、課税処分の段階で国が判断し、異議申立の段階で国が判断し、さらに、審査請求の段階で国が判断している。その意味では、地方裁判所は、国の判断としては、既に、四審目ということができる。
そのような事情が、税務訴訟における納税者の勝訴率の低さを説明することになるだろうか。これについても前述した司法統計が役に立つ。つまり、二審である高等裁判所について、その終結内容についての統計資料である。
ここまで述べてきたように、一般的な訴訟制度の問題として、納税者の勝訴率4%(一部勝訴を含めても8%)を正当とする理由は見つからない。そこで、税務訴訟に特有な原因が存在するのか、それを探してみようと思う。
この点について、まず、批判されているのが裁判所と行政部の人事交流である(注3)。国の訟務部に異動した(出向)裁判官が、国側代理人として訴訟を担当し、その後、また、裁判所に戻って税務訴訟についての判決を書く。もちろん、同一の事件について、当事者代理人と裁判官を兼ねることはないが、しかし、このような人事交流が国側寄りの裁判官を作り出しているとの批判は、良く聞くところである。
このような人事交流が裁判官に影響を与えるとすれば、一つには、国側の主張を行ってきたとの意味で、国側的な税務理論を正当とする判断傾向が育成されてしまうことと、元同僚が国側代理人として登場することによる仲間意識の影響であろう。
しかし、私は、これは裁判官の判断には、ほとんど影響を与えていないと思う。まず、国側に立って税務を主張したとの経験であるが、しかし、弁護士の場合と比較させていただけば、同種の事件について、弁護士は、原告側にも、被告側にも立つ。医療過誤事件の医者側に立った経験のある弁護士は、逆に、患者側に立った場合も優秀な弁護士になるはずである。
次に、仲間意識であるが、これも影響を与えていないと思う。裁判官と弁護士が、司法研修所の同期、さらには、大学時代の親友ということがあるのが司法業界であるが、だからといって有利な判決を書いて貰えるとは思えない。裁判官が行政部に派遣され、行政部の実態を見聞きすることは、一般に批判されるのとは逆に、裁判官が見聞を広めるとの意味では推薦されて然るべきことだと思う。
次に批判されるのが調査官制度である。裁判所法57条に基づき、東京地裁、あるいは大阪地裁には、国税庁から数名の職員が調査官として送り込まれている。そして、調査官は、税務訴訟について裁判官を補佐することになっている。このことについての批判も多い(注4)。
しかし、私は、調査官制度が判決の結論に影響を与えているとは思えない。裁判官の耳許で、これが税務の常識と告げ続ける(出向)税務署職員の存在は、確かに目障りではあるが、裁判官が、そのような声に耳を傾けるとは思えない。調査官の意見は、あくまでも国側で育ち、国側のスタンスに立っての意見であることぐらいは、誰でも判断できることだからである。
税務訴訟における勝訴率の低さ、さらには税務訴訟が起こされる件数の少なさが弁護士の責任と批判されることも多い。税法を得意とする弁護士の数は少なく、このため税務訴訟から逃げ腰になってしまい、仮に、訴訟を起こした場合も、的はずれの主張をすることが多いとの批判である。さらには、税務訴訟の判決を読み、原告代理人としての主張の弱さなどを指摘されてしまうこともある。
しかし、これは税務訴訟には影響を与えてはいないと思う。もし、税務に強い弁護士が少ないと指摘するのなら、同様に、税務に強い裁判官も少ない。しかし、その裁判官も、最終的には判決を書いている。さらに指摘すれば、医療過誤に強い裁判官も少なく、知的財産権訴訟に強い裁判官も少ない。大規模災害に強い裁判官も少ないし、企業犯罪に強い裁判官も少ない。しかし、その裁判官も、最後には事案を判断し、判決を書いている。
つまり、訴訟というのは、2年、3年をかけ、当事者が事案を理解するまでの主張と立証が繰り返される手続であり、その訴訟での争点に限っていえば、争点についての専門家を育て上げてしまう手続なわけである。弁護士が税務を知らないがために勝訴率が低いとは思えない。よほど不勉強の弁護士でない限り、訴訟中の3年間に、争点に関する税法ぐらいはマスターしてしまう。
ただ、弁護士側の税法知識が不足しているため、勝てない訴訟を起こしてしまうことはあり得るかもしれない。とても勝てそうもない極端な節税策の失敗事例について提起される税務訴訟などである。あるいは、イデオロギーや社会運動を目的とした税務訴訟もあるかもしれない。しかし、そのような事例が税務訴訟の過半を占めているとは思えない。
税務訴訟について、納税者の勝訴率の低さを所得把握率に求める意見がある。「訴訟の対象となった原処分が、課税標準を100%つかみきっていない点に求めることができよう。国民所得統計を分母とし、税務統計の数値を分子とすれば、巷間いわれる所得把握率が導かれる。納税者が裁判上認定材料の一部分を崩したとしても、把握漏れを加味すれば、その言い分は通らない」と指摘する意見である(堺澤良 税務事例2001年3月号30頁)。
しかし、これが税務訴訟の勝訴率の低さを説明することになるとは思えない。税務訴訟に至る道は遠く、更正処分、異議申立、審査請求との3段階の手続を経てくる。仮に、課税漏れになっている所得等が存在すれば、当然、それを俎上に乗せた議論がなされてしまっているはずである。更に指摘すれば、税務訴訟になってからの税務調査は不可能であり、この段階にいたって課税庁が把握漏れの所得を発見し、追加しての主張を提出することは、非常に希なこととしか思えない。
つまり、所得把握率の問題は、更正処分、異議申立、あるいは審査請求の段階で俎上に上がり、その事実を乗り越えた上で決断されるのが地方裁判所への訴訟の提起である。所得把握率が地方裁判所での納税者の勝訴率の低さを証明することになるとは思えない。
日本の公務員は非常に優れていると言われている。このため、行政処分にも間違いが少なく、これがため、税務訴訟でも、課税庁の間違いが指摘されることは少ないとの意見がある。しかし、これも税務訴訟の納税者の勝訴率の低さを説明する理由にはならないと思う。
行政処分の間違いが少ないことを論じるのであれば、行政事件の全件を分母として論じる必要がある。つまり、確定申告件数の全件(平成11年の所得税の確定申告件数は年間7,397,699件)、あるいは更正処分の全件を分母としての検討である。もし、これらを分母として、税務訴訟において、課税処分に誤りがあったと指摘された事件、つまり、納税者が勝訴した事件を分子とし、その割合を計算したら、おそらく、小数点の下に0が5個か6個も並ぶほど、行政は確かな課税処分をしているとの答が出てくるはずである。
税務訴訟は、刑事事件とは異なり、行政処分(起訴と課税処分との違いはあるが)の全件について争われるのではなく、その中で、納税者が納得できず、これは取り消されるべきだと判断した案件についてのみ争われるわけである。
さらには、更正処分、異議申立、審査請求との手続きを経て、課税庁の主張が提出され、事案の内容も明らかになった後において、それでも課税処分は間違っていると納税者が考えた事案であって、その意味では、まさに、日本全国で行われる数百万件の課税処分から抽出された事件であり、そのような事件についてまで公務員の優秀さを持ち出すのであれば、それは公務員は一つのミスもしないとの前提を置かなければ理解できない指摘になってしまう。
さらに、公務員の臆病さを指摘する意見もある。課税庁は、強引な課税をすると批判されることがあるが、しかし、実際には、非常に手堅い課税を行っている。したがって、訴訟において批判されるような不確かな課税処分は少ないはずだとの指摘である。
公務員は臆病との指摘は正しいと思うが、しかし、この指摘についても、前述した公務員は無誤謬であるとの指摘に対するのと同様の反論をすることが出来る。そのような数十万件の臆病な課税処分から抽出された数十件の課税処分について争われるのが税務訴訟である。仮に、この指摘が正しいとすれば、常に、課税庁は正当額を下回る課税処分を行っているとの前提が登場してしまう。
ここまで述べてきたように、一般的な訴訟制度の問題としても、また、税務訴訟に特有な問題としても、税務訴訟の納税者側の勝訴率の低さを正当化する理由は見つからない。しかし、勝てない訴訟との現実は存在する。では、何が原因なのだろうか。
結論(私なりの)を先取りして説明すれば、そこには判決を書くためのテクニックが存在するとしか思えない。納税者を敗訴させる理屈を説得力をもって書くためのテクニックである。
公表された判決を読む限りは、裁判官が書いた判決にえこひいきや論理の矛盾があるようには見えない。しかし、やや視点を変えて判決を読んでみると、二つの判断基準が上手に使い分けられていると思えるところがある。つまり、次の二つの判断基準である。
「評価通達が行政の公平を担保する一般的基準であることをも考慮すれば原告の主張する事情があるとしても、評価通達によることを違法ならしめるものということは困難である」
「通達による画一的な評価の趣旨からするとこの評価方法を形式的、画一的に適用することによって、かえって相続税法や本件通達自体の趣旨に反する結果を招き、実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかであるというような特段の事情があり、かつ、本件通達によらない評価方法が客観的で合理性を有する場合には、本件通達によらない評価方法によることが許されるものと解すべきである」
そこで、形式的な判断基準を適用した事例を紹介し、これに実質的な判断基準を適用した場合には、どのような結果になるかを検討してみよう。
形式的な判断基準を適用した事例を紹介しよう。東京地方裁判所平成7年(行ウ)第42号相続税更正処分取消等請求事件(平成8年12月13日判決 税務訴訟資料第221号879頁)である(注5)。
原告は約7.40%の株式を所有することになったが、その他の株式(約70%)は、原告から5親等の距離にある会社代表者とその関係者(代表者の家族など)が所有している。
このような事件について、原告は、「6親等の血族に血縁の力を認めようとするのは、時代錯誤的」、中心的な同族株主がいる場合の除外要件を「一律に5%をもって規制することは不合理」、「毎年50円の配当を受ける株式を1株当たり1万6743円の評価で相続し、その相続のために1株当たり8125円の相続税を負担するという不合理」と主張した。
これに対し、裁判所は、「評価通達188が規定するところは、一般的には、民法上の親族に対しては影響力を及ぼし得ることを前提として、親族を含む同族関係者の持株数を合算した株式割合をもって会社経営に実質的支配力を有する同族グループを認定し、あわせて、かかる同族株主以外の者が取得した株式については、特例的評価方式である配当還元方式を採用しようとするものであって、このこと自体を不当というべきものとは解されない」「評価通達が行政の公平を担保する一般的基準であることをも考慮すれば、原告の主張する事情があるとしても、評価通達によることを違法ならしめるものということは困難である」と判断し、原告の請求を棄却している。
この事案は、上記に指摘した形式的な判断基準を適用した典型事例であるが、これに実質的な判断基準を適用したらどのような判決になるだろう。一つ、判決とやらを書いてみようと思う。
「通達に定められた評価方法を画一的に適用するという形式的な平等を貫くことが、右評価通達の趣旨を没却するだけでなく、実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかな特別の事情がある場合には、他の合理的な時価の評価方法によることが許されると解する」との判断基準である。充分に説得力を持った判決が書けるはずである。つまり、次のような判決である。
課税庁は、「評価通達が行政の公平を担保する一般的基準である」と主張するが、「通達による画一的な評価の趣旨からするとこの評価方法を形式的、画一的に適用することによって、かえって相続税法や本件通達自体の趣旨に反する結果を招き、実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかであるというような特段の事情があり、かつ、本件通達によらない評価方法が客観的で合理性を有する場合には、本件通達によらない評価方法によることが許されるものと解すべきである」。
本件においては、原告から5親等の距離にある会社代表者及びその家族が発行済み株式の約70%を所有し、その一族をもって会社は経営され、原告及び原告の家族は会社の経営に関与していない。原告の祖父亡上山英三が昭和56年11月29日まで非常勤取締役をしていたとの事実はあるが、同人の死亡後、同人の妻及び子孫の中から訴外会社の役員に就任した者はいないことからすれば、今後、原告又はその家族が会社の経営に参画することがあるとは想定できない。
会社の現状の経営状態及び資産の状況からすれば、近い将来において会社が解散し、残余財産の分配などが行われる可能性もなく、したがって、原告が本件株式を相続したことにより受ける利益は、今後、年1割の配当を受け続けるとの利益のみに尽きると考えるのが現実的な予想である。
このような予想ができる本件において、仮に、純資産方式をもって株式を評価し、1株当たり8125円の相続税を負担させれば、これを年50円の配当をもって回収するのには162年を要することになる(利息を考えれば永久に回収できない)が、これが不合理であることは誰の目にも明らかである。
相続税法22条は時価をもって相続財産を評価することにしており、このような株式について、はたして市場において取り引きが成立するものか、仮に、取り引きが成立した場合においてはどのような価額が成立するのかを判断することは非常に難しいが、財産評価基本通達が、配当期待権しか持たない株式については配当還元価格を採用することにしている趣旨から判断すれば、本件のように配当しか期待できない株式については、これを配当還元価格をもって評価するのが正当と理解することが出来る。
以上の通り、納税者の主張には理由があるので、課税処分を取り消し……。
もう一つ、形式的な判断基準を適用した判決を紹介してみよう。東京地裁平成10年(行ウ)第26号通知処分取消請求事件(平成12年2月16日判決)である。
課税庁は、本件土地について、路線価に奥行価格補正、不整形地補正などを行った上、さらに、無道路地として、「接道義務を充足するために必要な不足土地の購入費用を控除する」との方法(財産評価通達20−2)での減額を行って本件土地を4億9867万円と評価した。
原告は次のように反論した。「建物を建築することのできない間口2メートル未満の土地の経済価値は当然に大きく下落する。実際、取引市場では、同じく間口が狭い土地であっても、間口が2メートル確保されてない土地はそうでない土地の取引価格の半値ほどであり」、接道義務を充足するために必要な不足土地の購入費用を控除するとの「評価方法を肯定するとしても、評価時点では、不足土地をその所有者から路線価評価額で購入することが確定しておらず、また、現実には買うことのできる確率が極めて低い」のであり、「不動産鑑定評価によれば、本件土地の時価は2億9400万円で……被告主張の評価額は、その2倍に近い水準にある」。
これに対し、裁判所は、「本件情報は……課税の公平・簡素化のためにとりまとめられたものであり」「不足土地の購入を想定することが社会通念上不可能な場合を想定しているとは解されないこと」、「相続税の路線価が、評価の安全性の観点から、地価公示価格と同水準の価格の8割を目途に低目に評定されていること」などを掲げ、「被告が本件相続土地について前記の算定方法を用いることが右評価誤差の許容範囲を超えて不合理であるとは認められない」と、原告の請求を棄却している。
これは、通達以前の資料、つまり、平成4年3月3日付け「資産評価企画官情報」を前提として形式的な判断を行った事例と分類できると思うが、これについて実質的な判断基準を適用したらどのような判決になるだろう。さらにもう一つ、判決を書いてみようと思う。
接道義務を充たさない土地については建物の建築が禁止されることになるが、このような土地は、隣接地の所有者が購入するなどの例外的な場合を除き、ほとんど取り引きが成立していないのが不動産取り引きの実態であり、このような土地は銀行融資についての担保としても不適格なことは周知の事実である。仮に、このような土地を購入した場合においては、これを利用しようと思えば、隣接地から私道部分を購入するとの交渉が必要になるが、これが相当に困難なことは、現実に、本件土地が接道義務を充たさない土地として現存していることからも明らかである。
課税庁が主張する不足土地の買収を想定する方法(財産評価通達20−2)については、実際上は、現在の利用状況などから隣地に不足土地を供出する余裕がない場合が多く、常にすべての場合に不足土地の買収が可能なわけではない。隣地所有者が不足土地のみの部分的な買収の申込みについて、必ず客観的な時価によってこれに応ずるともいい難く、不足土地の買収価格を路線価によって評価し、これを控除する方法によることは、そのような買収が可能であることを課税庁が立証した特段の事情がある場合を除き、接道義務を充足していない土地の客観的時価を算定する方法として合理性を欠くものである。
「評価通達が行政の公平を担保する一般的基準であることをも考慮」したとしても、本件のような特別の事情がある土地についてまで、一律な評価方法を採用することが正しいとは断言できず、住宅地でありながら、建物の建築が不可能との事情のある本件土地について、通達による「評価方法を形式的、画一的に適用することによって、かえって相続税法や本件通達自体の趣旨に反する結果を招き、実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかであ」り、「本件通達によらない評価方法によることが許されるものと解すべきである」。
そもそも、相続税法22条は時価をもって相続財産を評価することにしているのであり、その基準として国税庁の通達が利用できるのは、一般的な評価が可能な土地に限るのであって、このような基準をもって本件のような特別の事情のある土地の評価が可能だとは考えられない。
そこで、本件土地の時価を求める必要があるが、この点について、課税庁は何らの主張もせず、本件土地の時価を算定するに必要な証拠を提出しない。そこで、本法廷に提出された原告(納税者)提出の鑑定書を唯一の時価算定の資料として本件土地の時価を算定すれば……。
以上の通り、納税者の主張には理由があるので、課税処分を取り消し……。
逆に、実質的な判断基準を適用した事例を紹介しよう。神戸地裁平成10年(行ウ)第23号相続税更正処分等取消請求事件(平成11年12月13日判決)である。
納税者は次のように主張した。「本件相続等開始当時(平成5年3月25日)の評価基本通達は、取引相場のない株式等の評価について、評価差額の発生原因のいかんにかかわらず、評価差額に対する法人税額等相当額の控除を1度だけは行うことを認めており」「評価基本通達に明文で示され」「否定する公式見解は存在」せず、「本件出資について法人税額等相当額の控除を受けられることに対する原告らの信頼は法的に保護されるべき」であるのに、「右見解に反して、法人税額等相当額の控除をせずに評価を行った本件各更正処分は、信義則に反し違法である」「被告は、平成6年6月27日付改正前の評価基本通達が適用されるべき本件相続等について、平成6年8月1日以後の相続等に適用されるべき改正通達を原告らに不利益に遡及して適用したものである」から、本件各更正処分は取り消されるべきである。
これに対し、裁判所は、「しかしながら、評価基本通達が定める評価方式によって画一的に評価することとする趣旨が、右のようにその方が納税者間の公平、課税事務の便宜という観点から合理的であるという理由に基づくものであることに照らすと、評価基本通達に定める評価方式を画一的に適用するという形式的な平等を貫くことによって、富の再配分機能を通じて経済的平等を実現するという相続税法の目的に反し、かえって、実質的な租税負担の公平を著しく害することとなることが明らかである等の特別な事情がある場合には、例外的に他の評価方式によることが許されるものと解すべきである」と、原告の請求を棄却している。
この事案は、実質的な判断基準を適用した典型事例であるが、これに形式的な判断基準を適用したらどのような判決になるだろう。更に、もう一つ、判決を書いてみようと思う。
財産の客観的交換価値とはいっても、一義的に確定されるものではなく、その評価は必ずしも容易ではないところ、課税実務においては、評価基本通達に定める評価方式によって画一的に評価することとされているが、これは、一定の評価方式を定めることなく相続財産の客観的交換価値をその都度個別に評価する方法によると、その採用する評価方式が異なることにより納税者間で財産の評価がまちまちになることは避け難いし、課税事務の迅速な処理が困難になるおそれがあることなどのため、予め定められた評価方式によって画一的に評価する方が納税者間の公平、課税事務の便宜という観点から合理的であるという理由に基づくものと解される。
A1及びA2が有限会社上重の出資を取得した当時、A1は満77歳と高齢であり、その約1年後には死亡していること、有限会社ムク設立の際、14億5900万円もの借入金等を原資として取得した有限会社上重の出資145口のうち144口を、90万円という著しく低額で受け入れるという現物出資を行って、あえて、有限会社上重と本店所在地、目的及び役員構成を全く同じくする有限会社ムクを設立していることからすれば、相続税の節税を意図し、本件行為を行ったことが窺われるが、しかし、本件相続の開始当時(平成5年3月25日)の評価基本通達が、評価差額の発生原因のいかんにかかわらず、評価差額に対する法人税額等相当額の控除を認めていたことからすれば、そこに節税の意図が存在した場合に限って評価通達の適用を否定するとの恣意的な課税を行うことは妥当ではなく、「評価通達が行政の公平を担保する一般的基準であることをも考慮すれば、被告の主張する事情があるとしても、評価通達によることを違法ならしめるものということは困難である」。
以上の通り、納税者の主張には理由があるので、課税処分を取り消し……。
残念ながら、形式的な判断基準によって作成した判決は説得力を持つには至らなかった。しかし、それを批判するのであれば、配当しかもらえない株式の評価、あるいは家が建てられない土地の評価について、裁判所が論じた理屈も、とても説得力があるとは思えない。
税務訴訟の納税者側の勝訴率が異常に低いことの理由を探してみたが、これは私だけの思いであり、あるいは私の理解は間違っているのかもしれない。しかし、上記のような理解が、仮に、一部でも真実だとしたら、裁判所は、なぜ、判断基準を使い分けてまで、国側勝訴の判決を書きたがるのだろうか。
これは、やはり、官僚裁判官制度の弊害ではないかと思う。前例に従い、現状を維持し、目立ったことはしないのが公務員としての生きる道である。陪審制の採用が叫ばれているが、税務訴訟のような国と国民との権利関係が争われる事件こそ、陪審制に向く訴訟なのではないだろうか。陪審員であれば、配当しかもらえない株式の評価、あるいは家が建てられない土地の評価について、生活実感に基づく判断をすることができると思うからである。
注1 国税庁のホームページの「統計・発表資料」(http://www.nta.go.jp/category/press/press/92/01.htm)
注2 最高裁のホームページの司法統計(http://courtdomino2.courts.go.jp/toukei5.nsf/ViewCharts?OpenView)。ただ、残念ながら、ホームページの資料は要旨であり、詳細は書籍版を調べる必要がある。
注3 日本弁護士連合会の平成11年11月19日付「司法改革実現に向けての基本的提言」(http://www.nichibenren.or.jp/sihokai/12.5shitsu.htm)が人事交流を批判している。
注4 日本弁護士連合会の平成12年9月15日付「税務訴訟における裁判所調査官制度の見直しを求める意見書」(http://www.nichibenren.or.jp/sengen/iken/0012-02.htm)が、調査官制度の内容を詳細に論じている。
注5 判決の入手は税理士情報ネットワークシステム(http://www.zei.or.jp/imart/index.html)。
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