樹木希林 文春新書 2018/12/26 樹木希林の言葉。 本音に基づき、 深く掘り下げるところがあります。 しかし、 本書では、 そのような言葉は見付けられなかった。 P56 私の中にあるどろーっとした部分が、年とともになくなっていくかと思っていたんだけれど、結局は、そうじゃなかった。でも最近は、“それがあっていいんだ”と思えるようになって。少し、ラクになりました。 |
ヒロシ 講談社 2018/12/21 全ての事柄に、 それなりに対応できる、 組織人としての生き方や、 社会での評価と、 成功を基準にする価値観と、 その真反対に 自分が好きなことをやっていて、 社会に小さく受け入れて貰える。 他人や、 組織を中心とした 他人の基準に適応する生き方ではなく、 自分の基準を中心にする生き方を語る。 そんな生き方を紹介する一冊です。 テレビで見かけていたホスト風の著者との イメージのギャップを楽しませて頂ける一冊。 私自身は、 法律で保護された資格商売なので、 ヒロシ氏とは全く異なりますが、 それでもヒロシ氏が語ることは、 私が語る事とほとんど同じと思える。 私自身の存在と、 私自身の会話が受け入れられるか否か。 受け入れられれば俺の成果、 受け入れられなければ俺の責任。 そのどちらの場合も正面を見て客と向き合う。 P7 今回僕は、あるメッセージを伝えるために本を刊行する決意をした。それは、好きなことをして生きていく、そんな“人生100年時代”の新たな働き方を提案したいということだ。 P23 一方、バランスは良くなくて、コミュカも高くないのに、「何でも屋」を求める企業体質に合わせようと悪戦苦閲しながら、結果を出せない職人気質の人がいる。僕はそんな不器用な人に向けて、今までと違った働き方を提案したいのだ。 コミュ力ゼロの僕は、そんな企業から見れば人間失格だ。先輩芸人からかわいがられるようなことはできなかったし、飲み会のようなワイワイする場も苦手だ。僕みたいなコミュ力が足りない人間、尖ったとはいわないまでも丸くない人間は、どうやったって何でも屋としてはやっていけない。 だけど、果たしてそれがいけないことなのかと問いたい。最近でこそコミュ力の高い人やオールマイティな人が幅を利かせているかもしれないが、そもそも日本は職人が活躍してきた国ではないか。 尖ったスペシャリストタイプの人が実はたくさんいるのに、そういう人も「普通の就職」で削られ、丸くなっていく。とても不幸な話だ。 僕の「職人2・0」という働き方の提案は、ゼネラリストになれないのだとしたら、戦えるスペシャリストになろうということだ。 P24 これは、何かに特化したスペシャリストは社会からは求められているが、会社からは求められていないことを示している。その会社が今の社会のニーズを満たそうとしていない、ともいえる。 |
国立がん研究センター研究所 講談社 2018/12/21 国立がん研究センター研究所が編集し、 専門の医師が執筆した一冊なので、 それは詳しいこと、深いこと。 読みやすい一冊です。 しかし、読めても、 その知識が身に付くかと問われれば、 それは、やっぱり医学部は難しいという気分ですが、 がんという病気の基本構造が分かるような気がします。 がんを専門としない医師ぐらいの知識は手に入るはず。 日本人の2人に1人が生涯に一度はがんにかかり、 男性の4人に1人、女性の6人に1人ががんで死亡する。 がんになるか否かの環境因子も大きいようですし、 早期発見、早期治療の医療技術と平均余命は伸び続けている。 50才を超えたら必要な知識だろう。 最後まで読み通してみる予定です。 P60 がんの治療成績は、がんの種類によるばらつきはあるものの、全体としては年々向上しています。国立がん研究センターなどが全国のがん専門診療施設を対象に行った調査(2016年−月公表)では、すべてのがんを合わせた5年生存率は約69%で、10年前に比べて5〜6パーセント上昇しています。 P61 しかし、標的タンパク質は次々にできてくるので、分子標的薬は使い続ける必要があります。また、標的タンパク質の形が変わって、効かなくなることもあります。 P70 現在では、「遺伝子変異が次第に積み重ねられた結果、がんが発生する」という「多段階発がん説」が、広く受け入れられています。この説は、がんの発生率または罹患率が年齢とともに上がることとも符合しています。もし、ひとつの遺伝子変異でがんが起こり、遺伝子変異の起こる確率が年齢で変化しないなら、どの年齢でも、がんの発生率または罹患率は同じはずだからです。 |
佐藤眞一(老年行動学教授) 光文社新書 2018/12/19 認知症に成ったら、 心の中は空っぽなのか、 あるいは不安と不満でいっぱいなのか。 空っぽならボケるのが勝ちですが、 どうも、そうではないらしい。 ボケるのは止めておこう。 P189 そのような状況が変わったのは、2004年、京都で開かれた国際アルツハイマー病協会の国際会議で、若年認知症の男性が自分の状態や内面を語ってからです。このときを境に、「本人は何もわからない」という、それまでの常識が覆りました。そして、自分のことを語る認知症の人が増え、少しずつ理解が進みました。 P193 認知症の人は、この自由が奪われた腹立たしさ、自己決定できないつらさが、日常のすべてにわたって起こってきます。しかもそれは、ほかの誰のせいでもない、自分の病気のために起こるのです。 自分で自分をコントロールできないこと。その原因が自分の内部にあること。他者に依存せざるを得ないこと。それらすべてが、誇りを持って自律的に生きてきた自分の身に起こるのです。 P196 その理由の中には、見せたことのない嫌な自分を家族に見られたくない、言ってはいけないことを言ったり、秘密にしていたことを言ったりして、家族に嫌われたくない、という思いもあるのではないかと、私は思っています。要介護になると、排泄や入浴の際に、裸の肉体を晒さなければなりませんが、認知症になると「裸の心」まで晒さざるを得ない。それがつらいのです。 P222 そのため、夕方何もすることがないと、何かを考え始めます。ポジティブなことを考えてくれればいいのですが、たいていは違います。見当識が低下していると、外界の認識が曖昧で不安が強いために、居心地の悪さを感じます。「ここは自分の居場所ではない」と思うわけで、そう思い始めると、頭の中がそれでいっぱいになってしまいます。じりじりとした焦燥感があるのかもしれません。それで、「家に帰ります」と、なるのです。 P224 老いとは、プライドとの闘いです。老いて弱くなっていく情けない自分と、人生の荒波を乗り越えて生き抜いてきた誇り高い自分。2つの自分の間で揺れ動き、引き裂かれそうになって、必死に闘っているのです。 P225 Nさんは、人に頼まなければ電話もできない、自由に外にも出られない、弱い自分を感じています。その一方で、「なんでこの私が、こんな人たちと一緒にいなければならないのか」「ここは私の居場所ではない」という、プライドからくる怒りを感じています。 |
佐々木常雄(がん化学療法) 講談社現代文庫 2018/12/10 末期がんの方々を 患者にする医師が、 余命宣告された患者が 死と向き合う方法を模索します。 本書を通して 一環して語られているのは、 死の恐怖に打ち勝つ方法は無く、 僅かに残された治療に希望を繋ぐ人達や、 がん宣告を行わない時代の方が良かったという思い。 大量の患者を扱った医師の分析ですから、 それが正しいと思うのですが、 私には、違うように思えます。 石弘光教授が「末期がんでも元気に生きる」で語った、 「なぜ、このように平然と深刻な事態を夫婦二人とも受け入れられたのか」。 その言葉の方が遙かに納得ができるように思う。 私自身、 充分にやるべきこと、 やりたいことをやってきたし、 永遠の命(なんて重くて仕方がないし)、 急いで死にたくないのは、ただの未練なだけであって、 余命宣告されたら、それはそれとして受け入れるように思います。 爺様になって、 足が痛い、 腰が痛いと 生き続けるのに比較すれば、 死ぬことは勝ち逃げなのですから、 笑う対象でしかないように思います。 P86 終末期において、がん患者さんの心の状況を判断するのに、キューブラー・ロスの「死の五段階(1否認、2怒り、3取引、4抑うつ、5受容)」を単純に当てはめられない方がたくさんおられるのである。 P175 死の準備教育で、死をたくさん見て、死をよく考えて、それで死の恐怖がなくなるならば、過去において宗教などはいらなかったのです。むしろ昔は、戦や、飢饅で道端に、河原にたくさんの死を見て、その悲惨さを見て、人の心を何とかして安寧にしなけれぱと思って宗教は発達したのです。 死に直面し、死の恐怖を癒すために宗教があって、人はそれで生きてこれたのです。宗教にとって死の恐怖は最大の課題であり、また宗教以外に、それを癒す方法は見つからなかったのです。いま、宗教が多くの人の心から離れている状態で、その状況で死に直面して、人はどうその恐怖を克服するのでしょうか? P179 これまで、どれだけ良き人生を歩んできたにしても、がんが進行し、治療効果がなくなり、短い命の宣告で奈落に落とされたまま、そのまま暗く沈んだまま死の恐怖におののきながら死んでゆくのなら、二十世紀の、病気を知らされないまま、死を自覚しないまま死んだほうが良かったのではないかと思うほどです。しかし、もう、短い命であることを知らないで、知らされないでおれる時代ではなくなったのです。 |
河合 敦(日本史専攻) 光文社知恵の森文庫 2018/12/05 歴史は逆に語った方が良い。 ピテカントロプスから始まる歴史の教育は間違い。 昭和、平成史の説明が終わらない歴史の教育も間違い。 なぜ、今がこうなっているのか。 その理由を掘り起こしていくのが歴史だと思います。 凄く、読みやすい一冊で、 あの時代を思い返す通勤時間の友です。 日本の現在は、 次の時代(P76)から スタートしたように思います。 今、この時代の人達が高齢化を迎えて、 また、主人公の地位に返り咲いている。 P76 ただ、経済成長が続く一方で、第1次産業(とくに農業従事者)人口は急減する。人手が不足した第2・3次産業が、高給を提示して農村から働き手をごっそり引き抜いてしまったからだ。このため農村の青年は工場地帯へ集団就職し、農家の世帯主さえ都会へ出稼ぎに出た。これにより就業人口に占める農業人口は、1955年に4割強だったのが、1970年代には2割弱になり、農村は過疎に悩まされる。 対して都市部は過密化し、兎小屋といわれる狭い居住空間しか確保できない人びとも多く、郊外に団地が建ち並んだ。核家族化も進み、交通事故死も急増。また後の「過労死問題」につながる「働き過ぎ」など、さまざまな都市問題が出現した。 経済成長を求める企業は、利益を最優先し、工場から出る汚染物質を海や川や空に垂れ流し、産業廃棄物を山や谷へ投棄した。結果、各地で公害問題が発生。このため1960年代後半から公害反対運動が高まり、被害者が集団で企業を訴える裁判が続々とはじまった。 阿賀野川水銀中毒(第二水俣病)・四日市ぜんそく・イタイイタイ病・水俣病の被害をめぐる四大公害裁判は、マスコミに大きく取り上げられた。これらはいずれも被害者側の勝訴に終わった。これにより多くの企業が意識を変え、政府も1967年に公害対策基本法を制定、1971年に環境庁を発足させた。 経済成長の陰で、こうしたひずみが広がっていたことも忘れてはならない。 このように、戦後の日本は様々な問題を抱えながらも、時の池田内閣による積極的な支援・環境整備もあり、飛躍的な経済発展を遂げたのである。 |
浜田敬子(AERA元編集長) 集英社 2018/12/04 女性も働くようになった時代。 爽やかに働く姿が書かれるのかと思ったのですが、 あるいは働くことについてと子育ての関係とか。 最初から最後まで 女性が働くことの恨み辛みが書き連ねてある。 著者は、頑張ったのだろうが、そんなことは著者の人生。 もう少し、建設的な発想ができないのだろうか。 もしかして、 この個性はAERAという雑誌の内容に通じる。 働く女子が生きづらい社会はAERAに好都合だと。 最初から最後まで書いてあることは繰り返し。 最後の一文を引用すれば本書の全てを語る。 P234 どうして男性が仕事で成果をあげれば祝福されるのに、女性は敬遠されるのだろうか。どうして仕事って面白い、働くのが好きと堂々と言える世の中にならないんだろうか。女子が仕事に対して、もっと健全な野心を持てる社会はいつになったら来るんだろうか。いつになったら誰にも遠慮せず、罪悪感を持たず、仕事に遭進できるんだろうか。 30年間で進歩したところもあれば、遅々として変わらない部分もある。財務省で起きたセクハラ事件や東京医大の不正入試問題など、2018年にもなってまだこんなことがあるのか、という事件が相次いだ。一方で、出産しても辞めない女性たちはどんどん増えていて、保育園の待機児童問題は深刻だ。より女性が働くことが「当たり前」になっているのに、男性、特に「おっさん」たちを中心とする構造やメンタリティーは変わっていない。 |
恩蔵絢子(脳科学者) 河出書房新社 2018/11/24 こういう本に出会うので読書は辞められない。 多様な脳科学の視点で、 認知症の行動を解き明かします。 壊れた箇所から症状を解読すれば、 症状を良い方向で発症させることができるし、 家族も有効な方向で対処することが可能です。 「デフォルト・モード・ネットワーク」からの分析も、私には収穫がありました。 集中しているときよりも、休んでいるときや、リラックスしているときの方が活動する脳部位が組んでいるネットワークのこと。記憶の整理だ。海馬を中心とする機能だが、アルツファイマーでは海馬の機能が衰えてしまう。 つまり、多様な情報を自分の机の上に持ってきて観察し、分析するのが仕事モード(起床時)だとすれば、机の上に溜まった情報を、脳の図書館の所定の場所に保存するのが「デフォルト・モード・ネットワーク」の働き(休息時、睡眠時)。元あった位置に戻すだけではなく、新しい情報を加えて、さらに適正な箇所に保存する(記憶の上書き)。 アルツファイマーの人達は、多様な刺激がむやみやたらと頭に入ってくるばかりで、記憶の整理整頓ができなくなる。つまりは、机の上が乱雑に散らかっている状態で、何か、意味があることをつかみ出し難い状態になっている。 デフォルト・モード・ネットワークを活性化させるのには、ぼうっと散歩をすることが良い。どうしたらよいだろうと、心をいっぱいにしている状態ではなく、何も考えずに、ただ、ぼうっと歩く。つまり、乱雑になってしまった机の上から、思考を、外に向けることで「デフォルト・モード・ネットワーク」状態に入りやすくする。 なるほどと思います。 これはアルツファーマーの方達だけではなく、仮に、不眠症の人達。寝なければ、寝られないと、頭の中をいっぱいにしてしまうのが不眠症だとすれば、そこから意識を離してしまえば良いはず。電車の中や、動く車の中では眠くなってしまうのは「デフォルト・モード・ネットワーク」が活性化したからだろう。 それなら逆に、睡眠から「デフォルト・モード・ネットワーク」モードに入るのではなく、「デフォルト・モード・ネットワーク」から睡眠に入れば良いはず。外部からの定期的な刺激や、あるいは自分から起こす定期的な刺激で「頭がいっぱい」の状態から離れて「デフォルト・モード・ネットワーク」状態に入り込む方法です。 観光地では写真に撮らない方が記憶が鮮明に残る。 これも成るほどと思います。 講演会でメモを取る人達は その分だけ、理解し、記憶するという機能をさぼらせてしまっている。 「私の講演会ではメモなど取る必要は無い」と最初に宣言してみようと思う。 P40 P54 P56 P57 P58 P77 P86 P87 P97 P122 P145 P133 美術館に行って、彫像を見て帰ってくる。このとき、ただ見て帰ってきた人と、見た上で最後に写真を撮って帰ってきた人と、どちらの方が後々までその彫像のことを細部にわたって覚えているか、ということを調べた実験がある。 結果は、前者の、ただ見て写真を撮らずに帰った人の方が、彫像のことを後々まで詳細に記憶していた。写真を撮ると、写真に残っているから、わざわざ自分の中に残しておく必要はない、と脳は記憶を手放してしまうのだ。 人の話を録音したり、メモしたり、ということも、写真を撮るのと同様で、録音機やノートという、脳が記憶の外部装置として使える物があることになるので、脳は記憶を手放してしまう。 「後ではもう見られない、聞くことができない」という条件が、脳そのものを本気にするのである。写真、録音機、ノートなど、後から別の場所を頼れば、また見られ、聞くことができるならば、脳は効率化を図って、参照先だけを覚えておくことにする。 写真や録音機やノートに記憶を外部化しておいて、必要なときにそれを参照しに行った方が、脳は、他の、くり返しのきかない大事なものを蓄えられる。 |
若林正恭 文藝春秋 2018/11/06 書き出し(P2)は辛辣だったので、 このような文章が続くのかと思ったのですが、ダメ。 いとうあさこ氏の「あぁ、だから1人はいやなんだ」と同じで、 自分の思いが書いてあるだけの一冊。 ファンであれば、 著者の思いにも意味があるのだろう、 いや、 自分探しをしている人達には、 このような思いにも意味があるのだろう。 子供の日記帳。 しかし、 レイキャビクには、 私も、一度は言ってみたい。 トム・クランシーの 「レッドストーム作戦発動」で、 ロシヤ上陸に対して、情報将校が活躍した町。 P2 今のご時世「自分探し」なんて言葉は、人をバカにする時にしか使われない。 この言葉には、元々無いものを一生懸命探している人の、滑稽な姿への嘲笑が含まれている。 P137 年末年始はアイスランドに行って来た。「お正月はどこ行くの?」と、聞かれて「アイスランドです」と答えると「オーロラ?」とよく聞かれていたのだが、それは半分当たっていて半分外れていた。オーロラよりも見たかったのが、アイスランドの首都レイキャヴィークの大晦日のカウントダウン花火だ。何で知ったか忘れたが、アイスランドは年末のカウントダウンに日本では到底許されない規模の花火を一般市民が街中で打ち上げまくるのだ。僕のストレス解消法の一つに1万円分ぐらいの花火を買い占めて、湘南の海で打ち上げまくるという行動がある。そんな僕なので、アイスランドの花火イベントを知った時にどうしてもこの目で見たくなった。 アイスランドに着き、大晦日のカウントダウン花火を心待ちにしていた。年明けの時間が近、つき、打ち上げ花火を見に行くツアーに参加するためにロビーに集合しバスに乗り込んだ。ガイドは「アイスランド人は構わず花火を上げるので、自分の身の安全は自分で確保してください」とツアー客に忠告していた。街の高台にバスは停まり、そこからは時間まで自由行動となった。バスを降りて街を眺めると、すでにとても民間人が打ち上げているとは思えない大きさの花火が360度街の至る所で炸裂していた。嘘みたいだった。戦争映画のような爆発音が休みなく鼓膜を圧迫し続ける。僕は口を開けて呆然としていた。 「こんなことが許される国があるんだ」 こんなにクレイジーでもいいんだ。家の庭から、路上から、シュン、シュン!という音と共に花火が打ち上げられて夜空で爆発しまくっていた。辺りには煙と火薬の匂いが充満している。僕は興奮してカメラのシャッターを切りまくっていた。 P139 次の日はゲイシールの間欠泉を見に行った。地熱で温められた地下水が30メートルも吹き上げて来るようだ。いつ来るかは、わからない。ガイドは「風下だと熱湯がかかる恐れがあるので、必ず自分で風上を見つけて身の安全を確保してください」と言っていた。大地にポッカリと口を開けたような間欠泉の水面は、大きな怪物が呼吸しているような音を上げながら沈んだり浮き上がったりしている。 「地球も生き物なんだ」 「内部には熱があって、常に動いているんだ」 すると、突如水面がドーム状に膨れ上がりそのてっぺんを水柱が突き破ると、轟音と共に白い先端が天を突き刺した。見物客の歓声の中、水柱は白いキノコ雲に姿を変え、やがて白い蒸気となって空に消えた。似ているなあ、僕の好きな小説とかプロレスとかラップとか漫才に。 |
坪田信貴(学習塾経営) 幻冬舎 2018/10/19 ビリギャルを慶應大学に入学させた塾講師の一冊です。 実績があるのだから、 著者の主張は正しいのだと思いますが、 私には、これは納得という部分は1行もありませんでした。 18歳の高校生、 この程度のことで行動してくれるのだろうか。 いや、逆に言えば、 私には18歳の子ども達を行動させるノウハウはない。 共通言語が存在するかと思って読み始めたのですが、 別の世界の物語でした。 しかし、私にも、小学生の頃、いや、中学生の頃でも、エンジンを掛けてくれる教師が1人でもいたら、全く人生は異なっていたと思います。教育は、何にも増して重要ですが、それを知っている教師が、はたして、世の中に3人でも存在するのかと。 P50 こうして見てくるとわかるように、「やればできる」という思考は「結果至上主義」なんです。その結果が手に入らないとわかった瞬間に、やることそのものをやめてしまうのですから。 これは、「できそうにないなら、やらない」と言っていることと表裏一体なのです。 そんなわけで僕は、「やったら、いつか必ずできるよ」という意味の「やればできる」という言葉を使いません。世の中には「できないこと」がたくさんある以上、大人が子どもに、または目上の人が部下に言いがちな「やればできる」という言葉は嘘になるからです。 ……こんなふうに言うと、気持ちを削がれてしまいますか?でも大丈夫です。使う言葉を変えていけばいいのです。 こういうときに使うべき正しい言葉は「やれば伸びる」です。 何事も、やらないよりもやった方が絶対にいいのは間違いありません。誰でも、何かを始めて、それを継続していければ、やった分だけ成長して、経験した分だけ経験値は増えて、必ず伸びていく。能力が伸びれば、その「部分」が極立ってきて、「才能」になる可能性がある。 使い古された言葉ですが、「継続は力なり」というのは本質的に真実なのです。問題は、「自分にはできないと認知した段階」で丸ごと諦めてしまうことです。 |
保阪正康(現代史研究家) 講談社現代新書 2018/10/18 昭和の怪物7名の個性を紹介する。 恐ろしいことです。 あの大戦は、その役職に就いた1人の個性から始まった。 いまの総理の個性、 日本を破滅に導くかもしれない。 P13 東條が表舞台に出てくることになって、陸軍の政治的態度はあまりにも偏狭になっていく。とにかく強引で、自分に都合のいい論理しか口にしない。相手を批判するときは、大声で、しかも感情的に、という東條の性格は、はからずも陸軍そのものの体質になっていったのである。 大日本帝国の軍人は文学書を読まないだけでなく、一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。すべて実学の中で学ぶのと、「軍人勅諭」が示している精神的空問の中の充足感を身につけるだけ。いわば人間形成が偏頗なのである。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点を持つ。「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」。東條は陸軍内部の指導者に育っていくわけだが、この三つの性格をそのまま実行に移していく(その点では安倍晋三首相と似ているともいえるが)。 P14 私は赤松の言を確かめながら、日本には決して選んではならない首相像があると実感した。それは前述の三点に加えてさらに幾つかの条件が加わるのだが、つまるところは「自省がない」という点に尽きる。昭和十年代の日本は、「自省なき国家」としてひたすら驀進していった。それは多くの史実をもって語りうる。その行き着く先は国家の存亡の危機である。 P15 「(この日)近衛と東條の対立は一段と厳しくなり、近衛は『支那撤兵』を懇願したが、『撤兵とは退却。譲歩し、譲歩し、譲歩しつくす、それが外交というものか。それは降伏というのです』と、東條ははねつけた」 |
福岡伸一(編集者) 小学館新書 2018/10/09 前著の「動的平衡」の焼き直しと思ったのですが、 仮に、焼き直しでも著者の論述は読ませます。 主の意思でも無く、 自然淘汰でも無く、 生命の進化を語り、 宿り主の意思を語る。 P56 そこで考えられたのが、遺伝子上にはそれほどの変化は起こってはおらず、遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームの調節に変化がもたらされたのではないかという仮説である。ある生命体の遺伝子は、その生命体が生きているあいだ、ずっと同じように活動し統けるわけではない。というより、必要となったある一時期、あるタイミングにタンパク質合成の設計図を提供するにすぎない。つまり、私たちの身体のどこかに、その設計図を開くときに遺伝子をオンにするスイッチがあるのだ。 たとえば、少女が12歳前後で初潮を迎えるのは、繁殖への態勢がほぼ整い、そのスイッチが入ったことを意味する。そして50歳くらいで更年期を迎え、閉経するが、これはスイッチがオフになったことを意味している。生命体を動かしている遺伝子にはそれぞれにこうしたスイッチがあり、それが成育や環境の条件によって、オンになったり、オフになったりするのである。 ここにA、B、Cという三つの遺伝子があったとしよう。Aがいつ働くか、Bがいつ働くか、Cがいつ働くか。その順番が変わると、生命は変われるのではないか。エピジェネティックスはそういう考え方をする。 だから、いくら遺伝子を見ても、A、B、Cの三つがあることしかわからない、つまり遺伝子としては同じなのだけれど、それがどういうタイミング、どういう順番で働くかを考えないと、進化を含む生命体の変化は理解できない。逆に言えば、同じA、B、Cの三つの遺伝子を持っていても、その動かし方によって生命は変わりうるのである。 さらに言えば、遺伝子のスイッチにはボリュームのツマミも付いている。遺伝子は何かの働きをするタンパク質の設計図だけれど、それをオンにする際、どれくらいのボリュームにするかを決めなければならない。 これは音響機器の音量ツマミのようなもので、Aという遣伝子が指示するタンパク質をどれくらいの量で作るかということ。それが遺伝子B、Cにもある。各遺伝子のオンとオフ、そしてそれぞれが指示するタンパク質の量。これにその順番とタイミングという要素が加わって生命現象が営まれている。この組み合わせのバリエーションはほとんど無限と言っていい。 生命体は、置かれた環境によって遺伝子のスイッチやボリュームを制御している。寒ければ寒さに対処する遺伝子のボリュームを上げ、暑ければ別の遺伝子を発現させて身体を冷やそうとする。それぞれの生命体は遺伝子を使って独自の適応をしているのだ。 それは、同じ楽譜であっても、演奏者によって音楽が千変万化するのに似ている。遺伝子に「自由であれ」という命令が含まれているというのはそういう意味である。 古典的なダーウィニズム説に立つと、そうした環境への適応は、個体が勝手にやっていることで、次の世代には伝わらないと解釈される。遺伝子A、B、Cはタンパク質製造のカタログだから、ボリュームの上げ下げまでは遺伝しないと考えた。私たちが高校生時代に学んだ「獲得形質は遺伝しない」という話である。 しかし、エピジェネティックスの考え方は違う。遺伝子スイッチのオンオフ、それぞれのボリュームの程度も、ある環境にさらされた個体が次の世代に伝達しているのではないかと考える。 P80 P82 P83 P86 P89 P90 P91 P97 P98 |
佐渡島庸平(編集者) 幻冬舎 2018/10/03 ネット上にコミュニティを作った著者が、 参加しやすいコミュニュティを語ります。 私も、 19年間ついて taxMLというコミュニュティを管理しているので、 納得することもあり、参考になることもありました。 著者は、 熱狂は長続きせず、 安全、安心が、 信頼関係を生むと述べてます。 同様の活動をする 幻冬舎の箕輪厚介氏は、 本書での著者との対談で、 熱狂こそがコミュニュティと論じてます。 両者共が書籍の編集者の経歴を持ち、 書籍を売る場合の活動とネットのコミュニュティを比較して論じてますが、 その思想は真反対です。 著者 = つまり、本は一人ひとりのファンが、バケツリレーみたいに手渡しで広げていくものであり、多少わかりにくい内容でも、むしろそこから議論が深まっていく。そこで僕は、作品の愛好者を「コミュニティ」として組織することを考え始めたのです。 箕輪氏 = 佐渡島さんの根本に「作品を届けたい」という強烈な思いがあるとしたら、僕には全然違う動機がありました。要は「とにかく世の中をあっと言わせたい、バズらせたい」という思いです。『ネオヒルズ・ジャパン』は与沢さんのニュースとあいまって、バズりにバズり、3万部が完売しました。その騒ぎがすべて快感だった。そこで悟ったのは、僕にとっては正しいものが伝わることはあまり関係がなくて、世の中をあっと言わせるのが好きだということでした。 では、taxMLは何なのか。18年前に構築したtaxMLのポリシーについて、いまだに変更する必要を感じません。その思想は「共に成長するためには、友に成長してもらうこと」や、「100人の知識が1人の知識になり、1人の知識が100人の知識になる」という価値観。 書籍(商品)を創るという2人の立場に比較し、実務のために税法の知識を学ぶというシンプルな目的があるtaxMLは、遙かに、存在意義がシンプルだと思います。だからこそ19年間について、1日に100前後の発言数を確保している。2人の著者が、最近に発見した価値観が、taxMLでは19年前に実現しているのです。 P153 コルクラボというコミュニティの運営を開始したときも、熱狂を生み出すことを最優先した。あっという間に熱狂が起きて、参加者たちが長時間、クローズドなサイトで、さまざまな投稿をした。たった100人しかいないのに、セッションの平均時間が15分を超えるような状況だった。 3ヶ月ほどして、その熱狂に疲れて、脱落する人がポロポロと出てきた。作品を世の中に発表するときは、数万人、数十万人を対象にする。その中心で熱狂する人が数ヶ月ごとに入れ替わっていても問題ないし、こちらは気づけない。しかし、コミュニティの中で熱狂している人が脱落する様子を見て、何か仕組みが違う、熱狂は善だけではないかもしれないと感じ始めた。 P167 現代人にとって、お金よりも時間が重要になった。だから、自分が好きではない作品を見て、お金以上に、時間を無駄にしたくない。情報がありすぎて、何がいいものかわからない時代に、過去に評価されて多くの人が熱狂したという事実は、これから見る人の安心を確保している。されている。 P177 コミュニティを運営していて、安全・安心を確保した後に目指すのは、信仰ではなく、信頼だ。 |
菅野 仁(社会学) 筑摩プリマー新書 2018/10/03 SNS、Instagramの時代、 親しさの距離が問題になってます。 その解決策と思って手にしたのですが、 古典的なお付き合いについての論述。 友達は多い方が良くて、 友達とは仲良くなれる。 それが良いことだと教えるのではなく、 苦手な人達もいるし、 上手く行かない場合もあるのだから、 その場合でも生き残れる距離感を持った交際を、 教師は教えて、誰でもが学ぶ必要があると。 結局は、大学の先生の本です。 現実の社会にアップデートされてません。 P24 一つには、「親しさを求める作法」が、いまだに「ムラ社会」の時代の伝統的な考え方を引きずっているからなのだと私は考えています。 私たちはある種の共同体的なつながりや関係の中で培ってきた、とりわけ日本人的な親しさの作法をお手本にし続けています。そこには確かに、損得を超えて人を全面的に包み込むような温かみや情愛の深さを受け継いでいる面もあるかもしれません。だから無下に否定してしまうわけにはいかないという側面が確かにあります。しかし、みんな同じような職業や生活形態を前提とするムラ的な共同体の作法では、もはや親しさを維じ持することはできないほど、私たちの置かれている状況は以前とはすっかり変わってしまったと考えた方がいい。ムラ的な伝統的作法では、家庭や学校や職場において、さまざまに多様で異質な生活形態や価値観をもった人びとが隣り合って暮らしているいまの時代にフィットしない面が、いろいろ出てきてしまっているのです。 P25 基本的な発想として、共同体的な凝集された親しさという関係から離れて、もう少し人と人との距離感を丁寧に見つめ直したり、気の合わない人とでも一緒にいる作法というものをきちんと考えたほうがよいと思うのです。人と人とのつながりについて、基本的な発想の転換を試みうと思うのです。そのことが本書の重要なテーマとなっているのです。 P64 小学校に上がるころ、ほとんどの人が聞いたり歌ったりした記憶があると思いますが、「1年生になったら」という歌があります。「1年生になったら、友だち100人できるかな」という歌詞なのですが、あれってけっこう強烈なメッセージですよね。小学校の1年生になったら、友だちを100人作りたい、あるいは百人友だちを作ることが望ましいのだという、暗にプレッシャーを感じた人も多いのではないでしょうか。 P115 大人になるためにかならず必要なことなのだけれど、学校では教えないことが2つあります。 一つは、先に述べた「気の合わない人間とも並存しなければならない」ということと、そのための作法です。 もう一つ教えないことは何かというと、「君にはこういう限界がある」ということです。 そもそも人間が生きているかぎり、多かれ少なかれ限界や挫折というものは必ずやってくるものです。 それを乗り越えるための心構えを少しずつ養っておく必要があるのですが、いまの学校では、「君たちには無限の可能性がある」というようなメッセージばかりが強くて、「人には誰にでも限界がある」「いくら頑張ってもダメなことだってある」ということまでは、教えてくれません。 P119 これを私は人生の「苦味」とよんでいます。こうした苦味に耐え切れずにルサンチマンの淵に落ちたまま這い上がって来れないような人間にだけはなって欲しくはないものです。 苦味というものをどうしても噛みしめざるをえないのが大人の世界なのです。 でもその苦味を味わうという余裕が出来てこそ、人生の「うま味」というものを自分なりに咀瞬できるようになるのです。挫折の無い人生なんておよそ考えられません。どんなに優秀で、あるいは家庭的にも経済的にもとても恵まれているように見える入でも、必ずなにかしらの挫折を経験しているはずなのです、しかしそうは見えないとしたら、それは彼(あるいは彼女)がそうした挫折を自分の中で上手に処理して、その苦味をいつのまにか人生のうま味に変えてしまっているからなのです。「人が生きる」ということは本当にそういうものなのだと私は考えています(こうした点については、苅谷剛彦編『いまこの国で大人になるということ』(紀伊國屋書店)の私の担当の章で多少詳しく書いています。参考にしていただければ嬉しいです)。 |
長島有里枝(写真家) 講談社文庫 2018/10/01 見せない写真を撮る 長島有里枝 日本経済新聞の文化欄 誰に見せるあてもなかった写真を世に出そうとするとき、なぜ見せるに値すると思うのかという問いとの対峙は避けられない。このとき私の背中を見まもるのは、褒められないからといって存在価値が低いわけではないという信念だ。インスタグラム的な写真に慣れ親しんだ学生に伝えたいのはそのような表現のありかた、他人の共感が得られるあなたである必要は必ずしもない、ということかもしれない。 ――――――――――― SNSや、 Instagramなど、 承認欲求を求めて生きる社会に、 「他人の共感が得られるあなたである必要は必ずしもない」 学生に、このようなメッセージを送ることの意味を語る。 自分が撮影した写真について 「なぜ見せるに値すると思うのかという問いとの対峙は避けられない」 「褒められないからといって存在価値が低いわけではない」 写真家が、 これだけのコラムを書く。 気になって手に取った一冊ですが、 私には、コラムで受けたほどのインパクトはなかった。 しかし、才能のある女性としてメモしておこう。 |
大瀧 雅之、加藤 晋 東京大学出版社 2018/10/01 私はケインズ経済学を社会を観察する場合の視点にしてます。 会計士試験を受験した時代の経済学がケインズ経済学でした。 その後、経済学も進歩し、ケインズは既に古典なのだと思いますが、 そのケインズを基本に経済学の、その後の進展を辿るのが本書です。 さて、私の不勉強を、その後の経済学に導いてくれるだろうか。 経済学は、経済を予想する学問ではなく、 経済を分析し、社会を分析する哲学。 学ぶべき必要のある学問です。 正義と理屈の学問です。 P1 いったいわれわれは子どもたちの世代に何を遺すことができるのだろうか。このままでは「自主規制」という名の事実上の報道管制が敷かれた非民主的な政治体制と対外直接投資によって荒れ果てた国土、そして重税国家あるいは慢性的な高インフレに悩む崩壊した金融システムを遺すだけになろう。百年後の日本があるとするなら、現代を生きるわれわれは、このまま P2 危機と呼ばれる間に1人1人そして1つ1つの誠実で良心的な努力の積み重ねによって回避するしか術がないのである。 P3 ケインズは同じ戦勝国のアメリカがイギリスに代わって世界の覇権を握りつつある状態の中、母国イギリスの退勢を少しでも食い止めるために一生を捧げた人物である。こうした高逼な目的を達成するには、視野の狭いショービニストに陥っていては仕方がない。母国を想うからこその国際主義なのである。この一見逆説とも見える論理を、多くの日本人は理解していない。比喩的にいえば、自らの家族を愛せないものが、他人の家族に想いを馳せることができると考えるのは、画餅に過ぎない。 |
碓井孝介(司法書士・会計士) 朝日新聞出版 2018/09/21 試験は暗記が9割という、 私と真反対の意見を述べる本書。 面白いことが書いてあるのだろうか。 「理解することは大切だけど、覚え続ければ理解は後からついてくる」 税理士試験は記憶力。 そのように言う人達は多いので、 本書を読んで納得と語る方も多いのだろう。 私は、全くダメ。 それこそ1点もダメ。 試験は理解力が9割5分です。 記憶力で試験に合格できるとは思えませんが、 記憶力で試験に合格した知識が実務に役立つのだろうか。 極端には、人生も、記憶力だなんて言い出すのだろうか。 |
山口真由(弁護士・ニューヨーク州弁護士) 新潮新書 2018/09/08 重いなと思いながら読み始めたのですが、 軽快なテンポで、読みやすく、分かりやすく、 最後まで夢中になって読み通してしまいました。 政治、裁判、家族について、 リベラルとコンサバ(保守)の考え方の違いを語ります。 リベラルは、黒人奴隷制度を原罪として、人種差別を否定し、さらに男女差別を否定し、LGBTの差別を否定する。コンサバは、旧来の制度を支持し、同性婚を否定し、親子の家庭単位を尊重する。 大統領が任命し、終身の最高裁判事は、ある意味で大統領以上の政治的な権限があって、リベラルとコンサバが数で競っているが、20年を超える任期になる場合があり、大統領が任期中に新しい裁判官を指名できるか否かが、裁判所におけるリベラルとコンサバのバランスに影響する。さらに、法律の上に判断する司法消極主義と、法を超えて判断する司法積極主義が対立し、司法積極説が大胆(法律に根拠の無い)判断を示して、社会を変えていく。 私は、今後、米国の政治と裁判制度を語るとしたら、本書から得た知識がベースになると思う。 P161 P164 P165 P166 P169 P172 P179 P196 P197 P204 P214 |
先崎 学 文藝春秋 2018/09/06 鬱になった棋士が 鬱の世界を語ります。 P14 今でもあの吸い込まれそうな感覚は、まざまざと思い出すことができる。それは、生理的にごく自然に出た感情だった。健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。苦しみから逃げるためではない(少しあるかもしれない)。脳からの信号のようなもので発作的に実行に移すのではないだろうか。 P49 うつの不眠の辛さは凄まじいものがある。健康な時ならば本を読んだり、うとうとしたりしてやり過ごせるだろう。だがうつの時は、まず軽く眠るということができない。頭の中に舗がかかっているくせに、悪いことだけ考えられるのだ。起きながらずっと悪夢を見るよりないわけである。そして、これは私だけの症状かもしれないが、散漫に物事を考えられない、気軽ということばが心からすっかり抜け落ちてしまうのだ。 P174 「修羅場をくぐったまともな精神科医というのは、自殺ということばを聞いただけでも身の毛が逆立つものなんだ。究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ」 いつだって冷静な兄の怒気をはらんだ口調を前に、本を書くのもいいかな、と思い始めていた。 |
寺澤秀一(緊急外科医) CBR 2018/09/05 「研修医当直御法度」というロングセラーの著者の番外編です。 医者の世界を見てみたいと思ったのですが、 深みのある記述に引き込まれてしまいました。 仕事という惰性に流れる生活について、ちょっと、立ち止まるための参考書です。 「教えることで自分も進歩できる」 「守られていない新人が患者さんを守れるはずがない」 「そうして僕は優しくない医師になっていた」 一つ一つの言葉が身にしみます。 P46 疑問を解くためには、同じことをしてみるしかない。 1日だけ、数日だけ、1週間だけ、数ヶ月、半年、1年以上。訪れる医師たちの研修期間はさまざまだ。滞在が長くても短くても惜しみなく教えてみた。恩返しをしている気分だった。そのうち気付いた。教えることで自分も進歩できる。「人育ては自分育て」とある人が言った。まさにそうだった。見返りを期待しないで、惜しみなく教えるのは綺麗事でも美談でもない。大きな実りがその手に得られる、またとない機会だったのだった。 P66 新人や後輩がなんでも訊ける環境を作っておけば、必ずミスが減る。彼らのミスの事後対応をするのと、ミスを事前に防ぐことと、どちらがよいかは言うまでもないだろう。最後にひと言。守られていない新人が患者さんを守れるはずがない。 P92 遠い島国からやってきた若者に、あの老医師は祝福を与えてくれた。今度は僕が彼を祝福する番だ。「君はきっと良い救急医になれるよ」と握手した。そしていつか君も、誰かを勇気づける側になるんだよ。と、心の中でつぶやいた。 P107 学生には、致命的な急病を見つける指標として「突発・初発・最悪」をキーワードに教えることにしている。これは一般の方々が救急車を呼ぶべきかどうかの判断にも使えると思う。 P69 P107 P141 P167 P194 P206 P208 P224 |
石部基実(人工股関節手術) 幻冬舎 2018/09/04 腰を悪くしている高齢者は多い。 痛いので腰を庇っているのか、変形してるのか。 私は、加齢も、腰の健康も 全く意識していない20年も前に、 犬を飼い、朝晩の犬の散歩を始めた。 それが結果として もっとも有効な健康法だったのだから不思議です。 私は腰については全く異常がないのですが、 まだ、これからのことですから油断は出来ない。 本書の奨めに従ってタンパク質を取ろうと思う。 しかし、どんなに頑張っても加齢には勝てない。 目、耳、腰、膝と定年退職のお呼びが来るはず。 P25 たとえば、普通に歩くだけで体重の3〜4.5倍、体重60キロの人なら股関節にかかる負荷は180〜270キロにも及びます。 さらに、ジョギングすれば4〜5倍、階段の上り下りなら6.2〜8.7倍と、負荷はより大きくなります。 P26 歩行時にはかならず片足で立っている瞬間があります。たとえば体重60キロの人が歩行時に右足で立っているときには、右股関節にかかっている負担は、体重から右足全体の重さ10キロを引いた50キロと思ってしまいます。しかしながら実際は、片足で立つときには骨盤のバランスをとるために、股関節周囲の筋肉が強く収縮し、股関節にかかる合力(負担)は体重の3倍以上になるのです。 P27 立つ、座る、歩く、体をひねる、といった基本的な動作をしようとするたびに、「また痛むかもしれない」と不安を感じたら、「やめておこう」と思うものです。 これを繰り返すことで、やがて動作自体を制限するようになり、日常生活に必要な筋力や関節の可動域を保持するための運動量そのものが減っていきます。 するとどうなるか。 当然ですが、運動不足になり、使わない筋肉が衰えていきます。筋肉が衰えれば、関節を傷める可能性がさらに高まり、さまざまな動作をすることにさらに躊躇を覚え、ますます動かさないようになっていくという悪循環に陥ることになります。 P34 P54 P55 P58 P97 P116 |
井出 明(観光学者) 幻冬舎新書 2018/09/01 災害や弾圧などの歴史を 観光資源にするのがダークツーリズム。 日本では著者が提唱した分野だと主張し、 小樽、水俣、炭鉱労働の地域を探求します。 歴史を知らなければ ダークツーリズムにはならないし、 そして、私は、 日本の歴史については全くダメ。 本書を読んでも良いところが発見できない。 ただ、あらゆる観光は 歴史を知らなければ面白くない。 イスラエルの聖地巡礼や、 ヘロデ王の歴史を歩き、 モーゼの道を歩くシナイ山など、 迫害の歴史を辿るダークツーリズムだろう。 旧約聖書の歴史なら、 私の大好きな分野なので、 ダークツーリズムを 「歴史+旅行」と位置付けるのなら、 著者の主張に多いに共感できます。 建物や風景など平面的な観光でなく 歴史という厚みを持った観光になる。 いや、逆に、 歴史を学ばない観光は、 面白さと発見が半分しか無い。 それって勿体ないことだと思います。 私は、歴史を知らない地域への旅行に行きたいとは思わない。 そして多くの国の歴史を知らないので旅行への興味が湧かない。 |
全国不登校新聞社編 ポプラ社 2018/08/29 全国不登校新聞に連載の 不登校だった子ども達の 有名人へのインタビュー。 多様な人達が登場しますが、 胸を打つコメントは見当たらない。 私は、 有名人ではないですが、 もしインタビューをされたら。 うーん、 難しいですね。 子供の頃は敗者でしたが、 その後は勝者の道しか歩いていない。 ◆◆ 不登校、引き籠もりについてのtaxMLの議論 ◆◆ …… 税理士業の周りには多様な人生が存在します …… 「全国不登校新聞」を購読する。経験者の知恵と悩みが書かれてます。心理的なモノなのか、気質なモノなのか、物理的なモノなのか。精神論で解決できるのか、治療を要するのか。「ひきこもり新聞」もある。 まずは追い込まないことが大事。追い込むと家庭内暴力や自殺につながったりします。ネットやユーチューブにもたくさん資料はありますが、解決の決め手がないのが現状と思います。 日本の社会では履歴書に隙間が出ると立ち直れない。私なら、日本一周の旅行に旅立たせます。毎日、スマホで居場所を知らせる、1キロ走ったら100円、100キロで1万円を送金する。 一日も早く立ち直らせる具体的な方法を検討する。家賃の請求と同じで、1日待てば1日は許す家主と教えてしまう。10日待てば10日は許す家主と教えてしまう。精神科医の云うことも判りますが、いたずらに歳月を重ねるばかりで、出口があるのかないのか分からないでは、結果的に親子共倒れになるのが見えてます。 犬を飼ってあげる。少なくとも1日に2度は家を出ます。アパートを買って上げる。管理業務ぐらいは出来るでしょう。簿記学校に通わせる。簿記で立ち直った人達はtaxMLでも多数。 自宅のLANケーブルを遮断する。バーチャルな世界に逃げ込ませるのは止めさせる。これは危険で、殺されてしまうか、自殺してしまうかという反論。そこまでの挑戦をしないと子育てって出来ないのではないかという再反対意見。喧嘩をする。喧嘩をしなければお互いの考え方が分からない。死んでしまうと困るから引き籠もりの状態を先送りする。そんなのは、日々、不孝を積み上げているだけ。 自宅から最も遠い学校を選び、周りに自分のことを知っている人がいない環境を作って克服した。私立の高校に進学し、環境が変わったためか、ちゃんと学校に行くようになりました。 山村留学を受け入れている学校があり、登校拒否になった子が転校してきます。外国人や帰国子女などもいます。少人数なので、先生は1人1人よく見てくださいますし、子供は環境が変わることでやり直しができるようです |
箕輪厚介(幻冬舎編集者) マガジンハウス 2018/08/29 本書の帯に落合陽一氏と、堀江貴文氏が登場するように、 熱狂を行動原理とする著者の出版に対するスタイルを語る。 熱狂がなければ誰も引き込めない。 しかし、その熱狂が正しいのか否かは別の問題。 ただ、 誰もが語らない熱狂を語り、 それを自分の存在価値とするのも1つのビジネスモデル。 語った未来が到来しないとしても、 その頃には、誰が何を語ったかなど誰も覚えていないし、 また、その時代には熱狂した未来を語れば良いだけのこと。 そのような人達の熱狂を出版する熱狂編集者の一冊。 読んでみて収穫があるかと問われたら、 落合陽一氏と、堀江貴文氏の書籍と同様に、 読んだときには熱狂だったが後に残るモノは何も無い。 P149 なぜ他のビジネス書と違って、NewsPicks Bookには熱狂的な読者が生まれるのか。それは僕自身が原稿に熱狂しているからだ。僕は僕の作った本によって、できている。 ビジネス書の編集者は著者の話を何時間も聞き、ライターと一緒に原稿を作る。時には編集者が大幅に赤字を入れ、ほぼ書き直すこともある。そうなってくると著者の思考が自分に憑依してくる。口調も似てくるし考え方も似てくる。 読者には申し訳ないが、一冊の本によって一番成長するのは編集者だ。読むより作るほうが本のエッセンスが身に付くのは当たり前だ。 ホリエモンに「箕輪君はここ1年で見違えるくらいブレイクしたけと、それって『多動力』に書いてあることを実践しただけだよね」と言われる。 まったくそうだ、僕は『多動力』に書いてあることを片っ端から実行に移していった。マンガ化した『マンガで身につく 多動力』の主人公である堀口は僕がモデルだ。 ホリエモンから多動力のエッセンスを取材して、ホリエモンを自分に憑依させ、せっせと原稿を書いた。書けば書くほど多動力の神髄が分かってきた。 P149 「変われ変われ」と読者に訴えているビジネス書の編集者が、10年前と同じスタイルで仕事をし、変わっていなければ僕は詐欺だと思う。しかし、はっきり言ってビジネス書の編集者ほどビジネスができない人たちも珍しい。 それは本の内容に編集者がワクワクしていないからだろう。本を売るために作業として本を作ってしまっては、読者もそこに熱狂しない。 |
神田 茜(講談師) 講談社文庫 2018/08/28 神田茜氏の短編に惚れ込んで、 もう一冊を手に取ってみた。 私には長編の小説を書くことは絶対に無理ですが、 短編集を、1つだけでも書いてみたい。 私には神田茜氏の10倍の経験があり、 10倍の専門知識があるのに、 なぜ、書けないのだろう。 P22 公務員が国民から監視されているような時代では、綻びを見せて指摘をうけないよう、決まりきった前例通りの仕事しかしない。マニュアル通りの受け答えしかしないのならば、役所の職員はロボットでもできる。事実、僕は長年の間に人間らしさというか、温かさを失い、血がうすくなった気がする。 妻の浮気相手と僕の、決定的な違いがそこだ。あの男からにじみ出るような存在感は、四十代の男として普通は身に付いているものだろう。僕は逆に、存在を消そうと意識して生きてきた。存在感のない透明ロボット。それが僕という男だ。 振り返るのが遅すぎた。わかっていても、今さら自分を変えることは難しい。 |
松田雄馬 新潮選書 2018/08/28 シンギュラリティに説いている箇所だけを読んでみました。 「シンギュラリティ」はあり得ないと著者は論じます。 脳は、身体があってこそ現象を認識できるようになる。 座るという欲求も、行動も無いところで椅子を認識するのは不可能。 つまり、「人工知能はなぜ椅子に座れないのか」というタイトルに繋がります。 私は、身体では無く、欲求が無いところに意思は生まれないと考えてます。 生存欲求、生殖欲求があれば、蝶々も、蛙も、ほとんど人間と同じ行動を取る。 さらに、承認欲求があれば、犬はペットになり、人間は犬を飼うようになる。 P207 これは、情報科学の歴史を学んでいる専門家には、広く受け入れられている思想ではあります。しかしながら、(良くも悪くも)情報科学が生み出した情報技術が一般的になり、誰もが容易に利用できるようになった昨今、情報科学の根底に流れる思想は軽視されがちであり、20世紀半ばに語られていたような「人間を超えるコンピュータがすぐにでも実現するのではないか」という幻想が、ファンタジーの域を超えて、有識者の間でも、再び、まことしやかに語られるようになりました。 特に、アメリカの実業家であるレイ・カーツワイルが提唱する「シンギュラリティ(特異点)」という考え方は、人工知能が、自ら成長し、進化することによって、やがて人間の知能を超越し、無限大に近い速度で成長していく、という(ある意味で)わかりやすい考え方であることも影響し、少なくない有識者に受け入れられています。しかしながら、本書で繰り返し議論してきたように、私たち生物の「知」というものが、「(弱い)人工知能」とどのような違いを持っているかということを理解していれば、こうした誤解は生じることはありません。 とは言え、「人工知能」という言葉が一般的になっている昨今、「シンギュラリティ」という言葉を無視することはできません。 P208 P209 P213 P239 P249 |
神田 茜(講談師) 集英社 2018/08/26 なぜ、こんなに上手なのだろう。 表現する能力だけではなく、 事象を観察する視点が深いのだろう。 まだ、 53歳なのに 連れ合いを亡くした者の心情を語る。 ごく普通の事象を深く語る事ができる。 小説家としてもスゴいのに講談師なのだから驚く。 こういう才能のある方は、 日々、何を考えて生きているのだろう。 小学生の頃から才能に満ちあふれていたのか。 |
内舘牧子 講談社 2018/08/25 「終わった人」が良かったので、 本書も手に取ったが、 収穫は無かった。 ベテラン作家なので、 一気に読ませる読みやすさがある。 しかし、何を言いたいのだろう。 「すぐ死ぬんだから」 高齢者は、 そのような免罪符を使ってはならない。 そのような意味だろうか。 中盤からの話題の展開にも、 そこに登場する人物にも、 その後に登場する役回りにも、 必然性と現実感が存在しない。 いや、 少し分かってきました。 著者は、 身の回りにいる 「すぐ死ぬんだから」と言う人達に苛立ち、 「すぐ死ぬんだから」という言葉を、 自分自身としては使ってはならない禁句にしている。 確かに、私の身の回りにも 「すぐ死ぬんだから」という人がいる。 それが全てのワガママの免罪符になって 年寄りを大切にすべきだというアピールになる。 「すぐ死ぬんだから」と言い続けて30年。 廻りの人達は「まだ、死なないのか」と心の中でつぶやく。 愛される年寄りになる為には、 「すぐ死ぬんだから」は禁句なのだ。 P32 P44 P116 P319 「すぐ死ぬんだから」というセリフは、高齢者にとって免罪符である。 それを口にすれば、楽な方へ楽な方へと流れても文句は言われない。「このトシだから、外見なんてどうでもいいよ」「誰も私なんか見てないから」「このトシになると、色々考えたくない」等々が、「どうせすぐ死ぬんだからさァ」でみごとに完結する。 ある時、八十代中心の集りに出たことがある。その場で思い知らされたのは、免罪符のもとで生きる男女と、怠ることなく外見に手をかけている男女に、くっきりと二分されている現実だった。 |
いとうあさこ 幻冬舎 2018/08/25 テレビで見かける面白いキャラクターの女性。 資産家のお嬢さんとして育ったそうですが、 それと現状とのギャップも面白い。 文章でも、面白いことを語ってくれると期待したのですが、全くダメ。 多様な経験をしたのだと思うが、 ただ、経験するだけではダメなのですね。 経験と、 それを文章化することには一歩の差があるのだ。 P202 そこで何軒見たのか、それとも一軒目だったのか。まったく覚えてないほどその“田島方”の印象が強いんです。いや、ホントに古いんですよ。すごく古いアパートなんですけど、初めて二階の部屋の窓を開けた時の直感って言うんですかね。風が抜ける感じと言うか。なんか良い“気”しか入ってこない感じがしたんです。 更に窓の外にはすごく立派な桜の木があって。その内見の時は夏真っ盛りでもちろん桜は咲いてないんですが、これまたなんかいい感じがしましてね。この直感は翌年の春、満開の桜を見て確信に変わるわけですが。 そして極め付きは、やっぱり大家さんご夫婦の笑顔。お人柄のよさが全面に出ている笑顔で。すごくホッとしたんですよねえ。 そんな直感を多方面から揺さぶられた”田島方”に即決し、それから約10年暮らしました。10年って言うと本当にいろんな事がありましたよ。 例えば数々の……いや、三人の彼氏と呼ばれる殿方たちも来てますしね。 私が部屋で、土鍋に昆布をしいて豆腐を入れただけの湯豆腐に醤油をかけて晩酌していた時に、男性の飲み友達がウチに飲みに来て。その状況を見た途端なんかかわいそうだと思ったのかな。「俺が守ってあげなきゃ」と付き合う事になった、なんてこともあったっけ。 演劇の学校に通い、そこのクラスメイトとコンビを組んでお笑いを始めることを決めたのもココ。そして夜通しネタを考えてたのもココ。 |
和田一郎(大手百貨店を退職) バジリコ 2018/08/20 私にはサラリーマンが分からない。 サラリーマンを辞めたことを後悔する著者が、 ああしておけば良かったと語るのが本書です。 会社を辞めたことを後悔するのなら、 会社に居続けることの意味を語っているだろうし、 会社に居続けるための生き方も語ってくれるだろう。 読み始めですが、 非常に読みやすく、 しかし、なぜ、 自分がサラリーマンに向かないことを 理解するのに42歳まで必要なのだろう。 その前にじんま疹が出ないのだろうか。 いや、サラリーマンに向かないのではなく、 サラリーマンの出世の技術を知らなかった。 そのことに42歳でやっと気付いたのですね。 しかし、気付いたときは 手遅れであって、辞めざるを得なかった。 だから、後輩の諸君、もう少し上手に生きてね。 そのようなメッセージなのかも。 著者は、サラリーマンが好きだったのだと思う。 サラリーマンという技術を学ぶのが遅れただけ。 P4 そして、42歳の時に、僕は会社を辞めた。 もちろん、周囲には前向きな退社であることを強調したけれど、本当のところは、どうしても会社に自分の居場所が見つからず、負けて、傷ついて、ボロボロになって、逃げるようにして辞めたのだった。 P6 いまから思うと不思議だが、当時の僕は仕事上の高い壁にぶち当たるまで、自分では全力で突っ走っている、しかもけっこううまく走れているつもりだった。 自分がやりたいのに会社の中には見つけることができないこと、あるいは会社から求められているのに自分にはできそうもないことがあるのだということを、僕も薄々は感じてはいた。けれども、壁にぶち当たるまでは、そのどこか胃の鵬につかえたような真実に、じっくり向き合ったことはなかった。 40歳になり、トップ集団にいる同期の連中が自分より先を走り始めて、ようやく僕は自分がどこかで道を間違えていたらしいことに気づいた。 P8 会社が僕を採用した理由も、僕のビジネスマンとしての将来性に期待したのか、珍しく百貨店業界に迷いこんで来た「京都大学卒」というブランドが欲しかったのか、定かではない。 P9 頭の良さをコンピューターにたとえるなら、回転の早さがCPU、記憶力がハードディスクになると思うが、彼らは多くの条件を一度に考える能力、つまり「メモリ」が優れていたように思う。大きな会社では、ひとつの施策に様々な要因が影響するが、彼らはそういったことを同時に考えることが得意だった。 僕の頭はどちらかというと、単純化へ、中心へ向かうことが得意で、テーブルいっぱいにカードを広げながら、次の手を考えるようなことは苦手だった。 P10 おそらく、最も大きな違いは、考え方や行動を律する方向性だったのではないだろうか。 それが、僕と彼らは異なっていたために、それぞれの到達点に大きな差が出たのではないかと、いまにして思う。 P60 P80 P89 P99 P178 P181 P185 P190 P193 P195 P193 もし、僕がいまからもう一度、会社人生を送ることになったら、うまくやれるところもあるだろうけど、わかっていてもまた同じ失敗を繰り返すこともあるだろう。 しょせん、それが僕という人間であり、何度歩いても同じ道を歩くことこそが、僕が僕である証でもあるのだ。 |
渡部昭彦(人材紹介) 日本実業出版社 2018/08/16 私には、 サラリーマンが分からない。 サラリーマンの代表者が銀行員。 彼らは、 どんな自尊心を持ち、 何を目標にして、 何を生き甲斐に、 どんな人生を送っているのだろう。 これがメーカーなら まだ、少しは想像できます。 トヨタ自動車で車を造り、売る人達。 積水ハウスで顧客の注文に応じて建物を造る人達、 ANAで航空機を飛ばして顧客を旅行させる人達。 広告会社であれば独自性の商品を造り出す創造性。 しかし、 銀行員が扱うのは、 どこの銀行でも扱う現金であって、 何も造り出さず、独自性のある商品も無い。 給料が良いことが就職の理由なのか、 なるほど、 競争社会で生き残って来た優秀な学生が、 競争社会で皆が狙う都市銀行に就職して、 組織内での競争で地位を目指して頑張る。 弁護士が司法試験を受験した動機と同じですね。 難しいから挑戦し、業界内で、さらに上位を目指す。 競争をし続けるという人生の目標を追求し続ける人達。 資本を扱う商売なるが故に銀行は潤沢な給料が支払える。 「銀行人事にリカバリーはない!」という競争に挑戦する人達。 50歳前後が役員就任時で、それに乗れなかった人達は銀行を去る。 P15 銀行員はメガバンクを筆頭に年収が高い。30歳過ぎで1000万円を超え始め、50歳頃までには役員ならずとも2000万円近くまで増えていく。それが、普通の事業会社に転職すれば、ほとんどのケースで年収は大きく減少する。ストック商売の特性で環境がアゲインストになっても、それがすぐに処遇に反映するわけではない。 P31 しかし銀行員は、新入行員は言うに及ばず、恐らく中堅層においても「銀行は終身雇用から最も遠いところに位置する職種」であり、「銀行での定年円満退職はまずあり得ない」という事実を克明には理解していないのではないだろうか(むしろ、キャリア意識の高い新入行員がこの事実を冷静に見始めているかもしれない)。 P35 そもそも考えてみれば不思議な話だ。銀行は、他業種に比して質・量ともに圧倒する水準で新卒採用市場から人材を吸い上げる。その一方、せっかく入った人材なのに、理由はともあれ、時の経過とともに、順次、彼らは銀行を去って行くか追い出される運命にある。そして定年を待つことなく、ほぼ全員が銀行からいなくなる。自発的な転職から会社に促される形での転職まで外に出る経緯はいろいろあろうが、膨大なる人的資源が、多くの場合十分に活用されることなく組織から消えていく、すなわち人材多消費型の産業なわけだ。 P51 当然、悟りを開いたとしても皆が皆、外に出ることができるわけではなく、技量の不足した人は銀行に残らざるを得ない。銀行はある意味で悪平等の組織であり、そのような行くところのない落後者についても、(少なくともこれまでは)世間では高給と判断される水準の給与を払い続けてきた。たとえ行内では肩身が狭くとも、私生活では趣味に生きたり、家族と過ごす時聞を増やしたりして、むしろ幸せを感じる機会が増えるかもしれない。 こうしてこの頃になると、行内に残るのは、「外に行き場もなく、また行動を起こす覇気もない層」と「引き続きアップサイドの可能性を残すトップ層」という形で、二層分化が進展することになる。 P56 P62 P64 P88 P89 P90 |
羽根田治(フリーライター) ヤマケイ文庫 2018/08/15 山で遭難してしまった人達7人が語る、 遭難に至る勘違いと、その後の救出されるまでの数日間。 寒さ、疲労で、真っ当な判断力が奪われてしまうのだから辛い。 P80 今だったら、「このとき引き返すべきだった」と言うことはできる。だが、このときは前日からろくに食事もとっていなかったし、疲れも溜っていた。1時間近く下ってきた道を登り返してもどることなど、とても考えられなかった。 滑落して気が動転していたこともあり、「えーい、面倒くさい」とばかりに決断を下した。とにかくこのまま下っていこう、と。下っていけば、そのうち大樺沢の登山道のどこかに出るだろう、と。 霧雨は小雨に変わっていた。階段状の沢は、最初のうちは水がちょろちょろと流れている程度だったが、下っていくに従い周囲から水を集めていつしか沢幅が広くなり、水流がゴーゴーと音を立てるようになっていた。その凄じい水音を聞いて恐怖にかられたが、「なんとかなるさ」と不安を打ち消し、自分を勇気づけた。 しかし、午後になると谷はますます深みを増してきたように感じられた。もうだいぶ下ってきているはずなのに、人の気配はおろか、広河原に近づいたという兆候すらまったくなかった。さすがに「ヤバイ」と思い、やっぱり引き返そうかと振り返って背後の山を見上げたとたんに諦めた。その標高差を登り返すだけの体力が残っているとは、とても思えなかった。 ならば、とるべき道は下り続けることしかなかった。あるときは左岸を、またあるときは右岸を、あるいは流れのなかの岩を伝い、道なき道を下っていった。やたらと喉が渇いたので、沢の水をがぶ飲みしながら、ひたすら下り続けた。 |
佐藤彰男(情報社会論) 岩波新書 2018/08/10 平成21年の出版ですから、 ネットの時代の情報としては古いのですが、 テレワークの具体的な内容を知りたくて手に取りました。 職場を離れて行う業務は、 クリエイティブな仕事なのか、単純作業なのか。 本書は、やはり、 職場を離れての仕事は限られると論じ、 その中で行われているテレワーク、モバイルワーク、在宅ワークを紹介します。 P43 半日や数時間の在宅勤務とは、どのような目的で行われるのだろうか。たとえば午前中に自宅で見積り書を作成して、午後から出社するような場合や、逆に早めに帰宅して、在宅で書類を仕上げるといったケースが多いという。 P46 AさんやBさんは、自宅で仕事をするほうが能率が上がると考えているが、X社の社員たちが在宅で働くのは仕事とは別の、生活上の理由によってである。X社の社員たちは、特段の事情がなければ毎日オフィスへ出勤する。 P47 社員の福利厚生を目的として、ワークライフバランスを向上させるというのであれば、当然のことながら男女両性の社員が対象とされているはずである。しかし現状をみる限り、より強く仕事と私生活のバランス改善をせまられているのは女性たちであり、ここでいう私生活とは、ほとんどの場合、育児と同義である。 P49 在宅勤務制が利用できるようになってからは、「子どもが病気をしても、『ママは今日はお家で仕事するから大丈夫だよ』とゆったりした気持ちで子どもと接することが」できるという。彼女はまた「子どもにとって母親の精神的安定がどんなに大事かを痛感」したとも述べている。 P50 在宅勤務制の導入に消極的な企業が、最もよくあげる理由は「在宅でできるような仕事がない」や「労務管理が難しい」等である(日本テレワーク協会、200、33頁など)。 P71 P76 P120 P121 P137 P155 研究職として 会社に勤める女性に テレワークのことを聞いてみた。 仕事にはコアの部分と、 その準備の部分と、 後処理の部分がある。 テレワークで処理できるのは準備と後処理の部分。 データを収集する手法のレポートを作成する。 集まったデータを分析して報告書を作成する。 それがテレワークの仕事で、 その後、会社に持ち込み、会議をして、方針を決定し、 その結果を持ち帰るのがテレワークでも可能な仕事。 テレビ会議や、チャットは、 実際には、なかなか利用しない。 会議が必要な場合は集まるのが効率的。 ITの人達は異なるかもしれませんが。 9時5時の出勤と、その後に仕事がある。 それを逆転しようとするのがテレワーク。 時間主導ではなく、仕事主導の働き方。 そのような発想の転換をする為のテレワークだが、 しかし、会社に行った方が容易な仕事が多い。 だから、テレワークは、子育て中の女性が、 時間を上手に配分するための手段として利用されている。 男性社員は、あまり、利用していない。 会社でしかログインできなかった資料を、 自宅でもログインできるようになって、、 会社でしか受信できなかったメールを、 会社支給のスマホで閲覧できるようになったので、 それだけでもテレワーク的な行動ができるようになった。 |
田中久稔(計量経済学) 岩波新書 2018/08/09 私は、40年前に、 公認会計士試験の2次試験で 経済学を、ほぼ2ヶ月間だけ学んだだけだ。 しかし、 限界需要の意味も、 供給曲線の意味も、 無差別曲線の意味も分かる。 だから、限界コストゼロの社会といわれれば、なるほどと思い、 日銀総裁が貨幣の供給量を増やしてインフレを起こすと言えばバカだなとわかる。 40年前の、 たった2ヶ月の勉強が、 その後の40年の財産になり、 経済事象についての分析と 考え方の知恵として利用できる。 国家試験とは、 どれほど生産性の高い事業なのかと思う。 経済学は、 社会を見る視点、 社会を分析する数学、 社会を思考する哲学なのだから、 会計士試験に限らず、 税理士試験、司法試験でも、 試験科目として採用したら良いと思う。 そうしたら、 弁護士の数を増やしたら、 需要が増えて、弁護士が豊かになる。 そんなことを主張する弁護士は登場しなくなる。 何の役にも立たなかった会計士試験だが、 経済学を学んだことだけは財産だったと思う。 P24 ところで、経済学業界には、「数式と同じことをグラフと言葉でも説明できるようになれ」という教育原理があります。 私も大学院生だった頃には、何日も計算してやっと解いた複雑な計算結果を、「中学生にもわかるような言葉で説明しろ!」とか「巣鴨にいるお婆ちゃんでも納得するグラフを描け!」などと要求されては立ち往生したものでした。 P26 経済学における数式は、社会で生起している経済現象を外から眺めて記述する一種の言語です。しかし、枝から離れたリンゴが微分方程式を解いて自分の落下速度を決めているわけではないように、現実世界に生きている普通の人々(中学生とか、巣鴨のお婆ちゃんとか)も数式を用いて日々の暮らしを送っているわけではありません。したがって、数式による分析だけでは、人々の気持ちを理解したとはいえません。 |
小嶋勝利(介護職員経験者) 祥伝社新書 2018/08/09 誰でもが、最後にはお世話になる介護老人ホーム。 居心地は良いのだろうか、辛い老後なのだろうか。 愛される老人になる為の知識を修得しておく必要がある。 何しろ、入居した後には学習するチャンスは無いだろうから。 P56 しかし、介護業界には、ポストがあるにもかかわらず「上」に行きたくない人と、個人的な事情があって「上」に行くことができない人が多く存在しています。その結果、10年間働いていても賃金は25万円という人が存在してしまっている、ということなのです。 つまり、介護業界が、本当に他の業界と比べ極端に賃金が低い業界なのかを判断するためには、諸事情があって「上」のポストに行かない人、行きたくない人を除いた人たちの賃金で考える必要があるのではないでしょうか。 P60 その昔、私が老人ホームで介護職員をしていたころ、いったい一日に何回「ありがとう」と言われるのだろうかと興味がわき、数を数えたことがありましたが、実に8時間の勤務時間内で45回感謝をされていました。茶を出すと「ありがとう」、飲み終わった湯呑を下げると「ありがとう」、部屋にご機嫌うかがいをしただけで「部屋に来てくれてありがとう」「気にかけてくれてありがとう」という具合です。 |
河田惠昭(人と防災未来センター長) 朝日新聞出版 2018/08/09 想定外を想定することは不可能。 想定外が生じた場合に「できるだけ被害を少なくすること」が重要。 さらに、「被害が起こることを前提にして、回復をできるだけ早くすること」。 荒川の土手が撤回すれば、 地下鉄を通じ、地上を流れるスピードの 3倍のスピードで水は都心に流れ込む。 事務所から逃げるときに、 水が溢れる地域を通らずに、 自宅に帰るルートを考えておく必要がある。 さらに、 災害が生じたときにも、 立ち直れる潤沢な手元の資産と資金。 想定外などと言い訳しても意味は無い。 P7 自然災害は社会現象でもあるため、その対策は、歴史的に防災から減災へ、そして最近は縮災へと変化してきている。わかりやすく言えば、防災(Disasty Prevention)は、「被害を全て防ぐこと」、減災(Disaster Reduction)は、「できるだけ被害を少なくすること」、縮災(Disaster Resilience)は、「被害が起こることを前提にして、回復をできるだけ早くすること」である。 これまでは、災害や事故が起こることを前提にしない場合、ともすれば、一定の対策を講じておけば安全だという錯覚があった。その典型例は、福島第一原子力発電所事故だ。この事故から私たちは、災害や事故が起こらないことを前提とした対策は有効ではないという教訓を得た。 P111 さらに、氾濫水がトンネル内に入った場合を考えてみよう。東京の地下鉄と大阪市や名古屋市などの地下鉄とが相違するのは、東京の地下鉄は武蔵野台地から臨海低平地につながる斜面や大深度地下鉄のように深いところを走行するため、線路に縦断勾配がついている区間が多いことである。一旦氾濫水がトンネルに入ると流速が大きくなって伝播するのである。筆者がかつて試算したところ、水平路線では氾濫水はおよそ毎秒1mの速度で前進するが、縦断勾配がついている東京メトロの場合、下り坂ではその3倍の平均毎秒3mの速度で伝播することがわかった。 |
舟橋佐斗子 彩流社 2018/08/08 税理士会の支部に講師として呼ばれると、 同じ東京と思えないほどの雰囲気の格差があります。 例えれば、現在と、10年前、20年前の違いでしょうか。 同じ23区なのに10年、20年とタイムスリップします。 そのような会話の中で登場する事が多いのが「足立区」。 東京の田舎、低所得者が住まう町、生活保護の多い町。 その足立区の魅力を語るのが本書です。 北千住など交通網の要所のような町もあり、 東京駅まで千代田線で30分の好立地ですが、 拘置所がそびえ立つ小菅のような町もあり。 一言では表現できない足立区を本書は紹介します。 いや、しかし、一読しても、やはり「足立区」ですね。 渋谷、新宿と比較しても、いや、豊島区と比較しても。 P29 この約3万世帯と重なる部分も多いと思われる、生活保護を受けている世帯数は1万8724世帯(平成27年『数字で見る足立』より)。生活保護費の23区比較を見つけたので他区と比べてみると、やはり23区で一番多い約469億円(東京都福祉保健局生活福祉部資料より)。二番目に多い江戸川区の約378億円を大きく引きはなしてのダントツ1位だ。 ついでに、ネット上のランキングがよく話題になる「年収」についても見ておこう。 内閣府が調べている、「納税義務者一人当たり課税対象所得」を平均年収と見ると、足立区は324万円である(2013年)。この数字は23区で比較すると23位。22位は葛飾区の333万円、21位は北区の343万円。これらの数字はもちろん地方都市と比べるとはるかに高く、首都圏ならではの金額であるが、都営住宅が多い前述の状況であるので、23区で比較して平均年収が低いのは当然であろう。 P35 健康寿命というのは、平均寿命のうち、健康で活動的に暮らせる期間を指し、平均寿命から、衰弱.病気.痴呆などによる介護期間を差し引いたものだが、足立区では残念なことに、平均寿命も健康寿命もほぼ同じ傾向で、短い。 |
森本登志男(総務省テレワークマネージャ) 大和書房 2018/08/07 テレワークと議論されてますが、 その場合の仕事の内容が分からない。 私の事務所なら、 秘書さんに事務所に来てもらい、 書類の物々交換をしなければ仕事が回らない。 パソコンに入力するだけで仕事が完結する作業。 さて、単純作業なのか、クリエイティブな仕事なのか。 これが税理士事務所なら記帳業務だが、 関与先から預かった書類を自宅で入力するのか、 pdfにして提供された資料を元に処理するのか。 しかし、限られた職場と、 限られた仕事でしか実行できない。 そこで、 実際にテレワークを役所に導入した 著者の経験例からテレワークが可能な作業を探してみた。 営業社員の外出先からの報告書 現場作業者の現場からの報告書 役所からの指示を自宅で受領する。 要するに、 会社の方々がやっている仕事は、 その程度の仕事なのだろうか。 P40 モバイル端末やノートパソコンを使うことで、外出時にすきま時間を活用してメールに対応したり、文章の作成も可能です。現場での打ち合わせや作業の際に、議事録や報告書、現地で得たデータの入力や更新なども行えます。 これにより、以前は出張や外出から戻って行っていた業務を減らせるため、時間を効率的に使えるようになります。それに加えて、外出時に得た情報をすぐに他のメンバーと共有できれば、チームで当たる仕事では迅速な流れを作れます。 P41 しかし、テレワークの導入で職員にタブレット端末を配布したことで、現場からテレビ会議を通じて、生産者と専門技術員をつなげることができるようになり、その結果、現場でスピーディーな問題解決が可能になりました。 P82 テレワークが導入されていなければ、連絡を受けた職員はすぐに県庁に出向き、対応マニュアルを確認。その後、急いで帰宅して準備を整え、再度、県庁に向かうという流れになったでしょう。「テレワークのおかげで、落ち着いて対応することができた」という声を多く聞きました。また、自宅と県庁を何度も往復する必要がなくなったので、自分の出動が必要な時聞ぎりぎりまで、その日の本来の予定をそのまま続けられたという感想も多くありました。 P102 現在では営業職のほぼ全員が、この直行直帰というスタイルで働いているようです。「始業時と退社時は、必ず会社の自席で」という従来の常識を取り払って考えれば、自宅と訪問先への移動の間に、会社を挟む必要が無くなり、無駄な時間を排除することができます。 P118 内勤営業の業務は、商談の初期段階での案件発掘が中心で、顧客を訪問する外勤営業に引き継ぐ前段階での提案活動を行います。具体的には、新規の問い合わせや、イベント来場者への提案などから、顧客の経営課題を理解して、ソリューションを描いたうえで外勤営業が訪問する合意を顧客から得るところまでが業務の範囲です。 |
月亭方正 アスペクト 2018/08/02 なぜ、amazonしたのか、 思い出せない一冊ですが、 多様な経験をした方の人生は教訓になる。 しかし、本書はダメ。 ライオンが子殺しをすることを知らないのだろうか。 ライオンの子殺しを知らない方がいても不思議ではない。 しかし、「なぜ、人を殺してはダメなのか」の答が次で、 それに感心させられているのでは救いがない。 P19 ある時、こんなことがありました。芸人みんなで「人間はなぜ人間を殺してはダメなのか?」って哲学みたいな話をしていた時です。僕なんかは、「だって痛いし、勝手に命を奪ったら、周りの家族とかも悲しむし」とか、その程度の答えしか出ません。でも東野さんに訊いてみたら、「人類が滅亡してしまうからやろ」って言ったんです。最初は「は?」って思ったんですけど、よく訊いたら「ライオンはライオンを殺さへんやろ。人間が人間を殺したら人類が滅亡してしまうやん」ってサラッと言うんです。「なるほど、そうか」って感心させられました。 ――――――――――― さて、「なぜ、人を殺してはならないのか」 彼から財布を奪ったら罪だろう、彼から服を奪ったら罪だろう、彼から家を奪ったら罪だろう、彼から未来を奪ったら罪だろう、彼から過去を奪ったら罪だろう。だから、彼から全てを奪うのは罪なのです。 |
ペヤンヌマキ 幻冬舎文庫 2018/08/01 美しい女性、美しい絵画、美しい景色、美しい工芸品。 それらを見るときには顕著な違いがあります。 単なる「美」ではなく、 性的な興奮が生じること。 女性だって、自分が、 美しい絵画のよに見られても嬉しくはないだろう(?)。 それを著者は「エロい」と定義し、 「エロい」女性を論じてます。 AV業界にADとして採用され、 その後、女性監督になった著者がAV業界を語ります。 自分自身を「容姿に自信がなく」と定義する著者が、 女性の「美」に対して実感がこもった分析を行う。 AV業界を語る本書の前半3分の1には価値があります。 P33 AVの撮影では、一日に何人もの女の子を撮ることもあって、当時、そんな撮影の後は決まって「今日いたモデル(AV業界では女優のことをなぜかモデルと呼ぶ)の中で誰が一番タイプだった?」とかいう話が男優や男性スタッフの間でされていました。パッケージでセンターを飾るような売れている子が当然一番人気だろうと思っていたら、そうでもありませんでした。目鼻立ちがくっきりしていてモデル体型の長身美女を「ニューハーフみたいで萎える」と言う人もいたり。私がこれまで羨んでいた、なりたくてもなれなかったような美女が、全ての男から好かれるというわけではありませんでした。 P34 それから、どうやら男は、美人というよりもエロい女が好きなようでした。いくら整った顔をしていても色気がない子はあまり人気がなく、ちょいブスでもエロそうな雰囲気があれば好かれていました。 P35 AV女優という仕事は、裸やセックスを人前で晒すというだけでなく、自分の女としての価値に値段が付けられるというシビアな仕事なのだということがわかりました。 私がもしAV女優になったとして、監督やスタッフたちから「このレベルだと厳しいっすね」などと言われたとしたら立ち直れないと思うのです。そんなふうに言われたくないから、撮る側になったというのもあるわけで。女として同じ土俵で張り合おうとしたら、頭がクラクラするようなところを、自分だけ特権的な立場=女を品定めする立場に立つことによって、妙な優越感に浸ることができたのでした。 P51 |
カルビーお客様相談室著 日本実業出版社 2018/08/01 お客さま相談窓口を、 苦情処理の窓口と考えずに、 顧客からの情報収集の窓口と考え、 自社の商品のファンを増やす窓口と考える。 なぜ、北海道のジャガイモ農家は裕福なのか。 北海道で採れるジャガイモは保存が可能なのですね。 P64 さて、仕組みづくりの二番目は、「本社から支店の地域お客様相談室への情報伝達は15分以内に行なう」という「15分ルール」です。カルビーに寄せられるお客様からのご指摘やご質問は、電話によるものが75%を占め、それ以外では、メール、手紙と続きます。 このような状況のもと、カルビーには、ご指摘対応は「スピードが勝負」という考え方があります。 P65 ここで肝に銘じなければならないのは、たとえ原因がお客様にあったとしても関係ないということです。なぜなら、原因はどうであれ、「お客様はカルビーの商品を購入されたことがきっかけで嫌な思いをされた」ことは事実だからです。まずは、この事実に対してお詫びをします。 P75 そのコミュニケーションは、「各支店のお客様相談員が訪問する場合は(お客様のご都合を確認したうえで)2時間以内にお客様を訪問」という「2時間ルール」のもとで実施されています。 P126 たとえば、北海道産のじゃがいもは水分が少ないため、貯蔵することが可能ですが、他の地域で収穫されたじゃがいもは水分が多いため腐りやすく、収穫したらすぐに加工する必要があります。 |
前田 康二郎 日本経済社出版社 2018/07/30 経理の業務改善のアドバイザーが、 経理業務とAIの関係を論じます。 ただ、AIの意味も、 それが業務に与える具体的な影響についても、 著者を含め、誰も理解していないところで 「AIと経理」を論じても具体的な提案は登場しません。 結局は、経理と会計ソフトの説明、 それに経理業務は重要だという主張で終わる。 P211 そのような時間を削減するためにも、AIの活用の幅は広がりそうです。 たとえば、予算策定や着地見込を検討する際など、「もし原価率が現状より○パーセント変わったら」というような予測を、社長としては数パーセント刻みで何パターンも欲しいものです。しかし、実際にその作業にとりかかると、膨大な時間がかかり、資料もかさばります。しかし、AIが活用できれば、将来的には以下のようなことが期待できるでしょう。たとえば端末上で数字を打ち込む、あるいはグラフなどをマゥスでドラッグするなどして「感覚的に」操作することで、社長の理想の利益額、利益率にするには、売上と原価、販管費がそれぞれどのくらいの比率や数値になれぼよいか、ということが瞬時にはじき出せたら、とても便利でしょう。 このようなAIの活用ができれば、社長が自分の端末上で予算や着地見込に関しての試算を簡単にできるようになり、何パターンも資料を作らなくてよくなるので、社員の作業負担も減ることでしょう。そして、そのことによって社長の経営判断も早まり、数字にも良い影響をもたらすことができるはずです。 |
石 弘光(政府税制調査会会長経験者) ブックマン社 2018/07/27 自分の余命を宣告され、 それが数ヶ月の場合に、 どのような心持ちになるのか。 それは経験した方しか語れない。 しかし、 経験するまで分からなくても良いと済ますことも傲慢。 いざという時に備え、恐れを抱かずに生きていきたい。 著者は動揺すること無く受け入れたそうです。 その気持ちの裏付けは、 1 充分と充実した人生と、 2 自立した子ども達の存在と、 3 後に残された妻の生活についての経済的な保証。 経験しないことは語れませんが、 著者の経験には納得できるところがあります。 著者は相続まで心配してます。 私は、全く、相続は考慮外です。 「全ての財産は妻」に、 我が家の家訓ですから、 それを子ども達が争うはずはない。 中盤以降は、 化学療法の経過の説明。 昔に比較すれば格段に副作用は軽くなったそうですが、 そうであるなら、私が利用する時代には更に改良されているはず。 いずれにしろ、ここらは医者に任せる以外にない。 P55 なぜ、このように平然と深刻な事態を夫婦二人とも受け入れられたのか。後からつらつら考えるにいくつかの理由があるが、集約していえることは、もはや「働き盛りの現役世代」でないということに尽きる。いまや完全に職場も離れ社会復帰の必要性がまったくないという点で、40代や50代の現役世代と、がんの受け止め方が大きく違うといえよう。 P56 私(プライベート)の領域においては、家内と2人で子ども2人を育て上げ、子どもたちはおのおのよき伴侶に恵まれ、いまや社会人として自立している。親としての責任は一応果たしたというべきであろう。人生にはいずれ終わりが来るものだ。 P78 冷静になればなるほど、今回の私の膵臓がんの罹患は自分の死後のことを否応なし.に考えさせられた。いわゆる終活の作業も必要となった。最初にやったことは、私の死後、家内の生活が経済的にどうなるかという心配であった。早速友人に頼み、家内が国家公務員共済の遺族年金など、どのくらい貰えるかを調べてもらった。贅沢しなければ何とか生活できるとの目安を得た。長年苦労をかけてきた家内が路頭に迷わず、また息子の世話にならずやっていけそうだと知り、心より安堵した。 次に気になるのは、当然のことだが遺産相続の件である。 私は税制に関し、これまで公の立場で発言してきたことが多いだけに、私の死後、相続税の支払いに関し問題を起こしたくなかった。幸いなことに、今回のがんが見つかる3年前の2013年の6月頃からある信託銀行の遺言信託に加入し、専門家の手によってすでに準備をしてもらっていた。家内と2人の息子に遺産分与に関し具体的に説明し、事前に了解を得て正式な書式を作成、公証人に届け出もした。 |
山田淳一郎 中央経済社 2018/07/25 我が業界の 3巨人の人生本が出そろいました。 私の起業ものがたり 本郷孔洋(著) だから、会計業界はおもしろい! 山田淳一郎(著) 資産税コンサル、一生道半ば 本郷 尚(著) 3名の語る視点の全てが違うので面白い。 なるほどね。 頑張っている方の頑張りの経歴。 私は、商売については 頑張らない方なので、得るところはない。 もっとも、私なんぞと比較できる対象ではありませんが。 この業界の多様性を知るという意味で、 3冊は必読の書です。 感銘を受けることも収穫、 感銘を受けないことも収穫。 P9 そして、事業承継(相続税対策セミナー)を提案し採用され、独立開業4年目に、大手生命保険会社と、ある中堅銀行の顧問にしてもらえた。それ以降、その金融機関から束になったという感じでたくさんの仕事を紹介いただき、さらに、それらの金融機関に信頼されていることが役に立ったのであろう、3つ目、4つ目、5つ目…、という具合に顧問先金融機関が増え、それによりたくさんの法人や個人顧客が紹介してもらえたので事務所は思わぬスピードで成長できた。このようなビジネスモデルをBtoB(金融機関)toB(法人顧客)またはC(個人顧客)と呼んでいる。 P10 税理土法人山田&パートナーズ、優成監査法人、山田コンサルティンググループ株式会社の3つはそれぞれ成長し、山田グループ全体で1、700人超になった(2018年6月時点)。そして優成監査法人は2018年7月に太陽有限責任監査法人と合併し、近い将来、合計で3、000人規模には成長し、さらに5、000人を目指すことになろう。それぞれがグローバルな事業(仕事)にも手を拡げ、ますます仕事のジャンルが広がり、仕事も今までに増してさらに面白くなる、と考えている。 |
塚ア朝子 講談社 2018/07/19 凄く密度の濃い一冊です。 専門知識が無ければ書けない一冊で、 著者の経歴を見てみれば、成るほど、納得です。 読売新聞記者を経て、医学・医療、科学・技術分野を中心に執筆多数。国際基督教大学教養学部理学科卒業、筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科修士課程修了。専門は医療政策学、医療管理学。 全ての文章に「薬」を発見し、製造した研究者の熱意と才能が語られます。もちろん、成果をあげられなかった1000人に対して、成果を上げた1人の紹介だと思いますが。 何が、成果を上げられる要素なのか。 ターゲットを間違えなかった。 それこそが才能なのでしょう。 自分を信じ続けた熱意。 継続する力。 世界を変えた人達の紹介です。 ただ、密度が濃すぎて、全文を読み通す能力が、私には無い。 しかし、100頁を読むだけでも別の世界の存在を知らされます。 P45 発見者への対価は、本来は20%だが、大村はそのうち18%を研究所に注ぎ込み、1%を共同研究者たちに配分し、自らの手元には1%とした。研究所は、イベルメクチンだけで220億円以上の収入がもたらされたことで、一気に持ち直した。 さらに、大村は、経営の打開策として第こ病院の開設を提案した。埼玉県北本市に9万坪の土地を購入し、1989年に北里研究所メディカルセンター病院(現・北里大学メディカルセンター、当時200床)を開院した。自ら手にした特許料で購入したり、寄贈を受けたりした絵画が多数飾られ、院内でコンサートを開催するなど、“ヒーリングアードという言葉もまだなかった時代から、その先鞭をつけた。 故郷である韮崎市にも、”錦を飾った”。「近所の人たちに励まされ、時には叱られたりしながら成長している。それに恩返ししたい」と考えたからだ。過疎化が進む中で高齢者たちの安らぎの場としたいと、温泉を掘削して日帰り浴場を作った。また、趣味で収集した絵画を展示するために私設美術館を開設し、後に市に寄贈した。 P84 免疫細胞に作用する治療は、そのメカニズムからして、当初からがんの種類を問わず効く可能性を秘めている。さまざまながんに対して臨床試験で患者への投与が試みられてきた中で、治療成績のよかった非小細胞肺がんや腎細胞がん(いずれも切除不能の場合)など、患者数の多いがんに対して、次々と適応が広がっている。引き続き、頭頸部がん、血液がん、膠芽腫、大腸がん、膵臓がん、胃がん、肝細胞がん、乳がん、小細胞肺がん、膀胱がんなどについて臨床試験が実施されており、順次、適応拡大が見込まれている。 |
ブング・ジャム+古川耕(文房具ライター) スモール出版 2018/07/17 文房具のカンブリア期が「かどけし」から始まったと論じます。 私も小物好きなので、 楽しみに手に取った一冊ですが、 しかし、期待する小物は登場しない。 文房具に驚きがあったのはポストイットで終わってしまったような気がする。 文房具を終わらせたのは、パソコン、iphone、それに100円ショップです。 いま文字を書かない時代です。 P12 文具王 …… 結果としてこの直後、消しゴム界にはカンブリアモンスターみたいな消しゴムが爆発的に大発生することになるんです。サンスター文具やパイロット、クツワなど多くのメーカーが追随して、それぞれいろんなタイプの「カドで消す」アイデアを消しゴムに盛り込んできた。 P13 きだて …… そういう意味で、文房具の可能性自体をカドケシは随分と広げたということはありますね。ごく近いパラレルワールドの中には、カドケシが発売されていない世界もきっとあるはずだけど、その世界では文房具の総アイテム数が僕らの世界線の10分の1ぐらいかもしれませんよ。 |
真柄俊一(産婦人科医) イースト・プレス 2018/07/17 「がんもどき理論」を否定する 良書と思って手に取ったのですが、 食事療法で末期ガンが治るという主張。 なぜ、ガン治療については、 オカルトが生き残るのだろう。 真っ当な医者は相手にしないので、 何時になってもオカルトが否定されない。 言わせておけば良いのではなく、 ガン患者にとっては死に至る毒書だと思う。 P4 著書のなかで近藤氏は、がんは臓器転移のある「本物のがん」と臓器転移のない「がんもどき」の2種類にわかれること、何をやっても「本物のがん」が治ることはないため、治療は無駄なだけで「がん放置療法こそが最善である」と繰り返し主張しています。彼の犯している重大な間違いとはこの部分であって、再発した「本物のがん」でも実は簡単に治るのです。 P5 1990年を境に欧米先進国のがん死亡率が軒並みはっきりと減少に転じたのに対し、日本は逆に上昇を続けた事実を皆さんはご存じでしょうか? 「本物のがん」を治す方法があるからこそ欧米の死亡率が下降したのです。 そして、近藤氏を含めた日本の医師たちが不勉強でその方法を知らないから、死亡率が上昇を続けたというのが不名誉な日本の真実です。 私はそのように考えていますし、現実に抗がん剤も放射線治療もおこなわない「自然療法」で「本物のがん」を治すのに成功しています。そのような事実を知ってもらいたいという強い思いで5冊の本を出版し、今またこの本を書いています。 P9 現代医学でもはや打つ手のない太田さんに対して、私はがんについての自分の考え方や治療法を詳しく説明し、納得いただいたうえで治療を開始しました。週1回の通院による鍼治療とメンタルケア、自宅での食事療法です。1ヵ月後、わずか4回だけの治療後、彼女は慶応大学病院へ検査を受けに行きました。すると、主治医が首をかしげながら、「あら、がんが消えているわ……」と不思議そうな顔をしたそうです。 その4日後に当院でおこなった腫瘍マーカーSCC抗原の検査結果も、1.0と正常値になっていました。がんが自然療法で消失したことの裏付けが取れたのです。 |
寺本康之(公務員予備校講師) 実務教育出版 2018/07/13 公務員試験の予備校で教える講師が語るので、 公務員になる人達を全面的に肯定して論じてます。 公務員を目指す気持ちの悪い少年達。 そのような視点は登場しません。 しかし、著者が語る両親の立ち位置は、 中学受験や医学部受験における親の立ち位置と同じ。 家庭の価値観が完成している必要があるのです。 P18 しかし、一方で公務員を志望する学生(子ども)に話を聞いてみると、公務員をめざすようになったきっかけは、「親のすすめがあったから」というのが圧倒的多数を占めます。子どもは親の意見を素直に聞いているのです。さらに、私がこれまで見てきた過去の合格者の多くは、親との良好な関係を保ち続け、親子の協力体制で試験本番に臨んで、成功を手にしています。 P19 ポイントは、その相談にきちんと乗れて、適切なアドバイスができるかどうかです。仮に、子どもが公務員になりたいと思っていても、適切なサポートができず、よい結果につながらなかったら……、悲しすぎますよね。 P40 人口減少社会、少子高齢化、地方の衰退などの社会問題が表面化し、あたかも日本はお先真っ暗かのように語られることが多い今だからこそ、「自分がなんとかしなければいけない」と責任意識を持つ学生が増えてきているように思うのです。 「何をしたいのか、はっきりとはわからないけれど、社会のために貢献したい!だから公務員だ!」という思考パターンは、今の学生の主流であると思ってよいでしょう。選ばれる時代から選ぶ時代へ。 かつては「公務員でもいいや」という気持ちで公務員になる人もいたなどと耳にします。今の管理職世代となった公務員の方々がよく使う自虐ネタです(笑)。それはともかく、今の学生たちの就職に対する考え方は、私たち大人が思っている以上に「立派」になってきています。精神的な成熟度とは裏腹にです。 |
永峰英太郎 ワニブックス 2018/07/13 成年後見は絶対に利用してはならない。 著者は、自分の経験から語ります。 私も全く 同感ですが、 だからこそ 実行しておくべきが生前の対策。 そのことを認識する為の一冊です。 家庭に法律を入れてはならない。 無駄なコスト、無駄なあつれき。 P25 最近では、申立ての面談時に、この制度の利用を勧められるケースが多くなっています。成年後見の手続きを代行している司法書士に話を聞いたところ「東京の家庭裁判所では、専門職後見人ではなく、親族を後見人に選任すると判断した場合、被後見人の預貯金が500万円を超えるケースでは、ほぼ100%、面談時に『後見制度支援信託を使うか、成年後見監督人を立てるか』の二者択}を迫られます」とのことです。 P27 私の場合は、私自身が成年後見人に選任されましたが、司法書士の成年後見監督人が付くことになりました。つまり、Aということになります、そして選任から1年後(2015年4月頃)、家庭裁判所から後見制度支援信託の利用を強く勧められ利用することになり、その時点で、成年後見監督人が外れ、現在はCのケースになっています。 P32 成年後見人になってから1年が経過したとき、ようやく家庭裁判所から、成年後見監督人に対して「月額報酬は月2万円とする」との通達が来ました。それを知らされた私は仕方なく父の口座から1年ぶんの24万円を支払う手続きを行いました。 この支払いを終えたとき、私は「親父はあと何年生きるのだろうか」と考えました。5年かな。いや、まだ認知症は初期の段階であるから、あと10年はきっと生きてくれる。その間、画期的な治療法が見つかれば、もっと延びる可能性もあるだろう。ということは……。認知症になったとはいえ父にはできるだけ長生きしてほしいと思っています。しかし、10年でも報酬額は240万円、20年なら480万円。それに気づいた私は愕然としました。 P39 その後、私の成年後見監督人にあらためて当時の話を聞いたところ、「最初は裁判所から、本人が食べた分も含めて全額戻せという話だった」と打ち明けてくれました。「父親が自分の意思でお店に行ったとは考えにくい」ということなのでしょう。しかし、このことについては、監督人が家庭裁判所と掛け合ってくれたため「父親1人分であればOK」となったのだそうです。 P48 成年後見人になった私は、成年後見監督人に「父がいらない」と言っていること、母の生前の意向であることを踏まえて「姉と私で分割します」と伝えると、「それは無理です。できるのはあくまでも、民法上のルールに従った遺産分割になります」と言われました。 P54 さらに家庭裁判所は、成年後見人そのものについても、弁護士や司法書士など専門職後見人の割合を増やしていきます。2000年は親族の割合が91%でしたが、12年には49%と5割を割り込み、16年には28%にまで減りました。 P64 P67 P110 P127 P129 P131 P138 P139 |
プチ鹿島 KKベストセラーズ 2018/07/09 一発屋芸人を紹介するのだから、 面白いエピソードが盛り沢山かと思ったのですが、 さらに、売れなくなった後の生活とか考え方とか。 しかし、全く、それが表現されていない。 人間が登場せず、何の為に書いているのかも分からない。 P3 決して美談だとか苦労話で埋まるコラムではなく、芸人という存在のおかしさにスポットを当てたいと考えました。おかしさとは「可笑しさ」でもあり、ヘンという意味での「おかしさ」でもあり、「おかしみ」という意味でもある。 聞き手の私も芸人だからこそできる、楽屋でのこっそりした話を意識しました。 「なぜ芸人になったのか」という“そもそも論”もあれば、人によっては売れるためのヒントをどうつかんだのか、きっかけや工夫も聞けるようになりました。この本には「人生を変えたプレゼン」「プレゼンの重要さ」がたくさん集まっています。聞き手も芸人なので、みなさんリラックスしつつ、他では話していないだろうエピソードも打ち明けてくれました。もちろん成功した人の話も大切ですが、現時点では有名でない、売れていない芸人の話も最高に面白かったです。 だって、不思議に思いませんか? |
井手久美子(徳川慶喜の孫) 東京キララ社 2018/07/06 大正と昭和の 徳川家を語ります。 江戸が終わっても、 そこで庶民(貴族)の生活が 180度も変わることはない。 制度は代わっても、 生活は継続性を維持する。 明治31年に施行された現行民法は、 江戸時代の生活習慣を表現した法律。 それを実感する一冊です。 大正11年に生まれた著者が、 その後の人生を語ります。 結婚したのが昭和16年。 既に、制度的には 武家社会は遙かなる昔だと思いますが、 ここで語られるのは現在とは全く異なる生活。 P64 女子学習院は大名家や公家などの華族が三分の二、残りの三分の一は入学試験を受けて入学してくる一般の生徒でしたが、いずれも名家のお嬢さんには違いはありません。私と同じ秋組にも、川崎芙美子さんという川崎銀行の娘さんをはじめ、試験で入学された生徒が何人かいらっしゃいました。華族は入学試験がなかったため、「だから私たちは勉強が苦手なのよね」なんてことを話したものです。 P72 家には松坂屋の外商部の方がいつも来ていたため、自分たちで買い物をすることはありませんでした。松坂屋は江戸時代から徳川家の呉服御用達でした。お付きの者たちからは「お金を持って買い物をするなど、お上のあそばすことではございません」と言われていましたので、結婚して家を出るまでお店で買い物をすることはありませんでした。 P107 松平の母は、姉の結婚式が終わるのを待って私の結婚を申し込みました。姉の嫁ぐ先の榊原は子爵、松平は侯爵ということで、気を遣ったようです。当時の華族は爵位にこだわっていました。序列は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順で、徳川慶喜家は公爵でしたが、公爵を授爵したのは公家の最高位五家と武家からは徳川宗家、そのほか大きな勲功のあった家のみでした。大政奉還で武家の時代は終わっていても、華族に限らず、まだまだ平等な社会とはほど遠い世の中でした。 P115 P132 P142 P150 P185 新しい時代を前に、その夜明けを担う運命に置かれた祖父・慶喜公。大政奉還で政権を離れても徳川家や諸大名家は国の中枢に関わり続けなければならなかったことを、戦争を通して、周囲から感じておりました。そうした責務から徐々に解放され戦後73年を数える今、250年以上続いた「徳川の平和」にはまだ至らないものの、穏やかな日々が引き継がれていくことの大切さをしみじみと感じております。 戦争の火の海をかいくぐり、焼け野原からまた次の時代へ復興を遂げるこの国を見続けてきた第六天の銀杏の木。その周りを走り回っていたお転婆娘も「お家」と時代の波に翻弄されながらも、心折れることなく生き抜いて参りました。こうして再びこの地を訪れ、静かに銀杏の木を眺めていると、1世紀に及ぶ道のりを一瞬にして駆け抜けたような不思議な感慨を覚えます。人々が幾重もの苦難を乗り越え、築きあげたこの平和な世の中が続くことを心から願ってやみません。 |
山田和夫(東京大学付属病院 精神科医師) 朝日出版社 2018/07/03 1982年(昭和57年)に発行された古い本。 当時の精神医学は、この程度だった。 つまり、家庭内暴力、自殺、事件の原因は、家庭内にあり、子供時代の環境に問題があったと。 この頃、そのような論調を聞かないのは、 1 家庭に原因を期すことは差別に繋がるからなのか、 2 情報化の社会では家庭の影響が少なくなったのか。 「家庭内の力関係」という趣旨のコラムで紹介されていたのが本書で、 祖父母は、娘と孫を自分の子と認識するが、婿は他人と認識する。 そのような解説を読んで、家庭内ピラミッドを読み取れるかと思ったのですが、 しかし、精神医学の進歩は、昭和57年の書籍を古典にしてしまった。 わずか、36年で、多様な思想が進歩していることに驚きます。 P58 これは、性格的に未熟で問題のある両親に育てられ、もっとも癒着し親に似た息子が、同じような傾向ある女性と結婚したときに、その子どもつまり孫の代に病理があらわれるというとらえ方です。非常に実証のむずかしい説ですが、1人の人間が歪みを持つには、その家族に流れるさまざまな要因やムードなどがすべて影響しているというとらえ方は注目に値すると思います。 日本では1970年代に群馬大学の伊勢田氏が、ボーエンの説に似た3世代説を提唱しています。祖父母が容易にその息子たちの代にたとえば財布のひももがっちり握って主権を譲らない家族の場合、孫の代に歪んだ病的な子どもがつくられるという説です。彼の説によると、主権を譲り渡さないという条件のほかに、その2代目の息子の妻になる女性によって孫の代にひずみが伝わるか伝わらないかが決まるという、母に重点を置いた3世代説です。 P106 ともかく当時世間を震えあがらせ、大きく騒がれた事件でした。 この大久保清の場合にも、著者は家族の業を深く感じざるを得ないのですが、彼の家系から述べてゆきましょう。大久保清の母方の祖母は、若いころに親のいうままに結婚した夫のもとを19歳で逃げ出してしまいます。その後、群馬、長野、埼玉などを転々としながら、結局、水商売で落ちつき、宿場女郎をしたり、景気のいいときには自分で女郎屋を経営するおかみになったりした人です。この人は次々と男性をかえて、3人の私生児をつくりました。その子どもの1人が大久保清の母親であったわけです。 大久保清の母親は、大久保某の養女になりましたが、いろいろ調査した人の意見では、その養子先の大久保某と清の祖母はやはり性的な関係があり、実は大久保清の母親はその大久保某の実の娘であった可能性が濃厚であるようです。その大久保某は2人の女性と関係したり、さらに大久保清の祖母と関係したりして、性的にはやや逸脱したところがあったようです。 大久保清の父親は、養子で入ってきたわけですが、結婚後、部落内の若い女性と2度も3度も強引な性関係を持って、たびたびトラブルをひき起こしています。 この大久保清の事件の原因ともいわれている驚くべきエピソードがあります。それは、大久保清の兄にかかわるものです。大久保清の兄や姉は何人もいたのですが、多くは天折して、男で残ったのはこの次兄だけです。この大久保清の兄は、最初の妻と結婚していながらその妻の友人と関係するようになり、むりやり妻と離婚してその愛人を後妻にもらいました。 |
井ノ上陽一(税理士) 大蔵財務協会 2018/07/03 職員を雇用せずに、 税理士事務所を経営する。 そのような1人事務所を経営する税理士10人が、 税理士資格の取得、勤務時代、1人事務所を開業するに至った理由。 開業後の良い点、学んだ点を語ります。 その趣旨の書籍ですから、 その意味では完成してます。 taxMLのメンバーが速報税理に連載する 「先輩税理士から受験生に送るメッセージ」 こちらの原稿には 税理士としての人生の奥行きが表現されてますが 同じテーマでも、なぜ、違いが生じてしまうのか。 日々、実務と人間を見つめる視点の違い。 私には、そのことの方が収穫でした。 taxMLのメンバーには、1人税理士もいると思うし、 税理士1人の事務所、税理士数人の事務所もあると思います。 ただ、いずれの場合も taxMLを通じて集団的知性の存在であること。 1人事務所の真反対の存在なのだと思います。 「ひとり税理士を実際にやってみて感じた苦悩・不安」 そのような項目について筆者の皆さんは次(引用部分)の意見ですが、 私なら、自分の能力、知識不足に対する恐れ、経験量の圧倒的な少なさ。 そんなことを日々怖れるし関与先に迷惑を掛けることを怖れてきました。 そのような視点の違い、生き方の違い。 私には、そのことの方が収穫でした。 P8 「ひとり」の不安はしくみで防ぐ ひとり税理士は文字どおり「ひとり」です。 ひとりであるがゆえの苦悩や不安はつきものであり、それらと上手に付き合っていかなければいけません。 まず、病気やケガなどの「万が一への不安があります。もちろん、ひとり税理土でなくとも、万が一への不安はあるものですが、代わりがいないという点ではより深刻です。家庭はもちろんのことお客さまにも影響が及びます。そこで、独立後は「健康管理」と「リスク管理」について、「しくみ」で取り組むようにしています。 P38 ひとり税理士を選択して不安に感じること ひとり税理士を選択して、不安に感じることもあります。 1つ目は、自分の代わりがいないことへの不安です。他の誰かに任せることが一切できないのは辛いときもあります。体調不良などによって仕事が進まなければ、ダイレクトに売上減少につながってしまいます。自分の健康以外にも、常に家族の健康にも気を遣い、仕事が滞らないように気をつける必要があります。 P76 ひとり税理士のメリットは先ほども述べた「自由であること」です。 どこで何をしても誰からも何も言われません。 毎日オフィスに行く必要もないですし、従業員の仕事を管理する必要もありません。 自由であるため、方向転換も容易です。 極端な話ですが、明日から税理士業と異なる仕事で生きていくことを目指すこともできるわけです。オフィスを借りて人を雇っている状態では、急な方向転換は難しいでしょう。 もちろん、ひとりで稼げる金額には限度がありますが、自由になる時間はたくさん作ることができます。 P95 独立当初の苦悩・不安 ひとり税理士に限ったことではないと思いますが、独立して一番の不安はお金のことでした。ゼロからのスタートでしたから、独立後の半年間、預金は減る一方でした。新しいものを買う気にもなれず、旅行する気分にもなれず、ひとり税理士ですから、その気持ちを共有できる相棒もいませんでした。 |
渡 淳二(サッポロビール) 講談社 2018/07/02 アルコールは苦手だった。 梅酒、ひれ酒は飲みますが、 ビールなど美味くもない。 しかし、この頃、 ビールが美味しくて仕方が無い。 生ビールが飲めるのでランチが嬉しい。 お店での生ビールと、 缶ビールは、共に加熱をしていない生だと聞いてますが、 しかし、店で飲む生ビールの方が格段に美味しいように思える。 気分なのだろうか。 本書は、 ビールの全てを語ります。 著者の深い知識と、 拘りが本書の良いところです。 モノを書く人達には、 深い知識と拘りを期待したい。 P69 ビールになくてはならない特有の苦味と爽やかな香りとを与える原料がホップです。一般にはあまり目にすることのないホップは、ビール醸造のためにのみ生産されているといっても過言ではありません。中世以前には、ホップ以外の薬草や香草も使われていましたが、ビールの品質を高めるにはホップが最も適していることがしだいに広まり、16世紀にはその地位を確立することになりました。 |
村上敏文(東京農大教授) 農文教 2018/06/28 庭の草花と、 庭の野菜に 肥料を上げようと。 しかし、 どんな肥料が良いのだろう。 本書に書かれている知識が必要なら、 農家は、よほど勉強しないと務まらない。 昨年からの習慣の知識で間に合うことなのか、 その年毎に畑と会話をして肥料を選ぶのか。 私には、 有機肥料と化学肥料の違い 鶏糞と牛糞の違い、 家庭の野菜ゴミ、 炭とぼかし ここらの意味が分かったことが嬉しい。 微生物の餌になり、 畑を軟らかくする肥料 牛糞か、ぼかし肥料を利用しようと思う。 ミミズが育ってくれる環境が嬉しい。 P76 有機肥料と化学肥料の違い 最近、有機肥料はよくて、化学肥料は悪いみたいなことがよく言われますね。でも、養分の本体はどちらも同じ無機元素なんです。有機肥料は、微生物に分解されて養分が出てくるので、ゆっくりと長く効くという特徴があります。窒素は、タンパク質がアミノ酸を経てアンモニウムイオンに分解され、リンは、リン脂質やフィチンが分解されて出てきます。 化学肥料は養分そのものなので分解の必要がなく、少量ですぐ効き、作物の成長が早いどいう特徴があります。ただ、余分にまくと作物が急激に成長して水っぼくなったり、環境を汚染したりします。有機肥料のように炭素が入ってないので、微生物のエサはなく、土壌を軟らかくする効果も期待できません。でも、化学肥料は、植物の栄養を探求した先人たちの努力の結晶ですし、人類を飢えから救った功労者なんです。 P82 落ち葉・雑草・作物残渣で土づくり 新鮮有機物は栄養豊富なのに、なんで窒素も二酸化炭素も出ていった残りかすの堆肥を土に入れるんでしょうね。じつは新鮮有機物を土の中に入れると、えらいことになるんです。糖類が多いので微生物が爆発的に増え、窒素が土から奪い取られたり酸素がなくなったりして腐敗が起こり、有害物質がつくられ、恐ーい立枯病も発生します。堆肥のように高温を経ていないので雑草のタネも元気いっぱいです。 でも堆肥つくるのは重労働でやだー。そんな方には新鮮有機物の表層施用がおすすめです。雑草、作物残渣、前刀定枝、落ち葉、食品かすなどを畑の表層に施すだけ。土の表層だけ有機物と接しているので、すき込みによる問題は起きません。有機物層はカビの菌糸がびっしり生え、下のほうは腐植化していきます。湿り気も保たれ、土壌動物もたくさん。森林の地面と同じですね。私ら根っこにも、いい環境なんです。 P102 ミミズは最強の土壌改良マシン ミミズは、私ら根っこのお助けマン。あのダーウィンも精力的に研究したほど、土にとって重要な生き物です。トンネル掘りのシールドマシン以上の働きで、穴掘りしながら土壌改良までやっちゃいます。 彼らは口から土を飲み込み、腸へ送り、ミネラルや養分を体に取り込んで、糞を出します。この糞がスゴイ! 水持ち・水はけのよい団粒構造で、根っこが利用しやすい水溶性の養分を蓄える、超モテ土なんです。掘った穴の壁にはヌルヌル液を塗りつけ、崩落防止を難なくクリア。この液はアンモニア主体なので肥料をまいてるのと同じ。穴は当然、水や空気や私ら根っこの通り道に。死んでしまってもすぐに分解されて、植物の栄養になるんです。 ただし、機械で耕す畑では、体が切られてほとんどいなくなります。 牧草地、草生の果樹園、不耕起畑でないと生きづらいようですね。 |
三田一郎(素粒子物理学) 講談社 2018/06/26 理論物理学者として素粒子論の研究をしているが、 カトリック教会の助祭だという著者が論じる、 科学と神の関係です。 良いテーマだと読み出したのですが、 そして、非常に読みやすい展開なのですが、 しかし、後半ではこじつけが多くなって読み難い。 科学者が信じる神は、 常に、私たちを見守っている神でなく、 世界の必然性の元になる「意思」ではにないのか。 整合性が整いすぎている宇宙、 完成度が高すぎる生物、 何らかの意思を想定せず、 サイコロ(偶然)と ダウインの進化論で説明できるはずはない。 それが科学者が宗教を信じざるを得ない。 そして、宗教を信じるからこそ、 世界を説明する理屈をサイコロ(偶然)だと断ぜず、 さらに、その奥にある整合性の理屈を探求する。 それが科学者が信じる神なのだと思う。 P3 ところが、実は科学者のなかには、神の存在を信じている人が少なくありません。みなさんも名前をご存じの高名な科学者の多くが、神や信仰について熱い思いを語ってきています。最も神の領域を侵食しているかに思える宇宙論や素粒子論を扱う理論物理学者でさえ、そうなのです。国連のある調査では、過去300年間に大きな業績をあげた世界中の科学者300人のうち、8割ないし9割が神を信じていたそうです。 P16 しかも、さらに不可解なことには、宇宙や物質のはじまりを研究している物理学者や、生命のはじまりを研究している生命科学者、つまり「神の仕業」とされてきたことを「科学」で説明しようとしている人たちでさえ、多くが神を信じているのです。これはもう、矛盾でしかない、と思われるのではないでしょうか。 P139 彼が研究のうえで重んじていたのは、「神と自然は一体である」というきわめてシンプルな考え方でした。 マクスウェルはケンブリッジ大学でキリスト教の信仰をもつようになりました、数学や物理学の研究の傍ら、聖書についても深く学び、自分が進めている研究と神との関係についても、とことんまで考えていたようです。彼が最も重視したのは、不規則に見える自然のなかで、「合法性と一貫性」をもつ法則を発見することでした。それが創造主である神の意思を見ることになるとマクスウェルは信じていたからです。 |
奥田祥子(社会学) 光文社新書 2018/06/22 男の生き方は簡単です。 働くことは当然、生き方のレールが引かれてます。 24時間、仕事のことを考えていれば良いのです。 女性の生き方は複雑です。 子育てと、働くことが両立するのだろうか。 本当に女性が働く社会が正しいのだろうか。 5時にスイッチを切り換える生活が可能か。 スイッチを切り換えても戦力になれるのか。 働くことに生き甲斐を求めることが可能か。 働くことに生き甲斐などを必要とするのか。 生活の為に働くのか、生き甲斐で働くのか。 年齢、 結婚、 出産、 家事、 育児、 子供の受験、 亭主の転勤、 両親の介護。 女性は、 その100%を引き受けるが、 良く出来た亭主でも20%も引き受けない。 5時にスイッチを入れ換えなければ家庭は守れない。 5時にスイッチを入れ換えてしまったら仕事はできない。 私など、24時間、スイッチは入れっぱなしだが、 それは家庭を守ってくれる妻が存在してのこと。 家庭の管理と共に行う 残業、出張、社内でのコミュニュケーション、組織における立ち位置。 単細胞でも務まるのが男だとしたら、 複雑系の中で生きなければならない女性。 サラリーマンから大学教授、 未婚の著者が、多数の女性に面談した記録です。 統計値でも、標準値でも無い、具体的なサンプルを紹介します。 ただ、女性では無い私には、「女性は大変だな」以上の感想はない。 いや、「女性は大変だ」と思っていたことを再認識した一冊です。 ただ、女性では無い私には、最後まで読み通す熱意は持てません。 P3 「産め、働け、管理職に就いて活躍しろ、って無茶ぶりされて、たまったもんじゃない!」 「家庭に入ってこんなに頑張っているのに、誰からも評価されないなんて……」 「女性活躍推進法」が施行され、管理職登用など働く場面での「活躍」が声高に叫ばれる一方、女性たちへの取材を続けるなかで、自分たちの働き方、生き方にひとつの規範を押しつけようとする世の潮流に、働く女性も、家事や育児に専念する女性も、様々な人生を歩む女性の多くが懊悩し、憤っている姿を目の当たりにしてきた。女性のライフスタイルの多様性を受け入れず、一方的に「こうあるべき」と辿るのは、規範に沿えない人々への社会的な排除に等しいのではないか。そう激しく心揺さぶられたことが、本書を著すきっかけとなった。 P22 「じゃあ、周りに仕事や結婚、子育てとの両立などで悩んでいる女性はいたりしますか?」 「そりゃ、いっぱいいると思います。だっで、女性は生き方の選択肢があるとはいっても、結局はその時代、時代にふさわしいとされるライフスタイルが推奨されるわけでしょ?少し前は30歳代以上独身、子なしの『負け犬』が敬遠されていたけど、今は働く『アラフォー(40歳前後)』独身女性が悲観的でなく、ユーモアも込めて前向きに語られて、流行語になる時代ですよ。なんで女性の生き方がトレンドに左右されなきゃいけないのか、って腹が立つたりもします」 P60 「そもそも女性が、仕事と家庭の両方をいずれも100%の力を出し切って頑張る、というのは無理なんやないでしょうか。こんなことを言うと、今の社会で主流になっている考え方や動きに逆らうようで、非難されそうですけど……」 |
山田ルイ53世 新潮社 2018/06/20 一発屋芸人が、 毎年のように出現し、消えていく。 出場したときは華やかな彼らも、 退場していくときは挨拶もしない。 その中の数人が生き残り、 テレビの常連になるが、 常連も何時かは消えていく。 消えていったモノは見えない。 事業経営者も同じ。 常に新しい事業経営者が登場し、 斬新なビジネスモデルを歌い上げるが、 気がつかない内にいなくなってしまう。 いま六畳間のアパートに住んでいるのか、 あるいは大邸宅に住んでいるのだろうか。 相続税対策や、 事業承継税制と騒ぐ前に、 それがダメになった場合の、 予備プランを構築すべきと思う。 再起できなかった人達、 予備プランを持たなかった人達は、 本書にも登場しない(できない)。 P13 一発屋は、本当に消えてしまった人間なのだろうか。 否である。 彼らは今この瞬間も、もがき、苦しみ、精一杯足掻きながら、生き続けている。 本書は、自らも一発屋である筆者の目を通して、彼らの生ぎ様を描いていく試み。 一発屋の、一発屋による、一発屋へ捧げる拙稿が、悩み苦しむ芸人達のゲティスバーグ演説となれば幸いである。 P50 ブームはすぐに過ぎ去ったものの、実家が不動産屋であるマネージャー氏の助言により、アパート経営を始め、現在は収入も安定している。勝ち組である。 |
山本博文(近代政治史) 新潮新書 2018/06/20 歴史は記憶の学なのか、 何らかの原則があるのか。 そのことについて 歴史学者の見解も分かれるようです。 「それは偶然の事件の積み重なりによって変化する」とする考え方と、 「人間の作った歴史にも自然法則と同様の法則がある」とする考え方です。 これは自分自身の100年を下回る人生についても言えます。 私が、短い人生で辿り着いた歴史感は次です。 小学生の頃に、今の自分の生活は全く予測不能だった。 しかし、いま、遡って考えれば、 小学生だった自分、 中学生だった自分は、 全て、現在に至る必然性だった。 さて、これを必然性と捉えるべきなのか、 偶然の連鎖にストーリーを与えているだけなのか。 人間は、過去と現状の上に、 未来のストーリーを作り上げていく生物なのだと思う。 それは人類についても同じ。 予定されたストーリーは存在しませんが、 作り上げたストーリーは存在するのだ。 P79 人類の歩みを知ろうとするのが歴史学だという定義はいいと思いますが、やはり端的に歴史はどうしてこのような道筋を歩んできたのか、という根本的な問いかけとそれに対する回答が欲しい、というのが皆さんの内面に持っている要望でしょう。 しかし、歴史研究者の多くは、すでに歴史があることを自明の前提として、それぞれの専門の時代の史実を明らかにすることを仕事としているので、普段はそうした考え方をあまりしません。いや、しないというより、現在では人類の進歩や歴史の法則性そのものについて、根本的な疑問が提示されるようになっているのです。 『詳説日本史B』でも、「人類の長い歩み」とは書いていますが、「人類の進歩」とは書いていません。これはそのためです。 まず、この「人類の進歩」という考え方について、どのような議論がなされているかを見ていきましょう。 P82 世界はたしかに変化しているけれども、それは偶然の事件の積み重なりによって変化するのだ。しかしその変化を叙述する歴史のほうは、事件のあいだに一定の方向を立てて、それに沿って叙述する。そのために一見、歴史に方向があるように見えるのだ。 歴史に法則性があるように見えるのは、個々の偶発的な事件の積み重ねに人間がストーリーを与えているからで、それが歴史学の役割だ、しかし歴史そのものには方向などはないのだ、と説明するのです。長年の歴史研究の末にたどり着いた結論だけに、これは説得力のある一つの立場です。 しかし、歴史上に発生した事件は、偶発的に起きるものも多いのですが、それぞれに因果関係があり、そこに通底する「動因」というものもあります。確かに岡田さんの言うように、歴史に何か法則があって、それに基づいて進んできた、と考えるほど単純な考え方はできませんが、歴史の動きをすべてブラウン運動のような偶然で説明することも私には極論に思えます。 P84 人類の歴史には、「筋道」があるのだと宣言しています。それは、自然に法則があることを前提とし、「人間が自然の一環であり、自然の一環として進化して来たから」人間の作った歴史にも自然法則と同様の法則がある、とするのです。 蛇足ながら、「人類なんてチャンスの産物であって、自然淘汰以上の理法なんて存在しないのだという考え」は、たとえば岡田さんのような考え方を指しています。それに対して渡辺さんは、人類史の法則をつかもうとしているわけです。 P85 私自身は、偶然に見える個々の歴史的な事件にも、それぞれの時代に一貫した動因や要因がある、と考えています。これは法則とは違います。歴史の上に生起する事件は、偶然に起こったことも多いのですが、その偶然をとりこみながら歴史を動かしているその時代に固有の「時代的な要因」というものがあると考えているわけです。それを理解できれば、歴史の流れが自然なものとして肪に落ちてくるはずです。 P251 現在、世の中で起こっていることは、事象そのものは偶然に起こったものかもしれませんが、そのすべてに歴史的な背景があります。このことに留意できる歴史的な知識とそれを参照して考えられる思考力、つまり知性が必要です。そしてまた、そもそも私たちの考え方自体も、歴史的に形成されてきた所産だということに留意することが必要です。そういうことを自覚することが、「歴史的思考力」なのだと思います。 |
芦澤健介(ライター) 新潮新書 2018/06/18 コンビニでは大量の外国人が働いている。 日本の人口は減ってませんが、 高齢者が死ななくなった為の先送りであって、 若い人達は急激に減少している。 それに対して、 24時間営業のコンビニや飲食店、 宅配便など、若手の労働者の需要は多い。 その穴を埋めるのが 飲食店やコンビニで働く留学生。 運転免許や 技能を必要とせず、 将来の生活ではなく、 いま働かざるを得ない彼らには、 コンビニや飲食店は、まさに身近な勤め先。 このような人材の供給が、今後も続くのだろうか。 若手の外国人を単純労働で消耗してしまうシステム。 5年先、10年先にも、 このような時代が続くのか。 外国人アルバイトに頼るシステムは、 異常な現象なのか、将来の日本の姿なのか。 労働力というネックが到来し、 店舗は自動レジなどで対応するとしても、 外国人労働者に魅力が無くなった町の姿は、 老人のみが徘徊する町になってしまうのかも。 私も、彼らに「ありがとう」と一声添えるようにしよう。 P5 東京23区内の深夜帯に限って言えば、実感としては6〜7割程度の店舗で外国人が働いている。昼間の時間帯でもスタッフが全員外国人というケースも珍しくない。名札を見るだけでも、国際色豊かなことがわかる。 全国のコンビニで働く外国人は大手3社だけで2017年に4万人を超えた。全国平均で見るとスタッフ20人のうち1人は外国人という数字である。 P7 ちなみに東京都の最低賃金は時給958円(2017年10月)である。コンビニの新人アルバイトの時給は限りなく最低賃金に近い。このあたりのことを大学生の甥に聞くと、「コンビニは安いからあまり働きたくない」「同じ時給だったらカラオケボックスのほうがラクでしょ」という答えが返ってくる。正直な答えだろう。まわりでもコンビニで働いている友人はいないらしい。 一方、外国人スタッフは「コンビニのバイトは、対面でお客さんと話す機会が多いので日本語の勉強にもなる」「日本の文化を勉強するにもいい。だから工場で働くより楽しいし、効率的」「お店によっては廃棄のお弁当を食べていいから食費も浮く」という。 P223 顔見知りになったアルバイトの留学生とは会計のたびに二言三言交わすようになった。 商品を受け取ったときには「ありがとう」とひと言添えるようにしている。彼らの心に一瞬でも日本語の温かさが染み込んでくれたらと思う。 いま、この原稿を書いているのは午前4時すぎだ。外は真っ暗だが、こんな時間でも全国のコンビニでは多くの外国人スタッフが働いている。 |
日本経済新聞社 日本経済新聞出版社 2018/06/15 意味のあることは何も書いてない。 生活実感のない者が書いた本はダメ。 AIの理屈を説明せず、 現象面を取り上げて、 未来が変わると大騒ぎしているだけ。 身近な例で、 新聞記者(筆者)という職業と、 新聞という媒体の将来を書いてもらえたら、 筆者の生活実感に基づいた記事になったと思う。 本書の帯の紹介 空気を読まずに人事評価、脳の働きすべて再現可能、AIを使いこなせない弁護士は失格――。AIは人類の能力・知性を2045年にも追い抜くと予測されている。人類にとってどういう意味があるのか、人、企業、国家の未来はどうなるのか。脅威を感じながらも、AIに学び、共存への道を探ろうとしている人々の姿を描く。 |
橋昌明(日本中世史) 岩波新書 2018/06/15 タイトルに惹かれて購入しました。 武士社会は、 一般に理解されているのと違うはず。 しかし、 歴史について大量の知識を持ちながら、 読ませる部分は1行も無い一冊の本を作る。 著者の職業は、 大学教授ですが、 学生にとっての苦痛の1時間30分を想像させます。 知識が、 知識として存在し、 実感とも、実生活とも結びついていない。 大学教授にとっては、 知識は、職を得て、給料を得るための存在なのだ。 私たちの知識は、 実利実益に直結し、 客に迷惑を掛けず、 自分の生活を造り上げるための財産。 語るべきものがあり、 聞かせる内容がある。 P79 幕府について長々と説明してきた。いいたかったのは、幕府とは自明の存在ではなく、近代歴史学が誕生した頃、征夷大将軍の共通性で一括りにされた武家権力であったが、それらが存在していた同時代には、一時期の例外を除きいずれも幕府とは呼ばれておらず、実態(体)としては征夷大将軍ぬきでも説明可能な政権だということである。そこから導かれるのは、たとえ首長が征夷大将軍になっていなくても、幕府と呼べる武家権力がほかにもあるのでは、という自然な疑問である。江戸幕府と同じく「公儀」と呼ばれた豊臣政権などは、幕府とされてもおかしくないと思う。 |
薬丸 岳(小説家) 集英社 2018/06/11 単なる小説、 どこで目にしたのか、Amazonしてみた。 しかし、なぜ、このような暗い物語を作るのだろう。 小説など、しょせん、絵空事。 楽しい話し、 面白い話し、 役立つ話し、 教訓になる話が良い。 人々は、暗い話しを求めているのだろうか。 暗い話しなどは、現実の世界だけで充分だと思う。 嫌な話しなので、私の家でゴミ箱に処理する事に。 100頁で頓挫。 |
篠田 丈 幻冬舎MC 2018/06/08 スイスのプライベートバンク。 利益の源泉は何なのだろう。 もし、 融資なら、 貸し倒れのリスクがある。 カネ余りの時代に高金利は期待できない。 投資だとしたら、 リスクとリターンは見合ってしまうはず。 本書は、 プライベートバンクの発生や 歴史、経営スタイルを語ります。 しかし、なにで儲けているのか。 それが具体的に語られていない(?)。 P66 米国司法当局の調査によると、UBSのプライベートバンキング部門には米国の顧客を担当する70人以上の担当者がおり、観光等を装って頻繁に米国に入国していました。その際に書類は一切携行せず、暗号化されたパソコンを使い、顧客をコードネームで呼び、プリペイド式の携帯電話で他国の通信網を経由して通話し、いくつものホテルを転々として、当局に質問された際には黙秘権を行使して弁護士に連絡することになっていたそうです。中には、上得意客のために歯磨きのチエーブにダイヤモンドを隠して持ち込んだ担当者もいたとか。 P67 もともとスイスでは、無申告や申告漏れ等は刑法上、違法とはされておらず、顧客の資金の出所まで細かくチェックすることは難しいとされてきました。 P69 そういう意味で、プライベートバンクの金融口座なら情報を秘密にできるというのは、もはや昔話でしかないでしょう。 P72 これに対し、伝統的なプライベートバンクは創業家をはじめとした特定のファミリーが預けている相当な額の運用資産によって適正な収益を確保できているところがほとんどです。 そのため、さらに多くの資産を積極的に受け入れる必要性を感じていないのです。無理に資産規模を増やそうと思えば、それにともなって人員を増やしたり、運用スタイルを変えたりする必要が出てきます。そういう選択をしないのが、伝統的なプライベートバンクの良さなのです。 P140 契約条件については、成功報酬型オプションと固定費用のオプションの両方から選択することができます。 成功報酬型オプションでは、アドバイスやポートフォリオ管理に関する報酬は、運用成果があった時のみ支払われます。銀行は、純資産が拡大した時のみ手数料が発生し、すべての手数料を引いた残りの収益の15%が支払われます。 一方で、もし損失となった場合には、プラス収益になるまで手数料を受け取ることなく管理運用します。 P142 一般に投資商品の価格は、下がる時は急に激しく、上がる時には少しずつゆっくりと動きます。この習性を考えれば当然ですが、下がる銘柄を持たなければ、ポートフォリオのパフォーマンスは劇的によくなります(図表7)。 P143 このように株式の保有(俗にいうロングオンリー〉を前提として、投資戦略を考えられるのは、欧州では(実は米国でも)株式指数は長期的には必ず上昇すると考えられているからです。 これはバブルの崩壊後20年以上デフレで、株価指数がバブル崩壊前に戻らない日本では考えられないでしょうが、日本以外のほとんどすべての国では経済の成長とともに株式市場の価値は増え、株価指数も上昇しています。 一時的に下がる局面があっても、5年10年単位で考えると価値が減少することは稀有です。 P167 しかし、欧米の富裕層は日々のリターンはさほと気にしません、烈年、欲年銑を貝捕、えて、資産を守るという目標がはっきりしているので、たとえリーマン・ショックのような金融危機が起こっても慌てません。 |
與那覇 潤(元教授) 文藝春秋 2018/06/08 昭和の時代、米軍の核の傘の下で 非武装中立論を唱えていた知識人。 平成になってからは精彩を欠いて、 社会に対して何も主張できず、 従前の主張の維持さえも難しくなっている。 進歩的知識人とは 何だったのか。 自分自身が知識人だった著者が、 重度の鬱になり、 思考自体が出来なくなってしまった。 その経験と重ね合わせて知識人とは何か。 それを論じてますが、 文章は読みやすいのですが、 難解で読み続けられない。 この難解さが 知識人の象徴であり、 小泉元総理のワンフレーズ政治や、 橋下元市長の罵詈雑言に負けてしまった理由なのだ。 思想には7層の深さが必要だとしても、 それを理解する人達に7層の深さがなければ会話は成立しない。 P36 ごっこの世界とは、文藝評論家で保守の論客だった江藤淳が、1970年の論文で使った概念です。米国の軍事力に守ってもらいながら愛国心を叫ぶ「右翼」も、やはり米国の核の傘に安住した状態で非武装中立の夢想にふける「左翼」も、どちらも自分のことばを本気で信じてはおらず「ごっこ」をしているだけだという論旨は、いまの日本にも通じる指摘ではありますが、じつはもう一重の「ごっこ」があるのです。 新聞や雑誌の側にはとうぜん、文字にしてほしい自社の主張があって、それを大学教授や在野の批評家の口をかりることで、社内の記者が書くよりも権威と影響力のあるものにしたい。そういうゲームにつきあってあげることで、大学人なら象げ牙の塔、評論家なら自宅の書斎から外に出ても通用する、社会的に承認された「知識人」という存在になれる。 P37 「大学の先生なんて、ただの世間知らずだよね」とみんなが思ってしまえば、大学教員の「ごっこ」はおわり。在野の評論家はもっと大変で、「気鋭の批評家なんていっても、在宅バイトで原稿料もらってるニートでしょ」と思われたらおわり。「ごっこ」をしかけているようにみえる新聞社や出版社、テレビ局だって「あんなもの、要は中の人の趣味でしょ。既得権に守られて、かたよった意見をたれ流してるだけでしょ」と国民に見放されたら、やはりおわるのです。 日本のみならず世界でも、長くつづいた「知識人ごっこ」の時代が、終わろうとしています。 P267 ベストセラーになった本の多くは、いわば現実の職場におけるキムタクのような人が書いています。一流大学から有名企業に入って、第一線でバリバリ活躍するも、もっと自分のやり方で働きたくなって独立。マスコミでも特集されて、一躍、時代の寵児に。そんな感じです。 せんじつめていえば、いまの時代は「能力が高い人」なら、組織を無視して働ける。そういう人って、意識が高くてカッコいい。それが新自由主義の時代としての、平成なかばの空気でした。 しかし、働くだれもが自分をキムタクだと思えるかといえば、無理があります。 じっさい、「働きかた・生きかた本」の潮流は、徐々に二極化していきました。自分の能力に、ときとして過度の自信をもつ「意識の高い人」にむけて、起業やフリーランスをすすめる書籍が出版されつづけるいっぽう、そこまで自信をもてない層には「自分の分をわきまえて、いまいる場所に感謝しろ」といった、守旧派道徳的な精神論をとく本が売られてゆきます。 木村さんが演じる役柄も、いつも不満げな顔をしているとはいえ、職場をやめてしまうことはそこまでなかったように思います。所属する組織をまったくもたず、ほんとうの一匹狼となってわたり歩くヤクザを演じた高倉健さんに、昭和の全共闘世代のドロップアウト組が熱狂したのとは、ちがうところです。 P269 メディアが報道するところによれば、いちどは事務所からの独立を決めたSMAPのなかで、手のひらを返して残留に転じたのは、木村さんだったそうです。演じてきた役柄と同様に、あれだけの「能力」をもってしても、いまの日本では組織を飛び出せなかったのでしょう。 |
酒田 真実 扶桑社 2018/06/07 他人の言葉など興味も無い。 松下幸之助も、 アインシュタインも、 言葉1つで人生が語れるわけではない。 でも、シャネルの言葉は違います。 読み始めて、取り込まれてしまいました。 P34 あなたがわたしのことを 好きか嫌いかなんて どっちでもいいわ。 だって、わたしは自分のなりたい姿に 近づくのに忙しいから。 P36 お金を大事になさい。 コツコツ働きなさい。 あなたが自由になるために、 お金は絶対必要なものよ。 わたしも指を一つひとつ折って 小銭を数えて生活しているわ。 P124 真似されることは、 光栄なことだ。 むしろ、それは成功の証と思う。 それに、アイディアというのは、広まるためにあるものだ。 P174 欠点は、使いこなしたら、 あなたの「強み」になる。 だって「欠点」があるということは、 「特徴」があるってことでしょ。 隠せないなら「武器」にしなさい。 「特徴」を「欠点」でなく「武器」にするのよ。 |
奥村知花(書籍のパブリシティ) PHP 2018/06/07 書籍をパブリシティをするプロが語る本の売出し方。 マスコミに登場する書籍は、このような人達の努力の結果なのだ。 マスコミに登場しても良い本だとは言えない。 踊らされてはならない。 しかし、 本を売り出すのが商売だろうに、 本書は、面白くない。 P101 PRを担当する者としては、どんなにいい本でも、「こういう本が出版されましたよ」と世間に対してコンスタントにアピールしていかないと、ほとんどの読者に知られることもなく埋もれてしまいますので、PRしないのは、非常にもったいないと感じます。 P125 デートに例えると、Aくんは「今度、時間があるときにでもご飯に行こうよ」と意中の女の子を誘います。Bくんは「今度、ご飯にでも行こうよ。いつなら空いてる?」と誘う。どちらが、女の子とデートに行ける可能性が高いかというと、当然Bくんです。誘ったはいいけど、具体的な日時を決めなければ、曖昧な感じで流れてしまう可能性は高いでしょう。 |
藤沢数希(理論物理学研究) 新潮新書 2018/05/17 離婚の投資理論を語ります。 P42 ビジネスマン的な感覚では5分のミーティングで決まるようなことは、裁判所では半年かかると思っていいだろう。 P44 優秀な弁護士なら、たいていの人を、極悪非道のとんでもない異常人格で、更生の余地のないような人物として描くことができる。この際に、暴力なら診断書、浮気の証拠なら携帯電話のメールのコピーなどの様々な証拠もいっしょに提出される。また、録音されたものは、文字起こしをして提出しないといけない。 たとえば、ちょっとした夫婦喧嘩で奥さんに引っ掻かれたり、叩かれた場合は、次のような書面にしてくれる。「被告は、原告に対して、爪で引っ掻く、殴るなどの暴力を加えるようになった(証拠1診断書)。包丁を持って『殺すそ』と脅すようなことも頻繁にあった(証拠2テープの文字起こし)。こうした被告の暴力は、ほぼ毎日行われた」 P49 判決の場合はどうなるのか。裁判にまで行っているということは、夫婦関係がお互いに抜き差しならない関係になっているということだから、第一審の家裁の判決で双方が納得することはなく、控訴される可能性が高い。そして、第二審の高等裁判所にまで行くことになる。裁判官には厳然たるヒエラルキーがあり、家裁での判決が、高裁で覆るのは、サラリーマンでいえば、上司にお前のやり方は間違っている、と言われるようなものだ。つまり、判決を書いても、家裁の裁判官としては、高裁でひっくり返って出世競争で減点されるという大きなリスクを抱えることになるだけで、労多くして功少なしである。これも裁判官が必死に和解させようとするインセンティブになる。 P108 離婚によって動く大きな金は、婚姻費用と財産分与であり、これは結婚してから稼ぎ出された金額に基づくものなので、当たり前だが、結婚する前にすでにあった財産は関係ないのだ。もちろん、遺産相続まで考えれば意味はあるのだが、現代の遺産相続は百歳を過ぎた親から、60歳を過ぎた子供に相続されるようなもので、気の遠くなる話である。実際に、金融工学によれば、何十年も先の1億円の価値は、金利やリスクで割り引かないといけないので、その価値を大きく減らすことが知られている。つまり、結婚ではストックよりもフローを見なければいけないのだ。 P139 実際のところ、シングルマザー家庭の多くは、相手の男がどうしようもないダメ男の場合が多い。まともな仕事をしておらず、養育費を取り立てたとしても、せいぜい月に1〜2万円程度だ。これだったら、愛想をつかした奥さんが、もう二度と関わりたくないので養育費を請求しない、というのもうなずける。しかし、この計算で想定→する、高所得の男性の場合に限って言えば、失業して本当に収入がなくなるなどでもしない限り、ほぼ100%養育費は取れると考えてもらってまったく差し支えない。さらに言えば、婚姻費用と養育費で、どちらが法的に上も下もない。両方とも、相手が払わなかったら、国家権力で相手の財産を差し押さえることができるのである。 P147 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。 なぜ200日なのか。それは、日本の民法は、夫婦は婚姻届を提出して、結婚してからはじめてセックスをするという、まったくもって常軌を逸した前提で作られているからである。そして、結婚している間しかセックスせず、もちろん、浮気などはありえないことで、他の男とセックスするのは離婚してからしかありえない、という前提により、離婚後300日以内に生まれた子も、前の夫の子であるとするのだ。いまや、結婚前にセックスをしないカップルなど1組もいない。また、不倫は非常にカジュアルになり、そこら中で行われている。なぜ、このような非現実的な前提に、国の法律が拠って立っているのかというと、単に100年以上前の明治民法下にできた制度をそのまま使っているからだ。 P151 しかし、現代の結婚制度では、婚姻届にハンコを押した瞬間から、この内助の功という根拠に基づく、財産分与と婚姻費用によって、自分の稼ぎの半分が奥さんのものになるのだ。そんなことが、すっと腹に落ちるビジネスマンがこの世に存在するのだろうか。 内助の功などというのは、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行った時代の概念なのだ。洗濯や掃除、料理などに膨大な時間がかかった時代に作られた法律は、現代社会の実情にまったく合っていない。洗濯はボタンを押すだけだし、クリーニングもある。掃除は家事代行業者にやってもらえば、1回数千円だ。料理など、日本では安価で美味しいレストランがそこら中にあるではないか。現代では、内助の功など存在しないのだ。 これは男ばかりではなく、キャリアウーマンにも、非常に都合が悪い法律だ。 |
ネイト・シルバー(データアナリスト) 日経BP 2018/05/09 「私たちはシグナルを探そうとしてノイズを集めてしまう」 その例を次から次に指摘し、まさに、納得の展開です。 政治予想は、 なぜ、当たらないのか。 それは期待に合致するノイズを選好してしまう政治信条と、 シンプルで斬新的な意見としてノイズを採用するマスコミと。 ハリネズミと キツネの分類は面白い。 私はハリネズミ派で、 そちらが正しいと思ってましたが、 データアナリストスト的には間違い。 確かに、 原則に忠実な男は、 原則に沿った思考を採用し、 データを素直に見る目に欠ける。 政治的心情としては反権力だが、 反権力が常に正しいわけでは無い。 ノイズを選好する思考が完成してしまう。 株式投資は行わない。 そのような原理原則は、 株価が暴落することを期待し、 そのノイズを拾ってしまう。 しかし、株式投資をする人達は、 株価高騰のノイズを拾ってしまうのだろう。 引用箇所に赤ラインを引いていたら、 全ページが赤で染まってしまいそう しかし、500頁の一冊を読み終えられるとは思えない。 世の中には天才がいるという一冊です。 第4章 天気予報 第5章 巨大地震のシグナルを探す 第6章 経済予測はなぜ当たらないのか 第7章 インフルエンザと予測モデル 第8章 ギャンブルとベイズ統計 第11章 金融市場と予測可能性 第12章 地球温暖化をめぐる懐疑心 第13章 テロリズムの統計学 P58 質問に対する回答をもとに、テトロックは専門家をハリネズミとキツネという2つのグループに分類した。 P59 ・ハリネズミというのは、いわゆる”A型タイプ”で、大きな考えを信じている人たちだ。あたかも自然界の法則であるかのように機能し、社会のすべての相互交流を実質的に支える基本原則があると信じている。カール・マルクスと階級闘争、フロイトと無意識、あるいはマルコム・グラッドウェルと「テイッピング・ポイント」がいい例だ。 ・一方、キツネはこれといった原則を持たない生き物で、たくさんの小さな考えを信じており、問題に向けてさまざまなアプローチを試みる。彼らは微妙な差異や不確実性、複雑性、異なる意見に寛容である。ハリネズミが大物を狙う狩猟者なら、キツネは採集者である。 テトロックは、キツネのほうがハリネズミより予測する能力に秀でていることに気づいた。たとえばソ連に関しては、キツネのほうが正解に近かった。ソ連をイデオロギー的な言葉――「悪の帝国」やマルクス経済学の成功例として――でとらえるのはなく、ありのままに見た。つまり、行政にほころびが目立ち、機能不全に陥りつつある国として。一方、ハリネズミの予測はランダムに選んだ結果より悪かった。キツネの予測能力のほうが高いことが証明されたのである。 P60 「公の場に出たがる専門家の動機は何だと思う?」。テトロックは問いかけた。「学者のなかには表に出なくても満足している人も居る。だが、積極的に表に出たがる人がいることも事実だ。彼らは自信たっぷりに、ドラマチックな変化が起こると言いたがる。そうすれば注目されるだろう」 P61 キツネはテレビやビジネス、政治の世界になかなかなじまない。多くの問題は予測困難であり、不確実性には率直に向きあうべきだとする彼らの信念は、自信のなさと受け取られてしまうからだ。ハリー・トルーマンが、キツネタイプの学者から絶対的な答えを得られないことに腹をたて、結論を一つだけ持ってくる経済学者を求めたことは有名な話だ。 しかし、キツネはよりよい予測をする。彼らはデータのなかに大量のノイズがあることをすぐに察知し、間違ったシグナルを追いかけない。「わからないことがある」ことをよくわかっている。 もし、本当の病状を教えてくれる医者を求めるなら、あるいは老後の資産を運用するために投資アドバイ・ザーを探すなら、キツネタイプの人を選んだほうがいいだろう。できることは限られると言うかもしれないが、実現してくれる可能性は高いはずだ。 |
ジェファニー・アッカーマン(サイエンスライター) 講談社 2018/05/07 鳥は、 恐竜の子孫なのだから、 そして、 種は進化することはあるが、 退化することがないのだから、 鳥が脅威の知能を持っていても不思議ではない。 本書は、 人間には想像できない鳥の能力を、 これでもか、これでもかと次々に語ります。 鳩の帰巣能力、 渡り鳥の方向と距離の感覚、 孵化時期を見極める托卵など。 自動ドアを開ける鳥や、 遊び、悪戯をする鳥。 それが、 どのような能力で実現されているのか。 多様な場面での驚きの能力を幾つも幾つも紹介します。 その能力の根源は海馬の大きさ、 ロンドンタクシーの運転手の海馬が大きいように、 複雑な作業をする鳥の海馬は大きいという研究成果。 道順を覚えず、ナビに頼るタクシー運転手や、 理屈を考えることを放棄し、googleで情報を集める税理士は、 複雑な作業に耐えられない「ニワトリ頭」になってしまうのかも。 しかし、 翻訳文の例に漏れず、長文、冗長。 とても、最後まで読める一冊ではありません。 P323 鳥の海馬は空間情報を処理するのに重要な役割を果たす。一般に、大きな海馬は良好な空間能力を意味する。貯食する鳥は、同じ脳の大きさと体重から予測される大きさの2倍以上ある海馬を持つ。たとえば、コガラの海馬はスズメのそれの2倍ある。 ハチドリはこの点でほんとうに自分を誇りに思っていい。脳全体の大きさに比して、ほかのどの鳥よりも大きな海馬を持つのだから。ハチドリの海馬は、貯食する鳴禽、貯食しない鳴禽、ウミドリ、キツツキのそれの2〜5倍ある。ユミハシハチドリとして知られる大型のハチドリの脳はハゴロモムシクイと同じくらいの大きさだが、その海馬はほとんど10倍ほどもある。ベネズエラやブラジルで蜜を吸うショウガやトケイソウの位置、分布、蜜の量を覚えるためだ。 ミツオシエやコウウチョウなどの托卵鳥も、同じ科に属する托卵しない鳥に比べて海馬が大きい。「これはもっともな話です」とルイ・ルフェーブルが語る。「ミツオシエは、タイミングがぴったり合う巣を見つける必要があります。翌日には卵がかえりそうな巣に卵を産み落としたら、自分の卵はかえらなかった卵として巣の外へはじかれてしまうでしょう。一方で早すぎると、托卵される仮親はまだ卵を産んだり抱卵したりする時期ではないかもしれません。つまり、托卵鳥のメスはたくさんの巣の位置とその状況を把握しなくてはならないのです」 P325 高い能力を誇る近代のナビゲーター、ロンドンのタクシー運転手にかんするいまでは有名になった研究で、イギリスの研究者たちはこのことがヒトにもあてはまるらしいことを発見した。ロンドンでタクシードライバーとして働く免許を得るには、「ノリッジ試験(Knowledge og London)」と呼ばれる厳しい試験に合格しなければならない。このためには2万5000本ほどある通りの空間的配置と、数千もある陸標を覚えなければならず、この有名な研究をおこなった科学者はロンドンを「世界一入り組んだ町」と呼んだ。迷路のように込み入ったロンドンの道路を知り尽くすには2り〜4年かかる。まだ経験の浅いロンドンのタクシードライバーやロンドンのバス運転手と比べて、長年タクシードライバーをしてきた人は海馬の後部の灰白質が多いことを、これらの科学者は発見した。 このことはある難しい問題を提起する。ヒトの海馬がナビグーション経験によって大きくなるのであれば、ナビゲーションをしないと何が起きるのだろう?GPSのように、ナビゲーションに脳が必要とされないテクノロジーにすっかり依存したらどうなるのか?GPSは、ナビグーションが要求するスキルをきわめて純粋な刺激−応答行動(左に曲がる、右に曲がる)に変える。科学者の中には、このテクノロジーに過度に依存すれば私たちの海馬は縮小してしまう、と恐れる人もいる。実際、マギル大学の研究者たちがGPSを使う年配の人、使わない年配の人を比較したところ、自分の判断で車を運転することに慣れている人の海馬はそうでない人の海馬より灰白質が多く、総合的な認知能力の衰えが少なかった。認知地図を形成する習慣を失うと、私たちは灰白質を(もしトールマンが正しいなら、灰白質とともに社会的理解の能力をも)失う。 |
NHKスペシャル取材班 集英社 2018/05/07 NHK取材班とか、 日経新聞取材班の書籍に良いモノはない。 文章のプロが書いた本は、 読みやすいことは確かだが、 中味が薄く、深みがない。 現実の社会を経験していない人達が、 マスコミとしての知識を書くだけでは、 松戸市役所の公務員が書く福祉本と同様に、 役人やサラリーマンの視点しか存在しない。 要するに、 生活実感のない知識だけの文章。 発達障害の事例(データー)を集め、分類し、説明する。 それってAIが得意にする四則演算、分類、統計と同じ作業。 人間が為すべき想像力やオリジナリティは全く存在しない。 それが組織が仕事をするということなのだから、 松戸市役所の公務員や、 NHK取材班に それ以上の思想を期待しても無理。 AIによって真っ先に無くなる職業のように思う。 公務員が作成した本はダメ。 そんなことは何度も経験しているが、 タイトルに惹かれて買ってしまった。 まさに、 ゴミ本、カネ返せ。 テレビやマスコミの報道は、 思想のある書籍に比較すれば このような情報の垂れ流しなのだろう。 おそらく、 100時間のテレビを見ても、 3時間の読書分の思想は手に入らないのだろう。 P79 あるときこんなことがありました。笹森さんの夫が仕事から帰ってくると、家事に全く手がつけられていない、乱雑な家のなかに笹森さんがぽつんと座っているのです。夫が「今日は何していたの?」と聞いたところ、笹森さんは「座る間もなく忙しく家事をしていた」と答えました。夫は、その言葉と散らかった家の状況があまりにも噛み合わないので、びっくりしてしまったそうです。 P83 忘れ物は、付箋をスマートフォンの画面に貼る、という方法で防いでいます。「カレーを温め直す」「給食エプロンを洗濯する」といった短期的なやるべきことを、大きな付箋に書いて貼っておくのです。 P84 ADHDの不注意、忘れっぽいという特性から、同時並行の作業ができません。料理をしながら洗濯をすると、鍋を火にかけていることを忘れてしまいます。そこで、「洗濯は夜寝る前にする」「洗濯機をかけてから干すまでの間は、ほかのことをしない」というように、集中できる環境と時間を確保することで対応しています。 |
セス・スティーヴンズ=ダヴィッドヴィッツ 光文社 2018/04/24 着飾ることなく本音の入力をするgoogleの検索。 そこに集まった大量のデータは社会の実情を語る。 これがビッグデータなのですね。 斬新な発想と視点(人間の知恵)で、 ビッグデータの相関関係を見付け、 さらに因果関係にまで分析する。 googleのデータに限らず、 多様な場面での相関関係の認識手法を語ります。 たとえば、「熱、頭が痛い、寒気がする」 そのような検索データの増加は、厚生労働省より先に、 インフルエンザの大発生と、その発生地を突き止める。 P14 それから私は、グーグル・トレンドに出会った。 グーグル・トレンドは2009年、遊び道具としてひっそりと導入されたツールで、どんな語句がいつどこで検索されているかがわかるものだ。たとえば、どの有名人がイケてるとか、どんなファッションに火がついたかなどの雑談のネタ元という位置づけだった。最初期バージョンには冗談半分に、「博士論文の執筆に使おうとは思わないはず」と但し書きがあり、それを見て私はすぐに、これを使って博士論文を書いてやろうと思った。 P20 2012年、私はこのグーグル検索を通じて得た人種差別地図を使って、オバマが黒人であったことの真の影響を検証した。データは明白に示していた。 人種差別的検索の多い地域でのオバマの得票率は、彼の前の民主党大統領選候補者として立ったジョン・ケリーの得票率よりもはるかに低かった。当該地域におけるこの関係は、学歴、年齢、教会活動への参加、銃所有率など他のどんな要因でも説明できなかった。 そして高い人種差別的検索率は、他のどの民主党大統領選候補の劣勢ぶりの説明にもならなかった。オバマだけに当てはまることだったのだ。 P23 どのようにか?候補名の入力順だ。我々の研究によれぼ、両候補を含む検索においては、支持候補の名前を先に入力することのほうがはるかに多い。 過去3度の大統領選では、検索語として先に入力された候補が当選している。さらに面白いのは、この入力順は、個々の州の投票動向の良い先行指標になることだ。 P25 そしてシルバーは、共和党候補予選選挙でドナルド・トランプの支持に最も相関性の高いある要因を見出した。それは私が4年前に見出した判断の手がかりだった。トランプ支持が最も強かった地域は、「ニガー」という語を最もよく検索していた地域だったのだ。 P63 P65 P77 P85 P88 P100 P105 |
野原広子 KADOKAWA 2018/04/20 弁護士業に登場する離婚。 でも、 離婚って、 良く分からない。 離婚する女性に、 さんまのテレビを見ていて、 一緒に悪口を言わないのと聞いたら、 「彼がテレビを見ているときはキッチンにいる」と言われてしまった。 「レタスクラブ」に連載された漫画。 50頁を読んだだけですが、 なんか、離婚が理解できそうな気がする。 本書の例で離婚を語れば、 本音の会話が出来ていなかったということ。 お互いが嫌うことを理解できあえない夫婦の一例。 ワガママ、本音で、相手が嫌がることをやっと認識できた夫婦の復活。 P18 「夫の機嫌を損なわないように」それを基準にまわっている P19 今日も私は大嫌いな夫のために料理を作る P24 収入がなくなった私はこうして少しずつ夫にものを言うことができなくなっていた P54 私はなんでいつも笑っているんだろう? P56 このごろ 夫が帰ってくるのがこわい P57 いつか、自分がこわれるような気がする。 ううん もうこわれはじめてる気がする |
西山耕一郎(気管食道専門医) 飛鳥新社 2018/04/19 肺炎は、日本人の死亡原因の第3位。 その原因が嚥下障害。 胃瘻になってしまう。 @ 「嚥下おでこ体操」 おでこと手で押し合いっこをする体操です。 A 「あご持ち上げ体操」 あご先に両手の親指を当てて押し合いっこをする体操です。 B 「のどE体操」 「イィ〜」と長く発声し、口を横に伸ばして5秒ほど奥歯を食いしばる。 C 「シンク・スワロー」 つばを飲み込むことにできるだけ意識を集中する D 深呼吸をする 口からゆっくりと息を吐いて、吐ききったら鼻から息を吸う。 E 首を左右に倒す ゆっくりと真横に首を倒して1秒静止します。 F 首を大きく回す 大きく首を回して首の筋肉をほぐしていきます。 G 「舌出し体操」を行う 舌を突き出し「上」「下」「左」「右」の順に舌を動かす。 H 「胸張り腕上げ体操」 体の後ろで手を組んで両腕を上げていきます。 I 深呼吸を行う 口からゆっくりと息を吐き、鼻からゆっくりと息を吸います。 J 「シャキア・トレーニング」 両肩をつけたまま頭だけをゆっくり上げて自分のつま先を見る。 K ペットボトル体操 ペットボトルを口にくわえ息を吸ってクシャッと縮ませる。 L 風船ふくらまし&吹き戻し 風船をラクにふくらませる。 これらを生活習慣にしよう。 P4 みなさん、どうして肺炎死者数がこんなに増えているのかおわかりでしょうか?これは、誤嚥性肺炎で命を落とす高齢者が多くなったせいなのです。つまり、飲み込む力を衰えさせてしまったために誤嚥を起こし、肺炎をこじらせて亡くなっていくケースが非常に増えているわけです。 P6 もし、少しでも心当たりがあるならば、飲み込む力が衰えてきている証拠かもしれません。 そもそも、「食べ物を飲み込む」という行為は、わずか0.8秒という一瞬のうちに行われています。詳しくは第2章で述べますが、その0.8秒間で「喉頭を上げる」「気管の入り口を閉じる」「食道を開く」「食べ物を食道へ送り込む」という絶妙な連携プレーが成立しているのです。この“超絶ワザ”のような連携プレーは、ほんのちょっとでもタイミングがズレるとうまくいきません。ひとつのプレーがわずかでも遅れれば、食べ物が気管へ入ってムセたり咳込んだりすることにつながってしまいます。そして、そういうちょっとしたタイミングのズレや反応の遅れは、わりと40代、50代あたりから起こっていることなのです。つまり、そういう「小さなズレ」や「反応の遅れ」が時が経つうちに少しずつ大きくなり、高齢になるとともに徐々に飲み込みに支障が出るようになって、嚥下障害へと発展していくわけです。 P26 もっとも、飲食物が”気管へ入りかけた”だけでは誤嚥とは呼ばれません。食べ物が気管方向へ入ったとしても、それが入り口近くの声帯より上にとどまっている場合は「喉頭流入(喉頭侵入)」と呼ばれています。 この喉頭流入の段階では、勢いよくムセたり咳込んだりすれば内容物が戻ることがほとんどであ久大きなトラブルにつながることはありません。ただし、先ほど述びたように、しょっちゅう喉頭流入があってムセているようなら、それはのどの機能が老化しているサイン。こうしたサインを無視して放っていれば、いずれ誤嚥を起こすようになっていきます。 P34 じつは、「のど仏」の位置が下がってくるのです。 お年寄りにはのど仏の位置がだいぶ下に来ている人が多いものですよね。あれは、もともと下がっていたわけではありません。若い頃はかなり上のほうにあったのが、歳を重ね、のどのカが衰えるとともに少しずつ下がっていき、ああいう位置になってしまったのです。 P99 P104 P106 P108 P110 P111 P112 P115 P118 P120 |
浜タケル(元自衛官) インプレス 2018/04/16 54才で定年になり、 退職金の支給を受ける自衛官。 経済にも、 投資活動にも無縁な人達。 多様な人達のカモなのだろう。 本書は、 次のような会社に勤めた、 元自衛官が語る不動産投資の勧め。 ――――――――――― 3つの職種だけに、 徹底的に特化したサービス 私たちのサービスは、 『自衛官』『プロアスリート』『ハイクラスビジネスマン』 3つの職種の方だけに徹底的に特化させた不動産投資サービスです。 ――――――――――― さて、本書が自衛官の老後の助けになる有効な書なのか、 自衛官をカモにする営業の書なのか。 65才の定年退職でも計画の樹立が難しい時代、 54才で定年退職する自衛官に興味を持って本書を手にしたのですが、 どうも、恐ろしい老後が待っている職業に思えてしまう。 著者は、 資産2億円を所有すると語るが、 これは借方が2億円の意味だろう。 純資産が2億円でなければ意味は無い。 P17 「定年直前まで、私もきみと同じように先のことは何も考えていなかった。これがいけなかつたんだなあ。普通の民間企業は60歳が定年だろ。しかし、自衛官のほとんどは54歳が定年だから、一般の人より6年も早い。ということは、民間人よりも6年も早く定期収入がなくなるわけだよ。これはきついね。退職金でなんとかやっていけるだろうと思っていたら、そう甘くはなかった。子どもたちを大学に行かせてやる必要があつたし、親の介護のための出費もあった。 P31 ご存じのように自衛官は1年に1回体力測定があり、その測定で一定の基準をクリアする必要があります。年齢ごとに腕立て伏せや腹筋が一定回数以上できなければなりません。また、持久走でも規定の距離を時間内で走らなくてはならないのです。 P43 こうして、現在私は複数戸の不動産のオーナーです。総資産は2億円以上。と言つても、2億円の現金を持っているというわけではありません。私が所有している物件に2億円の価値がある、ということです。 P159 また、地方の大都市圏とそうでない地域との間にもほぼ同じような関係が生じると思われます。 自衛官による投資となると、大きなファミリー向けのマンションなどは価格的にもむずかしいわけですから、手が届く価格のもの、たとえばワンルームから始めてみるのがいいでしょう。 東京の都心部については、新築のワンルームマンションはまだ需要に供給が追いついていない状況です。都心部にはワンルームマンション規制があるため、簡単には建てることができないのが理由です。 |
松原 仁(人工知能専門) インターナショナル新書 2018/04/13 著者は、AIが人間の知能を超えて ロボットに心があると感じる時代が来ると論じます。 私は、そんなモノは妄想の部類と考えてます。 人間の意識が何であるか、 それが解明されていない段階で、 なぜ、AIが心を持つことがあり得るのか。 なぜ、心(意識)が生まれたのか、 生存欲求、生殖欲求、それに加えての承認欲求があってのこと。 AIには、生存欲求も、生殖欲求も、承認欲求も無い。 AIに可能なのは「四則計算」「統計」「確率」のみ。 なぜ、そのような電卓に心が宿るなんて言い出すのだろう。 ただ、AIの判断(分岐)が、 ミニマックス戦略であることは参考になった。 心の無いAIでも、if文を処理するときに、 「より損失の少ない方を選ぶ」という戦略なら実行可能だ。 P54 ”情報理論の父”と呼ばれています。彼らはコンビュータサイエンスにおけるパイオニアですが、彼らが書いた先駆的なAIの論文はチェスに関するものでした。ミニマックス法というアルゴリズムを用いれば、チェスにおける”次の一手”が決められることを明らかにしたものです。チェスこそが、AI研究の先鞭だったわけです。 ちなみにアラン・チューリングを題材に扱った映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)は、そのタイトルの通り、非常に難解なナチスドイツのエニグマ暗号を解読する試みを描いたもので一時話題になりました。 P19 P126 P140 P142 P142 汎用AIに心は宿るのか。鉄腕アトムのようなロボットをつくったとして、私たちはそのロボットに心があると感じるのでしょうか? 私の答えは「YES」です。 |
山本豊津 PHP新書 2018/04/11 これからの時代は、 ITではなく、美意識だと思う。 芸術に限らず、 全ての分野で美意識が必要になる時代。 そのように思っていたので、 本書を手に取ってみましたが。 東京画廊の経営者が語るアート論です。 しかし、タイトルは表現されていない。 使用価値がないからこそ、 交換価値が高いといわれても。 では、なぜ、 アートには高額な値段が付くのか。 希少性だとしたら、 素人が書いた一枚も希少性。 美しさだとしたら、 ヒロ・ヤマガタのシルクスクリーンの暴落は説明できいない。 値段が上がるからこそ、 価値があるという投資物件だと考えれば理解できます。 では、なぜ、投資物件としての価値が生じたのか。 それが歴史なんでしょうね。 ヨーロッパの貴族が寵愛した画家、 何らかの切っ掛けで再評価された画家。 輸出する陶器の包み紙に再利用されていた日本の版画。 (歴史+個性+表現)×偶然=その絵画だけの個性 日本人で、世界に通用する画家は1人もいない。 それも絵画の歴史を説明してると思う。 P212 私はたとえ不安と不安定を抱えても一人一人が独立し、それぞれが「感じ」、それぞれが「考える」ことができる世界のほうが好きです。そしてそれができる自由な世界が、他ならぬ芸術、アートの世界なのです。 これからの日本、そして世界を考えたとき、アートの力が大きな意味を持つのではないかと考えています。激動の時代、閉塞した時代だからこそ、これまでの価値にとらわれない自由な視点が大切なのです。既成のものを乗り越えて新たな価値を生み出すパワーが必要なのです。 その意味で私は芸術教育、美術教育にもっと力を入れてほしいと思います。ところが国はなかなかそれをしないでしょう。なぜなら権力や体制がもっとも恐れるのは、自由に「感じ」「考え」、そして「表現する」人間が増えることだからです。 彼らが推奨する教育とはどんな教育か?要は全員が同じような考え方をするようになる教育です。近代の産業社会はそれによって国が発展したのも事実ですが、数学も社会も国語も答えが決まっていて、皆がその正解を導くように指導される教育では、新しい時代を切り開くのは不可能です。 もちろん、そういう学問を学ぶことは必要ですが、個性というのはそこからは生まれません。明治開闢以来、日本の教育の目的は一貫しています。それは画一的な人間を作り出し、そのヒエラルキーの中でもっとも優秀な人間を国家が独占することで、体制強化を図ろうとすることです。 ところが芸術や美術教育は違います。人と同じようなことをやっても駄目なのです。自分なりの感性やものの見方を身につけ、自分なりの表現をすることが芸術の世界です。そこでは他者と同じになることではなく、違いを作り出すことが求められます。そして、その違いをお互いが認め合うことに価値を置くのです。 芸術のこの価値観がれば、今学校で起きているような陰湿ないじめもなくなるのではないかと思います。いじめの本質は、他者の違いを認めない、異質なものを排除するという偏狭さからきているからです。 |
小保方晴子 講談社 2018/04/06 細いガラス管の中を通すストレスによって細胞を初期化することが可能。 記者会見で、そのような説明をしてましたが、その部分(P77)です。 まだ、読み途中ですが、 ほとんど、研究記録が保存されていないという報道だったが、 なぜ、これほどに詳細に過去の研究過程を文書化できるのか。 自身の創意工夫で成し遂げた成果について、 なぜ、事件後に再現できないのだろうか。 名前を連ねた研究者の方々は、 発表前に小保方氏の実験を検証しなかったのか。 そんなことが後半で語られるのか。 本書で語られる小保方氏の実験成果や研究姿勢と、 現実(報道)された結果には距離がありすぎる。 その理由が後半で語られるのだろうか。 極めて優秀な研究者を葬ってしまったのか、 小保方氏に、何かの勘違いがあったのか。 著者の悪意のある作為(偽装)とは思えない。 P77 実験を重ねるうちに、Oct4−GFPマウスを用いることによって、最初光っていなかった体細胞(0ct4陰性)がストレスを与えることで光る細胞(Oct4陽性)に変化する現象を捉えることができるようになった。一般的に幹細胞は細胞質が小さく、細胞自体も小さいという特徴を有している。この特微は、ES細胞でも成体幹細胞でも共通している。 そしてスフェアを形成し、Oct4を発現する細胞も細胞質がとても小さかった。当初は単純にストレスがかかると細胞に変化が起こると考えていたが、さまざまなストレス条件を試みるうちに、細いガラス管の中を通すストレス、浸透圧をかけるストレス、ストレプトリジンOという薬剤に晒すストレスをかけた時に、細胞に熱をかけるストレスや低栄養の培地中で培養し飢餓状態にするストレスに比べて、Oct4陽性の小さな細胞ができてくる割合が多いことに気が付いた。Oct4陽性の小さな細胞が多くできてくるストレスに共通しているのは、細胞膜に損傷が加わりやすいということだった。 この発見は私に新たな観点からの着想を与えてくれた。幹細胞は細胞質が小さい。幹細胞になる細胞は、細胞膜が損傷する。細胞質が外に漏れだすために細胞が小さくなるのだろうか。細胞は大きく分けて、核、細胞質、細胞膜によって構成される。 分化過程に起こるエピジェネティクスによって、細胞の運命は決定される。細胞の司令塔である核は核膜に覆われ、その周りにはさまざまな細胞小器官を含む細胞質が存在し、個々の細胞は細胞膜で覆われている。通常では、核からの指令によって細胞の運命は決定されていると考えられているが、実は細胞質の中に分化を決定しその状態を安定させる因子が含まれているのではないだろうか。 これは常識とは真逆の発想だったが、すでに発表されていた、細胞質を入れ替えると細胞が入れられた種類の細胞質の細胞に変化する(具体的には線維芽細胞の細胞質をT細胞の細胞質に入れ替えると、その細胞はT細胞の性質を示すようになる)という研究成果も私の仮説を補佐してくれていた。体細胞の細胞質中に細胞の分化状態を維持する因子が含まれていて、幹細胞化は細胞質の減少が鍵なのではないか。 P91 P101 後半になると、 登場するのは混乱、悪意、責任回避。 小保方氏は、その渦の中に巻き込まれていく。 これが研究者の世界なのかもしれない。 論文に名を連ねた人達の役割分担と責任。 再現実験と、その方法と、その結果の検証方法。 その時点だけではなく、 ATAP細胞が未だに再現されてないことは、 やはり、STAP細胞は存在しなかったのか。 では、存在すると結論づけたのは誰なのか。 研究者の名誉と保身の谷間に落とされたのが小保方氏なのか。 それにしても、蒼々たる研究者が名を連ねているのに、 なぜ、小保方氏だけが責められるのか。 ポスドク(P180)とは、 地位も無く、指導教官の下で働いていた研究員なのか。 P180 終盤の頃の質問に対し、ある文脈の中で「私はボスドクだったので」と述べると、委員会のメンバー全員がきょとんとした顔をした。少し身を乗り出した形で、「誰の指導下だったのですか」と聞かれ、「若山研で実験をしていました」と答えると、しんと場が静まり返り、懲戒委員会の面談は終わった。理研本部はこの時に初めて、不正判定を受けた図表の実験が行われたのは、私がユニットリーダーではなく、若山先生という指導者のいる研究員の立場であった時のことと知り、懲戒の判断がつかなくなった、と後に理事の一人から聞いた。 P192 P218 P227 P238 |
小保方晴子 中央公論社 2018/04/03 彼は自分の内部に、自分の身の周辺に、常に地獄を持っており、たとえ場所が変わっても自分自身から抜け出せないのと同じく、地獄からは一歩も抜け出せないのだ。 ミルトンの失楽園に登場するサタンの独白ですが、 まさに、この状態に追い込まれた小保方氏の独白(日記)。 小保方氏に責めがあるのか、無いのか。 そんなことは本書の価値にとってはどうでも良いのです。 あの立場に追い込まれた人達の日々の生活と心理状態。 佐川前国税庁長官が、いまこれと同種の苦しさだろう。 万引をした裁判官、 痴漢をした検察官、 変質者的な犯罪をしてしまった息子や娘の両親。 主から受ける恩恵に耐えきれなくなって、 主に戦いを挑み、 主の右手に座る御子の雷によって 地獄に落とされてしまった堕天使サタン。 彼は地獄に落とされたのではなく、 彼自身が地獄になってしまったのです。 彼らほど有名人では無い私達ですが、 ふとした気の緩み、悪意が身の破滅をもたらす。 その恐怖を知るための本書です。 著者について、 本書を読んで感じたのは、 才能のある方なのだろうという感想。 P157 11月19日(木) 覚える訓練は繰り返ししてきたけれど、忘れる練習をしたことはない。これまでだって忘れたいことはたくさんあったけど、忘れる方法はいまだに知らない。何もかも忘れたいと毎日願っては、忘れるなんてできるわけがないと絶望している。高校2年生の時の担任の先生が、「つらいこともいつか忘れる。記憶は美化されて、いい思い出しか残らない」と言ったことを思い出す。私はもうすぐあの時の先生と同い年だ。 P194 2月25日(木) 今、目を瞑ったら、このまま二度と起きることはないだろう。実際にナイフで胸を刺される痛みと、どっちが痛いだろうか、と考えるくらい鋭い痛みが続いている。少しでも気を紛らわそうと一日中テレビで映画を流す。しかし何も覚えていない。こうして生きながらえて夜になったことが、罰を与えられているようだ。 2月26日(金) 生きていることが拷問としか思えない。 2月27日(土) また私に関するニュースが出た。世界中で連日日常的に起こっているようなことでも、私のことだけいちいち大問題のように取り上げられて報道されるのはなぜなのだ。 2月28日(日) なぜまだ生きているのだろう。死ぬ意欲さえないからだ。 P79 P103 P128 P150 P157 P173 P194 小保方さんが 小説家としてデビューする復活の日は到来するのか。 いや、本書が、それなのかも。 P239 6月30日(木) 8時半の電車に乗って、ベロニカさんと寂庵に向かった。 瀬戸内先生が「あなたに観音様をあげたいの。私が最初に買った観音様で、その観音様に祈っている時に、出家を決意したの。編集者と一緒にいらっしゃい。よくあなたの本を出してくれた、とお礼が言いたいの」とおっしゃり招待してくださったのだ。 P238 P239 P248 P256 |
リチャード・レスタック ディスカバー 2018/03/29 タイトルに惹かれ 内容を立ち読みして購入したのですが、 従前の知識に加えるべき特段の内容は存在しませんでした。 人間の脳も 意識も、何ら解明されていない。、 ただ、意思決定の数秒前に脳が発火するので、 人間には自由意思は無い(?)とする理屈について、 次の引用部分のように論じているところは成るほどと思う。 P149 近代の神経科学が自由意思という概念に影響を与えはじめたのは1983年のことだ。その年、神経生理学者ベンジャミン・リベットは、脳の活動が随意的な決定(ここでは、手を動かすこと)のだいたい1/2秒前に検出できることを示す論文を発表した。それ以来、fMRIを使って全脳を観察する実験などが行われ、リベットの研究成果がより洗練された形で理解されるようになった(リベットの実験では、脳の限られた部分の活動のみしか検出できなかったのだ)。 ベルリンのベルンシュタイン・センター(Bernstein Center for Computational Neuroscience)の神経科学者ジョン・ディラン・ヘインズによる実験では、参加者は脳スキャン装置の中に横たわりながらランダムに文字を見せられ、好きなタイミングで左手か右手でボタンを押すように指示された。また、ボタンを押すと決断した瞬間にスクリーンに映し出されている文字を覚えておかなければならなかった。 このような実験を行った結果、ボタンを押すという決断は、実際にボタンを押すよりもおよそ1秒早くなされていたことを見いだした(リベットの実験のあとであるから、ここになんら不思議なことはない)。驚くべきことは、ボタンを押すことにつながる脳の活動パターンが、実際にボタンを押す瞬間から最大7秒もさかのぼれたことだ。被験者が決断するはるか前に、脳はある意味すでに決めておいてくれていたわけだ。 P151 第三に、意識的に決定してから行動に移すということそのものが、場合によっては百害あって一利なしということもある点だ。森の中を歩いていてヘビに出くわしたら、意識的になにかを考える暇もなく飛びのくであろう。「ふむ、これはヘビだから後ろに下がったほうがよさそうだ」などという考えが頭に浮かぶことは一切ないはずだ。危険を感じたときに脳がそのように働くことは理に適っている。「ヘビ」が実は小枝だったとしてもほんの数秒無駄にしただけで済むのだから、悠長に考えを巡らせて命を失うことと比べたら安いものだ。 |
山田克哉 講談社 2018/03/28 E=mc^2 世界で最も美しい公式ですが、 なぜ、この計算式が成り立つのか。 それを入門編から読み解くのが本書です。 飛ばし読みをする事ができない真面目な本です。 電磁力、重力、強い力、弱い力。 この4つの力の統合が研究されてますが、 私には電気と磁石が同一な理屈も分からなかった。 なるほど、 電荷をもつ粒子がスピンすると磁石になる。 P75 電荷をもつ粒子がスピンすると、それは必ず磁石になることが知られています。電荷をもつ粒子の”自転”が、「運動する電荷」に他ならないからです。このため、電子と陽子はいずれも「永久磁石」になっています。 |
日本経済新聞社編 日本経済新聞社 2018/03/23 仮想通貨とは、 仮想商品であって、 ボラティリティはあるが、 本源的な価値が無い商品。 つまりは、 存在しない上場会社の株式市場に等しい。 しかし、値動きに賭けた人達は、 値動きこそが挑戦のチャンスであって、 バブル時に不動産投資をした事業家と同じ。 何時かは終わる。 しかし、それは今では無い。 いま降りてしまえば、値上がり益を掴むチャンスを失う。 ビットコインから始まって、 その後、数多くの仮想通貨が登場し、 仮想通貨の数だけ社会の総資産が増え続ける。 昭和のバブル時に、 日本の土地総額が、 米国の土地総額を超えた妄想に似ている。 投資に参加する人達のシェアが、 日本人で4割を占めることも昭和のバブルに似ている。 この人達が破綻しても、経済与える影響はゼロだろう。 儲けたのが、仲介料を取る業者と、 儲けに課税し、損を切り捨てる税務署。 仲介業者に10%の寺銭を取られ、 税務署に50%の寺銭を取られる。 目先の儲けに目を奪われて、 顛末が見えない人達の泡沫の夢。 自ら破綻を求める人は絶えない。 P25 「えっ、460億円も現金を持っているのか」。コインチェックに口座を持つ都内の男性会社員(29)は度肝を抜かれた。コインチェックが不正流出したNEMの8割相当を自己資金を使って返金すると18年1月28日未明に表明したためだ。26日深夜から27日未明にかけて開いた記者会見からわずか1日。創業から問もないベンチャー企業にこれだけの金額を無担保で貸してくれる銀行があるとは考えにくい。 持っているとすれば、どこから生まれたのか。ヒントは高収益の事業モデルにある。顧客と売買する際に」定の利ざやを上乗せして稼いでおり、その幅は「売買の往復で最大10%」(業界関係者)。1%以下の外国為替証拠金(FX)取引と比べると利ざやの厚さは桁違いだ。 仮想通貨取引を扱う会社は売りと買いを付け合わせる証券取引所のような本来の取引所ではない。法律上の正式名称は「仮想通貨交換業者」だ。注文の付け合わせだけでなく、顧客の反対に立って自己勘定で注文を受けており、それが大きな収益をもたらしている。 P26 コインチェックの取引拡大ペースは同業他社を大きく引き離し、17年12月のビットコイの取引額は約3.2兆円に膨らんだ。厚い利幅を考慮すれば、月間収益が300億円を超る月もあったようだ。 P49 人民元からの資本逃避先として中国人がビットコイン市場を席巻したのは今や昔だ。政府が締め付けを強めたのを機に中国の勢いは失速し、日本人が次の主役に躍り出た。情報サトトのコインヒルズによると、ビットコインの円建て取引のシェアは米ドルを超えて世界最大の4割に達した。 P55 ビットコイン投資は20〜30歳代と若い世代が中心だ。仮想通貨交換所大手ビットフライヤーでは実に顧客の6割が30歳以下だという。高齢化が著しい株式の投資家とは大きく異なる。 P60 「仮想通貨から生まれる税収は数千億円」。ビットフライヤーの金光碧取締役(35)はこう予想する。手ぐすね引く国税庁は職員自らが仮想通貨を売買し、課税の予行演習を繰り返している。浮かれる人、悔やむ人、羨む人、妬む人……。バブルの受け止め方は人それぞれだが、一番得をしたのは国であるのは間違いない。 P66 証拠金取引を使えば投資家は元手を上回る金額を取引できる。元手に対する倍率は5〜20倍が多いが国内でも取引所によっては25倍まで可能だ。25倍なら4万円の元手で100万円の取引ができる。もちろん下落時の損失は大きい。25倍の取引なら価格が4%下がれば証拠金はすべて消える。 P154 ICOとは企業や団体が独自の通貨である「トークン」を発行し、これから立ち上げる新事業に必要な資金を集めることを指す。事業に賛同する投資家はビットコインやイーサリアムなど流動性の高い既存の仮想通貨で代金を払い込み、企業側は受け取った仮想通貨を換金して使う。 投資家は実現するサービスや製品をトークンで購入できるほか、トークンは仮想通貨交換所への上場など市場で流通した段階で新たな仮想通貨になり、上場先の仮想通貨交換所などで換金できる。 ICOのトークンは、株や社債と違って投資家に配当や金利を払う必要はない。有価証券発行に課せられる投資家保護を目的とした規制が存在せず、情報開示は簡便で済む。「ホワイトペーパー」と呼ぶ事業計画書をネット上で公開するだけで資金を募集し、決算書の開示や会計監査も必要ない。証券会社や監査法人を雇ってー〜2年の準備が必要な新規株式公開(IPO)に比べた負担の軽さから、設立間もない企業の利用が相次ぐ。 ICOを使うと企業は証券会社や銀行に頼らなくても、ネットを介して世界中の投資家から直接お金を集めることができる。 |
吉永小百合 集英社新書 2018/03/16 自分が出演した ドラマと映画の歴史を語ります。 自分自身のイメージを維持して、 長期間についてファンを引き付ける。 本書を読んで、 その理由を述べるとしたら、 「真面目さ」がキーワードのように思います。 P128 ラジオの子役に応募したのがきっかけで、芸能界に入ったときは、全然プロという気持ちはありませんでしたし、その後日活に入ったときもアルバイトのつもりでした。結局、ずっと、基本はアマチュアなんですね、仕事をしているうちに、映画がものすごく好きになって、いい意味では一つ一つの作品で新鮮に仕事をやれているんですが、悪い意味で言えば、なんかアマチュアだなあと自分でも思うことが結構あるんです。もっとプロフェッショナルになりたいと思うこともあります。 |
石井幸孝(JR九州初代社長) 朝日新書 2018/03/14 JR北九州の初代社長に就任し、 JRの黒字化のモデルを作った本物の経営者です。 黒字化の道筋は、 1 高速道路網に対して特急便を増加して戦い、 2 デザイン列車を増やして出発時から旅の楽しみを演出し、 3 近鉄に倣って多角化計画で黒字化を図り、 4 博多釜山間にジェットフォイル超高速船を導入した。 その後、第一線をリタイヤしてから、 人口減少時代のJRの危機を語ります。 ただ、地方のJRの衰退は、 日本全土の人口減少で生じたのではなく、 地方都市の衰退から始まっている。 勿論、 これからの全国的な 人口減少はJRの危機ですが、 しかし、 日本全体の人口減少の危機が10だとすれば、 地方の人口減少の危機は200だと思う。 著者が主張する「T字型人聞」の発想は正しいと思う。 「人一倍苦労した」「人一倍勉強した」「人一倍失敗した」という経験と、 「何事にも関心を持ちなさい」「いろいろなことを経験しなさい」という発想。 仮に、大手の銀行に勤めれば 定年退職まで勤められた時代は終わり、 勤め先をリストラされなかったとしても、 産業構造が変わって勤め先が存在しなくなってしまう。 そのときに 組織から放り出されて、なにか、 個人として売れるモノを持っているか。 それが「T字型人聞」なのか否かは不明ですが、 常に挑戦して社会との会話を続けなければならないのは事実。 私なら、組織で垂直に登る能力ではなく、 別の組織に水平に移動できる能力を期待したいが、 では、それが何なのかは誰にも分からない。 P5 九州という楕円形の島で、明治時代に敷かれた鉄道は海岸に沿ってくねくね曲がっているが、平成に相次いで開通した高速道路は山中をトンネルで真っ直ぐ抜ける。高速道路が開通するたびに、特急のお客様は高速バスにごっそり持っていかれることになった。 P9 昭和末期の国鉄破綻は、高度成長最盛期に起きたモータリゼーションと航空機の大衆化による需要減少についていけなかったためにもたらされた。これから起こる人口減少という基礎需要減少は、全国の全産業分野に影響を及ぼすものだ。 P202 私の経験から「30年経つと世の中変わるぞ」と言っておきましょう。みなさんもあと数年以内には就職するかもしれませんが、「俺はいい会社入ったぞ」と言っていても、30年後は潰れるかもしれない。そのスピードはもっと早まっています。 P205 一方で、独占を長く続けていると企業は横柄になります。国民に対して「お前たちを乗せてやる」となっていった。だから国鉄では、国民を「利用者」と言っていました。今のJRは「お客様」という言葉しか使いません。ちなみに電電公社も民営化されてNTTになりましたが、昔は電話の利用者のことを「加入者」と言っていました。電力会社では「受給者」だった。お客様という言葉を使わなかったんですね。 今もまだ、マスコミはお偉いから「読者」とか「視聴者」とか言っています。でもJRは「お客様」以外使いません。そのくらい、言葉によってお客様との関係が違いますね。 P226 それは、皆さんはぜひ「T字型人聞」を目指していただきたいということです。「T」の縦の棒は何かというと、人に負けないものを持つということです。これは趣味でも仕事でもいい。「人一倍苦労した」「人一倍勉強した」「人一倍失敗した」……何でもいい。そういった人に負けない経験を若いうちにしておけば、全部、豊かな人間関係につながっていきます。 それから「T」の横の棒は、「ある程度たったら好奇心を持ちなさい」「何事にも関心を持ちなさい」「新聞を読みなさい」「いろいろなことを経験しなさい」ということです。そういう、「横棒と縦棒の組み合わせのような人間になりましょう」というのが、「T字型人問」ということです。縦だけでは、専門家を目指すにはいいかもしれない。横だけでは、評論家を目指すにはいいかもしれない。でも社会に出て、人生豊かかに、最後は偉くなりたいと思うなら、T字型を目指しなさい。 |
原田伊織(歴史評論家) SB新書 2018/03/13 私も、 日本の文化は 江戸時代に完成したと思ってます。 戦争が無いだけではなく、 対外戦力も持たない豊かな265年。 租税負担は軽く、国民は豊かになり、 政治はお上に任せておけば良かった。 その後、明治維新という田舎者の革命と、 米国型の民主主義という教科書的な思想。 しかし、 日本人は、未だに、 江戸時代の文化の中で生きてる。 P34 ここで考えたいことは、ようやくアメリカ軍の占領が形式的であっても終わったこの時、明治維新という軍事クーデターからまだ八十年強しか経っていなかったということ、そして、ζの敗戦を招いた大東亜戦争に突入した時(昭和16年―1941)は、同じく70年強しか経っていなかったという、「時の経過」のことなのです。 P35 確かに、「維新」という言葉は、水戸学由来の言葉で、「天誹を手段としてでも〜」という意味を内包しています。世の中を変えるには、テロリズムも肯定するという思想が生んだ言葉なのです。私は、「維新」という言葉を冠した政党が生まれた時、ビックリしました。まさか!と思いましたが、これは、その政党を立ち上げた政治家が単に無知であっただけのことだったのでしょう。そう思わなければやり過ごせる話ではなくなります。 |
税理士法人レガシィ 角川新書 2018/03/12 目新しいことも、 節税のノウハウも、 まったく書かれてません。 その意味で、 一般素人向けの解説書として安心できます。 アパート建築や、 タワーマンションなど、 危ない節税策を業者が売り込んでくる時代ですから、 本書のような安心できる解説書を読んで、 相続税についての節税策など存在しないこと。 それを知ることは一般の方には有益です。 一般の人達向けに書かれたのが本書です。 争いがあれば信託銀行は身を引いてくれることは有益な情報ですが、、 秘密証書遺言がもっとも魅力的と論じるところは賛成できません。 民法改正の後においては 自筆証書遺言が活用されるものと思います。、 1 自筆証書遺言の場合も相続財産の目録は自書することを要しないこと。 2 自筆証書遺言についての遺言書の法務局への保管制度が創設されること。 3 保管制度を利用した場合は相続開始後の裁判所の検認手続が不要になること。 4 法務局の事務官が遺言の民法第968条の外形的な適合性を確認してくれること。 5 遺言書は画像情報化して保存され全ての法務局からアクセスできるようにする。 P30 信託銀行などは、とくに顕著です。信託銀行には遺言信託などの商品があります。遺言執行業務も請け負っているわけですが、相続人全員の同意が得られなければ遺言執行人として就任しない慣習になっています。 このように、信託銀行がトラブルを避けるのは仕方のない面もあります。相続人の間のトラブルの解決は弁護士の領域になります。弁護士でない人がトラブルの仲裁を行うと非弁行為とみなされ、弁護士法の違反になるからです。 P73 しかし、私たちは、通常、検認の手続きが煩雑であることを承知のうえで、あえて秘密証書遺言をお勧めするようにしています。 P74 あるいは、異論があるかもしれませんが、法的不備の問題や発見されない可能性のある自筆証書遺言、財産内容に応じてコストがかかるうえに内容の秘密が守られない公正証書遺言よりも、記載内容の自由度が高く、コストの安い秘密証書遺言が、最も魅力的な方法ではないか、と私たち自身が考えているのです。 |
堀越希実子(市川團十郎の妻) マガジンハウス 2018/03/08 タブーなるが故に 誰も発言しない 海老蔵氏の奥さんと民間医療の関係。 何か語っているのかと、 本書を手に取ってみたのですが、 自分の夫のことは語ってますが、 息子の配偶者のことは語っていない。 まだ、誰も語れないのだろう。 亡くなった配偶者を語るのには5年を要する(179頁)。 P157 最初にデザインした打掛は、麻央さんの花嫁衣装でした。麻央さんのイメージの淡いピンクに、成田屋には欠かぜない牡丹をデザインに取り入れました。結婚式が夏でしたから、「水衣」という波のように透ける織物です。その上に一針一針刺繍を施しています。仮縫いを何度もしながらようやく完成すると、麻央さんは「とってもきれいですね」といって喜んでくれました。8年前のことです。 P179 主人を亡くしてからは、しばらくの問はぽっかりと心に穴があいたようでした。もっとああすればよかったという反省や、もっとこうしてあげたかったという想いが次から次へと頭に浮かんでくるのです。考えれば考えるほど落ち込みました。そうやって悔やんでも主人が戻ってくることはないのだから、と自分に言い聞かぜる。しばらくすると、また思い出しては落ち込む。その繰り返し。ひとりになると、主人との何気ない時間を思い出しました。瓶ビールを飲みながら、ふたり並んでいただく夕食。それほど会話はなくても気を使うことのない安心感。思い出すたびに悲しみと不安感に襲われました。でも、そういう気持ちを誰かに相談することはありませんでした。どうにもならないことだとわかっていましたから。 そんな状態の私を周りのみなさんが心配してくれて、食事に誘ってくださったり、外へ連れ出したりしてくれました。でも、そのときにどんなものを食べたのかはまったく覚えていないんです。 主人が亡くなってから5年が経ち、ようやくここ1年ぐらいは落ち込むことも少なくなりました。最近では、姿の見えない主人に向かって「まったく、困ったものね」とブツブツ文句を言ってますよ。誰かに見られたら、なに独り言を言っているのかと思われてしまいますね。近くに主人の存在を感じることができるので、文句ばかりじゃなくて、うれしいこともちゃんと報告しています。 昨年、孫が歌舞伎座で宙乗りをしたときにも、もちろん報告しました。きっと心配しながら見守っていたと思います。無事に終わって安心したんじゃないで しょうか。主人は稽古場に座って「ここで孫と一緒に稽古する日が待ち遠しい」と楽しみにしていましたから。 いつも近くで見守ってくれている主人に毎日感謝しています。心の中で思っているだけじゃ伝わりませんから、ひとりになったらちゃんと声に出して伝えています。 「パパ、いつもありがとう」 |
荒井紀子(数理論理学) 東洋経済新報社 2018/03/02 「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクト、 このプロジェクトディレクタを勤めた数学者の著作。 「AIが神になる?」…… なりません。 「AIが人類を滅ぼす?」…… 滅ぼしません。 「シンギュラリティが到来する?」…… 到来しません。 本書の書き出しで、 断言するのが本書です。 理系の専門家に言わせれば、 AIが意思をもつとか、 AIの能力が人間を超えるのは妄想の世界。 ただし、 労働市場のミスマッチで、 大量の失業者が登場する可能性がある。 だからこそ、 AIを正しく認識し、 AIに可能な職域と、 それ以外を知っておく必要がある。 いや、著者は「読解力」だと言いますが。 現実に、 私の事務所なら、 この10年で次の変化があった。 銀行に行かない 郵便を発送しない 本を買いに行かない 書類を届けに行かない 電話が掛かってこない 文房具を買いに行かない コーヒー豆を買いに行かない 小包を郵便局に持ち込まない 会計ソフトに手入力しない。 手書き書面を清書しない ほとんど文字を書かない。 申告書を手書きしない。 書類を綴じない しかし、 シンギュラリティが到来すると語っている詐欺師。 どこまでAIを理解して嘘をついているのだろう。 言葉が早くて読み易い。 次から次に論理が展開し、 思考の流れとして無駄がない。 著者のように優秀にに生まれたら 人生は楽しいのだと思う。 しかし、 本書の良さは AIを論じる前半で終わる。 後半では教育を語り、 AIによる失業問題を語り、 起業を語るが、 学者の主張であり、 一般性の無い偏った分析は、まさに、 AIが得意とする人間を理解しない分析。 後半を読むと、 著者の人間に対する理解力に、 クエスチョンが付いてしまう。 AIが東大入試に合格できなかった。 それは承知の上での挑戦だったと主張するが、 これは著者流の 不利益なところは 自己に有利に位置付ける 我田引水型の主張ではないのか。 そのような欠点があっても、 「AI」を論じる本書の前半部分は良いが、 「教科書が読めない子どもたち」部分はダメ。 P1 AI(人工知能)論議が喧しい。その1冊を世に送り出そうとしている私が言うのは少し変ですけれど、巷間にはAI本が溢れています。 曰く、「AIが神になる」、「AIが人類を滅ぼす」、「シンギュラリテイが到来する」――。そんな扇情的なタイトルを目にするたびに、私は突っ込みを入れています。 「AIが神になる?」――なりません。「AIが人類を滅ぼす?」滅ぼしません。「シンギュラリテイが到来する?」――到来しません。 P2 AIは神に代わって人類にユートピアをもたらすことはないし、その能力が人智を超えて人類を滅ぼしたりすることもありません、当面は。当面と言うのは、少なくともこの本を手に取ってくださったみなさんや、みなさんのお子さんの世代の方々の目の黒いうちにはということですが、AIやAIを搭載したロボットが人間の仕事をすべて肩代わりするという未来はやって来ません。それは、数学者なら誰にでもわかるはずのことです。AIはコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機は計算しかできない。それを知っていれば、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれたり、人工知能が意思を持ち、自己生存のために入類を攻撃したりするといった考えが、妄想に過ぎないことは明らかです。 P31 P33 P34 P35 P36 P50 P83 P94 P105 P107 P111 P117 P118 P119 P120 P163 コンピューターが数学の言葉だけを便って動いている限り、予見できる未来にシンギュラリティが来ることはありません。そう言うと、「夢がない」とか「ロマンがない」と批判されることがありますけど、来ないものは来ないと言うしかありません。 P164 つまり、「真の意味でのAI」が人間と同等の知能を得るには、私たちの脳が、意識無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換えることができる、ということを意味します。しかし、今のところ、数学で数式に置き換えることができるのは、論理的に言えること、統計的に言えること、確率的に言えることの3つだけです。そして、私たちの認識を、すべて論理、統計、確率に還元することはできません。 |
渡辺正峰(脳科学) 中公新書 2018/03/02 AI、特に、ディープラーニングは意識をもつことになるのか。 そんなことは絶対にあり得ないのですが、 AIの内容を知らない私には具体的な反論が出来ない。 そこで反論の手法として「意識」から逆に検証することにしてみた。 意識は、脳科学の分野でも、全く解明されていない。 「意識の科学の現状は、 ニュートンの逸話になぞらえるなら、 いまだリンゴが落ちていない状態にある(P194)」。 さて、本書から得た「意識」とは、 宇宙人が、私の脳に住み着いて、私の脳をコントロールしている状態。 つまり、「意識」の探索は、 脳味噌の中に住んでいる宇宙人の探索に等しい。 P6 このような時代にあって、コンピュータにはその片鱗すら実装されていないもの、科学者や哲学者によっては、未来永劫実装されないだろうというものがある。それは、モノを見る、音を聴く、手で触れるなどの感覚意識体験、いわゆる「クオリア」だ。 P7 難しいのは「クオリア問題」のほうだ。なぜ脳をもつものに、そして脳をもつものだけに、クオリア=感覚意識体験は生起するのだろうか。最新のデジタルカメラは、レンズをとおして景色を捉え、その中から顔を探し出し、そこにピントを合わせられる。しかしながら、景色そのもの、顔そのものを「見て」はいない。いわば、デジタルカメラは視覚クオリアをもたない。 P8 P16 P21 P22 P144 P146 P182 P185 P188 P190 P194 P221 P224 |
大江 舜(ジャーナリスト) 新潮新書 2018/02/26 船旅や、 七つ星で旅をする高齢者から、 貧困、ボケ、ガン等を語ります。 団塊世代の高齢者を紹介する。 ここに書かれた人生もあるし、 そうでない人生もあるのだろう。 ただ、次が 介護老人ホームの一日だとしたら、 死なずに介護老人ホームに入るのは、 誰にとっても良い老後ではないですね。 誰もが語らない介護老人ホームの一日なのか、 著者が脚色した介護老人ホームの一日なのか、 P28 ホームの1日 さて、ここで利用者の1日の流れを紹介しておく。利用者になったつもりでお読みいただければ幸いである。 起床は6時過ぎ。陰部の洗浄と着替えから始まる。 「おむつの人はベッドで、パンツの人はトイレで、陰部洗浄ボトル(通称陰洗ボトル)という飲食店のソース入れのようなものでお湯をかけ、手袋の手で洗ってさしあげます」 朝食は7時半から。嚥下の力にあわせ、食べ物の刻み方を変える。好き嫌いも考慮する。食事のあとは、ほぼ全員、お薬タイム。補助が大変だ。 「ご高齢になると手の感覚も鈍ってきて、薬を置かれたのが手のひらなのか指先なのか分からず、ちゃんと飲めず落としてしまう。嫌がって、こっそりあとで吐きだす方もいます」 その後、口腔ケアとトイレが続く。これが3点セットになっている。 P28 |
飯山 陽(イスラム思想研究者) 新潮新書 2018/02/26 ユダヤ教、 キリスト教は、 私にも理解できそうな気がする。 しかし、イスラム教は理解できない。 支持者を増やし続けるイスラム教。 どのような存在なのか、 これを解説する書籍も少ない。 本書は素晴らしい一冊です。 書き始めの1行からイスラム教を語っている。 世界の全ての人達が読むべき一冊です。 このような本に出会えるから読書は止められない。 最終頁まで読み終わりました。 恐ろしい本です。 言い訳も、 解決策の提案も無く、 イスラム教とは 「こういうモノだ」で終わっている。 理論も、議論も、妥協もなく、 「神は人間を創造する前から総てを知っている」と信じ、 時代の変化も、世界情勢も無視し、コーランに従う人達。 中国共産主義、 ロシアの共産主義(?)、 北朝鮮の独裁政治は、 何時かは終わり、民主主義が到来すると思う。 しかし、イスラムの国々に民主主義が到来することはあり得ない。 P5 イスラム教徒にとっては国境も国民国家も民主主義もグローバル化も、所詮は「人間の産物」にすぎません。しかしイスラム教はそうではありません。イスラム教徒にとってのイスラム教は、神が人間に恩恵として与えた導きです。神の恩恵であるイスラム教が、人間の産物である民主主義に優越するのは、彼らにとっては「当然のこと」です。 私たち人間には「確かな真実」がわからないのに対し、神は全知全能だからです。私たちは未来の世界について想像することしかできません。しかしイスラム教徒にとっては、いつか神の法が世界を統治する日が必ずやってくるというのが確定された未来です。なぜなら彼らは、全知全能の神が世界をそのように創造したと信じているからです。 P20 P32 P39 P40 P41 P42 P43 P45 P46 P51 P56 P61 P78 P79 P91 P154 P156 P158 P160 P161 P162 P163 P165 P168 P169 P171 P176 P179 P187 P196 P198 P203 P204 P208 P216 P220 P230 P233 P236 |
小川仁志(哲学者) 講談社現代新書 2018/02/22 哲学への興味は薄いのだが、 小タイトルが気になって読んでみた。 ・AIの暴走を止められるか ・インターネットが世界を牛耳る 哲学は思索のみを内容とする学問なのだから、 そして、大学で哲学を研究しているのだから、 深い思想が表現されていると期待したのですが、 「誤解だらけの人工知能」を読んだ直後だった為か、 AIの理解の浅さと、思想の浅さが目につきました。 意識って何なの 思考って何なの 哲学者が2000年をかけても説明できない事柄が、 なぜ、コンピュータソフトに可能だと考えるの。 P107 AIは、いくら優れているとはいえ、計算機にすぎないと思われていた。それぶ人間と同じ思考をするとなると、私たちのショックは大きい。なぜなら、彼らのほうがうんと処理能力が高いうえに、疲れ知らずなのだから。棋士たちも、当然ながら集中力ではAIにはかなわないという。 P109 しかし、ここで私たちは重要なことを忘れている。それはロボットが意識を持つ可能性だ。そうなると、彼らは単に人間より優秀になるだけではない。意識を持った存在を、こちらの思い通り動かせるはずがないだろう。家庭で、あるいは政治の世界で、人間同士でさえ互いをコントロールしかねている私たちが、どうやって自分より優秀な、しかもわかり合えるかどうかもわからない存在をコントロールできるというのか? P115 それに、最初は人間と同じ思考パターンを手に入れて発展するかもしれないが、そのうち別の思考パターンを見つけ出す可能性も大いにある。そうなるともう、人工知能は人間にとって計り知れない知的生命体と化す。その祖先は人間が生み出したものかもしれないが、彼らがいったい何を考えているのか、何をし始めるのか、私たち人間には皆目見当がつかないのである。 P117 だとすると、得体の知れないシンギュラリティ後のAIによる暴走を防ぐ方法も一つだけということになる。つまり、AIの開発をこれ以上進めないこと。幸い人類にはこのオプションが残されている。おそらくこのオプションを取る確率・はもはや低いといっていいだろう。でも、まだ間に合うのだ。 P121 MITメディアラボの所長・伊藤穰一は、インターネットが登場する前の社会を紀元前になぞらえて、BI(Before Internet)と呼び、登場後の今の社会をAI(After Internet)と呼んで区別している。BIではすべてがシンプルで、予測可能だったのに対して、AI時代の今、物事が過度に複雑化し、予測不能になったというのだ。そして実はそれこそイノベーションに利する環境であると賞讃している。 |
田中 潤・松本 健太郎 光文社 2018/02/22 ディープラーニングは何ができるの。 多様な人達の仕事を奪ってしまうの。 そのような疑問について、 都市伝説を否定する良書です。 デーィープラーニングは「分類」と「区分」ができるだけだ。 猫の画像をグルーピングして、 犬の画像をセパレーションする。 しかし、それが猫だとは認識していない。 単に「穴が3つのA」と認識しているだけ。 数字や言葉などデータとして表現できるモノしか扱えない。 「これを分類しておいて」という命令が実行できるだけ。 読めるデータへの変換という人間の前作業が必要になる。 特徴は、分類精度を、自ら向上させていくことなのですが、 どのような判断基準で分類したかは語れない発達障害の少年。 人問の脳を人工知能で模倣してというのは神話の世界。 人工知能で人間の仕事が無くなるといのは妄想の社会。 なぜなら、脳の機能自体が全く解明されていない段階で、 それを模倣する機械を作ることが不可能なのは自明の理。 P27 種類や性質や系統など、何らかの基準に従って区分することを「分類」と言いますよね、ディープラーニングがやっているのは.区分だと考えてください。 例えば目の前に猫がいたら「これは猫である」。あるいは、目の前に犬がいたら「これは猫じゃない」。その分類をしているのがディープラーニングだと理解すれば良いでしょう。 P28 「分ける」というのは「分かる」と同義とはよく言ったものです。私たちは分類をすることで、物事を理解し、日常を過ごしているのです。 そう言えば「仲間意識は仲間はずれの始まり」という、あるお坊さんの、言葉が一時期ネットで話題になりました。仲間意識とは同じリンゴであるというグルーピングであり、ミカンとは違うという仲間はずれ=セパレーションでもあります。物分かりが良すぎるのも困ったものです。 そう考えると、ディープラーニングがあらゆる場面で活躍しているのも納得できます。僕は人間の知能の根底には分類があると考えています。分類機能をデイープラーニングで代替しているからこそ、人工知能は飛躍的な発展を遂げているのかもしれない、とさえ思えますね。 P40 人間の脳自体を模倣する、再現するという観点では、ディープラーニングだけでは全く足りません。そもそも人間の脳がどういうふうに機能しているか自体が、いまだに全然分かっていないのです。模倣をするにしろ再現をするにしろ、ある特定の機能のうち特定の動きを少しだけ、といった程度です。 つまり人問の脳を人工知能で模倣して作るなんて「神話」なんです。 P43 人工知能を作るにあたって、必ずしも人間の脳を模倣する必要はありませんし、それを目指している研究者なんてほとんどいないでしょうね。なぜなら、まず脳の究明に時闇を費やす必要が出てきますからね(笑)。 P44 きっと本書を読まれている読者の皆さんは、総合的に見て人間に勝る人工的な脳が秘密裏に作られていると思っていませんか?ある日突然、そのような研究が世界レベルで公表され、あっという間に仕事が無くなり、人工知脳の奴隷として働くしかないという妄想にかられているのではありませんか? そうした脳の登場こそ、未来学者であるレイモンド・カーツワイルが提唱する、人工知能が入間を超える瞬問を指す「シンギュラリテイ(技術的特異点)」だと思われているのではないでしょうか? 相当な勘違いです。もはやSFです。 P73 P80 P108 P109 P112 P119 P120 P125 P128 P132 P144 P145 P162 …… …… …… |
瀬尾まなほ(瀬戸内氏の秘書) 光文社 2018/02/21 そもそも瀬戸内寂聴にも、 その作品にも全く興味は無いのですが、 使用人がごっそりと退職し、 経験の無い若い女性が残された。 その女性を孫のように大事にしている風景。 それを徹子の部屋で見ることがあり、 その女性が執筆した本書を手に取ってみた。 私の住む世界とは全く異なり、 興味も持てませんでしたが、 善意で、真面目で、才能のある世界なのだとは想像できました。 熱心な瀬戸内ファンによるamazonの書評に任せたい。 私には評価する力も、コメントする熱意もありません。 P24 でも、書くと決めたときの先生は目の色が変わり、話しかける余地はない。書斎に入った途端、筆が止まらず、原稿用紙に向かったまま。 わたしが話しかけても聞こえていない。そっと置いたコーヒーが、一口も飲まれずに冷たくなっている。エンジンがかかるのがいつかは、本人にしか分からないので、それまでこちらは冷や冷やだ。 先生のスイッチが入るまでは、不安で胃炎にでもなりそうな思いだけど、週刊誌を読んでケラケラ笑っている先生の姿はにくめない。やる気が出るまでは、子どもみたいにぐずるけど、書くと決めてからの気迫はすさまじい。唯一わたしができることは、先生が仕事ができるよう集中できる環境を整えてあげることだ。 |
小野雅裕(NASA研究員) SB新書 2018/02/18 少年の頃、 宇宙やロケットなどのFS小説に夢中になった。 その時代の政治家や科学者が寿命を終えても、 あの夢中になった心が承継されて、 人間は宇宙に向かって手を伸ばし続ける。 貧困問題、国際問題、人種問題、宗教問題、 それらを超えて多額の予算が注ぎ込まれる宇宙。 多様な人達の熱意とアイデアが宇宙への手を伸ばし続ける。 あのワクワク感を忘れてしまった昔の少年こそが読むべき本です。 スプートニク、ライカ犬、ガガーリン、アポロ13号という言葉を知っている人達。 P51 なぜソ連がロケット技術にここまで力を入れたのか。もちろん宇宙のためではない。当時のソ連は航空技術においてアメリカに大きく水をあけられており、経済力も雲泥の差があった。だが、たとえ正面から戦って勝てなくとも、核ミサイルさえあればアメリカ国民を人質に取ったも同然である。ソ連は形勢の一発逆転を核ミサイルに託した。他の技術や国民の生活さえも犠牲にして、ロケットに予算を集中投下した。独裁国家だからこそできる大博打だった。規模こそ違えど、国家を核ミサイル開発へと向かわせた理由は、現代の北朝鮮と似ている。 P58 宇宙開発という最先端技術においてどうしてソ連が一番乗りをしたのか?。ソ連はオンボロ車しか作れない技術後進国ではなかったのか?ソ連の技術はそこまで進んでいたのか?ソ連にできたことをアメリカはできないのか?技術力においてソ連に遅れているということは、軍事力においても劣っているということなのか? P81 P103 P105 P105 P137 P168 |
鈴木大介 講談社 2018/02/18 「大人の発達障害」の妻と 「脳が壊れた」僕の18年間 そのように題された 夫婦の壮絶な家庭生活。 貧困問題、家出少女、風俗嬢など 社会からネグレクトされた人達を取材するルポラーターが、 「大人の発達障害」の女性と結婚し、 自身が脳血栓で倒れ、高次脳機能障害と診断されることになった。 そして、 これら3種類の人達は、 みな同じ障害を背負った人達だと気付く。 いや、そうなんですね。 経験者が語る言葉には実感があり、 深みがあり、洞察があり、愛情があり。 上記の3つの種類の人達に対する 実感を持った優れた分析の書です。 発達障害という人達が増えた時代、 本書は100人中の100人の人達が読むべきと思う。 家庭内に発達障害の子や連れ居合いがいる場合は特に。 いままでに読んだ、どの解説書よりも優れてました。 本書のamazonの★5つの評価については私も同意見です。 本書のような良書に巡り会えるので読書は止められません。 P36 だか、そんな中で唯一ヒントになったのが、彼女様が頻繁に鼻歌していた「わたしは駄目な子要らない子」だった。 彼女様の子供時代を聞いていくと、とにかく「誉められたことがない」「叱られてばかり」というエピソードがゴロゴロと出てくるのだ。 P40 P72 P74 P80 P90 P101 P111 P121 P156 P163 P176 P177 P178 P179 P188 P190 P197 P199 P206 P207 P225 P219 夫婦の形はひとそれぞれで、正解の形もまた数え切れないほどあるのだろう。けれども、少なくとも僕らは辛いこともたくさんあった18年を経て僕らなりの正解に肉薄することができたと思うし、有限の夫婦生活を一日一日、噛み締めて生きていきたいと思っている。 …… 省略 …… ともあれ、紆余曲折の18年、我が家はいま、失いたくない平穏に満ちている。 |
本郷孔洋 TOHOSHOBO 2018/02/16 1000人規模の税理士事務所を造り上げた我が業界の偉人。 偉人になる為の思考方法、事業センス、知的才能が発見できるのか。 全くダメですね。 昨年版も同様の印象だった。 本書の著者の思考から、 1000人規模の事務所を作り出す 事業家としての才能は発見できない。 その答は、 事業家としての才能は言葉にはできない匂いなのか。 普通の人には、その匂いを嗅ぎ取る能力が無いのか。 しかし、普通の人に読ませるために書いた本だろう。 才能がないことが、事業家としての成功の鍵なのか。 「結果良ければ、全て良し」ですが、 しかし、結果に至る道筋が表現できるのが知性。 もう1人の偉人である、 本郷尚氏の出版も予定されている。 読み比べてみれば面白いと思う。 P127 弊社で2016年に本部の引っ越しをしました。 引っ越しを契機に、フリーアドレス化しまして、レンタルスペースを3割削減しました。それでも、今になってみますと、例えば、会議室、研修室、これらの稼働率は、悪いですね。 そんな折、貸会議室の需要が伸びているというのを、聞きました。 成程、稼働率が悪い会議室、研修室は、アウトソーシングの方がずっと効率的です。 チマチマのコストダウンでなく、大胆なコストダウンの志向、これも、キモですね。 |
岩野 響 KADOKAWA 2018/02/13 発達障害の少年が、 小学校、中学校の挫折経験を経て、 コーヒーの焙煎店を始めるまでを語る。 発達障害という個性、 いや、 本書に登場する心療内科医は 発達凸凹症候群というべきと唱えてますが、 不得手なことは徹底的に不得手で、 好きなことは飽きることなくやり続ける。 理系の教師や学者、医者、研究者、 芸術家にはアスペルガー症候群的な傾向のある人達が多く、 ただ、個性を伸ばすのに失敗してしまえば引き籠もり、 テレビゲーム型の人間になってしまう危険もある。 もちろん、 才能無く、 不適応だけの人達もいるのだろう。 我が子が発達凸凹症候群だった 岩野家の両親と本人による家庭の記録です。 大変だったと思いますが、しかし、 個性豊かな子を育てることになった岩野家が、 ちょっと羨ましくなります。 P102 カレーがどうしてコーヒーにはまるきっかけになったかというと、カレーの隠し味にインスタントコーヒーを入れてみたら、おいしいことに気づいたんです。 さらに豆から挽いたコーヒーを入れるともっとおいしくなることがわかって、どんどんのめりこんでいった。 P103 ちょうどその頃、両親の仕事関係の方から、「そんなにコーヒーが好きなら、焼くところからやらなきゃダメよ」と手回しの小さなコーヒー焙煎器を譲っていただいたことも、大きなきっかけになりました。 P106 味覚や嗅覚には点数がつけられないし、正解というものがないので、ぼくがいいと思うコーヒーがお客さんにもおいしいと思ってもらえるのか、じつは心配でした。だけど、大坊さんとコーヒーの話ができて、味の話題について共感してもらえたことで、ぼくが目指すコーヒーのイメージはこれでいいんだ、という自信になりました。 P112 ある日、「自宅の空いている倉庫を、パパと一緒に改装してお店にできないかな?」と両親に伝えたら、母はとてもうれしそうに「それは、できそうだね」と喜んでいました。 父も「自分の家で、しかも自分たちで改装すれば、資金もほぼかからないし、いいアイデアだね」と賛成してくれました。 ぼくが覚えた焙煎で、コーヒー豆を販売する。とりあえず人を雇ったりしないで、ひとりで袋詰めまでやって完結できるシンプルなかたちで、まずは始めたいと思いました。 P140 P143 P146 P147 |
野口悠紀雄 PHPビジネス新書 2018/02/13 やはり、野口教授は凄いですね。 素人の読者向けに書かれているのだから、 「読めば分かる」と考えたのは甘かった。 技術的な問題まで言及し、私には理解不能です。 私は、ブロックチェーンは、 支払いを想定しない約束手形の裏書の連続と理解しているのですが。 【関根稔+秘密鍵→山田太郎】【山田太郎+秘密鍵→佐藤二郎】 そのような文字列が、 多数の人達のパソコン内に保管される。 手形の裏書きの遡っての訂正は不可能なので、 手形は秘密鍵を持つ者の正当な権利が保護される。 この技術を利用すれば、 不動産の取引や、契約関係の連続性などを、 ブロックチェーンで証明できるシステムが作れる。 正確性を認証するマザーコンピューター(登記制度)は不要。 しかし、本書は、 そんな簡単な理屈ではないと説明します。 しかし、その理屈が私には理解できない。 ビットコインの前提になる ブロックチェーンが凄い発明であることは次に引用する通りです。 P140 ブロックチェーンは、「悪いことをするのは倫理的によくないから、やらない」という性善説ではなく、「悪いことをしたら損をするから、やらない」という性悪説に立った仕組みです。 こうして、誰が参加しているか分からないにもかかわらず、信頼できる仕組みができました。プルーフ・オブ・ワークは、これまでのように、「相手がAmazonだから信頼できる」とか、「銀行だから信頼できる」というのとは、根本的に違う仕組みです。 このため、ビットコインは、「信頼できない(かもしれない)人々がやっているのに、信頼できる事業」になっているのです。つまり、ブロックチェーンは、特定の管理者の信用に頼ることなく、悪意を持って損害を与えようとする者を排除できる仕組みなのです。 P147 これに対して、ブロックチェーンに書き込まれたデータは、書き換えることが事実上不可能、というのがポイントです。そのため、信頼性が担保されます。このために、貨幣などの経済的価値を、インターネットで送ることができるようになったのです。 P246 Q プロックチェーンは、社会の構造を変えるのでしょうか? ブロックチェーン技術は、社会の仕組みを質的に大きく変えることになるでしょう。現在の状況は、1990年代にインターネットが使われるようになったときと、よく似ています。 プロックチェーンが作る未来社会はどのようなものか、まだ完全な姿は分かりません。主導権を握るのがベンチャー企業か、大企業か、あるいは国なのかによっても、未来社会の姿は大きく異なるものになるでしょう。 |
落合陽一 幻冬舎 2018/02/05 いま注目されている著者です。 10年先、 30年先の未来を語ります。 語ることが正しいのか、根拠があるのか。 そんなことはどうでも良いのだと思います。 テレビドラマの「先に生まれただけだけの僕」、 そこで高校2年生の夏休みに向けて語る校長の言葉 ――――――――――― でも、みんなに未来を見通す力なんてありません。 そもそも君達が何かをするまで未来なんて存在しないんだ。 ――――――――――― 存在しない未来は、 この著者のように 語る人達によって造られていく。 主体的に未来を管理しようとしたら、 未来を見通すだけではなく、 未来を語らなければならない。 いま未来を語り、 未来には、その未来を語る。 それが未来を語ることなのだと思う。 自信を持って未来を語って貰うためには、 自分に自信が無ければならない(16頁)。 著者の思想は、技術が、社会を変えていく。 旧体制、旧思考は、全て、障害でしかない。 大量生産で強みを発揮した日本モデルは時代に遅れ、 新しい時代の生き方は時間的、場所的な拘束の無い、 仕事と、趣味と、遊びの区切りの無い生活になって、 供給者にも、美意識や芸術性が問われる時代になる。 私も10年先、20年先を語る著者の主張には共感します。 10年、20年先のイメージが具体化するかは不明ですが、 そのイメージを認識しながら現在を生きるのと、 過去の連続性の上に現在を生きるのでは、 人生の楽しさが格段に違ってきます。 私は、将来は、サラリーマンと逆の生活が標準形になると思う。 ――――――――――― 関根が連載しているコラム さて、これからの働き方を、どのように構築すべきか。日本型の雇用契約の元で生きるのは生きづらそうだ。そうであるなら、私達が目指すべきは、その反対側の生活だろう。午前9時から午後5時まで制約される生活、毎日、職場に集合して一斉に仕事をするスタイル。月曜日から金曜日まで働き、土曜と日曜日に休暇を取る生活。全て、古典的な生活になってしまうはずだ。 その変革の最先端のツールがパソコン、ネット、メール、スマホなどの器機の進化だ。私の場合なら、いま、目の前にパソコンが無ければ5分と間が持たない。しかし、目の前にパソコンがあれば場所は問わない。1日に100通、土曜日や日曜日でも30通のメールが来なければ物足りない。情報はパソコン内とネットにあり、顧客との距離はゼロになる。土日も含め、朝の目覚めから夕刻の就眠時間まで常に仕事をしている。365日、24時間が働く時間だが、これは休憩の時間でもある。つまり、バラバラの時間をバラバラに利用する生き方だ。 組織、時間、場所、慣習から自由になり、決まり事に縛られず、自由に生きる。それが、これからの生き方だと思うし、私達の仕事ではそれが許されている。会社に勤めた人達の働き方を模倣する必要はないと思う。 ――――――――――― P16 そうした新しい戦略を日本のみなさんに伝えることは、今の僕の義務だと思っています。なぜなら、普段から、国立大学法人で教育に携わって、自分の企業を経営して、アーティストとして芸術作品を生み出し、国際会議や論文誌で研究を発表し、プロダクト作りに関わるテクノロジーとデザインに詳しい人間は、日本に僕を含め数人程度しかいないからです。各分野の専門家はいるのですが、教育と研究と経営とアートとものづくりをどれもやっている人はとてもレアです。そして、その兼任も機械親和性によります。 P22 そして、平成の次の元号の変化にも合わせてやり切らないといけないことでしょう。僕の座右の銘は「変わり続けることを変えず、作り続けることをやめない」ですが、最近気に入っているフレーズがあります。「指数関数的成長にとって、全ての点は、いつでも始まったばかりだ」というフレーズです。人口減少は人類史上稀有な大チャンスです。 P83 P114 P118 P123 P205 P233 「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。あらゆることにトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。明日と明後日で考える基準を変え続けろ」と、以前Twitterに書きました。 これが僕から読者のみなさんへの最後のメッセージです。 |
橋本 健二(社会学) 講談社現代新書 2018/02/01 所得税の最高税率の変遷は次の通り。 1974年(昭和49年)75.0% 1984年(昭和59年)70.0% 1987年(昭和62年)60.0% 1989年(平成元年) 50.0% 1999年(平成11年)37.0% 2007年(平成19年)40.0% 2015年(平成27年)45.0% 著者が所得格差が始まったと述べるのが1980年前後。 所得税の超過累進税率の引き下げと時期を同じくする。 総中流社会から、 貧困格差への時代に変化は、 経済的要因以上に、 超過累進税率の引き下げの影響が大きかったように思う。 なぜ、超過累進税率を引き下げる必要があったのか。 税率が高いと 稼ぐ意欲(勤労意欲)が無くなると解説されていたが、 私の周りの事業家は税率など気にせずに稼いでいた。 税金など気にしていたのは、 せいぜい所得が2000万円程度のサラリーマン。 学者の述べる貧困格差ですから、 どこまで教訓になるのか不明ですが、 何か、得るところが有るかもしれない。 今、読み途中です。 統計値や平均値で論じる書籍は面白くない。 仮に、年収が平均して800万円と言われても、 300万円の人達も、2億円の人達もいるだろう。 学問を論じ、政策を論じる人達には統計値は貴重だが、 私には、統計値や、平均値は意味がない。 本書は、 最初から最後まで、 統計値と平均値で終わってしまった。 P7 高度成長が終わっても、格差の縮小はしぼらく続き、多くの指標は1975年から80年ごろ底に達する。日本は、国民のほとんどが豊かな暮らしを送る格差の小さい社会だとして、「一億総中流」がいわれた時代である。 しかし、そこから反転上昇が始まる。とくに当初所得のジニ係数と産業別賃金格差の拡大はすさまじい。生活保護率だけは低下那続くが、これは厚生省(当時)の締め付けによって、生活保護を求める人々を窓口で追い返す、いわゆる「水際作戦」が展開されたからだろう。批判を受けて自治体の多くが態度を改めた1990年代後半以降になると、生活保護率は急上昇する。先の社説漢書かれた1988年の格差など、今日に比べればまだまだ生やさしかったといっていい。 ここから明らかなように、現代日本で格差拡大が始まったのは1980年前後のことである。だから、格差拡大はもう、40年近くも続いているのである。いや、格差を縮小するためのまともな対策がとられてこなかったのだから、40年近くも放置されてきた、といってもいい。 |
岡口 基一(裁判官) 学陽新書 2018/01/31 ブログで有名な岡口裁判官に、 弁護士が、民事訴訟の内幕(?)を質問する。 弁護士として知りたいことですが、 しかし、読んでみて、改めての収穫は無いですね。 弁護士なら、誰でも知っていること。 私が知らなかったのは引継書の具体的な内容。 ただ、和解手続の途中での 裁判官の転勤を実際に経験すれば、 和解の心証が書いてあることは想像できます。 馬鹿に見える弁護士とか、 優秀な弁護士とか、 そんなことを語ってくれたら面白いのに。 私には「裁判官109名のアンケート 二弁フロンティア別冊」の方が収穫があった。 裁判官109名のアンケート」は、全ての弁護士が読むべき必読の資料です。 裁判官による辛辣なコメントが本音を表現してます。 馬鹿な弁護士が多いことを語っている。 準備書面の分量は多い方が良いか。 反対尋問こそ弁護士の腕の見せどころ。 経験則については立証しなくてもよいだろう。 P120 岡口 異動先に行くと、机の引き出しの中に前任者が作られた引継メモが期日順に並んでいて、迫っている期日から順番に見られるようになっています。 引継メモには記録を読めばわかることは書いていません。弁論事項は、記録を読めばわかりますから、引継メモには、和解の進捗状況が詳細に書いてあることが多い。和解の状況は記録を読んでもわからないからです。 そのほか、引継メモには、記録には現れない周辺情報がいろいろと書かれています。「ちょっと注意したほうがいい当事者なので気をつけてください」とか。昔は、引継メモに事件についての自分の心証を書いている方もいたんですけど、次の裁判官の心証に影響を与えかねないので、私は書かないようにしています。真っ白な気持ちで記録を読んでほしいですし。 |
松島 斉(東京大学大学院教授) 日本評論社 2018/01/31 軽い語り口で、 軽く論理を進めるが、 読み進めても、 何を説明したいのかが全く読み取れない。 タイトルが良いので 読み始めたのですが、 タイトルの趣旨も読み取れない。 この著者、何を言いたいのだろう。 |
トーマス・セドラチェク 東洋経済 2018/01/30 私の変わり者の娘。 役に立たないことなら何でも知ってます。 その娘と 池袋サンシャインの オリエント博物館に行ったのですが、 売店にあったのが「ギルガメシュ叙事詩」。 娘は、それを買うという。 何のことかと思ったのですが、 それを読んでみたのが数ヶ月前の話。 で、今日、 本書を手に取り、読み始めたら、 ギルガメシュ叙事詩から経済学を論じている。 ギルガメッシュの一文を引用し、 「見えざる手」がアダム・スミスではなく、 ギルガメッシュ叙事詩だと説明しています。 経済学をギルガメシュ叙事詩から論じる、 著者の思想には魅力があります。 本書は485頁もあるので、 恐らく、何章かしか読む気力は続かないと思う。 もし、全文を読み通せたら自分を誉めてあげます。 しかし、仮に、 何章かを拾い読みするとしても、 「ギルガメシュ叙事詩」「旧約聖書」 「古代ギリシャ」「キリスト教」という魅力のある章立てです。 それにしても、 「ギルガメッシュ叙事詩」なんて言葉は、 変わり者の娘に出会わなければ知らない言葉でした。 知識って面白い。 各人の利己心が 「見えざる手」によって 社会の効用を最大化する。 アダム・スミスから経済学が始まったとする通説を猛烈に批判します。 ギルガメッシュの時代から経済学は存在し、 ユダヤ教の時代、イエスの時代、アダム・スミスの時代と、 その思想の変遷を紹介します。 落ち穂を拾ってはならない。 それは寡婦と孤児の為である。 そこから始まった経済が、 アダム・スミスの「見えざる手」の誤解によって、 強欲を許す経済になってしまった。 いま、手に入れれば入れるほど、不足する時代。 経済的に豊になった社会が、より貧しくなる社会。 経済学は、そのような強欲から始まったモノではないと。 P12 経済学の中には数学も存在するが、それ以上に多くの宗教や神話や元型が存在する。今日の経済学は、中身よりも方法にこだわりすぎているのではないだろうか。経済学者は、さらには多くの経済学徒も、ギルガメシュ叙事詩、旧約聖書、キリスト、デカルトなどの広い情報源から学ぶことが欠かせない。 P60 P68 P93 P98 P113 P120 P121 P124 P125 P126 P127 P203 P268 P279 P283 P290 P294 P296 P297 P290 スミスの考える社会倫理は、相互の共感の上に成り立っている。人間は社会的な生き物であり、その本性は感情移入を必要とし、共同体の一部であることを欲する。社会において、倫理が重要な役割を果たすのはこのためだ。「徳は社会を支え、悪徳は社会を乱す」。 こうしてみると、スミスとマンデヴィルはこれ以上ないほど対極的な立場にあると言える。なにしろマンデヴィルは、悪徳が社会の繁栄の根源であり、社会の徳が高まれば(スミスはそれを望んだ)貧乏になって崩壊すると主張したのだから。 一方スミスは、「社会の歯車のいわば潤滑油である徳は必然的に快感をもたらし、……悪徳は歯車を軋らせ摩耗させるいやな錆のように、必然的に不快感を起こさせる。……徳がそれとして好ましく、悪徳がそれとして嫌悪の対象であるなら、両者を最初に識別するのは理性ではあり得ず、直接的な感情や感覚でなければならない」と考えた。 |
NHK「欲望の資本主義」制作班 東洋経済 2018/01/30 4人の専門家が インタビューに答えます。 ・ アダム・スミスは間違っていた。 ・ 資本主義は成長がマストではない。 ・ 労働のない社会が来る。 ・ GPS至上主義と決別せよ。 NHKの「欲望の経済史」を見て、 興味があって入手した一冊ですが、 テレビ報道に比較したら読み難い。 NHKの記者や、 新聞記者は書籍を書くのには 向いていないように思います。 次は、資本主義はマストではない」と論じる チェコ共和国大統領のアドバイザーを務めた トーマス・セドラチェックが述べる言葉です。 「悪と善の経済学」を読んでみようと思う。 P105 セドラチェク 日本語で「過労死」という言葉がありますよね。 安田 過労死? セドラチェク ええ、過労死です。これは大変なことです。自分の子や妻や家族が飢え死にしそうなら、大黒柱として家族を食べさせるために死ぬほど働くのは理解できる。でも、過労死は世界で最も裕福な国の一つで起きています。これは「成長がなければ良い人間ではない」「成長がなければ良い経済ではない」というおかしな考えに起因しています。その考えは間違っています。経済ではなく、他の分野で成長すれば良いのです。芸術、友情、精神面などでね。人類が成長すべき分野は他にたくさんあります。豊かになればなるほど、仕事もどんどん増えるとすれば、とても残念なことです。 私がヨーロッパやアメリカの友達によく話す話があります。「ヨーロッパの人々が日本人ぐらい一生懸命働いたとしても……」、私たちはそんなことは絶対にしませんけどね。日本人はとてもいい教育を受けて、勤勉に仕事をして、上司が望む限りずっと職場にいる。しかし、「……たとえ私たちが、それぐらい一生懸命働いたとしても、結局、成長が止まる状況はやってくる」――。 ですから、私にとっての日本は、とても裕福ですが、例えば、日本人の観光客を見ていると、休暇はすごく少なくて、ヨーロッパ全体をたった2日で走り回ったりしていて、時間がほとんどない。そこで、私は考えます。日本の裕福さは何のためにあるのか?結局のところ、日本は私たちチェコより、何をより多く持っているのだろう?食べ物は素晴らしく美味しい。でも、それ以外に、裕福に見えるところはありません。 |
多田富雄(生命科学) 新潮文庫 2018/01/24 免疫って何なの。 なぜ、細胞レベルで他者が認識できるの。 その知識の全てを分かりやすく説明するのが本書です。 わくわくしながら読み進められます。 いま、読み途中です。 しかし、他者を認識するだけではなく、 他者を、山田さん、佐藤さんと区別して認識する。 狂犬病のワクチンは、2度目には使えないと、 中学生の頃に米国ドラマのベン・ケーシーで見たが、 本当なのかもしれない。 私は、CT検査で、胸腺に影があると言われたことがある。 私の年齢では、胸腺は残っていないので腫瘍かもしれない。 しかし、確認の為には手術し、検体を取り出す以外にない。 結局、経過観察として、いま、生き残っているのですが、 もしかして、私の胸腺は、 いまだに免疫細胞を作り出してくれているのかもしれない。 P25 免疫には体を守るほうもあるし、体にとって有害な反応もある。免疫ということばは、もともとのなりたちから、病気を免れるという意味が表になってますから、有害のほうをアレルギーと呼ぶわけですが、こっちの方が免疫ということばを包括しているといってもいい。「変化する力」ですからね。 それで、じゃあどうして一人の人間が、自分と他人を区別することができるのか、自分以外の種を区別することができるのか。しかも、免疫反応の非常に大事なことの一つに「特異性」というのがある。たとえば、馬の血液に対して抗体ができた場合、その抗体は馬以外のものには反応しないんですね。羊の赤血球に対する抗体はニワトリの赤血球には反応しません。一つ一つを全部認識して区別する能力があるわけですね。 P26 ところが、移植というのは、いったんは必ず血液が流通するようになるんですけれども、しばらくたつと排除されちゃう。それで、ちゃんとここでも免疫の基本原則があっても、いったん排除されると、同じ人からの移植というのは、もう二度とつかない。 はしかに一度かかると、二度とかからない。一生、はしかにかかったっていう記憶が残るわけですね。これを免疫学灼に「記憶」といいます。移植の場合も、ある人から皮膚をもらうと、その人の皮膚はもらうと受けつけないということで記憶が残ります。1回目と2回目の反応が違うんですね。 P75 P80 |
木田 元(中央大学名誉教授) 新潮文庫 2018/01/24 哲学って何なの。 30年前からの疑問ですが、私には分からない。 「税理士のための百箇条」が哲学だと言ってくれる方はいますが、 しかし、生き方論が哲学だとは思えない。 あるいは、 学問が未分化だった時代には、 心理学、数学、物理学の全てが哲学だったのか。 そしたら、いま「哲学史」のみしか残っていないはず。 哲学とは何なのか。 創り主を前提にする西欧の思想なのですね。 主が、主に似せて人間を造った。 主の意思を推察するのが哲学。 いや、違うかな。 哲学を、 直接に論じる本書は読みやすい。 いま、読み途中です。 P5 よく日本には哲学はなかったと言われますが、わたしもそう思いますし、哲学がなかったということを別に恥ずかしいことだとは思いません。「哲学」というのは、やはり西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だと思うからです。 P23 こうした考え方が、西洋という文化圏には生まれたが、日木には生まれなかった。いや、日本だけではなく、西洋以外の他の文化圏には生まれませんでした。というのも、そんな考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならないからです。 いま、「存在するものの全体」を「自然」と呼ぶとすると、自分がそうした自然を超えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関わりをもちうる特別な存在だと思わなければ、存在するものの全体がなんであるかなどという問いは立てられないでしょう。自分が自然のなかにすっぽり包まれて生きていると信じ切っていた日本人には、そんな問いは立てられないし、立てる必要もありませんでした。西洋という文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照にしながら自然を見るという特殊な見方、考え方をしたのであり、その思考法が哲学と呼ばれたのだと思います。 P49 P58 |
篠田節子 新潮文庫 2018/01/20 矛盾のない必然性を作り出す天才です。 ただ、篠田節子さんの小説はオカルトが良い。 イビス、カノンを超える小説に出会わない。 ただ、辛辣な言葉は有効に生きてます。 年老いた母親のワガママに付き合う長女の物語。 P82 介護で流した汗と葬式で流す涙の量は反比例。 P152 もし母がこれきりになったときには、大いに泣いてもらえばいい。疎んじながらも面倒を見る者と、まったく役には立たないが、無条件の信頼と愛情と同情を寄せ、死後にぼう滂だの涙を流してやる者、きっと年寄りにはその双方が必要なのだと思う。 |
原 和良(弁護士) インプレス 2018/01/18 弁護士歴22年の著者が書いた生き方論。 「税理士のための百箇条」と同じテーマだが、 どのようなスタイルで人生を語っているのか。 考え方論ですね。 他人と比較するな、 自分と向き合え、 冷静さを取り戻せ、 私の「税理士のための百箇条」は、 生き方論でも、 考え方論でもなく。 人生の「必然性」を探す理屈の書。 弁護士業には救済はないが、 税理士業では理屈による解決策が見付けられる。 P28 他人と比較するのをやめて、自分を大切にすると、自分の内面から幸せを感じる力が湧いてきます。そして、このような人には、必ず運やツキが回ってきます。 P29 いったんは、開き直ることです。大切なことは、背伸びをせず等身大の自分と向き合うことです。他人によく見られようとして自分を誇大に見せる必要はありません。 P36 幸福になるための最初のステップは、他人と比較しないことです。もともと、他人が幸福なのかどうかなんて、その本人が決めること、感じることであって、比較できないものを比較しようとするから混乱が生じるのです。 P38 100個の出来事のうち、人間は本能的に、2、3個のうまくいっていない出来事に集中します。そんな時は、自分の恵まれている97個、98個について、しっかりと意識を傾けて、感情のコントロール、是正を図ることが大事です。 ――――――――――― 私の場合なら次のような書き方です。 雑誌に連載中の原稿 50 語れること、語れないこと 語れることが重要なのだ。 仮に、夫は医者だと語れれば、彼がチビで、デブで、ハゲであることを語る必要はない。大きな税理士事務所を経営していると語れれば、バブル時の失敗で個人的には破産状態であることも、家庭は崩壊していることも語る必要がない。勝訴事件を語れる弁護士であれば、敗訴した訴訟事件を忘れてしまえばよい。 誰でも語れることを語っているだけなのだから、他人が語ることに競争心を掻き立てられる必要はない。しかし、他人との関係で成り立つのが社会なのだから、語るべきものを持つ人たちは幸せだろう。みな、語れることを求めて人生を作り上げていく。 仮に、税理士であれば、専門領域を持つことは生きるうえで価値があるだろう。組織再編税制を語り、信託税制を語り、資産税を語る。そのような人たちが、その専門領域の知識で、どの程度の稼ぎを得ているのか、はなはだ疑問だが、しかし、語れることを持てれば、この業界で生きていくことが楽しくなる。専門領域を語れるという自尊心が満たされ、そして、いつかは、その専門領域が自分の生活を安定させてくれるかもしれない。 逆に、語れないことも重要だ。 …… 省略 …… |
ジェイムズ・D・スタイン 化学同人 2018/01/15 「経済学殺人事件」 そのようなミステリーがあった。 その本を読めば、 その当時の最新の経済理論が理解できる。 ストーリーとしても必然性が整っていた。 それを読んでからは、何時かは、 「税法殺人事件」を書いて見たいと思っている。 ある資産家が殺された。 遺産争いとして、相続人が疑われるが、 真犯人は、資産を管理していた税理士だった。 自分のミスが露見するのを怖れての殺人だった。 本書についても、 「経済学殺人事件」を期待したのだが、 本書に登場するのは経済の最新理論ではなく、 数学を利用しての謎解き。 それも「なぞなぞ」レベル。 渋滞する高速道路の走行に要する時間とか、 一日1本ずつ禁煙した場合の喫煙本数とか。 いや、違いました。 章をが進む毎に難解な数学理論に発展していきます。 ちょっと楽しみな一冊です。 第1章 「プール論理」 第2章 「パーセント計算」 第3章 「平均値と割合」 第4章 「数列と等差数列」 第5章 「代数学」 第6章 「金融の数学」 第7章 「集合論」 第8章 「組み合わせ論」 第9章 「確率と期待値」 第10章 「条件付き確率」 第11章 「統計学」 第12章 「ゲーム理論」 第13章 「選挙」 第14章 「アルゴリズム・効率・複雑性」 結局、私には無理。 興味が維持できなかった。 ミニマックス理論も登場しますが、 これは大量の勝負での勝率の議論。 1枚の絵を売る場合の判断基準として採用するのは、 数学ではなく、哲学です。 |
橘木 俊詔(経済学教授) 平凡社新書 2018/01/15 成功する人生についてキーワードがあれば知りたい。 本書は遺伝、能力、環境、努力、運の5つを要件として成功との因果関係を探る。 学者の分析の限界として、 古今東西の資料をひねくり回すだけ。 いや、それが学者の議論なのだろう。 しかし、読んで、わくわく感がない。 息子3人と娘を東大理三に合格させた佐藤ママ。 遺伝、能力、環境、努力、運のどれなのだろう。 4度について続く運はあり得ないので、 他の4つの要素ですが、 著者なら何と説明するだろう。 学者の書籍から 実務家が学ぶところは少ない。 P11 本書では、このような格差社会において、人はどのような境遇にあれば成功するのか、あるいは成功しないのか、といったことに注目して、その原因をいろいろな側面から探求する。 具体的に、どのような境遇を語るかといえば「遺伝」「能力」「環境」「努力」「運」についてである。 P226 この表の意味するところは、容姿の良い男性は4パーセントのプレミアム、悪い男性は13パーセントのペナルティを受けており、容姿の良い女性は8パーセントのプレミアム、悪い女性は4パーセントのペナルティを受けているのである。表には出していないが、男性では容姿の良し悪しによって17パーセントの収入差、女性では12パーセントの収入差であるとハマーメッシュは示しているので、かなりの所得差が生じている。興味深いのは、女性よりも男性に容貌による収入差がより大きいことにある。 |
牛島 信(弁護士) 幻冬舎 2018/01/12 良い本で、 才能のある弁護士だと思って、 読み進めたのですが、 冗長ですね。 途中で読むのに飽きてしまった。 小説としても、 弁護士の知恵としても物足りない。 P89 だけど、非上場会社は見捨てられている。俺の言うのは非上場会社の少数株主に矛盾とその皺寄せが集中しているってことだ。フェアな扱いを受けていない。もっと払える配当、高値で買い戻せる株、もっと投資に回せる内部留保、放置されたまま眠り続けている土地の含み益。そうしたものを実現することは非上場会社の少数株主には無縁だ。踏みつけにされて、声もあげられない。オーナー経営者は少数株主を相手にもしない。 本当の問題は会社の経営そのものなんだ。それは、非上場会社が取引先、従業員、地域社会、そして株主のために経営されていないってことでもある」 P91 「とにかく、少数株主が泣き寝入りするしかないのは、買い手が現れないからだろう?買い手が現れても、所詮その買い手は当て馬にしかならないからだろう?だからそんな役を務めてくれる人はいないってことだろう?だけど、とにかく誰かが買い手役になって譲渡承認請求さえすれば、会社は自分でなきゃ誰かに買わせるしかないんだろう?そうなれば、最後は裁判所が妥当な値段を決めてくれる、オマエそう言ってたよな。それでいい。上等じゃないか。だから、俺はそれをやるんだ。当て馬でいい。当て馬が存在するってことが世の中を変える。墨田のおばちゃんはきっかけにすぎない」 「ふーん、じゃあオマエは非上場会社の少数株を買って回ろうってわけか」 「いや、買って回るつもりはない。第一、買えないと言ったのはオマエじゃないか。俺はただ、アラビアの壷から出てきた巨人から、『世の中の不幸な少数株主の役に立ってやれ』とせっつかれているだけだ。もちろん、アラビアの巨人の肩の上に乗って非上場会社の経営改善をやるのが先だ。所詮当て馬かもしれんが、もし株主になれれば熊ん蜂だ。ブンブンとうるさく会社につきまとう」 |
富増章成 かんき出版 2018/01/11 私の大学時代のゼミは心理学だった。 いまのように脳科学が存在せず、 MRIも存在しない時代、 心理学は「心の学問」だった。 そこで学習したのはフロイド、ユング、アドラーの3人。 適応機制、精神分析などが学習の対象で、 この3名の本は積み上げて読んでいた。 「自由からの逃走」なども愛読書だった。 そこらの理論から、 私が納得感を得たのはアドラーの理論。 他者との関係でのコンプレックス(優越感と劣等感)が根源的な動機であって、 それを克服しない限り治療は完了しない。 フロイドの性欲を根源的な動機にする理屈よりも、 ユングの先祖から承継された恐怖を根源的な動機にするよりも、 遙かに、納得が得られる理解です。 誰でもが、コンプレクスを克服するのに苦労し、 優越感を制御するのに苦労しながら、 それでも成長(優越感)を求め、 自分を高めていく。 その濃さが、 心の濃さだろう。 私の周りにいるのも、 コンプレックスで人格を壊してしまった人達と、 優越感で社会的な活動を成し遂げた人達。 ほどほどが良いと 教えるのもアドラーかもしれない。 それが心の平安をもたらすだろう。 さて、この頃のアドラーブーム。 アドラーは自著を残していないのだが、 それを良いことに、曲解し、勝手な理屈を述べている。 アドラーの理解は次だと本書の著者は述べてます。 私も、これがアドラーの正しい理解だと思います。 P183 アドラーはフロイト(174ページ参照)の弟子でしたが、すべてを性の抑圧という生物学的事実に還元する汎性欲説に異を唱えて、フロイトから離れていきました。ユングと同じ立場をとったどいうことです(178ページ参照)。 フロイトは、抑圧の対象となる性の衝動、または、そのエネルギーとしてのリビドーに重点をおき、超自我によって抑圧が生じると考えましたが、アドラーは「自我」に注目しました。フロイトの説く性の衝動は、種族維持の本能によります。これに対して、アドラーは、自我がもつ衝動は自己保存の衝動であるど考えました。彼は自我衝動を、ニーチェの「力への意志」にもとづき、権力衝動としてとらえたのです。ニーチェは、人間には、他者を超えてより高い価値を生み出したいとする「カへの意志」があると考えました。 アドラーも、そのような力があらゆる人間行動の背後にあり、それは性衝動よりももっと根源的なものであると考えたのです。フロイトの精神分析では、過去の経験が原因で、心的なエネルギーが心の奥底に滞っているとします。だから、過去を重視するわけです。ところがアドラーは、人間の意識が権力衝動によって動かされているとみるので、過去よりも未来を重んじました。人間の意識活動はフロイト説による過去の心的外傷によって制限されるのではなく、未来の目標によって決められるのです。 P185 しかし、アドラーはもうちょっと前向きに考えて、精神生活を未来に対する準備であると主張します。たとえば、子供がウソをついたとき、このウソは過去のどんな経験に基づくかということよりも、なんのためにウソをつくのかという未来を視野にいれて考えました。 アドラーによると、優越意志と劣等感とは、1つの傾向の2つの側面です。よって、彼は神経症の本質が、劣等感からの逃避だと結論したのです。なぜ人は神経症になるのか?神経症は、自分の劣等感を社会的・現実的な方法で克服できないときに発生するのです。劣等感が克服できずに、自分の行為について不合理な言い訳をしたり、空想で自分をすぐれたものにしたりするという病気が神経症だというわけです。 アドラーはさらに、犯罪の心理的原因も劣等感にあるとします。犯罪は多様ですが、それらは他人の所有物、身体、名誉などを奪うという点で共通しています。犯罪とは、もっとも簡単な方法で劣等感を克服して、自己を高く見せかけようとする傾向をもつので、「犯罪は一種の病気」なのです。 そこで、アドラーは患者の過去の家庭状況も分析しつつ、その人の性格形成の条件を自覚させます。同時に、生の目標を積極的に示し、それを教えるという方法をとりました。 P174(フロイド) P178(ユング) |
山口 周(専門はイノベーション) 光文社新書 2018/01/10 理屈ではなく、 美意識が必要な時代だと論じます。 私も、 全面的に賛成です。 「分析」「論理」「理性」も必要ですが、 それを使いこなすのは、各個人が持つ 「直感」「倫理・道徳」「美意識」という 「主観的なモノサシ」になるという考え方です。 私は、「続・税理士のための百箇条」に 「税法は美しい」という一文を書きましたが、 これは税法と、私達の仕事についての美意識を取り上げたつもりです。 おおよそ次の内容です。 「税法は美しい」 そのように語ったら、講演会の多くの受講者には違和感があったようだ。 しかし、なぜ、この美しさが分からないのだろう。 …… 省略 …… 税法理論の美しさが見えてくれば、その乱れや、汚れも見えてくる。仮に、組織再編成税制は汚い税法だと思う。グループ税制は乱れた税法だろう。では、その汚れは、どのようにしたら美しい税法に出来るだろうか。必要な制度である以上は、そこに「美意識」が存在するはずだ。それが理解できれば整合性のある理論を組み立てることができる。税法の条文が表現する醜さの中にも、税法の美しさを発見する事が出来るわけだ。 …… 省略 …… 「美意識」は、失敗しない人生のためにも有効だと思う。 …… 省略 …… そこに必要なのは「美意識」なのだと思う。美意識が理解できていれば、相談者が語る事実の美しさと汚れが見えてくる。つまり、人生の論理の乱れが見えてくるし、逆に、正しい道筋も見えてくる。 P14 彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの艦恥りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。 P20 システムの変化に法律の整備が追いつかないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。 P26 そこにこそ「リーダーの美意識」が問われる、というのが本書の回答ということになります。つまり、本書における「美意識」とは、経営における「真・善・美」を判断するための認識のモード、ということになります。 P193 以上、ここまで、経営における「真・善・美」の三つの判断について、これまで長いこと普遍的な基準とされてきた「論理」(=「真」の判断)や「法律」(=「善」の判断)や「市場調査」(=「美」の判断)といった「客観的な外部のモノサシ」から、「真・善・美」のそれぞれについて、「真」については「直感」、「善」については「倫理・道徳」、「美」については「審美感性」という「主観的な内部のモノサシ」への比重の転換が図られていることを説明しました。 そしてこの指摘は、そのまま本書の主題である「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」という問いへの回答でもあります。 P207 前田氏の発揮している「美のリーダーシップ」について、意思決定が結果的に間違いだった場合、弁解の余地はありません。「自分が判断を誤りました」としか言いようがないからです。逆に言えば、だからこそ「歴史に残るデザイン」という目標を課し、自らの判断基準のバーを極めて高い水準に設定しているのです。 |
久保利英明(弁護士) 日経BP社 2018/01/10 旧司法試験の時代の弁護士業界では、 多くの弁護士は仲間内で特定されてました。 その中で特に著名だった 数名(数十名)の弁護士がいます。 法的整理、刑事事件、労働事件、企業側の代理人、バブルの紳士との付き合い。 若い弁護士にとって、 彼らこそが自分の目標でしたが、 著者は、その中で特に著名だった弁護士の1人です。 大きな事件で活躍し、 私より100倍も活躍する弁護士。 本書を読んでも現実離れしていて実感が掴めません。 あちらこちらに、 あの事件、この事件、 バブルの紳士などが登場し、 1つの時代を物語る経験談です。 ただ、 常識の世界とは全く乖離した、 異常な社会での活躍ですから、 私達に学ぶべきところはありません。 あの頃の紳士達は、 皆さん、失敗して退場していった。 そこで生き残っているのが次のお二方でしょうか。 昭和とバブルの証人です。 P249 河合弘之は得がたい好敵手だった。ダイエーの中内さんの半生を佐野眞一さんが『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』と題して日経ビジネスに連載した。その内容が名誉棄損に当たるとして中内さんとダイエーが1997年に佐野さんを訴えた。 中内さん側の代理人は河合さん、私が佐野さんサイドに就いた。証人尋問では異議の応酬となり、刑事法廷かと見間違う様相を呈した。 |
堀内新泉 図書刊行会 2018/01/09 角田光代氏の「もう一杯だけ飲んで帰ろう」と同じに、 ただ、100個のテーマを集めて、 勝手な解釈を述べただけ。 ケチな人間を取り上げるのなら、そこに存在する深い必然性。 借金を嫌う人間を取り上げるのなら、そこに存在する成り立ち。 誰も、1つの薄っぺらい個性で生きているわけではない。 モノを書く為だけの執筆であって、 地に着いた分析も、現実の人間観察も行ったことのない執筆者。 もっとも、大正13年のベストセラーですから、 モノを書くと言うことについて、 遙かに文明度の低かった時代の一冊。 P186 612 おのれの職業を卑しむ人 世にはとかくおのれの職業を卑しんで、むやみに他人の職業を羨むような不心得な人間がある。こういう不真面目な人間は、決して立身出世を遂げるものでない。 昔の人がいっている。「何びとにもあれおのれの職業を卑しんで、アアこんな事をしていてはつまらぬという考えの起こった時は、その人間はすでに自分のカで飯の食えぬ時である」これは実にさもありそうなことである。 何でもかまわぬ、現在自分の従事している職業に対して、「今自分のやっている職業ほど結構なことはない」という考えをもって尽くしてこそ人は始めてその職業によって身を立てることもついにはできるものである。さもなくして自分の目々従事している職業に対して初めから不真面目な考えをいだいて、長くこんな事をしていてはつまらぬなどと思った日には、いうまでもなくその職業に身の入りそうな筈はない。どんな職業に従事しようとも、己れの一念力を籠めずして、よい結果の得られよう道理はない。 ところが世間大多数の人は、迂闊にもここに心をとめずして、いたずらに自分の職業を卑しんで、他人のしていることを羨むようなかたむきがある。そんな人間はすでにそれだけ己れの職業に不熱心不忠実であるので、現在己れの従事している職業によって身を立てることができんのである。現在己れの従事している職業に対して、こういう不真面目な了簡を抱いているような人間は、いくたび転業して見ても、「これはいかにも結構な職業だ」と満足して忠実に働くことはできぬ。すぐにまた第2の職業を卑しんで、他の職業を羨むようになるにきまっている。 |
角田光代(作家) 新潮社 2018/01/09 あの角田光代が、 夫婦で食べ物を語る。 納得する切り口や、 ウンとうなずく笑いが登場するのだろう。 と、期待したのですが、 お店紹介の「食べログ」 38店の店を紹介し、どんな店で、何を食ったか。 なぜ、そんなことを語ることに意味があると思うのだろうか。 たぶん、書く為に、あえて飲食店巡りをしている。 無駄な一冊、無駄な人生です。 P192 阿佐ヶ谷は餃子の町だ。有名な餃子店が数軒ある。もう何年も前、その有名店のひとつで飯子を食べようと夫と阿佐ヶ谷にやってきて、予約をしておらず入れなかったことがある。でも、もう餃子のことしか考えられない。それで、通りかかった中華料理店に入って餃子を食べた。 その店が『鍋家』。中杉通り沿いのお洒落な外観の店である。 ものすごく寒い日、友人数人と集まって、円卓に座り、ビールや紹興酒やレモンサワーで乾杯をする。友人たちと話が弾んでだれも料理を注文しようとしない。ひとしきり話したあとで、思い出したようにメニュウを開く。 ザーサイ、麻婆豆腐、豆苗妙め、それから忘れてはならない餃子を注文する。料理が出てくるのがびっくりするくらい早い。夫と私は正月明けにインドを数日旅し、友人たちもそれぞれインド旅経験があるので、しばしインド話に花が咲く。話題はインドから仏教へ、キリスト教へ、科学へ、幸福論へ、人間の意識無意識へと、どんどんディープになっていくのになぜか笑いが絶えない。 話し続けるみんなが一瞬黙ったのは餃子を食べたとき。フライパンごとテーブルに出てくる餃子が、たいへんおいしいのである。皮が分厚くてもちもちしているのが特徴的。あんまり食べたことのない感じのおいしさだから、みんな思わず話をやめて食べかけの餃子を見つめ、「うまい」とつぶやく。 |
ジェン・フォードン(著述業) 河合出版 2018/01/02 オックスフォード大学と ケンブリッジ大学の入試問題を紹介します。 法学、物理学、コンピュータサイエンス、哲学、古典学、医学等など。 試験は選抜のシステムですが、 何を測定することが可能なのか。 義務教育の劣等生(私)が、その後、 多数の試験に挑戦してきた経験から語れば、 短答式型の試験は知識を試し、 論文型の試験は知識を超える構想力を試すのだと思う。 多くの試験は、 採点する側の手間で、 短答式型になっていく。 結局、知識を優先した選抜になる。 大学受験は小学校、中学校、高校を通じて修得した知識を必要とする長距離ランナーで、 国家試験は1年間の受験勉強で自分なりの理論構成を作り上げる短距離ランナーの試験。 もちろん、知識がある者の多くには知恵があり、、 知恵がある者の多くは論理力、想像力、表現力を持つ。 しかし、知識があるが、それが応用できない人達がいる。 その人達をふるい落とすための試験が本書の説例だろう。 本書の説例は、直接に、 論理力、想像力、表現力を試す試験問題。 学生の時代に遡って答案を構築してみるか、 経験を積んだ現在の自分が答案を構築するのか。 それによって 全く異なる答えになってしまいます。 著者が、設問に対する模範解答(?)を紹介しますが、 それを読む前に自分なりの回答を構築し、 その後、模範解答を読むと面白い。 第1問 あなたは自分を利口だと思いますか(法学) 第6問 もし、全能の神がいるとしたら、彼自身が持ち上げられない石を造ることができるでしょうか(古典学) 第10問 なぜ、昔、工場の煙突はあれほど高かったのですか(工学) 第13問 歴史は次の戦争を止めうるでしょうか?(歴史学) 第14問 誠実は法律のどこにおさまるのでしょう(法学) 第20問 あなたは自分の頭部の重さをどのように量りますか?(医学) 第26問 カタツムリには意識はあるでしょうか?(実験心理学) 第31問 毛沢東主席は今日の中国を誇りに思っただろうと思いますか?(東洋研究) 第47問 なぜ、進化論を信じるアメリカ人はこれほどに少ないのでしょうか(人文科学) 第60問 私には考えがある、とあなたに思わせるものは何ですか(数学、哲学) さて、第14問に、いまの自分が答えるとしたら、 法に誠実さを書き込むことは可能だが、それを法廷での判断基準にすることは不可能だろう。弁護士は依頼者の利益を守るのが職務であって、有罪の被告人についても「無罪」を主張しなければならない。 法に書き込まれた誠実さは、その法を必要としない場面でしか機能しないことになる。つまり、「ありがとうございます」「よろしくお願いします」という場面でのみ「誠実さ」が機能する。 そもそも、法を、一般社会の上位概念に置くのが間違いであって、法は、暴力、喧嘩、戦争に比較して有効な解決策を提供する裁判という制度の判断基準に過ぎない。しかし、社会は、常に、暴力、喧嘩、戦争を想定するものではない。一般社会は、思いやり、礼儀、恥(プライド)、譲り合い、妥協を上位規範として存在している。 つまり、法は、それら上位規範の下位に位置する規範であって、暴力、喧嘩の上位規範であるにすぎない。 上位規範 = 思いやり、礼儀、恥(プライド)、譲り合い、妥協 下位規範 = 法、裁判所 最下位規範 = 暴力、喧嘩、戦争 誠実さは、思いやり、礼儀、恥(プライド)、譲り合いという上位規範の中で機能するのであって、下位規範である法(裁判所)や、最下位規範である暴力、喧嘩、戦争の場面で機能することはない。 第47問 なぜ、進化論を信じるアメリカ人はこれほどに少ないのでしょうか(人文科学) これについての模範解答が次です。 P205 ところがアメリカはちがう。最近の調査によると、アメリカ人の半分以上が進化論を完全に否定している。事実、アメリカとヨーロッパ32カ国とトルコと口本で行われたある調査によると、アメリカは進化論を受け入れる人の数がトルコの次に少なかった。さらに、ダーウィンの自然淘汰の理論、つまり進化は自動的機械的に(神とはまったく関係なく)進んでいるという話になると、これを受け入れるアメリカ人は人口の14パーセントにまで減ってしまう。科学者たちがこうした考えを受け入れるようになってから、ほぼ100年にもなるというのに。 P207 進化論受け入れを拒否するアメリカ人が、進化論のどこに賛成できないのかは必ずしもはっきりしていない。質問してみると、全員ではないがほとんどが天地創造論を支持している。つまり、地球上のすべての生命を神が創りだしたと信じているのである。しかし、神はすべての生き物を今ある姿そのままに創造したのか、あるいは種は生まれては消えていったのか、もしそうならどのようにかという話になると、態度がはっきりしなくなることもある。 アメリカの進化論反対者の間にある強力な原理の一つは、「知的設計論」という概念を推進している入たちから生まれた。これは、聖書から生まれた考え方ではなくて、合理的に進化論に反論することを目的にしたと思われる擬似科学論である。要するに、地球にいるほとんどの生、命体は驚くほど複雑でしかも環境に適応している、ということは、高度な知性をもって設計された、すなわち、神によって創られたという証拠である、というのである。 「科学的」に見える論文をネットで配信したりと、自論にまたいっそうの科学らしさを付け加えている。アメリカでは、学校の理科の授業で進化諭を教えるときにこの「知的設計論」も理論として教えるべきかどうかが長いこと議論されてきた。設計論者たちは常にとは言わないまでも、勝利をおさめることが多いようだが、結局はまやかしだ。大地創造論と同様に、これも科学的理論ではないのだから、理科の授業に取り人れるべきではない。とはいえ、進化論に反対する強力で説得力のある意見がここまで多いと、これほど多くのアメリカ人がいまだに進化論を受け入れずにいても、びっくりはしない。 P268 その「討論力」を身につけるのは大学に入ってからでは遅すぎる。そういう訓練は入学前にやることで、大学はあくまでも専攻分野における論理的な展開を行うところなのだ。 そこでオックスブリッジの試験官が、受験生が基本的な討論力をすでに身につけているかどうかを判断するために、かの有名な口頭試問「インタビュー」を行うのである。単に人間性や目指す分野に対する知識を見せるためのものではない。 「今までに読んだ本の話なんかしてもだめなんだよ。どうやって頭が回転するかを短い時間で試験官にわからせるのが目的だからね」 |