藤田紘一郎(医学博士) フォレスト出版 2019/12/25 元TBS記者の山口敬之氏に限らず、 女性を求めてオロオロするのが男です。 それはゾウリムシでも、 セアカゴケグモでも同じ。 それが生物を進化させてきた。 P206 そう考えると、私たちが今、直面している絶滅の危機に対応するためには、多様性の確保、つまりは有性生殖を維持するためのオスの存在が必要不可欠ということにもなります。 第1章、第2章でご覧いただいたオスとメスの一見バカにさえ思える駆け引き、残念なオスの行為――メスにいたぶられ続けるオスや、生殖のために命を擁げるオス、なりゆき次第で性を変える生物たち――それらすべては生物としての多様性を守ることで絶滅を回避し、自分の遺伝子を次世代につないでいくための方策だったのです。 さまざまなオスの残念な行為こそが、原初の生命の誕生から今日に至るまで連綿と命をつないできたというわけなのです。 それがわかると私には、すべての残念なオスたちの存在が、愛おしく思えてくるのです。 |
稲垣栄洋(農学博士) 草思社 2019/12/20 人間が登場するのかと 期待したのですが、登場しない。 しかし、 ニワトリの一生に比較し、 人間とは、なんと、罪深い生物であることか。 初めて声を上げ日が、 初めて太陽を見る日が、死ぬ日なのだから。 それって、それがニワトリだとしても、許されない人間の罪。 P181 それにしても、ニワトリたちの生涯はあまりに短い。 卵からかえって数日経ったニワトリのヒナは、鶏舎に入れられる。この世に生を受けた彼らの住まいとなるのは、ウィンドレス鶏舎と呼ばれる、窓のない鶏舎である。 窓のない鶏舎には、外から光が入ることがなく、中は真っ暗である。こうして、暗くすることでニワトリたちは運動しなくなり、効率よく大きくすることができるのだ。 暗い鶏舎の中は、餌のまわりだけほのかな灯りが灯されている。 外から鶏舎の中に入って辺りを見回しても、最初のうちは目が慣れずに何も見ることはできない。それでも次第に目が慣れてくると、ほのかな灯りの中でポーッと白いものが浮かび上がってくる。 その白いものこそがニワトリである。見渡す限り、鶏舎の中はニワトリたちで埋め尽くされている。そしてニワトリたちは動き回ることもなく、暗闇の中で立ちすくんでいるのだ。 鶏舎の中に占めるニワトリたちの密度は、一般に、1平方メートルあたり17羽ほどとされているから、一つの鶏舎だけで何万羽というニワトリが棲んでいることになる。地方の市や町の人口と同じくらいの数のニワトリが、この小さな鶏舎の中にいるのである。 ニワトリたちは動くこともない。騒ぐこともない。 この鶏舎の中で、彼らにできることは、栄養価の高い餌を食べ続け、太ることだけである。 そんな毎日が続いた、ある日の朝……。 突然、鶏舎のドアが開かれる。 出荷である。 ニワトリたちは、次々とつかまれて、狭いカゴの中に押し込められていく。 あるものは、生まれて初めて力いっぱい羽をばたつかせ、あるものは生まれて初めて力の限り声を荒らげる。 そして、ニワトリたちは……生まれて初めて、このとき眩しいほどの太陽の光を見るのだ。 これが、ニワトリたちがこの世に生を受けて、わずか4、50日目の出来事である。 |
岩井勇気(ぼけ担当) 新潮社 2019/12/03 新聞の広告で 見かけたエッセー。 芸能人の盛って作った嘘の人生なんて興味も無い。 「何も起きない」と宣言した人生論なら 何かが書かれているのだろうと思って、 本書を手に取ったのですが、 本当に何も書かれてない。 「どんなことに対しても自分の視点を持てるようにはなった」という視点は、 私の「税理士のための百箇条」の執筆に通じるのですが、 しかし、税法も、民法も、事件も、税金も、人生も扱わないお笑い芸人の人生では、 本当に何にも遭遇しないのだろう。 P7 だが、常に日常生活の中で題材を探しているので、どんなことに対しても自分の視点を持てるようにはなった。ぬぼーっと何も考えず、耳の穴から脳みそを垂れ流しながら生きていくこともできるが、普段色々考えながら生活してみるのもそれはそれで楽しいものだ。 P188 芸能の世界で仕事をするようになってからずっと思っていた。僕の人生には事件が起きない。が、それと同じように皆さんの人生にもそんなに事件は起きていない。そして、テレビで見る芸能人の人生にもどうせ本当は事件など起きていないだろうと。 それを皆、化学調味料で元の味などわからなくなるくらい嘘のように濃い味付けにして提供してくるのだ。そんなものばかり食べていると、そのうち舌が馬鹿になる。物の味なんてわからなくなってしまう。 誰の人生にも事件は起きない。でも決して楽しめない訳ではない。平坦な道に見えても地面に頬を擦り付けてよく見てみると、いびつにぐにゃんぐにゃん曲がっていたりする。どんな日常でも楽しめる角度が確実にあるんじゃないかと思っている。僕は、事件が起きない僕の人生を、ここから見たら結構面白そうだな、という角度を見つけて皆さんに見てもらえたらと思う。読んでもらう機会があれば、いずれまた。 |
奥村 歩(認知症専門医) 角川新書 2019/11/28 「明日の記憶」をビデオでみた。 若年性認知症になったサラリーマンが完全に自分を失うまでの記録。 認知能力を失っていきますが、暴言、暴走、暴力が登場しないのが救い。 いや、暴力が登場してしまった。 私の場合はどうなのだろう。 短期記憶装置が壊れた場合にも、 長期記憶装置に保存した「個性」は維持されるのだろ。 いま、その「個性」を製造中。 どのような考え方が必要なのか、 どのように解決すれば良いのか、 どのような欠点を認識すべきか。 P28 それは「頑固な人」です。 ひと口に頑固と言ってもいろいろなタイプがあると思うので、もう少しつけ加えておきましょう。 「自分の非を認めない人」「他人の言葉に耳を貸さない人」「意地っ張りな人」「決して弱音を吐かない人」「他人に弱みを見せない人」「プライドが高くていつも強がりばかり言っている人」……このようなタイプの人が脳の衰えが進みやすい傾向が高いのです。みなさんのお知り合いにも、こういった頑固タイプの方がいらっしゃるかもしれませんね。 P52 じつは、「脳が若い人は見た目も若い」というのは、脳科学の世界ではすでに常識のようなものなのです。脳が若い人はファッションも若々しくてセンスがあるものを選ぶ傾向がありますし、姿勢や身のこなしを若々しく保つことにも注意を払う傾向があります。それに、脳が若いといろいろなことに興味を持ったり前向きにチャレンジをしたりするため、目がきらきらと輝くようにもなります。 このため、私は「人の若々しさは脳から生まれる」と確信しています。脳を若く保っていれば、体の調子もよく、日常のさまざまなことから刺激を受けて、老けにくく若々しい心身をキープしていけるものなのです。 P132 つまり、役所の公務員は、毎日決められた仕事ばかりをいつも通りにやっていることが多い。日々の仕事の進め方で大事なのは、「前例があるかないか」「マニュアルに沿っているかどうか」であり、もしそれに当てはまらなければ、他のセクションに丸投げする。個人で判断をしたり自分の意見を述べたりする機会はほとんどなく、むしろ、組織の論理を優先して9時から5時まで淡々と仕事をこなす姿勢が奨励される――そんなふうにマンネリ作業ばかりで刺激が乏しい日々を送っているから、認知症になりやすくなってしまうんだ、というわけですね。 P174 P208 P221 P248 |
稲田豊史(フリーランス) 平松 剛 角川新書 2019/11/28 弁護士として、 多数の離婚事件を担当してきましたが、 しかし、離婚は分からない。 弁護士のところにくるときは、 離婚が確定し、いかに上手に離婚するか、いかに上手に慰謝料を免れるか。 その前提になる「どうして離婚することになったの」には興味も無い。 さて、なぜ、離婚するの。 嫌いになったのだろうが、 それって 1回の喧嘩で嫌いになったの、 1年を要して嫌いになったの、 あるいは10年間の生活で嫌いになったの。 片方が変な奴だから離婚になるの。 両方が変な奴だから離婚になるの。 両方とも正常なのだけれども離婚になるの。 「家、ついて行ってイイですか?」に登場する人達の離婚率は50%を超えるだろうか。 しかし、身近に離婚をした人達を見かけない。 本書に書かれた離婚事例は、 ドラマに出てくるような原因ですが、 しかし、本当にドラマに出てくるような離婚原因があるのだろうか。 いや、しかし、離婚原因がなければ、誰も離婚しない。 P92 ところが、後に森岡さんが離婚することを両親に伝えたところ、信じられない言葉が返ってきたそうだ。 「『なんでもっと早く離婚しなかったんだ』ですよ。絶対に離婚するなって言ったじゃないか、話が違うと抗議しましたが、親もそんなこと言ってないと譲らなくて」 しかも、最初からふたりの結婚には反対だったとまで聞かされた。 「両親によれば、真希の第一印象は最悪だったそうです。たとえば食器を片付ける時、真希は一切動かずに僕が率先して全部やっていたりとか、食事のマナーとか。僕は気にも留めていませんでしたが、親から見るとどういう教育を受けたんだと思うレベルだったと。僕らが帰ったあと、父は母に言ったそうです。『賢太郎がどれだけ我慢できるか、だな』って。それを離婚後に後出しジャンケンで言われても……ねえ」 なぜご両親は、結婚前にそれを伝えなかったのか。 「母はこう言いました。あなたはすごい重圧のなかで仕事をしていて、私やお父さんには思いもつかないことがいっぱいあるでしょう。だから、私たちが真希さんをおかしいと思ったとしても、あなたにとって真希さんが精神的な拠りどころだというなら、応援するしかなかったのよ」 もしかしたら防げたかもしれない災厄だったのだ。言葉もない。 P197 「人間がなんのために生きているのか。今でもその答えはわかりませんが、もしかするとこのためなのかな?って思えた瞬間は何度かありました。そのひとつが、由香とマンションの部屋で飼っていた犬のことです。 その犬は僕が奮で1日じゅう家にいた頃、毎日のように由香の帰宅時間を見計らって玄関で待っていました。離婚後は僕が引き取ることになったんですが、引っ越し屋が由香の家具を部屋からどんどん搬出していくのを見て、明らかに戸惑った顔をしてるんですよ。『ええつ?どうしたの?なんなの?』って。しかも、由香が出て行ってからも、帰るはずのない由香を毎日玄関で1時間くらい待ってるんです。それがつらくて、つらくて……」 片山さんの声に熱がこもる。 「犬と2人きりの生活になってからも、僕はあいかわらず会社でストレスを溜めていました。離婚したって何も変わらない。仕事はあいかわらず思い通りにはならない。イライラして、どうしようもなくなって帰ってくると、犬はどうしたって動物ですから、なんやかやと思い通りにはなりません。さらにイライラを募らせていました。 ある朝、出勤前に犬がちょっとした粗相をしてしまいました。僕は必要以上に怒ってしまい、感情に任せて思わず彼をつねったら、僕のことをものすごく怖がって、その場でさらに脱糞しちゃったんです。それで僕、さらに腹が立って、お前の責任だからな!と吐き捨てて、片付けないでそのまま出てきてしまいました。 家を出てから本当に後悔しました。高校時代、学校での奮憤を妹に当たって晴らしていた自分から、何も成長していない。心底、自分が嫌になりました」 その日の夜、家に帰った片山さんがおそるおそるドアを開けると、犬は糞まみれの汚い部屋から彼のもとへ、目一杯しっぽを振りながら一目散に駆け寄ってきた。 「あんなにひどい仕打ちをしたのに、すごく嬉しそうで。僕、泣いてしまって。ごめんこめんって、何度も彼に謝りました」 |
平松 剛 建築資料研究社 2019/11/15 光の教会の完成までのドキュメントです。 しかし、癪に障るくらいに才能があり、個性があり、実力があり、実績がある設計士です。 建物が語るオリジナリティにこそ意味があり、 使い勝手は、その建物に合わせて工夫をすべき。 それが住吉の長屋についても、 光の教会についても貫かれている信念。 魅力のある設計士で、 私もファンですが、 しかし、建築した建物は見たことが無い。 一度、どこかで、見てみたい。 本書の著者の才能はピカイチです。 398頁の本を一気に読ませる 事実としての実感を語る表現力があります。 P13 この仕事をマスターするには相当な年季を要するのである。彼は1976年2月、大阪の住吉に小さな住宅を完成させ、その地名から「住吉の長屋」と名付ける。ロッキード事件が発覚し、日本中が騒然としていた頃のことである。ロッキード社から日本の政官界要人に渡った賄賂は30億円近くに上るとされたが、安藤が仕上げた二階建て延べ床面積65平方メートルというこの小さな住宅の総工費はおよそ1170万円。これは当時でもローコストである。 彼はそれまでほとんど無名の建築家だったが、この小さな住宅がやがて注目されるようになり、4年後の1980年には日本建築学会賞という日本の建築界において最も権威があるとされている賞を得る。これ以後、彼は発表する建築が必ず注目を集める気鋭の建築家として、その存在感を示すようになる。仕事の依頼も引く手あまたである。 P139 当時、著名な建築家であった村野藤吾が建築賞・吉田五十八賞の審査員として、この建築を視察に訪れた時の言葉が、有名な逸話として残っている。 「建築の善し悪しはともかく、この狭いなかで生活が営まれていることに感銘を受けた。住み手に賞を与えるべきであろう」 ちなみに賞を与えられるべきとされた当の住み手はどう思っているのか、というと、雑誌のインタビューに、 「正直言って雨の時は、足も濡れるし、うっとうしい。でもこの(中庭の)解放感は何ものにも代えがたいものです」 と答えている。この住み手にこの建築家あり、と言うべきか、この建築家にこの住み手ありと言うべきか。しかし、世に巻き起こした反響の大きさは、単に建築家と住み手という二人きりの了解事項を超える何かを人々が感じ取ったことによるものだろう。 P32 P81 P386 |
小林洋美(比較行動学) 東京大学出版会 2019/11/11 飼い犬が散歩を「せがむ」ときの顔と、 散歩に行けることになったときの安心した顔は違う。 毛むくじゃらの顔なのだから、 それが顔で表現されているとは思えない。 表現するとしたら「目」だと思うし、 期待する目と、安心した目は、見た目にも違う。 黒目の犬でさえ、 それだけのことを目で表現するのだから、 どれほどの情報を、人間は、目から送り出しているのか。 そんなことが気になって手に取った一冊ですが、収穫は乏しい。 P5 「目の写真があるから料金表に気がついて、それで料金を払ったのではないか」という考え方もできそうだけど、それはない。なぜなら、もうずっと以前から喫茶室はこの方法で運営されていて、半年ごとにメールでも知らせている。利用者は皆このシステムを知っているからだ。 喫茶料金も支払い方法も皆知っているはずなので、目の写真があるから料金表に気がついて支払ったということではない。そうではなくて、こちらを見ている目の写真が「誰かに見られている!」という錯覚を起こさせ、正直箱にお金を入れる行動を促進したのだろう。誰かに見られているとちょっと良い顔になるように、この実験では、誰かに見られていると錯覚させることによって、ちょっと良い行動を引き出したということのようだ。 福岡の町を歩いていると、泥棒よけとして猿田彦神社の猿面を玄関先に掛けているお宅を見かける。「厄・災難がサル」ということらしい。猿面にはもちろん目がある。ちょっと地味な目だけれどもあることはあるので、もしかしたらこの実験のような目の効果を期待できるのかもしれない。 |
ミシェル・オバマ 集英社 2019/11/08 ファーストレディ 米国では大変な人生なのでしょうが、 大統領自身の一冊ではないので、 深いドラマはありません。 もし、ファーストレディの一冊なら、 我が国の総理夫人の「とんま」な一冊を読んでみたい。 自殺者まで出現させた事件を起こして、 何を考えて生きているのだろう。 P7 とまどいながら公人としての一歩を踏み出して以来、私は世界で最もパワフルな女性として持ち上げられたかと思えば、「怒れる黒人女性」と見下すように言われたりもした。私を批判していた人たちには、「怒れる」と「黒人」と「女性」のどれが最も気に入らなかったのか訊いてみたいと思ったものだ。 |
津本 陽(小説家) PHP文芸文庫 2019/11/08 政治です 政治家です 人生の全てがドラマです、 中学校では教えてくれなかったあの時代。 再学修(いや、新学習)させて頂きました。 P260 日露が闘戦げたとき、シフは考えた。 「戦争の影響によって、かならずロシアの政治に大変革がおこるにちがいない。政治の改革はこのときをおいてほかにはない。しいたげられたユダヤ人を、惨憺たる現状から救いだせる、ただひとつの機会だ」 シフはそのため、日本に勝たせたかった。日本が勝利を得られないまでも、長期戦になればロシアに政変がおこり、ユダヤ人たちは迫害から救われると考えている。 P267 日本陸軍は、前年9月、満州遼陽で約20万のロシア軍と会戦、大勝を博したのち、明治38年元旦には、難攻不落の要塞旅順を開城させた。東京は戦勝景気でにぎわっていた。 P285 「5月27日午後より、対馬海峡で大海戦がおこなわれ、わが艦隊は大勝利を得た」 是清は日本聯合艦隊が、バルチック艦隊を圧倒したことを知り、天佑であるとよろこぶ。 38隻のバルチック艦隊のうち、20隻が撃沈、5隻が捕獲され、逃走に成功したのは2隻であった。聯合艦隊の損害は、水雷艇三隻にとどまった。 5月31日、松尾総裁から政府の命令を伝えてきた。 「対馬沖海戦で新艦隊を全滅せしめ、ロゼストウェンスキー、ネボカトフ、エンクエスト三提督を捕虜とした。この大捷を機として、整理公債3億円、あるいはそれ以上を英米で募集可能なりや」 P304 談判は数日ひらかれたが、両国全権の主張は一致せず、アメリカのルーズベルト大統領が調停斡旋に努めたが、樺太割譲と償金の問題で、双方の同意に至らない。 一時は交渉決裂かと危ぶまれたが、8月29日の会議の席上、日本側が大幅に譲歩し、樺太は北緯50度で分割し、償金は要求せずという条件で、ようやく談判は成立した。 P305 欧米諸国では講和に際し、日本がロシアから莫大な償金を得るものと予測していた。しかし8月30日付の新聞で、日本政府が償金要求を撤回したと報道されたので、人気がにわかに錆沈してきた。 P321 「これまでの戦争の例を見れば、講和にあたり戦勝国が償金を取らないことは、ほとんどありませんでした。私の考えでは、日本が償金を取らぬことを条件として、講和談判を進めることはできないでしょう。政府が応じたとしても、国民が納得しないからです」 ヴェルヌイユは、是清の意見を聞くと、おだやかな口調で本心を告げた。 「貴君のいわれるところは、一応ごもっともである。たしかに日本軍は連戦連勝だが、清国領土内で戦っていて、まだロシア国内に侵入していない。日本がロシアから償金を取るためには、モスクワまで進出しなければならないだろう。それは日本にとっても容易ならぬことだ。 P345 是清の軍部批判は、手きびしかった。 「日本の軍部は、アメリカやソ連と戦って降伏させるつもりでいるのか。自分で勝ったと思っても、相手はそうは思わない。ソ連に勝つためにはモスクワ、アメリカに勝つためにはワシントン、ニューヨークを占領しなければならない。そんなことができると思うのは、正気の沙汰ではない。自衛のための戦力をそなえておれば、充分ではないか」 P373 是清が叱咤すると同時に、銃弾が数発彼の体に撃ちこまれた。兵隊を率いてきた将校が軍刀をふるい、うつぶせに倒れた是清の右肩から胸へ斬りつける。 右腕はほとんど切断された状態で、軍靴に踏みにじられた座敷に倒れる是清の寝間着は、朱に染まった。 |
林葉直子 中央公論 2019/10/30 才能のある女性が 才能を持て余してしまった人生。 食べ物についての記述が多く、 意味のあることは何も書いてないのですが、 それでも最後まで読ませてしまう才能。 P18 でも、20歳過ぎてからはお誘いが多く、酒飲みに。人はやはり食べて飲んでだ。 最近の凶悪な犯罪や無残な殺人事件のニュースを見てても、この犯人達っておいしいものを食べてなかったんだな、とふと思ってしまう。 人は寂しさを酒でまぎらわし、明日を迎えることもある。 お腹が満たされていたら、人間は落ち着く。 会議は昼食後が一番だし、デートもおいしいものを食べるのが一番。 人間の行動は食で変わる。 私は今、一人で食事をしている。 P21 あんた死ぬの?って言われそうだけど、便が出なくなったりしてないから、まだ平気。黒い便になったり、尿が出なくなったら死ぬそうだが、今は薬で生きている。 塩分をとりすぎると肝性脳症か腎臓の問題でアウト。 P30 将棋でトップだったかと思いきやヘアヌードに豊胸、インド料理屋、小説、漫画の原作。よく考えたら、ひとりの人間がこなすことじゃないから病気になるんだわ。 やっぱり力量以上無理しないこと。 身体に負担かけるもの。 バカな人生というか、平凡じゃない生き方をしてきたからこそ、いろんな経験もした。 なんとか生きているのはいい。 でも、私にできることは? 試練の数だけ目は肥えてる。 知ってることが一つでも誰かの参考になれば、本を書く意味もあるし、気力も出る。将棋ファンの皆さんには申し訳ないが、私は正座できないし、視力も悪くなっているので、将棋からは遠ざかっている。 元気じゃないと将棋もできない。お許しを。 人間健康であることと笑顔が一番。 P102 私は今、ものを拾うのもやっと。 脚も病的(というか病気だけど)に細く、階段は降りられません。 緑内障だけでなく白内障の可能性も大で、目もすぐに乾燥する。そんなボロボロの状態なので、うまい文章が書けず、本当にすいません。 それでも書いたのは、病気だけではない、いろんな理由で苦しんでいる人がこれを読んでくれたら、幸福な気分になっていただけるかもと思ったからです。 私もいつどこで何があるかわかりませんが、本を書いてみようと頑張ってみました。 どうぞ皆さん、毎日楽しい食事を。 |
野口和樹 宝島社 2019/10/29 半グレ集団の金塊強奪事件。 あれは馴れ合いだったという主張です。 いや、しかし、 馴れ合いだったのか。 馴れ合いだと騙されて犯罪させられてしまったのか。 登場する金塊の量と金額。 恐ろしいのは半グレ集団。 P96 この狂言強奪計画の依頼者は、鶴田哲(仮名)、それに韓国籍の河村元基(仮名)の2名。また金塊は密輸品で、分量は120キロになるという。依頼者は、この出来レースの報酬として「金塊の半分」を提示していた。当時、金1グラムは約4800円の価値があったから、120キロの半分の60キロとしても、2億8000万円以上になる。 私たちが興味を持ったのは、この奇妙な計画で相手にどれだけのメリットがあるかということだ。 近年、金塊が日本に密輸されていることは報道などで知っていた。海外で金を購入すると通常、消費税はかからないが、日本では8%の消費税がかかる。だから金を密輸して日本で売れば、8%分が儲けになる。これが金密輸の基本的なカラクリだ。 依頼者は、密輸で相当な利益を上げている。何らかの理由で税を逃れるために、盗難事件を演出するという理屈は、それなりに筋が通っている。この話がまったくのデタラメで、面識のない私たちを騙したとしても、彼らに金銭的なメリットはまったく生じない。だからこそ、この話にはリアリティがあった。 |
フィリップ・アシュケナージ 他 明石書店 2019/10/29 物の世界には完全市場仮説が成立するが、 金融市場には完全市場仮説は成立しない。 製造コストの無い世界では、 熱気が価額上昇を生み、価額上昇が熱気を生む。 まさに日本の土地バブル時代の経済であって、 そこには需要と供給の均衡点は存在しない。 新自由主義的な経済政策が行われる現状に対して、 10個の間違いを指摘するのが本書です。 なるほどと思います。 株価の上昇は、買いを集め、 株価の下落は、売り急ぎを加速する。 取引する人達が増えれば、 相場の乱高下が無くなって市場は安定する。 そのように説明されてますが、 世界で一番に大きな為替市場は何時も乱高下しているし、 原油相場も、実需による変動幅を超えて、相場で動いている。 10日、20日の短期間に実需が動くことは考えられない。 実物資産の完全市場仮説とは逆に 値上がりは、買いは呼び、 値下がりは、売りを呼ぶ P19 ところが、金融市場の性質は一般的なモノの市場と根本的に異なるのだ。価格が上昇すると、需要は減るのではなく、往々にして増えるのだ。実際に証券保有者にとって、証券価格の上昇は、その評価額が上がったという理由から、収益性が増大したことを意味する。 したがって、証券価格が上昇すると新たな買い手が現われ、当初の価格上昇圧力をさらに強める。そして成功報酬を約束されたトレーダーが、さらにこの上昇圧力を強める。証券価格は市場の見通しが反転する、あるいはバブルが崩壊するまで上昇する。 それがいつ起こるのかはわからないが、不可避であることは間違いない。付和雷同ともいえるこのような現象は、不均衡を悪化させる「ポジティブ・フィードバック」なプロセスである。これが投機バブルだ。価格の累積的な上昇自体が価格の上昇を招くのだ。こうしたプロセスにおいて生み出されるのは、適正な価格ではなく、実体のない価格だ。 |
松本 豊(技術経営戦略専攻教授) ニュートンプレス 2019/10/13 ディープラーニングが1時間で理解できます。 いや、私は、既に、20冊の本を読んでいるからだろうか。 P52 学習をくりかえすことで、誤差を小さくする 学習の初期には、イチゴの画像を正しく認識することはできません。しかし何百枚、何千枚の画像を読みこませ、分類と答え合わせをくりかえさせることで、人工知能は適切な特徴と重みづけを得て、徐々に誤差を小さくしていきます(STEP5、6)。 適切な特徴と重みづけを得る たとえば、右のイラストは、学習の終盤の状態を示した模式図です。リンゴとイチゴを分類する際に、「丸い形」「とがった形」など、四つの特徴に“着目”しています。そして、「とがった形」「ぶつぶつ」という特徴に関して、イチゴに向かう経路には重みづけを1に、リンゴに向かう経路には重みづけを0としています。このような計算によって、人工知能は適切にリンゴとイチゴを分類することができるようなっていくのです。 |
岡田尊司(精神科医) 幻冬舎新書 2019/10/09 発達障害は才能だと思います。 ただ、社会に適応する年齢が異なる。 18歳で適応するか、30歳で適応するか。 その後も、微妙な違和感を抱え続けるか。 いや、しかし、才能とは知性ではなく、個性。 発達障害を才能&個性と捉える発想が定着したら嬉しい。 そのような視点を予感させるのが本書の書き出しです。 P4 発達障害は生物学的基盤によって起きる中枢神経の機能的発達の障害とされ、遺伝要因が強いことが知られている。ADHDも自閉症スペクトラムも遺伝要因が発症に寄与する割合(遺伝率と呼ぶ)はおよそ8割とされ、代表的な精神病である統合失調症の遺伝率に近い。 ところが、統合失調症は有病率が横ばいであるのに対して、発達障害は大幅に増加しているのである。遺伝要因が同じくらい強いとされるのに、どうして発達障害だけが猛烈な勢いで増えているのだろうか。これが、一つの謎となっている。 P5 本書で扱うもう一つの大きなテーマは、発達障害というネガティブな十字架から、障害を背負わされた子どもやその家族を解放することにある。それは発達障害という概念そのものの欠陥や矛盾を明らかにし、そうした傾向をもった子どもが秘めたる可能性を開花するために、本当は何が必要なのかを考えることでもある。 P6 それぞれタイプの異なる発達の仕方があり、異なる情報処理の特性をもち、社会性や情緒、認知、行動の面でも異なる特性を示す。どれもそれぞれの輝きをもった“個性”なのである。どれもメリットがあるから、長い進化のときを経て生き残ってきたのである。 多数派のタイプを基準に、同じ基準を他のタイプにも適用しようとすると、それぞれのタイプの特性に過ぎないことが、”症状”とみなされるということが起きてしまう。 むしろ必要なのは、それぞれのタイプの特性を理解し、それが活かされるように働きかけるにはどうしたらよいのかということを知ることである。それは、「非定型発達」を“障害”にしてしまうか、“才能”にするかを分けることにもなるだろう。そしてなによりも、その子が少しでも幸福な人生を歩むことを容易にしてくれるだろう。 P46 P48 P49 P50 P51 P54 |
山脇由貴子(元児童相談所職員) 文春新書 2019/10/08 公務員という人達の働き方、考え方。。 児童相談所の公務員 君が真犯人だ P15 子どもより親が怖い 六歳の男の子が継母から虐待を受けていると保育園から連絡があった。児童福祉司と一緒に保育園を訪問し、子ども本人と話をし、保育園の先生からも話を聞いた。 その男の子は日常的に継母から暴力を振るわれており、傷、あざを作って保育園に来たことは一回だけではなかった。兄、姉ともひどく差別されていた。遊園地などへ家族で出かける時、彼が一人だけ、家に置いて行かれるのは当たり前。食事も皆とは別の場所で、一人で食べる。当然中身も、家族は皆ハンバーグなどを食べているのに、彼は白いご飯だけ。兄姉は玩具を買ってもらえるのに、彼だけは買ってもらえない。だから保育園で一所懸命、チラシなどで玩具を作り、家に持って帰る。すると即座に継母に捨てられる。だから保育園の先生たちは、彼専用のボックスを作って、保育園で作った玩具を保管していた。その話をしている時、園長先生を筆頭に、保育園の先生は涙ぐんでいた。 子ども本人は、あまり虐待については話さなかった。それも当然だ。その時、私と彼は初対面だ。しかしうなずいたりすることで、継母からの虐待を表現してくれた。私は伝えた。 「本当に怖かったら、辛かったら、助けてあげるからね」 翌日、私は園長先生から電話をいただいた。園長先生は言った。 「表情が、全然違うんです。本当にほっとしたみたいで」 その直後だった。彼が頬にあざを作って登園して来たのは。 しかし、担当のベテラン児童福祉司は、「保護しない」と言ったのである。理由は「父親が反対するから」……。 保育園の先生から、父親は子どもを可愛がっているが、激高しやすい性格、という情報が入っていた。児童福祉司が「保護しない」と判断した理由はそれだけだった。後にも述べるが、虐待をする親には、児童福祉司に対して怒鳴ったり、脅迫めいたことを口にする者が少なからずいる。児童福祉司は、第一に子どもを守ることが務めであるはずだが、親とのやりとりを恐れるあまり、親の味方になるという本末転倒の判断をする者も多い。子どもに、「助けてあげる」と約束したのに……。幸いな事にこの時は児童福祉司が最終的には私の説得に応じてくれ、子どもは保護となった。その後、案の定、父親は反対したが、子どもは施設へ入所することが出来た。 |
齋藤 孝(教育学) 幻冬舎新書 2019/09/30 文系学者の本はダメ。 それを再確認するための一冊だった。 仮に、1冊の本の中の3行でも、 こんなことを語っている自分のレベルを反省しないのだろうか。 その本のタイトルが「大人の読解力を鍛える」なのだから笑ってしまう。 P14 真意を的確に読み取れる読解力のある人は、どんな小説を読んでもどんな映画を観ても、作者や監督の意図をあまり外さずに把握できますが、読解力のない人は、何を読んでも何を観てもことごとく外します。そうした読解力の欠如によって、ときに社会人としての資質を疑われる恐れもあるのです。 |
秋本 治(漫画家) 集英社 2019/09/17 藝大卒の画家が語ってました。 ダンサーの絵しか描かない先輩の画家について、 想像力のない画家だと思っていたが、 同じモノを書き続けても商品なることが凄いのだと。 本書は、 40年について「こち亀」を連載した 漫画家の仕事に対するスタイルを語ります。 格は100歩も落ちますが、 私も連載を書いているので 参考になるかと手にしました。 参考に成るところもあり、 参考にならないところもあり。 100人の人がいれば、 100通りの方法がある。 自分の方法が好きだから続けられる。 それが本書の収穫でした。 私は発見し続けるのが楽しいから連載を書いてます。 逆に、連載を書くから発見し続けることができます。 おそらく、 著者も、発見したことを漫画で表現する。 それが楽しくて書き続けているのだと思います。 P2 マンガの世界は、本当に先のことが予想できません。人気がなければすぐに打ち切りですから、『こち亀』もスタートのときは、「なんとか10週は続けたい」くらいの意識しかありませんでしたし、その後もずっと同じだったのです。 P16 これまでの漫画家人生の中で、ネタがないと感じたことは、僕の記憶の限り一度もなかったと思います。そもそも漫画家はネタを考えるのが仕事の根幹。ネタを考えるのが不得意な人は、漫画家には向いていないのだと思います。 P74 担当編集者さんに確かめたところ、僕に伝えられる〆切も、本当にギリギリの日から見て約一週間前の日程のようです。でも僕は、そんな第一〆切よりもさらに一週間ほど早く渡してしまいます。原稿ができたと連絡をすると、編集者の方が慌てることもあります。 P95 昔から、仕事での会話はどんなときにも、必ず敬語を使うようにしています。担当編集者のような親しい間柄の人に対してでも、たとえ相手が自分の子どものような年齢であっても、「あのさぁ」などとタメ口で話すことはないのです。 さすがにアシスタントに対しては敬語ではありませんが、呼びかけるときは必ず「さん」「くん」付け。そしてなるべく丁寧な言葉で話すように心がけています。 P104 批判の声はシャットアウトした方がいいという人もいます。でも僕は、冷静に受け止められるのであれば、批判的意見を知るのもいいのではないかと思います。 僕が批判を冷静に受け止められるのは、そもそもそんなものだと思っているから。誰もが褒めてくれるような仕事なんて、絶対にできるわけがありません。 P106 その点、昔ながらのファンレターは本当にいいものです。わざわざ切手を貼り、ポストまで行って手紙を送ってくれるのは、僕の作品を本当に好きでいてくれる人ばかり。励みになるような嬉しい言葉、そして作品づくりの参考になる前向きな意見が多いのです。 P135 発想力においてももちろん、若者の方が瞬発力に優れています。でも歳をとった人は、積み重ねてきた経験に裏打ちされた深い発想ができるはずなのです。絵や文章に関しては、歳をとってきてからの方が洗練されたものをつくれるという感触もあります。 |
室井 滋(女優) 小学館 2019/09/17 新幹線での非常識な経験。 それを語る人達は多いのですが、 私は、新幹線などは500回も乗ってますが、 騒がしく会話する婆様連中を除き、経験したことも無い。 本書は、 ありもしないことを さも経験したかのように語る嘘の一冊。 コラムを書く。 そのテーマに困るのは、 社会に対する深い洞察力が無いからであって、 知名度(一応は女優)の名の下に嘘を書いてはいけない。 著者の頭の空っぽさを示す一冊。 P10 新幹線の中で叱られた。文句をつけてると思われるのは嫌なので、どこの新幹線とは書きたくない。だって、それは座席のリクライニングの角度が素晴らしすぎて起こったことなのだから。 |
西垣 通(情報学) 中公新書ラクレ 2019/09/10 シンギュラリティは到来しない AIが意思を持つことはあり得ない。 当たり前の事柄ですが、 当たり前を断言するのが難しい時代。 専門家に語って貰えば心強い。 将棋ソフトの意味は22頁に解説してます。 深層学習は単なる統計計算をおこなっているだけだと29頁で語ります。 P19 この国だけではない。欧米をはじめどの先進国でも、経済成長の切り札だと見なされている。というのは、インターネットのおかげで世界中の膨大なデータが利用可能になったからだ。AIとは、一言でいえば、このビッグデータを上手に活用するための技術なのである。 P22 当初、思考の例題として選ばれたのは、簡単なパズルやゲームだった。それらは人間のおこなう論理的思考の典型例に他ならない。これらの多くは有限の状態のあいだを次々に遷移していくものだが、AIのプログラムが現在の状態から最終状態(正解をえた状態/勝利がきまった状態)へたどりつく経路をしらみつぶしに調べていき、最短経路を発見できれば、それでAIが問題を解決し勝ったことになる。囲碁や将棋ではこの経路がとてつもなく多いので面倒な工夫が必要となるが、簡単なパズルやゲームなら、AIは確かに「思考」したと見なされた。 P29 現在の深層学習は、ハード/ソフト両面の技術改善により、画像や音声などのパターン認識において実用のレベルに達したといってよい。ただし、研究者の中には、これによってAIが人間のような認識能力をもったと主張する者もいるが、それは誇大宣伝である。理論的にいうと深層学習は単なる統計計算をおこなっているだけだ。人間の脳神経系の動作は、なお未知の部分が大きい。むしろここで強調すべきは、第三次ブームのAIの出力が論理的な厳密さをもっておらず誤りから逃れられない、という点である。つまり、必ずしも正確無比で100パーセント信頼できるとは言えないのだ。これは、当初のAIの目的からの大きな逸脱といえるだろう。 AIは演繹推論を高速でおこない、無謬の正解をあたえる機能をもつもののはずだった。だが今や、応用面は拡大したものの、誤りを許容することになってしまったのである。 たとえば、第一次や第二次ブームのとき実用化の難しかった機械翻訳は現在、かなり広く使用されている。インターネット上で英語テキストの日本語訳を目にすることも少なくない。だが多くの訳文はどこか不自然で、明らかな誤訳も散見される。これは当然のことだろう。なぜなら、AIが英文テキストの「意味」を正確に理解しているわけではなく、基本的には、膨大な用例(コーパス)から原文と訳文のペアを検索し、最大頻度の訳文を出力しているに過ぎないからだ。つまり統計処理をおこなって確率の高い訳文を出力しているのである。 P52 少なくとも現在、AIという言葉から、単なるコンピュータの応用技術の一部ではなく、「人間と同じ、いや人間を超えるような知性をもつ存在」というイメージが社会のなかに広まりつつあることは紛れもない事実だろう。肝心なのは、AI技術が用いられるとき、そこに「AIが疑似的な人格をもつ」という観念ないし幻想が滑り込んでくる、という点なのだ。 P53 要するに、「人格」という、道徳的判断をくだす主体が、近代倫理思想を組み立てる根幹をなしている。では、仮にそこにAIという疑似人格が導入されたとすると、いったい何がおきるのだろうか。 P54 AIロボットはしばしば「自律型機械(autonomous machine)」と見なされる。AIロボットは自分で自分の行動を律しているように見えるので、そう形容されるのである。それなら、自律型機械は道徳的主体といえるのか。疑似人格として扱い、責任をとらせることができるのか。実際には機械に罰金をはらわせたり、刑務所にいれたりできないとすれば、いったい何が起きるのか。被害者は泣き寝入りさせられるのか。――こういった問題が、AI倫理における最大の焦点となってくるのである。 P33 P35 P36 P37 P39 P41 P42 P43 P44 P45 P46 P48 P50 P52 P53 P54 |
島田裕巳(宗教学) イースト新書 2019/09/09 創価学会は、 家族単位で入信するので、 親が創価学会の場合の子への影響がある。 学会員ではない家族との恋愛や結婚の難しさ。 しかし、それには興味も無い。 創価学会は、戦う宗教なので、組織の存続に選挙活動が役立った。 公明党という存在は、目的ではなく、創価学会の存続の手段だったのですね。 創価学会が支持母体だから公明党は発展した。 選挙活動という目的が信者の活動力を高めた。 そうだとしたら、 主催者は、偉大なる経営者です。 P33 経済的な面での創価学会の特徴は、創立当初から、入会金も月々の会費もないというところにあった。会員になっても、お金はかからないというわけである。 ただ、それでは組織としての活動はできない。そこで、資金源として活用されたのが、『聖教新聞』の購読料だった。現在、『聖教新聞』の発行部数は550万部に達しているとされている。会員が『聖教新聞』の拡大に熱心なのも、その購読料が創価学会の活動を支えているからである。 P46 戸田は、参議院選挙にはじめて候補者を立てる前におこなわれた幹部会で、選挙になると会員たちの目の色が変わってくるので、支部や学会の信心を引き締めるために使えると述べていた。 大きく発展した創価学会の組織の引き締めのために活用するというのが、政界へ進出した本当の目的だったのである。 P109 立正佼成会の法座では、悩みを抱えている会員に対して、先輩の会員は、相手を変えようとするのではなく、まず自分が変わるようにとアドバイスをする。たとえば、夫が暴力を振るうというときには、まず妻の側が夫に対する自分の姿勢を変えるよう諭される。そうすれば、夫も暴力に頼る自分の過ちを悟り、やがては暴力を振るわなくなるというのである。 創価学会では、決してそうしたやり方をしない。自分の姿勢を変えるのではなく、折伏をして相手を変えるようにと説く。あるいは、勤行をやり続けることを勧める。題目をくり返し唱えることが問題の解決に一番役立つというわけである。 両者の決定的な違いは、問題が起こった原因を、相手の側に求めるか、それとも自分の側に求めるかである。立正佼成会では、本当の原因は自分にあるとし、自分を変えなければ、問題は解決しないと説く。 |
溝口 敦(ノンフィクション作家) 文春新書 2019/08/27 脱サラして成功した40人を語ります。 新幹線の中に置いてある 月刊誌「ウエッジ」連載からのセレクトです。 脱サラと創業ですから、 人間としてのドラマがありそうですが、 創業者自らが執筆する原稿では無いので、 第三者的な紹介記事に終わっている。 |
帝国データバンク情報部 SB新書 2019/08/27 倒産した30個の会社の歴史と倒産の理由を語ります。 ただ、事業経験を持たない調査会社の社員の解説なので、 事実として書かれることは正確なのでしょうが、 しかし、人間としてのドラマは無いですね。 名を聞いてる企業について、 その倒産の理由を知る。 その意味の一冊です。 P94 かねてより、「ぬれ甘なつと」や「花園万頭」には「値段が高い」という声も多くあった。高級路線を貫いたことで、若者を取り込めないだけでなく、既存顧客の中高年さえ離れていった可能性もある。 老舗ブランドには、決まって従来の製品を愛してやまない消費者がいるものだが、一方では、時代の変化に合わせて適宜、従来型から変えていくことも必要なのだ。 P179 もともとのきっかけは、1992年4月、創業者の死去に伴って相続が発生したことといわれる。莫大な相続債務と相続税支払いのための原資が必要となり、会社資金を創業家に還流するスキームが構築されていったのだ。2000年代に入ると、創業家への役員報酬も増加していったという。 |
山中俊之(元外務省) ダイヤモンド社 2019/08/15 宗教には興味がある。 ユダヤ教については語れるほどの知識があるが、 イスラム教については書籍を読み取る程度の知識しかない。 仏教や、ヒンズー教、ブーズー教については読み取る知恵もない。 本書は、葬式仏教の必要性を説明してくれているだろうか(250頁)。 良い一冊でした。 P122 これがキリスト教の死生観の基本なのですが、プロテスタントのカルヴァン派には「予定説」というものがあります。簡単に言えば「あなたが天国に行くかどうかは神によって定められている」というものです。 最初から「最後の審判」の結果は決まっていて、天国に行くか地獄に行くかは、生まれつき決まっているけれど、あなたには知らされていない。しかし、「自分は天国に行くんだ」という前提で、それに値するような禁欲的できちんとした人生を送りなさい……。 最初から決まっているなら「大丈夫、天国へ行けるし」とだらだら暮らしても、「どうせ地獄だ」とヤケになって好き放題やっても良さそうなものですが、「天国行きという前提で頑張りなさい」というのが予定説なのです。 P124 カトリック教徒の死生観には、プロテスタントの一派のカルヴァン派が考える予定説はありません。彼らは善行をとても大切にしている一方、労働はどちらかというとつらい義務だと捉えています。蛇にそそのかされて知恵の実をかじったアダムとエヴァが楽園を追われ、アダムは労働という苦しみ、エヴァは出産という苦しみを与えられた――カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くあるのです。 「仕事は義務だからやらなきゃいけないけど、なるべく早く終えて遊びたい、休みたい」 イタリアやスペインに赴任した日本人ビジネスパーソンは、現地の人との働き方の温度差に驚きます。 P150 アラブ人とは「アラビア語を母国語として話す人」の意味。したがって、中東のなかでもアラビア語を話さないイラン、トルコ、アフガニスタンはアラブではありませんし、無論イスラエルも違います。特にイランは混同されやすいのですが、もともとアラブ人とは違うインド・ヨーロッパ系の民族です。 「我々は古代ギリシャの時代から大帝国であったペルシャの末喬。イスラムが生まれるはるか昔からある、歴史ある民族だ」というプライドが、イラン人にはあります。 P151 イランの宗教は先ほど述べた通りシーア派が多数なので、この点もアラブ諸国と大きく異なります。私たちが「中東は紛争が多い」と感じる理由は1980年に始まったイラン・イラク戦争の影響もあると思いますが、これはペルシャ(イラン)VS.アラブ諸国のシーア派政権VS.スンナ派政権(イラクは現在はシーア派が多いが、当時はスンナ派政権だった)の戦いでもありました。 P188 P193 P194 P207 P209 P219 P243 P245 P250 P258 P266 |
大木 毅(ドイツ現代史) 岩波新書 2019/08/19 「2010年宇宙の旅」と記憶しているが、 その中でレオーノフ号の船長の言葉として、 ロシア人は、誰でも、家族の中に、 「対独戦争で亡くなった者」が必ずいると。 その言葉が記憶に残ってました。 太平洋戦争での 日本の死者数は 大きいと学習してきたが、 その数倍の人達が対独戦争で死んでいる。 それが語られるということで本書を手に取りました。 日本は、自分の罪として自国の戦争を語らず、 それがために他国の戦争も語らない。 太平洋戦争とはスケールの違う滅亡戦争の全貌です。 日本人の死者数 = 300万人 ロシア人の死者数 = 2700万人 ドイツ人の死者数 = 800万人 しかし、 これだけの人間が死亡しても、 生き残った人達がいて、国は消滅しない。 人間の数は、どれほど多いのか、それも驚きです。 P3 まず、比較対照するために、日本の数字を挙げておこう。1939年の時点で、日本の総人口は約7138万人であった。ここから動員された戦闘員のうち、210万ないし230万名が死亡している。さらに、非戦闘員の死者は55万ないし80万人と推計されている。充分に悲惨な数字だ。けれども、独ソ両国、なかんずくソ連の損害は桁がちがう。 ソ連は1939年の段階で、1億8879万3000人の人口を有していたが、第二次世界大戦で戦闘員866万8000ないし1140万名を失ったという。軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者は450万ないし1000万人、ほかに疫病や飢餓により、800万から900万人の民間人が死亡した。 死者の総数は、冷戦時代には、国力低下のイメージを与えてはならないとの配慮から、公式の数字として2000万人とされていた。しかし、ソ連が崩壊し、より正確な統計が取られるようになってから上方修正され、現在では2700万人が失われたとされている。 対するドイツも、1939年の総人口6930万人から、戦闘員444万ないし531万8000名を死なせ、民間人の被害も150万ないし300万人におよぶと推計されている(ただし、この数字は独ソ戦の損害のみならず、他の戦線でのそれも含む)。 このように、戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられたのである。人類史上最大の惨戦といっても過言ではあるまい。 P212 しかし、1930年代後半から第二次世界大戦前半の拡張政策の結果、併合・占領された国々からの収奪が、ドイツ国民であるがゆえの特権維持を可能とした。換言すれば、ドイツ国民は、ナチ政権の「共犯者」だったのである。それを意識していたか否かは必ずしも明白ではないが、国民にとって、抗戦を放棄することは、単なる軍事的敗北のみならず、特権の停止、さらには、収奪への報復を意味していた。ゆえに、敗北必至の情勢となろうと、国民は、戦争以外の選択肢を採ることなく、ナチス・ドイツの崩壊まで戦いつづけたというのが、今日の一般的な解釈であろう。 つまり、ヒトラーに加担し、収奪戦争や絶滅戦争による利益を享受したドイツ国民は、いよいよ戦争の惨禍に直撃される事態となっても、抗戦を放棄するわけにはいかなくなっていたのである。 P220 ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義にもとつく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争であり、かつ「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争でもあるという、複合的な戦争だったことが理解されるであろう。 これに対し、ソ連にとっての対独戦は、共産主義の成果を防衛することが、すなわち祖国を守ることであるとの論理を立て、イデオロギーとナショナリズムを融合させることで、国民動員をはかった。かかる方策は、ドイツの侵略をしりぞける原動力となったものの、同時に敵に対する無制限の暴力の発動を許した。また、それは、中・東欧への拡張は、ソ連邦という、かけがえのない祖国の安全保障のために必要不可欠であるとの動機づけにもなったのであった。 |
小熊英二(慶應大学総合政策部教授) 講談社現代新書 2019/08/14 どこかで見かけてamazonしたのですが、 どんな理由が購入の動機か覚えていない。 しかし、凄い一冊です。 日本の構造の全てを説明してます。 まだ76頁ですが、紹介したい引用箇所は全文です。 580頁の大作ですが、読むのに苦労しません。 もし、社会が 「企業メンバーシップ」ではななく、 「職種別メンバーシップ」になったら、 働く人達は、皆さん、弁護士や、税理士のように、自由に働けることになるのだ。。 本書が書き始める「大企業型」「地元型」「残余型」という息苦しい集団的な分類を、 「企業メンバーシップ」「職種のメンバーシップ」「制度化された自由労働市場」という生き方の分類に繋げる。 制度として必要なのは「集団的な分類」ですが、 個々人の視点で必要なのは「生き方の分類」です。 P22 「地元型」と「大企業型」には、どちらも一長一短がある。 「地元型」は、収入は大企業型よりも少なくなりがちだ。しかし親からうけついだ持ち家に住むなら、ローンで家を買う必要はない。地域の人間関係にも恵まれ、自治会や町内会、商店会、農業団体などとの結びつきがある。近隣から野菜などの「おすそ分け」を受けとれれば、支出も少ない。自営業や農業は「定年」がなく、ずっと働く人が多い。 P26 概して「日本」を論じるとき、念頭に置かれる生き方は、「大企業型」であることが多いようだ。「日本」を論じる人々の多くが大都市のメディア関係者で、自分の生き方を念頭に議論しているからだろう。彼らの生活実感から「日本」を語れば、「日本人」は満員電車で通勤し、保育園不足に悩んでいることになる。しかし実際には、それは「日本人」の一部のことなのだ。 P28 「大企業型」では、雇われている企業を通じて厚生年金に加入する。2017年度末の厚生年金保険受給者の平均月額は14万7051円だ。2019年に厚生労働省が発表したモデルケースでは、夫が40年勤めあげた中堅以上のサラリーマンで、妻がその間ずっと専業主婦であった場合、この2人で月額22万1504円と試算されている。 P29 しかし国民年金は、もともと農林自営業者を想定して作られた制度だった。彼らには定年がないから、年をとっても働き続ける。さらに持ち家があり、野菜やコメは自給で、長男などが同居して世帯の主たる所得を得ていれば、年金が少額でも問題ない。もともと、年金だけで生活することを前提とした制度ではなかったともいえる。 P554 日本はこの三機能のうち、「企業のメンバーシップ」が支配的な社会といえる。 ただし日本でも、非正規労働者の労働市場は、「制度化された自由労働市場」の傾向が強い。また弁護士や税理士などの働き方は、「職種のメンバーシップ」の傾向が強い。このように現実の日本社会は三機能の混合なのだが、日本を「企業のメンバーシップ」が支配的な社会だと図式化すれば、実態の理解を助けることができる。 P559 こうした普遍的な動向が作用しつつも、日本では「職種のメンバーシップ」は弱く、「企業のメンバーシップ」が相対的に支配的となった。そのため日本と欧米諸国は、19世紀にはどちらも「野蛮な自由労働市場」の状態にありながら、第二次世界大戦後にかなり異なる道を進んだ。 P562 教育も同じように類型化するならば、日本は企業志向、アメリカは市場志向、ドイツは資格志向の教育体制であるという図式化も可能だろう。日本においては、企業志向の教育のあり方が、大学院進学率が伸びない学歴抑制効果をはじめ、独特の「学歴」の社会的機能をもたらしてきた。日本における学校の機能は、企業外の訓練機関ではなく、企業内訓練に応えられる潜在能力を持つ者を選抜することに特化したからである。 このようにして、雇用において形成された「慣習の束」が、教育や福祉にも影響をおよぼし、「地元型」「残余型」を作りだした。こうして成立したのが、総体としての「日本社会のしくみ」なのである。 P565 P567 P570 P575 P576 |
宮口幸治(児童精神科医) マガジンハウス 2019/08/14 少年犯罪の人達、 100人の人達がいて、 100個の犯罪があるのですから、 それを1つで定義することは無茶ですが、 ただ、本書を読むと、 性格の歪みではなく、 認知能力の欠如なのか。 相手の行動や、 相手の言っていることが読み取れない。 自分が言いたいことが整理できず、 当然、自分が言いたいことを言えない。 その状態で、小学校、中学校、高校と過ごしてきた。 50分間の授業中は、意味が認識でず、意味を認識することを諦めた時間。 つまり、時が過ぎるのを待つだけの苦役の時間であって、 さらに、教育という場での充実感が全く得られない。 だから、社会の多様な事象を理解することができず、 自分の欲求を位置付けることも出来ない。 私の高校の頃、 学生の全員が理解できていないことを承知の上で、 意味も分からない講義を一字一句筆記させた教師がいた。 学生の全員が授業が終わることのみを期待していた。 あの時間が、小学校、中学校、高校と通じたら、 それは普通の生活が築けないのが当然。 能力の問題なのか、 発達障害的な事象なのか、 いずれにしろ、私が関わり合うことは不可能な人達。 こういう子達のために活動している方々は素晴らしいと思う P41 しかし、私が驚いたのは約8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。当初、私は耳を疑いましたが、どうやら本気で思っていたのです。 ある殺人を犯した少年も、「自分はやさしい」と答えました。そこで「どんなところがやさしいのか?」と尋ねてみると「小さい子どもやお年寄りにやさしい」「友だちからやさしいって言われる」と答えたりするのです。“なるほど”と思いました。そこでさらに私は「君は○○して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?」と聞いてみますと、そこで初めて「あー、やさしくないです」と答えるのです。 逆にいうと、“そこまで言わないと気付かない”のです。いったいこれはどういうことなのか。これではとても被害者遺族への謝罪などできるはずがありません。逮捕されてから少年院に入るまでひと月以上は経っており、その間に自分の犯した非行が十分に分かっているはずなのに、です。 P42 では、少年院に入って教育を受けると“人を殺したい気持ち”は消えるのでしょうか。 ある少年は、人を殺してみたくてある成人の方を刺しました。しかし、幸い一命をとりとめ、その少年は少年院に入ってきました。数年いて出院する直前になり、私との面接の流れの中でその少年はこう切り出しました。 「法務教官の先生には叱られるから殺したい気持ちは“なくなりました”と言ったけど、実はまだ消えていません」 「またやってみたい」 その少年がニヤニヤしながらそう答えていたのを鮮明に覚えています。そのうち少年院の幹部たちの知るところとなり、そこから法務教官たちの態度が変わり、それが伝わったのか、もうその少年は口を閉ざしてしまいました。 特に自閉スペクトラム症(ASD)をもった非行少年は独特のこだわりをもっている感触があります。そのこだわりがいい方向に向けば素晴らしい偉業を成し遂げることに繋がったりするのですが、例えば“人を殺してみること”という方向に向いたなら、それを消すことがなかなか難しいことがあります。その後は何を聞いても“もう殺したい気持ちはない”としか答えなくなりましたが、殺したい気持ちが消えたとは信じ難い状況でした。 |
林真理子 マガジンハウス 2019/08/12 私は、 コラムを連載しているので、 他の方のコラムの書き方が気になる。 いや、 全く気にならない。 しかし、少しは、気にして、 他の方のコラムを読んで学習すべきだろう。 そして、 他の方のコラムを読むが、 何の参考にもならない。 本書は、著者が、自分のブスと、デブと、健康の不具合を語る一冊。 作家なので、 文章としては完成してますが、 誰が著者のブスと、デブと、健康の不具合に関心を示すのだろう。 誰が、自分のブスとデブと健康の不具合に興味を示すと思うのだろう。 「林真理子」という存在が商品なのですね。 だから、林真理子を語るだけで商品になる。 著者の本を読んで気付いたこともある。 私は、常に方程式を構築して、それを解いているのだ。 コラムに限らず、税法でも、人生でも。 何事にも理屈があり、それが方程式なり、答がある。 方程式を作り、答を得るから楽しい。 自分のブスと、デブと、身体の不具合を語っても面白くない。 |
小熊英二(朝日新聞論壇委員) 朝日新書 2019/08/05 この頃、自分の専門分野以外の情報は、 「群盲象を評す」なのだと思うことにした。 大阪で維新が絶大な支持を受けている。 その理由がわからず、 大阪人に聞くが、 熱烈に支持する人、 興味が無い人、 批判をする人。 その理由として語る事も全て異なる。 つまり、誰も、 象の全体像を認識することも、語る事もできず、 自分が認識したことを全てとして語っているのだ。 それが自分の専門分野なら、 極めることが必要であり、 全ての知識と、 知識の正確性や 知識の幅を語る事ができる。 しかし、専門分野以外の知識は、 所詮、素人が議論する政治。 自分が触った象の一部分を語るに等しい。 それは、私が語る場合も同様だろう。 では、どうすれば良いのか。 語れるまで勉強をし尽くすのか、 各々の専門家に任せてしまうのか、 良書を読み、より正しい知識を求めるのか。 本書は、おそらく、3番目の機能を果たす一冊だろう。 しかし、これを読み通すエネルギーが湧かない。 所詮、私が、この一冊を読んだところで、 「群盲象を評す」の1人であることに違いは生じない。 政治や、政界情勢など、 私に利害が無いところを学ぶ必要も無い。 では、本書は、意味がない一冊か。 いや、軽率な人達が、軽率な言葉を、コメンテータとして語る。 そうではなく、深く考察している人達が存在する。 それが分かる一冊でした。 P19 なぜ日本の変化は遅れたのか。一つの答えは、国内市場が大きいからだ。 犯罪社会学者の研究によると、死刑廃止は欧州諸国やフィジーなど比較的小さい国で進み、アメリカ・中国・インド・日本などの大国では遅れている〈5〉。小国は世界動向に敏感でないと生き残れないので、人権擁護や死刑廃止の国際世論にも敏感なのだ。台湾がアジア初の同性婚導入を決めたのも同じ理由だろう。 それに対し大国は自国基準に自足しがちだ。日本のGDPは世界3位で、しかも輸出の寄与率は1割台にすぎない。国内市場でそこそこやっていけるなら、変えようという動機も少なくなる。 その表れの一つは語学力だ。他のアジア諸国では語学力が高所得につながる。だが日本は国内市場依存の程度が強く、日本語だけで就職できる。 |
田敦史 集英社 2019/07/18 サラリーマン制度に 閉塞感が生じてしまったのか、 この頃、個人としての独立し、 フリーランス志向が出現してきたように思う。 いや、長寿化の時代、 60才定年、65才定年が無茶なのか、 しかし、長いこと、会社に買われていた虎。 野原に出て、獲物が捕れると思っているのか。 トヨタという絶対安心の職場を54才で中途退職し、 個人事業として独立した方が語る経験の書。 どんな成果が具体的に語られているのか。 成果を語るところはない。 P97 今はフリーランスになり、マーケティングの仕事をしているが、講演の仕事が一番楽しい。漫才師、野球選手、歌手になるのは今からは難しいが、若者にマーケティングやブランディングの楽しさを教えるような仕事にはこれからもチャレンジしたいと思う。数年すれば還暦なのに、そんな夢を抱けるのも会社員を辞めたからこそ手にした特権だと思う。 P134 しかし、「一国一城の主」になったという思いから、小さなオフィスを借りたいと考える人もいるだろう。その気持ちは十分に理解できる。かくいう私も、2年目から都心に部屋を借りた。気分は良かったが、(経費とはいえ)毎月の家賃は結構な金額になった。 P144 挨拶の際には、単に「お世話になりました」ではなく、「前向きな退職であること」を伝えるのも大切。日本の社会では、まだまだ会社を途中で辞めることにネガティブな印象がある。私の場合もそうだったが、「会社で何かあったのではないか」と思っている人も多いはずだ。新たな仕事の内容や、将来のプランについて具体的に説明することで、応援してくれる人も出てくるだろう。 P150 一つの方法として、サラリーマン時代の年収を日割りにして自分自身の日給を出してみるといいだろう。例えば年収1000万円もらっていた人なら、一年間の稼働日数を200日と考えると日給は5万円になる。週に一度のコンサルティングなら月に4回で、月額20万円という「目安」を出すことができる。打ち合わせ自体は2時問程度かもしれないが、準備や調査などを含めると丸一日程度はその案件のために使う前提で計算すればいい。 P159 年配者の中には、大事なことはメールよりも電話で伝えるべきと言う人も多いが、「電話はよほどのことがない限りしない」というのが現代の常識だ。特に若い世代には注意が必要。緊急でもないのに電話ばかりしていたら「あのオヤジは突然電話してきてウザい」と言われるのがオチだ。私は電話で相談したいときは、SNSで「電話でご相談したいことがあるのですが、何時頃ならいいですか」と連絡するようにしている。 P179 サラリーマン時代の実績は、独立した以降も個人の商品価値の大きな部分を占める。私の場合も、「元レクサスのブランド責任者」という看板を活用させてもらって、いろいろな場でブランディングの話をさせていただいている。自身の実体験に他業界の同種の事例も交えれば、情報としての価値は一層高まるだろう。 P188 なお、最後に「終わった人」という表現を使ったことについてひとこと弁明をさせていただきたい。会社に残る人たちすべてを「終わった人」と思っているわけではない。会社に残って生き生きと活躍されている方を多く知っている。ただ、そのような方々も含めて、多くの方が本書によって今後の生き方・働き方のヒントを得ていただければそれ以上の喜びはない。 |
マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波書店 2019/07/18 ボクシングの村田諒太氏の 愛読書というので読んでみた。 全てを読む熱意は維持できませんが、 要するに道徳的な哲学、聖書です。 最初から最後までを読み通すのではなく、 開いたページの一節を読んで、 得るところがあれば良しとする。 いかに正しく生きるべきか。 そのことについての著者の自問自答の書です。 ボクシングで戦うためには、 ブレない自分の基準軸の構築が必要なのだと思います。 その際に参考にしたのが本書なら、 それは素晴らしい道徳的な人物だと思う。 本書のテーマは、 私の「百箇条」と同じですが、 いや、比較も出来ない立派な一冊ですが、 私は、ただ、自省するだけではなく、 そのような事象についての答を知りたい。 羨む心、喜ぶ心、善意を為しえない心。 それが善でなければ成らないと自省するのではなく、 そのような心の動きの全ての理屈と答を知りたい。 P3 訳者序 プラトーンは哲学者の手に政治をゆだねることをもって理想としたが、この理想が歴史上ただ一回実現した例がある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった。大ローマ帝国の皇帝という地位にあって多端な公務を忠実に果しながら彼の心はつねに内に向って沈潜し、哲学的思索を生命として生きていた。組織立った哲学的研究や著述に従事する暇こそなかったけれども、折にふれ心にうかぶ感慨や思想や自省自戒の言葉などを断片的にギリシア語で書きとめておく習慣があった。それがこの『自省録』として伝わっている手記である。 P38 したがって我々は思想の連鎖においてでたらめなことやむなしいことを避けなくてはならない。またそれにもましておせっかいや意地の悪いことはことごとく避けなくてはならない。そして突然ひとに「今君はなにを考えているのか」と尋ねられても、即座に正直にこれこれと答えることができるような、そんなことのみ考えるよう自分を習慣づけなくてはならない。このようにすればその返事によって、すべて君の内にあるものは単純で善意に富み、社会性を持つ人間にふさわしいものであることや、また君が快楽に無関心で、あらゆる享楽的な思いや競争意識や嫉妬や疑惑やその他すべて君が自分の心の中にあるというのを赤面するであろうようなことは、いっさい考えていないことがただちに明らかになるであろう。 P162 一時間のうちに三度も自分自身を呪うような人間に君は賞められたいのか。自分自身にも気にいらないような人間に気にいられたいのか。自分のやったことのほとんど全部を後悔するような人間が、自分自身に気にいっているといえようか。 P163 私の自由意志にとって隣人の自由意志は無関係の事柄である。それは彼の息と肉が私に無関係なのと同様である。たとえ我々がいかに特別にお互い同士のために作られているとしても、我々の指導理性はそれぞれ自己の主権を持っているのである。さもなければ隣人の悪徳は私のわざわいとなってしまうであろう。しかし神はこれを善しとせず、私を不幸にする自由を他人に与えぬようにして下さった。 P201 30 他人の過ちが気に障るときには、即座に自ら反省し、自分も同じような過ちを犯してはいないかと考えてみるがよい。たとえば金を善いものと考えたり、または快楽、つまらぬ名誉、その他類似のものを善いものと考えるがごときである。このことに注意を向け、さらにつぎのことに思い至れば、君はたちまち怒りを忘れるであろう。それは「彼は強いられているのだ。どうにもしようがないではないか」という考えである。あるいはもし君にできることなら、その人間を強制するものを取り除いてやるがよい。 |
石川明人(宗教学・戦争論) 筑摩新書 2019/07/17 なぜ、キリスト教は 日本に根付かなかったのか。 そのような設問に 興味を持って読み始めたのですが、 著者の思考の深さには驚かされます。 私が知らないことを書いてある本は大量にありますが、 私の考えが及ばないことが書いてある書籍は少ない。 本書は、その数少ない一冊です。 なぜ、キリスト教は日本に根付かなかったのか。 大量のミッション系の学校があるのに、なぜ、キリスト教徒は増えないのか。 キリスト教を信じる国でも、なぜ、聖書の教えは守られていないのか。 非キリスト教にも理解できるように説明できるキリスト教徒はいないのか。 ただ、無条件に信じることなのか。 それなら聖書の教えが実行されているはずだが、そのようには思えない。 疑いを持つこと。 それが信仰だ。 そのような分析が本書の結末と思えますが、 それなら「現代人のためのユダヤ教入門」と同じです。 同書は次のように解説します。 ――――――――――― 現代人のためのユダヤ教入門 P22 ユダヤ教では、神の存在に疑いを抱いても、ユダヤの律法に従って行動するかぎり、善いユダヤ人とみなされる。しかし、この逆は真実であるとは思えない。ユダヤの律法に反する行為をしながら神を信じるユダヤ人が善いユダヤ人である、とは言えないからである P23 現代のもっとも重要な正統派ラビの一人、エマニュエル・ラックマンはこう表現している。「ユダヤ教は信仰と献身を命じるが、同時に、疑問をもつことをも奨励する。ユダヤ人は絶対的確信をもって生きるものではない。確信は狂信主義のしるしであり、ユダヤ教はきわめて狂信主義を嫌う。疑問は、人間の魂と謙虚さにとってためになるものである。 神は存在し、悪い行ないを罰することがわかっていればいるほど、自由意志で善い行いを選択する機会は少なくなるであろう。神については何もわからないという前提は、人が自由意思で善を選ぶうえで必要である。人は、善を選ぶうえで、悪を選ぶ自由もあると感じる必要がある。神は存在し、人のあらゆる行ないは記録されているとはっきりとわかっていれば、人は悪を選ぶ自由がある、などと感じないであろう。 P24 神に疑いを抱くことは当然であり、許されることであり、善いユダヤ人であることと矛盾しない。しかし、善いユダヤ人は神の存在を否定できない。 ――――――――――― P228 かつて、ヨーロッパのキリスト教徒たちは、外国に行っては現地の宗教文化を排斥し、壊滅させ、反抗する原住民を虐殺してきた。暴力を用い、経済的に搾取し、同時に宣教師を送り込んで、キリスト教徒を増やしていった。そうしたやり方に異議を唱える者は少数だった。 しかし、日本はヨーロッパのキリスト教徒による侵略が当たり前だった時代に、それをさせなかった。あるいは、それをされずに済んだ。そのことが日本にキリスト教が広まらなかった理由の全てとは言わないまでも、重要な背景の一部であることは確かである。 P258 カトリック神学・文化の研究者の方々からすれば、これらはくだらない問いかもしれない。だが、一般信徒の方々は、これら一見したところ表面的な事柄について、日本人の99%を占める非キリスト教徒も理解できるように解説することができるのだろうか。それとも「よくわからないけれど信じている」だけなのだろうか。 P260 多くのキリスト教徒は、この「みだらな思いで他人の妻を見る者は……」という聖書の文言を文字通り受け取るのは間違いだ、誤解だ、と言うかもしれないが、決して揚げ足取りをしたいわけではない。 殴られても何の抵抗もしなかったり、物を盗られてさらに別のものまで差し出したりするようなキリスト教徒など、実際にはほとんどいない。本当に「敵を愛し」たら、キリスト教文化圏で戦争など起きるはずがない。 P262 それから後、内村自身も絹の傘を盗まれるなど、アメリカはキリスト教国であるにもかかわらず、異教徒の国である日本よりもはるかに物が盗まれやすく、扉や窓のみならずタンスや引き出しなど、いたるところに鍵がかけられていることにも驚いている。 P269 池田は『考える日々 全編』で、自分は宗教的な事柄について考えるのは大好きだと述べ、神や宇宙、人生、存在について考えを巡らせていると飽きることがないという。 ただし、それはあくまでも「考える」から飽きないのであって、「信じて」しまったら「そこでおしまい」だというのである。 池田は、いわゆる宗教の信者たちの姿勢を、「信じる」ことでもって考えるべき問題について考えることをせず「それっきりにしている」と解釈する。彼女によれば、「信じる」というのは「自在に考える自由を放棄して、ひとつの考えに縛られることでしかない」のであり、そうした意味で「信教に自由はない」(295頁)とも言っている。 宗教を「信じること」は、彼女が最も尊重している「考えること」とは大きく異なる行為として捉えられているのだ。 彼女は同じ文章で、自分は「信じるよりも考えるほうが好き」だとも述べており、それはつまり、彼女には「宗教」よりも「哲学」の方が性に合っているという意味である。だが、宗教というのは果たして本当に「信じること」に他ならず、それは「考えること」とは大きく異なり、「自由を放棄」した縛られた態度に過ぎないのだろうか。 P288 宗教は、人間による人間ならではの営みである。宗教の謎はつまり人間の謎であるが、その人間というものが、私たち人間には理解し尽くせない。 信仰があろうがなかろうが、人は過ちを犯しながら正しさを求め、卑怯でありながら優しくて、自分勝手でありながら献身的で、誰かを嫌う一方で、別の誰かを愛する。 この、いかんと喝しがたい矛盾と限界を見つめ続ければ、いつか、何かに気付くことができるだろうか。 |
谷田千里+株式会社タニタ 日本経済新聞出版 2019/07/11 社員に生きがいを持ってもらうために、 それが会社の生産性を上げ 社員の離職率を減らすという発想で、 企業内独立制度を始めたタニタの社長。 凄いと思います。 退職し、 個人事業主として独立する。 それに応募した人達の気持ちと、 応募した後の気持ちが語られます。 私は、これこそが人間が生きる道。 サラリーマン制度は人間を殺す道だと思います。 顧客ではなく、 会社側を向いて行う仕事では、 生き甲斐を見付けるとしたら、 結局は、会社での評価、役職、出世になってしまう。 事業経営者になれば、 目標は楽しい仕事、自分の稼ぎ、顧客の信頼、スキルアップ、語れる経験。 P12 弊社では、希望する社員は「日本活性化プロジェクトメンバー」に手を挙げることができます。会社と合意すれば、メンバーは一旦退職して「個人事業主=フリーランス」となります。ただし、個人事業主になったからといって、「どうぞ勝手に社外でご活躍ください」というわけではありません。 個人事業主として、弊社で働きながら仕事の領域を広げる意味で、弊社以外でも仕事を請け負っていくことができます。 P13 また一般に独立後すぐは、果たしてうまく仕事が取れるのか不安になりますが、個人事業主に移行後は少なくとも向こう3年は、弊社の仕事を確実に請け負えるよう保障します。 P46 世間ではその頃少しずつ「働き方改革」に関する関心が高まっていました。しかし私は、会社から言われて「やらされる仕事」は結局、社員本人には面白みが感じられないので、どんなに労働時間を短くしたり、休みを増やしたりしても、モチベーションは上がらないのではないかと思っていたのです。 P83 いまの日本社会は生活のあらゆる場面で、「法人」やそこに勤める「正社員」が優遇され、個人事業主や非正規労働者にはとても冷たい。こうした状況を放置すれば、活性化メンバーになるのを躊躇する人も出てくるでしょうから、なんとか解決しなくてはなりません。 P86 お金の話とは別に、1期メンバーを見ていて感じたことがあります。それは、案外みなこの制度をうまく使って、自分の望むライフスタイルに一歩近づいたということです。もちろんそれは、最初からこの制度で狙ったところではあるのですが、早くも実現しつつあるというのが私の実感です。 P87 一方で、まだ独身でガンガン仕事をして早く成長したいという若手は、経費の使い方を見ていても、「ほぼ生活すべてが仕事」です。同じ仕事量でも、仮に会社から「やれ」と命令されてやるのであれば、その人は倒れてしまうかもしれませんが、自分の意思でやっているから倒れない。成長を実感できるから辛くないという側面もあるようです。 P176 社員 = 私の部署では、特に若い人たちにとって、「活性化プロジェクトメンバーになる」というのがある種の目標になってきているように思います。実際、何人かがメンバーになることを真剣に検討しているという話も聞きます。「スキルをつけるとこんな道が開ける」という事例を目の前で見ることができるので、とてもいい刺激になっているのではないでしょうか。 私自身は、まだ子どもが小さいのでもう少し足場を固めたい思いもあって、すぐにメンバーになろうとは考えていませんが、先々の選択肢としては「ありだな」と思えてきました。 例えば10年後、両親の介護などが切実な問題になった場合、もちろん介護休業の制度などもありますが、それだけではなくメンバーになることも選べるというのは安心材料になりますね。 |
大木亜希子(元アイドル) 宝島社 2019/07/10 アイドルという耐用年数の短い仕事。 卒業してから、どんな生活をしているの。 そのような覗き見感覚では面白い一冊です。 著者には文才がありますし、 アイドルという特別な経験をした人達が語る言葉も面白い。 ただ、何の社会経験も無い若者たちの人生観。 自分が学ぶという意味では収穫は期待できません。 P9 元アイドル。 その印籠を自分からチラつかせることで、「私ってじつはこんな経験があるの」と、周囲にアピールしたかったのだと思う。 今考えれば、そんな小せぇ自分がイヤになる。だが当時は、あのようなかたちでしか、意地を見せることができなかったのだ。 しかしその後、心境に変化が訪れた。 1人の社会人としてあらゆる経験を積み、失敗を重ねるうちに、そんな「小さなプライド」などどうでもよくなったのである。 それくらい「1人の人間」として、日々が充実し始めたのだ。そして、いつの頃か、私はアイドル業と会社員業を「掛け算」できるようになった。 たとえば、アイドルの現場では個性的かつ、上下関係がハッキリとしているメンバーと意見交換をしなければいけなかった。先輩とも上手にディスカッションしなければ、公演のパフォーマンスにも影響が出て、番組収録でもトークが回らなくなるからだ。そうした点で、図らずも「プレゼン能力」が磨かれたようで、私は会社員になり2年目の頃から、大手企業から1人で広告案件を獲得できるようになった。 また、「ライブ当日に振付が変わる」という修羅場も経験していたことから、実生活においても臨機応変スキルが身についていた。それにより得意先からの急な相談やトラブルにもすぐ応えられるようになった。これまでずっと“特殊な組織”に身を置いていた私にとって、それは「普通の社会」との意外な共通点だった。 その瞬間、初めて過去の栄光にすがることなく、「今の自分として」一筋の光が見えた気がした。 |
三井 誠 光文社新書 2019/07/03 米国には、 創造論を信じる人達が大量に存在し、 教育にも、大統領選挙にも影響を与える。 そのように論じますが、 本当に、神が人間を造り、 進化論は間違いで、地球は平面で、ノアの箱舟は真実だ。 そのように考えている米国人が多数派なのか。 それは「知的設計論」の問題なのだ。 ――――――――――― 世界一「考えさせられる入試問題」 ジェン・フォードン(著述業) 河合出版 アメリカの進化論反対者の間にある強力な原理の一つは、「知的設計論」という概念を推進している入たちから生まれた。これは、聖書から生まれた考え方ではなくて、合理的に進化論に反論することを目的にしたと思われる擬似科学論である。要するに、地球にいるほとんどの生、命体は驚くほど複雑でしかも環境に適応している、ということは、高度な知性をもって設計された、すなわち、神によって創られたという証拠である、というのである。 「科学的」に見える論文をネットで配信したりと、自論にまたいっそうの科学らしさを付け加えている。アメリカでは、学校の理科の授業で進化諭を教えるときにこの「知的設計論」も理論として教えるべきかどうかが長いこと議論されてきた。設計論者たちは常にとは言わないまでも、勝利をおさめることが多いようだが、結局はまやかしだ。大地創造論と同様に、これも科学的理論ではないのだから、理科の授業に取り人れるべきではない。とはいえ、進化論に反対する強力で説得力のある意見がここまで多いと、これほど多くのアメリカ人がいまだに進化論を受け入れずにいても、びっくりはしない。 ――――――――――― P147 米ギャラップ社の世論調査(2017年5月)によると、「神が過去1万年のある時に人類を創造した」との考え(創造論)を支持する回答が38%に上った。米国人の3人に1人は今でも、数百万年にわたる人類の進化を否定し、神が突然、人類を創造したと考えているのだ。 「人類は数百万年にわたり進化してきたが、そこには神の導きがある」とする回答への支持も同じく38%だった。このグループは、「神が約6000年前に人類を創造した」とする保守的なキリスト教のグループとは違って数百万年にわたる人類進化を認めつつも、そこには「神の導き」があるとする。化石などの証拠との矛盾はないが、「神のおかげ」という考え方は維持している。 これら二つのグループをあわせると、人類の誕生に神の関与を認める人たちは実に76%に上る。米国人の4人に3人は、「神のおかげで人類は誕生した」と考えていることになる。 「神の関与なしに人類は数百万年にわたり進化した」とする進化論を支持する回答は19%にとどまった。進化論を支持する回答は20年前の10%に比べ増えているが、依然として少数派にとどまる(図3・1)。 |
岡 檀(地域コミュニティ) 講談社 2019/06/27 自殺者が少ない村。 その理由を探求した研究者の書です。 どんなコミュニティが住み心地が良いのか。 自分1人が他と違った行動をとったとしても、 それだけを理由に周囲から特別視されることがない。 赤い羽根募金への協力は自由で隣人に倣わない。 老人クラブへの参加と不参加での不利益は無い。 選挙での投票についての強制などは野暮なこと。 特殊学級などその子を別枠に囲い込むのは反対。 「いろいろな人がいても良い」というを超えて、 「いろいろな人がいた方が良い」という考え方。 経歴や年齢による権威という発想が無い。 多様な集まりでの年長者の権威が存在せず、 年齢に関係のない参加者の自主的な判断が優先される。 悩みは外に出してしまうし、 援助を受けることを遠慮しない。 援助を求める人達に対して遠慮しない。 住みやすい老人ホームや、 地方の税理士会の雰囲気など、 どのように構築すべきかについて参考になります。 P72 そのようなわけで、冒頭の「病、市に出せ」という言葉を聞いた場所も、やはり宿の帳場だった。これは、町の先達が言い習わしていたという格言である。 彼の説明によれば、「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味している。そして「市」というのはマーケット、公開の場を指す。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲がなにかしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだという。 同時にこの言葉には、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めがこめられている。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思いきってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態にいたる前に周囲に相談せよ、という教えなのである。 「病、市に出せと、昔から言うてな。やせ我慢はええことがひとつもない」。彼の母親の口癖であったという。「たとえば借財したかて、最初のうちはなんとかなるやろと思て、黙っとりますわな。しかし、どんどん膨れ上がってくる。誰かが気づいたときには法外なことになっていて、助けてやりとうてもどないもできん、ということになりかねん。本人もつらいし、周囲も迷惑する」。 「じゃあこの格言は、リスクマネジメントの発想なんですね」私が言うと、「ほのとおり」。彼は力強く同意した。 P78 P81 |
山ア明夫(元バーテン) Q0Lサービス 2019/06/21 39歳で脳出血し、 高次脳機能障害になった患者のプログ。 人間は、言葉で思考するのだと思います。 「赤いリンゴと青いリンゴ」 この場合に2つのリンゴの絵は脳の中には浮かんできません。 では、犬や、カマキリも言葉で思考するのか。 言葉を失った失語症とは、 どんな内容なのだろう。 思考できないのか。 文字が読めないだけのか。 会話ができないだけなのか。 言葉がでなくても、 絵(ブログの絵)は書けるのか。 P46 ホントは 健常者も身体障がい者も 思考は無音じゃん? で、 今は、入院していた当時よりも回復してると思うけどね 入院したての頃 元妻の名前も、出てこなくなった時は この“無音過ぎる感覚”が酷かったのよ… 酷かったって言うか 好きだった(笑) 喋ることの名詞も動詞も形容詞も助詞も、 全部出てこなくなったときは 頭の中もナッシングなのよ!!! “無音過ぎる”の! でも思考はできるの… まぁ、粗末な思考だったのかもしれないけどね(笑) 脳出血発症後 唯一、“いいなぁ”と、思った感覚だね… 40年間生きていて 初めての感覚っていうか… 辛くない二日酔いの感覚というかね(笑) 平和な感覚 忘れられないよ……… P50 P82 |
山本七平 日経ビジネス人文庫 2019/06/20 なぜ、これほど詳細な記憶が残っているのでしょう。 私の履歴書だって、私が書いたら3回分ぐらいしか書けない。 山本七平氏は、それを2冊の文庫本にびっちりと書いている。 山本七平氏の著作は、何冊か読んで、著作対象の広がりに感心してますが、 その理由は、この記憶力(?)なのですね。 凡人にあらざる記憶力を持つのか、 凡人にあらざる理解力を持つのか。 凡人にあらざる記憶の手法を持つのか。 山本七平氏の凄さは、著作と共に、山本書店を経営し、 常識的には売れないユダヤ教関連の書籍を残したこと。 で、本書の一例。 その記憶力の一例。 P255 電車が走っていないと知った私は、ごくあたりまえのように、雪を踏んで歩き出した。もちろん二・二六事件のことなど何も知らない。朝刊は読んでなかったが、たとえ読んでいても前日に印刷された朝刊には何も書かれていたはずがない。ラジオは聞いていなかったが、当時は「政府発表」があるまでは何も報道されないから、おそらく何もわからなかったであろう。 ただこういう時には「遅刻」の心配がないようなものだから、ごくのんびりと歩いていたのを記憶している。そして三宿まで来たとき、道路の右側に、田舎の大地主の家のような立派な家があり、それが金物・雑貨の店であることに気づいた。電車で通学しているときには、そんな店があったことに気づかない。そして家が立派なわりに店内の商品は貧弱で、何となく薄暗くて「商売繁昌」とはいえないような気がした。 |
菅野国春 展望社 2019/06/18 著述業を営む著者が、 その視点で有料老人ホームへの転居の準備と、 老人ホーム内の生活実感と生活の心得を語る。 「伊豆高原」にある 「ゆうゆうの里」というホームで、 健康な方達が入所するホームです。 つまり、 食事と温泉が付いた マンションのような生活です。 三食付きでも、二食でも、自炊でもok。 経験しないことは語れない。 私には老人ホームの実感が掴めない。 だから本書に語られる実感は貴重でした。 底意地の悪い婆様の集団かと思ったのですが、 皆さん、現世界から降りてしまった人達なので、 こだわり(競い合わない)生活を実践している。 いや、だからこそ、競っている時代には、 有料老人ホームに入るのは早すぎるということ。 執筆を生業とする著者なので、 本の厚みを稼ぐ趣旨なのか、 書き出しは冗長だが、 ホームへの転居と、 入所後の事情についての記述には実感があります。 P116 職業意識も多分にあると思うが、患者に接する看護師以上に献身的であるように見える。施設側の職員に対する教育が行き届いているのかもしれない。施設内ですれ違うときの笑顔が爽やかであたたかい。少なくともつくり笑いのようには見えない。 P123 昔、囚人を取材したときに、楽しみは三度の食事だと言った。そのとき、そうであろうと納得し、人間も究極のところでは動物のように食べることに関心が向けられるのであろうと思った。老人ホームは自ら求めて入ったところで、私は囚人ではないが、三度の食事にときめくような関心が出てきた。 P139 一般社会と比べて、ホームでの個人的な交流は少ない。もし、深入りした関係を持ち、何か行き違いがあったりすると、ホームでの生活はやりにくくなる。そういう思惑もあって個人的な交流は少ないのかもしれない。 一般社会なら、そりの合わない人とは、顔を合わせないようにしたり、口を利かなければいいのだが、ホームの狭い村では反目し合う生活は息苦しいものになる。 ホームでは、お互いに適当な距離を保った人間関係が必要である。親しい関係が生まれやすいのは同好会やサークル活動だが、これとて、月に何度かの会の集まりが終わればホームの住人としてのいわく言い難い距離感に戻る。私はそれがホームの特色であり、一般社会と違う人間関係であってよいと思っている。すなわち、付かず離れずの、だれとも仲良く別け隔てのない関係を保つということである。 このような人間関係を保ちながら食堂では気の合った人たち同士が同じテーブルについて談笑している。結構なことだと眺めている。私の場合家内が向かいに座っているので、遠慮して誰も一緒にならないが、ときどきは一緒のテーブルにつくこともある。一人で食堂に行くときには顔見知りの誰かのテーブルについて短い時間を談笑して過ごす。共通の知人の噂話をすることもあるが、政治や社会情勢について話すこともある。 P198〜 (1)身分や地位に無縁に生きる (2)笑顔と挨拶の人間関係 (3)他人の生活に入り込まない (4)他人の顔色に一喜一憂しない暮らし (5)利己的生き方のいましめ (6)小さいことは不満に思わない (7)目標を持って生きる (8)サークル活動に積極的に参加する (9)健康に配慮して生きる (10)季節の変化を楽しむ |
中山武敏(司法研修所23期の弁護士) 花伝社 2019/06/10 狭山事件などで活躍した弁護士が差別を語ります。 私が弁護士になった頃は、 このような弁護士が主人公だった。 差別を語り、公害を語り、基地問題を語り、労働者の保護を語る。 いま、そのような弁護士が消滅し、 カネを語る弁護士ばかりになってしまった。 500人しか合格しない時代だからこそ受験した。 つまりは、難しい試験だからこそ挑戦したのですが、 いま、1500人、2000人が合格する時代。 どのような動機で司法試験を受験するのだろう。 P22 本当に、部落差別と闘いたい。人権侵害と闘いたい。こういうエネルギーが自分を支えてきました。 当時、研究室で勉強していた人もなかなか司法試験に受からなくて、10年や20年やっている人もいたのですが、私は卒業の年に受かりました。 私の司法試験合格には、私の部落の人たちも、直方の部落の人たちも、本当に自分のことのように喜んでくれました。 子どもの頃も私は一生懸命勉強していたのですが、「そんなに勉強して何でそのくらいの成績か」というぐらいしか出来ませんでした。東京に出て、勉強のやり方や、なぜそうなっているかなどを考えていくことの大切さを学びました。 腰が「く」の字のように曲がっても働いている母親や父親、うちの部落の人たちの役に立ちたい――その思いがエネルギーになって、今はロースクールが出来て1500人くらいが合格しますが、当時は全国で500人しか合格しない大変な試験に合格できたのです。 |
井戸まさえ 集英社文庫 2019/06/06 松下政経塾を出身した経済ジャーナリストが 多数の無戸籍の人達の人生を語ります。 無国籍のまま、 義務教育も受けず、 30才、40才になっている方々。 健康保険にも入れず、預金口座も作れず、運転免許も作れない。 まさに、中世ヨーロッパで教会から破門をされたような状況です。 どうやって生きているのだろう。 経済的な生活だけではなく 厳しいメンタル面が語られてます。 無戸籍の者が多いのなら、 それを救済するシステムが準備されいるのが当たり前ですが、 それがお役所仕事、 無国籍の者を救済する著者のような存在が必要なのですね。 しかし、いくら役所であっても、 いまどき、次のような対応があるのだろうか。 この頃、非常に親切な役所ですが、 面倒な仕事、立場の弱い者に対する態度は、昔から変わらないのだろうか。 全ての事案について、 裁判所を含めた役所側の対応は、 来て欲しくない、諦めて欲しいというスタイル。 弱者を救済するなんて視点は存在しません。 犯罪者が、 新しい戸籍に乗り換える。 そんなことを心配しているのだろうか。 家庭内で暴力を受けている子供達の救済。 その現場での役所の対応も同じようなモノなのだろうか。 P90 家庭裁判所での相談を終えて、地下鉄に乗って区役所に行く。 次は、住民票についての相談だ。 裁判所で待たされたこともあり、到着したのは午後4時40分だった。 総合相談窓口へ行くと、中年の女性が対応した。 「無戸籍?住民票?そのことに関してはここではわからないから、住民票の係に行ってください」 住民票の係に行くと、 「無戸籍ですよね?それは総合相談窓口!」 年かさの職員が無愛想に答える。 「いや、総合窓口で住民票の窓口に行けと言われたんですが」と言うと、彼は突然怒り出した。 「無戸籍?うちじゃないだろう、それは戸籍係だよ!何度言わせるんだ、戸籍係だって!」 つまりはたらい回し、である。 戸籍係の前で、順番のカードを引いて待っていると、先ほどの総合相談窓口の女性がバッグを持って、窓口から出てきた。 勤務時間が終わるところだったのか。 なるほど、そんなときにややこしい案件が来たら大変と、だからこそあんな対応だったのだと納得する。 戸籍 …… 窓口の順番が来た。 「あ、それは裁判所に行ってください」とあっさり言われる。 「あの、今、裁判所に行ってきたんです」 「それ、すんでからまた来てください」 「え? それでおしまい?」 「はい。裁判所へ行ってください」 「無戸籍の入が相談に来ているんですが、名前も何も記録しなくていいんですか?」 折しも、国の無戸籍者実態把握の調査が始まったところだ。 「いえ、私たちには、裁判所に行ってくれと伝えるように言われているだけで、ほかは指示されていません」 「あれ?戸籍窓口では、無戸籍者が来たなら、とりあえずはその人の年齢やなぜ無戸籍となっているのかなどの事情を聞かなければならないはずだと思うんですが?」 私はもう一度念を押した。 「いいんですか?連絡先とか聞かないで?調査があるんじゃないですか?」 「は?別にいいんです、聞かなくても。裁判所で手続きしてください、と伝えれば」 女性職員は、そう言い張るばかりだった。 午後5時。役所の窓口受付の終了時間ぴったりに「相談」は終わった。 P215 P218 P222 |
宮下洋一(ジャーナリスト) 小学館 2019/06/06 自殺の補助が認められるスイスに行って、 自殺した女性をルポルライターが語ります。 文章のプロが書いた一冊ですから、 読みやすく、論理も上手に整ってますが、 しかし、 私が書いたら 1000文字のコラム一枚の内容です。 人の命であることから不用意に結論を出せない。 そのように語ってしまえば反論は出来ませんが、 そして、 日本の生死感と、 西洋の生死感に違いがあるのは理解できますが、 それを述べ、 日本で安楽死が認められるか否かを論じるのなら、 私なら1000文字の原稿で充分です。 死にいたる病気になって、 残っているのは苦痛の日々。 そのような場合に自己決定権を認めるべきは当然。 苦しむだけのために生かしておくとしたら、 それは拷問です。 医者も、宗教人も、役所も、 無責任になるが故に答を出さないだけの話し。 主が与えたモノを、 人が奪っては成らない。 そのような宗教観があるのなら、 その宗教に添って判断しますが、 日本のように宗教の無い国なら、 いや、葬式仏教の国なら、 合理的に判断すれば良いだけです。 本書の主人公も笑って死にました。 しかし、スイスまで行かなければ成らないのも面倒です。 マツモトキヨシで薬を売ってくれれば便利です。 P210 私がそう言うと、姉妹全員がどっと笑い声をあげた。この笑い声は、本来、家族団簗のお茶の間で、みんなが冗談を言い合っている時に聞こえるはずだった。恵子も貞子も大声で笑うが、隣で皮肉たっぷりの会話をする妹が、翌々日の朝にはこの世にはいないことをどの程度実感しているだろうか。いや実感しているからこそ、いま笑い合うのか。 P212 人前で笑顔を振りまくことが日常だった小島は、東京時代のエピソードを教えてくれた。 「ある日、私がタクシーに乗った時、運転手さんが『2回目ですね?』と言ったんです。『え、私、前にも乗りましたっけ?』と言ったら、運転手さんが言ったんです。『こんなに気持ちよく挨拶をする人は忘れませんよ』って。それくらい笑顔で『こんにちは!』と挨拶をする毎日が私には普通だったんです」 P219 癌患者のような「期限」が彼女にはないことを苦しみだと主張した。多系統萎縮症という病気にも余命があると言われている。宣告から、人によっては10年、20年、生きることもあるという。寝たきりのまま、どう余生を過ごせばいいのかという不安を、彼女は日々、抱えて闘病生活を送ってきた。 小島にとって最悪の事態は、早い段階で意思表示ができなくなり、スイスでの安楽死という選択肢が消えてしまうという恐怖だった。スイスに渡った今、その恐怖は消え、小島の表情からは安心のようなものが感じられるのだった。 P231 「義務と権利ということをよく考えるんです。生きる義務があれば、それを道標にして生きていこうと思えるのですが、生きる権利というのは意外と持て余すものなんだな、というのが私の考えなんですね。今現在も、生きる権利で言えば、あると思うんですよ。それは日本国憲法でも保障されているし、生命体として生まれてきた以上、生きる権利は保障されていると思うんです。でも、個人で考えた場合、義務があればそれに向かって生きていけるけど、権利というのは持て余すというのが実感なんです」 P251 恵子は、自宅で首つり自殺を図った妹を何度も目にしてきたため、この選択は間違いではなかったと言い切った。 「安楽死ができるのは幸せだって本入は言っていましたから。もし自分がミナちゃんの立場で、この道を選べるんであれば、同じことをしているだろうと、こちらに来てから話していたんです。家族のことも考えたら、苦しみながら生きながらえるより自分もこちらを選びたいと、本当に心から思いましたね。この亡くなり方が不幸だとは、全然思いませんでした」 その考えは、貞子も同じだった。 「私は、もっと自分が乱れると思ったんです。でも、本当に苦しまなくて、ありがとう、ありがとうって言って亡くなっていく妹を見たら、逆に安心したというか、みんなに見守られて逝ったんだなあ、と。悲しみはもちろんありましたけど、安堵感もありました。本人が望むのであれば、家族の方を含めて考えた時に、安楽死という選択肢があっていいと思いましたね」 |
所正文(産業心理学) 文春新書 2019/05/31 高齢者の暴走事故について 運転免許の返納が議論されてますが、 右左に車両が並列する東京の道路と、 対向車だけを注意すれば済む田舎とは事情が異なる。 自家用車など必要としない東京と、 車が無ければ生活できない地方とは異なる。 ギアとクラッチを廃止した オートマ車で暴走事故が起きるのではないのか。 個別の事件は運転者の責任だが、 暴走事件が頻繁するのは設計思想の瑕疵ではないか。 衝突防止装置は機能しなかったのか、 機能するのなら、利用を強制すれば良いのではないか。 高齢者の暴走事故と、 若者の暴走事故は割合的にどちらが多いのか。 そんなことが語られると期待したのですが、 ひとことも、それらは語られていない。 大学教授の著作はダメ。 それを実践しているのが本書。 役立ったのは書き出しの18頁、20頁のデータだけ。 P18 一方、わが国の年間交通事故死者数は年々減少し、2016年には実に67年ぶりに4000人を切った。車社会の草創期であった1970年には、当時の国民の100人に1人が交通事故で死傷し、年間交通事故死者数1万6765人を記録したことを考えれば、これはまさに画期的な出来事である。 P20 年間交通事故死者に占める65歳以上の割合は上昇し、2010年に遂に50%を超え、15年には56.0%に達している。わが国が世界でも類を見ない超高齢社会を迎えているとはいえ、年間交通事故死者に占める高齢者の割合が65歳以上人口比率(26.6%)の2倍以上である事態は異常と言える。これは欧米主要国に比べても、際だって高い値となっている。 そして、65歳以上高齢者の年間交通事故死者数の約半分が「歩行中の事故死者」であるという事実は見逃すことができない。さらにこの傾向は30年以上続いており、1980年代までは「歩行中の事故死者」の割合が、実に60%を超えていたことを強調しなければならない。 交通弱者として犠牲になった高齢者の歩行中の事故死の背景には、道路環境の未整備、とりわけ「歩道」の未整備が深く関わっている。これは、わが国交通社会が「自動車優先主義」によって短期間のうちに構築され、その歪みがこうした形で顕在化したと分析できるのである。 |
東山紀之 朝日文庫 2019/05/29 プロのライターが書いた一冊だと思いますし、 それも相当に優秀なライターの文章と思いますので、 非常に読みやすく、著者のファンは読んでいて楽しいと思います。 ジャニーズ生活30年を紹介してます。 業界の先輩に対する礼儀、感謝、友情など、 最初から最後まで綺麗事で書かれた一冊です。 P165 なにより驚いたのは、沖縄の人たちの底抜けの明るさと優しさだ。僕はどうしてみんながこうなのかと不思議にさえ思った。 17世紀から今日までの沖縄の歴史をふり返ると、沖縄の悲劇は極端なものだと思う。国内で沖縄ほど虐げられた歴史をもつ場所もない。今日に至るまで人々の思いは見事なほどにつぶされてきた。なのに、どうしてこんなに明るく、親切でいられるのか。 その優しさの裏には底知れぬ悲しみがあると思った。それを経験している人々の強さと優しさなのだ。沖縄の人は音楽のたしなみ方、人生の楽しみ方を知っている。豊かな文化の背景にあるものを心に感じた。 「琉球の風」の視聴率は最初と最後を除き、大河ドラマでは芳しくなかった。しかしのちにウチナーグチ(沖縄方言)に吹き替えられ沖縄で放送されると、驚異的な視聴率だった。沖縄の人たちの思いが込められていたドラマだったからだろう。 僕はドラマのもつ意味も考えた。知られざる歴史や世の中に問いかける内容を提示するのもドラマの役目だと思う。 |
小川さやか(文化人類学者) 光文社新書 2019/05/27 日経新聞に掲載されていた著者の次のようなコラム。 ――――――――――― 子供は50年後を見すえて勉強に励み、大人になると老後に備える。いったい人はいつ「今」を生きるのだろうか。 ――――――――――― 2度読み直してしまった。 何を言っているのかと。 いや、しかし、確かにです。 私自身の生き方を指摘している。 いま、私は、 何の問題も無く生きているのに、 明日のことを常に心配しながら生きている。 ほとんど、 何が起きても対応できる 何段も重ねた予備プランを持ちながら、 それでも明日を心配しながら生きている。 なぜ、今を生きることが出来ないのか。 さらに、私自身が、 怠け者である生活を許されながら、 怠け者の生活を肯定できずにいる。 決まり決まった勤勉さを真似る必要は無い。 「怠け者を賛美しながら多忙な人びと、働き者を賛美しながら怠ける人びとを見ていると、多忙と怠け者は矛盾しないようだ」 良い定義です。 本書を読み終えたら、 怠け者であることを 肯定できそうな気がする。 読み終えましたが、ダメです。 タンザニアにおける 「その日暮」と 助け合いの文化を紹介してもらっても、 「自己責任」という言葉が存在する日本では 助け合いの文化を実践できる環境が存在しない。 文化人類学的にではなく、 心理学的に、 脳科学的に、 次の言葉を位置付けて貰えないだろうか。 マタイによる福音書 ――――――――――― まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添え与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 ――――――――――― 私など、自分と家族と社会に対する義務を尽くして、 もう、何も、心配することが無いのに、 明日の心配から解放されない。 年金生活に入ったサラリーマンは、 明日の心配から解放されているのだろか。 P16 『働かない――「怠けもの」と呼ばれた人たち』(青土社、2006年)の著者トム・ルッツは、いつまでもカウチから起き上がってこない息子になぜ憤りを抱いてしまうのかを理解するため、18世紀から現在までに英米に登場した怠け者たちの肖像・主張と、彼らに対する批判や怠け者表象をめぐる消費の歴史をたどり、わたしたちの労働観の両極に位置する勤労主義と怠け者(スラッカー)主義との奇妙にねじれた関係を解き明かした。 産業革命の幕開け期、サミュエル・ジョンソンは人間を「怠惰な動物」と規定し、怠けることは罪ではなく、自己修養や利益追求に適進する人間こそ常軌を逸していると説いた。しかし彼は、英語辞典の編纂をしたり、『アイドラー』等の雑誌に300点以上におよぶエッセイを書いたりした多忙なアイドラー(怠け者)であった。 一方、同時代に「時は金なり」と提唱し、現在の勤労主義の原型を創出したベンジャミン・フランクリンは、空気浴にいそしむ快楽主義者でもあった。かの有名なカール・マルクスの娘婿ポール・ラファルグは、『怠ける権利』を上梓し、「個人や社会のあらゆる悲惨さは、労働への情熱から生まれる」と結論づけた。 このような、怠け者を賛美しながら多忙な人びと、働き者を賛美しながら怠ける人びとを見ていると、多忙と怠け者は矛盾しないようだ。本性に従い自然に生きているかどうかが、重要なのであろうか。 P215 トム・ルッツが豊かに例示するように、わたしたちは勤労主義と怠け者主義の両極を揺れ動きながら、どちらに立ってもつねに満たされない思い、不安と不満を抱え、両者のスペクタクルのなかで特定の労働観を築いてきた。ただ現在の日本の社会状況では、現在のおこないが将来の安定やリスクに直結するものだという価値観から逃れることは困難である。子どもの頃は「将来についてきちんと考えなさい」と言われることに反発した人も、大人になるにつれて未来に備えるために、現在を消費する生き方を身体化していく。みずからの「自立性/自律性」を獲得するため、あるいは家族や社会に対する責任を果たすために。 しかし、現在の延長線上に「未来」があるという認識は、特定の場所と時代において成立したものであり、資本主義経済システムに組み込まれた主流派社会から零れ落ちたり、あるいはそれによって周縁化されている世界では、Living for Todayを身体化することこそが生き方の出発点にある。 しかし、人間はみなLiving for Todayである。主流派社会はLiving for Todayの世界に囲まれ、主流派社会には至るところにLiving for Todayを喚起する陥没があり、Living for Today輩が巣食っているのである。繰り返すが、人間はみなLiving for Todayである。いつ誰が陥没を生み出し、いつ誰が巣食う住人になるかはわからない。その不安や焦りが、主流派社会を駆動している。主流派社会はLiving for Todayを恐れている。その恐れは社会システムのためなのか、自己の実存のためなのか、それさえもわからずに恐れているのである。 |
池谷裕二 朝日文庫 2019/05/22 池谷教授の脳科学本は何冊も読みました。 時々、週刊朝日の連載も目にして、 この記事を読むだけであっても 週刊朝日を購入しようかと考えたことがあります。 本書は、 週刊朝日の連載の文庫化です。 本書にも、 新しい知識が盛り沢山に 紹介されているのですが、 ただ、全体として脳科学本は食傷気味。 ちょっと、積ん読し、気が向いたら読んでみようと。 ただ、池谷教授の書籍を読んだことが無い方にはお奨めの一冊です。 P17 ヒトの脳は、顔や表情に敏感で(いや、敏感すぎて木板の模様にさえ「顔」を発見します)、顔の特徴から「信頼できそう」「怖そう」など多くの情報を得ています。30分の1秒というわずかな時間でも、顔を正しく判断できますから、いかに高速な神経計算を行っているかがうかがえます。このときの脳の反応を計測すると、扁桃体などの感情に関わる部位が活動しています。 |
伊勢田哲治(科学哲学、論理学) 筑摩新書 2019/05/22 いま、話題のクリティカルシンキング。 哲学者は、日本では評価されないが、 米国では哲学を専攻した人は企業で喜ばれるそうですが、 その深い掘り下げる思想が尊重されるのだろう。 いや、しかし、深い掘り下げ故に読み進めるのは難しい。 積ん読し、熱意が出たら、読み続ける。 何時かは、読み終わるはずだ。 P11 ……日常語では「批判」という言葉には否定的な評価という意味合いが強いが、ここではそれとはちょっと違い、ある意見を鵜呑みにせずによく吟味することを「批判」という。したがって、結論としては同意する場合でも、その意見が本当に筋が通っているかどうかよく考えたうえで同意するのであれば、批判的といってよい。この意味における批判的な思考法がクリティカルシンキングである。 |
池田達也 百万年書房 2019/05/21 社会や他人と係わりに自信を喪失し、 留学にも、就職にも失敗した著者が、 ネットで知り合った人達との交流の中から、 自分なりの生活の仕方を学んでいく一冊。 私も、 組織に属するのは不得手ですが、 そこは努力と才能(?)で乗りこえてきました。 いや、税理士試験という制度に巡り会ったのが幸運でした。 しかし、 そうではない人達で、 会社や社会に馴染めない人達は、 どうやって生きていけば良いのか。 著者の生き方に賛同し、 わざわざ九州から引っ越してきて、 喫茶店を手伝うことで自分の生き方を見付けたパートナーと。 お客さんや、 友人達との交遊など、 それこそ私の経済水準としては、 どうしようもないほどの小さな喫茶店。 でも、「それでも良いじゃないか」 そんな生き方を見付けた青年と、彼女の物語。 我が家(自宅)の近くにも、 引き籠もりだったというご夫婦が 小さく経営するパン屋さんがあった。 ちょっと高めの美味しいパンでしたが、 パンを売っている女性(奥さん)からパンを買いながら、 心の中では「ガンバレ」と声をかけてました。 いま、店舗が移転してしまったので残念です。 P41 考えてみれば、自営業で生きていくのは僕には向いているのかもしれない。働くのが嫌だと思っていた理由のほとんどは、環境によるものだった。周りの人にずっと気を遣い続けるあの感じだとか、ちゃんとしていなきゃと思うのも環境に対して思うのであって、その環境を自分で構成し、そこで働く自営業なら、自分を殺し続けるあの感じもない。 P120 そんな日が1週間くらい続いたある日、現実を直視せざるを得ない出来事が起きた。 お客さんがひとりも来なかった。オープン以来、お客さんがひとりも来ない日は1日もなかったのに、とうとう来客がゼロになってしまった。僕もおりんさんも5月の下旬からなんとなく客足が遠のいているのに気づいていた。気づいていたけれど、口に出したらその現実が襲いかかってきそうで、そこからどうにか目を背けるために自分たちは幸せなんだと言い聞かせていた。 P132 どうしていいか本当にわからなかった。このままネットでほんの少しだけ話題になった一発屋として、店を潰してしまったほうがいいんじゃないかとも思ったけれど、それさえも怖くてできないと思った。じゃあ自分が頑張ればいいのかというと、いくら自分が頑張ったからといって、お客さんが来てくれるわけじゃないことがモーニングの営業でわかってしまって、何をどう頑張っていいのかわからなかった。 P151 ある常連さんが「自分の家にいてもつまらないなあと思うと、友達の家に遊びに行くような感じでしょぽい喫茶店に来ている」と言ってくれたことがある。この言葉を聞いて、「そういうことなんだ、それでいいんだ」と思った。 P157 結局、僕は「当てる」ことも「攻略する」こともできていない。 いろんな試行錯誤をしてみてわかったことがある。「魔法はない」ということだ。新井薬師前という微妙な立地の5坪もないような小さな喫茶店で、経営素人のふたりが一発逆転を狙うなんて自分でも滑稽だと思う。魔法はない。この喫茶店で一発逆転はできない。それはわかっている。わかっているけれど、それでも僕とおりんさんは、いつか魔法が起こるんじゃないかと本気で信じている。そう信じてサイコロを振り続けること。魔法が起こるまで、地道で泥臭くて、お世辞にもシンデレラストーリーとは言えない日々を、毎日毎日繰り返すこと。それが優秀な経営者じゃない僕とおりんさんにできることなんだと思う。 僕とおりんさんは、こうして明日もしょぼい喫茶店でお客さんを待っている。 |
河合 薫 日経プレミアム 2019/05/16 ANAに4年、 ウエザーニューズに4年のトータル8年の 「会社員」を経験した著者(女性)が サラリーマン生活を批判的に分析します。 ジジイと自覚しないジジイ達と。 そもそも サラリーマンの生活は、 私には、全く、分からない。 ただ、同じサラリーマンでも、 サービス業、製造業では企業文化は全く異なると思う。 営業職、事務職、企画、研究職では全く異なると思う。 大企業と中小零細企業、オーナー企業では全く異なる。 サラリーマン論は、 大企業、営業職を想定して読む必要があるのだろう。 著者が語っていることが正しいのか、 女性として働き、相当に嫌な思いをしてきた著者なのか。 そんな生活をしてきても60歳で定年退職で追い出される。 いずれにしろ、 このような不満、 ストレスとは無縁の生活をしていることを喜びます。 私には、絶対に務まらない職場。 それが正しのか、欠陥なのか。 P7 そして、彼らが抱える問題、ストレス、悩みに耳を傾ければ傾けるほど、会社という組織が「感情の吹き溜まり」であることを、うんざりするほど思い知らされる。人間関係がすべての問題の根源であり、いかに感情をコントロールするかが極めて重要だと痛感させられるのです。 P8 もちろん、昭和の時代から横行していた出世争いに起因する「ライバル落とし」や、最後の最後で自分がかわいくなる「ハシゴ外し」、限界に達した人の得意技である「他人くさし」はいまだに健在です。大卒が主流の組織で下克上のごとく上がってきた高卒社員の足を引っぱる「学歴落とし」も、根強く存在します。 P9 「ストレス」という言葉は会社員のためにあるのではないか、などと思えてしまうほど難行苦行の日々を過ごしているのに、会社員は健気に、毎朝「痛勤電車」に乗り込み、ベテラン社員をバカにする年下上司への怒りをこらえ、長時間労働に耐えながらも、「理不尽のるつぽ――会社」に通い続けます。 P11 申し遅れましたが、私はANAに4年、ウェザーニューズに4年、トータル8年間「会社員」を経験しました。どちらも「組織の一員」でいることが性に合わず辞めたわけですが、…… P13 しかしながら「会社組織」は、平成の30年の間で大きく変わりました。会社員は「人」ではなく「コスト」になり、会社を守るために人がリストラされ、賃金カットの目的で成果主義が取り入れられ、業績の上がらない部署は切り捨てられ、非正規という「低賃金でいつでも切れる社員」を増やしました。 P174 私たちが今生きているのは、過去の成功モデルが一切役に立たない、世界中で誰も経験したことがない長寿社会です。刻々と変化する自分世界に対処できるだけの「強い自己」を確立しないと、正直、ヤバイです。他人の足を引っぱって、大ジジイに加担している場合じゃないのです。 P183 なぜなら、私には「これはやらなければならない仕事である」という信念=意志力と、「この困難を乗り越えることには意味がある」という確信=有意味感があるからです。理屈じゃないのです。誰の判断でもありません。私の経験から生まれる「人生の価値判断」が、「逃げない」という選択をさせるのです。 P194 でも、会社をリタイアした人をインタビューしたとき、こんなことを言っていました。 「自分は大した出世もしなかったし、仕事ができる方でもなかったし、人望がある人間でもなかった。大した会社員人生じゃなかったんです。なので退職の日も淡々と迎えました。そしたら、後輩がひとりやってきてね、『僕はOOさんがいたから今まで頑張れたんです。ありがとうございました』って泣いてくれたんです。いや〜、びっくりしましたよ。その一言で、灰色だった40年の会社員生活に色が灯った。ホントにうれしかった」 P202 だって、40代や50代の方が20代より明らかに世界や世間に関する知識は豊富だし、理不尽と予想外の連続の人生を経験している方が、しぶとさも出ます。人生の「武器」が増えているのだから、明らかに可能性は広がっているはずです。「最高の自由」は人生の後半戦にならないと手に入らないと、私は確信しているのです。 |
西村友作(中国の対外貿易経済大学教授) SB新書 2019/05/15 中国の実情を、 次から次にと紹介します。 ほとんど現金を所有しない生活が可能。 レストランでも、小売店でも、交通機関も、路上演奏家にも。 支払い手段の改革だけでなく、 支払い手段を通じて蓄積される信用が重要。 提供者の信用、 作業員の信用、 利用者の信用が評価され、 信用が落ちるとペナルティが課される。 良い部分を紹介し、 悪い部分も紹介しますが、 それにしても日本が5年後、 10年後でも追いつけないスピード感。 日本が3年分だけ進歩する間に 中国は7年も先に進んでしまう。 小さなウサギが、 短期間に象に成長していく。 矛盾が生じ無いのだろうか。 矛盾が生じても、 その矛盾を成長で解決してしまうように見える。 中国の現状を知るについても、 日本の未来を予測するについても必要な一冊。 中国での生活を実感として理解した著者の一冊。 日本に比較したら、中国は遙かなる情報的な先進国。 いや、しかし、日本の方が中国より経済的な先進国。 では、どちらの先進国が勝つのか。 情報が「価値」だとすれば中国が勝ってしまう。 日本には「信用」という財産があったが、 中国には、それが無かった。 その信用という財産をキャッシュレスが作り出した。 では、道徳という意味の「信用」まで作り出せるのか。 異質の国が、異質の進化を遂げている。 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスのどちらが生き残るのか。 あるいは混血するのか。 しかし、中国のキャッシュレスが、日本に定着するとは思えない。 そもそも、需要者(消費者)がキャッシュレスを必要としていない。 キャッシュレスを商売にしようとしている人達が騒いでいるだけ。 P118 繰り返しになるが、「ワイマイ」のビジネスモデルが普及した最大の理由は、消費者、レストラン、配達員など、関係者全ての信用を、スマホというツールによって、しっかりと可視化したことだ。 また、食の安全問題の他にも、従来型のデリバリーで起こっていた様々な問題が解決された。まず挙げられるのが、サービスの質が上がったということだ。私がよく使う美団外売では、5つ星で店を評価できるし、コメントも入れることができる。 料理の質が悪かったり、量が少なかったりすると、評価が下がり、他のユーザーから選ばれにくくなる。ユーザーの評価を得るため、苦手な食材を別のものに変えるなど、個別のリクエストにもある程度は応えてくれるようになった。高評価をもらえれば、宣伝費をかけなくても検索リストの上位に並ぶからだ。 またデリバリーを利用した嫌がらせがなくなった。頻繁ではないものの、他人の名前をかたって、大量の出前を送りつけるといった嫌がらせもあったという。しかし「ワイマイ」では、前払いのモバイル決済のため、こうした問題は起こらなくなった。これは利用者、レストランの双方にメリットが大きい。 配達をめぐるトラブルも激減した。配達員も信用評価システムで管理されているので、配送の目安時間を大きく遅れて料理が冷めると、最低評価をつけられる恐れがある。配達時に料理がこぼれていてもダメ。だから配達員たちは丁寧に早く届けるよう必死だ。最低評価を付けられた配達員は、罰金を払わされる。そのうえ、それ以降の注文が受けにくくなり、自分の売り上げが下がるのだ。 |
斎藤 孝(教育学) SB新書 2019/05/14 読書をすれば深くなる。 そのことを語ります。 感情を乗せて読む。 本の中から好きな文書を拾い出す。 驚きを探す。 ここらは 私の読書法です。 著者の価値観、 感情、実感が無い本には価値がない。 悪い一冊は切り抜くべき箇所が1つも無い。 良い一冊は、その全てが切り抜く場所になる。 切り抜く場所を拾い出すことが、 その一冊の著者の思想を探すのに役立つ。 P7 著者をリスペクトして「さあこの本を読もう」というときは、じっくり腰を据えて話を聞くような構えになります。著者と二人きりで四畳半の部屋にこもり、延々と話を聞くようなものです。ちょっと退屈な場面があっても簡単に逃げるわけにはいきません。辛抱強く話を聞き続けます。 相手が天才的な作家だと、「早く続きが聞きたい」と言って寝る問も惜しんで読書をすることもあるでしょう。しかしドストエフスキーと二人きりになって3か月も話を聞かされ続けたりしたら、大概の人は逃げ出したくなります(やってみると最高なのですが)。実際、みんな逃げ出しつつあるわけです。 逃げ出さずに最後まで話を聞くとどうなるか。それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は、体験しているときの脳と近い動きをしているという話もあります。 体験は人格形成に影響します。あなたもきっと「いまの自分をつくっているのは、こういう体験だ」と思うような体験があるでしょう。 P53 P71 P79 P99 P144 P177 |
酒井美意子(前田家の長女で酒井家に嫁ぐ) 講談社α文庫 2019/05/14 華族の若奥様が、 華族の歴史と、戦後の財産税を語ります。 薩長が作り出した歴史(書き替えられた歴史)ではなく、 江戸幕府から続く日本の文化が語られる(と期待してます)。 江戸幕府が、 薩長によるクーデターを経ずに、 そのまま現在の日本になったら 素晴らしい文化の承継があったと思います。 軍国主義国家にも成らず、 戦争も無く、敗戦も無く、 米国の植民地にも成らず。 P58 明治2(1869)年6月、明治政府は当時三百諸侯といわれた旧藩主を「知藩事」に任命して行政にあたらせ、藩政を改革させた。同時に政府は従来の身分制度を改め、公卿と大名を華族、旧幕臣と各藩士を士族と卒族(まもなく両者合体して士族)、農・工・商・穢多・非人を平民とした。 わが曾祖父の慶寧(初代・前田利家から数えて14代)も知藩事として戦国時代以来の居城金沢城に住むが、同年7月、藩を廃して府県を置き、新たに任命した官選の知事や県令が政務をとるため、290年に及ぶ藩を閉じて東京に移住する。旧藩主を国許に置くと、今後何が起きるかわからないと恐れられたためといわれている。この廃藩置県が実施されたのは諸般の事情で遅れ、2年後である。 この中央政権の実権は、旧・薩摩、長州、土佐、肥前の四藩出身者に握られ、のちには薩・長二藩の出身者が主流となり、藩閥政府とよばれるにいたる。両者はことごとく反目し、周囲の人々は恐れおののいたと言い伝えられている。 わが国はこの藩閥政治のもと、世界のヒンシュクをかう富国強兵主義、汚職、立身出世主義、江戸時代をもしのぐ男尊女卑の差別(良妻賢母、夫唱婦随、離婚軽蔑等々)の道を猪突猛進することになる。 世情は混沌、政府は内紛に次ぐ内紛、人心は不安、テロが横行、責任者は次々に暗殺されていく。この傾向は昭和の太平洋戦争まで続き、国を破滅させる寸前までいくのである。 |
小島 拓 幻冬舎メディアコンサルタント 2019/05/08 幻冬舎メディアコンサルタントの自費出版で、 著者に法律事務所が登場したので、 弁護士が書いた面白くも無い一冊。 そのように思って手にしたのですが、 著者は、弁護士ではなく、不動産を生業とする業者。 かぼちゃの馬車を紹介しますが、 面白く、理解しやすく、 ドラマのように読めてしまう一冊と思えます。 今、読み途中の感想です。 読み終えましたが ダメですね。 借金で死ぬ必要は無いですが、 しかし、破産にしても、特別調停にしても、任意売却にしても、 全ての財産を失うことは避けられない。 借金整理のウルトラcは存在しません。 要するに、無謀な投資をして、債務超過に陥った人達の相談を受け、 多様なネゴで、どうしようもない事案の解決を商売とするプロの本。 解決しなければならないトラブルですし、弁護士にも解決できない。 だから、この種のプロが登場するのですが、所詮は事件処理の人達。 「驚くような小気味の良い解決策」が提言されているわけではない。 要するに、 開き直るという手法を語っているだけです。 幻冬舎メディアコンサルタントの 自費出版本(著者の商売広告本)なのだ。 こういう本を 一般の書籍として 有料で売り出す幻冬舎商法は詐欺に近い。 P3 多くの投資家が、そんな営業文句を鵜呑みにして物件を購入しました。 ところが運用を始めてみると、「かぼちゃの馬車」には閑古鳥が鳴きました。何カ月どころか、竣工から1年以上経っても入居者を獲得できず、実質の家賃収入がゼロの物件もありました。 それは相場からかけ離れた高い家賃であったことが主な原因です。しかし、多くの投資家はそれに気が付いていませんでした。なぜならサブリース契約のため、空室であっても家賃の入金があったからです。 それは相場からかけ離れた高い家賃であったことが主な原因です。しかし、多くの投資家はそれに気が付いていませんでした。なぜならサブリース契約のため、空室であっても家賃の入金があったからです。 P18 設立わずか5年で約800人に1万1259戸以上の新築シェアハウスを販売したスマートデイズ。2013年7月期には売上高4億4500万円だったのが、2017年3月期には316億9600万円と、2012年8月の創業以降、勢いよく成長していた企業でした。 P25 そもそもスマートデイズは、人材紹介による収益ではなく、「下請けである建築会社からのキックバック」で収益を上げていました。 スマートデイズは、オーナーに対して相場より高い値段(例えば、実際の不動産価値は6000万円のところ、1億円以上)で物件を販売します。そして「コンサル料」という名目で50%の紹介料を受け取り、そのお金を家賃保証の原資として使っていたのです。 |
篠田節子 幻冬舎文庫 2019/05/08 お気に入りの小説家が エッセーを書いていた。 しかし、なぜ、なんでもない事象を表した文章が、 読みやすく、読んでいて楽しく、納得感があるのだろう。 小説家の仕事は、 何も無いところから嘘を作り出すこと。 しかし、 それは「作り出した嘘」では無く、 事象に対する洞察力の先にある嘘ではないのか。 ちょっと恥ずかしくなり、 「百箇条」の原稿の1つを没にしました。 嘘を書くとしても、 空論の嘘ではなく、 事象に対する洞察力の先にある嘘を書くべきだと。 小説家になる為には、 そこに存在する事実をリアルに表現するために事象に対する観察力が必要になり、 そして、事象に対する観察力が、その事象の因果関係などの深い洞察力を生む。 つまり、最初に必要なのは事象に対する深い観察力なのだ。 事象に対する観察力がなく、 事象の因果関係を述べれば 「誰の味方でもありません」という 社会学者の浅い一冊が完成する。 P10 しかし小説家に対し身辺雑記的随想を書けなどというのは、嘘をつくことを商売としている人間に、本人の日常を書けと言っているわけで、出来上がった作品が自己演出だの粉飾だのというかわいいものにとどまるわけがないのである。 面と向かって嘘をつくのは悪いことだが、ワープロを叩いているときは、どんな嘘を書いてもいい、小さな嘘だからリアリティーがなくなるのであって、どうせつくなら大きな嘘をつけ、などと平然と言い放つ連中に、身辺雑記、自叙伝、自分史など書かせたらどうなることか……。 P229 しかし実際のところ、自分の内面世界が世間に理解され、書きたいものを、書きたいときに、書きたいように書いて称賛される小説家などまずいない。 P231 自己表現と普遍性をめぐる葛藤は書く側には常にあり、それが結果的に作品に緊張感と客観性を与えることになる。同人誌や自費出版の作品との大きな違いは、水準を別にすればそこにあるといえよう。無頼と破滅型で、小説家をやっていることはできない。現在でも一見それ風の作家はいるが、たいていはポーズで、実生活ではしっかり所得税の計算をしていたりする。 何より小説を書くというのは、硬い岩盤を手作業で掘り抜くような、才気よりは根気のいる作業だ。 また注文を受けた以上、途中で放り出すわけにはいかない。書けない、乗らない、は通用しないのである。 自分を見つめるために放浪の旅に出たり、傷心を癒すために何カ月も湯治などに行ったりしていれば、サラリーマンなら机がなくなるが、小説家は、注文の電話がなくなる。 世の中になくても、いっこうに困らないものを作り出す不耕貧食の徒だからこそ、それを生業としたとき、勤勉という今ではすっかり廃れてしまった美徳を持ち続けなければならないのである。自由業どころか、生活のほとんどを仕事に取られる不自由業だ。 それでも小説家は三日やったらやめられない。書きたいテーマがあり、それを表現する喜びがあるというのも一つだ。同時に、たった一人でトンネルを掘るような作業の中で、数千、数万の見知らぬ人々と、心がつながるような、不思議な手応えを感じる一瞬があるからでもある。 P234 三十代を過ぎてさしたる志も決意もなく書き始めた小説が、自分の生業になってしまった今、裁判所調査官やその他の試験に落ちたこと、子供ができなかったこと、悶々として役所勤めをしていたことなどをひっくるめ、何かが「君の人生はそっちじゃない」と脇道を塞いで、本来行くべきところに私を導いていったような気がしてならない。もし信仰があるならそれを神と言い、運命論者であるなら運命と呼ぶだろう。 残念ながら私はその両方に縁がない。だから、「自分の資質と違う道を選んでも、成果は上がらず、結果的に、もっとも自分に適した生き方をすることになる」と結論づけるしかない。 P264 売るために通俗的な作品を書く必要はないし、最初からそんなつもりで書いた作品は、結局は売れない。書きたいことを書きたいように書いてこそ小説なのだが、そのためには、まったく作者のことを知らない読者が、納得し、おもしろいと感じてくれるようなあらゆる工夫を凝らさなければならない。ストーリーテリングも人物造形もそのためのものなのだ。 |
秦 剛平訳 講談社学術文庫 2019/05/08 永久保存本を 本棚から引っぱり出して再読してます。 目には目をは298頁。 民法717条の「土地の工作物等の占有者及び所有者の責任」は299頁。 民法と刑法を分離したのが現代の法体系ですが、 これは分離しない方が良かったように思います。 犯罪者からは財産を没収して被害補填に充てる。 窃盗罪や暴行は奴隷化して被害弁済まで働かせる。 東京大塚で暴走して母子を殺した暴走老人などは 損害賠償(民事)は賠償保険で填補し、 業務上過失致死(刑事)は執行猶予になるだろう。 その後、自宅で安楽な生活をする。 それは不条理だろう。 全財産を没収するのが社会正義だと思う。 P298 彼は命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷を与えよ。 もし人が自分の家僕の目か自分の端女の目を撃って、完全に失明させたなら、彼は、彼らの目の償いとして、彼らを自由の身にして送り出さねぼならない。もし(人が自分の)家僕の歯か自分の端女の歯を折ったなら、彼は、彼らの歯の償いとして、彼らを自由の身にして送り出さねばならない。 P299 「もし人が穴を開けるか穴を掘るかし、それに蓋をせず、(そのため)そこに牛か驢馬が落ちれば、穴の所有者は賠償する。(穴の所有者は)それらの所有者に(賠償)金を支払うが、死んでしまった(家畜)は彼のものとなる。 もしある人の牛が隣人の牛を突いて死なせれば、生きている方の牛を売って代金を折半する。また、死んだ牛を折半する。 牛に以前から突く癖があることが知られていて、(しかもそのことが)所有者に(よって)証言されていて、(所有者が)それを処分していなければ、彼は牛には牛で償うが、死んだ牛は彼のものとなる。」 |
佐宗邦威(デザイナー) ダイヤモンド社 2019/05/08 未来を見通すクリエイターとしての生き方。 そのように定義すれば良いのでしょうか。 著者の実績も、その業界のことも知らないので、 読み取るのに苦労する業界的な発想が盛り沢山です。 たとえば、美術品を逆さまにスケッチする方法(151P)。 既存の発想に囚われない、いや、既存の発想から解脱するための手法。 知ったかのように未来を語るのではなく、自分の中から湧き出たビジョンに拘る。 その為には、自分の中に存在する妄想をビジョンとして認識する柔軟な思考が必要。 本書のような難解な一冊を読むためには、まず、最終章を読んでみることです。 P255 他方、個人が長期的な取り組みを継続するためには、本人の内側から湧き出てきた「妄想(ビジョン)」を駆動力にするのがいちばんだ。 僕自身、数々のイノベーションに関わるなかでわかったのは、成功するプロジェクトとそうでないプロジェクトの違いは、そこに「妄想」を持った人がいるかどうかでしかないということだ。 目の前の世界はどんどんと移り変わっていくし、短期的には失敗や障害も出てくるだろう。その長い失望の期間に耐え得るのは、あなたの内面から掘り起こした「好き」や「関心」をおいてほかにない。「自分モード」こそが、目の前の変化の波に流されないための「錨」になってくれるのだ。 これは起業家やイノベーターが抱くような「事業ビジョン」のことだけに限らない。それぞれの人・組織が持つ「こうだったらいいのにな……」という理想を「錨」にする生き方は、今後の社会において、より一層の重要度を持つはずだ。 クリエイティブな習慣が身につくと、たとえば「ブランド品を買って満足する」というような大量消費にも興味が向かなくなるだろう。人は何かを生み出しているとき、まさにその行為自体から幸福感を得ることができるからだ。 将来、AIやロボティクスがインフラとなり、人間の活動の一部を代替する時代が来るのだとすれば、自分自身のビジョンを具現化し、自分自身を充足させられる力は、決定的な強みになるように思う。また、そうした力や習慣を持つ人を増やすことこそが、社会全体の幸せを実現するうえでも必要になるのではないだろうか? 短期的な成果を期待して駆けずり回る「他人モード」を続けていては、めまぐるしい変化に振り回され、いつかは疲れ切ってしまうだろう。「自分モード」のスイッチをオンにしておきながら、背中を押してくれる「大波」を待つ――そんな心がまえでいるほうが毎日楽しいし、結果的にどこかで「期待を超えた爆発」にめぐり合える可能性は高くなるだろう。 |
古市憲寿(社会学者) 新潮新書 2019/04/30 大学の先生が、 あちらこちらの事象を観光客として語る(18P)。 自分と従業員の人生を背負って事業を経営する経営者、 専門的な知識と他人の人生という責任を背負う専門職、 屈辱に耐え、恥をかきながら仕事をする大多数の人達、 そのような生活実感を持たない著者が語る社会の分析。 文字を書くプロなので読みやすい文章を書きますが、 本書で納得するのは生活実感の無い人達だけだろう。 せめて、自分が背負う人生を基礎に語って貰えれば、 著者の文章にも幾らかの実感が出現すると思います。 不出来な子のことも、愛情が冷めた嫁さんのことも語らない。 窓越しに社会を分析する「社会学者」の一冊。 いや、しかし、このような書評では本書の意味が通じない。 次(5頁)のような中学生の主張で作られたのが本書です。 浅すぎる人生観、 読み続けることは出来ない。 読み進めるのが嫌になってしまう。 おそらく、著者は、自分の人生観の浅さに気付いていない。 文系の大学教授のほとんどは、そのような人達なのだけれども。 P5 だけど自分が書いたり発言する時に意識していることがある。まず「正論」を振りかざす時には、謙虚であること。誰も逆らえない「正論」という武器を使う時には、よほどの抑制が必要だ。「正論」を自己顕示欲の発露に使うのはダサいという個人的な好みもある(今、具体的にダサい作家や評論家、ライターの顔を頭に浮かべている)。 そして「正論」を疑ってみること。いくら「正論」といえども、時代や環境が変われば、「正しさ」は変わってしまう。完全無欠に見える「正論」に穴がある場合もある。 それならば、絶対的な「正しさ」を追求するのではなく、一歩引いて社会を見るくらいが丁度いい。そんなスタンスで書いてきた文章をまとめたのが、この本だ。 |
清田幸弘(税理士法人代表) あさ出版 2019/04/30 ランドマーク税理士法人という 資産税で売り出している事務所。 その事務所の所長が 「社長、その税金、ゼロにできる」というのなら読んで見る必要がある。 いや、しかし、看板に偽りがあり。 税金をゼロに出来るのは相続税に限り、 それも納税猶予を利用した場合に限り、 その解説も、納税猶予制度の解説に劣ります。 そもそも、 40頁の「悩み」を想定したマッチポンプ型の解説。 これらの悩みがあっても、子供達が仲が良ければ問題は無い。 本書を読んで確信したのは、 先走った株式の贈与、売買、事業承継など考えず、 死亡退職金、あるいは相続後の自己株式の取得で充分。 そのような逆説的な結論でした。 本書にあるアドバイスを真面目に聞いて実行したら、 相続関係はグチャグチャで 多額な手数料と無駄な税金で大変。 株価の引き下げ方法が、 P124というのもお粗末。 類似業種と純資産価額の割合によって全く影響が違う。 配当を出すか否かなどは相続税対策以前の経営判断の問題です。 相続税対策のために機械設置を行う経営者は存在しないと思う。 事業承継は、 本書に書かれたような 頭で考えたテクニックではなく、 「思想」と生活実感に基づいた知識、 それに人生観が必要なのだと思います。 P40 事業承継には、相続税や贈与税における株価評価、納税資金の調達などの複雑な問題が数多く発生します。「ランドマーク税理士法人」の「事業承継支援室」(国税局の個人課税課、法人課税課、資産課税課出身の税理士を起用した専門チーム)にも、さまざまな相談が寄せられています。 事業承継の悩みの中でとくに多いのが、次の「5つ」です。 ・悩み@ 自社株式が分散している ・悩みA 先代経営者が株式を手放したがらない(47ページ) ・悩みB 親族内に後継者がいない(54ページ) ・悩みC 親族間に感情的なもつれがある(60ページ) ・悩みD いつから事業承継をはじめていいかわからない(65ページ) P72 ■ 事業承継税制を使えば、相続税も贈与税も「無税」にできる P124 【自社株式の評価額を下げる方法】 @ 配当を出さない、あるいは配当率を下げる A 不良債権の償却などで経費を増やす B 機械設置、建物、不動産などに新規投資する C 役員退職金を支給する D 損金経理できる生命保険、傷害保険に加入する |
朝日新聞出版 2019/05/07 人工透析になったら怖い。 透析になった後の参考書ですが、 本当は、透析にならない為の参考書が欲しかった。 週刊朝日MOOKなんて本を注文したのが間違い。 新聞社が、 広告料を集めて造った一冊。 こういう本を市販するのは詐欺商法だと思う。 糖質ダイエットとして、 小麦粉や米を避けて、肉類、特に、牛肉に寄せているのですが、 牛肉は腎臓には負担なのだ。 果物は、肝臓にも、腎臓にもよろしくない。 何を食べれば良いのだろう。 P46 腎臓病ではたんぱく質の摂取を減らすことが重要ですが、肉はほぼたんぱく質なので制限が必要になります。食べる分量は今までの6割程度に抑え、なるべくたんぱく質の少ない部位を食べるようにしましょう。牛肉、豚肉、鶏肉の中で、100グラム中に含まれるたんぱく質が最も多いのは鶏のささみです。ささみは高たんぱく低カロリーなので、ダイエットにはよいですが腎臓にはやさしくありません。牛肉はヒレ、豚肉はモモなど赤身の部分にたんぱく質が多く含まれています。肉を食べるときは、牛ならサーロイン、豚肉ならロース、鶏であれば手羽など脂分の多い部位を選びましょう。量が少なくて食べた気がしないという場合には、カツやフライ、天ぷらなど衣をつけて揚げ物にし、ボリュームアップすると満足感が増します。 |
モカ 光文社新書 2019/04/30 「経営者、漫画家、元男子、哲学女子」を名乗るモカさんの生き方。 12階から飛び降りて、生き残り、自分の生き方を発見(確立)した。 「生きることをつらい、つらいと思うから、よりつらくなるんだ。日々の痛いことから意識をそらし、痛くないこと、楽しいことを考えることは、『生きるヒント』になるんじゃないか」 そのように病室で学んだ(?)モカさんの、その後の生き方。 いや、ただ、残念なのは、モカさん自身の執筆ではなく、 朝日新聞の記者の執筆であること。 どんなに文章が上手でも、 プロが語る紹介本には限界がある。 才能がある方なのだから、自分で文書を書いたら良いと思う。 |
坂東眞理子(昭和女子大学長) 小学館 2019/04/26 1946年生まれの著者が70代を語ります。 私が「税理士のための百箇条」に書き連ねたことと同様のことを語ります。 人生70年時代の先入観のまま晩年として生きるのはもったいない。 他人の光の部分と比べて劣等感を持つのでなく、それぞれの人の持つ影の部分も見たうえで 相手に与えることができること自体を喜び、お礼の言葉や感謝を期待するなんて以てのほか 年寄りが、歳を重ねたら、何を言っても許される、というのは甘えである。 全て、もっともだと思う。 嫌われる年寄りにならない為にも自戒しよう。 本書と百箇条の違いは、 本書が、微妙に説教であるのに対して、 私の百箇条は探求の書であること。 「70歳を過ぎたら意識して新しいものを着よう(143頁)」は納得です。 この頃、衣服の物持ちが良い。 悪くならない衣服を捨てるのも気が重い。 着慣れた、お気に入りは着用するのが心理的に楽だ。 そのような 怠惰な発想に負けることなく 新しいものを買い求めよう。 70歳を過ぎたら、 センスでも、風格でもなく、 小綺麗であることが重要なのだ。 衣服売り場の散策を習慣化しよう。 P2 70代というのは新しいゴールデンエイジ――人生の黄金時代である。最も人生で幸福なのはいつ頃か――と問われたら現代では70代ではなかろうか。人生100年時代が現実となり、まだ多くの人は健康である。運悪く病気やケガで介護を必要とする人もいるが、大多数の人は、自分で動き回ることはできるし、しっかり考え判断することができる。まだ家族を支え、友人を助ける力もある。 しかも、30代、40代の頃のように仕事や子育てに追われることもなく、50代、60代のように人生の新しいステージに対するあせりや不安も少なくなっている。何はともあれ今まで生きのびてきたのは健康や幸運に恵まれたからである。支えてくれた人に感謝し、一日一日の新しいチャレンジに心を躍らせる。自分の人生を少し高い視点から俯瞰し、総括する境地に立って、続く80代や90代に備える心の用意ができる時代である。かつては60歳が還暦として人生の節目とされたが、今は70歳が人生の節目であり、次のステージへの出発点になるのではないか。 その貴重な70代を、人生70年時代の先入観のまま晩年として生きるのはあまりにももったいない。そろそろ人生のイメージを変え、そして何よりも私たちの70代にかかわる後ろ向きのイメージを変えることが必要である。 P36 P41 P46 P66 P94 P99 P143 50、60代までは質の良いものを長く着ているのが品格のおしゃれだが、70歳を過ぎたら意識して新しいものを着よう。ドレスやスーツを1年に1着は新調する。インナーやシャツは新しいものを買い、くたびれたTシャツや黄ばんだブラウス、染みのついたスーツは処分する。 |
渡貫淳子(調理師) 平凡社 2019/04/16 主婦が、 南極の昭和基地の 料理担当者として越冬する。 越冬生活がリアルに分かります。 言い争いが生じた場合の解決例が参考になりました。 相手が信頼してきたら、信頼を返す。 相手が裏切ってきたら、裏切る。 また、相手が信頼を返してきたら、信頼を返す。 しっぺ返し戦略の3段目の戦法は難しいと思うのですが、 その実践事例が語られてました。 P130 そんなこんなで40代のおばちゃん(私)と50代のおじいちゃんは延々2時間に及ぶ、激論を交わすこととなった。気が付けば最初に相談を持ちかけた若い隊員は傍らにおらず、Barに居合わせた他の隊員も面倒なことには干渉しないスタンスで傍観していた。 誰かが仲裁に入ったところで、おじいちゃんのジレンマが消えることはないだろうし、私もみんなの食事を作るために南極に来ている。その仕事を否定されては私の存在意義がなくなる。「越冬生活が始まったばかりなのになんで……。この人と長い越冬生活を乗りきれるのか?」と考え始めたら涙が出てきた。悔し涙だったが、おじいちゃんはそこで我に返り、焦ったようにBarから退散していった。 結論が出ていないのだから、私の気持ちが落ち着くわけもない。しかも討論しているうちに入浴時間を過ぎてしまい、お風呂にも入れずじまい。せめてお風呂に入ってすっきり気持ちを切り替えられたらよかったのに、それもできなかったことが余計に腹立たしかった。でも翌日の朝食の準備のためにも寝なくては、と思って自室に戻ると、例の薄い壁の向こうから、敵のいびきが聞こえてくるではないか。いっそのこと壁をどんどん叩いて安眠を妨害してやろうかとも考えたが、何とか思いとどまった。気持ちが高ぶって寝られないかとも思ったが、1日の疲れと、泣いて余計にエネルギーを消耗したからか、すぐに眠りにつくことができた。ひそかに「明日のお昼ごはんは作ってあげない!」とも思っていたが、そんな思いは数時間後に解消することとなった。 P131 |
渡邊浩滋(税理士) はる出版 2019/04/08 ご自身で賃貸業を経営する税理士の一冊です。 5棟86室で 年間手取りがマイナス200万円だった賃貸業(家業)を引き継いで 1400万円のプラスにしたそうです。 私には 得るところはありませんでした。 賃貸業経営の多様なテクニックを語りますが、 賃貸業経営に必要なのは思想です。 私が述べる賃貸業の思想は次です。 実践から語る不動産賃貸業 ただ、 賃貸業を経営しているのは、 私ではなく、私の妻です。 弁護士業と賃貸業を兼務することはできません。 誰か1人が専属で集中できる仕事は1つです。 妻に「弁護士の妻が語る賃貸業」という本 これを執筆するように奨めているのですが、なかなか。 P180 金利が低いことよりも、融資期間を長くする方が手残りは残ります。さらに、法人化すると、節税も加わって、手残りが一番多く残ることになるのです。私が実際に関与して法人化を使った借り換えをしたビフォーアフターです。 |
山田宗樹 幻冬舎文庫 2019/04/02 随分と昔に テレビドラマで放映されました。 ドラマ自体に面白さがあったのか否か、 その記憶はないのですが、 「嫌われ松子の一生」というタイトルは刺激的です。 希にですが、 そういう方に出会うことがあります。 あの人は「嫌われ松子の一生」なのだと。 さて、 本当のストーリーは、 どんな具合だったのか。 気になって手にしたのですが、 とても上下巻を読む気にはなれない暗い話し。 本人には「嫌われる」原因があったのではなく、 必然性が作り出した悲劇のストーリーです。 私が、希に出会うのは、 本人に原因がある「嫌われ松子の一生」です。 P302 龍さんが、ゆっくりと、うなずく。 松子が学校を辞めることになったのも、失踪したのも、すべて私のせいです。私が傷害事件を起こして、少年院に入る直前のことでした。私は、修学旅行先で、お金を盗みました。 別にお金に困っていたわけではありません。家は貧乏でしたけどね。ただ、目の前に無防備にお金が置いてあったので、盗っただけです。罪の意識なんか、ありませんでした。逆に、これで学校が困れば愉快だ、くらいに思っていました。 私はもともと、問題児扱いされてましたから。事件はすぐに発覚して、教師のあいだでも騒ぎになって、私の仕業らしいとわかったのでしょう、担任だった松子がやってきて、私を問い詰めました。私は知らないふりをしました。それで松子は、責任を感じたのでしょうか、自分が盗ったことにして弁償し、内々に収めようとしたのです。 しかし、それが学校側に漏れて、ほんとうに彼女が盗ったことになってしまった……松子は、私の自宅まで来て、私に罪を認めるよう迫りました。窮地に追いつめられていた…様子でした。私は、そんな松子を冷たく追い返し……すぐに学校に電話をかけました。たったいま川尻先生が、生徒である私の自宅に押しかけて、罪を被るよう脅したと……」 |
キム・スコット 東洋経済新報社 2019/04/02 シリコンバレーでリーダーになるための教材です。 おそらく、 日本の企業には存在しないリーダー学ですが、 taxMLの発想は、本書に書かれたところに近い。 そもそも権威者が存在しないのがtaxMLですが、 間違った発言にこそ価値があり、 その間違いを指摘する発言にも価値があり、 権威者の意見を引用する発言には価値が無く、 妥協した発言にも価値がない。 自身が権威者と思っている人達、 否定されることが嫌いな人達、 そのような価値観を認めず、 結果が良ければ全て良し。 議論は、 ぶつかり合えば、 ぶつかり合うほど価値がある。 P8 マットだけでなく、グーグルの全社員に向けて、権威に立ち向かってもまったく大丈夫なのだと伝えているように見えた。特に、創業者である自分を批判しても大丈夫だと言っているようだった。 そこで交わされていた議論を、「親切」か「意地悪」か、「失礼」か「礼儀正しい」かなどという基準で判断しても意味はなかった。それは生産的で協力的な議論だった。そして自由だった。正解に向かってみんなが努力していた。ラリーはどうやってそんな環境を作れたのだろう? わたしはラリーのやり方を真似ることにした。わたしが部下に「意見する」のではなく、「わたしが間違っていたら教えてほしい」とチームメンバーに頼んだ。メンバーの誰もがわたしを批判できるよう手を尽くし、わたしと話しやすくなるようなお膳立てをした。 はじめに何度かつまずいたあと(これについては、またあとで話したい)、チームメンバーが心を開きはじめた。自由に議論ができるようになり、一緒にいるのが楽しくなった。 P165 ある同僚は、スティーブと議論になり、納得できなかったけれど結局自分が引き下がったと話してくれた。その後、わたしの同僚の意見が正しかったことが明らかになると、スティーブはずかずかと彼のオフィスにやってきて怒鳴りはじめた。 「でも、あなたのアイデアですから」と同僚は言った。すると、スティーブはこう返した。「そうだ、俺が間違っていると説得するのがお前の仕事なんだ。そうできなかったのはお前のせいだ!」。 それからは、彼はもっと激しくスティーブに反論し、どちらかが正しいと納得するまで徹底的に議論した。スティーブは自分の間違いを認め、周りの人たちに徹底的に反論させることで、正解にたどり着いていた。スティーブ流は誰にでも真似できるものではない。彼は恐れず反論してくれる人を雇い、もっと大胆になるように励ました。 別の友人も、スティーブと言い争った時のことを教えてくれた。彼女はスティーブが間違っていると説得できたものの、スティーブは彼女のアイデアをまるで自分が前から考えていたように披露した。 スティーブは正解を得ることに集中するあまり、それが誰のものかなど気にしていないだけだろうと彼女は思った。とはいえ、そんなやり方は、手柄が欲しい人にはムカつくものだ。しかし、間違いを恐れず、自分が正しいかどうかより、正解にたどり着くまで周りの人に反論してもらおうと常に努力することが、アップルの並み外れた実行力につながっていた。 |
小川 洋 朝日新書 2019/04/01 地方の大学と、 地方銀行と、 市町村などの地方自治体。 殿様商売だったのですが、 平成の30年間で存在価値を失い、 消滅することは避けられない団体です。 次の令和30年間で本当に消えてしまうと思う。 P84 それをよく表していたのが、83年に大ヒットした連続テレビドラマTBS系列の『金曜日の妻たちへ』だったと思われる。 主人公は東京郊外の新興住宅地に住む、3組の中流家庭の夫婦である。夫は40歳前後の会社員や公務員、妻のうち2人は34歳で短大の同級生という設定である。当時34歳であれば、1949年生まれの団塊の世代で、彼女たちの世代の大学進学率は短大を含めて20%程度、四大進学者はそのうちの3分の1程度に過ぎなかった。彼女たちは、中の上の家庭環境で育ったことになる。 女性主人公のうちの2人は子育ての最中だが、女性たちは、夫とともに家族同士で趣味やスキー旅行を楽しむなど、新しい夫婦像を示していく。その後、不倫問題から、1組の夫婦は離婚に至るが、夫に別れを告げた妻は、新しい人生を始めるためフランスに向かうという展開をしていく。ドラマを熱心に見ていた同世代の母親たちは、女子も男子と同等の教育を受けて社会に出て、家庭においても男女は対等な関係であるべきだし、いざとなったら独りで生きていかねばならない、というメッセージを受け取った。 P89 女子大には偏差値を落としている大学が多く、学部・学科再編の動きが遅かった大学ほど落とす傾向が強い。団塊ジュニア世代の受験でいずれの大学も難化した時期の92年、女子大の最難関は津田塾大学芸学部でベネッセの偏差値が74、次いで東京女子大文理学部(現・現代教養学部)が70と、早慶に並ぶ難度であった。しかし17年には、それぞれ65、64と、大幅に易化し、いわゆるMARCHと同列の地位にまで下がっている。白百合女子大文学部も同時期に63から55へ、また横浜のフェリス女学院大文学部も64から56へと、それぞれ大きく下げている。 P92 首都圏の私大では、東京の定員割れは130校中14校(10.8%)に留まっているが、埼玉県26校中9校(34.6%)、千葉県37校中7校(18.9%)、神奈川県24校中6校(25.0%)と、周辺部の私大の苦戦が目立つ。 P93 千葉県では、以下のとおりである。愛国学園大(62.5%)、川村学園女子大(65.7%)、聖徳大(66.7%)、開智国際大(70.2%)、千葉科学大(71.0%)、明海大(81.6%)、城西国際大(87.3%)の7校である。愛国学園大から千葉科学大まではすべて偏差値は35となっている。 |
岡口基一(裁判官) 岩波書店 2019/03/29 パンツ裁判官の分限処分に対する反論の書です。 他人の人生を、死ね、別れろ、刑務所に入れ、カネ払えと決める権限を持つ裁判官。 個人としては何の特別の存在でも無い人間に、それだけの権力を与える。 裁判官が、「お前、死ね」と言ったら、 それが冤罪でも国民は従う義務がある。 なんら特別の存在でも無い人間に、 それだけの権限を与えている。 そのことについて裁判官は自制的であるべきと思いますので、 個人として行動することは自由だと主張する、 著者の主張には賛成できません。 発言の自由と言っても、 裁判官がパンツでネットに登場する必然性は無い。 だから、著者が、 本書で主張することに興味は無いのですが、 そもそも裁判官の生活などに興味も無いのですが、 ただ、私と同時代にネットの社会に登場したことと、 本書に私の名が登場したことから、その部分を引用しておきます。 それと、現在の弁護士のレベルについての裁判官側からの評価も。 しかし、 こんなことで騒いで、 人生を棒に振るほど、 ネットでの閲覧者の数の多さは 麻薬的な魅力があるのだろうか。 ユーチューバーや ブロガーの人生なら意味は分かりますが、 裁判官でも落ち込んでしまう蜜の味なのだろうか。 P2 当時は、個人がネットで情報発信をするためには、「ホームページビルダー」などのソフトを使ってHTML文書を作成し、それをネット上のレンタルスペースなどにアップするしかなかった。法曹の中でも、ホームページを開設していたのは、私の知る限りでは、岡村久道弁護士、関根稔弁護士、小松亀一弁護士、小倉秀夫弁護士くらいであった。 P3 このホームページは、匿名で開設していたにもかかわらず、裁判所書記官や法曹関係者に評判となり、その開設者が私であることも多くの人が知るようになっていた。私は、『要件事実マニュアル』のシリーズ(全五巻、ぎょうせい)をはじめ法曹向けの書籍の著者であり、私の名前自体は知る人も多かったが、その著者である裁判官によるホームページであることが狭い業界において口伝えに拡がっていったのである。 P155 まず、弁護士人気の陰りが、法曹全体の能力低下要因となっている。優秀な人材が法曹界に入ってこないという問題である。司法制度改革の一環として、政府は2002年、司法試験の年間合格者数を「2010年には3000人」とするとの目標を掲げた。この数字は15年には「少なくとも1500人以上」と下方修正されたが、制度改革以降、合格者増により弁護士が過剰となった。弁護士になっても食べていけないという評判が広まり、多くの人がそれを信じるようになった。 とたんに司法試験は人気を失った。予備試験経由の合格者が増えたこともあって、法科大学院の志願者は、制度創設時である2004年度の延べ7万2800人から2018年度は延べ8058人にまで減少した。また、司法試験の受験者数も2018年は約5200人にまで減少し、そのうち約1500人が合格するという大甘の試験になってしまった。合格率は約29%まで上昇しており、受験者数に比べて合格者数が多すぎるとの批判もある。 この司法制度改革に起因する法曹の人気低下→能力低下をリアルに実感しているのは、裁判所の窓口で基本的な質問をする弁護士に辟易している裁判所書記官だという。その裁判所書記官は、むしろ法科大学院出身者から採用される流れができたことで、逆に大きく能力を伸ばしている。いまでは、裁判官中心の司法研修所よりも、裁判所書記官が中心の裁判所職員総合研修所のほうが、毎年何冊も書籍を出すなど、実務的な影響力を持ち始めている。 |
ヤニス・バルファキス 東洋経済 2019/03/28 読み始めは冗長な文章で面倒と思ったのですが、 最後の章を読んで、その後、真ん中の章に戻って読み直すと、 本書は、「見えざる手」を正義と前提にする経済学に対して、 それでは世界は破壊されるだけだと語る 現在の経済学に対して、より高い上位概念を語る書です。 ギリシャの経済危機の時に財務大臣を務め、 EUから財政緊縮策を迫られたのに対して、 大幅な債務帳消しを主張した。 債務の帳消しのメリット、必要性、正義についても語ります。 債務超過自体は、金融資本を筆頭とする人達が作り出したモノであって、 債務者が100%の責任を負う事象では無いし、 債務帳消しによって立ち直らせることが、 その人達にも、その後の経済にも必要。 それが現代社会の有限責任の制度だと。 著者の思想を、自分の思想として取り込めたら、 社会を語れる知識人になれると思う。 しかし、現実の経済に染まり、 そのシステムの中で生きる者としては、 著者の思想を消化して受け入れることは、 現実の社会を否定するほどにコペルニクスに見えて怖い。 見えざる手の理屈を否定し、 強欲の経済学を否定してしまったら、 その後に、どのような方法で資源を配分するのか。 しかし、 民主主義が金属疲労の状態であるのと同じく、 自由競争社会が金属疲労の状態であるのも事実。 しかし、 それらを超える思想は イスラム教しか存在しない。 西洋の思想家(経済学者も含めて?)は、 宗教と古典に通じていることも魅力です。 P239 経済学者が数学を使うから科学者だと言い張るのは、星占い師がコンピュータや複雑な表を使うから天文学者と同じくらい科学的だと言うのと変わらない。 私が次のようなことを言うと、仲間の経済学者はもちろん腹を立てる。 「経済学者も星占い師みたいに科学者のふりをし続けてもいいのかもしれない。だが、経済学者はどちらかというと科学者ではなく、どれほど賢く理性的であっても人生の意味を確実に知ることはできない哲学者のようなものだと認めたほうがいいのでは?」 しかし、経済学者がせいぜい世慣れた哲学者のようなものだと白状してしまったら、もはや市場社会を支配する人たちは経済学者を歓迎してはくれなくなるだろう。彼らの正当性は、経済学者が科学者のふりをすることで担保されているのだから。 P109 P115 P117 P205 P207 P215 P229 P231 P235 P237 P239 P240 |
廣升健生(税理士) 清文社 2019/03/25 通帳や、伝票を入力していたのでは生き残れないのが税理士業。 では、どのようにデジタル情報を自動的に取り込んでいるのか。 AI時代のサバイバル戦略として、 自分の事務所のクラウド化を語る。 クラウド会計にして、 在宅勤務を可能にした。 その一点のように思えるのですが、違うのだろうか。 入力業務も、 申告業務も、 私は担当していないので読み取れない。 P21 例えば、会計帳簿の自動作成で効率化した時聞と在宅で業務が可能になった場合に短縮できた移動時間を天秤にかけた場合、移動時間の短縮の方が効果として大きいはずです。 また、顧問先から預かった資料がどこにいったかを探す手間やその資料を整理しにいく事務所への移動時間……。このような時間を効率化していくためにクラウド会計ソフトを活用する、さらにもっと大きな視点で会計ソフトだけでなく会計事務所で行う業務全般についてクラウド化を考える必要があります。 |
本山 敦 経済法令研究会 2019/03/22 定期購読している 「金融・商事判例」の臨時増刊号です。 多数の大学教授の分担執筆で、 少しは議論に進化があるかと期待して読んだのですが、全くダメ。 32で紹介した 「一問一答 新しい相続法」と同レベルの一冊で、 32に記載した疑問の1つにも答えていない。 配偶者居住権、 遺留分侵害額の請求について、 実務では、どのように対応すれば良いのだろう。 配偶者居住権は無視(利用しない)として、 遺留分侵害額の請求として5億円を請求されたら、どうすれば良いのだろう。 遺言書を作成するについて、侵害額の請求に備えて、何と書けば良いのだろう。 |
野上 祐(朝日新聞政治部記者) 朝日新聞出版 2019/03/19 朝日新聞の政治部の記者が すい臓ガンになり、完治不能、 いや、治療不能を宣告された後の現状、 運命、感情、医師、医療などの闘病生活と、 新聞、政治、取材などの自身の仕事を語ります。 文字で生きてきた方なので、 それらを言葉で定義していきます。 「すべて言葉に置き換えて説明し尽くせないと、落ち着かない」という発想です。 私も、 同様の立場になったときは、 いや、いずれ、その立場になるのですが、 同じように自問自答し、 自分の運命について、 言葉で表現できる答を見付けるのだと思います。 しかし、答なんて存在しない。 いや、 私が見付けた答などに 身内も、他人も関心を示さない。 多様な事柄を言葉で告げられる 周りの人達は迷惑だろうと思います。 本書から得た教訓として、 自分の命などは、 周りの人達にとっては大きな問題ではない。 自問自答は習い性で避けられないかもしれませんが、 それを語るのは3%、5%程度にしようと思った一冊です。 何かを残すとしても、 預金通帳の方が家族は喜ぶだろう。 あんまり恥をかかずに死んでいこうと思う。 死ぬことが確定してからの言葉など残したくはない。 年寄りになると、 いや、病人になると、 自分の最大の関心事は「自分」になってしまう。 自分を主人公にした人生など生きてこなかったのだから、 死ぬときも、そのスタイルで死にたいと思う(願望)。 P89 私はがんになってからも「落ち着いている」とよく言われる。それは自分が決めた対処方針に沿い、心をコントロールしてきたからだという自負がある。ところが、それが「死刑宣告」を受けた人間のほとんどにあることだと本に書かれていれば、話は変わる。正直なところ、今の自分にとって大切なのは、心理学的な裏付けよりも、対処方針を自ら練り上げたという自負だ。「誰にでもある現象」と説明されて、自分の努力との関係を疑い出したら、立ち向かう力が弱まるようにそのときは思えたのだ。 P91 なる前のイメージでいえば、もっと感情に押し流され、自暴自棄になっていてもおかしくない気がする。それなのに自分は、良くも悪くも「相変わらず」だ。頭の中や置かれた状況をすべて言葉に置き換えて説明し尽くせないと、落ち着かない。そんな私を私たらしめている理屈っぽさ一つとっても、がんはみじんも変えることができていないではないか。 |
齋藤 孝(教育学) 朝日新書 2019/03/19 文系学者の本に読むべきモノはない。 そんなことは常識なのですが、 どれほどアホな事を語っているのか。 その好奇心から購入してみました。 役職定年になる55才以降を充実して過ごせるのなら有意義な人生だった。 そのように語りますが、さて、その方法は。 ミケランジェロと比較して論じられても、 それって、 我が家の経済を GDPから論じるのよりも距離のある話。 小学生の為の「老後学入門」です。 文系学者は、 このレベルで、 自分が語る事に価値がある そのように思っているのだから幸せな人たちです。 ミケランジェロで挫折しました。 読むだけ無駄な一冊としてメモしておきます。 P6 100歳まで生きるとすれば、50歳はまだ折り返し地点です。余生と言うにはあまりに長い残りの人生を、ため息をつきながら過ごすのではもったいない。ここを充実して過ごせれば、人生の最後に有意義な生涯だったと言い切ることができます。 孔子の言葉に「五十にして天命を知る」とあります。私自身、この本を書いている現在は57歳。まだまだ人生後半が始まったばかりです。 P16 アイデンティティを奪われる50歳 最近、役職定年という制度を導入する会社が増えています。文字通り、ある年齢に達すると、能力や業績にかかわらず部長や課長といった役職を解かれてしまうものです。 その適用年齢は、55歳ぐらいに設定している会社が多いようです。 役職定年になると、たとえば一回りぐらい若い人の指示を受けながら、仕事をしなければならなくなります。仕事をこなすことに問題はなくても、どうしても気分はいいものではない。これまで勤めてきた会社に貢献したい気持ちが残っていても、そのような扱いをする会社に対して忠誠心が薄れてしまうといったことだってあるでしょう。 組織における地位が、自分のアイデンティティになってしまっているような方にとって、その地位を剥奪されるというのはすごく寂しい気がするはずです。日本には、年功序列という考え方がまだまだ強く残っています。自分より年下の、ましてや昨日までは部下だった者の下に付くということは、どうしても堪え難いものです。 P28 仕事とアイデンティティの折り合いのつけ方という点で私が思い出すのが、ルネサンスの巨人といわれるミケランジェロです。 P30 ミケランジェロにとって、絵画は自分の領域ではないという思いがあります。でもあまりにうまいので、頼まれてしまった。しかも頼んできたのはローマ教皇ユリウス2世というのですから、断れるわけもありません。 そんな天才ミケランジェロですら、自分の本分ではない仕事を請け負ってやっていたと思うと、ただの会社員である自分が、少し得意でないことを命じられて不満に思うなんて、なんてちっぽけなことかと思えてきます。 |
ヒロシ だいわ文庫 2019/03/15 「ヒロシです」で売り出した芸人。 一発芸のセンスで、 1ページのコラムを語ります。 本音を書いているのか、装った本音なのか、嘘なのか。 それを追求するのは野暮なのでしょう。 1ページのコラムが一発芸として完成してます。 それでも一冊分のコラムを語れば、 自ずから登場する作者の本音(個性)があります。 いや、しかし、 人嫌いを演じて、 1人キャンプを楽しんでいる。 そこまでは実感のある人生ですが、 そこで自惚れて出版などに手を出すところが人間の限界。 それほどに語るべきことを持っている人生ではないですから。 P57 仕事も終わり、街をひとり歩いていると、さまざまな人とすれ違う。この人たちにもさまざまなドラマがあるのだろうと考えてしまいます。一方、僕はどう思われてるんだろう?いつもひとりで寂しく過ごしている印象が強いのか。自虐ネタをやっていて、ネガティブなキャラクターを演じているけど実は彼女のひとりでもいて、それなりに華やかな生活をしているのか。世間のイメージはいったいどっちなのだろう。 答えはイメージ通り、ひとりで寂しく過ごしている、が正解。人見知りと極度の人間不信から、とても芸能人のそれとはかけ離れた生活を送っています。街ゆく人の中にサラリーマンが飲み会帰りで盛り上がっているのを見ても羨ましく感じるくらいです。 そんなとき、ただの仕事帰りなのだろうが、ひとりで歩く女性を見かけます。「田舎から出てきて派手な遊びは苦手なんだけど、ひとりじゃ寂しい。誰かご飯だけでも一緒に食べてくれないかな〜」って考えて歩いているのでは?と勝手な解釈をします。まったくない話ではありません。そんなとき僕は、一発屋のヒロシだとばれないようにいつも深くかぶった帽子を、すれ違いざまに少し上げてみます。「あれ、ヒロシさん?」。気づかれて「まあ……そうです。もしよかったら食事でもどうですか?」「はい」という会話を期待しての行為です。しかし女性は見向きもせずに歩みを進めてすれ違うのが常なのです。 |
法務省民事局民事法制管理官 商事法務 2019/03/15 立案担当者が法改正の趣旨・内容を分かりやす解説する。 そのように紹介されている一冊です。 上記を購入したので、 いま読み終えたのですが、何も書いてない。 本当にバカが書いたとしか思えない一冊。 配偶者居住権って、 仲の良い相続人が合意するの、仲が悪い場合を想定しているの。 寝たきり、車椅子などの環境の変化に対応できるの。 そのような制度で配偶者が安住できると思っているの。 余命5年の配偶者を想定するの、余命40年の場合を想定するの。 遺留分侵害額の請求は、 侵害額として10億円が請求された場合はどうすれば良いの。 請求(金額)がされたときから金利が付いてしまうの。 遺留分侵害額が請求されたときはA資産と指定できないの。 居宅が遺贈されてしまった場合も配偶者は金銭請求権しか持たないの。 遺留分減殺請求と価額弁償金でなんの問題があったの。 20年以上の婚姻期間がある場合の持戻し免除は そんな制度(贈与税)を利用している人達がいると思っているの。 特別の寄与分は 家政婦代しか認めない制度に意味があるの。 相続から6ヶ月以内に法的手続が取れると思っているの。 そんなことを実行したら「カネが目当てだった」なんて屈辱的な言葉を聞くことになる。 「税理士のための相続をめぐる民法と税法の理解」 ← pdfファイル これの足元にも辿り着いていない解説です。 民法相続編は、本当に、 この低レベルの思想で改正されたのだろうか(?)。 |
中山祐次郎(消化器外科) SB新書 2019/03/11 奇をてらった説明がなく、 真面目な医者が、 真面目に仕事をしている場面で、 医者側からみた医療を語ってます。 特別の治療法を推薦する医療本や、 自分を医療の改革者のように語る本と違い、 エビデンス(根拠)のある普通の医療を語ります。 普通の真面目な本物の医者が何を考えているか。 それを理解するために一冊です。 P99 この「代替医療」について、先日米国の研究者からこんな研究報告がありました。それは、「代替医療のがん治療は、病院の標準治療より生存を延長させない」というもの。簡単に紹介します。 対象になったのは乳がん、大腸がん、前立腺がん、肺がんの患者さん。このなかで、「代替医療を受けた280人」と「病院の従来の標準治療を受けた560人」の5年後の生存率を比べると、従来の標準治療を受けた人たちのほうが生存率が高かったという結果が出ました。代替医療を受けた人は、従来の標準治療を受けた人よりも2.5倍もの高い死亡のリスクがあったのです。 そして驚くべきことには、代替医療を選ぶ人は高学歴や経済的に恵まれた人々であったのです。 言われてみれば、最近の報道を思い返すと、がんで亡くなった有名人の多くが代替医療を一度は選んでいました。川島なお美さんが「金の棒でこする」などという信じがたいものでがん治療をしたという報道を覚えている方もいるでしょう。 なぜこのようなことが起きるのでしょうか。 理由の一つには、「病院で受けられる治療は誰でも同じ額である」という点があげられます。いいサービスを受けるためには高いお金を払う――これは当然のことのようですが、日本国内の病院で受ける治療に限っていえば、当てはまりません。日本では「標準治療」という名前で、日本中ほとんどどこの病院でも、ほぼ同じ治療が受けられるのです。大金持ちの人も、生活保護を受給していて医療費を支払わない人も同じです。負担額は収入に応じて少しずつ変わりますが、治療内容は変わりません。 そのことが、判断を誤らせている可能性があります。 「治療の効果は、お金を出せばもっといいものになるに違いない」 そう思った人が、高額ながんの代替医療を選んでいるのかもしれません。しかし、前述したように医療は基本的に規制産業です。すべての診断や検査、手術は一回いくらと決められていて、それはどんな熟練医が行っても一年目の研修医でも、また地方でも都会でも変わりません。参入障壁が高く、価格を自由に設定することは不可能で、おまけに医療機関の広告も法律で厳しく規制されているのですね。 P23 P43 P74 P129 |
篠田節子 文藝春秋 2019/03/01 篠田節子の傑作は「カノン」と「イビス」。 その後、大量の著作を出している作家ですが、 いまだ、この2冊を超える著作は見当たらない。 1ページ毎に読めてしまう駄作 1段落毎に読めてしまう薄い本 1行毎に読める普通の書籍に対し、 「カノン」は1文字ずつ読む必要がある。 感情の動きについての繊細な描写、 それを読み落とすのが勿体ないと思う。 3度は読んだと思いますが、 さらに読んでみたくなった一冊です。 夢中になって読んでしまった。 次は「イビス」だろうか。 篠田節子氏はオカルトが良い。 |
太田垣章子(司法書士) ポプラ新書 2019/02/28 家賃滞納を 大量に扱ってきた司法書士が語る、 家賃から見た「貧困」の実態です。 語られる事例の全てについて貧困があり、 生活の樹立ができなかった弱者が登場し、 営業マンに踊らされた家主が登場し、 政府の無策が登場し、 悲劇が登場します。 このような人達を身近に置かない幸せを感じると共に、 このような人達が登場してしまう社会は間違いだと思います。 著者自身が、 シングルマザーの貧困の生活に落ち込む直前だった経験があり 家賃滞納の人達にたいする視点に実感があります。 著者のように這い上がれる人達の数は少ない。 P224 「貴女のせいで、どれだけ肩身の狭い思いをしていると思っているの?」 私が家族から言われた言葉です。 旧家の長男の父は、大正生まれの厳格者。親の望む生き方ができなかった私は、家族の中で決して認められる存在ではありませんでした。お見合いで結婚し、長男を出産後離婚を決意して実家に戻ったときも、そこに私の居場所はありませんでした。「自由を手に入れるしかない」そう思った私は、無謀だと思いつつ、まだ小さな息子とふたりで生きていく覚悟をしたのです。 合格できる保証もない司法書士試験。それでも息子が選択することに「お金がないから」と言いたくない一心で、働きながら育児しながら勉強するという極貧生活を6年もしました。合格した年、あの年を逃していたら、二度と合格できなかったというくらい、追い詰められた思いは限界に達していたと思います。 頑張ればいつかは認めてもらえるかもしれない、その僅かな希望は司法書士試験に合格しても叶いませんでした。経済的になんとか自立できても、私の心はどこか満たされないまま。その思いを払拭するように、仕事に没頭していったのだと思います。 P225 司法書士として勤務した事務所の給与は、税込で20万円。なんとか自分の受託案件を増やして収入をアップしようと、子どもが学童保育やボーイスカウトに行った隙に不動産会社で飛び込み営業。何軒まわっても登記の仕事はいただけず、たまたま家賃を払わない賃借人に困っている営業マンと出会いました。決して狙ったわけでもなく、一件も実務の経験がないまま藁にもすがる思いで受託しました。それが16年前のことです。 それから出会った数々の滞納者たち。彼らは、ちょっと前の追い詰められた自分でした。孤独で、お金がなくて、不安で追い詰められて、助けも求められない……。大げさかもしれませんが、「私がいるから大丈夫だよ」そう言ってあげたくて、本来の司法書士業務の枠を超えて寄り添ってきました。その言葉を、苦しかった当時の自分がなによりも聞きたかったからです。 もちろんすべての滞納者たちに、受け入れられたわけではありません。たくさんの罵声を浴びせられ、「もうムリ」そう思って泣いたことも数えられません。それでもこうして延べ二千数百件の事件に携わってこられたのは、家主さんやそして滞納者からの「太田垣さんに会えてよかった」その一言が聞きたかったからだと思います。家族から認めてもらえない辛さを、仕事の「ありがとう」で補うことでバランスをとっていたのでしょう。安い物件に転居して、生活を立て直すことができた滞納者にお礼を言われることがありますが、助けてもらってきたのは私の方なのです。 P6 P117 P121 P129 P130 P132 P134 P135 P209 P212 P215 P220 P222 |
本郷 尚 タクトコンサルティング 2019/02/28 本書は改訂新版ですが、 旧版を読んだときに、 小説としての完成度も高く、 なぜ、これが一般の小説として販売されないのか不思議に思ってました。 このような書籍が、税法書の耐用年数1年で消えていくのは勿体ない。 改訂新版として再版されたのは嬉しいことです。 私が好きなのは第1話の「小夜子」。 私の会話には常に悪人が登場しますが、 本郷先生の会話には悪人が登場しません。 本郷流の税理士としての生き方。 それが表現されている一冊です。 |
太田 肇(同志社大学政治学部教授) 新潮新書 2019/02/21 文系の大学教授の著作には得るところがない。 それを実践してしまった。 SNSなど承認欲求の時代、 深く掘り下げた分析が語られると思ったが、 何も語られていない。 社会現象を、 承認欲求というキーワードで 強引に結びつけているだけ。 P47に引用したような、 みっともない承認欲求があるのだろうか。 タワーマンションに住むママさんの会話。 いや、そんなのは実際には存在しない。 もっともらしい嘘を書き並べた一冊です。 P8 落とし穴は実生活の身近なところにもたくさん隠されている。だれでも、たまたま周りの人からほめられると、それがきっかけで知らず知らずのうちに自分を見失い、周りが期待する方向へなびいていくことがある。また、他人からの評価に無頓着な人でも、気づいたら心のなかに潜んでいた承認欲求に縛られ、悩み、苦しんでいる場合がある。 P10 「承認欲求」という人の心のなかに潜む“モンスター”。その正体を明らかにし、制御する方法を考えよう。 P47 「うちの息子なんか小学校のころから駆けっこをさせたらいつもビリだし、大人になるまで彼女の一人もできなくて、ほんとうにダメな子でねえ。東大ってそんな子が多いらしいよ」とか、「俺の若いころは上司にくってかかって譴責処分を食らうわ、客とトラブルを起こして始末書を書かされるわ、失敗のオンパレードだったな。それでも専務までなれたなんて、会社はいいかげんな評価をしていたもんだ」などと。 P119 ところが東南アジアに進出した日本企業で、現地の社員をほめたところ、彼らが賃金の引き上げを要求してきたという。「実力や貢献を認めたのだから賃金を上げるのは当然だ」という理屈である。日本人の感覚からすると厚かましいようだが、冷静に考えたら彼らの言い分は筋が通っているともいえよう。 P181 「社員をほめたら相手が賃上げを要求してきた」という話を聞くと、なかには志が低いとか、(マズローの欲求階層説でいうところの)欲求の次元が低いといった、ネガティブな受け止め方をする人が多いかもしれない。 P182 つまり、金銭的な報酬が支払われた時点で会社と社員との間にある「負債」は清算されるわけである。社会学者のG・ジンメル(一九七八)が説いているように、金銭には人間を人格的な服従から解放する機能がある。「お金で済ましたほうがサッパリする」というのはそのためだ。 |
大内伸哉(神戸大学法学研究科教授) 文春新書 2019/02/21 文系の大学教授の著作には得るところがない。 それを実践してしまった。 企業に帰属し、 忖度を基本とする サラリーマン生活の時代が終わり、 水平的なネットワークが重視される時代になる。 プロ人材には協調は必要でも、同調は必要ない。 そんな抽象論を述べられても、 では、どのように生きたら良いのか、 どのように子育てをしたら良いのか。 どのような人達が影響を受けるのか、 そのような具体的なテーマは語られていない。 役にも立たない総論を唱えていれば給料が貰える。 そのような文系大学の教授の論であって、 実務性はゼロ。 企業に雇用されて 会社員として働くことは幸福なことなのだろうか。 それは同感ですが、 その経験がない者が語っても説得力がない。 そのような総論を語っていれば生活ができた大学教授という職業。 文系大学という役にも立たない制度がまず解消されるべきと思う。 著者にも、その自覚があるようだ(33頁) P33 大学の文科系学部(とくに法学部)の代表的な就職先であるバックオフィス業務の将来に暗雲が垂れ込めていることは、法学部の教員である筆者としては深刻な憂慮事項だが、現実を正面から受け止めるしかないだろう。文科系学部のあり方を含め、大学の教育システムのほうを根本的に再検討すべき時代が来ているのだろう(P206以下)。 P232 日本で秀才と言われる人は、知識をしっかり詰め込み、それを処理する能力が高い人たちだ。そういう人は受験で成功をして偏差値の高い大学に入学し、(全企業の0.3%程度と)数が限られている大企業に就職することができた。加えて、忖度など気遣いがしっかりとでき、組織のルールを熟知して、同調性まであれば鬼に金棒で、出世街道を歩んで、社会的な成功を収めやすかった。 また、組織への同調力は、多数の労働者が階層構造をもって分業・協働する時代においては重要な意味をもったかもしれないが、デジタライゼーションの進行により、組織よりも、水平的なネットワークが重視される時代となると、あまり価値をもたなくなるだろう。それにプロ人材の仕事には、協調は必要でも、同調は必要ない。 P233 これまでの日本企業は、組織内に人材を抱え込んで、正社員としての特権的な地位を付与し、ビジネスに必要なスキル・ノウハウを門外不出とすること(秘密漏洩の危険のある副業の禁止や退職後の競業避止義務等)によって、競争力を維持するという戦略をとってきた。これが「自前主義」だ。 ここに逆転の目がある。暗記が苦手な人や決められた時間で情報を処理することが苦手な人たちにもチャンスがあるからだ。ネットが活用されるので、コミュニケーション能力の不足、マニュアルどおりに行動できない、人づきあいが苦手、「空気」が読めないといったことが必ずしもハンディとはならないのだ。 P235 しかし、企業に雇用されて会社員として働くことは、それほど幸福なことなのだろうか。雇用や賃金の安定を得ることの代償に失っていたものはなかっただろうか。他人の指揮命令で「いつでも、どこでも、何でも」やらされ、私生活の自由まで制限されるような働き方は、ほんとうに魅力的なものだったのだろうか。これは奴隷的な労働の延長にすぎないものではなかったのか。 |
橋本 治 ちくま新書 2019/02/18 文化、政治、経済など 独自の切り口を語ります。 しかし、 ロシアを語り、教育を語り、政治を語っても、 サラリーマンの話題であって、実感がない。 知っていても、知らなくても、どうでも良い事柄。 もっとも、著者は、そのような発想を 考えることを放棄した年寄りの発想と言うだろう(14頁)。 バブル時に過大な借金を抱えて、 その返済に苦労した著者の半生を、 仮に、一部も語っているかと期待したのですが、 自分には関係の無い政治、文化、思想を語るのみ。 しかし、 自分の生活の構築に役立たない知識って あり得るのだろうか、価値があるのだろうか。 P14 読者というのは、かつてのサラリーマンあるいは今もまだサラリーマンの、定年前後の男達なんだろうが、彼等の関心事は第一に金――「こうすれば財産が増やせる」あるいは「こうすれば相続で損をしない」。続いては、健康。「こうすればまだやれる!」のSEX記事。ヘアヌードや袋綴じも健在だが、往年の生色はなく、最も輝いているのが、おやじ達の青春を輝かせたかつてのアイドルの、その昔の水着写真だったりするから唖然とする。 唖然としながら、「そうだ」と思い返して見直すと、現実の社会で起こっていることを伝えるような記事がほとんどない。年取れば視野が狭くなるとは言うけれど、閉じつつある自分のことにしか関心が持てない男達が、ある程度の量確実にいることを知らされて、「それでいいのかよォ!」と言いたくなる。 P15 そうすると話は簡単で、思考する頭のキャパがそんなにないところへ、「なにが真実か」を曖昧にするようなデータがダーッと流れ込む。「これ、前に聞いたぞ」と思うようなことが何度も繰り返されて、結論は出ない。 「誰が悪いことをしたのか」は伏せられて、「これらの細かい雑多なデータから結論を導き出しなさい」と言われているような気がして、腹が立って来る――「そんなの知らねエよ」と思って。誰に腹が立つのかと言えば、事実を曖昧にしている首相周辺にではなくて、雑多なデータをやたらと押しつけて来る「出題者」――野党とか、ジャーナリズムに対して。自分が○か×かの印がつけられるような問題の出し方をしてくれないと、問題を出す方に対してキレてしまう。 要は、考える能力がないってだけなんですけどね。 反知性主義というのは、欲求不満に陥ったおやじ達が野放しにする妄想的な世界観だとしか思えないが、欲求不満になる人間は、考えてみりゃ、まだ頭を外に向けてるんだな。自分の目を外に向けなくなったら、もう無知性だ。「考えろ!」と言うデータの山を「うるさい!」と言って撥ねのけていたら、知性というのは育たないんだが。 |
古川 薫 幻冬舎 2019/02/13 体験を小説化した 特攻兵の記録です。 鉄拳制裁の社会を想像したが、 それなりに自由で本音の会話があって、 当時の人間的な社会感が滲み出てます。 日本軍隊を承継したのが、 日本株式会社であって、 電通、スルガ銀行と定義していたが、 もし、軍隊が、この小説の通りだとしたら、 日本株式会社の方がよほど陰険な組織です。 それにしても、 入りたくないのが 日本陸軍、日本刑務所、日本株式会社。 自営業者でいることを楽しんでます。 |
野口 悠紀雄 幻冬舎 2019/02/13 野口悠紀夫教授が、 バブルと、バブル崩壊以降の経済を語ります。 私にも、 バブルの発生原因は分かりますが、 その後、失われた20年の意味が分からない。 本当に失われたのか、 私の周りは、この20年、30年で豊になった。 東京の丸の内など20年間でマンハッタンになってしまった。 生活は豊かになり、食べ物は美味しくなり、街は綺麗になった。 土曜と日曜日は休日で、世界で一番に多い祭日数を誇る。 野口教授は、 失われた20年の原因は、 バブル崩壊の不良債権の問題(金融)ではなく、 日本の製造業が 垂直的な統合型(自社で完成品を造る)に留まっているのに対して、 世界の企業は 水平的分業型に変わっていた。 つまり、 Appleのように 設計、部品の製造、組み立て、販売を分業するシステムです。 iphoneの各々のパーツを比較優位の国で製造すれば良いのであって、 全ての部品製造を自国の垂直的な企業グループに取り込むの間違い。 構造変換が遅れたことが失われた20年の原因だと論じます。 原因は金融構造では無く、製造構造なのだという指摘です。 消費者の立場に立てば円高は嬉しいことだ。 そのように語り、私は、これに同感です。 野口教授は、経済学者として、世界経済を語り、日本経済を語ります。 それは素晴らしい知見ですし、素晴らしい視点だと思います。 しかし、私は、日本経済よりも、 顧問先の経済、仲間の経済、自分の経済の方に興味があります。 野口教授が述べる大きな世界経済と 日本経済の流れの上にある、私の経済。 野口教授がダメになったという日本の経済と、 私達の近場の人達の生活が豊になった経済とは、 どこで調整されているのか、あるいは未来は暗いのか。 マクロとミクロの経済ではなく、 世界経済と私の経済の関連性が気になるところです。 はたして、日本は、沈没間近、衰退の前夜なのだろうか。 野口教授の凄さは、 政界経済、日本経済を論じると同時に、 個人としても成功していることだろう。 野口教授が自分の生活の経済学を語ってくれたら面白い。 経済学の知識は自分の生活を律するに役立つのだろうか。 P55 「経済停滞の原因が金融にある」との考えは、現在に至るまで連綿と続いています。そして「金融緩和を行なえば経済が活性化する」という考えも、いまに至るまで、多くの論者によつて主張されています。 この考えは、実体面で対応しなくとも、金融緩和をするだけで問題を解決できるという期待を生みます。しかし、問題の根幹が実体面にあるなら、その解決は手つかずに残されることになります。 1990年代の経済停滞の原因も、経済の実体面にあったのです。設備投資に対する需要そのものが、それまでに比べて減退したのです。 銀行が貸してくれないから設備投資ができなかったのではなく、企業が設備投資意欲を失ったのです。その結果、金利が低下したのです。つまり、原因は資金の貸し手側ではなく、借り手側にありました。 設備投資需要の減少を引き起こした原因として重要なのは、新興国の工業化によって、日本が国際市場でのシェアを失ったことです。 P80 水平分業方式は、最初、PC(パソコン)の生産で行なわれました。OS(基本ソフト)の開発をマイクロソフトが担当し、CPU(中央演算装置)の生産はインテルが担当。そして、デルコンピュータやコンパックなどのメーカーが組み立てを行なう、という方式です。 1980年代において、日本のPCメーカーの生産は垂直統合方式で行なわれていました。ところが水平分業方式が広がると、日本メーカーは対応することができず、短期間のうちにシェアを落としたのです。次項で述べる「コンパックショック」の背景には、こうした変化があります。 P85 しかし、不良債権問題は、基本的には金融機関に限定された問題だったと考えることができます。日本経済を全体として見た場合に重要だったのは、以上で述べた世界経済の構造変化だったのです。これは、ITの進展と新興国の工業化によってもたらされたものであり、供給面で起きた変化です。したがって、金融政策では対処できない問題です。 P162 P163 P173 P177 P187 P188 P206 P219 |
平川克美(文筆家) ミシマ社 2019/02/12 友人に紹介された一冊。 書き出しが過酷です。 松本清張のミステリーのように 人生の結末は悲劇的なのか。 どんな活躍をした方なのか、 どんな人生を歩いた方なのか。 執筆者の人生を、 これから読み取ってみようと思う。 読み終わりましたが、 全くダメ。 私とは真反対の発想です。 事象について、 私は、具体化し、現実化し、 実感として捉えることを目標とする。 著者は、 事象について、 抽象化し、一般化し、 観念論として捉える。 本書を通して語られるのが負債だが、イヌイットの漁師が獲物を分けるのは贈与ではなく、これを贈与と位置付ければ負債になってしまう。返済(感謝)を要する負債と位置付けるのを避けるのがイヌイットの文化。人間は、生まれ落ちた時点で、親だけではなく、負債を負った存在。宗教的には原初の負債という考え方が「原罪」。 そのように概念を抽象化していきます。 借金で倒産したための拘りなのだろう。 いや、しかし、これじゃ、倒産するのは当たり前。 こういう発想の方は、 給料を貰える地位を確保し、 そこで観念論を述べていれば良いのであって、 商売に手を出せば、その答は失敗しかあり得ない。 著者が述べた確かな実感ある言葉は、 「預金をはたき、家も売って、結果、いま一家3人がアパート暮らしということになっているわけである」という20頁の言葉だけ。 P5 一年前に、会社を一つ畳んだ。 そのために、会社が借り受けていた銀行やら政策金融公庫からの借金を一括返済せねばならず、家を売り、定期預金を解約し、借り入れ全額を返済し、結局、全財産を失った。 同じころ、肺がんの宣告を受け、入院、手術で、右肺の3分の1を失った。 もう失うものがあまり残っていない。 失うものがないというのは、弱みでもあり強みでもある。 債権回収の鬼といえども、金のないものから取り立てることはできない。 臓器移植の悪魔のセールスマンも、無い肺は売れない(言い過ぎですね)。 まあ、とにかく還暦を過ぎて何年も経て、そんな状態に陥ったわけである。 そのことに対して、特段の後悔も、もちろん満足もない。 こういうものだろうと思うだけである。 P8 あるとき、「偶然と必然」というテーマが頭に浮かび、わたしたちがこの世に生を享け、今こうしていることはほとんど偶然で、結局ひとは偶然に生まれて偶然に成功したり失敗したりして、偶然に死んでいくんじゃないかという考えに取りつかれた。だとするならば、この偶然の結果としてのろくでもない現実に対して、わたしには何の責任もないだろう。この自分には責任のない偶然を必然に変えることが、本来の生きるという意味なのかもしれないと考えるようになった。 ひとは、誰も、自分の人生に対して、いかなる責任もないのだ。そう考えたときに、もし、偶然に過ぎない人生を必然に変えることができるとするならば、それはその責任のないことを自らの責任として引き受けるということによってだろう。 P20 貯金をはたき、家も売って、結果、いま一家三人がアパート暮らしということになっているわけです。 |
樹木希林 宝島社 2019/02/08 樹木希林の言葉には意味がある。 そんなつもりで 2冊の本を読んでみたが。 ただの言いっ放しの言葉は、 単なる1つの言葉であって、 起承転結の論理を示さない。 「1人でいても、2人でいても、 十人でいたって寂しいものは寂しい」 そんな言葉にも、 意味があると思えば意味があり、 意味がないと思えば意味がない。 発想の方向がユニークであり、 そのことは共感できますので、 それが俳優としての魅力を作ってきたのだと思う。 俳優という過酷な商売を、 演じるのではなく、自分の生き方の中に取り込んできた。 私達が、依頼者の人生を、自分の人生の中で生かしているように、 俳優という人生を、自分の人生の中に生かしてきたのが著者。 俳優という明日の生活が保障されない職業、 著者は不動産投資に熱心だったそうですが、 おそらく人生の予備プランだったのだと思う。 P25 今、国のせいにしたり、上がこうやってくれないとか夫や子どもがこうだとか言って、人のせいにする人が多いでしょ。私にも「大きい家に一人でいて寂しくないですか」なんて言う人がいるんだ。でも私には、誰かが一緒にいれば寂しくなくなるっていう感覚がないのよ。一人でいても二人でいても、十人でいたって寂しいものは寂しい。そういうもんだと思っている。 P67 P79 P225 P259 |
斎藤 孝(教育学) 青春新書 2019/02/02 私が「続々・税理士のための百箇条」に書いたのが次の一文。 ――――――――――― 100 ネットの情報は全て嘘 …… 省略 …… 情報に価値がある時代という風潮に踊らされて、常に、スマホを手にしてニュースを追い掛ける。目を引く見出しをクリックし、時代と情報を追い掛けた気分になる。しかし、そのような生活を1年について続けたら、人生の指針が手に入るだろうか、生き方が上手になるだろうか、そもそも物知りになれるだろうか。もっともらしく語るテレビのコメンテーターの意見を聞いている人達と同様に、もっともらしい嘘を読まされているだけではないのか。 ネットの情報で物知りになった気分を味わう時間があるのなら、その時間に小説を手に取ろうではないか。小説という嘘の中には人生のヒントになる真実がある。そして、ネットの嘘を見抜く知恵を育ててくれると思う。 ――――――――――― たった 30分程度の山の手線の車中。 本を読むように心がけてます。 イエス・キリストの時代に ネットがあったら、今の世界は別の形になっていたはず。 P48 代表的な宗教の教祖や思想史に出てくる偉人達などはそんな「深い人格」の代表例でしょう。人間の煩悩とそこからの解脱を説いた仏陀。愛の実践を唱え、人々に代わって十字架にかけられたイエス・キリスト。相手を思いやり尊重する仁を説いた孔子や、無知の知を唱え、真の人間の英知の力を説いたソクラテス……。いずれの偉人たちも2000年の時を超えて多くの人々に感化を与え続け、人類の歴史を大きく変えました。 |
岡崎裕史(情報ネットワーク) 講談社 2019/02/01 難しい技術を、 容易に説明する。 素人(私)にも読めるのだから凄い。 元のデータにハッシュ関数を乗じてハッシュ値を求める。 MD5というハッシュ関数を利用すると、 元のデータのボリュームに関係なく128ビットのデータになる。 つまり、2進法で128桁、16進法で32桁のデータになる。 「a」という一文字でも32桁のハッシュ値になり 百科事典一冊分のデータでも32桁のハッシュ値になる。 そして、 百科事典の中の1文字を変更しただけで、 計算されるハッシュ値は異なったモノになる。 つまり、文章の変造を監視するシステムに利用できる。 そして、 次は可能だが、 データ → ハッシュ値 次は不可能だ。 ハッシュ値 → データ 公開鍵と秘密鍵を利用し、 ハッシュ値を暗号化することで電子署名に利用する。 公開鍵で開けば、 ハッシュ値が閲覧できるようになり、 元データをハッシュ関数を乗じたハッシュ値と一致していることが確認できる。 添付された電子署名を公開鍵で開いたハッシュ値(32桁)と、 元データ(本文)をハッシュ関数で処理したハッシュ値(32桁)。 この2つの32桁が一致すれば元データが正しいと認証できる。 ブロックチェーンは、 単純化してしまえば、 秘密鍵で作成されたハッシュ値の連続なのだ。 誰でも公開鍵でハッシュ値を検証することができる。 ブロックチェーンは過去のハッシュ値を取り込んでいるので、 途中を変更しようとしても過去と未来に矛盾が生じてしまう。 その内容を検証して ブロックを作成すると報酬が与えられる。 それが、マイニングになるのだが、 しかし、マイニングという無駄な電力を消費するシステム。 何の付加価値も無いところに膨大なエネルギーが消費される。 マイニングで品質を保証するブロックチェーンは投資業界に咲いたあだ花です。 P156 しかし、左のブロックだけを改ざんしても、システムも利用者も騙せない。改ざん前のデータから得られたハッシュ値が、次のブロックの一部として組み込まれているので、改ざんを行うと、改ざん後のブロックのハッシュ値と、次のブロックに組み込まれたハッシュ値が合致しなくなる。何か異常が起きたことが白日の下に晒されるのである。そう、マイニングに参加しない(ブロックの追加に関与しない)利用者も、ブロックの中身を見て、検証することはできるのだ。もし怪しいと思えば、自分のところに新規ブロックが送られてきたとき、手持ちのブロックチェーンには追加せず無視すればいい。 こうして、いくら不正ブロックをP2Pネットワークに放流しても、それは他のノードが持つブロックチェーンには追加してもらえず、価値を認めてもらえない。不正に作ったビットコインや不正に得るつもりだったブロックの追加に対する成功報酬も、得られないことになる。 P194 また、2018年にはアイスランドにおいて、「ビットコインのマイニングに使われる電力量が、一般家庭全体で消費される電力量を上回った」と報道された。2018年5月には、「マイニングによる電力消費が、2018年末には世界の電力消費のO.5%に達する」との予測がJouleに掲載された。 P24 P28 P40 P45 P86 P92 P98 P121 P122 P132 P135 P139 P159 P194 P195 P197 P211 P243 |
北野唯我 日本経済出版社 2019/01/30 職場の人間関係に悩むすべての人へ なぜ、才能はつぶされてしまうのか そのようなキャッチコピーに釣られてamazonしたが、 何を語っているのか自分勝手な文字が並ぶ。 おそらく、著者に言わせれば、 著者の文章が理解できないのは凡人なのだろう。 間違えて、 重複して注文しないように、 ここにメモしておこう。 この著者のような勘違い人間が本を書くのは間違いだと思う。 |
増本康平(高齢者心理学) 中公新書 2019/01/29 海馬など、 記憶に関する書籍は 積み上げるほどに読みましたが、 本書は、 たった19頁を読んだだけで、 新しい知識が幾つもありました。 こんな本が見付けられるから読書は止められない。 読書は、 年齢と共に衰える ワーキングメモリーを使うそうですが、 私の読書力は、 いま時点では衰えてない。 それも嬉しい発見です。 175頁以降は、私自身の、 これからの人生の指針になります。 コミュニティを造る。 そんなことを意識してtaxMLを運営してきたのでは無いのですが、 社会生活では、それが必要なのだと本書は論じてます。 考えてみれば、 税法知識について、即、回答が得られる。 他人の疑問から、多様な知識が得られる。 他人の経験から実務での実感が得られる。 つまり、即物的な目的で運営してきたtaxMLですが、 本当の機能はコミュニティの存在だったのではないか。 私のような付き合いの下手な人間でも、 taxMLでは多様な人達と付き合って来た。 個性を問わず、年齢を問わず、価値観を問わず、 taxMLが無ければ会話をしなかった人達と会話をしている。 これこそがtaxMLの存在価値なのだと気が付いた。 taxMLを抜けてしまった人達は、 コミュニティを失ったのだ。 そんなことに気が付いた一冊。 だから、読書は、止められない。 P13 一方で言語的知識については、加齢による低下がみられず、むしろ若い時よりも増加しています。このように記憶には、加齢の影響を受けやすいものと、加齢の影響をあまり受けずに維持されるものがあります。 加齢とともに衰える記憶機能は二つです。一つは「ワーキングメモリ」と呼ぽれる複雑な思考や並列的な作業を担う記憶です。もう一つは「エピソード記憶」と呼ばれる過去の出来事の記憶です。 P17 私たちが扱う情報の多くは、視覚的あるいは言語(音韻)的な情報です。頭の作業スペースには大抵この二つの情報が展開されています。読書はワーキングメモリを使用する典型的な作業です。 読書中は、文字を読むだけでなく、読んだ文章を一時的に短期記憶として蓄え、前の文章とのつながりを把握する必要があります。また、同じ場所を繰り返し読まないよう、読んでいる場所(視覚的な短期記憶)を常に更新しなければなりません。 そして、文書を理解するためには、知識やこれまでの経験を頭の中から引っ張り出さなければなりません。意識することはほとんどありませんが、読書中は常にこのような情報処理がなされています。複雑な思考になるほど扱う情報の量も増えるため、よりワーキングメモリが重要となります。 P19 ワーキングメモリは、視覚情報と音韻情報というように、異なった感覚情報を同時に処理することはできます。しかし、二つ以上の同じ感覚情報を同時に処理することはできません。 P20 P38 P43 P45 P46 P60 P62 P63 P64 P67 P90 P93 P152 P179 P184 |
窪田順生(ノンフィクションライター) さくら舎 2019/01/29 日本は特別 鎖国を解いた後と、 敗戦後の戦後復興という 2度の立ち直りで世界に並ぶ。 美しい四季。 日本人の勤勉さ、 時間に正確な鉄道、 職人が作り上げる商品、 しかし、 それは良いところを取り上げて、 それが全てと論じる偏った見方だろうと。 見方を変えれば、 時間に正確にしなければなり立たない過密スケジュール。 日本の労働者の生産性の低さと過労死という日本の文化。 職人は日本固有の存在では無いことと、 そもそも日本人の大部分は職人としての技術を持っていないこと。 四季や、紅葉は、地球上である限り、世界のどこにも存在すること。 全て、「日本はすごい」という結論を導くために 極一部の現象を拾い上げ、それが全てと論じる論法にすぎない。 なるほどと思います。 京都などを世界に誇れる文化と自慢しますが、 結論があっての議論であって、 現実は統一性の無い乱雑な町並み。 紅葉などの四季を自慢しますが、 バスで無ければ行けない不充分なインフラ。 日本人の勤勉性を自慢しますが、 無駄が多い過剰労働の職場環境。 日本自慢論が、 日本に対する客観性を失わせる。 それは戦前から始まった軍国主義に始まる。 反日マスコミと愛国マスコミを同一のマスコミが繰り返す。 P79 アメリカのような移民の国以外の「戦勝国」の多くでは、人口の増えるスピードに勢いがなくなってきていました。そのなかで、日本の「人ロ爆発」、いわゆる「人ロボーナス」(子供と老人が少なく生産年齢人口が多い状態)がGDP成長の大きな追い風になったのはいうまでもありません。 事実、日本の人口が増加していく経緯をふりかえると、終戦直後と高度経済成長期の終わりの「ベビーブーム」と呼ばれる爆発的増加、さらには1990年代からはじまった生産年齢人口減少傾向にいたるまで、GDPの成長経緯とみごとに重なっています。 つまり、日本が世界第2位の経済大国になったのは「技術力」や「勤勉さ」があったからだけではなく、ましてや「奇跡」などという精神世界の話でもなく、明治時代からの積み重ねと人口ボーナスがもたらした「必然」なのです。 P73 P76 P79 P101 P236 |
樋田敦子(フリーランス) 大和書房 2019/01/28 学歴コンプレックスの上司のやっかみ。 高橋まつりさんは過労死ではなく、 パワハラが原因だったのだと思う。 読みやすく、 著者の思想も深く、 良い一冊です。 それ以上に、 まつりさんの努力は、 このような結果を生む為の努力だったのか。 嫌味を言い続けた人達は、 今も普通の生活をしているのだろう。 ふと、自分の罪を思い浮かべることがあるのだろうか。 P5 官僚や弁護士、医師という資格を取得し、その世界で活躍するなら、東大卒の不便や不幸を感じないと思う。しかし、それ以外の一般企業に飛びこんだ女性たちはどうなのだろうか。 P21 「学歴も美しさも兼ね備えた彼女は、いろいろまわりから言われたのでしょう。がんばり屋さんだったからこそ、つらかったと思う。男性からも女性からもやっかみがあったと想像できます」 P22 はじまるよ まつりちゃん 予想どおり号泣でした 前作は自宅で一緒に観ました その後舞台ミュージカルを観たと言っていました 一緒に観たかったです まつりのウェディング まつりの赤ちゃん ハワイでリゾ婚してお母さんを呼んであげるね お母さんが私の赤ちゃん育ててね と言っていました 夢はかなわず P32 電通のほかの東大卒女子も、まつりと同じような“いじられ方”をされ、体調をくずしていたことを知るのは、もっと後のことだ。組合や先輩に相談しても、その状況を解決する策は示してもらえなかった。 P34 「あの時点では、東大に行くしかなかったのですが、あんなにがんばっても幸せだったのかなと疑問に思います。『東大に入り、選べる立場にいる。努力した人はずっとがんばり続けなきゃいけなくて、ゴールがないんだよね……』。まつりはそう言っていました」 頭のいいまつりは勉強して東大に入り、なりたい自分になれるように、いつも考えていた。だからこそ、こんな事件が二度と起きてはならない。 幸美の口からは話が次から次へと出てきて、尽きることはなかった。亡くなってしまった娘の人生を少しでも理解してほしいという気持ちだったのだと思う。しかし新幹線の時間もある。帰り際、私はつらい話をしてくれた感謝の気持ちから、思わず幸美をバグしてしまった。 「いつもまつりは、こうやってバグしてくれたんですよ」 |
日経クロストレンド 日経BP 2019/01/28 ディープラーニングが人間に入れ替わる。 そんなアホなことを言っている人達は、 ディープラーニングの意味を知らない。 ディープラーニングは、 単にデータについての相関関係を探し出すだけ。 ただ、どのように探し出すのか。 どのような場合に探し出せるのか。 「教師あり学習」の場合と、 「教師なし学習」の場合がありますが、 現在は「教師あり学習」が一般的です。 本書は、「教師あり学習」についての実践事例を紹介します。 白黒の映画をカラーにする。 凄いことだと思いますが、その教師は、カラー映画を白黒にして、そのデータにカラーの映画という「教師」を提供する方法だそうです。 つまり、白黒で撮影した女優の皮膚の色について、カラーで撮影した女優の皮膚の色を「教師」として提供する。それなら大量のデータが提供できますし、ディープラーニングは、その大量のデータのバラツキの中から男優の場合、女優の場合、子役の場合、老け役の場合の皮膚の色の相関関係を探し出します。 ただ、衣服などは、青でも、赤でも、黄色でも良い。 そのことについて人間が教える必要があるようですが、そこの具体的なイメージは、私には、理解できませんでした。 P15 現在のディープラーニングは、正解となるデータを大量に用意する「教師あり学習」が主流だ。しかし、アルファ碁ゼロは、正解データがない状態で試行錯誤をし、成功した場合にAIに報酬を与えることで賢くなる「強化学習」という「教師なし学習」手法の一種を採用し、その可能性を内外に示した。 P105 誤字脱字や表記揺れの検出、差別表現の判定などはディープラーニングによるモデルを活用する。学習に際しては、リクルートのメディアで過去に掲載した500万件のデータ、そしてクラウドソーシングを活用してあえて誤字脱字などを含めた3万件のデータを使った。校閲過程の赤字を入れたデータが残っていれば学習用に使えたが、そうしたデータは少なかったため、わざわざ誤りのある原稿を作成した。 P106 リクルートのAI活用の強みは改善のスピードにある。「ディープラーニングの活用では、当初は(学習)データの質より量が求められるが、ある程度の精度までいくと質が重要になる」(蓑田氏)。そこで、入稿システムにフィードバック機能を設けて、そこから集めた指摘を使って改善を続けている。「クラウドソーシングで意図的に作られた誤字ではなくリアルな誤字が入る」(同氏)点で質が高いのだ。1カ月で約1000件のフィードバックが集まり、精度が2%上がったこともあった。今後は、80%以上の精度を保ったまま、検出率を90%以上にすることに重きを置く。 P112 学習に利用したのは、護岸コンクリートの写真150枚ほど。最大5616×3744ピクセルのデータを用いた。ひび割れやクラックの部分には、赤く色を塗り、それを教師データとした。ただし、150枚程度の画像をそのまま教師データとするのでは、ディープラーニングの学習には数量が不足する。そこで、画像をモデルに学習させる前に、それぞれの写真を224×224ピクセルの写真データに細かく分け、合計で1万枚以上のデータとして学習を実行した。細かく分けたことで、1枚の写真データに多くの損傷があるものや、全く無いものも含まれ、精度を高められるかという心配もあった。実際にこうした状況で試験的に学習させたところ、求める精度で損傷部分を検出することができ、開発はこの手法で進めることになった。 P216 このとき柳原氏は、100万枚のフリーの静止画像をいったん白黒にしたものを入力画像とし、カラーの元の画像を教師画像として、ディープラーニングでモデルを作成した。ここで課題が見つかった。肌の色、空の色などはそれなりにうまく再現できたのだが、「服の色、自動車の色など、何色でも正解になってしまうものに対して、ディープラーニングは減点が少ない色として上限と下限の中間の値を答えにしがち。結果的に、セピア色のような色が多くなってしまう」(柳原氏)。番組の美術制作をするNHKアートとしては、皆がセピア色の服を着て、セピア色の自動車が走る映像は使い物にならない。 P217 戦中戦後の映像に出てくる軍の車両の色は鈍い金属の色を入れたいのに、セピア色になっては困る。人の手による教師画像をAIに学習させるという新しいシステムによって、指定した色を再現できるようになり、自動カラー化が現場で活用できるものになった」と評価する。 |
前川喜平(前文部科学事務次官) 毎日新聞出版 2019/01/24 書いてあることは、 著者の文科省の公務員としての半生。 参考になったのは一時代前の勤め人に生活(P31)と、 内閣に忠実に従うべき官僚が「面従腹背」などと言い出す理由(P221)。 しかし、公務員が 「面従腹背」で良いのだろうか。 内閣の決定に忠実に従うべきが公務員ではないのか。 公務員を現実に務めていれば、 「これは従ってはならない」 そのような職務命令が存在するのだろうか。 銀行員や、 証券会社の営業社員には、 そのような自由はないだろう。 税務職員だって、 組織の決定には忠実に従い、 時には不当な課税処分だって行う。 いずれにしろ、 私には、 P31の公務員も、 P221の公務員も、 おそらく3ヶ月と務まらない。 そんなところに半生を埋めた人生こそが無駄な人生。 いい歳をして 「面従腹背」だったと思い出を語ってないで、 さっさと公務員に見切りを付けて、 他の道を歩かなかったことを後悔すべき人生だったと思う。 あるいは、自分の人生が 無駄だったと語っているのだろうか。 「面従腹背」の部品人間にも意味があると言いたいのだろうか。 P31 新宿2丁目にウィンザーというスナックバーがあった。今はなき伝説の店である。そこは加戸氏の行きつけの店だった。部下の一人だった私も頻繁に連れて行かれた。その店には加戸氏用の三度笠が備え付けてあり、同行した職員は皆加戸氏の美声を聞かせていただくのだった。店のママさんは、我々のような下っ端職員を店の給仕として使った。つまみを載せた皿を運んだり、水割りを作らされたりしたものだ。 こうした飲み会では、「前川、前川清を歌え」などと周りの先輩から言われ、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」を歌ったりした。私自身は歌うこと自体にそれほど抵抗は感じなかったが、連れて行かれた人たちの中には、明らかに歌うことが苦手だという人もいた。しかし、そういう人も、周りから「お前の番だ。歌え」と言われれば、歌わないわけにいかない。先輩職員が苦しげに歌う姿を見るのは苦痛だった。 連れて行かれた職員の中には、そもそも酒が飲めない人もいた。部下たちに付き合わせて、飲みかつ歌う。本人が楽しいだけでなく、周りの人間も楽しいはずだと信じ切っている。こうした酒と歌の強要は、今の常識から考えればパワハラの域に達していたと思う。 午前0時を過ぎる頃、そろそろお開きとなる。そのとき上司たちのために帰りのタクシーを拾ってくるのがまた、我々下っ端の「仕事」だった。当時はタクシーの台数が規制されていた頃で、電車がなくなる時間帯のタクシーはなかなか見つからない。冬には寒風にさらされながら一生懸命空車を探した。 この頃(1980年頃)の文部省の幹部たちは、自分の金では飲んでいなかった。我々も一銭も払ったことはない。すべて役所の金で飲んでいた。それはどの部署でも同じだった。各課の庶務担当補佐は裏金の金庫番であり、支払いはその裏金から行われていた。裏金は「空出張」などでつくっていた。実際には行っていない出張に行ったことにして、出張旅費を浮かし、裏金にするのだ。私も覚えのない出張が記載された出勤簿に判子を押せと言われたことがある。 P221 政治家は国民から選挙で選ばれ、直接国政を信託されている。一方、官僚は競争試験で採用され、その身分は保証されている。ゆえに国民は政治家を取り替えることはできるが、官僚を取り替えることはできない。 そう考えれば、政治家が官僚よりも上位にいなければならないことは当然だ。しかし、官僚には官僚の専門性があり、長年にわたって蓄えられた知識と経験がある。政治家と官僚との間には、ある種の緊張関係がなければならないと思う。どちらかがどちらかに依存してしまってはいけない。 38年間の役人生活で、「やりたかったことでやれたこと」「やりたかったことでやれなかったこと」「やりたくなかったことでやらざるを得なかったこと」「やりたくなかったことでやらないで済んだこと」を考えてみると、その割合は1対4対4対1くらいだろうか。 政治家の下で組織の中で仕事をする以上、やりたいことばかりできるわけではない。しかし、役人がいなけれぼ世の中は回っていかない。誰かがやらなければならない仕事だ。制約の多い中でも、行きつ戻りつしながらも、少しずつ前に進むことはできる。そして、政治家が理に合わないことをせよと言う場合には、面従腹背も必要なときがあるのだ。後輩の官僚諸君には、そういう粘り強さや強靱さを持っていて欲しい。 |
長尾和宏(開業医) ブックマン社 2019/01/23 継続的に血糖値を測定して記録する FreeStyleLibreを購入してから、 血糖値に夢中になってます。 どのような場合に血糖値が上がり、 どの程度の血糖値なら安心できるのか。 小麦粉と 砂糖はダメです。 蕎麦もダメ。 鰻は全くダメ。 肉類、野菜類は、勿論、ok。 生クリームのケーキはダメですが、 オベラ(チョコレートのケーキ)はok。 食後血糖値も、 散歩をすれば10分後には食前血糖値まで下がる。 私は、昔から健康食ですし、 散歩も日常化してますので、 血糖値や、血圧について心配は無いのですが、 それでも食事や行動と血糖値の因果関係が見えるのは勉強になります。 そして、本書は、血糖値を語る一冊。 インシュリンではなく、痩せること、運動することが必要。 そのような事柄を論じてます。 私も、さらに年齢を重ね、 血糖値や血圧に支障が出てくるかも知れませんが、 しかし、自分で管理できるモノなら管理していきたい。 P186 まずは、食事の際の食べる順番に着目してください。真っ先にごはんから食べる人がいますが、実はこれは血糖値がもっとも急上昇する食べ方です。正しい順番は、「野菜やサラダ→魚や肉、おかず→ごはん」です。野菜やサラダを先に食べるのは、これらに含まれている食物繊維が糖質の吸収をおだやかにしてくれるから。だから、食物繊維が豊富な海藻やキノコなども、最初に食べる食材候補です。 |
後閑愛実(看護師) ダイヤモンド社 2019/01/22 経験しないことは語れない。 介護老人ホームに入所している私 余命宣言されて入院している私 息を引き取る直前の私 ノルマから解放された生活にホットしているのか。 誰とも、仕事とも、多様な好奇心から離れて寂しいのか。 それは数年、十数年の長い期間なのか、短い期間なのか。 しかし、死ぬための準備をしても 死ぬための覚悟をして意味はない。 あれをやっておけば良かった。 いや、それよりも、あれをやらなければ良かった。 そのような事柄を可能な限り少なくしておきたい。 そのような思いを残すことなく、 思い出すだけで退屈できないほどの多様な経験を積んでおきたい。 誰でも死ぬときは同じ。 そんなことはあり得ない。 死は、 生の連続性の上にあるのだから、 どのように生きたのかが全てであって、 どのように死ぬかなどは意味のない話しだと思う。 1000人の人達を看取った看護師が語ります。 いや、しかし、人生を語るのではないので、 死の直前の光景しか語れていない。 生き方を語らない限り、 死は語れないのだと思う。 P3 死というのは、精一杯生き抜いた先にあるものです。決して縁起の悪いものではなく、いわば人生のゴールなのではないでしょうか。とするなら、万全の準備をして、終わりよければすべてよし、といった姿勢で、何も思い残すことなくそのときを迎えたくはありませんか。 |
デービッド・アトキンソン 東洋経済 2019/01/22 在日30年の外国人アナリストが日本の未来を論じます。 過去と未来の組み合わせで風景が全く違ってしまいます。 著者は1950年(昭和25年)と 2030年(平成42年)を比較しますが、 これは明治時代と 平成時代を比較するのと同様に意味がないと思う。 比較するとしたら、 昭和64年までの時代と、 平成30年までの30年間と これからの30年間、60年間の予想です。 つまり、寿命の伸びは、いま著しく、おそらく、いま30代、40代の人達で限界点(100才、105才)に辿り着き、その後の延長は無くなると思いますが、いま寿命が延びてしまった60代、70代の人達が死亡する30年後と、次に、いま30代、40代の人達が死亡する70年後、60年後が比較対象です。 平成30年間について、人口は減少してませんが、しかし、内容は入れ替わってしまった。 出生率が減り続けるのに、人口の減少が無いのは、高齢者が死亡しなくなってしまったためです。 税理士受験生が激減しているのに、税理士の総人数が減らないのは、高齢な税理士が死亡しないから。 それと同様です。 つまり、新年会で顔を合わせる人達が、毎年、1才ずつ繰り上がって、平成30年間を経て、集まる人達が40才ではなく、70才になってしまった。 さて、どのような社会が出現するのか。 ピラミッドの形が、逆ピラミッドになり、さらに縦に高くなって高齢者が上積みされる。 つまり、出生時に主人公だったベビーブームの私の人生と同じ道を日本経済は歩いている。 私は、マイホームを買う必要も無い、賃貸物件への投資も行わない、新しいスーツ、新しい家電への興味も失っている。 1億総老人ホームの時代。 日本経済は、どのような形になるのか。 P3 なぜかというと、日本の社会保障制度の問題は、究極において税率以前の問題だからです。日本の税収が少ないのは、日本人の所得が先進国最低水準で、それに伴って消費が少ないからです。 ご存じの通り、日本ではすでに少子化が始まり、子どもの数が年々減っています。1950年に全人口の55%もいた24歳以下の人口は、2030年には18%まで低下します。 人口の55%が24歳以下だった時代、大学教育の対象が若い人だけだったことは、大学の経営戦略としても、国家の教育のあり方としても、理に適っていました。しかしその数が18%にまで減少する以上、大学のあり方そのものを転換しなければなりません。国民の55%を対象としていた時代の延長線上で、国民の18%の教育をどうするかを議論するべきではありません。国民の82%をどう教育するかが課題となっているのです。 |
長尾和宏(開業医) 山と渓谷社 2019/01/21 私は、犬の散歩を18年(?)について続けている。 朝に20分、夕刻に40分だろか。 いや、1日に1万歩は歩いているので 1日に1時間30分は歩いていることになる。 歩き出して10分で、 身体が温かくなり、 身体が軽くなり、 血糖値が食前値に下がり、 デフォルト・モード・ネットワークに入る。 仕事の解決策や、 原稿のアイデア ストーリーの大部分は、 散歩の途中で推敲されることが多い。 犬を飼う前は、 1年、あるいは2年に一度くらいは ぎっくり腰になっていたように思う。 犬を飼って以降はぎっくり腰にならない。 いま、薬も飲まず、 身体に悪いところもないが、 犬との散歩をしなかったら、 いま身体は中心軸から傾いていたと思う。 その意味で本書は、 まさに私の実践事例です。 P21 また、この糖化現象では、最終的に「AGE(終末糖化産物)」と呼ばれるものができます。このAGEが体内にたまると、肌のシミ・シワ・たるみ、動脈硬化、骨粗しょう症など、体のさまざまなところに悪影響が現れます。頭のボケもAGEと関係があるといわれていて、AGEがたまりやすい生活をしていると、アルツハイマー病の原因物質として知られるアミロイドβが脳にたまりやすいのです。実際、糖尿病の人(高血糖状態が続いているということは体内で糖化が進みやすい)が認知症になりやすいことは、医療界では常識。AGEは、まさに老化を促進させる物質なのです。 P107 友達やパートナーなど誰かと一緒なら、会話を楽しみながら歩くのもいいでしょう。これも「ながら歩き」の一つですし、他者とかかわることで「オキシトシン」という愛情ホルモンが増えます。オキシトシンは、人に限らず、動物とのかかわりでも増えるといわれているので、愛犬との散歩も良い習慣です。ただ、愛犬に話しかけながら歩いていると、ちょっとあやしいので、愛犬との散歩は、頭の中で川柳を詠みながら、小さく鼻歌を口ずさみながら、くらいがいいかもしれません。 P116 このデフォルト・モード・ネットワークに入りやすいのが、歩いているとき。だから、歩いているときには、思いがけずアイデアが湧いてきたり、パッとひらめいたりするのです。 P145 うつからくる自殺を防ぐには、脳内ホルモンのバランスを変えてあげることが、もっとも効果的です。そのいちばん手っ取り早い方法が、歩くことです。 |
田淵行男(山岳写真家) ヤマケイ文庫 2019/01/21 山岳写真家が、 昭和40年代に執筆したエッセー。 良い観察眼と、 優れた表現能力です。 山頂からの富士山を語ります。 著者が死んだ後にも残る文章。 税法書などは1年で消えていき、 私が書いた文章も3年で消えていく。 P156 それが朝であれば、明るい桔梗色の山肌に雨裂の一つ一つが読みとれるくらい近々と見えることもあったし、それがたそがれ迫る頃であると、濃いシルエットでくっきり、意外に小さく夕映えの空に浮かんでいた。純白に雪をかぶった厳冬の富士はたとえようもなく神々しく心を打たれたし、物差をあてたように中腹を、一線で区切って新雪に染め分けられた秋口の富士には、美しさの中に凛とした風情が感じられた。山頂から放射状に風化のえぐった溝渠のままに残雪を曳いた春先の富士は、たおやかな表情を浮かべていたし、思いがけなく夏雲の隙間に垣間見た真黒な盛夏の富士は怪奇じみて見えた。 |
山岡淳一郎(ノンフィクション作家) 東洋経済 2019/01/18 常に、移動生活を必要とするサーカス団。 多くのサーカス団が消滅していった中で、 ちゃんと生き残っている木下サーカス団。 それを説明する理由があるのだと思う。 ただ、 残念ながら 木下サーカスの経営者が書いた一冊ではなく、 ノンフィクション作家が書いた一冊なので、 外から見た景色が書かれるだけであって、 当事者としての 考え方、生き方、哲学などは語られていない。 木下サーカスの単なる解説書で終わっている。 ノンフィクション作家の作品は、 書かせてもらっている遠慮からか、 よいしょと持ち上げる立場で書かれていて、 すべてが綺麗事で終わってしまっている。 経営者自身が、 ライターの手を借りてでも、 経営の思いを掘り起こして書いたら、 サーカス団という存在について語る名著になったと思う。 P21 では、木下サーカスの陣容を紹介しておこう。四代目社長の木下唯志をトップに姉で副社長の嘉子ら役員が6名、営業と総務に30名、日本人の演者が37名、外国人演者は22名、音響・照明6名、合わせて101名の社員で構成されている。ここにテントの設営や撤去、現場の補助で公演ごとに30名のアルバイトが加わる。 P55 中尾家では、食事のしたく、家事全般は夫の展久の役割だ。家では仕事の話をせず、妻の梨沙が子どもの幼稚園探しや小学校の転校手続きを行う。鹿児島公演が始まってひと月経った時点で、梨沙は、次の岡山の幼稚園を確保しようとネットで調べていた。2、3カ月おきの移動は負担ではないのだろうか。展久が語る。 「子どもは生まれたときからこのリズムに慣れています。長女は、親友ってひとりじゃなきゃいけないのかなあ、いっぱいいるけどいいのかな、と聞いてきました。各地で、できた友だちとネットや、携帯電話でつながっているようです。転校の寂しさはあるでしょうが、いまは子どもなりに適応している。妻は、1人目を産んで、やめるかな、と思っていたら、体を動かして舞台に立ちました。2人目、3人目でも復帰して、ほんとうにサーカスが好きなんだと思います。家族一緒に暮らすのはいつまで、とは、まだ決めていません」。妻の梨沙が舞台への愛着を口にする。 「上の娘が小学校卒業するまで4年、わたしの体力が続くか、わからないな。子育てとサーカスで大変でしょってよく言われるけど、夫も分担してくれて、やりたいことをやらせてもらってます。だから、納得できるまで舞台に立ちたい。子どものせいにしてやめるのは、逆に子どもに失礼じゃないかな、とも……。体力の限り、サーカスにいたいです」 とはいえ、いつまでもこの状態は続けられない。夫は照明・音響の技術を生かしてサーカスに人生を預けられても、妻はいずれ円形舞台を降りるときがくる。子どもが中学、高校に進めば、現実的に移動生活は難しい。定住を迫られるだろう。 「僕らにとって定住は永遠のテーマです。動きながら、どこか、いいとこがあったら定住先にしようと話していますが、互いにどこでもいいや、とこだわりがありません。住みやすければ、どこでもいいけど、まだ決められないんですよ」 と、展久は述べた。夫妻はともに37歳だ。人生の折り返し点まで、もう少し時間はある。 |
岡田陽介 日本実業出版社 2019/01/18 ディープラーニングの具体的な内容を理解することが可能です。
旧来の機械学習では「猫」を区別する特徴量(耳の形)を人間が教えたのですが、 教師データから特徴量の認識をコンピュータが行うのがディープラーニングです。 コンピューターが人間の能力を超えるなどという嘘を付いている人達に読んで頂きたい一冊。 P32 そうです。いま「AI」と呼んでいるのはすべて「特化型(専用)」のことで、ある分野に限定すれば、人間よりも高い性能を出せるというものです。将棋とか囲碁とかでも、人間を、それも名人クラスを打ち負かして話題になったけど、あれも特化型(専用)だから。全能型の鉄腕アトムではないですよ。 AIのような革新的な技術が登場したとき、どうしても一般の人はSF的な、夢のような存在を想像しがちですよね。鉄腕アトムのように自我や感情をもっていたり、そんな「人工知能」があるかのように誤解してしまう。科学的・専門的な素養がないために深い理解力がないのは無理もないことだけれど、それはメディアにも責任の一端があるようにも感じるわね。客観的に正しい情報を伝えることをせずに、話題先行というか、やや過剰気味に面白おかしく伝える傾向があるのでは、っていったら言い過ぎかしら? P48 P49 P101 P110 P111 P121 |
村上世彰 幻冬舎 2019/01/16 誰に向けて書いたのだろう。 ルビが振ってあることからすれば 小学校3年生以下を対象にするのだろか。 カネは廻ることで意味がある。 書いてあることはその一点です。 大きなカネを動かしている投資家なのに、 カネについても、投資についても哲学が書かれていない。 本心を隠して、 いや、本心など存在せず、 「バカだな、お前ら」と考えているのか。 「カネだけ」だった自分の人生を肯定したいのか。 小学生が読んでも、 大人が読んでも意味のない一冊。 唯一、価値があるのはP152一文ですが、 その解決策として提案されるのは陳腐です。 就職する、 返済不能の奨学金を利用する、 働いてカネを貯めてから大学に進学する。 若者は、夢をもって、将来の可能性を信じて人生を積み上げる。 そこに「奨学金という借金」を負担させるのは、 社会の責任、親の責任。 と、私は思う。 P13 僕は、お金を人から借りるのが大嫌いです。理由は簡単で、何があっても返さなくちゃいけないから。返せないかもしれないお金を借りて、返さなくちゃいけないと思い続けるのは、本当に苦しい。そして万が一予想外のことが起きて返すべきお金を返すことができなくなったとき、それは君だけではなく周りまで巻き込み傷つける、恐ろしい凶器に変わってしまうのです。 P39 モノの本質を見ずに、こうして「値段」だけで物事やその価値を判断してしまうと、お金に縛られた生き方になります。なんでも高いモノのほうがいい、稼げるだけ稼ぐのがいい、とお金だけを追いかけてしまうと、値段にも収入にも上には上がありますから、どこまで走ってもゴールできないマラソンをしているような人生になってしまいます。お金は大切だけど、豊かな人生を送るための手段のひとつでしかない。「お金」そのものが人生の目的やすべての基準になってしまうのは、本末転倒です。 P152 借金は、借りるときは楽なのです。日本学生支援機構から借りる場合であれば、毎月2万円から12万円というお金が君の銀行口座に振り込まれます。毎月いくらの借入をするかというのはいろいろな条件から決まるのですが、たとえば8万円とすれば4年間で384万円のお金が手に入ります。そのお金は将来就職してから返せばいい。学生でいる間は、お金のことを心配せずに学問に専念できるわけだから、これはとてもいい制度のように思えます。実際にこの制度を利用して、毎年たくさんの人が大学や専門学校などで学んでいるのは事実です。 けれど、さっきもいったように借金は返さなければなりません。384万円のお金を借りるということは、384万円、もしくはそれ以上のお金を返さなければいけない。それは、お金を借りるときに想像するよりも、はるかに大変なことです。 4年間、毎月8万円のお金を教育ローンとして借りた場合、就職して給料から毎月8万円を返すとしたら、すべて返し終わるには4年かかるわけです。毎月そんなに借金を返すのは難しいから実際には毎月の返済額を2万円とか3万円に設定することが多いそうですが、そうすると今度は返済期間が延びて10年も20年もお金を返し続けなければならない。そこに利子が付けば金額はさらに増えます。返済が滞れば、延滞金も発生し、最終的にはもともと借りたお金よりもずいぶん多い金額を返さないといけないケースもあるそうです。 |
小柴雅史(生駒市長) 学陽新社 2019/01/12 AI・ITに負けない公務員の仕事、 少子高齢化と人口減少での財政の悪化 公務員は変わる必要があると熱弁を振るうが、 そこで提案される未来の公務員像は陳腐なまま。 「安定だけを求めて公務員になるような職員は、市民や事業者からそっぽを向かれて市民ニーズに対応していくことはできない」と語りますが、それこそが公務員を定義するもっと典型的な個性。それを変えることは奈良の大仏に駆け足をさせるが如し。 地方銀行と、 地方自治体は、 既に不要な存在だと思う。 2つの組織は、 矛盾が拡大し、 破綻に至るのは時間の問題です。 ネットの時代なのだから、 市境や県境で行政を切ること自体が無駄。 地方行政総合サービスという1つの制度に統合すれば良い。 小さな日本に、 幾つの行政区分があるのだろう。 まず、地方税を国税に統合し、 一本の税法と税率にしてしまえば良いと思う。 必要なのは警察と検察に限り、 その他の行政はネットに委託してしまう。 自治体の消滅こそが、 自治体の正しい未来の姿です。 その意味では 市役所の職員を9人にした 米国サンディ・スプリング市には学ぶべきところがある(26頁)。 本書は、 公務員村の、 公務員による、 公務員のための、 時代に遅れた業界の書。 民間が、 創意工夫、 その場の状況に合わせての対応、 相手に対する思いやりで機能しているとすれば、 それらを許すことができないのが公務員という制度。 それなら、 そのような無駄を存在(公務員)を、 最小数にすることが正しい改革だと思う。 市長の立場では、 行政と公務員の存在場所の確保が前提になりますが、 AI・IT、少子化社会は、その逆に時代を進めると思う。 市長には、 多様な事業計画があるようだが、 民間会社が実行しても難しいのが事業。 公務員が手を出して上手く行くはずがないし、 そもそも役所が事業でカネを稼ぐなんて勘違いだと思う。 市長が辞めた後には不良事業の山が残ってしまう。 P26 2009年に1冊の本が出版され話題となりました。 『自治体を民間が運営する都市 米国サンディ・スプリングスの衝撃』(時事通信社)です。米国のジョージア州に新たにできたサンディ・スプリングス市は、消防と警察以外の業務をすべて民間事業者であるCH2MHILLOMI社に委託したことにより、市役所の職員はなんと9人。 P43 第二に、安定だけを求めて公務員になるような職員は、地域の発展には不必要だからです。大過なく毎日を過ごし、与えられた仕事をミスなくこなすだけで変化をつくり出そうとしない従来型の公務員では、市民や事業者からそっぽを向かれ、力を合わせて地域課題や市民ニーズに対応していくことができません。 P65 しかし、これからの時代、高齢化に伴う急激な社会保障費の増加などに対応するには、行政コストの削減に加え、しっかりと「稼ぐ」自治体になることが必要です。 歳入面でも、多くの自治体では、今後、人口減少による住民税の減少、住宅の経年劣化による固定資産税の減少などが顕著になります。したがって、収入を増やす新たな取り組みを真剣に考えるべき時が来ています。 P157 国家公務員をやめて生駒市に着任した時にびっくりしたことの1つが「市町村が直接国に連絡したら怒られる」というウソのような本当の話です。当たり前ですが、市町村が独自で取り組んでいる案件で、霞が関の各省に関する質問は直接各省に連絡をすべきであり、都道府県を経由する必要はありません。しかし、このような問い合わせに対し、各省が「都道府県を通せ」、県の担当者が「直接国に電話するな」と怒ることがあるのが現状です。 |
裴 英洙(医師) ダイヤモンド社 2019/01/11 私は、 風邪を引くことが多い。 免疫系が弱いのか、 鼻や喉が弱いのか 油断することが多いのか、 本書で知ったのは、 免疫系の対策も重要だが、 ウイルスという物理的な存在を身体に入れないこと。 外出時に物に触らない。 帰宅したときは手を洗い、口を洗う。 手で鼻や顔を触る回数を減らす。 唾液の分泌を良くするためにガムを噛む。 病院には行かない。 マスクは ウイルスを吸い込まないことに意味があるのではなく、 ウイルスが付着した手で顔を触らない為に意味がある。 ウイルスにして見たら、 マスクは刑務所の鉄格子ほどに 通り抜けが容易なのだと思う。 P47 風邪は、その80〜90%がウイルスが原因で発症します。また、風邪の原因となるウイルスは、全部で200種類以上あります。 風邪は一般的に、ウイルスが侵入して10〜12時間で症状が出始め、感染2〜3日後に症状のピークを迎え、7〜10日で消失する、という経過をたどりやすくなります。 あくまで一般的な例ですが、症状の変化は、次のような過程をたどります。 @ 微熱やだるさ、鼻の奥からのどの上のあたりのイガイガ感から始まる A 1〜2日遅れて鼻水や鼻づまりがあり、せきやたんも出てくる B 3日目前後に症状のピークを迎える(もっとも辛くなる時期) C 7日以上経ったころ、よくなっていく P56 インフルエンザは、風邪の一種です。 ですから、風邪と同様、健康な成人であれば、治療薬なしでも回復します。 P57 また、インフルエンザウイルスに感染した1828人のうち、1371人が無症状であったことを示す研究があります。 つまり、無自覚のうちに感染し、周囲に拡散している可能性もあるということです。 P80 人は、無意識のうちに、何度も自分の顔を触っています。 オーストラリアの、ニューサウスウェールズ大学の研究結果を紹介します。 医学生を対象に、講義を受講している間の学生の行動をビデオテープに記録し、粘膜や粘膜以外の部分に手が接触した頻度を集計して、解析した結果です。 この研究によれば、1時間当たりの顔への接触回数は、平均23回。 平均接触時間は口が2秒、鼻が1秒、目が1秒でした。 人は、知らず知らずのうちに、想像以上に顔を触っているようです。 ウイルスが付着した手を顔の粘膜や口の周りに持っていくだけで、接触感染の可能性はグンと上がるのです。 P88 P91 P161 |
頭木弘樹 飛鳥新社 2019/01/10 努力すれば夢はかなう。 そのような希望的な言葉は、 絶望している人達には役立たない。 失恋したときには、 失恋ソングの方が気持ちにピッタリする。 20歳で難病になり、 13年間の療養生活を送った著者が、 歴史的な名著に登場する絶望の言葉を紹介します。 P167 世の中に普通に語られることって、成功体験が多いじゃないですか。苦労話もありますけれど、結局、乗り越えた人の話なんですよね。乗り越えなかった人の話って、なかなか出て来ないじゃないですか。だけど文学だけは、そういう話を書いてくれるわけですよね。 P245 頭木さんは、二十歳で難病になり、十三年間の療養生活を送っています。番組では、突然発症して病人になったとき、カフカの代表作である『変身』がリアルに感じられたこと、入院中に明るくポジティブな本が読めなくなり、カフカの絶望的な内容の作品を読むようになったこと、カフカの言葉が自分の絶望に寄り添ってくれるように感じ、孤独がやわらいだことなども話していただきました。そして、つらかった時期に心の支えとなった名言をご紹介いただきました。 P248 番組内でご紹介する「絶望名言」とは、簡単に言うと「絶望した時の気持ちをぴたりと言い表した言葉」です。 P248 P251 |
静慈 彰(南福寺住職) 飛鳥新社 2019/01/09 優れた両親の下に生まれたが、 多様な意味で社会に適応できなかった著者が、 日本と米国の仏教界で活躍し、排除されながら、 行き着いたのはキャンピン用に改造したボックスカーでの1人生活。 しかし、 米国、オーストラリア、インドなどの生活、 日本で多様な活躍を読ませて頂くについて、 著者は社会的な適応性に非常に優れていて、 ただ、それが既存の人達に拒絶反応された。 日本の仏教界が社会に適応できなくなっている状況と、 適応できなくなった仏教界に適応できずに排除される著者。 いや、これって私がサラリーマンになった姿と同じだ。 本書は138頁当たりから読み始めた方が良い。 P138 僕の父は、K大学教授にして高野山S院の住職。2018年には、高野山の最高位である法印として、弘法大師空海の名代を務めた。母は、K医大の衛生学部卒。僕は、そんな両親の間に3人兄弟の次男として生を受けた。 P139 1つ年上の兄は、小さいころから成績優秀だった。小学校は実家から通っていたが、中学校は大阪の叔母の家に下宿して、大阪市内の有名中学に越境入学した。難関の有名高校に合格、大学は医学部に進み、順当に医師になった。 学業のふるわなかった弟は、両親の教育方針に早々に見切りをつけて、自分の好きな機械を勉強するために工業高等専門学校に進学。中学を卒業すると、さっさと家を出て学生寮に入った。 家庭内で兄はいつも特別扱い。弟は早々にグレて、髪を真っ赤に染め、バイクを乗り回し、停学処分を受けて、僕が親に代わって迎えに行った。 子どもにとって、親は世界のすべて。親に見放されることは、すなわち死を意味する。僕はそれこそ必死で勉強して、それなりに勉強ができる優等生となった。 P178 P180 P182 P187 P191 P198 |