草野真一 講談社 2017/12/26 パソコンを利用するメールシステムと、 スマホを利用するメールシステムの違いを知りたかったのですが、 それは解説してなかった。 パソコンを利用するメールシステムは、 パソコン自体がプロバイダーにメールを受け取りに行く。 つまり、パソコンの所在地を監視する必要がない。 しかし、スマホを利用するメール(電話)システムは、 マザーコンピューターがスマホの所在地を認識している必要がある。 私が東京にいるのか、パリにいるのかを認識しなければ電話を送り込めない。 パソコンとスマホシステムの比較という、 当たり前の情報の解説が存在しないのは、 著者が時代に遅れてしまっているのか、失念したのか。 P131 パケットの大きさは、ネットワークの種類によって決まっています。家庭や会社などでよく使われるイーサネットという規格では、1つのパケットが1500バイト以内と定められています。したがって、これより大きなデータはパケットに分割されます。400字詰め原稿用紙に日本語をぴっちり敷き詰めたときのデータ量が800バイトですから、単純計算で原稿用紙2枚になれば、パケットに分割する必要があります。 P145 なお、IPアドレスは特別な設定をしないかぎり一定の時間が経つと変更されるようになっています。その方がセキュリティ上望ましいというのが主な理由です。203.216.243.240はいつまでもyahoo.co.jpを表すわけではありません。 |
脇谷みどり(障害のある娘を持つ普通の主婦) 鳳書院 2017/12/25 どんな切っ掛けで注文したのか、 それも忘れてしまったamazon本。 著者の個性が表れた良い文章でした。 毎月に発行される「風のような手紙」 P64 おじぎ草のこと おじぎ草を買ってきた。鉢植えにしようとしてトゲに刺された。 「お〜、何というガードの堅さだ!」 少しさわっただけで、そのへんの葉っぱが閉じる。家に持って帰るために、折れてしまった若い枝をブチッとちぎったら、全部ぜ〜んぶの葉が「いたあ〜」と言わんばかりに閉じた。 「お前、なんと賢いの。折れたままほっといたら枯れるんだから、しょうがないんだから」と、おじぎ草に向かって説得などしてしまった。そうしたら、納得して開くのではないかと思ったが、そこまでは賢くはなかった。 とにかく100円でおもしろい子を手に入れた。毎朝、ほめそやしてどうなるか見てみよう。 P87 郵便屋さん、ありがとう 便りが、いつも送っている先から「住所にこの方はいません。配達不能」と送り返されてきた。住所はパソコンのなかにある記録を打ち出しているので、いつもといっしょだが……。ということは、引っ越したのかと電話してみると、ちゃんといた。 便りが返ってきたことを伝えると、住所がずっとまちがっていた。 「1丁目−19」が「19−1」だった。郵便屋さんが気を利かせて、まちがっているのに配達してくれていたのだろう、9年も。それで配達の人が変わったので、戻ってきたのだ。 |
勢古浩爾(1006年に退職) SB新書 2017/12/25 定年退職後の生活について解説する 多数の書籍を無意味と切り捨てます。 それら書籍に語られるのは、 生きがいバカ、健康バカ、終活バカだと。 老後の準備を語る人達をバッサリと切り捨てる。 しかし、 著者の主張は全て矛盾します。 自分では、 これだけの文章が書けて、 それを出版社が採用し、出版できる。 つまりは、 老後対策本を腐すという生活を築いている。 著者が腐す「老後対策本」と同様に、 著者が語る「老後対策不要本」も、 「老後の不安を商品化する」という 無価値、無内容のものであることは同種。 そうであるなら 著者自身の生活を 客観視できていない本書を読むより、 「定年対策本」の方が建設的です。 他人の年金支給額を知ったところで意味は無いと論じるが、 しかし、他人と比較しなければ生きていけないのが現実。 他人を知り、自分を位置付けることが無意味とは思えません。 いや、私は、定年退職の無い生活をしてますし、 経済的にも、多様な意味でも、定年退職の心配とは無縁で、 定年退職をする人達に比較しての我が身の幸福を素直に喜んでます。 しかし、定年退職する人達に、私のように生活しろとは論じません。 第1章 定年バカに惑わされるな 第2章 お金に焦るバカ 第3章 生きがいバカ 第4章 健康バカ 第5章 社交バカ 第6章 定年不安バカ 第7章 未練バカ 第8章 終活バカ 第9章 人生を全うするだけ P193 おなじ人間だから、他の多くの人と極端にちがうわけではないが、おなじ家で生まれ、おなじ物を食べて育った兄弟にもかならず好みの違いが生じるように、人はそれぞれに違う。わたしの定年後の生活は、わたしだけに固有な定年後の生活である。そしてそんな固有の定年後の生活は、世界中に人の数だけ無数にあるのである。その「入ひとりには、もちろん共感する心や同情心や義憤がある。しかし、基本的にはピンで自我にとめられている。自我は幾重ものウロコで覆われ、強固である。 形だけもっともらしい正しさや、口先だけの無責任な一般論は、一人ひとりの生活に届かない。そんな柔な一撃は到底一撃たりえず、自我から1枚のウロコも剥がれ落ちない。というのも自我はくだらないウロコを沢山くっつけてはいるが、これが自分であるという必須のウロコもついているからである。それが自分なりの楽しさや、居心地のよさや、自分の好きなこと、つまり自分の「意味」である。他人には無意味でも、だれもが自分だけの大事な「意味」をもって生きているのだ。 P210 だがその片方で、人に誇るべきことはなにもしていないが、それなりに満足して「なにもしていない生活」を送っている多数の人がいて、なにかといえばダメの見本として不当に財められている。わたしは、なんの資格もなく、そんな立場でもないが、そういった、いわば定年後の後衛の人を擁護したいという気持ちがあり、そのことが「なにもしない生活」を強調することになっているのかもしれない。前衛も後衛も「好きなこと」をしているということでは、まったく同等の価値である(社会的評価がちがうのはしかたがない)。 |
落合陽一 大和書房 2017/12/15 iphone以降、 当たり前の社会は無くなってしまいましたが それでも、当たり前の判断から抜けられないのが人々。 そこで、当たり前ではないストレートな分析を語ります。 さて、どのような生き方になるのか。 働く時間、遊ぶ時間、休憩する時間、いや、仕事と趣味が区別されない社会。 宗教や社会を基準として平均化するのではなく、個が主張される社会。 既存の価値観が否定されてしまうことは理解できるが、 では、新しく登場する価値観と社会、それに生き残り策は。 それに備えて、既存の価値観に自分の存在を任せてはならない。 そんな具合だろうか。 P25 先に述べたように、「AIはAIとしての仕事を、人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。 この論調は思考停止に過ぎず、クリエイティブという言葉であやふやに誤魔化すことで、行動の指針をぼやかす。つまり、この論調で語る人は、要するに「何をしたらいいかわからない」、ということであって、これは多くの企業担当者も同様の発言をしやすい。 P32 これまでは24時間のうち、8時間は働いて、8時間は寝て、残りをどう切り分けるかということが一つの考え方だった。しかし今、労働をするために休養で充電を行うのが主となり、その線がなくなってきてしまったので、「その切り分けのない状態で、なるべくストレスなく動くにはどうしたらいいのだろう?」ということがより重要になった。ストレスマネジメントの考え方である。 たとえば、今の時代であれば、1日4回寝てもいい。1日4回寝て、仕事、趣味、仕事、趣味、仕事、趣味で、4時間おきに仕事しても生きていける。仕事か趣味か区別できないことを1日中ずっとやってお金を稼いでいる人も増えてきた。クラウドファンディングで、レジャーと仕事の中間のような行動をして、それで対価をもらっている人も増加している。 そういった時代背景は、グローバル化とインターネット化と通信インフラの整備によって、ワークライフバランスという言葉は崩壊したことを意味している。ワークとライフの関係性は完全に「バランス」ではなくなった。これからは「ワーク“アズ”ライフ」、つまり差別化した人生価値を仕事と仕事以外の両方で生み出し続ける方法を見つけられたものが生き残る時代だ。 |
バーバラ・ストローチ 日本実業出版社 2017/12/14 高齢者には希望を与え、 若者に夢を与える本です。 池谷裕二教授の解説を読むだけでも本書の価値はあります。 勿論、本文の一つ一つの言葉が高齢者に希望を与え、 そのような高齢者になる為に若者に夢を与える。 若者を無知だと思うことがありますが、 それは当然なのだ。 何故なら、 彼らは高齢者ではない。 脳の発達過程にある若者に過ぎない。 「人生に対する満足度は実際には65歳で頂点に達することを発見しました」(109頁)は、まさに、私の実感です。 「年齢は財産」です。 しかし、本書は、全体として冗長です。 池谷教授の解説を読んだことをもって収穫とします。 P1 脳は経年劣化しない――。 これが本書に込められた強いメッセージです。 「中年脳は驚くほど能力があり、意外な才能がある」という、希望にあふれたプロローグの一文ではじまる本書は、読者を「充実した人生は中年にこそある」という結論へと誘います。 50代の先輩が、「年をとるのは案外といいものだよ」と述べていたのを、今でもよく覚えています。当時まだ20歳そこそこだった私は、その言葉を、「君は若くてうらやましいな」という嫉妬心、あるいは、「まだまだ未熟だな」という嫌味だろうと感じました。しかし、50歳を間近に迎えた今になって、その言葉に裏の含意などはなく、実直な発言だったことがよく理解できます。 「中年は人生で最も満たされ、そしてまた最も効率よく脳を使いこなすことができる、人生でも特別な時期である」と、私自身の実感としても、そして脳研究者として科学的な根拠を提示しながらでも、躊躇なく主張することができます。 P3 カルフォルニア大学アーバイン校では、「ヒューマン・モータリティー・データペース」で、寿命について緻密なシミェレーションを行なっています。その結果、2007年に生まれた日本人の半数は107歳まで生きると算出されています。目を疑いたくなるような数字ですが、22世紀の未来の医療技術に守られれば、ありえない話ではありません。となれぼ本書の読者も、相当数の方が100歳まで生きるのではないでしょうか。 つまり、「老後をどうすごすか」は、かつてないほど人生の重要な課題となっています。そして、老後の質を決定づける要因こそが、「中年をどう鍛錬するか」というすごし方になります。 老人は5つのタイプに大別されると、アメリカの心理学者スザンヌ・ライチャード博士は指摘します。 @ 円熟型……自らの老いを自覚しながらも、それによって活動意欲を低下させることがないタイプ。過去の自分を後悔することなく受け入れ、未来に対しても現実的な展望を持っている。スマホのような新しい技術も興味を持って使うことができる。 A 依存型……受身的に、消極的に老いを受け入れるタイプ。後はみなにまかせて、自分はのんびりという具合に、他人に依存しながら「気楽な隠居」であることを求める。スマホのような新しい技術も、それが便利なものであることが理解できれば使うことができる。 B 装甲型……老いへの不安と恐怖から、トレーニングなどを積極的に行ない、若いときの生活水準を守ろうとするタイプ。スマホのような新しい技術も、使いこなせないと恥ずかしいという心理から、受け入れようと努力する。 C 内罰型……過去の人生全体を失敗とみなし、その原因が自分にあると考え、愚痴と後悔を繰り返すタイプ。仕事に一生懸命だった反面、家族をかえりみず、現在は家族から相手にされない高齢者に多く、新しい技術にも適応しようとしない。 D 外罰型……自分の過去のみならず、老化そのものも受け入れることができず、過去を失敗とみなし、その原因を自分ではなく、環境や他者のせいとして責任転嫁するタイプ。不平や不満が多く、周囲に対しても攻撃的にあたり散らす高齢者として他者から親切をされても、それをポジティブには受け入れられない。 P39 P43 P46 P48 P51 P56 P59 P61 P63 P64 |
養老孟司(解剖学) 新潮新書 2017/12/11 「バカの壁」でヒットを出した解剖学者。 私は、「バカの壁」は読んでませんが、 しかし、本書はダメ。 この程度のことしか書いてないのだとしたら、 「バカの壁」もダメ。 何故、ヒットになったのか。 著者の氏名のイメージと、 著者の風貌、経歴なのかもしれない。 いや、読まない本を批判しても仕方が無い。 どこかで「バカの壁」を立ち読みしてみよう。 しかし、本書はダメ。 牧歌的な生命論よりも、 科学も時代も、遙かに先に進んでいる。 P104 意識研究の王道は、意識をさまざまな細かい機能に分割し、それぞれを調べていくことであろう。いわゆる還元論的な方法である。還元論とは、物質は分子からできており、分子は原子から、原子は素粒子からできている、というふうに、より下位の要素の集合として、なにかを説明する方法である。 アルファベットを例にとると、還元論の長所と短所がわかりやすい。DOGと書けば、イヌである。でもDにも、Oにも、Gにもイヌは含まれていない。ところが三つの文字を順序正しくつなぐと、突然イヌになってしまう。その順序を逆にすると、今度はGOD、神様に変身する。 意識が科学的によくわかっていないのは、それを構成する要素が多いために、きちんと整理されていないからである。一つ一つの要素を科学的に調べていけば、いずれは「意識」などという曖昧な言葉は消えてしまうはずだ。たとえば米国の神経内科医であるラマチャンドランは、典型的にその立場をとっている。とりあえずはそう考えておくのが、常識的な立場であろう。科学者の世界にも、通りがいいはずである。 これとは逆の立場をとることもできる。意識がなければ、この本を書くこともできないし、読者が読むこともできない。それだけではない。生きているということは、「意識みたいなはたらき」と根本的に関係しているのではないか。原核生物であれ、真核生物の細胞であれ、それぞれに「意識のもと」みたいなものが、ごく微量かもしれないが、含まれている可能性がないか。こうした立場を汎心論と呼んでもいい。哲学者では、オーストラリアのデーヴイッド・チャーマーズがそうである。 もし意識がすべての基本にあるとするなら、そういう存在を、他のものに依って説明することはできない。それをそのまま認めるしかない。そうした「意識のもと」が特に強く表れるのがヒトの意識である。夢野久作は「考えるのはすべての細胞であり、脳髄は電話の交換局に過ぎない」と述べた。作家の直観である。 |
鹿嶋真弓(理科教師として30年) イースト新社Q 2017/12/05 荒れる公立中学の理科教師の奮闘記。 愛情、工夫、諦めない心でクラスを再建する。 公立中学の現状を知るという意味でも、 素晴らしい先生の存在を知る意味でも良書です。 いや、素晴らしい先生です。 しかし、「大手企業に入社し、自分の好きなこと得意なことではない部署にまわされ定年までその仕事を続けるか、自分の好きなこと得意なことを生かし自己成長しながら歳を重ねるか、あなたはどちらを選びますか?後者を選んだあなたが選ぶ道は2つにひとつ。教師になるか、教師以外の仕事に興味があるならば、自分で好きなこと得意なことを生かしたお仕事ができるように自ら起業するかです」(200頁)と言うほどに、 教師という仕事は独創的なのだろうか。 私が遭遇した教師の大部分は、公務員そのものだった。 P101 究極のエンカウンターは、言葉を介さない非言語によるものです。いまならできる!この学級集団ならきっとできると思い、言葉ではなく握り合う手で相手に気持ちを伝え合う活動をしました。いまの気持ちを言葉にしてしまうと、とても薄っぺらになってしまいそうだったので。仲間へのエール。「がんばってほしい」「合格してほしい」という万感の思いを握手に込めて。握手をした数だけ仲間からエネルギーをもらえるのです。 なにも言わずぎゅっと手を握られた瞬聞、泣きだす子もいました。人は受け取りたい心の声だけ受け取るのです。人に言われるのではなく、自分にとっていちばんほしかった仲間からのエールである心の声を、握った手のぬくもりから自分で創造するのです。最後はクラス全員で手を握って輪になり、仲間からもらったエネルギーを握りしめた手で送り合いながら、輪の中心に大きな大きな“元気玉”を創りました。カいっぱい握りしめた瞬間、私たちには確かに“元気玉”が見えました。 この活動を通して、仲間がいる心強さ、仲間から勇気をもらい乗り越えることができることを知ってもらいたかったのです。私はきっかけをつくることはできますが、そこから先、彼らが成長するためには生徒同士がつながりささえ合うことが必要なのです。 学級集団が成長すると、私が何か言う前に生徒自ら行動できるようになります。クラスで起きた問題も自分たちで解決できるようになります。教師がヒーローになってはいけないのです。生徒一人ひとりが真に主役になること、それが目指すべき学級経営だと思っています。 エンカウンターさえやればいいクラスができるというわけではありません。「エンカウンターは万能ではない」のです。教師がどのような教育観、子ども観をもって生徒と対峙するかが重要なのだと思います。スキルは必要ですが、それに頼りすぎてもいけません。生徒と向き合うことにマニュアルはありませんから。 P108 一生懸命やって何問も解ける生徒もいれば、数問しか答えられない生徒もいます。たいてい勉強が苦手な生徒が解ける問題の配点は低いものが多く、結果、点数も低くなります。そこで、問題ごとの配点をやめて、丸の数が最初の10個までが5点、次の10個までが3点と、だんだん丸の数が増えるごとに1問あたりの点数を下げました。 どうも私は、生徒がわかるまで、自信を持ってできるようになるまで、面倒を見ないと気がすまない性格のようです。なので、小テストでは10点満点中8点で合格。7点以下は再テストをして、合格するまで何度でも行います。7点以下だった生徒は、合格した人の中から教えてほしい人を自分で選びます。選ばれた生徒には「教えることで自分自身の堂びにつながるからラッキーと思って教えてあげてね」と言います。 |
羽田 正 講談社学術文庫 2017/11/29 イギリスの東インド会社の設立が1601年、 オランダの東インド会社の設立は1602年、 株式会社の起源を知りたくて、 本書を読んでます。 読み進めるのが楽しい一冊。 しかし、3日ぐらいは要しそうな密度の濃さです。 P21 17〜18世紀の世界史を描こうとする本書で舞台回しの役目を務めるのは、「東インド会社」である。この会社は、世界における海上交通と商品流通の一体化を背景として創設された。イギリス東インド会社の設立は1601年、オランダ東インド会社は1602年の創設である。他にもフランス、デンマーク、スウェーデン、オーストリアなどの北西ヨーロッパ諸国で同様の会社がすこし遅れて設立された。全体としてみると、これらの会社は17世紀とともに生まれ、18世紀の末から19世紀の初めにはその役割を終えて消滅する。世界の一体化開始とともに登場した東インド会社は、その流れをさらに推し進め、そして一体化が進んだ世界のためにその存在意義を失って消えていった。 P22 従来の研究は、ヨーロッパ各国の東インド会社を単位として行われ、また、アジアの各国ごとに東インド会社との対応が検討されてきた。その主たる研究の枠組みは、例えば、イギリス東インド会社のインド進出、日本とオランダ東インド会社との長崎貿易、イギリス東インド会社がイギリス経済に与えた影響などである。その枠の中の一つ一つの細かいテーマに関してだけでも、残された史料、蓄積された研究の量は半端ではない。これらを総合し一貫した視点で捉えなおさなければ、この200年の世界の歴史は描けない。 |
秦 剛平訳(ユダヤ教学博士) 講談社学術文庫 2017/11/29 七十人訳の聖書(日本語版)がある。 驚きです。 「はしがき」にあるように 一般の聖書は1008年に作られたヘブライ語の写本。 七十人訳は2000年以上の昔にヘブライ語からギリシャ語に翻訳された聖書。 ヨセフスのユダヤ古代史も読むべきだと。 訳者はユダヤ教学者。 全てを疑えと「あとがきに代えて」で論じてます。 この本(訳書)は、 私の一生本になりそうです。 もし、隔離病棟、あるいは刑務所に入ることになったら、 この本を持っていきたい。 P1192 そこで教鞭を執る者の大半はこれまでアメリカ史の中ではたしてきたキリスト教や聖書を全面否定はしないが、それを疑ってみせる。 実際、そこで新約学を担当しているある教授は、学部学生を相手にする最初の授業では、教場に入って来るや、黒板に向かってラテン語で、「すべてについて疑うべし」を意味するDe omnibus dubitandum(デー・オムニブス・ドゥビタンドゥム)と板書し、ついでおもむろに学生たちの方に顔を向けると、「聖書に書かれてあることはすべて疑ってみること」「諸君に教えるわたしの言葉をも疑ってみること」を繰り返し語った後に授業を開始する。 この教授は期末試験が近づくと、図書館の「参考文献」(レファランス・ブックス)へのアクセスを禁じる。実際そうであることは、わたしが教授から直接聞いて確かめている。要するに、最後の最後まで自分の頭で「疑い」、最後の最後まで自分の頭で「考えろ」ということなのである。 P1194 わたしは自分の理解にも突かれると弱い所があることを承知しているが、その弱い所がどこにあるかをも考えてほしい。要するに、本書の読者には、なんでもかんでも「疑って」ほしいのである。さまざまなことを「考えて」欲しいのである。 そして、もちろん、その過程で、聖書とは何なのか、聖書は本当に聖なる文書であるのかどうかをも、教会の教えから自由になって「疑って」ほしいし、また「考えて」みてほしい。その過程で聖書の「解体」が必要と思われれば、それを臆することなく口にしてほしいし、また実行してほしい。 |
花田優一(靴職人) 主婦と生活社 2017/11/28 良い本です。 安定、安住、安心に住むことを 最優先の目標にする日本の現状に対して、 大きな刺激を与える著者の生き方です。 生き方のシャープさと それを表現する執筆力。 私には、とても選択できない生き方ですし、 親として、とても選択できない子育てです。 なぜ、 このような生き方、 育て方が可能なのか。 著者の強さなのか、 ご両親の強さなのか、 これから先、職人は「夢」を売る仕事になっているはずだ(140頁)。 凄いと思う。 P8 そこについては、申し訳ないけれど約束ができない。だけれど、僕は僕なりに、苦さも辛さ悔しさも味わいながら迷いながら歩いてきた。歩いて歩いて、自分で決断して、迷いを踏み越えてきた。その自信だけはある。 中学を卒業し、家を出よう、日本を出よう、と決めた時も。 イタリアへ渡って靴職人になろうと決めた時も。 僕は、「生きる」「人生を歩く」ということに、誰よりも真剣に向き合ってきた。 P23 極論を言えば、仕事や職業というものは、人間を鍛え上げるトレーニングの道具にしかすぎない。どんな仕事であっても、人間として美しく生きて、そこで自分の生き様さえ魅せることができるのであれば、それがすべてだ。 P38 本来、経営とは何か。 僕なりの考えを言えば、それは、自分の隣にいる人間を動かす力、だ。 自分の隣にいるひとりの人間をとことん満足させたら、その人が自分の代わりに動いてくれる。次は目の前にいる10人が動いてくれる。10人が僕の意を理解してくれていれば、勝手に1000人が、1万人だって動いてくれる。 信念にも似た強い思いで人を動かす――それが経営ということの本質だと思う。 それであれば、なにも大学で勉強する必要なんてない。 毎日の生活の中で、きっと手に入れられるはずのものだ。 そもそも、強い信念を持っている人間が、経営学の教科書を参考にすることはあるかもしれないが頭に叩き込んでそれ通りに行動しているはずがない。そうやって偉大な経営者になっていったはずはない。教科書は、すでに誰かが考えた過去のアイデアでしかないからだ。 もしも、人生に成功というものがあるとするならば、自分の頭で考えて、もがき苦しみながら誰もやってないことに向かって、試行錯誤しながら登りつめていくこと。それしかない。行動することしかない。少なくとも、クーラーの効いた大教室で講義を受けることじゃない。 人生の貴重な時間は限られている。それをムダにはできない――。 |
渡邉 泉 講談社学術文庫 2017/11/28 学者の本ですから、 面白いはずはないのですが、 複式簿記の起源を説明してるのなら読んでみたい。 面白くない方は当たり、 起源が分かる方は外れ。 P29 そこでは、収入と支出を記録したメモ帳ないしは日記帳と、現在の現金元帳に該当する帳簿もつけられていたと言われています。この簿記法には、費用や収益といった名目勘定はなく、今日の資本勘定と損益勘定を一緒にした主人(資本主)勘定が用いられ、他人にお金を貸し付けた時は、主人勘定が貸主になりその勘定の貸方に記帳し、お金を借りた人は借主になるためその人の名前の勘定の借方に記帳するという複式記帳がなされていたというのです。証拠記録として最も重視されたのが現金収支を記録した現金出納帳と顧客相手を記載した帳簿であったと言われています。 P35 前者は、地中海貿易での一航海ごとの成果(損益)を財産法(有高計算)によって実地棚卸で利益計算し、それを分配した記録です。後者も、当座組合の清算に際しての利益分配の記録で、出資した組合員と実際に航海に出た組合員と3対1の比率で分配しています。この清算記録以外にも、分配利益の計算のもとになっている6頁の公証人の記録が残っています。 P40 所得税が最初に登場するのはナポレオン戦争(1796−1815)の戦費調達のために制定された1799年のイギリスが最初です。当時の税率は10%で、定着するのは1842年ですから、いつの時代でも新たな税金を施行するのには、反発を最小限にとどめるために多くの時間が必要とされたのでしょう。最初の会社法制定の2年前のことでした。イタリアでは意外と遅く、1864年のことです。1861年に南北戦争(1861−1865)の戦費調達のために導入したアメリカよりもさらに遅かったようです。日本で導入されたのは、明治20年(1887)のことで、導入当初は、高額所得者(当時の所得で300円以上)に課せられた一種の名誉税のようなものであったと言われています。 |
湯川久子(弁護士) サンマーク出版 2017/11/27 90歳の現役弁護士の一冊。 私も、 相当の経験者ですが、 しかし、90歳の現役弁護士には、 経験も、生き方も、人生感も負ける。 読んでみよう。 いや、ダメでした。 弁護士の生活を、 私は知っている。 つまり、 新たな収穫は ありませんでした。 女性で、 地方の弁護士で、 必然的に、 家庭内の紛争を多く 扱うことになった弁護士。 その弁護士が生き方を語る。 その結果は次の引用部分です。 正しい意見ですが、 当たり前の意見。 それ以上の存在ではない。 90歳でも、 弁護士として 現役として仕事ができるし、 現実に仕事をしている弁護士がいる。 それが唯一の収穫でした、 私の生活でも、 90歳までの現職を想定すべきか。 弁護士という 平穏とは相反する仕事で 90歳まで現職を務めたのなら、 私の平穏な業務であれば 90歳までの現職は可能だろう。 いや、しかし、 90歳を想定すべきではなく、 明日、明後日、来月の成長に努力しよう。 90歳の現職よりも、 明日の成長の方が、よほど価値がある。 P1 この本で私がご提案したいと思うのは、ほどよく距離を置くという心がけ。それは、自分の夫や妻、子どもや、嫁、婿に対して。そしてご近所さんや、長年の友人に対しても。自分が思っているよりもう半歩だけ、ちょっと距離を置いてみると、いつもより少し、やさしい自分になれるような気がするのです。 P37 また、裁判にしても、最高裁まで持ち込んで争ったとしても、結果は、最初に「このくらいの線で終結するだろう」と経験を積んだ弁護士が提示した内容以上のものにはならないことがほとんどです。 P56 なぜなら、人の心において、正しさは人の数だけ存在し、真実も、その正しさの定規によって、人それぞれ違って見えるからです。 |
全国ひきこもり当事者連合会 三軒茶屋編集局 2017/11/27 「ひきこもり新聞」というモノがあるのを知った。 最新4号ほどをネット購入してみたが、 私の知らない世界が奥深く書かれていた。 子育ては最大のリスクです、 いや、子どもにとって親は最大のリスク。 このような現実が、 我が家で発生しなかったことを喜ぶと共に、 このような現実が存在することに恐怖を感じる。 仮に、正常化(?)したとしても、 自分の暗い生活史と、 家族の貴重な時間は回復されない。 精神分析医のどんな良書よりも、 当事者が語る生活史は深く、重く、切ない。 4面 病んでいたのは、2つの精神疾患であった。1つは、今もときどき遊びにくるうつ病で、しぶしぶ交際中である。もう1つは、37歳までの私の日々をほぼ支配していた強迫性障害であった。 不潔強迫、確認強迫、理由強迫。いろいろな形で症状に出ていたが、突き詰めていくと、どの症状も同じ根につながっていた。根とは「母の死」を連想させる不吉な観念である。それに行き当たるたび、私は頭を前後に激しく振って、お祓いのような儀式を遂行し、観念を否定しなければ気が済まなかった。人工的に軽い脳震盈を起こすことで、意識がすうっと遠のき、不吉な観念が消えたことになるのである。強迫は、私が1人だけで信じている迷妄な新興宗教であった。 人前でそんなことをやっていると、「頭がおかしいと思われる」。いや、「おかしい人であるとバレてしまう」。だから、ふだんの社会生活では、そんな症状などまったくないかのように、けんめいに正常な人を演じていた。しかし、周囲に人がいなくなると、飢えた人がなりふり構わず食べ物にかぶりつくように、たちまち強迫行動を始めるのである。「面倒くさい。バカバカしい」と思っていても、やめられない。 そんなことをやっていたので、毎日、健常な人の8倍のエネルギーを使って生きていた。8倍という数字は、何かで測ったわけではないが、リアルな実感である。10倍まではいかないが、かなり大変だったというわけだ。 強迫はどこから来ているのか。解明したいと思いながらも、日常に流され、突き詰める時間を持てないままに、歳月ばかりが過ぎていった。 |
河本敏浩(医学部予備校経営) 光文社新書 2017/11/22 医学部の入試を語ります。 今、医学部がブームです。 本書も多様な理由を語りますが、 私は、司法試験がダメになってしまったことに大きな理由があると思います。 「難しいから挑戦する」 それが司法試験の受験の動機ですが、 文系学部に、その目標が無くなってしまった。 そしたら「難しいから挑戦する」のは医学部です。 国立なのか、私立なのか、家庭の環境なのか、才能なのか。 現役合格か、一浪、二浪合格か。 受験の現場を知る著者の視点は読み応えがあります。 P25 そもそも「新設医学部」には、「1970年代から1990年代にかけてならば、「普通」以下の学力の受験生でも合格することが可能だった。例えば、かつて金沢医科大学、愛知医科大学、藤田保健衛生大学の偏差値は50以下だった。 こういった「新設医学部」に入学することは、高額な学費を支払うことができ、かつ保護者が「新設医学部」であっても構わない、と容認した場合のみに成立する。当然のことながら、この条件を満たす受験生は、当時はそれほど多くなかった。そしてこの条件こそが、現在もなお残る「私立医学部学生=勉強のできないお金持ちの子弟」の源流だと言える。 しかし現在の私立医学部の様相は、当時とは全く異なる。国公立大学は相変わらず難関だが、私立大学もそれに追随するほど難化し、その勢いは今なお止まることがない。 P130 医学部の世界に縁のない一般の人々は、私立医学部の志望者は「お金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃん」だと考える傾向が強い。確かに彼・彼女らは、富裕層の子供たちだ。しかし、一昔前の受験の世界とは大きく異なり、甘えた考えを持ち続けていたら何年も浪人し、出口の見えない人生を送ることになる。むしろ厳しい勉強を重ねながら、それでも浪人という現実に直面している受験生の方が圧倒的に多い。 もちろん「医学部なんて目指さない」と親や親族に宣言する強い気持ちを持つ子供もいる。本当は嫌だが親のために医学部を目指している、という受験生は、早い段階で医学部受験の世界から退場し、自分の世界を見出していく。嫌々であっても、年を重ねて勉強すればいずれ合格できるという甘い見通しは成立しえない。そもそも嫌々ながら勉強しても、成績など上がるはずもない。 逆に言えば、浪人が当然で、三浪、四浪すら珍しくない厳しい受験の世界に身を置く者たちは、その大半が、医学部入学を熱望し、(自分なりに)熱心に勉強を重ねる努力家たちだ。地方出身ならば、県下のトップ校、都市部出身ならば、私立中高一貫校の在籍者たちであり、中学入試、高校入試ではそれなりの結果を残した者ばかりである。 P131 データを発表している私立医学部の中で、合格者のうち、三浪以上が占める割合は、東海大学で30%、久留米大学で40%である(共に2015年度入試)。そこにあるのは、富裕層の優雅な闘いではなく、親族の期待を一身に背負った、自尊心をかけた闘いであると言ってよい。 P87 P92 P110 P122 |
久米 宏 世界文化社 2017/11/16 マスコミ人の特有の 自慢話しが続くのかと思ったのですが、 仕事を深く掘り下げて自分のスタイルを作った 真面目な話しが語られているようです。 ちょっと楽しみな一冊です。 文章が早くて読みやすい。 私の文章も早いのですが、 私以上に早い文章を初めて読みました。 この早さで330頁を語るのだから凄い。 文章の早さ。 この本を読むと、 その意味が分かると思います。 モノを作り出すと言うこと マスコミとしての原理原則 自分自身のオリジナリティ この3つがテーマです。 P39 しかも僕は子どものころから恐ろしく早口だった。これには多分、小学3年までを過ごした東京・品川の土地柄が関係している。宿場町、漁師町、色街だった品川の言葉は、下町言葉よりも乱暴で早口だった。漁師の息子たちと遊んでいた幼いころの僕には、自然とその品川弁が入っていった。それに加えて、繰り返し聞いた志ん生の語り口と息継ぎ、間の感覚。 P69 萩本さんは僕より3つ歳上だが、すでに見上げるばかりの巨匠だった。ところが、ご本人はちっとも偉ぶったところがない。相手が若いタレントであろうと素人さんであろうと、まったく分け隔てなく接する。それどころか、スタッフルームで世間話をするときも、生放送の本番のときも、立ち居ふるまいや表情がまったく変わらなかった。 「じゃあ始めましょうかねえ」と本番に入り、そのまま終わる。反省会をして「じゃあね」と帰って行く。本番だからといって、話し方や顔つきを変えるわけではない。それは驚きの発見だった。 P95 世間は黒柳徹子さんのことを早口でおしゃべりの”天然キャラ”だと思っているかもしれない。でも僕が彼女をひと言で表すならば「健康な努力家」。まず体がとても丈夫。そして実は地道な努力家だ。そのことはあまり知られていないと思う。 黒柳さんはできる限りの準備をしてから本番に臨む。いつも手のひらに入るほどの小さなカードにびっしりメモを記し、本番中はそれを確認しながら司会をしていた。どんな仕事にも手を抜かずに全力投球し、そのための努力は睡眠を削ってでもする。 P113 P127 P128 P131 P134 P177 P204 P215 P216 P223 P235 P236 P237 P240 P302 P304 P314 |
清武 英利 講談社 2017/11/15 山一証券の倒産で 全国に散っていった モトヤマの社員達のその後。 サラリーマンになった方々、 会社を興した方々、自営業になった方々。 あの当時の一流会社勤務の人達ですから、 皆さん、良い学歴、愛社精神、優秀な人達。 進路について統一的な把握はできませんが、 その一つ一つが各人の人生なのですから切ないです。 一つの会社に一生について務める時代。 その時代の会社の倒産は重いものでした。 さて、 本書から何を学ぶか。 深い人生を語る人達もいて、 そうでない人達もいる。 いや、もっと深い人生を語れても良いと思います。 しかし、各人1頁から3頁の分量ですから、 ま、この程度の表現が限界だと思います。 サラリーマンの人生の顛末でもあります。 P150 知ってる人が色々出てきます。人間模様そのもので、いかにして営業マンが追い込まれ、事故を起こし、お客とトラブルになり、会社が裏側で何億円という補填を顧客に行うことになったか、と。報告書には「懲戒解雇相当」というようなコメントが付いてくる。3年ちょっと人事部にいて、いくつ読んだことか。50件や100件じゃない。 それぐらい証券現場は事故だらけでした。お客の資産をダマテン(黙転)する。黙って売買し、それで損が出てお客とトラブルになる。これは典型でした。それだけではなく、お客のお金を持ち逃げしたり横領したりというケースも少なくなかったし、色んな理由でもっとお客が莫大な損をして、これが営業マンの方に責任があってお客には何ら責任がないようなケースもありました。 証券マンがそこまで追い込まれる背景に、強力なノルマ営業がある。失踪した人、自殺した人……枚挙にいとまがないと言っても過言ではないぐらい悲惨な状況にあった。(事故を起こした)支店の営業マンは全員厳しく処罰を受けました。 |
仲島幹朗(司法書士) 文芸社 2017/11/14 100件の成年後見人を担当した司法書士が、 批判的に、成年後見の実態を語る書です。 自分を成年後見人という「寄生虫」と語る。 そのような斜めの視点で物事を見られる方の書は良いはずだ。 読み始めですが、 楽しみな一冊です。 うーん、ダメですね。 他の成年後見人の悪口を言っているだけ。 カネを取るだけだ、面会にも来ないと。 自分がボケそうなときにどうするか。 どのような制度を利用すれば良いか。 そんなことは教えてくれてはいない。 人間がボケてしまう現実。 ぼけ老人の人生を背負うこと。 他人をカネで雇うことのコスト、 そのようなことの専門家の不存在、 法廷と登記の専門家に任せる不合理。 要するに、 成年後見制度は、 やむを得ざる制度であって、 解決策を提供しているわけではないのだ。 P6 平成27年の第三者後見人の選任数は、弁護士が8000件、司法書士が9442件、社会福祉士が3725件で、この三者だけで実に親族後見人も含めた全体の60.6パーセントを占めている。親族以外の者が成年後見人等に選任された割合、つまり第三者後見人の割合は、全体の70.1パーセントとなっているから、この三者だけでほぼ独占状態にあると言ってもいいだろう。うち、弁護士、司法書士だけでも全体の50パーセントにもなる。 P7 家族はそれに対して現行法上、原則、有効に文句を言う道さえ閉ざされている。天の声たる裁判所のお決めになることとして諦めざるをえない。選任されて7年この方、被後見人ご本人に3回しか会っていないという、ある意味ものすごい司法書士もいたと、実際、家族から聞いたこともある。それでも彼らは毎年、報酬をもらうため家庭裁判所に「報酬付与の申立」をして、しっかり数十万円の現金をご本人の資産から手にしている。 極端に言えば、平和に暮らしてきた家族の中に、認知症という歓迎せざる病とともに、ある日突然、本人のことを全く知らない、知ろうともしない赤の他人が入ってきて、偉そうに引っかき回した挙げ句、報酬だけはぶんどっていく。家族から見てみれば、権利擁護を口にして、その実、満足に働きもしない「寄生虫」としか思われないような後見人の存在がいまいましい。 実はこういう私自身も「寄生虫」である。この制度が始まった平成20年以来、法定後見、任意後見含めて百数十人の高齢者、障碍者の成年後見人をしてきた筋金入りの寄生虫である。 P18 「成年後見人が、通常の後見事務を行った場合の報酬(これを「基本報酬」と呼びます)のめやすとなる額は、月額2万円で、ただし、管理財産額(預貯金及び有価証券等の流動資産の合計額)が高額な場合には、財産管理事務が複雑,困難になる場合が多いので、管理財産額が1000万円を超え5000万円以下の場合には基本報酬額を月額3万円〜4万円、管理財産額が5000万円を超える場合には基本報酬額を月額5万円〜6万円とします。なお、保佐人、補助人も同様です」とある。 家族間も円満でみんなで判断能力が十分でなくなったご本人の幸せを考えて生活していても、たまたま遺産分割などという不可抗力的なことが起こったためやむをえず、成年後見制度を使ったら、偉い「先生」が後見人としてやってきて本人が亡くなるまでずっとこの報酬を取り続けることになる。 P43 この「高齢者を支える会」というのは、一部の目先の利く司法書Lが、本来の独占業務である登記案件が減少していく状況下で、平成12年に誕生した現在の成年後見制度に目をつけて、自らが高齢者等を支える担い手たらんとする「崇高な理想」のもと、他士業に先駆けて、平成11年12月に創設されたものである。 P34 |
牧田善二(糖尿病専門医) ダイヤモンド社 2017/11/14 カロリー制限が必要 脂肪のある食材は太る 筋肉を付けて基礎代謝を高める そのような常識を否定し、正しい健康食を教えます。 私は「果物は健康に良い」という思い込みで生活してましたが、 数年前に「果糖は脂肪肝の原因」と教えられました。 その後の食生活は、 特に、意識しているわけではないのですが、 本書が語る内容とほとんど一致してます。 砂糖と小麦粉の菓子は食べない(ほとんどの菓子類) コーラなどの砂糖水は飲まない(ほとんどの飲料水) コーヒ、ナッツ、チーズ、ブルベリーを常食します。 新しい常識1 糖質が太る唯一の原因 新しい常識2 カロリーと肥満は関係ない 新しい常識3 脂肪は食べても太らない 新しい常識4 コレステロール値は食事では変わらない 新しい常識5 プロテインやアミノ酸は腎臓を壊す 新しい常識6 ちょこちょこ食べるほうが太らない 新しい常識7 果物は太る 新しい常識8 疲れたときに甘いものをとるのは逆効果 新しい常識9 発がん性を疑われているものは食べない 新しい常識10 運動は食後すぐに行うのがいい 体にいい食べ物1 オリーブオイル 体にいい食べ物2 ナッツ 体にいい食べ物3 ワイン 体にいい食べ物4 チョコレート 体にいい食べ物5 大豆 体にいい食べ物6 チーズ 体にいい食べ物7 ブルーベリー 体にいい食べ物8 コーヒー 体にいい食べ物9 酢 体にいい食べ物10 生もの P98 まず覚えておいてほしいのは、脂肪を食べたから体の脂肪が増えるのではないということです。食べたものは、消化・吸収の過程で、新しい物質に分解・合成されていきます。脂肪を食べたから、そのまま脂肪になるというのではなく、糖質を過剰摂取してブドウ糖が余ると、中性脂肪が蓄積されるのです。 P99 糖質にも種類があり、ごはんやパン、パスタ、イモ類などは「多糖類」、砂糖は「二糖類」、ブドウ糖や果糖は「単糖類」に分類されます。二糖類はブドウ糖や果糖が2つ連なったものであり、多糖類はブドウ糖がさらにたくさん連なったものです。 食物として口から摂取したこれら糖質はすべて、消化酵素によって1個1個のブドウ糖や果糖に分解されます。ごはんもパンもパスタもイモも、最終的にはブドウ糖に分解されて吸収され血液中に放出されます。 P109 一時期、「体重が平均より少し多いくらいのぽっちゃり型のほうが長生きする」と言われたことがありましたが、この研究結果では、それが見事に否定されています。 P110 では、どのように糖質を制限すればいいのでしょうか。まず毎日の食事からごはんやパン、麺類、イモ類を減らしていきます。その分、野菜や、お肉、魚、豆腐などをお腹いっぱい食べてください。カロリーは一切、気にしなくて大丈夫です。 もちろん、缶コーヒーやジユース、清涼飲料水は厳禁です。喉が渇いたときは、水かお茶を飲むクセをつけましょう。また、ケーキやスナック菓子、せんべいなども糖質の塊と考えて食べないようにします。 P128 P159 P166 P171 P174 P181 P191 P211 P272 |
渡部容子(弁護士) 花伝社 2017/11/13 法科大学院制度について、 青年法律家協会が編集した、 愚痴と批判の40人(?)の意見。 一流大学を卒業し、 法科大学院に進学し、 司法試験に合格できなければゴミ。 そのような選択をする人達は、 基本的に法律家には向かないと思う。 他人の人生を管理するのが弁護士業なら、 自分の人生ぐらいは上手に管理できなければならない。 P63 私は、2009年、2010年の司法試験に不合格になりました。周囲では、優秀だったにもかかわらず精神的に失調したり、経済的な限界を迎えて受験をやめて行く同期が続出していました。会社をやめて法科大学院に入学しながら、いわゆる三振をして途方に暮れていた人もいました。私自身も、2回目の試験の発表直後、生きているのが辛くなって精神的に失調し、初めて心療内科にかかりました。 「後がない」というプレッシャーは、経験した者にしかわからないのではないかと思います。26歳にもなって収入もなく、次も不合格になったら両親に負担させた何百万ものお金が水泡に帰すことになる。今まで受験勉強にかけた七年間も無駄だったことになる。3回目に不合格になった後のことを考えると、心が真っ暗になりました。初めて「心が壊れる」と思いました。 P78 ロースクールに進学してからも、途中で法曹への道を諦める人に多数出会いました。同級生のほとんどが多額の奨学金を借りて学生生活を送っていましたし、どの学校も進級認定が非常に厳しく、複数回留年する人もいるなど、ロースクール自体が法曹志願者に経済的負担を負わせる制度になってしまっています。その.ため、留年がきっかけで辞めてしまう人もいました。 また卒業前に司法試験の受験を諦め、在学中に就職活動や公務員試験の受験をしていた人もいます。さらに、卒業して司法試験を受験してからも、司法試験と並行して公務員試験を受験したり、司法試験を3回受け終わる前に自ら見切りをつけたりと、当初の志を果たすことなく進路を変えていく入を大勢見てきました 法曹への道を諦める理由は人によって様々だとは思いますが、とりわけよく聞くのは、制限回数を全て受け終わったときに、何の保障もないのでは今後の生活が不安であるという声でした。また、自分が就職せずに勉強していることが、家族にとって負担となっているという人もいました。 |
荻上チキ 新潮文庫 2017/11/06 対象者に直接に面接し、 売春(ワリキリ)をする女性について、 その個人的な環境と動機を紹介する一冊です。 それを楽しむ女性が売春する。 そのような男側の勝手な定義を否定し、 貧困と精神疾患が原因になっている場合が多いと。 ホームレスの男性陣も精神疾患の人達が多いとか。 精神病に限らず、発達障害、適応症が、自傷傾向。 究極の貧困層。 解決できないのだろうか。 P166 大石亜希子・千葉大学法政経学部教授の指摘によれば、離婚した父親には、いくつかの傾向が見られるという(『シノドスジャーナル』2012年6月25日)。 まず、離婚した父親は、そもそも初婚年齢が低いこと。傾向として、若い頃の暮らし向きがよくなかったこと。現在の所得も、平均的な所得に比べて低いこと。離婚後、再婚する者のほうが人数的には多いということ。そしてその多くは、新しい家庭で新しい子どもを育てていること。さらに転職率が高く、健康状態もよくないこと。こうした傾向があるために、経済状態が悪く、離婚した母親とその間にもうけた子どもに対して、養育費を払う能力そのものが低いということになる。 P168 AVのスカウトやキャッチと話をすると、勧誘を成功させるコツは、「感覚を麻痺させること」「ハードルの位置を変えること」だと口にする。「みんなやっているから」「これくらい普通だから」「言わなきゃバレないから」「年に何千本も出ているAVの中から、たまたま友人が見かける確率なんて低いから」「セクシーアイドルだから」といった言葉でリスク意識を麻痺させつつ、「若いうちしかできないから」「君ならこれくらいは稼げるから」「君はほかの子よりもかわいいから」「1回だけ体験してみて、無理ならやめればいいから」「1回やったし、せっかくだからしばらくやってみたら」といった言葉で、抵抗のハードルの位置を巧みにずらしていく。 「2周目のジレンマ」は、そんな誘導にも似ているものだ。出会い喫茶の持つ力を思い知らされる。 P184 喫茶は本当、病んでる子が多い。聞くと、みんな安定剤のんでるとか、手首切ったことあるとか。その原因っていうのが、彼氏だったり、親だったり、いろんな理由がある。本当にいろいろ。一概にこれっていうのはないんだけど、病みやすいよね。みんな病む。すぐ病む。 |
佐藤大和(弁護士) マイナビ 2017/11/02 才能のある弁護士の登場です。 ストーリーとしても、 その中に登場する弁護士の言葉にしても、 素直に読める優れた小説です。 小説など、この頃、読んだことも無いのですが。 本書は、最後まで読まされてしまいました。 多様な場面で活躍する弁護士として、 非常に期待できる人材です。 P100 二階堂によると、最近の弁護士業界は新しい司法試験制度ができた影響もあり、一気に弁護士が増えて皆なかなか仕事がないという。 昔は弁護士1年目で年収7800万という時代もあったが、今の新人弁護士の中には年収250万程度という人もいると、二階堂はリアルすぎる数字を先日教えてくれた。苦労して弁護士になっても普通の社会人1年目と変わらないどころか、それより低いと嘆きながら。 P106 最近、薄々気づいていたのだが、どうやら二階堂にはなにか仕事を受ける基準のようなものがあるようだった。これまでも相談に来るお客さんがいないわけではなかったが、話を聞いて簡単なアドバイスをしただけで仕事にしないこともあれば、険悪なムードになって、それきりになった人もいた。 |
吉野源三郎 マガジンハウス 2017/10/30 この頃、話題ですし、 タイトルも興味を引くので、 ネットで購入してみたのですが、 何がテーマなのだろう。 「君たちは、どう生きるか。」 それほどの、 大げさなタイトルを付ける内容とも思えない。 のび太とジャイアン、スネ夫の関係の方が、 遙かに、人間の個性を捕らえていると思う。 P148 コペル君、そこには、見落としてはならない肝心なことが、もう一つあるのだよ。 なるほど、貧しい境遇に育ち、小学校を終えただけで、あとはただからだを働かせて生きてきたという人たちには、大人になっても、君だけの知識をもっていない人が多い。幾何とか、代数とか、物理とか、中学以上でなければ教えられない事柄については、ごく簡単な知識さえもっていないのが普通だ。ものの好みも、下品な場合が少なくない。 こういう点からだけ見てゆけば、君は、自分の方があの人々より上等な人間だと考えるのも無理はない。しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩にかついでいる人たちなんだ。君なんかとは比べものにならない立派な人たちなんだ。 ――考えてみたまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。 いや、学芸だの、芸術だのという高尚な仕事だって、そのために必要なものは、やはり、すべてあの人々が額に汗を出して作り出したものだ。 |
カレン・アームストロング 中公新書 2017/10/30 ユダヤ教の歴史、 そこから派生したキリスト教の教え。 ここらは理解できたような気がしますが、 イスラム教は分からない。 魅力が無ければ信者が増えるはずはない。 爆発的に信者を増やしているのがイスラム教。 宗教人が語った宗教書は読むのが辛い。 歴史家が語った宗教書には思想が無い。 本書は、 カトリックの修道女(7年間)、 ユダヤ教系教育機関の元講師が語るイスラムの歴史と教え。 いま55頁、250頁までの読破が目標。 ユダヤ教は、 主との契約を守る古い契約ですから、 現実生活とは隔離された信仰の世界で、 キリスト教は精神世界における存在。 それに対して、 イスラム教は、 教義自体も現実社会を司り、 社会生活との関係を律して、 社会の進展と共に変化し続ける宗教。 だから現実社会との軋轢が強調される。 そのような宗教なのですね、たぶん。 要するに、 「政教分離」の考え方の違いなのだ。 イスラエルで政教一致を実践したら、 旅人が果樹園でオレンジを食べることは自由になってしまう。 キリスト教国で政教一致を実践したら、 北朝鮮からの核ミサイルが打ち込まれるのを傍観しなければならない。 「悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬おも向けてやりなさい。」なのだ。 しかし、イスラム教は「政教一致」の思想なのだ。 イスラムの正義は、実践されなければならない。 それが富める者が貧しい者に対して行う喜捨なのだろう。 『神の拳』フレデリック・フォーサイス 『喜捨を、旦那さま、喜捨を。三日も物を食べていない哀れな人間に喜捨をお願いします』。気が付いた運転手が引き返してきて、罵声を浴びせかけて乞食を追いはらおうとした。アーメイド・アリ・ハリファは手を振り上げて運転手を制した。彼は忠実なモスレムで、常に、コーランの教えを遵守しようと努力している。人はできるだけ気前よく喜捨を行うべきというのも教えの1つなのだ。持つ者が、持たない者に対して喜捨をする。それが持つ者の喜びになる。 喜捨に限らず、 宗教的な不義は、 現実社会で解消されなければならない。 キリスト教や ユダヤ教のように 精神社会に逃げてはならないのだ。 現実社会で救済されるからこそ、 厳しい生活環境にある人達の中に、 イスラム教を信じる人達は増え続ける。 P10 当時は精神的な不安が蔓延し、破壊的な戦争が絶え間なく続き、不正がはびこり、そのせいでアラブの最も優れた伝統と部族の掟が踏みにじられていた。進むべき正しい道は、唯一神を信仰し、公正と平等が支配する団結したウンマを建設することだと説いたのである。 P11 そしてようやくクライシュ族にも、神から預言者と聖典が遣わされた。クルアーンは一貫して、ムハンマドがやってきたのは、それまでの唯一神信仰を取り消すためでもなければ、過去の預言者を否定するためでもないし、新たな宗教を開くためでもないと明言している。彼のメッセージは、アブラハムやモーセ、ダビデ、ソロモン、イエスらが伝えたものと同じなのである(クルアーン2章129〜132節、61章6節)。 P28 その後もクルアーンは、ユダヤ教の預言者を尊敬し、ムスリムには啓典の民を敬うよう説き続けている。小規模のユダヤ教徒集団はマディーナに住み続け、やがてユダヤ教徒はキリスト教徒とともに歴代のイスラーム帝国で信教の自由を完全に享受することになる。反ユダヤ主義はキリスト教徒が始めた悪行だ。ムスリム世界でユダヤ教徒への憎悪が顕著になるのは、1948年にイスラエルが建国され、その後にアラブ人がパレスチナを失ってからにすぎない。 P31 ムハンマドが632年に最愛の妻アーイシャに抱かれて亡くなった時点で、アラビアのほぼすべての部族が同盟者として、あるいは改宗したムスリムとしてウンマに加わっていた。ウンマのメンバーは当然ながら互いに攻撃してはならないのだから、報復の連鎖が続く部族どうしの醜い争いは終わりを告げた。ムハンマドは、戦いに疲弊したアラビアに独力で平和をもたらしたのであった。 P36 それまでの数百年間、アラブ人は富の不足を略奪によって補ってきたが、イスラームによりウンマに属する部族は互いに襲撃し合うのを禁じられたため、これができなくなった。ムスリムが略奪をやめても何とか細々と暮らしていけるようにするには、どうすれぽいいのだろうか?ウマルは、ウンマに秩序が必要なことを理解していた。無法者たちを統制下に置き、それまで襲撃や報復に費やされてきたエネルギーを今後は共同体全体の活動へ向けてやる必要があった。その明らかな解決策が、近隣諸国の非ムスリム共同体に次々と略奪を仕掛けることだった。攻撃の矛先を外へ向けれぽウンマの統一は維持される。さらに、カリフの権威も増すと考えられた。 P37 これもやはり奇跡であり神の恩寵の現れであると思われた。イスラームが成立する以前、アラブ人はよそ者として蔑まれる存在だった。それが驚くほどの短期間に、ふたつの世界帝国に大勝利を収めたのだ。この征服体験は、自分たちに何かとてつもないことが起きたのだという感覚をいっそう強めた。こうして、ウンマの一員であることは、かつての部族時代には味わったこともなければ想像もできなかった超越的な体験となった。 しかも彼らの成功は、正しく導かれた社会は神の法にかなっているのだから必ず繁栄すると説くクルアーンのメッセージが正しいという証明にもなった。神の意思に服従した途端に何が起きたのかを見てみれば、そう思うのも当然だろう。キリスト教徒は、イエスが十字架に掛けられて死ぬという、一見すると失敗や敗北と思われる事件に神の恩寵を見たが、それに対してムスリムは、政治的成功を神の恵みのしるしだと感じ、自分たちの人生に神が顕現した証拠だと実感していた。 P206 P208 |
リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット 東洋経済 2017/10/27 2007年に生まれた子どもの半分は、 107年以上生きることが予想される いま40歳の人達は 100歳まで生きるのだろうか。 65才定年退職制の 企業にしがみついている人達は気の毒です。 収入と仕事のない無為の30年間を過ごす 資格商売という選択をした私達には 寿命が伸びることを怖れる必要がない。 まだ、40頁ですが、読み進めるのが楽しみです。 著者は三つの無形資産が重要と説く。 生産性資産 = スキルと知識が主たる構成要素 活力資産 = 肉体的・精神的な健康と幸福 変身資産 = 次だそうです。 P166 自分についての知識と多様性に富んだ人的ネットワークは、変身の基盤をつくり出す。しかし、変身資産にダイナミズムをもたらすのは、実際の行動だ。過去に例のない大胆な解決策を受け入れる姿勢、古い常識ややり方に疑問を投げかけることをいとわない姿勢、画一的な生き方に異を唱え、人生のさまざまな要素を統合できる新しい生き方を実験する姿勢をもっていなくてはならない。ほかの人たちの生き方と働き方に興味をもち、新しいことを試すときにつき ものの曖昧さを嫌わない姿勢も必要だ。 P1 2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想される。いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい。 P21 人生は「不快で残酷で短い」という、17世紀の政治思想家トーマス・ホッブズの言葉は有名だ。これよりひどい人生は一つしかない。不快で残酷で長い人生である。それは厄災以外の何物でもない。休む間もなく働き続け、退屈な日々を過ごし、エネルギーを消耗し、機会を生かせず、そして最後には貧困と後悔の老後が待っているのだ。 P27 人生で多くの移行を経験し、多くのステージを生きる時代には、投資を怠ってはならない。新しい役割に合わせて自分のアイデンティティを変えるための投資、新しいライフスタイルを築くための投資、新しいスキルを身につけるための投資が必要だ。 P31 進化生物学で言う「ネオテニー(幼形成熟)」のようなものだ。これは、動物が幼体の性質を残したまま成体になることを指す言葉である。それと同じように、大人になっても思春期的な特徴を保ち続けて、高度な柔軟性と適応力を維持することにより、一定の行動パターンにはまり込むのを避けるのだ。 |
フラウィフス・ヨセフス ちくま学芸文庫 2017/10/23 キリスト教徒以外の記録で、 唯一、イエスの存在を書き残す文章。 それがヨセフスのユダヤ古代史です。 やっと、該当部分を見付けました。 P291 そこで彼はスュネドリオンの裁判官たちを召集した。そして彼はクリストス(キリスト)と呼ばれたイエスス(イエス)の兄弟ヤコボス(ヤコブ)とその他の人びとをそこへ引き出し、彼らを律法を犯したかどで訴え、石打ちの刑にされるべきであるとして引き渡した。 |
佐々木芽生 集英社 2017/10/19 「ザ・コーブ」で 一方的に太地のイルカ漁が 非難されている状況に対して、 日本側からの情報発信が必要。 そのような問題意識で 「おクジラさま2つの正義の物語」 そのようなドキュメント映画を完成させた 女性プロでユーサーが語る映画作成の過程です。 映画を見ないと著者の主張は分かりません。 本当に2つの正義が主張できているのか否か。 私には、 C.W.ニコルの「勇魚」が 実話だったことの方が発見だった。 「勇魚」を読んで以降、 一度は訪れてみたい太地という町。 しかし、訪問するチャンスが無い。 太地は東京から一番に遠い町だと思う。 「勇魚」は★★の小説でした。 P20 東京から名古屋まで、新幹線のぞみで1時間35分、名古屋から終点の紀伊勝浦まで3時間51分。紀伊勝浦からさらに車で20分ほど行くと、やっと太地町に着く。 P23 それ以降捕鯨によって太地は発展を遂げるが、19世紀半ばには欧米の捕鯨船が日本近海に進出したこともあって、太地でもクジラが次第に捕れなくなった。 そんな中、1878年12月、太地沖でそれまで見たこともないような巨大な親子連れのセミクジラが発見された。例年にない不漁続きの年の暮れ、巨鯨を仕留めようと太地の漁師189人は、19隻の船団を組んで出漁する。クジラとの戦いは、翌朝まで続き、船団とクジラは岸からかなり離れたところまで流されてしまった。 後に生還した人々の証言によると、船団は、山から沖に向かって吹く強い西風に悩まされ、苦労して捕獲したクジラを2日目の夕方には手放して、必死に櫓を漕いで陸を目指した。しかし天候が悪化し、大波に舟は翻弄され、漂流し、船団は散り散りになってしまったという。100人以上が行方不明になった「せみ流れ」と呼ばれるこの大惨事が、太地の古式捕鯨に事実上の終止符を打った。 P82 「伝統とか文化だというのはわかります。ただ長く続いてるからといって正しいこととは限りません。奴隷制も伝統でしたが、時を経てやめることになった。スペインのカタルーニャ地方では闘牛をやめ、イギリスはキツネ狩りをやめた。素晴らしい日本という国も、捕鯨という残酷な習慣をやめられるはずです。太地の一握りの人々の活動が、日本全体の名誉を傷つけています。太地はいつになったらこの恥ずべき行為をやめるのですか。そしてやめた後、太地はどのような将来像を描いているのですか」 私はスコットのこの発言を聞いて、初めて「伝統」に対する考え方が、日本と欧米とでは大きく違うことに気づいた。日本人は、長く続いた伝統は、できるだけ原型をとどめて後世に伝えることが重要だとする。 しかし、欧米人は違う。産業革命で新しい技術を次々に開発し、文明化を進めてきたという歴史的背景がある。だから古くて時代に合わなくなったものは、どんどん壊すべきだという認識を持つ。 日本で長く続いたお歯黒や切腹も、明治時代になって西欧と対等にやっていく上で野蛮だという判断で廃止された、とスコットは続ける。理由はどうあれ、クジラやイルカが偉大な生き物であり、「人類共有の財産」として保護すべきだという見方は、グローバル・スタンダードとして定着してしまった。その大切な生き物を殺して食べることは、21世紀においては、切腹や奴隷制度のように時代遅れであり、非文明的で野蛮な行為なのだというのが、スコットの主張だ。なるほど、彼らの考えに立ってみると、イルカ漁に反対する気持ちはわかる。ただ、日本人が伝統を重んじる気持ちについてはどうなのだろう。それを彼らはまったく考えず、自分たちだけが正しいと一方的に主張するからこそ反発を招き、ますます頑なな気持ちにさせられる。なぜそれに気づかないのか。 P99 しかし、需要が少ない鯨肉のために巨額の補助金を投入して、南極へ出向く必要があるのかという批判は、国内からも少なからず上がっている。商業捕鯨を再開したいのであれば、南極での調査捕鯨をやめて、沿岸捕鯨再開を目指した方が太地のように捕鯨を伝統とする地域にとって有益だし、資源の持続的利用という目的にもかなっているのではないか。実際に国際社会からは南氷洋をあきらめれば沿岸捕鯨を認めても良いという譲歩も提案されているが、日本は拒否している。 日本政府の南極海での調査捕鯨へのこだわりは、科学や資源の持続的利用とどこまで関係があるのか。確かにIWCにおいて商業捕鯨モラトリアムが可決された経緯や、科学的根拠と無関係に設定された南極海の保護区など、反捕鯨国の強引さに日本は常に悔しい思いをしてきたかもしれない。しかし、南極海にこだわることが本当に国策として必要なのか。2017年6月には、調査捕鯨を「国の責務」としようという法案が超党派で国会に提出され、成立に至った。そこにナショナリズムの匂いを感じているのは、環境保護団体や反捕鯨国だけではないだろう。 |
伊藤詩織 文藝春秋 2017/10/18 コメントが付け難い本です。 著者側の立場に立っても、 著者の思いに対して軽すぎる。 捜査を握りつぶ(?)したとして 権力者側を批判しても、違う意味で軽すぎる。 社会現象として論じるのは無責任。 このような勇気のある告発で 社会が進化していくことは事実だろう。 しかし、そのように定義するのも無責任。 この事件よりも、 著者のジャーナリストになる為の努力と、 その為に積み上げた人生の紹介部分は素晴らしい。 ただ、「女性なのに」という前提で誉めるのも、 また、著者の意図するところと異なってしまう。 P5 これまでおよそ60ヶ国の国々を歩き、コロンビアのゲリラやペルーのコカイン・ジャングルを取材したこともある。こうした話を人にすると、「ずいぶん危ない目に遭ったでしょう」と訊かれる。 しかし、こうした辺境の国々での滞在や取材で、実際に危険な目に遭ったことはなかった。私の身に本当の危険が降りかかってきたのは、アジアの中でも安全な国として名高い母国、日本でだった。そして、その後に起こった出来事は、私をさらに打ちのめした。病院も、ホットラインも警察も、私を救ってくれる場所にはならなかった。 自分がこのような社会で何も知らずに生きてきたことに、私は心底驚いた。 |
ウォルター・ミシェル 早川書房 2017/10/18 国民年金の受給、 65歳から支給される年金を、 70歳まで我慢すれば、 毎月の支給額は42%の増額になる。 低金利の時代に1年間で8.4%も増額されるのだから驚くほどに有利だが、 しかし、70歳の受給開始を選択するのは受給者全体の1.4%にすぎない。 「死んでしまえば貰えなくなってしまう年金なのだから先に受領した方が有利」。 そのように語る方がいますが、 しかし、死んでしまえば不要になってしまうのが年金。 生き残ってしまう場合に備えて先送りする方が有利とは考えないのか。 65歳からの受給と 70歳に先送りした場合の受給総額の有利不利は誰にも判断できない。 何しろ、死亡時期は誰にも判断できない。 これはマシュマロ・テストと同じ理由なのだと思う。 貰えるものを我慢することができない幼児の心だと。 マシュマロを食べてしまった子ども達をバカだなと思う大人が 年金を先食いしてしまう。 P32 マシュマロ・テストで長く先延ばしにできた未就学児は、およそ10年後には、欲求不満を覚えるような状況で、ほかの人より強い自制心を示す青少年というふうに評価された。 P33 欲求充足を長く先延ばしにできた未就学児は、全体としてSATの点数がはるかに高かった。 先延ばしにできた時間が短かった子ども(下位3分の1)と長かった子ども(上位3分の1)のSATの点数を比較すると、平均で210点の差があった(訳注 SATは3科目合計で2400点満点)。 未就学のときに欲求充足を長く先延ばしにできた子どもは、25〜30歳ぐらいのときの自己申告によると、長期的目標の追求と達成が得意で、危険な薬物はあまり使わず、すでに高い教育水準に達し、肥満指数が大幅に低かった。彼らはまた、対人関係の問題に取り組むにあたって、立ち直りが早く、適応性があり、緊密な関係を保つのが上手だった(第12章参照)。 P35 マシュマロ・テスト以来ずっと自制能力が高かった人と低かった人の脳スキャンス画像に違いがあるかどうかを私たちは検証したかった。 これらの卒園生の脳スキャン画像からは、保育園でマシュマロの誘惑にうまく抗い、その後の年月も一貫しで自制が得意だった人とそうでなかった人とで、前頭葉と線条体を結ぶ脳の神経回路網(動機づけど制御のプロセスを統合する回路網)の活動がはっきり異なることがわかった。 P36 生涯にわたって自制能力が低い人も、日常生活のたいていの状況では、苦もなく自分の脳をコントロールすることができた。行動と脳の活動における衝動制御に彼ら特有の問題が見られるのは、とても魅力的な誘惑に直面したときだけだったのだ。 P45 ようするに、私たちは悲しいときや落ち込んでいるときのほうが、欲求充足を先延ばしにする可能性が低いのだ。慢性的にネガティブなな情動に襲われたり欝に陥ったりしがちな人も、幸せな人と比べると、あとでもっと価値ある報酬を得るよりも、それぽど望ましくはない報酬をただちに手に入れることを好みがちだ。 |
唐池恒二(JR九州会長) PHP 2017/10/13 JR九州の会長が、 民営後の経営を語ります。 大きな赤字を計上し、過疎化する地域を市場として、道路網が完備するという逆風と戦い、自然災害の多い九州という地で、黒字化するだけではなく、多くの観光資源を開発した経営能力は全面的に賞賛をおくります。 ただ、 本書を読んでも、 その凄さや、深さが読み取れない。 飲食店部門の責任者になり、輸入した串刺しの鶏肉を、店で手作りすることで顧客を回復した。しかし、JR九州の経営規模と焼き鳥屋の売上は比較するのも無理な誤差の範囲内だろう。 意識改革についても、 著者が配属された部署は、 著者が叫ぶだけで意識改革ができあがるのだろうか。 語るべき事柄は大量に存在し、 そこには深い経済、経営、人間洞察が登場すると思うのだが、 それが読み取れない。 しょせん、サラリーマンが、 サラリーマンの出世物語を語っているだけ。 得るところの無い一冊でした。 しかし、 このようなサラリーマン氏の 活躍によって日本経済は成り立つ。 P15 発足初年度、1987年度の数字で見ると、鉄道旅客運輸収入事業が1069億円で、単体決算(JR九州単独の決算/当時はこの単体決算のみ実施)の営業赤字が288億円となっている。 P16 上場の前年度の2015年度には単体で54億円、連結で208億円の黒字を計上した。ちなみに同年度の営業収益(売上高のこと)は単体で2111億円、連結で3779億円となった。JR発足時とは単純に比較できない数字や項目もあるが、30年で4倍近い売り上げ増という道のりは、社員一同大いに胸を張っていいものだろうと思う。 P23 鉄道事業の改革と大げさに表現したが、実際にやってきたことは極めてシンプルなことだ。 JR九州がこの30年の間に株式上場を実現するまでに成長したのは、駅ビル、ホテル、マンション、流通、外食などの事業の多角化を積極的に進め、鉄道以外の収益を飛躍的に伸ばしたからだ、とよく言われる。 |
マリオ リヴィオ 早川書房 2017/10/09 アインシュタインを持ち出すまでもなく、 宇宙は数学的に表現できる形になっている。 では、 宇宙を作った神は 数学者だったのか。 宇宙には数学が存在し、 人間は、それを発見するだけなのか、 あるいは、数学は、 宇宙を説明するために 人間が発明したモノなのか。 歴史に遡り両説の思想を解説します。 ミステリーですから答は伏せますが。 世の中には優秀な人達が存在すること。 本書の著者であり、訳者であり、解説者であり。 私は、社会科学について数学的な論証、つまり、人間生活における起承転結の必然性を解き明かすことを楽しみにし、「税理士のための百箇条」と「続・税理士のための百箇条」、さらに税理士新聞に連載中の原稿も、その趣旨で方程式を解いてきましたが、その数学バージョン、創り主バージョンが本書です。 さて、神は数学者なのか。 思考すれば、神の領域の極一部には(一部にしか)辿り着けるとするのが本書です。 難解、難読の一冊ですから、 購読をお奨めはしませんが、 主の領域まで踏み込んだ哲学。 世界の作りに関する疑問の書です。 P17 ひとつめは、物理的実在の世界が数学的形式の世界の法則に従っているように見えること。この謎はかのアインシュタインをも悩ませた。ノーベル物理学賞を受賞したユージン・ウィグナー(1902〜95)も彼と同じくらい戸惑い、次のように記している。 物理学の法則を定式化するのに、数学という言語が似つかわしいというこの奇跡は、われわれの理解を超え、またわれわれにとって願ってもない天恵であります。われわれはそのことに感謝し、将来の研究にもそのことが当てはまり、そのことが、よかれ悪しかれ、またわれわれにとってありがたかろうが迷惑であろうが、広い学問の分野にも当てはまることを期待すべきでしょう。[『自然法則と不変性』岩崎洋一ほか訳、ダイヤモンド社。一部改変] P366 本書を読み終えると、「神は数学者か」という問いはきっと、読者の脳裏に乗り移るに違いない。一生考え続けなければならないパズルのチップを頭に埋め込まれるようなものだ。そして、新しい科学的進歩があるたび、そのチップは読者に、「発見か、あるいは、発明か」と問いかけるのである。でも、きっと、そのささやきがあるのとないのとでは、読者の人生の豊かさはまるで違うものとなるはずだ。本書を読む最も大きな御利益は、読者の頭に、「神は数学者か」という問いのチップを装備できることなのだ。 P349 P356 |
岩崎貴弘 講談社 2017/10/05 どこかに紹介されていて、 amazonの古本として購入した。 伝説のパイロットの著作です。 著者は飛行機の墜落で53歳で亡くなっている。 世の中に、 こんな商売の方がいるのだと。 面白い人生でしょうね。 P108 私が旧型の戦闘機で最新鋭のF−15を「撃墜」したことは、部隊の中にとどまらず、他の基地にも広がっていった。米軍のF−15との戦闘訓練は、その後も数回行ったが、2回に1回は相手を撃墜することができた。「伝説のパイロット」と私が呼ばれるようになったのは、それからだった。私の「伝説」はその後もいろいろ加わることになるが、その話は追い追い紹介する。 もっとも、米軍のF−15との戦闘訓練に勝利して、「伝説のパイロット」になった者は、私の他にも存在したと思う。それだけ航空自衛隊のパイロットの実力は高いものであったようだ。 |
土屋 健(サイエンスライター) 祥伝社新書 2017/10/05 私が子育てをしていた頃の恐竜の知識に比較し、 いまの恐竜の知識は格段に進歩している。 そのような認識で手に取った一冊ですが、 恐竜が鳥として生き残ったこと以外に、 それほどの発見は存在しなかった。 ただ、 恐竜が栄えた時代は、 人間の歴史の23倍。 まだまだ人類が生き残れる時代が続くのか、 あるいは加速度的に環境を破壊しているのか、 隕石の衝突という確率論的な現象なのか。 明日は分からないのか、 いや、6600万年の明日など、 想像することも無駄なほど遠い存在なのか。 なぜ、爬虫類は生殖年齢を超えても成長し続けて、 哺乳類は生殖年齢で成長を止めるのか。 その答は書かれていなかった。 P17 恐竜が登場したのは、三畳紀後期にあたるおよそ2億3000万年前のことになりす。そして、白亜紀末の6600万年前に姿を消しました。その間、およそ1億600万年間です。分類の基準が異なるので一概に比較はできませんが、人類の歴史は約70万年といわれています。恐竜がいた期間はその23倍以上にあたります。 |
坪内 知佳 朝日新聞出版 2017/10/02 「ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話」 その副題通りの実話です。 嘘のような本当の話、 ドキドキワクワクと読めてしまうこと請け合います。 著者に限らず、 書籍中にコラムとして登場する他の方も、 語るべきモノを持つ。 P46 彼らは決まって、「そんなやり方は“ふつう”と違う」と言う。 自分の中でむくむくと怒りが湧いてくるのを感じた。 (いったい、ふつうってなんなの?そのふつうがダメだったからこそ、いま、漁業がガタガタになってるんじゃないの!?) もともと私は、「ふつうの人生」に挫折した人間だ。かつてはキャリアの成功を夢見ていたけれども挫折し、大学も中退。結婚だってうまくいかなかった。 みんなにとっての「ふつう」を目指しても、絶対に人は幸せになることができない、と自分の人生でつくづく思い知った。 だからこそ、仕事相手に「ふつうはこうなんですよ」と言われると、「くそくらえ」と思ってしまう。 P69 といっても、なんのツテもなく、いきなり店に飛び込んで「鮮魚を買ってください」と言っても注文がもらえるはずもなかった。 そんなときに頭に浮かんだのが、大阪にいた知り合いの経営者だった。私が萩でコンサルをしていた頃、たまたま顧問先に食事をしに来ていた人だった。 「本当にすみません。北新地の高級店を紹介していただけませんか」 こんな図々しいお願い、断られて当然だ。実績も信用もない若造に、大切な知り合いを紹介するなんて、ふつうは考えられない。 しかし、70代のその経営者の口から掲たのは、驚くべき言葉だった。 「あんたは苦労を買って出る人やな」 優しい口調だった。 「いまは、僕がお嬢さんを助けるさかい、うちの孫がいつか困っていたら、そのときに助けてやってください」 そうして彼は数件、料亭を紹介してくれた。人のために、何の見返りもなく行動するこの姿勢は、私の中に強く印象づけられた。 そのおかげで、料亭は月1、2箱、鮮魚BOXを取ってくれた。その実績だけを武器にして飛び込み営業を始めたのだった。 P171 あるときから、私はみんなに歯車の話をよくするようになった。 人はみな、色や形やサイズ、立ち位置が違う歯車だ。私は私で頑張るけれど、私という歯車の色やサイズは変えられない。1人で頑張っていても、何も動かせない。でもそんなとき、サイズが違うほかの歯車が来てくれたら、カチッとかみ合って、何かが回り出していく。 そして自分が回れば、隣の歯車も回り出して、その横の歯車も回り出す。たとえ小さな歯車でも、その一つが動けば、次々に歯車が回り出して、.それが世界を変える大きな動きになっていく――。 P206 こんな出来事もあってか私は、「人は、生きるために働くのか、働くために生きるのか」つねに小さな頃から考え続けてきたように思う。 人が生きるのはお金や会社のためではない。自分が「これだ!」と思う生きる目的を見つけるため、そしてその目的をかなえるために生きていると私は思うのだ。 |
福島 智(東大教授) 至知識出版社 2017/09/29 9歳で失明し、 18歳で聴力を失った。 その著者が自分自身を語ります。 これだけ過酷な人生で、 東大教授として積極的な人生を送るのは凄いことですが、 しかし、これほど過酷な人生を経験したのですから、 予想できるところを超えた内容が欲しかった。 予想された人生感しか語られていない。 P44 だから、自分のしんどさには意味があるし、自分には果たすべき使命があるという考え方は、自己崩壊から逃れるための、苦悩の中での私なりのサバイバル戦略だったのだろうと思います。つまり、いかに生き延びるかを探っていたのです。道徳的・倫理的な発想から出たものではなく、また信仰者として特定の宗教の神にお願いするような感じでもなく、どうすれば自分が納得できるかを考えた結果です。 P61 もし誰か、ある人に存在の意味がないと考えたら、ではあなた自身にはあるのか、他の人にはあるのかを聞う。さらに、そもそも宇宙の中に人類が存在することには意味があるのかと考えたときに、「ない」と考えればある個人の存在にも意味がないし、逆に「ある」と考えればどんな人間にも意味があるのではないかというわけです。 P98 つまり、人間は博愛主義者にはすぐになれるのです。「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができます。でも、すぐそばにいる人の困っていることに対しては、案外冷淡になるのです。あるいは同じ屋根の下に暮らしていても、なかなか愛し合えないことがあります。だからこそ、イエスは「汝の隣人を愛せ」と言ったのかもしれません。それが実行の難しいことだからです。 |
佐藤弘幸 NHK出版新書 2017/09/28 キャバレーの脱税から、宗教法人の課税関係、名義株の利用、外国への移住など、多様な節税(脱税)手法の経験を語ります。まさに、ミソもクソも一緒の脱税事例を語ります。 P173 そもそも、税金のためだけに移住するなんて、普通の人にとってはバカげた話だ。食事、文化、気候、言語、宗教、社会インフラなど、日本とは環境がまったく異なる海外に移住するわけだから、そのストレスは計り知れないだろう。人生の貴重な時間を好きでもない国で過ごすなんて、非常にもったいない話である。私もアジア各国に数十回渡航しているが、住むならば日本がいちばんだと思っている。 |
灰谷健司 日本経済新聞出版社 2017/09/28 数年前に読んで、良く出来たストーリーだと驚いた。 小説で学ぶ相続の知識。 ただ、 どういうわけか、 私の読書欄に記録が無い。 amazonで古書を購入して、 もう一度読んでみた。 P31 「そうなの、私たちにも遺産を受け取る権利があるのね。でも良いわよ。私たちは卓也のお金が無くても困ることは無いし、卓也がもしいたらそうしてほしいって言うと思うから私たちは相続放棄をするわ。ねぇお父さん、いいでしょう。」 義父も同意してくれた。 3週間後、義父母から届いた封筒を開けると「相続放棄申述受理証明書」という書類が2枚入っていた。一緒に入っていた手紙には、これが相続放棄の証明であることと、温かい言葉が添えられていた。 P35 靖司はいつも兄に嫉妬していた。兄は小さい頃からたくさんの習い雅をして、いろいろな物を買ってもらい、いつも新品の服を着ていた。そもそも親は2人目は女の子がほしかったらしい。兄が結婚したとき母親が静香に言った言葉が今でも忘れられない。 「うちも女の子がほしかったんだけど、生まれなくてね。静香ちゃんみたいな良い娘ができて本当に嬉しいわ。」 P41 靖司から電話があったのは戸籍謄本や印鑑証明書をそろえ、銀行に行こうと思った矢先だった。 「静香さん、大丈夫?手続きするときは協力するから言ってね。親父とお袋が相続放棄をしたから、僕が相続人になったんだよ。」 静香は何を言われているのかが理解できなかった。 P49 「それと大村さん、もう一つお伝えすることがあります。」 何だろう。優しい顔で静香を見下ろしながら話す医者を見上げながら次の言葉を待った。 「おめでとうございます。妊娠4ヶ月目です。お腹の子も元気ですよ。」 P50 胎児も予供と同じ相続権があることを教えてくれたのは敦子だった。父親が亡くなったときに妊娠していた場合、生きて生まれれば胎児も相続人になれるのだ。幸奈が生まれたことで靖司の相続権は無くなり、幸奈が相続人となったのだ。 幸奈が生まれてからは卓也が亡くなったとき色を失った世界に虹色の光がさしていった。 「うん、いろいろあったけど、私、今すっごく幸せだよ。」 |
ハービー・山口 スペースシャワーブック 2017/09/28 昔、カメラマンになりたいと思ったことがあった。 今でも写真を撮ることは得意です。 しかし、絵画や音楽と違って、 誰でも撮影できる写真という芸術。 プロの撮影した写真は何が違うのだろうか。 本書に、その思想が書かれているだろうか。 私には、それが読み取れなかった。 私には読み取れないプロの思想。 P28 ポートレイトの場合、被写体と撮影者との関係性が見えてくる写真。つまりその撮影者にしか見せない表情をとらえた写真。言い替えれば、その撮影者にしか見えない表情をとらえた写真。 P150 われわれは何に魂を込められるかで適正が決まるのでは!写真に魂を込められるなら写真家。文章になら小説家。音や声になら音楽家。絵画になら画家。言葉になら詩人や噺家。子育てなら人の親。教育になら……。これを貫けたら凄い人生ですが、なかなか上手くいきません。 P159 自分のこだわり、わだかまり、例えば自分が抱く強い憧れ、正義感、美意識、劣等感、好奇心、社会の矛盾への怒り、創造、新しい視点や観念、冒険心、上品、赤裸々等々。こうした譲れない、偽れない心の叫びと性格が、その人なりのテーマや作風になるのでは。 |
矢島文夫(訳) ちくま学芸文庫 2017/09/25 旧約聖書の元になった ノアの箱舟の伝説が登場している。 ギルガメシュ叙事詩の11章に限らず、 前書き、後書き、解説部分も面白かった。 「知」を求める学者の生き方です。 P118 それは古い町で、なかに神々が住んでいた 彼らは、大なる神々に洪水を起こさせたのだ 彼らは彼らの言葉を葦屋にむけて叫んだ 『葦屋よ、葦屋よ、壁よ、壁よ 葦屋よ、聞け。壁よ、考えよ シュルッパクの人、ウバラ・トゥトゥの息子よ 家を打ちこわし、船をつくれ 持物をあきらめ、おまえの命を求めよ 品物のことを忘れ、おまえの命を救え すべての生きものの種子を船へ運びこめ お前が造るべきその船は その寸法を定められた通りにせねばならぬ その間口とその奥行は等しくせねばならぬ アプスーを覆いかぶせる〔ようにせよ〕』 P124 六日〔と六〕晩にわたって 風と洪水が押しよせ、台風が国土を荒らした 七日目がやって来ると、洪水の嵐は戦いにまけた それは軍隊の打ち合いのような戦いだった 海は静まり、嵐はおさまり、洪水は引いた 空模様を見ると、静けさが占めていた そしてすべての人間は粘土に帰していた P126 私は鳩を解き放してやった 鳩は立ち去ったが、舞いもどって来た 休み場所が見あたらないので、帰ってきた 私は燕を解き放してやった 燕は立ち去ったが、舞いもどって来た 休み場所が見あたらないので、帰ってきた 私は大烏を解き放してやった 大鳥は立ち去り、水が引いたのを見て ものを食べ、ぐるぐるまわり、カアカア鳴き、帰って来なかった |
松尾スズキ マガジンハウス 2017/09/25 何でもないことを文書化するのが才能なのか、 文書化された文章に何も無いことが才能なのか。 この著者の才能を知らない私には、 教訓も、生き方も、何も無い文章が続く。 星野源が推薦者になっているが、 星野源の著書も同じような内容だった。 「松尾スズキ」の才能を知っている方向けの著書。 P46 なので、この度は、前はやらなかった結婚記念日を祝うというのもやってみた。サプライズでバラの花を100本ばかり花屋で買ったりした。花屋さんは「こんなものいきなりもらったら奥さん、泣いて喜びますよ」と言ってくれて、まさかそんなと思ったが、家に戻り、妻に差し出すと、ほんとに泣いて喜んでくれた。 記念日の花束にはそれほどの効果があるのか!50歳過ぎてそんなことに気づく。 見くびっていたなあ、花束。 |
原田國男 岩波新書 2017/09/22 刑事裁判30年の 経験を持つ裁判官。 何かを語ってくれるだろう。 そのように期待したのですが、 このレベルの深さで裁判官が可能なのか、 長年の裁判官の経験でもこの深さなのか。 市役所の戸籍謄本係でも、 もう少し深い人生を語ると思う。 さらに驚きなのは、 この程度のことを語るために 執筆をしようと考えることです。 読むに値したのは 倉田裁判官の書籍の引用部分(47頁)だけ。 人質司法の弊害について、 弁護士になって初めて認識する(153頁)。 そんなことを恥ずかしくもなく語る。 P2 最初に自己紹介をかねて、いささか個人的な経歴を語っておきたい。私は、裁判官を40年余りして、2010年に退官した。その大半が刑事裁判官であった。地裁が約16年高裁が約12年、最高裁の刑事調査官が4年である。あとの残りは、法務省刑事局で刑法全面改正作業に6年従事していた。 P47 倉田卓次さんという民事裁判の神様のような方も、「『認定に臆病』である結果、起訴事実が認められないとき、無罪判決をすることに実は『勇気』がいるのであって、この勇気のない裁判官は『有罪にして執行猶予』と妥協しようとする。(この場合、宣告を受けた被告人も、『執行猶予なら』と泣き寝入りしてしまう蓋然性がある。そういう『隠れた冤罪」の暗数が存在することを私は疑わない)」と刑事裁判に対する手厳しい見方を示している(『裁判官の戦後史』筑摩書房、一四六頁)。 P153 このような点で、短い期間とはいえ弁護士を経験してよかったと思う。同時に、裁判官としての仕事に対する、にがい反省も生じた。それは、身柄に対する感覚である。現在、人質司法が問題となっている。犯人として逮捕され、否認をすると、勾留され、起訴され、保釈がなされず、長期にわたり拘束された揚げ句、実刑になるという悪い連鎖が起こっている。 被告人が無実であっても、この負担に耐えられず、自白をしてしまうこともある。無実なら自白などするはずはないという見方がいかに誤っているかは、足利事件や氷見事件からも明らかであろう。 しかし、裁判官時代は、罪証隠滅や逃亡のおそれがあると考えがちであった。経験上、そうした例も知っているので消極的に考えやすい。だが、被告人との接見を繰り返していると、この不当に長い身柄拘束が本当に許されないものだと実感する。まさに、刑の先取りなのである。この実感は、裁判官はもとより、身柄を直接扱う検察官にも薄いのではないか?書類上の出来事としか感じていないのではあるまいか? |
逢阪まさよし 駒草出版 2017/09/12 物件を紹介されると悩んでしまう。 その際の選択の基準は友人に自慢ができる物件か否か。 建物が魅力的か、地域が魅力的か。 散歩している犬が雑種の柴犬か、洋犬か。 緑(樹木)の多い森の中の町か。 駅前にあるのはパチンコ屋とサラ金か、花屋とパン屋か。 自慢できる物件でないと、自分自身で好きになれない。 これが私が賃貸物件を購入する場合の選択基準です。 本書の著者が、さらに 詳細に選択基準を紹介してくれた。 多様な町を、 ブラックな視点で紹介してます。 そこに住む人は反感を持つかも知れない。 その町に住まない人にとっては面白い分析です。 私の居住地には、 著者が指摘する全てが存在しない。 文字びっしりの500頁のボリュームのある本です。 15P 「住みたくない街」の見分け方 ・パチンコ屋の数を確かめる ・公営競技場、場外馬券売場が近くにある ・ラブホテルや風俗店が多い ・赤提灯の居酒屋が多い ・外食がお一人様向けチェーン店ばかり ・駅前のミスドやドトールやマックの客層を見る ・ホームレスやゴミ拾いがたむろしている ・漫画喫茶、ネットカフェがやけに多い ・身なりの微妙な外国人がやたらと多い ・生活感に乏しい、やけに寂れている ・大学や私立学校が見当たらない ・公営団地が多い ・木造ボロアパートがやけに多い ・ゼロゼロ物件がやけに多い ・ゴミ収拾所のマナーが酷い ・共産党や公明党のポスターがやけに多い ということは、その地域は低所得者層が多いビンボーな地域であるという特徴を暗に示している。北区、荒川区、足立区、葛飾区など東京の北側と東側の区民はこうした政党の鉄壁の支持層であるが、埼玉県蕨市のように市長が共産党員という自治体もある。貧困層に優しい政党やセーフティネットがある自治体は別に悪くも何ともないと思うので、そういう地域が良いというのであれば住むのは個人の勝手である。 ・「質屋、サラ金、カードでお金」等、金貸し関連業者が多い ・「大島てる」の火の玉を見る |
松原惇子 SB新書 2017/09/02 「女が家を買うとき」でデビューし、 「クロワッサン症候群」はベストセラーになり、 結婚せず、 自分の年齢をネタにしてきた著者が、 「ひとりの老後は怖くない」と続け、 「長生き地獄」というテーマに辿り着く。 夫婦で老いる地獄、単身姉妹でいる地獄 有料老人ホームは、決して天国ではない 介護パート社員は見たホームの実態とは と、話題が進む。 高齢者が不安に感じる事柄を、 文章化して、これでもか、これでもかと突き付ける。 それだけの一冊です。 老人は何処に行っても真っ暗。 しかし、 深い闇は 何処にでもある。 貧困な母子家庭の幼児 崩壊した家庭の小学生 定職に就けない臨時工 風俗で働く貧困な女性 公園に住むホームレス 定年で退職した勤め人 お一人様の老後の生活 深い闇だけを書き連ねれば本になる。 私達の業界の出版物と比較したら、 これでもか、これでもかと税法の不公平を書く書物 これでもか、これでもかと節税手法を書き連ねる本 これでもか、これでもかと税務署を非難し続ける本 老境に差し掛かった著者なのなら、 もう少し、深い人生観察が書けるだろうに。 P49 もちろん日本にも素晴らしい病院もあるし、医師もいるが、すべてを医師にお任せ主義は、もうやめたほうがいい。 そうしないと、自分も家族も不幸にすることになる。長生きすると、延命治療の問題に必ずぶつかるので、正しい知識を今のうちに身に付けておくことは、自分と自分の家族を守ることにつながるだろう。「死なせないでください」と医師にすがりつくのではなく、正しい知識を持った人になるのが、本当の愛ではないのか。 P107 先日、しばらく会っていなかった65歳の男友達に電話をすると、驚いたことに、介護付き有料老人ホームでパートで働いていると言うではないか。もともとは、かなり活躍していたイラストレーターだった人が、有料老人ホームでなにをしているのか。聞いてみると、年金で生活が賄えないので、働かざるをえないという。 一生働くつもりでいたので、たいした貯蓄はしてこなかったらしい。それが、60歳を過ぎてから、仕事がどんどん減り、現在はゼロに近いと嘆く。 そこが男と女の違いか、同じ自由業でも女性はしっかり貯めている人が多い。 いくら働く意欲があっても、現実は厳しく、65歳というだけで、求人はないということだ。とにかく日銭を稼ぎたいと思った彼は、プライドを投げ捨て、介護の仕事をすることにしたという。 「えっ、介護の仕事?経験あるの?」 わたしがびっくりして聞くと、彼は笑いながら、首を横に振った。人手不足で、未経験でも介護の仕事で雇ってもらえるところがあるらしい。未経験の人たちを得意とする派遣会社があり、登録しておくと求人がくるらしい。 |
田代正廣(元駐在員) 彩図社 2017/09/01 日本人は、 韓国でも、台湾でも、 同じことをやってきたのだと思う。 しかし、 両国の日本に対する印象は全く異なる。 何が違うのだろうか。 加害国の国民性が1つだとしたら、 被害国の国民性の違いだろうか。 日本が西欧諸国の植民地を開放した。 日本が近代農法やインフラを導入した しかし、 それだって善意では無く、 支配をするための手段だろう。 台湾は、 日本の支配の後に、 中国の支配を受け、 過酷な生活を強いられた。 歴史は、一点では語れない。 その長い歴史を時系列に追って、 著者の台湾での居住経験として語ります。 P29 内省人は外省人と北京語で話すとき何と言っているのか、内省人同士ではどうなのか、その確証を得たい。そう思っていたとき、高雄に20年駐在して台湾の生き字引と呼ばれている、私より年上の日本人から「内省人の本音はその場の雰囲気や言語や気分によって、だいぶ変わるようだ」と聞いた。 また、その人から「犬はうるさいが、それでも番犬になる。豚はただ貧欲に食い散らすだけだ」と内省人が言っていたということを教えてもらった。 「犬」は日本統治時代に口やかましかった日本人のこと、「豚」は戦後国民党とともにやってきた、腐敗し切った外省人のことを指すようだ。これこそが内省人の本音なのかもしれない。 日本統治時代の台湾において、日本人は現地の台湾人に対して差別的な態度をとってしまったこともあるだろう。仮に日本が、植民地を高圧的に支配する欧米とは異なる、島民のための植民地政策を実施したとしても、軍事支配そのものと憲兵に代表される居丈高な官吏は、憎悪と恐怖の対象となる。「犬」と表現するのは妥当な評価かもしれない。 それにもかかわらず、「日本語世代」は日本を高く評価する声が多かった。 P100 翌8日には国民党政権の増援部隊が基隆港と高雄港から上陸し、台湾はたちまちのうちに生き地獄と化した。援軍が上陸すると同時に、政府は凄惨な報復に転じたのである。 台湾全島が動揺した。軍は人民を制圧し、無差別に検挙し、多くの場合銃殺された。裁判官・医師・役人など、日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、多くは殺害された。その数は約2万8000人にものぼるとされる。 孫文の掲げる三民主義とは名ばかりにすぎなかったのだ。学生であった李登輝も秘密警察に狙われた。この事件から2年後に発令された戒厳令は1987年まで継続したが、解除した後も国家安全法によって言論の自由が制限された。約40年の間、台湾の人々が事件を語ることは禁じられたのだった。 P101 まもなく、内省人によって、各家、各所の壁に「犬が去って、豚がきた」という手書きの紙がベタベタと貼られるようになった。第1章で「犬はうるさいが、それでも番犬になる。豚はただ貧欲に食い散らすだけだ」という言葉を紹介したが、それ以来、内省人は外省人のことを「豚」と呼ぶようになったという。 内省人はこの二二八事件を機に日本時代を振り返り、改めて評価を下すと「日本時代の方が良かった」と思わざるを得なかった。国民党の強権政治はそれで終わることなく、二二八事件後も相変わらず裏切りと虐殺と苛酷を極めた。 日本統治時代にすでに「国家」を体験していた内省人は、そんな状態でも国家の在り方を冷静に問うことができた。自分に甘く他人にも甘い性格を有している内省人からみても、日本と比べたら中華民国の強権政治は、100%の落第であった。 こうして、二二八事件と国民党の強権政治がもたらした結果ではあるものの、日本語世代の内省人は国民党に幻滅し日本を相対的に評価するようになった。 P138 彼は、台湾の義援金が世界最多だったことを伝えても「それほどの義援をしたのは台湾人として誇りです。日本と台湾の絆は、言葉だけで説明し切れないものがあると思いますよ」と、日本人の私の胸に響くことばかり言ってくれるのだ。大学院で日本を研究している知日派の彼だから、そのような言葉が出てくるのだろうか? 「自分の考えは、親日的台湾人の平均的な考えというより、台湾人の平均的な考えです」というのが、江さんの答えだった。彼は続けて、「むしろ、親日派だけではないから、世界一の金額に達したと思っています。私は自ら、『自分は親日的だ』とは言いません。たしかに、中国よりも日本のことをはるかに親しく感じます。でも、親日派とレッテルを貼られると抵抗を感じる人も少なくないでしょう」と本心を述べた。 親日的という理由だけで支援をしてくれているのではなく、被害にあった人を助けたいという台湾人の思いがあの数字となって表れたのだろうと、私は思い直した。 |
橋田壽賀子 文春新書 2017/08/31 「おしん」「渡る世界は鬼ばかり」などで有名な脚本家。 殺人事件と不倫は登場させないと語るだけあって、 本書でも老後の生き方と覚悟が淡々と語られます。 P8 毎年お誕生日にケーキを買うみたいに、お誕生日が来るごとに、死ぬことについてちょっと二、三行書いておくのです。臓器移植の意思表示をするカードを持つのと同じように、「何かあったとき、無駄な延命治療を望まない」とか、「安楽死を希望します」とか。年ごとに考え方が変わったってかまいません。死について考えることが普通の文化になればいいな、と思います。 P54 私は、葬式も偲ぶ会もやってほしくありません。意味のない社交の場に使われたくないんです。それに私の葬式なんかやっても、どうせ義理で来る人ばかりですから、わざわざ足を運んでもらうのが申し訳なくてね。義理だったら、来てくれなくていいんです。義理が不要なら、お葬式も不要なのです。焼いてお墓へ入れてもらえれば、それでいいんです。 P69 実際はその前の年くらいから、脚本の依頼が来なくなったのです。どのテレビ局からも「書いてくれ」と言ってこなくなれば、「あ、私の時代は終わったな」とわかります。自ら引退を宣言するまでもなく、お払い箱になったわけです。 P95 でも子どもに投資するのは、本当は見返りをもらうためではないはずです。子どものいない私が言うのはおかしいかもしれませんが、見返りは求めず「自分の最期は自分で準備する。子どもには振り向いてもらわなくていい」ぐらいの心構えでいるべきではないでしょうか。 期待して見返りを得られないと、期待が恨みに変わることがあるからです。自分の子どもを恨むなんて、悲しいことではありませんか。 P122 自分で稼いだお金は、死ぬ前に自分の好きなように使ったほうがいい、と私は考えています。一番つまらないのは、子どものためにお金を残そうとすること。 どうしても子どもにお金を残したいのなら、見返りは求めないことです。愛情もお金も、子どもは一方的に貰うばかり。何ひとつ返してはくれません。 老後の面倒を見てもらう代わりとして、子どもにお金を残そうと考えている人もいるでしょう。そんな人は、二世帯住宅を建てた私の知人女性のように、期待して裏切られて寂しい思いをするだけ。そのお金で、介護してくれる人を雇ったほうがいいです。 |
クックビズ(株)Foodion 大和書房 2017/08/28 ミシュランの星を取った10人のシェフの生き方を紹介します。 ただ、私とは、 業界が異なる為か、 読むべき内容が無い。 多様な努力は認めますし、 オリジナリティや、 成功した姿など凄い人達ですが、 人生って、もう少し、深いような気がします。 いや、文書化する執筆者の人生の深さの問題です。 シェフの人生の深さを聞き出して文書化する能力。 堀江貴文氏の推薦。 それを読んだときに 内容も推察すべきだった。 P28 料理人の作業そのものはルーティンがほとんどですが、昨日と同じようなことをしているからといって「これはこんなもんだ」と思ってしまえば、成長は止まります。そうならないためには、常に一歩先の理想を掲げること。「もっと良くできないか」「ここを変えられないか」と考えることをちょっとずつやり続けるんです。 |
村田 沙耶香 講談社 2017/08/22 「コンビニ人間」が面白かったので、 読んでみたのですが、全く、ダメ。 オカルトですが、 篠田節子氏の「イビス」や「カノン」に比較したら、 大人と幼児ほどの違いがある。 藤子藤夫の短編集レベルの内容。 小説(嘘事)は、 如何に書くべき嘘事があるかが重要なのであって、 文章が書けるか否かは、あくまでも前提条件。 子供の発想を、 単に小説化しただけの話し。 |
川竹文夫(元NHKディレクター) 三五館 2017/08/17 気になって手にしたのですが、 これは読む価値がなさそう。 暇があったら拾い読みしてみます。 日本人の寿命が大きく伸びた。 その理由は 衛生状態や、 栄養状態の改善もありますが、 主たる理由は癌が治る病気になったことだろう。 私が弁護士になった時代には、 癌告知は行わないのが常識だった。 不治の病を告知することは不法行為だ。 いま、癌は治る病気だ。 医者を信頼し、 現代医療を信頼する時代。 ところが、 それを否定する情報が、 社会には満ちあふれている。 他の疾患については、 そのような否定的な情報は無いのに、 なぜ、癌だけが否定的な情報が溢れるのか。 暇があったら、本書、つまり、 現代医療を否定する人達の体験談を読んでみようと思う。 しかし、「再放送中止。映像資料としての保存さえされず、つまり存在自体が抹消されるという異例の事態」って、凄いことです。 P8 いかにして〈自分で治した〉のか。ガンになる以前よりはるかに、心身ともに健康で幸せな人生を、どのようにして築いたのか。そして、いかにして、ガンを〈幸せの前ぶれ〉だったと満面の笑みで語ることができるようになったのか……その勇気と希望と喜びに満ちた姿を工時間3本シリーズで描き、教育テレビ始まって以来の大反響を巻き起こした。 「末期ガンさえ自分で治せるなんて、本当に驚き」「番組は、生きる希望の光」「私もきっと治せると勇気が出ました」「あきらめず、やり直してみます」。 しかし、マスコミからは大バッシング。「治らないのがガンという病気。末期も治るなどとは、藁にもすがる思いの患者と家族をたぶらかす詐欺だ」。ついには、シリーズ全体が新興宗教のキャンペーンだとの記事さえ出る大騒ぎ。 番組は、再放送中止。映像資料としての保存さえされず、つまり存在自体が抹消されるという異例の事態に発展した。 P201 ああ、何だ……それなら私も日々、同じようにできているはずだと、そのとき私は思った。たとえば……あるイベントでの体験発表用にまとめた原稿を紹介すると、 <ツボに温灸器を当てる。弱ったガンがまた一つ死滅。次のツボに当てる。ツボに当てるたびに、逃げてきたガンを一つひとつ潰していく> それなりに、イメージできているではないか。どうでしょう、先輩?と、私の得意げな反応にかぶせるように、渡邉さんは、 「生姜罨法や半身浴をするときも、汗が出ると、よしっ、熱で弾けて死んだガン細胞がどんどん流れ出ていってるぞ、ボタボタと落ちる汗、ドバーッと出てくる汗に流されて、身体の外にどんどん出ていってるぞ。よし、これで治る。治った。治った」 今まさに、その勝利を目の当たりにしているかのように、時に笑い声を弾ませ、嬉しそうに語るのだった。 だが、同じように半身浴と生姜罨法をしながら、私は、次のように記している。 <半身浴をしている時。ガン細胞は熱に苦しみながらも、汗になって体の外へ出ようとせず、肝臓、腎臓、腸にしがみついている。次に全身生姜罨法。早くしないとガンに逃げられてしまう。またガンが勢いを増してしまう> うーん、「しがみついている」「またガンが勢いを増してしまう」……イメージが暗い。 渡邉さんの声が、ますます大きくなった。 「ガン細胞は熱に弱いでしょう。39度や40度の原因不明の熱が2、3日続いたあとに、末期ガンも消えていた例が、本にも報告されてますね。 だから、私のガン細胞も、バンッ、バンッバンッと破裂して、一網打尽、塊で消えてしまうんです。塊で、きれいさっぱりと、消えてしまう。ひたすらガンが消えていく、体外に流れ出ていって、身体はすっかりきれいになっていく。で、治る。治った。そういうイメージを、つねにつねに、できるだけ具体的に、リアルに続けるんです」 <前立腺ガン4期。ゲリラのようなガン細胞が、一つの国を作ろうと、虎視眈々と狙っています。隙間なく、何らかの闘いをガンに仕掛けているときにしか、安心は得られません。手当てを8時間やっても9時間やっても、安心できるのはその聞だけなのです> うーん。 「玄米を食べててもね、玄米は排泄作用を促すから、ガン細胞がオシッコに溶けて身体の外に捨てられていく。大便にまじって、ガン細胞がいっぱい、どんどん捨てられていく」 私は、かすかな眩畢を感じていた。すでに決定的な差を思い知らされていた。 が、渡邉さんの話は、いよいよ熱を帯びてくるばかり。 |
郡山史郎(ソニー元常務) WAC 2017/08/17 ソニーの常務まで出世し、 次期社長候補と言われた著者が、 子会社の社長を経て退職した後の生活を語ります。 ソニーという大型トラックから、 個人事業というチャリンコに乗り換えた生活。 年金で生活は困らないのだと思いますが、 大型トラックを運転した人達も定年でタダの人になる。 定年になって、初めて、自分自身の人生をスタートする。 事業経営者が20歳で行う経験を70歳でスタートから学ぶ。 著者も、 大企業サラリーマンの生活を否定(?)しながらも、 ソニーの生活と比較してしか現状を語れない。 著者が語るように、 ビジネスマンの人生が、 20代から50代までの40年と、 60代から100歳までの40年の2つに分けられるのなら、 40年を充実(?)して生きたビジネスマンの、 残りの40年は過酷(無意味)なものになってしまう。 資格と専門知識を武器に、 最初から個人事業としてスタートし、 定年を意識することの無い私達の仕事。 最初の40年で比較すべきでは無く、 残りの40年で比較すべきなのだと思う。 P22 この本は、一私企業の内輪話をするためのものではない。まして平凡なサラリーマンだった、無意味な私の身の上話をするつもりもない。私がソニーやシンガーで、世界中をかけめぐり、事業活動をした40年よりも、ソニーを辞めた70歳以降、一人でさまよったその後の10年間の方がはるかに楽しく面白かったことを報告するためのものである。 P23 高齢者は幸せになるべきで、ここに、ほんとうにそれが実現された実例(私のことだ!)がある。こうすれば老後は楽しくなる。それを伝えるのがこの本の唯一の目的だ。その私が実践した情報は、高年齢者だけでなく、その周りの人たち、これから年を取る若い人たちにも有用であるにちがいない。あなたの老後は楽しく、面白くできる。誰でもできる。そのことをお伝えしたい。そのような気持ちで書いているので、読み続けていただきたい。 P67 ところが70近くになったビジネスマンの求人はゼロだった。突然、自分が市場で無価値であることが分かる。年齢はガラスの天井どころではない。鋼鉄の小部屋で出口がない。そこで、私は自分で入材紹介会社を創って、高年齢者の再就職の研究を始めた。その話はあとで詳しく述べる。 P108 これは、少なくとも、当時では斬新だったに違いない。ただ、ここには大きな落とし穴がある。ひとがやらないのはなぜか。アイデアが浮かばないからだろうというのは夜郎自大である。大天才でもない限り、どんなアイデアでも、誰かがすでに考えている。やるひとがいないのは、それが儲からないという単純な理由から。わが社もやってみたらまさに儲からない。 P176 90歳ないし100歳まで現役でいられて、僅かでも収入を得て、税金を納める、あるいは年金を減らすことができれば、ご一緒に快哉を叫びたい。いや正確には、黙って喜んで戴きたい。自分の人生の評価は、もちろん自分以外には、させてはいけない。 |
池谷裕二 クレヨンハウス 2017/08/16 脳科学者の池谷教授の子育ての記録。 子育てが終わってしまった私としては、 本文の子の成長の記録は実感が湧かない。 ◆ ――――――――――― 子育て中に家族に読んで貰ったら、 成長の記録も読み応えがあるそうです。 子育てについての著者の深い関わりや、 自分の子育てと比較する著者の育児法。 ◆ ――――――――――― コラムは、 さすが池谷教授。 コラムだけ読んでみた。 教科書や参考書を何度も読み返すのは無駄。 入力を繰り返しても効果はない。 出力こそが重要。 しかし、 何十年前の受験時代を思い返しても、 ノートを取らず、答案も書かない受験勉強で、 参考書を読むだけの独学だったので出力は行わなかった。 ただ、思うのは、a、b、cの説明について、 「なるほど、これはxなのだ」と基本的な理解を探し続けたこと。 おそらく、これが出力なのですね。 完全支配要件、支配要件、共同事業要件。 なるほど、これは無意味な決め事なのだと気が付く。 それが出力型の発想方法なのだ。 記憶力が豊かな友人達は、 a、c、cと全ての要件を覚える。 それは、「記憶力のいい人ほど、想像力がない傾向があります」の実践事例なのだ。 記憶力の悪さこそが、 記憶エネルギーを節約するために、 a、b、cの要件について、共通する基本的な理解を探す。 それが「出力」でもある。 P56 今90歳の女性は、当然ですが、90年前に生まれた方です。昭和初期の医薬環境や衛生環境で生まれ育った方が、現在、90歳まで生きるわけです。では、現代の最先端の医薬環境で生まれ育った人は、将来、何歳まで生きるでしょうか。 カリフォルニア大学アーバイン校が発表している「ヒューマンモータリティデータベース」によれば、2007年に日本で生まれた方の寿命の中央値は約107歳と推定されています。驚くような高齢ですが、確かに100年後の未来の医薬技術で守られたら、107歳まで生きたとしても不思議ではありません。 P101 一般に、記憶力のいい人ほど、想像力がない傾向があります。なぜなら、記憶力に優れた人は、隅々までをよく思い出せるため、覚えていない部分を想像で埋める必要がないから。普段から「よくわからない部分を空想で補鎭する」という訓練をしていないと、想像力が育たないのです。記憶力の曖昧さは、想像力の源泉です。 P171 次の日にテストすると、単語を思い出したグループのほうが、モニターを見返したグループよりも、点数が高いのです。単語を見返したグループは、「あったあった!この単語」などと思いながら眺めるので、感触としては点数がとれそうな気分にはなるのですが、実際には点数が低い。再度見ただけでは意味がないことの証明です。 P254 ちなみに、「虐待を受けた子は、将来、虐待する親になる」という、虐待の世代間連鎖については、現在では、統計学的に否定されています。この誤った通説も、社会的差別の原因となりますので、一方的な決めつけや邪推は避けるよう、注意してください。思い込みで人を判断してはいけません。 |
中島 成(弁護士) 日本実業出版社 2017/08/04 民法債権法の改正。 明治29年に制定されて 121年ぶりの改正だそうです。 大山鳴動して鼠一匹の民法債権法の改正。 従来の判例法を取り込んだだけですから、 それを熱意をもって読み込むのは不可能。 そこで、 不動産賃貸業に限った 解説本を読んでみました。 これなら 実感がありますから 読み通す熱意が維持できます。 30分で読める良書です。 結局、改正の大問題は、 金銭債権についての根保証の制限を、 全ての契約の根保証の制限に広げた箇所だけでした。 つまり、仮に、 「保証人は当初賃料の2年分について保証する」 そのような約定が必要になる。 室内で自殺された場合も、 失火で家を燃やした場合も、 保証人の責任は合意した極度額に限定される。 2020年6月1日からの施行を予定。 |
楠木 新(大手生保を定年退職) 中公新書 2017/08/04 サラリーマンの定年後なんて全く興味がありません。 地元でも見かける小汚い年寄り。 本書が、定年退職後の生活を語る事で、 そこから現職時代の生活が見えてくるのではないか。 サラリーマンって、 どんな人生を送っているの。 それを知らなければ社会を知ったことにならない。 何しろ国民の90%はサラリーマン。 しかし、気の毒な人生ですね。 長寿の時代、働く30年の後に、 働かない30年を過ごさなければならない。 「社会と家庭の邪魔者」という以外の人生を築ける人達が、 はたして、何パーセント、存在するのだろうか。 特に、大企業に勤めた エリートサラリーマンの人達。 中小企業に勤めて、自転車で工場に通い、 「社長、そろそろ辞めさせて下さい」 と言いながら勤めている人達の方が、 給料は安くても人生は充実したものになるはずだ。 P26 総務省統計局の労働力調査を見ると、60年前の1957年〔昭和32年)6月の就業者に占める雇胴者数は2017万人、就業者に占める割合は47.5%で半分にも満たなかった。ところが30年前の1987隼(昭和62年)6月で4425万人、74.9%である。それが2016年(平成28年)11月では5733万人、88.9%で、ほぼ90%が雇用者なのである。 P65 しかしながら、私が話を聞いた人たちは、退職することによって生まれた時間をどのように過ごしてよいのか分からずに戸惑っている人が少なくなかった。 ただ多くの人はプライドがあるので、自分の弱みにつながる姿をオープンにはしない。 「毎日が結構忙しくてね」「今、○○のことをやっているのだ」と先ほども述べたように、白分が取り組んでいることをことさら大きな声で吹聴する人もいる。統計数値もないので本当のところは分からない。 ただ私の問いに正面から答えてくれた人たちの中には、「毎目やることがなくて困っている」「一番自由な今が一番しんどい」「家で居場所がない」「暇になったのに焦る」「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られる。 なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思う時がある」とまで語ってくれた人もいる。現役当時のはつらつとした姿は影をひそめ、経済的には困っていないのに窮地に陥っている人もいたのである。 P79 その後は、なぜ「会社は天国」なのかを冗談を言い合うように4人で楽しく語り合った。とにかく会社に行けば人に会える。昼食を一緒に食べながらいろいろな情報交換ができる。若い人とも話ができる。出張は小旅行、接待は遊び。歓迎会、送別会でみんなと語り合える。 遊び仲間、飲み友達もできる。時には会社のお金でゴルフもできる。規則正しい生活になる。上司が叱ってくれる。暇にならないように仕事を与えてくれる。 おまけに給料やボーナスまでもらえる。スーツを着ればシャキッとする。会社は家以外の居場所になる。などなど挙げていけばいくらでも出てきた。もちろん冗談で言い合っていたのだが、本質を突いているところもある。 |
ヘレン・ラッセル CCCメディアハウス 2017/08/01 ロンドンから デンマークに移住した夫婦。 その妻が語る 幸せ度数が世界で一番に高い、 デンマークでのヒュッゲな生活。 著者の文章が上手なのか、 訳者の文章が上手なのか。 なぜ、これほどオシャレな文章が、 流れるように書けるのか不思議です。 こんな本を最後の頁(395頁)まで読めるゆとりのある人生に感謝。 しかし、どうやって生産性を確保するのだろう。 どうやって働くことのインセンティブを維持するのだろう。 多様なルールは生まれてきた時から擦り込まれて面倒ではないのか。 小さな国の、小さな村だから可能な経済システムのように思えます。 過労死の国、日本で、このシステムを採用したら。 午後4時には仕事を終えてしまうシステムです。 P9 その3年後に彼と結婚した。理由は、私を笑わせてくれるから。それに実験的な料理を作っても、お菓子作りで家を爆発させそうになっても文句も言わなかったから。 P19 デンマーク人は純粋にスポーツがしたいからスポーツクラブに入ります。社会的に成功していることを誇示するためではありません。ここではたくさんの人がスポーツクラブに入っており、私も先生やスーパーの従業員、大工さんや会計士と定期的にテニスをしています。 私たちは皆、平等でヒエラルキーは大事なことではないのです。デンマーク人が本当に大切にしているのは信頼関係です」と、クリスチャンは言った。「デンマークでは家族や友人だけを信頼するのではなく、その辺を歩いている人たちをも信頼しています。それが生活や幸せレベルに大きな違いをもたらしているのです。 デンマークでの人との信頼関係の強さは調査の中でも度々証明されてきました。『大半の人が信頼に値すると思いますか?』と尋ねれば、70%のデンマーク人が『はい、ほとんどの人を信頼できます』と答えます。対してヨーロッパの平均では、『はい』と答えるのは30%強です これは驚き。私は親戚の70%を信頼していない。 P33 イギリスでは長年激しく批判され、ついに2010年に廃止になった国民ID制度だがデンマークでは長年にわたって使われている。1968年以来、国民全員が通称CPRと呼ばれる個人識別番号制に登録されている。個人識別番号は誕生日に始まり、その後に4桁の番号が続く。最後の番号が偶数の場合は女性、奇数の場合は男性。番号が書かれた黄色いプラスチック製カードは人事担当が特に強調して書いていたように「いつ何時でも携帯」しなくてはならない。この番号は銀行口座の開設時や医療機関利用時にはもちろん、不動産の賃貸や図書館で本を借りるときさえも必要だ。 |
鬼頭 昭三・新郷 明子 講談社 2017/07/25 アルツファイマーの原因は糖尿病。 これは本当なのだろうか。 本当なら嬉しい。 多くの糖尿病の場合は、 健康的な生活で予防することができる。 P140 解析の結果、外来通院の糖尿病者の59%、つまり約6割で海馬傍回の萎縮が見つか りました。半数の糖尿病者では、海馬傍回の萎縮の程度が脳全体の萎縮の程度の2倍以上に達していました。 P178 以上、アルツハイマー病の予防法についてお話ししてきましたが、ひとことで言えば、その内容は、一般的な健康法やアンチエイジング対策と何ら違ったことはありません。言うは易く、行うは難い面は多々ありますが、地道な日々の心がけが、中年以降の健康な生活を約束し、アルツハイマー病の予防に役立つのです。 |
土屋 健(北海道大学綜合博物館) 誠文堂新光社 2017/07/24 恐竜が滅んで、 哺乳類の時代になった。 それは全くの古典的な理解であって、 現在の常識は、 恐竜という種は、 鳥になって生き残っている。 種の全てが滅ぶこと自体は不合理ですし、 鳥の目、足、子育てなどは恐竜と同じ。 爬虫類の時代になっても、 恐竜は空を支配している。 P63 「子育て」の視点で鳥類への進化を考えたとき、子育てをしているのが父親であるか、母親であるか、というのは、1つの大きなポイントになる。なぜならば、現生鳥類の90パーセント以上は、雄が子育てに関与しているからだ。ヒトをのぞく哺乳類では、雄が子育てに関与する例は5%に届かない。爬虫類においてはもつと珍しいことを考えれば、鳥類の数値は圧倒的である。現在生きる動物たちの中で、鳥類に最も近い存在であるワニの仲闇は、基本的に母親だけが子育てをする。そもそも爬虫類では産みっぱなしも多い。 P85 しかし2012年になって、この見方が通じない恐竜が報告された。全長7〜9メートルという大型のティラノサウルス類が羽毛をもっていたことが確認されたのである。このティラノサウルス類は「ユティラヌス(Yutyrannus)」と名づけられた。今から1億2500万年前頃の中国遼寧省に生きていた恐竜である。 |
上原善広 新潮社 2017/07/14 このような内容を書籍にして良いのだろうか。 食肉業界で伸し上がった父の怒濤の人生。 つまり、当事者だから許されるのか。 P41 とばで働いているときのクセで普段から大声なのが、さらに大声を張り上げたものだから、猛者ぞろいで知られる松原署内も一瞬にして静まり返った。 「コラッ。お前こそ、ここをどこや思とんねん。字ぃもよう書けんエッタのくせしやがって、署内で大声出すなッ」 担当の若い巡査がつい口をすべらせてそう言うと、為野の頭にさらに血がのぼった。 「なんやと、おどれ、エタて何やねん。ワシがエタやったら、おどれらはイヌやないけ。こっちが下手に出てたら、付け上がりやがってッ」 P128 のちに代議士となる解放同盟大阪府連の幹部で「大阪府同和地区企業連合会」の常任理事であった上田卓三などによって、解放同盟の指導により提出された税務申告は、すでにフリーパスで認められるようになっていた。これは龍造にとってかなり有利に働いたが、大阪の食肉関係の仕事はほぼ路地の者で独占されていたから、他の業者も条件は同じである。 P129 しかし向野のレベルは、更池の比ではなかった。川田萬率いるカワナンだけではない。下田建設は同和地区に優先的に割り当てられる公共事業を独占して、和歌山でクジラを飼っていると評判の成金になっていた。共産党は同和利権を徹底して叩いたが、誰も相手にしなかった。 P216 大阪の路地ではもうカワナン以外に頼るところがなくなっていた。食肉という大阪の路地の地場産業が壊滅状態に陥り、それは解放同盟にも大きな影響を及ぼした。 同和対策関連の法律が失効した平成14年以降、同盟員の数は激減していた。金の切れ目が縁の切れ目である。 同和対策事業に深く食い込んでいた解放同盟について、利権にまつわるありとあらゆる情報が役人などから漏れだし、批判報道が相次ぐことになる。 その中心となったのが、カワナンの川田萬の同和スキャンダルだった。 カワナンによる牛肉偽装が発覚し、川田が逮捕されると、世間の非難は川田に集中する。 実際は大手の業者も同様のことをやっていたのだが、ターゲットは川田に絞られた。同和利権を快く思っていなかった役人などのリークが相次ぎ、以前から調査をしていた共産党のデータをもとに、マスコミによる批判が激しくなった。 その中心にいたのは、羽曳野の向野出身で共産党の重鎮であった味野友映である。 川田萬の写真を入手しようと駆け回っていた週刊誌記者を前に、味野は宿敵の写真をざっと並べて言い放った。 「どれでもええから持っていってや。一番人相が悪いの、選んだってやッ」 ここにきて時代は大きく変わった。同和タブーの崩壊である。 |
近藤由美 東洋経済新報社 2017/07/13 さすがノンフィクションライター。 上手に寄付をまとめますが、 しかし、生活実感が無いのが物書きが書いた文章。 少子化の時代、 相続人がいない高齢者が 期待する相続財産の処分 立派な建物を新築する プロテスタントの教会 寄付すべき対象を探している高齢者は多いのだと思う。 P34 1850年頃、嘉永年間の日本。江戸町民の就学率は70〜80%、全国平均でも男性が50%前後、女性20%程度と推計されています(石川英輔、田中優子『大江戸ボランティア事情』)。 1837年のイギリスの大工業都市は20〜25%、1973年のフランスで1.4%、1920年のソビエト・モスクワで20%程度と推計されていますから、江戸時代の日本の就学率は列強諸国の中でも群を抜く高さです。 福沢諭吉も「おおよそ国の人口を平均して、字を知るものの多寡を西洋諸国に比較しなば、わが日本をもって世界第1等と称するも可なり」と述べています。 P123 実際、東京の陽和病院の森川すいめい医師(精神科)らが、国内で初めて、東京・池袋駅周辺の路上生活者を対象に実施した調査では、うつなどの精神疾患を抱えている割合が、2008年で62.5%、2009年で41.0%と高いことがわかっています。2009年末の調査では、対象者168人のうち34%が知能指数(IQ)70以下で、知的機能障害のあることが推測されました。 路上生活者には、精神疾患や知的障害、あるいは身体障害を抱えた人も多く、いくら努力しても一般の社会生活を送ることが難しいという現状があります。 |
きたやま おさむ 岩波書店 2017/07/10 「帰ってきた酔っ払い」 一時代を作ったフォーク・クルセダーズのメンバーの1人が、 ディビューから解散、その後の人生を語ります。 メンバーの1人は医学部生で、 その後、どんな人生を歩いたのだろう。 精神科医だそうです。 ただ、得るところはありませんでした。 あれだけの文化を創り出し、 才能があり、精神科医でもある。 いや、彼の メッセージを受け取る能力が 私に存在しないだけの話しです。 経験のない者に、 経験を語っても、 理解して貰えない一例。 P123 そのため、フォーク・クルセダーズの活動の後半には、キャバレーまわりなどもして、お金を稼がなければならなくなってしまいました。当時、小倉と博多に「月世界チェーン」というキャバレーが何店かあり、そこをまわったことが苦い思い出として残ります。 キャバレーのステージでも、酔客を満足させるようなパフォーマンスができるほどの力があるわけでもありませんし、また、満足させようという情熱もない。ましてや、そこで自分たちが面白がって遊ぶような気力も残ってはいない。 P127 しかし、私は、もともとこの世界に来たのが間違いだったと感じていました。もちろん、私のつくった歌や演奏に、人びとが喜んでくれているのも知っている。でも、やっぱりもう家に帰ろうと決めました。軸足をホームに移す―――それは、自分自身のための時間、空間、生活を取り戻すことでした。そして医学部での学生生活に戻ることを決心しました。 |
中島義道 文藝春秋 2017/06/29 哲学とはなんなのか。 著者の我欲と哲学を統合した思想は面白い。 自身は、大学教授という安定した地位を得て、 カントの研究では第一人者と自称し、 多数の書籍を出版し、それが売れていると自慢する。 それなのに、 自身は不孝でなければならないと定義し、 幸福を求めることは妥協だと切り捨てて、他者に正義を求める。 こんな方が身近にいたら大変だと思う。 これが哲学なのかな、著者の我欲なのか、 著者の思想を突き止めたところで、 不孝についての解決策が見つからず、 不孝の位置付けも出来ない。 しかし、不孝が好きな人達には、 著者の論じる不孝論は楽しくて仕方がないと思う。 特に、不孝について解決策がないことが嬉しいのだと思う。 P50 それは、この人生において「幸福を求めてはならない」ということである。正確に言い直せば、「幸福を第一に求めてはならない」ということ、幸福は常に「第2の地位になければならない」ということである。「幸福」とは、普通、この世で(あるいはあの世でも)人が望むすべてである。すなわち、長寿であり、健康であり、家庭であり、仕事であり、信頼する者がいることであり、他人から信頼されていることであり、愛する者のいることであり、愛されていることであり、生きがいを感じることであり、他人から評価されることであり、優れたものや美しいものを享受できることであり、場合によれば、それらを産出できることであり、精神的に物質的にも充たされていることであり……場合によっては、永遠の生命であり、魂の救いであり……とにかく「すべて」なのだ。 P74 では、なぜ問題視するのか、それは、あくまでも真実=誠実を幸福より優先したいからではない。その底には、もう一つ大きな「原因」がある。それは、世の中の個人個入に与えられた「幸福になる要素」が恐ろしく不平等だからである。 たしかに、何が幸福か不幸かはつきつめればわからない。だが、そう言っていられる人は、やはり欺隔的である。普通は、人間の生物体としての機能に欠陥がないこと、眼が見え、耳が聞こえ、脚で歩け、手でつかむことができ、生命を脅かされるような疾患(例えば心臓の疾患)のないほうが、こうした疾患を有しているよりも幸福であろう。そういう子や親や兄弟をもっていない者のほうが、もっている者より幸福であろう。できれば、優れた知的・肉体的遺伝形質をもっている者のほうが、そうでない者より幸福であろう。そして、人生の途中で不運な事故に遇った者、犯罪者として罰せられた(ている)者より、そうでない者のほうが幸福であろう。さらに、自分が好きなことかつ社会的に評価されることを一生の仕事にできる者のほうが、そうでない者より幸福であろう……。 少なくとも原則的にこの通りであると私は信じるが、そうすると、個々人の不平等は目を覆うばかりであり、しかも「解決」はほとんどない。私はこの現状を見て「心のもちようで誰でも、どんな状況でも幸福になれる」と言う人が嫌いである。こう語ること、こういう振りをすることは、私の感受性と信念とに反するのであり、よって、私は誠実であろうとするなら、こう語れないのであり、こう語る人とつきあうことはできないのである。 |
大森正司(食品化学) 講談社 2017/06/23 歴史もあり、 文化もあり、 世界の嗜好であり、 味もあり、 礼儀作法もある。 もう少し、 面白い本が書けて良いと思う。 P27 このように紅茶、ウーロン茶ができるときには、微生物による発酵はかかわっていないことがおわかりいただけると思います。ここでいわゆる「発酵」と呼ばれる工程には、茶葉の中で水や酸素が加わって変化する化学反応なので、「付加反応」というのが正しいのです。 P182 つまり、普段お茶を滝れるときも、うま味と渋みをバランスよく抽出できるのは2分程度の蒸らし時間であり、それより抽出時間が長くなると、渋みが際立った味わいになるとわかります。 渋みよりうま味のほうが立ち上がりが早いため、渋いお茶が苦手な人は、蒸らし時間を2分弱に、パンチの効いた味が好みの人は、蒸らし時間を2分以上にするとよいということになります。 |
カミユ 新潮文庫 2017/06/15 高校生の頃、 いや、中学生かな、 その頃に読んで良さが分からなかった。 「今日、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれない」。 その言葉は今でも記憶に残っている。 カミユの ペストも読んだが、 良さが分からなかった。 書き出しが思い付かず、 一生、一作も書いていない作家 そのような一文が面白かっただけだった。 まだ、私には、 年齢的に難しいのだと、 その頃、 私の周りにいた大人達が語った。 で、いま、読んでみた。 全く、面白さが分からない。 テーマも分からない。 しかし、 ノーベル文学賞の作者です。 キリスト教文化で作られた社会。 その社会に住む人達には意味があるかも。 しかし、日本人で 絶賛している人達がいる。 あの人達は、本当に、 意味が解って絶賛しているのだろか。 おそらく、神の存在について、 「意味が解らず絶賛する人達」に対する皮肉が、 「異邦人」のテーマなのだと思いますが。 |
池谷裕二 朝日新聞出版 2017/06/14 週刊朝日に連載された池谷教授のコラムです。 ときどき、 週刊朝日を購入したときには、 この連載を読みたいので、 来週も購入しようと思うのですが、 しかし、 文字を読むのが本業の立場でも 週刊誌を読むほどには暇ではない。 一冊の本になって喜んで手にしたのですが、 池谷教授の著作を、既に、何冊か読んでしまった為か、 最初に池谷教授の本を読んだとき程の驚きも感激もない。 63項目のコラムですが、 私が書いている「税理士のための百箇条」もマンネリなのだろう。 「続編」に続いて、「続々編」を想定していたが考え直してみよう。 P22 つまり、できない人ほど「自分はできる」と勘違いしている傾向があるのです。結果として、人々がイメージする能力の個人差よりも、実際の能力差は大きいということになります。この現象は、なにもユーモアの理解力だけでなく、論理的な思考力から一般の学力試験に至るまで、普遍的に見られます。 もちろん、この事実だけでは、能力が低いから自分を客観視できないのか、自分を客観視できないから能力が低いのかはわかりません。しかし博士らは、さらなる詳細な調査を行って、次のように推測しています。 1 能力が低い人は、能力が低いがゆえに、自分がいかに能力が低いかを理解できない。 2 能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。 3 だから、能力の低い人は自分を過大評価する傾向がある。 この現象は、心理学の分野で広く認知され、発見した博士らの名前にちなんで「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれています。 この効果のおもしろいところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが「たしかに勘違いしている人はいますね。具体的に思い浮かびますよ」と、自分を棚に上げることです。言うまでもありませんが、これもまたダニング=クルーガー効果の一種で、「バイアスの盲点」と呼ばれます。 P86 博士らは、55〜80歳の男女60人に1日40分間の散歩を週3回続けてもらい、脳がどのように変化するかを調べました。すると半年後には、海馬のサイズが平均2%拡大し、それに伴い記憶力も高まることがわかりました。海馬の増大率が高い人ほど、記憶試験でよい成績を収めました。散歩によって体内の「脳由来神経栄養因子」(通称BDNF)の分泌量が増加しますが、これが記憶増強の鍵を握っているようです。 P160 なぜ安心感なのでしょうか。根深い業です。悲しいかな、ヒトは本質的に他人の不幸が快感なのです。そんな卑劣な感情が自分に宿っていることは認めたくないかもしれません。しかし、他人が失墜すると確かに脳の報酬系が活動するのです、動物たちの長い進化の過程で「仲間を蹴落としてでも肖分の遺伝子を残したい」と願う自己保存の本能が育まれ、これが今でもヒトの無意識の脳に宿っているのかもしれません。 悲しい音楽を求める心理に、そんな背徳的な快感が潜んでいるとは意外な気がしますが……。おっと、そろそろ『ラ・ボエーム』の終幕になりました。ここで筆をおき、主人公の悲しみを、「所詮は他入事だ」と、悲しみ興じたいと思います。 |
AIショート集 文春文庫 2017/06/13 太陽系や銀河系など 宇宙が現実的な知識になってきた時代、 「2001年宇宙の旅」のSF小説の時代が終わり、 ソ連の崩壊で フォーサイスのスパイ小説の時代が終わり、 フィクションの日照りの時代が続いたのですが、 AI、 ディープラーニングの SFの時代が始まりつつある。 多様な理論や技術の可能性は、 まず、SF小説が語り、それが現実化していく。 全ての短編が面白い。 |
江原啓之(スピリチュアリスト) 徳間書店 2017/06/13 1冊の本に100項目、 「税理士のための百箇条」と同様の編集なので、 そのような書き方に興味があって手にしてみました。 私にはダメでした。 事象を理屈で分析するのではなく、 あくまでも精神論で幸せを論じる。 「努力をすれば必ず報われる」という理屈はありません。 「乗り越えれば」その後には成就が待っているという理屈もありません。 ただ、一点、「情けは人のためならず」は、 私も理屈を組み立てたいと思っていたテーマでした。 「情けは人の為ならずとは、人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教え」が国語的な解釈ですが、しかし、そのような因果関係はありません。 理屈は、本書が述べる5で成立する因果関係と思います。 つまり、情けを掛けるような個性が自分自身にも良い結果を生む。 しかし、「必ず手を差し伸べられる」という因果関係はありません。 あくまでも、 自分が生きる 「原理原則」としての 「情けは人の為ならず」です。 P12 1 真実に目覚める 真の世界に不公平、不条理はありません。努力をすれば必ず報われる。だから人生は素晴らしいのです。姑息が不幸をつくっています。姑息な生き方はやめましょう。 P14 2 言霊を大切にする 3 運命を自分の力で切り拓く 4 守護霊に可愛がられる生き方をする P20 5 幸せの種をまく 「情けは人のためならず」と言いますが、情けは相手のためだけではなく自分自身のためでもあります。直接相手から還ってこなくても、その姿や心の姿勢はわかる人からは評価され、自分自身が大変なときに、必ず手を差し伸べられるのです。 P22 6 無駄な経験はないととらえる 人生では躓くこともありますが、すべてはカリキュラム。経験と感動です。そのままでいるからいけないのです。「負けるが勝ち」という言葉があるように、乗り越えれば、必ずその後には成就が待っています。 |
石飛幸三(医師) 講談社文庫 2017/06/13 血管外科の医師が、 最後の仕事して選んだのが 特養の常駐の医師という仕事。 医者の視点、 いや、それよりも人間の視点での最期が語られます。 両親の老後を想定すると共に、 自分の最期を想定して心の準備をする。 そのことについて多様な事例と視点を提供してくれる書です。 P176 結局、患者さんは亡くなられました。私は患者さんのご自宅にお伺いし、ご家族にお詫びをいたしましたが、ご家族の方は諦めきれず、私は訴えられました。私はこれまで手術を通して数多くの方に喜んでいただきましたが、一方ではこのような十字架を何本か背負っています。 十分な説明とは何かということも問題であります。「しょせん、こわれそうなものを治すのですから、何が起きるか判りません」とお話をして、患者さんとご家族が納得されればそれでよいのか、割り切って言うことが、苦しんでいる患者さんを更に追いつめ、不安に落とし入れることにならないのか、インフォームド・コンセント、すなわち「説明と同意」と言っても、それは一面、手術をする者の自己弁護であり、責任回避ではないのか、様々に自問自答いたします。 P205 それに加えてもう一つ、私には一人の人間として、人生の最期をこの目でもっと確かめたいという思いがありました。それを焚き付けたものは、外科医として、病院の管理者として、世間からちやほやされていた者が、自分にも訪れてきた老いの影と向きあうという試練でした。それを通して、私は生きるとはどういうことか、その締めくくりはどうあるべきかを是非知りたいと思ったのです。 P13 しかし、ほとんどの方は喋れません。寝たきりで寝返りも打てません。今この人たちは何を考えておられるのだろう。どんな思いでおられるのだろう。鼻から管を入れられて、1日3回宇宙食のような液体を滴下され、定時的にしもの処理をされて、人によっては何年も生き続けるのです。この方々に、生きる楽しみがあるのでしょうか。胃に直接注入される“宇宙食”は、ご本人にはどのような味がするのでしょうか。その上この方たちは、「今日はお腹がすかないから、もう結構です」と言えないのです。この人たちは誰のためにこんな難行苦行を強いられなければならないのでしょう。 P35 だから、病院で医師から、経口摂取は無理なので胃痩を付けるしかないことを告げられた時、それを断りました。でも病院としては、いつまでも点滴だけで病院に置いておくわけにいかないので、一時的な処置として鼻から細い管を胃に入れて(経鼻胃管)経管栄養の注入を始めました。娘さんたちは結局どうして良いか決心がつかないまま、お母さんは経鼻胃管のままホームに戻って来ました。 P67 一方では、兼好法師のように「命長ければ恥多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」という人もいるでしょう。ただし40歳というのは、現代では働き盛りなので、早すぎるように思いますが。しかしいずれにしても、老いさらばえてまで生きたくないという考えは頷けます。ただしどう考えるかは個人の自由です。 |
加藤 隆(神学博士) 講談社学術文庫 2017/06/12 ユダヤ教の中から発生し、 ユダヤ教の中に存在したキリスト教が、 どのような経過を経て1つの宗教になったのか。 ペテロや、 パウロの時代から、 福音書が記録されるまでの時代を語ります。 なぜ、キリスト教は、 ユダヤ教から独立して確かな 宗教としての位置を獲得することが出来たのか。 やっと半分まで読み終えました。 後半分を読めばキリスト教の成立が位置付けられる。 P46 イエスとともに十字架につけられた2人の「強盗」は、ゼロテ派の者である可能性が大きい。 P47 日常生活の道徳のことしか眼中にないようなキリスト教の流れにおいてこの譬は、「困っている人を見たら助けましょう」といった教訓を与えるものとしてしか解釈されていないようだが、ルカ福音書の文脈のなかでは、この譬はそんな暢気な教えを述べたものではない。 P77 キリスト教は、自分を取りまく社会環境のなかで、すでにそこで了解可能となっている枠組みを利用しながら自らの説明を試みようとしているともいえるだろう。 この指摘は、新約聖書の成立を考えるうえで、たいへん重要である。新約聖書がまとまった1つの書物として成立し権威をもつようになるのは、4世紀以降である。つまりそれ以前のキリスト教には、このような意味での新約聖書は存在しなかったことになる。したがってキリスト教は新約聖書を絶対的根拠とするものだと考えることは、現実のキリスト教の理解としては不十分だということになる。 |
中島 義道 KADOKAWA 2017/06/03 初めて、哲学というモノが分かったような気がする。 著者が研究しているカントではなく、 本書に語られる著者の考え方、 それが哲学的な思想なのだろう。 なぜ、自分に生き方について、 ここまで否定的な分析を掘り下げる必要があるのか。 「好き」「善意」ではなく、 「嫌い」「悪意」を強調する生き方。 それこそが人間というモノの深い分析なのだろう。 ボランティアや、 宗教とは真反対の、 いわばサタンの視点での自分の分析。 しかし、それなくして 深く自分自身を知ることはできない。 ただ、著者を取り巻く家族は、 それなりの関係を著者との間に維持している。 もし、本書に書かれた事柄が著者の日常生活なら、 家族、友人、職場の人達は離れてしまっているはず。 本書の解説者の善意ある評価のように、 偽悪的に振る舞う善人。 それが著者なのかもしれない。 P74 まだ26歳だ。だが、自分の人生は何もかも失敗であった。どうしてこんなことになってしまったのか、わからなかった。というより、自分が何を望んでいるのか、わからなかった。「どうせ死んでしまう」ことを「解決する」とはどういうことであろう?確かに「死んでしまう」ことは1つの解決である。死んでしまえば、「どうせ死んでしまう」という叫び声が聞こえなくなるのだから。 P75 いつも、ここで私の思考はストップしてしまうのであった.、そして、急速に現実的な方向に回転していく。もっと、何かがありそうだ。それを突き止めるにはもう少し時間が欲しい。それには、何らかの仕方で生きねばならない。一生ひきこもって生きることはできないだろう。では、どうするのか?そこで、また思考は動かなくなるのであった。そんなある日のこと、もう生きる気力もないと思い、ふっと応接間のガス栓をひねって自殺未遂をした。半狂乱になった母を見たとき、身体の底から快感が込み上げてきた。これは両親に対する復讐なのだということに気づいていた。 P91 確かに、私は高校のときのみならず、中学のときから、いや生まれたときから東大に行くように言われていた。そして、それを当然の義務のように自分に言い聞かせてきた。思えば、残酷なことであり、一種の虐待である。しかし、それも自分が選んだことなのだ。なぜ、自分はこうなのか?こうした肥大した虚栄心さえ捨て去ればどんなに人生は生きやすいことであろう?それはわかっていた。だが、どうしてもそれができないこともわかっていた。 病的な虚栄心は東大入学後もぐつぐつ身体の底で煮え続け、私を痛めつけてきた。 P95 私はその言いつけを守って、現役で文1に合格した。もしあのとき私が合格しなかったら!まず、父が私を軽蔑するだろうということを恐れた。そして、母も、祖母も、それに同調するだろう。高校や中学校いや小学校の先生方も、さらに近所の人々も、「いいきみだ」と笑うことであろう。そうした冷たい軽蔑の視線に耐えながら、あと1年生き続けることはできないかもしれなかった。その後の長く生きにくい人生を思い返すと、こういう形で、私をがんじがらめに縛りつけていた両親が許せないのである。 だが、虚栄心に満ちた中島の家の空気を多分に吸ったおかげで、とにかく東大助手にまでたどり着けた。そして、いま、これまでの苦労が水泡に帰するような危機に襲われている。この苦境をどうにか脱出しなければならない。とはいえ、「どう」脱出できるのであろう?あれほど憧れた東大という職場であるが、いまとなってはどこでもいい、なるべく東京から遠い大学に行ってしまいたかった。 |
原田おさむ KADOKAWA 2017/06/03 売れないピン芸人が、 パチンコ店の店員として働いて 妻子を養ってきた生活を語ります。 パチンコ店の店員の過酷な生活。 本当にこんな状況なのだろうか。 リアルな生活と芸人への夢と家族愛、 著者の20年間の生活が語られます。 読み物として秀作で、 これだけの著作が書けるのは才能です。 しかし、 一冊の本で人生が肯定される 又吉直樹の「花火」のようには、 人生には奇跡は起きないのだと思う。 花火よりは、よほど良い文章と思いますが。 P213 指輪が楕円形に変形してしまっている。妻と結婚してからもずっとパチンコ屋で働き続けていた。もうすぐパチンコ屋歴20年になる。毎日毎日玉の入ったドル箱を持ち続け、左手の指輪が、それにより変形してしまったのだ。 P238 最後になんの因果かこの本を手に取り、このページまでしっかりと読んで下さった方々。こんなどこの誰かもわからない、原田おさむという聞いたことない、売れてない芸人の本。しかもパチンコ屋の話ばかりで、嫌いな方は本当に嫌いな話ばかりだったでしょうが。最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。この本を手に取っていただけただけで感謝です。 もし何かのボタンの掛け違いがあったなら、それだけでこの世に存在していなかった本です。手にしていただき、読んでいただき、本当にありがとうございました。そして、辛いお仕事をされている方の、明日への活力になればと思っています。そこまでたいそうなことはなくても、「明日は頑張ろう!」くらいに思っていただければ、この本を書いた意味があります。 |
舛添要一 小学館 2017/06/01 「舛添叩き」の批判から始まった本書、 どこから本論が始まるのかと読み進めたのだが、 最後の最後まで「舛添叩き批判」で終わってしまった。 叩かれるには理由があるだろう、 それが権力者の戦略なのか、 本人の不徳なのか。 あれだけの事件を経験したのだから、 「批判に対する批判」だけではなく、 それを知恵にまで分析した主張が欲しかった。 舛添叩きが異常だったとしても、 所詮、その程度の人間。 それが舛添叩きの原因だったのだと思う。 P15 こうして「舛添悪しー」の論調で、すべてのマスコミが、そして社会が、動きはじめた。マスコミは、日本国民の生殺与奪権を握っていると言っても過言ではないと痛感した。 P25 新しいメディアの出現で衰退産業化しつつあるテレビ業界も、コストをかけずに容易に視聴率を稼げる舛添叩きに加わったのである。週刊誌と違って、ワイドショーは毎日放送がある。週に1度出る週刊誌記事を材料に、「別荘」、レストラン、古書店などに取材に行って映像をとり、それを毎日垂れ流す。私の自宅を外から撮影して、「今、家の中で知事は何をしているんでしょうか」というコメントをつけて番組にする。 |
川上和人(鳥類学者) 技術評論社 2017/06/01 ダジャレ部分が多くて、 読み難いこと、この上ない。 鳥は、 恐竜の進化の枝分かによって 出現した恐竜の子孫だと論証する。 確かに、鳥は、 見た目も恐竜だと思う。 骨の化石からだけではなく、 生きていて羽に覆われた鳥から、 恐竜の機能が解明できたら面白い。 P64 今から150年前、シソチョウが発見された頃には、鳥類と恐竜がこれほど緊密な関係になることは予想されなかった。しかし、地道な証拠の積み重ねにより、鳥類が恐竜から進化してきたことは疑いようのない事実となった。今も、続々と羽毛恐竜が見つかっており、鳥と恐竜の関係は着実に強化されている。彼らの関係が明らかになってきた今、次に期待されるのは両者の研究成果のフィードバックである。 |
前野 ウルド 浩太郎 光文社新書 2017/05/29 ポスドクで、 2年間の収入しか保障されていない筆者が、 将来の研究職の地位と 安定収入を求めてアフリカに渡る。 バッタの研究をして 一旗揚げて研究職の地位を確保する。 そのような研究者の 涙と苦労の2年間(3年間)が語られます。 本書を読み進めて、 最後にはアフリカのバッタ問題を解決して凱旋する。 そのような結末を期待していたのですが、 アフリカの現状には一点の解決策も無い。 私たち実務家と違って、 研究職の人達は、 新しい発見をして、 学問に貢献すれば、それが成果なのですね。 もしかして、 その成果を利用して、 アフリカのバッタ問題を誰かが見付けるかもしれない。 本書の場合も、 何が著者の成果だったのかは分かりませんが、 研究費を得て、 2年間、3年間の定期雇用の口を見付けて、 上手く行けば終身雇用に繋がるかもしれない。 そのような成果を得た研究者の笑いと努力の物語。 研究者の「成果」というモノの見方が発見でした。 P259 なぜ、こんなことになってしまったのか。理由はわかっていた。就職活動を一切していなかったからだ。アフリカで大活躍したら研究機関から自動的にお声がかかると淡い期待を抱いていたが、うまくいかなかった。 「自分ならなんとかなるんじゃ……」 有史以来、自意識過剰は一体何人を無収入送りにしてきたのだろう。私もまんまと一杯食わされた。 バッタさえ大発生していたら……、手柄さえ立てていれば……、今ここで「たられば」を言おうが、弱者は実力社会では消え去る運命。自然も世間も甘くはない。ただそれだけのことだ。どこかによい研究ポジションの募集が出ていないかチェックはしていたが、ここぞというところを見つけることができず、また、手当り次第申請書を送ることもしておらず、結局は1つも応募していなかった。 今後、私がとるべき道は2つ。日本に帰って給料をもらいながら別の昆虫を研究するか、もしくは、このまま無収入になってもアフリカに残ってバッタ研究を続けるか。決断のときが迫っていた。 多くのボスドクは、「就職」の2文字に恋い焦がれ、どこかに公募が出ていないか、仕事で疲れた目を光らせながら日々を過ごしている。日本に戻り、別の昆虫の研究をするボスドクとして誰かに雇ってもらえれば給料はもらえるが、それは心底やりたいことではない。一方、このままアフリカに残ると収入はないが、自分の好きな研究ができる。夢と生活を天秤にかけてみる。引き返すなら今だ。今ならまだ貯金も100万円あるし、日本で地道に研究を続けていたら昆虫学者になれるかもしれない。しかし、それだと、もし自分が去った後にアフリカでバッタが大発生しても、すぐには駆けつけられない。そんなことになったら一生後悔するのは目に見えている。未練は私の人生を暗くし、後悔は私の心を一生曇らせるだろう。 金の前に、夢も博士も無力だった。こんなはずじゃなかっただうと、預金通帳が問い詰めてきた。 |
坂上 忍 新潮新書 2017/05/27 芸能界で大活躍している著者が、 自分の仕事に対するスタイルを語ります。 嫌われても筋を通すと。 著者の生き方は分かりますし、 大活躍している著者ですから、 その生き方だけでも本は作れますが。 この著者が、そこらの公務員だったら、 ただの口うるさいだけの頑固上司のスジ論。 一般化できる「スジ論」ではありません。 自分が、いつ干される分からない芸人だとしても、 スタッフとして勤務した従業員に対して、 「スタッフの代りだっていくらだっている」という対応はあり得ないだろう。 P5 結局、ここまで自分のスジを押し通して過ごしてしまった。正直、疲れた。だって、受け身の方が仕事を回転させる効率はいいから。スジを通すという行為は受け身だけでは済まないから。少なからず摩擦は生じますからね。摩擦は相手も自分も、時に傷つくから……。 P52 だって、代りなんていくらでもいるんだから。この考えが、わたしの性質の悪いとこうと言いますか、「役者の代りなんていくらでもいる」ってところで育ってますからね。だったら、スタッフの代りだっていくらだっているわけですよ。ですから、「嫌になったら辞めて頂いて結構!」ってスタンスですからね、手加減なしなわけです。 |
永田和宏(鉄冶金学) 講談社 2017/05/25 鉄という不思議な存在、 軽い元素も、 重い元素も、 鉄になったところで安定してしまう。 位置エネルギーが尤も低い元素です。 その道のプロが書いた本なら収穫があるだろう。 P24 46億年前地球が生成した頃は地球の大気は炭酸ガスで、マグマに含まれた鉄はイオンとなって水に溶けて海に流れ込んだ。その後、光合成生物によって作り出された酸素と結びつき、溶けていた鉄イオンは海底に沈み岩石になった.その後、海底が隆起して大陸になり、「赤鉄鉱(ヘマタイト)」の鉱脈ができた。したがって、赤鉄鉱石は大陸で採れる。 日本列島は火山国なので、赤鉄鉱石はほとんどない。しかし、火山から噴き出したマグマは風化し砂となつて河川に流れこむ。この中に含まれている砂鉄が「磁鉄鉱(マグネタイト)」で、比重が大きいので川の淀みに溜まり、また海岸に打ち上げられる。これがたたら製鉄の原料になる。 |
読売新聞東京本社経済部 光文社新書 2017/05/23 地方銀行には存在価値があるのか。 いや、都市銀行の存在価値だって怪しい。 預金金利が5%の時代は、 それを融資することで3%の利ざやが稼げた。 1億円の融資で300万円、10億円の融資で3000万円。 いま預金金利は0.1%ですが、 貸出金利も1%を割るような時代。 1億円の融資で100万円、10億円の融資で1000万円。 さて、どのような未来像を書いているのか。 全くダメですね。 P114 第一勧業信用組合 本気のお客さま第1主義 職員たちが現場に足を運び始めると、融資先の個人事業主や中小企業からは驚きの声が上 がった。これまでの「お金を借りませんか」といったセールストークにはうんざりしていたが、「工場を見せて下さい」という言葉からは、事業を理解しようという真剣さが感じられたからだ。 P125 福島銀行 「倒産者」求む 注目度は高く、全国から応募案件がある。それだけもう一度事業を興したいという倒産経験者が多い証拠だが、玉石混交で、「事業性に欠け,夢を追いかけているだけの案件もある」(福島銀行関係者)という。 P130 北海道銀行 極東ロシアを狙え 「冬場に安心・安全で新鮮な野菜を作れないか。住民はクリスマスに新鮮なトマトを食べたがっている」。ロシア東部のサハ共和国の政府系銀行から、北海道銀行に風変わったこんな相談が舞い込んだのは、15年9月のことだった。 P142 山梨中央銀行 宝石を売る銀行員 山梨中央銀行は12年度から行員10人ずつを1年間地元企業に派遣している。給料や出張費などは銀行が負担する思い切った制度だ。地元で盛んな宝飾加工や宿泊、ワイン製造業など多岐にわたる。これほどの規模で企業に派遣している地域金融機関は全国的にも珍しい。派遣から戻ってくると、行員は経験を還元している。 P147 北越銀行 錦鯉を担保に 木津さんが「ニシキゴイを担保にして、融資をすれば事業拡大にもつながるはず」と考え、行内に提案したのは約3年前のことだった。行内からは「価値を正しく評価できるのか」と難色を示す意見が出た。ニシキゴイは高値で取引されるものの、その値段は見る人によって異なる。素人の銀行員が価値を評価するのは難しい。 |
J.D.ヴァンス(弁護士・会社経営) 光文社 2017/05/22 こういう本に出会えるから、 本を読むのは止められない。 翻訳物の読み難さが無く、 読み飛ばすこと無く、 400頁を2日で読んでしまった。 米国の貧困白人層を語り、 トランプ政権の誕生を語り、 必然的な偶然によって あり得ないことが現実化した主人公の人生を語る。 私の人生に重ねて読んでしまった。 いや、私は、 これほど悲観的な環境ではなく、 これほど成功した人生ではないのですが、 しかし、貧困者が抱く夢(努力という動機の無い人生)はわかります。 P410 トランプを冗談候補としてあざ笑っていた政治のプロたちは、彼が予備選に勝ちそうになってようやく慌てた。都市部のインテリとしか付き合いがない彼らには、地方の白人労働者の怒りや不信感が見えていなかったからだ。そんな彼らが読み始めたのが、本書『ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)』だ。 P411 こんな環境で高校をドロップアウトしかけていたヴァンスが、イェール大学のロースクールに行き、全米のトップ1%の裕福な層にたどり着いたのだ。この奇跡的な人生にも興味があるが、ベストセラーになった理由はそこではない。 P413 「アメリカ人の中で、労働者階層の白人ほど悲観的なグループはない」とヴァンスは言う。黒人、ヒスパニック、大卒の白人、すべてのグループにおいて、過半数が「自分の子どもは自分より経済的に成功する」と次世代に期待している。ところが、労働者階級の白人では、44%でしかない。「親の世代より経済的に成功していない」と答えたのが42%だから、将来への悲観も理解できる。 P416 彼がアイビーリーグ大学のロースクールに行って弁護士になれたのは、彼がずば抜けた天才だったからではない。幸運にも、愛情を持って援助してくれた人たちがいたからだ。また、海兵隊に入隊したのも、人生を変えるきっかけになった。ヴァンスは、海兵隊で初めて、ハードワークと最後までやり抜くことを学び、それを達成することで自尊心を培った。 P93 P233 P247 P307 P346 |
廣田信子(マンション管理士) 宝島社 2017/05/19 戸建てにしか住んだことがないので、 マンションに住む実感が分かりません。 ますます増え続けるマンションですが、 騒音、ご近所様、閉塞感(?)などなど。 本書は、マンションの管理の解説ですが、 そこから読み取れるマンション生活があるのか。 それは読み取れませんでしたが、 集団生活に無理な私には、ちょっと難しい生活。 P13 それでも、マンションを建てることが仕事の企業は仕事を求め続けるでしょう。企業の存続のために。新たな開発を求める企業が、最後の砦である駅前の団地の再開発をどうしてもやりたいと思うのは、想像ができます。 P17 それにしても、外国人投資家と、相続税対策で購入する富裕層と、夫婦共働きでがんばって子育てしているファミリーが組合員になる管理組合って、どんな運営になるのでしょうか……。合意形成が一筋縄じゃいかないことだけは確かです。 P28 路上生活者に住宅を用意し、生活保護が受けられるようにして、そのほとんどを上納させている……という、貧困ビジネスを行っている団体が、分譲マンションの1室を購入して細かく部屋を仕切り、元路上生活者の共同生活の場にしているような事例も出てきています。 P40 2016年2月17日、11億円の横領で、石打のマンションの元理事長が逮捕されました。マンション管理新聞(2015.12.5号)の記事によると、舞台は、築25年、2棟549戸のタワーマンション。管理組合法人の元理事長が総額11億7800万円を着服。着服は16年にも及んだのです。 |
今井むつみ(認知科学、言語心理学、発達心理学) 岩波新書 2017/05/19 人間は、言葉でしか思考できない(?)。 では、ハナグマは、なにで思考しているのか。 ハナグマも、人間と同じように子育てをする。 日本語は、完全対応で、英語に翻訳できるのか。 幼児からの英語教育でバイリンガルになれるのか。 英語で思考するのか、日本語で思考して翻訳するのか。 そこらを紐解いたのが本書です。 P201 言語がないと私たち人間の認知はまったく機能を止めてしまう、というわけではない。言語を持たないヒト以外の動物が、知性を持たないというわけでも、もちろん、ない。ヒト以外の動物も、ある種のカテゴリーはつくることができるし、モノや出来事の記憶をすることもできる。空間上に隠した食べ物の探索もできるし、場所の記憶もできる。その意味では動物にも認識は立派にあるといえる。それは、言語を学習する以前の乳幼児も同様である。 しかし、言語がない、あるいは使えない状況下での認識は、言語が意識的にしろ無意識的にしろ、使える状況での認識と性質が違うのだ。言語は私たちにとってなくてはならないもので、言語をわざわざ使えなくするような人工的な状況でなければ、脳は無意識に、そして自動的に、なんらかの形で言語を使ってしまうのである。これを考えれば、言語を介さない思考というのは、言語を習得した人間には存在しない、という極論も、あながち誤っていないかもしれない。 P211 人間の赤ちゃんが言語の違いを超えて好む(あるいは他よりも早い時期に学習される)概念カテゴリーというものが存在する。つまり、言語自体、私たちをとりまく世界に内在する構造を反映しているし、かなりの多様性があったとしても、世界に内在する非常に目立つ類似性。つまり、言語を持たない人間以外の動物や人間の赤ちゃんでも気づくことのできる類似性を、言語が覆すということはめったにない。 P217 実際、学習者の動詞の使い分けのレベルは中国人3歳児と同じくらいだった。しかし、中国人の子どもは、その後、着実に大人の使い分けに近づいていくのに対し、学習者は、学習年数が増えても、中国人3歳児のレベルに留まり続けていたのである。 P221 このことから考えても、外国語にかなり堪能で、それを武器にネイティヴの人に負けないような優れた仕事をしているバイリンガルでさえ、母語のほうが外国語よりも優勢な場合には、「思考」の様々なところで、母語が外国語に影響を与えるといってよい。従って、母語での認識と並行して、外国語のネイティヴとまったく同じ認識体系を持つ、ということは、非常に考えにくいことである。 |
片岡 鶴太郎 SB新書 2017/05/16 片岡鶴太郎という不思議な存在。 美男子でも無く、 スマートでも無く。 絵を描き、 役者を演じて、 ボクシングまでやってしまう。 どんな動機で人生を司ってきたのか。 それが分かる一冊です。 人を笑わせることが好きだった少年時代。 多様な焦燥感と、人生を追い求める生き方。 そのような生き方が完成度の高い商品を造り上げる。 P47 時を同じくして、私の仕事にも大きな変化がありました。 役者として出演していた金田一耕助、海岸物語などのドラマシリーズがほとんど間をおかずに終了することになったのです。 手にしているものがなくなるときは、なぜか一斉になくなっていきます。何もかもが引き潮のようにサーッと沖合いへ流されていくかのようでした。 浜辺にひとりぽつんと取り残されたきり。晩夏の夕暮れの浜辺で秋風に吹かれているような、そんな切ない心境でした。あれだけ情熱を傾けてきたボクシングも役者の仕事も根こそぎ失い、あとに残ったのは何もない自分のようでした。 「今までやってきたことはキャリアでも何でもなかったんだ」 「これから先は自分がどうするかということでしかないんだ」 そんなことをぼんやりと思っていました。でも、何をするべきなのか、まるで分かりません。 P212 「ボクシングの次は画なんかやって、今度は芸術家気取りかよ」 と口さがないことを言われたこともあります。でも、何を言われても構いはしません。私の魂の根源的な欲求なのですから、どうしようもないのです。 そして今の私には、まったく不安はありません。 さまざまな人との出会いやたくさんの贈り物によって、魂の歓喜を感じることができているからです。 楽しくて嬉しくて充実できている限り、そこに不安はひとつもありません。 |
亀田達也(東京大学大学院人文社会系研究科教授) 岩波新書 2017/04/28 読み始めたばかりなのですが、 面白いですね。 そもそもモラルは、 どこから出現したのか。 十戒でしょうか。 適者生存でしょうか。 集団との関係で脳が発達したのなら、 アドラー心理学に通じる社会的なコンプレックスかも。 読み終わり、 多様な発見がありました。 たとえば、 多様な障害を負った子に手を差し伸べる善意の人達や、 多様な不孝な人達の代理人として活躍する立派な弁護士。 その動機は、同情なのか、正義なのか、義務感なのか。 自分の利害を超える正義感や行動力を持った凄い人達。 それに対して、私は、 身近に不孝な人達を置きたくないし、 そのような人達と接しても、どうして良いかも分からない。 私のような反応は「情動的共感」であり、 自他の壁を無くしてしまう「自他融合的」なプロセスなのだ。 それに対して、 自他間に壁を設ける「自他分離的」なプロセスがある。 このようなクールな共感は「認知的共感」と呼ばれる。 他人の不幸を認知しても、 彼と俺は別のものとして 「情動的」にではなく、 「認知的」に共感できる。 これは「詐欺師の共感」で、 結婚詐欺師は、共感能力に長けている。 ホストクラブのホストも同じ種類なのだろう。 共感力があるから馴染みの客を常連にできる。 常連客がカネを注ぎ込むことに「情動的共感」は持たない。 裁判官なども、 これに属するのかもしれない。 離婚だ、懲役だ、死刑だと判決を書くことができる人達。 この「自他分離的」な共感は、 自分の情緒的な反応をコントロールして 日常場面でも他者に対して適切な援助を与えることができる。 つまり、 次のような人達なのだ。 多様な障害を負った人達に手を差し伸べる人達や、 多様な不孝な人達の代理人として活躍する弁護士。 どちらの共感が魅力的なのか。 いや、「クールな共感」に憧れますね。 大きな会社を経営できる人達、 大胆な節税策を実行できる人達、 カリスマと言われる偉大な経営者の人達。 皆さん、クールな「共感能力」を持った人達なのだろう。 「共感の能力」がなければ他人と交わることは不可能だが、 他人の不幸に惑わされていたら勇気のある行動は取れない。 P13 もちろん、自然環境への適応はヒトにとっても決定的に重要です。しかし、生物種としてのヒトにとっての最大の適応環境とは、おそらく群れ生活そのものにあると考えられます。自然環境に適応するための手段として群れを選んだ結果、今度は群れの中でどう生き残るかについての新たな適応問題が生じてきたわけです。生物学の教科書を見ればすぐに分かるように、群れを作り群れの中で生きるやり方は、生物にとってただ1つの生き方ではありません。つまり、ヒトの遠い祖先は、進化的な意味で、群れることを「選んだ」ことになります。 P17 バーンはここから、自分と同じくらいの知性をもつ個体が身近に存在し、互いが協力したり競争したりするような社会的事態の複雑さこそが、霊長類の知性の主な起源であると主張します。そして、このような知性のあり方を、16世紀フィレンツェの外交官で、政治における権謀術数の重要性を訴えた『君主論』の著者マキャヴェリの名を取って、「マキャヴェリ的知性」と名づけています。 102P 情動的共感の限界 104P 詐欺師の「共感」 111P 内集団を超えるクールな共感の可能性 |
榊 淳司(住宅ジャーナリスト) 集英社新書 2017/04/28 買ってはいけないマンションがある。 そのような副題なので、 戸建てに比較し、マンションの問題点を指摘するのかと期待したのですが、 内容は陳腐な管理組合の話し、マンションバブルの話し。 戸建て派とマンション派 所有派と賃借派 その答をシンプルに出して貰えないかと。 私は、戸建て派、所有派なので、 その確信を揺すぶって欲しいと思うのですが。 P90 郊外の新築マンションは10年で半額に これは想像でも予想でもなく、現実に起こっている話である。 例えば、首都圏の場合。山手線の主要駅から私鉄でおよそ20分超、駅から徒歩10分超の中古マンションの価格を調べてみるといい。主に千葉、埼玉方面では築10年以上の中古マンションの価格は、概ね新築の半額から6割程度である。近畿圏でも奈良や滋賀方面では同様の現象が見られる。 |
藤森 徹(帝国データバンク情報部) 日経プレミアム 2017/04/27 多様なビジネスが登場して活躍してます。 ユニクロ、ソフトバンク、楽天、星野リゾート。 同じ数だけの企業が退場しているのですが、 挨拶もせずに退場するので目に付くことが無い。 本書は、退場した企業と、その原因を紹介します。 ステーキのスエヒロ商事、マルマン、チドリアン、ジェリーマキ、エドウイン。 退場の理由は、業界の衰退、財テク、社長の暴走。 避けられたであろう原因もあり、 必然性と思える原因もあり。 P115 それではなぜ、社長の常見は、このような金融取引に走ったのか。第1の原因は白身の「おごり」だろう。常見は早稲田大学政治経済学部を卒業後、ワシントン大学で当時最先端だった金融工学を学んだ。海外には旧友の金融マーケット関係者も多く、「繊維企業の社長」とは違う自分自身の能力を過信した可能性が高い。確かに、9・11の米同時テロまではもうかっていたとの話もある。 ただ、損失が発生した後も、ほぼ連日3回の取引を10年以上も続け、最終的には1000億円近い損失を出すに至った。心理的には投資を越えて「ギャンブル」の域に踏み込んでしまったのではないか。 P126 そして06年に4代目の真が社長に就任する。慶応大学経済学部を卒業し第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。白元入社後に米ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士号)を取得するなど、輝かしい経歴を持つ新社長は売り上げ至上主義を掲げ、業界の慣習である「政策販売」のワナに掛かってしまう。 P197 さらには11年ごろにコンサルティング会社の代表を務める人物と知り合い、同氏の助言で、これまた様々な事業へ投融資を行うのだが、ここでも何千万単位での不良債権を繰り返し発生させている。こうした状況を挽回しようと、知り合った別の人物の話に乗っかってはまたまた損失を発生させる。 |
藤井輝明 講談社α文庫 2017/04/26 「顔ニモマケズ」という空虚な本を読み、 もう少し、深い洞察を知ってみたいと思った。 著者と、 その他の多様な方達の、 自分の容姿への多様な認識と攻撃、 その方達の生活実感が語られてます。 では、 どのような解決策があるのか。 なるほど、 「理性」ですね。 P106 「この顔、嫌いだな。写真に一緒に収まるのがいやだな」 そんなふうに見た目から湧き起こる嫌悪感というのは、率直に言って、あると思います。どんな人にも苦手なものがあるように、嫌いだという感情は誰にでもあるでしょう。そういう嫌悪感というのは、それをなくせと言われても、たぶん難しい問題です。嫌悪感というのは立派な感情のひとつですから。 しかし、私たち人間には「理性」というものがあります。その嫌悪感を自分の心の中だけに、収めカパーするのが人間ならではの理性です。それができなかったら、下等動物と同等です。私としては、この人間ならではの可能性を信じたいのです。 差別、偏見、いじめというのは、社会から完全になくなることはないかもしれません。資本主義社会というのは、人よりも自分が優越しているという、そういう意識、欲望というのをうまく活用して発展してきた社会ですので、人よりも少しでも上まわりたい、みたいなところがあって、それがある意味で活力になっているところもあるからです。 けれども、悲しみの中で暮らしている人たちもいるんだということも忘れない理性を失ってほしくないのです。理性というと難しいことのようですが、つまりはつらい体験や思いをしているんだろうなという共感のことです。もっと簡単な言葉で言えば、思いやりの心。その心を持ち続けることは、とても大事なことだと思うのです。 |
6名の弁護士 ぎょうせい 2017/04/20 司法試験の制度改革でガラッと変わってしまった弁護士業界。 どのような現実を語るのかと期待して読んだのですが、 私が認識している弁護士業界しか語られない。 最後の奥書にある執筆者6名を見て理解できました。 昭和26年、昭和25年、昭和29年、昭和30年、昭和27年、昭和35年生まれの人達、 弁護士登録も、昭和54年、、54年、57年、61年、62年、平成7年なので、1人を除いて昭和の経済、バブルを知っている人達。 つまり、私と同じ人達です。 私が知りたかったのは、 平成20年代に弁護士になった人達と、 その人達が語る弁護士業界と経営の方法。 昭和の時代の年寄り弁護士が語る「弁護士の経験学」などは、なんの役にも立たないと思う。 自分時代を語っているところが、 既に、年寄り税理士になってしまった6名の筆者です。 事務所経営、裁判、和解、相手方との関係、弁護士報酬、ウツ、懲戒。 そのような会話を読んでいて思うのは、つくずく嫌な業界だという記憶。 |
エヤル・ヴィンター 早川書房 2017/04/20 怒りの感情。 多くの場合はマイナスの効果しかないのですが、 これがマイナスなら進化の過程で消滅しているはず。 なぜ、怒りの感情が存在するのか。 本書は、ゲーム理論、ナッシュの均衡、独裁者ゲーム、最後通牒ゲームなど、 経済学に、脳科学、行動経済学、ゲーム理論を加えた「感情の経済学」を語ります。 P12 われわれの感情のメカニズムと知性のメカニズムは協力しあい、支えあっている。そもそもふたつを区別できないときもある。感情や直感に基づく決定は、考えられる結果や影響を綿密に分析してから出した決定よりも、ずっと効率的な場合が―しかもすぐれている場合が―多い。カリフォルニア大学サンタバーバラ校でおこなわれた研究によれば、紛糾している問題で正当な主張と不当な主張を区別するわれわれの能力は、ほどよく怒っている状態のもとで高まる。 わたしが共同で論文を著した別の研究も、怒ることに利点がある状況だと、われわれは怒りやすくなることを明らかにしている。言い換えれば、感情のなかにも論理があり、論理のなかにも得てして感情があるということになる。 感情はわれわれの意思決定にどのような影響を与えるのか。感情はわれわれの妨げとなるのか、助けとなるのか。社会生活ではどのような役割を負っているのか9集合的感情はどのように形成されるのか。われわれを思考する動物にすると同時に、感情を持つ動物にもした進化のメカニズムはどういうものなのか。本書は、感情と合理性の「継ぎ目」に関する最新の観究成果を踏まえて、こうした疑問に答えようとするものである。 感情の役割について新たに考察が進んだのは、この20年のあいだに3つの重要な研究分野で起こった静かな革命のおかげだ。すなわち、脳科学と、行動経済学と、ゲーム理論である。この3つが合わさり、人間の行動に関する理解があらゆる面から深まった。かつて感情はもっぱら心理学や社会学や哲学で研究されていて、合理性は経済学とゲーム理論の領分だったが、今日では合理性も感情もこうした分野の科学者たちの熱心な研究の対象になっている。 |
水野敬也 文響者 2017/04/19 顔に生まれながらの 障害を背負った9人のインタビューの記録です。 どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語 そのような副題にあるように、障害を乗り越えた人生が語られてます。 ただ、違うんじゃないかなと思うところが残ります。 いや、不孝だということではなく、 もっと深い悩みや、そこで発見した人生観があるだろう。 どんなテーマを見付けても、 著者の人生感を超えた書籍は作れないという一例。 他人の話を文章にまとめれば一冊の本が完成してしまう。 欠けているのは、 他人事を、自分事として実感を認識する能力の問題です。 P202 乗り越えた悩みが大きければ大きいほど、人は魅力的になれる |
中川淳一カ(博報堂出身) 星海社新書 2017/04/14 博報堂を卒業したライターが、 電通と博報堂の実態、企業風土の違い、残業等を語ります。 端的に両社と広告業界の実感を語り、 全体として雰囲気の分かる良書です。 電通も、博報堂も、給料が良い広告業者。 それ以上でも、それ以下でもない雰囲気。 多様な人脈と権力を持つ企業。 そのようなイメージで捉えられる電通ですが、 他社からの受注で成り立つ商売として、 産業構造の最下層にいるのだから、 産業界において権力を持つことはあり得ない。 P106 電通の年収は30代後半で1500万円に達する人もいるようだが、これは人事考査で評価が高く、さらに長時間の残業をしている場合なのだという。そして、博報堂から電通に転職する人は時々いるが、電通から博報堂へ転職する人はとんと聞いたことがない。電通と博報堂両社の社員に聞くと、博報堂の30代後半以降の年収は電通の「7がけ」の感覚だという。電通が1500万円ならば、博報堂は1050万円といったところだろう。しかも業界1位というステータスがあるだけにわざわざ電通を辞めるわけはない。 P107 実はこの発言に対し、当の広告業界の人聞は首肯する面もあったのである。「情けない」とは思わないものの「100時間を超えるくらいなら、よくあることだ」と考えている。実際、私も博報堂にいた頃、100時間は普通のことで、最も多い月の残業時間は300時間だった。周囲の人から「中川はいつも会社にいるなあ(笑)とと言われていたが、そう言われているということは、その人も深夜や早朝まで残業をしているわけである。この頃は、何らかの資料が完成し、営業の部署へその資料を持って行っても必ず誰かがいた。制作の部署であれば、大人数で会議をしたりもしていた。 P138 今回私が取材をするにあたって、博報堂の社員何人にも話を聞いたが「中川さんは博報堂のブラックぶりを書きたいんでしょ?」と言われた。「そういった面はある」と答えても大抵の答えは「あんまり感じないんですよね……。会社に不満があるヤツの意味が分からない。だってこんなにいい会社なんですよ」というものだった。 実は私もそう感じているのである。現在私はフリーランスとして生きているが、新卒から4年で博報堂を辞めた大きな理由は長時間労働ではあったが、それ以上に「会社員でいること」が心底イヤになってしまったのだ。何しろ、自分が好きでもないクライアントのオッサンを出世させることがサラリーマンの本質であることに齢27にして気付いてしまったため、サラリーマンをやり続けることが心底バカらしくなってしまったのだ。収入が減ろうが、自分のためだけに仕事をしたいと考えた。クソみたいな同僚はそれほど多くなく、給料も高く社会的ステータスも高く、同級生も実家の近所の人も親戚も「すごいねー!」と称賛してくれる会社のことを通常「ブラック企業」とは呼ばない。 いや、長時間労働の面だけでブラックと呼ぶならば呼べばいい。だが、実際中にいる人からするとほとんどはブラヅク企業だと思っていないのではないだろうか。 |
ゆうきゆう(精神科医) あさ出版 2017/04/12 働き過ぎて、ウツに成り、そして自殺する。 心の病気なので、自分の心は見えなくなってしまう。 そのようになる前に、自分の状況に気付く。 そんな感じの本ですが、 しかし、せっかく就職したエリートコース。 家族もいて、親戚もいて、友達もいる状況で、 自分が「敗者」になることが容易に可能なのか。 終身雇用のサラリーマン制度は、 逃げ場が無い制度という意味で、日本軍隊と同じ。 脱落兵と蔑まれる覚悟を持つことは難しいと思う。 終身雇用制度は、常に、 ウツで死亡する人達を余分に採用する。 そのような雇用システムなのだろう。 しかし、普通なら、 自殺をする前の段階で 適応機制(防衛機制)が機能するだろう。 同僚に喧嘩を売るか(攻撃)、 仕事を放り出してしまうか(逃避)、 自分はダメなんだと引き籠もってしまうか(退行)、 しかし、ウツは、 適応機制(防衛機制)を奪う病気なのですね。 ウツになってしまうと、 攻撃、逃避、退行、合理化など 適応機制(防衛機制)が機能しなくなってしまう。 税理士業でウツなんて考えられませんが、 嫌な仕事に耐えるなんてのは無駄な生き方。 自分の適応機制こそが、自分の人格傾向なのですから、 それに従い、それを育てることこそが、生き残りの道。 |
濱中淳子(教育学) ちくま新書 2017/04/08 開成と灘の卒業生に対するアンケートで、 両校と、一般大学の卒業生を比較します。 開成と灘の卒業生の22%が医師で、 その他の一般校の卒業生では1%など、 アンケートと多様な数字での分析です。 |
おおた としまさ(教育ジャーナリスト) 幻冬舎新書 2017/04/07 学習塾事情を語ります。 私も、子育ての時代、 学習塾への送り迎えをして、 子供の自宅学習も手伝ってきた。 鉄緑会に通った子もいたが、 いまは、さらに、塾の差別化が進んでいるのだろう。 学校だけではダメ、 学習塾だけではダメ、 それに加えての家庭の価値観と教育環境。 ただ、この本を最後まで読み通す気力は、 子育てが終わった現状では無理です。 小学校からの熟生活で才能が伸びるのか。 しかし、才能を論じる前に必要なの学歴。 才能などは、真っ当な大学に入学できてから論じれば良い。 さらに、才能が要求される職業は少ない。 P26 有名進学校の実績の裏には少なからず鉄緑会の影響がある。最難関大学受験のことだけを考えるのなら、開成にするのか、筑駒にするのかということよりも、鉄緑会に入るのか入らないのかが、重要なのかもしれないのだ。 つまり、「学歴」よりも「塾歴」。この国では塾が受験エリートを育てているのだ。 そして鉄緑会に通う最難関中高一貫校の生徒の大半がサピックス出身者であるというのもこれまた事実だ。あまたある公立小学校から多様な中高一貫校へ、そして東大をはじめとする最難関大学へと、「学歴」においては多様な「道」が存在するように見えるが、「塾歴」に目を向ければ、多様性は極めて乏しい。 P36 田中祐子さん(仮名)は30代前半。現在弁護士資格を一時抹消し、中央省庁で働いている。サピックス8期生として桜蔭に合格。6年間鉄緑会に通い、東大文1に合格した。文系の「王道」を歩んだ。 しかし、社会人になってそれなりの経験を積んできた今、祐子さんは「王道」への疑問を感じつつあるという。 「サピックスにも鉄緑会にも受験勉強の達人みたいな生徒がいて、まわりからも一目置かれていたんですけど、今、30歳を過ぎてみると、彼らにかつての輝きが感じられないというか、意外とパッとしないというか……」 P42 祐子さんは、手っ取り早く旧司法試験で弁護士資格を取ってしまおうと考えた。しかし2度受けて、ダメだった。受験勉強では困ったことのない祐子さんが初めて味わった挫折だった。 「受験勉強と同じ要領で司法試験も通るだろうと高をくくっていました、しかし違いました。なんで法律の勉強だけうまくいかないんだろうと不思議に思いました。このとき初めて、自分が今まで処理能力だけで物事に対処してきて、深い思考ができていなかったことに気づきました。司法試験では処理能力の高さだけでなく、深い理解が求められていたのです」 |
岩波 明(昭和大学医学部精神医学担当) 文春新書 2017/04/04 発達障害は、この頃の流行語です。 どのような症状が発達障害なのか。 アスペルガー、自閉症、注意欠乏多動性障害、精神障害などには、どのような差異があるのか。どの程度の割合で出現し、それは遺伝なのか、環境なのか。成長するについて症状は軽くなるのか、重くなるのか。薬はあるのか。 私自身について、微妙な発達障害の記憶がありますが、これは少年期の成長痛に過ぎないのか。子供達の個性は、微妙な発達障害なのか、個性なのか。 発達障害は、知能の劣化を伴うのか、あるいは知能が高いという特徴があるのか。 なぜ、そうなのか。 それが分かれば、発達障害は1つの個性。 個性を面白く思えれば、嬉しい個性です。 個性に合わせた生活を造り上げられれば、 その方にのみ与えられたユニークな人生。 P26 幼児期には言葉の遅れがあった。4歳頃にようやく2語文、3語文を話すようになったが、その後急速に言葉が出るようになり、就学前には発育の遅れはみられていない。 P30 長い間、自閉症などの原因は、「親の養育の失敗」「親の愛情不足」とみなされてきた。だが、現在この点は明確に否定されている。子どもに対する親の態度が患者の予後や幸福感に影響を与えることは確かであるが、ASD発症の原因ではない。 P43 ASDの当事者は、自分の思ったことや本当のことを言いたいという考えを押さえることができないことが多い。このため唐突な発言をしやすく、周囲に対する社会的な配慮が十分でないと感じられやすい。 このような状況や周囲の反応を本人は次第に認識するようになる。思春期以降、自分が普通でなく変わっていること、常識がないと見なされていることに気がついていき、なるべく他人から距離をとるようになるケースもある。 P44 言語発達については、遅れが見られる場合があるが、ある時点から急速に発達を示すことがある。 P65 ADHDの子供は家族と外出したときに、「迷子」になる例が多い。これは、気になるものがあるとその方向に行ってしまい、家族と一緒にいたことを失念してしまうためである。店の中で落ち着かずに、あちこち動き回っていることも多い。学習面ではケアレスミスもよくみられ、テストでは些細な誤りをしやすい。 P67 実際、不注意の症状のため、きちんと上司などの話が聞けていない例も多い。また衝動性のため、相手の話の途中で抑えられなくなり、話をかぶせることも起こりやすい。相手の話を最後まで聞かないことで、対人関係の悪化を招くこともある。 P81 けれども、精神科の診療場面では、両者の症状はかなり似ていることが多い。ASDに多動・衝動性や不注意の症状を認めることはまれではないし、またADHDにおいても、対人関係の障害を認めることはしばしばみられる。 P89 この診断に基づいてADHDの治療薬を投薬したところ、衝動性や不機嫌さは改善し、就職した機械工場でも問題なく仕事を続けている。一時通院を継続することに不満もみせたが、次第に自らの特性を理解し、服薬も続けている。 P193 アスペルガー症候群の診断には、次の2つの症状が必要である。第1は、「対人的コミュニケーションの障害」であり、2番目のものは、「常同的、強迫的な行動パターン」である。 P194 さらに、少女Aについて、「常同的、強迫的な行動パターン」はまったく言及されていない。この症状については、DSM−5の診断基準においては、次のような例があげられている。 ・おもちゃを一列に並べたり物を叩いたりするなどの単調な常同運動 ・反響言語、独特な言い回し ・小さな変化に対する極度の苦痛 ・移行することの困難さ ・柔軟性に欠ける思考様式 ・儀式のようなあいさつの習慣 ・毎日同じ道順をたどったり、同じ食物を食べたりすることへの要求 ・一般的でない対象への強い愛着または没頭 ・過度に限局したまたは固執した興味 |
安藤優一郎(歴史家) 朝日新聞出版 2017/04/03 賊軍の人達が 明治政府で活躍している。 それって薩長の人材不足。 いまほど、東京と地方の格差は存在しなかったとしても、 田舎のサムライに開国直後の日本を治める知恵は無かっただろう。 1 新政府に使えて国家公務員になった人達。 2 徳川家にお暇願いをだして商売を始めた人達 3 徳川家と共に静岡に移住して茶畑を開拓した人達。 江戸時代に、徳川政府の元で完成した日本の制度と文化。 今でも、その生活を承継しているのが日本の制度と文化。 民主主義などという舶来の生活実感は、 本当のところ日本人の心には存在しないと思う。 日本の公務員は、 武士の慣れの果てであって、 公僕思想などは、今でも存在しないと思う。 裁判所は、 いまだに、お白州の思想を実現している。 薩長のクーデターがなく、その後の軍国主義の時代がなく、第2次世界大戦がなく、江戸時代が連続して続いていたら、日本の文化は、素晴らしいモノになっていたかもしれない。いや、庶民の生活実感は、祖父から親に、親から子にと、当時の生活実感が承継されているのだと思う。それが諸外国には真似が出来ない日本の文化。 P77 明治政府は徳川家を追い出す形で政権の座に就いたが、発足当初より人材難に苦しんでいた。国政を担当したことのない薩摩・長州藩を母体としている以上、当然の成り行きだった。そのため、諸藩から優秀な藩士を官吏として引き抜くが、最も熱い視線を注いだのが他ならぬ静岡藩だった。 |
星野 源 KADOKAWA 2017/04/01 星野源の音楽を知らず、 星野源の音楽の良さも理解できない。 そのような私が読んでも意味がない。 歯磨きしたとか、バナナを食べたとか。 好きな彼女の日記帳を読むような感じ。 星野源の音楽の良さが分からないのは、 分からない私に才能が無いのだと思う。 |
高野リョースケ(東大理科2類で留年中) KADOKAWA 2017/03/29 東大生が自分を1日50円で売ってみた。 発達障害の小学生とか、 ニューハーフという魅力的な人達が登場し、 たった、1日、その人達と付き合っただけなのに、 その人達の人生を上手に表現している。 しかし、 自分のことは何も語っていないし、 おそらく、自分については何も無い。 何も無いから、 1日50円で売るという実験をして、 それをブログに書いて、小説投稿サイトに応募する。 東大生を売りにするゴミ本に比較すれば優れた企画だが、 所詮、東大生を売りにした企画本。 こんなことをやってないで、真っ当な人生を送った方が良い。 いや、こんなことをやっていて、 何百人に1人は、ビックリするような人生を造り上げるのが東大生。 おそらく、そのような夢、あるいは自惚れがある著者なのだろう。 東大に入学してしまった不孝。 その1つの人生のような気がする。 東大卒の人達は、 私の周りには掃いて捨てるほど存在するが、 そんな経歴が役に立つのは公務員になるか、サラリーマンになるか。 |
鈴木信行(日経ビジネス副編集長) 日経BP社 2017/03/28 宝くじで1億円を当てた人達100人が登場する。 そのような本かと思ってamazonしたのですが、 宝くじのテーマは1話だけで、 それも語るのは宝くじに当たった本人では無く、 マネーの専門家。 看板に偽りのある本です。 さらに内容も疑問があります。 宝くじで1億円を当てた方を知ってますが、 1億円程度で人生を壊すことはありません。 本を作るのが職業の人達の著作はダメ。 作者自身の人生が存在しなければダメ。 P20 結論 宝くじで1億円当たった人の末路は? 一家離散、貧困化、人生の目的喪失…… ろくなことにはならない |
本郷孔洋(辻・本郷グループ代表) 東峰書房 2017/03/24 我が業界の偉人、 何を書いているのだろう。 正直な人なんですね。 過去の経営ノート 予測の間違いを懺悔することから始まり(10頁)、 今年1年で5つのビジネスを起ち上げたが、 成果は? 「その話しだけは聞かないで下さい」 現状は、スタート台にも立てないお粗末なモノです(162頁)で終わる。 確か、前書でも、多様な失敗を語ってます。 それでも総勢1100人のスタッフを誇る税理士事務所を造り上げてます。 我が業界の偉人です。 |
稲垣浩之(税理士) 双葉社 2017/03/24 税理士が、 サラリーマン大家さんを語ります。 しかし、 専従の管理者が 必要なのが不動産投資だろう。 水道の故障、 居住者の鍵の紛失、 新規顧客との契約、 放置された粗大ゴミ。 自分の居宅の管理を考えれば明らか。 放置していたらゴミ屋敷になってしまう。 では、 管理業者を頼めばよいか。 管理の程度によって異なるが、 管理業者に手数料を支払えば、 借金の返済期間は10年近く伸びてしまう。 サラリーマンという時間を売り、 時間に拘束された人達に 不動産賃貸業が可能だとは思えない。 時間に自由な弁護士業だとしても、 弁護士業と不動産賃貸業の並列的な処理は不可能だ。 私も、不動産賃貸業がサイドビジネスだが、 賃貸業務自体は家族が行ってくれているから可能なこと。 サラリーマンが、 最近の不動産ブームに乗って、 不動産賃貸業などに手を出したら、 給料の差押えを受けて、 一生を奴隷として働くことになってしまう。 おそらく、 不動産賃貸業を 自分では経営していない著者。 知識で語っているだけであって、 賃貸業の実感が語られていない。 P31 一方、不動産投資の返済原資は、景気に左右されにくい家賃収入です。しかも「物件」という担保も取れます。さらにサラリーマンとして勤務している入が大家さんですと、家賃収入だけでなく給与という安定収入も入ってくるので、返済原資がしっかりと確保されていると好評価します。 |
藤田正裕 ポプラ社 2017/03/22 自分が筋萎縮症になったら、 それも若くして発症してしまったら。 人生は、その告知の日から逆転してしまう。 それでも生きなければならない、生きてしまう。 他人の助けを得なければ一日が過ごせない、 いや、1時間が過ごせない。 現実的に考えたら、 あり得ない生活ですが、 それが現実になってしまった生活。 私には、 本書を購入し、 読むことでしか、 著者の人生を認識することはできない。 100万分の1の実感も分からない。 P101 先生たちから「親も呼んだほうが」と言われた。 「なんだよ大げさだな」と思い、兄と2人で話を聞くことにした。 病棟の小さな会議室に、先生2人、兄弟2人。 2010年11月26日、ALSと宣告された。 先生がこの病気のことを細かく説明してくれたが、内容はほとんど覚えていない。ただ、「ゆっくり全身麻痺になり、死ぬ。そして治療薬はない」ということだけわかった。 心境は説明できない。 その瞬間から、人生が変わるのを体全体で感じた。 兄と目を合わせて「ウソだろ」と心の中でボソッとつぶやいた。 P113 そして、この時期から、車椅子での生活が急激に増えた。 正直、見られるのが恥ずかしかったが、日本の復興と同時に、僕の意地やプライドを少しずつ削る作業が始まっていた。 |
宮原昭夫(芥川賞作家) 川出書房新社 2017/03/21 小説講座の講師になって 受講生の小説を添削するように、 小説の書き方が説明されていきます。 小説家の頭に思い浮かぶストリー。 それを文章化するのが小説と思ってましたが、 本書の著者の小説手法は、それとは異なる。 読者に読ませるための小説手法に従い、 結論の見えない創作活動を進めていく。 ストーリーは書きながら構築されていく。 私も、常に、文章を書いてますが、 しかし、私には小説は絶対に無理。 もしかして、 結論を先に思い付く ミステリーなら書けるかもしれません。 コラムなどは常にミステリー手法です。 最後の最後まで読み応えがありました。 小説というモノについての分析力の凄さ。 もし、私が小説に挑戦するのなら、本書こそが指南書。 117P では豊饒をもたらす細部と冗漫をもたらす細部とはどこがどう違うのでしょうか。 ……これはもう、それぞれの作者のセンスの問題としか言いようがありません。その作者が、自分の日常のどんな細部に面白さを見いだし、どんな細部を無意味と感じて暮らしているか……そういったその人の生き方全体、ある意味では人生哲学、思想心情にもかかわってくる。つまり文章とか小説の問題を超えた、その人の生きるセンスそのものが、小説の細部の豊饒と冗漫とを見分ける決め手だ、ということになるのでしょう。(もっとも、そう言ってしまえば小説の技術全体がそうなのであって、どんな人でも所詮、自分の「器」以上の作品は書けないのですが。 177P 発見のための方法 179P ドストエフスキーの例 182P 神様が降りてくる |
週刊文春編集部 角川書店 2017/03/19 ゲス不倫、 甘利大臣など、 ヒットを飛ばし続ける 週刊文春の編集部を語ります。 どのように情報を得るのか。 それは具体的には語られてませんが、 「週刊文書なら」という信頼の相乗作用のように思えます。 中刷り広告の右に政治、左に芸能をトップとする編集方針と、 編集の過程で信頼関係を得ていた政治家であっても、 「事実」が存在する限り妥協しない編集方針。 P165 甘利大臣の記事でも証明しましたが、週刊文春では安倍政権に限らず、どこかには手を出さないといったタブーはいっさいありません。 他社が安倍政権をアンタッチャブルなものとして扱っているように見えるのだとすれば、それは政権の力を恐れているのではなく、それをやるだけの取材力がなくなっているということだと思います。 P169 スクープを打てば、ファクトの力に応じた影響が出てきます。 よく「書かれた相手がどうなるか考えないのか」と言われますが、これは我々がコントロールできるものでもないし、想定どおりにいくなんてことはほとんどありません。 たとえば舛添要一氏が都知事を辞任したケースです。週刊文春が一連の記事を出したことは事実ですが、まさか辞任に至るとは考えてもいませんでした。報道の中身そのものより、対応を聞違えた、自爆に近い辞任劇でした。 ホテル三日月を利用した際に政治資金を用いたことが明るみに出たときにも、「家族で行ったのに問違えて政治資金収支報告書に載せてしまいました。お詫びして訂正します」と頭を下げていれば、いまでも都知事だったのではないかと思います。開き直ったように言い訳でかわそうとしていたから取り返しのつかないことになってしまった。記事の反響は世聞が決めるのです。 P173 記事に対してはさまざまな評価のされ方をするものですが、取材力に対する評価が優先順位として高くなっている。さらに、文春が書いているなら本当だろう、ネタを持っていくなら文春だという信頼が生まれたように感じています。 |
音喜多駿(都議会議員) 新潮新書 2017/03/19 会派に属さない 当選一期の都議会議員が 都議会の闇と、その必然性を語ります。 知事は、政治家であると同時に、行政官でもある。 政治家として都庁を批判するだけでは職員が離れてしまう。 都庁を批判し、 都民の喝采を受けるのと同時に 行政のトップとして、 職員の信頼を得て働かせ、 行政の成果をあげなければならない。 その難しさの調整役として 必然的に都議会のドンが出現する。 都知事があげるアドバルーンを、 職員が想定する現実的な結論に落ち着かせる。 さて、小池都知事、 政治家としての活躍は見事だが、 今後の行政のトップとして 職員の指揮を執ることが可能なのか。 豊洲への市場の移転を取り上げても、 どのような納得を得て移転を可能にするのか。 P58 彼は都議会では質問に立つことも、表舞台の交渉事に出てくることも一切ありません。しかしながら、「内田茂さんは知っているのか」が合言葉になり、彼を通さずしては物事が何一つ進まないと言われるほど、議会のみならず都政に大きな影響を及ぼしてきました。 P68 ではこれで、「都議会のドン」の支配は終了し、都政や都議会は正常化に向かうのでしょうか。残念ながら、そうは簡単にいきそうもありません。 なぜなら都議会にはすでに「2代目・都議会のドン」が存在し、その権力移譲が行われつつあるからです。そしてこの権力移譲は極めてゆがんだ形で行われており、私はその点でも非常に問題があると考えています。 P79 猪瀬元知事なども繰り返し、都庁記者クラブの怠慢と癒着を指摘しています。都庁内には記者クラブがあり、都政を専門に取り扱う記者・メディアが常駐していますが、彼らは都議会に厳しいことをほとんど取り上げてきませんでした。都議会の権力者や関係者とは、情報をもらい、うまくやることが求められてきたからです。もちろん、今やすっかり有名人の「都議会のドン」も、これまでは世間に知られず、ニュースバリューが全く低かったために取り上げられなかったという背景もあります。 P93 ですので、都職員はとにかく都議会議員にはへりくだった態度で接します。議員になった際、「先生、先生と呼ばれて、あっという間に勘違いするようになるよ」とはよく言われていましたが、実際にそのようなステレオタイプな対応をされ、本当にびっくりしたものです。電話一本で資料を持ってきてくれますし、これでは若手政治家が増長してしまうのも当然だと感じました。 P165 説明する側が聞違った思い込みをしているのですから、そこから何度説明を聞いたところで、議員たちは誤った認識しか持てません。もちろん、説明を鵜呑みにせずに専門家とともに図面を検証するなど、今から思えばできることはあったと思います。ですが、説明の大前提から疑うこと、そして当人すら自覚のない嘘を見抜くということは、非常に難しいのもまた事実です。 |
国谷裕子 岩波新書 2017/03/15 クローズアップ現代を23年間も続けた著者が、 ニュースを言葉で語る必要性と難しさを語ります。 仕事に対する思いを語る 職業人としての言葉なので、 プロの心構えは参考になりますが、 あくまでも、その限度で参考になる著書です。 普通の市民生活はしていないでしょうから、 生活、感情、個人的な判断基準などを期待するのは無理。 中味の濃い著書ですが、 生きる上での指針を探しても無理。 ただ、この徹底した自我の管理能力が、 事象を掘り下げた長期連載を可能にしたのだと思う。 P163 世の中の多くの人が支持している人に対して、寄り添う形ではなく批判の声を直接投げかけたり、重要な点を繰り返し問うと、このような反応がしばしば起きる。しかし、この人に感謝したい、この人の改革を支持したいという感情の共同体とでも言うべきものがあるなかでインタビューをする場合、私は、そういう一体感があるからこそ、あえてネガティブな方向からの質問をするべきと考えている。その質問にどう答えるのか、その答えから、その人がやろうとしていることを浮き彫りにできると思う。日本語の何となくストレートに聞けない曖昧さをどうやって排除していくか。それは、インタビューをしていくうえで大きな課題だ。 |
山城幸松 宝島社新書 2017/03/15 沖縄の情報は バイアスがかかっていて理解が難しい。 そもそも、 どのような立場があるのか、 どのような立場で書かれた情報なのか。 本書では、 1947年(昭和22年) 那覇市に生まれ、沖縄の民族、 近代史について研究する著者が 沖縄の主張を批判的に分析します。 従軍慰安婦の韓国の主張と、 沖縄の主張は似ていると思う。 イデオロギーの人達が 自分の主張を通すために 仮装敵国を創ることに熱心になる。 彼らにとっては、 相手は悪者でないと困る。 謝罪を受け入れることは、永遠に期待できず、 妥協点を探すという発想を期待することも無理。 P29 泡盛やビールに対する酒税 泡盛は本土の税額の35パーセント減、その他ビールなどの酒類は本土の税額の20パーセント減。 P30 ちなみに、現在沖縄の泡盛製造業者は46社であるが、酒税の軽減総額は泡盛業界の年問の利益総額よりも大きい。つまり、軽減税率がないと大半の事業者が赤字に陥ることとなる。 2014年には「残波事件」なる出来事が発生している。泡盛のトッププランド残波を製造している、比嘉酒造の役員報酬・退職金が高すぎるということで、税務当局より否認を受けた事件である。酒造所の4人の役員に報酬として4年間で約20億円の損金申告をしたところ、「近隣と比べて高すぎる」ということで税務署が否認した事件である。 20億円の内訳は創業者への退職金が6億7000万円、その他が役員報酬となっており、「高い」の基準をめぐって比嘉酒造と税務署の聞で裁判が行われた。県民所得全国最下位の沖縄にあって、この金額を鑑みれば異常と考えざるを得ない。また、減免措置は完全な既得権となっており、こうした補助金によって大手蔵元は巨額の利益を得ている。 |
山崎敏子 小学館文庫 2017/03/10 小児がんと戦い、 生きた ナオちゃんの記録です。 涙無くして25頁までも読めません。 P159 そんなころのある日、私が病院に行くと、主任看護婦さんが、「おかあさん、私、今日、ナオちゃんには感動したというか、本当にすごいなと思ったんだけど」と駆け寄ってきました。直也は、 「この痛みを主任さんにもわかってもらいたいな。わかったら、またナオに返してくれればいいから」 といったそうです。「えっ、痛みをまたナオちゃんに返してもいいの?」とびっくりして聞くと、 「いいよ」 と答えたそうです。 「代われるものなら代わってあげたい」。よく私もそういっていました。でも直也はそのたびに力を込めて「ダメだよ」とかぶりを振り、 「ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない、おかあさんじゃ無理だよ」 きっぱりとそういうのです。 |
マザー・テレサ(渡辺和子訳) PHP文庫 2017/03/08 ふと、 見かけた マザー・テレサの言葉。 それを読みたくて 手に取ったのですが、 その言葉が見付けられない。 あのときに見付けた言葉。 本を買うのだからと メモもせず、忘れてしまった。 いつか、思い出せるだろうか、 いつか、見付けられるだろうか。 見付けました。 思考に気をつけなさい。 それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい。 それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい。 それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい。 それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい。 それはいつか運命になるから。 |
山本憲司(セブン・イレブンの1号店の経営者) PHP新書 2017/03/08 1号店の経営者がコンビニ経営を語ります。 1号店だから生き残れるという理屈は無い。 本書を読んで経営者に哲学があるように思う。 それがセブン・イレブンの哲学の実践なのか、 経営者として推敲した上での哲学の実践なか。 地下鉄駅の開通などの幸運があったとしても、 競争他店舗の出店というマイナス条件もある。 そこで1号店として好成績をあげて生き残る。 やはり経営者としての哲学があるのだと思う。 P34 翌日の午後、私は、本部の人たち3人と、店の2階の居間でコタツを囲んでいた。私の右横がセブン・イレブンの店舗オペレーションを統括する清水秀雄さん(のち副会長)、正面が外国人の方、左隣が鈴木敏文専務(現・名誉顧問)であ。説明はほとんど清水さんがされた。コンビニエンスストアの将来的な方向と方針の説明だった。 P43 いままでまったく商売に関する教育を受けていなかった私は、このトレーニングで、商売というものの王道を学んだ気がした。ひと言でいえば、それは基本に徹するということだった。お客様を大切にする、品切れをしない、店を清潔にする、ごみを拾う−じつに当たり前のことばかりなのだ。お店をやるにあたって一番大切なのは、やはりこうしたことなのだとあらためて感じたものだった。 P169 たとえば、半径500メートルの商圏内に小学校に通う子供が数十人いて、数日後に運動会があるとすると、参加する家族の分も含めて、おそらくその日に売れるであろう商品は、おにぎり、お弁当、サンドイッチ、ジュース、お菓子類だ。それから、OFCさんのアドバイスを受けながら、個別の商品を絞り込んで発注ロットを考える。もちろん廃棄が出るのは覚悟のうえだ。大切なのは、お客様がいらしたときにそこに商品があることなのである。 つまるところ、毎日、仮説を、覚て、それを検証するという作業になる。私の開業後の1年はまさにそれだった。 P175 借金があると、それが気持ちのうえで重荷になって、何をするにも消極的になりがちだ。私の知人でも、借金をそのままにしている人は、なぜかうまくいっていない。 借金は事業のための借り入れであり、きちんと返済していけばそれは実績になる、と肯定的に考える人もいるが、いつかは返さなくてはいけないのだから、業績のよいときにできるだけ早く返済して身軽になるべきではないか。 また、業績が上がっているときほど、店舗兼白宅を増改築しようとする店主もいる、好業績がずっと続くと思うからだが、皮肉なことに、新店舗ができ上がった頃に状況が変わったりするものなのだ。 |
インプレス 2017/03/02 う。 インスタグラムで 多数のフォロワーを得る 写真家(素人?)達の写真集。 写真撮影は、 フイルム時代に比較し、 格段に容易になりました。 デジカメでは、 現場で写り具合を見ながら アングルを変えて何枚もの撮影ができる。 さらに、スマホなら、 ファインダを覗くという姿勢に制約されず、 ローアングルの撮影も容易に可能です。 必要なのは、 被写体と切り取るセンス。 さて、本書の写真。 素人に撮れる写真であり、 素人でも撮れる写真であり。 プロには厳しい時代です。 カメラマンという職業を選ばなくて良かったと思う。 |
鎌田 實(諏訪中央病院院長) 集英社 2017/02/25 多様な検査の手法と効果を語ります。 メタボ健診、胃カメラ、ピロリ菌、マンモ、脳ドック、潜血検査、認知症、血糖値と糖尿病、肝機能、腫瘍マーカー。 そして、必要なのは日々の食生活と健康管理、 体重、血圧、食生活の管理と運動と述べます。 本書から受けた印象として、 これに「血糖値」を加えれば完成。 日々の体重測定、 時々の血圧測定、 たまには血糖値の検査。 そして暴飲暴食を避ける日々の食生活。 それに運動が加われば完璧な健康生活。 それでも防げないのが腫瘍系の疾患ですから、 1年に1度、2年に1度の人間ドックを受診する。 P39 日本人間ドック学会は、2014年に人間ドックを受けた人の中で、基本的な検査のすべての項目で異常がなかった「スーパーノーマル」と呼ばれる人が、たったの6.6%しかおらず、過去最低を記録したことを明らかにした。男女の内訳は男性が5.5%で、女性が8.3%だった。 P205 長生きしたい、健康でいたい……そう思って、食事や運動などの生活習慣に気をつかっている人は多いが、そこに高血圧の人は、ぜひ毎日血圧を測るという習慣も付け加えてほしい。ボーダーラインの人は週に1回、正常な人も月に1回は測ってほしい。 P220 食べることが好きなので、つい食べすぎることもあるから、体重計の数値を見て、反省することのほうが多い。「あっ、1sも太ったのは、昨日調子に乗って焼肉を食べてしまったからだ。今日はサラダと軽めの和食でカロリーを控えめにしよう」と、次の対策を立てる。次の日に結果を楽しみに体重を測れば、これはこれで楽しいものだ。 体重計に毎日乗るだけで、健康維持に役立ち、大がかりな辛い検査に至る可能性が減るのだから、ぜひ、体重を測ろう。 |
清水富美加 幸福の科学出版 2017/02/24 宗教なのか、 失恋なのか、 金属疲労なのか。 統合失調症なのか、 どれだとしても彼女の人生。 論評するにしても若すぎる。 この子たちを商品化する業界と、 それをネタに騒ぐ芸人の人達と、 それをテレビで見ている私達と、 これだけ騒がせるだけでも立派。 P83 その次の日、撮影がお休みだったので、病院に連れて行っていただきました。いろんなテストをして、今まであったことなどを先生にすべて話しました。その結果、「こんな状態が続いていたら、普通の人ならもう死んでいたところでしょうね。生命の危険があるので、安静にしてください。今のような仕事を行ってはいけないです」という内容のことを言われました。 念のため、ほかの病院でも診断していただいたのですが、もっと厳しい結果でした。 まさか自分がそこまでひどい状態だと思っていなかったのですが、さすがにもう、人前でお仕事をできる状態ではないことはわかりました。 それでもまだ、不安定な日は、Aさんや、ほかの幸福の科学の方が、家に呼んでくれて、日が昇るまで私が落ち着くように一緒にいて相談に乗ってくださったり、お祈りをしてくださったりして、もう、何から何まで全部面倒を見てもらっている状態でした。 お仕事をやめて出家の道に入ってからは、「死にたい」と思ったことは一度もありません。むしろ、多くの人の幸せを願えるようになりました。 こうして、清水富美加は、千眼美子として出家しました。 P128 宗教への偏見をなくせない人もいるかもしれないけれど、でも、死んだら終わりじゃなくて、あの世があって、「正しさ」と「間違い」を判断する神がいるっていうことだけでも頭の中に入れてくれたらいい。そう信じるだけでも、人の悪口とか言えなくなるし、悪いことができなくなりますよね。 あの世があって神様がいることだけは信じてほしい。この世の人生というのは、魂を高めるための修行の場なんだっていうことも知ってほしい。 葛藤したり死にたくなったりすることもあるけど、それも人生で与えられた課題なんだってことです。 |
立石美津子 スバル舎 2017/02/24 発達障害の子育てを語ります。 毎日、24時間が 戦いだと思いますが、 それが、たった 一冊の本で書かれてしまう。 この本を読んでも、 本人の思いを理解することは不可能です。 ただ、街で、 もし、発達障害の母子に出会ったら、 声をかけないとしても、愛情は掛けられなければと思う。 P66 親の会の集まりで、発達障害の高校生の子を持つ先輩ママが私に話しかけてきました。息子の年齢を聞いたそのママは、「まあ、まだ幼児なのね。そんなに小さいのに自閉症だと気がついたの?それはラッキーなことね」と言い、こう話を続けました。 「私が子どもの障害に気づくことが遅れて、気づいてからも認めることをしないで、できるだけ皆と同じようになって欲しいと願い、幼い頃から『どうしてお友達ができることが、あなたにはできないの!』と叱り続けて責め続けて、小学校入学後はいじめぬかれて、担任からもダメな子扱いされ、今、子どもは17歳。自殺願望が止められず、家族で監視することが限界で精神科に入院させているのよ」 さらに、子どもから「なんで僕の人生はこんなにつらいこと続きなんだ。生きていて楽しいと思ったことなんか一度もない。なんでお母さんは僕を産んだんだ」と詰め寄られているとも言いました。 そして、「将来、うちの子みたいに絶対に二次障害を起こさないように、特性にあった子育てをしなさいよ」と忠告されました。 P238 息子がその生涯を閉じるとき、温かい支援者の人達に囲まれて「ああ、俺の人生はいい人生だったな」と思えるようになっていることが望みです。 このとき私はもうこの世にはいませんが、息子がそんなふうに考えられる大人になるといいなと思います。 |
西中 務(弁護士) 東洋経済 2017/02/23 運が良い人と、 運が悪い人がいる。 その理由は何なのか。 この問題意識は、 「税理士のための百箇条」と同じです。 ただ、 思考方法は真反対です。 仮に、 「情けは人のためならず」について、 著者は、「回りまわって、自分のためになる」と説明しますが、 私は、そのような因果関係を信じません。 「情けは人のためならず」という生き方、 その方の、 その個性が、 その者の人生の流れを作っていく。 私は、そのように考えます。 つまり、著者は、 見えない「運」を想定しますが、 私は、その者の 個性から生じる必然性を想定します。 運も、不運も、 理屈で説明できる事柄であって、 その事柄を生じさせること自体が、 その方の個性なのだと。 本書の章立て、 つまり、「運」「罪」「恩」「徳」「言葉」「善」という説明不能な道徳ではなく、 私は、因果関係、原理原則、個性の必然性を想定するところが真反対です。 たとえれば 「道徳」と「理屈」の違い 「運命」と「自己責任」の違い 「お天道様が見ている」と「自分の個性の必然性」の違い。 「運が悪いのは徳の問題」と「運が悪いのは個性の必然性の問題」の違い。 悪い奴が成功し続けるはずはない。 その結果は同一ですが、その理由を 道徳と説くのと、 個性の必然性と説く違い。 ![]() P3 1万人もの人生を見てきた私にはわかるのですが、 世の中には、確かに運の良い人と悪い人がいます。 P28 悪いことで得た成功は長続きせず、すぐに不幸になってしまうのです。 事業で失敗して弁護士に相談に来る人の多くは、ほんの少し前までは成功者だった人です。頭を使ってうまくお金を儲けたり、出世したりしたのに、その成功は長続きせずに、しばらくして失敗し、窮地に追い込まれる場合が非常に多い。 そのことを、弁護士はよく知っています。 諺には「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉もあります。 悪いことをすると、必ず人知の及ばぬところにいる神さまが見ていて、罰を与えるぞという戒めの言葉です。 悪いことをして得た成功は一瞬だけのことです。本当の幸運は一瞬だけでなく、長い目で見ないとわかりません。 悪いことで成功を得た人の末路を知る弁護士の言うことです。どうか、信用していただきたいものです。 |
中室牧子、津川友介 ダイヤモンド社 2017/02/23 中室牧子氏の 「学力の経済学」が120点だとしたら、 本書は60点でしょうか。 因果関係と 相関関係を勘違いしてはならないと解説します。 円高になると、 ドル建ての日経平均が上がるので、 外国投資家によって日本株が売られるのか。 円高になると、 日本の企業成績が悪くなるので、 日本投資家によって日本株が売られるのか。 原因と結果を入れ換えると、 全く、世界は違って見えてしまいます。 ただ、メタボ健診(健康診断?)が役立たないとか、 偏差値の高い大学の収入との因果関係の説明は、 常識的に考えて納得しかねるところがあります。 健康診断で、早期発見こそが、癌治療の基本だろう。 良い大学を卒業した者こそが勝ち組の確率が高いだろう。 P3 因果関係と相関関係を混同してしまうと、誤った判断のもとになってしまう。 P4 メタボ健診を受けていれば長生きできる テレビを見せると子どもの学力は下がる 偏差値の高い大学へ行けば収入は上がる P27 2つの変数の関係が因果関係なのか、 相関関係なのかを確認するために、 次の3つのことを疑ってかかることをおすすめしたい。 その3つとは、 1 「まったくの偶然」ではないか 2 「第3の変数」は存在していないか 3 「逆の因果関係」は存在していないか P137 残念ながら、多くの保護者の期待を裏切って、勉強のできる友人に囲まれて高校生活を送っても、自分の子どもの学力にはほとんど影響がないということのようだ。自分の実力を棚に上げて、周囲の友人に過剰な期待をしてはならないということなのかもしれない。 P181 27頁で因果関係を確認するための3つのチェックポイント、 (1)まったくの偶然ではないか、 (2)交絡因子が存在しないか、 (3)逆の因果関係は存在しないか、 ということを疑ってかかる必要があるということはすでに述べた。 |
楢ア正剛(ゴールキーパー) 幻冬舎 2017/02/17 自分のミスで失点し、 自らは点は取れない。 それも 辛い商売です。 いや、 著者の個性なのだと思う。 防衛したゴールは数えきれず、 失った点数は数えるほどしかない。 しかし、 防衛した点数では無く、 失った点数を数えてしまう。 勝訴した事件だけを語る弁護士と、 敗訴した事件だけを記憶する弁護士と。 P186 障害や壁なんて、ないほうがいい。 試練もいらない。 失敗なんてしたくもない。 まずは、すべての試合で、無失点を目指す。 でも、人生はそういうわけにはいかない。 サッカーもミスからは逃げられないスポーツだ。 人生もサッカーも、失点をしないで前に進むことなど、ありえない。 失点をしたからこそ、その先に進める。 僕は、「失点」を山ほど知っている。 15年もの間、「失点」とひたすら向き合ってきたから、失点のつらさも、失点の価値も知っている。 だからこそ、すべてを受け入れて、力に変える。 日本代表、Jリーグ、ナビスコ杯、天皇杯における、 僕の通算出場数583試合、失点数は763、無失点試合数172(2O10年5月10日時点)。 この数字の、それ以上でも、それ以下でもない。 |
井川意高 幻冬舎 2017/02/15 なぜ、 106億円ものカネを ギャンブルに注ぎ込んだのか。 その理由は不明でした。 ただ、友人が語る次の言葉は納得でした。 「カジノの限らず、モッタカさんは1つのことを始めるとそのことしか見えなくなり、ずっと集中してしまう傾向がある。だから東大法学部に現役合格し、経営者になってからも天才的なまでに能力を発揮してきたわけだ」 これって納得できます。 ある意味での強迫性神経症です。 しかし、 それにしても凄い交遊録です 下々が生きるのとは別の社会がある。 P281 出所後初めての食事は、四ツ谷の焼き肉屋「名門」だった。名刺や封筒で有名な「山櫻」の市瀬豊和社長、イムラ封筒の井村優社長、シーレックスの栗原敦社長、日本交通の川鍋一朗社長、大昭和紙工産業の齊藤了介会長など、私と年齢が近い経営者仲間が集まって祝ってくれた。 出所後3年2ヶ月ぶりに最初に口にする酒がビールというのも、なんだか癪に障る。だから「何が飲みたい?」と訊かれたとき、私はシャンパンを選んだ。1杯目の酒は最上級のシャンパン「クリスタル」だった。「出所後1杯目の酒は死ぬほどうまい」と言う人もいるが、意外にも感動はまったくなかった。 刑務所に入っているとき、夢に見るほど焼き肉や酒をほしがる人もいる。私は昔から食べ物や飲み物について「あれが食べたい」「これが飲みたい」と口にするのは、みっともないと感じてきた。だから出所後初めての食事会でも、焼き肉やお酒を前にはしゃぎ回ることもなく、いつもの調子で饒舌におしゃべりを楽しんだ。 二次会は西麻布にあるカラオケに繰り出した。ここには幻冬舎の見城徹社長もお見えになった。見城社長は喜連川まで3回も面会に来てくれ、あるときは面会室で涙まで流してくださった。私ももらい泣きしてしまったものだ。塀の外での再会を祝し、出所初日は夜中の1時半まで以前の調子でお酒を楽しんだ。 P283 2016年12月18日の日曜日には、見城徹社長の主催で出所祝いの食事会がある。養生したこともあって、この集まりまでにようやく体調は回復した。東麻布の中華料理屋「富麗華」には、作家の林真理子さんや自民党の野田聖子・衆議院議員、ホリエモンやサイバーエージェントの藤田晋社長、GMOインターネットの熊谷正寿会長など鐸々たるメンバーが集まった。私が生まれた64年もののワイン、DRCの「グラン・エシェゾー」はとりわけ素晴らしい味だった。 |
筒井冨美(フリーランス麻酔科医) 宝島社 2017/02/14 辛辣な言葉が 次々に登場します。 麻酔科医としてだけでなく、 優秀なんだろうと思わせる著者です。 ただ、最後まで読み通すのは苦労です。 辛辣な分析は、 上手にストーリを構築しないと、 個性の強い雑談になってしまいます。 P5 さあ「有能は厚遇、低能は冷遇、無能は淘汰」の世界へようこそ。 P23 医者仲閤から、「麻酔は何がおもしろいの?」と聞かれることもある。これに対しては、私は「純粋に自分の知識と技術で勝負できること」と答えることが多い。 内科や産婦人科医ならば、知識やスキルのなさを話術や雰囲気でごまかして患者を集めることは可能である。 「自分の妊娠や出産経験からあ、同じ女性としてえ、患者に寄り添う診療ができまぁす」といった風に”患者と同じ目線”をアピールするが、帝下切開すら執刀できない産科女医 …… などがその典型的であろう。一方、麻酔科医の仕事ぶりを判断するのは、外科医や看護師や臨床工学技士というプロフェッショナルたちである。どんな資格や輝かしい学歴があっても、「同じ手術に入る」ことで一目瞭然、医療のプロたちに対してスキル不足をごまかす術はない。 P26 「難手術に成功して、無事に手術室から出した」症例は、夕食の頃には名前すら思い出せないことが多いが、「赤ん坊を残して、周産期心筋症で亡くなった母親」のような症例は、10数年が過ぎたあとでもフラッシュバックすることがあるそんなわけで、楢崎氏が10年以上前の失点をうじうじ書いているのには、個人的にはとても親近感を覚える。 P57 新渡戸稲造は「乞食は握り飯を受け取るとき、1つ目は礼を言い、2つ目からは塩加減が足りないと文句を言い、3つ目からはおかずをつけろと要求してくる」と言ったが、実際に(自称)弱者のフォローをしてみても「1度目は礼を言うが、2度目は当然という顔をして、3度目は自分の仕事ではないと主張」されるのが関の山だった。「支え合い」とはいうものの、「偏差値60」の有能者が「偏差値40」の低能者の仕事を代行することは可能だが、逆は不可能である。たいていの職場では、「支える人」と「支えられる人」は固定されたままなのだ。 P136 いまなお医療現場に生きる口伝に「女医1/3の法則」というものがある。「女医のうち1/3は生涯独身、1/3は結婚するも離婚、1/3は結婚生活をまっとうできる」というものである。確かに、2012年の総務省「就業構造基本調査」によると、女性医師の生涯未婚率は35.9%なのだそうで、「女医1/3の法則」はあながち間違いではないようだ(ちなみに、男性医師の生涯未婚率は2.8%)。 P142 とりわけ、父も兄も医者といった一家で育ったような女性は「医師に非ずんば男に非ず」という洗脳的教育を受けているケースも多い。これが「女医1/3時代」においては裏目に出てしまい、同世代の非医師男性と交際するよりも、既婚上司やら指導医と不倫してしまうというベタな泥沼に堕ちるバターンが後を絶たない。 |
安lェ二(弁護士) VOICE 2017/02/14 刑事裁判は無謀な挑戦。 しかし、本書は、 刑事裁判の王道を歩く弁護士が、 医療過誤事件で無罪判決を得るまでを、 現場をリアルに表現する上手な筆で語ってます。 このような王道を歩く、 熱血漢がいるから日本の裁判制度は、 最後の1ミリのところで面目を保っているのだ。 しかし、無罪判決を得ても、 元に戻るだけで、それ以上の収穫は無い。 まさに、不条理な社会が刑事裁判です。 P17 警察官、検察官は取調べのプロ。自白させるテクニックも桐喝の仕方も心得ている。 「患者が目の前で亡くなったんだぞ。なんにもなくて人が死訟か」「きちんとやっていたら、死ぬわけないだろう。何を隠してんだ」「人殺しだぞ」「きちんと、反省しろ]「さっさと吐けー」 医師が恫喝される場面が目に浮かぶ。 同じことを繰り返し聞かれ、少しでも違うと厳しくそこを突かれる。犯罪者と決めつける尋問、それがいつ果てるともわからない中で、何時間も続く。心は押しつぶされる。 冷静な時は、相手がどんな意図で質問しているのかがわかる。 だが、警察の拘束、監視下に何日も置かれ、非日常の時間のなかで思いもつかないことを聞かれ続けると、頭の中を引っかき回されるような状態になる。相手がどういう意図や目的で聞いているのか、自分に不利なのか有利なのか、判断する力が奪われていく。 答えても、自分が何を語っているのか判然としなくなってくる。 その状態に人を追い込むことこそ、それが、「日本における取調べ」であり、強制捜査(逮捕、勾留)の目的の一つなのである。こんな野蛮な取調べは、まともな先進国では許されない。しかしこれが、B本の刑事司法の現実である。 警察、検察の思い通りの供述調書を作り出され、冤罪が生み出されていく余地は、いつでも、いくらでもある。 逮捕された医師を心配しつつ、大谷さんに接見を頼むことで弁護活動が動き出した。 P33 新聞の報道だと、今回のような胎盤が癒着したケースは、2003年(平成15年)、2004年(平成16年)め県立病院全体の出産、1250件のうちの1件のみ。 日本の全分娩で、癒着胎盤が現れるのは2万2000分の1の確率。 まれな症例なのだ。どんなにベテランの産婦人科医でも、一生のうちに胎盤が癒着するケースに出会うとは限らないという。 そんな珍しい症例だとしたら、救えなかったとしても、それで刑事責任を追及すべき「業務上過失致死罪」にむすびつくのだろうか。 P92 私は怒りを最高裁への上告理由書にぶつけた。 「東京高裁は東京地検公判部東京高裁出張所と言われている」 と書き出した。この言い方は刑事弁護に関わる弁護士のなかでは半ば冗談のようによく言われるのだが、正面切って裁判所に向かって言うバカはいないだろう。あまりにも過激だと仲間から止められたが、そのまま提出。 これで有罪なら笑い者、憐れなピエロだ。もう生かされる場もない。ひっそりと生息している法曹界の片隅からも追い払われるだろう。 しかし、最高裁は、私の思いを受け止めた。最高裁法廷での無罪判決の言渡し。感無量。 被告人だった彼もそうだったろうが、私も、ああ、これで生きていけると思った。 P93 裁判官であった木谷明先生は、その著『刑事裁判のいのち』(法律文化社)のなかで若き日、検事から次のような言葉を聞き、裁判官として懊悩したと語っている。 「裁判官は検事の主張とあまり違ったことをしないほうがいいぞ。何故かというとわれわれはむずかしい問題は、庁全体、あるいは高検、最高検まで巻き込んで徹底的に協議してやってるんだ。それに比べてあんたたちは何だ。1人かせいぜい3人じゃないか。そんな体制で俺たちに勝てるはずはないんだ。仮に一審で俺たちの主張を排斥して無罪判決をしたって、俺たちが控訴すれば、たちまちそんな判決は吹っ飛んじゃうんだ」 木谷明先生の経験は私の絶望体験と重なっている。これが検察官の本音であり、それは変わらないのだ。 P98 どうして証拠隠滅の恐れがあると考えるのかという当職の質問に対しては「否認して争っているので、罪証隠滅の恐れがある」ということでした。否認=罪証隠滅ですか、という質問には結果的にはそういう判断、みたいな答え(仰天)。 逮捕容疑を認めず、検察の主張を認めないで争うということは、証拠隠滅の行為をするであろうし、それ故に勾留をする理由があるというのが、裁判官の答えであった、ということである。 信じがたい。度し難い。まともな法律感覚ではない。 この時代遅れの裁判官の人権感覚、日本の司法の現実が、日米地位協定の隠れたネックとなっていることは、ほとんど知られていない。 国民の命を守るとは、正しい人権感覚があってこそ、始まるのではないだろうか。 |
デニス・プレーガー VOICE 2017/02/07 素晴らしい宗教書を書く著者ですが、 本書はダメ。 この著者には、 論理を語らせるべきであって、 感情を語らせるべきではない。 ただ、 著者が論じる事項の一点に、 私の「貸方理論」を発見した。 目に見える他人の幸せ。 それは借方であって、 皆さん、 それぞれに貸方(借金やリスクなど)を抱えている。 借方を見て、他人を羨むのは間違い。 そして、どんな大きな事業を起ち上げた成功者でも、 貸方の末尾にある純資産(家庭)を壊してしまえば不孝な人生。 P43 「私の知ってるほんとに幸せな人は、私がよく知らない人ばっかりよ」 幸せへの障害を、一言で言い得て妙です。自分より幸せだと思って比較する相手が、私たちの知らない悩みや苦悩につきまとわれていることを、だれもが知るなら、他人との比較をやめられます。あなたがよく知っている人たちのことを考えれば、ヘレン・テルシュキンの言葉に納得がゆくでしょう。よく知っている人たちはたいてい、ずいぶんと不幸な体験をしているものです。しかもその人たちの内面を苦しめているもの−感情的、心理的、経済的、性的、アルコールやドラッグ関係の悩みなど−については、まだまだ知らないことが多いかもしれません。 前著の宣伝ツアーのときに出会った、ラジオのある若いトークショウ・ホストのことを思い出します。彼は私の目には、ものすごい成功者で、健康で、幸せに見えました。美しい奥さん(スタジオには写真が飾ってありました)や、ふたりの娘への愛を口にし、住み心地のいい大都市でトークショウのホストをしている喜びを語っていました。まったくそれが自然体に見えたので、私は彼こそ、万人の羨む、ごく少数の幸せ者のひとりにちがいないと考える罠にはまってしまいました。その後、私たちはどちらもコンピュータが好きだということから、インターネットの話題になりました。彼はインターネットで、多発性硬化症についての情報がいくらでも得られるのでありがたいと言いました。彼の奥さんは多発性硬化症だったのです。 私は茫然とし、自分の思い込みから醒めて、この人の人生にも小さな不幸があるのだと思いました。 P66 社会的成功イコール幸せでないことを証明する第2の方法は、大成功者と話をして、幸せかどうかきいてみることです。私は多数の成功者と話をして、その中の幸せな人たちは、成功する前から幸せで、成功はおまけにすぎない、ということを知りました。成功以前に不幸だった人は、今も不幸です。ハッキリ言えば、もっと不幸になったのです。幸せイコール社会的成功だと信じていて、まだ幸せになっていないので、彼らはもっともっと成功のために時間をつぎ込みます。ほんとうに幸せになるために、時間をつぎ込むことがありません。 |
堀込泰三 言視舎 2017/02/07 東大卒のエリート社員が、 配偶者(妻)の外国留学の経過で 育児休暇を取り、その後、退職して子育て主夫になる。 その経過と、その時々の考え方が紹介されます。 しかし、私には、ピンとこない。 子育て主夫なら、 篠田節子の「百年の恋」という小説があるが、 あちらの方が、遙かにメンタル的に深いように思う。 いや、実話と小説は比較できませんし、 実話には、小説のようなドラマはありませんが、 しかし、何を考えて、このような生活を選択したのか。 子育ても重要ですが、 育った子供は、その後、職に就き、自分の人生を築いていく。 その為の子育てだと思うのですが、 子育てのために、 自分自身が職に就き、 自分の人生を築いていくという生き方を捨てる。 自分の実現という発想はないのだろうか。 いや、そもそもサラリーマンという生活がつまらないのか。 私なら、絶対にあり得ない人生です。 P153 しかし、仕事というものは、それだけではない。末端での努力とは無縁のところ、すなわち、大人の事情で、プロジェクトが動くのだ。せっかくあんなに努力して、いい実験結果を叩き出したというのに、「このプロジェクトは凍結」と上が言えば、それで終わりなのだ。入社して数年で、そんなことが何回もあった。日々の努力が、むなしく感じられた。いつしか、「どうせこれもポシャるんでしょ」というのが口癖になっていた。自分が携わった車を世に送り出したい。そんな一心で日々努力しているのに、全然世に出る気配がないのだ。そんな状態で、入社当時のモチベーションを維持するのは難しかった。 P156 でも、自分から言わせれば、一つだけ芯が通っていることがある。それは、常に自分の価値観に従って生きているということ。世の中のツマラナイ常識や先入観、そして人の目に流されるのは、まっぴらごめんなのだ。だから、「何となく生きている」と思われるのも、まったく何とも思わない。だって、自分は自分の判断で生きているのだから。そして、この上なく、幸せなのだから。 |
阿刀田 高 新潮社 2017/02/06 ユダヤ教や、 キリスト教は意味が分かりますが、 イスラム教は意味が分からない。 しかし、多数の信者を取り込むイスラム教。 もちろん、意味があり、魅力があるのだろう。 しかし、本書を読んでも分からない。 イスラムの環境という土着の宗教なのか、 非民主主義というより反民主主義なのか。 祈りの言葉の音楽としての美しさなのか。 イスラム教の魅力が理解できる解説書。 これからも探し続けることになる。 P26 じゃあ、コーランは、どうだろう コーランの記述は、なにに似ているのだろうか。歴史ではない。伝記でもない。もちろん論文ではない。テーマを掲げ、推論をして結論を導く、という叙述ではない。 あえて言えば……率直な感想を述べれば、 −親父の説教に似ているなあ− P27 また説教か− と思っても、後になって、 −親父の言ってたこと、正しかったなあ− と感銘する。“親の意見と冷酒はあとになって効く”のである。 だが、そういう偉い親父でも、説教というものはあまり論理的ではない。いきなりドカンと降って来る。事実の誤認もあるし牽強付会もある。断片的な言いようが多いから、前後の事情を知らないとわかりにくい。たとえば結婚の相談をしているのに、 「ばか。お前はいつもそうなんだ。大学受験のときもそうだった。あとになって後悔する」 そして、もっとも顕著な特色は、親父の説教は、つねに、くどい。同じことを何度も言う。何度言われてもばか息子がわからないから、親父のほうもついつい何度も言ってしまうのだろうけれど、とにかく、くどくて、 「わかったよ、いつも同じこと」 「わかってないから言うんだ」 P83 コーランは神の言葉であると同時に神の音楽でもある。文言が伝える意味内容も大切だが、朗唱して響く厳粛さ自体が神の臨在を顕わしてつきづきしい。だから、 「アラビア語で読むコーランだけが本物で、あとはみんなペケ」 これがまっとうな主張とされている。 この主張の一つの帰着として、コーランは、相当に長い年月にわたってアラビア語以外で読むことが禁じられ、翻訳も許されなかった。 |
デニス・プレガー ミルトス 2017/02/06 ユダヤ人憎悪の本当の原因は何か 人種的な偏見、 財産を持つが故の嫉み。 それがユダヤ人に対する迫害に繋がった。 そのような常識を否定し、 ユダヤ教は、ユダヤ教なるが故に迫害されると説明します。 一神教を最初に唱え、 道徳律を最初に確立し、 主との契約を頑強に守り、 キリスト教やイスラム教までも否定する。 キリスト教や、 イスラム教側にしてみたら、 自分達を否定することを教義とする宗教。 一切の妥協を受け入れず変えることが不可能な人達。 だからこそ、起源70年に祖国を失っても、 その後、ユダヤ教のアイデンティティを維持したユダヤ人が存続し続けたのだろ。 ユダヤ教徒であり、 ユダヤ教の研究者である著者が、 迫害されること、それがユダヤ教の本質だと論じます。 P15 世界の大国は、人口比率からみれば決して大きくなり得なかったこの集団を敵とみなしつづけた。1世紀のローマ帝国にとって、また15世紀以上にわたるキリスト教世界にとって、さらに、ナチの第3帝国、アラブ世界、イスラム教徒、ソビエト連邦にとって、ユダヤ人は我慢のならない存在であり、脅威でもあった。 またシェークスピアの『ベニスの商人』に登場する人肉で利益の回収を望む高利貸しのユダヤ人は、イギリスからユダヤ人が一掃されて350年後に書かれた。これらは、反ユダヤ主義が容易に解消するものでないことを示している。 P21 これらの理由で、ユダヤ人は反ユダヤ主義を、避けられないものであり、道義上好ましいものとは言えないが合理的な理由があり、ユダヤ教に対する反応とみなしてきた。この理由のために近代までのユダヤ人および現代までの宗教的ユダヤ人は、反ユダヤ主義によって殺されたユダヤ人すべてを民族的偏見の犠牲者ではなく、神の名を聖別して(キドゥーシュ・ハシェム)命を落とした者、この世に神の名をあがめながらユダヤ教に殉教した者とみなしてきたのであった。 P30 これらの教義が、なぜとてつもなく強い反ユダヤの憤懣を引き起したかを理解するには、神学者や歴史家である必要はない。ユダヤ人の神への信仰は、彼らの隣人たちの神々にとっては脅威であった。それは非ユダヤ人たちのすべての価値観に挑戦するものであった。全米カトリック司教協議会のエドワード・フラナリー師は「神が与えた普遍的な道徳律という概念をこの世にもたらしたのはユダヤ教であった」。 だから反ユダヤ主義を引き起す基本要素は、至高の倫理的権威者の名においてユダヤ人が持ちこんだ、「汝……すべし」、「汝……すべからず」という教えへの抵抗である。 P31 反ユダヤ主義の根本は……はっきりと口に出すことも、意識されることもほとんどないが、唯一の神というユダヤ人の信仰、反ユダヤ主義者たちがきわめて不本意に改宗してきた信仰への敵意なのであり、彼らはそのことへの抵抗を抑えれずにいたのだ。反ユダヤ主義とは、こうした抵抗がとる一つの形である。このわずらわしい宗教を創始したユダヤ人、そのうえ、“異邦人”がそのユダヤ教を土台につくり直した新しい宗教(キリスト教、イスラム教〉を拒絶するユダヤ人は、いともたやすく反感の標的となった。全能の神を敵とする人間はいない。しかし唯一神を生み、神が自らを啓示した者たち、そしてその神を他者に認めさせた者たちを敵視することはできる。 P32 ユダヤ人は自らの信仰を編みだして以来ずっと苦しんできた。しかし、その信仰を捨てようとはしなかった。結局は、ユダヤ人をユダヤ人らしくさせるものはユダヤ教なのだから……。 キリスト教会は、ナチズム以前の反ユダヤ主義のなかでもっとも悪質な反ユダヤ主義を生んだ。 |
川合伸幸(比較認知科学) 講談社現代新書 2017/01/26 ユダヤ教、 キリスト教、 イスラム教には哲学がある。 ここではイスラム教の喜捨の教え。 喜捨は、喜捨する者にとっての喜びでもあるのだ。 認知科学が提唱される遙か以前に、 イスラム教は喜捨という文化を創り上げている。 ちなみに喜捨とは次のような行い。 神の拳 フレディリック・フォーサイス 「喜捨を、旦那さま、喜捨を。三日も物を食べていない哀れな人間に喜捨をお願いします」 気が付いた運転手が引き返してきて、罵声を浴びせかけて乞食を追いはらおうとした。アーメイド・アリ・ハリファは手を振り上げて運転手を制した。彼は忠実なモスレムで、常に、コーランの教えを順守しようと努力している。人はできるだけ気前よく喜捨を行うべきしというのも教えの1つなのだ。 P181 これまでは、経済的に豊かな人のほうがそうではない人よりも幸福を感じると信じられてきました。しかし、「どれだけお金を持っているか」よりも、「お金をどう使うか」ということのほうが幸福感にとって重要なようです。ブリティッシュ・コロンビア大学のエリザベス・ダンたちが『サイエンス』誌(2008年)に発表した研究では、学内にいる大学生を多数集め、無作為に5ドルを与えるグループと20ドルを与えるグループにわけました。 かれらは、その日のうちにお金を使いきるように指示されました。ただし、それぞれのグループの半数は、お金を自分のために使うように指示され、残りの半数はそのお金を他人のために使うように指示されました。 その日の終わりに集計されたレポートの結果、与えられた金額にかかわらず、自分のためにお金を使った人より他人のために使った人のほうが一日を通じての幸福感が高かったことがわかりました。 この実験の結果がどうなるかを、別の大学生たちに予測させたところ、二重のまちがいをしました。多くの人は、@与えられたお金が多いほど、A自分のために使うほど幸福感が高まると予測していました。しかし実際には、手にした金額は関係なく、ただ他人のためにお金を使うことが幸福感を高めたのです。 |
高良倉吉(琉球史専門) 中公新書 2017/01/23 沖縄は、なぜ、日本なの。 沖縄王朝への復古思想は存在しないの。 沖縄の本土に対する思いは、 戦争と、戦後の占領時代、その後の基地問題なの。 どのウエイトが大きいの、その他の理由はないの。 それらを冷静に 客観的に解説します。 やいのやいのと主張する沖縄を、心の中で遮断してしまうか。 沖縄の主張に耳を傾けて、ヤマトゥンチュとして懺悔すべきか。 そのどちらでもない 歴史と現状の解説です。 P6 関ヶ原の戦い(1600年)から9年後の1609年春、徳川家康の了解を得て、薩摩の島津氏が3000の軍を琉球に派兵した。 しかし幕府は、王国体制を廃止し、琉球を日本(具体的には薩摩藩)の直轄地に編入したのではなかった。王国としての琉球はそのまま存続し、薩摩側の出先機関である在番奉行が那覇に設置されたものの、王国の政治や行政を担う主体である首里王府体制は維持された。 P11 徳川幕府体制が崩壊し、日本が近代国家としての道を歩みはじめたでぎごとは、琉球王国にとってその存立を揺るがす決定的な端緒となった。近代国家としての日本の国土や領域をより明確にする必要があり、その際の最大の案件が琉球王国の取り扱いであった。 1879年(明治12)春、明治政府は軍隊と警察官を日本から動員し、武力行使をちらつかせながら、首里城の明け渡しを求めた。最後の国王となった尚泰はあえて抵抗せず、首里城を出た。琉球工国は消滅し、近代日本を構成する南端としての沖縄県が誕生したのであり、この事件を契機に「近代沖縄」が始まる。 P15 この問題を考えるうえで特に注日したいのは、先駆者、伊波普猷の言説であろう。 沖縄研究を通じて彼が導き出した結論は、琉球王国を形成した人びとは日本文化をそのルーツとすること、したがって、沖縄と日本のあいだには文化的な親和性、一体性がある、というものだった。琉球語(琉球方言)は日本祖語から分離しており、日本語の系統に属する言語だという事実がそのことを証明している、と説いた。この所見は後に「日琉同祖論」と呼ぼれるようになるが、単なる学問的な認識に止まらず、社会的に大きな影響を及ぼした。 P17 基地の島に変貌した沖縄において、アメリカは基地優先、軍人優先の統治を進めており、住民の人権や自治は著しく制限されていた。そのような現実を解決できる目標として日本への復帰が叫ばれたのだが、では、なぜ日本復帰をあえて選択したのか。 1972年5月15日、さまざまな評価が取り沙汰されるなかで、「日本の一員としての沖縄」の復活を求めた住民の選択の結果として、沖縄県体制が再び甦った。だが、基地の島としての現状は温存されたままであり、それ以後も基地問題に悩まされつづける過程を強いられ、現在に至っている。 |
岩波書店編集部 岩波書店 2017/01/19 36人の著名人が貧困を語ります。 戦後の貧しい生活の中に、更なる貧困があり、高度経済成長の中にも貧困があった。 バブル時代にも貧困があり、バブル崩壊で自らの失敗で貧困化した人達もいる(後に引用)。 そして、努力して貧困から抜け出した人達もいて、努力しても貧困から抜け出せない人達もいる。 貧困を自分のこととして語る人達と、社会事情として語る人達。 さて、貧困とは何なのか。 心を卑屈にしてしまうコンプレックスでしかない。 貧困を作り出す親は罪だと思う。 貧困の時代に価値があるとすれば、 その卑屈さを実感として経験すること。 しかし、バブルで踊って、 過大な借金を抱えてしまった方は、自分を笑う以外にない。 P43 私が貧乏になったのは、「貧乏を経験すべきではないか?」と思って、貧乏へ続く道を選択したからです。伊達や酔狂で貧乏になる人はいないでしょうが、私は伊達や酔狂で貧乏になったのです。 昭和が終わった翌年のことです。私が事務所として借りていたマンションの部屋のオーナーが、「ここを買ってくれないか?」と言ってきました。値段は坪600万円で、1億8000万円です。 …… 省略 …… 私が「買いませんか?」という話を聞いて3日か4日で、不動産の取り引き価格は1.5倍になりました。私が「買う」と言った理由はこれです。あまりにもバカげた事態を、看過することができませんでした。「伊達や酔狂」を通り越したバカげた判断であることは、百も承知です。 …… 省略 …… 「買う」と言った私のローンの月々の返済額は150万円です。もちろん出費がそれだけで済むわけもなく、私は毎月200万円以上の金を稼がなければなりません。それだけの金を稼いで、自分のために一銭も使わなくても、月末にはゼロかマイナスです。4年もすれば息切れをします。そして、そういう状態がずっと続くのです。 そうなると人はどうなるのか?希望というものを失います。文句を言わずに絶望状態を受け入れるしかありません。黙って働かないと破産します。だから、余分なことが考えられなくなるのです。 …… 省略 …… おかげで、貧乏には慣れました。「個人消費の回復だなんて、なに寝惚けたことを言ってやがんでェ」と思います。まだローンの返済は終わっていません。 |
水月昭道(地方寺院住職) 新潮新書 2017/01/12 ご住職が、 お寺の貧困を語ります。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が哲学(生き方)を語ってきたのに、仏教は、葬式仏教に成り下がってしまっている(ように思います)。地獄と、ご先祖様と、極楽往生などの脅かし(と思えます)で、不信心者にも葬式を強要してきた(ように思えます)の仏教。 人々がクールになっていけば消滅は必然の結果と思えます。 仏教とは何なのか。 四苦八苦から逃れられないのが人間なら、それを仏様に預けてしまう。 他力本願という仏教の教え(のようですが)、それが哲学なのだろうか。 本書の著者は、極めて真面目に、明確に、端的に現状を語りますし、 誠実な人柄が語られますので、仏教に興味が無い方も一読と思います。 特に、ご先祖様のお寺を持て余している方には必読です。 P33 その分岐点は、業界では300軒が目安と言われている。 ちなみに、宗派にもよるが、100軒程度の檀家があるとして、@のお布施の実入りについては概ね年間に、「300万〜400万円」くらいの換算となるだろう。 ともあれ、檀家数が300軒あると、お布施による年間収入で概ね900万円ほどがなんとか見込める計算になる。 P73 「皆平等」を説く仏教の教えに従っているはずなのに、仏さまに近い場所にいるお寺や寺族(註・寺院に生まれた人間や住職の妻[坊守])が“上”で、教えを受ける檀家はひとつ“下”といった暗黙の階層が出来上がっていたりもする。虎の威ならぬ、み仏の威を借りているようで、なんとなく気持ちが悪い。が、全く疑問を抱いていない住職方も少なくない。 P123 本書のテーマのひとつは僧侶の貧困である。一般的にそこには苦労がつきものだが、お坊さんにとってはよいことかもしれないと、当節しみじみと思うことでございます。なぜなら、お坊さんたちがいまひとつつまらなくなった理由に、お坊さん自身の苦労・修行が足りていないことが挙げられることもあるからだ。 だからこそ、「貧乏・苦労」ちょうどいいではないか。渡りに船とはこのこと。ここでは、それがどのような“坊さん修行”になるのか、そのあたりを掘り下げていこう。 先ほど、お布施が相場に足りていなかったと嘆く住職がいた。実はこれなどすでに相当な荒行のなかに身を投じていると言えるのだ。 仏教で説かれる最も根源的な苦しみに「四苦八苦」というものがある。 「四苦」は人間が根源的に抱える四つの苦しみ「生老病死」のことで、さらに次の四つを足すことで八苦となる。@「愛別離苦(註・愛する相手と別れねばならない苦しみのこと)」A「怨憎会苦(註・憎い相手とも会わなければならない苦痛のこと)」B「求不得苦(註・願うことがなかなか思い通りにならない不満や苦しみのことと)」C「五陰盛苦(註・この身であるからこそ生じてくる一切の苦痛のこと)」である。 そのうちの、B「求不得苦」に、現代人はかなり悩んでいよう。 お金のことはもちろん、生き死にの問題などは、思うに任せないことの代表格にあげられよう。病気の人なら健康を願うことだろうが、それだって望むようにはなかなかいかない。社会的問題としてよくあがる待機児童の件はどうだろうか。解消されるべき喫緊の課題だが、保育所には一体どうすれば入れるのか。途方に暮れる親御さんは多かろうに、政府の対応は後手後手でなかなかうまくいかない。 婚活での相手探しひとつとっても簡単ではない。 そうそう。大学院を修了した博士たちも忘れてはいけない。求職に奔走する彼らは、日々、大学専任教員にはどうやったらなれるのか思案しつつ無為の毎日を過ごしている。心が折れてホームレス博士状態に転落した人も少なくない。末は博士か大臣か、と言われたのは昔日のことだ。 非正規雇用者は増える一方だし、正規雇用のポストにありつくには一体何が必要なのか。教えてください、仏さま。若い人を中心にみんな困っているのです。 …… あれ? こうしてみると、世間の方々のご苦労のほうがお坊さんなんかの小さな悩みより遙かにハードのようだ。お布施が足りないなんて、まったく序の口ではないか。 P133 現状ではそうした素直な心情の吐露すら、仲間内では難しくなっている。いや、仲間内の目こそが最も怖い。 「信心って難しいなあ」なんて誤って口を滑らせてしまえば、「えっ、獲得できてないの。なってないでしょ!」と、ガリガリに凝り固まった”仏教頭(バカ)”に詰め寄られるのが関の山だからだ。 P215 仏道を歩むとは、他者には理解できないかもしれないが自分にだけは見えてくる”輝き”を捉え、それを己のものとし、内から自らを光らせるまでに昇華させていく途方もなく丁寧な時間の積み重ねを指すように思えて仕方ない。 |
ジョン・ブラッドショー(ブリストル大学獣医学部客員研究員) 河出書房新社 2017/01/11 犬はオオカミの個性を承継している。 飼い主の家庭の中に階層構造を作る。 それは間違った考え方だと論破します。 しかし、犬を擬人化して判断するのも間違いだと。 悪い癖を付けた犬を人間のように叱るのは間違いだ。 犬にも 恐怖、怒り、愛情という感情があるのか。 しかし、そもそも感情とは何なのか。 人間にも存在するもので、 それは生存の為に不可欠な役割を果たしている。 犬についても恐怖、怒り、愛情の感情がある。 ただ、当然の事ながら、その対象が異なっている。 それを理解することが犬を育てる為に必要なことだ。 この本を読んで、犬を理解する共に、 人間の理解についても学ばせて貰いました。 社会生活では、 怒りなどは、不利益な個性でしかない。 しかし、もし、怒りが不要な個性なのなら、 人類の進化の過程で消滅しているはずではないか。 しかし、それは違うのだ。 恐怖、怒り、愛情は、 人間の生存の為に不可欠な個性なのだ。 そのように説明されれば、 恐怖、怒り、愛情の濃さは、 人間としての優れた個性と位置付けられるかもしれない。 もう少し、早く、この本を読んでいたら、 私の飼い犬に対する対応も違ったかもしれない。 いや、そんなことはないですね。 本書に書いてあることぐらいは直感で理解していた。 アルベルト(飼い犬)には恐怖や愛情の感情がある。 それは判断するまでもなく自明の事柄です。 P238 現在では一般に、人が感情として経験しているものは、日常生活を送ることを可能にしでいるしくみの大切な部分だとみなされている。意識に伴う、ただの副次的な作用などではない。感情は、なくてはならないフィルターの役割を果たしているようだ。感情があるからこそ、人はいいタイミングで適切な判断を下すことができ、脳が行動のあらゆる選択肢を考えて理屈で一番いいものを選ぼうとするのを待たずにすんでいる。 P239 それでも怒りのおかげで、脳を即座に脅威(侵入者)への対応に向けることができ、あとで考えればすむ不急のことで時間を無駄にせずにすむ(壊されたドアの鍵をどうやって修理するか、保険の代理店の電話番号はどこに書いてあるかは、あとで考えればいい)。 感情が本当に生き残りのためのメカニズムだとしたら、明確な機能を果たすために進化してきたはずだ。そしてそれらの機能―危険を避ける、脅威に対抗する、子孫の生き残りを増やすペアを作る―は人間だけのものではないはずだ。人間の祖先と同じくらいに、オオカミにもあてはまる。実のところ、オオカミと人間は同じ哺乳類で、脳とホルモンのしくみは同じ生物学的パターンに基づいているので、どちらの感情のしくみも哺乳動物の共通の祖先から進化してきた可能性は高い。そうした理由から、人間の感情生活と犬の感情生活がよく似ているとみなすのは、理にかなっている。それでも何百万年ものあいだ別々の進化の道を歩んできたのだから、まったく同じではないことも確かだろう。 P255 以前に逃げ道を断たれた経験があれば、間髪を容れずに攻撃に出る犬もいる。多くの獣医師が言うように、攻撃の大半を引き起こしているのは恐怖で、怒りや「支配」欲ではない。多くの問題行動の中心にあるのは恐怖だ。 P266 愛情なしでは、犬と飼い主のきずなは生まれない。それでも犬の感情があまりにも強いために、飼い主がいなくなりそうだとわかると不安になり、戻ってくるまでずっと不安を抱き続ける犬が多い。その不安から生じた行動は、飼い主にとっては許しがたいものばかりだ。 P267 分離苦悩は、犬種や犬の個性により、さまざまなかたちで現れる。破壊(家具などを噛み跡だらけにする、噛みちぎる、ひっかくなどで、飼い主が最後に出て行った場所や、飼い主のにおいがついたものをねらうことが多い)、声(吠える、クンクン鳴く、遠吠えするなど)、排泄物(おしっこ、ウンチ、嘔吐など)などが表現手段になる。数は少ないが、自傷行為や絶え間なく歩き続けるなど、根深く耐えがたいストレスを示す合図もある。 |
紫門ふみ 小学館 2017/01/10 「東京ラブストーリー」の紫門ふみが、 夫である「課長島耕作」の弘兼憲史との老後を語ります。 さすが読ませる文章を書きますし、 洞察力の深い文章を示してますが、 しかし、 紫門ふみは59才、 弘兼憲史は69才、 ここに書いてあるほど 老境に入っているのだろうか。 60才の定年退職のサラリーマンならともかく、 50代、60代は はな垂れ小僧の自営業者ではないのかと。 作家として造り上げた老後なのかも。 いや、実感を語るのなら見事ですが、 絵空事を経験のように語るのなら 少し、詐欺っぽい感じがしてしまう。 いや、この文章、嘘だろ。 どう考えても80才、いや、90才を超えた老婆の生活。 いまどき50代、60代で、 これほど老いるはずがない。 P87 以前、体に良いことを何かしていますかと医者から聞かれ、毎朝、公園を20分ぐらいウォーキングしていますと私は答えた。すると、 「それはやめた方がいいです。サイモンさんの年代だと寝起きに散歩するのは、転倒して骨折する危険性が高いです。それに、20分のウォーキングならやらない方がマシです。有酸素運動は30分以上続けないと意味がない」 P215 何度も繰り返すが、近頃物忘れがますますひどくなっている。家の中ではスマホがしょっちゅう行方不明になるし、外出すると、バッグの中に入れたはずの名刺入れ、眼鏡、スマホ、ハンカチのうち、必ず一つが見つからない。こういうことが積み重なると、自分が自分でまったく信用できなくなる。 |
高須克弥(高須クリニック院長) 小学館 2017/01/10 高須クリニックという不思議な存在。 その生き方(の一部)が分かる自己紹介本。 しかし、それにしても、どうして儲かるのか。 いや、儲かっているのか、貸方は不明ですが。 P38 それまでは名古屋の美容整形ってみんな、ラブホテルがあるようなところでこっそりやってたんだけど、僕は名古屋でいちばんの繁華街にあるビルで堂々とやったら、結構はやっちゃって。 そのうちに、名の売れたタレントさんの整形をしてあげたら、その人が周囲によかったと言ってくれたので、そのルートでまたたくさん来るようになって。 それからテレビが始まった。大阪の読売テレビの『11PM』と、それから、『おもいッきりテレビ』の前にやってた『2時のワイドショー』。僕は美容整形の専門家っていうことで、レギュラーをもらっちゃって。すぐ全国で有名になっちゃった。 同じような時期に、『危ない美容法』っていって、美容で間違ってることだとか、美容整形のことだとかを書いたら、その本がベストセラーになっちゃって。日本中で有名になった。 それから、北海道から九州まであちこちにクリニックをつくって、週にいっぺんとか月に2度とか、そういう感じで、ぽんぽんと行って治療をした。 P58 やってきた税務署の人たちは、「先生がまったく知らなかったことはよくわかりました、すごく同情します」って言ってくれたんだ。僕がどういうふうにしたら罪にならないのかと聞いたら、「私たちも人間です、心があります、もう心証はすごくよくなっているから、捜査に協力してくれれば悪いようにはしません」って言うんだ。 税務署の人たちが見つけてたのは確か5億円ぐらいだったけど、僕は一生懸命協力して30億円以上探し出して、「こんなにありましたよ」って言ったらすごくよろこんで「ありがとうございます」って言われた。 ところが、そのあと起訴されたら、検事は金額が大きいことが問題だって言う。「話が違う!!」って言ったら、それは先生が甘かったんですよって……。あとの祭り。してやられたというわけ。 だって税務署の人たちは、すごく親身になってくれてる様子だったし、僕の著書の『危ない美容法』を持って来て、女房がサインしてくださいって言ってるんです、僕たちはファンですからって言ってた。まさかこの人たちが僕に不利になることをするわけはないって思ったんだけどね。 まあ、仕事だからしょうがない。だってサソリに刺すなって言うことのほうが間違ってるから。 彼らはとても能力のある人たちだった。それで税務署を定年になったあと、優秀な人たちに高須クリニックの顧問として働いてもらっている。 |
薄井逸走(元国税調査官) 中高経済社 2017/01/10 気になるタイトルだったので、 テレビドラマに登場する刑事の勘のように、 税務調査官の「勘」を期待したのですが、 ただ、現場でやり取りされる会話が登場するだけ。 要するに、 調査官と納税者の会話で説明する 日常的な税務の取り扱い事例集です。 元国税調査官と称して、 さも、自分を特別の存在とアピールする人達がいますが、 要するに、彼らの知識と勘は、この程度。 当たり前のことであって、 彼らに特別のノウハウが存在するはずは無い。 なにしろ、税理士の、 おそらく、3分の1は元国税調査官です。 「元国税調査官」などと宣伝せず、 真面目に税理士業をやっている人達が大部分です。 P171 負担した固定資産税相当額は租税公課にならない? 「租税公課の中に、固定資産税の支払先が「株式会社ナカムラ」となっているのがありますが、これは、土地購入の際の割振りではありませんか」 「そのとおりです。契約で、固定資産税を割り振ることになっているものです」 「土地の購入の際に支払った固定資産税相当額は、土地の取得価額になります」 「固定資産税です。契約書にもそう書いています」 「契約書はどうあれ、土地の取得価額です」 「この契約書は、宅建協会が制定した契約書です。その契約書で固定資産税を、引き渡しの時点で日割りする、と決めているのです」 「固定資産税と名が付いてはいても、売買代金の一部をなすものです」 「売買代金ではありません。株式会社ナカムラを通して、納税されています」 「固定資産税は、その年の1月1日の所有者に納税義務がありますから、川中不動産は納税義務者ではありません。したがって、租税公課とはなりません」 確かに、固定資産税を日割りで分担する旨が契約書に書かれますが、これは、固定資産税相当額であって、税金である固定資産税ではありませんので、売買代金の一部、すなわち土地の取得価額に算入すべき金額となります。 |
西垣 通(情報学・メディア論) 中公新書 2017/01/04 人工知能の専門家が語る人工知能論です。 びっしりと中身が詰まっているので読むのが大変。 ただ、 良く出来た本は、 最初から読む必要がなく、 任意の頁を開いて、 そこから読み始めれば良いのです。 どこから読み始めても、 論理は明快で、 1頁毎に納得させる記述が登場します。 ビックデータ、AI、ディープラーニングに興味があれば一読。 浮かれた賞賛論でも、否定論でもない、地に着いた正しい分析です。 著者は、AIが人間を超えるという夢の世界を否定します。 確かに、顔認証システムが進化しても人間を超えるはずはない。 そして、AIや、ディープラーニングは顔認証システムなのだ。 AIは、 データを統計的に分析し、 自己修正を加えて精度を上げていく。 しかし、 猫を認識したとしても 「猫がなんであるか」は認識していない。 P105 では、生物と機械のあいだの境界線とはいったい何か? 実はこれが本書をつらぬく基調テーマなのである。 P109 欧米のシンギュラリティ仮説の支持者たちは、人間が自分の思考をもとに人工知能をつくったことをカッコに入れ、人間と人工知能を同質な存在として同一次元で比較しようとする。まるで第三者の手によって、人間も人工知能もつくられたような感じだ。たぶんそこには、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化という遠因があるのだろう。これは絶対主義にもとつく設計思想である。機械という存在を、人間の限られた能力との関連で相対的にとらえるという、最重要な観点が脱け落ちているのだ。 P110 心脳問題(より広くは心身問題)は、昔から哲学の難問として知られてきた。これは平たくいえば、「脳」という白っぽい一塊の物質からいかにしてわれわれの波騒ぐ「心」が出現するのか、という問題だ。物質と精神〔意識)との関係を問うことでもある。心がなければ真の知性があるとは思えないし、前述のように汎用人工知能は「強いAI」であり、自らを意識する心を持っていると仮定されている。 P112 近代思想の元祖デカルトは昔、人間だけが精神をもち、それ以外の動物は機械的・物質的存在にすぎないと考えた。今ではそんな考えは動物行動学者によって否定されている。20世紀初頭、ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、動物の主観世界に目をむけた。ハチはハチ、イヌはイヌ特有の主観世界をもっている。われわれには動物の主観世界を完全に理解することはできないにせよ、そういう相対主義的観点なしには、自然の生態系を理解することはできない。われわれは、ホモサピエンス特有のまなざしで科学技術を研究しているだけなのだ。 P116 つまり、生物は自律システムであり、機械は他律システムなのだ。ここでシステム論的な境界線がくっきりとあらわれる(変動する環境条件のもとで、同じ入力にたいし異なる出力をする機械を「自律システム」と呼ぶことがあるが、正確にはそういう自動機械は「適応システム」と呼ぶべきである。作動の変更の仕方はあらかじめ設計されているからだ)。 P120 本当の問題は、コンピュータが人間のように入力文の「意味解釈」をしているのかどうか、という点なのである。真の汎用人工知能(AGI)には、意味解釈の機能がもとめられるはずだ。 P121 繰り返しになるが、基本的なアプローチは、文章テキストの対訳の用例(コーパス)を大量に記億しておき、翻訳する入力文と近い用例を検索し、同様な翻訳文を出力するのである。訳語に複数の候補があるときは、あくまで統計的にみて確率が高いものを選ぶ。 P122 なぜなら、機械翻訳プログラムは、文章の意味を解釈し理解しているわけでは全然ないからだ。基本的には、ただ機械的に文字(音声)パターンを検出し、分類されたパターン群のなかから統計的に最も近いものを取りだしてくるにすぎない。人工知能といっても、凝った仕掛けは、この処理の精度をあげるためのもので、別にコンピュータのなかに「washroom」のイメージを持っているわけではないのである。 |
里見清一(勤務医) 幻冬舎新書 2017/01/03 タイトルは良い、 内容は全くダメ。 最初の1ページでダメさが分かる。 「そのW医大の女子学生の3分の1ほどは明らかな臨床医不適格者らしい」と始める。 どこの組織に、3分の1のメンバーが不適当という組織があり得るのか。 「講義の途中から居眠りするのなら、まだ、私の授業が面白くないのかとこっちも反省するのだが、最初から突っ伏している奴が4割くらいもいる」と述べるが、 どんな講義でも、最初から4割が突っ伏していることはあり得ない。 社会制度を極端に否定する「すね者」の文章。 このような極端な否定は内容の信頼性を失わせる。 著者は、東大理3類を卒業しているそうだ。 東大卒だからといって変わり者だとは限らない。 私の周りには大量の正常な東大卒が存在するが、 著者のような「こだわり」を持ってしまう人達も多い。 東大卒を否定しながら、東大卒を自慢する人達。 P104 よく分からない。どうして「反対してはいけない」のか?「学生や研修医もいる前で、教授の意見に逆らうようなことを言ってもらってはダメだ、というんだな」と第4内科の先輩医局員に、冒われ、私は目が点になった。これが患者の前で、というのならまだ分かるが、患者には聞こえっこない会議室の中で、多少声高であったかも知れないが、「議論そのものがまずい」って、なんなのだ。北朝鮮かよ。 P105 私が「横浜に行くことに決まっていますので」と答えると、「どうしてだ?そこに鉄門(東大医学部卒業生のこと)はいるのか?」と聞いてきた。「いません。部長のWという人は慶応です」と答えると、色をなして私を叱りつけた。「なんでそんなとこに行くんだ?そのくらいだったら、S病院に行け。あそこにE君という、鉄門がいる」。その病院のことも、E先生のことも、知ってはいたが、E先生とは話をしたこともない。世の中は「東大」と「それ以外」に分けられていて、東大の人間は「それ以外」に行ってはならない、というような感覚は私には理解できなかった。 |
七条千恵美(元JAL客質乗務員) 明日香出版社 2017/01/01 多様な人達に向けて、 多様な書籍が出版されます。 まさに、女性のファッションと同じですから、 それが気に入る読者と、そうでない読者がいる。 本書について、 私は、後者です。 これだけの経験があり、 その経験を語るのなら、 さらに深い洞察があるのではないか。 現実に見聞きする客室乗務員の方が、 本書で語る客室乗務員より優れていると思う。 経験したからといって、その経験から 語れる分析が行えるか否かは別の問題。 目の前にいる客が家族だったら、 待たせておけば良いのです。 顧客は、顧客であるが故に、 顧客として対応しなければならない。 そんなことは当たり前の常識。 P18 三流は、「待たせてはいけない人」だと考え、二流は、「神様」だと考え、一流は、どんな人だと考える? P20 だからこそ一流は、安易な自己保身や自己満足の接客に終始することなく、目の前にいるお客さまが何を望んでいるのかということを、常に追いかけているのです。 そして、向き合う心は「家族と同じ」です。 踏み込んでもいい距離感を間違えてはいけませんが、「もし、目の前にいるお客さまが家族だったならば、どのような対応をするだろうか?」と考えること。 そのように考えれば、こなすことや媚びること、過剰なサービスが不自然に思えてきませんか? |